[3] 
[DFN[徳昌]]
([TIME[y~1085]])
は、
[[日本の私年号]]の1つです。

* 元号名

[45] 
[[読み][元号名の読み方]]は
「とくしょう」
とされます。
[SRC[>>43]]

* 用例

[49] 
1例のみ知られています。

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [12] 
[DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[宮城県]][[栗原郡]][[一迫町]][[柳目]]]] [[妙教寺]] [[板碑]]]]
-- [2] >>8 : [L[(42)]]
-- [26] >>251 : [L[(7)]]
-- [23] >>8 #page=27 : 白黒写真 (低解像度) よくみると[CH[昌]]がみえるが全体の判読は困難
-- [1] 
「[V[右[DATA(.text)[徳昌三年三月十日]]]]」
[SRC[>>377 p.[V[三二]] [V[[YOKO[42]]]], pp.[V[五〇]]-[V[五二]], >>8 #page=9, >>26]]

]ITEMS]

* 諸説

[50] 
用例は1例のみです。本格的な研究は最初の報告1件のみで、ほとんど検討対象となっていません。

[51] 
様式から時代が推定されているものの、不安定な要素が多く、
[[干支年]]もなく、
年次は決定されていません。
確実にいえるのはざっくり[[室町時代]]の頃というくらいでしょうか。

[52] 
[[私年号]]用例に珍しい「三年」の[[元号年]]は気になります。
銘文の誤読でなければ、それだけ継続したということになるのでしょうが、
他の中世の[[私年号]]にそれだけ長期間使われたものは多くありません。


[53] 
[[徳昌]]は[[人名]]ではないかとも疑われるところですが、
[CH[年]]と[CH[三]]が隙間なく連続しているように見えること、
隣に「当妙為聖霊三十三年」と他の年数の記載があること、
で[[元号名]]の可能性の方が強そうにも思われます。
なお、 [L[(25)]] の「右志者 第三年」と[L[(26)]] の「右志者 明徳四年[SNIP[]]」
のように、銘文のこの位置で年数が来ることと[[日付]]が来ることはどちらもあり得そうです。


* 研究史

[13] 
[TIME[昭和47(1972)年][1972]]の[[久保常晴]]の論文は、
>>12
を紹介し、
次のように述べています。
[SRC[>>8]]

- [24] [TIME[昭和45(1970)年][1970]]の[[久保常晴]]らの調査で判明した
[SRC[>>8 #page=1]]
- [14] [[経偈]]の[[編年]]より、一応[[応永]]前後
- [15] 大きさより、[[室町時代]]
- [16] [[書体]]より、[[室町時代]]初頭から + [[長禄]]前後
- [17] [CH[右]]から[[鎌倉時代]]とそれ以降
-- [18] ただし[CH[右]]1文字だけは類例なく年代判定できず
- [19] 造立趣旨の近似: 応永19年、文明15年、永享12年、長禄4年、とくに永享・文明
- [20] [[公年号の同音異字][同音異字年号]]でなく、[[私年号]]
-- [21] [[私年号]]とすれば伝播や分布からして尚時代が遅れることも考えられるが、
他に明確な根拠もない限り、
- [22] 一応[ASIS[[[永禄]]]]・[[文明]]頃と推定

;; [11] 昭和45年の報告書には言及がありません。

;; [25] 
昭和42年の[CITE[日本私年号の研究]]の出版後であり、掲載されていません。

[27] 
[TIME[昭和58(1983)年][1983]]の書籍は、
>>12
を紹介し、
次のように述べています。
[SRC[>>251]]

- [28] [[久保常晴]]が報告した
-- [29] 様式から[[室町時代]]も[[応永]]前後、さらに厳密には[[文明]]ごろと推測
- [30] 類例なくやむを得ない推論
- [31] 発生理由不明だが、[[日蓮宗]]徒による政治的不満の表明か

;; [32] 
[[日蓮宗]]に結びつけているのは、これが[[題目板碑]]であるためでしょう。
[[板碑]]に[[私年号]]を書いたら政治的不満か、とはよくわからない論理の飛躍ですが、
当時の[[私年号研究]]の風潮を当てはめたに過ぎず、
これといった物証があるわけではないと考えられます。

[REFS[
- [9] [CITE[宮城県の題目板碑]]
-- [4] [TIME[2022-12-26T12:13:47.500Z]]
<https://rissho.repo.nii.ac.jp/?action=repository_uri&item_id=1913&file_id=20&file_no=1&nc_session=9a58dh0mo3q7dvb8bcedkfmlb6>
#page=25
--- [8] [CITE[Wayback Machine]], [TIME[2026-05-05T02:04:00.000Z]] <https://web.archive.org/web/20230522151814/https://rissho.repo.nii.ac.jp/index.php?action=pages_view_main&active_action=repository_action_common_download&item_id=1913&item_no=1&attribute_id=20&file_no=1&page_id=13&block_id=21>
-- [377] [CITE[宮城県の題目板碑]],
[CITE[[[続仏教考古学研究]]]], pp.[V[一八]]-[V[六六]]
-
[250] 
[CITE@ja-JP[板碑の総合研究 1 (総論編)]], [[坂詰秀一]], [TIME[1983.2][1983]], [TIME[2026-06-17T01:09:14.000Z]], [TIME[2026-06-18T09:43:59.643Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12226011/1/158?keyword=%E5%BE%B3%E6%98%8C> (要登録)
--
[251] 
[CSECTION[[V[私年号板碑]]]],
[[[V[石村喜英]]]]

]REFS]

-*-*-

[37] 
[TIME[昭和57(1982)年][1982]]の書籍は、
>>12
を紹介しています。
[SRC[>>5]]

[6] 
ところが、
本書は一貫して[DFN[昌徳]]と書いています。 [SRC[>>5]]
>>5 は >>377 を引用しており、
所在地が >>5 のものと一致しているので、同一のものを指すに違いないと思われますが、
何の説明もありません。

[7] >>377 には拓影の掲載があり、[[徳昌]]が正しいと判断されます。

[REFS[

-
[5] 
[CITE@ja-JP[栗原郡の板碑]], [[栗原郡郷土史研究会]], [TIME[1982.12][1982]], [TIME[2025-07-30T10:21:15.000Z]], [TIME[2025-09-11T06:41:44.961Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12221636/1/23?keyword=%E6%98%8C%E5%BE%B3> (要登録)

]REFS]

@@
[BOX[

[46] 
[CITE@ja-JP[日目上人]], [[「日目上人」出版委員会 編著]], [TIME[1998.4][1998]], [TIME[2026-06-17T01:09:14.000Z]], [TIME[2026-06-18T10:27:31.785Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/14085347/1/194>
(非公開)

> 孝子南無妙法蓮華経右徳昌三年三月十敬白敬白白直至

]BOX]

-*-*-

[39] 
[TIME[平成13(2001)年][2001]]付けの [[Webサイト]]の表は、
[[徳昌]]を[[室町時代]]後期で、
「使用実例」が「1年」としています。
[SRC[>>38]]
出典は不明です。

[33] 
[[日本語]]版[CITE[ウィキペディア]]の表は、
初期から[[徳昌]]を掲載しています。
当初は「15世紀末」としていましたが、
その後[TIME[平成20(2008)年][2008]]に[[文明]]年間頃か、
典拠は >>12、と改められました。
いずれも直接の出典は不明です。
[SRC[>>34]]

[36] 
[[千々和到]]の表には[[徳昌]]の掲載が確認されていません。
その系統に属する[[千々和到]]以外の表
([[平成時代]]後期以後)
には[[徳昌]]を掲載しているものもあります。
[[室町時代]]後期と説明されています。
[SRC[>>35]]

[48] 
[TIME[平成29(2017)年][2017]]の論文は、
[[徳昌]]を[[室町時代]]後期頃としています。
[SRC[>>47]]

[40] 
[CITE[日本私年号の研究]]から漏れたために、普及が遅れたようです。

[41] 
ただし >>39 や >>33 に掲載があることから、[[平成時代]]初期頃の辞典か何かで既に掲載例はあるのではないかと思われます。

[54] 
[[久保常晴]]の[[永享]]・[[文明]]の頃との推測に対し、
[[室町時代]]、
[[室町時代]]後期、
[[文明]]頃の3つの表現が生じていることが注意されます。

[44] 
[TIME[平成30(2018)年][2018]]の [[SNS]] 投稿で紹介したものがあります。
出典不明ですが、内容から、[CITE[ウィキペディア]]の転載と思われます。
[SRC[>>43]]
なぜか参考写真として[[関東型板碑]]を提示し、「関東で多く建立された」
と説明しています。「嘘はついていないが適切ではない」とはこういうのを言うのでしょう。


[REFS[

- [35] [[日本私年号一覧表]]
- [38] 
[CITE[私年号一覧表]], [TIME[2001-01-16T18:06:39.000Z]], [TIME[2026-06-18T10:14:56.556Z]] <https://kitabatake.world.coocan.jp/rekishi12.html>
- [34] [[Wikipediaの私年号一覧表]]
--
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[10] [CITE@ja[[[私年号]] - Wikipedia]], [TIME[2022-12-10T11:22:17.000Z]], [TIME[2022-12-22T12:35:00.472Z]] <https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7>
]FIGCAPTION]

>
,*私年号 	,*異説 	,*元年相当公年号(西暦) 	,*継続年数 	,*典拠・備考 
,徳昌 	,- 	,文明(1469年-1486年)頃か 	,不明 	,宮城県栗原市妙教寺板碑 
]FIG]
- [47] 
[CITE@ja[222.pdf]], [TIME[2017-08-31T05:45:43.000Z]], [TIME[2026-06-18T10:30:23.217Z]] <https://www.city.koga.fukuoka.jp/uploads/files/somu/222.pdf#page=9>
- [43] 
[CITE@ja[Xユーザーの大森博子 Hiroko Ohmori🔍📚さん: 「【元号】351 徳昌 とくしょう 文明(1469年-1486年)頃か 期間不明 宮城県栗原市妙教寺板碑 板碑(いたび)=平板石を用いた石塔婆(いしとうば)。室町時代に多く関東で多く建立された。画像は埼玉県東松山市のもの。 https://t.co/G9thUNR0Py」 / X]], [TIME[午後10:33 · 2018年11月5日][2018-11-05T13:33:18.000Z]], [TIME[2026-06-18T06:06:20.000Z]] <https://x.com/11111hiromorinn/status/1059438509126168576>

]REFS]


* 関連

[SEE[ [[永幻]] ]]

[SEE[ [[徳昌 (北斉)]] ]]

* メモ