* 建武 (後漢)

[5] 
[[後漢]]の[[光武帝]]の年号。

[3] 
[CITE@zh[宋書/卷29 - 维基文库,自由的图书馆]], [TIME[2021-10-16T08:02:13.000Z]], [TIME[2021-10-30T08:21:32.778Z]] <https://zh.wikisource.org/wiki/%E5%AE%8B%E6%9B%B8/%E5%8D%B729#cite_note-34>

>漢光武建武十三年九月 「建武」各本並作「建元」,據後漢書光武紀改。

** 建虎

[10] 
[CITE[三国遺事]]
本文中に[DFN[建虎]]
([TIME[y~4003]])
があります。
[SRC[>>8]]

[11] 
[[後漢]]の[[建武]]の意と説明されています。
[SRC[>>8, >>9, >>29]]

[REFS[

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[8] [CITE@zh[[[三國遺事]]/卷第一 - 维基文库,自由的图书馆]], [TIME[2023-04-17T06:26:52.000Z]], [TIME[2023-05-01T13:22:54.406Z]] <https://zh.wikisource.org/wiki/%E4%B8%89%E5%9C%8B%E9%81%BA%E4%BA%8B/%E5%8D%B7%E7%AC%AC%E4%B8%80>
]FIGCAPTION]

>建虎十八年。
]FIG]

-
[29] 
[TIME[2023-05-29T08:56:09.700Z]]
<https://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/record/2003081/files/kor06006.pdf>
#page=15
-
[9] 
[CITE[kor07004.pdf]], [TIME[2023-05-01T12:47:22.000Z]], [TIME[2023-05-01T13:23:59.534Z]] 
<https://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/record/2003088/files/kor07004.pdf>
#page=8

]REFS]

[14] 
[[高麗王]][[恵宗]][[王武]] 
([[在位]] [TIME[943]]-[TIME[945]])
の[[避諱]]で武は虎に置き換えられました。
[SRC[>>12, >>13, >>7862]]

[15] 
[[建虎]]も[[建武]]の[[避諱元号]]と解されます。
[SRC[>>7862]]

[REFS[

- [74] [CITE[[[朝鮮の年号と紀年]]]]
-- [7862] [CITE@ja[[[朝鮮の年号と紀年]](上)]],
[[藤田亮策]],
[TIME[1958-09]],
[TIME[2019-04-06 21:05:42 +09:00]]
<https://toyo-bunko.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=4748&item_no=1&page_id=25&block_id=47>
#page=48

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[12] [CITE[한국사데이터베이스시스템]], [TIME[2023-05-01T13:25:54.000Z]] <https://db.history.go.kr/item/bookViewer.do?levelId=sg_026r_0050>
]FIGCAPTION]

>[SNIP[]]『三國遺事』 권1 王曆에는 호령왕(虎寧王)으로 나온다. 이는 『三國遺事』의 찬자가 고려 혜종(惠宗)의 이름인 무(武)를 피휘(避諱)해서 호(虎)로 고쳐 쓴 것이다. 비교적 늦은 나이인 40세에 동성왕이 시해되면서 왕위에 올랐으며, 여러 현실적인 정책을 펴서 백제를 중흥시킨 군주가 되었다. [SNIP[]]
]FIG]

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[13] [CITE@ko[피휘(避諱) - 한국민족문화대백과사전]], [TIME[2023-05-01T13:26:34.000Z]] <https://encykorea.aks.ac.kr/Article/E0060499>
]FIGCAPTION]

>혜종의 휘자인 ‘무’의 경우 ‘홍무(洪武: 명나라 태조의 연호)’를 ‘홍호(洪虎)’로, 후한 무제(武帝)를 ‘호제(虎帝)’로 바꾸어 썼다. 또한 966년(광종 16) 5월에 세워진 문경의 봉암사 정진대사원오탑비(靜眞大師圓悟塔碑)에 ‘무반(武班)’이라는 관직을 ‘호반(虎班)’으로 피휘하였다.
]FIG]

]REFS]

** 建㱏

[22] [CITE@zh[[[三國遺事]]/卷第二 - 维基文库,自由的图书馆]], [TIME[2023-04-17T06:22:36.000Z]], [TIME[2023-05-02T05:05:28.662Z]] <https://zh.wikisource.org/wiki/%E4%B8%89%E5%9C%8B%E9%81%BA%E4%BA%8B/%E5%8D%B7%E7%AC%AC%E4%BA%8C>

>[SNIP[]]屬建㱏二十四年戊申七月二十七日。[SNIP[]]

[25] [CITE[한국사데이터베이스 비교보기 > 수로왕의 탄생과 육가야의 성립 설화]], [TIME[2023-05-02T05:09:02.000Z]] <https://db.history.go.kr/item/compareViewer.do?levelId=sy_002_0010_0230_0010>

>駕洛國記 [WEAK[文庙朝大康年間, 金官知州事文人所撰也, 今略而載之.]]

>[SNIP[]]屬後漢世祖光㱏帝建㱏十八年壬寅三月禊洛之日[SNIP[]]

[23] 
㱏は定や正の[[異体字]]とされていますが、ここでは武の[[欠画]]なのでしょう。

[27] [CITE@ja-JP[京都帝国大学文学部叢書 第6 巻2]], [[京都帝国大学]], [TIME[大正10][1921]], [TIME[2023-04-25T10:11:41.000Z]], [TIME[2023-05-02T05:32:03.664Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1183694/1/42>

やや癖ありの[[楷書]]、
[V[[ASIS[䢖][⻎]]㱏]]


[26] [CITE@ja-JP[[[三国遺事]] 第2]], [[一然 撰, 坪井九馬三, 日下寛 校訂]], [TIME[1904]], [TIME[2023-04-25T10:11:41.000Z]], [TIME[2023-05-02T05:17:40.371Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/991990/1/34>

[V[建__&&swc503(㱏)&&__]] ([[明朝体]])

[24] 
武の[[欠画]]は他に㱐がありますが、建㱐は[[ウェブ検索]]しても出てきません。
([[翻刻]]は[[武]]に直していることもあるかもしれないので、
原書や画像を調べないとなかったのかはわかりませんが。)



* 建武 (西晋)

[16] 
[[西晋]]の[[恵帝]]
[TIME[y~545]]

[17] [[元年]]は[TIME[西暦304年][304]]。

* 建武 (東晋)

[18] 
[[東晋]]の[[中宗]][[元帝]][[司馬睿]]
[TIME[y~1200]]

[19] 
[[元年]]は[TIME[西暦317年][317]]。


[4] [CITE@zh[宋書/卷33 - 维基文库,自由的图书馆]], [TIME[2021-10-16T08:30:30.000Z]], [TIME[2021-10-30T08:41:16.214Z]] <https://zh.wikisource.org/wiki/%E5%AE%8B%E6%9B%B8/%E5%8D%B733#cite_note-27>

>晉愍帝建武元年 「晉愍帝」各本並作「晉武帝」。按晉元帝稱晉王,改元建武,時愍帝尚在匈奴庭,元帝亦未正位稱帝,故沈約志例稱晉愍帝建武元年。今仍其例,改作晉愍帝建武元年。

** 建虎

[28] [[建武]]の[[避諱元号]] ([TIME[y~4009]])。

[20] [CITE@zh[[[三國遺事]]/卷第一 - 维基文库,自由的图书馆]], [TIME[2023-04-17T06:26:52.000Z]], [TIME[2023-05-02T02:28:37.715Z]] <https://zh.wikisource.org/wiki/%E4%B8%89%E5%9C%8B%E9%81%BA%E4%BA%8B/%E5%8D%B7%E7%AC%AC%E4%B8%80>

>東晉中宗建虎(丁丑)

[21] [TIME[建武元(317)年丁丑][317]]

* 建武 (後趙)

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[6] [CITE@ja[創価大学・創価女子短期大学学術機関リポジトリ]]
([[NetCommons]]著, [TIME[2020-05-02 18:09:24 +09:00]])
<https://soka.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=39086&item_no=1&page_id=13&block_id=68>
]FIGCAPTION]

>  建武五年鏡について

]FIG]

* 建武 (日本)

[7] [[後醍醐天皇]]の年号。

See [[建武の新政]]


[52] 
[CITE@ja-JP[甲斐の石造美術]], [[植松又次]], [TIME[1978.12][1978]], [TIME[2025-02-25T01:55:51.000Z]], [TIME[2025-03-23T06:18:18.472Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12423973/1/94> (要登録)


- [1] 後醍醐はんは、[[光武帝]]が[[漢朝]]再興したみたいに[[天皇家]]の権力を復活させようと意気込んで、[[元号]]も''建武''にしたと言われてます。結果はご存知の通り。

[2] 
[CITE@ja[長崎大学学術研究成果リポジトリ]], [[NetCommons]], [TIME[2021-02-24T12:04:27.000Z]] <https://nagasaki-u.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=24247&item_no=1&page_id=13&block_id=21>
PDF 8ページ

「建武癸酉」


[53] [CITE@ja-JP[粉河町史 第2巻]], [[粉河町史編さん委員会]], [TIME[1986.3][1986]], [TIME[2026-01-20T01:30:11.000Z]], [TIME[2026-02-06T15:02:12.248Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9576112/1/219?keyword=%E5%85%83%E6%AD%A6> (要登録)

元武

* 縫武

[49] 
[DFN[縫武]]
([TIME[y~4190]])
の用例が[[日本]]で1例知られています。

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [30] 
[DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[静岡県]][[小笠郡]][[大須賀町]]]][[三熊野神社]] 宝物 鈴]]
-- [39] 
「[V[[DATA(.text)[縫武二年、楠正成祭修具、乙亥正月元日]]、鎮宅七十士[BR[]]霊符神]]」 ([[明朝体]])
[SRC[>>337]]
-- [38] [[平成の大合併]]で[[日本国]][[静岡県]][[掛川市]]。

]ITEMS]

[40] >>337 にこの鈴と思われる白黒写真がありますが、銘文は判読不能です。
ウェブ検索でも写真は見当たりません。

[32] 
[CH[縫]]は注意してみると[CH[建]]に[CH[糸]]偏を付けたようにも見えます。
[SRC[>>337]]

[36] 
[CH[𦂩]]は[[中華民国]]の「內政部戶政用字」として [[CNS 11643]]
に追加され、 [[Unicode]] にも追加されました。 [SRC[>>37]]
つまり[[台湾]]の[[人名]]にあると思われますが、
それ以外は[[ウェブ検索]]などでもこれといった用例の説明が出てきません。


[31] 
>>337 は >>30 について、銘文から[[楠木正成]]の冥福を祈って作られたものに間違いないと断定します。
しかし[TIME[延元元(1336)年丙子5月25日][kyuureki:1336-05-25]]に死去した[[楠木正成]]と[TIME[''建''武2(1335)年乙亥1月1日][kyuureki:1335-01-01]]は一致しません。
[SRC[>>337]]

[33] 
[[元号]]をわざと1年間違えて[[月日]]も違えながらも、
[[楠木正成]]であることには相違ないと、地元では十分承知していたといいます。
[SRC[>>337]]

[34] 
>>337 は聞いたことのない[[偽年号]]を使い表向き誤魔化したのは、
謀反人等支配権力に憚る人を祀る場合の常套手段だとします。
そして[[元和]]の13天の事例や[[偽名]]で墓に葬った事例をいくつか挙げます。
[SRC[>>337]]

[35] 
>>337 はまた、[[偽年号]]を使って支配者を憚る必要があった[[足利政権]]の時代の作であるとし、
「乙亥」は制作年ではなく没年を建武2年と合わせるための偽作だろうとしています。
[SRC[>>337]]

[43] 
一方社伝では、
建武2(1335)年元旦に[[新田義貞]]が戦勝祈願のため[[楠木正成]]の鈴を奉納したとされます。
[SRC[>>42, >>41]]
銘文には[[新田義貞]]の名が無いので、他の伝承によると思われます。

[44] 
銘文は[[楠木正成]]を追悼するものと解釈するより、
[[楠木正成]]の持ち物の[[鈴]]だったと解釈する方が自然に思われます。

[45] 
史実かどうかはともかくとして、
[[鈴]]が[[楠木正成]]の持ち物だったのを、
生前の建武2年1月1日付で奉納していた、
と銘文が主張していると読めば、
日付と死去の日はそもそも無関係で、
何の矛盾も隠蔽もないことになります。

[46] 
隠蔽工作だとすれば、命日をわざわざ不自然に書き換えているのに、
[[楠木正成]]の名前がそのまま書かれているのは極めて不可解です。

[47] 
[CH[建]]が[CH[縫]]に置き換わったのは、
何らかの意図があったとも誤記とも断定できるだけの材料がありません。

[48] 
[[建武]]から離れた時代になって、何らかの資料から書き写した時に、
伝写の過程で文字が書き換わっていたその資料 ([SEE[ [[秘伝書の日時]] ]]) 
の誤りを引き継いだとも考えられますが、
確証はありません。

[51] 
この鈴が作られた時代や[[銘文]]が書かれた時代はよくわかりません。




[50] 
>>337 のいう[[偽年号]]がどのようなものかはいまいちよくわかりませんが
([SEE[ [[偽年号]] ]])、
ともかく、
[[縫武]]は[[私年号研究者]]には知られていなかったようで、
[[令和時代]]に至るまで[[私年号]]や[[異年号]]の一覧に掲載されてこなかったようです。


[REFS[

- [337] 
[CITE@ja-JP[宗良親王信州大河原の三十年・東海信越南北朝編年史]], [[松尾四郎]], 
[V[発行  [TIME[昭和五十六年十二月][1981-12]]]], [TIME[2024-05-28T02:01:58.000Z]], [TIME[2024-07-26T14:42:52.271Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12270332/1/69> (要登録)
- [42] 
[CITE[furusatoyokosuka]], [TIME[2014-10-24T05:07:21.000Z]], [TIME[2024-07-27T02:17:12.921Z]] <http://earth1.g2.xrea.com/furusatoyokosuka.html>
- [41] 
[CITE@ja[三熊野神社について]], [TIME[2014-05-27T00:49:00.000Z]], [TIME[2024-07-27T02:17:00.760Z]] <http://www4.tokai.or.jp/mikuma/about.html>
- [37] 
[CITE@zh-Hant['''['''𦂩''']''' 15-5133 - 字形資訊 - CNS11643 中文全字庫]], [[CMEX中文數位化推廣基金會]], [TIME[2024-07-27T02:05:41.000Z]] <https://cns11643.gov.tw/wordView.jsp?ID=1003827>


]REFS]


* メモ

[FIG(short list data)[ [[文字]]

:[F[文字]]:[CH[縫]]
:[F[字形類似]]:[CH[𦂩]]

]FIG]

