[2] 
[DFN[文鬼]]は、
[[日本の異年号]]の1つです。

* 元号名

[93] 
[[読み][元号名の読み方]]は、
「ぶんき」
とされます。
[SRC[>>92]]

* 用例

[82] 
確実な事例は1例のみ知られています。


** 板碑

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [9] 
[DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[宮城県]][[石巻市]][[鹿妻]]]] [[菅原神社]] [[専称寺]]廃寺跡 裏手 [[板碑]]]]
-- [13] >>6 : [V[[YOKO[No.]][YOKO[18]]]]
-- [31] >>3 : [L[No.29]]
-- [91] >>83 : [L[30]] 資料番号 [L[436]]
-- [56] >>5 : [L[㉘]]
-- [55] [[日本国]][[宮城県]][[石巻市]][[湊]][[字鹿妻山]] [SRC[>>52]]
-- [11] >>12 : カラー写真 (解像度上の下)
-- [53] >>52 : カラー写真 (解像度上の下)
-- [84] >>83 : カラー写真 (低解像度)
-- [50] >>8 : 白黒写真 (低解像度)
-- [14] >>6 : 白黒写真 (低解像度)
-- [58] >>12 : 拓本 白黒写真 (中解像度)
-- [33] >>3 #page=37 : 拓本 白黒写真 (低解像度)
-- [90] >>83 : 拓本 白黒写真 (中解像度)
-- [15] >>6 : 模写 (中解像度)
-- [32] 
「[DATA(.text)[[V[文鬼元年七月廿九日]]]]」 ([[明朝体]], [[ゴシック体]])
[SRC[>>3 #page=37, >>5, >>52, >>12, >>83]]

]ITEMS]

[21] 
昭和48年論文によると、
[[専称寺]]廃寺跡に[[板碑]]は27基あります。
建武4年が上限で[[南北朝時代]]に12基、
[[室町時代]]に5基+1基(>>9)あります。
[SRC[>>6]]

[103] 
平成4年論文によると、
[[専称寺]]廃寺跡に[[板碑]]は38基あります。
うち[[紀年銘]]らしきものがあるのは:
建武4、元弘元、暦応元、文和3、康安元、
貞治5、6、7、7、応安元、
応安7、永和2、永[和]4、康暦3、永徳2、2、
3、至徳元、康广2、明徳3、応永2、3、18、
21、21、□22、応永27、永享6、文鬼元、
11/14、[9]/2□、[6]年、貞□、応安2、
永和4 (日付なし4基)
[SRC[>>5]]

** Webサイト

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[4] [TIME[2016-01-01T13:32:48.000Z]], [TIME[2022-12-25T09:43:05.256Z]] <http://www.maroon.dti.ne.jp/andou3/andouke_rekisi/andouke_rekisi.htm>
]FIGCAPTION]

>
,1501 	,文鬼元年 	,惟次豊前馬ヶ岳於いて戦死
]FIG]

[76] 単なる[[年表]]で意図は見えず、[[誤変換]]か。

[77] [[誤変換]]としても起こりにくそうで謎。

* 諸説

[94] 
[[昭和時代]]後期に紹介されて以来、地元研究者を中心にいくらかの議論がなされてきています。

[95] 
いずれも[[文亀]]の異表記の[[私年号]]とする説を軸にしつつも、
断定の程度には差があります。が、否定的な論も[[文亀]]説の不自然を指摘するに留まり、
[[文亀]]説を完全否定はしていません。

[96] 
[[文亀]]への比定は主に[[同音]]によることが根拠となっているようです。

[97] 
[[文亀]]だとすると同地の[[板碑]]群の他の[[板碑]]の最新よりも新しいことになり、
当地の廃寺の存続時期とも絡み、評価にいろいろな見解があります。

[98] 
[[板碑]]の様式や[[書風]]にも言及はあるものの、本格的な板碑[[編年]]による年代の推定は行われてきていません。

[102] 
[[文亀]]説以外には[[室町時代]]後期との説明もありますが、
[[文亀]]への比定と独立のものかは定かではありません。

-*-*-

[99] 
[[文亀]]に比定するべきとしたとき、
[CH[鬼]]に置き換えたことの妥当性、
[CH[鬼]]のめでたさや[[祥瑞]]性といったことも色々な議論があります。

[100] 
ただ、それらは[[公年号]]の[[元号名]]の典拠を熟知した上で[[文字]]を置き換えたとか、
[[私年号]]は縁起の良い[[文字]]へと置き換えるものだといった[[特定の発生モデル][私年号研究]]が暗黙的に前提とされています。

[101] 
[[文亀]]という正規の[[文字]]を知る者が、それとは明らかに異なる[[文字]]を、
明確な意図を持って置き換えて使った、という条件のもとでなければ、
このような議論は意味を持たないのであり、
そのような高次の議論の前に基礎的な議論がなされるべきでしょう。

-*-*-

[105] 
その割にこれまで十分に検討されていないのが、[[漢字]]としての[CH[亀]]と[CH[鬼]]の関係性です。
写真によれば一部不明瞭ながらも確かに2字目は[CH[鬼]]のような[[字形]]がありそうに見えます
[SRC[>>11]]。が、[CH[亀]]であると言われれば納得できそうにも見えます。
実物を見るとまた印象も違うでしょうし、模写では明確に[CH[鬼]]と描かれている [SRC[>>15]]
ことには注意を要しますが、[CH[亀]]と[CH[鬼]]の[[字形]]が[[明朝体]]のイメージほどには隔絶されていません。

[106] 
[CH[亀]]は元の[[字形]]が複雑なためにいろいろに書かれてきた歴史があり、例えば
>>104 の「文亀」の[CH[亀]]はとても簡素に略されています。 
>>11 の見え方からも遠くありませんし、[[国立国会図書館デジタルコレクション]]の
[[OCR]] はこれを「文鬼」と誤読しています。

[107] 
>>9 が[CH[鬼]]のつもりで書いたか[CH[亀]]のつもりで書いたかは別として、
[CH[鬼]]と[CH[亀]]の[[字形]]が混同されたり、間違った状態で伝わってきたりすることも、
まったくありえないとまでは言えなそうに思われます。

[108] 
もっとも、こうした[[字形]]の変化・誤りとする仮説も、成立するのは >>9
が[[板碑]]様式や書風や銘文内容から[[文亀]]年間として問題ないと判断される場合に限られます。

[REFS[

- [104] 
[CITE@ja-JP[管見記 : 自寛治五年至大永二年 '''['''68''']''']], [[西園寺公望]], [TIME[昭13][1938]], [TIME[2026-08-18T01:13:52.000Z]], [TIME[2026-09-12T09:20:09.773Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/2591190/1/2?keyword=%E6%96%87%E9%AC%BC%E5%85%83%E5%B9%B4>

]REFS]

* 研究史

[16] 
[TIME[昭和48(1973)年][1973]]の書籍は、
>>9
を紹介して、次のように述べています。
[SRC[>>6]]

- [22] [[文鬼]]の[[年号]]はいかにも奇妙
-- [23] [ASIS[[[後白河天皇]]]]の[[文亀]]にあててよいかは確定できない
-- [24] [[代始改元]]・[[辛酉革命]]
-- [25] [CITE[爾雅]]が出典、内容から考えて[CH[亀]]と[CH[鬼]]ではつりあわない
- [17] [[文鬼]]の[[年号]]は[[私年号]]
-- [19] [[文亀]]にあてるか
- [20] [TIME[文亀元(1501)年][1501]]
- [26] [[専称寺]]の存在下限はいつか?
-- [27] [[葛西氏]]の[[登米寺池城]]移転が[TIME[天文5(1536)年][1536]]、を下限とするのがよいと思われ
-- [28] 文鬼(文亀か)元年(1501)[[板碑]]が裏付けてくれる
-- [29] 専称寺廃寺跡の正確な紀年を知れる[[板碑]]は[[文鬼]]が下限
-- [30] が天文5年と文亀元年では35年空白

[REFS[

- [6] 
[CITE@ja-JP[石巻地方の歴史と民俗 : 宮城県石巻工業高等学校創立十周年記念論集]], [[石巻工業高等学校]], [TIME[1973]], [TIME[2026-08-18T01:13:52.000Z]], [TIME[2026-09-12T05:38:15.347Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9569110/1/46?keyword=%E6%96%87%E9%AC%BC> (要登録)

]REFS]

-*-*-

[34] 
平成2年の報告書は、
昭和62年の調査について
>>9
を紹介して次のように述べています。
[SRC[>>3]]

- [35] [[文鬼]]の[[年号]]は[[公年号]]にない
-- [36] [[私年号]], [[偽年号]], [[異年号]], [[逸年号]]などといわれるものだろう
- [37] 「ぶんき」と読むとすれば[[文亀]]に一番近いが、
-- [38] [[専称寺]]板碑群下限年代の判明しているのが[TIME[永享2(1430)年][1430]]、
70年間の開き
-- [39] [[文亀]]に比定は無理のような気がする
- [40] 「南無阿弥陀仏」名号の[[書体]]
-- [41] [[専称寺]]の他の年紀が明白な[[名号板碑]]の[[書体]]とは微妙に違い、
ここから年代に迫るのはなかなか難しい
- [42] [[私年号]]は40例以上知られるが
-- [43] 1例でだけ知られないものもあるというから、その例だろう
-- [44] [CH[亀]]は[CH[鬼]]に通じないとすれば「文鬼」の意味するところは?
-- [45] [[私年号]]は[CH[大]], [CH[福]], [CH[喜]], [CH[寿]]などめでたい字が選ばれることが多いとされる
-- [46] [CH[亀]]のめでたさはわかる気がするが、
-- [47] [CH[鬼]]とはどうしたことか

;; [48] 
この解説文は、[[千々和到]]の系統の説明に強い影響を受けていそうです。
実際、出典として[CITE[国史大辞典]]の[[千々和到]]の解説が引かれています。
[SEE[ [[私年号研究史]] ]]

[59] 
[TIME[平成6(1994)年][1994]]の書籍 (平成2年8月初出記事) は、
>>9
を紹介して、
次のように述べています。
[SRC[>>12]]

- [60] [[文鬼]]という公的な年号はない
-- [61] [[私年号]]と思われる
- [62] 「ぶんき」と読むとすれば[[文亀]]に一番近いが、
-- [63] [[専称寺]]板碑群の最下限が[[永[ASIS[亨]]]]②年、
ほぼ70年間の開き
-- [64] [[文亀]]に比定は無理の気がする
- [65] 明治以前の改元はめでたい時に喜び、不幸なときにそれをはらって良い時代を迎える祈りに似た気持ちがあらわれているもの
-- [66] とすれば、[CH[鬼]]は現代人の感覚でおそろしい[[鬼]]を考えるが、
-- [67] 何かよきことが起こるのを願っての表現だったのでは
-- [68] [[鬼]]を[[瑞祥]]を呼び込むものとして表されていることもある
-- [69] [[中国]]では[[鬼]]を幸福をもたらし悪を払う獣と信じられていたという
-- [70] [[高句麗]]では魔除けの意味を持たせてきたという
-- [71] [[文鬼]]を刻んで供養塔を造立した人はどんなことを祈ったか

[85] 
[TIME[平成4(1992)年][1992]]の地域史は、
>>9
に言及して、次のように述べています。
[SRC[>>83]]

- [86] [[専称寺]]板碑群の下限は[TIME[永享2(1430)年][1430]]
- [87] [[私年号]]と思われる「文鬼元年」1基
-- [88] [[私年号]]とすれば、正規の年号のどれに当たるか確定できないが、
-- [89] 全国唯一の例ではないか

[REFS[

-
[3] 
[TIME[2022-12-25T09:36:57.400Z]]
<https://sitereports.nabunken.go.jp/files/attach/29/29528/21407_1_%E7%9F%B3%E5%B7%BB%E5%B8%82%E6%96%87%E5%8C%96%E8%B2%A1%E3%81%A0%E3%82%88%E3%82%8A.pdf>
#page=21
- [12] 
[CITE@ja-JP[石巻文化財たんぼう 4]], [[石巻市教育委員会]], [TIME[1994.3][1994]], [TIME[2026-08-18T01:13:52.000Z]], [TIME[2026-09-12T06:26:24.876Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/13262632/1/14?keyword=%E6%96%87%E9%AC%BC> (要登録)
- [83] 
[CITE@ja-JP[石巻の歴史 第8巻 (資料編 2 古代・中世編)]], [[石巻市史編さん委員会]], [TIME[1992.3][1992]], [TIME[2026-08-18T01:13:52.000Z]], [TIME[2026-09-12T07:13:04.732Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/13197888/1/388?keyword=%E6%96%87%E9%AC%BC> (要登録)
- [92] 
[CITE@ja-JP[石巻の歴史 第6巻 (特別史編)]], [[石巻市史編さん委員会]], [TIME[1992.3][1992]], [TIME[2026-08-18T01:13:52.000Z]], [TIME[2026-09-12T07:19:37.861Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/13197985/1/234?keyword=%E6%96%87%E9%AC%BC> (要登録)

]REFS]

-*-*-

[49] 
[TIME[平成元(1989)年11月][1989-11]]の[[史迹美術同攷会]]の雑誌は、
第八五回東京例会の記録を掲載していますが、
[TIME[1989-07-23]]の記録に[[専称寺]]の[[板碑]]群があり、
「[V[最終]]」
が
「[V[文鬼 (私年号か文亀―一五〇一)]]」 ([[明朝体]])
であると
>>9
のことを述べています。
[SRC[>>7]]

[51] 
[TIME[平成10(1998)年][1998]]の論文は、
>>9
を紹介して、
「[L[文[RUBY[鬼][ママ]]元]]」
としています。 [SRC[>>8]]

[REFS[

- [7] 
[CITE@ja-JP[史迹と美術 59(9)(599)]], [[史迹美術同攷会]], [TIME[1989-11]], [TIME[2026-08-18T01:13:52.000Z]], [TIME[2026-09-12T06:05:43.689Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/6067487/1/26?keyword=%E6%96%87%E9%AC%BC> (要登録)
-
[8] [CITE@ja-JP[史迹と美術 68(1)(681)]], [[史迹美術同攷会]], [TIME[1998-01]], [TIME[2022-12-21T08:14:19.000Z]], [TIME[2022-12-25T10:01:02.744Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/6067568/1/15> (要登録)

]REFS]

-*-*-

[57] 
[TIME[平成4(1992)年][1992]]の史料集は、
>>9
を紹介して、
[V[(一五〇一)]]
と注釈しています。
[SRC[>>5]]

[REFS[

- [5] 
[CITE@ja-JP[歴史考古学 (30)]], [[歴史考古学研究会]], [TIME[1992-06]], [TIME[2026-08-18T01:13:52.000Z]], [TIME[2026-09-12T06:25:25.649Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/7951478/1/25?keyword=%E6%96%87%E9%AC%BC> (要登録)

]REFS]

-*-*-

[73] 
[[千々和到]]本人の表には掲載されていませんが、
その系統の表で掲載されているものがあり、
[[室町時代]]後期とし[[文亀]]かと説明しています。
[SRC[>>72]]
どのような判断によるものか、断定は避けているようです。

[79] 
[TIME[平成13(2001)年][2001]]付の [[Webページ]]は、
「文鬼」
を掲載して[[文亀]]年間としています。
[SRC[>>78]]

[75] 
[[日本語]]版[CITE[ウィキペディア]]の表は、
当初から[[文鬼]]を掲載していますが、
平成19年に[[文亀]]年間から[[文亀]]元年へと変更し、
更に平成20年に[[文亀]]の異表記と明記しています。
いずれについても直接の根拠は不明です。
>>9 を典拠としています。
[SRC[>>74]]

[81] 
[[中文]]版[CITE[维基百科]]の表は、
[[文龜]]において
「宮城縣石卷市專稱寺跡板碑」
が[[文鬼]]と表記するとして、
>>3
を出典にしています。
[SRC[>>80]]
出典である >>3 と違って異表記に断定しています。

[REFS[

- [72] 
[[日本私年号一覧表]]
- [78] 
[CITE[私年号一覧表]], [TIME[2001-01-16T18:06:39.000Z]], [TIME[2026-09-12T06:45:57.598Z]] <https://kitabatake.world.coocan.jp/rekishi12.html>
- [74] 
[[Wikipediaの私年号一覧表]]
--
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[10] [CITE@ja[[[私年号]] - Wikipedia]], [TIME[2022-12-10T11:22:17.000Z]], [TIME[2022-12-22T12:35:00.472Z]] <https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7#%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E3%81%AE%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7>
]FIGCAPTION]

>
,*私年号 	,*異説 	,*元年相当公年号(西暦) 	,*継続年数 	,*典拠・備考 
,文鬼 	,- 	,文亀元年(1501年) 	,不明 	,宮城県石巻市専称寺跡板碑。公年号「文亀」の異表記。 

]FIG]
-- [321] 
[CITE@ja[「[[私年号]]」の版間の差分 - Wikipedia]], [TIME[2024-07-24T01:25:17.000Z]], [TIME[2024-07-26T14:01:03.449Z]] <https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7&diff=prev&oldid=21472516>
--- [322] 
[CSECTION[2008年8月27日 (水) 17:42時点における版]],
[[可怜]]
- [80] 
[CITE@zh[日本年號列表 - [[维基百科]],自由的百科全书]], [TIME[2026-09-06T07:34:44.000Z]], [TIME[2026-09-12T06:47:40.762Z]] <https://zh.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%B9%B4%E8%99%9F%E5%88%97%E8%A1%A8#%E5%AE%A4%E7%94%BA%E6%99%82%E4%BB%A3>

]REFS]

-*-*-

[54] 
[TIME[平成26(2014)年][2014]]付の
[[Webページ]]は、
>>9
を紹介して、
[[文鬼]]は[[私年号]]であるとし、
同音の[[文亀]]かどかは不明としながらも、
同音異字を刻む事例が全国的に稀にあることや、
>>9 の様式から、文亀元年ということでも信じられる、
と説明しています。
[SRC[>>1, >>52]]


[REFS[

-
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[1] [CITE[専称廃寺跡 私年号 名号石塔婆]],
[TIME[2014-10-19 15:58:00 +09:00]]
<http://kawai24.sakura.ne.jp/miyagi-isinomaki-sensyohaiji6.html>
]FIGCAPTION]

>
専称廃寺跡 名号石塔婆 (南北朝~室町時代 文鬼元年、粘板岩、高さ 94Cm 幅 21Cm 厚さ 8Cm)
>
石塔婆は、中央に大きく「南無阿弥陀仏」の六字名号、その下に「文鬼元年七月廿九日」の私年号、下方の左右に「臨阿弥陀仏、孝子敬白」と刻む。

>
名号の下に「文鬼元年七月廿九日」、向って右側に「臨阿弥陀佛」、左側に「孝子敬白」と刻む。
>
全国的には、同音異字を刻む例がレアケースとしてあるという。であれば、文鬼元年は文亀元年(1501)ということになるのだが。

>本石塔婆群の中で、種子を刻んだ碑は南北朝時代に現れるが、それには「孝子敬白」又は「施主敬白」と刻まれている。また、本石塔婆群の中で、
>
名号を刻む碑の下限は永享二年(1430)で、種子を刻んだものは長享年間(1487~89)になっている。いずれにしても、本石塔婆が南北朝から室町
>
時代中期の間に造立されたことは間違いないとおもわれる。であれば、文鬼元年が文亀元年(1501)となっても信じられる。口口口口
]FIG]
--
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[52] 
[CITE[専称廃寺跡 私年号 名号石塔婆]], 
撮影:平成26年4月10日,
[TIME[2014-10-19T06:58:12.000Z]], [TIME[2026-09-12T06:17:15.739Z]] <https://kawai24.sakura.ne.jp/miyagi-isinomaki-sensyohaiji6.html>
]FIGCAPTION]

>  名号の下に「文鬼元年」という私年号を刻む石塔婆で、同音異字(文亀)の年号かどうかは不明。
]FIG]

]REFS]

* 関連

[SEE[ [[永亀]], [[元亀]] ]]

* メモ