[76] 
[DFN[[RUBY[征][せい]][RUBY[露][ろ]]]]
([TIME[y~1148]])
は、
[[日本の私年号]]の1つです。

* 呼称

[77] 
[[読み][元号の読み方]]は「せいろ」です.
[SRC[>>1, >>447, >>448]]

* 紀年法

[84] 
[[元年]]は、
[TIME[日本明治37(1904)年][1904]]です。
[SRC[>>1]]

[85] 
[[日本語]]版[CITE[ウィキペディア]]は、
期間を[[元年]] ([TIME[西暦1904年][1904]]) から2年 ([TIME[西暦1905年][1905]])
としました。
[SRC[>>1]]

* 用法

[78] 
[[日本語]]版[CITE[ウィキペディア]]は、
「日露戦争での対露戦争の戦勝を記念して使用された。」
と説明しました。
[SRC[>>1]]



[86] 
[[日本語]]版[CITE[ウィキペディア]]は、
出典として
[CITE[読史の趣味]]より
[CITE[征露二年]], [[萩野由之]]を挙げました。
[SRC[>>1]]


[87] 
[[日本語]]版[CITE[ウィキペディア]]は、
出典として
「栃木県小山市天翁院縁台墨書銘」
を挙げました。
[SRC[>>1]]





** 日本国内日本軍人等の用例

[731] 
[[平成時代]]に編纂された[[日本国]][[宮城県]][[柴田郡]][[柴田町]]の町史に、
[[明治時代]]の[[柴田郡]][[槻木村]] [WEAK[(後の[[柴田町]]の一部)]]
の有力者だった[RUBYB[[[日下徳太郎]]][[TIME[1841]]-[TIME[1911]]]]が公私の文書を写しまとめたものが収録されています。
[SRC[>>730]]
その中に[[征露]]を使ったものが3通あります。

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [732] [DATA(.label)[[CITE[柴田町史]] [V[四三五]]-[V[[YOKO[136]]]] [CSECTION[[V[出征第三軍・小林林治書状]]]], [[[V[小林林治]]]]]],
[DATA(.text)[[V[征露第一年七月一日]]]]
([[明朝体]])
[WEAK[([TIME(.published)[1904-07-01]])]]
[SRC[>>730 /516]]
- [735] [DATA(.label)[[CITE[柴田町史]] [V[四三五]]-[V[[YOKO[249]]]] [CSECTION[[V[歩兵第廿九聯隊小池金八󠄂書状]]]], [[[V[小池金八󠄂]]]]]],
[V[明治卅八󠄂年一月二日]]
[WEAK[([TIME(.published)[1905-01-02]])]]
-- [736] 
「[DATA(.text)[[V[[SNIP[]]征露第二[BR[]]年一月元旦[SNIP[]]]]]]」
([[明朝体]])
は旅順陥落して縁起良く云々。
[SRC[>>730 /543]]
- [738] [DATA(.label)[[CITE[柴田町史]] [V[四三六]]-[V[[YOKO[3]]]] [CSECTION[[V[在第二師団第四野戦病院佐藤道龍[BR[]]書状]]]], [[[V[佐藤道龍]]]]]],
[DATA(.text)[[V[征露第一年[BR[]]二月二日]]]]
([[明朝体]])
[WEAK[([TIME[1905-02-02]])]]


]ITEMS]

[733] 
[[小林林治]]書状 (>>732) は、
征露第3軍に所属する[[小林林治]]が[TIME[1804-07-01]]に[[横須賀港]]で乗船、
戦地に向かうに当たって[[日下徳太郎]]に挨拶を送付したものでした。
その[[日付]]を[[明治]]ではなく[[征露]]としていました。

[734] 
書状の[[日付]]と出発日が同じということは、
出発前に書いたものを出発直前に投函してから乗船したのでしょう。
つまり[[征露]]の[[私年号]]は[[日本国内]]で実戦前の訓練・準備中の部隊内でこの頃には既に使われ始めていた可能性が高いといえます。


[737] 
[[小池金八󠄂]]書状 (>>735) は、
征露第1軍に所属し[[満州]]で戦闘中の[TIME[1905-01-02]]に[[日下徳太郎]]らに新年の挨拶を送付したものでした。
書状の[[日付]]は[[明治]]でしたが、文中で征露2年の元旦を祝しています。
なお本書状によると戦場では[[年賀状]]が禁止されていたようですが、
本書のように軍事郵便は平常通り本国宛に送付できたようです。

[739] 
[[佐藤道龍]]書状 (>>738) は、
第2師団第4野戦病院に入院していた[[佐藤道龍]]が[[日下徳太郎]]らに送付したものでした。
当野戦病院がどこにあったのかは (記録を調べればわかるのかもしれませんが)
書状からはわかりません。前線に近い[[満州]]のいずこかでしょう。

[740] 
本書状の日付は[[明治]]何年か書かれておらず、かわりに「征露第1年」
とあります。
ところが[TIME[1904-02-02]]では開戦前になってしまいます。
書状によれば元旦に[[旅順]]が陥落していますから、
[TIME[1905-02-02]]とみて間違いありません。
第1年としたのは第2年の誤記でしょうか。

[REFS[
- [730] 
[CITE@ja-JP[柴田町史 資料篇 3]], [[柴田町史編さん委員会]], [TIME[1990.3][1990]], [TIME[2023-01-11T10:47:13.000Z]], [TIME[2023-01-13T13:46:21.022Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9540763/1/516> (要登録)
]REFS]

-*-*-

[1120] 
[TIME[1905-03-10]]に[[読売新聞]]記者で[[作家]]の[[町田柳塘]]
([[町田源次郎]], [[楓村居士]])
が出版した[[ノンフィクション小説]]
[CITE[橘英男]]
の序文の日付に[[征露]]が使われました。


[ITEMS[ [[日時事例]]

- [1118] 
[CITE(.label)[橘英男]], 
[[[V[楓村居士]]]],
[V[明治三十八󠄂年三月廿五日印刷]],
[V[明治三十八󠄂年四月十日發行]] [WEAK[([TIME(.published)[1905-03-10]])]],
[DATA(.addr)[[[日本国]][[東京府]][[東京市]]]]
-- [1119] 
[CSECTION(.label)[[V[はしがき]]]],
[[[V[楓村居士]]]]
「[DATA(.text)[[V[征露第二年庭前の櫻花將に蕾を破ら[BR[]]んとする時台北田端の僑居に於て]]]]」
[SRC[>>1117]]

]ITEMS]

[1121] 
この小説は実在の軍人をモデルにしていると[CSECTION[はしがき]]にはあります。
他の戦争記録とは違って[[日露戦争]]の戦闘を描くのではなく、
軍人の生活を主な題材にしています。
本文には「征露」はなく、[[著者]]の序文の日付でのみ使われています。

;; [1122] 
著者がどこでどのように情報を得て執筆したのかはよくわかりません。
序文の「台北田端」もどこのことか不明。


[REFS[

- [1117] [CITE@ja-JP[橘英男]], [[町田柳塘]], [TIME[明38.4][1905]], [TIME[2023-12-19T01:59:10.000Z]], [TIME[2023-12-19T06:33:02.678Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/887152/1/2>

]REFS]


** 満州日本軍人等の用例

[1234] 
[[荒木貞夫]], 菱刈参謀, 武田副官が発行したという
[CITE[[V[陣中新聞]]]] ([[草書]])
があります。
[SRC[>>1229 (カラー写真, 書籍収録?), >>1231 (掲載した書籍の写真)]]

[1236] 
[[日付]]欄に
「[V[征露元[ASIS[年][亠]][BR[]] 動貟十月[BR[]] 出發六月]]」 ([[楷書]])
とあります。
[SRC[>>1229, >>1231]]

[1237] 
本文中、[[沙河会戦]]後の退屈に発行する旨の記載があります。 [SRC[>>1230]]
[[沙河会戦]]は[TIME[1904-10-09]]から[TIME[1904-10-20]]に[[清国]][[満州]][[奉天]]南方の[[沙河]]地域であった戦闘です。

[1238] 
[RUBYB[[[荒木貞夫]]][[TIME[1977]]-[TIME[1966]]]]は、
後に[[陸軍大将]]となる、
[[陸軍大臣]]を務めた人物です。
開戦前は[[陸軍大学校]]在学中でしたが、
[TIME[明治37(1904)年2月][1904-02]]に[[近衛後備歩兵]]第一連隊中隊長として出征、
明治37年5月に[[近衛後備混成旅団]]副官となりました。
明治37年8月に[[大尉]]となりました。

[1239] 
「動員10月、出発6月」が何を意味するのかよくわかりません。


[REFS[

- [1229] 
[CITE@ja[Xユーザーの和中 光次(わなか みつじ)さん: 「荒木貞夫大将らが日露戦争中に作った陣中新聞だが、私にはほとんど読めない…読める方はいるでしょうか? 「カットは荒木将軍が日露役に旅団副官として従軍した折、菱刈参謀・武田副官と共に合作し自ら挿絵を描れた陣中新聞」『秘録陸軍裏面史 : 将軍荒木の七十年』 https://t.co/5vpmR8fDtw」 / [[X]]]], [TIME[午後8:06 · 2023年8月15日][2023-08-15T11:06:36.000Z]], [TIME[2024-02-14T05:36:51.000Z]] <https://twitter.com/111g0/status/1691406026510327808>
-- [1230] 
[CITE@ja[XユーザーのY.Sさんさん: 「@111g0 「沙河会戦」後、滞陣の命が下り退屈なので、「司令部の一日」と題する新聞を発行することにした、とありますね。」 / X]], [TIME[午後8:24 · 2023年8月15日][2023-08-15T11:24:49.000Z]], [TIME[2024-02-14T05:36:51.000Z]] <https://twitter.com/rekishi53/status/1691410613606723584>
-- [1235] 
[CITE@ja-jp[[[秘録陸軍裏面史]]〈上巻〉―将軍荒木の七十年 (1954年) | 橘川 学 |本 | 通販 | Amazon]], [TIME[2024-02-14T07:19:35.000Z]] <https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000JAFDNA/wakaba1-22/>
- [1231] [CITE@ja[Xユーザーのⓢ ⓘ ⓑ ⓐさん: 「荒木貞夫の挿絵ってなかなか珍しいかな https://t.co/ZD1fvBh34w」 / [[X]]]], [TIME[午前11:49 · 2023年1月16日][2023-01-16T02:49:18.000Z]], [TIME[2024-02-14T05:29:02.000Z]] <https://twitter.com/reisikizero3791/status/1614817039096635392>
-- [1232] 
[CITE@ja[Xユーザーの万世六兵太@○○系企画院総裁さん: 「@reisikizero3791 そういえば貞夫ちゃん、巣鴨プリズンにいた時も巣鴨新聞(?)の記事書いていたりするんですよね」 / [[X]]]], [TIME[午後1:30 · 2023年1月16日][2023-01-16T04:30:59.000Z]], [TIME[2024-02-14T05:29:02.000Z]] <https://twitter.com/roppeita_mansei/status/1614842626645331969>
-- [1233] 
[CITE@ja[Xユーザーの万世六兵太@○○系企画院総裁さん: 「@reisikizero3791 このような感じで書かれてます(和中先生のツイートの画像より) https://t.co/EAYlCsSi8E」 / [[X]]]], [TIME[午後2:00 · 2023年1月16日][2023-01-16T05:00:32.000Z]], [TIME[2024-02-14T05:29:02.000Z]] <https://twitter.com/roppeita_mansei/status/1614850064199077889>

]REFS]



-*-*-

[787] 
[TIME[1904-06-18]]に[[日本国]][[東京府]][[東京市]]で発行された雑誌に、
[[征露]]紀年記事があります。

[ITEMS[ [[日時事例]]
- [798] [CITE(.label)@ja-JP[[[日露戦争実記]] (16)]],
[V[明治三十七年六月十七日發行]]
[WEAK[([TIME(.published)[1904-06-17]])]]
-- [799] 
[DATA(.label)[[CITE[[V[[RUBY[貝][ばい]][RUBY[加][か]][RUBY[爾][る]][RUBY[湖][こ]]]]]], [[[V[三津木九皐]]]]]]
--- [800] 目次では[CITE[[V[貝加爾湖畔󠄃]]]]
--- [801] 
「[DATA(.text)[[V[[RUBY[征][せい]][RUBY[露][ろ]][RUBY[紀󠄄][き]][RUBY[元][げん]]第一年[RUBY[孟][な]][RUBY[夏][つ]][SNIP[]]]]]]」
([[明朝体]])、
[[満州]]で云々
[SRC[>>797]]
- [788] [CITE(.label)@ja-JP[[[日露戦争実記]] (17)]],
[V[明治三十七年六月十八󠄂日發行]]
[WEAK[([TIME(.published)[1904-06-18]])]]
-- [789] 
[DATA(.label)[[CITE[[V[敵󠄂の勇士]]]], [[[V[水星]]]]]]
--- [786] 
「[DATA(.text)[[V[征露紀󠄄元第四月於金州[ASIS[○][軍検閲か]]地、山野正夫]]]]」
([[明朝体]])
]ITEMS]

[791] 
この雑誌は[[日露戦争]]中の戦況、軍人の体験記、日本各地の読者投稿の記事や川柳など、
戦争関連の幅広い内容を掲載しています。

[790] 
第17号の記事 (>>789)
は[[満州]]で[[日本軍]]の通訳を務めた[[山野正夫]]の体験が綴られたものです。
冒頭記事見出しには「水星」とあり、記事末には「山野正夫」とあります。
記事内容は自らの体験のように描かれており、水星は[[山野正夫]]の筆名でしょうか。
(明言はされていませんが、軍記物語ではなく自叙伝的なもののように読めます。)

[792] 
文末の記載 (>>786) から[[山野正夫]]は執筆時点で[[満州]]の[[金州]]で軍務中と思われ、
雑誌刊行時点も任務継続中の可能性が高いでしょう。
どのような経緯で雑誌に掲載されたのかは不明で、
[[山野正夫]]が直接編集部に送付したのでしょうか。
本文中の記載によれば国内の親族を経由した可能性は低いかもしれません。
あるいは当誌は従軍記者を派遣していたようなので、その方面からかもしれません。

[793] 
紀年は「征露紀元第四月」とあります。
この「紀元」は[[元年]]と同義と思われます。
この用法は[[日本]]の[[近世]]や[[清国]]でみられるものです。
[SEE[ [[元号紀元]] ]]

[794] 
[TIME[明治37年5月][1904-05]]、[[日本軍]]は[[清国]][[遼東半島]][[金州]]に進軍しました。
[TIME[1904-05-26]]の[[南山の戦い]]と呼ばれる激戦でこの地から[[ロシア軍]]を駆逐しました。
当記事は金山で大規模な戦闘があったと書いており、
具体的にいつどこのどのような戦闘だったか明らかではないものの、
[[南山の戦い]]あたりを指すと解するようにも思われます。
ところがそうすると「第四月」とは矛盾します。

[795] 
誤記ではないとすると、4月とは[[旧暦]]の4月でしょうか。
[TIME[旧暦4月1日][kyuureki:1904-04-01]]は[TIME[1904-05-15]]ですから、
矛盾はありません。
軍では新暦を使うはずですが、私的な文書なら[[旧暦]]を使う可能性もあるでしょうか。
[[山野正夫]]は[[四国]]の村の出身で、郷里では[[旧暦]]メインの生活だった可能性が高いです。
開戦前に[[満州]]で[[満州人]]を称する[[ロシア人]]宅に滞在しており、
現地で開戦を知りました。その地では当人と[[ロシア人]]の2人以外はみな[[満州人]]でした。
([[満州人]]が実際に[[満州族]]なのか、[[漢族]]も含まれるのかは不明です。)
[[ロシア人]]は[[ユリウス暦]]でしょうが、
[[満州人]]は[[農暦]]を使っていたはずです。
そうした環境で過ごしながら2月に開戦、
明記されていないもののおそらく現地で[[日本軍]]に翻訳者として志願したものですから、
新暦より[[旧暦]]に親しんでいた可能性は十分にあります。

[796] 
これが確かに[[満州]]の[[日本人]]が発したものだとすれば、
[[征露]]の用例としてかなり早い部類です。



[802] 
同誌の前号はわずか1日前に発行されていましたが、
そちらにも[[征露]]が使われた記事がありました (>>801)。
この記事は物語調でどこまでが史実かよくわかりませんが、
まったくの創作でないなら現地取材に基づいているのでしょうか。
その地の文の日付が[[征露]]なので、現地の記者か東京の編集部が使ったものでしょうか。

[803] 
日付は「征露紀元第一年孟夏」で、こちらでは「紀元」は[[元年]]の意味ではなく、
「征露紀元」で[[紀年法]]であることの強調だと思われます。

[804] 
「孟夏」と書いて「なつ」と[[振り仮名]]があります。
この時代の「なつ」がどのようなニュアンスだったのかはよくわかりません。
「孟夏」は[[旧暦]]で4月の異名とされます。
[[現代日本]]では5,6月頃の[[時候の挨拶]]にも使われるようです。
この時代の「孟夏」は旧暦4月前後と解するのが自然でしょうか。

[805] 
これもやはり早い時期の用例といえます。



[REFS[
- [797] 
[CITE@ja-JP[[[日露戦争実記]] (6月之巻)(16)]], [[育英社]], [TIME[1904-06]], [TIME[2023-01-11T10:47:13.000Z]], [TIME[2023-01-14T04:35:58.987Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1550582/1/107> (要登録)
- [785] 
[CITE@ja-JP[[[日露戦争実記]] (17)]], [[育英社]], [TIME[1904-06]], [TIME[2023-01-11T10:47:13.000Z]], [TIME[2023-01-14T03:56:47.199Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1550583/1/65> (要登録)
]REFS]

-*-*-

[693] 
[[昭和時代]]初期に元従軍兵が自伝として[[日本国]][[東京府]][[東京市]]で出版した従軍記録に、
当時[[征露]]が使われたとする記述があります。
[SRC[>>694]]

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [695] [DATA(.label)[[CITE[満洲義軍奮闘史]], [[辺見勇彦]]]],
[V[昭和六年十二月十八󠄂日發行]]
[WEAK[([TIME(.published)[1932-12-18]])]],
[V[昭和七年五月二日六版]]
-- [696] 
[CITE(.label)[[V[[RUBY[第][だい]]一[RUBY[回][くわい]][RUBY[通󠄃][つう]][RUBY[報][はう]]]]]],
[[[RUBY[喬][けう]]]],
[V[一[RUBY[月][ぐわつ]]廿[RUBY[日][か]][RUBY[午][ご]][RUBY[前󠄁][ぜん]]二[RUBY[時][じ]]四十[RUBY[分][ぷん]]]],
[DATA(.addr)[[V[[RUBY[螞蜡廟󠄁][まさべう]]]]]]
--- [697] 
「[DATA(.text)[[V[[RUBY[征][せい]][RUBY[露][ろ]][RUBY[第][だい]]二[RUBY[年][ねん]]]]]]」
の武運を祈る云々
[SRC[>>694 /190]]
-- [698] 
「[DATA(.text)[[V[[RUBY[征][せい]][RUBY[露][ろ]][RUBY[第][だい]]一[RUBY[年][ねん]]七[RUBY[月][ぐわつ]]三十[RUBY[日][にち]]]]]]」
に即興で作られた歌
[SRC[>>694 /255]]

]ITEMS]

[699] 
[[著者]]の[[辺見勇彦]]は、当時[[満州]]で[[日本軍]]に属して戦闘に参加していたといいます。
1つ目の「征露」は軍内部での通知文書と思われる引用文に出現します。
なお本書は[[総ルビ]]であり、引用文も含めて[[振り仮名]]がありますが、
原文には無かった可能性が高いでしょう。

[700] 
文書は、
[[日時]]が[TIME[1905-01-20T02:40+09:00]]とあり、
[[螞蜡廟󠄁]]にいた[[[V[[RUBY[喬][けふ]][RUBY[鐵][てつ]][RUBY[木][ぼく]]]]]]こと[[[V[[RUBY[橋][はし]][RUBY[口][ぐち]][RUBY[勇][ゆう]][RUBY[馬][ま]]]]]]から著者への伝達と、
武運を祈る旨の挨拶が書かれていました。
年始の挨拶があるのは、
1月の20日ではありますが、新年になって初めてのやり取りだったのでしょう。

[701] 
[[日本軍]]は[TIME[1905-01-08]]に[[中央標準時]] [TZ[+09:00]]
を[[軍用時]]として標準採用しました。 [SEE[ [[満州の標準時]] ]]
12日もあれば通知が行き渡るのにも十分でしょうから、
この[[日時]]は[[中央標準時]]と理解して良いでしょうか。

[702] 
[[螞蜡廟󠄁]]は、当時[[橋口勇馬]]の部隊が駐屯していたのでしょう。
後に[[日本領関東州]]の[[後三道湾会]]の行政区画となっています。
現在[[Google検索]]や [[Google Maps]] の検索では情報がほとんど出て来ないのですが、
[[国立国会図書館]]で検索すると日本統治時代の情報が出てきます。
(それらを読むか当時の地図を探せば、どこに当たるかわかるはずです。)

[703] 
[[著者]]はこの文書自体についてはあまり説明していないのですが、
他の執筆内容同様、戦時日誌に記録していたことか、
あるいは現物を所持していたのかもしれません。
これが確かに当時の文面であるとすれば、
挨拶文とはいえ、当時の軍人同士の連絡文書で[[征露]]が使われた貴重な資料です。

[704] 
2つ目の「征露」は軍部隊の宴の席で軍人が作って歌ったという歌について、
その日付を説明したものです。従って[[昭和時代]]に書かれた文の用例です。
あるいは当時の日誌などにそのように記録していたものかもしれませんが、
確かめようがありません。




[REFS[
- [720] 
[CITE@ja-JP[辺見勇彦馬賊奮闘史]], [[辺見勇彦江崙波]], [TIME[昭和6][1931]], [TIME[2023-01-11T10:47:13.000Z]], [TIME[2023-01-13T12:46:01.598Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1178324/1/184> (要登録)
-- [721] 初版
- [694] 
[CITE@ja-JP[満洲義軍奮闘史 : 自伝]], [[辺見勇彦]], [TIME[1932 6版][1932]], [TIME[2023-01-11T10:47:13.000Z]], [TIME[2023-01-13T09:22:52.347Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1878926/1/190> (要登録)
-- [722] 第6版
]REFS]

-*-*-

[1127] 
[TIME[1905-03-02]]に[[日本国]][[大阪府]][[大阪市]]で発行された例文集の祭文が[[征露]]から始まっていました。


[ITEMS[ [[日時事例]]

-[1125] 
[CITE(.label)[最新祝辞弔祭文例]], 
[[益井俊二]], 
[V[明治三十八󠄂年二月廿五日印刷]],
[V[明治三十八󠄂年三月二日發行]] [WEAK[([TIME[1905-03-02]])]],
[DATA(.addr)[[[日本国]][[大阪府]][[大阪市]]]]
-- [1124] 
[CITE(.label)[[V[[RUBY[旅順__&&swc590(陷)&&__][りよじ𛃥んかん]][RUBY[落󠄂奉][らくほー]][RUBY[告祭][こくさい]][RUBY[々][〱]][RUBY[文][もん]]]]]],
[[[V[右翼軍__&&swc591(某)&&__將軍]]]]
---[1126] 
「[DATA(.text)[[V[[RUBY[維󠄂][これ]][RUBY[時征][ときせい]][RUBY[露][ろ]]第二年󠄂一月二日[SNIP[]]]]]]」
[SRC[>>1123]]

]ITEMS]

[1128] 
本書は「最新」の挨拶文集を謳っていて、例文はいずれも戦争関連のものです。
そして件の文例は[[旅順陥落]]に関係します。
本書全般で日付や人名は「某」のように伏せられたり、そのまま残されたりが1つの文章中にも混在していて、
汎用化のために空欄化したようでもなく、
軍事機密を隠したにしても中途半端に感じられ、よくわからない感じです。

[1129] 
件の文例は本文中で[[旅順陥落]]の日を[[征露]]で表しています。
[[満州]]で軍関係者が使った文のような体裁ですが、
実際に現地から国内に伝わってきたものなのか、
そのような想定で国内で作文したのかは不明です。


[REFS[

- [1123] 
[CITE@ja-JP[最新祝辞弔祭文例]], [[益井俊二]], [TIME[明38.3][1905]], [TIME[2023-12-19T01:59:10.000Z]], [TIME[2023-12-19T07:38:04.166Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/865624/1/100>

]REFS]


-*-*-


[888] 
明治38年正月頃に[[満州]]の[[日本軍]]陣地に滞在中の従軍僧の記録に[[征露]]があります。

[ITEMS[ [[日時事例]]
- [889] [CITE(.label)[[V[[[婦人雜誌]]  [WEAK(smaller)[第貳拾卷]]  第參編󠄁]]]],
[V[明治三十八󠄂年三月三日發行]]
[WEAK[([TIME(.published)[1905-03-03]])]],
[DATA(.addr)[[[日本国]][[東京府]][[東京市]]]]
-- [890] 
[CITE[[V[征露從軍紀󠄄年撮影]]]],
[[[V[磐井宗成]]]],
[DATA(.text)[[V[征露第二年一月元旦]]]] ([[明朝体]])
[WEAK[([TIME(.published)[1905-01-01]])]],
[[[V[淸國遼陽城外󠄂舍營]]]]
[SRC[>>887]]
- 
[1093] 
[CITE(.label)[[[禅宗]] (120)]],
[V[明治三十八󠄂年三月十五日發行]]
[WEAK[([TIME(.published)[1905-03-15]])]],
[DATA(.addr)[[[日本国]][[京都府]][[京都市]]]]
--
[1094] 
[CSECTION(.label)[[V[從軍日誌  [WEAK[(第七回)]]]]]]
---
[1095] 
「[DATA(.text)[[V[明治三十八󠄂年元旦、今日は征露第二年の元日で[SNIP[]]]]]]」 ([[明朝体]])
[SRC[>>1091]]
-
[1099] 
[CITE(.label)[[[禅宗]] (127)]],
[V[明治三十八󠄂年十月十五日發行]]
[WEAK[([TIME(.published)[1905-10-15]])]],
[DATA(.addr)[[[日本国]][[京都府]][[京都市]]]]
--
[1101] 
[DATA(.label)[祭文]],
[DATA(.text)[[V[明治三十八󠄂年八󠄂月三十一日]]]]
[WEAK[([TIME(.published)[1905-08-31]])]],
[[[V[大久保春野]]]]
---
[1100] 
本文
「[DATA(.text)[[V[[SNIP[]]時征露第二年之八󠄂月末日[SNIP[]]]]]]」 ([[明朝体]])
[SRC[>>1097]]

]ITEMS]

[1092] 
[TIME[1905-03-03]]に[[日本国]][[東京府]][[東京市]]で発行された[[仏教]]系[[雑誌]]に掲載された[[滿洲]]滞在中の従軍布教使の[[写真]]の日付が[[征露]]でした
(>>890)。


[891] 
雑誌冒頭に白黒の人物写真が掲載され、その左右に説明が書かれていました。
その人物が[[磐井宗成]]のようです。
[[磐井宗成]]は
「[V[征露第○軍兵站監󠄂部付從軍布敎使]]」
として[[滿洲]]に滞在中で、現地で[[支那人]]が撮影したのだと書かれています。
[SRC[>>887]]
○は軍部の[[検閲]]により伏せられたのでしょうか。
遼陽城は現在の[[中華人民共和国]][[遼寧省]][[遼陽市]]に当たり、
その付近に駐屯中の[[日本軍]]兵站部隊の元にいて、
地元住民 ([[漢民族]]) の写真館で撮影したのでしょうか。


[892] 
この写真と説明文がどのように制作されたのかは説明がありません。
[[磐井宗成]]が[[東京]]に軍事郵便で送付したのでしょうか。
[[征露]]の日付は本人が書いたものでしょうか、それとも東京の編集部によるのでしょうか。
撮影されたのは厳密には1月1日とは限らず、その前後に正月記念で撮影したものかもしれません。

[1096] 
[TIME[1905-03-15]]に[[日本国]][[京都府]][[京都市]]で発行された[[仏教]]系[[雑誌]]に掲載された[[滿洲]]滞在中の従軍布教使の従軍日誌の新年の表現が[[明治]]と[[征露]]の併記でした
(>>1095)。

[1098] 
それと同じ連載の後の号には、
[TIME[1905-08-31]]に開催された首山堡・遼陽の戦没者追悼行事での陸軍中将の祭文が収録されており、
その本文末にも[[征露]]がありました
(署名日付は明治)。
(>>1099)


[REFS[
- [887] 
[CITE@ja-JP[[[婦人雜誌]] 20(3)]], [[婦人雜誌社]], [TIME[1905-03]], [TIME[2023-01-17T10:48:16.000Z]], [TIME[2023-01-31T08:58:25.332Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1580257/1/2> (要登録)
-
[1091] 
[CITE@ja-JP[禅宗 (120)]], [['''['''禅定窟''']''']], [TIME[1905-03-15]], [TIME[2023-03-28T13:58:31.000Z]], [TIME[2023-04-25T09:03:13.062Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/11006108/1/48> (要登録)
-
[1097] 
[CITE@ja-JP[[[禅宗]] (127)]], [['''['''禅定窟''']''']], [TIME[1905-10-15]], [TIME[2023-03-28T13:58:31.000Z]], [TIME[2023-04-25T09:14:42.296Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/11006115/1/51> (要登録)




]REFS]

-*-*-

[1155] 
[TIME[明治38(1905)年12月][1905-12]]に出版された[[日本軍]]歩兵第18連隊の戦記本に収録された書簡の[[日付]]が[[征露]]です。

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [1156] 
[DATA(.label)[書簡]],
[[[V[[RUBY[尾][を]][RUBY[崎][ざき]][RUBY[淸][せい]][RUBY[太][た]][RUBY[郞][ろう]]]]]]
「[DATA(.text)[[V[征露第二年三月二十五日]]]]」
[SRC[>>1154]]
-- [1157] 
[TIME(.value)[1905-03-25]]


]ITEMS]

[1158] 
本書によると[[日本国]][[愛知県]][[宝飯郡]][[形原村]]出身の[[[V[[RUBY[牧][まき]][RUBY[原][はら]][RUBY[源][げん]][RUBY[助][[ASIS[𛁏][[MIRRORED[3]]]]け]]]]]]歩兵曹長は、
[[奉天会戦]]で奮戦するも[TIME[1905-03-05]]負傷し、
[[十里河]]定立病院
[WEAK[([[十里河]]は現在の[[中華人民共和国]][[瀋陽市]]にある[[地名]]。)]]
で死去しました。
[SRC[>>1154]]

[1159] 
本書簡は[[牧原源助]]の戦友の[[尾崎清太郎]]が[[牧原源助]]の最期の戦闘の様子を綴ったものでした。
遺族に宛てたものでしょうか。
書簡は「在戦地」書とあって、具体的にはわかりませんが、
[[満州]]の何処かでしょう。

[1160] 
本書には同様の書簡がいくつも掲載されていますが、
他は[[明治]]で、[[征露]]はこの1通のみです。



[REFS[

- [1154] 
[CITE@ja-JP[[[日露戦役]]歩兵第十八聯隊戦記 後備隊之部]], [[藤波一哉]], [TIME[明38.12][1905]], [TIME[2023-12-19T01:59:10.000Z]], [TIME[2023-12-30T05:16:38.314Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/774336/1/74> (要登録)

]REFS]

-*-*-


[372] 
[[令和時代]]初期に[[日本]]の[[オークション]][[Webサイト]]に、
[CITE[[V[對陣週報]]]]
と称する一連の[[新聞紙]]が出品されました。
次のものがありました。

[ITEMS[ [[日時事例]]
- [727] [CITE(.label)[[V[對陣週報]]]]
-- [373] [DATA(.text)[[R[征露二年五月一日]]]] [DATA(.label)[[R[第十三号]]]] [SRC[>>366]]
-- [374] [DATA(.text)[[R[征露二年五月十四日]]]] [DATA(.label)[[R[第十四号]]]] [SRC[>>367]]
-- [375] [DATA(.text)[[R[征露二年五月二十一日]]]] [DATA(.label)[[R[第十五号]]]] [SRC[>>368]]
-- [376] (欠)
-- [377] [DATA(.text)[[R[征露二年六月四日]]]] [DATA(.label)[[R[第十七号]]]] [SRC[>>369]]
-- [378] (欠)
-- [379] [DATA(.text)[[R[征露二年六月十八日]]]] [DATA(.label)[[R[第十九号]]]] [SRC[>>370]]
-- [380] [DATA(.text)[[R[征露二年六月二十五日]]]] [DATA(.label)[[R[第二十号]]]] [SRC[>>371]]
]ITEMS]

[381] 
原品は劣化が進んでいると思われる上に低解像度の商品写真からは十分な内容を読み取れませんが、
本紙は[[満洲]]で従軍していた兵士らの檄文、追悼文、その他詩歌等を収録したものだったようです。
従軍兵士らの戦地での娯楽的な性質もあったのでしょうか。

[382] 
各商品にはそれぞれ[[満洲]]の軍司令部所在の個人から[[日本]][[下総国]]の個人に宛てた封筒が付属しています。
郷里の家族に現地の様子を伝えるべく毎週送付していたものでしょうか。

[383] 
本紙は[[手書き]]の[[新聞]]形式で編集されていました。
発行・編集は[[[V[柳下惠]]]]とクレジットされていました。
どのような人物かは不明です。
掲載作品の[[人名]]も含め、
[[本名]]ではない[[号]]かもしれません
[WEAK[(所属部隊や階級も書かれていません)]]。
記事内容の軍事色は薄く、
軍の正式な業務として実施または委託されたような徴証は見つけられません。


[384] 
第13号から第20号までの範囲では、[TIME[1905-05-07]]がスキップされているのを除き、
紙名の通り毎週発行されたことがわかります。
このペースで遡ると、創刊は同年の1月末か2月頃でしょうか。

[385] 
創刊当時からかは不明ですが、出品された範囲では、すべて[[明治]]の[[元号]]を併記すらせず
「[R[征露二年]]」
で統一されていることが注目されます。本紙がどの程度配布されていたのかわかりませんが、
掲載作品の[[人名]]の数から察するに、相当広範囲にわたって読まれていた可能性があります。
[[満洲]]の従軍日本人の間での
「[[征露]]」
の[[私年号]]の普及にも貢献したことでしょう。





[REFS[

-
[366] 
[CITE@ja[古文書 軍事郵便 明治時代 對陣週報 征露二年五月一日 第13号 発行兼編輯者 柳下惠 日露戦争 関係資料(印刷物)|売買されたオークション情報、yahooの商品情報をアーカイブ公開 - [[オークファン]](aucfan.com)]], [[aucfan]], [TIME[2022-04-05T09:54:49.000Z]] <https://aucview.com/yahoo/o463280872/>
-
[367] 
[CITE@ja[古文書 軍事郵便 明治時代 對陣週報 征露二年五月十四日 第14号 発行兼編輯者 柳河惠 日露戦争 関係資料(印刷物)|売買されたオークション情報、yahooの商品情報をアーカイブ公開 - [[オークファン]](aucfan.com)]], [[aucfan]], [TIME[2022-04-05T09:55:04.000Z]] <https://aucview.aucfan.com/yahoo/b536464968/>
-
[368] 
[CITE@ja[古文書 明治時代 征露二年五月二十一日 第15号 2 発行兼編輯者 柳河惠 日露戦争 関係資料(和書)|売買された[[オークション]]情報、yahooの商品情報をアーカイブ公開 - オークファン(aucfan.com)]], [[aucfan]], [TIME[2022-04-05T09:55:15.000Z]] <https://aucview.aucfan.com/yahoo/j714717431/>
-
[369] 
[CITE@ja[古文書 軍事郵便 明治時代 對陣週報 征露二年六月四日 第17号 発行兼編輯者 柳河惠 日露戦争 関係資料(印刷物)|売買されたオークション情報、yahooの商品情報をアーカイブ公開 - [[オークファン]](aucfan.com)]], [[aucfan]], [TIME[2022-04-05T09:55:28.000Z]] <https://aucview.aucfan.com/yahoo/e503472614/>
-
[370] 
[CITE@ja[古文書 軍事郵便 明治時代 對陣週報 征露二年六月十八日 第19号 発行兼編輯者 柳河惠 日露戦争 関係資料(その他)|売買されたオークション情報、yahooの商品情報をアーカイブ公開 - [[オークファン]](aucfan.com)]], [[aucfan]], [TIME[2022-04-05T09:55:39.000Z]] <https://aucview.aucfan.com/yahoo/r474551875/>
-
[371] 
[CITE@ja[古文書 軍事郵便 明治時代 對陣週報 征露二年六月二十五日 第20号 発行兼編輯者 柳河惠 日露戦争 関係資料(その他)|売買されたオークション情報、yahooの商品情報をアーカイブ公開 - [[オークファン]](aucfan.com)]], [[aucfan]], [TIME[2022-04-05T09:55:55.000Z]] <https://aucview.aucfan.com/yahoo/538300661/>

]REFS]

-*-*-

[1042] 
[[昭和時代]]の雑誌に[[日露戦争]]当時から伝わる書の記述があります。

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [1039] [CITE(.label)@ja-JP[[[関西医界時報]] 第30年(333)]]
-- [1041] 
[CSECTION(.label)[[V[明正會員卒業廿五年の記󠄂年會[BR[]]物故會員追󠄃悼祭に恩師謝恩會の美擧]]]]
--- [1040] 
「[DATA(.text)[[V[一、は明治卅八󠄂年征露第二年七[BR[]]月將軍が奉天に於て揮毫芦󠄁原博[BR[]]士の父󠄃君に寄せられたるもの]]]]」
([[明朝体]])
[SRC[>>1038]]

]ITEMS]

[1043] 
[TIME[1937-05-02]]、
[[愛知県立医学専門学校]]の同窓会の明正会のイベントがありました。
明正会は明治45年7月から大正元年9月までの卒業生の親睦会でした。
ちなみにその翌年の卒業生の会は[V[大二會]]と称していました。
当記事はこの明正会イベントの報告でした。
[SRC[>>1038]]

[1044] 
参加者には記念品が配布されました。記念品は明正会幹事の[[[V[芦󠄁原勝󠄃兩]]]]博士が秘蔵していた[[乃木希典]]真跡の複製3点で、そのうち1点が件のもの (>>1040) でした。
それは明治38年7月に[[奉天]]で[[乃木希典]]が[[芦原勝両]]の父親に贈ったものだということです。
[SRC[>>1038]]

[1045] 
残念ながら写真などはなく、本文と署名「典」が掲載されるだけなので、
[[日付]]がどう書かれていたかは明確ではないのですが、
わざわざ「明治38年征露第2年」と併記しているからには、
原品にもそのように書かれていた可能性があります。
もしそうであるなら、征露第3軍の司令官も[[征露]]を使っていたということになります。
確証が得られないのが残念です。

;; [1047] 本文の漢詩[CITE[康平小塔子間途上偶感]]は他書にも掲載されています。 [SRC[>>1046]]
[[康平]], [[小塔子]]は現在の[[中華人民共和国]][[遼寧省]]です。
(ややこしいことに現在の行政区画では[[康平]]県に[[小塔子]]村が属しますが、
別地点間の移動途中という意味らしいです。)


[REFS[
-
[1046] [CITE@ja-JP[乃木将軍詩集詳解]], [[山田竹三郎]], [TIME[大正5][1916]], [TIME[2023-01-17T10:48:16.000Z]], [TIME[2023-02-03T07:22:24.467Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/956125/1/58>
- [1038] [CITE@ja-JP[[[関西医界時報]] 第30年(333)]], [[関西医界時報社]], [TIME[1937-05]], [TIME[2023-01-17T10:48:16.000Z]], [TIME[2023-02-03T06:44:53.327Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1496872/1/10> (要登録)
]REFS]

-*-*-

[1162] 
[TIME[明治38(1905)年][1905]]末に出版された書籍に、
[[満州]]従軍者からの書簡が多数収録されています。
[[明治]]のものが多いですが、[[征露]]のものもあります。
[SRC[>>1161]]

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [1169] 
[[齋藤次右衛門]],
[DATA(.text)[[V[征露二年一月十五日]]]] [WEAK[([TIME(.published)[1905-01-15]])]]
[SRC[>>1161 /58]]
-- [1170] 出征近衛騎兵連隊第二中隊所属 一等卒
-- [1171] [[日本国]][[埼玉県]][[北足立郡]][[浦和町]] [[北足立郡]]役所内[[栗原純]]宛
- [1175] 
[CSECTION[清國灣柳河に於ける野戰病院開設の事]],
[[岡田藤平]],
[V[十月十九日]] [WEAK[([TIME(.published)[1905-10-19]])]]
-- [1176] 「頃しも[DATA(.text)[征露二年]]去歳の二月二十七日の出來事[SNIP[]]明治三十八年二月二十日早天[SNIP[]]」
[SRC[>>1161 /67]]
-- [1177] 鴨緑江軍後備第一師団第二野戦病院附 陸軍看護卒
-- [1178] [[日本国]][[埼玉県]][[南埼玉郡]][[越ヶ谷町]]出身
-- [1179] 類子 (妻) 宛
- [1180] 
[CSECTION[行軍日記]],
[[岡田藤平]],
[V[三月十一日]] [WEAK[([TIME(.published)[1905-03-11]])]]
--[1181] 「[DATA(.text)[征露二年三月九日]]久しく[SNIP[]]」 [WEAK[([TIME(.value)[1905-03-09]])]]
[SRC[>>1161 /68]]
-- [1182] 鴨緑江軍後備第一師団第二野戦病院附 陸軍看護卒
-- [1183] [[日本国]][[埼玉県]][[南埼玉郡]][[越ヶ谷町]]出身
-- [1184] 類子 (妻) 宛
-
[1189] 
[RUBYB[[[志村政吉]]][[TIME[1878]]-?]],
[DATA(.text)[[V[征露二年三月二十四日]]]] [WEAK[([TIME(.value)[1905-03-24]])]]
[SRC[>>1161 /107]]
-- [1190] 鴨緑江軍 陸軍歩兵靴工
--- [1191] 満州各地を転戦
--- [1194] [TIME[1905-02-28]] [[鳳凰城]]発
--- [1195] [TIME[1905-03-04]] [[賽馬集]]兵站司令部着
-- [1192] [[日本国]][[埼玉県]][[大里郡]][[深谷町]]出身
-- [1193] 兄宛
- [1196] 
[RUBYB[[[武政增太郞]]][[TIME[1870]]-?]],
[DATA(.text)[[V[征露二年六月二日]]]] [WEAK[([TIME(.value)[1905-06-02]])]]
[SRC[>>1161 /107]]
-- [1197] 後備歩兵第五十連隊第十中隊所属 陸軍歩兵上等兵
-- [1198] [[日本国]][[埼玉県]][[北埼玉郡]][[井泉村]]出身
-- [1199] [[森菊次郞]]宛
- [1163] 
[[前島茂八]],
[DATA(.text)[[V[征露第二年七月十三日]]]] [WEAK[([TIME(.value)[1905-07-13]])]],
「清国蒙古南端の戦場」
[SRC[>>1161 /56]]
-- [1167] 征露第三軍後備歩兵第十連隊第一大隊第三中隊所属 陸軍歩兵伍長
-- [1168] [[日本国]][[埼玉県]][[南埼玉郡]][[越生町]]百二十一番地[[柳瀬とね]]宛
- [1185] 
[RUBYB[[[坂本常作]]][[TIME[1884]]-?]],
[DATA(.text)[[V[征露二年九月十五日]]]] [WEAK[([TIME(.value)[1905-09-15]])]]
[SRC[>>1161 /71, >>1161 /154]]
-- [1186] 第七師団第九中隊附 陸軍歩兵二等卒
--- [1188] [TIME[1905-09-30]]頃帰国予定
-- [1187] [[埼玉県]][[南埼玉郡]][[久喜町]] [[竹森小三郞]]宛
- [1172] 
[[關口三代八]],
[DATA(.text)[[V[征露二年九月二十三日認]]]] [WEAK[([TIME(.value)[1905-09-23]])]]
[SRC[>>1161 /62]]
-- [1173] 北韓軍後備歩兵大三連隊第七中隊所属 陸軍歩兵
-- [1174] [[日本国]][[埼玉県]][[埼玉郡]][[忍町]]慰問紙発送有志宛
- [1164] 
[[梁川爲二郞]],
[DATA(.text)[[V[征露二年十月十六日]]]] [WEAK[([TIME(.value)[1905-10-16]])]]
[SRC[>>1161 /47]]
-- [1166] 征露第三軍第一師団第四糧食縦列第一小隊第四分隊所属 陸軍歩兵
-- [1165] [[日本国]][[埼玉県]][[北足立郡]][[川口町]]長[[福吉友吉]]宛





]ITEMS]


[REFS[


- [1161] 
[CITE@ja-JP[勇士之書翰集 : 征露記念 第1編]], [[奥平鎮之助 等編]], [TIME[明38.12][1905]], [TIME[2023-12-19T01:59:10.000Z]], [TIME[2023-12-31T07:07:51.066Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/866557/1/56> (要登録)


]REFS]



-*-*-

[1298] 
[TIME[1906-05-08]]に[[日本国]][[東京府]][[東京市]]で発行された[[日本軍]]部隊有志の文芸誌には、
[[征露]]を使ったものがいくつかあります。

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [1282] 
[CITE(.label)@ja-JP[征露紀念左近廼桜]],
[V[明治三十九年五月二日印刷]],
[V[明治三十九年五月[RUBY(normal)[[DEL[五]]][[CURSIVE[八]]]]日發行]] [WEAK[([TIME(.published)[1906-05-08]])]],
[DATA(.addr)[[[日本国]][[東京府]][[東京市]]]]
-- [1277] 
[CSECTION(.label)[[V[近󠄁衞師團戰鬪經過󠄃ノ槪記]]]],
[[[V[安藤白灣]]]],
[[[V[相馬濤水]]]]
--- [1278] 
「[V[[SNIP[]][DATA(.text)[征露二年二月中旬]][SNIP[]]]]」
[SRC[>>1281 /28 右]]
-- [1279] 
[CSECTION(.label)[[V[[ASIS[初][亠→二]]夢]]]],
[[[V[明才知馨花]]]]
--- [1280] 
「[V[([DATA(.text)[征露第二年一月二日]]淸國黑牛屯にて記す)]]」
[SRC[>>1281 /45 左]]
---- [1300] 
[[清國]][[盛京省]][[黒牛屯]]
-- [1283] 
[CSECTION(.label)[[V[月の一夜]]]],
[[[V[今井丹俉]]]]
--- [1284] 
「[V[[SNIP[]][DATA(.text)[征露二年九月一日稿]]]]」
[SRC[>>1281 /106 左]]
-- [1285] 
[CSECTION(.label)[[V[近󠄁衞師團の選拔角力を南城子に見る]]]],
[[[V[瀧口喜代松]]]]
--- [1286] 
「[V[[SNIP[]][DATA(.text)[征露二年十月二日]]也]]」
[SRC[>>1281 /133 左]]
-- [1287] 
[CSECTION(.label)[[V[五月雨]]]],
[[[V[今川丹吾]]]]
--- [1288] 
「[V[[DATA(.text)[征露二年六月稿]]]]」
[SRC[>>1281 /142 左]]
-- [1289] 
[CSECTION(.label)[[V[雪󠄃中の展望󠄆哨󠄁]]]],
[[[V[綠堂]]]]
--- [1290] 
「[V[頃は征露の初つの年 霜月半󠄃ば朝まだき]]」
[SRC[>>1281 /160 右]]
-- [1291] 
[CSECTION(.label)[[V[偶成]]]],
[[[V[岩科龜太郞]]]]
--- [1292] 
「[V[[DATA(.text)[征露一年九月十五日[ASIS[夜][m5763]]]]觀月[ASIS[感][<https://glyphwiki.org/wiki/gt-66932>]]]]」
[SRC[>>1281 /226 左]]
-- [1293] 
[CSECTION(.label)[[V[戰後滿洲]]]],
[[[V[河野六峰]]]]
--- [1294] 
「[V[[DATA(.text)[征露元年五月一日]]鴨綠江]]」
[SRC[>>1281 /227 右]]
-- [1295] 
[CSECTION(.label)[[V[[DATA(.text)[征露二年端午]]偶成]]]],
[[[V[沖政之助]]]]
[SRC[>>1281 /233 右]]
-- [1296] 
[CSECTION(.label)[[V[編輯餘錄 [WEAK(smaller)[(其の一)]]]]]]
--- [1297] 
「[V[顯みれば[DATA(.text)[征露二年]]淸國和順屯に[SNIP[]]]]」
[SRC[>>1281 /246 右]]
---- [1301] 
[[清国]][[和順屯]]: [TIME[明治38(1905)年8月][1905-08]][[上旬]]に[[日本軍]][[近衛師団]]司令部が置かれた地

]ITEMS]


[1299] 
本書は[[日本軍]]の[[滿洲]]進攻部隊の従軍兵士有志の陣中文芸雑誌に収録された作品の一部を終戦後に再編集して出版したものと、
後書きで説明があります。




[REFS[

- [1281] 
[CITE@ja-JP[征露紀念左近廼桜]], [[相馬小太郎 (濤水) , 床枝東洋]], [TIME[明39.5][1906]], [TIME[2024-07-30T10:51:24.000Z]], [TIME[2024-08-04T08:38:23.027Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/774188/1/45> (要登録)

]REFS]

-*-*-

[339] 
[[令和時代]]に[[日本]]の[[古書店]]で販売している軍事系の絵図で、
征露2年とされるものが2点確認できます。
[SRC[>>337, >>338]]

[340] 
どちらも[[日本軍]]人として出征した[[竹内為次]]なる者が[[著者]]とされ、
同じ[[古書店]]が販売しているもので、
元の所蔵者が同じと推測されます。
「肉筆」絵図とされており、著者が戦場で描いた原品でしょうか。

[341] 
一方の品名に「征露二年七月於満州」とあります。現物にそのように書かれているのでしょう。
他方は「征露2年」のものとされており、こちらも「征露二年」
のように書かれていると推測されます。時期は不明ですが、同じ頃でしょうか。

[343] 
[[竹内為次]]がどのような人物だったかは不明です。
[[大正時代]]の[[日本国]][[兵庫県]][[姫路市]]の商人に
「[V[竹内爲次󠄄]]」
という者がいます [SRC[>>342]] が、同一人物かはわかりません。
ちなみに販売している[[古書店]]は[[日本国]][[群馬県]]所在ですが、
古地図の専門店のようですから、原所在地との関係は薄いかもしれません。

[REFS[

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[337] 
[CITE@ja[軍事・砲術・兵法 砲弾六分之一図 (竹内為次) / 古地図と城 城郭文庫 / 古本、中古本、古書籍の通販は「[[日本の古本屋]]」]], [[東京都古書籍商業協同組合]], [TIME[2022-03-22T11:46:19.000Z]] <https://www.kosho.or.jp/products/detail.php?product_id=273549889>
]FIGCAPTION]

>
,* 著者 ,竹内為次
,* 解説 ,征露2年 砲弾絵図彩色肉筆38絵図 43x62cm
]FIG]

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[338] 
[CITE@ja[砲弾六分之一図征露二年七月於満州(出征軍人竹内為次) / 古地図と城 城郭文庫 / 古本、中古本、古書籍の通販は「[[日本の古本屋]]」]], [[東京都古書籍商業協同組合]], [TIME[2022-03-22T11:47:09.000Z]] <https://www.kosho.or.jp/products/detail.php?product_id=205719526>

]FIGCAPTION]

>
,*    著者 ,出征軍人竹内為次
,*    解説 ,42x63cm 肉筆彩色絵図 榴弾砲9・加能砲12・臼砲17 計38砲弾絵図


]FIG]

-
[342] 
[CITE@ja[姫路飾磨神崎紳士大鑑 - [[国立国会図書館デジタルコレクション]]]], [TIME[2022-03-22T11:54:08.000Z]] <https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/918029/26>

]REFS]




-*-*-

[823] 
[[昭和時代]]に出版された戦場文集に、
戦場で軍人らが作った文章が収録されており、
日付を[[征露]]で書いたものがあります。
[SRC[>>822]]

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [830] [DATA(.label)[[CITE[[V[滿洲花󠄄譜󠄃]]]], [[[V[新井恒作]]]]]]
-- [824] 
[DATA(.label)[[CITE[[V[[RUBY[滿][まん]][RUBY[洲][しう]][RUBY[花󠄄][くわ]][RUBY[譜󠄃][ふ]][RUBY[序][じよ]][RUBY[言][げん]]]]]], [[[V[山本勝󠄃二]]]]]],
[DATA(.text)[[V[征露第二年八󠄂月二十五日]]]] ([[明朝体]]),
[DATA(.addr)[[V[[[滿洲]]小靑堆子陣中]]]]
[SRC[>>822 /90]]
-- [825] 
[DATA(.label)[[CITE[[V[[RUBY[滿][まん]][RUBY[洲][しう]][RUBY[花󠄄][くわ]][RUBY[譜󠄃][ふ]][RUBY[序][じよ]]]]]], [[[V[山崎有信]]]]]],
[DATA(.text)[[V[征露第二年九月三十日]]]] ([[明朝体]]),
[DATA(.addr)[[V[[[滿洲]]小靑堆子]]]]
[SRC[>>822 /91]]
-- [826] 
[DATA(.label)[[CITE[[V[[RUBY[滿][まん]][RUBY[洲][しう]][RUBY[花󠄄][くわ]][RUBY[譜󠄃][ふ]][RUBY[小][せう]][RUBY[序][じよ]]]]]], [[[V[本多五陵]]]]]],
[DATA(.text)[[V[征露第二年十月三日]]]] ([[明朝体]]),
[DATA(.addr)[[V[[[遼西]]小靑堆子宿舍]]]]
[SRC[>>822 /91]]
-- [835] 
[DATA(.label)[[CITE[[V[題[RUBY[滿][まん]][RUBY[洲][しう]][RUBY[花󠄄][くわ]][RUBY[譜󠄃][ふ]][RUBY[小][せう]][RUBY[序][じよ]]]]]], [[[V[本多五陵]]]]]],
[DATA(.text)[[V[征露第二年陽月初十]]]] ([[明朝体]]),
[DATA(.addr)[[V[[[滿洲]]小靑堆子]]]]
[SRC[>>822 /91]]
--- [828] [[漢詩]]
-- [827] 
[DATA(.label)[[[漢詩]], [[[V[齋藤󠄇庸堂]]]]]],
[DATA(.text)[[V[征露第二年仲秋]]]] ([[明朝体]]),
[DATA(.addr)[[V[[[滿洲]]小靑堆子]]]]
[SRC[>>822 /91]]
--- [829] 現物は[[書]]かも?
-- [833] [DATA(.label)[第1巻自序, [[[V[新井恒作]]]]]], 
[DATA(.text)[[V[明治三十八󠄂年八󠄂月下浣]]]] ([[明朝体]])
[DATA(.addr)[[V[[[滿洲]][[奉天省]]小靑堆子宿舍]]]]
[SRC[>>822 /91]]


]ITEMS]

[831] 
本書は[[日露戦争]]で記録係として[[日本軍]]に属した[[著者]]が戦場での文学作品を収集したもので、
[V[大正三年七月七日]]
[WEAK[([TIME[1914-07-07]])]]
に[[東奥日報]]と[[岩手日報]]に掲載され、
[[昭和時代]]に改めて刊行されたものです。
[SRC[>>822 /130, /10]]

[832] 
当該部分はやはり記録係であり、趣味で植物を収集していた[[新井恒作]]が、
その図画をまとめたものだったようですが、本書に収録されているのは序文と草名のみです。
本書編者を含む複数人が序文をいくつも書き連ねていますが、
同じ宿舎に滞在中だったようで、みな同僚や同好の士で収集や制作に協力していたのでしょう。

[834] 
他序がみな[[征露]]を使っているところ、[[自序]]だけ[[明治]]なのは不思議です。
当時の軍人軍属らの中では[[征露]]が大流行中だったのでしょうが、
[[著者]]のみ何かこだわりがあったのでしょうか。それとも偶然でしょうか。

[836] 
自序が[TIME[明治38年8月][1905-08]]下旬、
最初の序文が[TIME[1905-08-25]]です。
「下旬」がいつかは明らかではありませんが、
まず自序をしたためてから最初の序文から順番に書いてもらったと考えると、
著者が[[明治]]で書いた後、二人目が[[征露]]を使い、
以降それに倣ったとも考えられます。

[837] 
陽月は、元は[[旧暦]]の10月の異称とされます。
[[漢詩]]のため「陽月初十」と[[中文]]風の表現を使ったのでしょうか。
そこまでの序文が新暦で、これが旧暦10月10日すなわち[TIME[1905-11-06]]だとすると、
間が開きすぎとも思われます。
[TIME[1905-10-10]]かもしれません。

[838] 
仲秋は、元は[[旧暦]]の8月の異称とされます。
9月、10月と並んでここで8月ないし旧暦8月 = 9月に戻るとすると順序が乱れますが、
もしこれだけが[[書]]なら、この位置にあるのも納得できます。
その場合新暦8月でも旧暦8月でも大きな矛盾は生じません。
どちらであるかはこれだけでは不明と言わざるを得ません。


[839] 
[[小靑堆子]]は[[滿洲]]の日本軍宿営地があったようです。
[LAT[42.494300]], [LON[123.646000]]
に現在も[[小青堆子村]]があるようで、その付近でしょうか。






[REFS[
- [822] 
[CITE@ja-JP[日露戦地の懐旧]], [[山崎有信]], [TIME[昭和8][1933]], [TIME[2023-01-11T10:47:13.000Z]], [TIME[2023-01-14T06:34:59.619Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1213096/1/90> (要登録)
]REFS]


-*-*-


[1056] 
[TIME[1912-10-18]]に[[日本国]][[東京府]][[東京市]]で発行された[RUBYB[[[乃木希典]]][[TIME[1849]]-[TIME[1912]]]]の追悼講談本に収録された、
戦争当時の追悼会の資料に、
[[征露]]が使われていました。

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [1058] 
[CITE(.label)@ja-JP[乃木大将陣中珍談]]
[DATA(.published)[[V[大正元年十月十八󠄂日]]]],
[DATA(.addr)[[[日本国]][[東京府]][[東京市]]]]
--
[1061] 
[CITE(.label)[[V[[LINES(quarter)[自十月 九 日][至十月十一日]] 第三軍招魂祭演伎委員及󠄃演伎者連名表]]]]
---
[1062] 
「[DATA(.text)[[V[征露第二年]]]]」 ([[明朝体]])
[SRC[>>1057 /15]]
--
[1059] 
[CSECTION(.label)[[V[招魂祭演伎に就て]]]]
---
[1060] 
「[DATA(.text)[[V[征露第二年十月十日淸國法庫門に於て[SNIP[]]]]]]」 ([[明朝体]])
[SRC[>>1057 /24]]

]ITEMS]


[1063] 
本書によると[[著者]]は[[日露戦争]]に従軍し[[乃木希典]]の指揮下にあったようです。
[[征露]]が見えるのは[[乃木希典]]の指揮する征露第三軍の招魂祭の概要を示したもので、
>>1061 はおそらく当時の資料を翻刻したものなのでしょう。
>>1059 は帰国後 (出版時?) に回顧して執筆したものと思われます。
開催の[[法庫門]]は[[奉天]]近く、
現在の[[中華人民共和国]][[遼寧省]][[瀋陽市]][[法庫県]]付近の[[日本軍]]駐屯地と思われます。


[REFS[
- [1057] 
[CITE@ja-JP[乃木大将陣中珍談]], [[桃川若燕 '''['''述''']''']], [TIME[大正1][1912]], [TIME[2023-01-17T10:48:16.000Z]], [TIME[2023-02-24T07:07:19.275Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/946190/1/15>
]REFS]



** 満州発軍事郵便の用例


[50] 
[[令和時代]]初期の
[CITE[Twitter]]への投稿に、[[郵便はがき]]の表面の写真がありました。
[SRC[>>51]]
(残念ながら投稿・写真とも削除済で現存しません。)

[314] 
当該葉書は[[軍事郵便]]で、
「[V[遼東守備軍]]」 ([[行書]])
から[[日本国]][[三重県]][[津市]]に送られたものでした。
[SRC[>>51]]
送受信者の[[姓]]が一致しており、
家族宛と推測されます。

[315] 
葉書には
「[L[征露元年十二月二十日発]]」 ([[行書]])
とありました。
[[消印]]は[[日付]]不鮮明ながら、
[[年]]は「[L[37]]」と読み取れ、
[[月日]]の欄には12月20日以降の数字と考えて矛盾しないかすかな線があります。
[SRC[>>51]]
日付は送受信者欄と同筆とみて構わないでしょう。
発信者が投函前に書いたと考えて良さそうです。



[REFS[
-
[51] [CITE@ja[からしさんは[[Twitter]]を使っています 「エモポイント 年が元号じゃなくて「征露元年」なところ https://t.co/3lw0JC1DpW」 / Twitter]]
(午前0:27 · 2019年8月17日 [TZ[+09:00]], [TIME[2020-09-09T04:18:54.000Z]])
<https://twitter.com/powanokiwami/status/1162385301790056448/photo/1>
-- 消滅確認 [TIME[2022-03-16T09:27:44.300Z]]
--- [[Internet Archive]] 等にも所蔵なし
]REFS]

-*-*-

[1020] 
[TIME[明治40(1907)年][1907]]に[[日本国]][[大阪府]]の仏教団体が出版した書籍には、
戦地から送られてきた書状が多数収録されています。そのうちいくつかには[[征露]]が使われています。

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [1023] 
[DATA(.label)[第6師団後備独立工兵中隊 工兵軍曹 [[[V[服󠄃部道󠄃太郞]]]]書状]]
「[DATA(.text)[[V[征露二年二月十六日]]]]」
[SRC[>>1019 /23]]
- [1024] 
[DATA(.label)[第1師団第1補助輸卒隊第1小隊 [[[V[谷內文󠄃太郞]]]]書状]]
「[DATA(.text)[[V[征露二年七月十四日]]]]」
[SRC[>>1019 /37]]
- [1025] 
[DATA(.label)[第2軍司令官 [[奥保鞏]]大将書状]]
「[DATA(.text)[[V[征露第二年八󠄂月廿四日]]]]」
[SRC[>>1019 /41]]
- [1026] 
[DATA(.label)[出征野戦鉄道提理部第5運転班 車輌員大連機関庫出勤 [[[V[工藤吉太郞]]]]書状]]
「[DATA(.text)[[V[征露二年九月五日]]]]」
[SRC[>>1019 /43]]


]ITEMS]

[1021] 
本書を出版した[[大阪婦人妙好会]]は、[[大阪]]の仏教系女性団体で、
[[日露戦争]]中は後方から支援する活動をしていたと思われます。
本書に収録されているのは、戦地から同会に送られてきた感謝状の類です。

[1022] 
[[日付]]は[[明治]][VAR[何]]年と書くものや[VAR[何]]年と年数だけのものが多いですが、
中には[[征露]]のものが混じっていたようです。

[1027] 
征露第2軍司令官の[[奥保鞏]]の書状は本文が一言だけの簡単なものですが、
[[征露]]の日付の用例としては最高位の人物ではないでしょうか。


[REFS[
- [1019] 
[CITE@ja-JP[日露戦役奉公余響]], [[大阪婦人妙好会]], [TIME[明40.7][1907]], [TIME[2023-01-17T10:48:16.000Z]], [TIME[2023-02-02T13:43:23.221Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/774335/1/23>
]REFS]

-*-*-

[916] 
[TIME[明治38(1905)年][1905]]に[[日本国]][[東京府]][[東京市]]で発行された医療系団体の機関誌に、
[[征露]]が使われた記事がいくつかあります。


[ITEMS[ [[日時事例]]

- [938] [DATA(.label)[[CITE@ja-JP[[[衛生談話]] 第5年(3)]], [[日本通俗衛生会]]]],
[V[明治三十八󠄂年三月廿八󠄂日發行]]
[WEAK[([TIME[1905-03-28]])]],
[DATA(.addr)[[[日本国]][[東京府]][[東京市]]]]
--
[939] 
[CSECTION(.label)[[R[懷爐の事]]]],
[[[V[和田康三]]]]
「[DATA(.text)[[V[征露第二年二月廿五日發]]]]」
[SRC[>>936]]
- [917] [DATA(.label)[[CITE@ja-JP[[[衛生談話]] 第5年(7)]], [[日本通俗衛生会]]]],
[V[明治三十八󠄂年七月廿八󠄂日發行]]
[WEAK[([TIME[1905-07-28]])]],
[DATA(.addr)[[[日本国]][[東京府]][[東京市]]]]
-- [918] 
[DATA(.label)[写真, 征露第1軍兵站監部]]
--- [919] 
[CITE(.text)[[V[征露第二年六月淸國奉天城に於ける[BR[]]第十二師團第十一[ASIS[補][亠→二]]助輸卒隊の陣中布教蓄音機演奏之狀]]]]

]ITEMS]

[940] 
[TIME[1905-03-28]]号に戦地の軍部隊から受け取ったという手紙の一部が紹介されています
(>>939)。

[941] 
その発信者の[[[V[和田康三]]]]は、
[V[遼東守備軍南[ASIS[瓦][乙左上突出]]房󠄃店]]の[V[兵站病院附]]の[V[看護長]]でした。
内容は懐炉の寄附に対する感謝でした。
[SRC[>>936]]
当会で寄付金を集めてカイロを送り、それが現在の[[中華人民共和国]][[遼寧省]][[大連市]][[瓦房店市]]付近に設置されていた兵站病院に届けられたようです。

[942] 
その[[日付]]が[[征露]]であり、[[清国]][[滿洲]] (旧[[ロシア帝国領関東州]])
[[大連]]付近に駐留していた[[日本軍]]後方部隊でそれが普通に用いられていたと推測されます。


[937] [TIME[1905-07-28]]号に戦地の軍部隊から受け取ったという写真の紹介があり 
(>>918, 現物なし)、
[[征露]]文書 (>>919) が写っていたとのことです。

[920] 
記事によると、軍人および傷病者の慰問のため当団体等が寄付金を集めて用意した蓄音機を持って布教使が戦場に赴きました。
当記事はそれに対する礼状等を紹介したものです。
写真の詳細は書かれていないのですが、
おそらく征露2年云々の状、という演奏プログラムか何かが写されていたという意味なのでしょう。

[921] 
そうだとすると、[[清国]][[滿洲]][[奉天]]付近に駐留していた第12師団第11補助輸卒隊向け演奏会で
「征露第二年六月」という表記が使われていたということになります。

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [935] [DATA(.label)[[CITE@ja-JP[[[衛生談話]] 第5年(4)]], [[日本通俗衛生会]]]],
[V[明治三十八󠄂年四月廿八󠄂日發行]]
[WEAK[([TIME[1905-04-28]])]],
[DATA(.addr)[[[日本国]][[東京府]][[東京市]]]]
-- [933] 
[CSECTION(.label)[[V[消󠄃息[YOKO[!!!]]]]]],
[[[V[井上折亭]]]]
「[DATA(.text)[[V[征露第二年正陽月下旬編輯を終󠄁るの日]]]]」
[SRC[>>915]]

]ITEMS]

[934] 
同じ雑誌の[TIME[1905-04-28]]号には、会員の近況をまとめた欄 (ほぼ戦争関係)
の日付が[[征露]]でした。
[SRC[>>935]]
これは東京で編集者が書いたものです。

[1010] 
[[正陽月]]は元々[[旧暦]]4月の[[異名][旧暦月名]]とされますが、
ここでは新暦4月と解するのが妥当でしょう。




[REFS[

- [936] 
[CITE@ja-JP[[[衛生談話]] 第5年(3)]], [[日本通俗衛生会]], [TIME[1905-03]], [TIME[2023-01-17T10:48:16.000Z]], [TIME[2023-02-01T08:47:29.123Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1468327/1/18> (要登録)
- [932] 
[CITE@ja-JP[[[衛生談話]] 第5年(4)]], [[日本通俗衛生会]], [TIME[1905-04]], [TIME[2023-01-17T10:48:16.000Z]], [TIME[2023-02-01T08:37:05.990Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1468328/1/18> (要登録)
- [915] 
[CITE@ja-JP[[[衛生談話]] 第5年(7)]], [[日本通俗衛生会]], [TIME[1905-07]], [TIME[2023-01-17T10:48:16.000Z]], [TIME[2023-01-31T12:34:22.312Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1468331/1/17> (要登録)
]REFS]


-*-*-

[1325] 
[[日本国]][[滋賀県]][[甲賀郡]][[水口町]]役場所蔵[[東海道水口宿文書]]
E126
「出征軍人記念手簡」
に、
「征露二年」
付けの手紙3通, 葉書1通があります。
[SRC[>>1324]]

[1326] 
これらは出征軍人から[[水口尋常小学校]]宛に送付されたものとされます。
目録には[TIME[明治38(1905)年7月][1905-07]]とあります。
[SRC[>>1324]]

[1327] 目録にはこれ以上の情報はなく詳細不明です。
目録の解説文で簡単に説明されているものの、
目録本体にはこの史料が複数の手紙で構成されることの記載はなく、
[[日付]]も[[明治]]の[[元号]]に直されていて原日付の注釈が一切なく、
史料探索のための手がかりとして幾分の不満を感じないこともありません。

;; [1328] 目録が整備されているだけでも大変ありがたいことではあるのですがね。

[1329] 
[TIME[1988-03-31]]に発行された目録の解説は、
戦勝を祈願して使用されたのであろうとし、
流通が確認されたのはこの史料が初めてだと述べています。
[SRC[>>1324]]

[1330] 
「流通が確認」が「初めて」とは何を指しているのか判然としません。
この地域でという限定的な話でもなさそうな文章です。
昭和63年時点で手紙のような非固定的な用例はあまり知られていなかったため、
初めてとしたのでしょうか。


[REFS[

- [1324] 
[CITE@ja-JP[東海道水口宿文書目録 : 滋賀県甲賀郡水口町役場所蔵]], [[水口町立歴史民俗資料館]], [TIME[1988.3][1988]], [TIME[2025-10-29T01:48:45.000Z]], [TIME[2025-10-31T07:03:31.891Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/13208441/1/12?keyword=%E5%BE%81%E9%9C%B2> (要登録)

]REFS]

-*-*-

[38] 
[[令和時代]]初期に[[日本]]の[[オークション]][[Webサイト]]に出品された[[絵葉書]]に、
「[V[征露二年󠄂九月廿二日]]」
([[楷書]])
とありました。
[SRC[>>34]]

[40] 
[[絵葉書]]は[[夏家堡子]]から[[日本国]][[福島県]]に送付されたものでした。
[SRC[>>34]]
[[夏家堡子]]は[[満鮮国境]]の[[内満洲]]側の村で、
現在は[[中華人民共和国]][[遼寧省]]に属します。

[263] 
送信者は出征中の[[日本軍]]人でした。
送受信者の[[姓]]が同じなので、家族に宛てたものだったのでしょう。
受信者の元で保管された後、何らかの事情で[[日本国]]内で流通しているものと推測されます。


[REFS[
- [34] [CITE@ja[[[ヤフオク!]] - 満洲絵葉書 戦前 手彩色 満洲の初霜 征露二年九...]]
([TIME[2020-09-08T09:15:34.000Z]])
<https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/t746932231>
]REFS]


-*-*-

[102] 
[[平成時代]]に[[日本国]][[石川県]][[金沢市]]の旧家・松岡家から[[東京学芸大学]]に寄贈された文書コレクション中に、
「征露2年8月15日」
付の「状」がありました。
[SRC[>>5]]

[103] 
宛先は
「松岡清兵衛」
とされ [SRC[>>5]]、
松岡家の第5代当主[[松岡清兵衛]]と思われます。
5代松岡清兵衛は[TIME[西暦1906年][1906]]まで当主の座にありました
[SRC[>>5 p.4]]。
受け取り地は目録に書かれていませんが
[WEAK[(現物が[[葉書]]だとすると、そこには書かれているでしょう)]]。
[[金沢]]と考えるのが自然でしょう。


[104] 
送り主は
「東三次郎」
とされます [SRC[>>5]]
が、その素性や松岡家との関係はわかりません。

[105] 
「両家子」
にてとありました [SRC[>>5]] が、
[[清国]][[内満州]]の[[長春]]郊外の[[両家子]]という地に[[日露戦争]]時に[[日本軍]]の拠点が置かれたようですから、
その地で執筆されたものと推測できます。
内容の詳細は不明ですが、
表題に
「師団ノ予備隊ニ罷在ニ付」
とあります [SRC[>>5]]
から、
[[出征]]中の東三次郎が[[満州]]の地から本国に連絡したものと見て良いでしょう。

[106] 
時期が
「征露2年8月15日」
とされており [SRC[>>5]]、
目録掲載時に[[漢数字]]から[[欧州数字]]に置き換えられた可能性が高いものの、
現物にそのような[[日付]]が明記されていたのでしょう。
目録は
「明治38年カ」
と断定を避けていますが [SRC[>>5]]、
[[征露]]の[[私年号]]の通説に従い[TIME[明治38(1905)年][1905]]と断定して構わないでしょう。
[TIME[1905-08-15]]は講和条約の交渉が開始された後で
(9月に[[ポーツマス条約]]に[[調印]])、
終戦前とはいえ[[日本軍]]が[[南満州]]を安定して支配できていたと推測され、
このような書状が送付された時期として最も適切です。

[107] 
以上の推測に誤りがないとすると、本史料は[[満州]]の地で従軍中の日本兵の間で
「征露」
の[[私年号]]が広まっていた可能性を示す貴重なものといえます。

;; [124] 
ただし、
可能性は低いかもしれませんが、
もし日付または「征露2年」部分が別筆なら、
受け取り地で書き入れられたかもしれないことになります。
現物で確認したいところです。


[REFS[

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[5] [CITE[[[東京学芸大学]]大石学研究室所蔵「加賀国金沢尾張町松岡 家文書目録」および解題]],
[[大石学]],
2007年8月31日受理,
2008-01-00,
[TIME[2016-05-24 01:29:51 +09:00]]
<https://ir.u-gakugei.ac.jp/bitstream/2309/87648/2/18804322-59-05.pdf#page=13>
]FIGCAPTION]

> 
,資料番号 ,年月日 ,表題 ,作成・差出 ,宛所 ,形・数 ,備考 ,西暦 ,整理番号
,79 ,征露2年8月15日 ,謹啓(師団ノ予備隊ニ罷在ニ付),両家子ニテ 東三次郎 ,松岡清兵衛様 ,状1 ,明治38年カ ,95990815 ,2‐2‐1

]FIG]

]REFS]

[NOTE[

[108] 
この目録は資料の日付を[[欧州数字]]8桁の「西暦」で表しています [SRC[>>5]]
が、その[[形式][日時形式]]がいかなるものかの説明を欠いています。
本目録掲載の「年月日」と「西暦」から推測すると、
次のようなものです。

- [109] 年4桁、月2桁、日2桁で構成されます。
- [110] 月、日は
-- [111] 
記載があればそれを2桁の[[欧州数字]]で表したものです。
---
[113] 
[[暦]]の区別はなく、そのままの[[月番号]]、[[日番号]]を使います。
--- 
[114] 
[[閏月]]であっても、[[月番号]]だけを表します
(5番、6番)。
-- [112] 
記載がないか「[L[盆後ヨリ]]」 (60番) のように特定できない場合は
[N[99]] です。
- [115] 年は
-- [116] [[西暦年]]に換算できるなら、それを[[欧州数字]]で表したものです。
-- [117] [[元号年]]は、そのまま換算します。
-- [118] [[十二支年]]は、
[[元号年]]が推測できる場合、
「年月日」に括弧書きで記載し [SRC[>>5 p.10]] た上で、
換算します。
-- [119] 
[[十二支年]]で[[年]]を特定できない場合、
子を [N[9901]]、
亥を [N[9912]]
とする数値で表します。
-- [120] 
[[干支年]]は、[N[9999]] とします。
-- [122] 
「征露2年」
は、
[N[9599]]
とします。
-- [121] 
記載がない場合は、
[N[9999]] 
とします。

[123] 
ここで
「征露」
は他の不明年とは区別されているようですが、
どのような法則性で
[N[9599]]
が割り当てられたのか定かではありません。



]NOTE]


-*-*-


[177] 
[[平成時代]]に[[日本]]の[[オークション]][[Webサイト]]に出品された[[葉書]]で、
[[日露戦争]]時の[[軍事郵便]]により送付されたと思われるものがありました。
[SRC[>>11, >>175]]

[178] 
裏面に送付者によると思われる墨書で
「[V[征露二年十月二十[ASIS[二][低解像度のため不明瞭]]日]]」
([[楷書]])
とありました。
表面に[[消印]]
「[L[38-10-[ASIS[□][不明瞭、左は「2」]]]]」
「[R[丗八年十一月]]」
とありました。
[SRC[>>175]]

[179] 
裏面に同筆で「[V[満州老虎頭]]」 ([[楷書]]) に於いて、
とありました。
[SRC[>>175]]
[[老虎頭]]がどこか定かではありませんが、
[[旅順]]に[[老虎半島]]、[[老虎尾灯台]]があり、
その近辺でしょうか。
[TIME[西暦1905年10月][1905-10]]に[[関東州]]の[[日本軍]]所属の軍人が (私的に)
[[征露]]を用いた確かな事例といえます。



[REFS[
- [11] [CITE[[[軍事郵便]] 第二軍明治38年10月消印 征露二年満州老虎頭 雅虎拍卖 yahoo代拍 日本代拍|日本雅虎代拍|日购网(www.rigouwang.com)]],
[TIME[2016-05-24 01:39:04 +09:00]]
<http://www.rigouwang.com/index.php/Index/DataShare/auctionId/d154751289.html>
-- 消滅確認 [TIME[2022-03-04T12:13:16.000Z]]
- [175] 
[CITE@ja[[[軍事郵便]] 第二軍明治38年10月消印 征露二年満州老虎頭(その他)|売買されたオークション情報、yahooの商品情報をアーカイブ公開 - オークファン(aucfan.com)]], [[aucfan]], [TIME[2022-03-04T12:13:22.000Z]] <https://aucview.aucfan.com/yahoo/d154751289/>
-- [176] 
[CITE[d154751289.3.jpg (JPEG 画像, 600 × 450 px) — 表示倍率 (91%)]], [TIME[2018-12-02T17:54:41.000Z]], [TIME[2022-03-04T12:13:51.521Z]] <https://auctions.afimg.jp/d154751289/ya/image/d154751289.3.jpg>
]REFS]



-*-*-

[318] 
[CITE[Twitter]] に投稿された[[日露戦争]]中と思われる[[葉書]]裏面の写真があります。
[SRC[>>55]]

[319] 
送受信者は不明ですが、
征露2年2月12日4時30分に[[日本国]][[群馬県]][[高崎市]]を出発し、
大陸に上陸するまでの行程が記されています。
上陸地は「[V[[RUBY[[DEL[○○]]][ダルニー]]地]]」 
([[草書]]、抹消線とルビは[[別筆]])
とあります。
[SRC[>>55]]
訂正の経緯が気になりますが、まだ[[日本人]]の間で[[大連]]が[[ダルニー]]と呼ばれていた時期だとわかります。

[320] 
末尾に
「[V[征露二年二月十八日]]」 ([[草書]])
とありました。
[SRC[>>55]]
本文と同筆で、書かれた時期 (≒ 投函された時期) と思われます。



[REFS[

-
[55] [CITE@ja[さちたわしさんは[[Twitter]]を使っています 「日本鉄道株式会社贈呈絵葉書 征露2年(明治38年)2月18日。高崎を出発し博多丸に乗り大陸へ上陸する旨が記されている。 https://t.co/1IjgiBTinB」 / Twitter]]
(午後0:29 · 2018年3月12日 [TZ[+09:00]], [TIME[2020-09-09T04:21:51.000Z]])
<https://twitter.com/satiitiban/status/973038324116946944>
]REFS]


-*-*-

[332] 
[[日本国]][[滋賀県]][[大津市]]の[[大津市歴史博物館]]に、
「征露第2年」
絵葉書が所蔵されています。
[SRC[>>330]]

[333] 
[[絵葉書]]の[[著者]]は、
[[日本軍]]人として明治37年4月に[[清国]][[満洲]]に出発し、
明治38年12月に帰郷しました。
[[Webページ]]で公開されている[[絵葉書]]は、
その間の明治38年5月に戦地から[[日本]]の兄へと宛てられたものでした。
その後[[平成時代]]まで子孫が保管していました。
[SRC[>>330]]

;;
[334] 
他にも[[絵葉書]]、封書、戦況日記等が伝わっています [SRC[>>330]] が、
[[Webページ]]で紹介された1枚以外にも[[征露]]の[[私年号]]の用例があるのかは不明です。

[336] 
[[葉書]]裏面には、
「[V[征[ASIS[露][覀]]㐧二__&&swc345(年)&&__五月卄五日]]」
([[楷書]])
とありました。
[SRC[>>331]]
本文と同筆と思われます。[[著者]]が本文と日付を書いて投函したと推測されます。
投函地は不明ですが (葉書表面や日記を見ればわかるのかもしれません)、
[[満洲]]なのは確実でしょう。



[REFS[
- [329] 
[CITE[[ASIS[大津事件・津田三蔵の新資料発見]]|[[大津市歴史博物館]]]], [TIME[2016-01-04T05:10:58.000Z]], [TIME[2022-03-22T09:43:46.972Z]] <https://www.rekihaku.otsu.shiga.jp/news/030625.html>
--
[330] 
[CSECTION[日露戦争関係資料、歴史博物館に寄贈]],
2003.6.24
---
[335] 
「なかには、戦時中に「私年号」として使用された「征露」年号を記した絵葉書なども含まれている。」
---
[331] 
[CITE[sensou1.jpg (JPEG 画像, 300 × 472 px)]], [TIME[2016-01-04T05:11:57.000Z]], [TIME[2022-03-22T09:44:42.097Z]] <https://www.rekihaku.otsu.shiga.jp/news/image/20030625/sensou1.jpg>
]REFS]



-*-*-

[189] 
[[横浜開港資料館]]に[[寄託]]されている[[佐藤安弘家文書]]中に、
「[R[征露三年一月元旦]]」
([[行書]][[筆文字]])
と書かれた[[年賀状]]があります。
[SRC[>>15, >>187]]

[190] 
この[[日付]]の行は各文字の上下位置がやや不揃いで、
[[1行1字縦書き]]から[[右横書き]]への過渡期的形態かとも思われます。

[191] 
これは[TIME[1906-01-01]]を表す[[私年号]]と説明されています [SRC[>>15]]。
[[Webページ]]に掲載の[[裏面]]画像には、
それを裏付ける記述は特にありません。
[[征露]]の[[私年号]]の一般的な解釈に従ったものでしょうか。
あるいは表面に[[消印]]などがあるのでしょうか。

[193] 
この[[年賀状]]は、
[[中華人民共和国]][[奉天省]][[新民市]]に出征した兵士から送られたものだとされます。
[SRC[>>15]]
[WEAK[(この[[市]]は[TIME[公元1993年][1993]]設置。当時の[[内満州]]の[[新民府]]下なのか、その郊外なのかは不明。)]]
表面には差出人の名前や送付地も書かれていたのでしょうか。


[192] 
[[佐藤安弘家文書]]は、
[[日本国]][[神奈川県]]下[[久良岐郡]][[本牧本郷村]]
(現・[[日本国]][[神奈川県]][[横浜市]][[中区]])
の[[名主]]家に伝わったもので、
[[日露戦争]]時に村から出征した者の手紙が多数含まれるといいます。
[SRC[>>188]]
この[[年賀状]]もその1つでしょうか。
この[[年賀状]]の差出人が村出身の従軍者だとすると、
終戦後もそのまま大陸に駐留していた部隊に属して新年を迎えたのでしょうか。



[REFS[

-
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[15] [CITE@ja[What's New!「特別資料コーナー」2010年度 [[横浜開港資料館]]]]
[TIME[2016-05-19 07:32:31 +09:00]]
<http://www.kaikou.city.yokohama.jp/news/event-guide_2010.html>
]FIGCAPTION]

> この年賀状は、現在の中国・奉天省の新民市に出征していた兵士からのものです。「征露」とは、日露戦争の勝利を記念して民間で使用されていた私年号で、征露三年は明治39年に当たります。

]FIG]
--
[187] 
[CITE[101123-1_l.jpg (JPEG 画像, 346 × 550 px)]], [TIME[2017-12-12T16:07:06.000Z]], [TIME[2022-03-07T09:54:58.603Z]] <http://www.kaikou.city.yokohama.jp/news/images/event-guide/101123-1_l.jpg>
-
[188] 
[CITE@ja[閲覧室でご覧になれる資料 [[横浜開港資料館]]]], [TIME[2020-04-01T01:28:36.000Z]], [TIME[2022-03-07T09:55:12.561Z]] <http://www.kaikou.city.yokohama.jp/document/shokemonjo/sa_02.html>


]REFS]




** 清国人書の用例

[127] 
[[高友三]] ([[高会文]]) は、
[[清国]]の[[内満州]]に居住していた[[清国人]]でした。
[SRC[>>6, >>125]]
[[高友三]]の[[書]]とされるものが、
[[日本]]や[[中華人民共和国]]の[[オークション]][[Webサービス]]等に十数点確認できます。
それ以外の情報は[[Web]]上ではほとんど発見できず、
どんな人物だったかは不明なことばかりです。

[165] 
[[高友三]]の[[生没年]]は、
[TIME[西暦1875年][1875]] - [TIME[西暦1911年][1911]]とされます
[SRC[>>140]]。
その出典は不明です。
これに従うと[[日露戦争]]開戦の[TIME[西暦1904年][1904]]時点で[[数え][数え年]]30歳となります。
37歳で死去しました。

;; [148] 
[[生没年]]を[TIME[西暦1896年][1896]] - [TIME[西暦1980年][1980]]とする
[SRC[>>144, >>146]]
のは同名の別人です。この生没年だとすると開戦当時[[数え][数え年]]9歳で若すぎます。
芸術家ですが、書家ではなさそうです。

[161] 
[[高友三]]の[[書]]とされるものの多く (すべてではない) には[[紀年]]があります。
それらを一覧にすると次のとおりです。


- [137] 
書[[落款]]
([[草書]])
「[V[明治甲辰年之冬]]」
[SRC[>>136]]
- [145] 
書[[落款]]
([[草書]])
「[V[明治甲辰年[ASIS[□][孟カ]]冬月]]」
[SRC[>>144]]
-
[139] 
書[[落款]]
([[草書]])
「[V[明治乙巳年三月]]」
[SRC[>>138]]
- [130] 
書[[落款]]
([[草書]])
「[V[征露二年乙巳六月書[BR[]]於金州城内]]」
[SRC[>>6, >>128]]
- [152] 
書[[落款]]
([[草書]])
「[V[征露二年七月]]」
[SRC[>>151]]
- [131]  
書[[落款]]
([[草書]])
「[V[征露二年乙巳八月]]」
[SRC[>>129]]
- [134] 
書[[落款]]
([[草書]])
「[V[征露二年乙巳八月]]」
[SRC[>>133]]
- [150] 
書[[落款]]
([[草書]])
「[V[征露二年八月]]」
(2点とも同紀年)
[SRC[>>149]]
- [143] 
書[[落款]]
([[草書]])
「[V[征露二年九月]]」
[SRC[>>142]]
- [154] 
書[[落款]]
([[草書]])
「[V[征露二年九月]]」
[SRC[>>153]]
- [147] 
書[[落款]]
([[草書]])
「[V[征露三年]]」
[SRC[>>146]]
- [160] 
書[[落款]]
([[草書]])
「[V[光緒丁未之夏]]」
[SRC[>>156]]

[162] 
[[オークション]]サイトの情報は期限が過ぎると削除されることが多く、
ここに挙げたのは本項を執筆している[TIME[令和4(2022)年][2022]]時点でたまたま発見できたものです
(中には長期掲載されているものもあります)。
従ってこれら以外にもかつて古物市場に流通していたものや一般人が所蔵しているものが少なからず現存していると推測できます。

[163] 
現在知られている紀年を整理すると、次の通りです。

- [TIME[西暦1904年甲辰][1904]]: 2点
- [TIME[西暦1905年乙巳][1905]]: 9点
- [TIME[西暦1906年丙午][1906]]: 1点
- [TIME[西暦1907年丁未][1907]]: 1点

[164] 
[[日露戦争]]の開戦前の紀年を持つものは未だ確認されていません。
戦時下の2年間は毎月数点のペースで制作されていたと思われますが、
終戦後にまた減少しています。
これが偶然これまでに知られている書がこの時期に集中しているだけなのか
(例えば「征露」の紀年が珍しいためよく保存されていたとか)、
制作理由や創作意欲と戦争が関係しているのか、
検討を要するでしょう。

[167] 
これらの最初のものから最後のものまで、[[落款]]には
「[V[清國金州]]」
([[草書]])
と書かれていました
[SRC[>>136, >>156]]。
[[高友三]]の居住地を示すと思われ、
この期間に同じ位置に留まっていたことが知られます。
[[金州]]は[[遼東半島]]の都市[[大連]]の近郊で、
現在は[[中華人民共和国]][[遼寧省]][[大連市]]に属します。
開戦前は[[ロシア帝国]]の[[関東州租借地]]、
終戦後は[[大日本帝国]]の[[関東州租借地]]に属していたはずです。
「清国」の表記は、
当地が[[清国]]に属する地であるとの[[高友三]]の認識を表しているのでしょう。
「清国」は直後の[[地名]]だけでなく次の[[署名]]にもかかっているとも取れ、
自身は[[清国人]]であるとの認識も暗示しているのでしょう。
なお、
[[高友三]]がどの[[民族]]かは不明ですが、
[[名前]]から[[漢民族]]と推測するべきでしょうか。




[166] 
[[紀年]]には[[月]]を伴うものとそうでないものがあります。
[[月]]は[TIME[西暦1904年][1904]]12月から[TIME[西暦1905年][1905]]9月までに亘ります。
これが当時の[[清国人]]が普通に用いていた[[清国暦]] ([[農暦]]) のものなのか、
[[日本]]が用いていた[[グレゴリオ暦]]のものなのかは定かではありません。
戦況からはどちらもあり得そうです。
([[ロシア暦]] [WEAK[(この時代は[[ユリウス暦]])]] の可能性は低いでしょう。)


[168] 
[[高友三]]はまず[[日本の元号]]である[[明治]]を使いました。
[[清国人]]と自認していたであろう[[高友三]]が自国の[[正朔を奉じ]]なかったのは、
いかなる理由によったものでしょうか。
[[日本]]側から何らかの圧力があったとも考えられますが、
その場合「征露」のような怪しげな[[私年号]]に切り替えられるものか疑問です。
それよりは[[書]]を[[日本人]]に買ってもらいやすくするためとの実利的な判断の可能性の方が高いかもしれません。
開戦前は[[清の元号]]を使っていたのか、
[[ロシア暦]] [WEAK[(この時代は[[キリスト紀元]])]] を使っていたのか、
気になるところです。

[169] 
[[高友三]]は[TIME[西暦1905年][1905]]3月まで[[明治]]を使っていましたが、
6月から[[征露]]を使い始めました。
この時期に[[征露]]を知ったのでしょうか。
周囲の[[日本人]]はみなそれを使っていたのでしょうか。
他の[[清国人]]にもこれを使った者がいたのでしょうか。
[[日本人]]相手に商売するためとの説に従えば、
より[[日本人]]受けの良い[[征露]]を使い始めたとも思われます。
[[ロシア帝国]]を破った[[日本]]に[[アジア人]]として共感したもの
[SRC[>>6, >>125]]
との解釈もあります。
交友関係や思想的背景の記録は残っていないものでしょうか。


[170] 
[[明治]]と[[光緒]]は[[元号名干支年表記]]なのに対し、
[[征露]]は[[元号年]]が表記されているのは、
興味深い点です。
[[元号名干支年表記]]はこの時代の[[清国]] [WEAK[(や[[近世]]の[[日本]])]]
では非常によく用いられていましたから、そのこと自体は不思議ではありません。
[WEAK[([[明治]]の[[干支年]]表記は、[[明治改暦]]以後の[[日本]]では下火になっていたので、[[日本語]]文中だとやや不自然に感じられます。)]]
[SEE[ [[東洋の日時表示]] ]]
しかし[[征露]]年は違った表記にしたのは、なぜでしょうか。
周囲で「征露二年」のように表記されることが多く、それに従ったものでしょうか。
あるいは本来の[[元号]]とは違うという認識があったのでしょうか。
初期のものには[[元号年]]と[[干支年]]が併記され、
後期のものは[[元号年]]だけしか書かれていないのは、
新元号に慣れるまで[[干支年]]がないとわかりにくい、
のような意識か何かがあったのでしょうか。

[171] 
[[征露]]は3年まで確認できますが、
その翌年は[[清の元号]]である[[光緒]]に切り替わっています。
現存数が少ないためその切り替わりの時期は不明ですし、
動機も不明です。
[[征露]]の[[私年号]]が3年目には徐々に使われなくなっていたでしょうから、
時勢に従った結果でしょうか。
[[大日本帝国関東州]]の行政や[[日本人]]居住者は[[明治]]を使っていましたが、
[[明治]]ではなく[[光緒]]を採用したのは、
どのような判断によるものでしょうか。





[REFS[

-
[140] 
[CITE[[[高會文]]、行書七律]], [TIME[2004-10-21T09:34:53.000Z]], [TIME[2022-03-03T09:30:50.166Z]] <http://www.ic.daito.ac.jp/~oukodou/gallery/pic-205.html>
-
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[6] [CITE[日露戦争の中国人烈士 高友三・二行書]],
[TIME[2014-10-07 11:43:08 +09:00]]
<http://syumisen.blogspot.jp/2012/03/blog-post_11.html>
]FIGCAPTION]

> 高友三は、名は会文。中国清代の金州(現遼寧省大連市金州区)の烈士でした。
> 落款の年号の「征露」は日露戦争に勝利した当時つけられた歴史的に特別な年号です。征露二年は1905年にあたります。日露戦争時、旅順をはじめとする厳しい戦いに勝利しヨーロッパ列強の一角を崩した日本に、同じアジア人として強く共感したのでしょう。
> 本作にはそのような高友三の思いが込められている歴史的な作であると同時に、日中友好の証しの一つでもあるのです。
> この作から2月後に書かれた書(下図)が、中国の中貿聖佳拍売2011年春オークションにて35840元(約44万円)で落札されています。高友三の思いは中国人にも共感されているのです。
> 軸装紫檀軸、絖本墨書
> 題詩「大海波明月照営,誰知万里遠征情。孤眠未結還家夢,遙聞中宵喇叭声。」
> 落款「征露二年乙巳六月書於金州城内。清国金州高友三。」、
> 「高会文」白文印、「友三」朱文印、他1印

]FIG]
--
消滅確認 [TIME[2022-03-03T09:07:54.200Z]]
-
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[45] [CITE@ja[日露戦争の中国人烈士 [[高友三]]・二行書 | 須弥山美術ブログ]],
[TIME[2020-02-29T06:22:58.000Z]], [TIME[2020-09-08T09:24:15.790Z]]
<http://syumisen.blogspot.com/2012/03/blog-post_11.html?view=sidebar>
]FIGCAPTION]

> 高友三は、名は会文。中国清代の金州(現遼寧省大連市金州区)の烈士でした。
> 落款の年号の「征露」は日露戦争に勝利した当時つけられた歴史的に特別な年号です。征露二年は1905年にあたります。日露戦争時、旅順をはじめとする厳しい戦いに勝利しヨーロッパ列強の一角を崩した日本に、同じアジア人として強く共感したのでしょう。
> 本作にはそのような高友三の思いが込められている歴史的な作であると同時に、日中友好の証しの一つでもあるのです。

]FIG]
-- 消滅確認
[TIME[2022-03-10T12:24:02.400Z]]
-
[125] 
[CITE@ja[[[日露戦争]]の中国人烈士 高友三・二行書 | 骨董・美術品の高価買取なら北友倶楽部]], 
2012年03月11日,
[TIME[2022-03-03T09:08:01.000Z]] <https://www.hokuyu-club.com/blog/1713/>
--
[126] 
記事内容と URL に見える日付より、 >>6 と同じもの (移転先) と推測されます。
-- 
[128] 
[CITE[gaoyousan3.JPG (JPEG 画像, 497 × 1580 px)]], [TIME[2021-01-20T09:14:17.000Z]], [TIME[2022-03-03T09:12:00.809Z]] <https://www.hokuyu-club.com//wp2/wp-content/themes/hokuyu/common/img/blog_img/101/gaoyousan3.JPG>
-- [129] [CITE[gaoyousan4.jpg (JPEG 画像, 458 × 1600 px)]], [TIME[2021-01-20T09:14:25.000Z]], [TIME[2022-03-03T09:12:12.187Z]] <https://www.hokuyu-club.com//wp2/wp-content/themes/hokuyu/common/img/blog_img/101/gaoyousan4.jpg>
-
[141] 
[CITE@en[[[高会文]][清] 行书 七言诗_绍兴2016年春季拍卖会_西泠拍卖_拍品价格_图片_拍卖专场_拍卖会预展_拍卖会结果_卓克拍卖频道]], [TIME[2022-03-03T09:33:41.000Z]] <http://auction.zhuokearts.com/art/29154481.shtml>
--
[142] 
[CITE[zc-17833-1283.jpg (JPEG 画像, 344 × 1200 px) — 表示倍率 (51%)]], [TIME[2018-10-19T11:07:50.000Z]], [TIME[2022-03-03T09:34:17.473Z]] <http://3img.zhuokearts.com/auction.pics/2016/3/31/zc-17833-1283.jpg>
--
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[10] [CITE[[[高会文]][清] 行书 七言诗-中国书画古代作品专场 古籍碑帖专题- 西泠印社拍卖有限公司官方网站(西泠拍卖网)]],
[TIME[2016-05-24 01:38:52 +09:00]]
<http://www.xlysauc.com/auction5_det.php?id=113941&ccid=835&n=1283>
]FIGCAPTION]

> 款识:征露二年九月,清国金州高友三。

]FIG]
-
[135] 
[CITE@ja[「掛軸 馬翼伏所望有千里 清国高友三墨跡」1幅 / 光和書房 / 古本、中古本、古書籍の通販は「[[日本の古本屋]]」]], [[東京都古書籍商業協同組合]], [TIME[2022-03-03T09:25:01.000Z]] <https://www.kosho.or.jp/products/detail.php?product_id=306484447>
--
[136] 
[CITE[SG520.JPG (JPEG 画像, 1600 × 20848 px)]], [TIME[2020-03-03T10:48:22.000Z]], [TIME[2022-03-03T09:25:21.005Z]] <http://www.tokyo-wahon.com/photo/db/nihonfuruhonya/W200303/SG520.JPG>
-
[146] 
[CITE@zh-CN[【拍卖价格】 [[高友三]](1896~1980) 1179 行书 立轴 水墨纸本 -拍卖价格|市场价格-高清图片-值多少钱 - 艺连网]], [TIME[2022-03-02T10:10:58.000Z]], [TIME[2022-03-03T10:16:11.503Z]] <https://www.artlnk.com/367151.html>
-
[144] 
[CITE@ja[ヤフオク! - 【模写】【一灯】pt4953〈[[高友三]]〉書「忠」中国画]], [TIME[2022-03-03T09:36:38.000Z]] <https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/p847143552>
-
[149] 
[CITE@en[高友三 书法单片_高友三 书法单片估价_[[高友三]] 书法单片高清大图_易拍全球上海大众香港同一藏家旧藏书画专题拍品介绍]], [TIME[2022-03-03T10:21:25.000Z]] <https://www.epailive.com/goods/11151877?buriedPoint=zc_01>
-
[151] 
[CITE[[[高友三]] 书法 单片-【Deal Price Picture】]], [TIME[2022-03-03T10:23:17.000Z]] <https://www.artfoxlive.com/product/2103858.html>
-
[153] 
[CITE[[[高友三]] 书法 立轴-【Deal Price Picture】]], [TIME[2022-03-03T10:24:38.000Z]] <https://www.artfoxlive.com/product/3480537.html>
-
[138] 
[CITE[【古】111 清国[[高友三]]筆 書法 肉筆 中国 掛軸 (画心:L135cmW33cm 全体:L192cmW50cm) の落札情報詳細| ヤフオク落札価格情報 オークフリー]], [TIME[2022-03-03T09:27:37.000Z]] <https://aucfree.com/items/h530482679>
- [133] 
[CITE@ja[ヤフオク! - [[日露戦争]]の中国人清国烈士 高友三 垂れ幕 1209P4r]], [TIME[2022-03-03T09:23:10.000Z]] <https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/s558855799>
- [156] [CITE[i-img1200x1200-1643876222zhfvtd333032.jpg (JPEG 画像, 1200 × 1200 px) — 表示倍率 (51%)]], [TIME[2022-03-03T10:30:59.000Z]] <https://auctions.c.yimg.jp/images.auctions.yahoo.co.jp/image/dr000/auc0302/users/ca6a32d919a489aad6eab3380a4c76a4a9bc0296/i-img1200x1200-1643876222zhfvtd333032.jpg>
-- [155] 
[CITE[i-img720x480-1643876185hizyra326890.jpg (JPEG 画像, 720 × 480 px)]], [TIME[2022-03-03T10:29:39.000Z]] <https://auctions.c.yimg.jp/images.auctions.yahoo.co.jp/image/dr000/auc0302/users/ca6a32d919a489aad6eab3380a4c76a4a9bc0296/i-img720x480-1643876185hizyra326890.jpg>
-- [157] [CITE[i-img720x480-1643876222vacj6p333032.jpg (JPEG 画像, 720 × 480 px)]], [TIME[2022-03-03T10:31:11.000Z]] <https://auctions.c.yimg.jp/images.auctions.yahoo.co.jp/image/dr000/auc0302/users/ca6a32d919a489aad6eab3380a4c76a4a9bc0296/i-img720x480-1643876222vacj6p333032.jpg>
-- [158] [CITE[e504096092.jpg (JPEG 画像, 300 × 225 px)]], [TIME[2022-03-03T10:31:52.000Z]] <https://auctions.afimg.jp/e504096092/ya/thumbnail/e504096092.jpg>
-- [159] 
[[Google検索]]結果より:
「CS151 清光緒 落款 棉布 墨書 日露戦争「清国金州高友三 二行書」捲り 縦135cm・墨彩二行書捲. 現在44,000円. 入札 -. 残り 3日 · 書道具 中国唐墨 七美人図 御墨古墨 ...」
[TIME[2022-03-03T10:33:03.800Z]]



]REFS]

-*-*-

[243] 
[[令和時代]]初期に[[日本]]の[[オークション]][[Webサイト]]に出品された[[書]]で、
晩清の書家[[劉聲山]]による[TIME[征露2(1905)年][1905]]のものとされるものがありました。
[SRC[>>28, >>241]]

[244] 
[[劉聲山]]がどのような素性の人物か、[[Web検索]]では情報が全くなく不明です。
写真によると[[書]]には[[満洲]]で書いたとあり [SRC[>>242]]、
[[名前]]から[[清国人]]の[[漢民族]]の可能性が高いでしょうか。

[246] 
[[日本]]で[[オークション]]に出品されたということは、
[[日露戦争]]に出征した[[日本軍]]人または関係者が[[満洲]]で購入し本国に持ち帰り、
保管されていた可能性が高いでしょうか。


[245] 
写真によると[[書]]には
「[V[征露第弐年霜月]]」 ([[草書]])
とありました。
[SRC[>>242]]
[TIME[西暦1905年][1905]]とするのは出品者が通説により推定したと思われます。




[REFS[

-
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[28] [CITE[落札されました - [[ヤフオク!]]落札相場,落札品検索]]
([TIME[2020-09-08T08:57:23.000Z]])
<http://ochisatsu.com/search/?id=x668593090&202001=1&img=1>
]FIGCAPTION]

> 【宝屋】晩清書家 劉聲山「書」肉筆掛軸★征露2年(1905年)作★中国画・中国美術・中国書法★

]FIG]
-
[241] [CITE@ja[宝屋 晩清書家 劉聲山 書 肉筆掛軸 征露2年 1905年 作 中国画 中国美術 中国書法(掛軸)|売買されたオークション情報、yahooの商品情報をアーカイブ公開 - [[オークファン]](aucfan.com)]], [[aucfan]], [TIME[2022-03-09T09:26:34.000Z]] <https://aucview.aucfan.com/yahoo/x668593090/>
--
[242] 
[CITE[x668593090.1.jpg (JPEG 画像, 1127 × 1200 px)]], [TIME[2020-01-29T05:17:57.000Z]], [TIME[2022-03-09T09:26:50.892Z]] <https://auctions.afimg.jp/x668593090/ya/image/x668593090.1.jpg>


]REFS]


-*-*-

[248] 
[[平成時代]]に[[日本]]の[[オークション]][[Webサイト]]に出品された[[書]]で、
[[孟昭孔]]によるものとされるものがありました。
[SRC[>>29]]

[249] 
[[孟昭孔]]は[[清国]]で[[孟子]]の71代子孫を称していたことが、
[[書]]自体に書かれています。
[SRC[>>29]]

[250] 
[[書]]には「[V[征露二年秋]]」 ([[草書]]) とありました。
[SRC[>>29, >>247]]

[251] 
[[オークション]]出品者は[[日露戦争]]の勝利が[TIME[明治38(1905)年][1905]]なので、
征露2年は[TIME[明治40(1907)年][1907]]に当たると解していました。
[SRC[>>29]]
勝利を以て[[翌年改元]]して第2年とは面白い解釈ですが、
その根拠は何も示されていません。
どこからこの発想に至ったのでしょうか。
通説通り征露2年は[TIME[西暦1905年][1905]]と解して問題ないでしょう。

[253] 
なお、
他にも[[孟昭孔]]の[[書]]とされるものがいくつか発見できますが、
「[V[光緒乙巳年八月]]」 ([[草書]], [[中華人民共和国]]の[[オークション]]サイト)
[SRC[>>252]]、
「[V[光緒乙巳年冬]]」 ([[草書]], [[日本]]の[[オークション]]サイト)
[SRC[>>254]]
のように前後の時期に[[清の元号]]の[[光緒]]を使っていたようです。
[[日本人]]向けのものにだけ[[征露]]を使ったのでしょうか。
あるいは終戦前後の短期間だけ使ったのでしょうか。


[REFS[

-
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[29] [CITE[【中古】中国・清時代・書・孟子71代、孟昭・掛け軸・為書きあり・征露記念・日露戦争・明治40年・真筆保証 の落札情報詳細| [[ヤフオク]]落札価格情報 オークフリー]]
([TIME[2020-09-08T08:58:54.000Z]])
<https://aucfree.com/items/r247782675>
]FIGCAPTION]


>状態は綺麗です。為書きがあります。真筆保証です。
日露戦争で勝利したのが明治38年なので征露2年とあるのは明治40年。
]FIG]
-- 
[247] 
[CITE[r247782675.3.jpg (JPEG 画像, 675 × 1200 px) — 表示倍率 (47%)]], [TIME[2018-06-09T20:37:12.000Z]], [TIME[2022-03-09T09:57:50.292Z]] <https://img.aucfree.com/r247782675.3.jpg>
-
[252] 
[CITE@zh-Hans[[[孟昭孔]](清光绪时期文人书家,孟子七十一代孙)光绪乙巳年(1905)行书《自作诗》日俄战争文献史料_孟昭孔_孔夫子旧书网]], [TIME[2022-03-09T10:05:00.000Z]] <https://book.kongfz.com/257223/3324292656/>
-
[254] 
[CITE@ja[[[ヤフオク!]] - 天香楼 【真作】孟昭孔 書法 清代光緒年 掛軸 ...]], [TIME[2022-03-09T10:09:04.000Z]] <https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/u384170251>


]REFS]




-*-*-


[305] 
[[日本国]][[山形県]][[上山市]]の[[上山市立図書館]]所蔵[[山田家文書]]中に、
「征露二年夏七月」
と書かれたものがあります。
[SRC[>>47, >>303]]

[306] 
その存在は目録 [SRC[>>47, >>303]] により知られます。
[[山田家文書]]は電子化されて公開されていますが [SRC[>>303]]、
個人情報のため非公開のものがあるようで、
その関係なのか本資料も表示されません [SRC[>>304]]。
送受信者と要旨まで公開しておきながら、
いったい誰の何を守ろうとしているのか謎です。
何よりも不可思議なのは、目録によると本資料は
[[CCライセンス]]で自由に利用可能とされている [SRC[>>303]] ことです。

[307] 
さて、目録によると本資料は[[山田恒次郎]]に贈られたものであり、
「早坂」の求めで「助市」が撰じたものです。
そしてその内容は[[清国]][[内満洲]]の孟子73代の征露2年の書であるようです。
[SRC[>>47, >>303]]
この各登場人物の関係性が目録だけでは読み取れません。

[308] 
「孟子七十三代慶新録」
とある
[SRC[>>47, >>303]]
のは、
[[孟子]]の子孫の73代目を称する人物の自署でしょうか。
「孟慶新」という名または号でしょうか。
[[Web検索]]によると孟子の73代目を称する「孟慶○」型の[[人名]]が少なくても3人おり、
そのうち2人は21世紀の[[中華人民共和国]]ないし[[中華民国]]の人物で、
もう1人は[[日本]]のオークションサイトに書が出品されています。
しかしそのいずれも
「孟慶新」
またはそれに近い[[文字]]ではありません。
[[孟子]]の子孫71代目を称する[[孟昭孔]]
(>>249)
との関係も不明です。

;; [309] どの人物も孟子の子孫の家の当主だとは称していないので、
複数居ても不思議ではないですし、
時代に広がりがあってもおかしくはないですし、
71代目と73代目が同時代に活動していることも不審とは言えませんが。

[310] 
目録では本資料の作成が[TIME[1901-08-02]]とされています。
その根拠は不明です。
「征露2年夏7月」以外にその[[日付]]が書かれているのでしょうか。
明治34年時点で「征露2年」を使ったとは考えにくく、
作成後に追記されたと考えられているのでしょうか。

[REFS[

-
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[47] 
[CITE[062073_yamada_family_document]],
[TIME[2022-03-15T12:22:14.800Z]]
<https://www.city.kaminoyama.yamagata.jp/uploaded/attachment/11724.xlsx>
]FIGCAPTION]

>
,*所蔵館 ,*資料番号 ,*分類 ,*分類 ,*資料名 ,*作成者 ,*作成年月日 ,*点数 ,*単位 ,*サイズ ,*記述されている主な内容
,上山市立図書館 ,00005-118 ,山田家文書 ,山田恒次郎(藩政~資料) ,為 山田大人寄書 ,應早坂大人求撰 助市 ,明治34(1901)年8月2日 ,1 ,枚 ,15.6×16.5×0.4 ,「惟有黄花晚節香」 征露二年夏七月亜聖孟子七十三代慶新録 世居奉天省鐵嶺西宋[BR[]]家荒地 と記載されている。
]FIG]
-
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[303] 
[CITE@ja[山形県[[上山市図書館]]所蔵山田家文書]], [TIME[2022-01-08T00:47:00.000Z]], [TIME[2022-03-15T12:28:38.558Z]] <https://www.kaminoyama-lib.jp/opendata/kaminoyama.html>
]FIGCAPTION]


>
,*画像 	,*資料群名 	,*資料番号 	,*分類 	,*資料名 	,*作成者 	,*作成年月日 	,*西暦 	,*点数 	,*サイズ 	,*記述されている主な内容 	,*歴博・khirinへのリンク 	,*所蔵機関 	,*ライセンス
, 	,山田家文書 	,00005-118 	,山田恒次郎(藩政~資料) 	,為 山田大人寄書 	,應早坂大人求撰 助市 	,明治34年8月2日 	,1901 	,1枚 	,15.6 × 16.5 × 0.4 	,「惟有黄花晚節香」 征露二年夏七月亜聖孟子七十三代慶新録 世居奉天省鐵嶺西宋家荒地 と記載されている。 	,	,上山市立図書館 	,"[ASIS[クリエイティブ・コモンズ・ライセンス][[[CC-BY]] 画像, リンク先 4.0]]"


]FIG]
- [304] [CITE@ja[為 山田大人寄書 | [[国立歴史民俗博物館]] khirin a]], [TIME[2022-03-15T12:34:01.000Z]] <https://khirin-a.rekihaku.ac.jp/kaminoyamayamadake/00005-118>

]REFS]


-*-*-

[271] 
[[令和時代]]初期に[[日本]]の[[オークション]][[Webサイト]]に出品された[[書]]で、
「[V[征露二年又月]]」 ([[行書]])
と書かれたものがありました。
[SRC[>>36]]

[272] 
[[落款]]には、[[清国]]の[[進士]]の[[賈杏九]]なる名前がありました。
[SRC[>>36]]
[[Web検索]]では他に情報がなく、どのような人物か不明です。

[273] 
[[満洲]]で[[清国人]]が[[日本人]]のために書き、
[[日本国]]内に伝わったものでしょうか。
書かれているのが「[R[凱旋記念]]」 ([[行書]]) であるのは、
[[日本軍]]の[[凱旋]]を指すのでしょうが、
どこからどこへの「凱旋」を意味していたのでしょうか。


[REFS[

-
[36] [CITE[征露二年 凱旋記念 大清 書家 肉筆 まくり 日露戦争 中国人書道家 明治38年 光緖30年 31年 の落札情報詳細| [[ヤフオク]]落札価格情報 オークフリー]]
([TIME[2020-09-08T09:17:29.000Z]])
<https://aucfree.com/items/h446158975>

]REFS]


-*-*-

[345] 
[[令和時代]]に[[日本]]の[[古書店]]で販売されている書で、
征露2年秋のものとされるものがあります。
[SRC[>>344]]

[346] 
品名によると[[清国]][[内満洲]]の[[大連]]で[[清国人]]が書いたものであるようです。
[[広瀬武夫]]云々とありますが、
[[広瀬武夫]]は[[日露戦争]]に従軍した[[日本海軍]]の軍人でした。
[TIME[1904-03-27]]、
[[内満洲]]の[[旅順]]沿岸海上で[[露西亜帝国]]軍の攻撃により殺害されました。
死後の[[日本]]では[[軍神]]として祀られました。




[REFS[
- [344] 
[CITE@ja[征露2年秋於大連・清国呈〇段臣筆「工福井丸再赴旅順口閉塞・広瀬武夫」 / 泰成堂書店 / 古本、中古本、古書籍の通販は「[[日本の古本屋]]」]], [[東京都古書籍商業協同組合]], [TIME[2022-03-22T12:03:58.000Z]] <https://www.kosho.or.jp/products/detail.php?product_id=411498520>
]REFS]

-*-*-

[522] 
[[令和時代]]に[[日本]]の[[オークション]]サイトに出典された[[書]]で、
[[清国中和主人]]なる人物によるものがありました。
[SRC[>>514, >>518]]

- [516] [[書]] [[落款]]「[V[征露[LINES[[WEAK(quarter)[年]]][二冬][[WEAK(quarter)[月]]]]」 ([[行書]])
-- [517] 通常程度の[[字間]]の「二冬」の中間の左右に小書きで「年」「冬」。
他であまり見ない珍しい書き方。
- [521] [[書]] 巻いた状態 「[V[征露二年]]」 ([[行書]])

[523] 
[[清国中和主人]]がいかなる人物かは不明です。
[[満州]]居住の[[清国人]]でしょうか。

[524] 
出品者説明文に明治38年とあります。 [SRC[>>514, >>518]]
写真内にそれを裏付ける根拠はなく、判定の理由は不明です。
通説によったものでしょうか。

[525] 
伝来の経緯はまったく不明です。「凱旋記念」とありますから、
出征日本軍人の帰国時に現地人から贈られた (または売られた) もので、
日本国内に持ち込まれ、その後古物商に流れたのでしょうか。

[572] 
現代日本では「冬」は年末年始のどちらを指すか曖昧です (どちらも指し得ます) が、
[[旧暦]]では普通「冬」とは10月、11月、12月です。
書いたのが[[清国]]人ですから、
[TIME[西暦1905年][1905]]の冬を指すとみて構わないでしょう。
ただし[[農暦]]の征露2年中かもしれず、
その場合[[グレゴリオ暦]]で[TIME[西暦1906年][1906]]の可能性はあります。




[REFS[
-
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[514] 
[CITE[清国中和主人 凱旋記念 征露二年 紙本110×56㎝ - [[メルカリ]]]], 
[[ベートーベン2-7-5]],
[TIME[2022-10-08]]の「1日前」,
[TIME[2022-10-25T09:26:55.000Z]] <https://archive.ph/MDSK2>
]FIGCAPTION]

>清国 中和主人 紙本110×56㎝   
>凱旋記念 征露二年とあり明治38年の作品
]FIG]
-- [515] [CITE[0e10661fd3683482e35bb4b09b92fb2b8388527e.jpg (JPEG 画像, 540 × 720 px)]], [TIME[2022-10-09T00:41:39.000Z]], [TIME[2022-10-25T09:29:15.713Z]] <https://archive.ph/MDSK2/0e10661fd3683482e35bb4b09b92fb2b8388527e.jpg>
- [518] [CITE@ja[[[ヤフオク!]] - 清国中和主人 凱旋記念 征露二年作 紙本110×56㎝...]], 
[[seitarou54]],
開始日時    :2022.10.07(金)16:30,
[TIME[2022-10-25T09:34:18.000Z]] <https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/o1066468518>
-- [519] 
>>514 と同じ物と思われます。
-- [520] 
[CITE[i-img898x1198-1665127806qi2lgr405888.jpg (JPEG 画像, 898 × 1198 px) — 表示倍率 (45%)]], [TIME[2022-10-25T09:35:53.000Z]] <https://auctions.c.yimg.jp/images.auctions.yahoo.co.jp/image/dr000/auc0310/users/344b7e098dfc3b3f145d35b198ed6fe764591e7f/i-img898x1198-1665127806qi2lgr405888.jpg>

]REFS]

-*-*-

[568] 
[[平成時代]]初期の[[日本国]][[宮崎県]]の[[宮崎県総合博物館]]の調査によると、
[[日本国]][[宮崎県]][[宮崎市]]の佐藤家が所蔵していた[[書]]で、 
[[清国]][[奉天省]][[昌図]][[山河堡]]の[[杜華亭]]による、
「征露第三年一月元旦」
のものがありました。
[SRC[>>569 No.33]]

[570] 
現所在不明ですが、[[宮崎県総合博物館]]の所蔵でしょうか。

[571] 
[[日露戦争]]後に[[満州]]から[[日本]]に、おそらく日本軍人によって持ち込まれたものでしょう。
佐藤家は絵師の家であり、佐藤家資料には絵画や書が大量に含まれていますから、
佐藤家関係者が直接入手したものか、日本国内で入手したものかはわかりません。

[573] 
[[杜華亭]]の素性は不明です。


[REFS[
- [566] [CITE@ja-JP[宮崎県総合博物館研究紀要 = Bulletin of the Miyazaki Prefectural Museum of Nature and History 19]], [[宮崎県総合博物館]], [TIME[1994-03]], [TIME[2023-01-06T06:14:39.000Z]], [TIME[2023-01-10T09:59:09.656Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/3466749/1/37> (要登録)
-- [567] [CITE[佐藤家旧蔵資料「粉本」に見る藩絵師の軌跡]],
[[津隈亮典]]
--- [569] [CSECTION[[L[佐藤資料目録・書]]]]


]REFS]

** 日本国内郵便物の用例


[79] 
[[征露]]は[[絵葉書]]で利用された
[SRC[>>1]]
と紹介されています。
[[平成時代]]において最も典型的な[[征露]]の利用例の1つとして知られていたものでした。

[132] 
[TIME[西暦1905年][1905]]の[[年賀状]]に
「征露二年・元旦」
と書いたものがあったようです。
出典は[[浅羽通明]]の[[著書]]とされます。
[SRC[>>7]]


[100] 
[[平成時代]]後期に[[日本]]の[[オークション]][[Webサービス]]に
「日露戦争 明治実逓便 海軍大勝利 征露2年」
と題した商品が出品されていました。
[SRC[>>4]]

[101] 
[[令和時代]]時点で既に商品情報は削除されており、
[[Internet Archive]] 等にも現存しないため詳細不明ですが、
[[征露]]の[[私年号]]を使った[[絵葉書]]の現物と推測されます。
使用済みかは不明ですが、[[日本本土]]で保管されていたものでしょう。
送り主も不明ですが、[[日本国内]]でしょうか。

[REFS[
- [1] [CITE@ja[征露 - [[Wikipedia]]]],
[TIME[2016-04-23 01:24:34 +09:00]]
<https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%81%E9%9C%B2>
--
[FIG(quote)[ [540] [TIME[2022-12-24T11:27:38.300Z]]

,*私年号 	,*異説 	,*元年相当公年号(西暦) 	,*継続年数 	,*典拠・備考 
,征露 	,- 	,明治37年(1904年) 	,2 	,萩野由之「征露二年」(『読史の趣味』)、栃木県小山市天翁院縁台墨書銘など 

]FIG]
-
[4] [CITE[戦前絵葉書■日露戦争 明治実逓便 海軍大勝利 征露2年 - [[ヤフオク!]]]],
[TIME[2016-05-24 01:28:42 +09:00]]
<http://page16.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/u98609762>
-- 消滅確認 [TIME[2022-03-01T09:04:14.000Z]]
- [7] [CITE@ja[[[浅羽通明]] memoさんのツイート: "私年号は明治期に入っても発生している。それは日露戦争という近代日本最大の困難を乗り切った明治三十七年(一九〇四)を「征露元年」として、一般庶民の間で、これを翌年に年賀状に「征露二年・元旦」などと用いたり、碑文に残したりした例が見られるのだ。"]],
午後7:56 · 2016年5月22日,
[TIME[2016-05-24 01:33:11 +09:00]]
<https://twitter.com/asaba_memo/status/734337102867927040>


]REFS]



-*-*-

[32] 
[[平成時代]]末期か[[令和時代]]初期頃に[CITE[Instagram]]に投稿された[[写真]]に、
第1行「謹賀新年征露二年」、
第2行「正月」
と右上から左下へ[[斜め書き]]
([[行書]])
された[[年賀状]]が写っていました。
[SRC[>>31]]

[260] 
[[消印]]に「[R[丗八年一月]]」とあり [SRC[>>259]]、
投稿者は[TIME[明治38(1905)年1月][1905-01]]頃のものと推測しました。
[SRC[>>31]]

[261] 
[[消印]]の[[郵便局]]名はやや判読し辛いですが、
「[R[渡島]][BR[]][R[宿野邊]]」
でしょうか。
[TIME[明治35(1902)年][1902]]まで[[日本国]][[北海道]][[渡島国]][[亀田郡]][[宿野辺村]]があり、
[TIME[明治38年][1905]]当時は[[茅部郡]][[森村]]に属していました。現在は[[森町]]となっています。

[262] 
送受信者は不明ですが、投稿者は[[日本人]]のように思われますから、
[[北海道]]居住の民間人から[[日本]]のどこかに送付され、
[[日本国]]内で保管されていた (あるいはその後流通していた) ものでしょうか。



[REFS[

- [31] [CITE@en[@yoshiy_777 Instagram post (carousel) 古いはがき征露2年とある おそらく消印から明治38年1月ころのもの。😁 . . #古い絵はがき #明治時代 #軍人#戦地写真#デザイン #征露2年#明治三十八年#消印 #軍事#綺麗 #時代もの #かわいい #古い #古いはかき #ビンテージ #レトロ #あんてぃーく #歴史的 #風景 #鉱物ではない #色 #絵 #コレクション#写真好き#景色 #[[明治維新]] #古い切手#カラー#古いもの好き - Gramhir.com]], [TIME[2022-03-09T12:18:39.000Z]] <https://gramhir.com/media/1907018470302773522>
--
[258] 
<https://cdn1.gramhir.com/hosted-by-instagram/q=0exhNuNYnjBcaS3SYdxKjf8R3+JwWgxSZ60STLepjSVmIR1vLHOapZA0mpCj4yRwKwVlASuRYztl4IMpUVtWZFN9OkzaT72OTz1Q56iRVoCg0TVv9Z9inbkxKnYabHCn98crOzjYMTIfQeoEH||bx7a8Koru5A2MGoyX9auctwCIPosCrVrZwxIVt9aOQ0Qa0pYc1KjRE4X8gI1spr5PZpTdMY||rzDc11sfwmFu9KtckG1ODmmHieSVoHaFZNQQLMk6r5x8hToRLjMjA89jyGd5YNfhw7o3Saljd3sY8s1dLvYMti0aNo4Z||2eCssVXZ4ogc8saCYgRTuMHf70W5XmzPQw4ugYqsNvKD4CPKcR||bF7QjtWJPZUrRJACxdU6yEcQmFZsq4BPdKn48SSP4dgAuw>
--
[259] 
<https://cdn1.gramhir.com/hosted-by-instagram/q=0exhNuNYnjBcaS3SYdxKjf8R3+JwWgxSZ60STLepjSVmIR1vLHOapZA0mpCj4yRwKwVlASuRYztj5IgpWVVUZFF9P0zaQLGOTD9V6qqeUYCl1DZi9pRmnbs2KHcaYXau9MosOzjYMTIfQeoEH||bx7a8Koru5A2MGoyX9auctwCIPosCrVrZwxIVt9aOQ0Qa0pYc1KjRE4X8gI1spr5PZpTdMY||rzDc11sfwmFuZKtckG1ODmmHjpN24tczZqOCKbrar5xvk2sACwMjA89jyGd5YNfhw7o3Saljd3sY8s1dLvYMti0aNo4Z||2eD82ezpU9UJR3b6etRbLOXqzj2tT2U7||1rmyIv0hsYzPF8WOR43AnxTURpz||UrRJACxdUtnyBgz6Zsq4BPdKn48SSP4dgAuw>
--[33] [CITE[@yoshiy_777 Instagram post (carousel) 古いはがき征露2年とある おそらく消印から明治38年1月ころのもの。😁 . . #古い絵はがき #明治時代 #軍人#戦地写真#デザイン #征露2年#明治三十八年#消印 #軍事#綺麗 #時代もの #かわいい #古い #古いはかき #ビンテージ #レトロ #あんてぃーく #歴史的 #風景 #鉱物ではない #色 #絵 #コレクション#写真好き#景色 #[[明治維新]] #古い切手#カラー#古いもの好き - Gramho.com]]
([TIME[2020-09-08T09:13:52.000Z]])
<https://archive.is/pzaw5>

]REFS]



-*-*-

[279] 
[[日本国]][[愛知県]][[碧南市]]の[[碧南市藤井達吉現代美術館]]の所蔵する[[藤井家絵葉書資料]]に、
⑲⑳㉑の3通の征露2年付絵葉書があります。
[SRC[>>39]]

[280] 
3通はいずれも[[絵葉書]]に[[手書き]]で[[旅順]]陥落を伝える短文が書き込まれたものでした。
宛先は[[日本]][[三河国]][[碧海郡]][[棚尾村]]
[WEAK[(現在の[[碧南市]])]]
の[[藤井忠三郎]]で、
発信者は不明です。[[東京]]発の[[消印]]があります。
[SRC[>>39]]

[281] 
3通にそれぞれ、
⑲「[V[征露二年[BR[]]一月二日]]」
⑳「[V[征露二年一月二日]]」
㉑「[V[征露二年[BR[]]正月二日]]」
と[[草書]]で書かれていました。
[[消印]]の[[日付]]は判読不能ながら、
[TIME[1905-01-02]]の[[旅順]]陥落を受けて2日または3日に投函されたと推測されます。
[SRC[>>39]]



[REFS[
-
[277] 
[CITE@ja[研究紀要/[[碧南市]]]], [TIME[2022-03-09T15:58:08.000Z]], [TIME[2022-03-10T11:27:42.572Z]] <https://www.city.hekinan.lg.jp/museum/site_map/13321.html>
-- [278] 
[CITE[碧南市藤井達吉現代美術館紀要]]第4号,
2017年3月31日発行
--- [39] 
[CITE[[V[藤井家に残された絵葉書]]]],
[[[V[土生和彦]]]],
[TIME[2018-12-21T11:27:43.000Z]], [TIME[2020-09-08T09:20:15.744Z]]
<http://www.city.hekinan.lg.jp/material/files/group/62/45207894.pdf#page=8>
]REFS]


-*-*-

[1268] 
[TIME[1905-02-05]]に発行された[[雜誌]]には[TIME[明治38(1905)年][1905]][[正月]]に雜誌編集部が受領した[[年賀状]]の内容が紹介されています。
その中に[[征露]]を使ったものが1件あります。

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [1264] 
[CITE(.label)[好學雜誌]],
[[[V[好學會]]]],
[V[明治三十八年二月二日印刷]],
[V[明治三十八年二月五日發行]] [WEAK[([TIME(.published)[1905-02-05]])]],
[DATA(.addr)[[[東京府]][[東京市]]]]
-- [1265] 
[CSECTION[[V[新年の賀狀]]]]
--- [1266] 
[[[V[田村三治]]]]
---- [1267] 
「[V[光輝ある[DATA(.text)[征露第二年の新春]]は[SNIP[]]]]」
[SRC[>>1263]]

]ITEMS]

[1269] 
この雜誌は時節柄戦時色ある記事も掲載されているものの、
戦争や軍事を主題とする雜誌ではありません。
他の[[年賀状]]にも戦時色が見られます。

[REFS[

- [1263] 
[CITE@ja-JP[[[好学雑誌]] (20)]], [[好学会]], [TIME[1905-02]], [TIME[2024-07-30T10:51:24.000Z]], [TIME[2024-08-04T08:03:41.830Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1538352/1/16> (要登録)

]REFS]

-*-*-

[196] 
[[日本国]][[埼玉県]][[比企郡]][[嵐山町]]古里地区の[[安藤武家文書]]373番に、
「書簡」
として
「征露3年1月1日」
のものがあります。
[SRC[>>16]]

[197] 
[[Web]]で公表されているものは目録のみで、詳細は不明です。
目録には[[西暦]]欄がありますが、
決定せず空欄にされています。
ただし[TIME[明治39(1906)年][1906]]と[TIME[明治40(1907)年][1907]]の間に排列されており、
[[日露戦争]]後の頃と推測されたことがわかります。
[SRC[>>16]]

[198] 
目録には同じ[[安藤武家文書]]で他に「年賀状」「ハガキ」と明記されたものがありますから、
これは[[年賀状]]ではないのかもしれませんが、[[日付]]から年頭の挨拶と考えて良さそうです。
目録の[[和暦]]欄は[[欧州数字]]に統一されているようですから、
原表記はこのままではなさそうです。

[199] 
受取人は「安藤武家」の者なのでしょうが、差出人は不明です。
送り主の所在地が[[日本]]か大陸かも不明です。



[REFS[
- 
[194] 
[CITE@ja[第6巻【近世・近代・現代編】目次|[[嵐山町]]web博物誌]], [[Ranzan town office 嵐山町役場]], [TIME[2014-03-17T00:58:20.000Z]], [TIME[2022-03-07T11:59:52.053Z]] <http://www.ranhaku.com/web06/index.html>
--
[195] 
序文: 平成25年12月
--
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[16] 
[CITE[嵐山町古文書目録【古里】]],
2013.12作成,
[TIME[2013-12-31 19:13:06 +09:00]]
<http://www.ranhaku.com/web06/11lists/01_12.pdf#page=7>
]FIGCAPTION]

>
,*地区 ,*文書名 ,*番号 ,*枝番1 ,*枝番2 ,*標題 ,*西暦 ,*和暦 
,古里 ,安藤武家文書 ,373 ,,,書簡 ,,征露3年1月1日

]FIG]

]REFS]



** 日本軍従軍者記録の用例



[223] 
[[日本国]][[山形県]]の[[医師]][RUBYB[[[黒羽根洋司]]][[TIME[1947]]-]]が[[平成時代]]に医師会機関誌に寄稿した記事によると、
[[日露戦争]]に従軍した将校の[[日記]]に、
「明治37年(征露元年)」
とありました。
[SRC[>>23]]

[224] 
具体的にどこの誰の日記かは不明です。[[黒羽根洋司]]が直接確認したのか、
それとも書籍等からの孫引きなのかも定かではありません。
表記もどれだけ原形を留めているかは疑わしいでしょう。

[729] 
その日付が当時書かれたものなのか、後から書かれたものなのかも不明です。

[REFS[

- [23] 
[CITE[山形県医師会会報]] 第691号,
平成21年3月,
[TIME[2013-07-22T12:10:40.000Z]], [TIME[2020-09-08T08:24:46.337Z]]
<http://www.yamagata.med.or.jp/uploads/report/203-83cfea3c9d69ffe87c09e6dda23746bc.pdf#page=21>
--
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[222] 
[CITE[征露丸と田中胃酸]],
庄内の[BR[]] 医人たち 第11回,
[[黒羽根洋司]]
]FIGCAPTION]

>ところが、特異な薬臭のため服用され難いこと[BR[]]を危惧した軍当局は、これに戦争名にちなみ「征[BR[]]露丸」と命名する。これが、その名称の起源であ[BR[]]る。当時のこの言葉は特別なものではなく、ほか[BR[]]でも頻繁に使用されていた。日露戦争に従軍した、[BR[]]とある将校の日記には、年号の部分が「明治37年[BR[]](征露元年)」と記されている。そのほかにも『征[BR[]]露画報』『征露軍歌集』『征露図会』『征露戦線』な[BR[]]どの出版物もあったという。したがって、丸薬の[BR[]]名前として征露丸とつけたのは、当時の風潮とし[BR[]]てはごく自然のことともいえよう。士気と愛国心[BR[]]に訴える見事な販売戦術である。
]FIG]



]REFS]

-*-*-

[321] 
[[平成時代]]後期の[[日本]]の[[オークション]]サイトに、
征露2年の写真とされるものが出品されていたようです。
[SRC[>>56]]

[322] 
残念ながら[[令和時代]]初期時点で既に商品情報は削除されており、
どのようなものだったかまったく不明です。
攻撃で負傷したと書かれているようですから、
従軍した日本人の写真でしょうか。
撮影日か負傷日に征露2年が書かれていたのでしょうか。
そうだとすると[[満洲]]で書かれた可能性もありますし、
[[日本]]で書かれた可能性も否定はできません。


[REFS[

-
[56] [CITE@ja[明治オークションさんはTwitterを使っています 「明治38年 征露2年 攻撃を受け負傷 裏書あり 古写真: 現在価格:1,000 円,入札数:-,終了日時:2014/04/05 21:50 http://t.co/D19eU7pcCk」 / [[Twitter]]]]
(午後3:58 · 2014年4月1日 [TZ[+09:00]], [TIME[2020-09-09T04:22:04.000Z]])
<https://twitter.com/guxamuqa2147/status/450889942202195968>
--
[391] 
リンク先: <http://auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/w99377160>
--- 
[392] 消滅確認 [TIME[2022-04-05T11:54:13.100Z]]
---
[393] 
[[Internet Archive]] 等になし

]REFS]

-*-*-

[348] 
[[令和時代]]に[[日本]]の[[オークション]][[Webサイト]]に征露2年の従軍日誌とされるものが出品されました。
[SRC[>>347]]

[349] 
表紙に「征露二年」と書かれているようです。
期間は[TIME[1904-03-09]] - [TIME[1904-08-11]]とされます。
[SRC[>>347]]

[350] 
ところがこの期間は通説によれば征露元年でなければなりません。
明治37年が征露2年だとすると、元年が開戦前年になり不自然です。
表紙の著者またはオークションの出品者が何か書き誤ったのでしょうか?
(残念ながら表紙の写真はありません。)
「日露戦争の2年間の出征中」の意味と解せないこともないかもしれませんが、
日記に書かれている期間は1年にも満たず、不自然に思います。


[REFS[

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[347] 
[CITE@ja[[[ヤフオク!]] - d0017 明治37年6月9日~8月11日 日露戦争 「征露...]], 
[[dytyx00252]],
開始日時:2022.01.20(木)12:37,
[TIME[2022-03-22T12:11:20.000Z]] <https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/h1032785080>
]FIGCAPTION]

>表題:征露二年出戦間日誌(表紙に記載)
>期間:明治37年3月9日~8月11日(中表紙に記載)
]FIG]

]REFS]


-*-*-

[352] 
[[令和時代]]に[[日本]]の[[オークション]][[Webサイト]]に征露2年の従軍日誌とされるものが出品されました。
[SRC[>>351]]

[354] 
表紙に「征露二歳」と書かれているようです。
期間は[TIME[1905-04-19]] - [TIME[1905-10-14]]とされます。
[SRC[>>351]]


[REFS[

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[351] 
[CITE@ja[[[ヤフオク!]] - d0021 明治38年4月19日~10月14日 日露戦争 「征...]], 
[[dytyx00252]],
開始日時:2022.01.20(木)13:16,
[TIME[2022-03-23T12:01:50.000Z]] <https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/v1032806466>
]FIGCAPTION]

>表題:征露二歳出陣中日誌(表紙に記載)
>期間:明治38年4月19日~10月14日(中表紙に記載)

]FIG]

]REFS]

-*-*-

[1133] 
[TIME[1905-05-25]]に発行された従軍日記のまえがきの日付が[[征露]]です。


[ITEMS[ [[日時事例]]

- [1131] 
[CITE(.label)[征露従軍紀念録]], 
[[井手蕉雨 (通)]],
[V[明治三十八󠄂年五月二十日印刷]],
[V[明治三十八󠄂年五月廿五日發行]] [WEAK[([TIME(.published)[1905-05-25]])]],
[DATA(.addr)[[[日本国]][[大阪府]][[大阪市]]]]
-- [1132] 
[CSECTION[[V[緖言]]]],
[DATA(.text)[[V[征露第二年三月念、即ち予が從軍一__&&swc593(週)&&__年の日]]]]
([[明朝体]])
[SRC[>>1130]]

]ITEMS]

[1134] 
本書によると[[著者]]の部隊は[[北鮮]]から[[満州]]へと進軍しました。
本文は従軍当時に書かれたもののようで、
帰国後に[[大阪]]で出版されました。
本文中に[[征露]]紀年はなく、序言でだけ使われています。
本文中には[[明治]]のほかに[[皇紀]]もあります。



[REFS[

- [1130] [CITE@ja-JP[征露従軍紀念録]], [[井手蕉雨 (通)]], [TIME[明38.5][1905]], [TIME[2023-12-19T01:59:10.000Z]], [TIME[2023-12-19T11:34:13.132Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/774197/1/13>

]REFS]

-*-*-


[255] 
[[日本国]][[静岡県]][[島田市]]の[[島田市博物館]]が公表している[CITE[岡埜谷家古文書目録]]によると、
[CITE[明治37、38年戦役従軍[BR[]]録  征露2年11月25日]]なる[TIME[1905-11-24]]の7紙からなる文書がありました。
差出人は[[岡野谷清一]]、
受取人は不明です。
[SRC[>>30]]

[256] 
その内容は、[TIME[1904-09-28]]の出征以来の履歴でした。
[SRC[>>30]]
おそらく当地の住民であるところの[[岡野谷清一]]がこの日出征し、
[TIME[1905-11-24]]頃帰郷した、または一段落した区切りまでの出来事が記録されているのでしょう。
目録は題名を25日としながら日付を24日としていますが、
いかなる理由によるものかは不明であります。
なお、題名が原表記通りかどうかは不明であり、
目録作成時に[[欧州数字]]に改められた可能性が高いと考えられます。


[257] 
征露2年を[TIME[西暦1905年][1905]]に比定した根拠は目録に明記されておりませんが、
内容が前段の推測通りであれば、そこから自明に定まると思われます。



[REFS[

- [30] 
[CITE[岡埜谷家古文書目録]] その8 (近代の部),
[[島田市博物館]] ([[島田市史編さん委員会]]),
平成30年1月 整理,
[TIME[2020-06-24T01:11:24.000Z]], [TIME[2020-09-08T09:03:05.286Z]]
<https://www.city.shimada.shizuoka.jp/fs/2/8/8/7/4/9/_/kawane-okanoya-sono8.pdf#page=14>
-- 消滅確認 [TIME[2022-03-09T10:14:48.600Z]]
--
[CITE[kawane-okanoya-sono8.pdf]], [TIME[2022-03-09T10:14:37.000Z]] <https://web.archive.org/web/20200908090316if_/https://www.city.shimada.shizuoka.jp/fs/2/8/8/7/4/9/_/kawane-okanoya-sono8.pdf#page=14>

]REFS]

-*-*-

[184] 
古書店に、
「征露二年」
と書き込まれた[[明治時代]]の書籍があるようです。
[SRC[>>12, >>182]]
同一書と思われる[[国立国会図書館]]本があり [SRC[>>183]]、
[[陸軍]][[軍医]]によって翻訳された[[軍医]]向け医学書であることがわかります。

[185] 
古書店の書籍情報は[TIME[明治37(1904)年][1904]]刊行としており [SRC[>>182]]、
ちょうど開戦の年に当たりますが、
[[国立国会図書館]]本の[[書誌情報]]と[[序文]]、[[奥書]]のいずれも[TIME[明治27(1894)年][1894]]としています。
古書の方は誤記でしょうか。
あるいは改版または増刷の年を拾ったものでしょうか。

[186] 
征露2年に贈呈した旨が書き込まれているようですが、
戦時下で必要とする人へと贈ったものでしょうか、
それとも終戦後に不要になって処分したものでしょうか。
いずれにせよ、授受の一方または両方は従軍者とみて間違いなさそうです。


[REFS[
-
[183] 
[CITE@ja[軍陣外科学(柴氏). 巻之1 - [[国立国会図書館デジタルコレクション]]]], [[佳爾・柴徳児 (カル・ザイデル) 著足立寛 訳]], [TIME[明27][year:1894]], [TIME[2022-03-04T12:32:23.000Z]] <http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/835540/1>
-
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[12] [CITE[吉田書店(徳島) 表1918]]
( ([TIME[2016-05-17 16:34:35 +09:00]]))
<http://www.kosho.ne.jp/~yoshoten/hyo1918.html>
]FIGCAPTION]

> 19	1968	柴氏軍陣外科学全・第四版	征露二年・・・贈呈蔵名書込 裸本

]FIG]
-- [180] 当該記述部分消滅確認 [TIME[2022-03-04T12:31:28.800Z]]
--- [181] [[Internet Archive]] にも当該版なし。
-
[49] [CITE[吉田書店(徳島) 表1916]],
[TIME[2020-07-28T07:38:25.000Z]], [TIME[2020-09-08T09:28:40.888Z]]
<http://www.kosho.ne.jp/~yoshoten/hyo1916.html>
--移転確認 [TIME[2022-03-16T09:07:29.200Z]])
--
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[313] 
[CITE[吉田書店(徳島) 表1916]], [TIME[2022-02-01T07:49:11.000Z]], [TIME[2022-03-16T09:07:15.413Z]] <https://www.kosho.ne.jp/~yoshoten/hyo1916.html>
]FIGCAPTION]

>
,*分野 	,*番号 	,*書名・冊数 	,*解説 	,*出版社・編著者 	,*号年,*価格
,19 	,1712 	,柴氏軍陣外科学全・第四版 	,征露二年・・・贈呈蔵名書込 裸本 	,菊経書屋蔵版南江堂 足立寛訳・発行 松崎留吉図・彫刻 	,明37 	,"5,000"


]FIG]
- [182] 
[CITE@ja[柴氏軍陣外科学全・第四版(菊経書屋蔵版南江堂 足立寛訳・発行 松崎留吉図・彫刻) / [[吉田書店]] / 古本、中古本、古書籍の通販は「日本の古本屋」]], [[東京都古書籍商業協同組合]], [TIME[2022-03-04T12:31:50.000Z]] <https://www.kosho.or.jp/products/detail.php?product_id=201706855>
-- 「刊行年 明37」
-- 「征露二年・・・贈呈蔵名書込 裸本」




]REFS]


-*-*-

[677] 
[[平成時代]]の[[陸上自衛隊]]関係団体の雑誌に掲載された[[日露戦争]]直後の回顧録に、
[[日付]]を[[征露]]で書いたものがありました。
[SRC[>>671]]


[ITEMS[ [[日時事例]]
- [672] [CITE(.label)@ja-JP[[[偕行]] (690)]], 
[TIME(.published)[[L[平成20年6月]]][2008-06]]
-- [673] 
[DATA(.label)[[CITE[[V[日露戦争従軍記]]]], [[[V[伊佐二久]]]]]]
--- [674] 
[CITE(.label)[[V[戦袍餘韻]]]], 
[[[V[松籟]]]],
[TIME(.published)[[V[明治[YOKO[39]]年[YOKO[1]]月]]][1906-01]]
---- [675] 
[CITE(.label)[[V[愛馬古閑に別るるの辞]]]]
----- [676] 
「[DATA(.text)[[V[[SNIP[]]征[BR[]]露第一年[YOKO[9]]月[YOKO[4]]日[SNIP[]]]]]]」
([[明朝体]])
に出会った云々
[SRC[>>671]]
]ITEMS]

[678] 
当該記事は[[伊佐二久]]が、[[松籟]] ([RUBYB[[[野村安昭]]][[TIME[1879]]-?]]) 
の[[日露戦争]]従軍記録を紹介するものでした。

[679] 
紹介された回顧録のうち当該部分は、
行動を共にした[[軍馬]]への惜別の辞を綴ったものでした。
[[野村安昭]]が愛馬と出会ったのが征露1年9月4日でした。
[[野村安昭]]は凱旋を果たしたとのことで、
帰国後に軍を離れるに当たって書いたものでしょうか。

[680] 
なお月日が[[欧州数字]]によって書かれていますが、
文中の他の記述からみてこれは雑誌の編纂方針によるものの可能性が高く、
原文は当時一般的な表記である[[漢数字]]と推測されます。
なお原文は[[変体仮名]]等で判読に苦労した [SRC[>>671]]
とのことで、[[手書き]]のみで未刊行だったと思われます。


[REFS[
- [671] [CITE@ja-JP[[[偕行]] (690);2008・6]], [[偕行社]], [TIME[2008-06]], [TIME[2023-01-11T10:47:13.000Z]], [TIME[2023-01-13T08:23:18.116Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/11435772/1/17> (要登録)
]REFS]


-*-*-

[665] 
[TIME[1906-03-13]]に[[日本国]][[埼玉県]]で発行された元従軍兵の回顧録で、
帰国後 (しかし未だ戦時中) の[[日付]]を[[征露]]で書いたものがあります。
[SRC[>>666]]

[ITEMS[ [667] [[日時事例]]

- [668] [DATA(.label)[[CITE@ja-JP[征露土産]], [[松本恒吉]]]],
[V[明治三十九年三月十三日發行]]
[WEAK[([TIME[1906-03-13]])]],
[DATA(.addr)[[[日本国]][[埼玉県]]]]
-- [669] 「[DATA(.text)[[V[征露第一年の天長節󠄄には[SNIP[]]]]]]」
([[明朝体]])
[[内地]]で云々
[SRC[>>666]]、
[[天長節]]は[TIME(.value)[1904-11-03]]。

]ITEMS]


[REFS[
- [666] 
[CITE@ja-JP[征露土産]], [[松本恒吉]], [TIME[明39.3][1906]], [TIME[2023-01-11T10:47:13.000Z]], [TIME[2023-01-13T07:09:38.891Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/843077/1/77>
]REFS]

-*-*-

[649] 
[TIME[1908-08-15]]に[[日本国]][[三重県]]で発行された書籍で、
[[出征]]の[[日付]]を[[征露]]で書いたと思われるものがあります。
[SRC[>>648]]

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [650] [DATA(.label)[[CITE[紅波遺稿]], [[川瀬彌城]]編]],
[V[明治四十一年八󠄂月十二日印刷]]、
[V[明治四十一年八󠄂月十五日發行]]
[WEAK[([TIME(.published)[1908-08-15]])]],
[DATA(.addr)[[[日本国]][[三重県]]]]
-- [651] 
[CSECTION[[V[災厄外の記]]]], [[[V[川瀬彌城]]]]
--- [652] 
かつて
「[DATA(.text)[[V[[SNIP[]]征露第一年九月二十五日[SNIP[]]]]]]」
に「公の身」で西へと旅立ったのが云々

]ITEMS]

[653] 
本書は[[日露戦争]]の後に若くして殉職した[[海軍]]軍人の遺稿をまとめたものでした。

[654] 
当該部分は本書編者で故人の兄の[[川瀬彌城]]が、
危篤の知らせを受け取ってから葬儀までの経緯をまとめた部分中、
急ぎ汽車に乗り現地へ向かうところで、
過去の体験と重なり感慨にふけたものであります。
その日は[TIME[1907-09-27]]でした。

[655] 
「公の身」とは[[日露戦争]]に徴兵されたことを言うのでしょう。
死去した弟は[[日露戦争]]当時海軍兵学校の学生でした。
兄は特に記述がないので職業軍人ではなく、
この頃には既に郷里で日常に戻っていたのでしょう。

[656] 
本項が書かれたのは、
記事中最後の[TIME[1907-09-29]]から印刷の[TIME[1908-08-12]]の間ということになります。


[REFS[
- [648] [CITE@ja-JP[紅波遺稿]], [[川瀬弥城]], [TIME[明41.8][1908]], [TIME[2023-01-11T10:47:13.000Z]], [TIME[2023-01-13T04:45:44.557Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/781269/1/100>
]REFS]

-*-*-

[443] 
[V[明治四十四年八󠄂月廿五日]]
[WEAK[([TIME[1911-08-25]])]]
に発行された[[日露戦争]]において[[大日本帝国]]陸軍征露第一軍の中隊長を務めた[[由上治三郎]][[中尉]]の従軍記には、
次の記載がありました。
[SRC[>>444]]

- 
[447] 
[[清国]][[内滿洲]][[奉天]]郊外の[[沙河]]方面で対陣中、
「[V[[SNIP[]][RUBY[征][せい]][RUBY[露][ろ]][RUBY[元][ぐわん]][RUBY[年][ねん]]は[RUBY[過󠄃][す]]ぎ[RUBY[去][さ]]りぬ。[BR[]]二[RUBY[年][ねん]]の[RUBY[春][はる]][RUBY[正][しやう]][RUBY[月][ぐわつ]]一[RUBY[日][じつ]]、[SNIP[]]]]」
戦場で正月を迎えました。
[SRC[>>445]]
-
[448] 
[TIME[1905-01-01]]夜、
師団司令部から電話で征露第3軍による[[旅順]]陥落の報がありました。
[[由上治三郎]]は中隊の隊員を不時呼集し、
24時前には百四、五十人が集合しました。
隊員らを前に
「[V[[SNIP[]][RUBY[征][せい]][RUBY[露][ろ]][RUBY[第][だい]]二[RUBY[年][ねん]][RUBY[正月元日遂󠄅][しやうぐわつぐわんじつつひ]]に[SNIP[]]]]」
[[旅順]]が陥落したと述べて、
[[万歳三唱]]によって祝福しました。
[SRC[>>456]]


[449] 
本書の出版は終戦からやや日が経っていますが、細かく記載されており、
当時の日記等の記録に基づいていると思われます。
事実関係は概ね信じて良いのではないでしょうか。
[[地の文]]で「征露元年」「二年」と書き、
隊員への訓示では「征露第二年」と書いていることが注目されます。
急な呼集の挨拶の文言がどれだけ正しく書き残されたものかは不明ながら、
戦時中は「征露第二年」と言っていたのが戦後いつのまにか
「元年」「二年」と書くのが自然になっていたとも考えられます。

[451] 
本書の記述から、[[滿洲]]征露軍の[[職業軍人]]も「征露」の年号を公然と使っていたこと、
しかもそれが「征露第一年」末の時点で既に広まっていたのであろうことがわかります。

[454] 
また本書はほぼ[[総ルビ]]なので、 
[WEAK[([[著者]]の指定ではなく出版段階で記述されたものかもしれませんが)]]
当時征露の年号がどう読まれていたのかがわかります。
自然な読み方のままで意外性はありませんが、
読み方を示した同時代の記録は案外珍しいです。



[453] 
[[大正時代]]の[[日本]]で出版された[[日露戦争]]に関する書籍で、
[CITE[鉄蹄夜話]]の該当部分が引用されていました。
[SRC[>>452]]
その他にも[CITE[鉄蹄夜話]]の全文が[[戦前]]期に何度か戦記集に収録されて出版されました。


[REFS[
-
[444] 
[CITE@ja[鉄蹄夜話 - [[国立国会図書館デジタルコレクション]]]], 
[TIME[明44.8][1911-08]],
[TIME[2022-04-19T12:15:56.000Z]] 
<https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/774223>
-- [445] 
<https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/774223/145>
-- [446] 
<https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/774223/147>
-- [450] 
現時点で[[次世代デジタルライブラリー]]の全文検索対象となっていない。
この2箇所以外に「征露」年の用例があるかどうか未調査。
[TIME[2022-04-19T12:47:53.300Z]]
-- [590] 
現在では[[国立国会図書館デジタルコレクション]]で検索可能になっていますが、
「征露」で検索しても >>445 >>446 の2例は検索結果に出てこず
([[OCR]] 誤読?)、「征露丸」しか発見されません。
[TIME[2023-01-10T12:26:14.000Z]]
-
[452] 
[CITE@ja[大戦余響 : 日露戦役話集 - [[国立国会図書館デジタルコレクション]]]], [[鳳秀太郎]], [TIME[大正6][year:1917]], [TIME[2022-04-19T12:55:40.000Z]] <http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/954055/88>


]REFS]



-*-*-

[274] 
[[令和時代]]初期時点で[[日本]]の[[古物商]]が販売中の
「[R[征露二年]]」
と書かれた[[盃]]があります。
[SRC[>>37]]

[275] 
[[銘文]]には、[[日本軍]]の大隊が「御下賜」を記念したものとあります。
[SRC[>>37]]
当時の「御下賜」がどのような制度だったかわかりませんが、
終戦後に戦功を讃えて[[帝室]]より賜った給付金で大隊の記念品を制作して、
構成員に配布したものと考えるのが自然でしょうか。

[276] 
この推測が正しいとするなら、
[[皇室]]や[[日本軍]]が組織的に正式に作らせたものではないとしても、
軍の一部組織が関与して
「征露」
の[[私年号]]が使われた興味深い事例ということになります。



[REFS[

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[37] [CITE[歩兵20連隊 征露恩賜木盃]],
[TIME[2020-05-26T04:04:40.000Z]], [TIME[2020-09-08T09:19:08.463Z]]
<https://someyagunsoh.jp/mokuhai-hohei3.html>
]FIGCAPTION]

>名誉歩兵第二十連隊第三大隊、征露二年御下賜記念
]FIG]

]REFS]

-*-*-


[353] 
[[令和時代]]に[[日本]]の[[オークション]][[Webサイト]]に征露2年銘の盃が出品されました。
同じような品が2点ありました。
[SRC[>>355, >>356]]

[357] 
[[ガラス]]の透明な壁面に白字で
「[R[征露二年󠄂]]」
と書かれていました。
[SRC[>>355, >>356]]
凱旋記念とあり、
軍部隊が帰国した際の記念品として作られ、
従軍者に配布されたものと推測されます。


[REFS[
- [355] 
[CITE@ja[ヤフオク! - 大雅堂955 明治期 凱旋記念 鉛硝子高台付盃 海軍...]], [TIME[2022-03-23T12:06:29.000Z]] <https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/x765430297>
- [356] 
[CITE@ja[ヤフオク! - 大雅堂956 明治期 凱旋記念 鉛硝子高台付盃 海軍...]], [TIME[2022-03-23T12:06:18.000Z]] <https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/v784105092>
]REFS]


-*-*-

[460] 
[V[明治三十八󠄂年𫝀月●十日]]
[WEAK[([[明朝体]], 五と●は[[手書き]], = [TIME[1905-05-10]])]]
に発行された[[文学作品]]の序文の[[日付]]に、
「[V[明治征露第二年三月]]」
とありました。
[SRC[>>459]]

[461] 
本書の[[著者]]は[[作家]]の[RUBYB[[[大倉桃郎]]][[TIME[1879]]-[TIME[1844]]]]で、
ちょうど[[日露戦争]]の出征中に、
本書が文学賞を受賞しました。
[SRC[>>459]]

[462] 
序文は[[大倉桃郎]]の友人の[[作家]]、[[磯村靜]]によるものでした。
[SRC[>>459]]
[[磯村靜]]は[[日本国内]]にいながら[[大倉桃郎]]の安否を気遣い、
当時流行していた「征露」を使ったようです。

[463] 
この序文では「明治征露第二年」という[[明治]]の[[元号]]と組み合わせた独特の表現が用いられていることが注目されます。



[REFS[
-
[459] 
[CITE@ja[[[琵琶歌]] - 国立国会図書館デジタルコレクション]], [[大倉桃郎]], [TIME[明38.5][year:1905]], [TIME[2022-04-25T09:29:46.000Z]] <http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/888011/5>
]REFS]


-*-*-

[492] 
[V[明治三十八󠄂年六月三十日]]
[WEAK[([TIME[1905-06-30]])]]
に出版された植民地統治論の書籍の序文の日付が、
「[V[征露第二年六月]]」
でした。
[SRC[>>491]]

[493] 
本書の題材は[[欧米]]の[[植民地]]統治でしたが、
[[日本]]の大陸進出と[[日露戦争]]が前提にあることは出版時期から明らかで、
「征露」の[[私年号]]もそれに整合するものです。


[REFS[
-
[491] 
[CITE@ja[殖民論 - [[国立国会図書館デジタルコレクション]]]], [[山内正暸]], [TIME[1905][year:1905]], [TIME[2022-04-26T11:59:35.000Z]] <http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/993524/3>
]REFS]


-*-*-

[806] 
[TIME[1905-07-23]]に[[日本国]][[茨城県]]で出版された戦史が[[征露]]を使いました。

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [807] 
[DATA(.label)[[CITE[日露大戦争史]], [[高安亀次郎]]]],
[V[明治三十八󠄂年七月[ASIS[[RUBY[●][廿三]]][訂正印刷]]日]]
[WEAK[([TIME(.published)[1905-07-23]])]],
[DATA(.addr)[[[日本国]][[茨城県]][[水戸市]]]]
-- [474] 
[DATA(.label)[序文日付]]
「[DATA(.text)[[V[明治三十八󠄂年征露二年]]]]」
([[明朝体]])
[SRC[>>473]]
--
[478] 
本文
「[DATA(.text)[[V[[SNIP[]]征露紀󠄂元第一年の最終󠄁日に[SNIP[]]]]]]」
([[明朝体]])
[SRC[>>476]]
--
[808] 
本文
「[DATA(.text)[[V[[SNIP[]]征露第二年[SNIP[]]]]]]」
([[明朝体]])
[SRC[>>477 (2箇所)]]

]ITEMS]

[479] 
本書は[TIME[1905-02-06]]に出版された書籍 [SRC[>>469]] の再版と称していました。
初版は[[旅順]]陥落にて終わっており、再版の実質は全面改訂版でした。
初版には[[征露]]の[[私年号]]は見当たりませんが、
「[V[征露第一日]]」
という表現はありました [SRC[>>480, >>481]]
(逆に再版にはこの表現はありませんでした)。



[REFS[

-
[469] [CITE@ja[日露大戦史. 前編 - [[国立国会図書館デジタルコレクション]]]], [[大日本国民中学会]], [TIME[明38.2][year:1905]], [TIME[2022-04-25T11:56:25.000Z]]
--
[480] 
<http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/774449/73>
--
[481] 
<http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/774449/76>
-
[475] 
[CITE@ja[日露大戦争史 : 附・軍国名誉鑑. 明治38年7月版 - [[国立国会図書館デジタルコレクション]]]], [[高安亀次郎]], [TIME[明38.2][year:1905]], [TIME[2022-04-25T12:16:38.000Z]] 
-- 
[473] 
<http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2387715/29>
--
[476] 
<http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2387715/299>
--
[477] 
<http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2387715/300>

]REFS]

-*-*-

[440] 
[[大正時代]]に[[日本国]][[岐阜縣]]で発行された地元の名士[RUBYB[[[池之端総助]]][[TIME[1858]]-[TIME[1916]]]]の伝記に収録された当人の随筆
[CITE[[V[松󠄃島紀󠄂行]]]]
の書き出しが
「[V[頃は征露第二年の七月[SNIP[]]]]」
でした。
[SRC[>>439]]

[441] 
本稿が生前どのような形で公表されたものか (されていないのか) 不明です。
本稿には[TIME[1905-07-11]]から[TIME[1905-08-03]]の旅程が記されており、
それからあまり日が経たないうちに書かれたものでしょう。

[442] 
行程中、殉職軍人の慰霊祭に参列したり、
[[戊辰戦争]]の旧跡を通過したりはしていますが、
特別に[[日露戦争]]に関係の深い活動をしていた形跡はありません。
本書によると[[日露戦争]]に関係して物資を寄贈したり、
その功を表彰されたりしていますが、
当時の地方の有力者としては一般的なこととも思われます。
本稿で「征露」の表記を使ったのは軍や戦争との個人的なつながりを反映したものというよりは、
当時の社会の一般的な雰囲気を反映したものとみるべきでしょう。


[REFS[
-
[439] 
[CITE@ja[池之端総助翁伝 - [[国立国会図書館デジタルコレクション]]]], [[岐阜県大野郡大八賀村教育会]], [TIME[大正12][year:1923]], [TIME[2022-04-19T09:41:20.000Z]] <http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/921285/47>
]REFS]


-*-*-


[389] 
[TIME[1905-11-25]]に発行された、
[[日本国]][[香川県]][[善通寺町]] [WEAK[(現在の[[善通寺市]]) ]]
に[[日露戦争]]期に設置された[[大日本帝国陸軍]]善通寺予備病院第二分院の記録である
[CITE[緑の雫]]
には、
[[征露]]が使われました。
[SRC[>>386]]

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [708] [CITE(.label)[緑の雫]],
[V[明治三十八󠄂年十一月廿五日]]
[WEAK[([TIME(.published)[1905-11-25]])]]
-- [709] 
[DATA(.label)[[[著者]][[[V[小林葭江]]]]の[[序文]]日付]]
「[DATA(.text)[[V[征露第二年長月末つ方[SNIP[]]]]]]」
[SRC[>>387]]
-- [706] 
[DATA(.label)[本文中、工事起工日の日付]]
「[DATA(.text)[[V[[SNIP[]]征露第一年八󠄂月十八󠄂日[SNIP[]]]]]]」
[SRC[>>388]]
]ITEMS]

[710] [[奥付]]や本文中その他の[[日付]]は、[[明治]]の[[元号]]が使われていました。

[390] 
序文はともかく本文中1箇所だけ[[征露]]で書かれている理由ははっきりしませんが、
記述対象の分院の記念すべき起工の日ゆえに、敢えて書いたのでしょうか。
遡っての記述であり、当時「征露」が使われたかどうかはわかりません。




[REFS[
- [386] 
[CITE@ja[[[緑の雫]] - 国立国会図書館デジタルコレクション]], [[小林葭江 (儀作)]], [TIME[明38.11][year:1905]], [TIME[2022-04-05T11:35:34.000Z]] <http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/833388>
-- [387] <http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/833388/6>
-- [388] <http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/833388/20>
- [705] [CITE@ja-JP[[[こと比ら]] (37)]], [[金刀比羅宮]], [TIME[1982]], [TIME[2023-01-11T10:47:13.000Z]], [TIME[2023-01-13T11:53:41.143Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/6062733/1/32> (要登録)
-- [707] >>706 を引用

]REFS]


-*-*-

[596] 
[TIME[1906-08-09]]に発行された[[陸軍]]関連団体[[偕行社]]の機関誌掲載記事に、
戦時中の[[日付]]を[[征露]]で書いた箇所がありました。

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [754] [CITE(.label)@ja-JP[[[偕行社記事]] (345)]],
[V[明治三十九年八󠄂月[ASIS[九][手書き修正]]日]]
[WEAK[([TIME(.published)[1906-08-09]])]]
-- [598] [DATA(.label)[[CITE[[V[戦後ノ將校ナル記󠄂事ニ[BR[]]就テ所感ヲ述󠄃フ]]]], [[[V[[YOKO[g]][YOKO[[MIRRORED[[TATE[.]]]]]][YOKO[k]]生]]]]]]
--- [599] 「[DATA(.text)[[V[[SNIP[]]征露第一年五月下旬[SNIP[]]]]]]」 
([[明朝体]])
[SRC[>>597 /4]]
-- [600] [DATA(.label)[[CITE[[V[予ノ觀タル橘中佐]]]], [[[V[遠󠄄藤太松󠄃]]]]]]
--- [601] 「[DATA(.text)[[V[時ハ征露第一年八󠄂月三十一日拂曉[SNIP[]]]]]]」 
([[明朝体]])
[SRC[>>597 /42 右頁左上]]
--- [601] 
「[DATA(.text)[[V[[SNIP[]]征露旣󠄁ニ二年[SNIP[]]]]]]」 
([[明朝体]])
[SRC[>>597 /139]]

]ITEMS]

[REFS[
- [597] [CITE@ja-JP[[[偕行社記事]] (345)]], [[偕行社編纂部]], [TIME[1906-08]], [TIME[2023-01-06T06:14:39.000Z]], [TIME[2023-01-10T14:27:30.045Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/3544466/1/4> (要登録)
- [751] [CITE@ja-JP[将校文鑑]], [[武章生]], [TIME[明45.4][1912]], [TIME[2023-01-11T10:47:13.000Z]], [TIME[2023-01-13T14:51:07.259Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/864875/1/129> (要登録), /139
-- [752] [CITE[[V[軍神橘中佐]]]],
[[[V[遠󠄄藤太松󠄃]]]]
--- [753] >>600 と同じ

]REFS]


-*-*-

[410] 
[TIME[1906-09-06]]に[[大日本帝国陸軍]]後備歩兵第三十二聯隊第一大隊本部の名義で非売品として発行された記録書
[WEAK[([[著者]]は同大隊第1中隊長の[[神保文治]][[大尉]])]]
に、
[[征露]]が使われました。

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [692] [DATA(.label)[[CITE[征露紀念之栞]], [[神保文治]]]],
[V[明治三十九年九月六日]]
[WEAK[([TIME(.published)[1906-09-06]])]]
-- [411] 時系列で出来事を記述した部分で[TIME(.value)[1905-01-01]]の箇所に
「[DATA(.text)[[V[明治三十八󠄂年乃チ征露第二年一月一日ヲ迎󠄃ヘリ]]]]」
[SRC[>>412]]
-- [691] 
気象状況を要約して説明した箇所に
「[DATA(.text)[[V[征露二年ノ七月二十三日]]]]」
[SRC[>>413]]

]ITEMS]

[414] 
本書の他の箇所、特に公文書の引用などはすべて[[明治]]の[[元号]]を用いていました。
>>411 はともかく >>413 は[[征露]]を使う必然性は感じられず、
いうなればそう書きたかったから書いたというところでしょうか。

[415] 
軍組織の公式な報告書というよりは従軍者の記念品的な位置付けで執筆されたもののように思われますが、
[[日本軍]]部隊を発行元と明記した出版物での「征露」の用例として注目されます。


[REFS[
-
[409] 
[CITE@ja[[[征露紀念之栞]] - [[国立国会図書館]]デジタルコレクション]], [[神保文治]], [TIME[明39.9][year:1906]], [TIME[2022-04-06T11:58:15.000Z]] <http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/774193>
-- [412] <http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/774193/30>
-- [413] <http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/774193/69>
]REFS]



** 内地銃後戦時記録の用例

[576] 
[[昭和時代]]の[[農地改革]]後にまとめられた[[日本国]][[山形県]]の旧[[地主]]本間家文書によると、
「征露第一年分」
という資料が2組ありました。
[SRC[>>575]]

[577] 
いずれも従軍した小作人への支援に関するもので、
一方は「[V[明治三十七年六月十四日]]」 [SRC[>>575 /76]]、
とあり、
他方は「[V[明治三十七年六月中旬]]」、
「[V[明治三十七年六月拾二日]]」 [SRC[>>575 /107]]
とあります。
[SRC[>>575]]
[TIME[1904-06-14]],
[TIME[1904-06-12]]に当たります。


[578] まだ[[紀年法]]感の薄い表現ですが、早い時期の用例として注目されます。
ただこの資料集にはその後の用例が見つからず、
このような用法から直接的に[[征露]]の[[紀年法]]が発達したとはいえないようです。


[REFS[
- [575] 
[CITE@ja-JP[[[本間家所蔵資料小作・経営]] 第4集 上巻]], [[柏倉亮吉, 山崎吉雄]], [TIME[1957]], [TIME[2023-01-06T06:14:39.000Z]], [TIME[2023-01-10T11:37:25.854Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/2487889/1/12> (要登録)
]REFS]

-*-*-

[987] 
[TIME[明治38(1905)年1月][1905-01]]に発行された雜誌で[[征露]]が使われました。

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [988] 
国際法学会決議,
[V[明治三十七年十二月十九日]]
[WEAK[([TIME(.published)[1904-12-19]])]]
--
[989] 
軍人等の会員の健康を祝しかつ
「[DATA(.text)[[V[[SNIP[]]征露第二年[SNIP[]]]]]]」
の新年を祝うことを云々

]ITEMS]

[990] 
当決議は[TIME[1904-12-19]]に[[学士会]]で開催された学会で採択されたものでした。
当時の[[東京]]の[[学士会]]の施設で、あるいは[[学士会]]の会合内で開催されたものでしょうか。
時節柄、本号の内容は ([[日露戦争]]に直接関係しないとしても) [[戦争]]に関係する記事が多く、
学会も同様の雰囲気だったことでしょう。


[ITEMS[ [[日時事例]]

- [1211] 
[CITE(.label)[[V[[[織物界]] 第參拾二號]]]],
[V[明治三十八年一月一日發行]] [WEAK[([TIME(.published)[1905-01-01]])]],
[DATA(.addr)[[[日本国]][[東京府]][[東京市]]]]
--
[1212] 
[CSECTION(.label)[[V[軍國の新年を迎󠄃ふ]]]],
[V[[YOKO[S]]生]]
---
[1213] 
「[V[[SNIP[]]吾人國民は[DATA(.text)[征露第二年]]を迎󠄃へ、[SNIP[]]]]」
[SRC[>>1210]]

]ITEMS]

[1214] 
この記事は織物業界の雑誌の巻頭の年始挨拶文です。
[[日露戦争]]に直接的に関係した雑誌ではないとはいえ、
時節柄戦時色ある記事が多く、年始の挨拶文もなかなか勇ましい感じになっており、
その文脈で[[征露]]が使われています。



[ITEMS[ [[日時事例]]

- [1075] 
[CITE(.label)@ja-JP[[[海事雑報]] (196)]], [[帝国海事協会]],
[V[明治三十八󠄂年一月十日發行]]
[WEAK[([TIME(.published)[1905-01-10]])]]
--
[1076] 
[CSECTION(.label)[[V[新年所󠄃[ASIS[感][<https://glyphwiki.org/wiki/gt-66932>]]]]]] ([[明朝体]])
--- [1077] 
本文
「[DATA(.text)[[V[曆を改めて征露第二年に入る、[SNIP[]]]]]]」
[SRC[>>1074]]


]ITEMS]

[1078] 
当雑誌は[[海運業界]]の業界団体機関誌で、時節柄業界柄、戦時色の強い内容でした。
当記事は誌面冒頭の年頭挨拶で、
記名はありませんが編集長なり協会長なりによるものなのでしょうか。
新年の情勢と見通しを業界に訓示した内容となっていますが、
やはり戦時色が濃いものでした。


[REFS[
- [986] 
[CITE@ja-JP[[[國際法雜誌]] 3(4)]], [[國際法學會事務所]], [TIME[1905-01]], [TIME[2023-01-17T10:48:16.000Z]], [TIME[2023-02-02T09:15:50.380Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1388670/1/2> (要登録)
-
[1210] 
[CITE@ja-JP[[[織物界]] (32)]], [[勝島活版所]], [TIME[1905-01]], [TIME[2024-02-01T05:12:54.000Z]], [TIME[2024-02-05T08:24:58.745Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1558085/1/25> (要登録)
-
[1074] 
[CITE@ja-JP[[[海事雑報]] (196)]], [[帝国海事協会]], [TIME[1905-01]], [TIME[2023-03-28T13:58:31.000Z]], [TIME[2023-04-04T09:32:41.556Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1500725/1/10> (要登録)



]REFS]

-*-*-

[973] 
[TIME[1905-01-20]]に[[日本国]][[大阪府]][[大阪市]]で発行された雑誌で[[征露]]が使われました。

[ITEMS[ [[日時事例]]

-
[974] 
[CITE(.label)@ja-JP[[[広告大福帳]] (13)]],
[TIME(.published)[1905-01-20]],
[DATA(.addr)[[[日本国]][[大阪府]][[大阪市]][[東区]]]]
--
[976] 
広告記事
---
[975] 
「[DATA(.text)[[V[[SNIP[]]征露第二[BR[]]年[SNIP[]]]]]]」 ([[明朝体]])
を迎えてめでたい
[SRC[>>972 /41]]
--
[978] 
[CSECTION(.label)[[V[恭賀新年]]]],
[V[編󠄁輯局員一同]],
[V[乙巳の春]]
---
[979] 
「[DATA(.text)[[V[征露第二年の新年[SNIP[]]]]]]」 ([[明朝体]])
を迎え云々 
[SRC[>>972 /93]]


]ITEMS]

[977] 
1つ目の用例 (>>975) は[CITE[大阪毎日新聞]]
[WEAK[(現在の[CITE[[[毎日新聞]]]])]]
の宣伝記事にあります。
この広告は[[大黒天]]と[[恵比寿天]]の対話形式で、
[[恵比寿天]]が新年の挨拶で[[征露]]を使ったものです。
2人の会話によると[CITE[大阪毎日新聞]]は[[日露戦争]]の報道に優れていること、
他紙の追随を許さず [WEAK[(当時激しく競合していた)]] [CITE[大阪朝日新聞]]
[WEAK[(現在の[CITE[朝日新聞]])]]
が泡を吹いて倒れるほどでした。
[CITE[大阪毎日新聞]]は出征者向け送付サービスも実施していて、
[WEAK[(日本国内の家族等が申し込んで支払いをすれば)]]
戦地にまで同紙を届けてくれるのだそうです。
[SRC[>>972 /41]]

[980] 
2つ目の用例は巻末にあって、本誌の編集者一同からの新年の挨拶文でした。
新年と戦勝を祝していました。

[981] 
本誌発行元の[[毎日繁昌社]]は、現在[[ウェブ検索]]しても情報がほとんどありませんが、
当時の[CITE[大阪毎日新聞]]の[[住所]]と[[地番]]がほぼ同じで、
本誌中にも[CITE[大阪毎日新聞]]に関係する記事が多く、
関連会社と思われます。

[982] 
当時の新聞各社は競って[[日露戦争]]の戦況を報じていましたが、
[CITE[大阪毎日新聞]]は本誌記事にもあるように特に積極的で、
速報性を誇っていたようです。しかも国内の読者獲得競争では飽き足らず、
戦地への配達に力を入れ、
愛国心と出征した親類を想う気持ちを金に変えようとしていたことがわかります。

[983] 
神仏の類に[[征露]]を使わせしめた例は大変珍しいものです。



[REFS[
- [972] 
[CITE@ja-JP[[[広告大福帳]] (13)]], [[毎日繁昌社]], [TIME[1905-01]], [TIME[2023-01-17T10:48:16.000Z]], [TIME[2023-02-02T08:40:25.552Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1538885/1/41> (要登録)
]REFS]

-*-*-

[1207] 
[TIME[1905-01-31]]に[[日本国]][[東京府]]で発行された[[経済]]の雑誌に[[征露]]があります。

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [1202] 
[CITE(.label)[[V[[[經濟世界]] 第三十二號]]]],
[V[明治三十八年一月三十一日發行]] [WEAK[([TIME(.published)[1905-01-31]])]],
[DATA(.addr)[[[日本国]][[東京府]]]]
-- [1203] 
[CSECTION(.label)[[V[何樣に凱旋兵士𛄜迎󠄃ふべき歟]]]],
[[[V[南波善之助]]]]
--- [1204] 
「[V[[SNIP[]][DATA(.text)[明治三十八年即ち征露第二年]]の劈頭に於ける[SNIP[]]]]」
[SRC[>>2101 /7]]
--
[1205] 
[CSECTION(.label)[[V[內國債及一時借入金の應募力]]]],
[[[V[圓城寺淸]]]]
--- [1206] 
「[V[征露戦の第二年たる明治三十八年に於ける[SNIP[]]]]」
[SRC[>>1201]]


]ITEMS]

[1208] 
雑誌中の2つの記事に[[征露]]があります。どちらも[[明治]]と併用して説明的な言い換えの形になっています。
特に一方は「征露戦の第二年たる」と説明性が強い、[[元号]]みの薄い表現となっていることが注目されます。
同じ雑誌の別記事で異なる表現が用いられていることは、
[[紀年法としての成熟度][紀年法の成熟度]]の低さと捉えることもできますし、
「私年号」の[[征露]]を自然に受け入れるに至った当時の人達の意識が表れているともいえるでしょう。

[1209] 
この雑誌は経済を主題としており、
戦闘という意味での[[戦争]]に特段関係した構成ではありませんが、
時節柄自然と戦時経済を特集した内容となっています。
両記事ともそのような文脈で[[戦争]]に言及すべく[[明治]]と[[征露]]が併記されています。


[REFS[

- [1201] 
[CITE@ja-JP[[[経済世界]] (32)]], [[経済世界社]], [TIME[1905-01]], [TIME[2024-02-01T05:12:54.000Z]], [TIME[2024-02-05T07:50:10.281Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1503459/1/7> (要登録)

]REFS]

-*-*-

[1215] 
[TIME[2024-02-05T08:36:30.000Z]]
<https://dl.ndl.go.jp/pid/1588381/1/18>
(非公開)

>実業世界太平洋 4(2)
>雑誌
>(博文館, 1905-01)
>18 コマ: みすること二十有九、征露第二年、旅順陷落に先つ〓と一日、茲に首尾能く全線の營業を開始するに


[1216] 
[TIME[2024-02-05T08:37:26.100Z]]
<https://dl.ndl.go.jp/pid/6040500/1/43>
(非公開)

>教育研究 (11)
>雑誌
>初等教育研究会 編 (初等教育研究会, 1905-02)
>43 コマ: は、全く是を略して、征露第二年の新春に入つてからの狀況を少しく紹介して見やうならば、一月元


[1240] 
[TIME[2024-02-20T09:22:39.00Z]]
<https://dl.ndl.go.jp/pid/1560095/1/61> (非公開)

>軍国画報 第2年(1)(25)
>雑誌
>(富山房, 1905-01)
>61 コマ: 喜あれ。な玆に謹みて征露第二年の光輝ある新年をこゝ帮助皇室の尊榮とを祝しくわうしつ (AD 

[647] 
[TIME[2023-01-13T04:32:43.600Z]],
<https://dl.ndl.go.jp/pid/1560097> (非公開)

>
軍国画報 第2年(3)(27)
>雑誌
>(富山房, 1905-02)
>56: ラストタイムおはご놈征露第一年の最後は終れり。吾人は卅 RT ゞじひがしはうたいぜんわさくげふ一

>4: 千萬の同胞玆に謹みて征露第二年紀元の佳節を迎へんとす、欣躍何ぞ堪へんや。顧みれば吾
>57: んこゝろひそ明くれば征露第二年春王一月元旦、清水心窃しほうじしんううひます〓〓かに邦家の進運日に益々に隆に、至そんへいかまうじ

[1241] 
[TIME[2024-02-20T09:24:18.000Z]]
<https://dl.ndl.go.jp/pid/1574797/1/65> (非公開)

>日露戦争写真画報 臨時增刊(18)(60)
>雑誌
>博文館 [編] (博文館, 1905-03)
>65 コマ: 溪上飯。夢裏喫香來。征露第二年一月一日夜。在門司大佐旅團司令部。會旅順降伏之報至。全營拍手歡

[1244] 
[TIME[2024-02-20T09:26:06.800Z]]
<https://dl.ndl.go.jp/pid/1574801/1/68> (非公開)

>日露戦争写真画報 (22)
>雑誌
>博文館 [編] (博文館, 1905-05)
>68 コマ: 野を行くが如く、せぬ征露第二年二月廿有八日戎馬に拍車を吳れて、しましてや、河の諸戰を經て、とんおいら海路恙なく柳樹屯に上陸し、

[1245] 
[TIME[2024-02-20T09:26:27.500Z]]
<https://dl.ndl.go.jp/pid/1592456/1/82> (非公開)

>日露戦争実記 (70)
>雑誌
>博文館 [編] (博文館, 1905-05)
>82 コマ: 45ぼろ月露人城週雜征露第二年誠心を腕こむる少女の腕かな同四月二十四日刋佳句(呈景品)英雄の片腕長し弓始め同雅量第十三號漫錄田

[1246] 
[TIME[2024-02-20T09:26:50.700Z]]
<https://dl.ndl.go.jp/pid/1592457/1/77> (非公開)

>日露戦争実記 (72)
>雑誌
>博文館 [編] (博文館, 1905-05)
>77 コマ: 今じや墓塲で花ざかり征露第二年五月一日發行勇士の、恨みを呑んで鬼客となつた雅量臨時增刊第

[1247] 
[TIME[2024-02-20T09:27:23.200Z]]
<https://dl.ndl.go.jp/pid/1592461/1/78> (非公開)

>日露戦争実記 (81)
>雑誌
>博文館 [編] (博文館, 1905-07)
>78 コマ: との野中を此炎萬字亭征露第二年四月廿日發行夫は生△堇の舍撰發行者子佛主完からざるが爲めな

[1242] 
[TIME[2024-02-20T09:24:45.900Z]]
<https://dl.ndl.go.jp/pid/1566927/1/74> (非公開)

>征露戦報 2(12)
>雑誌
>(実業之日本社, 1905-03)
>74 コマ: 鐵道紀行唱句(承前)征露第二年一月二十五日旅順鐵道開通の翌日作陸軍一等軍醫牧野康治未定稿쪼か

[1243] 
[TIME[2024-02-20T09:25:31.400Z]]
<https://dl.ndl.go.jp/pid/1592452/1/65> (非公開)

>日露戦争実記 (63)
>雑誌
>博文館 [編] (博文館, 1905-04)
>65 コマ: なん治三十七年を送り征露第二年を迎ふること、ほんぷんつくゆうめんもくしだこのしんねん何とな






-*-*-

[265] 
[[令和時代]]初期に[[日本]]の[[オークション]][[Webサイト]]に出品された
「[V[軍人吊詞[WEAK(quarter)[写]]]]」
と題した[[手書き]]の小冊子がありました。
[SRC[>>35, >>264]]

[266] 
表紙及び本文によると、
本書は[[日本国]][[上伊那郡]][[伊那町]] (現在の[[伊那市]])
から出征し[[ロシア軍]]により殺害された軍人への弔辞集で、
[[伊那町]]長はじめ地域の代表者らが故人を偲び勲功を讃えたものでした。
[SRC[>>264]]

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [670] [CITE(.label)[[V[軍人吊詞]]]],
[DATA(.addr)[[[日本国]][[上伊那郡]][[伊那町]]]]
--
[267] 
[DATA(.label)[表紙]]には、[[日付]]が
「[DATA(.text)[[V[[LINES[明治叁拾八󠄃年󠄂][征露二年󠄂]]𠮷春]]]]」
とありました。
[SRC[>>264]]
--
[268] 
表紙には、
故人が
「[DATA(.text)[[V[征露元年󠄂九月弐拾壱日]]]]」
に戦死し、
「[DATA(.text)[[V[征露弐年󠄂三月弐拾弐日]]]]」
に葬儀が為されたとありました。
[SRC[>>264]]

]ITEMS]

[269] 
本書所収の弔辞はいずれも[TIME[1905-03-23]]付です。
葬儀の場で読み上げられた原稿を集めたものの写しが本書なのでしょう。
なお本書所収の弔辞のいずれも[[日付]]は[[明治]]年でのみ書いており、
戦争名を「征露ノ役」と呼んでいる1箇所を除き、
「征露」は出てきません。
[SRC[>>264]]

[270] 
故人は[[内満洲]]で[TIME[1904-09-21]]に戦死した後、
しばらくその地に遺体が保管されていたのでしょう。
その後翌年3月かそのしばらく前、
戦闘が落ち着いた頃になって、
[[日本本土]]の故郷に搬送されたのでしょう。
3月に葬儀が実施され、
その前後に弔辞集がまとめられたと考えられます。
[[写本]]が作られたのも、
それと同じか、そう遠くない時期と考えて良いのではないでしょうか。
表紙の文章は、その内容と構成を考えると、
写本が原本をそのまま写したとみなすのが自然です。
「征露」年を使ったのは葬儀に関わった[[伊那町]]の一般の人 (もしかすると公務員)
でしょうか。




[REFS[

-
[35] [CITE@ja[[[ヤフオク!]] - 「[[軍人吊詞]]」(写)明治38年 征露二年(長野県上...]]
([TIME[2020-09-08T09:16:34.000Z]])
<https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/b484637818>
-- 
[264] 
[CITE[[[ヤフオク!]] - 「[[軍人吊詞]]」(写)明治38年 征露二年(長野県上...]], [TIME[2022-03-10T09:11:56.000Z]] <https://archive.ph/Jdutx>
-
[57] [CITE@ja[自由古書園「海つばめ」さんはTwitterを使っています 「「[[軍人吊詞]]」(写)明治38年 征露二年(長野県上伊那郡) https://t.co/IU7uR0dnFs」 / Twitter]]
(午前9:10 · 2020年7月7日 [TZ[+09:00]], [TIME[2020-09-09T04:23:01.000Z]])
<https://twitter.com/oburo72/status/1280293015722971137>



]REFS]


-*-*-

[1012] 
明治38年に[[日本国]][[東京府]][[東京市]]で発行された祝辞弔辞等例文集に[[征露]]を使ったものがありました。


[ITEMS[ [[日時事例]]

- [1013] [DATA(.label)[[CITE@ja-JP[祝賀送迎弔祭文集]], [[小林鶯里]]]]
[V[明治三十八󠄂年四月五日發行]]
[WEAK[([TIME(.published)[1905-04-05]])]],
[DATA(.addr)[[[日本国]][[東京府]][[東京市]]]]
-- [1014] [CSECTION(.label)[[V[序]]]],
[[[V[鶯里山人]]]]
「[DATA(.text)[[V[征露第二年三月]]]]」 ([[明朝体]])
[SRC[>>1011 /6]]
-- [1015] 
[CSECTION(.label)[[V[大山總督閣下[YOKO[!]]]]]], [[小林鶯里]]
「[DATA(.text)[[V[征露第二年元旦]]]]」 ([[明朝体]])
[SRC[>>1011 /41]]
---[1065] 
[TIME[明治38年11月][1905-11]] [SRC[>>1064]], 
[TIME[12月][1905-12]] [SRC[>>1135]]
の他の例文集にも収録。
-
[1035] 
[CITE(.label)@ja-JP[[[薩摩琵琶歌]] : 青年愛吟 第2集]],
[V[明治三十八󠄂年五月廿八󠄂日發行]]
[WEAK[([TIME(.published)[1905-05-28]])]],
[DATA(.addr)[[[日本国]][[東京府]][[東京市]]]]
--
[1036] 
[CSECTION(.label)[[V[序]]]],
[[[V[小林紫軒]]]]
「[DATA(.text)[[V[征露第二年五月端午]]]]」 ([[明朝体]])
[SRC[>>1034]]



]ITEMS]

[1016] 
本書は[[日露戦争]]に関係する送別、祝賀、追悼などの挨拶文をまとめたものでした。
いろいろな人がいろいろな場面で書いた文章が集められているのですが、
年まで書いたもののほとんどは[[明治]]を使っています。
([[征露]]を使っていないものばかりなのは興味深いです。)

[1017] 
用例の1つ目 (>>1014) は編者による自序の日付です。

[1018] 
用例の2つ目 (>>1015) は編者による[[大山巌]]に向けた文章の日付です。
[[大山巌]]は陸軍のトップでした。[[海軍]]の[[東郷平八郎]]に向けた文章もありましたが、
そちらはなぜか「[V[明治三十八󠄂年一月元旦]]」になっています。
同じ日なのに書き分けているのは何か理由があるのでしょうか。
なおこれらの文章がどのような性質のものなのか、本書収録以前に何らかの形で発表されたのかはよくわかりません。

[1037] 
その翌月の歌集にも序文に[[征露]]があります。編者は同じ人物です。
こちらの歌集は後半は一般的なものですが、前半に[[日露戦争]]関連のものも収録されています。


[REFS[
- [1011] 
[CITE@ja-JP[祝賀送迎弔祭文集]], [[小林鶯里]], [TIME[明38.4][1905]], [TIME[2023-01-17T10:48:16.000Z]], [TIME[2023-02-02T13:16:18.891Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/865633/1/6>
-
[1034] 
[CITE@ja-JP[[[薩摩琵琶歌]] : 青年愛吟 第2集]], [[尚武研究会]], [TIME[明38.5][1905]], [TIME[2023-01-17T10:48:16.000Z]], [TIME[2023-02-03T06:25:23.793Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/857818/1/3>
- [1064] 
[CITE@ja-JP[最新祝賀弔祭文例]], [[尚武研究会 編纂]], [TIME[明38.11][1905]], [TIME[2023-01-17T10:48:16.000Z]], [TIME[2023-02-24T07:33:36.678Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/903890/1/29>
- [1135] 
[CITE@ja-JP[凱旋祝賀歓迎文範]], [[帝国武友館]], [TIME[明38.12][1905]], [TIME[2023-12-19T01:59:10.000Z]], [TIME[2023-12-20T13:15:39.844Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/865597/1/55>




]REFS]

-*-*-

[1139] 
[TIME[1905-06-06]]に[[日本国]][[東京府]][[東京市]]で発行された[[俳句]]集に、
[[征露]]年が入ったものがありました。

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [1137] [DATA(.label)[[[俳句]]]],
[[[V[竹の門]]]]
-- [1138] 
「将軍に梅咲く[DATA(.text)[征露第二年]]」
[SRC[>>1136]]

]ITEMS]

[1140] 「梅咲く」とあることから、[[梅]]の季節に詠まれたものとわかります。
「将軍」とはいずれかの会戦を率いた日本軍の将軍のことなのでしょう。
序文によると本書収録の[[俳句]]は明治38年4月までに新聞、雑誌などに掲載されたものとのことです。


[REFS[

- [1136] 
[CITE@ja-JP[明治一万句]], [[今井柏浦, 内藤鳴雪 閲]], [TIME[明38.6][1905]], [TIME[2023-12-19T01:59:10.000Z]], [TIME[2023-12-20T13:21:02.755Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/875795/1/53> (要登録)

]REFS]

-*-*-


[621] 
明治38年の[V[十一月二十三日]]
[WEAK[([TIME[1905-11-23]])]]
に執筆された、
[[日本国]][[京都府]][[京都市]]で出版された仏教系雑誌の社説は、
従軍布教使の仏僧の戦地に赴いた時期を[[征露]]により記述しました。
[SRC[>>620]]

[ITEMS[ [[日時事例]]
- [622] [CITE(.label)[[[布教叢誌]] 18(12)]], [V[明治三十八󠄂年十二月七日發行]]
[WEAK[([TIME(.published)[1906-12-07]])]]
-- [623] [CSECTION(.label)[[V[淳淨院連枝の御歸山を迎󠄃ふるの辭]]]],
[V[十一月二十三日記󠄂]]
[WEAK[([TIME(.created)[1905-11-23]])]]
--- [624] 「[DATA(.text)[[V[[SNIP[]]征露第一年秋九月[SNIP[]]]]]]」
に戦地に向かい云々
[SRC[>>620]]
]ITEMS]

[REFS[
- [620] 
[CITE@ja-JP[[[布教叢誌]] 18(12)]], [[布教叢誌社, 文明堂, 興教書院, 顕道書院, 文洋堂]], [TIME[1905-12]], [TIME[2023-01-11T10:47:13.000Z]], [TIME[2023-01-12T13:36:03.083Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/11209371/1/4> (要登録)
]REFS]

-*-*-

[1049] 
明治38年度の[[日本国]][[東京府]][[東京市]]の[[明治大学]]商学部の講義録は、
明治38年度に定期発行されたものをまとめた書籍のようですが、
軍費について[[征露]]を使った箇所があります。

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [1050] 
[DATA(.label)[[CITE[[[明治大學]]商學科講義録雜録集 明治38年度 第1學年]]]]
-- [1051] 
「[DATA(.text)[[V[[SNIP[]]征露第二年度の軍費は[SNIP[]]]]]]」
[SRC[>>1048 /34]]
--- [1052] 
明治38年4月末頃?
-- [1053] 
「[DATA(.text)[[V[[SNIP[]]征露第二[BR[]]年度の軍費は[SNIP[]]]]]]」
[SRC[>>1048 /76]]
--- [1054] 
明治37年12月頃?


]ITEMS]

[1055] 
4月始まりの[[年度]]に[[征露]]を使った (ことが >>1053 の文脈からも確かめられる) 
貴重な用例です。

[REFS[
-
[1048] 
[CITE@ja-JP[[[明治大學]]商學科講義録雜録集 明治38年度 第1學年]], [['''['''明治大學出版部''']''']], [TIME['''['''1905''']'''][1905]], [TIME[2023-01-17T10:48:16.000Z]], [TIME[2023-02-24T06:49:41.084Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1184671/1/34> (要登録)
]REFS]

-*-*-

[949] 
[TIME[明治39(1906)年][1906]]のいくつかの雜誌の記事にも[[征露]]があります。

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [950] [CITE(.label)[[[児童研究]] 9(1)]],
[V[明治三十九年一月廿五日發行]]
[WEAK[([TIME[1906-01-25]])]],
[DATA(.addr)[[[日本国]][[東京府]][[東京市]]]]
-- [952] 
[CITE(.label)[[V[母と子]]]],
[[[V[神村つる子]]]]
--- 
[951] 
「[DATA(.text)[[V[時は征露第二年の夏なり[SNIP[]]]]]]」 ([[明朝体]])
軍人らが乗船を終えて云々
[SRC[>>948]]
- [662] [CITE(.label)[[[山岳]] 1(2)]],
[[日本山岳会]],
[V[明治三十九年六月十一日印刷]],
[V[明治三十九年六月十五日發行]] [WEAK[([TIME(.published)[1906-06-15]])]],
[DATA(.addr)[[[日本国]][[東京府]][[東京市]]]]
-- [664] 
[CITE(.label)[[V[守門嶽ニ登ル記 [WEAK(smaller)[(突貫紀行ノ一節)]]]]]],
[[[V[大平晟]]]],
[[[V[越後]]]]
--- [1304] 
「[V[[SNIP[]]、[DATA(.text)[征露第二年ノ六月一日]]ニハ、日本海大海戰祝捷式ヲ擧行シ、一日ヲ隔テヽ我校第四學年及ビ[ASIS[補][亠→二]]習科生ヲ率󠄃[ASIS[井][仮名]][SNIP[]]]]」
[SRC[>>1217]]
- [661] [CITE(.label)[[[中学生]] 1(8)]],
[V[明治三十九年八󠄂月一日發行]]
[WEAK[([TIME(.published)[1906-08-01]])]],
[DATA(.addr)[[[日本国]][[東京府]][[東京市]]]]
-- [659] 
[DATA(.label)[[CITE[[V[わが兄]]]], [[[V[定雄]]]]]],
[DATA(.addr)[[[[V[岡山]]]]][[[日本国]][[岡山県]]]]
--- [660] 
兄は
「[DATA(.text)[[V[[SNIP[]][RUBY[征][﹅]][RUBY[露][﹅]][RUBY[第][﹅]][RUBY[一][﹅]][RUBY[年][﹅]][RUBY[の][﹅]][BR[]][RUBY[霜][﹅]][RUBY[月][﹅]][SNIP[]]]]]]」
([[明朝体]])
に出征してから云々
[SRC[>>657]]
---- [663] [[傍点]]は前後の文全体に付けられている。
]ITEMS]

[1303] 
[TIME[1906-01-25]]に[[日本国]][[東京府]][[東京市]]で発行された教育系雑誌の随筆記事で、
港からの出征風景の記述に[[征露]]を使ったものがありました
(>>951)。

[1305] 
[TIME[1906-06-15]]に発行された登山系雜誌掲載の記事では、
学校教員が生徒を率いて登山する前に[TIME[1906-06-01]]の[[日本海海戦]]戦勝記念式が
(学校で?) 開催されたことに言及があり、
[[征露]]が使われています (>>1304)。
それを除けば[[戦争]]とは特に関係しない記事です。

[658] 
[TIME[1906-08-01]]に発行された(旧制)[[中学生]]向け雑誌の記事に、
[[日露戦争]]への出征の日を[[征露]]で書いたものがありました (>>660)。
この雑誌は読者から投稿された記事で構成されていたようです。
本記事は岡山在住の[[中学生]]の執筆のようです。
記事によると筆者の兄は征露1年11月に[[出征]]しましたが、
戦地で負傷し、本国に帰還して入院していました。
しかし終戦翌年、おそらく雑誌発行の[TIME[1906-08-01]]からそう遠くない時期に、
治療の甲斐なく死去しました。
その無念を綴った本稿において出征時期が[[征露]]で書かれました。


[REFS[

- [948] 
[CITE@ja-JP[[[児童研究]] 9(1)]], [[日本児童学会]], [TIME[1906-01]], [TIME[2023-01-17T10:48:16.000Z]], [TIME[2023-02-01T10:12:32.594Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/6069101/1/19> (要登録)
- [1217] 
[CITE@ja-JP[[[山岳]] 1(2)]], [[日本山岳会]], [TIME[1906-06]], [TIME[2024-07-30T10:51:24.000Z]], [TIME[2024-08-04T09:42:32.142Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/6064877/1/65> (要登録)
--
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[1302] 
[TIME[2024-02-05T08:38:49.400Z]]
<https://dl.ndl.go.jp/pid/6064877/1/65>
(非公開)
]FIGCAPTION]

>山岳 1(2)
>雑誌
>(日本山岳会, 1906-06)
>65 コマ: ハ未ダ接セザルすり、征露第二年ノ六月一日ニハ、日本海大海戰祝捷式ヲ擧行シ、中汽車ノ窓ヨリ銀冠ヲ戴ケル守門ノ崇嶺ヲ眺メ、之フ探ラ
]FIG]
- [657] 
[CITE@ja-JP[[[中学生]] 1(8)]], [[中学社, 博報堂]], [TIME[1906-08]], [TIME[2023-01-11T10:47:13.000Z]], [TIME[2023-01-13T06:17:08.460Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1569724/1/29> (要登録)
]REFS]

-*-*-

[848] 
[[昭和時代]]に[[日本国]][[岡山県]]で発行された[[鉄軒]] ([[大塚香]])
の[[漢詩]]集に、序文で[[征露]]を使ったものがありました。

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [849] [DATA(.label)[漢詩序文, [[鉄軒]]]]
--[851] 
「[DATA(.text)[[V[征露第二年五月𫝹四日[SNIP[]]]]]]」
([[明朝体]])
に出征送別会で云々
[SRC[>>847]]

]ITEMS]

[850] 本書収録[[漢文]]の[[著者]]の[RUBYB[[[大塚香]]][[TIME[1858]]-[TIME[1918]]]]は[[岡山]]の名士でした。
当該序文によると、旧藩主が出征することとなり、
[TIME[1905-05-24]]に送別会があったようです。
その日付が[[征露]]で書き表されているのです。
明記はされていませんが、その日ないしその直後が当該序文の書かれた日なのでしょう。


[REFS[
- [847] [CITE@ja-JP[鉄軒存稿]], [[鉄軒大塚香, 三宅代五郎 編著]], [TIME[昭和15][1940]], [TIME[2023-01-11T10:47:13.000Z]], [TIME[2023-01-14T12:41:09.163Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1101407/1/13> (要登録)
]REFS]


-*-*-


[395] 
[V[明治四十三年十月一日]]
[WEAK[([TIME[1910-10-01]])]]
に[[日本国]][[愛知県]][[碧海郡]]で発行された地元の戦時事業の記録書
[SRC[>>394]]
には、
本文中に

- [396] 「[V[[SNIP[]]とするもの多く征露第一年には[SNIP[]]に於ても征露第一年には[SNIP[]]なりしに同第二年には[SNIP[]]]] 」
[SRC[>>397]]
-- [398] 2つ目が [[OCR]] で「征露第七年」と読まれているのは、
[[蔵書印]](?)の一部を誤認したもの。
- [399] 
「[V[[SNIP[]]少なからざりしが征露第二年に[SNIP[]]]]」
[SRC[>>400]]
- [402] 
「[V[[SNIP[]]其の三十八󠄂年度は征露第二年にして[SNIP[]]]]」
[SRC[>>401]]
-- [404] 「三十八󠄂年度」とは明治38年度のこと。

... とありました。

[403] 
本文中他の箇所は[[明治]]の[[元号]]で書かれており、この3箇所5例だけ[[征露]]で書いた理由は定かではありません。
3例目 (>>402) などはわざわざ[[明治]]から[[征露]]に言い換えており、
戦時体制が続いて2年目に入ったゆえに云々と説明する意図があるようですが、
「三十七八年戦役」をテーマにした本書をここまで読み進めてきて、
38年度がこうなったのは戦争の2年目だから、とわざわざ説明されるのも冗長感がないでもありません。
とはいえ第1例も第2例も、
単に[[年]]を特定するだけでなく、
戦争の第1年目、第2年目と説明する意図が含まれているようには思われます。


[REFS[
- [394] 
[CITE@ja[愛知県碧海郡奉公事蹟. 後編 - 国立国会図書館デジタルコレクション]], [[愛知県碧海郡教育会]], [[愛知県碧海郡尚武会]], [TIME[明43.10][year:1910]], [TIME[2022-04-05T11:57:28.000Z]] <http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/842823>
-- [397] 
<http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/842823/9>
-- [400] 
<http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/842823/49>
-- [401] 
<http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/842823/75>

]REFS]


-*-*-

[417] 
[V[大正二年五月十八󠄂日]]
[WEAK[([TIME[1913-05-18]])]]
に[[日本国]][[千葉県]][[君津郡]][[木更津町]]
[WEAK[(現在の[[木更津市]])]]
で発行された地元の戦時事業の記録書
[SRC[>>416]]
に、[[征露]]の用例が含まれます。

[418] 
本書を発行した木更津町奉公義会は、本書によれば在郷軍人と有志で構成された会でした。
事務局は木更津町役場に設置されていました。
[SRC[>>416]]
町の組織の一部ではないものの、公的な性質を持った団体のようです。

[419] 
本書には木更津町から出征した軍人らから木更津町奉公義会長に宛てられた文書が収録されています。
それらの[[日付]]は、[[年]]のないもの、[[明治]]何年と書いたもの、
[[明治]]の年数だけを書いたものの他に、
次のものがありました。

- [421] 
[[[V[齋藤󠄁政吉]]]]発信文書
「[V[征露二年五月十八󠄂日]]」
[SRC[>>420]]
-- [423] 所属は[V[征露第一軍近󠄁衛後備混成旅團步兵第一聯隊󠄄第四中隊󠄄]]。
-- [422] 現在の[[中華人民共和国]][[吉林省]]の「[V[夏家堡子(チャカホーズ)]]」に駐留中。

[425] 
[TIME[1905-01-05]]に木更津町で開催された[V[旅順陷落祝㨗會]]の開式の辞として、
祝捷会発起人総代で木更津町長の香々見儀助は、
「[V[征露第一新年]]」
と述べました。
[SRC[>>424]]

;; [426] [[征露]]の役始まって以来初めての新年という意味でしょう。
「征露第一年」 = 「征露元年」こと明治37年とは1年ずれています。



[REFS[
- [416] 
[CITE@ja[日露戦役木更津町後援史 - [[国立国会図書館]]デジタルコレクション]], [TIME[大正2][year:1913]], [TIME[2022-04-07T09:37:09.000Z]] <http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/910603>
-- [420] <http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/910603/256>
-- [424] <http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/910603/403>
]REFS]


-*-*-

[95] 
[[平成時代]]後期時点で[[台湾]]向け[[オークション]] [[Webサービス]]に
「日本 明治38年 征露2年(俄國)1905年 出兵軍人 餞別連名簿」
なるものが出品されていました。
[SRC[>>2]]

[96] 
現物に「征露」年が書かれていたと推測されますが、
[[Webページ]]掲載写真では[[皇紀]]の記載しか確認できませんでした。
[SRC[>>3]]

[97] 
この[[Webページ]]は[[令和時代]]時点で既に消滅してしまっており、
[[Internet Archive]] 等にも保存されていません。
[[ウェブ検索]]でも類似するものは発見できず、
どのようなものかわからなくなってしまいました。

[98] 
[[台湾]]の[[オークション]]に出品されたということは、
[[大日本帝国台湾]]から出兵した軍人、
あるいは終戦後[[日本]]統治時代中に[[台湾]]に移動した(元)軍人が[[台湾]]に残したものでしょうか。

;; [99] 
「征露」の[[私年号]]が[[台湾]]で使われたことがあるのかどうか、
これだけでは判断に困ります。


[REFS[
- 
[2] [CITE@zh-tw['''['''黑潮獨秀''']''' 日本 明治38年 征露2年(俄國)1905年 出兵軍人 餞別連名簿 **保真** 保存完整]]
[TIME[2016-05-24 01:26:45 +09:00]]
<https://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:QJkeeQVpVIMJ:https://tw.bid.yahoo.com/item/%25E9%25BB%2591%25E6%25BD%25AE%25E7%258D%25A8%25E7%25A7%2580-%25E6%2597%25A5%25E6%259C%25AC-%25E6%2598%258E%25E6%25B2%25BB38%25E5%25B9%25B4-%25E5%25BE%2581%25E9%259C%25B22%25E5%25B9%25B4-%25E4%25BF%2584%25E5%259C%258B-1905%25E5%25B9%25B4-%25E5%2587%25BA%25E5%2585%25B5-100139440750>
--
消滅確認 [TIME[2022-02-28T09:56:46.500Z]]
--
[3] >>2 は少なくても掲載の写真
<https://s.yimg.com/xd/api/res/1.2/aZPiuiUKo5MO0exDoYxNhA--/YXBwaWQ9eXR3YXVjdGlvbnNlcnZpY2U7aD03MDA7cT04NTtyb3RhdGU9YXV0bzt3PTUyNQ--/http://nevec-img.zenfs.com/prod/tw_ec05-7/8564077e-eb89-4d07-be7d-8a83a28fdc31.jpg>
<https://s.yimg.com/xd/api/res/1.2/Pvrw.q5n2Gj3gM37CCIiQA--/YXBwaWQ9eXR3YXVjdGlvbnNlcnZpY2U7aD01MjU7cT04NTtyb3RhdGU9YXV0bzt3PTcwMA--/http://nevec-img.zenfs.com/prod/tw_ec05-7/deae1f42-a233-4d63-a105-b5d6d20b1507.jpg>
には、[[皇紀]]だけで[[征露]]の記載はありません。
]REFS]



** 日本の金石銘の用例


[208] 
[[日本国]][[山形県]][[山形市]][[錦町]]の[[神明神社]]に、
1対2匹の[[狛犬]]があります。
その台座に、
[[征露]]の[[紀年]]がありました。
[SRC[>>19, >>20]]

[209] 
[[平成時代]]のある [[Webサイト]]によればその銘文は
「征露元年(1904) 撥(?)月」
([TIME[西暦1904年8月][1904-08]])
[SRC[>>19]]、
別の[[Webサイト]]によれば
「征露元年極月」
([TIME[西暦1904年12月][1904-12]])
[SRC[>>20]]
でした。

[210] 
残念ながら [[Web]] 上には台座の写真が見つからず、
どちらが正しいかは不明です。

[211] 
一方のサイトはこれを「偽年号」としています [SRC[>>19]] が、
この用語法に特別なこだわりはなさそうに読めます。
たまたま参照した資料がそう呼んでいただけで、
[[私年号]]の意味で使ったのでしょう。
[SEE[ [[偽年号]] ]]

[212] 
他方のサイトは「大国ロシアに勝利した日露戦争の1904年」 [SRC[>>20]]
と解釈していました。
[TIME[西暦1904年][1904]]は開戦の年で、
戦況からみてもまだ勝利したとはいえない状況でありました。
その年の12月に「勝利した」ことに因みようがありませんし、
半年以上遡った日付を刻んだとも考えにくいものです。
これもまた、たまたま参照した資料が
「征露は戦勝を記念したもの」
とでも解説していて、それを信じてしまったのでしょう。




[REFS[

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[19] [CITE[山形市錦町 [[神明神社]]]],
[TIME[2004-04-06 03:09:47 +09:00]]
<http://www.nihonkai.com/zerodama/komainu/78.html>
]FIGCAPTION]

> <台座データ>
> 征露元年(1904) 撥(?)月
> 発起人 新開(関?)喜八
> 「征露」は、偽年号(正式な元号とは違うもの)で、
> 日露戦争を記念したものだそうです。
> 全体的に、台座が御影石なので解読困難でした。
> 「撥」も、「八」の代用なのかと思いましたが、
> きっちり読み取れないので、?をつけました。

]FIG]

-
[FIG(quote)[ 
[FIGCAPTION[
[20] [CITE[神明神社]],
[TIME[2020-09-05T12:59:59.000Z]]
<http://www.komainu.org/yamagata/yamagatasi/sinmei_nisiki/sinmei_nisiki.html>
]FIGCAPTION]

>「征露元年極月」という珍しい私年号が彫られた狛犬
大国ロシアに勝利した日露戦争の1904年を元年とする、民衆の間で使われた年号だそうです。[SNIP[]]

>(征露元年(明治37年1904)極月(12月)建立)
]FIG]
--
[207] 
[CITE[神明神社]], [TIME[2022-03-08T08:53:40.000Z]] <http://www.komainu.org/yamagata/yamagatasi/sinmei_nisiki/sinmei_nisiki_koma.html>


]REFS]

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[1200] 
[CITE[会報]], [TIME[2024-01-05T09:27:50.000Z]] <https://plaza.ikaduchi.com/murayama/jyouhou/kaihou/New-kaihou.html>
]FIGCAPTION]

>会報「村山民俗学会」第232号  2011年2月1日発行


>   ・私年号「征露」銘の狛犬  市村幸夫

> 小橋の神明神社狛犬

(写真あり、銘文の写真はなし)

]FIG]

-*-*-


[297] 
[[日本国]][[香川県]][[高松市]]の[[若一王子神社]]門柱銘に、
「[V[征露第二年󠄂之一月吉日]]」
とありました。
[SRC[>>296]]

[298] 
[[明治]]の[[元号年]]を伴わずに単独で[[年表示]]に供しており、
確固たる[[紀年法]]として[[確立][紀年法の成熟]]していると評し得る一方で、
敢えて「第」や「之」を挿入している点、
通常の表記とは一線が画されているともいえます。

[316] 
なお、これを紹介した
[[Webサイト]]や
[CITE[Twitter]]
への投稿が、意識してかせずか「征露二年」「征露2年」と「第」を抜いて引用している
[SRC[>>43, >>54]] のも興味深い事例といえます。


[REFS[
-
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[43] [CITE@ja[若一王子神社(香川県高松市錦町2丁目)- 日本すきま漫遊記]]
([TIME[2020-07-18T20:15:08.000Z]], [TIME[2020-09-08T09:23:01.127Z]])
<https://www.sukima.com/40okayama2003/05ouji.html>
]FIGCAPTION]

> 石柱の後ろを見てみたら、「征露二年」というような年号の表示があった。

]FIG]
--
[296] 
[CITE[05ouji03.jpg (JPEG 画像, 640 × 480 px)]], [TIME[2020-05-09T14:49:52.000Z]], [TIME[2022-03-14T09:02:37.641Z]] <https://www.sukima.com/40okayama2003/05ouji03.jpg>
-
[54] [CITE@ja[бобы (豆)さんはTwitterを使っています 「色んな場所を巡っていて神社を見つけたら必ずお詣りするのですが、帰り道にこの石柱が目につきました。「征露2年」は明治38年(1905)のこと。征露は日露戦争の勝利を記念して呼ばれた[[私年号]]らしいですが、初めて見ました。 https://t.co/naz7neKQIx」 / Twitter]]
(午前6:44 · 2020年6月21日 [TZ[+09:00]], [TIME[2020-09-09T04:21:20.000Z]])
<https://twitter.com/51mame218/status/1274458136670322689>



]REFS]

-*-*-

[232] 
[[日本国]][[熊本県]][[球磨郡]][[山江村]]の村立の[[山江村歴史民俗資料館]]に、
[[征露]]私年号の
「記念灯」
が5基所蔵されています。
[SRC[>>27]]

[233] 
[TIME[平成29(2017)年][2017]]末か[TIME[平成30(2018)年][2018]]初の頃に、
[[前川清一]]が発見しました。
[SRC[>>27]]
(それ以前から所蔵されていたと思われます。)
[TIME[平成30(2018)年2月][2018-02]]、
[[前川清一]]は地域史論文誌で報告しました
[SRC[>>236]]。

[238] 資料館職員の[[ブログ]]記事に、
そのうち2基が写った[[写真]]と、
1基の[[銘文]]が紹介されています。
[SRC[>>27]]
記事本文によると銘文は「征路戦二年 旧十月三日」ですが、
写真左側の銘文は「[V[征露二年[SUP(quarter)[旧]]十月三日]]」
([[楷書]][[手書き]])
と読めます。
施主が同じであり、同じものでしょうか。それとも同じ施主の物が他にもあるのでしょうか。

[240] 
写真右側の銘文は、施主が違いますが、
やはり
「[V[征露二年[SUP(quarter)[旧]]十月三日]]」
([[楷書]][[手書き]])
と読めます。

[239] 
「征路戦」は誤記の可能性が高いですが、
[[前川清一]]の論文題名に
「征露戦」
とあるので [SRC[>>236]]、
5基の残りの3基のいくつかは
「征露戦」
なのかもしれません。




[REFS[

-
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[27] [CITE@ja[[[私年号]] -  言わなければよかったのに日記]],
2018年02月10日,
[TIME[2020-09-08T08:54:17.000Z]]
<https://blog.goo.ne.jp/kazu1028_001/e/ef4110df27cf0f045a6dee2902f51c7a>
]FIGCAPTION]



>昭和、平成という元号は公的な年号です。‘私年号’というのは、朝廷(今は政府)が定めたものではない年号、勝手に?使用された年号のことです。じつは写真の「記念燈」が5基、資料館に保存されていたのです。2か月ほど前にmaekawaさんが来られて発見?されたのです。この度、「歴史玉名」という研究会雑誌にこのことが紹介されて、その雑誌を送ってもらいました。
> この記念燈には
[PRE[
    『征路戦二年 旧十月三日
       記念燈 施主 赤坂傳太郎 』   と書かれてあります。
]PRE]
> 残りの4つも施主が違う人であとはほぼ一緒です。大王神社にあったのだそうです。私の想像では(旧10月3日は、大王神社の祭りの前夜・・・その時使用されたものでは)と思っています。
> 征露戦2年と書かれています。‘征露’という言い方が‘私年号’です。征露2年とは1905年(明治38年)です。‘征露’は日露戦争(明治37~38年)勝利に向けての願いが込められて使用されたのだそうです。
> 
> “征露”年号使用は全国的にも32例しか見つかっていません。そのうち5例が資料館保管の記念燈です。貴重なるものです、展示方法も工夫しなければと思っています。これまた貴重なる文化財です。
> あの“正露丸”も、もとは‘征露丸’です。

]FIG]
--
[237] 2基が写った写真あり。
-
[234] 
[CITE@ja[詳細情報です。 | [[玉名市図書館]]]], [TIME[2022-03-08T12:21:49.000Z]] <https://search.tamana-lib.jp/WebOpac/webopac/searchdetail.do?biblioid=1376693>
--
[235] 
[[書誌]]:
[CITE[歴史玉名]] 第83号(平成30年 立春号),
[[「歴史玉名」編集委員会]] 編,
[[玉名歴史研究会]],
[TIME[2018年02月][2018-02]]
---
[236] 
研究ノート [CITE[私年号「征露・征露戦」について]],
[[前川清一]]




]REFS]

-*-*-


[283] 
[[日本国]][[千葉県]][[市川市]]の[[春日神社]]境内社[[天神社]]の[[石祠]]に、
「明治三十八年二月征露二年」
の銘があるようです。
[SRC[>>282, >>41]]

[285] 
銘文の出典は[[市川市]]の出版物とされています。
[SRC[>>282, >>41]]
[[市川市]]の
[[Webサイト]]によると、
平成26年2月に発行された
「市川市史編さん民俗部会成果報告書2 『市川のくらしと伝承1』」
に

>鈴木志乃「国府台・道明寺飛地天満宮のおこもりに関する調査報告」
>金子祥之「神社明細帳にみる市川市内の神社」

... が収録されており [SRC[>>284]]、このいずれかに書かれているのでしょうか。






[REFS[

- [282] 
[CITE[天 満 宮 巡 拝|2669[[天神社]]]], [[牛飼はじめ]], 
2019.05.17 10:43,
[TIME[2022-03-10T11:36:34.000Z]], [TIME[2022-03-10T11:36:52.548Z]] 
<http://gozmez49.blog.fc2.com/blog-entry-2823.html>
--
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[41] [CITE[2669[[天神社]] - 天 満 宮 巡 拝]],
[TIME[2020-09-08T09:21:33.000Z]]
<http://gozmez49.blog.fc2.com/blog-entry-2823.html?sp>
]FIGCAPTION]

> 中央の社の中に石祠が二基納められておりその左側に「天神□」とある。
> 資料によると「宝暦四甲戌正月吉日 明治三十八年二月征露二年之□改築」の銘があるようである
> 【参考文献】375 市川のくらしと伝承 市川市史編さん民俗部会/編集 2014・15

]FIG]
-
[284] 
[CITE@ja[市史編さん 刊行物のご案内 | [[市川市]]公式Webサイト]], [TIME[2022-03-10T11:44:58.000Z]] <https://www.city.ichikawa.lg.jp/cul01/1331000005.html>


]REFS]

-*-*-

[299] 
[[日本国]][[東京都]][[八王子市]]の[[甲の原]]にある[[甲神社]]の扁󠄀額に、
「征露二年」
とあるようです。
地域の地誌案内書に記載があります。
[SRC[>>46]]
(書名・時期不明ですが、[[昭和時代]]後期から[[平成時代]]初期でしょうか?)

[301] 
[[令和時代]]初期の[[ブログ]]記事に現地の写真があります [SRC[>>300]] が、
当該扁󠄀額は見当たりません。
「[V[社内]]」 [SRC[>>46]]
とありますから、
[[ブログ]]記事の写真に写っていない、社殿の内側にあるのでしょう。

[302] 
銘文に括弧書きで[[明治]]年の併記があります [SRC[>>46]]。
[TIME[明治28(1895)年][1895]]は[[日清戦争]]の第2年で、
10年のずれがあります。
本書掲載の他の遺物の[[銘文]]には括弧書きで[[西暦年]]が示されているものがあります。
括弧書きは本書の[[著者]]による注釈で、
その際換算を誤ったものと考えるべきでしょう。

[REFS[

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[46] 
[CITE[[V[郷土史󠄃見て歩き]]]],
[TIME[2018-09-16T01:44:00.000Z]], [TIME[2020-09-08T09:26:44.413Z]],
<http://emap802.net/sansaku/27th_photo/sansaku.pdf#page=13>
]FIGCAPTION]

>
[VRL[
[SNIP[]]社内の扁󠄀額には日露戦争の勝利を報告したと思わ[BR[]]れる「征露二年 (明治二十八󠄂年) 打風鳳城」の文字が記されていま[BR[]]した。[SNIP[]]
]VRL]
]FIG]

-
[300] 
[CITE[[[甲神社]](東京都八王子市犬目町)訪問記 | 武州多摩歴史探訪]], [[茶虎 太郎]], 
2020/11/15,
[TIME[2022-03-15T11:47:57.000Z]], [TIME[2022-03-15T12:07:21.474Z]] <https://west-tokyo-history.fc2.net/blog-entry-270.html>


]REFS]

-*-*-

[REFS[
-
[59] [CITE@ja[ほしくらげ。さんはTwitterを使っています 「神社の灯篭に『明治乙巳征露第二年』と彫ってあったので、いつのことなのか調べてみると1905年(明治38年)のことだとか。知らなかったー。」 / [[Twitter]]]]
(午後9:50 · 2015年5月19日 [TZ[+09:00]], [TIME[2020-09-09T04:24:18.000Z]])
<https://twitter.com/star_jellyfish/status/600644779592916993>
]REFS]

[317] 
どの[[神社]]かは記載なく不明。 [CITE[Twitter]] 
における投稿者プロフィールの地域は[[日本国]][[新潟県]]。
[[著者]]の他の投稿も[[新潟県]]関係のものが多い。
ただし他の地域の[[神社]]への言及もある。

-*-*-

[328] 
[[日本国]][[山口県]][[美祢郡]]の[[堅田]]地域の[[壬生神社]]の[[絵馬]]
[CITE[俳諧額]]
に、
「征露二年晩夏」
とあります。
[SRC[>>75, >>602 [V[[YOKO[8]]]]]]
少なくても[[昭和時代]]後期の時点では現存していたようです。

[603] 
これを収録した[[山口県]]当局の書籍では、
[V[明治三六年]]に比定しています。
[SRC[>>602]]
根拠は不明です。


[REFS[

-
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[75] [CITE[[[山口県の絵馬]] - Google ブックス]],
[[山口県教育委員会]],
[TIME[1986]],
[TIME[2020-09-09T04:42:08.000Z]]
<https://books.google.co.jp/books?id=7Wk8AAAAMAAJ&q=%22%E5%BE%81%E9%9C%B2%22>
]FIGCAPTION]

>... 竹松(以下不明)「奉納/評者青松園」「佛諧冥祐」「征露二年晚夏/会林末永龟遊/敬白「奉納/選者青松園」「止 S 加八方美人」「明治三十五年中秋会林桂月·途仙敬白)」)」( ?? )「南耕画(印) (印)「(印」「奉献」「明治武拾五年潤六月吉祥日」 美郡 177.
]FIG]
- [602] 
[CITE@ja-JP[山口県の絵馬]], [[山口県教育委員会文化課]], [TIME[1986.3][1986]], [TIME[2023-11-28T02:04:43.000Z]], [TIME[2023-12-17T08:17:11.770Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12169941/1/216> (要登録)



]REFS]

-*-*-


[287] 
[[日本国]][[青森県]][[下北郡]][[東通村]][[尻労]]に、
[[鮪]]の大漁を記念した[[八竜神]]碑があります。
[SRC[>>286]]

[288] 
碑文によると、
明治35年に大漁が続き、
[TIME[1902-05-01]]に1万本に達しました。
[SRC[>>42, >>44]]
「征露ノ大軍」の連戦連勝の折、
これらを記念して碑が建立されました。
[SRC[>>44]]

[290] 
[[青森県]]の[[地方独立行政法人]]の[[Webページ]]掲載の碑文には、
「征露二年五月(明治四十年)」
とあります。
[SRC[>>44]]
括弧内が原碑文の一部なのか、[[Webページ]]の[[著者]]
(または引用元の[[著者]]) による注釈なのか定かではありません。

[289] 
[[日本国]][[北海道]][[渡島国]][[茅部郡]][[南茅部町]]
[WEAK[(現在の[[函館市]])]]
の[CITE[南茅部町史]]は、
「征露二年というから明治三八年」
としていました。
[SRC[>>42]]

[291] 
「征露二年」の解釈が異なることからすれば、碑文には「征露二年」
とだけ書かれていると推測されます。

[292] 
明治38年にせよ明治40年にせよ明治35年から日が経ちすぎてはいるのですが、
[[日露戦争]]に連戦連勝したと書き、
[[露西亜帝国]]に対し勝利したとは書いていない点は、
通説に従い[TIME[明治38(1905)年5月][1905-05]]と解する方がより相応しいと感じられます。
2年ずれの明治40年説の根拠は不明です。


[REFS[

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[42] [CITE@ja[ADEAC(アデアック):[[デジタルアーカイブ]]システム]]
([TIME[2020-09-08T09:22:19.000Z]])
<https://trc-adeac.trc.co.jp/WJ11E0/WJJS06U/0120205100/0120205100100080/ht003150>
]FIGCAPTION]

>南茅部町史 上
>[SNIP[]]
> 宮古市中央公民館を訪ね、花坂蔵之助館長から尻屋崎の尻労に田鎖丹蔵が漁場を開拓した碑があるときいて尻労(しつかり)に大謀の碑をたずねた。
>[SNIP[]]
> 大謀の碑は立屋(たつや)の龍神さまとよばれ、一月一八日が例祭で尻労土地共有会の人たちが祀っていた。漁港を見おろす崖の高台の上、杉の林の奥ふかく朽ちた鳥居があり、小さなお堂があった。お堂の前には、高さ約二メートル、幅約一・五メートルの赤みの自然石に荒彫りした碑がある。土地の人は万本(まんぼ)の碑と呼んでいる。明治三一年、田代網による宮古の福士喜伝治が大網を小歌沖にたて、苦心をつづけ明治三五年大漁に大漁を累ね、五月一日万本の慶を祝した。これを本郡大謀の元祖として、征露二年というから明治三八年五月記念の碑を建立したと刻されていた。碑文に鮪の文字は刻されていないが、大謀といえば鮪網だったという。

]FIG]

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[44] [CITE[陸奥湾海域]]
([TIME[2011-04-20T05:53:22.000Z]], [TIME[2020-09-08T09:23:32.518Z]])
<https://www.aomori-itc.or.jp/zoshoku/gyorui/sakana08.html#%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%83%9E%E3%82%B0%E3%83%AD>
]FIGCAPTION]

> 「尻労鮪萬本祝碑文(八龍神 石碑)」
>  嗚呼偉ナル哉、尻労大謀網ノ豊漁ヤ実ニ山崎卯之助、村田鉄蔵、河野栄蔵ノ共同事業タリ、明治三十年之ヲ角網ニ首メテ次年大謀ニ更ム、福士喜伝治謀主タリ、福士氏ハ宮古ノ人夙ニ斯業ニ名アリ、某ノ来タルヤ字小歌沖ニ創設シ、再三流亡ノ厄ニカカリ、三十三年狐崎ニ移シ、苦心惨憺更ニヒヤ島ニ転シ、三十五年大漁ニ大漁ヲ累ネ、五月一日萬本ノ慶ヲ祝スルヲ得タリ、佐助川ソノ他最良ノ漁場ハ何レモ氏ノ撰定セル処ニシテ、本郡大謀ノ元祖ト謂ヒツヘシ、時維征露ノ大軍連戦連捷シ、吾等又連年ノ萬獲実ニ一国一家ノ大慶事、以テ大イニ誇ルニ足ルヘシ、茲ニ刻シテ氏ノ功業ヲ伝フ  征露二年五月(明治四十年)

]FIG]

- 
[286] 
[CITE@ja[社長[[ブログ]] | eウインテック | 電磁波低減商品 eでんき「ノンドライ」の発売元]], 
[[蛯沢勝男]],
2011年05月04日 10:17,
[TIME[2020-07-02T07:53:39.000Z]], [TIME[2022-03-10T12:05:48.077Z]] <https://www.ewintec.com/blog/2011/05/post_415.html>



]REFS]


[1322] 
[CITE@ja[Xユーザーのくだりざか@再調整中さん: 「いわゆる「私年号」ゆう奴だが、架空戦記の設定で使えそう。 ちなみに征露ニ年=明治三十八年=皇紀二千五百六十五年=西暦1905年。 https://t.co/Edtg4nyEMl」 / X]], [TIME[午後4:07 · 2024年5月30日][2024-05-30T07:07:12.000Z]], [TIME[2025-07-02T06:08:07.000Z]] <https://x.com/23Q9bdHFDc67259/status/1796075876020298160/photo/1>

[1323] >>1322 何らかの木造物の墨書?銘の一部分の写真。「征露二年」
の他「施主」「燈」などの文字が読み取れる。


** 日本国内・戦後の戦争記録の用例


[819] 
[TIME[明治38(1905)年][1905]]に[[日本国]][[東京府]][[東京市]]で発行された戦場写真集の解説で[[征露]]が使われました。

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [1029] [CITE(.label)[[[日露戦争写真帖]] (3)]],
[V[明治三十八󠄂年二月廿五日發行]]
[WEAK[([TIME(.published)[1905-02-25]])]],
[DATA(.addr)[[[日本国]][[東京府]][[東京市]]]]
-- [1030] [DATA(.label)[解説文, [[[V[仰天子]]]]]]
--- [1031] 
「[DATA(.text)[[V[征露第二年の歲始[SNIP[]]]]]]」 ([[明朝体]])
に云々
[SRC[>>1028 /136]]
-- [1033] [DATA(.label)[解説文, [[[V[醒雪󠄃]]]]]]
--- [1032] 
希望の多い
「[DATA(.text)[[V[[SNIP[]]征[BR[]]露第二年[SNIP[]]]]]]」 ([[明朝体]])
を迎えて云々
[SRC[>>1028 /198]]
- [818] [CITE(.label)[[[日露戦争写真帖]] (4)]],
[V[明治三十八󠄂年七月一日發行]]
[WEAK[([TIME(.published)[1905-07-01]])]],
[DATA(.addr)[[[日本国]][[東京府]][[東京市]]]]
-- [811] [DATA(.label)[解説文, [[[V[露川]]]]]]
--- [810] 「[DATA(.text)[[V[時に征露第二年三月七日。[SNIP[]]]]]]」 ([[明朝体]])
[SRC[>>809 /67]]
-- [812] [DATA(.label)[解説文, [[[V[露川]]]]]]
--- [813] 「[DATA(.text)[[V[時に、征露第二年、一月廿七日。[SNIP[]]]]]]」 ([[明朝体]])
[SRC[>>809 /69]]
-- [814] [DATA(.label)[解説文, [[[V[露川]]]]]]
--- [815] 「[DATA(.text)[[V[[SNIP[]]時に、征露第二年[ASIS[、][アキなし]]三月二日。[SNIP[]]]]]]」 ([[明朝体]])
[SRC[>>809 /87]]
-- [816] [DATA(.label)[解説文, [[[V[觀象]]]]]]
--- [817] 「[DATA(.text)[[V[[SNIP[]]是征露第二年三月上旬、[SNIP[]]]]]]」 ([[明朝体]])
[SRC[>>809 /115]]
]ITEMS]

[820] 本書は戦地の写真に[[日本語]]、[[英文]]、[[漢文]]の解説をそれぞれ付したものです。
3言語文は大意において同じようですが、表現は違いが多いです。
[[日本語]]文には[[明治]]の[[元号]]を使っている所もありますが、
ここに挙げたように[[征露]]を使っている所もあります。
[[英文]]は[[ロシア]]の事情を書いたところで[[西暦年]]を使うだけです。
[[漢文]]は[[明治]]の[[元号]]を使っているところがあります。

[821] 
本書収録の写真は当然現地から送付されたものでしょうが、
解説文がどのような方法で執筆されたのかはわかりません。
現地からの情報に基づくのでしょうが、東京で編集したものでしょうか。
これらの[[征露]]の日付も東京で書かれたものでしょうか。

[REFS[

- [1028] 
[CITE@ja-JP[[[日露戦争写真帖]] 第3集]], [[金港堂]], [TIME[明37-38][1905]], [TIME[2023-01-17T10:48:16.000Z]], [TIME[2023-02-02T14:06:36.574Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/774416/1/136> (要登録)
- [809] 
[CITE@ja-JP[[[日露戦争写真帖]] 第4集]], [[金港堂]], [TIME[明37-38][1905]], [TIME[2023-01-11T10:47:13.000Z]], [TIME[2023-01-14T05:57:41.656Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/774417/1/67> (要登録)
]REFS]

-*-*-

[713] 
[TIME[1905-03-19]]に[[日本国]][[東京府]][[東京市]]で発行された戦記は、
[[年末年始]]を[[征露]]と書いていました。
[SRC[>>714]]


[ITEMS[ [[日時事例]]
- [717] [DATA(.label)[[CITE@ja-JP[日露交戦録旅順口陥落史]], [[本多直次郎]]]],
[V[明治三十八年]]の[V[三月十九日發行]]
[WEAK[([TIME(.published)[1905-03-19]])]],
[DATA(.addr)[[[日本国]][[東京府]][[東京市]]]]
-- [716] 
「[DATA(.text)[[V[[RUBY[征][せい]][RUBY[露][ろ]][RUBY[第][だい]]一[RUBY[年][ねん]]の[RUBY[終󠄁][をは]]__&&swc42(り)&&____&&swc439(た)&&__る[RUBY[明][めい]][RUBY[治][ぢ]]三十七[RUBY[年][ねん]]十二[RUBY[月][ぐわつ]]三十一[RUBY[日][にち]][SNIP[]]]]]]」
は云々
[SRC[>>714 /155]]
-- [715] 
「[DATA(.text)[[V[[RUBY[時][とき]]は[RUBY[維][こ]]れ[RUBY[征][せい]][RUBY[露][ろ]][RUBY[第][だい]]二[RUBY[年][ねん]]の[RUBY[元][ぐわん]][RUBY[旦][たん]][ASIS[、][零幅]][RUBY[則][すなは]]ち[RUBY[我][わが]][RUBY[明][めい]][RUBY[治][ぢ]]三十八[RUBY[年][ねん]]一[RUBY[月][ぐわつ]]一[RUBY[日][にち]][SNIP[]]]]]]」
[SRC[>>714 /156]]
]ITEMS]

[718] 
本書は[[日露戦争]]が未だ終結していない中、[[旅順]]陥落を描いたものでした。
[[年末年始]]は、[[征露]]の何年、[[明治]]の何年とわざわざ言い直す形で、
それでも敢えて[[征露]]を使って表記していました。

[719] 
そのうち1箇所は「我が明治」と表現しています。[[我が]]とは「我が国の」
つまり「[[日本]]の」という意味で、[[近代日本]]ではよく見られる用法です。
ここでは「[[日本の元号]]である[[明治]]」という程度の意味ですが、
普通は他国の[[元号]]や[[西暦]]などの[[紀年法]]と対比するために使うものです。
[[征露]]何年の言い直しにこの言い方が使われるのは興味深いです。

[1148] 
同じ[[著者]]の[TIME[1905-07-15]]の[[戦記]]にも1箇所[[征露]]がでてきます。
ここでも[[明治]]と併記しています。

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [1146] 
[CITE(.label)[日露交戦録奉天附近大会戦]],
[[本多直次郎]],
[V[明治三十八年七月十二日印刷]],
[V[明治三十八年七月十五日發行]] [WEAK[([TIME(.published)[1905-07-15]])]],
[DATA(.addr)[[[日本国]][[東京府]][[東京市]]]]
-- [1147] 
「[DATA(.text)[[V[[SNIP[]][RUBY[征][せい]][RUBY[露][ろ]][RUBY[第][[ASIS[た]]い]]二[RUBY[年][ねん]]の[RUBY[明][めい]][RUBY[治][ぢ]]三十八󠄂[RUBY[年][ねん]]は[SNIP[]]]]]]」
[SRC[>>1145]]

]ITEMS]


[REFS[
- [714] [CITE@ja-JP[日露交戦録旅順口陥落史]], [[本多直次郎]], [TIME[明38.3][1905]], [TIME[2023-01-11T10:47:13.000Z]], [TIME[2023-01-13T12:13:24.372Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/774255/1/155>
- [1145] [CITE@ja-JP[日露交戦録奉天附近大会戦 : 附・沙河及黒溝台会戦]], [[本多直次郎]], [TIME[明38.7][1905]], [TIME[2023-12-19T01:59:10.000Z]], [TIME[2023-12-21T12:16:15.878Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/774256/1/63>

]REFS]

-*-*-

[1222]
[TIME[明治39(1906)年][1906]]に発行された雜誌で当時[[大韓帝国]]に滞在した人達が[[征露]]を使った例がいくつかあります。

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [1219] [CITE(.label)@ja-JP[[[中学生]] 1(3)]],
[V[明治三十九年二月廿六日 印刷]],
[V[明治三十九年三月一日 發行]] [WEAK[([TIME(.published)[1906-03-01]])]],
[DATA(.addr)[[[日本国]][[東京都]][[東京市]]]]
-- [1220] 
[CITE[[V[余が恨]]]],
[[[V[山中持齋]]]] ([V[韓京守備歩兵五九十二中隊]])
--- [1221] 
「[V[十月二十六日、京城に入りて以[ASIS[來][亅]][SNIP[]]光榮ある征露第二年も、母國凱歌聲[ASIS[裡][ネ(上:二)]]に吿別し、[BR[]]希__&&swc617(望)&&__ある多幸なる平󠄃和の初日を、[SNIP[]]]]」
[SRC[>>1218]]
- [1307] 
[CITE(.label)[[[少年]] (36)]],
[[時事新報社]],
[V[明治三十九年九月一日發行]] [WEAK[([TIME(.published)[1906-09-01]])]],
[DATA(.addr)[[[日本国]][[東京府]][[東京市]]]]
-- [1308] 
[CITE(.label)[[V[[RUBY[韓][かん]][RUBY[國][こく]]の[RUBY[少][しよう]][RUBY[年][ねん]]]]]],
[[[V[宮本芳之助]]]]
--- [1309] 
「[V[[RUBY[征][せい]][RUBY[露][ろ]][RUBY[第][だい]]二[RUBY[年][ねん]]の二[RUBY[月][がつ]]で[ASIS[し][2画]]た、[SNIP[]]]]」

]ITEMS]

[1223] 
[TIME[1906-03-01]]に発行された[[旧制中学]]生向け文芸雑誌の記事に[[征露]]があります
(>>1221)。
[[日露戦争]]終結の翌年の発行ではありますが、
未だ戦争関係の文章がいくつか掲載されているうちの1つです。
この記事は[[大韓帝国]]に出兵した軍人の回顧文です。

[1224] 
この記事では終戦して帰国したことを、[[暦年]]の終わりでないにも関わらず、
「征露第二年」の終わりと表現しています。

[1310] 
[TIME[1906-09-01]]に発行された少年誌の記事に[[征露]]があります (>>1309)。
[[従軍記者]]の[[宮本芳之助]]が[[大韓帝国]]に上陸して戦地へ向かった時を回想しています。

[REFS[

- [1218] 
[CITE@ja-JP[[[中学生]] 1(3)]], [[中学社, 博報堂]], [TIME[1906-03]], [TIME[2024-02-01T05:12:54.000Z]], [TIME[2024-02-07T06:59:17.985Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1569719/1/26> (要登録)
- [1306] 
[CITE@ja-JP[[[少年]] (36)]], [[時事新報社]], [TIME[1906-09]], [TIME[2024-07-30T10:51:24.000Z]], [TIME[2024-08-04T10:00:36.064Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1793864/1/37> (要登録)


]REFS]

-*-*-

[907] 
[TIME[1906-03-01]]に[[日本国]][[東京府]][[東京市]]で発行された[[日本国]][[群馬県]][[佐位郡]][[伊勢崎町]]の[[地誌]]中、
輸出組合の項目で[[征露]]が使われました。

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [908] 
[DATA(.label)[[CITE@ja-JP[伊勢崎繁昌記]], [[春野弥生之助]]]],
[V[明治三十九年三月一日發行]]
[WEAK[([TIME[1906-03-01]])]]
-- [909] 
[CSECTION(.label)[[V[伊勢崎織物__&&swc466(輸)&&__出販賣組合]]]]
--- [910] 
満韓視察後に組織されたもので、
「[DATA(.text)[[V[[SNIP[]]實に征露第[BR[]]二年に企圖せられ[ASIS[、][零幅]]戰勝󠄃第一年に設立し__&&swc439(た)&&__るる[SNIP[]]]]]]」
もので満韓方面への輸出を計画していて云々
[SRC[>>906]]

]ITEMS]

[911] 
本書は序文によると[TIME[明治38(1905)年][1905]]中の発行を目指していましたが、
事情により一旦中断し、その後[TIME[明治39(1906)年3月][1906-03]]に刊行されました。

[912] 
本項の「征露第二年」「戦勝第一年」がいつを指すのか明記されていませんが、
征露2年は通説の通り[TIME[明治38(1906)年][1906]]を指すと考えていいでしょう。
戦勝第1年をそれと分けて書いているので、
[TIME[明治39(1906)年][1906]]の[TIME[1月][1906-01]]か[TIME[2月][1906-02]]のことと解することもできますが、
終戦をもって征露2年から戦勝第1年に移行したとみて[TIME[明治38(1905)年][1905]]の[TIME[9月][1905-09]]から[TIME[12月][1905-12]]の間と解する方が自然でしょうか。

[913] 
いずれにしても、「征露」時代が終わったとの認識を持つ人がいたことを示す興味深い用例です。

[914] 
征露2年の設立企図より前に役員らが満韓視察に行っていたということですが、
[[朝鮮半島]]や[[南満州]]の戦況が落ち着いた頃に当地の商工業者が[[日本軍]]占領地区の調査に行く機会があったのでしょう。
そして終戦後に製品を輸出するため組合が設立され、
そのような経緯である故にこれを[[日露戦争]]にちなんだ紀年で記述したものと思われます。



[REFS[
- [906] 
[CITE@ja-JP[伊勢崎繁昌記]], [[春野弥生之助]], [TIME[明39.3][1906]], [TIME[2023-01-17T10:48:16.000Z]], [TIME[2023-01-31T11:50:06.386Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/763600/1/40>
]REFS]

-*-*-

[580] 
[V[明治三十九年三月三日]] 
[WEAK[([TIME[1906-03-03]])]]
に出版された従軍軍人の事典では、
日付が[[征露]]表記されている箇所があります。
[SRC[>>579]]

- [581] 「[V[[SNIP[]]征露第一年七月二十七日[SNIP[]]]]」 [SRC[/14]]
- [582] 「[V[[SNIP[]]征露第一年七月廿七日[SNIP[]]]]」 [SRC[/15]]
- [583] 「[V[[SNIP[]]征露第一年七月二十七日[SNIP[]]]]」 [SRC[/16]]
- [584] 「[V[[SNIP[]]征露第二年八󠄂月卅日[SNIP[]]]]」 [SRC[/17]]

[585] 
普通に[[明治]]の[[元号]]で表記されている箇所や、
[[明治]]の[[年数]]のみの表記の箇所も多く、
どのような書き分けかは不明です。
頁が明らかに偏っているので、編集分担や原資料の関係かもしれません。


[REFS[
- [579] 
[CITE@ja-JP[日露戦役越佐勇士列伝 第1巻]], [[谷川謹次郎]], [TIME[明39.3][1906]], [TIME[2023-01-06T06:14:39.000Z]], [TIME[2023-01-10T12:00:30.984Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/774269/1/14>
]REFS]

-*-*-

[747] 
[TIME[1906-06-05]]に[[日本国]][[東京府]][[東京市]]で発行された[[日露戦争]]逸話集に、
[[征露]]を使った箇所がありました。

[ITEMS[ [[日時事例]]
- [746] [CITE(.label)@ja-JP[日露戦役愛国美談]],
[V[明治三十九年六月五日發行]]
[WEAK[([TIME(.published)[1906-06-05]])]]
-- [744] 
「[DATA(.text)[[V[時は征露第一年八󠄂月のある日の事[SNIP[]]]]]]」
([[明朝体]])
[SRC[>>743 /117]]
-- [745] 
[[黒溝臺]]付近で戦死した[[石山仲内]]歩兵中尉の音信は、
戦闘せずにおめおめ
「[DATA(.text)[[V[[SNIP[]]明治三十七年を送󠄃り征露第二年を迎󠄃ふること[SNIP[]]]]]]」
([[明朝体]])
は面目ないので云々と書いていた。
[SRC[>>743 /278]]
]ITEMS]

[748] 1つ目は戦時中の時期の説明を[[征露]]によったものです。
なぜここだけ[[征露]]なのかは不明です。

[749] 2つ目は[[満州]]で戦士した軍人の生前の書状にあったという文言で、
第1年は明治で、第2年は征露で書いていました。
なぜこのように書き分けたのかは定かではありませんが、興味深い用例です。
ただ出典や情報源も書かれておらず、
細部まで史実そのまななのかは不明です。

[750] 
発信は書き方からして明治37年の年末なのでしょうが、詳しくは不明です。


[REFS[
- [743] [CITE@ja-JP[日露戦役愛国美談]], [[宮部力次, 鈴木栄次郎]], [TIME[明39.6][1906]], [TIME[2023-01-11T10:47:13.000Z]], [TIME[2023-01-13T14:34:06.483Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/774266/1/117> (要登録)
]REFS]


-*-*-

[489] 
[V[明治四十年一月二十[ASIS[八][手書修正]]日]]
[WEAK[([TIME[1907-01-28]])]]
に発行された[[戦史]]書の出版社による序文の[[日付]]が、
「[V[爲征露第三周年紀󠄄念]]」
でした。
[SRC[>>488]]

[490] 
「周年」と書いていますが、開戦は2月8日で発行日のほうが10日ほど早いので、
開戦日からの3周年の意味なのか元年から数えて第3年の意味なのか不明瞭です。

[REFS[
-
[488] 
[CITE@ja[日露戦争史 : 通俗 - [[国立国会図書館デジタルコレクション]]]], [[守田有秋]], [TIME[明40.1][year:1907]], [TIME[2022-04-26T11:47:36.000Z]] <http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/774411/18>
]REFS]


-*-*-


[471] 
[V[明治四十二年五月十七日]]
[WEAK[([TIME[1909-05-27]])]]
に出版された[[日露戦争]]に関する書籍中、1箇所
「[V[[RUBY[征][せい]][RUBY[露][ろ]][RUBY[第][だい]]一年三月六日[RUBY[動][どう]][RUBY[員][いん]][RUBY[令][れい]][RUBY[下][くだ]]る、[SNIP[]]]]」
と書いた箇所がありました。
[SRC[>>470, >>472]]


[REFS[
-
[470] 
[CITE@ja[明治三十七八年戦役実話精神教育資料 - [[国立国会図書館デジタルコレクション]]]], [[名古屋偕行社]], [TIME[明42.5][year:1909]], [TIME[2022-04-25T12:04:47.000Z]] <http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/774504/29>
-
[472] 
[CITE@ja[明治三十七八年戦役実話精神教育資料 - [[国立国会図書館デジタルコレクション]]]], [[名古屋偕行社]], [TIME[明42.5][year:1909]], [TIME[2022-04-25T12:08:33.000Z]] <http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/843321/29>

]REFS]



-*-*-

[465] 
[V[明治四十三年一月三日]]
[WEAK[([TIME[1910-01-03]])]]
に出版された書籍には、
[[日露戦争]]を説明した章の[[旅順]]陥落の場面に、
「[V[[SNIP[]][RUBY[征][せい]][RUBY[露][ろ]][RUBY[第][だい]]二[RUBY[年][ねん]]の一[RUBY[月][がつ]][RUBY[元][がん]][BR[]][RUBY[日][じつ]][SNIP[]]]]」
とありました。
[SRC[>>464]]


[REFS[
- 
[464] 
[CITE@ja[家庭十二ケ月. 1月の巻 - [[国立国会図書館デジタルコレクション]]]], [TIME[明43][year:1910]], [TIME[2022-04-25T09:52:32.000Z]] <http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/848315/63>
]REFS]


-*-*-

[684] 
[TIME[1911-12-24]]に[[日本国]][[東京府]][[東京市]]で発行された戦記物語は、
[[日露戦争]]の年末の場面で[[征露]]を使いました。
[SRC[>>683]]

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [685] [DATA(.label)[[CITE[血烟]], [[安川隆治]]]],
[V[明治四十四年十二月二十四日發兌󠄁]]
[WEAK[([TIME[1911-12-24]])]],
[DATA(.addr)[[[日本国]][[東京府]][[東京市]]]]
-- [686] 
見出し
「[DATA(.text)[[V[征露第一[BR[]]年の終局]]]]」
[SRC[>>683 /122]]
-- [687] 
こうして
「[DATA(.text)[[V[[RUBY[征][せい]][RUBY[露][ろ]]の[RUBY[第][だい]]一[RUBY[年][ねん]]]]]]」
を送った。開けて明治38年の元旦、云々。
[SRC[>>683 /123]]
]ITEMS]

[688] 
他では[[明治]]が使われ、直後の新年すら征露2年ではなく明治38年と述べられていました。


[REFS[
- [683] 
[CITE@ja-JP[血烟 : 日露実戦記]], [[安川隆治]], [TIME[明44.12][1911]], [TIME[2023-01-11T10:47:13.000Z]], [TIME[2023-01-13T09:01:10.792Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/774217/1/123> (要登録)
- [723] [CITE@ja-JP[戦記名著集 : 熱血秘史 第6巻]], [[戦記名著刊行会]], [TIME[昭和4][1929]], [TIME[2023-01-11T10:47:13.000Z]], [TIME[2023-01-13T12:49:43.348Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1175012/1/91> (要登録)
-- [724] 収録
- [711] [CITE@ja-JP[血けむり]], [[安川隆治]], [TIME[昭和6][1931]], [TIME[2023-01-11T10:47:13.000Z]], [TIME[2023-01-13T12:02:13.970Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1175405/1/95> (要登録)
-- [712] 再出版
- [741] 
[CITE@ja-JP[戦争文学全集 第10巻]], [[潮文閣]], [TIME[昭15][1940]], [TIME[2023-01-11T10:47:13.000Z]], [TIME[2023-01-13T14:28:50.795Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1686246/1/220> (要登録)
-- [742] 収録

]REFS]

-*-*-

[756] 
[TIME[1912-05-05]]に[[日本国]][[東京府]][[東京市]]で発行された仏教系逸話集の[[日露戦争]]エピソードで[[征露]]が使われました。

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [757] [DATA(.label)[[CITE[因縁大鑑]], [[荒井涙光]]]],
[V[明治四十五年[ASIS[𫝀][手書き]]月[ASIS[𫝀][手書き]]日發行]]
[WEAK[([TIME(.published)[1912-05-05]])]]
-- [758] 
「[DATA(.text)[[V[[SNIP[]][RUBY[征][せい]][RUBY[露][ろ ]][RUBY[第][だい]][RUBY[一][いち]][RUBY[年][ねん]]の八󠄂[RUBY[月][ぐわ]][RUBY[の][つ ]]某日[SNIP[]]]]]]」
([[明朝体]])
に旅順の軍が云々
[SRC[>>755 /85]]

]ITEMS]



[REFS[
- [755] [CITE@ja-JP[因縁大鑑 : 明治説教]], [[荒井涙光]], [TIME[明45.4][1912]], [TIME[2023-01-11T10:47:13.000Z]], [TIME[2023-01-14T01:10:17.459Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/818360/1/85>
]REFS]

-*-*-

[500] 
[TIME[1913-11-27]]に[[日本国]]で出版された歴史読物[CITE[[V[明治太平󠄃記]]]]の[[日露戦争]]の場面に、
[[征露]]が使われました。
[SRC[>>502]]

[503] 
本書は[TIME[昭和2(1927)年][1927]]にも出版されました。 [SRC[>>499]]

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [689] [CITE(.label)[明治太平記]],
[V[大正二年十一月[ASIS[__&&swc310(卄)&&__七][手書]]日]]
[WEAK[([TIME(.published)[1913-11-27]])]]
-- [690] 
「[DATA(.text)[[V[[RUBY[征][セイ]][RUBY[露][ロ]]第一年の[RUBY[終󠄁][シウ]][RUBY[日][ジツ]]なる、明治三十七年十二月三十一日[SNIP[]]]]]]」
[SRC[>>502]]

]ITEMS]


;;
[501] 
ちなみにこの文章は[[漢字平仮名混じり文]]に[[片仮名]]の[[読み仮名]]という、
[[現代]]から見ると異様な形態です
[SRC[>>502, >>499]]。
[CITE[太平記]]という[[軍記物語]]の系譜にあることと関係するのでしょうか。


[REFS[
-
[502] 
[CITE@ja[通俗日本全史. 第19巻 明治太平記 下([[薄田斬雲]]) - 国立国会図書館デジタルコレクション]], [[早稲田大学編輯部]], [TIME[明45-大2][year:1913]], [TIME[2022-04-27T07:18:54.000Z]] <http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/770217/211>
- [499] 
[CITE@ja[物語日本史大系. 第14巻 - [[国立国会図書館デジタルコレクション]]]], [TIME[昭和2][year:1927]], [TIME[2022-04-27T07:12:48.000Z]] <http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1194446/208>
- [759] [CITE@ja-JP[通俗日本全史 第19巻]], [[早稲田大学編輯部]], [TIME[大正2][1913]], [TIME[2023-01-11T10:47:13.000Z]], [TIME[2023-01-14T01:20:37.990Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/3439765/1/215> (要登録)
-- [760] 収録
]REFS]


-*-*-


[483] 
[[大正時代]]に出版された[[日露戦争]]に従軍した[[軍馬]]をテーマにした読み物に、
「[V[[RUBY[征][せい]][RUBY[露][ろ]][RUBY[第][だい]]二[RUBY[年][ねん]]も[RUBY[早][は]]や[RUBY[半󠄃][なかば]]となつた六[RUBY[月初旬][ぐわつはじめ]]、[SNIP[]]]]」
とありました。
[SRC[>>482]]

[486] 
[[昭和時代]]初期の教師用資料集にも引用されました。
[SRC[>>487, >>485]]

[REFS[
-
[482] 
[CITE@ja[馬の血と汗 - [[国立国会図書館デジタルコレクション]]]], [[鎌田覚之進]], [TIME[大正3][year:1914]], [TIME[2022-04-26T11:33:14.000Z]] <http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/937211/72>
--
[484] 
全文検索対象になっていないため、他に「征露」の箇所があるかは不明。
-
[487] 
[CITE@ja[昭和実業修身書教授資料. 巻2 - [[国立国会図書館デジタルコレクション]]]], [[小西重直]], [TIME[昭和7][year:1932]], [TIME[2022-04-26T11:44:29.000Z]] <http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1275114/106>
-
[485] 
[CITE@ja[昭和農業修身書教授資料. 巻2 - [[国立国会図書館デジタルコレクション]]]], [[小西重直]], [TIME['''['''昭和9''']'''][year:1934]], [TIME[2022-04-26T11:42:35.000Z]] <http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1275659/104>


]REFS]

-*-*-

[1248] 
[TIME[2024-02-20T09:30:20.0Z]]
<https://dl.ndl.go.jp/pid/1226672/1/305> (非公開)
<https://dl.ndl.go.jp/pid/1884291/1/305> (非公開)

>明治大正文学全集 第27卷
>図書
>春陽堂 編 春陽堂, 昭和2
>305 コマ: た樣子もなく、今年は征露第二年目だから三大方熊の畫だらう抔と氣の知れぬことをいつて澄まして



-*-*-


[436] 
[V[昭和十二年十月十日]]
[WEAK[([TIME[1937-10-10]])]]
に[[日本国]][[東京府]][[東京市]]で発行された[[日露戦争]]に関する書籍に、
「[V[[SNIP[]]光輝ある征露第二年の新春を[SNIP[]]]]」
とありました。
[SRC[>>433]]

[437] 
本書発行時点で[[日露戦争]]後約30年が経過していました。
本書を発行した[[深川区殊勲会]]は、
[[日露戦争]]等への地元の従軍者の顕彰を目的に[TIME[1937-02-11]]に設立されました
[SRC[>>433 p.41]]。
[TIME[1937-07-07]]に[[北支事変]]が勃発し、
戦時色が日増しに強くなっていった時期でした。

[438] 
本書は当時の資料や経験者の記憶により執筆されたと推測されますが、
該部分を誰がどのように記述したのかは不明です。
「征露第二年」も当時の記憶から引き出してきたフレーズだったのでしょうか。


[REFS[
- 
[433] 
[CITE@ja[日露戦役戦勝之誉 - [[国立国会図書館デジタルコレクション]]]], [[深川区殊勲会]] 編纂, [TIME[昭和12][year:1937]], [TIME[2022-04-19T09:11:11.000Z]] <http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1055606/29>
]REFS]

-*-*-

[1249] 
[TIME[2024-02-20T09:31:23.400Z]]
<https://dl.ndl.go.jp/pid/2987552/1/68> (非公開)

>日本の百年 第7
>図書
>鶴見俊輔 等著 筑摩書房, 1962
>68 コマ: 闘を重ねて第三軍は、征露第二年正月元日、遂に旅順要塞を陥れた。いまより天皇陛下の万歳を三唱する』と唱えて、寒き天地が壊れるばか

[1251] 
[TIME[2024-02-20T09:31:26.000Z]]
<https://dl.ndl.go.jp/pid/3013844/1/17> (非公開)

>文禄・慶長の役 (塙選書 ; 31)
>図書
>石原道博 著 塙書房, 1963
>17 コマ: でこの小冊子を呈す。征露第二年の春」とあり、緒言は史学会長重野安繹博士、朝鮮役については

[1250] 
[TIME[2024-02-20T09:31:56.800Z]]
<https://dl.ndl.go.jp/pid/3447563/1/222> (非公開)

>対支回顧録 下巻 (明治百年史叢書)
>図書
>東亜同文会 編 原書房, 昭和43
>222 コマ: 華。昨日踏靑今日花。征露第二年十月十九日初雪萬里長征揚聖威。沙場百戰未言歸。家山正見黃花節。塞上秋塞雪已飛。明治三十八年一月三

[1252] 
[TIME[2024-02-20T09:32:20.000Z]]
<https://dl.ndl.go.jp/pid/1674228/1/189> (非公開)

>明治文学全集 93
>図書
>筑摩書房, 1969
>189 コマ: に幸あらしめ玉へ明治征露第二年三月大倉君の友磯村靜識第囘今日は睦じげに從者なしに、神武

[1253] 
[TIME[2024-02-20T09:33:42.300Z]]
<https://dl.ndl.go.jp/pid/3198347/1/206> (非公開)

>文芸春秋 52(6)
>雑誌
>(文芸春秋, 1974-05)
>206 コマ: ど近津の森に心留めよ征露第二年四月不自棄生春雨はいたくなふりそ旅人の道ゆきころもぬれもこそす

[1254] 
[TIME[2024-02-20T09:34:49.00Z]]
<https://dl.ndl.go.jp/pid/3078756/1/162> (非公開)

>征韓論政変 : 明治六年の権力闘争
>博士論文
>姜範錫 [著] (1991)
>162 コマ: 物が「明治三十又八、征露第二年五月竜潜馬睡窟に於て」つぎの序文をしたためている。「長沼君は岩手県の土、当時内閣書記官(太政

[1255] 
[TIME[2024-02-20T09:35:04.800Z]]
<https://dl.ndl.go.jp/pid/11293983> (非公開)

>明治俳句言説史の研究 : 子規・虚子・碧梧桐を中心に
>博士論文
>田部, 知季 (田部, 知季, 2019)


** 日本の一般書籍等の用例

[1111] 
[TIME[1904-12-22]]に[[日本国]][[新潟県]][[新潟市]]で発行された医学団体機関誌の編集後記に[[征露]]が使われました。
団体の創立からの年数と並べて書かれていました。

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [1108] 
[CITE[北越医学会会報]],
[[[V[北越醫學會事務所󠄃]]]],
[V[明治卅七年十二月廿一日印刷]],
[V[明治卅七年十二月廿二日發行]] [WEAK[([TIME(.published)[1904-12-22]])]],
[DATA(.addr)[[[日本国]][[新潟県]][[新潟市]]]]
-- [1109] 
[[[V[編輯幹事]]]],
[V[甲辰臘月]] [WEAK[([TIME[1904-12]])]]
---[1110] 
「[V[惟れば來るべき光榮ある征露第二年は、本會の前身たる北越醫生同窓會の起󠄃りてより第二十五年、わ[BR[]]が會報の生れてより第二十年、然して亦た本會の根礎がこの潟江の地𛂌遷󠄉りてより實に第十年也、[SNIP[]]]]」
[SRC[>>1107]]


]ITEMS]

[REFS[

- [1107] 
[CITE@ja-JP[[[北越医学会会報]] (144)]], [[北越医学会事務所]], [TIME[1904-12]], [TIME[2023-11-28T02:04:43.000Z]], [TIME[2023-12-18T12:02:23.515Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1493808/1/128> (要登録)

]REFS]

-*-*-

[967] 
[TIME[1905-01-28]]に[[日本国]][[大阪府]][[大阪市]]で発行された金融業界紙の記事に[[征露]]が使われました。

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [968] [CITE(.label)@ja-JP[[[保険銀行時報]] 第8年(218)]],
[R[明治卅八󠄂年一月廿八󠄂日發行]]
[WEAK[([TIME(.published)[1905-01-28]])]],
[DATA(.addr)[[[日本国]][[大阪府]][[大阪市]]]]
-- [969] 
[CSECTION(.label)[[V[東京通󠄃信]]]],
[[[V[呆諤士]]]],
[V[一月十八󠄂日發]]
[WEAK[([TIME(.published)[1905-01-18]])]]
--- [970] 
「[DATA(.text)[[V[[SNIP[]]征露第二年の新春[SNIP[]]]]]]」 ([[明朝体]])
[SRC[>>966]]


]ITEMS]

[971] 
当紙は[[大阪]]で発行されたものでしたが、
当記事は[[東京]]から[TIME[1905-01-18]]に送られたものでした。
当記事は年頭に当たっての見通しを書いたもので、
直接は戦争と関係しない内容でした。


[REFS[
- [966] 
[CITE@ja-JP[[[保険銀行時報]] 第8年(218)]], [[保険銀行時報社]], [TIME[1905-01]], [TIME[2023-01-17T10:48:16.000Z]], [TIME[2023-02-02T08:00:40.444Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1581199/1/9> (要登録)
]REFS]

-*-*-

[1144] 
[TIME[1905-01-29]]に[[日本国]][[東京府]][[東京市]]で発行された[[法律]]の解説書の序文は、
「明治征露」と書いています。

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [1142] 
[CITE(.label)[相続税法詳解]],
[V[明治三十八󠄂年一月十八󠄂日印刷]],
[V[明治三十八󠄂年一月二十九日發行]] [WEAK[([TIME[1905-01-29]])]],
[DATA(.addr)[[[日本国]][[東京府]][[東京市]]]]
-- [1143] 
[CSECTION[[V[[RUBY[自][じ]][RUBY[序][[ASIS[し]]よ]]]]]],
[DATA(.text)[[V[明治征露第二年旅󠄃順開城の月]]]]
[SRC[>>1141]]


]ITEMS]


[REFS[

- [1141] 
[CITE@ja-JP[相続税法詳解 : 民法対照]], [[鵜飼久吉, 林小参 閲]], [TIME[明38.1][1905]], [TIME[2023-12-19T01:59:10.000Z]], [TIME[2023-12-21T12:03:55.725Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/790661/1/5>

]REFS]

-*-*-

[1152] 
[TIME[1905-11-18]]に[[日本国]][[東京府]][[東京市]]で発行された[[自己啓発本]]の序文の日付が[[征露]]でした。

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [1151] 
[CITE(.label)@ja-JP[新時代の曙光]], [[西内藤男]], 
[V[明治三十八󠄂年十一月十五日印刷]],
[V[明治三十八󠄂年十一月十八󠄂日發行]] [WEAK[([TIME(.published)[1905-11-18]])]],
[DATA(.addr)[[[日本国]][[東京府]][[東京市]]]]
-- [1150] 
[CSECTION(.label)[[V[卷頭之辭]]]]
「[DATA(.text)[[V[征露第二年紀元節󠄄の當日記す]]]]」
[SRC[>>1149]]

]ITEMS]

[1153] 本書は時節柄[[日露戦争]]を引き合いに出して新時代が云々と語っています。
戦争それ自体に直接的に関係する内容ではありません。

[REFS[


- [1149] 
[CITE@ja-JP[新時代の曙光]], [[西内藤男]], [TIME[明38.11][1905]], [TIME[2023-12-19T01:59:10.000Z]], [TIME[2023-12-30T05:03:27.311Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/752819/1/4>

]REFS]


-*-*-

[1115] 
[TIME[1905-09-13]]に[[日本国]][[東京府]]で発行された[[言語学]]の本の序文の日付が[[征露]]でした。

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [1113] 
[CITE@ja-JP[応用言語学]], 
[[[V[高橋龍雄]]]],
[V[明治三十八󠄂年九月十日印刷]],
[V[明治三十八󠄂年九月十三日發行]] [WEAK[([TIME(.published)[1905-09-13]])]],
[DATA(.addr)[[[日本国]][[東京府]][[東京市]]]]
-- [1114] 
[CSECTION[[V[例言]]]],
[[[V[高橋龍雄]]]],
[DATA(.text)[[V[征露第二年の八󠄂月]]]] [WEAK[([TIME[1905-08]])]]

]ITEMS]

[1116] [[年]]と[[月]]の間に[[助詞]]「の」が入っていて、
[[紀年法としての未成熟][紀年法の成熟度]]を感じさせます。

[REFS[

- [1112] 
[CITE@ja-JP[応用言語学]], [[高橋竜雄]], [TIME[明38.9][1905]], [TIME[2023-12-19T01:59:10.000Z]], [TIME[2023-12-19T05:59:33.128Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/861723/1/4>

]REFS]

-*-*-


[961] 
[TIME[1905-05-15]]に[[日本国]][[大阪府]]で発行された英会話辞典の改訂版序文の日付が[[征露]]でした。

[ITEMS[ [[日時事例]]
- [962] [CITE(.label)[英和俗語活法]],
[V[明治卅八󠄂年五月十日第五[ASIS[版][ノ反]]印刷十五日發行]]
[WEAK[([TIME[1905-05-10]], [TIME(.published)[1905-05-15]])]],
[DATA(.addr)[[[日本国]][[大阪府]][[東区]]]]
-- [963] [CSECTION(.label)[[V[第五版改訂增[ASIS[補][亠→二]]の出版に就て]]]]
「[DATA(.text)[[V[征露第二年四月十五日濱寺に於て]]]]」 ([[明朝体]])
[SRC[>>960]]


]ITEMS]

[964] 
本書には初版以来の各版序文や推薦の辞などが収録されています。
第五版以外の[[和文]]は[[明治]]を使っており、
[[英文]] [WEAK[([[米国人]]の推薦状など)]] は[[西暦]]を使っています。
[[和文]]でも、第五版序文等に記述された[[著者]]の洋行に関する[[日付]]は、
[[西暦年]]で書かれています。

[965] 
本書第五版は[[大阪]]での印刷出版とありますから、
第五版序文の浜寺とは現在の[[日本国]][[大阪府]][[堺市]][[浜寺]]と思われます。
本文、第五版序文とも戦争とは関係なく、
第五版序文だけ[[征露]]を使うのは当時の社会情勢を反映したものと考えられます。



[REFS[
- [960] 
[CITE@ja-JP[[[英和俗語活法]] 第1編]], [[荒木和一]], [TIME[明38.5-9][1905]], [TIME[2023-01-17T10:48:16.000Z]], [TIME[2023-02-02T07:42:01.243Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1901869/1/11> (要登録)
]REFS]

-*-*-


[762] 
[[昭和時代]]に発行された詩集に収録された[[明治時代]]の[[詩]]が、
[[征露]]1年のものとされています。
[SRC[>>763]]

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [764] [DATA(.label)[[CITE[[V[花狂]]]], [[沢村胡夷]]]], 
[DATA(.text)[[V[征露紀元第一年四月稿]]]]
([[明朝体]])
[SRC[>>763 /64]]
- [765] [DATA(.label)[[CITE[[V[寺を逐はれしほどなれば[BR[]](若き僧を逐ひけむ寺の和尚に)]]]], [[沢村胡夷]]]], 
[DATA(.text)[[V[征露紀元第一年六月稿]]]]
([[明朝体]])
[SRC[>>763 /65]]

]ITEMS]

[766] 
[RUBYB[[[沢村胡夷]]][[TIME[1884]]-[TIME[1930]]]]
([[沢村専太郎]])
は、[[京都帝国大学]]の東洋美術史研究者でしたが、詩人としても有名です。
[[日露戦争]]当時は[[第三高等学校]] [WEAK[(現在の[[京都大学]])]]
の生徒でした。

[767] 
本件2編の詩は明治37年に排列されています。
共に[TIME[明治37年9月][1904-09]]の
[CITE[校友会雑誌]]
第2巻第1号に
[CITE[慰安]]
として掲載されたものでした。
[CITE[校友会雑誌]]は[[沢村胡夷]]の母校である滋賀県立第一中学
[WEAK[(現在の[[滋賀県立彦根東高等学校]])]]
の生徒団体の機関誌で、在学中から関与し卒業後も寄稿していました。
[SRC[>>763 /14, >>65]]

;; [771] 
[CITE[校友会雑誌]]は同名誌が全国各地の学校にあって探しにくいですが、
この学校のものは[[滋賀県立彦根東高等学校]]に一部が所蔵されるのみしか残っていない
[SRC[>>763 /14]] とのことです。


[768] 
両詩は (少なくても表面的には) 戦争とは無関係の内容です。

[769] 
「征露紀元」の紀年がいつ誰によって付けられたものかは不明です。
ただ詩集の編者がこのように書く理由も考えにくいですから、
[CITE[校友会雑誌]]
ないし[[沢村胡夷]]が残した原稿にこれに近い表記があったとするのが自然です。

[770] 
明治37年の4月から9月の間に書かれたものだとすると、早い時期の[[征露]]の用例となります。



[REFS[
- [763] 
[CITE@ja-JP[沢村胡夷全詩集]], [[大嶋知子]], [TIME[1967]], [TIME[2023-01-11T10:47:13.000Z]], [TIME[2023-01-14T01:37:26.803Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1362909/1/64> (要登録)
]REFS]


-*-*-


[586] 
[V[明治卅七年九月十五日]]
[WEAK[([TIME[1904-09-15]])]]
に[[日本国]][[東京府]][[東京市]]で発行された[[雑誌]]の随筆記事の[[日付]]が、
「[V[征露第一年八󠄂月丗一日稿]]」
とありました。
[SRC[>>588]]

[589] 
当記事は特に戦争をテーマとしたわけではなさそうな日常(?)を書いたものですが、
半分弱が戦地から伝わった戦況の描写に割かれていて、
[[日付]]を[[征露]]としたのも当時のそのような空気感を反映しているのでしょう。


[REFS[
- [587] 
[CITE@ja-JP[[[日本青年]] (34)]], [[日本青年会事務所]], [TIME[1904-09]], [TIME[2023-01-06T06:14:39.000Z]], [TIME[2023-01-10T12:13:19.090Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1578062/1/4> (要登録)
-- [588] 
[CITE[[V[性癖乎惡癖乎]]]], [[[V[領十]]]]

]REFS]

-*-*-

[431] 
[V[明治參拾七年十一月廿五日]]
[WEAK[([TIME[1904-11-25]])]]
に[[日本国]][[島根縣]]で発行された科学書の冒頭の
[CSECTION[[V[凡例]]]]
の[[日付]]に、
「[V[征露第一年天長節の日]]」
とありました。
[SRC[>>430]]
[TIME[1904-11-03]]に当たります。
本文には特に軍事色、戦時色はありません。

[432] 
序文の日付は[TIME[1904-11-03]]。
[[征露]]の用例のうち最初期に当たります。
その時点で既に[[日本]]各地に広まっていたのでしょうか。
それとも[[島根県]]は発生地に近かったのでしょうか。



[REFS[
- [430] 
[CITE@ja[染色大要 : 理科教材 - [[国立国会図書館デジタルコレクション]]]], [[引野礼太郎]], [TIME[明37.11][year:1904]], [TIME[2022-04-18T10:12:34.000Z]] <http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/847881/3>
]REFS]

-*-*-

[900] 
[TIME[明治38(1905)年1月][1905-01]]に発行された海運業界紙の船舶業者の[[広告]]の日付が[[征露]]でした。

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [959] [CITE(.label)@ja-JP[[[海商通報]] (967)]],
[R[明治三十八󠄂年[BR[]]一月一日]]
[WEAK[([TIME(.published)[1905-01-01]])]]
[SRC[>>958]]
-- [902] 
[CITE[[V[恭賀新年]]]],
[[[V[船越商店]]]],
[DATA(.text)[[V[征露第二年一月元旦]]]] ([[明朝体]]),
[DATA(.addr)[[[日本国]][[東京府]][[東京市]]]]
[SRC[>>899]]
- [901] [CITE(.label)@ja-JP[[[海商通報]] (968)]],
[R[明治三十八󠄂年[BR[]]一月五日]]
[WEAK[([TIME(.published)[1905-01-05]])]]
- [905] [CITE(.label)@ja-JP[[[海商通報]] (969)]],
[R[明治三十八󠄂年[BR[]]一月七日]]
[WEAK[([TIME(.published)[1905-01-07]])]]
[SRC[>>927]]
- [929] [CITE(.label)@ja-JP[[[海商通報]] (970)]],
[R[明治三十八󠄂年[BR[]]一月十日]]
[WEAK[([TIME(.published)[1905-01-10]])]]
[SRC[>>928]]
- [931] [CITE(.label)@ja-JP[[[海商通報]] (971)]],
[R[明治三十八󠄂年[BR[]]一月十二日]]
[WEAK[([TIME(.published)[1905-01-12]])]]
[SRC[>>930]]
- [904] [CITE(.label)@ja-JP[[[海商通報]] (972)]],
[R[明治三十八󠄂年[BR[]]一月七日]]
[WEAK[([TIME(.published)[1905-01-07]])]]
[SRC[>>903]]

]ITEMS]

[1069] 
その他新年の挨拶に、特に軍事色が強くない内容でも、日付を[[征露]]とした例があります。

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [1070] 
[CITE(.label)@ja-JP[金沢医学専門学校十全会雑誌 (36)]],
[V[明治三十八󠄂年一月一日發行]]
[WEAK[([TIME(.published)[1905-01-01]])]],
[DATA(.addr)[[[日本国]][[石川県]][[金沢市]]]]
-- [1071] 
[CSECTION(.label)[[V[原稿__&&swc480(〆)&&__切と豫吿]]]],
[[[V[十全󠄃會雜誌部]]]] 
「[DATA(.text)[[V[征露第二年元旦]]]]」 ([[明朝体]])
[SRC[>>1068 /2]]
-- [1072] 
[CSECTION(.label)[[V[迎󠄃歲の辭]]]]
「[DATA(.text)[[V[征露第二之春一月元旦]]]]」 ([[明朝体]])
[SRC[>>1068 /3]]

]ITEMS]

[1073] >>1072 の挨拶文は時候の挨拶程度に戦争に触れている。


[REFS[

-
[958] 
[CITE@ja-JP[[[海商通報]] (967)]], [[海商社]], [TIME[1905-01]], [TIME[2023-01-17T10:48:16.000Z]], [TIME[2023-02-01T10:40:24.697Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1892808/1/1> (要登録)
- [899] 
[CITE@ja-JP[[[海商通報]] (968)]], [[海商社]], [TIME[1905-01]], [TIME[2023-01-17T10:48:16.000Z]], [TIME[2023-01-31T09:46:00.402Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1892809/1/1> (要登録)
-
[927] 
[CITE@ja-JP[[[海商通報]] (969)]], [[海商社]], [TIME[1905-01]], [TIME[2023-01-17T10:48:16.000Z]], [TIME[2023-02-01T08:14:32.673Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1892810/1/1> (要登録)
-
[928] 
[CITE@ja-JP[[[海商通報]] (970)]], [[海商社]], [TIME[1905-01]], [TIME[2023-01-17T10:48:16.000Z]], [TIME[2023-02-01T08:16:15.548Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1892811/1/1> (要登録)
-
[930] 
[CITE@ja-JP[[[海商通報]] (971)]], [[海商社]], [TIME[1905-01]], [TIME[2023-01-17T10:48:16.000Z]], [TIME[2023-02-01T08:17:18.403Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1892812/1/1> (要登録)
- [903] 
[CITE@ja-JP[[[海商通報]] (972)]], [[海商社]], [TIME[1905-01]], [TIME[2023-01-17T10:48:16.000Z]], [TIME[2023-01-31T09:51:30.476Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1892813/1/1> (要登録)
-
[1068] 
[CITE@ja-JP[[[金沢医学専門学校]]十全会雑誌 (36)]], [[金沢医科大学十全会, 宇都宮書店]], [TIME[1905-01]], [TIME[2023-01-17T10:48:16.000Z]], [TIME[2023-02-24T07:42:25.281Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1470988/1/2> (要登録)


]REFS]

-*-*-

[853] 
[TIME[明治38年3月][1905-03]]に発行された[[日本国]][[東京府]][[東京市]]の[[國學院]]
[WEAK[(現在の[[國學院大學]])]]
の機関誌に[[征露]]を使った記事がありました。

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [855] 
[CITE(.label)[[[國學院雜誌]] 11(3)(125)]],
[V[明治三十八󠄂年三月十日發行]]
[WEAK[([TIME(.published)[1905-03-10]])]],
[DATA(.addr)[[[日本国]][[東京府]][[東京市]]]]
-- [854] [DATA(.label)[[CITE(.text)[[V[征露第二年の紀元節を[BR[]]ことほぎまつる詞]]]], [[[V[丸󠄂山正彥]]]]]]
([[明朝体]])
[SRC[>>852 /37]]
--- [856] 
神武第1年の正月元日から2565年
--- [857] 
「[DATA(.text)[[V[[SNIP[]]明治三十八󠄂年の紀󠄂元節[SNIP[]]]]]]」
([[明朝体]])
--- [857] 
「[DATA(.text)[[V[[SNIP[]]征露第二年の紀󠄂元節[SNIP[]]]]]]」
([[明朝体]])
--- [857] 
「[DATA(.text)[[V[[SNIP[]]第二千五百六十有五[BR[]]年の紀󠄂元節[SNIP[]]]]]]」
([[明朝体]])
-- [859] 
[CITE[[V[茶雉元年]]]], [[[V[月明]]]]
([[明朝体]])
--- [860] 「[DATA(.text)[[V[[SNIP[]]征露二年[SNIP[]]]]]]」
[SRC[>>852 /40]]

]ITEMS]

[858] 
[RUBYB[[[丸山正彦]]][[TIME[1859]]-[TIME[1914]]]]は[[国学者]]で、
國學院の明治38年[[紀元節]]拝賀式で國學院講師総代として朗読したのが
1つ目の記事 (>>854) でした。
[SRC[>>852 /37]]
本文は時勢柄[[日露戦争]]に触れた分量も多く、
そのため[[明治]]や[[皇紀]]に加えて[[征露]]も使ったのでしょう。
3種類使い分けているのは、反復を避ける意図もあったのでしょう。
なお[[丸山正彦]]はこれ以前に陸軍中央幼年学校の教員も務めていましたが、
この当時は不明です。

[861] 
2つ目の記事
(>>859)
は面白いエピソードです。

- [864] [TIME[1905-01-09]]の朝、街は旅順陥落でお祭り気分の頃のこと。
- [862] ニコライ堂の横を「岩崎邸の後」まで来た所
[WEAK[(現在の[[日本国]][[東京都]][[台東区]][[旧岩崎邸]]付近?)]]
で雉に遭遇した。
こちら側には自分達、あちら側には棒を持って追いかけてくる者があり、
行き場を失った雉を捕えた。
- [863] 
そのまま学校
[WEAK[(おそらく[[國學院]]のこと、現在の[[日本国]][[東京都]][[千代田区]][[飯田橋]]付近)]]
に連れて行ったら同僚に、新年早々めでたい[[瑞祥]]だといわれた。
-- [865] [[孝徳天皇]]の時代に[[白雉]]で[[改元]]した。
-- [866] こちらの方が「彼の征露二年」よりおもしろい。
-- [867] 今だったら黒い鳩でも捕まえてきて、
ロシアの大将を生け捕ってきたとでも言ったら、
人々は喜んだだろうに残念。
-- [868] (大笑)
-- [869] 茶雉「・・・」
-- [870] 偶然にも孝徳天皇時代の白雉が捕まえられたのも、今日も、1月9日だ。
- [871] どこかの富豪の家から逃げ出したのかと照会してみたが返答なし。
- [872] 帝室博物館付属動物園 
[WEAK[(現在の[[日本国]][[東京都]][[台東区]]にある[[東京都恩賜上野動物園]])]] 
に献納することにした。
-- [873] 武蔵国産牝1羽と目録を書いて翌日に連れて行かせた。
-- [874] 館長から丁寧な受領書が返ってきたが、茶雉元年ではなく明治38年1月10日だった。
- [875] 明らかに治まる御代は、この[[祥瑞]]で幾久しく明らかに治まる御代でありたいものだ。

[876] 
著者らは「征露2年」には若干冷めた目で眺めていたようですが 
(批判というほどではなさそう)、
そんなところで白雉ならぬ茶雉が出現する珍事、
世が世ならこれこそ[[改元]]されるべきだというのです。

[877] 
結局どこからやってきたのか謎のままの雉は、
現在の[[上野動物園]]に納められましたが、
その後どうなったのかは不明です。
動物園側の記録には残っているのでしょうか。
動物園館長は白雉元年の故事を知らないか気づかなくて官僚的な返しをしてしまうのですが、
著者も同僚に言われるまで気づかなかったようですから、
当時の知識人でも専門でなければそんなものなのでしょう。

[879] 
[CITE[日本書紀]]の孝徳天皇白雉元年二月庚午朔戊寅条に、
正月九日に白雉が出現したとして献上された旨の記録があります。
それを承けて2月甲申に[[大化]]から[[白雉]]へと[[改元]]されたのです。
[SRC[>>878]]
[[旧暦]]と新暦で季節はすこしずれていますが
[WEAK[(旧暦白雉元年1月9日は[TIME[グレゴリオ暦2月18日][kyuureki:650-01-09]])]]、
それにしても不思議な偶然はあるものです。


[880] 
なお「茶雉元年」は[[国立国会図書館]],
[CITE[Google Books]],
[[Google]] ウェブ検索のいずれでも本記事以外に見当たらず、
さすがにこれを実用することはなかったようです。


[REFS[
-
[878] 
[CITE@zh[[[日本書紀]]/卷第廿五 - 维基文库,自由的图书馆]], [TIME[2022-12-31T13:58:23.000Z]], [TIME[2023-01-14T13:58:46.576Z]] <https://zh.wikisource.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%9B%B8%E7%B4%80/%E5%8D%B7%E7%AC%AC%E5%BB%BF%E4%BA%94#:~:text=白雉元年>
- [852] 
[CITE@ja-JP[[[國學院雜誌]] = The Journal of Kokugakuin University 11(3)(125)]], [[國學院大學]], [TIME[1905-03]], [TIME[2023-01-11T10:47:13.000Z]], [TIME[2023-01-14T13:08:13.003Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/3364769/1/37> (要登録)
]REFS]

-*-*-

[1315] 
[TIME[明治38(1905)年][1905]]春頃に出版された書籍で[[征露]]を使った事例があります。

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [1312] 
[CITE(.label)@ja-JP[[[明治才媛文集]] 第8編]],
[[女子の友記者]],
[V[明治三十八年四月十七日印刷]]
[V[明治三十八年四月二十日發行]] [WEAK[([TIME(.published)[1905-04-20]])]],
[DATA(.addr)[[[日本国]][[東京府]][[東京市]]]]
-- [1313] 
[CITE(.label)[[[乙巳の新年]]]],
[[[V[淺田幽芳]]]],
[DATA(.addr)[[[日本]][[越中国]]]]
--- [1314] 
「[V[[DATA(.text)[征露第二年]]の新天地は、[SNIP[]]]]」
[SRC[>>1311]]

]ITEMS]

[1316] 
[TIME[1905-04-20]]に出版された名文集は、
時事ネタや季節ネタなどいろいろな文章を収録したものでしたが、
そのうちの1つは[[旅順陥落]]を[[日本国内]]で知ったらしい者の文で、
[[征露]]が使われていました (>>1314)。

[REFS[

- [1311] 
[CITE@ja-JP[[[明治才媛文集]] 第8編]], [[女子の友記者]], [TIME[明34-40][1907]], [TIME[2024-07-30T10:51:24.000Z]], [TIME[2024-08-04T11:38:52.345Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/867006/1/98> (要登録)

]REFS]


-*-*-

[954] 
[[昭和時代]]の雑誌記事に、明治38年の[[祝詞]]とされるものが収録されています。

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [955] [CITE(.label)[[V[奉    森田  醫學士    天津祝詞・一章]]]]
「[DATA(.text)[[V[征露第二年春四月二十五日]]]]」 ([[明朝体]])
[SRC[>>953]]

]ITEMS]

[956] 
記事によると、[TIME[明治38(1905)年][1905]]春、
[RUBYB[[[[V[森田正馬]]]]][[TIME[1874]]-[TIME[1938]]]]
[WEAK[(医学者。当時は[[東京市]]在住。後に[[東京慈恵会医科大学]][[教授]]。)]]
とその友人[RUBYB[[[[V[香取秀眞]]]]][[TIME[1874]]-[TIME[1954]]]]
[WEAK[(美術学者。[[宮司]]の[[養子]]ながらも当時は[[東京市]]在住。後に[[東京美術学校]][[教授]]。)]]
は[[[V[赤羽根]]]]
[WEAK[([[日本国]][[東京府]][[北豊島郡]][[岩淵町]][[赤羽]])]]
に遠出しましたが、
[[香取秀眞]]が体調を崩し[[森田正馬]]が診察しました。
[[香取秀眞]]はその礼にと[[灰皿]]と[[祝詞]]を[[森田正馬]]に贈りました。
[SRC[>>953]]

[957] 
[[祝詞]]の内容も2人の当時の所属も戦争と直接の関係はなく、[[征露]]を使ったのは当時の社会の風潮によるものでしょうか。


[REFS[
- [953] 
[CITE@ja-JP[[[神経質]] 4(8)]], [[神経質研究会]], [TIME[1933-08]], [TIME[2023-01-17T10:48:16.000Z]], [TIME[2023-02-01T10:21:56.893Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1509928/1/25> (要登録)
]REFS]

-*-*-


[174] 
[[東京大学]]所蔵の[[江戸時代]]の[[版本]]の裏表紙に[[征露]]の墨書[[識語]]があります。

[ITEMS[ [[日時事例]]
- [726] [DATA(.label)[[[東京大学]]所蔵[CITE[萬方多福繪引節用集]]墨書]]
「[DATA(.text)[征露二年六月]]」
[SRC[>>9, >>173]]
]ITEMS]

[725] 
「松田氏所持」
とあるので
[SRC[>>9, >>173]]、
、
征露2年6月に本書を「松田氏」から譲られた者が書いたのでしょうか。
本書所蔵の経緯は[[ウェブ]]上に情報がなく不明です。

[728] 
本書は[TIME[文政7(1824)年][1824]]刊行の[[節用集]]ですから、
内容は[[日露戦争]]とは無関係です。


[REFS[
-
[173] 
[CITE@ja[UTokyo OPAC]], [TIME[2022-03-04T11:09:40.000Z]] <https://opac.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/opac/opac_details/?lang=0&opkey=B164639201718428&srvce=0&amode=11&bibid=2003111055>
--
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[9] [CITE@ja[[[CiNii]] 図書 - 萬方多福繪引節用集]],
[TIME[2016-05-24 01:37:06 +09:00]]
<http://ci.nii.ac.jp/ncid/BB11807213>

[CITE@ja[[[CiNii]] 図書 - 萬方多福繪引節用集]],
[TIME[2020-09-08T09:20:49.000Z]]
<https://ci.nii.ac.jp/ncid/BB11807213>
]FIGCAPTION]

> 刊記に「文政七甲申春改正」とあり
> 巻末に「江戸書林 須原屋茂兵衛 前川六左衛門」「大阪書肆 鳥飼市左衛門 淺野弥兵衛 柳原喜兵衛」とあり
> 裏表紙に「征露二年六月 松田氏所持」と墨書あり

]FIG]

]REFS]


-*-*-

[1087] 
明治38年の秋に出版された一般書籍に、
[[征露]]の[[日付]]があります。
その部分を除いては戦時色は特にありません。

[ITEMS[ [[日時事例]]

-
[1088] 
[CITE(.label)@ja-JP[ペタゴニヤ仙窟 : [[探偵小説]]]], [[加瀬花邦]],
[V[明治三十八󠄂年[ASIS[九][手書き修正]]月[ASIS[三][手書き修正]]日發行]]
[WEAK[([TIME(.published)[1905-09-03]])]],
[DATA(.addr)[[[日本国]][[東京府]][[東京市]]]]
--
[1089] 
[CSECTION[[V[[RUBY[序][はしがき]]]]]]
「[V[[RUBY[征][せい]][RUBY[露][ろ]][RUBY[第][だい]]二[RUBY[年][ねん]]  [RUBY[媾󠄄][かう]][RUBY[和][は]][RUBY[使][しく]][RUBY[會][わい]][RUBY[見][けん]][RUBY[當][たう]][RUBY[[ASIS[初][亠→二]]][しよ]][RUBY[日][にち]]]]」 ([[明朝体]])
[SRC[>>1086]]
---
[1090] 
[[ポーツマス講和会議]]は[TIME[1905-08-01]]開始、
[TIME[1905-08-10]]から本会議。




]ITEMS]





[REFS[
- [1086] 
[CITE@ja-JP[ペタゴニヤ仙窟 : [[探偵小説]]]], [[加瀬花邦]], [TIME[明38.9][1905]], [TIME[2023-03-28T13:58:31.000Z]], [TIME[2023-04-25T08:20:28.783Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/888146/1/2>
]REFS]

-*-*-


[1084] 
[TIME[1905-11-04]]に発行された史料集成に収録された文献の跋文の日付に[[征露]]があります。
収録された文章には特に戦時色はありません。

[ITEMS[ [[日時事例]]

-
[1080] 
[CITE(.label)@ja-JP[[[好古類纂]] 二編 第九集]],
[V[明治三十八󠄂年十一月四日發行]]
[WEAK[([TIME(.published)[1905-11-04]])]]
--
[1082] 
[DATA(.label)[[[跋]], [[[V[內柴御風]]]]]],
[DATA(.addr)[[[日本]][[肥後国]]]]
---
[1081] 
「[DATA(.text)[[V[征露第二年避󠄃暑の月に休暇の半󠄃をさきて謄󠄄寫し畢りぬ]]]]」 ([[明朝体]])
[SRC[>>1079]]
---- [1083] 
[TIME(.value)[明治38年8月][1905-08]]頃?


]ITEMS]

[1085] 
当時の「避暑の月」がいつを指していたのかよくわかりませんが、
現在[[避暑の候]]は[[グレゴリオ暦]]の8月を指すとされているので、
同じ頃とみていいでしょうか。




[REFS[

-
[1079] 
[CITE@ja-JP[[[好古類纂]] 二編 第九集]], [[好古社]], [TIME[明治33-42][1909]], [TIME[2023-03-28T13:58:31.000Z]], [TIME[2023-04-04T10:08:56.410Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1245118/1/62> (要登録)

]REFS]



-*-*-


[881] 
[TIME[1905-12-05]]に[[日本国]][[東京府]][[東京市]]で発行された雑誌に掲載された随筆では、
1年間の戦争の推移を振り返る場面で[[明治]]を[[征露]]と言い換えていました。


[ITEMS[ [886] [[日時事例]]

- [885] 
[CITE(.label)[[[好学雑誌]] (30)]], 
[V[明治三十八󠄂年十二月五日發行]]
[WEAK[([TIME(.published)[1905-12-05]])]],
[DATA(.addr)[[[日本国]][[東京府]][[東京市]]]]
-- [882] 
[DATA(.label)[[CITE[[V[歲晩の感]]]], [[[V[和田榮]]]]]]
--- [884] 
去りゆく明治38年を振り返ると
「[DATA(.text)[[V[[SNIP[]]征露第二年[SNIP[]]]]]]」
として旅順陥落して云々
[SRC[>>883]]
]ITEMS]


[REFS[
- [883] [CITE@ja-JP[好学雑誌 (30)]], [[好学会]], [TIME[1905-12]], [TIME[2023-01-17T10:48:16.000Z]], [TIME[2023-01-31T08:41:37.104Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1538362/1/11> (要登録)
]REFS]


-*-*-

[505] 
明治41年に出版された[CITE[明治俳文集]]に収録された[[俳句]]のうち1つが、
自身の[[庵]]を[[日露戦争]]の激戦地[[203高地]]に擬えたもので、
その旨を説明した序文に
「[V[征露第一年十二月一日]]」
に[[日本軍]]が[[203高地]]を占領したので云々とありました。
[SRC[>>504]]

[506] 
本作品がいつのものかはわかりませんが、
[[203高地]]占領が[[日本]]国内に報じられてしばらくした頃でしょうか。
もしかすると[[俳句]]本体より序文が少し遅れて成立ということもあるやもしれません。
いずれにしても明治37年12月中か明治38年初め頃でしょう。

;; [535] 
[[203高地]]は争奪戦となり、最終的な陥落は[TIME[1904-12-05]]とされます。
12月1日はその初報での日付かもしれません。
そうだとすると、その後の展開が伝わっていない段階で書かれた可能性があります。
(し、反攻は省いて最初の占拠だけに注目した可能性もありますが。)



;;
[508] 
[CITE[明治俳文集]]は[[国会図書館]]に所蔵されデジタル化もされていますが、
残念なことに一般公開されていません。計算上、
本書収録作品の作者の誰かが出版後60年以上在命だった場合、
まだ[[著作権]]の保護期間が終了していないことになります。
(この書籍をこうして秘匿し続けることが、本当に文化の発展に寄与しているのですかね?)


[507] 
本作は[[昭和時代]]初期の文学書に引用され、
[[明治時代]]の傑作として紹介されました。 [SRC[>>504]]


[REFS[
-
[509] 
[CITE@ja[綜合国文学概説 - [[国立国会図書館デジタルコレクション]]]], [[三浦圭三]], [TIME[1925 2版][year:1925]], [TIME[2022-04-27T07:43:07.000Z]]
-- [510] <http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1875271/493>
-- [504] <http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1875271/502>
- [761] 
[CITE@ja-JP[綜合国文学概説]], [[三浦圭三]], [TIME[大正14][1925]], [TIME[2023-01-11T10:47:13.000Z]], [TIME[2023-01-14T01:21:41.360Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/980467/1/502> (要登録)



]REFS]

-*-*-

[613] 
明治37年末、明治38年始に[[日本国]]で出版された経済系の雑誌には、
戦費に関係して[[征露]]の紀年が使われていました。

[ITEMS[ [619] [[日時事例]]
- [608] [CITE(.label)[[[実業評論]] (72)]],
[R[明治三十七年[TATE[十二]]月二十五日]]
[WEAK[([TIME(.published)[1904-12-25]])]]
発行
-- [606] [CSECTION(.label)[[V[戰時の經濟]]]] [SRC[>>606]]
--- [607] 平穏無事のうちに「[DATA(.text)[[V[[SNIP[]]征露第一年[SNIP[]]]]]]」
([[明朝体]]) を送ろうとするのは云々
- [612] [CITE(.label)[[[実業評論]] (73)]],
[R[明治三十八󠄂年一月__&&swc434(卄)&&__五日]]
[WEAK[([TIME(.published)[1905-01-25]])]]
発行
-- [614] [CSECTION(.label .text)[[V[征露第二年を迎󠄃ふ]]]] [SRC[>>609 /10]]
--- [615] 戦勝を祝う、軍事費の増税が云々
--- [616] 「[DATA(.text)[[V[[SNIP[]]征露第二年[SNIP[]]]]]]」
([[明朝体]]) を迎え云々
-- [611] [DATA(.label)[[CITE[[V[戰時の經營]]]], [[[V[相馬永胤]]]]]] [SRC[>>609]]
--- [610] 「[DATA(.text)[[V[[SNIP[]]征露第一年[SNIP[]]]]]]」
([[明朝体]]) の戦費を支払えた云々
-- [617] [DATA(.label)[[CITE[[V[軍國の新經濟界]]]], [[[V[池田謙󠄃三]]]]]]
[SRC[>>609 /15]]
--- [618] 春すぎ夏すぎ秋すぎついに「[DATA(.text)[[V[[SNIP[]]其一年[SNIP[]]]]]]」が過ぎて
「[DATA(.text)[[V[[SNIP[]]征露第二年[SNIP[]]]]]]」を迎えたが云々
([[明朝体]])
]ITEMS]

[REFS[
- [605] [CITE@ja-JP[[[実業評論]] (72)]], [[実業評論社]], [TIME[1904-12]], [TIME[2023-01-06T06:14:39.000Z]], [TIME[2023-01-11T06:19:01.357Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1507795/1/9> (要登録)
- [609] [CITE@ja-JP[[[実業評論]] (73)]], [[実業評論社]], [TIME[1905-01]], [TIME[2023-01-06T06:14:39.000Z]], [TIME[2023-01-11T06:23:36.443Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1507796/1/13> (要登録)
]REFS]

-*-*-

[772] 
[[明治時代]]に[[日本国]][[東京府]][[東京市]]で発行されていた[[風刺]]系[[週刊誌]]
[CITE[[R[團團珍聞]]]]
には当時たびたび[[征露]]を使った記事が掲載されていました。

[ITEMS[ [[日時事例]]
- [773] 
[CITE(.label)@ja-JP[[[團團珍聞]] (1513)]],
[R[明治卅七年十二月十三日]] 
[WEAK[([TIME(.published)[1904-12-13]])]],
[DATA(.addr)[[[日本国]][[東京府]][[東京市]]]]
-- [774] 
[DATA(.label)[[CITE[[V[[RUBY[戰][せん]][RUBY[時][じ ]][RUBY[通󠄃][つう]][RUBY[信][しん]][RUBY[書][しょ]][RUBY[簡][かん]]の一]]]], [[[V[騎月投]]]]]]
--- [775] 
[DATA(.label)[書状, [[[V[田村騎升]]]]]],
[DATA(.text)[[V[征露元年十月三十日]]]]
([[明朝体]])
[SRC[>>778 /10]]
-- [776] 
[DATA(.label)[[CITE[[V[[RUBY[餅󠄁][もち]][RUBY[搗][つき]][RUBY[煤][すゝ]][RUBY[掃][はらひ]]の[RUBY[廢][はい]][RUBY[止][し ]]]]]], [[[V[吳鎌󠄁益]]]]]]
--- [777] 
「[DATA(.text)[[V[[SNIP[]][RUBY[征][せい]][RUBY[露][ろ ]][RUBY[紀][き ]][RUBY[元][げん]]の[RUBY[第][だい]]二[RUBY[年][ねん]][BR[]]は、一[RUBY[年][ねん]]のお[RUBY[尻][しり]]を[RUBY[突][つゝ]][RUBY[て][い ]]、[SNIP[]]]]]]」
([[明朝体]])
取って代わってあっという間に新年なので云々
[SRC[>>778 /11]]

]ITEMS]

[547] 
[TIME[1904-12-13]]号の1つ目の用例は満州の出征第8師団予備[ASIS[○○][送付時の軍検閲か]]隊から送付された書簡で、
日付が[[征露]]となっています。
内容は近況等を面白おかしく書いたものですが、
原形をどれだけ保って出版されたものか、そもそも実在したものかもよくわかりません。


[ITEMS[ [[日時事例]]

- [923] 
[CITE(.label)@ja-JP[[[團團珍聞]] (1515)]],
[R[明治卅七年十二月十九日]] 
[WEAK[([TIME(.published)[1904-12-19]])]],
[DATA(.addr)[[[日本国]][[東京府]][[東京市]]]]
--
[924] 
[CSECTION(.text)[[V[[RUBY[豫][よ]][RUBY[吿][こく]][BR[]][RUBY[征][せい]][RUBY[露][ろ]][RUBY[第][だい]]二[RUBY[年][ねん]][BR[]][RUBY[元][ぐわん]][RUBY[旦][たん]][RUBY[[ASIS[初][亠→二]]][しよ]][RUBY[刊][かん]]]]]]
[SRC[>>922]]
---
[925] 
「[V[[RUBY[我][わ]]が[RUBY[神][じん]][RUBY[武][む]][RUBY[開][かい]][RUBY[國][こく]]二千五百[RUBY[有][う]][RUBY[餘][よ]][RUBY[年][ねん]][RUBY[來][らい]]、[SNIP[]]]]」
戦時中でかつてない新年を迎え
「[V[[SNIP[]]一[RUBY[月][ぐわつ]]一[RUBY[日][じつ]][SNIP[]]]]」
号では云々、
「[V[[SNIP[]][RUBY[巳][み]][RUBY[年][どし]][SNIP[]]]]」
に因み云々
[SRC[>>922]]

]ITEMS]

[926] 
[TIME[1904-12-19]]号は次号新年号予告で「征露第二年」と大々的にかかげてこれを取り上げるとしていました。

[ITEMS[ [[日時事例]]
- [681] 
[CITE(.label)@ja-JP[[[團團珍聞]] (1516)]],
[R[明治卅八󠄃年一月一日]] 
[WEAK[([TIME(.published)[1905-01-01]])]],
[DATA(.addr)[[[日本国]][[東京府]][[東京市]]]]
-- [554] [DATA(.label)[茶説]] (新聞[[社説]]のパロディー) 記事
--- [548] 目録「[DATA(.text)[[V[征露第二[ASIS[軍]]]]]]」 [SRC[>>545 /4]]
---- [550] 明らかに誤植だが、何とも興味深い間違い方。
--- [549] 見出し
「[DATA(.text)[[V[[RUBY[征][せいろ]]露[RUBY[第][だ ]]二[RUBY[年][ねん]]]]]]」 
[SRC[>>545 /4]]
---- [551] 目録で「征露第二軍」となっている記事。
---- [552] [[ルビ]]がおかしいがこの時代にはありがち。
--- [553] 
「[DATA(.text)[[V[[SNIP[]][RUBY[征][せい]][RUBY[露][ろ ]][RUBY[第][だい]]二[RUBY[年][ねん]][SNIP[]]]]]]」
という国史未曽有の新年で云々 [SRC[>>545 /6]]
--- [555] [[この戦争が終わったら]]
「[DATA(.text)[[V[[SNIP[]][RUBY[征][せい]][RUBY[露][ろ ]][RUBY[第][だい]]三[RUBY[年][ねん]][SNIP[]]]]]]」
には云々 [SRC[>>545 /6]]
--- [556] 
「[DATA(.text)[[V[[SNIP[]][RUBY[征][せい]][RUBY[露][ろ ]][RUBY[第][だい]]二[RUBY[年][ねん]][SNIP[]]]]]]」
は幸先が良い [SRC[>>545 /6]]
-- [557] [[狂歌]]
--- [558] 題名 
「[DATA(.text)[[V[[RUBY[出][せい]][RUBY[征][ろ ]][RUBY[第][だい]]二[RUBY[年][ねん]]]]]]」
---- [559] このような[[ルビ]]はこの時代ありがちで、意図的か誤植か判断し難い。
-- [560] 小説 [CITE(.label)[[V[戰時の交󠄄情󠄁]]]]
--- [561] 
「[DATA(.text)[[V[[SNIP[]][RUBY[征][せい]][RUBY[露][ろ[L[ぐ]]]][RUBY[元][わん]][RUBY[年][ねん]][SNIP[]]]]]]」
も残り3週足らずで云々 [SRC[>>545 /10]]
---- [562] 「ぐ」は[[回転][回転 (書字方向)]]している、この時代にはよくある誤植。
-- [563] 
[DATA(.label)[[CITE[[V[[RUBY[新][しん]][RUBY[年][ねん]]の[RUBY[山][やま]]]]]], [[[V[太皷ヶ浦人]]]]]]
--- [564] 連戦連勝の
「[DATA(.text)[[V[[SNIP[]][RUBY[征][せい]][RUBY[露][ろ ]][BR[]][RUBY[紀][き ]][RUBY[元][げん]][RUBY[第][だい]]二[RUBY[年][ねん]][SNIP[]]]]]]」
をめでたく迎えて云々 [SRC[>>545 /30]]
]ITEMS]

[546] 
その予告された[TIME[1905-01-01]]号は、新年号で年始に因んだ記事が多いですが、
前号での予告通り[[征露]]の第2年であることにちょくちょく言及されています。
この時代の新年の雑誌がいつ編集されいつ販売されたものかわかりませんが、
/6 の川柳に号外とあって、[[旅順]]陥落の[[号外]]でしょう。
[TIME[1905-01-02]]に[[号外]]が発行されていたようです。
他の川柳には2日に文が来るとあって、やはり[TIME[1905-01-02]]のことなのでしょう。

[565] 
編集にどれだけの人数が関わったのかわかりませんが、記事によって異なる

- 「征露元年」
- 「征露第二年」「征露第三年」
- 「征露紀元第二年」

の3種類の表記が1冊の本に混在しています。

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [894] [CITE(.label)@ja-JP[[[團團珍聞]] (1518)]],
[R[明治卅八󠄃年一月七日發行]] 
[WEAK[([TIME(.published)[1905-01-07]])]],
[DATA(.addr)[[[日本国]][[東京府]][[東京市]]]]
--
[895] 
[CSECTION(.label)[[V[ふく袋]]]]
---
[896] 
[[[V[浮󠄃葉]]]]
----
[897] 
「[DATA(.text)[[V[[SNIP[]][RUBY[征][せい]][RUBY[露][ろ]][RUBY[第][だい]]二[RUBY[年][ねん]]の[RUBY[乙巳][きのとみ]]の[RUBY[新][しん]][RUBY[歲][さい]]に、[SNIP[]]]]]]」
旅順陥落して云々
[SRC[>>893]]

]ITEMS]

[898] 
[TIME[1905-01-07]]号には[[旅順]]陥落に絡めた記事がありましたが、
ここでは[[干支年]]が併記されているところが注目点です。


[ITEMS[ [[日時事例]]

- [682] [CITE(.label)@ja-JP[[[團團珍聞]] (1535)]],
[R[明治卅八󠄃年四月廿五日]] 
[WEAK[([TIME(.published)[1905-04-25]])]],
[DATA(.addr)[[[日本国]][[東京府]][[東京市]]]]
-- [594] 小説
[CITE(.label)[[V[[YOKO[[R[豫想]]]][RUBY[樺][かば]][RUBY[太][ふと]]の[RUBY[占][せん]][RUBY[領][りやう]] [WEAK(smaller)[(上)]]]]]],
[[[V[無名子]]]]
--- [593] 
「[DATA(.text)[[V[[SNIP[]][RUBY[征][せい]][RUBY[露][ろ ]][RUBY[第][だい]]一[RUBY[年][ねん]]の五[RUBY[月][ぐわ]][RUBY[在][つざ]][RUBY[留][いり]][RUBY[の][う ]][SNIP[]]]]]]」
日本人の引き揚げが云々
]ITEMS]

[595] 
[TIME[1905-04-25]]号の用例は、
題名に予想とある通り[[仮想戦記]]ですが、
当該部分は明治37年5月に[[露西亜領樺太]]在留日本人を本国に引き揚げさせ云々と述べています。
この部分も創作なのか、それとも当時そのような情報が広まっていたのかは不明。


[REFS[
- [778] 
[CITE@ja-JP[[[團團珍聞]] (1513)]], [[珍聞館, 團團珍聞社]], [TIME[1904-12-13]], [TIME[2023-01-11T10:47:13.000Z]], [TIME[2023-01-14T02:56:23.896Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/11211033/1/10> (要登録)
-
[922] 
[CITE@ja-JP[[[團團珍聞]] (1515)]], [[珍聞館, 團團珍聞社]], [TIME[1904-12-25]], [TIME[2023-01-17T10:48:16.000Z]], [TIME[2023-02-01T07:54:08.491Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/11211035/1/10> (要登録)
-
[545] 
[CITE@ja-JP[[[團團珍聞]] (1516)]], [[珍聞館, 團團珍聞社]], [TIME[1905-01-01]], [TIME[2023-01-06T06:14:39.000Z]], [TIME[2023-01-10T08:49:27.201Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/11211036/1/4> (要登録)
-
[893] 
[CITE@ja-JP[[[團團珍聞]] (1518)]], [[珍聞館, 團團珍聞社]], [TIME[1905-01-13]], [TIME[2023-01-17T10:48:16.000Z]], [TIME[2023-01-31T09:25:08.050Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/11211038/1/17> (要登録)
- [591] 
[CITE@ja-JP[[[團團珍聞]] (1535)]], [[珍聞館, 團團珍聞社]], [TIME[1905-04-25]], [TIME[2023-01-06T06:14:39.000Z]], [TIME[2023-01-10T13:52:46.676Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/11211055/1/11> (要登録)


]REFS]


-*-*-


[81] 
[[日本]]で当時活躍した[[小説家]][RUBYB[[[夏目漱石]]][[TIME[1867]]-[TIME[1916]]]]の[[小説]][CITE[吾輩は猫である]]に[[征露]]が使われています。
[[青空文庫]]本[CITE[吾輩は猫である]]には、

- [511] 「今年は征露の第二年目」
- [512] 「軍国多事征露の第二年とも相成候」

... と2箇所の用例があります。
[SRC[>>14]]

[82] 
[[現代日本]]でも誰もが知る超有名作であるためか、
[[征露]]の[[私年号]]の代表的用例とされます。
しかしこの書き方で、
作中発言者 (引いては、[[著者]]である[[夏目漱石]])
が「征露」を[[私年号]]と認識して使っていた、
これが[[私年号]]の用例である、
と主張するのは些か苦しいとも思われます。
[[私年号]]の[[発生に至る過程][紀年法の成熟度]]の一形態と見ることはでき、
その意味で興味深い事例には違いありません。

[513] 
昭和時代初期の文学書に[CITE[吾輩は猫である]]を引いて評論したものがありました。
引用部分に >>511 が含まれましたが、
「[[征露]]」には触れていませんでした。
[SRC[>>510]]


[205] 
[[学研]]の[CITE[国語大辞典]] 
[WEAK[([TIME[西暦1978年][1978]])]]
の
[CSECTION[征露]]
の項は、
[CITE[吾輩は猫である]]
の1つ目の用例を引いていました。
[SRC[>>204]]
([[私年号]]とはしていませんでした。)


[80] 
[[日本語]]版[CITE[ウィキペディア]]は、
[CITE[吾輩は猫である]]で[[征露]]の[[私年号]]が利用された
[SRC[>>1]]
としました。



[495] 
[[中文]]版[CITE[维基百科]]は[[征露]]単独で立項していませんが、
[CSECTION[日俄战争]]の項で民間で[[日露戦争]]後に戦勝を記念して[[征露]]の[[私年号]]が用いられたとし、
[CITE[我是貓]]
[WEAK[([CITE[吾輩は猫である]])]]
で使われたことを紹介しています。
[SRC[>>494]]
出典は明記されていませんが、[[日本]]の何かしらの現代の紹介文からの孫引きでしょう。


[REFS[

-
[83] 
[CITE[吾輩は猫である]],
[[夏目漱石]],
[TIME[明治38(1905)年1月][1905-01]] - [TIME[明治39(1906)年8月][1906-08]]
--
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[14] [CITE[[[夏目漱石]] [[吾輩は猫である]]]],
[TIME[2015-02-04 02:54:48 +09:00]]
<http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/789_14547.html>
]FIGCAPTION]

> 
[SNIP[]]達観しない証拠には現に吾輩の肖像が眼の前にあるのに少しも悟った様子もなく今年は征露の第二年目だから大方熊の[RUBY[画][え]]だろうなどと気の知れぬことをいってすましているのでもわかる。
>[SNIP[]]
>
「廿世紀の今日[RUBY[交通][こうつう]]の[RUBY[頻繁][ひんぱん]]、宴会の増加は申す迄もなく、軍国多事征露の第二年とも相成[RUBY[候折柄][そろおりから]]、吾人戦勝国の国民は、[SNIP[]]


]FIG]
-
[204] 
[CITE@ja[日露戦争期に発祥した語彙・表記をめぐって -「[[露助]]」と「[[征露丸]]」を中心に- - 文献詳細 - Ceek.jp Altmetrics]], [TIME[2022-03-08T08:23:19.000Z]] <http://altmetrics.ceek.jp/article/hdl.handle.net/2065/00057371>
-
[53] [CITE@ja[YEKさんはTwitterを使っています 「@mom_119 オイラがPCを手放せないように、もむは[[正露丸]]が手放せないんだね(笑)。ちなみに日露戦争で勝った年(1904)を【征露元年】って年号にしていた時代もあったんだ。夏目漱石の作品中でも使用されているよ。」 / Twitter]]
(午後9:06 · 2013年6月1日 [TZ[+09:00]], [TIME[2020-09-09T04:20:46.000Z]])
<https://twitter.com/YEK177/status/340801507798687745>
-
[494] 
[CITE@zh[日俄战争 - [[维基百科]],自由的百科全书]], [TIME[2022-04-26T02:59:21.000Z]], [TIME[2022-04-27T03:32:32.568Z]] <https://zh.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E4%BF%84%E6%88%98%E4%BA%89#%E8%BB%BC%E8%81%9E>



]REFS]


-*-*-

[527] 
[TIME[1905-03-12]]の[CITE[國民新聞]]
[WEAK[(現在の[CITE[東京新聞]]の前身)]]
記事
[CSECTION[[V[大連倶樂__&&swc421(部)&&__[WEAK(smaller)[=設置]]]]]]
([[ゴシック体]])
に、
「[V[征露第二年の紀元[BR[]]節に於て、[SNIP[]]]]」
([[明朝体]])
とありました。
[SRC[>>526]]

[528] 
[TIME[1905-02-11]]に旧[[露西亜帝国領関東州]][[青泥窪]]市を[[大連]]に改称したと説明されている箇所です。

;; [529] なお[[青泥窪]]の[[地名]]は現在も[[中華人民共和国]][[遼寧省]][[大連市]]の繁華街の[[地名]]として残ります。

[530] この記事の書き方では現地で「征露第2年紀元節」として祝われたかどうかは不明で、
記事の元ネタは現地取材で記者がまとめたものでしょうが、
「征露第2年」と書かれた文は現地記者によるものなのかもしれませんし、
現地や[[日本]]国内の新聞社内での編集を経たものなのかもわかりません。





[REFS[
- [526] 
[CITE@ja[[[新聞集成明治編年史]]. 第十二卷 - 国立国会図書館デジタルコレクション]], [TIME[2022-12-03T03:08:14.000Z]] <https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1920426/221>
]REFS]

-*-*-

[532] 
[TIME[1905-03-01]]に[[大日本帝國]][[東京府]][[東京市]]の[[東京帝國大学]]で総長の[RUBYB[[[山川健次郎]]][[TIME[1854]]-[TIME[1931]]]]
[WEAK[(当時勅選[[貴族院議員]], 後に[[男爵]])]]
による
[CSECTION[[V[帝󠄃國大學令公󠄃布紀念祝賀式演說󠄀]]]]
([[明朝体]])
がありました。
[SRC[>>531]]

[533] 
演説冒頭では戦況と大学関係の犠牲者に触れて、

>
[VRL[
今日は我東京帝國大學の第十九囘の紀念日であります[BR[]]が、又󠄂征露の軍が起󠄃りまして第二年目であります。[SNIP[]]斯く征露第一年の[BR[]]結果は[SNIP[]]
]VRL]

... と述べていました。
[SRC[>>531]]

[534] 
この用例は未だ[[紀年法]]としての「征露」が十分に[[成熟][紀年法の成熟]]していない、
説明的な表現と捉えられるものです。
しかし[[紀年法]]「征露」の形成の過程がよく現れている演説文といえます。


[REFS[
-
[531] 
[CITE@ja[[[男爵山川先生遺稿]] - 国立国会図書館デジタルコレクション]], [[山川健次郎]], [TIME[昭和12][year:1937]], [TIME[2022-12-03T03:46:14.000Z]] <http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1123246/108>
]REFS]

-*-*-


[604] 
[TIME[2023-01-11T06:16:17.600Z]]
<https://dl.ndl.go.jp/pid/3559240>
(非公開)

>東洋學藝雜誌 22(282)
>雑誌
>東京社 [編] (東京社, 1905-03)
>5: あらふと存じます斯く征露第一年の結果は實に見


-*-*-

[1002] 
[TIME[1905-04-01]]に[[日本国]][[東京府]][[東京市]]で発行された雑誌の記事で[[征露]]が使われました。

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [999] [CITE(.label)@ja-JP[[[織物界]] (35)]],
[V[明治三十八󠄃年四月一日發行]]
[WEAK[([TIME(.published)[1905-04-01]])]],
[DATA(.addr)[[[日本国]][[東京府]][[東京市]]]]
-- [1000] 
[CSECTION(.label)[[V[本塲甲斐󠄁絹商况]]]],
[V[三月廿六日]]
[WEAK[([TIME(.published)[1905-03-26]])]],
[[[V[磯彌平󠄃]]]],
[DATA(.addr)[[[日本国]][[山梨県]][[谷村町]]]]
---[1001] 
「[DATA(.text)[[V[征露第二年の新春[SNIP[]]]]]]」
を迎えて旅順陥落により相場が云々
[SRC[>>998]]

]ITEMS]

[1003] 当記事は[[山梨県]]の商人によるもので、絹相場の状況が一部戦争と関連付けて説明されていました。

[REFS[
- 
[998] 
[CITE@ja-JP[[[織物界]] (35)]], [[勝島活版所]], [TIME[1905-04]], [TIME[2023-01-17T10:48:16.000Z]], [TIME[2023-02-02T11:22:40.761Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1558087/1/26> (要登録)
]REFS]


-*-*-

[841] 
[TIME[明治38(1905)年5月][1905-05]]に[[日本国]]で出版された、
特に軍事色、戦時色のない書籍で、
日付表記に[[征露]]を使った例がいくつかあります。

[ITEMS[ [[日時事例]]

-
[1005] 
[DATA(.label)[[CITE@ja-JP[手紙のとりやり]], [[中川柳涯]]]],
[V[明治三十八󠄃年󠄂五月五日發行]]
[WEAK[([TIME(.published)[1905-05-05]])]],
[DATA(.addr)[[[日本国]][[東京府]][[東京市]]]]
-- [1006] 
[CSECTION(.label)[[V[は[ASIS[し][2画連続]]がき]]]]
「[DATA(.text)[[V[征露第二年春三月]]]]」 ([[明朝体]])
[SRC[>>1004]]
--- [1007] [[奉天]]包囲の報を聞いてと補足あり
--- [1008] この自序は[[征露]]、他序は[[明治]]。
-- [1009] 
[[手紙]]例文集。序文日付以外戦時色なし。
-
[435] [DATA(.label)[[CITE[高等女子文範]], [[高井徳造]]]],
[V[明治三十八󠄂年五月十五日]]
[WEAK[([TIME(.published)[1905-05-15]])]],
[DATA(.addr)[[[日本国]][[東京府]][[東京市]]]]
-- [842] [CSECTION(.label)[[V[凡例]]]]
「[DATA(.text)[[V[征露第二の春四月]]]]」
[SRC[>>434]]
-- [843] 
女学生向け[[国語]]教材。
-
[844] 
[DATA(.label)[[CITE[蚕桑之緒]], [[山崎良吉]]]],
[V[明治三十八󠄂年五月十七日發行]]
[WEAK[([TIME(.published)[1905-05-17]])]],
[DATA(.addr)[[[日本国]][[新潟県]]]]
--
[845] [DATA(.label)[序文, [[[V[山口千代松󠄃]]]]]],
[DATA(.text)[[V[征露第二年四月]]]]
--
[846] 養蚕の手引書。序文著者は組合長。序文中も戦争に言及なし。


]ITEMS]




[REFS[

-
[1004] 
[CITE@ja-JP[手紙のとりやり]], [[中川柳涯]], [TIME[明38.5][1905]], [TIME[2023-01-17T10:48:16.000Z]], [TIME[2023-02-02T12:49:18.545Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/866334/1/86>
- [434] 
[CITE@ja[[[高等女子文範]] - 国立国会図書館デジタルコレクション]], [[高井徳造]], [TIME[明38.5][year:1905]], [TIME[2022-04-18T10:25:54.000Z]] <http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/866671/4>
- [840] 
[CITE@ja-JP[蚕桑之緒]], [[山崎良吉]], [TIME[明38.5][1905]], [TIME[2023-01-11T10:47:13.000Z]], [TIME[2023-01-14T12:29:43.281Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/840792/1/3>

]REFS]

-*-*-

[779] 
[TIME[1905-08-10]]に[[日本国]][[山口県]]で発行された記念誌で、
[[征露]]が使われました。

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [780] [CITE(.label)[戦時関門紀念録]],
[V[明治三十八󠄂年八󠄂月十日發行]]
[WEAK[([TIME(.published)[1905-08-10]])]],
[DATA(.addr)[[[日本国]][[山口県]][[下関市]]]]
-- [781] 「[DATA(.text)[[V[征露紀󠄄元第貳年四月貳[BR[]]拾日稿]]]]」
[SRC[>>592 /39]]

]ITEMS]

[782] 
本書は戦時記念を謳っており、巻頭に地元の戦没者の追悼文などを掲載していますが、
後半は地元有力者の[[紳士録]]となっています。
当該部分は名士の1人の略歴で、なぜかその1箇所のみ日付が明示されています。
[[紳士録]]部分は戦争とはあまり関係なく、
当該人物も軍歴はありません。


[REFS[
- [592] 
[CITE@ja-JP[戦時関門紀念録 : 芳魂録・人物録・関門現勢小観 上編]], [[硯海雑誌発行所]], [TIME[明38.8][1905]], [TIME[2023-01-11T10:47:13.000Z]], [TIME[2023-01-14T03:07:27.971Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/778254/1/39> (要登録)
]REFS]


-*-*-

[1271] 
[TIME[1905-05-18]]に発行された[[日本国]][[愛知県]][[名古屋市]]の学校の[[同窓会]]の[[機関誌]]の[[紀元節]]の項に、
[[征露]]があります。


[ITEMS[ [[日時事例]]

- [1274] 
[CITE(.label)[[[愛知縣立醫學専門學校同窓會雜誌]]]],
[[愛知縣立醫學専門學校同窓會]],
[V[明治三十八年五月十五日印刷]],
[V[明治三十八年五月十八日發行]] [WEAK[([TIME(.published)[1905-05-18]])]],
[DATA(.addr)[[[日本国]][[愛知県]][[名古屋市]]]]
-- [1275] 
[CSECTION(.label)[[V[落葉籠]]]],
[[[V[柳涯報]]]]
--- [1272] 
[CSECTION(.label)[[V[紀󠄄元節]]]]
---- [1273] 
「[V[今や[DATA(.text)[征露第二年]]を迎󠄃ふるに際し、[SNIP[]]]]」 ([[明朝体]])
[SRC[>>1270]]

]ITEMS]

[1276] 
[[医学]]系の[[学校]]の[[同窓会]]であり、そもそも[[軍事]]や[[戦争]]を主題とする[[雜誌]]ではないものの、
時節柄、[[戦争]]絡みの記事もあります。会員動静欄には[[出征]]等の記述もあります。


[REFS[

- [1270] 
[CITE@ja-JP[[[愛知縣立醫學専門學校]]同窓會雜誌 (15)]], [[愛知縣立醫學専門學校同窓會]], [TIME[1905-05]], [TIME[2024-07-30T10:51:24.000Z]], [TIME[2024-08-04T08:17:10.754Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1498174/1/75> (要登録)
右下

]REFS]

-*-*-

[992] 
明治38年秋頃に執筆された書籍の[[序文]]には、
本文どころか序文本体にも戦争と直接関係がなくても、
[[講和条約]]に絡めて[[征露]]を使った例があります。

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [995] 
[CITE(.label)@ja-JP[学校園設置法]]
-- [1067] 
[CSECTION[[V[凡例]]]]
「[DATA(.text)[[V[征露第二年十月日露媾和條約の號外を見つゝ]]]]」
[SRC[>>1066]]
- [993] 
[CITE(.label)[吾が易占]], [[内山鉄杖]],
[TIME(.published)[1906-04-08]],
[DATA(.addr)[[[日本国]]]]
-- [994] 
「[DATA(.text)[[V[明治征露第二年[ASIS[謙][ハ]]抑の媾和成るの秋[SNIP[]]]]]]」
に東京で云々
[SRC[>>991]]

]ITEMS]


[996] >>994 「明治征露」という表現が珍しいです。


[REFS[

-
[1066] 
[CITE@ja-JP[学校園設置法]], [[香月善六, 岡村猪之助 閲]], [TIME[明38.12][1905]], [TIME[2023-01-17T10:48:16.000Z]], [TIME[2023-02-24T07:37:05.109Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/811613/1/5>
- [991] 
[CITE@ja-JP[[[吾が易占]] : 活用新式 第1巻]], [[内山鉄杖]], [TIME[明39.4][1906]], [TIME[2023-01-17T10:48:16.000Z]], [TIME[2023-02-02T11:07:17.831Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/760926/1/80>
--
[997] 
[CITE@ja-JP[[[吾が易占]] : 活用新式]], [[高島天籟]], [TIME[大正7][1918]], [TIME[2023-01-17T10:48:16.000Z]], [TIME[2023-02-02T11:21:18.482Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/904942/1/80>


]REFS]

-*-*-



[405] 
[V[明治三十九年四月五日]]
[WEAK[([TIME[1906-04-05]])]]
に発行された[[征韓論]]についての書籍
[WEAK[([[明治時代]]初期に政府職員だった著者の原稿を死後公刊したもの)]]
に付された
「[V[西薩󠄁逸󠄄人孝識󠄂]]」
序文の[[日付]]が、

>
[VRL[
明治三十又󠄂八征露第二年五月
]VRL]

... でした。[SRC[>>406]]

[407] 
[[明治]]と[[征露]]を併記した[[紀年]]で、
しかも[[明治]]と[[征露]]とで[[年数]]の[[表記法][東洋の日時表示]]が異なる点が注目されます。

[408] 
序文の筆者がどのような人物なのか、序文からもウェブ検索からも明らかにできませんが、
[[著者]]と親しくしていた[[鹿児島県]]出身の民間の人士でしょうか。


[REFS[
- [406] [CITE@ja[征韓論分裂始末 - [[国立国会図書館]]デジタルコレクション]], [[長沼熊太郎]], [TIME[明39.4][year:1906]], [TIME[2022-04-06T10:00:54.000Z]] <http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/773370/6>
]REFS]

-*-*-


[312] 
[TIME[1905-04-20]]に[[日本]]で発行された[[大韓帝国]]の解説本の序文日付が[[征露]]でした。

[ITEMS[ [[日時事例]] 

- [946] [CITE(.label)[裏面の韓国]],
[[沖田錦城]],
[TIME(.published)[1905-04-20]]
-- [947] 
序文
「[DATA(.text)[[V[征露二年三月十一日奉天占[ASIS[領][一マ]]の[BR[]]快報至るの日]]]]」
([[明朝体]])
[SRC[>>311, >>48]]

]ITEMS]


[REFS[
-
[311] [CITE@ja[[[裏面の韓国]] - 国立国会図書館デジタルコレクション]], [[沖田錦城]], [TIME[明38.4][year:1905]], [TIME[2022-03-16T08:58:23.000Z]] <http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/766933/3>
-
[48] [CITE@ja[はしがき - [[裏面の韓国]]]]
([TIME[2020-09-08T09:27:41.000Z]])
<https://blog.goo.ne.jp/wasabi-r/e/78ace76cc9b0e06a25c8cecf0a9bed73>
]REFS]


-*-*-

[428] 
[V[明治三十八󠄂年七月十日]] 
[WEAK[([TIME[1905-07-10]])]]
に[[日本国]][[東京府]][[東京市]]で出版された英文学の書籍
[WEAK[([[左上横書き]]の英文と日本語の注釈、[[右上縦書き]]の和訳文が掲載されたもの)]]
の編者の
[CSECTION[[V[は[ASIS[し][2画]]がき]]]]
の[[日付]]が、
「[V[征露第二年六月日本海大海戰大捷[BR[]]祝賀の聲滿天下に囂々たる時]]」
でした。
[SRC[>>427]]

;;
[429] 
ちなみにこの書籍は日本語[[左上横書き]]で書かれた原著者の略歴は
「[L[千七百九十六年]]」
のような[[漢数字]]表記
[SRC[>>427 コマ13]]、
日本語[[左上横書き]]で書かれた英文に対する注釈は
「[L[1119年]]」
のような[[欧州数字]]表記
[SRC[>>427 コマ14]]
でした。
前者は当時として通常の[[日本語]]文、
後者は[[ページ]]番号の[[欧州数字]]や原語の[[ラテン文字]]が混じった特別な文、
という違いでしょうか。


[REFS[
-
[427] 
[CITE@ja[新旧教師 - [[国立国会図書館デジタルコレクション]]]], [[ラム 著清水起正 訳註]], [TIME[明38.7][year:1905]], [TIME[2022-04-18T09:52:06.000Z]] <http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/871207/21>
]REFS]


-*-*-

[497] 
[V[明治三十八󠄂年九月十三日]]
[WEAK[([TIME[1905-09-13]])]]
に[[日本国]][[東京府]][[東京市]]で出版された[[言語学]]の書籍の序文の[[日付]]が、
[[征露]]でした。
[SRC[>>496]]

[ITEMS[ [[日時事例]]
- [633] [DATA(.label)[[CITE[応用言語学]], [[高橋竜雄]]]], [TIME[1905-09]]
-- [634] [DATA(.label)[序文日付]]「[DATA(.text)[[V[征露第二年の八󠄂月]]]]」
]ITEMS]

[498] 
序文には[[日露戦争]]後の[[国語]]のあり方を考えて云々と書かれていました。
本文は[[日露戦争]]と特に関わりのない[[言語学]]の専門書でした。
社会の画期としての[[日露戦争]]が契機になったという程度の意味でしょうか。


[REFS[
-
[496] 
[CITE@ja[[[応用言語学]] - [[国立国会図書館デジタルコレクション]]]], [[高橋竜雄]], [TIME[明38.9][year:1905]], [TIME[2022-04-27T06:26:17.000Z]] <http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/861723/4>
]REFS]

-*-*-

[635] 
[TIME[明治38(1905)年12月][1905-12]]に[[日本国]][[東京都]][[東京市]]で出版された文学書に[[征露]]が使われるなどしていました。
[SRC[>>639]]

[ITEMS[ [[日時事例]]
- [636] 
[CITE(.label)[明治俳文集]],
[V[明治卅八󠄂年十二月廿二日印刷]],
[V[明治卅八󠄂年十二月廿[ASIS[●][塗りつぶし、訂正印]]日發行]]
[WEAK[([TIME(.published)[1905-12]])]],
[DATA(.addr)[[[日本国]][[東京都]][[東京市]]]]
-- [637] ●の下は「[V[九]]」か「[V[六]]」か?
-- [638] 訂正後の記入がないので[TIME[1905-12-20]]か。
しかし印刷[TIME[1905-12-22]]より前の発行になってしまう。
-- [640] 
[DATA(.label)[[CITE[[V[白旗を揚くる記]]]], [[[V[可不知葊]]]]]]
--- [641] 「[DATA(.text)[[V[征露第一年十二月一日]][SNIP[]]]]」
([[明朝体]])
に[[203高地]]を云々
[SRC[>>639 /29]]
-- [642] 
[DATA(.label)[[CITE[[V[勝々山の辞]]]], [[[V[小波]]]]]]
--- [643] 「[DATA[[V[[SNIP[]]まいて明治も甲辰の役より[ASIS[、][零幅]]征露と改元あらしめんなど[ASIS[、][零幅]]論[BR[]]つらふ人も出づる世に[ASIS[、][零幅]][SNIP[]]]]]]」
([[明朝体]])
この山も勝々山と改称したらどうか、云々
[SRC[>>639 /68]]
]ITEMS]

[644] 1つ目の用例 (>>641) は、他でもしばしばそう書かれるように、
[[日露戦争]]の大決戦の日付を[[征露]]によって書き表したものです。

[645] 2つ目の言及 (>>643) は、
[[明治]]を[[征露]]に[[改元]]しようと提案する人が出てきた、
と述べています。
甲辰年は[TIME[明治37(1904)年][1904]]。

[646] 「勝々山」などと書いているように著者の[[小波]]は[[風刺]]的に、
一歩引いた所からみているようです。[[改元]]しようという話も、
これでは真面目な提案なのか与太話程度のものなのか、
脚色があるのかないのかもよくわかりませんが、
しかし当時の人々が[[明治]]の[[元号]]と[[征露]]との関係をどう理解していたのかを推し量る上で興味深い言及です。


[REFS[
- [639] [CITE@ja-JP[明治俳文集]], [[当麻答郎 (小太郎)]], [TIME[明38.12][1905]], [TIME[2023-01-11T10:47:13.000Z]], [TIME[2023-01-12T14:23:05.279Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/875853/1/29> (要登録)
]REFS]

-*-*-

[467] 
[TIME[明治39(1906)年][1906]]に出版された[[日本国]][[山梨県]]の県立[[山梨県農林学校]]々友会
[WEAK[(農林学校は現在の[[山梨県立農林高等学校]]。校友会は[[生徒会]]。)]]
の機関誌中、
年間の出来事を列挙した箇所の[TIME[1905-11-25]]と[TIME[1906-01-13]]の間に、

>
[VRL[
(征露第二年を送󠄃り[ASIS[、][アキなし]]爰に平󠄃和に充ち[ASIS[、][アキなし]]希[ASIS[望][壬]]輝く新年𛄜迎󠄃へぬ)
]VRL]

... とありました。
[SRC[>>466]]

[468] 
終戦の年の末を持って「征露」と呼ぶべき時代が終わり、
平和が回復したので最早「征露第3年」ではないという筆者の認識が読み取れます。


[REFS[
-
[466] 
[CITE@ja[神農. 地巻 - [[国立国会図書館デジタルコレクション]]]], [TIME[明38,39][year:1906]], [TIME[2022-04-25T10:02:59.000Z]] <http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/802304/51>
]REFS]


-*-*-

[456] 
[[大正時代]]に[[宗教団体]]が出版した[[教祖]]の[[伝記]]に,

>
[VRL[
[SNIP[]]三十七[RUBY[年][ねん]]も[RUBY[過󠄃][す]]ぎ[RUBY[行][ゆ]]き[RUBY[翌󠄁][よく]][RUBY[明][めい]][RUBY[治][ぢ]]三十八󠄂[BR[]][RUBY[年][ねん]][RUBY[征][せい]][RUBY[露][ろ]][RUBY[第][だい]]二[RUBY[年][ねん]]の[RUBY[新][しん]][RUBY[春][しゆん]]を[RUBY[迎󠄃][むか]]ふるや、[SNIP[]]
]VRL]

... とありました。 [SRC[>>455]] 
[[教祖]]が山で修行した話で、[[日露戦争]]には関わっておらず、
時勢の説明のために「征露」を使ったもののようです。
(教祖は[[日本海海戦]]の勝利を予言したなど[[日露戦争]]を宣伝に使ってはいました。)

[457] 
同書の79コマには
「[V[[SNIP[]][RUBY[明][めい]][RUBY[治][ぢ]]三十九[RUBY[年][ねん]][RUBY[戰][せん]][RUBY[後][ご]]の[RUBY[第][だい]]一[RUBY[年][ねん]]を[RUBY[迎󠄃][むか]]ふるや、[SNIP[]]]]」
とありました。
また[TIME[1918-01-01]]の[[教祖]]の挨拶文
[CITE[[V[肇󠄁道󠄃第九年の新春を迎󠄃ふ]]]]
において、
140コマには
「[V[[RUBY[[ASIS[茲󠄂][𤣥払𤣥止]]][こゝ]]に[RUBY[肇󠄁][てう]][RUBY[道󠄃][だう]][RUBY[第][だい]]九[RUBY[年][ねん]]の[RUBY[新][しん]][RUBY[春][しゆん]]を[RUBY[迎󠄃][むか]]ふ。]]」、
141コマには
「[V[[SNIP[]][RUBY[明][めい]][BR[]][RUBY[治][ぢ]]四十三[RUBY[年][ねん]][RUBY[秋][あき]]九[RUBY[月][ぐわつ]]を[RUBY[以][もつ]]て[RUBY[[ASIS[茲󠄂][𤣥払𤣥止]]][こゝ]]に[RUBY[太][たい]][RUBY[靈][れい]][RUBY[道󠄃][だう]]を[RUBY[完][くわん]][RUBY[成][せい]][RUBY[肇󠄁][てう]][RUBY[開][かい]]せしめ[BR[]]たり、[RUBY[則][すなは]]ち[RUBY[肇󠄁][てう]][RUBY[道󠄃][だう]]の[RUBY[始][し]][RUBY[年][ねん]]より[RUBY[數][かぞ]]へて[RUBY[當][ま]]さに[RUBY[第][だい]]九[RUBY[年][ねん]]に[RUBY[際][さい]]す、[SNIP[]]]]」
とありました。

[458] 
前者は[[日露戦争]]終結後という社会的なものさしにおいて、
後者は[[宗教]]内のローカルなものさしにおいて、
「征露」と同形式で[[年数]]を数えたものです。
どちらも[[征露]]と違って他の用例は見つけられず、
[[征露]]のように[[紀年法]]としての発達をみることなく終わった事例ともいえます。

[REFS[
- 
[455] 
[CITE@ja[[[太霊道主元伝]] - 国立国会図書館デジタルコレクション]], [[宇宙霊学寮]], [TIME[大正7][year:1918]], [TIME[2022-04-21T12:18:29.000Z]] <http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/907970/75>
]REFS]

-*-*-

[1103] 
[[昭和時代]]に[[日本]]内地の学校の同窓会が発行した学校史の書籍中、
明治38年の部分に、[[征露]]が使われています。

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [1104] 
[CITE(.label)@ja-JP[神陵小史]], [[林森太郎]]
--
[1105] 本文
「[DATA(.text)[[V[明治三十八󠄂年正月征露第二年の元日は[SNIP[]]]]]]」
([[明朝体]])
旅順陥落の號外が云々、...
[SRC[>>1102, >>1256]]


]ITEMS]




[REFS[
- [1102] 
[CITE@ja-JP[神陵小史]], [[林森太郎]], [TIME[1935]], [TIME[2023-03-28T13:58:31.000Z]], [TIME[2023-04-25T09:27:34.958Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1915293/1/97> (要登録)
- [1256] 
[CITE@ja-JP[神陵小史]], [[三高同窓会]], [TIME[昭和10][1935]], [TIME[2024-02-01T05:12:54.000Z]], [TIME[2024-02-20T09:42:18.684Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1464904/1/97> (要登録)


]REFS]

** 日本のその他一般の用例

@@
[1333] 
[CITE[【明治38年征露二年】松里外史 水墨花図 掛軸 落款二顆 由来書き有 - メルカリ]], [TIME[2026-03-01T02:16:15.000Z]] <https://jp.mercari.com/item/m39650142765>



** 「征露第四年」

[359] 
かつて[[日本]]の[[オークション]]サイト[CITE[ヤフオク]]に、
「征露第四年」の軍事郵便とされるものが出品されました。
[SRC[>>17]]


[18] >>17 写真に写っているのは「年」ではなく「軍」(征露第四軍) に見える。

[200] 
本品は[TIME[平成28(2016)年][2016]]春に販売され、
[TIME[同年5月][2016-05]]末時点で[[Web検索]]で容易に発見可能な状態にあり、
当ウィキページにその旨が報告されました [SRC[>>17, >>18]]。
しかしその後商品ページは削除されました。
[WEAK[([CITE[ヤフオク]]では販売終了後の商品ページが消去されるのは普通のことで、特別な事情はないと思われます。いつまで存在していたのかは不明です。)]]
残念ながら [[Internet Archive]] にも保存されておらず、
[TIME[令和4(2022)年3月][2022-03]]時点で本品について[[Web検索]]で発見できるのは、
当ウィキページの >>17 と >>18 の記述だけになっていました。

[360] 
本品の情報がオークション売買のアーカイブサイトに保存されていた
[SRC[>>358]]
のを発見しました。
本段落執筆時点 ([TIME[令和4(2022)年4月][2022-04]]) 
で[[Web検索]]で該当ページは見つけられませんので、
今までに閲覧した人がどれだけいたかはわかりませんが、
アーカイブサイトのデータベース上には販売当時から存在していたと推測されます。

[361] 
アーカイブサイトには、
商品写真も現存しています。
2つ折りの封筒(?)の外側の2面 (宛先、送り主) と、
3回ほど折られた写真付き便箋(?)の1面 (本文) が写っています。
[SRC[>>358]]

[362] 
写真にない面に文字情報があるのかどうか不明ですが、
写真の範囲では「征露第四」と読めるのは封筒裏面の送り主の箇所のみで、
それ以外は「征露第四」ではあり得ない文言です。

[363] 
封筒裏面の送り主の記載は、
[[人名]]の前の通常[[住所]]を書くような部分が「[V[征露第四□]]」から始まります。
やや崩れた文字で書かれており、□は横線が多く「年」のように見えなくもないのは確かですが、
「軍」と読めます。それに続くのは軍の部隊名ですから、
「年」ではなく「軍」と解釈するのが適切です。
逆にこれが「征露第四年」だとすると、ここに[[日付]]を書くのは不自然です。

[364] 終戦から1年以上経過した征露4年に戦地から[[軍事郵便]]で[[日本国]][[島根県]]にこのような手紙を送るのも考えにくいことです。

[365] 
封筒表面には、
「[V[明治三十八年[BR[]]一月二日]]」
([[草書]])
とあります。
消印は2つあり、
どちらも判読困難ですが、
1つは
「[L[□-1-3]]」
(年不明)
と読めます。送信側の消印でしょう。もう1つは受信側でしょうが、判読できません。
本来この手紙は[TIME[1905-01-02]]に書かれたものだったのです。


[REFS[
- [17] [CITE[征露第四年(明治)/軍事郵便/陸軍/日露戦争/絵手紙/砲撃写真 - [[ヤフオク!]]]],
[TIME[2016-05-24 02:01:31 +09:00]],
<http://page22.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/l339972627>
-- 消滅確認 [TIME[2022-03-07T12:11:12.700Z]]
-
[358] 
[CITE@ja[征露第四年 明治 /軍事郵便/陸軍/日露戦争/絵手紙/砲撃写真(その他)|売買されたオークション情報、yahooの商品情報をアーカイブ公開 - [[オークファン]](aucfan.com)]], [[aucfan]], 
開始日時 2016.03.30(水)22 : 45,
終了日時 2016.04.06(水)22 : 45,
[TIME[2022-04-05T09:11:38.000Z]] <https://aucview.aucfan.com/yahoo/l339972627/>

]REFS]

** その他の用例等


[206] 
[CITE[大辞典]] [WEAK[([TIME[西暦1912年][1912]])]],
[CITE[大辞典]] [WEAK[([TIME[西暦1936年][1936]])]],
[[学研]] [CITE[国語大辞典]] [WEAK[([TIME[西暦1978年][1978]])]],
[CITE[日本国語大辞典]] 初版 [WEAK[([TIME[西暦1972年][1972]] - [TIME[西暦1976年][1976]])]]
が
[CSECTION[征露]]
の項を立てて、
[[ロシア]]を攻め討つことを意味すると説明していました。
そのうち[CITE[国語大辞典]]は、
中でも特に[[日露戦争]]を指すと書いていました。
[SRC[>>204]]
([[私年号]]としての説明はありません。)

-*-*-

[89] 
[[日本語]]版[CITE[ウィキペディア]]は、
[[征露]]の[[私年号]]の
「関連項目」
として
「征露丸(正露丸)」
を挙げました。
[SRC[>>1]]

[90] 
しかしながら、
どちらの記事もその「関連」を具体的に記述はしていません。
[SRC[>>1, >>88]]

[91] 
[CSECTION[正露丸]]記事は、
[[日露戦争]]と[[正露丸]]との関係性を説明すると共に、
「「征露」という言葉はロシアを征伐するという意味で[SUP[__&&[&&__21__&&]&&__]]、その当時の流行語でもあった。 」
としました。
[SRC[>>88]]

;;
[94] 
[[フジテレビ]]の[[バラエティー番組]]を再編集した[[雑学]]本らしく、
[[百科事典]]の出典とするに足るだけの注意を払って編纂された書籍かどうか、
不安を感じずにはいられませんが...


[REFS[
- [88] 
[CITE@ja[正露丸 - [[Wikipedia]]]], [TIME[2022-02-19T15:07:02.000Z]], [TIME[2022-02-28T09:41:37.616Z]] <https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A3%E9%9C%B2%E4%B8%B8>
-- [92] 引用:
[CITE[トリビアの泉〜へぇの本〜 1]],
[[フジテレビトリビア普及委員会]],
[TIME[西暦2003年][2003]]
--- [93] 
[CITE@ja-jp[トリビアの泉~へぇの本~(1) | フジテレビトリビア普及委員会 |本 | 通販 | [[Amazon]]]], [TIME[2022-02-28T09:45:48.000Z]] <https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4063527026/wakaba1-22/>


]REFS]


-*-*-

[25] 
[TIME[令和元(2019)年9月][2019-09]]に日本の[[オークション]][[Webサイト]]に出品された木の板に、
「征露元年」云々と墨書されていたとされます。
[SRC[>>26]]

[201] 
オークション情報サイトで出品者撮影とみられる写真が閲覧できますが、
写っている3面には文字が見当たりません。
[SRC[>>26]]
写真にない面に書かれていたと思われますが、
詳細不明です。

[202] 
入手元は「古道具の市」とされており、
元の所在地は[[日本本土]]のどこかである可能性が高いでしょうが、
具体的にどこでどのように使われていたものかは全く不明とせざるを得ません。

[203] 
元年の何月だったか銘文が不明なのは残念です。



[REFS[

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[26] [CITE[【厚さ5cm無垢板】花台木製テーブル展示台本棚箪笥囲炉裏天板ちゃぶ台古道具アンティークインテリアインダストリアル骨董床の間掛花茶道 の落札情報詳細| [[ヤフオク]]落札価格情報 オークフリー]]
([TIME[2020-09-08T08:51:36.000Z]])
<https://aucfree.com/items/r345224829>
]FIGCAPTION]

>古道具の市で見つけた厚さ5cmの無垢板です。
>[SNIP[]]
> 側面に「征露元年」以降日付が墨書きされています。

]FIG]

]REFS]

-*-*-

[626] 
[[日本国]][[愛知県]][[岡崎市]]に、
[[明治時代]]後期の耕地整理事業の記念碑があります。

[627] 
[[明治時代]]当時の事業報告書所収の記念碑銘文には、
文中の[[日露戦争]]に触れた箇所に
「[V[[SNIP[]]我征露第一年[SNIP[]]]]」
([[明朝体]])
とあります。
[SRC[>>625]]

[630] 
この箇所について、
[[大正時代]]の村誌や[[平成時代]]の地元で作られた資料では
「[SNIP[]]我征露第一軍[SNIP[]]」
とされています。
[SRC[>>628, >>629]]

[631] 
進軍状況が書かれたこの箇所は、
文脈的に年より部隊名の方が意味が通りますし、
直後に
「[SNIP[]]第二軍[SNIP[]]」
とあって同じように進軍状況が書かれていますので、
現物から翻刻したのであろう[[大正時代]]や[[平成時代]]の資料の通りとするべきでしょう。

[632] 
同時代の当事者による資料の方がかえって不正確なこともあると注意させられる資料です。
「征露第[VAR[○]]軍」と「征露第[VAR[○]]年」
の混乱が当時から起こることがあったと示す貴重な証拠でもあります。



[REFS[
- [625] 
[CITE@ja-JP[愛知県耕地整理事業報告 第1輯]], [[愛知県]], [TIME[明41,43][1910]], [TIME[2023-01-11T10:47:13.000Z]], [TIME[2023-01-12T13:57:14.438Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/837967/1/88>
- [628] 
[CITE[20190327-144158.pdf]], [TIME[2023-01-12T13:59:02.000Z]] <https://cms.oklab.ed.jp/el/nanbu/index.cfm/7,261,c,html/261/20190327-144158.pdf>
- [629] [CITE[20190228-080031.pdf]], [TIME[2023-01-12T13:59:12.000Z]] <https://cms.oklab.ed.jp/el/nanbu/index.cfm/7,235,c,html/235/20190228-080031.pdf>


]REFS]

-*-*-

[225] 
[[日本国]][[静岡県]][[湖西市]][[新居町]]浜名の[[天神社]]に、
「征露紀年碑」
があります。

[226] 
写真によると表面には「[V[征露紀年碑]]」 ([[篆書]]) と書かれています。
[SRC[>>24, >>228]]

[229] 
裏面にも何か彫られているようです [SRC[>>228]]
が、 [[Web]] 上でこの銘文を示しているものは見つけられません。

[227] 
これを[[征露]]の[[私年号]]と関連付けて紹介する[[ブログ]]記事があります
[SRC[>>24]]
が、銘文にそう書かれているとは書いていません。

;;
[231] 
この地方には「征露」の他に「征清」など戦役関係の石碑がいくつもあるようです。
[SRC[>>230]]


[REFS[

-
[230] 
[CITE@ja[[[湖西市]]新居町にある石碑]], 
[[てんてん]],
[TIME[2022-03-08T10:21:39.000Z]] <https://tenten.dokkoisho.com/sekihi.html>
-
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[24] [CITE@ja[自然と歴史の中を歩く!:[[東海道]]・新居宿を歩く㉚―「征露紀年碑」]],
みんなと倶楽部 ⚓ 掛塚・斉藤さん,
2019年01月23日 05:09,
[TIME[2020-09-08T08:25:49.000Z]]
<https://arukunodaisuki.hamazo.tv/e8312823.html>
]FIGCAPTION]

>
軍国主義に猛進していた日本は、明治37年(1904)を「征露元年」、同38年(1905)を「征露二年」と私年号で呼んでいた歴史もありますので、新元号が何に決まるかが大変注目されるところです。
]FIG]
-
[228] 
[CITE@ja[[[天神社]]の征露記念碑。(湖西市新居町) | ゆきるのなんしょ毎日適当だもんで。]], 
[[ゆきる@T.sax]],
2021-07-31 13:23:00,
[TIME[2022-03-08T10:19:54.000Z]] <https://ameblo.jp/yukiru-832293/entry-12689543309.html>



]REFS]

-*-*-

[536] 
平成時代初期に[[日本国]][[石川県]][[能登]]の[[池田周三家文書]]を[[神奈川大学]]の研究チームが調査し、
征露2年付文書が発見されました。
[SEE[ [[法徳]]に報告からの引用文あり ]]

[537] 
その詳細は不明です。[[神奈川大学]]の目録データベース (技術的にリンク不能)
で検索すると「征露」と題した項目がありますが、
「征露」だけで年数がなく説明も違っていそうです
(写真らしいのですが、ウェブ公開されていません)。
それとは別のようです。
[[神奈川大学]]には写真があるのかもしれませんし、
現地には原本が残されているのでしょうが...


-*-*-


[944] 
[TIME[2023-02-01T09:11:14.800Z]]
<https://dl.ndl.go.jp/pid/3412890/1/18> (非公開)

>歯科学報 = The journal of the Tokyo Dental College Society 10(3)
>雑誌
>(東京歯科大学学会, 1905-03)
>18: (第四信)國としては征露第二年僕としては在米第二年正月費府に於て鶴生啓上辱知諸賢益々御健勝にて玉齡を加へられ大慶の至りに奉存候

[945] 
[TIME[2023-02-01T09:11:48.700Z]]
<https://dl.ndl.go.jp/pid/1566926/1/64> (非公開)

>征露戦報 2(10)
>雑誌
>(実業之日本社, 1905-03)
>64: 込む鯨波の聲そ じ空征露第二年乙巳元旦口占大澤愛堂今年將奏凱歌聲。王師連捷旭旗下。瑞氣祥雲簇帝城

[985] 
[TIME[2023-02-02T09:11:37.000Z]]
<https://dl.ndl.go.jp/pid/3412896/1/20> (非公開)

>歯科学報 = The journal of the Tokyo Dental College Society 10(10)
>雑誌
>(東京歯科大学学会, 1905-09)
>20: の隆盛を祝す亂筆早々征露第二年八月十五日荒野作次郞樺太通信酷暑の砌りに御座候處先生には愈々御〓福に御校益々御隆盛の御事と奉遠察

[984] 
[TIME[2023-02-02T09:10:49.600Z]]
<https://dl.ndl.go.jp/pid/11211335/1/20> (非公開)

>養徳 7(2)
>雑誌
>(養徳社, 1908-02)
>20: らんや。今や我同胞は征露第二年の途上に振古未曾有(三四)の大事を負荷しで動くは啻に日東帝國の興廢

-*-*-

[218] 
[TIME[平成4(1992)年][1992]]に[[日本]]の[[紙パルプ技術協会]]の[[機関誌]]コラムを寄稿した[[山田卓良]]は、
[[一世一元]]ではない[[一世多元]]に共感を示し、
「[SNIP[]]例えば日露戦争で大勝した明治38年に改元し[BR[]]て征露元年にするとか[SNIP[]]」、
「[SNIP[]]どこまでが本気か分らぬ一世多元の元号有用論を[BR[]]説くのは丸山才一氏[SNIP[]]」
だと紹介しました。
[SRC[>>22]]

[219] 
文の構成上[[引用]]の範囲がはっきりしていませんが、
征露元年に改元するべきだったと思ったのは[[丸山才一]]と思われ、
[[山田卓良]]もそれをもっともだと感じたのでしょう。
この文面からは読み取れませんが、
[[丸山才一]]は征露が実際に民間で使われたことを知っていた可能性が高そうです。
[[山田卓良]]が知っていたのかは定かではありません。

[220] 
[[引用]]元ははっきりしませんが、[[作家]]の[RUBYB[[[丸山才一]]][[TIME[1925]]-[TIME[2012]]]]の著作のいずれかでしょうか。

[221] なお,
[TIME[明治38(1905)年][1905]]は終戦の年で、
実際の[[私年号]]の[[征露]]とは1年のズレがあります。


[REFS[
-
[217] [CITE@ja[元号と暦年]], 
[[山田卓良]],
[TIME[1992年1月][1992-01]],
[TIME[2022-03-08T09:17:42.000Z]] <https://www.jstage.jst.go.jp/article/jtappij1955/46/1/46_1_209/_article/-char/ja/>
--[22] [TIME[2020-09-08T08:20:46.000Z]]
<https://www.jstage.jst.go.jp/article/jtappij1955/46/1/46_1_209/_pdf>
]REFS]


-*-*-


[213] 
[[平成時代]]の
[[Webサイト]]のコーナー
[CSECTION[年賀状レトロ美術館]]
に、
「征露元年・明治39年(丙午)午年年賀状・(1906年)」
と題したページがありました。
[SRC[>>21]]

[214] 
このページには明治39年の[[年賀状]]の画像が4点掲載されています。
しかしそのいずれも、「征露」とは書かれていません。
[SRC[>>21]]

[215] 
どうやらこの「征露元年」は、[[Webページ]]の[[著者]]がその時代を表すために説明的に挿入したものであるようです。
この周辺の[[年]]の[[Webページ]]には「征露」の記載はありません。

[216] 
通説によれば征露元年は[TIME[西暦1904年][1904]]ですから、
2年のずれがあります。この[[Webページ]]が何を根拠にこう記述したのかは不明です。


[REFS[


-
[21] [CITE[明治39年(丙午)・征露元年(午年特設展示-レトロ[[年賀状]]美術館)]],
[[株式会社アイデア工房]],
[TIME[2017-04-14T09:01:51.000Z]], [TIME[2020-09-08T08:06:58.027Z]]
<https://www.fuyuki-nenga.com/museum/umadoshi/2-meiji39.html>

]REFS]

-*-*-

[REFS[
-
[52] [CITE@ja[よ~かい@福岡(PSO2-Ship3)さんは[[Twitter]]を使っています 「ロシア側、これ以上の譲歩困難=日本との共同経済活動で専門家:時事ドットコム https://t.co/JNOtdvn2Uc @jijicomより 露助は日本から金だけ引き出して北方4島を活性化させたいだけ。 領土問題なら、征露元年の時の様に奪い取るしかない。」 / Twitter]]
(午後9:42 · 2016年11月22日 [TZ[+09:00]], [TIME[2020-09-09T04:19:24.000Z]])
<https://twitter.com/yohkai_fuk/status/801043256909795330>
]REFS]


[REFS[
-
[58] [CITE@ja[うめ乃🦋三期待機さんはTwitterを使っています 「あんなに優しいひとだったのだから、できるならお日様みたいに温かなひとが寄り添ってくれればいい。 いつかの夜明けに、彼の手を離れた猫がそう願いながらその命を全うしたのは、征露二年の冬のことだった。 《了》」 / [[Twitter]]]],
午後10:24 · 2020年4月15日 [TZ[+09:00]], [TIME[2020-09-09T04:24:02.000Z]]
<https://twitter.com/kashimedama/status/1250414771750354945>
]REFS]

[323] 
[[小説]]。元ネタなどあるのか不明。


* 同時代の観察

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[783] [CITE@ja-JP[[[新公論]] 19(5)]], [[新公論社]], 
[V[明治卅七年六月十五日發行]]
[WEAK[([TIME[1904-06-15]])]],
[TIME[2023-01-11T10:47:13.000Z]], [TIME[2023-01-14T03:21:22.640Z]],
[[日本国]][[東京府]][[東京市]]
<https://dl.ndl.go.jp/pid/11005393/1/48> (要登録)
]FIGCAPTION]

[784] [CSECTION[[V[一彈百裂]]]] ([[隷書体]]),
[V[雜觀記󠄂者]] ([[明朝体]])

>
[VRL[
●明治三十七年何月と書くべきをこの頃[RUBY[征][○]][RUBY[露][○]][RUBY[紀󠄄][○]][RUBY[元][○]][RUBY[第][○]][RUBY[一][○]] [BR[]]
[RUBY[年][○]]何月と書くこと流行す、特に軍人軍族の家族に於い [BR[]]
て。

]VRL]

([[明朝体]])

]FIG]



* 現代における受容

[324] 
[[征露]]は[[私年号]]の代表例として挙げられることが多く、
意外と知名度は高いものです。

[544] 
[[明治時代]]の[[私年号]]ということで[[自由自治]]とセットで紹介されることが多いです。
しかし両者は性格がずいぶん違っていることがわかってきました。
同じ時代だから、あるいは現代人から見た印象が似ているから、
といった理由で一緒くたに扱うと間違った結論に誘導されてしまうおそれがあります。


[326] 
[[令和改元]]に関係して紹介したもの:

[REFS[

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[325] 
[CITE@ja[[[征露]](せいろ)という年号があった? : 「美味しい知識」の収集屋]], 
2019年04月08日,
[TIME[2022-03-22T08:49:29.000Z]] <http://blog.livedoor.jp/oobaka1/archives/51251873.html>
]FIGCAPTION]

>明治時代の日露戦争時(1904年)、民衆の間で「征露(せいろ)」という年号が流行ったそうだ。それは[B[私年号]]と呼ばれる。私年号には、ときの天皇に対抗意識をもって立てられる元号(「[B[偽年号]]」)なども同じ範疇のものとして含まれることもある。
]FIG]

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[327] 
[CITE@ja[100 [[日本の元号]]③近代篇 - 奈良歴史漫歩]], 
[[橋川紀夫]],
2019-04-11,
[TIME[2022-03-22T09:24:14.000Z]] <https://awonitan.hatenablog.com/entry/2019/04/11/100_%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E5%85%83%E5%8F%B7%E2%91%A2%E8%BF%91%E4%BB%A3%E7%AF%87>
]FIGCAPTION]

>私年号の「延寿」(奥州列藩同盟)「自由自治元年」(秩父困民党)「征露二年」(日露戦争)も出現しました。
]FIG]

]REFS]

[1258] 
[[令和改元]]直後に[[オカルト]]雑誌[CITE[ムー]]でもおもしろおかしく紹介されました。
[SRC[>>1257]]

[1259] 
手紙や年賀状などに元年、2年の用例が数多くあった他に
[CITE[吾輩は猫である]]
に
「征露の二年」
があると紹介しています。更に筆者の[[鹿角崇彦]]もはっきり「征露元年」
と書かれた資料を見つけたようですが、それが何であるかは書かれていません。
[SRC[>>1257]]

[1260] 
[[征露]]を[[私年号]]とすることには否定的な意見もあるものの、かなり広い層で用いられたことは疑いがないのだとしています。
[SRC[>>1257]]
これは[[千々和到]]の慎重論を指しているのでしょうか。

[1261] 
[[征露]]は[[日露戦争]]の勝利を願って勝手に使われ始めたある種呪術的な年号で、
その経緯からすれば「征露」こと[[私年号]]の名に相応しいとも言えるともしています。
[SRC[>>1257]]
特に出典はなく筆者の見解なのでしょう。呪術性を明確に指摘するのは独特の主張かもしれません。

;; [1262] 勝利を願って使われたかどうかは難しい、もしかすると判定不能かもしれない命題です。
当時の日本国民、特に出征した軍人は勝利を願っていたはずで、勝利を願''いながら''[[征露]]を使ったことは間違いありません。
勝利を願う''ために''[[征露]]を使ったかどうかは定かではありません。
呪術説をいうなら[[征露]]が勝利を願う手段として使われたとみる根拠が必要です。
古典的には[[私年号]]の呪術性が唱えられていましたが、
近年の[[中世私年号]]の研究では否定的見解が強くなっています。


[REFS[

- [1257] 
[CITE[ムー: 2019年7月号 - [[Google ブックス]]]], [TIME[2024-03-08T13:20:45.000Z]] <https://books.google.co.jp/books?id=N7ibDwAAQBAJ&pg=PA86>

]REFS]


- [1317] 
[CITE@ja[Xユーザーの副主席さん: 「「驚いたことには、私年号は明治期に入っても発生している。それは日露戦争という近代日本最大の困難を乗り切った明治三十七年(一九〇四)を『征露元年』として、一般庶民の間で、これを翌年の年賀状に『征露二年・ 元旦』などと用いたり、碑文に残したりした例が見られるのだ。東京市長の祝捷会の」 / X]], [TIME[午後9:13 · 2025年7月1日][2025-07-01T12:13:38.000Z]], [TIME[2025-07-02T02:05:54.000Z]] <https://x.com/SEI__jou/status/1940020972175991141>
-- [1318] [CITE@ja[Xユーザーの副主席さん: 「文末に征露二年と記した例まであるという」(浅羽通明「うわさが宿した千年王国――平成改元とハルマゲドン幻想」(https://t.co/LHMisEEwc8 所収))」 / X]], [TIME[午後9:16 · 2025年7月1日][2025-07-01T12:16:28.000Z]], [TIME[2025-07-02T02:05:54.000Z]] <https://x.com/SEI__jou/status/1940021686554042704>
-- [1319] 
[CITE@ja[Xユーザーの副主席さん: 「むろんインフラの発達による生活世界の激変は戦後のほうがすごかったのだが、戦前はそれが「戦勝」というエポックメイキングな出来事と結びついていた。 戦後の経済成長はセットで語られうるそこまでの出来事がなかったからこそ、「戦後〇〇年」という形で国民の物語が紡がれ続けたのかもしれない、」 / X]], [TIME[午後8:46 · 2025年7月1日][2025-07-01T11:46:33.000Z]], [TIME[2025-07-02T02:05:54.000Z]] <https://x.com/SEI__jou/status/1940014156566209023>
-- [1320] 
[CITE@ja[Xユーザーの副主席さん: 「あるいは、災害こそが生活世界の激変とセットで語られうるエポックメイキングな出来事になるのかもしれない。 この前お話しした方は、2011年の3.11はもちろんのこと、昭和三陸地震やチリ地震の年月日もパッと出てきて、津波によって激変した生活史を滔々と語ってくれた。」 / X]], [TIME[午後8:49 · 2025年7月1日][2025-07-01T11:49:55.000Z]], [TIME[2025-07-02T02:05:54.000Z]] <https://x.com/SEI__jou/status/1940015006197981407>

;; [1321] おもしろい発想ではあるのだけど、「征露[VAR[何]]年」は[[日露戦争]]終戦翌年以後急速に衰退したこととの関係は考える必要がある。


* 研究史

[1228] 
[CITE[近代諸元号現象]]
は、
[CITE[日本私年号の研究]]
を引いて[[征露]]を紹介しています。
庶民の日常生活に流行した「征露」という言葉で[TIME[西暦1904年][1904]]に言及しているうちに[[元号]]のように感じられるに至ったものとし、
噂ににたような流通経路で相当の範囲に広まったのであろうとしています。
戦勝の興奮が収まるにつれて自然と沙汰止みとなり、
いつまで使われたか不明ながら、
征露3年の用例は存在しないと思われるとしています。
[SRC[>>1227]]

[REFS[

- [1227] 
[CITE[修訂 [[絹と立方体]]]],
p.[L[676]]

]REFS]

* メモ

[REFS[
-
[8] [CITE[Auction - Yahoo Japan Auctions. eBay Japan]],
[TIME[2016-05-24 01:35:30 +09:00]]
<http://www.jauce.com/auction/d168707933>
-- 消滅確認 [TIME[2022-03-04T11:06:11.00Z]]
]REFS]

[172] [[Internet Archive]] にもなくどんな商品だったか既に不明。










[13] [CITE@ja[近代デジタルライブラリー - 読史の趣味]]
( ([TIME[2016-05-24 01:41:49 +09:00]]))
<http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/933652/112>







[SEE[ [[宇宙暦]] ]]






































[60] [CITE[読史の趣味 - Google ブックス]]
([TIME[2020-09-09T04:31:39.000Z]])
<https://books.google.co.jp/books?id=yuI8YiwZLMcC&pg=PP245&dq=%E5%BE%81%E9%9C%B2%E5%85%83%E5%B9%B4>

[943] [CITE@ja-JP[心の花 35(5)]], [[竹柏会]], [TIME[1931-05]], [TIME[2023-01-17T10:48:16.000Z]], [TIME[2023-02-01T09:07:21.378Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/6061436/1/6> (要登録)




[61] [CITE[戊申詔書講義 - Google ブックス]]
([TIME[2020-09-09T04:32:33.000Z]])
<https://books.google.co.jp/books?id=_gGFZfq34ZkC&pg=PP92&dq=%E5%BE%81%E9%9C%B2%E5%85%83%E5%B9%B4>

[62] [CITE[神宫略本曆解 - 中倉祺氐 - Google ブックス]]
([TIME[2020-09-09T04:33:16.000Z]])
<https://books.google.co.jp/books?id=64xEAQAAMAAJ&q=%E5%BE%81%E9%9C%B2>

[63] [CITE[高村家文書: 甲斐国山中村 - Google ブックス]]
([TIME[2020-09-09T04:34:13.000Z]])
<https://books.google.co.jp/books?id=-x-oAAAAIAAJ&q=%E5%BE%81%E9%9C%B2>

[64] [CITE[日本歴史 - Google ブックス]]
([TIME[2020-09-09T04:35:09.000Z]])
<https://books.google.co.jp/books?hl=ja&id=q6c6AAAAIAAJ&dq=%22%E5%BE%81%E9%9C%B2%22>

[65] [CITE[東アジア近代史 - Google ブックス]]
([TIME[2020-09-09T04:36:04.000Z]])
<https://books.google.co.jp/books?id=wqwdAQAAMAAJ&q=%22%E5%BE%81%E9%9C%B2%22>

[66] [CITE[森田正馬評伝 - 野村章恒 - Google ブックス]]
([TIME[2020-09-09T04:36:31.000Z]])
<https://books.google.co.jp/books?id=QM2gAAAAMAAJ&q=%22%E5%BE%81%E9%9C%B2%22>

[67] [CITE[日本人 - Google ブックス]]
([TIME[2020-09-09T04:37:24.000Z]])
<https://books.google.co.jp/books?id=rZTHaT59QvUC&q=%22%E5%BE%81%E9%9C%B2%22>

[68] [CITE[東京經濟雜誌 - Google ブックス]]
([TIME[2020-09-09T04:38:10.000Z]])
<https://books.google.co.jp/books?id=CaBCAQAAMAAJ&q=%22%E5%BE%81%E9%9C%B2%22>

[69] [CITE[Tōkyō keizai zasshi 1879-1923 - Google ブックス]]
([TIME[2020-09-09T04:38:47.000Z]])
<https://books.google.co.jp/books?id=92gMAAAAIAAJ&q=%22%E5%BE%81%E9%9C%B2%22>

[70] [CITE[小諸時代の藤村 - 並木張 - Google ブックス]]
([TIME[2020-09-09T04:39:34.000Z]])
<https://books.google.co.jp/books?id=JndNAAAAMAAJ&q=%22%E5%BE%81%E9%9C%B2%22>

[71] [CITE[むつ市史: 近代編 - Google ブックス]]
([TIME[2020-09-09T04:39:55.000Z]])
<https://books.google.co.jp/books?id=3AQLAAAAMAAJ&q=%22%E5%BE%81%E9%9C%B2%22>

[72] [CITE[諸君 - Google ブックス]]
([TIME[2020-09-09T04:40:35.000Z]])
<https://books.google.co.jp/books?id=oafmAAAAIAAJ&q=%22%E5%BE%81%E9%9C%B2%22>

[73] [CITE[日露戦争従軍将兵の手紙 - Google ブックス]]
([TIME[2020-09-09T04:41:02.000Z]])
<https://books.google.co.jp/books?id=oChMAQAAIAAJ&q=%22%E5%BE%81%E9%9C%B2%22>

[74] [CITE[日露戰爭實記 - Google ブックス]]
([TIME[2020-09-09T04:41:42.000Z]])
<https://books.google.co.jp/books?id=D5JEAQAAMAAJ&q=%22%E5%BE%81%E9%9C%B2%22%20%E5%B9%B4>



- [294] [CITE@ja-jp[[[私の郷土史・日本近代史拾遺]] | 有泉 貞夫 |本 | 通販 | Amazon]], [TIME[2022-03-14T09:00:32.000Z]] <https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/490368038X/wakaba1-22/>
- [293] [CITE[地方史情報117.indd - local-info_117.pdf]], [TIME[2014-01-06T07:02:50.000Z]], [TIME[2022-03-14T08:59:45.652Z]] <http://www.iwata-shoin.co.jp/local/local-info_117.pdf#page=29>


[295] 
>>294 には
>>293
によると
「[L[日露戦[BR[]]争中の「征露」碑文禁止]]」
についての記述があるとのこと。
[[私年号]]の[[征露]]に直接関係しないかもしれませんが、
要注目かと。



[538] [CITE@ja-JP[甲斐国山中村高村家文書 : 高村家史料 第2集]], [[高村家史料調査会]], [TIME[1990.2][1990]], [TIME[2022-12-21T08:14:19.000Z]], [TIME[2022-12-24T06:49:56.593Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9540754/1/116> (要登録)

/1 に写真あり

/156

- [1225] [CITE@ja-JP[信濃 '''['''第3次''']''' 43(6)(498)]], [[信濃史学会]], [TIME[1991-06]], [TIME[2024-02-01T05:12:54.000Z]], [TIME[2024-02-09T14:03:44.523Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/6069980/1/35> (要登録)
右
-- [1226] >>538 を紹介。


[539] [CITE@ja-JP[史跡ある記 続]], [[石島潔, 上尾市企画財政部広報課]], [TIME[1990.3][1990]], [TIME[2022-12-21T08:14:19.000Z]], [TIME[2022-12-24T06:59:19.248Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9644437/1/62> (要登録)

[542] [CITE@ja-JP[農民文学 (93)]], [[日本農民文学会]], [TIME[1971-02]], [TIME[2023-01-04T09:54:44.000Z]], [TIME[2023-01-05T06:42:01.513Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/7919284/1/33> (要登録)

[541] [CITE@ja-JP[月刊世界政経 5(1)]], [[世界政治経済研究所]], [TIME[1976-01]], [TIME[2023-01-04T09:54:44.000Z]], [TIME[2023-01-05T06:29:14.368Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1399903/1/136> (要登録)



[543] 
[[明治時代]]の後に忘れ去られたことも多いけど、[[昭和時代]]に発掘されたのにその後また忘れ去られてる事実も多いなー




[574] 
[[平成時代]]初期の[[宮崎県]]の博物館の目録に[[征露]]年紀のものがあるのです (>>568)
が、
[[平成時代]]末期の[[前川清一]]の論文にも掲載されていません。
隣県[[熊本県]]には詳しい[[前川清一]]でも知る機会がなかったようです。
ということは既に博物館に収蔵され目録に掲載されていても、
未だ[[征露]]私年号資料としては気づかれていないものが今後発見される可能性があるということです。
今回の目録は令和4年末の[[国会図書館]]デジタルの全文検索対象が拡大されたときに検索可能になったと思われます。
今後のデジタル化にも期待です。




[1106] [CITE@ja[Xユーザーのh1totsuy@さん: 「祇園山万年寺天翁院(下野国都賀郡,小山市) 寺院。中世における当地の有力者である小山氏の菩提寺として知られる。「縁台の裏の墨書銘」に私年号「征露」が用いられていた( https://t.co/ErH1qBUI9R )とされるが見た感じだと確認できず、永遠に輝く光となってしまった可能性がある https://t.co/fDbSD9OqXA」 / X]], [TIME[午後7:48 · 2023年9月17日][2023-09-17T10:48:51.000Z]], [TIME[2023-11-07T08:11:21.000Z]] <https://twitter.com/ohss43/status/1703360358684274850>



[1331] [CITE@ja[征露之年とは?意味・由来|旅順降伏記念の鳥居を現地で発見~福岡県水巻町・机伊豆神社~ - 日刊 おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡+旅情報)]], [TIME[2026-01-03T06:59:40.000Z]] <https://reiwa00502.hatenablog.com/entry/2026/01/02/000000>

>>征露之年為旅順降伏紀念

[1332] 
[CITE@ja-JP[奥能登と時国家 調査報告編 1 (文書・書籍)]], [[神奈川大学日本常民文化研究所奥能登調査研究会]], [TIME[1996.5][1996]], [TIME[2026-01-20T01:30:11.000Z]], [TIME[2026-02-06T14:31:23.835Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/13243166/1/102?keyword=%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7> (要登録)
