[3] 
[DFN[康正]]は、[[日本の公年号]]の1つです。

* 元号名

[37] 
関係が深い[[元号名]]として[[享正]]があります。
[SEE[ [[享正]] ]]

[36] 
[[きう正]]表記の例があり、[[干支年]]から[[康正]]と推測されています。
[SEE[ [[仮名書き年号]] ]]


* 1年ずれ康正




** 正木文書の康正元年

[323] 
[[岩松]]氏の残した文書群である[[正木文書]]のほとんどの[[足利成氏]]文書には、
[[年付]]が付けられていません。
文書を受け取った[[岩松]]氏が到来の年月日を書き加えたものは少なからずあります。
[SRC[>>288]]

[324] 
[[岩松]]氏の書き加えた到来の[[年号]]のほとんどは[[享徳]]ではなく[[公年号]]です。
[SRC[>>288]]

[344] 
しかし、[[正木文書]]の[[到来書]]には「享徳四年」や[[延長年号]]の
「享徳五年」も複数確認されています。
[SRC[>>342]]

[356] 
享徳5年の事例として、

[ITEMS[ [[日時事例]]
- [325] [DATA(.label)[[[正木文書]] 168号]]
-- [369] [DATA(.label)[日付]] 「[DATA(.text)[[V[正月十六日]]]]」
[SRC[>>367 /155]]
-- [360] [DATA(.label)[到来書]] 「[V[到来  [DATA(.text)[享徳五  正月十七日]]]]」
[SRC[>>288, >>367 /155]]
]ITEMS]

があります。
[[康正]]への[[改元日]]は[TIME[享徳4(1455)年7月25日][kyuureki:1455-07-25]]ですから、
半年以上の[[延長年号]]です。
[SRC[>>288]]

[HISTORY[
[357] かつてはこれが唯一享徳5年の[[延長年号]]と説明されていました [SRC[>>288]]
が、実際には享徳5年のものが複数ある [SRC[>>342]] ようです。
見逃されていたのでしょうか、それとも数え方が違うのでしょうか。
]HISTORY]

[326] 
[[改元]]を知らずに享徳5年1月を迎えたとすると、
康正元年 (= 享徳4年) は存在しないはずです。ところが、

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [327] [DATA(.label)[[[正木文書]] 238号]]  (写本)
-- [131] [DATA(.label)[到来書]] (追記)「[V[[DATA(.text)[康正元 卯月八日]]到来]]」
[SRC[>>288, >>342 ([CITE[群馬県史]]資料編5), >>367 /167]]
-- [329] [DATA(.label)[文書の日付]]「[DATA(.text)[[V[卯月七日]]]]」
[SRC[>>288, >>342 ([CITE[群馬県史]]資料編5), >>367 /167]]

]ITEMS]

があります。これに関連して

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [328] [DATA(.label)[[[川島恂二所蔵文書]]二号[CITE[足利成氏書状包紙]]]] (封紙)
[SRC[>>288 ([CITE[群馬県史]])]]
-- [522] [DATA(.text)[到来書]]「[V[到来  [DATA(.text)[康正元年卯八󠄂日]]]]」
[SRC[>>342, >>367 /174]]

]ITEMS]

は[[正木文書]]238の包紙で原本であること疑いなしとされます。
[SRC[>>288]]
従って「康正元」は書写時の書き加えとは考えられません。 [SRC[>>288, >>342]]

[343] 
従来これは[TIME[康正元(1455)年][1455]]とされてきました。
しかし[[康正]]への[[改元日]]は[TIME[享徳4(1455)年7月25日][kyuureki:1455-07-25]]ですから、
これは[[遡及年号]]です。
[SRC[>>342]]


[330] 
[[改元]]前に新元号を知ったとは考えられないので、
[[改元]]後のある時期に書き加えられたことになります。 [SRC[>>288]]
ただ、
到来書は到着してそれほど間を開けずに書くのが普通でしょうから [SRC[>>342]]、
最低でも3ヶ月以上は置いてから書き加えたとすると不自然さが否めません。

;; [368] 
[[正木文書]] 151 [SRC[>>367 /152]]
は日付が4月6日、到来書が享徳4年4月7日と、[[月日]]だけみればちょうど1日違いです。
こちらでは普通に享徳4年になっているので、その翌日だけ違う扱いになっているのはやはり不自然です。


[345] 
ところで、

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [358] 
[DATA(.label)[[[正木文書]] 二四一号 成氏御内書写]]
-- [372] 
[DATA(.label)[日付]]
「[DATA(.text)[[V[九月十八日]]]]」
[SRC[>>367 /168]]
-- [359] 
[DATA(.label)[到来書]]
「[V[[DATA(.text)[康正元  九月十八󠄂日]]到来]]」
[SRC[>>342, >>367 /168]]


]ITEMS]

があります。[TIME[康正元(1455)年][1455]]とありますが、
内容と他の史料からこの[[文書]]の[[日付]]は[TIME[康正2(1456)年9月17日][kyuureki:1456-9-17]]と確定されています。
[SRC[>>342]]

[361] 
正木文書241 (>>358) の「元」年は従来誤記と考えられていました。
[SRC[>>342]]
これが実は[TIME[西暦1456年][1456]]のことを「康正元年」扱いしているのだとすると、
正木文書238 (>>327) の「元」年も[TIME[西暦1456年][1456]]の可能性があります。

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [370] 
[DATA(.label)[[[正木文書]] [V[二四二]] [CITE[[V[足利成氏書狀案]]]]]]
-- [371] 
[DATA(.label)[日付]]
「[DATA(.text)[[V[三月五日]]]]」
[SRC[>>367 /168]]
-- [374] 
[DATA(.label)[到来書]]
「[V[[DATA(.text)[康正元 六月六日]][BR[]]到来]]」
[SRC[>>367 /168]]

]ITEMS]

[346] 
[[正木文書]]の「康正元年」 
が[TIME[康正2(1456)年][1456]]を指すと仮定すると、

= 「享徳四年」 (西暦1455年) →
= 「享徳五年」 (西暦1456年) →
= 「康正元年」 (238号、241号、242号)  →
= 「享徳五年」 (147号 西暦1456年9月)

となって文書の順序関係に矛盾は生じません。
[SRC[>>342]]

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [376] 
[DATA(.label)[[[正木文書]] [V[一四七]] [CITE[[V[足利成氏感狀案]]]]]]
-- [377] 
[DATA(.label)[日付]]
「[DATA(.text)[[V[[RUBY[九月][(正カ)]]十九日]]]]」
[SRC[>>367 /151]]
-- [378] 
[DATA(.label)[到来書]]
「[DATA(.text)[[V[到来享徳五 [RUBY[九月][(正カ)]]廿日]]]]」
[SRC[>>367 /151]]
- [380] 
[DATA(.label)[[[正木文書]] [V[一四八]] [CITE[[V[足利成氏書狀案]]]]]]
-- [379]  
[DATA(.label)[日付]]
「[DATA(.text)[[V[二月二日]]]]」
[SRC[>>367 /151]]
-- [381]  
[DATA(.label)[到来書]]
「[DATA(.text)[[V[到来享徳五 二月二日]]]]」
[SRC[>>367 /151]]
- [382] 
[DATA(.label)[[[正木文書]] [V[一四九]] [CITE[[V[足利成氏書狀案]]]]]]
-- [383] 
[DATA(.label)[日付]]
「[DATA(.text)[[V[正月十六日]]]]」
[SRC[>>367 /151]]
-- [385]  
[DATA(.label)[到来書]]
「[DATA(.text)[[V[到来享徳五 正月十七日]]]]」
[SRC[>>367 /151]]
- [384] 
[DATA(.label)[[[正木文書]] [V[一五〇]] [CITE[[V[足利成氏書狀案]]]]]]
-- [386]  
[DATA(.label)[日付]]
「[DATA(.text)[[V[正月廿八日]]]]」
[SRC[>>367 /151]]
-- [387]   
[DATA(.label)[到来書]]
「[DATA(.text)[[V[到来享[RUBY[徳 正][(五カ)]]月廿八日]]]]」
[SRC[>>367 /151]]



]ITEMS]

[388] 
[[正木文書]]147 (>>376) は[CITE[群馬県史]]が「九月」を「正月」
の誤記かと注釈しています。根拠は不明です。内容でしょうか、
それとも時期が孤立しているからでしょうか。
記載通り9月だとすると、
[[正木文書]]241 (>>358) が9月18日、[[正木文書]]147が9月19日、20日で連続していて、
前者が「康正元」、後者が「享徳五」です。
このタイミングで[[岩松持国]]にどのような変化があったのか、
というのが問題になってきます。

;; [60] 「正」と「九」を書き間違えるだろうか、しかも当月に、という疑問はあります。

[389] 
[[正木文書]]中でこの[[到来書]]があるのは享徳4(1455)年、享徳5(1456)年、康正元年の[[足利成氏]]から[[岩松持国]]への[[文書]]に限られます。
[TIME[康正3(1457)年][1457]]に当たるものはありません。
長禄2年と推定される[[正木文書]] 158「[V[閏正月十七日]]」
[SRC[>>367 /153]]
がありますが、
[[岩松持国]]は[TIME[長禄2(1458)年][1458]]8月に[[室町幕府]]方に寝返ります。
到着日を書き入れる必要があった享徳4(1455)年 (正月ないし3月) から[TIME[西暦1456年][1456]]
(9月)、
という期間にも何か意味はあるのでしょうか。




[REFS[

-
[367] 
[CITE@ja-JP[[[群馬県史]] 資料編 5 (中世 1 古文書・記録)]], [[群馬県史編さん委員会]], [TIME[1978.12][1978]], [TIME[2024-01-05T08:01:52.000Z]], [TIME[2024-01-12T12:47:24.069Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9641586/1/152> (要登録)
-
[288]
[CITE[[[足利成氏文書と不改年号]]]]
- [342] 
[CITE[[[岩松持国の改元認識―「正木文書」の到来書をめぐって―]]]]

]REFS]

** 香取文書の康正元年

[56] 
[[日本国]][[千葉県]]香取地域の[[香取文書]]などに[[康正]]の用例がいくつか残ります。

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [41] 
[DATA(.label)[[[案主家文書]] [V[一五二 [CITE[案主光房畠地十五年期買券案]]]]]]
「[DATA(.text)[[V[康正元年[LINES(smaller)[ひのゑの][子]]十二月廿六日]]]]」
[SRC[>>12, >>40 /234]]
]ITEMS]

[48] 
[TIME[丙子(1456)年][1456]]だとすると、
[[公年号]]の[TIME[康正'''2'''(1456)年丙子12月26日][kyuureki:1456-12-26]]にあたります
(>>57)。



[ITEMS[ [[日時事例]]
- [43] 
[DATA(.label)[[[案主家文書]] [V[一五八 [CITE[津宮村麥畠検注取帳案]]]]]]
-- [45] 
「[V[[SNIP[]][DATA(.text)[康正二年[LINES(smaller)[丁][丑]]五月十日]][SNIP[]]]]」
[SRC[>>40 /236]]
-- [44] 
[DATA(.label)[端裏書]]
「[V[[LINES(smaller)[丁][丑]]津宮村[SNIP[]]]]」
[SRC[>>40 /236]]
-- [51] >>40 正誤表
「[V[康正二]]」を「[V[康正三]]」に [SRC[>>40 /10]]
--
[46] 
[DATA(.label)[[CITE[千葉県史料]]の[[目次]]]]
「[V[康正三年五月十日]]」
[SRC[>>40 /30 ]]
- [1] 
[DATA(.label)[[[案主家文書]] [CITE[津宮村麦検注取帳案]]]],
康正三年五月十日
[SRC[>>148 ([[旧案主家文書]] 一五八号 >>40 p.396 = >>40 /236)]]
--
[39] 
「[V[[SNIP[]][DATA(.text)[康正三年[LINES(smaller)[丁][丑]]五月十日]][SNIP[]]]]」
[SRC[>>38 /18]]
]ITEMS]

[49] 
158号は少しややこしいことになっています。
[[明治時代]]の翻刻では康正3年でした (>>39)。
ところが[[昭和時代]]の翻刻では康正2年になっています (>>45)。
[[昭和時代]]の方にも正誤表があって、康正2年から康正3年に訂正されています。
目次では元から正しく康正3年になっています (>>46)。

[50] 
[TIME[丁丑(1457)年][1457]]だとすると、
[[公年号]]の[TIME[康正3(1457)年丁丑5月10日][kyuureki:1457-5-10]]にあたります。

[52] 
これはただの誤植なのでしょうか。
よくある誤りとはいえ、ものがものだけに原本でも確認したいところです。


[ITEMS[ [[日時事例]]

- [2] 
[DATA(.label)[[[案主家文書]] [CITE[大畠村横宇麦畠検注取帳案]]]],
康正三年五月十四日
[SRC[>>148 ([[旧案主家文書]] 一五九号 pp.397-398)]]
- [SEE[ [[きう正]] ]]
--
[47] 
[DATA(.label)[[CITE[千葉県史料]]の[[目次]]]]
「[V[きう正三年五月十四日]]」
[SRC[>>40 /30 (pp.396-397)]]

]ITEMS]

[53] 
>>148 は康正3年と紹介していますが、 >>40 には「きう正三年[LINES(smaller)[丁][之]]」
とあり、丁丑年と解釈されています。
[SEE[ [[きう正]] ]]
[TIME[丁丑(1457)年][1457]]だとすると、
[[公年号]]の[TIME[康正3(1457)年丁丑5月11日][kyuureki:1457-5-14]]にあたります。
なお、 
>>38 
では「きう正年」
と翻刻されています。

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [71] [[新福寺文書]] 康正3年丁丑9月21日
-- [SEE[ [[享正]] ]]
- [26] 
[DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[千葉県]][[香取市]]]] [[大龍寺]] [[板碑]]]]
「[DATA(.text)[[V[康正三年[LINES(smaller)[丁][丑]]十月]]]]」
[SRC[>>25]]
-- [54] 
[TIME[公年号康正3(1457)年丁丑][1457]]10月
--- [55] 
[TIME[康正3(1457)年9月28日][kyuureki:1457-09-28]] [[長禄]]に[[改元]]
[[延長年号]] +1月

]ITEMS]



[REFS[

-
[38] 
[CITE@ja-JP[[[香取文書纂]] 巻之11]], [[伊藤泰歳, 村岡良弼 校]], [TIME[明39-41][1908]], [TIME[2024-01-05T08:01:52.000Z]], [TIME[2024-01-20T06:03:43.695Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/815209/1/18> (要登録)
-
[42] 
[CITE@ja-JP[[[香取文書纂]] 巻之12]], [[伊藤泰歳, 村岡良弼 校]], [TIME[明39-41][1908]], [TIME[2024-01-05T08:01:52.000Z]], [TIME[2024-01-20T06:45:31.405Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/815210/1/4> (要登録)
-
[40] 
[CITE@ja-JP[[[千葉県史料]] 中世篇 香取文書]], [[千葉県史編纂審議会]], [TIME[1957]], [TIME[2024-01-05T08:01:52.000Z]], [TIME[2024-01-20T06:08:47.967Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/3450860/1/236> (要登録)
- [148] [CITE[[[香取文書にみる中世の年号意識]]]]
- [25] [CITE[大龍寺(だいりゅうじ)観音種子板碑]], [TIME[2013-06-23T01:20:00.000Z]], [TIME[2024-01-20T02:54:17.423Z]] <http://kawai24.sakura.ne.jp/tiba-katori-dairyuji-2.html#1457>

]REFS]

[57] 
以上によれば[TIME[康正3(1457)年丁丑][1457]]の用例がいくつかありますが、明確に康正2年である例は未発見です。
そして康正元年が1例あります (>>41) が、[[干支年]]が合わず、
[[干支年]]に従えば康正2年に相当するはずのものです。

[58] 
[[案主家文書]]には[TIME[享徳5(1456)年丙子7月28日][kyuureki:1456-07-28]]まで、
[[新福寺文書]]を含めると[TIME[享徳5(1456)年丙子11月17日][kyuureki:1456-11-17]]までの用例があり、
[TIME[享徳4(1455)年乙亥7月25日][kyuureki:1455-07-25]]の[[康正]]への[[改元]]後も長らく[[享徳]]の[[延長年号]]がこの地域で使われたことが知られます。
[SEE[ [[享徳]] ]]

[59] 
件の「康正元年[LINES(smaller)[ひのゑの][子]]十二月廿六日」 (>>41)
が[[元号年]]を信じて[TIME[康正'''元'''(1455)年乙亥12月26日][kyuureki:1455-12-26]]とすると、
享徳4年と享徳5年が続く中に康正元年が混じって不自然です。
[[干支年]]を信じて[TIME[康正2(1456)年'''丙子'''12月26日][kyuureki:1456-12-26]]とすると、
享徳5年 → 康正元年 → 康正3年の順に並びます。
[SRC[>>148]]


[70] 
政治情勢との関係は[[関東の延長年号]]を参照。

** その他の東国の康正元年

- [8] [CITE@ja-JP[[[日本版画美術全集]] 第1巻 (古代版画)]], [[講談社]], [TIME[1961]], [TIME[2024-01-05T08:01:52.000Z]], [TIME[2024-01-19T13:14:03.143Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/8799305/1/52> (要登録)

[9] >>8 
[[日光]]の[[輪王寺]]に伝わる[[真言八祖]]の[[版木]]2枚。
裏表に各2祖ずつ彫られている。
1つには

- [11] 「康正元丙子六月日」

と刻まれていて、また1つには

- [12] 「応永参十三年三月十日」

と刻まれているとのこと。

- [10] [TIME[日本応永33(1426)年丙午3月10日][kyuureki:1426-03-10]]
- [13] [TIME[丙子(1456)年][1456]]6月
-- [14] [TIME[康正元(1455)年][1455]]

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [22] 
[DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[埼玉県]][[川越市]]]] [[喜多院]]境内東照宮傍ら古墳地 [[板碑]]]]
「[DATA(.text)[[V[康正元[LINES(normal)[道性善][年丙子][修  禅]]]]]]」
[SRC[>>21 ([[日本国]][[埼玉県]][[川越市]][[岸町]] [[船津長喜]]の記録)]]


]ITEMS]

;; [27] [[喜多院]]と[[仙波東照宮]]の間にある[[慈眼堂古墳]]のあたり?
[[暦応]], [[延文]]の[[板碑]]が文化財指定されているが、康正は不明。
この一帯には他にも[[古墳]]が点在する。

[NOTE[

- [23] [CITE[勝福寺墓地(しょうふくじぼち)阿弥陀三尊種子断碑]], [TIME[2013-03-25T00:18:00.000Z]], [TIME[2024-01-20T02:53:09.344Z]] <http://kawai24.sakura.ne.jp/saitama-kawagoe-syouhukujiboti-2.html>

[24] >>23 同じ川越市域の板碑、康正3年丁丑8月時正 (公年号)

]NOTE]

[REFS[

- [21] [CITE@ja-JP[[[武蔵野]] 22(4)]], [[武蔵野文化協会]], [TIME[1935-04]], [TIME[2024-01-05T08:01:52.000Z]], [TIME[2024-01-20T02:19:09.511Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/7932538/1/22> (要登録)

]REFS]

-*-*-


[ITEMS[ [[日時事例]]

- [312] 
[DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[千葉県]][[安房郡]][[保田町]]]] [[妙本寺文書]] [CITE[きしん状之事]]]]
-- [311] 
「[DATA(.text)[[V[康正三年[LINES(smaller)[ひのへ][とら]]八月十三日]]]]」
[SRC[>>305, >>72]]

]ITEMS]

[73] 
[CITE[房総叢書]]は、康正3年は丁丑だと注釈しています。
[SRC[>>305, >>72]]

[74] 
[[公年号]]では[TIME[康正3(1457)年][1457]]は[RUBY[丁丑][ひのとうし]]で、
[[干支年]]が一致しません。

[75] 
[TIME[翌年 (西暦1458年)][1458]] は[RUBY[戊寅][つちのえとら]]年で、
やはり[[干支年]]が一致しません。

[76] 
[RUBY[丙寅][ひのえとら]]は丁丑と戊寅の混乱による誤記と考えられます。

[77] 
一般に[[十二支年]]は間違えにくいといわれていますが、
寅年が正しいと仮定すれば本来康正4年となるべき年が康正3年と書かれていることになります。

[78] 
3年もやはり4年の誤記とも考えられますが、二重の誤りは怪しく、
仮定が誤りだったとするか、[[偽文書]]などの可能性も疑わなければならなくなります。

[79] 
[[1年ずれ]]の[[康正]]が使われていたとする説も俎上に乗せるべきでしょう。

[80] 
なお[[京都]]では[TIME[康正3(1457)年9月28日][kyuureki:1457-09-28]]に[[長禄]]に[[改元]]されています。
[TIME[西暦1458年][1458]]8月とすると約1年の[[延長年号]]になります。


[REFS[

- [305] [CITE@ja-JP[[[房総叢書]] : 紀元二千六百年記念 第1卷 縁起古文書]], [[紀元二千六百年記念房総叢書刊行会]], [TIME[昭和16-19][1944]], [TIME[2024-02-01T05:12:54.000Z]], [TIME[2024-02-13T13:48:51.017Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1038113/1/137>
右上
- [72] 
[CITE@ja-JP[改訂[[房総叢書]] 第1輯]], [[改訂房総叢書刊行会]], [TIME[1959]], [TIME[2024-02-01T05:12:54.000Z]], [TIME[2024-02-17T07:36:05.107Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/2993405/1/135> (要登録)
右上

]REFS]

** 東国の「康正元年」の解釈

[61] 
以上の用例をまとめると

- [62] [[群馬]] [[正木文書]] (>>346)
-- 享徳5年 1月17日 
-- 康正元年 4月8日 - 9月18日
-- 享徳5年9月20日? 
- [64] [[日光]] (>>9)
-- 康正元年6月 
- [63] 香取文書 (>>57)
-- 享徳5年 11月17日
-- 康正元年12月26日 
-- 康正3年5月10日 / きう正3年5月14日 
- [65] [[川越]] (>>22)
-- 康正元年

とおよそ[[関東]]の東側に[[1年ずれ]]の[[康正]]の用例が点在しています。

[66] 
ここでも[[異年号]]が[[足利成氏]]の勢力圏とされる地域、勢力に関係することが注目されます。
[SEE[ [[中世私年号]], [[関東の延長年号]] ]]

[67] 
[[平成時代]]の歴史研究者[[山田邦明]]は、
[[香取文書]]の「康正元年ひのゑの子」は
「[V[改元の翌年が元年であるという意識をもってい[BR[]]た筆者が、はしなくも「康正元年」と書いてしまったと考えたい]]」
「[V[勝俣氏が示された改元の翌年を新年号のはじめとする意識は確実[BR[]]にあり、文書そのものにも「元年」と書いてしまい、訂正も加えないことがあった]]」
と考え
[SRC[>>148]]、
[[元二年]]説の根拠の1つと見なしました。


[347] 
[[平成時代]]の歴史研究者[[丸島和洋]]は、
[[正木文書]]の[[岩松持国]]に[[改元]]を伝えた人物が[TIME[西暦1455年][1455]]に[[康正]]と[[改元]]されたと伝えなかったとは考えにくいので、
[[改元]]は新年からという認識があったのだろうと考えました。
この認識は在地社会に留まらず[[国人]]クラスの有力者の間にも根付いた幅広いものだったとしました。
[SRC[>>342]]

[348] 
[[丸島和洋]]は、
[[康正]]改元時の混乱に[[足利成氏]]の[[享徳]]の[[延長年号]]の影響を見る[[山田邦明]]の指摘
([SEE[ [[享正]] ]])
を踏まえ、
「享徳五年」が復活する理由は不明であるものの、
[[足利成氏]]への配慮があったかもしれないと考えました。
[SRC[>>342]]

[349] 
ここで[[山田邦明]]と[[丸島和洋]]が「改元は新年からという認識」 
(= 西暦1455年が改元なのに西暦1456年を康正元年とする慣習)
があると考えたのは、

- [362] 改元情報はそれがいつのことか明確に伝えているという前提
- [363] [[元二年]]という概念があると主張する先行研究

が組み合わさってのことです。

[364] しかし[[元二年]]なる概念は、
本件を含めようが含めまいが、その指し示すものが曖昧で、根拠も不明瞭で危ういものと言わざるを得ません
([SEE[ [[元二年]] ]])。



[365] 
また、改元がいつなのかが正確に伝わるとは限らないことは、
[[関東]]の多くの[[中世私年号]]の例を見れば明らかです。
[[改元伝達]]が混乱していたなら、[[改元]]して新元号になったことは伝わっても、
今が第何年なのかはわからないままばらばらの[[年数]]が同時に使われ始めてしまいます。

[68] 
本来享徳4年に伝えるべきだった改元情報がその年のうちに到達せず、
享徳5年になってやっと届いた時、もう康正2年になっていることを知らず、
「今が康正元年だ」
と誤認してしまった可能性は考えておくべきです。
特に[[香取]]の住人は、享徳5年11月まで改元を知らず、12月になって急に改元を知ったとして、
今までも改元が伝わるまで時間がかかることはあったでしょうが、それが1年以上も遅れてるとはさすがに思わなかったのではないでしょうか。


[366] 
この時代の少し後 ([TIME[西暦1461年][1461]]頃) [[私年号]]の[[延徳]]がはじめ[[公年号]]の[[改元]]と信じられ、
後に[[改元デマ]]と判明した事例を鑑みると、
「享徳五年」
に復したのは
「康正」
の改元情報の信憑性が低いと判断されたため、という可能性もあります。

[69] 
[[元二年]]のような未知の観念を想定するより、
まずは正しい
「康正元年」
の情報が伝えられなかった可能性を検討するべきではないでしょうか。




** その他の地方の康正元年


- [5] [CITE@ja-JP[円戒国師慈摂大師伝 : 盛門開祖]], [[小泉円達等]], [TIME[明17序][1884]], [TIME[2024-01-05T08:01:52.000Z]], [TIME[2024-01-19T12:49:49.251Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/819172/1/73>

[6] >>5
円戒国師慈摂大師は[[日本]][[伊勢国]][[一志郡]][[川口村]]の[[光明寺]]に入った後、
「[V[康正元丙子卯月八日]]」
に[[剃髪]]したとのこと。

[7] 
本書自体は明治時代のものだが、その内容はより古い資料に基づくはず。
年号もそれによるものか。同時代資料まで遡れる可能性もあるが、
そうでなくただの誤記、誤算の可能性もあり、なんとも判断し難い。

- [17] [CITE@ja-JP[[[好古類纂]] 二編 第七集]], [[好古社]], [TIME[明治33-42][1909]], [TIME[2024-01-05T08:01:52.000Z]], [TIME[2024-01-19T13:32:03.631Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1245090/1/28> (要登録)

[18] 
>>17 [[松平家]]の[[系図]]のうちの[[松平泰親]] (第2代) の経歴中、

「[V[康正元年丙子九月二十三日卒]]」

とあります。経歴中[[上野国]]とも出てきますが、基本的には[[三河国]]の人物で、
没地も[[三河国]]と思われます。

[19] 
[[明治時代]]の出版ですが、原資料は当然古くから伝わるものと思われます。
しかし「康正元年丙子」とする資料は[[国会図書館デジタル]]検索では他にありません。

[20] [[松平泰親]]の没年は

- 明徳4(1393)年 [SRC[>>16]] (誤植か)
- 応永10(1403)年 (>>16 の本来の説か)
- 永享8(1436)年 [SRC[>>15]]
- 文明4(1472)年 [SRC[>>15]]

と諸説あるようで、どれも康正と一致しません。


[REFS[

- [15] 
[CITE@ja[[[松平泰親]](まつだいら やすちか)とは? 意味や使い方 - コトバンク]], [[デジタル版 日本人名大辞典+Plus,世界大百科事典内言及]], [TIME[2024-01-19T13:53:57.000Z]] <https://kotobank.jp/word/%E6%9D%BE%E5%B9%B3%E6%B3%B0%E8%A6%AA-1110837>
- [16] 
[CITE@ja[[[松平泰親]] - Wikipedia]], [TIME[2024-01-05T13:44:44.000Z]], [TIME[2024-01-19T13:54:20.292Z]] <https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E5%B9%B3%E6%B3%B0%E8%A6%AA>

]REFS]

-*-*-

[30] 
[[日本国]][[香川県]][[高松市]][[香南町]]の[[冠纓神社]]に関する
[CITE[冠尾八幡宮放生會頭番帳]] [SRC[>>29, >>28]]
は、
[TIME[永享9(1437)年丁巳8月15日][kyuureki:1437-08-15]]から康正元年''丙子''8月15日までの19ヶ年を列挙しています。
[[日付]]は[TIME[文明7(1475)年11月15日][kyuureki:1475-11-15]]です。

[31] 
19ヶ年すべてで[[元号年]]と[[干支年]]が併記されています。そして


- [32] 第2年 永享10年丁巳8月15日 : 本来は戊午
- [33] 第19年 康正元年丙子8月15日 : 本来は乙亥

の2つの年は[[干支年]]が[[元号年]]と一致していません。
これ以外の年は毎年の[[元号年]]と[[干支年]]を表していますから、
第2年は[[干支年]]の誤りと判断できます。
第19年は翌年がリスト中にないので、[[元号年]]と[[干支年]]のどちらが正しいのか判断に困ります。

[34] [[写本]]から補う [SRC[>>28]] とあるので少なくても2本あるようです。
補う、ということは主に使った本は原本ではないですし、
補い元の本も原本かどうかはわかりません。

[35] 
この文書の原本は文明7年時点で過去の資料を参照して取りまとめたものと思われますが、
[[日付]] (特に[[干支年]]) が原資料のままなのか、整理されているのかが問題です。
形式が統一されすぎているので、整理されたようにも思われます。
第1年と第2年が2年連続で同じ[[干支]]なのは、
原本から写した際に誤って前年の干支を書き写した可能性があります。
第19年は本来「乙亥」と書くべきなのに、第20年に当たる「丙子」
と書いてしまっています。原資料から「乙亥」だったのをそのまま書き写したのか、
それとも整理の際に誤って1年ずれた[[干支]]を補ってしまったのでしょうか。



[REFS[

- [29] [CITE@ja-JP[香川叢書 第二]], [[香川県]], [TIME[昭和16][1941]], [TIME[2024-01-05T08:01:52.000Z]], [TIME[2024-01-20T03:22:07.653Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1918197/1/30>
- [28] [CITE@ja-JP[香川県史 第8巻 (資料編 古代・中世史料)]], [[香川県]], [TIME[1986.3][1986]], [TIME[2024-01-05T08:01:52.000Z]], [TIME[2024-01-20T03:21:42.017Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9575971/1/96> (要登録)

]REFS]

-*-*-

[81] [[延治]]に逆方向の[[1年ずれ]]の事例。

@@
[82] 
[CITE@ja-JP[阿波国徴古雑抄]], [[小杉榲邨]], [TIME[1913]], [TIME[2026-03-18T03:11:57.000Z]], [TIME[2026-04-03T16:44:55.249Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1918662/1/252?keyword=%E5%BA%B7%E6%AD%A3>


* 関連

[4] 前の[[元号]]: [[享徳]]

* メモ

