[16] 
[DFN[承得]]、[DFN[豕得]]、[DFN[豕徳]]は、[[日本の公年号]]の1つ[[承徳]]の異表記です。

* 用例

[136] 同時代用例の可能性が高いものが3点報告されており、その他にも若干の用例が見られます。

** 岩手県下の用例

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [4] [DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[岩手県]][[和賀郡]][[東和町]]]]成島毘沙門堂 伝阿弥陀如来像]]
-- [5] [[平成の大合併]]により[[花巻市]]
-- [6] 十一面像の首差し替え [SRC[>>2]]
-- [167] >>165 : [[同音異字年号]] [L[1]] 
-- [7] 
[DATA(.label)[胎内墨書真言銘]]
--- [33] >>31 : 白黒写真 (解像度中の上)
--- [49] >>47 : 白黒写真 (解像度中の下) 字形の雰囲気はわかるが細部はわからない
--- [23] >>8 : [[手書き]] [[翻刻]]
--- [32] >>31 : [[手書き]] [[翻刻]]
--- [48] >>47 : [[明朝体]] [[翻刻]]
--- [35] 「[DATA(.text)[[V[豕得二年十二月十日]]]]」 
[SRC[>>32]]
--- [10] 「[DATA(.text)[[V[承得二年十二月十日]]]]」
[SRC[>>23, >>11, >>45, >>48, >>167]]
--- [9] [DATA(.text)[豕徳二年]]
[SRC[>>2]]
-- [50] 
[DATA(.label)[背板内面墨書銘]],
享保5年
--- [52] >>11 : 部分引用
--- [51] >>47 : 部分引用

]ITEMS]

[17] 
この像は、
昭和31年 [SRC[>>58]]
に解体調査され、
銘文が知られました。
[SRC[>>11]]
銘文の存在自体は既に知られていたとされます [SRC[>>11]]
が、調査を行った[[亀田孜]]によると
[CITE[二郡見聞私記]]
の記述による [SRC[>>58]] ようです。

[18] 
銘文は、享保5年の修理についての漢字銘文と、
[[真言]]の[[音訳]]漢字の銘文とがあります。
[SRC[>>11]]



[21] 
像の本体や真言銘文の様式は、[[承徳]]時代頃のものとされます。 [SRC[>>11, >>45, >>47]]




[14] 
[[真言]]銘文は、[TIME[1958-10-30]]に[[司東真雄]]がそれまで紹介されてこなかった、
として全文を掲載しています。 [SRC[>>8]]
一部は[[司東真雄]]自身が前年[TIME[昭和32(1957)年][1957]]の論文で触れており、
判読に関して注意を要した点もそちらに記載があります。
[SRC[>>11]]

[15] 
実見している[[司東真雄]]の論文や地元文化財行政の報告書などでも、
「豕徳」
「豕得」
「承得」
と表記が揺れていますが、事情の説明がなく理由は不明です。
[CH[豕]]/[CH[承]]は原字形に近づけたものかもしれませんが、
[CH[得]]/[CH[徳]]はどうしたものでしょう。

[22] 
>>33 は白黒かつ印刷上やや字形が正確に読み取りづらいものの、
およその雰囲気はよく見えます。

[36] 
それによると、銘文は全体として比較的崩れていない[[楷書]]で書かれています。

[38] 2字目は明らかに[CH[得]]です。[CH[寸]]の部分が少々現行の標準字形と異なりますが、
筆記では普通にあり得る程度の変形です。

[37] 1字目は、ちょうど素材の色の違いなのか影になっているのか分かりづらい部分に重なりはっきりしませんが、
概形としては[CH[豕]]のようになっています。ただし、左の[CH[ノ]]字型の点画群の部分が不明瞭です。

[174] 
>>165 の[L[挿図15]]に銘文該当部分の白黒写真 (解像度中の下) があります。
「[L[同上胎内銘[BR[]](承得二年)]]」
としか説明がありません。
あたかも実際の銘文のように誤解してしまいそうですが、
実物の写真ではなく[[手書き]]で[[銘文]]を示したものであり、
文字配置は実物に倣おうとしているものの、
字形の細部までは忠実な模写ではありません。

[175] 
[[胎内銘]]の確認は容易ではないので、著者の実見とも思われません。
消去法で 
>>170
掲載のものからの転載ではないかと推測されます。

[176] >>174 では、1字目は[CH[豕]]に近い字形ですが、内側の[CH[ノ]]は2本でなく1本に見えます。


** 広島県下の用例

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [132] [DATA(.label)[[CITE[安芸国徴古雑抄]] ([[厳島文書]]) [CITE[橘頼時田地買券]]]]
-- [135] [[国文学研究資料館]]史料館所蔵 [SRC[>>131]]
-- [133] >>131 : [[厳島文書]] [CITE[安芸国徴古雑抄]] [V[五六]]
-- [134] 
「[DATA(.text)[[V[承得三年四月六日]]]]」
[SRC[>>131]]

]ITEMS]


[REFS[

- [131] 
[CITE@ja-JP[広島県史 古代中世資料編 5]], [[広島県]], [TIME[1980.3][1980]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-05-15T09:26:18.732Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9574623/1/709?keyword=%E6%89%BF%E5%BE%97> (要登録)
-
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[3] 
[CITE[平安遺文フルテキストデータベース - 検索]], [TIME[2026-05-15T14:28:14.000Z]] <https://wwwap.hi.u-tokyo.ac.jp/ships/w09/search?keyword=%E6%89%BF%E5%BE%97&resultoption=%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%80%E3%83%B3%E3%82%B9%E8%A1%A8%E7%A4%BA&page=1&itemsperpage=200&sortby=jc_date&sortdesc=false&sortitem=%E5%92%8C%E6%9A%A6%E5%B9%B4%E6%9C%88%E6%97%A5%EF%BC%9A%E6%98%87%E9%A0%86>
]FIGCAPTION]

>
,1, 承徳3年4月6日	,件、依為後日渡進以解、   ,承得(徳)三年四月六日   , 橘	,未収	,337	,徴古雑抄(厳島神社文書)	,4/0

]FIG]

]REFS]


** 福岡県下の用例

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [53] [DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国][[福岡県]][[福岡市]][[早良区]][[西油山]]]]経塚出土[[經筒]]]]
-- [117] >>115 : [L[114]]
-- [129] >>127 : [L[140]]
-- [168] >>165 : [[同音異字年号]] [L[2]] 
-- [54] [DATA(.label)[外筒刻銘]]
--- [101] >>100 : 白黒写真 (中解像度)
--- [88] >>85 : 白黒写真 (解像度上の下)
--- [126] >>124 : 部分白黒写真 (中解像度)
--- [152] >>150 : 部分白黒写真 (中解像度) 他と微妙に違う角度からの撮影
--- [113] >>112 : 拓影 白黒写真 (解像度中の上) 字形はわかりやすい
--- [122] >>120 : 拓影 白黒写真 (中解像度) 
--- [87] >>105, >>85, >>100, >>103, >>110, >>112, >>115 : 銘文 [[明朝体]] [[翻刻]]
--- [86] 「[V[[DATA(.text)[承得三年[LINES(smaller)[歳次][己卯]]九月[BR[]]廿八日]]奉供養次月廿八日]]」
[SRC[>>87]]
--- [169] 「[V[承得三年[LINES(smaller)[歳次][己卯]]九月廿八日]]」
[SRC[>>168]]
--- [55] 「承得三年[LINES(smaller)[歳次][己卯]]九月」
[SRC[>>47 ([CITE[平安遺文金石文編]])]]

]ITEMS]


[142] 
[[油山]]は寺院もある地です。[[大正]]の頃から多くの[[経筒]]が発見されたといい、
そのうちの一部は現所蔵者宅へと持ち込まれました。
[SRC[>>139]]

[89] 
[TIME[1939-05-27]]に[[重要文化財]]指定され、
[[福岡県]][[福岡市]][[中央区]][[舞鶴]]で所蔵されています。
[SRC[>>85]]

[90] 
銘文は >>88 で比較的細部までよく読み取れます。
印刷の加減のためか部分的に字形が読み取りづらいところもありますが、
全体的に字画が明瞭です。おおむね点画のはっきりした[[楷書]]ですが、
一部の字画がつながっているところもあります。

[91] 
[[元号名]]の2字目は現在の標準字形とは少々異なるものの、[CH[得]]であることが明らかです。

[92] 
[[元号名]]の1字目は、上部がやや不明確ですし、現在の標準字形とはかなり違うものの、
いろいろな字形で書かれる[CH[承]]の一種と考えても差し支えないように見えます。

[99] 
承徳3年8月28日[[改元]]なので、+1ヶ月の[[延長年号]]です。

[96] 
>>55 は[CITE[平安遺文]]を出典としていますが、なぜか[[史料編纂所]]の全文検索では結果が見当たりません。
[TIME[2026-05-15T14:32:52.900Z]]

** 文献の用例

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[159] 
[CITE@ja[イェール大学所蔵日本関連資料調査プロジェクト Japanese Manuscript調書]], [TIME[2026-05-15T10:21:13.000Z]] <https://www.hi.u-tokyo.ac.jp/exchange/yale/sub_page/JMresult_D.html>
]FIGCAPTION]

>
[PRE[
三 「中右記 自永長元年至承得元年 十四―十九」
7「中右記 十四永長元嘉保三年自正月至三月 十五永長元年夏 十六嘉保三年七八九月」(表紙に小池・広池・中村校、とアリ)(十六の奥書「一校、/右嘉保三年秋一冊、以九条道孝蔵本謄写、五等掌記樹下茂国校、/明治十六年九月廿日、八等掌記名倉信敦再校、」)
8「中右記 嘉保三年十月十一月十二月 十七」(表紙に千住訓点、とアリ)(奥書「一校了/右嘉保三年冬一冊、以九条道孝蔵本謄写、明治十六年九月廿日、八等掌記名倉信敦校、」)
9「中右記 十八承得元年一二三月 十九同年四五六七八九十十一十二月」(表紙に下村・千住校、とアリ)(十八の本奥書「宝治三年正月抄出了(花押影)」、十八の奥書「一校了、右承徳元年春一冊、以九条道孝蔵本謄写、五等掌記樹下茂国校、」、十九の四五月末の本奥書「宝治三年正月卅日夜、於灯下少々抄出了(花押影)」、十九の本奥書「宝治三年正月抄出了(花押影)」、十九の奥書「一校畢/右承徳元年四月五月秋冬一冊、以九条道孝蔵本謄写、明治十六年九月廿六日八等掌記名倉信敦校」)
  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
四 「中右記 自承徳二年至康和四年 十―二十五」
10「中右記 二十承徳二年自正月至八月 二十一同年冬」(表紙に中村・雛田校、とアリ)(三月の本奥書「承徳二年春、宝治三年二月一日抄出了(花押影)」、三月の奥書「一校畢、」、二十の奥書「右承徳二年春夏七八月一冊、以九条道孝蔵本謄写、明治十六年九月十九日八等掌記名倉信敦校」、二十一の本奥書「宝治三年二月一日抄出了、一校了、」)
]PRE]
]FIG]

-*-*-

[69] [[承德]]を[[承得]]に[[誤植]]したものか :

[REFS[

- [68] [CITE@ja-JP[國文学史綱要]], [[福井一高, 國文學研究會]], [TIME[1949]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-05-15T07:23:30.003Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12862963/1/21?keyword=%E6%89%BF%E5%BE%97> (要登録)

]REFS]

[138] 
活字本で現在知られているのは1例のみです。一般に、誤植しがちな[[漢字]]だと似た用例が大量に出て来がちなのと比べると、
近現代にはさほど間違われないようです。



* 諸説

[81] >>4 の[[元号名]]1字目 (>>37) が何であるかは必ずしも自明ではなく、
検証を要すると考えられます。

[82] しかるに、[[昭和時代]]に再発見した現地の研究者らの論文は表記が安定せず、
十分な検討を経ずに[CH[承]]と同定しています。その後の研究者らは無批判に[CH[承]]を所与の前提としています。

[83] 
本来なら実物や精細な写真に基づいて検討するべきですが、 [[Web]] 上で見られるものによれば、
[[楷書]]の[CH[豕]]に近い、しかし厳密には異なりそうな字形をしています (>>37)。
[CH[承]]がこうした[[字形]]になることはあり得そうですが、
類例を求めて実証することが望ましいと考えられます。

[84] 
[[楷書]]でなく[[崩し字]]であれば、[CH[承]]が
([CH[豕]]そのものは見つけられませんが、) 
[[崩し字]]の[CH[豚]]の[[旁]]と酷似する事例があるようです。
従って[[草書]]を経由した[[字形]]が使われていたとも考えられます。
あるいはもっと単純に、似たような[[字形]]なら何でも良いという感覚だったとも考えられます。


[93] 
>>53 の[[元号名]]1字目 (>>92) も、[CH[承]]と考えて問題無さそうではありますが、
念のため類例を探して確信を得ておきたいところです。

[94] 
銘文の表記の確定はその後のすべての検討の大前提になるのですから、
こうした作業が疎かにされ、[[明朝体]]の[[字形]]しか見ないで話が進められるようにも思われる現状は問題です。

-*-*-

[189] 
ほとんど全ての研究や言及は、[[承得]]が[[承徳]]であるとの立場を取っており、
[[江戸時代]]から現在に至るまでの通説といえます。
しかも、その大部分がこれをほとんど自明の事実、
あるいは先行研究で証明された解決済みの問題のように扱っていて、
まったく疑問を挟んでいません。

[188] 
現在までに少なくても3点の同時代用例の可能性が高い用例が知られていますが、
従来のほとんどの研究がこれらを独立に扱っています。わずかに
>>163 と >>56
(偶然にもどちらも昭和42年)
が3点中2点を検討しているに過ぎず、
その両者も
>>4
の検討に
>>53
を付け足したような不均衡感が否めません。

[190] 
>>4 
については様式と時代が合うことをいくつかの論文が明記していますが、
>>53
や
>>132
については不明のままです (少なくても[[元号]]の解釈と関係する形では論じられておらず、
銘文日付と独立して編年的な評価が成された明確な記録が見当たりません)。

[191] 
一応この通説で大きな矛盾は生じていないようで、他に代替となる説もなく、
検討しても通説の訂正が必要になる可能性は高くありませんが、
論理の脆弱な結論だけが独り歩きしている現状は健全ではありません。

-*-*-

[192] 
いくつかの文献は[[承得]]を[[承徳]]の誤りだとしています。しかし、
誤りだとする明確な根拠を示しているものは見当たりません。

[193] 
[[久保常晴]]の[CITE[日本私年号の研究]]は、
[[承得]]などを[[公年号]]の変形である[[同音異字年号]]に分類し、
[[私年号]]でない[[異年号]]としています。
[[承得]]に着目した議論ではなく全体に対してですが、
[[公年号]]の軽視から表記の揺れが生じ、
やがて[[私年号]]が生まれる土壌となったと論じていますが、
この論理の中で[[承得]]はその最初期の事例の1つに当たります。

[194] 
こうした議論のためには、[CH[徳]]が[CH[得]]と表記されることが、
当時の表記慣習においてどう位置付けられるのかをまず確認しておく必要があります。
一般の文章でこうした異表記があり得るのか、あるとしたらどういう文脈で、
どのような意図がある (又は無い) のか、一般の文章と[[元号名]]ではそれに違いは観察できるか、
といった検証が不可欠なのです。それは決して容易ではなく、推測を大いに含むことになるでしょうが、
それでも欠けていては >>192 や >>193 のような議論は意味をなしません。しかし、
([[承得]]以外でも) ほとんど行われていないのが現状です。

[195] 
一般論としていえば、現在と異なる前近代の表記体系では、こうした同音の漢字の利用はありふれており、
[CH[徳]]と[CH[得]]は[[字形]]の雰囲気も類似していますから、交換は大いにあり得そうなものです。
あたかも常識のように[[承得]]を[[承徳]]の同義語と処理した研究者達も、
そうした前近代文章読解の「常識」に依拠している可能性が高いと考えられます。


* 研究史

** 近世奥州

[19] 
[TIME[享保5(1720)年3月15日][kyuureki:1720-03-15]]開眼、
住職[[了然房宥覚]]と記載のある漢字銘 (>>18) には、
当像が六百余年を経て破損した旨の記載があります。
この記述から、
[[了然房宥覚]]が[[藤原時代]]の[[元号]]だと解釈したことが知られます。
[SRC[>>11]]

[59] 
[[文政]]頃 [SRC[>>60]] ないし[[天明]]頃 [SRC[>>58]]
の成立かと言われる[[和田甚五兵衛氏武]]の
[CITE[二郡見聞私記]]
[SRC[>>58]]
に、

>
[SNIP[]]歳月の記あり、
承[RUBY[得][(德)]]二年十二月十日坂上長此下の字見得す永の字か承の字か定かならず、
承得二年より天明八年まで七百五年に成、[SNIP[]]

と記述があります。
[SRC[>>60]]

[61] >>60, >>58 とも括弧書きで[CH[德]]を併記していますが、校訂者の注釈でしょうか。

[62] [[和田氏武]]は、
[TIME[天明8(1788)年][1788]]の705年前が承得2年としており、
天明8年頃にこの部分を書いたと思われます。
1788 - 705 は 1083 で、

- [63] [TIME[永保2(1082)年壬戌][1082]]
- [64] [TIME[永保3(1083)年癸亥][1083]]
- [65] [TIME[永保4(1084)年甲子 = 応徳元年][1084]]

頃になります。

- [66] [TIME[承徳2(1098)年戊寅][1098]]

は 1788 - 1098 = 690 で、15年という中途半端なずれがあり、誤算とも考えにくく、
[[承德]]を想定していたのかは定かでありません。


[REFS[

- [60] 
[CITE@ja-JP[南部叢書 第9冊]], [[太田孝太郎 等校]], [TIME[昭和2-6][1931]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-05-15T06:25:10.790Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1179288/1/133?keyword=%E6%B0%B8%E5%BE%97>

]REFS]

** 近代福岡

[108] 
[TIME[昭和15(1940)年][1940]]の[[橋詰武生]]の書籍は、
[[德]]を論じ、「德は得なり」と題して語っている部分において、
[[經筒]]を考古学的に調査した自身の経験を述べています。
>>53
に明らかに「承得三年」云々の銘文を実見したとし、
これは日本での1混用例であり、
[[承得]]は[[承德]]であることは「[V[勿論]]」
と断定しています。
[SRC[>>109, >>107]]

[119] 
[TIME[昭和7(1932)年][1932]]の[[橋詰武生]]の論文に銘文があります。 [SRC[>>118]]
解釈は示されていません。

[REFS[

- [118] 
[CITE@ja-JP[筑紫史談 57]], [[筑紫史談会]], [TIME[1932-12]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-05-15T09:07:31.036Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1486176/1/30?keyword=%E6%89%BF%E5%BE%97> (要登録)
- [109] 
[CITE@ja-JP[日本精神概説]], [[橋詰武生]], [TIME[昭和15][1940]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-05-15T08:52:19.632Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1054652/1/11?keyword=%E6%89%BF%E5%BE%97> (要登録)
- [107] 
[CITE@ja-JP[皇統を仰ぎて]], [[橋詰武生 述]], [TIME[昭和15][1940]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-05-15T08:49:00.154Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1030101/1/15?keyword=%E6%89%BF%E5%BE%97> (要登録)

]REFS]

** 昭和岩手

[20] 
[TIME[昭和32(1957)年][1957]]、
[[日本国]][[岩手県]]の歴史研究者[[司東真雄]]は、
[[承得]]について、[CH[徳]]の[[音仮借]]字の[CH[得]]を使った[[元号名]]と解釈しました。
[SRC[>>11]]

[24] 
[TIME[昭和33(1958)年][1958]]、
[[司東真雄]]は、
銘文を[[承得]]とする一方本文では[[豕得]]とし、
[[豕得]]は[[承徳]]で、[[音假借]]であり[[行假借]]だとしました。
[SRC[>>8]]

[43] 
[TIME[昭和54(1979)年][1979]]、
[[司東真雄]]は、
[[音仮借年号]]の1例として[[豕得]]は[[承得]]だとしました。
[SRC[>>42]]

[25] 
[TIME[昭和60(1986)年][1987]]、
[[司東真雄]]は、
[[音仮借年号]]の1例として[[豕徳]]は[[承徳]]だとしました。
[SRC[>>2]]

[26] 
[[音仮借]]/[[行仮借]]は[[司東真雄]]がよく用いていた概念です。
[SEE[ [[音仮借]] ]]



[REFS[

- [12]  
[CITE@ja-JP[岩手の歴史論集 1 (古代文化)]], [[司東真雄]], [TIME[1978.10][1978]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-05-14T14:36:26.959Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9537785/1/144?keyword=%E9%9F%B3%E4%BB%AE%E5%80%9F> (要登録)
-- [11] 
[DFN[[CITE[[V[成島毘沙門堂内菩薩像の銘文が示唆するもの[BR[]][WEAK(smaller)[―「承得二年」銘を中心として―]]]]]]]]
--- [13] 初出:
[CITE[[[岩手史学研究]] 三〇号]],
[[岩手史学会]],
昭和32年10月
--- [173] 図は省略されている
- [8] 
[CITE@ja-JP[猿ケ石叢書 第23輯]], [[土沢郷土研究会]], [TIME[1958]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-05-14T14:31:14.445Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/3041891/1/22?keyword=%E6%89%BF%E5%BE%B3+%E6%89%BF%E5%BE%97> (要登録)
- [42] 
[CITE@ja-JP[岩手の歴史論集 2 (中世文化)]], [[司東真雄]], [TIME[1979.11][1979]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-05-14T16:02:24.545Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9538754/1/283?keyword=%E6%89%BF%E5%BE%97> (要登録)
- [2] 
[CITE@ja-JP[岩手の石塔婆 : 東北型の板碑文化]], [[司東真雄]], [TIME[1985.10][1985]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-05-09T09:32:17.604Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12261033/1/134?keyword=%E6%89%BF%E5%BE%B3> (要登録)

]REFS]

-*-*-


[67] 
[TIME[昭和35(1960)年][1960]]の[[横川融三]]の論文は、
>>59
を紹介した上で、
「[V[承得 (德) 二年にて今より八六二年前のもの]]」
だとしています。
[SRC[>>58]]

[REFS[

- [58] 
[CITE@ja-JP[猿ケ石叢書 第27輯]], [[土沢郷土研究会]], [TIME[1960]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-05-15T06:11:08.520Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/3041895/1/14?keyword=%E6%89%BF%E5%BE%97> (要登録)

]REFS]

-*-*-

[56] 
[TIME[昭和42(1967)年][1967]]の論文は、
>>4 を紹介し、[[承得]]は様式から[[承徳]]であることが容易に想像され、 >>53 
も[[承徳]]を[[承得]]と書いていると指摘しています。
[SRC[>>47]]

[57] 
なお当論文は銘文写真も掲載していますが、[[字形]]の判読の検討は行っていません。



[REFS[

- [47] 
[CITE@ja-JP[Museum (199)]], [[東京国立博物館]], [TIME[1967-10]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-05-15T05:55:11.181Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/4429588/1/19?keyword=%E6%89%BF%E5%BE%97> (要登録)

]REFS]

-*-*-

[34] 
[TIME[昭和53(1978)年][1978]]の自治体報告書は、
>>4 の[[銘文]]を[[豕得]]と[[翻刻]]しつつ、
本文では[[承徳]]と引用し ([[月]]も10月と誤り)、
[[承得]]は[[承徳]]の[[借字]]と説明しています。
[SRC[>>31]]


[REFS[

- [31] 
[CITE@ja-JP[文化財調査報告書 第28集]], [[岩手県教育委員会]], [TIME[1978.3][1978]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-05-14T15:37:58.389Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12706671/1/44?keyword=%E6%88%90%E5%B3%B6%E6%AF%98%E6%B2%99%E9%96%80%E5%A0%82> (要登録)

]REFS]

** 福岡用例の紹介

[144] 
[TIME[昭和35(1960)年][1960]]の論文は、
>>53
を紹介し、
「[V[承[RUBY[得][(マヽ)]](=德)三年(一〇九九)銘]]」
としています。
[SRC[>>143]]

[106] 
[TIME[昭和38(1963)年][1963]]の論文は、
>>53
を紹介し、
「[V[承[RUBY[得][徳カ]]三年]]」
と注釈しています。
[SRC[>>105]]

[147] 
[TIME[昭和41(1966)年][1966]]の論文は、
>>53
を紹介し、
「[V[[SNIP[]]承得 (徳ノ意カ) 三 (この年康和と改[BR[]]元、一〇九九) 年の[SNIP[]]]]」
としています。
[SRC[>>146]]

[121] 
[TIME[昭和43(1968)年][1968]]の書籍は、
>>53
を紹介し、
「[V[承得 (徳) 三年 (一〇九九)]]」
としています。
また、[[延長年号]]であることを指摘しています。
[SRC[>>120, >>123]]

[141] 
[TIME[昭和44(1969)年][1969]]の書籍は、
>>53
を紹介していますが、

>
[VRL[
[SNIP[]]粗放な文字で、埋経の[BR[]]
由来を書いたものがあり、承徳三 (一〇九九) 年の年号[BR[]]
がみえる。異体の文字も多いが、承[RUBY[徳][﹅]]の年号は承[RUBY[得][﹅]]とな[BR[]]
っている。文筆になれない者の彫りとみられるが、[SNIP[]]
]VRL]

と述べています。 [SRC[>>139]]
必ずしも明確ではないものの、文字に慣れていないので漢字を誤ったと読める書き方です。

[125] 
[TIME[昭和46(1971)年][1971]]の書籍は、
「[V[承[RUBY[得][(ママ)]]三年]]」
と注釈しつつ、
「[V[承徳三年]]」
と説明しています。また、[[延長年号]]であり[[筑前]]は1ヶ月も[[改元]]を[[知らなかった][改元伝達]]ことがわかると述べています。
[SRC[>>124]]

[116] 
[TIME[昭和48(1973)年][1973]]の目録は、
>>53
を紹介し、
「[V[承得 (徳) 三年 (一〇九九) 銘]]」
としています。
[SRC[>>115]]

[104] 
[TIME[昭和51(1976)年][1976]]の文化財資料集は、
>>53
を紹介し、
「承得三年」
は[TIME[承徳3(1099)年][1099]]に「[V[当る]]」
としています。
また、[[延長年号]]であることを「[V[旧年のまま]]」と指摘しています。
[SRC[>>103]]

[128] 
[TIME[昭和52(1977)年][1977]]の史料集は、
>>53
を「[V[承得 (徳) 三年 (一〇九九) 銘]]」と紹介し、
[[承得]]は[[承徳]]の「[V[あやまり]]」としています。
また、[[延長年号]]であることを指摘しています。
[SRC[>>127]]

[151] 
[TIME[昭和54(1979)年][1979]]の史料集は、
>>53
を
「[L[承得 (徳) 3年 (1099)]]」
と紹介しています。
[SRC[>>150]]


[102] 
[TIME[昭和59(1984)年][1984]]の[[自治体]]文化財資料集は、
>>53
を紹介し、
「承得三年」
は[TIME[承徳3(1099)年][1099]]と考えられるとしています。
また、[[延長年号]]であることを指摘しています。
[SRC[>>85]]

[95] 
[TIME[昭和62(1987)年][1987]]の[[自治体]]文化財資料集は、
>>53
を紹介し、
「承得三年」
は[TIME[承徳3(1099)年][1099]]の「[L[誤り]]」
としています。
また、[[延長年号]]であることを指摘しています。
[SRC[>>85]]
同じ発行元でなぜ >>102 の中立から踏み込んで誤りと認定されたのかはよくわかりません。

[111] 
[TIME[昭和63(1988)年][1988]]の史料集は、
>>53
の銘文を紹介し、
「[V[承得三年 (一〇九九)]]」
としています。
[SRC[>>110]]

[114] 
[TIME[平成元(1989)年][1989]]の論文は、
>>53
の拓本と銘文を紹介し、
「承得 (徳) 3年銘」
としています。 
[SRC[>>112]]

[154] 
[TIME[平成24(2012)年][2012]]の論文は、
>>53
に言及し、
「[L[[SNIP[]]「承得 (徳)[BR[]]三年」 (1099年) 銘[SNIP[]]]]」
としています。
[SRC[>>153]]

[149] 
[TIME[令和4(2022)年][2022]]の論文は、
>>53
を一覧表に掲載し、
「[L[承得 ( 徳 ) 3年[BR[]](1099)]]」
としています。
[SRC[>>148]]

[156] 
[TIME[令和6(2024)年][2024]]付けで [[Webサイト]]に配置された論文 (発表日不明)
は、
>>53
の銘文を紹介し、
承得三年は[TIME[承徳3(1099)年][1099]]としています。
また、[[延長年号]]であることを指摘しています。
[SRC[>>155]]

[REFS[

- [143] 
[CITE@ja-JP[史迹と美術 30(10)(309)]], [[史迹美術同攷会]], [TIME[1960-11]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-05-15T09:49:46.746Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/6067194/1/11?keyword=%E6%89%BF%E5%BE%97> (要登録)
-- [145] 
引用:
[CCITE[福岡県重要文化財解説国宝篇]],
[[福岡県教育委員会]]編,
昭和27年,
pp.三五-三六
- [105] 
[CITE@ja-JP[大和文化研究 8(8)(64)]], [[大和文化研究会]], [TIME[1963-08]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-05-15T08:44:56.770Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/4418828/1/25?keyword=%E6%89%BF%E5%BE%97> (要登録)
- [146] 
[CITE@ja-JP[考古学雑誌 52(1)]], [[日本考古学会]], [TIME[1966-07]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-05-15T09:53:33.984Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/3548627/1/25?keyword=%E6%89%BF%E5%BE%97> (要登録)
- [120] 
[CITE@ja-JP[日本歴史考古学論叢 第2]], [[日本歴史考古学会]], [TIME[1968]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-05-15T09:09:06.385Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/2972314/1/97?keyword=%E6%89%BF%E5%BE%97> (要登録)
- [123] 
[CITE@ja-JP[小田富士雄著作集 1 (九州考古学研究 歴史時代篇)]], [[小田富士雄]], [TIME[1977.1][1977]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-05-15T09:15:57.142Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12207550/1/229?keyword=%E6%89%BF%E5%BE%97> (要登録)
- [139] 
[CITE@ja-JP[筑紫 : 歴史と風土]], [[鏡山猛]], [TIME[1969]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-05-15T09:39:45.038Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9769101/1/20?keyword=%E6%89%BF%E5%BE%97> (要登録)
- [124] 
[CITE@ja-JP[経塚論考]], [[保坂三郎]], [TIME[1971]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-05-15T09:17:30.783Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12271293/1/137?keyword=%E6%89%BF%E5%BE%97> (要登録)
- [115] 
[CITE@ja-JP[経塚遺宝展目録 : 新館落成記念]], [[奈良国立博物館]], [TIME[1973]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-05-15T09:04:38.412Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12416552/1/80?keyword=%E6%89%BF%E5%BE%97> (要登録)
- [103] 
[CITE@ja-JP[国宝・重要文化財仏教美術 九州 1(福岡)]], [[奈良国立博物館]], [TIME[1976]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-05-15T08:40:36.211Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12872792/1/130?keyword=%E6%89%BF%E5%BE%97> (要登録)
- [127] 
[CITE@ja-JP[経塚遺宝]], [[奈良国立博物館]], [TIME[1977.3][1977]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-05-15T09:21:43.955Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12669195/1/503?keyword=%E6%89%BF%E5%BE%97> (要登録)
-- [130] 
[CITE@ja-JP[経塚遺宝]], [[奈良国立博物館]], [TIME[1977.11][1977]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-05-15T09:25:36.169Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12649579/1/503?keyword=%E6%89%BF%E5%BE%97> (要登録)
- [150] 
[CITE@ja-JP[法華経の美術]], [[奈良国立博物館]], [TIME[1979.4][1979]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-05-15T10:02:46.983Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12417080/1/103?keyword=%E6%89%BF%E5%BE%97> (要登録)
- [100] 
[CITE@ja-JP[福岡県の考古資料]], [[福岡県教育委員会]], [TIME[1984.3][1984]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-05-15T08:36:41.690Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12259877/1/40?keyword=%E6%89%BF%E5%BE%97> (要登録)
- [85] 
[CITE@ja-JP[福岡市の文化財 考古資料]], [[福岡市教育委員会]], [TIME[1987.3][1987]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-05-15T08:08:26.381Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12419757/1/27?keyword=%E6%89%BF%E5%BE%97> (要登録)
- [110] 
[CITE@ja-JP[歴史考古学 (22)]], [[歴史考古学研究会]], [TIME[1988-10]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-05-15T08:53:07.350Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/7951470/1/7?keyword=%E6%89%BF%E5%BE%97> (要登録)
- [112] 
[CITE@ja-JP[考古学雑誌 74(4);1989・3]], [[日本考古学会]], [TIME[1989-03]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-05-15T08:55:09.749Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/13000076/1/6?keyword=%E6%89%BF%E5%BE%97%E4%B8%89%E5%B9%B4> (要登録)
- [153] 
[CITE@ja-JP[考古学雑誌 96(4);2012・3]], [[日本考古学会]], [TIME[2012-03]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-05-15T10:06:26.842Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/13000177/1/24?keyword=%E6%89%BF%E5%BE%97> (要登録)
- [148] 
[CITE@ja-JP[福岡市博物館研究紀要]], [[福岡市博物館]], [TIME[2022-03-24]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-05-15T10:01:40.579Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/13580848/1/1>
#page=75
- [155] 
[CITE@ja[daiitibutiikinoisekijisya2.pdf]], [TIME[2024-10-07T06:59:05.000Z]], [TIME[2026-05-15T10:12:10.705Z]] <https://www.city.fukuoka.lg.jp/jonanku/shimin-c/charm/documents/daiitibutiikinoisekijisya2.pdf>


]REFS]

** 岩手用例の紹介

[46] 
[TIME[昭和35(1960)年][1960]]の書籍は、
>>4 について
「[V[[SNIP[]]承得[BR[]]二年は、承徳二年 (一〇九八) と考えられるが、[SNIP[]]]]」
としています。
[SRC[>>45]]

[76] 
[TIME[昭和41(1966)年][1966]],
[TIME[昭和47(1972)年][1972]]の年表は、
承徳二年条で >>4 の「承得二年」銘を紹介しています。
[SRC[>>74, >>77]]

[73] 
[TIME[昭和42(1967)年][1967]]の書籍は、
>>4 について
「[V[[SNIP[]]「承得二年」[FENCED[(][[LINES(smaller)[承徳二年=][一〇九八年]]][)]][SNIP[]]]]」
と紹介しています。
[SRC[>>72]]

[40] 
[TIME[昭和42(1967)年][1967]]の書籍は、
>>4 について
「[V[[SNIP[]]承得[BR[]]=承徳二 (一〇九八) 年の[SNIP[]]]]」
と紹介しています。
[SRC[>>39]]
[TIME[昭和52(1977)年][1977]]の同じ著者の書籍は、
「[V[[SNIP[]]承得二年=承徳二年[BR[]](一〇九八) の[SNIP[]]]]」
と紹介しています。
[SRC[>>41]]

[80] 
[TIME[昭和49(1974)年][1974]]の自治体史は、
>>4 の「承得二年」銘を紹介し、
「[V[[SNIP[]]承得は承徳であって[SNIP[]]]]」
としてます。 
[SRC[>>79]]

[28] 
[TIME[昭和59(1984)年][1984]]の書籍は、
>>4
について
「[V[[SNIP[]]異体字で承徳二年 (一〇九八) の[SNIP[]]]]」
と紹介しています。
[SRC[>>27]]

[71] 
[TIME[昭和61(1986)年][1986]]の雑誌は、
>>4
について
「[V[承得二年]]」銘を掲載し、「[V[一〇九八]]」
としています。 [SRC[>>70]]

[30] 
[TIME[昭和63(1988)年][1988]]の書籍は、
>>4 
について
「[V[[SNIP[]]永徳[BR[]](承徳) 二年十二月十日[SNIP[]]]]」
と紹介しています。
[SRC[>>29]]

[158] 
[TIME[平成27(2015)年][2015]]の [[Webページ]]は、
>>4
について
「承徳(承得)二年(1098)」
と紹介しています。
[SRC[>>157]]

[162] 
[TIME[令和元(2019)年][2019]]のブログ記事は、
>>4
について
「承徳(承得)二年(1098)」
と紹介しています。
[SRC[>>161]]

[44] 
その他、断り無く >>4 に「承徳二年」銘があるとするものがいくつかあります。

[REFS[

- [45] 
[CITE@ja-JP[美術研究 = The journal of art studies (211)]], [[東京文化財研究所文化財情報資料部]], [TIME[1960-07]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-05-15T05:50:28.840Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/7964313/1/27?keyword=%E6%89%BF%E5%BE%97> (要登録)
-- [160] 
[CITE[Wayback Machine]], [TIME[2026-05-15T10:24:46.000Z]] <https://web.archive.org/web/20240211015823/https://tobunken.repo.nii.ac.jp/record/6850/files/211_29_Kuno_Redacted.pdf#page=9>
- [77] 
[CITE@ja-JP[岩手県史 第12巻 (年表)]], [[杜陵印刷]], [TIME[1966]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-05-15T07:34:00.597Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/2994095/1/16?keyword=%E6%89%BF%E5%BE%97%E4%BA%8C%E5%B9%B4> (要登録)
-- [78] 引用:
[CITE[[[岩手史学研究]]二六号]]
- [74] 
[CITE@ja-JP[岩手県郷土史年表 : 上代・中世・近世・近代(昭和20年まで)]], [[田中喜多美]], [TIME[1972]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-05-15T07:31:32.804Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9569330/1/17?keyword=%E6%89%BF%E5%BE%97%E4%BA%8C%E5%B9%B4> (要登録)
-- [75] 引用:
[CITE[[[岩手史学研究]]二六号]]
- [72] 
[CITE@ja-JP[東北の歴史 上巻]], [[豊田武]], [TIME[1967]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-05-15T07:28:51.333Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/2997599/1/109?keyword=%E6%89%BF%E5%BE%97> (要登録)
- [39] 
[CITE@ja-JP[みちのく : 風土と心]], [[高橋富雄]], [TIME[1967]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-05-14T15:57:05.958Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/3003577/1/72?keyword=%E6%88%90%E5%B3%B6%E6%AF%98%E6%B2%99%E9%96%80%E5%A0%82> (要登録)
- [41] 
[CITE@ja-JP[天台寺 : みちのく守護の寺]], [[高橋富雄]], [TIME[1977.8][1977]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-05-14T15:59:42.141Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12240139/1/80?keyword=%E6%88%90%E5%B3%B6%E6%AF%98%E6%B2%99%E9%96%80%E5%A0%82> (要登録)
- [79] 
[CITE@ja-JP[東和町史 上巻]], [[東和町史編纂委員会]], [TIME[1974]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-05-15T07:36:02.114Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9569635/1/48?keyword=%E6%89%BF%E5%BE%97> (要登録)
- [27] 
[CITE@ja-JP[岩手の美術と文化 第1冊]], [[草間俊一 '''['''ほか''']'''編]], [TIME[1984.6.][1984-06]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-05-14T15:27:18.649Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12866700/1/124?keyword=%E7%95%B0%E4%BD%93%E5%AD%97> (要登録)
- [70] 
[CITE@ja-JP[福島史学研究 (47/48)]], [[福島県史学会]], [TIME[1986-12]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-05-15T07:25:47.053Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/7925430/1/23?keyword=%E6%89%BF%E5%BE%97> (要登録)
- [29] 
[CITE@ja-JP[岩手の平安仏 : 写真集]], [[小野智保 写真と文]], [TIME[1988.8][1988]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-05-14T15:34:04.918Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/13239976/1/107?keyword=%E5%8D%81%E4%BA%8C%E6%9C%88%E5%8D%81%E6%97%A5> (要登録)
-
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[157] 
[CITE[毘沙門山、毘沙門堂、泣き相撲、三熊神社、宮沢賢治歌碑、兜跋毘沙門天立像]], [TIME[2015-12-26T07:49:00.000Z]], [TIME[2026-05-15T10:14:43.706Z]] <http://www.artwing.biz/kaze/towa/bisyamon/bisyamon.html>
]FIGCAPTION]

> さらに、承徳(承得)二年(1098)に寄進したと記されていた伝阿弥陀如来立像(県指定文化財)や室町時代の作と思われる不動明王立像(町指定文化財)等がある。
]FIG]
-
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[161] 
[CITE@ja[三熊野神社 成島毘沙門堂 | 猫別当小烏丸(戊戌)]], 
[[猫別当小烏丸]],
2019-05-07 13:44:38,
[TIME[2026-05-15T10:25:19.000Z]] <https://ameblo.jp/cintamanicakra81/entry-12459601502.html>
]FIGCAPTION]

>さらに、承徳(承得)二年(1098)に寄進したと記されていた伝阿弥陀如来立像(県指定文化財)や室町時代の作と思われる不動明王立像(町指定文化財)等がある。


]FIG]

]REFS]


** [CITE[日本私年号の研究]]

[163] 
昭和42年の[CITE[日本私年号の研究]]は、
[[異年号]]の一種[[同音異字年号]]に分類しています。
[SRC[>>165]]

;; [166] 
昭和39年の前身論文には未掲載です。

[177] 次のように述べています。

- >>4
-- [178] 像と銘文内容の様式が[[藤原時代]]
--- [179] [[久野健]]も11世紀末期という [SRC[>>172]] 
-- [180] [[藤原時代]]で同音に[[承徳]]がある
--- [181] 従って[[承得]]は[[承徳]]の同音異字と認めて差し支えないであろう
- >>53
-- [182] >>4 と同じものと考えられる
-- [183] この時代で3年己卯は他に[[長暦]]だけ
--- [184] 発音から[[承徳]]以外に該当なし

;; [185] 1字目の字形 (>>174) については特に言及がありません。

[187] 
[CITE[日本私年号の研究]]が[[異年号]]であっても[[私年号]]ではないと判定したためなのか、
あるいはそれ以前にほとんど[[私年号研究]]の分野で紹介されてこなかったためなのか、
[[日本私年号一覧表]]の類での掲載事例は、
どの時代の辞書類等にも確認できません。

[REFS[

- [164] [CITE[[[日本私年号の研究]]]]
-- [165] pp.[V[一六九]]-[V[一七二]], p.[V[一八七]]
--- [170] 引用 ([L[1]]): [CITE[成島毘沙門堂内菩薩像の銘文が示唆するもの]],
[CITE[[[岩手史学研究]] 第二六号]]
--- [171] 引用 ([L[2]]): [CITE[京都国立博物館創立六十周年記念平安時代の美術]]
--- [172] 引用 ([V[註[YOKO[1]]]]): 
[CITE[[[東北古代彫刻史論]] 下]],
[[久野健]],
[CITE[[[美術研究]] 第二一一号]]

]REFS]

** 広島用例の紹介

[186] 
[[史料編纂所]]の[CITE[平安遺文]]データベースは
>>132
について
「承得(徳)三年四月六日」
としています。
[SRC[>>3]]



[137] 
[TIME[昭和55(1980)年][1980]]の[[自治体史]]史料集は、
>>132
を紹介し、
「[V[承[RUBY[得][徳]]三年]]」
と注釈しています。
[SRC[>>131]]




* 関連

- [97] [TIME[永長2(1097)年11月21日][kyuureki:1097-11-21]]、
[[承徳]]に[[改元]]されました。 ([[災異改元]])
- 
[98] 
[TIME[承徳3(1099)年8月28日][kyuureki:1099-08-28]]、
[[康和]]に[[改元]]されました。

* メモ

