* 元号名

** 延寿

[66] 
[[延喜]]を[DFN[延寿]]と表記したと思われる事例が知られています。

*** 用例

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [8] [DATA(.label)[[[曼殊院文書]] [CITE[熾盛光図位様]]]]
-- [11] >>7 : [[一字異音年号]] [L[1]]
-- [18] 
[DATA(.label)[表]]
「[V[以山王院唐本写図之]]」
[SRC[>>7]]
-- [9] 
[DATA(.label)[奥書]]
「[V[[DATA(.text)[延壽四年歳次甲子二月廿九日甲午]]清凉坊之本今延久三年[SNIP[]]如本寫]]」
[SRC[>>3]]
--- [61] 
「[V[延寿四年歳次甲子二月廿九日甲午[BR[]]清凉坊之本今延久三年[SNIP[]]如本写[BR[]]大治三年[SNIP[]]応徳二年[SNIP[]]承安三年[SNIP[]]]]」
[SRC[>>7]]
-- [10] 
[DATA(.label)[裏]]
「[V[安貞二年八月廿四日於大原高座房賜南御房御本書写了[SNIP[]]良契]]」
[SRC[>>7]]

]ITEMS]

-*-*-

- [63] 
[CITE@ja-JP[民俗文化研究所紀要 (1)]], [[民俗文化研究所]], [TIME[1964-07]], [TIME[2026-09-15T01:13:48.000Z]], [TIME[2026-10-18T09:29:12.494Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/2267154/1/58?keyword=%E5%BB%B6%E5%AF%BF> (要登録)

[64] >>63 本文中に[V[延寿四年甲子八月]] ([[明朝体]])。[[延喜]]の誤りか。

*** 諸説

[67] 
前近代のものは一例のみ知られています。幾時も転写を繰り返した写本です。

[68] 
書写履歴や[[干支]]や[[固有名詞]]から、[[延寿]]は[[延喜]]に比定されています
(>>12)。

[69] 
[CH[喜]]は[[字形]]が[CH[壽]]と似ており、混同されたと思われる事例がいくつか知られています。
[SEE[ [[嘉と喜]] ]]

[70] 
当事例もその一つなのでしょう。

[5] [CITE@ja-JP[向日市史 上巻]], [[向日市]], [TIME[1983.3][1983]], [TIME[2023-01-17T10:48:16.000Z]], [TIME[2023-01-22T14:23:01.138Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9575206/1/140> (要登録)
右上写真

[[OCR]]は「[V[延喜四年]]」を延壽四年と誤読。字形潰れて外枠は確かに延壽のようにも見える。
よく見ると右下が「寸」ではないことはわかるが。

*** 研究史

[62] 
[TIME[昭和18(1943)年][1943]]の書籍は、
>>9
を紹介して、
「[V[延[RUBY[壽][喜カ]]四年歳次甲子([L[1564]])]]」 ([[明朝体]])
と注釈しています。
[SRC[>>3]]

[REFS[

- [3] 
[CITE@ja-JP[昭和現存天台書籍綜合目録 上巻]], [[渋谷亮泰]], [TIME[昭和15-18][1943]], [TIME[2026-09-15T01:13:48.000Z]], [TIME[2026-10-18T09:24:41.657Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1123635/1/347?keyword=%E5%BB%B6%E5%AF%BF> (要登録)

]REFS]

-*-*-

[12] 
昭和42年の
[CITE[日本私年号の研究]]
は、
[[異年号]]のうち[[私年号]]ではなく[[一字異音年号]]に属するものの1つとして、
>>8
を挙げて、

- [13] 「唐本」とあって一見[[中国の年号]]の印象を受けるが、
-- [14] 該当するものなし、
-- [15] [[新羅]]の[[私年号]]や[[高昌国]]にあるが、[[干支年]]不一致
- [16] [TIME[延久3(1069)年][1069]]以前であること明らか
- [17] [[山王院]]は入唐僧[[円珍]]、その将来経典の1つと思える
-- [19] [TIME[寛平2(890)年][890]]入寂、
-- [20] [[清凉坊]]本とすること、
-- [21] より寛平以後が妥当性濃い
- [22] この期間内の甲子年は延喜4年、萬寿元年、康保元年
-- [23] 発音、4年甲子より、延喜4年
-- [24] 2月29日甲午からも裏付け
- [26] 当初からか、延久以後の誤写か不明
-- [27] 誤写として、いつか不明
-- [28] 安貞2(1228)年8月24日以前であることは明らか
- [29] 単に誤ったのか、[[同音異字年号]]にみられるよう特定の意志で変更したか、
他に資料なく判断できない

... と述べています。 [SRC[>>7]]

[25] なお、他の[[一字異音年号]]として[[寛寿]], [[寿慶]]を挙げています。

[65] 
その後は[[令和時代]]に至るまで、[[私年号研究]]の文脈で紹介した事例は知られていません。

[REFS[

- [2] [CITE[[[日本私年号の研究]]]]
-- [7] pp.[V[一九〇]]-[V[一九五]]

]REFS]


*** 関連

[SEE[ [[延寿]] ]]

[4] [CITE@ja-JP[松阪文芸史]], [[桜井祐吉]], [TIME[昭12][1937]], [TIME[2023-01-17T10:48:16.000Z]], [TIME[2023-01-22T14:09:51.386Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1186285/1/71>
左

干支と年齢から[[延享]]の誤り

** 延嬉

[60] 
[[延喜]]が[DFN[延嬉]]と表記されたと見られる事例が知られています。

*** 用例

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [31] [DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本]][[山城国]]]] [[醍醐三宝院]] [[文書]]]]
-- [40] >>39 : [V[四七]]
-- [46] >>45 : [V[一六]] [SRC[[[三宝院文書]]]]
-- [47] 
「[V[一、柏原庄文書櫃一合納[BR[]][SNIP[]][BR[]]郡司立巻墾田、新券一巻六枚[BR[]]              [DATA(.text)[延嬉四年九月五日]]]]」
([[明朝体]])
[SRC[>>39]]
--- [32] 
「[V[一柏原庄文書櫃一合納[BR[]][SNIP[]][BR[]]  郡司立券[OKURI[ノ]]墾田、新券一卷、六枚、  [DATA(.text)[延嬉四年九月五日]]]]」
([[明朝体]])
[SRC[>>39]]
--- [41] 延嬉四年 [SRC[>>30 ([CITE[坂田郡志]])]]
-- [42] 
「[V[[DATA(.text)[文治二年四月八日]]]]」 ([[明朝体]])
[SRC[>>39, >>45]]

]ITEMS]

[53] 
[[文治]]2年の時点で[[三宝院]]に延嬉四年文書が所蔵されていたものと思われます。

[54] 
延嬉四年文書自体の情報が見当たらず、現存していないのかもしれません。

[REFS[

- [39] 
[CITE@ja-JP[坂田郡志 上]], [[坂田郡]], [TIME[大正2][1913]], [TIME[2026-09-15T01:13:48.000Z]], [TIME[2026-10-18T08:39:47.838Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/925912/1/95?keyword=%E5%BB%B6%E5%AC%89>
-- [43] 
[CITE@ja-JP[近江国坂田郡志 第8巻]], [[名著出版]], [TIME[1971]], [TIME[2026-09-15T01:13:48.000Z]], [TIME[2026-10-18T08:47:03.704Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9569521/1/201?keyword=%E5%BB%B6%E5%AC%89> (要登録)
-- [44] 
[CITE@ja-JP[近江国坂田郡志 7巻]], [[日本資料刊行会]], [TIME[1975]], [TIME[2026-09-15T01:13:48.000Z]], [TIME[2026-10-18T08:47:25.582Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9569339/1/200?keyword=%E5%BB%B6%E5%AC%89> (要登録)
- [45] 
[CITE@ja-JP[山東町史 史料編]], [[山東町史編さん委員会]], [TIME[1986.10][1986]], [TIME[2026-09-15T01:13:48.000Z]], [TIME[2026-10-18T08:48:05.935Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9571715/1/42?keyword=%E5%BB%B6%E5%AC%89> (要登録)

]REFS]

*** 諸説

[55] 
用例は一例のみ知られています。目録であり、実物は不明です。

[56] 
[[延嬉]]という[[元号名]]が当時のものなのか、文治時代の目録作成時のものなのか、不明です。

-*-*-

[57] 
[[天治]]以前で、4年があり、[[同音]]で、
大きな矛盾が生じないということで[[延喜]]に比定されていると思われます。

[58] 
目録のみで材料が少ないものの、これまで明確な論証が行われていないようなので、
再確認する作業が望まれます。

-*-*-

[49] 
[CH[喜]]と[CH[嬉]]は、[[現代]]では完全に別字ですし、
[[前近代]]に於いても必ずしも交換可能で用いられた[[異体字]]とは言い切れないもので、
[[甲骨文字]]の時代に既に別字であったとされています。

[50] 
一方で、[CH[喜]]と[CH[嬉]]を[[異体字]]の関係とするものもあり [SRC[>>48]]、
両者が[[通用]]して使われた場面もあったのではないかと思われます。

[59] 
だとすると、さほど強い意図はなく、あるいは[CH[嬉]]がより正式な表記という (正しくない)
認識のもとで、[CH[喜]]を[CH[嬉]]に置き換えて表記された可能性もありそうです。

[REFS[

- [48] 
[CITE@ja[異体字リスト – 東文研 総合検索]], [TIME[2026-10-18T09:00:41.000Z]] <https://www.tobunken.go.jp/archives/%E7%95%B0%E4%BD%93%E5%AD%97%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88/>

]REFS]

*** 研究史

[33] 
昭和39年の[[久保常晴]]の論文は、
[[同音異字の異年号]]の1つとして
>>31
を[[延喜]]に比定しています。
[SRC[>>30]]
しかしそれ以上の詳細は記載されていません。

[51] 
昭和42年の[CITE[日本私年号の研究]]にはなぜか掲載がありません。

[52] 
その後[[令和時代]]に至るまで、[[私年号研究]]の文脈で紹介された事例は知られていません。

[REFS[

- [30] [CITE[[[我が国の私年号に関する研究 (一) ―平安時代より南北朝まで―]]]]

]REFS]

** 延禧

[34] 
[CITE[紀元類聚考]]に、[DFN[延禧]]があります。
[SRC[>>37 ([CITE[紀元編]])]]

[35] 
[CITE[紀元編]]は、
>>34
を[[延喜]]の誤りとしています。
[SRC[>>37]]

[38] 
昭和42年の[CITE[日本私年号の研究]]は、
[[私年号]]でなく[[私年号的諸資料]]の本文中 (単独立項なし)
で、
>>37
を紹介しています。
[SRC[>>37]]
昭和39年の論文も立項していないのは同様です。 [SRC[>>30]]

[REFS[

- [36] [CITE[日本私年号の研究]]
-- [37] p.[V[四九四]]

]REFS]



** 延嘉

[SEE[ [[延嘉]] ]]

* 延喜からの改元

[SEE[ [[延長]] ]]

* 延喜帝

[SEE[ [[元号名の君主名]] ]]




* メモ

[6] 
[CITE@ja-JP[百家説林 : 10巻 巻4]], [[今泉定介, 畠山健 共編]], [TIME[1890-1892][1890]], [TIME[2025-12-18T02:09:35.000Z]], [TIME[2025-12-20T07:16:01.528Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/993394/1/75?keyword=%E5%BB%B6%E5%96%9C>

