[3] 
[DFN[齋藤勵]]
([DFN[斎藤励]])
は、
[[明治時代]]の[[歴史学者]]でした。

* 経歴

[4] 
[TIME[明治16(1883)年4月20日][1883-04-20]]、
[[鳥羽藩]]の[[斎藤恒太郎]]の[[長男]]として生まれました。
[SRC[>>1]]

[5] 
明治34年、
[[日本中学校]]を卒業し[[第一高等学校]]に入学しました。
[SRC[>>1]]

[6] 
明治38年7月、
[[第一高等学校]]を卒業し、
[[東京文科大学]]に入学しました。
[[東京文科大学]]では国史学を専攻しました。
[SRC[>>1]]

[7] 
明治42年7月、
[[東京文科大学]]を卒業し (文学士の[[学位]]を取得)、
大学院に進学しました。
大学院では[[支那]]文化が[[日本]]の[[王朝時代]]に与えた影響を研究しました。
[SRC[>>1]]

[8] 
大正2年1月28日、若くして病没しました。
[SRC[>>1]]

[9] 
史学会の委員を4年間務め、
[CITE[史学雑誌]]
に貢献しました。
[SRC[>>1]]

[10] 
[[日本中学校]]で[[英語]]を、
[[錦城中学校]]で[[国語]]を教えていました。
[SRC[>>1]]

[12] 
晩年は療養のため[[葉山]]や[[小田原]]で過ごしました。
[[小田原]]では
[CITE[相模風土記]]
などの文献と古老の物語や実地調査によって[[小田原]]地方を研究しました。
[SRC[>>1]]


[11] 
北白川宮殿下、
竹田宮殿下の恩遇を受けており、
死後は[[賻]]を賜りました。
[SRC[>>1]]



* 王朝時代の陰陽道

[13] 
斎藤は、
[[平安時代]]に興味を持ちながらも[[陰陽道]]には予備知識を持ちませんでした。
[[卒業研究]]として[[萩野由之]]教授に相談したところ、
苦笑しながら賛成されました。
[SRC[>>1]]

[14] 
斎藤は明治40年の夏頃から研究を始めました。
当時はまだ
[CITE[古事類苑]] 方技部も未出版で、
材料の収集にも労力がかかりました。
[SRC[>>1]]

[18] 
明治41年の春、
[[卒業論文]]提出が迫っていましたが、
内容に満足できず延期を決断しました。
[SRC[>>1]]

[19] 
中断を経て明治41年9月に再開、
明治42年2月頃には大枠がかたまり、
4月末に[[卒業論文]]
[DFN[[CITE[王朝時代に於ける陰陽道一斑]]]]
を脱稿しました。
[SRC[>>1]]

[15] 
斎藤の死後、
貴重な研究成果として出版されました。
[DFN[[CITE[王朝時代の陰陽道]]]]
と改題されました。
「一定の期限内に稿を終へざる可らざりし」未定稿のため体裁が不適切な部分がありましたが、
最低限の編集のみ加えられました。
[SRC[>>1]]

[16] 
校訂者[[龜井高孝]]の凡例には「大正四年一月」、
序には
「大正四年一月十八日」
とあります。[SRC[>>1]]

[17] 
[[關世男]]の跋には
「大[ASIS[年][正]]四年一月」とあります。
[SRC[>>1]]

[20] 奥付には、
「大正四年一月廿八日印刷
大正四年二月一日發行」
とあります。
[SRC[>>1]]

[23] [[陰陽道]]に関する最初のまとまった著書であり [SRC[>>22]]、
[TIME[昭和22(1947)年][year:1947]] [SRC[>>2]]
と[TIME[平成19(2007)年8月][2007-08]] [SRC[>>22]]
に再刊されました。


[REFS[
- [1] [CITE@ja[[[王朝時代の陰陽道]] - 国立国会図書館デジタルコレクション]]
([[斎藤励]]著, [TIME[大正4][year:1915]])
<http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/948850/1>
-- [CITE[王朝時代の陰陽道 - digidepo_948850.pdf]], [TIME[2020-01-11 22:13:14 +09:00]] <https://dl.ndl.go.jp/view/pdf/digidepo_948850.pdf?pdfOutputRanges=1-&pdfOutputRangeType=R&pdfPageSize=>
-- [CITE[王朝時代の陰陽道 - digidepo_948850.pdf]], 
[TIME[2020-01-11 22:12:39 +09:00]] <https://dl.ndl.go.jp/view/pdf/digidepo_948850.pdf?pdfOutputRanges=51-&pdfOutputRangeType=R&pdfPageSize=>
-- [CITE[王朝時代の陰陽道 - digidepo_948850.pdf]], [TIME[2020-01-11 22:12:13 +09:00]] <https://dl.ndl.go.jp/view/pdf/digidepo_948850.pdf?pdfOutputRanges=100-&pdfOutputRangeType=R&pdfPageSize=>
- [2] [CITE@ja-jp[[[王朝時代の陰陽道]] (1947年) (日本文化名著選) | 斎藤 励 |本 | 通販 | Amazon]], [TIME[2020-01-21 16:41:09 +09:00]] <https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000JAMP86/wakaba1-22/>
- [22] [CITE@ja-jp[[[王朝時代の陰陽道]] (「歴史学叢書」別冊) | 齋藤 勵, 水口 幹記 |本 | 通販 | Amazon]], [TIME[2020-01-21 17:37:56 +09:00]] <https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4839003300/wakaba1-22/>
]REFS]


[21] 
次の[[章]]で構成されています。


- 第一章 漢土に於る陰陽五行説の起原發達を述べて陰陽道の本體に及ぶ
- 第二章 我國上古の思想界と陰陽道の傳來
- 第三章 陰陽寮の官制と其教育制度
- 第四章 其道の達人と傳播の一般と
- 第五章 天文道と天文占と
- 第六章 暦道と暦占と
- 第七章 陰陽道そのものと筮式方術
- 第八章 陰陽道に於る祭祓
- 第九章 灾異と祥瑞と
- 第十章 年號の起原及改元の動機をのべて寧樂平安兩朝思想の差異に及ぶ


[24] 
第10章では[[日本書紀後世改刪説]]に賛成し、それを前提に古代の元号の実態を説きました。
[SEE[ [[日本古代の日時]] ]]