* 建興 (晋)

[1] [CITE[長い[[年号]]ベスト13: 年号迷路]], [TIME[2021-05-02T06:59:58.000Z]] <http://gaowei.cocolog-nifty.com/nengo/2005/05/post_a3c5.html>

[2] [CITE[89_KJ00003672642.pdf]], [TIME[2021-11-28T02:44:01.000Z]] <https://www.jstage.jst.go.jp/article/shigaku/89/1/89_KJ00003672642/_pdf/-char/ja#page=16>

[3] 
[SEE[ [[前涼の元号]], [[永楽]] ]]

* 建興 (高句麗)

[ITEMS[ [[日時事例]]

-[6] 
[DATA(.label)[金銅光背]]
-- [4] 
「[DATA(.text)[建興五年歳在丙辰[SNIP[]]]]」
[SRC[>>7862]]

]ITEMS]

[5] 
[[朝鮮]][[忠州郡]]老隠面山中で出土したとされ、
[[朝鮮人]]が[[朝鮮半島]]在住[[日本人]]に販売し、
その数年後の大正4年に[[黒岩勝美]]が入手し、
[[朝鮮総督府]]博物館に収めました。
[SRC[>>28, >>7862]]

[7] 
銘文から[[高句麗]]または[[百済]]とされ、
出土地から[[百済]]の鋳像と考えられました。
[SRC[>>7862, >>1643]]
[[黒岩勝美]]は[[百済]]仏としました。
[[藤田亮策]]は様式から6世紀中期から7世紀初頭のものとしました。
(また、扶余発見の光背に「甲申年」銘のものがあり、
ほぼ同時期としました。)
[SRC[>>7862]]
[[久保常晴]]は6世紀末としました。
[SRC[>>1643]]

[8] 
1字目は不明確で、「建」と読めますが、「延」だという説もあります。
[SRC[>>7862, >>12]]
が、あまり支持されておらず、やはり「建」だとされます。
[SRC[>>7862, >>1543]]

[9] 
[[延興]]の利用は[[百済]]史的にあり得ることとはいえ [SRC[>>1543]]、
[TIME[北魏延興6(476)年丙辰][476]]とは年数が[[1年ずれ]] [SRC[>>7862]]
るのは大問題です。


[21] 
[[中国の元号]]や[[渤海の元号]]に[[建興]]はいくつかありますが、
時代 (様式) も[[干支年]]も合いません。
[SRC[>>26, >>28, >>1717 (서영대1992 [CITE[譯註 韓國古代金石文(I)]] [CSECTION[建興五年丙辰銘 金銅光背]])]]

[27] 
[[黒板勝美]]は[TIME[大正5(1916)年][1916]]に仮説と前置きした上で、
様式と出土地、銘文から[[百済]]の[[元号]]で[TIME[西暦536年][536]] ([TIME[y~2189]]) 
または[TIME[西暦596年][596]] ([TIME[y~2188]]) と推測しました。
[SRC[>>34, >>26]]

[29] 
同じく[[黒板勝美]]は[TIME[大正14(1925)年][1925]]に様式と出土地、銘文から[[百済]]の[[元号]]で[TIME[西暦596年][596]] 
([TIME[y~2188]]) と推測しました。
[[百済]]説を取りながらも[[高句麗]]の可能性も指摘していました。
[SRC[>>36, >>28]]

;; [31] 大正4年に知ってからの大正5年の講演の説は「速報」的な考察で、
大正14年の説が熟考を経たものなのでしょう。

[33] 
[[関野貞]]は、[TIME[大正12(1923)年][1923]]度に、
おそらく[[百済]]の[[逸年号]]で[TIME[西暦596年][596]] 
([TIME[y~2188]]) だろうとしました。 [SRC[>>35, >>32]]
根拠は明記されていません。

[38] 
[TIME[大正8(1919)年][1919]]の[[朝鮮総督府]]
[CITE[朝鮮金石総覧]]は
「[V[□興五年歳在丙辰[SNIP[]]]]」 ([[明朝体]])
とし、統一[[新羅]]時代の末尾に時期空欄で収録していました。
[SRC[>>37]]
[[葛城末治]]はこれを当時拓本のみで調査したためだと説明しています。
[SRC[>>39]]

[41] 
[TIME[昭和10(1935)年][1935]]の[[葛城末治]]
[CITE[朝鮮金石攷]]
は、
[[黒板勝美]]と[[関野貞]]の説に従い、
様式などから[TIME[西暦596年][596]] 
([TIME[y~2188]]) としました。 [SRC[>>39]]

[10] 
[[藤田亮策]]は[[百済]]の[[元号]]で、
[TIME[西暦536年][536]] ([TIME[y~2189]]) または[TIME[西暦596年][596]]
([TIME[y~2188]]) と推測しました。
[SRC[>>7862]]

;; [57] 
[[藤田亮策]]説は百済元号説の早いものとして紹介されることがありますが
[SRC[>>56 #page=7]]、
実際には先行研究に見解を付け加えた程度で、どちらかといえば遅いものです。


[15] 
[CITE[日本私年号の研究]]は[[百済]]の[[元号]]で、
[TIME[西暦596年][596]]
([TIME[y~2188]]) と推測しました。
[SRC[>>1543]]

[14] 
[CITE[日本私年号の研究]]
は史書にないので[[私年号]]としています。
[SRC[>>1543]]
[[史書から漏れたもの][逸年号]]かもしれず「一応」と留保されていて、
十分検討した上での判断ではありません。
[SEE[ [[私年号]] ]]

[20] 
[[紀年]]に[[歳在]]が現れる点は注意されます。
[SRC[>>1543]]
[SEE[ [[歳在]] ]]

[42] 
[[百済]]の[TIME[西暦596年][596]]説 ([TIME[y~2188]]) は[[昭和時代]]を通じて定説となっていました。

[25] 
[[中吉功]]は[[百済]]の[TIME[西暦536年][536]]としました
([TIME[y~2189]])。
[SRC[>>1717 ([CITE[新羅・高麗の仏像]], [TIME[1971]])]]

[59] 
[[昭和時代]]の研究者[[坂元義種]]は、
[[百済]]説を踏襲した上で、
[[中国の元号]]で[[建興]]は2代皇帝や[[建元]]後第2[[元号]]に使われている、
国が興り盛んになる意のものであることから、
[[百済]]もそれに倣って第2の[[元号]]として使ったものだと推測しました。
[SRC[>>58]]

;; [60] [[元号名]]の意味の推測は大喜利になりがちな中で、
このような方法の推測は珍しいです。
あまり検討されていない分野なので、深化が望まれます。
[SEE[ [[元号名]] ]]
(逆に言えば現段階ではヒントの1つに使える程度で、
断定的な材料にはなりがたいです。)

[61] 
[[元年]]に当たる[TIME[西暦532年][532]]、[TIME[西暦592年][592]]に[[百済]]の権力高揚や誇示を伺わせる記録は
[CITE[三国史記]]
に見当たりません。
[SRC[>>58]]

[68] 
[TIME[昭和49(1974)年][1974]]の[[日本]]の論文では[[建興]]が[[百済]]の[[元号]]だと当然のように前提にしていて、
未だそれが通説だったことがわかります
[SRC[>>67]]。


[24] 
その後出土地は南下した[[高句麗]]の領土だったと考えられるようになりました。
[TIME[西紀1978年][1978]]の[CITE[[[中原高句麗碑]]]]発見後、
[[高句麗]]作とする説が有力になりました
[SRC[>>1717 ([CITE[高句麗の金石文]], [[田中俊明]], [CITE[[[朝鮮史研究会論文集]] 18]], [TIME[1981]])]]。
[[建興]]も[[高句麗の元号]]と考えられるようになりました。

;; [43] [[田中俊明]]が[[高句麗]][[元号]]説まで踏み込んだかは不明。

[46] 
[[이병도]] ([[李丙燾]]) は[CITE[[[中原高句麗碑]]]]の発見時に碑文に
「高麗建興四年」
とあると主張しました [SRC[>>45, >>55]]。
[[大韓民国]]ではその後の研究者は否定的 [SRC[>>45]] とされます。
([SEE[ [[□熙]] ]])
一方で[[中華人民共和国]]の研究者は21世紀初期にもその読みを採用していて [SRC[>>52]]、
[[中文]]版[CITE[维基百科]]もそれに従っています [SRC[>>51]]。

[53] 
[CITE[[[中原高句麗碑]]]]の碑文、
高句麗の建興4年、
建興5年丙辰を組み合わせると、
該当するのは[TIME[西暦475年][475]]、
[TIME[西暦476年丙辰][476]]となります。
[SRC[>>52]]


[47] [[이병도]]はそれを根拠に[TIME[西暦476年][476]]説
([TIME[y~730]])
を唱えました。
[SRC[>>1717 ([CITE[中原 高句麗碑에 대하여]], [[李丙燾]], [CITE[[[史學志]] 13]], [TIME[1979]])]]


[44] 
[[朝鮮民主主義人民共和国]]の研究者
[[손영종]] ([[孫永鍾]]) [SRC[>>1717 ([CITE[금석문에 보이는 삼국 시기의 몇 개 년호에 대하여]], [CITE[력사과학]] 1966-4), >>1689]]
は、
[[安藏王]]が[TIME[西暦531年][531]]5月に死去、
[[安原王]]が[TIME[西暦532年][532]]に[[建元]]があったとして、
[[高句麗の元号]]の[TIME[西暦536年][536]]説
([TIME[y~2189]])
を取りました。
[SRC[>>56]]

;; [63] 
[[손영종]] 
個人がどうかはわかりませんが、[[朝鮮民主主義人民共和国]]の研究者は[[高句麗]]独自元号説を
(特に理由がなくても) 取りがちです。
[SEE[ [[高句麗の元号]] ]]
[TIME[西暦1966年][1966]]というかなり早い段階での[[高句麗]]説ですが、
[[高句麗]]だという十分な根拠があってのことでしょうか。
それとも数撃ってあたった感じでしょうかね?


[62] 
[[黃壽永]] [SRC[>>1689]] は[TIME[西暦536年][536]]説
([TIME[y~2189]])。

[22] 
[[서영대]] [SRC[>>1717 (서영대1992 [CITE[譯註 韓國古代金石文(I)]] [CSECTION[建興五年丙辰銘 金銅光背]])]],
[[임기환]] [SRC[>>1689]],
[[이승호]] [SRC[>>1717]] は[TIME[西暦596年][596]]説
([TIME[y~2188]])。

[64] 
[[大西修也]]は、
造像銘の仏教史学的解釈から北朝の系譜で[[高句麗]]の[TIME[西暦536年][536]]または[TIME[西暦596年][596]]としました。
[SRC[>>56 ([CITE[日韓古代彫刻史論]], [[大西修也]], [TIME[2002-02]], [CSECTION[第六部 日韓古代彫刻の造像銘研究]])]]



[23] [[王光錫]]は[TIME[西暦476年説][476]]。
[SRC[>>1689]]


[48] 
[[新羅]]の[[建福]] ([TIME[y~229]]) の誤記説もあります。
[SRC[>>1717 (文明大1980)]]
しかし[TIME[建福'''5'''(588)年戊申][588]], [TIME[建福13(596)年'''丙辰'''][596]]で遠いです。

[49] 
現在の[[大韓民国]]では[[高句麗]]の[TIME[西暦536年][536]] ([TIME[y~2189]]) 
または[TIME[西暦596年][596]] ([TIME[y~2188]]) 説が有力となっています。
[SRC[>>1717]]

[65] 
[CITE[三国史記]]の[[高句麗]]王の在位年に最もよく合致するのは[TIME[西暦536年][536]] 
([TIME[y~2189]]) 説です。
しかし[[延嘉]]との兼ね合いが問題となります。


-*-*-

[30] 
[[黒板勝美]]は、
[[法興寺]]と関係する[[日本]]の[[法興]]と同じように、
[[百済]]の[[王興寺]]と関係すると推測しました。
[SRC[>>28]]

[17] 
[[西田長男]]は、
[[法興寺]]を記念した[[日本の私年号]]の[[法興]]と同じように、
[[建興寺]]を記念した[[建興]]が[[日本]]にあって、
それを[[百済]]でも利用したと主張しました。
[SRC[>>16, >>1643 (>>16)]]

;; [18] 
[[法興]] ([TIME[y~1223]]) は[TIME[西暦591年][591]]が[[元年]]で、
[[建興]]とは[[1年ずれ]]ます。

[19] 
[[法興寺]]や[[建興寺]]の造立開始はちょうど両[[元年]]の頃に当たります。
[[日本]]の[[正朔]]を[[百済]]が奉じたかどうかはともかく、
偶然にしては出来すぎた[[寺院]]名と[[元号名]]の2対の一致は興味深いものですが、
その後の研究者はあまり検討していないようです。
[[建興]]の[[元号]]と[[日本]]との関係が見えないのがこの説の弱点でしょうか。


[REFS[

-
[34] 
[CITE@ja-JP[[[考古学雑誌]] = Journal of the Archaeological Society of Nippon 6(6)]], [[日本考古学会]], [TIME[1916-02]], [TIME[2023-05-30T10:04:52.000Z]], [TIME[2023-06-07T10:15:44.619Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/3548212/1/34> (要登録)
-
[37] 
[CITE@ja-JP[[[朝鮮金石総覧]] 上]], [[朝鮮総督府]], 
[V[大正八󠄂年三月三十日發行]],
[TIME[大正8-12][1923]], [TIME[2023-05-30T10:04:52.000Z]], [TIME[2023-06-07T10:31:09.909Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/946079/1/88>
-
[35] 
[CITE@ja-JP[朝鮮史講座 特別講義]], [[朝鮮史学会]], [TIME[〔1923-1924〕][1924]], [TIME[2023-05-30T10:04:52.000Z]], [TIME[2023-06-07T10:18:41.621Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/925920/1/38> (要登録)
-
[36] 
[CITE@ja-JP[考古学雑誌 = Journal of the Archaeological Society of Nippon 15(6)(308)]], [[日本考古学会]], [TIME[1925-06]], [TIME[2023-05-30T10:04:52.000Z]], [TIME[2023-06-07T10:22:13.750Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/3548323/1/9> (要登録)
-
[39] 
[CITE@ja-JP[朝鮮金石攷]], [[葛城末治]], [TIME[1935]], [TIME[2023-05-30T10:04:52.000Z]], [TIME[2023-06-07T10:34:46.443Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/3437831/1/110> (要登録)
-
[26] 
[CITE@ja-JP[[[虚心文集]] 第3]], [[黒板勝美]], [TIME[昭14至15][1940]], [TIME[2023-05-30T10:04:52.000Z]], [TIME[2023-06-07T09:47:50.223Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1266384/1/47>
-
[28] 
[CITE@ja-JP[[[虚心文集]] 第4]], [[黒板勝美]], [TIME[昭14至15][1940]], [TIME[2023-05-30T10:04:52.000Z]], [TIME[2023-06-07T09:59:38.260Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1266398/1/181>
-
[32] 
[CITE@ja-JP[朝鮮の建築と芸術]], [[関野貞]], [[関野博士記念事業会]], [TIME[1941]], [TIME[2023-05-30T10:04:52.000Z]], [TIME[2023-06-07T10:08:19.309Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1871937/1/49>

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[16] 
[CITE[[[日本古典の史的硏究]] - [[西田長男]] - Google ブックス]], 
[TIME[1956]],
[TIME[2023-06-03T09:42:15.000Z]] <https://books.google.co.jp/books?id=DycGAAAAMAAJ&q=%E5%BB%BA%E8%88%88>
]FIGCAPTION]


>思ふに、之は我が國の私年號の「法興」「法興元」と一聯のもので、かの法師寺たる飛鳥寺即ち法興寺と尼寺たる豊浦寺即ち建興寺との寺の創立を記念して建てられた年號を百濟に於ても使用したのであるまいか。
このとき彼の隣では却って我が國の正朔を奉じてゐたのでなからうか。尤も我が国では崇峻天皇の四年が元年で、そこに一年の相違を横たへる第一章古事記・日本書紀の歴史的信憑性四.

>
四百擠には私年號が存しなかつたやうであるから、それはシナの年號であつて、而も百擠がその正朔を奉じなければならないやうな、それに封していはば従屬關係に置かしめられてゐた國の年號でなければならない。

>
これ兩國の交渉の史籍に見える最初とせられるが、如上の七支刀の銘文には、之より先き三年、太和四年の年號の親はれるよりするに、百は、咸安二年以前に於て既に東晋に朝貢して、その正朔を受けてゐたのを知られるのである。
蓋し、それは我が大和朝廷に對すると同じく、對高句麗關係に於て、何等かの援助を彼の國に仰がうとする政治的意闘に出たものであらうと思はれる。山」「取是山と奏してゐるが、これ既記の如きを感謝した言葉に外ならないであらう。(之に「白西、而我、是 ...

>
制天朝一我國政¡當然天皇暴召之 」と推定する外はないやうに思はれる。 ...
「百擠王」とあるから、それはこの百擠の、建國以後滅亡に至る間のものでなければならない。但し、三國史記、百擠本紀第二、近肖古 ... の私年號としては、忠州釋迦像造像記に見える「建興」といふのがあるにはある。
その元年は威徳王の三十九年と推定せられ、崇峻天皇の五年に嘗る。

>
位者皆忻辛巳朔乙酉、皇太子 四條以外にも、冒頭の清次に このやうにして同じ山部のでも、古事記では安康記に、書紀では雄略 ... 
などに参照して私に推定したものであらうと思はれる。殊に月日までも一々推定したのは、餘りにもその模範とした漢史の闇にとらはれ過ぎてゐるやうにも思はれる。つて我が國に干友や年號が一般に通行されるやうになったと考へられる欽明朝以前の書紀の紀年は、その一つ一つに就て検討を ...




]FIG]

- [74] [CITE[[[朝鮮の年号と紀年]]]]
-- [7862] [CITE@ja[[[朝鮮の年号と紀年]](上)]],
[[藤田亮策]],
[TIME[1958-09]],
[TIME[2019-04-06 21:05:42 +09:00]]
<https://toyo-bunko.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=4748&item_no=1&page_id=25&block_id=47>
#page=17
- [1542] [CITE[[[日本私年号の研究]]]]
-- [1543] [CSECTION[第四章 朝鮮半島の公年号と僭竊年号・私年号]],
p.[V[五八󠄃]] [V[[YOKO[(2)]]]]
--- [12] 
引用:
[CITE[百済美術]],
[[軽部慈恩]],
[TIME[昭和21(1946)年][1946]]
---- [13] 
[CITE@en-us[Amazon.co.jp: [[百済美術]] (1946年) : 軽部 慈恩: Japanese Books]], [TIME[2023-06-03T09:30:51.000Z]] <https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000JBMND2/wakaba1-22/>
-
[67] 
[CITE@ja-JP[[[日本美術工芸]] (434)]], [[日本美術工芸社]], [TIME[1974-11]], [TIME[2023-05-30T10:04:52.000Z]], [TIME[2023-06-18T08:29:10.314Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/2281903/1/20> (要登録)
-
[58] 
[CITE@ja-JP[百済史の研究]], [[坂元義種]], [TIME[1978.7][1978]], [TIME[2023-05-30T10:04:52.000Z]], [TIME[2023-06-14T09:45:18.105Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12173013/1/196> (要登録)
-
[1689] 
[CITE@ko[高句麗의 年號에 대한 小考 | [[국회도서관]]]], 
[[임기환]],
[TIME[1997-03-01]],
[TIME[2023-06-05T12:15:07.000Z]] <https://dl.nanet.go.kr/search/searchInnerDetail.do?searchType=INNER_SEARCH&resultType=INNER_SEARCH_DETAIL&searchMehtod=L&searchClass=S&controlNo=KINX2007120506&queryText=&zone=&fieldText=&prevQueryText=KINX2007120521%3AALL_NI_TOC%3AAND&prevPubYearFieldText=&languageCode=&synonymYn=&refineSearchYn=&pageNum=&pageSize=&orderBy=&topMainMenuCode=&topSubMenuCode=&totalSize=1&totalSizeByMenu=1&seqNo=&hanjaYn=Y&knowPub=&isdb=&isdbsvc=&tt1=&down=&checkedDbIdList=&baseDbId=&selectedDbIndexIdList=&caller=&asideState=&dpBranch=ALL&journalKind=&selZone=ALL_NI_TOC&searchQuery=KINX2007120521>
(全文画像閲覧可能)
p.15
- [52] 
[CITE[中原高句麗碑考釋]], 
[[耿鐵華]], [[楊春集]],
[CITE[[[通化師範學院學報]] 第22卷第1期]], [TIME[公元2001年2月][2001-02]]
-
[1717] 
[CITE@ko[고구려의 稱元法과 年號 운용]], 
[[이승호]] ([[Lee, Seung-ho]]),
[TIME[2020]],
[TIME[2023-06-06T09:59:10.000Z]] <https://www.kci.go.kr/kciportal/ci/sereArticleSearch/ciSereArtiView.kci?sereArticleSearchBean.artiId=ART002607784>
([[PDF]] 全文あり)
-
[56] 
[CITE[[[百済紀年考]]]], #page=6 ... #page=7
-
[45] 
[CITE@ko[자료일람 | 한국사데이터베이스]], [TIME[2023-06-07T12:28:07.000Z]] <https://db.history.go.kr/id/gskh_001_0010_0030_0010>
-
[55] 
[CITE@ko[자료일람 | 한국사데이터베이스]], [TIME[2023-06-13T13:45:47.000Z]] <https://db.history.go.kr/id/kn_078_0010_0030>
- 
[51] 
[CITE@zh[建興 (高句麗) - [[维基百科]],自由的百科全书]], [TIME[2023-05-31T11:01:42.000Z]], [TIME[2023-06-13T12:28:41.625Z]] <https://zh.wikipedia.org/wiki/%E5%BB%BA%E8%88%88_(%E9%AB%98%E5%8F%A5%E9%BA%97)>

]REFS]

-*-*-

[54] 
なお、[CITE[中原高句麗碑]]を

>高麗建興四年五月……十二月廿三日甲寅……辛酉年

と読んで建興4年を[TIME[西暦475年][475]]とする場合、
この年は閏3月、11月壬辰朔、[TIME[11月23日甲寅][kyuureki:0475-11-23]]、[TIME[12月辛酉朔][kyuureki:0475-12-1]] (甲寅日なし) となります。
そのため[[高句麗]]では閏12月があったとして、12月壬辰朔、12月23日甲寅と考えます。
[SRC[>>51]]



-*-*-


[11] [[歳在]]も参照。

[50] [[[CITE[桓檀古記]]の日時]], [[百済年号]]も参照。

[66] 
[CITE[桓檀古記]]に登場することから、
[[長寿王]]の時代に当てはめて[[建興]]の元年は[TIME[西暦412年][412]]かとするものがありますが、
それ以上の根拠はなさそうです。



[40] [CITE@ko[고구려의 稱元法과 年號 운용]], [TIME[2023-06-04T12:38:04.000Z]] <https://www.kci.go.kr/kciportal/ci/sereArticleSearch/ciSereArtiView.kci?sereArticleSearchBean.artiId=ART002607784>
([[PDF]] 全文あり)
#page=25


[69] [CITE@ja[Xユーザーのhosikitaさん: 「一昔前に書かれた古代朝鮮に関する論文に「三国それぞれが年号を建てた」とあるのを発見し、七支刀の「泰■」を百済年号と見る見解に立っているのだろうか、と一瞬困惑した。しかし、論文の発表が中原高句麗碑の発掘前であったことに気がつく。なるほど、高句麗年号の「建興」を百済年号と見たわけだ。」 / X]], [TIME[午後8:01 · 2019年2月7日][2019-02-07T11:01:27.000Z]], [TIME[2024-08-21T06:39:48.000Z]] <https://x.com/hosikita/status/1093464754884997121>

[70] 
[CITE@ja-JP[赤松俊秀教授退官記念国史論集]], [[赤松俊秀教授退官記念事業会]], [TIME[1972]], [TIME[2026-03-03T01:08:12.000Z]], [TIME[2026-03-06T08:27:48.171Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12211783/1/154?keyword=%E9%81%BA%E5%B9%B4%E5%8F%B7> (要登録)



* メモ