* 元号名

** 異体字

[8] 
[CITE@ja-JP[千葉県史料 金石文篇 3 補遺]], [[千葉県企画部県民課]], [TIME[1980.3][1980]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-05-22T11:41:30.998Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9641996/1/38?keyword=%E6%B0%B8%E6%AD%A3> (要登録)

** 栄正

[42] 
[[永正]]が[DFN[栄正]] (旧字体: [DFN[榮正]])
と表記されたと思われる事例があります。

*** 用例

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [10] [DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[千葉県]][[佐倉市]][[香取町]]]] [[香取神宮]] [[香取文書]] [[旧録司代家文書]] [CITE[録司代慶安畠地十四年期売券案]]]]
-- [51] >>49 : [V[四一二]]
-- [54] >>53 : [V[二[YOKO[32]]]] [V[九七]]
-- [24] >>9 : [[同音異字年号]] [L[24]]
-- [45] 
「[DATA(.text)[[V[榮正元年[LINES(smaller)[甲][子]]菊月吉日]]]]」 ([[明朝体]])
[SRC[>>43, >>46, >>53]]
--- [50] 
「[DATA(.text)[[V[榮正元年[SUP(smaller inline)[甲子]]菊月吉日]]]]」 ([[明朝体]])
[SRC[>>49]]
--- [11] 
「[DATA(.text)[[V[栄正元年[LINES(smaller)[甲][子]]菊月吉日]]]]」 ([[明朝体]])
[SRC[>>9]]

]ITEMS]

*** 諸説

[57] 
用例は[[香取文書]]の一例のみが知られています。

-*-*-

[58] 
諸説とも[[永正]]に比定することで一致していますが、
[[江戸時代]]から[[昭和時代]]初期までの研究では明確な理由が示されておらず、
[[音通]]であることが当然のように扱われてきました。

[59] 
[CITE[日本私年号の研究]]は[[著者]]の活動期間から[[永正]]に比定できることを示しました (>>12)。

[60] 
改めて検討すると、

- [61] >>10 には[[発給者]]名が[[録司代]]の[[慶安]]とあります。
- [62] 
[TIME[延徳5(1493)年][1493]]癸丑6月吉日
[WEAK[([[延長年号]] +1年)]]
付の[[文書]]に[[発給者]]名が[[録司代]]の[[慶安]]とあります。[SRC[>>53 /162]]
- [66] 
[TIME[明応4(1495)年乙卯6月8日][kyuureki:1495-06-08]]付[[文書]]にも売主として[[録司代]]の[[慶安]]の名があります。
[SRC[>>249 /395]]
- [63] 
[TIME[永正3(1506)年丙寅][1506]]□□□□付文書の本文中に[[慶安]]の名があります。
その[[端裏書]]には[[録司代]]の[[慶満]]とあります。 
[SRC[>>53 /167]]
- [67] 
これらより前にも後にも、 >>53 掲載文書で[[慶安]]の名は出現しません。
- [64] [[延徳]]と[[永正]]の時代で甲子年となると、
[TIME[永正元(1504)年甲子][1504]]になります。

... より、榮正元年は永正元年と一致すると断定できます。

-*-*-

[65] 
ここで、榮正元年の[[慶安]]から永正3年の[[慶満]]の間で[[録司代]]の代替わりがあったことがわかりますが、
その正確な時期は不明です。 >>53 はその間二通の[[録通代]]名義の文書を収録していますが、
(根拠を明記しないものの) [[慶安]]に帰属させています。それらの[[日付]]は、

- [68] □[RUBY[□][(正カ)]]元年甲子12月3日
- [69] 永正元年甲子12月9日

... となっています。 [SRC[>>53 /167]]

[70] >>68 は[[元号名]]不明ですが、第二字は[CH[正]]とも解し得るようです。
第一字は推定すら示されていません。 >>46 は「[V[□正元年]]」 ([[明朝体]])
と読んで、「[V[永正元年ナ[BR[]]リ]]」 ([[明朝体]]) と注釈しています。
第二字が[CH[正]]で[[干支年]]が[[甲子]]であることから、
[[永正]]と推定したのでしょう。第一字がまったく不明なのか、
[CH[永]]の可能性がある形なのか、あるいは[CH[榮]]の可能性もある形なのかわかりません。
他の[[行]]も[[行頭]]付近が読まれておらず、保存状態があまりよくないのでしょう。

[71] 
>>53 収録文書のうち、[[永正]]の初出は >>69 です。これ以後は、
[[慶満]]発給文書も受信文書も[[永正]]表記であり、[[榮正]]表記は出現しません。

[72] 
この利用状況を見ると、[[永正]]が一般に[[榮正]]と表記され得たとは言い難く、
[[改元]]直後にだけ限定的に使われたものだった可能性があります。

[73] 
[[慶安]]自身が当初は9月 ([[菊月]])
に[[榮正]]と表記しながら、12月に[[永正]]と表記しているのだとすると、
[[慶安]]の個人的な意思ないし何者かの意識的な改変とする見方 (>>19)
よりは、[[音優位の情報伝達で生じた偶発的な異表記][改元デマ]]で、
正確な情報の到来により訂正されたと考える方が素直に感じられます。

[74] 
[[永正]]への[[改元]]は2月ですが、[[延徳]]から[[明応]]への[[改元]]が1年も遅延している (>>62)
ので、9月に正確な情報が到来していないとしても不思議ではありません。

;; [75] もしこの考えが正しいなら、 >>461 はそういう意図の解説だったのかは定かではないとはいえ、
なかなかの卓見です。

*** 研究史

[461] 
嘉永6年付の[[清宮秀堅]]による
[CITE[[V[新撰年表]]]][CSECTION[[V[凡例]]]]は、
[[永正]]を[[榮正]]と表記するものがあり、
尚武の時代で[[音]]だけで書いたものに過ぎないと述べています。
[SRC[>>40]]

[41] 
その出典は示されていませんが、
[[清宮秀堅]]の経歴によれば、[[香取文書]]の用例が根拠の可能性が高そうです。

[47] 
[[明治時代]]刊行の[CITE@ja-JP[香取文書纂]]は、
>>10
への注釈で、

>
[VRLBOX[
永正ヲ榮正[BR[]]
ト書ルハ、[BR[]]
貞治ヲ淨時[BR[]]
ト書ルカ如[BR[]]
シ、
]VRLBOX]

と書いています。
[SRC[>>46]]

[48] 
[CITE[新撰年表]]と同じ[[貞治]]の事例が引き合いに出されており、
要するに[[音通]]による異表記という指摘でしょう。

[52] 
昭和2年の史料集は、
>>10
を紹介して、
特に注釈もなく永正元年と題名を付けています。
[SRC[>>49]]


[44] 
[TIME[昭和25(1950)年][1950]]の
[CITE@ja-JP[年号読方考証稿]]
は、
[[永正]]条で
>>10
を紹介しています。
[SRC[>>43]]

[55] 
[TIME[昭和32(1957)年][1957]]の史料集は、
>>10
を紹介して、
「[V[[RUBY[榮][(永)]]正]]」 ([[明朝体]])
と注釈しています。
[SRC[>>53]]

[12] 
昭和42年の
[CITE[日本私年号の研究]]
は、
[[異年号]]のうち[[私年号]]でない[[同音異字年号]]として
>>10
を紹介し、
次のように述べています。
[SRC[>>9]]

- [13] [[慶安]]という人物は、永正3年[CITE[録司代慶満契状案]]にも出現するが、
-- [14] 永正3年には次代[[慶満]]の代で、この年以前に[[慶安]]の代が終わった
-- [15] よって栄正元年は永正3年以前
- [16] 発音が一致、
- [17] [[干支]]が一致、
- [18] よって[[栄正]]は[[永正]]と断ずることができよう
- [19] [CH[永]]より[CH[栄]]が現実的な響きをもって受け取られたことが知られる
[NOTE[

[20] これは他の[[同音異字年号]]が理念的な[[公年号]]の文字から現実的な文字に置き換えられた、
という文脈

]NOTE]

[REFS[

- [46] 
[CITE@ja-JP[香取文書纂 巻之7]], [[伊藤泰歳, 村岡良弼 校]], [TIME[明39-41][1908]], [TIME[2026-09-15T01:13:48.000Z]], [TIME[2026-10-18T04:22:05.712Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/815205/1/55?keyword=%E6%A6%AE%E6%AD%A3> (要登録)
- [49] 
[CITE@ja-JP[法制史料古文書類纂]], [[滝川政次郎]], [TIME[昭和2][1927]], [TIME[2026-09-15T01:13:48.000Z]], [TIME[2026-10-18T04:29:39.478Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1269392/1/392?keyword=%E6%A6%AE%E6%AD%A3>
- [43] 
[CITE@ja-JP[年号読方考証稿]], [[山田孝雄]], [TIME[1950]], [TIME[2026-09-15T01:13:48.000Z]], [TIME[2026-10-18T04:19:32.276Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/2987540/1/79?keyword=%E6%A6%AE%E6%AD%A3> (要登録)
- [53] 
[CITE@ja-JP[千葉県史料 中世篇 香取文書]], [[千葉県史編纂審議会]], [TIME[1957]], [TIME[2026-09-15T01:13:48.000Z]], [TIME[2026-10-18T04:32:45.326Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/3450860/1/167?keyword=%E6%A6%AE%E6%AD%A3> (要登録)
- [2] [CITE[日本私年号の研究]]
-- [9] p.[V[一七一]], p.[V[一八一]], p.[V[一八四]]
- [40] [[日本私年号一覧表]]

]REFS]

-*-*-

[56] 
これ以後[[令和時代]]に至るまで、[[私年号研究]]の文脈で紹介された事例は知られていません。


** 永鎮

[34] 
[CITE[紀元類聚考]]に、[DFN[永鎮]]があります。
[SRC[>>37 ([CITE[紀元編]])]]

[35] 
[CITE[紀元編]]は、
>>34
を[[永正]]の誤りとしています。
[SRC[>>33, >>37]]

[39] 
昭和39年の論文は、 >>35 を紹介していますが、
単独で[[私年号]]として立項してはいません。
[SRC[>>33]]

[38] 
昭和42年の[CITE[日本私年号の研究]]は、
[[私年号]]でなく[[私年号的諸資料]]の1つとして、
次のように述べています。
[SRC[>>37]]

- >>35
- [21] [CITE[清白士集]]に、
-- [22] [[日本の元号]]、
-- [23] [[君主]]不明、
-- [25] 明正徳7年に[[日本]]が入貢した時[[南京]]の担当官が[[年号]]を尋ねたら、
永鎮八年と回答
-- [26] 明弘治18年の[[改元]]
- [27] 実際には日本の永正9年
-- [28] [[1字違い][一字異音年号]]、[[1年ずれ]]
-- [29] [[永正]]の誤りと思われる
- [30] [[清]]の[CITE[歴代年号考]]に、[[永正]]を[[永鎮]]に作る、と
-- [31] [[日本]]でそのような例なく、誤りである
-- [32] 当時[[清]]国でそう考えられていたことを示す


[REFS[

- [33] [CITE[我が国の私年号に関する研究 (一) ―平安時代より南北朝まで―]]
- [36] [CITE[日本私年号の研究]]
-- [37] pp.[V[四九四]]-[V[四九五]]

]REFS]

* 改元日



[7] 
[CITE@ja-JP[刀剣と歴史 (583)]], [[日本刀剣保存会]], [TIME[1991-09]], [TIME[2026-01-20T01:30:11.000Z]], [TIME[2026-02-13T08:49:45.409Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/7901277/1/18?keyword=%E6%B0%B8%E6%AD%A3> (要登録)


* 延長年号

[1] [CITE@ja-JP[川口市史 古代・中世資料編]], [[川口市]], [TIME[1978.12][1978]], [TIME[2024-01-04T10:11:04.000Z]], [TIME[2024-01-04T13:27:49.776Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9641575/1/330> (要登録)

[[延長年号]]

- [5] 
[CITE@ja[Xユーザーの吉川 祐介さん: 「調べごとがあって近所のお寺(量性院)に行ってきたんだけど、小さなお堂しかない 別のお寺の住職さんが兼務している 『千葉県浄土宗寺院誌』を見ても、由緒も沿革も歴代住職も何もわからなかった この量性院名義の土地が70年代に開発されて分譲地になってるんだけど… https://t.co/nldguYhiqi」 / X]], [TIME[午後3:34 · 2024年10月15日][2024-10-15T06:34:50.000Z]], [TIME[2024-10-15T06:31:00.000Z]] <https://x.com/yuwave2009/status/1846077254948045052>
--
[4] [CITE@ja[Xユーザーの吉川 祐介さん: 「『匝瑳郡誌』(1921)に載ってた でも創立年が前掲の資料と違う しかも調べたら永正は十七年までしかないらしい もう言い伝えレベルということで重視しなくていいのかも… https://t.co/40pTCYIcL8」 / X]], [TIME[午後4:19 · 2024年10月15日][2024-10-15T07:19:40.000Z]], [TIME[2024-10-15T06:31:00.000Z]] <https://x.com/yuwave2009/status/1846088538431058368>

永正18年 延長年号+1年

* 特殊な用例

[SEE[ [[蒼苗]] ]]

* 関連

[SEE[ [[永章]], [[永昌]], [[天政]], [[永政]] ]]

* メモ

[3] 
[TIME[2024-03-12T04:51:01.600Z]]
<https://rissho.repo.nii.ac.jp/record/5272/files/KJ00000161220.pdf>
#page=3

永正11年乙亥 [[1年ずれ]]


[6] [CITE@ja-JP[天文法華の乱 : 武装する町衆]], [[今谷明]], [TIME[1989.1][1989]], [TIME[2026-01-20T01:30:11.000Z]], [TIME[2026-02-06T15:07:40.041Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/13211890/1/127?keyword=%E4%BA%8C%E6%B0%B4> (要登録)

[CITE[二水記]]