[25] 
[DFN[文元]]は、
[[日本の異年号]]の1つです。

* 用例

[2] 
昭和7年、
[[日本国]][[埼玉県]][[北葛飾郡]][[幸手町]]の[[上野勇]]は、
[[板碑]]を収集しました。
[SRC[>>1]]

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [3] 
[DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[埼玉県]][[北葛飾郡]][[幸手町]]]] [[満福寺]] [[板碑]]残欠]]
-- [5] 昭和7年9月27日収集 [SRC[>>1]]
-- [4] (上部[[種字]]) [SRC[>>1]]
- [6] 
[DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[埼玉県]][[北葛飾郡]][[幸手町]]]] [[満福寺]] [[板碑]]]]
-- [7] 昭和7年9月29日縁下より収集 [SRC[>>1]]
-- [8] 
「[DATA(.text)[[V[貞治七子二月日]]]]」 ([[明朝体]])
[SRC[>>1]]
- [9] 
[DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[埼玉県]][[北葛飾郡]][[幸手町]]]] [[満福寺]] [[板碑]]残欠]]
-- [10] 昭和7年9月28日から10月3日の間の収集 [SRC[>>1]]
-- [11] [[梵字]]破片 [SRC[>>1]]
- [12]  
[DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[埼玉県]][[北葛飾郡]][[幸手町]]]] [[妙観院]] [[墓地]] [[板碑]]]]
-- [13] 昭和7年10月3日収集 [SRC[>>1]]
-- [14] 
文元二年
[SRC[>>1]]
-- [15] 「[V[七月]]」
[SRC[>>1]]
-- [16] 
[DATA(.label)[真中]]
「[V[口道心口門]]」
[SRC[>>1]]

]ITEMS]

[19] 
収集品は昭和7年9月・10月当時[[上野勇]]宅に持ち込まれたように読めます [SRC[>>1]]
が、その後の所在は不明です。

[22] 
[[昭和時代]]後期の[[板碑]]の悉皆的な調査の報告書でも、
これらの[[板碑]]群らしきものは見つけられません。
[SRC[>>21]]

[20] 
[[上野勇]]は[[郷土史家]]で、この他に[[埼玉県]][[久喜市]][[栗橋]]の伝[[静御前]]墳墓で得られたという[[板碑]]を所蔵していたようです
[SRC[>>17, >>18]]
が、これもその後の文献に見えず現在の所在は不明です。

[23] 
>>12
は、一目で見渡せるほどの小さな[[墓地]]を2,3分探し回るうち、
[[墓石]]に寄り掛かっているのを見出し、持ち出して[[井戸]]で洗浄して読もうと試みたものです。
[SRC[>>1]]

[24] 
それでも文字ははっきりせず、
「七月」とだけは読め、
年号は
「文元二年」
らしい、とされます。
[SRC[>>1]]
七月は確実であるものの、文元二年はそれより確実性が劣るということでしょうか。
他にも文字があったかもしれませんし、ないかもわかりません。

[REFS[

- [17] 
[CITE@ja-JP[武蔵野 11(5)]], [[武蔵野文化協会]], [TIME[1928-05]], [TIME[2026-08-18T01:13:52.000Z]], [TIME[2026-09-05T08:36:57.041Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/7932470/1/36?keyword=%E4%B8%8A%E9%87%8E%E5%8B%87> (要登録)
- [18] 
[CITE@ja-JP[武蔵野 17(1)]], [[武蔵野文化協会]], [TIME[1931-06]], [TIME[2026-08-18T01:13:52.000Z]], [TIME[2026-09-05T08:37:08.489Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/7932496/1/32?keyword=%E4%B8%8A%E9%87%8E%E5%8B%87> (要登録)
- [21] 
[CITE@ja-JP[板碑 : 埼玉県板石塔婆調査報告書 3]], [[埼玉県立歴史資料館 編集]], [TIME[1981.3][1981]], [TIME[2026-08-18T01:13:52.000Z]], [TIME[2026-09-05T08:40:04.829Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12221354/1/390> (要登録)

]REFS]

* 諸説

[36] 
用例は[[板碑]]1例のみ知られていますが、実物は現所在不明であり、
[[拓本]]なども知られていません。

[37] 
しかも文字は不鮮明らしく、[[文元]]との判読も確定されたものではありません。

[38] 
報告者は地元の地域史団体に参加していたようで名前が幾度か見えます [SRC[>>17, >>18]]
ので、あるいは当用例のことを紹介したり、記事を投稿したりしたこともあったかもしれませんが、
確かな記録はこれまで見つかっていません。

[39] 
確実な初出は昭和47年の書籍であり、自身の発見から40年が経過しています (>>27)。

[40] 
報告者以外による言及も未発見です。

[41] 
[[公年号]]に一致するもの、類似するものがなく、[[異年号]]の可能性も指摘されつつも、
根拠とできるものはなく、どうとも断言されていません (>>27)。

[42] 
実物の再発見や追加の史料が出現しない限り、現状の情報だけでは何とも判定しかねます。

* 研究史

[26] 
昭和7年、
[[上野勇]]が[[板碑]]を探索していたところ、
>>12
を見出だし、持ち出して調査しました。
[SRC[>>1]]

[27] 
昭和7年付日記 ([TIME[昭和47(1972)年][1972]]刊行) は、
次のように述べています。
[SRC[>>1]]

- [28] [[文元]]の[[年号]]なし、似ているものも見つからず
- [29] [[異年号]]だと面白いが、知るよしなし
- [30] 他の[[板碑]]と合わせれば[[板碑]]発見小報告くらいは書けそう

;; [31] その報告が実際に書かれたかは不明で、それらしきものは見つかっていません。

[33] 
なお、 >>6 については、[CH[子]]は[CH[年]]の略か、と推測しています。
[SRC[>>1]]

[34] 
たしかに[[仮名]]表記で[[撥音無表記]]などで「ね」となることは考え得ないことではありませんが、
類例は知られていません。 [SEE[ [[東洋の日時表示]], [[年の字]] ]]
[TIME[貞治7(1368)年][1368]]は[[戊申]]で、[[子年]]ではありません。
あるいは[CH[年]]の[[草書]]系の[[字形]]を[CH[子]]と誤読したものかもしれませんが、
実物も[[拓本]]もなく検証不能です。


[REFS[

-
[1] 
[CITE@ja-JP[幸手雑記]], [[上野勇]], [TIME[1972]], [TIME[2026-03-18T03:11:57.000Z]], [TIME[2026-04-03T09:26:01.247Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9640182/1/37?keyword=%E6%96%87%E5%85%83> (要登録)

]REFS]

[32] 
[[令和時代]]に至るまで、[[私年号研究]]の文脈で紹介された事例は知られていません。

* 関連

[35] [[南北朝時代]]の[[年号不採用案]]に[[文元]]があったとされます。


* メモ