[2] 
[DFN[文徳]] ([[旧字体]]: [DFN[文德]]) は[[日本中世の私年号]]とされるもの
([[幽霊元号]]) の1つです。

* 元号名

[31] [[新字体]]で[[文徳]]、[[旧字体]]で[[文德]]です。

* 用例

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [28] [CITE(.label)[年号の論]], [[伴信友]]
-- [29] 
「[V[[SNIP[]]、應安の頃に文德、[SNIP[]]]]」
[SRC[>>6]]

]ITEMS]

[30] 
[CITE[年号の論]]は、乱世に辺境の社寺の記録、文書、仏塔、名板、墓碑、器物などに記載した[[妖僞年號]]の実例を列挙するうちの1つとして、
>>29
を提示しています。
しかし[[元号名]]と時期の列挙だけで、出典は示していません。
[SRC[>>6]]

* 諸説

[40] 
[[江戸時代]]に[[伴信友]]が紹介しましたが、出典が不明です。
[[伴信友]]の[CITE[逸号年表補考]]にもありません。

[41] 
何らかの誤りだとしても、誤りの元と考えられるものが見当たりません。

[42] 
他の[[私年号研究者]]もほとんど言及していません。


[24] 
わずかに[CITE[日本私年号の研究]]は、
用例がなく一覧表にしか掲載実績のないものを原則[[私年号]]として認めない方針を採っていて、
[[文徳]]を[[私年号]]ではないと区分しています。
[SEE[ [[私年号的諸資料]] ]]

[43] それもまた1つの見識ですが、
一方で「[[私年号]]」の枠内に他にも出典の怪しげなものが散見される実情を鑑みれば、
研究史上一旦広く[[私年号]]として知れ渡ってしまったものは、
「実在の疑わしい[[私年号]]」あるいは[[幽霊元号]]として[[私年号]]の一分類に収容するのが妥当とも考えられます。


* 研究史

[3] 
[[江戸時代]]の研究者[[伴信友]]が、
[[応安]]の頃の[[妖偽年号]]としました。
[SRC[>>6]]
ただし一覧のみで出典等の詳細は不明です。
(>>30)

[1] 
[[昭和時代]]の[CITE[[[日本私年号の研究]]]]は、
[[伴信友]]の言及以外の情報がないため、
[[私年号]]とは判断できないとしました。
[SRC[>>7 p. [V[四八󠄃七]]]]

[33] 
[[私年号]]の表などで掲載した事例はほとんどありません。
[SRC[>>32]]

[8] 
[TIME[平成20(2008)年][2008]]以来 [SRC[>>34, >>322]] 
[[日本語]]版[CITE[ウィキペディア]]は[[伴信友]]の記述を引いて[[私年号]]の一覧に掲載していますが、
詳細不明としています。
[SRC[>>10]]





[REFS[

- [4] [CITE[[[長等の山風]]]]
-- [5] [CITE[[[年号の論]]]]
--- [6] 
[CITE@ja-JP[伴信友全集 第4]], [[国書刊行会]], [TIME[明治40][1907]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-05-04T03:04:35.210Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/991315/1/304?keyword=%E6%96%87%E5%BE%B3>
- [7] [CITE[日本私年号の研究]] 
- [32] [[日本私年号一覧表]]
- [34] [[ウィキペディアの私年号一覧表]]
--
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[10] [CITE@ja[[[私年号]] - Wikipedia]], [TIME[2022-12-10T11:22:17.000Z]], [TIME[2022-12-22T12:35:00.472Z]] <https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7>
]FIGCAPTION]

>
,*私年号 	,*異説 	,*元年相当公年号(西暦) 	,*継続年数 	,*典拠・備考 
,(文徳) 	,- 	,応安年間(1368年-1374年)? 	,不明 	,伴信友が『長等の山風』で「妖偽年号」の例として挙げるも所拠不明。 
]FIG]
-- [321] 
[CITE@ja[「[[私年号]]」の版間の差分 - Wikipedia]], [TIME[2024-07-24T01:25:17.000Z]], [TIME[2024-07-26T14:01:03.449Z]] <https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7&diff=prev&oldid=21472516>
--- [322] 
[CSECTION[2008年8月27日 (水) 17:42時点における版]],
[[可怜]]

]REFS]


* 関連

[35] 
時系列 :

- [38] [TIME[嘉祥3(850)年3月19日][kyuureki:850-03-19]]、
[[文徳天皇]]が[[践祚]]
- [39] [TIME[天安2(858)年8月27日][kyuureki:858-08-27]]、
[[文徳天皇]]が[[崩御]]
- [44] [TIME[唐文徳元(888)年][888]]
- [45] [TIME[大理国文徳元(938)年][938]]
- [48] [TIME[閩天徳元(943)年][943]]
- [46] [TIME[天暦11(957)年10月27日][kyuureki:957-10-27]]、
[[天徳]]に[[改元]]
- [47] [TIME[天徳5(961)年2月16日][kyuureki:961-02-16]]、
[[応和]]に[[改元]]
- [49] [TIME[嘉暦4(1329)年8月29日][kyuureki:1329-08-29]]、
[[元徳]]に[[改元]] ([[災異改元]])
- [50] [TIME[元徳3(1331)年8月9日][kyuureki:1331-08-09]]、
[[後醍醐天皇]]が[[元弘]]に[[改元]]
- [51] [TIME[元徳4(1332)年4月28日][kyuureki:1332-04-28]]、
[[正慶]]に[[改元]] ([[代始改元]])
- [36] [TIME[貞治7(1368)年2月18日][kyuureki:1368-02-18]]、
[[応安]]に[[改元]] ([[災異改元]])
- [37] [TIME[応安8(1375)年2月27日][kyuureki:1375-03-29]]、
[[永和]]に[[改元]]

-*-*-


[13] 
[TIME[2023-01-27T13:42:40.600Z]]
<https://dl.ndl.go.jp/pid/1140317> (非公開)

>東京府史蹟名勝天然紀念物調査報告書 第5冊
>図書
>東京府 編 東京府, 昭和2
>8: し所なるか。また文德二年四月に軻過突智命を、應永元年十一月に稻荷明神及白山權現を、延文三年八月に

[14] 
実際そう書かれているのか [[OCR]] 誤読なのかわからないが非常に興味深い用例。

;; [15] 昭和2年出版、しかも[[東京府]]なのに図書館・個人送信すらNGなのも謎。


- [25] 
[CITE@ja-JP[東京府史蹟名勝天然紀念物調査報告書 第5冊]], [[東京府]], [TIME[昭和2][1927]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-05-03T14:37:54.530Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1140317/1/8?keyword=%E6%96%87%E5%BE%B3> (要登録)

[26] 公開されていた

[27] [[天徳]], [[元徳]]あたりの[[誤記]]か。検討を要すが[[公年号]]のどれかの可能性が高そう。


** 天徳の誤りか

[9] [CITE@ja-JP[[[大日本時代史]] 平安朝史]], [[早稲田大学出版部]], [TIME[明治40][1907]], [TIME[2023-01-17T10:48:16.000Z]], [TIME[2023-01-27T13:33:23.147Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/770057/1/196>

安子が文徳2年12月26日に立后。

[11] [CITE@ja[藤原安子 - Wikipedia]], [TIME[2023-01-21T02:33:41.000Z]], [TIME[2023-01-27T13:34:29.117Z]] <https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E5%8E%9F%E5%AE%89%E5%AD%90>

>[SNIP[]]天徳2年(958年)10月27日、中宮に冊立。[SNIP[]]

[12] 
>>9 と >>11 は少々日付が違うけど同じこと? だとするとこの文徳は天徳の誤記。

** 元徳の誤りか

[16] [CITE@ja-JP[室生寺]], [[土門拳 撮影, 北川桃雄 文]], [TIME[1954]], [TIME[2023-01-17T10:48:16.000Z]], [TIME[2023-01-27T13:48:01.129Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/2468753/1/122> (要登録)

仏隆寺の堂の後ろの十三重の石灯「文徳二年」

様式は鎌倉風

[21] [CITE@ja-JP[大和古寺巡礼]], [[青山茂, 川副武胤, 平岡定海 共著]], [TIME[1964 2版][1964]], [TIME[2023-01-17T10:48:16.000Z]], [TIME[2023-01-27T13:58:06.996Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/3009010/1/164> (要登録)

仏隆寺 十三重の塔に
「鎌倉末期の文徳二年の銘」

[17] [CITE@ja[佛隆寺(ぶつりゅうじ)]], [TIME[2014-12-05T07:48:50.000Z]], [TIME[2023-01-27T13:50:45.452Z]] <https://www.library.pref.nara.jp/nara_2010/0733.html>

>
境内には、重要文化財に指定された石室(内部に堅恵の墓と伝えられる五輪塔がある)、元徳2年(1330)の銘をもち、修円の墓とされる十三重石塔などがある。

[18] [CITE[仏隆寺(ぶつりゅうじ)十三重石塔]], [TIME[2019-02-08T03:46:00.000Z]], [TIME[2023-01-27T13:53:27.079Z]] <http://kawai25.sakura.ne.jp/nara-uda-buturyuji-13tou.html>

>基礎は低く側面は無地。正面に「元徳二年(1330)十一月日」の紀年銘がある

写真があるが判読困難。

[19] [CITE@ja-JP[奈良県銘文集成]], [[土井実]], [TIME[1956]], [TIME[2023-01-17T10:48:16.000Z]], [TIME[2023-01-27T13:55:56.788Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/2995180/1/92> (要登録)

「[V[元徳二年[BR[]]    十一月日]]」 ([[明朝体]])


[20] >>16 >>21 の文徳は >>17 >>18 >>19 より元徳の誤記。


[22] [CITE@ja-JP[岩波講座日本文学史 第4巻]], [[岩波書店]], [TIME[2023-01-17T10:48:16.000Z]], [TIME[2023-01-27T14:01:08.847Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1336884/1/108> (要登録)

「[V[[SNIP[]]文徳二年(一三三〇)[SNIP[]]]]」 ([[明朝体]])

[23] >>22 も明らかに元徳の誤記。

** 文徳天皇 (天皇即位紀年)

[SEE[ [[天皇即位紀年]], [[文徳天皇]] ]]

* メモ



