[1] 
[[改元]]の伝達には時間がかかります。

* 改元日

[SEE[ [[改元日]] ]]

* 改元手続き

[3] [[改元]]には諸手続きがあります。
[SEE[ [[改元手続き]] ]]

[4] [[改元]]の手続きは[[改元]]の伝達とも密接に関係しています。
一般に、上級行政庁で[[改元]]の[[施行]]の手続きをして管内の下級行政庁や市民に通知する、
という形で[[木構造]]の上位から下位へ、
手続き → 伝送 → 手続き → 伝送 →
と繰り返しながら領内全体へと広げていきました。
具体的な手続の内容や伝送の[[媒体]]や経路は時代と地域によって違っても、
この原則は古今東西変わりません。

* 改元の伝達



[640] 
[[新元号]]が定められると、全国に伝達され、施行されます。
([SEE[ [[改元手続]] ]])
諸国、諸階層の人々へと[[新元号]]を伝える[DFN[改元伝達ルート]]の様相は断片的な記録が残るのみで、
[[平成時代]]に研究が進んでいますが、まだまだ不明な点が多いです。

* 日本律令時代の改元伝達

[617] 
新[[元号]]が定まると、
[[朝廷]]で[[改元詔書]]が作成され、
その内容が[[太政官符]]に添えられて諸官司、諸国に伝達されました。
[SRC[>>440]]

[362] 
[[律令制]]下では[[朝廷]]から[[国衙]]を介して各地に通達されていました。
[SRC[>>49 普及版 p.415]]

[363] 
[[平安京]]の役所は[[覆奏]]より前から新元号を使っていました。
諸国は[[太政官符]]が到着してから新元号を使いました。
[SRC[>>361 pp.118-119 ([CITE[江家次第]])]]

[364] 
[[菅原道真]]は、
[[讃岐国]]や[[太宰府]]で[[寛平]]や[[延喜]]の[[改元]]の詔書を受け取ったことについての詩を残しました。
当時中央から地方への[[改元]]の伝達が確かに行われていたことを伝えています。
[SRC[>>49 普及版 p.185]]

[8] 
[[大宝]]時代から始まる[CITE[大宝律令]]の時代、日本各地の[[金石文]]などで[[元号年]]が明記されており、
[[飛鳥]]や[[奈良]]の政府が公布した[[元号]]が全国各地で実用されたことが知られています。
[CITE[大宝律令]]によって[[元号]]の公用が定められて間もなくしてこの体制が構築されました。
[SEE[ [[日本古代の日時]] ]]
しかし個々の[[改元]]において具体的にどれくらいの時間、どのような経路で新しい[[元号]]が伝えられていたのかの詳細は、
資料が少なすぎてほどんどわかっていません。

[9] 
また、[[荘園]]の拡大が進んだり[[武士]]の勢力が強まった時代に、
各地、各勢力にどのように新[[元号]]が伝わったのかについてもあまり研究が進んでいないようです。


[REFS[

- [49] [CITE[日本年号史大事典]]
- [440] [CITE[[[中世の元号]]]]

]REFS]

@@
[BOX[

[58] [[承得]]

]BOX]

* 日本中世の改元伝達

[365] 
[[鎌倉時代]]半ば頃から、
[[六波羅探題]]から[[鎌倉幕府]]に通達されるようになりました。
[[鎌倉幕府]]は[[政所]]で[[吉書始]]の儀を行いました。
おそらく[[守護]]や[[寺社]]を介して各地に通達されました。
[SRC[>>49 普及版 p.415]]

[618] 
[[鎌倉時代]]には、
[[改元詔書]]は[[外記局]]から[[六波羅探題]]を経由して[[鎌倉]]に届けられました。
[[外記]]から私的に、[[改元]]に至る詳細の報告も添えられました。
[SRC[>>440 ([CITE[師守記]] 貞和元年10月29日条)]]

[619] 
[[鎌倉幕府]]の[[政所]]では[[改元吉書始]]の儀式を行い、全国に「施行」しました。
[CITE[吾妻鑑]]には[[安貞]]度 ([TIME[西暦1227年][1227]])
から[[改元吉書始]]の記事があり、
制定手続きへの介入 ([SEE[ [[改元手続き]] ]]) も含めてこの頃に慣行が定まったと考えられます。
[SRC[>>440]]



[366] 
[CITE[吾妻鏡]]にある[[京都]]の[[六波羅探題]]から[[鎌倉]]への[[改元]]の詔書の伝達記事などから、
[[改元日]]から[[鎌倉]]まで約10日
(10日から20日程度 [SRC[>>440 ([CITE[延慶改元・改暦への鎌倉幕府の関与について]])]])、
そこから一般で通用するまで約1ヶ月かかったとされています。
[SRC[>>49 普及版 p.395 (千々和到 1995、峰岸純夫 1979)]]
(c.f. >>360。>>49 の各元号の項にも[CITE[吾妻鏡]]の伝達記事の日付の記載あり。)


[612] 
諸国は[[鎌倉幕府]]の[[吉書始]]の後に新元号を使い始めたと考えられています。
[SRC[>>777]]
[[鎌倉幕府]]の統制下に組み込まれた武士は、ということでしょう。

;; [613] 
史料的検証がどれだけなされているのかは不明。
[[元弘]]のときの研究があったはず。


[367] 
[[鎌倉時代]]の[[九州]]の文書 5507通の分析から、
改元後約2ヶ月で[[九州]]全域に新元号が広がったことが確認されています。
[SRC[>>49 普及版 p.395 (瀬野精一郎 1968)]]
[[文永の役]]の蒙古襲来が[[博多]]から[[京都]]まで約12日で伝わったのと比較すると、
かなりの速度で広がっており地域社会も[[改元]]に敏感だった
[SRC[>>49 普及版 p.395]]
と評されています。


[10] 
[[中世]]には、[[源頼朝]]をはじめ、[[改元]]に従わず[[延長年号]]を使う事例が散見されるようになります。
かつては反政府的な意思の現れと評されてきましたが、
現在では[[朝敵]]への[[改元伝達]]の停止が原因の場合が多いと考えられるようになってきています。
[SEE[ [[延長年号]] ]]
[[南北朝時代]]以後特にこうした事例が増加します。


-*-*-

[620] 
[[北朝]]の発足直後の[[暦応]]度 ([TIME[西暦1338年][1338]]) は制度が整っていなかったためか、
[[武家]]への伝達が遅れました。
[[京都]]の[[武家]]は7日ほど旧元号[[建武]]を使っていました
[SRC[>>440 ([CITE[実夏公記]] 暦応元年8月28日条)]]。
[[大外記]]から[[足利尊氏]]と[[足利直義]]に[[改元詔書]]が送られ、
[[執事]]の[[高師直]]に「一通」が送られたとされます。
「一通」は[[鎌倉時代]]に添えられた[[外記]]からの注進に相当するものかと推測されます。
[SRC[>>440]]

;; [11] 
同じ[[京都]]の市内にいて、しかも対[[南朝]]のため[[朝廷]]と[[足利氏]]の連絡も緊密になっているであろう中で、
7日も[[改元]]のことを[[京都]]の武家が把握していなかったとは思えません。
それでも手続きが重視され旧[[元号]]を使い続けたということなのでしょう。


[621] 
[[室町幕府]]は[[政所]]で[[改元吉書始]]を行い、
諸国に施行しました。
[SRC[>>440]]

[622] 
[[応安]]度 ([TIME[西暦1368年][1368]])
は、
[TIME[応安元年2月28日][kyuureki:1368-02-28]]に[[朝廷]]で[[改元]]され、
[TIME[応安元年3月1日][kyuureki:1368-03-01]]に[[室町幕府]]で[[改元吉書]]が施行され、
[[政所]]執事代[[齋藤基兼]]から[[関東]]に伝えられました。
[SRC[>>440 ([CITE[花営三代記]])]]


[368] 
[[室町幕府]]も[[鎌倉府]]へ通達を行っており、
[[鎌倉時代]]同様に伝達されたと考えられています。
[SRC[>>49 普及版 p.415]]
(>>777 ではおそらく[[鎌倉公方]]が[[吉書始]]を行い、管下の諸国に伝達したと考えられる、
としていますが、[[鎌倉時代]]からの類推による推測調で根拠は示していません。
史料的根拠が見つかっているのかは不明。)
[[関東]]に到着し、あるいは[[関東]]でも[[吉書始]]が行われて施行されるまで、
早くても1ヶ月はかかったと推測されます [SRC[>>440]]。

[623] 
15世紀に周防[[大内氏]]が[[改元吉書始]]を実施した例があります。
[SRC[>>440 ([CIT[防長寺社証文]] 巻一一)]]

[624] 
[[室町幕府]]から[[五山]]の寺院には、
[[室町幕府]]の[[吉書始]]の後に[[蔭凉職]]から諸寺院へと通達されました。
[[長享]]度、
[[延徳]]度、
[[明応]]度には[[改元]]翌日に情報を得ているものの、
[[室町幕府]]の[[吉書始]]まで使用しないように命じられました。
[SRC[>>440 ([CITE[蔭凉軒目録]] 長享元年7月21日条、延徳元年8月23日条、明応元年7月24日条)]]

[EG[

[637] 
[[明応]]度の[[改元]]と[[吉書始]]の間の将軍誕生日の法文では、
旧元号の[[延徳]]が使われました。
[SRC[>>440 ([CITE[蔭凉軒目録]] 明応元年7月24日条)]]

]EG]

[638] 
[[南都]]の寺院には[[改元]]から1週間程度で伝達されました。
[SRC[>>440 ([CITE[大乗院寺社雑事記]], [CITE[政覚大僧正記]]など)]]
[[室町幕府]]の[[吉書始]]より前に新元号を使用している例もみられます。
[SRC[>>440]]

[639] 
[[応仁]]度 ([TIME[西暦1467年][1467]])
に[[興福寺]]の[[経覚]]は、
7日後に情報を聞いて、文字等は不分明と書いています。
音のみで伝わることがあったようです。
[SRC[>>440 ([CITE[経覚私要抄]])]]
本来の通常の[[改元伝達]]は[[文書]]によるでしょうから、
正式な[[改元伝達]]以前に非公式な噂で口頭で伝わってきたということなのでしょう。

;; [12] これについては[[明応]]も参照。

[369] 
[[南朝]]は[[改元]]を[[綸旨]]により直接諸国に伝達しました。
[SRC[>>777 ([[五条文書]]などから推測), >>49 普及版 p.415 (峰岸純夫 1979、千々和到 1990)]]


[644] 
[[室町幕府]]の[[吉書始]]は伝達後間を置かずに行われることが多かったものの、
特に[[室町時代]]後期になると遅延が目立つようになりました。
政治的な対立関係がなくても、[[京]]内でも[[元号]]の切り替えの時期に違いが出ていました。
[[改元伝達ルート]]の先では更に遅延していくことになり、
[[改元]]後1年以上も新元号が用いられない事例もままありました。
[SRC[>>440]]




[641]
[[長享]]度 ([TIME[西暦1487年][1487]])
は[TIME[長享元年7月20日][kyuureki:1487-07-20]]に[[改元]]されました。
[[蔭凉職]]の[[亀泉集証]]は、
翌日に[[武家伝奏]]と[[政所執事]]の[[二階堂政行]]に使者を送って新元号情報を得ました
[SRC[>>440 ([CITE[蔭凉軒目録]])]]。
しかし長享元年8月9日の[[吉書始]]まで、旧元号の[[文明]]で[[文書]]を発給していました
[SRC[>>440 ([CITE[十輪院内府記]], [CITE[鹿苑日録]])]]。

[642] 
[[延徳]]度 ([TIME[西暦1489年][1489]]) 
は、
[[足利義政]]の[[執奏]]で延徳元年8月に[[改元]]されました。
ところが[[足利義政]]の体調不良のため[[吉書始]]は延期を重ねました。
[[足利義政]]は延徳2年正月に死去し、
[[吉書始]]は行われませんでした。
[SRC[>>440 ([CITE[後法興院関白記]] 延徳元年10月11日条, [CITE[親長卿記]] 延徳元年6月8日条など)]]
[[蔭凉職]]では公帖の日付が問題となり、
[[武家伝奏]]の判断で[[新元号]]を使うものの[[吉書始]]前なので[[将軍]]の[[花押]]は据えず印判という異例の形式で発給することになりました
[SRC[>>440 ([CITE[蔭凉軒目録]] 延徳元年9月4日条)]]。

[643] 
[[明応]]度は、
明応元年7月19日に[[朝廷]]で[[改元]]され、
明応元年8月28日に[[室町幕府]]で[[吉書始]]がありました。
[[吉書始]]前の朝鮮国書案は[[旧元号]]の[[延徳]]が使われました
[SRC[>>440 ([CITE[蔭凉軒目録]] 明応元年8月27日条)]]。
9月以降になって[[御判御教書]]や[[幕府奉行人連署奉書]]で[[明応]]が使われました。
[SRC[>>440]]



[615] 
[[戦国時代]]に入る頃の[[東国]]では[[改元伝達]]の仕組みも変質し、
[[私年号]]の伝搬にも影響したことがわかっています。
[SEE[ [[中世私年号]] ]]



[REFS[
- [519] 
[CITE[金石文より見た中世の品川]],
[CITE[[[続仏教考古学研究]]]], pp.[V[三二九]]-[V[三六八󠄂]]
- [777] 
[CITE[[[改元と私年号]]]]
- [360] [CITE@ja[[[元号と武家]]]]



]REFS]

-*-*-

[614] 
中世の[[在地領主]]層が[[改元]]時にどうしたかはよくわかっていません。
[[在地領主]]の[[吉書]]は[[年頭]]のものが残るだけで、
[[代替わり]]の[[吉書始]]も想定されますが、
[[改元]]に関するものは検出されていません。
[SRC[>>777 ([CITE[祝儀・吉書・呪符]], [[中野豈任]])]]

[370] 
中世の庶民に[[改元]]がどう伝わったかは十分明らかではありません。
[[鎌倉時代]]以後東国などの[[板碑]]に[[元号年]]が記されていることから、
ある程度普及していたことはわかっています。
[SRC[>>361 pp.130-131]]

[371] 
[CITE[[[紀伊国阿弖河荘百姓訴状]]]]
には
「ケンチカン子ン十月廿八日」
とあり (4月25日[[改元]])
[SRC[>>361 pp.130-131]]、
[[農民]]も[[元号]]を使うことができ、しかも[[改元]]が数ヶ月以内に伝わっていたことがうかがえます。


[471] 
[[中世]]の[[多摩川]]流域近辺の[[板碑]]の紀年から、
[[改元伝達]]に数ヶ月かかる場合もあったこと、
海沿いより山間部ほど遅れる傾向が見られることが指摘されています。
[SRC[>>519]]

- [462] 
[[日本国]][[東京都]][[品川区]]南品川3丁目海晏寺板碑
「[V[暦応五年七月日]]」
[SRC[>>519 p.[V[三四九]]]]
-- [463] 
[TIME[日本北朝暦応5(1342)年][1342]]7月,
[[延長年号]] +約2ヶ月, [TIME[康永元(1342)年4月27日][kyuureki:1342-04-27]][[改元]]
-- [464] +約1ヶ月、5月27日改元とする
[SRC[>>519 p.[V[三四七]]]]
は誤りか。

- [465] 
海岸を離れた[[多摩川]]沿い鵜ノ木光明寺板碑
文和五年六月
[SRC[>>519 p.[V[三四七]]]]
-- [466] 
[TIME[日本北朝文和5(1356)年][1356]]6月,
[[延長年号]] +約2ヶ月, [TIME[延文元(1356)年3月28日][kyuureki:1356-03-28]][[改元]]

- [454] 
[[日本国]][[東京都]][[品川区]]御殿山出土板碑3, 4, 5
「[V[延文六年二月  日]]」
[SRC[>>519 p.[V[三三四]]]]
-- [455] 
[TIME[日本北朝康安元(1361)年3月29日][kyuureki:1361-03-29]][[改元]]
-- [456] 
約1ヶ月の[[延長年号]]とする
[SRC[>>519 p.[V[三四七]]]]
のは誤認か。
- [458] 
三多摩、入間郡延文板碑
[SRC[>>519 p.[V[三四七]]]]
-- [459] 
1ヶ月以上の[[延長年号]]が11基
-- [467] 
[[日本国]][[東京都]][[大田区]]尾山伝乗寺板碑
延文6年11月
[SRC[>>519 p.[V[三四七]]]]
--- [468] 
[[延長年号]] +7ヶ月
-- [460] 
南多摩郡、入間郡に8ヶ月以上遅れるものあり。


- [450] 
[[日本国]][[東京都]][[品川区]]御殿山出土板碑11
「[V[応安八󠄂年三月二十九日]]」
[SRC[>>519 p.[V[三三四]]]]
-- [451] 
[TIME[日本北朝応安8(1375)年3月29日][kyuureki:1375-03-29]]、[[延長年号]] +約1ヶ月. 
[TIME[永和元(1375)年2月27日][kyuureki:1375-02-27]][[改元]]
- [452] 
[[入間郡]]高萩板碑 応安8年8月22日
[SRC[>>519 p.[V[三四七]]]]
-- [453] [[延長年号]] +約5ヶ月


- [469] 
[[日本国]][[東京都]][[大田区]]雪ヶ谷円長寺井旅
寛正7年7月
[SRC[>>519 p.[V[三四七]]]]
-- [470] 
[TIME[日本寛正7(1466)年][1466]]7月,
[[延長年号]] +約3ヶ月, [TIME[文正元(1466)年2月28日][1466-02-28]][[改元]]

[479] 
[[改元日]]から1,2年ほど遅れた例も報告されていますが、
例外的です。
銘文誤読も疑われますが、
正しいとすれば相当に遅れていたことがわかります
[SRC[>>519 p.[V[三四八󠄂]]]]。

- [475] 
[[日本国]][[東京都]][[品川区]]御殿山出土板碑 (昭和7年[[服部清五郎]]調査) 1
「[V[正嘉五年]]」
[SRC[>>519 p.[V[三三八󠄂]]]]
-- [476] [[延長年号]] +2, [TIME[正嘉5年 = 正元3年 = 文応2年 = 弘長元(1261)年][1261]]
- [477] 
[[日本国]][[東京都]][[品川区]]御殿山出土板碑 (昭和7年[[服部清五郎]]調査) 2
「[V[徳治五年]]」
[SRC[>>519 p.[V[三三八󠄂]]]]
-- [478] [[延長年号]] +2, [TIME[徳治5年 = 延慶3(1310)年][1310]]


[474] 
次の例は[[遡及年号]]で、銘文誤読が疑われます。
[SRC[>>519 p.[V[三四八󠄂]]]]

- [472] 
[[日本国]][[東京都]][[品川区]]御殿山出土板碑32
「[V[享徳元年七月五日]]」
[SRC[>>519 p.[V[三三六]]]]
-- [473] 
[TIME[享徳元(1452)年7月25日][kyuureki:1452-07-25]][[改元]]



-*-*-

@@
[BOX[


[52] 
[CITE@ja-JP[論集中世の窓]], [[「中世の窓」同人]], [TIME[1977.12][1977]], [TIME[2026-01-20T01:30:11.000Z]], [TIME[2026-02-13T08:44:07.870Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12269699/1/159> (要登録)


[33] 
[CITE@ja-JP[歴史の陥穽]], [[瀬野精一郎]], [TIME[1985.6][1985]], [TIME[2025-07-29T01:46:14.000Z]], [TIME[2025-07-30T09:49:46.121Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12209131/1/31> (要登録)


[481] [CITE[0618-P9-上から張り込み用‐これが最終データ.indd - almuseo128.pdf]], [TIME[2019-07-14T08:38:29.000Z]], [TIME[2021-06-10T08:08:56.553Z]] <http://www.fuchu-cpf.or.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/003/095/almuseo128.pdf>

[38] 
[CITE@ja-JP[多古町史 上巻]], [[多古町史編さん委員会]], [TIME[1985.7][1985]], [TIME[2025-10-29T01:48:45.000Z]], [TIME[2025-10-31T07:59:43.017Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9643568/1/120?keyword=%E6%94%B9%E5%85%83> (要登録)


[480] [CITE[cs6-129正.indd - almuseo129.pdf]], [TIME[2019-10-30T07:38:23.000Z]], [TIME[2021-06-10T08:05:51.827Z]] <http://www.fuchu-cpf.or.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/003/095/almuseo129.pdf>

[547] [CITE@ja-JP[東京都文化財調査報告書 第19 (西多摩文化財総合調査報告書 第1分冊)]], [[東京都教育委員会]], [TIME[1967]], [TIME[2022-12-21T08:14:19.000Z]], [TIME[2022-12-24T06:06:39.438Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/2476882/1/85> (要登録)

[591] [CITE@ja-JP[青梅 : 定本市史]], [[青梅市史編さん実行委員会]], [TIME[1966]], [TIME[2023-12-19T01:59:10.000Z]], [TIME[2023-12-20T13:51:32.224Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/3022484/1/129> (要登録)

[647] 
[CITE@ja-JP[川越市史 第2巻 別巻 (中世編 板碑)]], [[川越市'''['''総務部''']'''庶務課市史編纂室]], [TIME[1985.3][1985]], [TIME[2024-02-01T05:12:54.000Z]], [TIME[2024-02-04T07:57:39.802Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9643550/1/72> (要登録)


[550] 
[[加平]]

[558] 
[[仮名書年号]]


[ITEMS[ [[日時事例]]


-
[587] 
[DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[熊本県]][[八代郡]][[竜北町]]野津]] [[毘沙門天神社]] 融通念仏碑]]
「[DATA(.text)[[V[應仁三年[LINES(smaller)[巳][刄󠄂]]十月吉日]]]]」
[SRC[>>586]]
-- [589] 
>>586 に模写とやや不明瞭な拓本写真あり。
-- [588] 
[[延長年号]] +5ヶ月 

]ITEMS]

[REFS[

- [585] [CITE[[[肥後の金石論集.II]]]]
-- [586] 
[CITE[[V[石碑__&&swc578(曼)&&__荼羅[YOKO[([TATE[十六]])]] 毘沙門天神社の融通念仏碑]]]], pp.[L[65]]-[L[68]]

]REFS]


[606] 
[CITE@ja[95-09.pdf]], [TIME[2020-06-03T15:00:00.000Z]], [TIME[2024-01-11T14:41:04.029Z]] <https://konkikai.net/PDF/95-09.pdf#page=5>


[607] 
[CITE@ja[105-29.pdf]], [TIME[2020-06-03T15:00:00.000Z]], [TIME[2024-01-11T14:42:13.273Z]] <https://konkikai.net/PDF/105-29.pdf#page=14>

[605] [CITE@ja[tanaka.pdf]], [TIME[2020-09-15T05:25:53.000Z]], [TIME[2024-01-11T14:38:54.770Z]] <https://www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/lt/rb/669/669PDF/tanaka.pdf#page=47>

[36] [CITE@ja-JP[塩舟観音寺]], [[武蔵書房]], [TIME[1970]], [TIME[2025-10-29T01:48:45.000Z]], [TIME[2025-10-31T07:43:01.289Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12270823/1/29?keyword=%E6%94%B9%E5%85%83> (要登録)


- [653] [CITE[[[肥後の金石論集.I]]]]
-- [654]  
[ITE[[V[石碑曼荼羅[YOKO[(五)]][BR[]][WEAK(smaller)[大慈寺石塔の諸問題]]]],
pp.[L[62]]-[L[66]]

[656] >>654 は[[元号名]]の一部が読めない銘文の推定のために[[改元伝達]]速度を推測しています。

- [657] [[延長年号]]事例: [[正和]], [[応仁]], [[享禄]], [[寛保]], [[延享]]
- [658] 人吉市上原田牛塚 庚申塔 享保元年八月吉祥日 +2月
- [659] 球磨郡深田村植深田 猿田彦塔 明和元年八月二十七日 +2月 

[660] 江戸時代安定時期でも2ヶ月ほどかかっており、
室町時代の戦乱時に4ヶ月遅れるのも当然と思われるとします。
[SRC[>>654]]

[661] 
なお墓碑は死亡より後に建立されるので注意が必要とします。

- [662] 下益城郡小川町納野 墓碑 大永元年三月二十四日 [[遡及年号]]
- [663] 球磨郡多良木町古多良木 墓碑  正保一年九月十六日 [[遡及年号]]

と[[改元日]]前の事例を示しています。
[SRC[>>654]]

;; [664] 「[[一年]]」も気になりますね。

[676] [CITE@ja[戦国以前の年号宣下がどの程度、地方に伝わっていたのか知りたい。 | レファレンス協同データベース]], [[国立国会図書館]], [TIME[2024-02-29T13:49:48.000Z]] <https://crd.ndl.go.jp/reference/entry/index.php?id=1000336557&page=ref_view>


[677] 
>>676 主要書籍の記述を拾ってて司書さんの優秀さがわかる。けどこれは物足りないよなあ、
各時代各地域をもっと細かく精査して1つにまとめた論文書いてくれる研究者いないものか。。。

[26] 
[CITE@ja-JP[品川の歴史シリーズ 第2編 第2部 ('''['''中世編''']''' 中世の品川)]], [[東京都品川区教育委員会]], [TIME[1965]], [TIME[2025-02-25T01:55:51.000Z]], [TIME[2025-04-17T13:41:15.641Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/3010244/1/13?keyword=%E6%94%B9%E5%85%83> (要登録)

[27] 
[CITE@ja-JP[塩舟観音寺]], [[武蔵書房]], [TIME[1970]], [TIME[2025-02-25T01:55:51.000Z]], [TIME[2025-04-17T13:47:56.514Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12270823/1/29?keyword=%E6%94%B9%E5%85%83> (要登録)

[29] 
[CITE@ja-JP[大迫町史 交通編]], [[大迫町史編纂委員会]], [TIME[1979.3][1979]], [TIME[2025-02-25T01:55:51.000Z]], [TIME[2025-04-17T13:55:02.944Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9570060/1/58?keyword=%E6%94%B9%E5%85%83> (要登録)

[30] [CITE@ja-JP[岡山県金石史 続 本編]], [[永山卯三郎]], [TIME[1954]], [TIME[2025-02-25T01:55:51.000Z]], [TIME[2025-04-17T13:56:06.196Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/3015183/1/332?keyword=%E6%94%B9%E5%85%83> (要登録)

[31] 
[CITE@ja-JP[平賀町誌 下巻]], [[平賀町町誌編さん委員会]], [TIME[1985]], [TIME[2025-02-25T01:55:51.000Z]], [TIME[2025-04-17T14:01:24.845Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9539636/1/610?keyword=%E6%94%B9%E5%85%83%20%E9%81%85%E3%82%8C> (要登録)

[39] 
[CITE@ja-JP[大迫町史 行政編]], [[大迫町史編纂委員会]], [TIME[1986.11][1986]], [TIME[2025-10-29T01:48:45.000Z]], [TIME[2025-10-31T08:03:18.266Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9571772/1/41?keyword=%E6%94%B9%E5%85%83+%E9%81%85%E3%82%8C> (要登録)

[34] 
[CITE@ja-JP[栗原郡の板碑]], [[栗原郡郷土史研究会]], [TIME[1982.12][1982]], [TIME[2025-07-30T10:21:15.000Z]], [TIME[2025-09-11T06:46:42.715Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12221636/1/15> (要登録)

[37] 
[CITE@ja-JP[大迫町史 交通編]], [[大迫町史編纂委員会]], [TIME[1979.3][1979]], [TIME[2025-10-29T01:48:45.000Z]], [TIME[2025-10-31T07:49:33.861Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9570060/1/58> (要登録)


[42] 
[CITE@ja-JP[静岡今昔物語]], [[村本喜代作]], [TIME[1953]], [TIME[2025-10-29T01:48:45.000Z]], [TIME[2025-11-25T05:26:36.849Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/2990991/1/82?keyword=%E6%94%B9%E5%85%83> (要登録)

[45] 
[CITE@ja-JP[北本市文化財調査報告書 第9集 (北本の板碑)]], [[北本市教育委員会]], [TIME[1979.3][1979]], [TIME[2025-10-29T01:48:45.000Z]], [TIME[2025-11-25T06:11:06.192Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12706108/1/59?keyword=%E6%94%B9%E5%85%83> (要登録)

[54] 
[CITE@ja-JP[図説日本の歴史 7]], [[井上幸治 '''['''等''']'''編]], [TIME[1975]], [TIME[2026-01-20T01:30:11.000Z]], [TIME[2026-02-13T09:30:11.490Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12206393/1/100?keyword=%E6%94%B9%E5%85%83> (要登録)


[46] 
[CITE@ja-JP[東奥文化 (9/10)]], [[青森県文化財保護協会]], [TIME[1958-03]], [TIME[2025-10-29T01:48:45.000Z]], [TIME[2025-11-25T06:12:00.439Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/4416695/1/33?keyword=%E6%94%B9%E5%85%83> (要登録)

[47] 
[CITE@ja-JP[真岡市史 第6巻 (原始古代中世通史編)]], [[真岡市史編さん委員会]], [TIME[1987.3][1987]], [TIME[2025-10-29T01:48:45.000Z]], [TIME[2025-11-25T06:17:48.759Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9644109/1/368?keyword=%E6%94%B9%E5%85%83> (要登録)


[53] 
[CITE@ja-JP[河田光夫著作集 第3巻 (親鸞の思想形成)]], [[明石書店]], [TIME[1995.11][1995]], [TIME[2026-01-20T01:30:11.000Z]], [TIME[2026-02-13T09:26:13.024Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/13263922/1/156?keyword=%E6%94%B9%E5%85%83> (要登録)


[55] 
[CITE@ja-JP[市政 34(3)(392)]], [[全国市長会]], [TIME[1985-03]], [TIME[2026-01-20T01:30:11.000Z]], [TIME[2026-02-13T09:34:12.450Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/2711693/1/36?keyword=%E6%94%B9%E5%85%83> (要登録)

[57] 
[CITE@ja-JP[岩手の歴史論集 2 (中世文化)]], [[司東真雄]], [TIME[1979.11][1979]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-05-10T12:31:18.686Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9538754/1/203> (要登録)

]BOX]

* 江戸時代の改元伝達

[372] 
[[江戸時代]]、
[[朝廷]]では[[改元]]の日から新元号が用いられましたが、
[[京都]]町内では[[幕府]]からの通達があってから用いられたため、
平均で10日ほどかかっていました。
[SRC[>>49 普及版 p.543]]

[373] 
[[朝廷]]が[[改元]]すると、
[[京都所司代]]を通じて[[江戸幕府]]に伝達されました。
[[江戸幕府]]は諸[[大名]]を[[江戸城]]に集め、これを披露しました。
[[幕府]]の正式な[[改元日]]は披露の日とされ、
全国にもこの日が伝えられました。
[SRC[>>49 普及版 p.543]]

[374] 
[[藩]]によっては、
[[家臣]]を集めて[[改元]]を披露しました。
[SRC[>>49 普及版 p.543]]

[375] 
[[松前]]、[[対馬]]、[[薩摩]]なども含め、
全国に1ヶ月から2ヶ月程度で新元号が伝達されました。
[[伊豆大島]]に4ヶ月後に伝達されたというのが現在確認された最も遅い事例です。
全国各地にかなりのスピードで伝達されたと評されています。
[SRC[>>49 普及版 p.543]]

;; [376] しかし[[昭和改元]]でも離島への伝達にはかなり時間がかかっており (>>380)、
離島で記録が残っていないまたは知られていない、これより伝達に時間がかかったケースはありそうです。


[377] 
[[農村]]に対しても、
少なくとも[[名主]]や[[庄屋]]などには確実に伝えられたようです。
古文書では[[干支年]]もみられますが、
[[借用書]]など証文類では[[元号年]]のことが多く、
[[過去帳]]や[[石碑]]では[[干支年]]よりもむしろ[[元号年]]の場合が多いです。
争論の経緯の文書でも[[元号年]]が使われる例があります。
[SRC[>>49 普及版 p.579]]

[378] 
あるいは[[暦本]]にも[[元号]]が明記され、各地に頒布されました。
従って[[農村]]でもほとんどの人が[[元号]]を知っていたと考えられています。
[SRC[>>49 普及版 p.579]]

[379] 
[[江戸]]では、(正式な伝達経路以外に)
[[改元]]直後に新元号を紙に書いて売り歩く者がいました
([SEE[ [[改元]] ]])。
[[改元]]直前に[[偽の新元号が流布][改元デマ]]されたことも何度か記録されています。
正式発表前にも[[改元]]情報がある程度出回っていたのでしょうか。
[SEE[ [[改元デマ]] ]]

[685] 
[[京都所司代]]自身はいつから新元号を使ったのでしょうか。
市内が10日ほどしてからということは、
[[京都所司代]]もその他京都所在の武家方も、
[[江戸城]]の新元号披露があった報を待って施行したのでしょうか。

[686] 
[[朝廷]]が[[改元]]すると[[公家]]も当然それに従ったと思われます。
[[朝廷]]や[[公家]]に出入りする町民らがいるでしょうから、
そこから新元号の情報は少しずつ広まったはずです。
それが正式施行前に他地域に広まったりすることもあったのでしょうか。

[687] 
[[禁裏御料]]や[[公家領]]は、幕藩の施行スケジュールと無関係に、
公家方からの連絡があり次第の[[改元]]施行と考えるのが自然ですが、
実際はどうだったのでしょう。

[688] 
[[寺社]]や[[寺社領]]はどうだったのでしょう。
多くの[[寺社]]は[[江戸幕府]]の[[寺社奉行]]方面から[[改元]]施行連絡がありそうですが、
どうでしょうか。
[[朝廷]]や[[公家]]との結び付きが強い寺社(領)は[[朝廷]]ルートだったりするのでしょうか。

[15] [[薩摩藩]]の[[属国]]である[[琉球国]]へは[[薩摩藩]]から通告があったと思われます。
[SEE[ [[南西諸島の日時]] ]]

[16] 
[[松前藩]] (時代によっては[[江戸幕府]]や諸藩) 
の管下である[[アイヌ人]]へは[[松前藩]]等から通告があったのでしょうか。
[SEE[ [[北日本の日時]] ]]


[13] 
[[出島]]の[[蘭国]]使節や[[開国]]後の諸国[[公使]]への通告はどうだったのでしょう。

[14] 
[[朝鮮通信使]]についてはその滞在中に[[改元]]は好ましくないと延期された事例があるようです。
[[朝鮮国]]へは通告がなかったのでしょうか。
(関連: [SEE[ [[外交文書の日時]] ]])




[672] 正式発表前に売って処罰された事案 [SEE[ [[宝永]] ]]

[684] [[藩]]を巻き込んだ改元デマ騒動: [[慶喜]]

[673] [[永長]]

[444] [CITE[2018_kaigen_pamphlet.pdf]], [TIME[2021-04-28T12:00:55.000Z]], [TIME[2021-04-28T12:08:37.163Z]] <https://archives.pref.kanagawa.jp/www/contents/1552954521928/simple/2018_kaigen_pamphlet.pdf#page=16>


- [448] [CITE@ja[法律案審議録(元号法案 その1) 昭和54年第87回[[国会]] 総理本府関係 1]] ([[独立行政法人国立公文書館 | NATIONAL ARCHIVES OF JAPAN]]著, [TIME[2018-06-12 23:56:17 +09:00]]) <https://www.digital.archives.go.jp/das/image/M2011021814402318057>
PDF 180ページ

[584] [[弘前藩日記]]

[402] [CITE@ja[[[福岡通りの三十年]]]]

[FIG(table)[

:o: [[旧元号]]
:n: [[新元号]]
:w: [[西暦]]
:k: [[干支年]]
:s: [[改元日]]
:e: [[江戸城]]
:a: [[盛岡藩]]到着
:m: [[盛岡藩]]施行

:o: 寛永21年
:n: 正保元年
:w: [TIME[1644]]
:k: 甲申
:s: 12/16
:a: 酉1/22
:m: 酉1/22

:o: 正保5年
:n: 慶安元年
:w: [TIME[1648]]
:k: 戊子
:s: 2/15
:a: 3/4卯刻(飛脚)
:m: 3/4

:o: 慶安5年
:n: 承応元年
:w: [TIME[1652]]
:k: 壬辰
:s: [ASIS[9/28][正しくは 9/18]]
:a: 10/8
:m: 10/8

:o: 明暦4年
:n: 万治元年
:w: [TIME[1658]]
:k: 戊戌
:s: 7/23
:a: 8/12 (正式9/12)
:m: 9/12領内通達

:o: 万治4年
:n: 寛文元年
:w: [TIME[1661]]
:k: 辛丑
:s: 4/25
:a: 5/19
:m: 5/19領内通達

:o: 寛文13年
:n: 延宝元年
:w: [TIME[1673]]
:k: 癸丑
:s: 9/21
:a: 10/7
:m: 10/7領内通達

:n: 享和元年
:e: 2/13
:a: 2/23
:m: 2/23用人等,
2/25諸士・一般
2/25施行

:o: 天和4年
:n: 貞享元年
:a: 3/8
:m: 3/8

]FIG]

[484] 
[[江戸城]]に大名有司が総登城、新元号が申し渡されました。
国許に飛脚で報知、
諸係には即日通知、
領内には翌日以降布告となることが多く、
それ以後領内で新元号が用いられました。
[SRC[>>402 p.171]]

[485] 貞享元年3月8日
「[V[今日より証[BR[]]文等ニ貞享と相調可申由被  仰付之]]」
即日実施の珍しい例。
[SRC[>>402 p.172]]

[486] 
通例[CITE[雑書]]に[[改元]]記事があるが、万治4年・寛文元年にはない。
(本書本文にある伝達日は別出典?)

[488] [CITE[JCDP]], [TIME[2021-06-28T12:25:05.000Z]] <https://jcdp.jp/daily-diary-weather-records-jp/>

[680] [[花巻]]: [SEE[ [[「曆」のなかに記されている記録]] ]]

-[532] [CITE@ja-JP[鹿児島県史料 旧記雑録追録 第1巻 - 国立国会図書館デジタルコレクション]], [TIME[2022-12-21T08:14:19.000Z]], [TIME[2022-12-23T07:15:15.635Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9769736/1/71>
-[540] [CITE@ja-JP[鹿児島県史料 旧記雑録追録 第1巻 - 国立国会図書館デジタルコレクション]], [TIME[2022-12-21T08:14:19.000Z]], [TIME[2022-12-23T07:26:50.214Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9769736/1/125>
-[541] [CITE@ja-JP[鹿児島県史料 旧記雑録追録 第1巻 - 国立国会図書館デジタルコレクション]], [TIME[2022-12-21T08:14:19.000Z]], [TIME[2022-12-23T07:27:42.496Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9769736/1/126>
-[535] [CITE@ja-JP[鹿児島県史料 旧記雑録追録 第1巻 - 国立国会図書館デジタルコレクション]], [TIME[2022-12-21T08:14:19.000Z]], [TIME[2022-12-23T07:18:03.681Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9769736/1/195>
- [543] [CITE@ja-JP[鹿児島県史料 旧記雑録追録 第1巻 - 国立国会図書館デジタルコレクション]], [TIME[2022-12-21T08:14:19.000Z]], [TIME[2022-12-23T07:30:13.032Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9769736/1/198>
-[536] [CITE@ja-JP[鹿児島県史料 旧記雑録追録 第1巻 - 国立国会図書館デジタルコレクション]], [TIME[2022-12-21T08:14:19.000Z]], [TIME[2022-12-23T07:19:12.793Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9769736/1/199>
-[544] [CITE@ja-JP[鹿児島県史料 旧記雑録追録 第1巻 - 国立国会図書館デジタルコレクション]], [TIME[2022-12-21T08:14:19.000Z]], [TIME[2022-12-23T07:30:43.640Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9769736/1/231>
-[545] [CITE@ja-JP[鹿児島県史料 旧記雑録追録 第1巻 - 国立国会図書館デジタルコレクション]], [TIME[2022-12-21T08:14:19.000Z]], [TIME[2022-12-23T07:31:07.257Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9769736/1/366>
-[537] [CITE@ja-JP[鹿児島県史料 旧記雑録追録 第1巻 - 国立国会図書館デジタルコレクション]], [TIME[2022-12-21T08:14:19.000Z]], [TIME[2022-12-23T07:19:48.094Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9769736/1/372>
-[538] [CITE@ja-JP[鹿児島県史料 旧記雑録追録 第1巻 - 国立国会図書館デジタルコレクション]], [TIME[2022-12-21T08:14:19.000Z]], [TIME[2022-12-23T07:20:20.460Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9769736/1/421>
-[539] [CITE@ja-JP[鹿児島県史料 旧記雑録追録 第1巻 - 国立国会図書館デジタルコレクション]], [TIME[2022-12-21T08:14:19.000Z]], [TIME[2022-12-23T07:20:47.937Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9769736/1/424>
-(要登録)

- [546] [CITE[6756_20221202140631-1.pdf]], [TIME[2022-12-13T06:00:54.000Z]], [TIME[2022-12-23T08:34:05.440Z]] <http://www.pref.kagoshima.jp/ab23/reimeikan/siroyu/documents/6756_20221202140631-1.pdf#page=163>

[549] [CITE[h31-04.pdf]], [TIME[2019-07-31T04:46:20.000Z]], [TIME[2022-12-25T09:29:28.858Z]] <http://archives.pref.yamaguchi.lg.jp/user_data/upload/File/smallexhibition/h31-04.pdf>

[590] [CITE@ja[『れきナビ』講座:八潮の資料で学ぶ 元号(年号) - 『れきナビ―やしお歴史事典』]], [TIME[2023-10-31T00:51:00.000Z]], [TIME[2023-12-18T06:42:07.328Z]] <http://yashio-rekinavi.com/reki-navi/index.php?title=%E3%80%8E%E3%82%8C%E3%81%8D%E3%83%8A%E3%83%93%E3%80%8F%E8%AC%9B%E5%BA%A7:%E5%85%AB%E6%BD%AE%E3%81%AE%E8%B3%87%E6%96%99%E3%81%A7%E5%AD%A6%E3%81%B6_%E5%85%83%E5%8F%B7(%E5%B9%B4%E5%8F%B7)>

[594] [CITE@ja[阿子田家(1)1 - 岐阜県公式ホームページ(歴史資料館)]], [TIME[2023-12-24T08:19:35.000Z]], [TIME[2023-12-24T09:10:03.443Z]] <https://www.pref.gifu.lg.jp/page/415.html>

>
,(安政元年)12月26日 	,(当月五日江戸表ニ而年号)安政と改元被仰出候段今日大阪より申来候ニ付)御触書 	,阿子田新太郎 	,沓井村・溝口村・脛永村庄屋組頭中 	,1通 	,阿子田家 1-49



[595] >>590 [[岐阜県]]だけど江戸から大阪経由の改元情報。


[648] [CITE@ja-JP[佐渡年代記 続輯]], [[萩野由之]], [TIME[昭15][1940]], [TIME[2024-02-01T05:12:54.000Z]], [TIME[2024-02-06T02:54:40.312Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1228881/1/114> (要登録)
「改元」で検索

[649] [CITE@ja-JP[佐渡年代記 下巻]], [[佐渡郡教育会]], [TIME[昭11至13][1938]], [TIME[2024-02-01T05:12:54.000Z]], [TIME[2024-02-06T02:58:36.905Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1228891/1/101>
右
/127 左

[650] 
[CITE@ja-JP[佐渡兵制史話]], [[橘正隆 著述]], [TIME[昭和17][1942]], [TIME[2024-02-01T05:12:54.000Z]], [TIME[2024-02-06T03:15:02.206Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1440951/1/21>
左

[651] 
[CITE@ja-JP[佐渡本間遺文桜井家文書]], [[下出積与 編著]], [TIME[1966]], [TIME[2024-02-01T05:12:54.000Z]], [TIME[2024-02-06T03:29:31.512Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/2973491/1/169> (要登録)
左







[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[138] [CITE@ja[庶民の世論が影響? 江戸時代の改元|日経BizGate]]
([[日本経済新聞社]]著, [TIME[2019-04-04 13:49:51 +09:00]])
<https://bizgate.nikkei.co.jp/article/DGXMZO4285708025032019000000?channel=DF150320194919&page=2>
]FIGCAPTION]

>  吉野氏は「各大名を通じて全国に伝達されるまでに改元から2週間から1カ月程度かかった」としている。改元費用は幕府が負担し、江戸時代の後期には全体で200~400石程度の費用が発生したという。

]FIG]


[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[348] [CITE@ja[ノート:[[改元]] - Wikipedia]], [TIME[2020-02-03 12:36:34 +09:00]] <https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88:%E6%94%B9%E5%85%83>
]FIGCAPTION]

>[SNIP[]]
幕府に正式な改元の書類が通達される「公達日」(改元日から約10日後)までは、公的に新元号を使うことは許されず、更に京都を含めた諸国には幕府からの使者が各地の藩や幕府官吏に伝えて彼らの手で公表されると言う形式をとっていたため、宮廷のある京都では改元の事実が直後には町中に広まっていたにも関わらず京都町奉行が改元を公布する日(2週間から1ヶ月後)以前に宮中の外で新元号を使うと偽の年号を使ったとして処罰されるという奇妙な現象が生じた。--[[水野白楓]] 2006年10月30日 (月) 17:05 (UTC) 

]FIG]

[28] 
[CITE@ja-JP[熊本市中央南地区文化財調査報告書 : 昭和50年度~昭和51年度]], [[熊本市文化財調査委員会]], [TIME[1978.3][1978]], [TIME[2025-02-25T01:55:51.000Z]], [TIME[2025-04-17T13:48:53.138Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12706886/1/89?keyword=%E6%94%B9%E5%85%83> (要登録)

[32] 
[CITE@ja-JP[九州史学 (94)]], [[九州史学研究会]], [TIME[1989-03]], [TIME[2025-02-25T01:55:51.000Z]], [TIME[2025-04-17T14:02:16.072Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/4413093/1/18?keyword=%E6%94%B9%E5%85%83> (要登録)


[35] 
[CITE@ja-JP[神道学 (145)]], [[神道学会]], [TIME[1990-05]], [TIME[2025-09-30T02:09:54.000Z]], [TIME[2025-10-12T07:04:32.215Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/2263766/1/21> (要登録)

[41] 
[CITE@ja-JP[西尾市史 2 (古代・中世・近世 上)]], [[西尾市史編纂委員会]], [TIME[1974]], [TIME[2025-10-29T01:48:45.000Z]], [TIME[2025-10-31T08:17:48.988Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9569656/1/424?keyword=%E6%94%B9%E5%85%83%20%E9%81%85%E3%82%8C> (要登録)


[43] 
[CITE@ja-JP[武川村誌 資料編]], [[武川村誌編纂委員会]], [TIME[1989.3][1989]], [TIME[2025-10-29T01:48:45.000Z]], [TIME[2025-11-25T06:01:14.990Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/13245447/1/62?keyword=%E6%94%B9%E5%85%83> (要登録)


[44] [CITE@ja-JP[日本食肉史基礎資料集成 第557輯 (明治屠牛解禁始末 上)]], [['''['''栗田奏二]], [TIME['''['''1996''']'''][1996]], [TIME[2025-10-29T01:48:45.000Z]], [TIME[2025-11-25T06:07:21.275Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/13203643/1/7?keyword=%E6%94%B9%E5%85%83> (要登録)

(目録のみ)

[51] 
[CITE@ja-JP[無休365日 : 随筆]], [[坂田大]], [TIME[1976]], [TIME[2025-12-18T02:09:35.000Z]], [TIME[2026-01-06T06:28:30.206Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12409699/1/48?keyword=%E5%B9%B4%E8%99%9F> (要登録)

[56] 
[CITE@ja-JP[日本史研究 (642);2016・2]], [[日本史研究会]], [TIME[2016-02]], [TIME[2026-03-18T03:11:57.000Z]], [TIME[2026-04-03T16:09:17.936Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/13007329/1/49?keyword=%E6%94%B9%E5%85%83> (要登録)

[25] 
[CITE@ja-JP[かわら版・新聞江戸・明治三百事件 2 (黒船来航から鳥羽伏見の戦い)]], [[平凡社]], [TIME[1978.5][1978]], [TIME[2026-03-18T03:11:57.000Z]], [TIME[2026-04-06T09:34:20.687Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12282447/1/87?keyword=%E6%94%B9%E5%85%83> (要登録)


* 離島への改元伝達

[48] 
容易に予想できるように、[[離島]]への[[改元伝達]]は[[本土]]よりも遅れます。

[50] 
具体的な遅延の程度にはあまり研究が及んでいませんが、いくつかの記録の存在が知られています。


[681] 
[CITE@ja[HokutoCityHometownMuseum_Bulletin_01.pdf]], [TIME[2024-01-10T04:04:45.000Z]], [TIME[2024-05-20T12:12:09.959Z]] <https://www.city.hokuto.hokkaido.jp/fs/1/6/2/7/1/9/_/HokutoCityHometownMuseum_Bulletin_01.pdf#page=21>

>
[LEFT[
松前藩が同様の抵抗排除のための施策を推し進められなかった要因は、何よりも松前が江戸・畿内お[BR[]]
よび西国といった、当時時代の変革の中心地域からあまりにも遠すぎたことが大きい。片道移動すら約[BR[]]
1 か月を要する(このため松前領内には改元の情報が間に合っていない碑文・史書記録などが散見され[BR[]]
る)「距離感」は、今日、同藩域内に当時時勢および洋学的知識に係る具体的資料あるいは情報が断片[BR[]]
すら伝世しないことからも伺える。[SNIP[]]
]LEFT]

(具体的には記載なし)


[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[395] [CITE[[[新島村]]の近世史ー古文書 「御用書物控」に見る天保2年の新島]]
([TIME[2013-10-25 14:49:22 +09:00]])
<https://www.niijima.com/facility/community/hakubutsukan/files/H18_kiyou018_ocr.pdf>
]FIGCAPTION]

> 天保2年(1831)になっても、当初、新島では文政 14年と認識していた。[SNIP[]] 3月 22日、新島の権左衛門船が江戸から持参した伊豆代官田口五郎左衛門の「書付」には「卯二月十三 日jとあって改元の様子は伺えない。十二支の「卯」だけですべて事足りたのである。
> 同じ2月付けで別の「書付」は次の通りであった。
> 「天保
> 右之去寅十二月十六日、年号改元被仰出候間得其意、小前不残様可申聞もの也
> 田口五郎左衛門
> 天保二卯年二月 [SNIP[]]
> 新島には4ヶ月後にもたらされた情報であった。この時代としては改元の情報の伝達はほぼこれが標準であったと思われる。[SNIP[]] かくして、新島での天保期は天保2年4月から幕を開けたので、あった。

]FIG]


@@
[40] 
[CITE@ja-JP[父・加藤清三]], [[加藤四知郎]], [TIME[1994.6][1994]], [TIME[2025-10-29T01:48:45.000Z]], [TIME[2025-10-31T08:17:01.094Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/13307551/1/70?keyword=%E6%94%B9%E5%85%83> (要登録)

[380] 
[[大正改元]]や[[昭和改元]]が[[伊豆諸島]]の[[青ヶ島]]に伝わるまで、
1年近くかかったとされています。
[SEE[ [[大正改元]], [[昭和改元]] ]]

[507] 
[[大正改元]]が[[小笠原諸島]]の[[硫黄島]]に伝わったのは約1ヶ月後でしたが、
たまたま学術調査団が訪問したことによるものでした。
[SEE[ [[大正改元]] ]]


[382] 
やや特殊な事例ですが、
[[チベット]]に滞在していた[[日本人]]は[[大正改元]]を半年後も知りませんでした [SRC[>>383]]
(いつ知ったか不明)。

[381] 
[[平成改元]]の頃には離島でも[[放送衛星]]など何かしらの[[放送]]が受信できたと思われます。
日本全国の人がほぼ同時に新元号を知り得たと思われます。
その発表の翌日に[[施行]]されましたから、
事情があって新元号を知らないまま当日を迎えた人も少数いたことでしょうが、
一般的な生活形態の人々はおおむね即時に知ったのではないでしょうか。

[487] 
[[令和改元]]は施行1ヶ月前の新元号発表が、
[[日本政府]]および民間事業者の[[動画配信サービス]]、 
[[SNS]] の動画配信機能、
[[テレビ放送]]等で全世界に[[生配信]]されました。
[[日本]]の歴史上初めて、
ほとんどすべての[[日本国民]]が新元号を知った状態で施行の日を迎えました。


[553] [CITE@en[Shin Sekai 1912.08.01 — Hoji Shinbun Digital Collection]], [TIME[2023-01-09T02:51:49.000Z]], [TIME[2023-01-09T02:52:56.305Z]] <https://hojishinbun.hoover.org/en/newspapers/tnw19120801-01.1.3>

>改元に就て 桑港総領事館の告示

[REFS[

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[383] [CITE@en[チベット・インディペンデンス2015 - Students for a Free Tibet: 日本]]
([TIME[2017-01-04 13:16:52 +09:00]])
<http://www.sftjapan.org/nihongo:tibetindependence2015>
]FIGCAPTION]

> 明治四十六年一月一日*、 [SNIP[]]
>(矢島保治郎「入藏日誌」チベット文化研究所、1983)
> *明治天皇は1912(明治45)年7月30日に崩御し、元号は大正に変わっていたが、チベット滞在中の矢島保治郎はこのことを知らず、明治46年と記している。実際は大正2(1913)年1月1日

]FIG]


- [361] [CITE[[[元号―年号から読み解く日本史―]]]]
]REFS]


[HISTORY[

[351] 
[CITE[Wikipedia]] が[[漢土]]での[[改元伝達]]を解説した >>2 >>349 の記述には、
その後の改訂で
「日本も南北東西に長く、特に北海道と沖縄県を編入した明治初期以降はますます日時較差は開くことになる。交通の不便な離島は数ヶ月以上遅延したこともあった。」
との注記が挿入されました [SRC[>>284]]。

[17] 
「国土の大きい」に引きづられてここに挿入されたのでしょうか。
解説文の体裁として不自然な挿入にみえますが、それは編集方針によるところなので置くとしても、
この記述には問題があります。

[18] 
[[北海道]]が設置されたのは[[明治時代]]であっても、
この地域はそれ以前から[[日本領]]でした。
むしろ[[北樺太の喪失][ロシアの東方侵略]]がため[[大正改元]]の方がそれ以前より距離は短くなっていました。
[SEE[ [[北日本の日時]] ]]

[19] 
[[沖縄県]]の地域も元より[[薩摩藩]]の属国でした。
民衆まで[[日本の元号]]が知られていたかは疑問としても、
王府に[[改元]]が伝えられたことは確かでしょう。
[SEE[ [[南西諸島の日時]] ]]

[22] 
「数ヶ月以上遅延した」という「交通の不便な離島」が具体的にどこを指すのかは定かではありません。
この書き方だと[[千島列島]]を含む[[北海道]]や[[沖縄県]]の離島のようにも思われますが、
(主に研究の不十分が理由で) これらの地域への[[改元伝達]]の「遅延」
の実態は明かされていません。 [CITE[ウィキペディア]]の著者がそうした研究を知っているなら、
出典として明示するべきでしょう。

[23] 
[[北海道]]でも[[沖縄県]]でもない[[南方諸島]]についての事例はいくつか知られていますが
[SRC[>>395, >>380, >>507]]、
「数ヶ月」という表現にピッタリ合うものがなく逆に違和感がありますし、
「明治初期以降」に「較差」が開くという説明とは矛盾します。



[20] 
交通と通信が発達した[[明治時代]]以後に
「ますます日時較差は開く」
とする根拠にはどちらもなり得ません。

[21] 
こうした説明で例に挙げるなら新領土の[[台湾][日本領台湾]]、
[[朝鮮][日本領朝鮮]]、
[[南洋群島]]のほうが適切でしょうが、
これらとて交通と通信の発達を勘案しなければ結論を出し得ませんし、
理論的な国土の大きさではなく実態を実例に基づき解説するべきです。



]HISTORY]


* 漢土の改元伝達

[2] 
[[支那王朝]]では[[元号]]制度確立以前の[[即位紀年][支那式即位紀年]]の頃から[[踰年改元]]が行われました。
[[明国]]、[[清国]]時代は原則[[踰年改元]]でした。
[[支那王朝]]では全国への周知に時間がかかるため[[踰年改元]]が現実的な方法で、
[[服喪]]の意味もありました [SRC[>>298]]。
とするのが [CITE[Wikipedia]] の説ですが、出典は示されていません。
[WEAK[([CITE[Wikipedia]] 記事は全般的に信憑性が疑われます。 [SEE[ [[改元の時期]>>346] ]] )]]
この説が成立するためには事前に新元号と[[改元日]]を発表し全国に伝達していなければなりません。
[[中国大陸]]における[[改元]]の伝達の実態が研究されているのか不明です。
[SEE[ [[改元の時期]>>48] ]]

[349] 
[CITE[Wikipedia]]
は、[[中国大陸]]では
「国土の大きい中国の場合、布告の周知徹底には時間が長引くため、
新元号の発表と同時に全土で改元を実施することは困難であり、4が現実に即していた」
(4 は「越年改元」)
と述べていました [SRC[>>298]]。
この説の出典も記されておらず真偽は不明で、
かつ[[改元]]が全国一斉実施されるとの前提にたっています。

[24] 
新[[皇帝]]の即位が年末近くに行われていても、
翌々年まで[[改元]]されないということはなく、
翌年には[[改元]]されるケースばかりのようにみえます。
情報伝達の速度が理由だとするとこれは不自然ではないでしょうか。




;; [350] [[日明貿易]]時代の[[室町幕府]]や、
[[琉球王国]]で[[支那の元号]]の[[改元]]の情報を即時に把握できなかったらしい痕跡はありますが、
特殊な例かもしれません。
[SEE[ [[元号の選択]]、[[南西諸島の日時]] ]]


[REFS[

- [298] [CITE@ja[[[改元]] - [[Wikipedia]]]] ([TIME[2015-12-14 01:00:03 +09:00]] 版) <https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%94%B9%E5%85%83>
-- [284] 
[CITE@ja[「改元」の版間の差分 - [[Wikipedia]]]] ([TIME[2019-05-19 16:15:54 +09:00]]) <https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E6%94%B9%E5%85%83&type=revision&diff=72236042&oldid=72230553>
--- [65] 
[CSECTION[2019年4月2日 (火) 23:17時点における版]],
[[Kyuri1449]]
---- [341] [CSECTION[改元の基準点について]],
[[Kyuri1449]],
2019年4月2日 (火) 23:25 (UTC),
[CITE@ja[ノート:[[改元]] - Wikipedia]], [TIME[2020-02-06 11:40:03 +09:00]] <https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88:%E6%94%B9%E5%85%83#%E6%94%B9%E5%85%83%E3%81%AE%E5%9F%BA%E6%BA%96%E7%82%B9%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6>

]REFS]


[483] 
[[1960年代]]、
[[中華人民共和国]]の考古学研究者[[陳夢家]]は、
[[西域]]出土の[[漢簡]]を分析し、
[[改元]]詔書が約1ヶ月で到着したと推定しました。
記録のない改元日はそこから逆算して時期を推定しました。
21世紀、
[[中華人民共和国]]の歴史学研究者[[辛徳勇]]は、
[[陳夢家]]の手法を発展させ、
改めて[[漢]]の時代の改元時期を推定しました。
[SRC[>>1046 p.122]]

[REFS[
- [1046] 
[CITE[建元[ASIS[与][G]]改元:西汉新莽年号研究]],
[[辛德勇]],
2013年7月北京第1[ASIS[版][G]],
2020年5月北京第4次印刷
-- [1044] 
[CITE[建元与改元:西漢新莽年号研究]],
[[辛徳勇]]
-- [1045] [CITE@es-us[[[Amazon]].com: 中华学术文库·建元与改元:西汉新莽年号研究: Books]], [TIME[2021-06-21T08:50:39.000Z]] <https://www.amazon.com/exec/obidos/ASIN/B00DXL94NC/wakaba1-22/>
]REFS]


[SEE[ [[西域方面の元号]] ]]

[SEE[ [[朝鮮半島の元号]] ]]


* 改元前後の年月日表現

[SEE[ [[改元の時期]] ]]

* 外国への改元の通知

[5] 
[[近現代]]になると[[外交ルート]]で各国政府へも[[改元]]が通知されるようになりました。
[SEE[ [[改元手続き]] ]]

[6] 
前近代には、[[中華秩序]]的な問題もあって ([SEE[ [[元号制定権]] ]])
むしろ[[外国]]への正式な文書には[[元号]]を使わないことが多く 
([SEE[ [[外交文書の日時]] ]])、
[[外国]]の[[元号]]の情報は民間の留学や商取引などに伴うやり取りや[[史書]]、[[年代記]]等による偶発的な情報交換で伝わっていたようです。

;; [7] 
そのため前近代の書物の[[外国]]の[[元号]]の情報は不正確なことが多いです。
[SEE[ 各国の[[元号]]の項、[[幽霊元号]]など ]]

* メモ