[56] 
[DFN[歓喜]]
([[旧字体]]: [DFN[歡喜]])
は、
[[日本の私年号]]の1つです.


* 元号名

[55] 
[[新字体]]は[[歓喜]]、
[[旧字体]]は[[歡喜]]です。

* 用例

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [19] [DATA(.label)[[[法隆寺]]本 [CITE[[[華厳経]] 巻第六十]]]]
-- [27] >>1 : [V[一八]] ([CITE[大方廣佛華厳經]])
-- [30] >>28 : [V[一二]]
-- [18] >>4 : [V[三二]]
-- [37] >>36 : [L[5]]
-- [17] >>4 /97 : 白黒写真 (高解像度)
-- [16] 
[DATA(.label)[書写奥書]]
「[V[[DATA(.text)[歓喜元年丑十月]]冩]]」
[SRC[>>4 /97]]
-- [24] 
[DATA(.label)[裏表紙]]
「[V[應永二十一年[LINES(smaller)[甲][午]]六月日儲之]]」
[SRC[>>4 /18]]

]ITEMS]

[23] [[法隆寺]]旧蔵であることが[[識語]]により知られます。 [SRC[>>4 /18]]

[25] 
[[昭和時代]]に於いて仏教系収集家の[[松田福一郎]]
[WEAK[([TIME[明治8(1875)年][1875]] - [TIME[昭和46(1971)年][1971]])]]
の所蔵でした。
[SRC[>>1, >>4]]


[20] 
「歓喜」の2字は、現代の[[楷書]]の[[字形]]とは少々異なりますが、
崩れていない読みやすい[[字形]]です。 
[SRC[>>17]]

[21] 
[[干支年]]ではなく[[十二支年]]であることが注意されます。

* 諸説

[13] 
>>21 [[十二支年]]のみの併記って[[鎌倉時代]]にあるんですかね?
[SEE[ [[東洋の日時表示]] ]]

[54] [[元号年]]と[[十二支年]]の併記がどこまで遡れるかはあまり資料がなく確実なことは言えないのですが、
[[鎌倉時代]]だとすると早い事例にはなりそうです。

[53] 
[CITE[日本私年号の研究]]は[[私年号]]への発展の過程として積極的な評価をしています
(>>49) が、前近代の同音の漢字が交替しがちな表記習慣との関係が検討されていないのが問題です。
同音異字の元号が時代を問わず出現するのが、[[公年号の軽視]]論と整合するのかには疑問があります。


* 研究史

[26] 
[TIME[昭和11(1936)年][1936]]の[[松田福一郎]]の書籍では、
[[歡喜]]は[[私年号]]とされ、
[[平安朝]]の先頭 ([[弘治]]と[[天延]]の間)
に配置されています。
[SRC[>>1]]
比定年には言及がありません。

[29] 
[TIME[1942-12-13]]に[[東洋文庫]]で開催された[[東京大蔵会]]の第28回大蔵会展に出展されました。
[SRC[>>28]]

[22] 
[TIME[1942-12-13]]の目録および[TIME[昭和18(1943)年][1943]]の[[松田福一郎]]の書籍では、
[[銘文]]の[[歡喜]]の[[私年号]]の奥書が珍しいと書いていますが、
比定年は不明としています。
「凡そ鎌倉末期と推定」
しています。
[SRC[>>28, >>4 /18]]

[47] 
なお[TIME[昭和18(1943)年][1943]]の[[松田福一郎]]の他の目録では、
日付のみで他の説明はありません。 [SRC[>>46]]


[48] 
>>36 は、

>
[VRL[
註[YOKO[4]]  松田福一郎氏の蔵品解説書『不空葊常住古鈔旧槧録』。同じく松田福一郎氏『不空葊常住紀年録』では、それ以前に出[BR[]]
版した松田福一郎氏『不空庵常住紀年銘目録』に平安時代の私年号としたものを、鎌倉時代のものと訂正している。
]VRL]

と述べています。ところが、現在の各種検索では[CITE[不空葊常住紀年録]]は見つけられません。
[TIME[2026-05-02T05:04:35.700Z]]

[REFS[

-
[1] 
[CITE@ja-JP[不空庵常住紀年銘目録]], [[松田福一郎]], [TIME[昭11][1936]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-05-02T04:22:01.487Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1207988/1/8?keyword=%E6%AD%93%E5%96%9C> (要登録)
-
[28] 
[CITE@ja-JP[大藏會展觀目録 第28回]], [[東京大藏會]], [TIME['''['''1942''']'''][1942]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-05-02T04:28:10.209Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1183725/1/10?keyword=%E6%AD%A1%E5%96%9C> (要登録)
-
[4] 
[CITE@ja-JP[不空庵常住古鈔旧槧録]], [[松田福一郎]], [TIME[1943.1][1943]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-05-02T04:04:38.477Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1905773/1/97?keyword=%E6%AD%93%E5%96%9C> (要登録)
- [46] 
[CITE@ja-JP[不空菴常住古書古文書目録]], [['''['''松田福一郎]], [TIME['''['''1943''']'''][1943]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-05-02T04:58:02.867Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1905761/1/5?keyword=%E6%AD%93%E5%96%9C> (要登録)


]REFS]

-*-*-


[201] 
[[昭和時代]]の[[日本国]][[奈良県]]の歴史研究者[RUBYB[[[田村吉永]]][[TIME[1893]]-[TIME[1977]]]]は、
[[松田福一郎]]所蔵[CITE[華厳経]]巻第六十

- [14] 「歓喜元年丑十日写、金剛仏子」 [SRC[>>200]]
- [15] 「歓喜元年丑十月写  金剛仏子」 [SRC[>>3]]

と墨書識語があるのを紹介しています。
[SRC[>>200]]

[10] 
[[松田福一郎]]の
[CITE[不空庵常住古鈔旧槧録]]
に写真があり、
[[私年号]]奥書は珍しいとし、
[[鎌倉時代]]末期の書写と推定しています。
[SRC[>>3, >>200]]

[12] 
裏表紙の「応永二十一年[LINES(quarter)[甲][午]]六月日儲之」
からも[[鎌倉時代]]末期との想像が付きます。
[SRC[>>3, >>200]]

[11] 
見返しに「奉安置法隆学問寺五部大乗経之内」
とあり、[[法隆寺]]の旧蔵品です。
[SRC[>>3, >>200]]
[[法隆寺]]との関係も注目されます。
[SRC[>>200]] [SEE[ [[大和の私年号]] ]]


[REFS[

- [3] [CITE[[[私年号六題]]]]
- [200] [CITE[[[大和の私年号]]]]

]REFS]

-*-*-

[40] 
昭和42年の[CITE[日本私年号の研究]]は、
>>19
について

- [41] 応永21年の書写依然である
- [42] [[書体]]から[[鎌倉時代]]と認定される
-- [43] [[松田福一郎]]も[[鎌倉時代]]と推定している
- [44] 発音が[[寛喜]]と一致する
- [45] [[十二支年]]が一致する

... より、
[[寛喜]]の[[同音異字年号]]であって[TIME[寛喜元(1229)年己丑][1229]]を表すと断定しています。
[SRC[>>36]]


[49] 
[CITE[日本私年号の研究]]の分類では[[異年号]]の中に[[同音異字年号]]や[[私年号]]などの小分類があります。
[CITE[日本私年号の研究]]は、[[平安時代]]に人目に触れず使われた[[同音異字年号]]が、
[[鎌倉時代]]に堂々と使われるようになり、その後の[[私年号]]の発生につながる、
という時代変遷論を提案しており、[[歓喜]]はその変化の初期の事例に位置付けられています。

[51] 
[CITE[日本私年号の研究]]に先立つ昭和39年の[[久保常晴]]の論文では、
同音異字の異年号表に掲載されるだけの簡単な紹介でした。
[SRC[>>36]]

;; [52] この表では「[V[益田氏]]」の所蔵となっていますが、誤植と思われます。


[REFS[

- [50] [CITE[[[我が国の私年号に関する研究 (一) ―平安時代より南北朝まで―]]]]
- [35] [CITE[日本私年号の研究]]
-- [36] p.[V[一七〇]], p.[V[一七四]], p.[V[一八七]]

]REFS]

-*-*-

[33] 
ほとんど研究対象になっておらず、言及もあまり多くありません。

[34] >>32 は[[鎌倉時代]]の書写とだけ説明しています。


[REFS[

- [32] 
[CITE@ja-JP[写経百話]], [[春名好重]], [TIME[1986.10][1986]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-05-02T04:36:39.055Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12221631/1/39?keyword=%E6%AD%93%E5%96%9C> (要登録)

]REFS]

* 関連

[2] 時系列:

- [38] [TIME[安貞3(1229)年己丑3月5日][kyuureki:1229-03-05]]、
[[寛喜]]に[[改元]]
- [39] [TIME[寛喜4(1232)年4月2日][kyuureki:1232-04-02]]、
[[貞永]]に[[改元]]
- [31] [TIME[応永21(1414)年甲午][1414]]6月 :  >>24

-*-*-

[5] [CITE@ja-JP[法政史学 (48)]], [[法政大学史学会]], [TIME[1996-03]], [TIME[2023-01-06T06:14:39.000Z]], [TIME[2023-01-07T14:14:39.571Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/7928456/1/53> (要登録)

[CITE[明月記]]歓喜元年、歓喜2年から引用

[9] 
[[寛喜]]年間が含まれるので、その誤りか。


[7] [CITE@ja[日本史の回想 「一ノ宮巡り」備後国一ノ宮・吉備津神社・祭神吉備津彦命・広島県福山市新市町宮内400・旧国弊小社祭神は大吉備津彦命で第七代孝霊天皇の第三子、四将軍の一人とし]], [[寿限無]], [TIME[2023-01-07T14:16:17.000Z]], [TIME[2023-01-07T14:16:21.021Z]] <http://oneecho.blog.fc2.com/blog-entry-431.html>

>[SNIP[]]後白河天皇の歓喜元年(1229)に起った社殿焼失事件が「百錬抄」に記載されていたりする。[SNIP[]]

[6] [CITE[北野天満宮から洛北の堂宇へ]], [TIME[2018-08-29T14:53:13.000Z]], [TIME[2023-01-07T14:15:46.279Z]] <http://www.chiikibun.com/kyoto/16-2016shoka/2016shoka2.html>

> 洛北のゆったりとした山並みに抱かれるようにしてある実相院は、1229(歓喜元)年静基による開基の門跡寺院で、かつては天台宗寺門派(現在は単立)の三門跡のひとつでした。[SNIP[]]


[8] 
これらは[[寛喜]]の誤り。

* メモ