* 日時

[749] 
[[日時]]は[[年]]、[[月]]、[[日]]、[[時刻]]がこの順で並びます。
低い[[精度]]で記述するときはその途中までで終えられます。
文脈があるときはその途中から始められます。

[750] 
[[年]]の前には[[紀年接頭辞]]を置けます。

[751] 
通常の形式の他に、省略形があります。

[FIG(railroad)[ [222] [VAR[日時]]
= |
== =
=== ?
==== [VAR[[[紀年接頭辞]]]]
=== [VAR[年部]]
=== ?
==== [VAR[年の続き]]
== =
=== [VAR[月日]]
=== ?
==== [VAR[時刻]]
== =
=== [VAR[日部]]
=== ?
==== [VAR[時刻]]
== [VAR[時刻]]
== [VAR[省略年]]
== [VAR[省略年月日]]

]FIG]

[752] 
詳しく言えば、[[年]]と[[月]]の間に[[季]]が入ることがあり、
[[月]]と[[日]]の間に[[旬]]が入ることがあります。

[753] 
[[月]]と[[月の日]]の組合せのかわりに[[年の日]]を書くこともあります。

[FIG(railroad)[ [748] [VAR[年の続き]]

= |
== =
=== ?
==== [VAR[の]]
=== [VAR[月部]]
=== ?
==== |
===== =
====== [VAR[日部]]
====== ?
======= [VAR[時刻]]
===== [VAR[旬部]]
== =
=== [V[[LINES[[V[[VAR[月部]]]]][[V[[VAR[日部]]]]]]]]
== [VAR[年日部]]
== [VAR[季]]

]FIG]


** 月日

[470] 
[[月日]]は[[月]]と[[日]]を並べます。
低い[[精度]]を表すときは[[日]]を省けます。


[FIG(railroad)[
= [VAR[月部]]
= ?
== [VAR[日部]]
]FIG]

[471] 
[[日本]]の[[中世]]の[[書状]]は[[月日]]のみ書くことが多く、
[[年]]は書かないものとされます。
[SRC[>>468 p.62]]

[472] 
「[TIME[[V[永正四年十月廿三日]]][kyuureki:1507-10-23]]」付[V[[[筒井順興]]]]書状
([CITE[山城綴喜郡記]] 所収)
は[TIME[日本永正4(1507)年][kyuureki:1507-10-23]]の[[年]]が明記されており、
これが偽文書と判定される根拠に挙げられています。
同様に
「[TIME[[V[永禄元年八月廿九日]]][kyuureki:1558-08-29]]」付[[[V[三好築前守長輝]]]]書状
([CITE[京都府田辺町史]] 所収)
は[TIME[日本永禄元(1558)年][kyuureki:1558-08-29]]の[[年]]が明記されています。
いずれも[[江戸時代]]後期に作られた[[椿井文書]]とされます。
[SRC[>>468 pp.61-62]]


[REFS[
- [468] [CITE[[[椿井文書⸺日本最大級の偽文書]]]],
-- [469] [CITE@ja-jp[[[椿井文書]]―日本最大級の偽文書 (中公新書 (2584)) | 馬部 隆弘 |本 | 通販 | Amazon]], [TIME[2021-02-08T02:46:49.000Z]] <https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4121025849/wakaba1-22/>
]REFS]


@@
[BOX[

旧


[718] [CITE@ja-JP[館山市の仏像 : 館山市内仏像彫刻悉皆調査報告書]], [[館山市立博物館]], [TIME[1987.7][1987]], [TIME[2025-09-30T02:09:54.000Z]], [TIME[2025-10-09T06:27:42.730Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/13215254/1/185?keyword=%E6%97%A7> (要登録)

]BOX]


* 年

[FIG(railroad)[ 年部
= |
== =
=== [VAR[年号年番号]]
=== |
==== =
===== [VAR[[[年の字]]]]
===== ?
====== |
======= =
======== ?
========= [CODE[、]]
======== [VAR[年干支]]
======= =
======== [VAR[(]]
======== [VAR[年号年番号]]
======== [VAR[[[年の字]]]]
======== [VAR[)]]
==== =
===== [VAR[年干支]]
===== ?
====== [VAR[[[年の字]]]]
==== =
===== [VAR[(]]
===== [VAR[年号年番号]]
===== [VAR[)]]
===== [VAR[[[年の字]]]]
== =
=== ?
==== [VAR[年号]]
=== [VAR[年干支]]
=== ?
==== [VAR[[[年の字]]]]
== =
=== [VAR[元号元年]]

]FIG]

[699] 
[[元号名元号年干支年表示]]


** 元号名

[FIG(railroad)[ [244] [[元号名スロット]]
= [VAR[元号名]]
= ?
== [VAR[[[元号名接尾辞]]]]
]FIG]

[247] [VAR[元号名]]は[[漢字]]や[[仮名]]の[[元号名]]です。
異表記が使われることもあります。
[SEE[ [[元号名]] ]]
接尾辞がつくことも稀にあります。
[SEE[ [[元号名接尾辞]] ]]

[246] [VAR[元年号]]は、末尾が[CODE[元]]の[VAR[元号名]]です。



** 年数

[FIG(railroad)[ [245] 年号年番号
= |
== =
=== ?
==== [VAR[元号名スロット]]
=== |
==== =
===== ?
====== [CODE[第]]
===== [VAR[年番号]]
==== [CODE[元]]
==== [CODE[カン]]
==== [CODE[原]]
==== [CODE[始]]
== =
=== [VAR[元年号]]
=== [CODE[々]]
]FIG]

[195] 
年数は[[漢数字]]で
「[VAR[何]]年」
と書くのが最も普通でした。

- [199] [[日本]]最古 (現存[[金石文]]): [[法隆寺釈迦造像銘]]
「[V[法興卅一年歲次󠄄辛巳]]」
[SRC[>>25]]
- [196] [[日本]]最古 ([[干支年]]併記なし): [[宇治宿禰墓誌]] 「[V[慶雲二年]]」 [SRC[>>25]]

[511] 
[[支那]]では「元」が[[避諱]]されることがありました。
[SEE[ [[元年]] ]]

[356] 
[[元号名]]の末尾が「元」で[[元年]]と続く時、
「[VAR[元号]]々年」
と表記することがありました。
[SEE[ [[元々年]] ]]

[782] 
[[元年]]のかわりに「紀元」「改元」と書くことがあります。
[SEE[ [[元号元年]] ]]


[FIG(railroad)[ [239] 年番号
= ?
== [CODE[-]]
= [VAR[非負整数]]
]FIG]

[FIG(railroad)[ [248] 省略年番号
= |
== [VAR[一桁正数]]
== =
=== |
==== [VAR[十廿]]
==== [VAR[丗]]
==== =
===== [VAR[一桁正数]]
===== [VAR[十]]
=== ?
==== [VAR[一桁正数]]

]FIG]

** 第[VAR[何]]年

[197] 
年数の前に「第」をつけることもありました。
[[日本]]では[[鎌倉時代]]中期 - [[南北朝時代]]に最流行 (>>76)。

- [198] [[日本]]最古: [[東大寺念仏地蔵]] 「[V[嘉禎第三天]]」 [SRC[>>25]]
- [520] 
[[日本国]][[東京都]][[品川区]]御殿山出土板碑29
「[V[嘉吉第二 八󠄂月十八󠄂日]]」
[SRC[>>519 p.[V[三三五]]]]

[443] 
[[近現代]]では[[立教]]と[[命知]]に[DFN[第[VAR[何]]年]]と書いた例が注目されます。

** 年干支



[FIG(railroad)[ [194] [VAR[年干支]]
= |
== =
=== ?
==== [VAR[歳次]]
=== |
==== [VAR[干支]]
==== [VAR[割干支]]
==== [VAR[十二支]]
== [V[[LINES[[VAR[歳次]]][[VAR[干支]]]]]]
== [V[[SUP[[VAR[干]]]][SUB[[VAR[支]]]]]]
== [V[[SUP[[VAR[干支]]]]]]
== =
=== [VAR[割歳次]]
=== [VAR[干支]]
== [VAR[十干]]
]FIG]

[435] 
「大歳戊辰」や「歳次戊辰」のように、
[[干支]]の前に[[太歳]]を表す語を付けることがありました。
[SEE[ [[歳次]] ]]


- [201] [VAR[歳次]]の[[日本]]最古: [[道後温泉碑]]
「[V[法興六年歲在丙辰]]」
[SRC[>>25]]
- [661] 
[[日本国]][[熊本県]][[鹿本郡]][[菊鹿町]][[相良寺]]宝塔
「[V[正治二年庚申二月七日]]」
[TIME[日本正治2(1200)年2月7日][kyuureki:1200-02-07]]
[SRC[>>513 p.15 [V[二]] [V[②]]]]
- [204] [[干支]]のみ割書の[[日本]]最古: 山城岩船寺天慶9年[[阿弥陀像]]
「[V[天慶九年[LINES[戊][寅]]]]」
[SRC[>>25]]
[TIME[天慶9(946)年][year:946]]
- [202] [[大歳]][[干支]]割書の[[日本]]最古: 常陸[[東城寺]]経筒
「[V[天治元年[LINES[歲次󠄄][甲辰]]]]」
[SRC[>>25]]
[TIME[天治元(1124)年][year:1124]]
- [205] [[干支]][[斜め書き]]の[[日本]]最古: 近江[[金剛輪寺]]嘉暦4年不動
「[V[嘉曆四年[SUP[己]][SUB[巳]]]]」
[SRC[>>25]]
[TIME[嘉曆4(1329)年[LINES[己][巳]]][1329]]
- [498] 
[[石川武美記念図書館]][[成簣堂文庫]]蔵
[CITE[沙石集]]
[[古活字版]]
巻末刊記
「[V[慶長[LINES[乙][巳]]年仲春下浣八󠄂日]]」
[SRC[>>447 p.701]]
- [499] 
[[石川武美記念図書館]][[成簣堂文庫]]蔵
[CITE[日本書紀神代巻]]
[[古活字版]]
刊記
「[V[慶長十[LINES[乙][巳]]年三月上旬二日]]」
[SRC[>>447 p.702]]
- [500] 
[CITE[太平記]]
[[古活字版]]
刊記
「[V[慶長十[LINES[乙][巳]]年九月上旬日]]」
[SRC[>>447 p.702]]


[632] 
「[V[[VAR[歳次]][LINES(smaller)[[VAR[干]]][[VAR[支]]]]]]」
や
「[V[[LINES(smaller)[[VAR[歳次]]][[VAR[干支]]]]]]」
は12世紀頃の[[日本]]に多いようです。

[663] 
[[前川清一]]の分類では[[干支年]]の[[縦書き]]を一型、
[[横書き]]を二型、
[[斜め書き]]を三型と呼びます。
[SRC[>>513 p.20]]


[254] [[斜め書き]]の程度にはバリエーションがみられます。
注意してみないと区別は難しく、意味的には違わないのでしょう。


- [256] 横並びでやや上下にずらした例:
逢坂一心寺元和元年本多忠朝石塔「[V[元和元[LINES[[ASIS[乙][<https://glyphwiki.org/wiki/u4e59-15-var-001>]][ASIS[ ][_]]][[ASIS[ ][_]]夘]]__&&swc414(年)&&__五月七日]]」
[SRC[>>255 PDF 16頁]]
- [263] 印刷文字での翻刻例:
法隆寺舎利殿鎧瓦
「[V[長禄二年 [SUP[己]][SUB[卯]] 卯月八日]]」
[SRC[>>262 p.七 資料第四 ([CITE[[V[法隆寺金石年表]]]], [[[V[高田十郎]]]])]]
-- [264] [[干支]]2字は本文よりやや小さなサイズ。
(同じ[[論文]]中の他の[[割書]]と同じサイズ)
-- [265] [[干支]]2字は水平にも垂直にも重ならずちょうど斜めに配置。
-- [266] [[干支]]の上下は4分くらいの[[アキ]]。

[323] 
印刷文字で翻刻したとき元の配置をどの程度再現するかは、
何を重視してどう表現するか、どこまで区別するかの翻刻者の判断と、
[[媒体]]の技術的制約に左右されます。ある拓本集では、
銘文を次のように書き分けていました。

- [315] 近藤守重(重蔵)墓碑
「[V[文政十二己丒年󠄂]]
[V[六月十[ASIS[有][一部欠]]六日]]」
翻刻:
「[V[文政十二己丒年]]
[V[六月十[RUBY[□][〔有〕]]六日]]」
[SRC[>>255 40 PDF 59頁, 128頁]]
-- [316] 通常文字と同じサイズ、配置。
- [308] 椀屋墓碑
「[V[延寳五[LINES[丁][巳]]歳九月初七日]]」
[SRC[>>255 41 PDF 60頁, 129頁]]
[TIME[1677年4月7日][kyuureki:1677-09-07]]
-- [309] 印刷文字では、[[干支]]2字は縦横半分、2文字合わせて行の横幅に収まるサイズ。
[[字間]]なし。
-- [310] 原本(拓本)でも、2文字合わせて行の横幅に収まるサイズ。
- [311] 安部宗任女墓碑
「[V[仁平二[SUP[壬]][SUB[申]]__&&swc415(年󠄂)&&__]]
[V[四月二十有日]]」
翻刻: 
「[V[仁平二[SUP[壬]][SUB[申]]年]]
[V[四月二十有日]]」
[SRC[>>255 32 PDF 50頁, 124頁]]
-- [312] 印刷文字でも原本(拓本)でも[[干支]]2字は水平にも垂直にも重ならずちょうど斜めに配置。
-- [313] 印刷文字では干支も通常の文字サイズ。
-- [314] 原本(拓本)では干支は通常より気持ち小さく見える程度のサイズ。
- [317] 豊国神社銅燈籠
「[V[慶長十五[LINES[庚][[ASIS[  ][アキ]]][戌]]__&&swc82(年)&&__]]
[V[七月吉曜日]]」
[[翻刻]]:
「[V[慶長十五[LINES[庚][戌]]年]]
[V[七月吉曜日]]」
[SRC[>>255 69 PDF 89頁, 148頁]]
-- [318] 印刷文字では干支も通常の文字サイズ。[[字間]]なし。
-- [319] 原本(拓本)では干支は縦横半分程度の小さなサイズで、
各文字垂直中央が行の左右端付近にあたり、
干支2文字の中間に干支1文字弱程度の空白。
- [320] 御津八幡宮大和屋甚兵衛名代一座踊子寄進石燈
「[V[天和二[LINES[戊][[ASIS[  ][アキ]]][戌]]年]]
[V[正月十五日]]」
[SRC[>>255 67 PDF 90頁, 146頁]]
-- [321] 印刷文字では干支も通常の文字サイズで、前後3行分で記述されている。
-- [322] 原本(拓本)では干支は通常の文字と同程度のサイズで、
行の幅から完全にはみ出して左右に接するように配置されている。

- [832] 
[CITE@ja-JP[宗良親王信州大河原の三十年・東海信越南北朝編年史]], [[松尾四郎]], 
[V[発行  [TIME[昭和五十六年十二月][1981-12]]]], [TIME[2024-05-28T02:01:58.000Z]], [TIME[2024-07-26T14:42:52.271Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12270332/1/82> (要登録)

[833] >>832 白黒写真と明朝体翻刻。原文では真横に配置されているものが翻刻では斜め書き。


[505] [[縦書き]]、[[横書き]]、[[斜め書き]]の違いの校訂を問題とした事例
[SEE[ [[鬼室集斯墓碑]] ]]

[466] 稀に[[斜め書き]]に[[ルビ]]を付した例がみられます。
[SEE[ [[ルビ]] ]]

[812] 
[CITE[戦国時代論]], [[勝俣鎮夫]]

[814] >>812 この本 ([[縦書き]]) では[[小書き文字]]を通常より一回り小さなサイズとし、
縦中央線に縁を揃えて右側、左側と配置。
ただし1文字目の下半分と2文字目の上半分が同じ縦位置に配置。

[815] 
例えば「[V[[SNIP[]]福徳二[LINES(smaller)[ 辛  ][  亥 ]]年[SNIP[]]]]」 
([[明朝体]]) [SRC[>>812 p.[L[158]]]]。


[333] [CITE[石垣島の石碑・説明看板(市街地-1)]], [TIME[2020-09-11T13:35:57.000Z]], [TIME[2020-12-21T03:42:14.438Z]] <http://www.zephyr.justhpbs.jp/ishigaki_hibun_cityarea-2.html>

この[[Webページ]]の引用
「平成二十六[WEAK[甲子]]歳 清秋」

写真内の石碑現物
「[V[平成二十六[LINES[甲[ASIS[ ][アキ]]][[ASIS[ ][アキ]]子]]歳清秋]]」
2文字は垂直半分くらい重なっている。

-[214] 
[CITE[[V[文󠄃字の骨組み]]: [V[字体/甲骨文󠄃から常用漢字まで]]]],
[[[V[大熊肇]]]],
[V[平成二十一年四月四日]] [V[初版第一刷発行]],
[V[平成二十六年四月二十日]] [V[初版第二刷発行]]
-- [436] 
[CITE@ja-jp[文字の骨組み―字体/甲骨文から常用漢字まで | 大熊 肇 |本 | 通販 | [[Amazon]]]], [TIME[2021-01-29T01:24:14.000Z]] <https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4434130919/wakaba1-22/>
-- [253] 
[CSECTION[序]],
[[府川充男]],
pp.5-12

序文日付 
「[V[[SUP[己]][SUB[丑]]歳一月上浣]]」
[SRC[>>253 p.12]]
([TIME[平成21(2009)年[LINES[己][丑]]1月][2009-01]]上旬)

干支は行の中央から左右に、それぞれ行の端から半分くらいはみ出すサイズで配置。

[CSECTION[はしがき]] 日付
「[V[二〇〇九年二月]]」
[SRC[>>214 p.17]]


[583] [CITE[水が織りなす安曇野今昔物語 歴史・文化・伝統編 - 4823.pdf]], [TIME[2021-02-09T05:13:47.000Z]], [TIME[2021-07-21T09:52:09.421Z]] <https://www.city.azumino.nagano.jp/uploaded/attachment/4823.pdf#page=5>

[595] 
[CITE@ja[秋葉@さらすば亭(千葉県弁財天調査本) 冬コミ2日目(金)東J12bさんはTwitterを使っています 「実際は白黒コピーの本になるんですが、千葉市中央区の30以上の[[弁財天]]を調べました~ 明日の12/31のコミケ東J12bで600円で販売しますので宜しくお願いします 「千葉県弁財天調査本 Vol.3 千葉市中央区地域/さらすば亭」 https://t.co/dNkRzgLw53」 / Twitter]], [TIME[2021-12-31T07:02:18.000Z]], [TIME[2021-12-31T07:06:13.012Z]] <https://twitter.com/A_KIBA/status/1476555076248686598/photo/4>

前例に倣ったのでしょうが、平成10年にもなってまだ新たに[[干支斜め書き]]の[[紀年銘]]が新たに作られた事例があるようです。

[677] [CITE@ja-JP[滋賀県立琵琶湖文化館研究紀要 = The annual reports of the Biwako Bunkakan (13)]], [[滋賀県立琵琶湖文化館]], [TIME[1996-03]], [TIME[2023-01-06T06:14:39.000Z]], [TIME[2023-01-07T13:59:57.429Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/4422827/1/20> (要登録)

「[L[応安[LINES(quarter)[甲][七][寅]]年七月十八󠄂日]]」

[[横書き]]での[[翻刻]]、[[年数]]の左右に[[干支年]]があるのを3文字とも[[小書き]]にしている。上下中央揃え。

[804] [CITE@ja-JP[宇都宮市史 第2巻 (中世史料編)]], [[宇都宮市史編さん委員会]], [TIME[1980.3][1980]], [TIME[2023-12-19T01:59:10.000Z]], [TIME[2023-12-24T14:40:22.715Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9641974/1/249> (要登録)
右上

左上、右下に斜め書き。

[807] [CITE@ja[kkr00010_052.pdf]], [TIME[2021-09-07T11:00:41.000Z]], [TIME[2024-01-01T15:05:16.267Z]] <https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/137319/1/kkr00010_052.pdf#page=3>

于時 + 干支割書


[820] 
[CITE@ja-JP[悲運の南朝皇胤並自天王祭祀について]], [[伊藤独]], [TIME[1972]], [TIME[2024-02-01T05:12:54.000Z]], [TIME[2024-02-18T07:20:22.896Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12269446/1/15> (要登録)

斜め書きを横書き化



[828] 
[CITE@ja-JP[[[大河原町史]] 諸史編]], [[大河原町史編纂委員会]], [TIME[1984.3][1984]], [TIME[2024-05-28T02:01:58.000Z]], [TIME[2024-07-21T12:01:09.286Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9539432/1/728> (要登録)
右

[829] 
>>828 
「[V[元治[SUP(normal)[元]][SUB(normal)[甲]][SUP(normal)[子]]歳五月吉日]]」

[839] 
[CITE@ja-JP[革命・革令勘文と改元の研究]], [[佐藤均]], [TIME[1991.12][1991]], [TIME[2025-10-29T01:48:45.000Z]], [TIME[2025-12-16T14:23:23.359Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/13246877/1/5> (要登録)

元号名 + 斜め干支年

*** 年干支併記の有無

[424] 
[[元号年]]の表記には、
年数と[[年干支]]の併記がよく使われてきました。
[[日本]]では、
[[平安時代]]中期と[[明治時代]]以後には、
[[年干支]]を併記しない[[元号年]]だけの表記もむしろ広く用いられました。

[425] 
[[石田茂作]]は表記方式を分類して、[[日本]]の時代ごとの傾向をまとめました
(>>64)。

[427] 
[[久保常晴]]は特に[[日本]]の[[奈良時代]]の[[年干支]]の併記の有無の傾向を調べました。
それによると[[年干支]]併記が多かったのが、
[[天平]]頃から年次単記が多くなりました。
[SRC[>>426]]

[FIG(table)[

:e: [[元号]]
:kd: [[年干支]]あり: [CITE[大日本金石史]]
:ks: [[年干支]]あり: [CITE[正倉院御物棚別目録]] 第三版
:kn: [[年干支]]あり: [CITE[奈良県銘文集成]]
:km: [[年干支]]あり: [CITE[平城宮木簡]] 一解説、[CITE[伊場遺跡出土文字集成 (概説)]]
:kr: [[年干支]]あり: [CITE[寧楽遺文]]
:kt: [[年干支]]あり計
:nd: [[年干支]]なし: [CITE[大日本金石史]]
:ns: [[年干支]]なし: [CITE[正倉院御物棚別目録]] 第三版
:nn: [[年干支]]なし: [CITE[奈良県銘文集成]]
:nm: [[年干支]]なし: [CITE[平城宮木簡]] 一解説、[CITE[伊場遺跡出土文字集成 (概説)]]
:nr: [[年干支]]なし: [CITE[寧楽遺文]]
:nt: [[年干支]]なし計

:e:[[慶雲]]
:kd:3
:kr:8
:kt:11
:nd:1
:nr:2
:nt:3

:e:[[和銅]]
:kd:3
:kr:6
:kt:7
:nd:1
:nr:1
:nt:2

:e:[[霊亀]]
:kt:0
:nt:0

:e:[[養老]]
:kd:1
:kr:14
:kt:15
:nr:1
:nt:1

:e:[[神亀]]
:kd:3
:kr:3
:ks:1
:nr:3
:nt:4

:e:[[天平]]
:kd:3
:kn:1
:kr:54
:kt:58
:ns:2
:nm:9
:nh:30
:nr:136
:nt:177

:e:[[天平感宝]]
:kr:1
:kt:1
:ns:1
:nr:5
:nt:6

:e:[[天平勝宝]]
:kd:3
:kn:3
:kh:1
:kr:6
:kt:13
:nd:3
:ns:12
:nm:2
:nh:1
:nr:109
:nt:127

:e:[[天平宝字]]
:kn:1
:kh:2
:kr:10
:kt:13
:nd:1
:ns:2
:nm:1
:nr:83
:nt:87

:e:[[天平神護]]
:kt:0
:nt:0

:e:[[神護景雲]]
:kd:1
:kr:2
:kt:3
:nd:1
:nr:2
:nt:3

:e:[[宝亀]]
:kd:1
:kr:4
:kt:5
:nd:1
:nr:4
:nt:5

:e:[[天応]]
:kt:0
:nt:0

:e:[[延暦]]
:kd:1
:kt:1
:nd:1
:nt:1

]FIG]

[428] 
[[金石文]]として
[CITE[大日本金石史]]
と
[CITE[摂河泉金石文]]
を、
[[奈良時代]]の紀年銘資料のまとまっている正倉院の目録を、
資料豊富であろう[[奈良県]]のものとして [CITE[奈良県銘文集成]] を、
地方との結び付きが濃く新しい資料である木簡として
[CITE[平城宮木簡]] と
[CITE[伊場遺跡出土文字集成 (概説)]]
を、
文献資料の傾向を知るべく [CITE[寧楽遺文]]
を参照したとのことです。
[SRC[>>426]]

[429] 
ただし
[CITE[摂河泉金石文]]
は表に現れていません。表の
[CITE[大日本金石史]]
に含まれていたのか、それとも欠落しているのか不明です。

[430] 
[CITE[正倉院伎楽面の研究]]
には[[天平勝宝]]の資料66点がありましたが、
すべて[[年干支]]がないため表から除外されました。
[SRC[>>426]]



*** 干支年の単記

[459] [[元号]]のない時代には[[干支年]]のみを使うことがありました。
[[元号]]がある時代でも[[干支年]]のみを書くことがままありました。

[303] 
政治的理由によるもの等について[[干支年]]の項も参照。

- [460] 
[CITE[澁民村小吟]], [[石川啄木]]
本文内
「丙午王春三月四日」
[TIME[日本明治39(1906)年[LINES[丙][午]]3月4日][1906-03-04]]
[SRC[>>4122, >>4123]]
-- [SEE[ [[王春三月]] ]]

[REFS[
- [4122] [CITE@ja[[[石川啄木]] 漂泊の詩人: 石川啄木 詩集『黄草集』澁民村小吟 4篇]], [TIME[2021-03-03T11:40:36.000Z]] <http://xn--9yrx3r72hipr.seesaa.net/article/116009686.html>
- [4123] [CITE@ja[山杜鵑~渋民日記~‘楽人’[[啄木]] | 愛唱会ジャーナル]], 
2011-04-22 15:42:48,
[TIME[2021-03-03T11:41:16.000Z]] <https://ameblo.jp/ambakrymd/entry-12551745190.html>
]REFS]

*** 十二支年のみ併記

[306] 
[[十二支]]のみ書かれることがあります。

- [408] 
[[日本国]][[宮崎県]]日南市伊比井本源寺墓地[[題目板碑]]
「[V[天正四年子五月廿八日]]」
[TIME[日本天正4(1576)年][year:1576]]
[SRC[>>401 [V[[YOKO[53]]]]]]
- [307] 松山墓碑
「[V[延[ASIS[宝][宀<https://glyphwiki.org/wiki/otakusei_hkrm-05096241>]]六午年󠄂]]
[V[四月七日]]」
[SRC[>>255 41 PDF 61頁, 129頁]]
[TIME[1678年4月7日][kyuureki:1678-04-07]]

[340] 
「[V[金峯山久米鶯堂 正暦二年卯二月]]」銘[[鰐口]]があり
[SRC[>>402 p.一八󠄂五 ([CITE[正暦二年の鰐口に就いて]], [[木崎愛吉]])]]、
[TIME[日本正暦2(991)年[LINES[辛][卯]]][year:991]]2月と解されています。
しかし[[平安時代]]のものとされる[[鰐口]]には偽物が多く、
現存最古は[TIME[長保3(1001)年][year:1001]]のものとされます
[SRC[>>402, >>339]]。
[[久保常晴]]は正暦2年[[鰐口]]が長保3年[[鰐口]]に類似することから、
なお吟味されるべきと書いていましたが [SRC[>>402]]、
その後の銘文集では当代のものと首肯し得ないと自ら否定しました
[SRC[>>339]]。

[344] 
[[日本国]][[栃木県]][[上都賀郡]][[鉢石町]][[磐裂神社]][[鰐口]]に
「[V[治暦元年巳十一月一日]]」
とあり
[SRC[>>402 p.[V[二〇二]]]]、
[TIME[日本治暦元(1065)年11月1日][kyuureki:1065-11-01]]と解されています。
星宮の古社なるを証せんと偽作した疑いが濃いとされます
[SRC[>>402 p.[V[二〇二]]]]。
その真贋判定中、
「[V[紀年法は何等疑問視さる可き点なく]]」
とされました
[SRC[>>402 p.[V[二〇三]]]]。


[347] 
[[日本]][[越後国]][[南魚沼郡]]上田村天満宮[[鰐口]]に
「[V[長保四]]」の下に「[V[寅年]]」
とあるもの
([TIME[日本長保4(1002)年][year:1002]])
は、
[[紀年銘]]の形式から信が置けないとされました。
[SRC[>>339 p.[V[二〇九]]]]


[512] 
「康正元年卯八󠄂日」 [SRC[ [SEE[ [[元二年]] ]] ]]
のように紛らわしい例もあります。
この「卯」は[[卯月]] = 4月です。

[809] [[歓喜]]

[REFS[
- [402] [CITE[[V[鰐󠄂口の研究]]]],
[CITE[[[仏教考古学研究]]]], pp. [V[一七九]]-[V[二〇七]]
- [339] [CITE[[V[平安・鎌倉時代鰐󠄂口銘文集]]]],
[CITE[[[仏教考古学研究]]]], pp. [V[二〇八󠄂]]-[V[二二二]]
- [255] [CITE[[LINES[木崎愛吉][旧蔵]]本山コレクション[[金石文]]拓本選]], 
[[関西大学なにわ・大阪文化遺産学研究センター]],
発行日 2008年3月31日,
[TIME[2011-03-24T01:46:00.000Z]], [TIME[2020-11-30T11:36:22.993Z]] <https://www.kansai-u.ac.jp/Museum/naniwa/publication/book12.pdf>
]REFS]



*** 十干十二支の異名

[763] 
[[十干]]や[[十二支]]は異名で表記することも多いです。
[SEE[ [[十干]], [[十二支]] ]]

[764] 
[[干支]]の異名が使われるときは、[[月名]]も異名が使われることが多いです。
[SRC[>>7863]]
また、[[歳在]]などと書かれることも多いです。
[SEE[ [[歳在]] ]]

[765] 
更には、
[[二十四節]]、[[三伏]]、
初・旬・念・亡・晦、俗節による紀日も特によく併用されます。
[SRC[>>7863]]

*** 特殊例

[SEE[ [[元号年に併記する干支年の特殊表記]] ]]


** 年の字

[462] [[年の字]]は、[[異体字]]や似た意味の違う字を含め、
いろいろあります。
[SEE[ [[年の字]] ]]


[271] 
「年」の字がないこともありました。
[[構文解析]]に注意が必要な場合もあります。

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [289] [[片山寛]]所蔵雲版「[V[弘安二[LINES[己][卯]]十月□日]]」 
[SRC[>>288 [B[2]] ([CITE[岡山県金石史]], [[永山卯三郎]])]] [TIME[1279年][year:1279]]10月
- [293] 山梨県[[保福寺]]雲版「[V[応安第六十一月廿一日]]」 
[SRC[>>288 [B[11]] ([V[第二図版[YOKO[2]]]])]] [TIME[1373年11月21日][kyuureki:1373-11-21]]
- [297] 長野県[[陽泰寺]]雲版:
「[V[応永七三月廿日]]」 [TIME[1400年][year:1400]],
追銘「[V[永禄第六八月吉日]]」 [TIME[1563年][year:1563]]
[SRC[>>288 [B[24]]]]
- [521] 
[[日本国]][[東京都]][[品川区]]北白川2丁目法禅寺[[宝篋印塔]]
「[V[応永十八󠄂四月  日]]」
[SRC[>>519 p.[V[三四二]]]]
[TIME[日本応永18(1411)年][1411]]4月
- [525] 
[[日本国]][[東京都]][[品川区]][[妙国寺]]開山の墓碑台
「[V[康正三  六月  日]]」
[SRC[>>519 p.[V[三五五]]]]
[TIME[日本康正3(1457)年][1457]]6月
-- [526] 
[[近世]]のもの
[SRC[>>519 p.[V[三五五]]]]
- [666] 
[DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[岐阜県]][[白鳥町]][[長滝]]]] [[長滝寺]] 経聞坊 衆議契状案]]
[SRC[>>354]]
-- [667] 
[[翻刻]] ([[明朝体]])「[V[[DATA(.text)[宝徳貳十二月  日]]]]」

]ITEMS]

[527] 
[[翻刻]]文では[[漢数字]]が連続しているように見えても、
実物では[[スペース]]や[[改行]]が入っていて区切りがはっきりしていることもあります。

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [272] [CITE[煙霞綺談]]「[V[貞享三丙寅八月]]」 (>>268) [TIME[1686年][year:1686]]8月
- [453] 書状
「慶応第4回紀辰4月13日」
[SRC[>>452 87-12]]
(原文は[[漢数字]]か)
[TIME[日本慶応4(1868)年[LINES[戊][辰]]4月13日][kyuureki:1868-04-13]]

]ITEMS]

[REFS[

- [354] 
[CITE@ja-JP[[[日本古代史論集]] 上巻]], [[坂本太郎博士還暦記念会]], [TIME[1962]], [TIME[2025-02-25T01:55:51.000Z]], [TIME[2025-03-23T08:34:32.707Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/2994725/1/296> (要登録)
- [262] [CITE[[V[古瓦名称の変遷]]]],
[CITE[[[仏教考古学研究]]]], pp. [V[一]]-[V[一六]]
- [288] [CITE[[V[雲版銘文󠄃集]]]],
[CITE[[[仏教考古学研究]]]], pp. [V[一三七]]-[V[一七八]]
- [411] [CITE[[[続仏教考古学研究]]]]
-- [377] [CITE[宮城県の題目板碑]],
pp.[V[一八󠄂]]-[V[六六]]
-- [401] [CITE[[V[宮崎県の題目板碑]]]], pp.[V[六七]]-[V[一一二]]
-- [415] [CITE[[V[北海道北見国網走発見の板碑についての私見]]]],
pp.[V[一一三]]-[V[一二六]]
-- [417] [CITE[[V[横浜市港北区新吉田町出土の板碑群]]]],
pp.[V[一二七]]-[V[一六〇]]
-- [426] 
[CITE[[V[宇治宿禰銅板墓誌年代考]]]],
pp.[V[二〇二]]-[V[二二七]]
-- [431] 
[CITE[[V[「歳次」と「歳在」]]]],
pp.[V[三一二]]-[V[三二八󠄂]]
-- [519] 
[CITE[金石文より見た中世の品川]],
pp.[V[三二九]]-[V[三六八󠄂]]
- [528] 
[CITE[[[続々佛教考古学研究]]]]
-- [529] 
[CITE[[V[題目板碑について]]]], pp.[V[一七]]-[V[二四]]
-- [540] 
[CITE[[V[日野市坂西第一墓の装飾・戯画・文字]]]], pp.[V[一一一]]-[V[一二〇]]
- [452] [CITE[黒田家寄贈資料]], [TIME[2021-01-04T01:43:46.000Z]], [TIME[2021-02-23T03:46:00.279Z]] <http://suzuka-bunka.jp/wp-content/uploads/2020/12/4f9270cfa56dcd08f66e07756dc73ef4.pdf>

]REFS]





** 年の字と年干支

[345] 
[[日本]]の[[戦国時代]]以前は[[干支]]が「年」の後にあるものが多くありました。
[[鎌倉時代]]末から[[室町時代]]初期にかけて「年」を欠くものがありました
(例: [[日本]][[甲斐国]][[南巨摩郡]][[増穂村]]青柳昌福寺[[鰐口]]
「[V[永徳二[LINES[壬][戌]]正月日]]」: [TIME[日本永徳2(1382)年][year:1382]]1月)。
[[干支]]が年数と「年」の間にあるものは古くから間々ありましたが、
[[戦国時代]]以後に専ら行われました
(例: [[日本]][[土佐国]][[高岡郡]][[窪川村]]高岡神社[[鰐口]]
「[V[嘉暦三戊辰年]]」: [TIME[日本嘉暦3(1328)年][year:1328]]、
[[日本国]][[愛知県]][[名古屋市]][[西区]]中村町妙行寺[[鰐口]]
「[V[大永五乙酉歳]]」: [TIME[日本大永5(1525)年][year:1525]])。
[SRC[>>402 pp.[V[二〇二]]-[V[二〇三]]]]

-*-*-

[533] 
「年」と[[干支]]の順序が[[中世]]と[[近世]]で逆転するという大原則は、
例外もなきにしもありませんが、[[紀年銘]]の真贋鑑定に大いに役立つチェックポイントとして活用されています。


[346] 
偽作の疑いが濃いとされる[[日本国]][[東京都]][[荒川区]]本行寺卅番神堂[[鰐口]]
「[V[文明十一己亥年七月吉日]]」
([TIME[日本文明11(1479)年][year:1479]]7月)
は
「[V[用法上の相違より一応疑問視さるる]]」
のです。
[SRC[>>402 pp.[V[二〇二]]-[V[二〇三]]]]

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [791] 
[DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[岡山県]][[邑久郡]][[牛窓町]]]]本尊寺位牌形石塔]]
「[DATA(.text)[[V[応仁二戊辰歳]]]]」
[SRC[>>516 p.[V[四五三]]]]
-- [792] 
石塔様式が元禄時代前後に盛行した型であるし、
「[V[年号の記載様式も一般的には江戸時代のもので、後の造立にかかるものと思われる]]」
と判定。
[SRC[>>516 p.[V[四五四]]]]


]ITEMS]

[369] 
[[日本国]][[埼玉県]]御堂浄蓮寺板碑
「[V[文明十三年[LINES[辛][丑]]四月  日]]」
[SRC[>>364 pp.[V[二七五]]-[V[二七六]] [V[[YOKO[1]]]]]]

[CITE[埼玉史談]]
第二巻第五号雑報は干支の下に「年」
を書いていますが、
実物にはありません。
あるとしたら「[V[江戸時代の記載]]
[V[形式となり後世の追刻となってしまう]]」
とされます。
[SRC[>>364 p.[V[三〇〇]] [V[([YOKO[4]])]]]]

[537] 
[[日本国]][[愛媛県]][[伊予郡]]長浜住吉神社水盤
「[V[永八󠄂年辛巳拾一月念二日]]」
[SRC[>>536 p.[V[六六]] (24) ([CITE[愛媛県金石史]], [[正岡健夫]])]]
は、
「永」の上が「寛」か「応」、
[[干支]]2文字目が「巳」か「未」で、
素直に見ると「寛」で文体は「応」だとされます
[SRC[>>536 p.[V[七五]] ([CITE[愛媛県金石史]], [[正岡健夫]])]]。
[[干支]]の位置から「応」とし後考を待つとされました
[SRC[>>536 p.[V[七五]]]]。

[538] 
[[日本国]][[京都府]][[宮津市]]大垣籠神社水盤
「[V[永享五[LINES[癸][丑]]年八󠄂月  日]]」
[SRC[>>536 p.[V[六六]] (27) ([CITE[籠神社と古異物]], [[川勝政太郎]])]]
は[[干支]]の位置が当時の用法でなく疑問が残るとされました
[SRC[>>536 p.[V[七六]]]]。



[REFS[
- [364] [CITE[[V[埼玉県御堂浄蓮󠄄寺の金石[ASIS[文][柱では文󠄃]]]]]],
[CITE[[[仏教考古学研究]]]], pp. [V[二七四]]-[V[三〇三]]
- [534]  
[CITE[[V[中世の紀年銘ある水盤]]]]
-- [535]  
[[久保常晴]],
[[立正大学]] [CITE[文学部論叢]] 第57号, 昭和52年1月25日 発行
<https://rissho.repo.nii.ac.jp/?action=repository_uri&item_id=1651&file_id=20&file_no=1&nc_session=gh7tn6bbtau0ogev66uanr2dc2>
-- [536] 
[CITE[[[続々佛教考古学研究]]]], pp.[V[五八󠄂]]-[V[八󠄂五]]
]REFS]

@@
[[椿井文書]]

- [507] [CITE[椿井文書]], [TIME[2020-09-27T03:31:45.000Z]], [TIME[2021-04-23T09:19:21.196Z]] <http://www7b.biglobe.ne.jp/~s_minaga/b_tubai_b.htm>

[CITE[山城國井堤郷舊地全圖]]

>
本図の年紀は「康治二(癸亥)年」、「嘉暦元(丙寅)」年」とある。
この年紀の形式は「年号-数字-干支-年」であり、これは中世ではなく近世の形式である。椿井文書の特徴の一つである。

[CITE[[[興福寺官務牒疏]]]]

>年紀の形式から見ると、「官務牒疏」は嘉吉元年次辛酉(1441)と奥書にあるが、本文中には近世の形式である「年号-数字-干支-年」が多く見られ、到底中世の成立ということは出来ない。
[SNIP[]]
例えば、「官務牒疏」の普賢寺の記述は以下の通りである。
「[SNIP[]](普賢寺補略録曰)天平16甲申年勅願、良弁僧正再造開基、号息長山、・・・、亦々永享9丁巳年・・悉炎上、同10年戊午再建、・・・・
最初に眼につくのは、「略録」からの引用と云う体裁をとるにもかかわらず、年紀の記載形式がバラバラである。到底中世のものとは思えない。


[REFS[
- [544] [CITE[[[由緒・偽文書と地域社会⸺北河内を中心に⸺]]]]
-- [546] [CITE[津田山の山論と三之宮神社文書]], pp.17-54
-- [552] [CITE[茄子作の村落秩序と偽文書]], pp.149-273
-- [555] [CITE[椿井文書の基礎的考察]], pp.305-356
-- [559] [CITE[享保期の新田開発と出口寺内町]], pp.543-567
]REFS]

- [556] 
[[日本国]][[京都府]][[井出町]]高神社所蔵添状
「[V[[RUBY[寛平七][(八󠄂九五)]]乙卯年九月]]」
[SRC[>>555 p.318 ([CITE[[V[山城綴喜郡誌]]]] [V[一七六頁]], 注釈は >>555 にあるまま, ルビは均等配置)]]
-- [557] 
「[V[日付の干支の位置から近世に作成された偽文[BR[]]書と判断され[RUBY[る。][([YOKO[31]])]]]]」
[SRC[>>555 p.318]]
[[椿井文書]]。
-- [558] 
「[V[中世ならば「七年乙卯」となるはずで、「七乙卯年」の如き表記は、中世末期には[BR[]]じまり近世になって一般的となる。]]」
[SRC[>>555 p.351 [V[([YOKO[31]])]]]]


- [637] 
[CITE[[V[桃生•山内首藤氏と板碑]]]],
[[桃生町教育委員会]],
[V[平成十一年三月十一日発行]],
<https://sitereports.nabunken.go.jp/files/attach/29/29561/21436_1_%E6%A1%83%E7%94%9F%E3%83%BB%E5%B1%B1%E5%86%85%E6%B0%8F%E3%81%A8%E6%9D%BF%E7%A2%91.pdf#page=159>

[780] >>637 成立年代が中世でなく近世と判定するのに利用。

[257] 
[CITE@ja-JP[甲斐の石造美術]], [[植松又次]], [TIME[1978.12][1978]], [TIME[2025-02-25T01:55:51.000Z]], [TIME[2025-03-23T06:12:23.752Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12423973/1/90> (要登録)

[831] 
関連記事:
[[初暦]],
[[永長]],
[[丹生山縁起]],
[[和銅]]

** 元号年の併記

@@
[BOX[


[769] 我殿下嗣服之三年萬曆辛亥
[SEE[ [[朝鮮時代の紀年法]] ]]

]BOX]


* 月

[FIG(railroad)[ 月部
= ?
== [VAR[季]]
= ?
== [VAR[月接頭辞]]
= |
== =
=== [VAR[月番号]]
=== [CODE[月]]
== [CODE[正月]]
== =
=== [VAR[月名]]
=== ?
==== ?
===== [VAR[の]]
==== [CODE[天]]
== =
=== [CODE[建]]
=== [VAR[十二支]]
=== [CODE[月]]
]FIG]


- [215] [[天]]: 大和置恩寺石灯籠「[V[文亀二年[LINES[壬][戌]]仲夏天]]」
- [217] [[天]]: 武蔵七生村八幡社阿弥陀「[V[建長二年大歳庚戌孟夏之天七日壬刀]]」
[SRC[>>216]]

[REFS[
- [216] [CITE@ja[[[真慈悲寺]]は存在していた? : atusisugoiのblog]], [TIME[2020-11-29T07:40:39.000Z]] <http://blog.livedoor.jp/atusisugoi-19720/archives/42773871.html>
]REFS]

** 季節

[FIG(railroad)[ 季
= |
== [CODE[春]]
== [CODE[夏]]
== [CODE[秋]]
== [CODE[冬]]
]FIG]

- [290] 宮城松島[[瑞厳寺]]雲版「[V[嘉暦丙寅秋]]」 
[SRC[>>288 [B[4]] ([V[第四図版[YOKO[6]]]])]] [TIME[1326年][year:1326]]


** 閏月

[FIG(railroad)[ [VAR[月接頭辞]]

= |
== [VAR[閏]]
== [CODE[前]]

]FIG]

-*-*-

[FIG(railroad)[ [VAR[閏]]
= |
== [CODE[閏]]
== [CODE[後]]
== [CODE[潤]]
== [CODE[壬]]
]FIG]


[37] 
[CITE[【[[南山御出次第]]】]], [TIME[2020-06-14 08:31:39 +09:00]] <http://base1.nijl.ac.jp/iview/Frame.jsp?DB_ID=G0003917KTM&C_CODE=0020-54627&IMG_SIZE=&PROC_TYPE=null&SHOMEI=%E3%80%90%E5%8D%97%E5%B1%B1%E5%BE%A1%E5%87%BA%E6%AC%A1%E7%AC%AC%E3%80%91&REQUEST_MARK=null&OWNER=null&BID=null&IMG_NO=5>

[BOX(vertical)[
>
潤十月一日

>
明徳三年壬十月二日

]BOX]

;; 潤、壬とも[[閏]]。


[42] 
大門寺一切經

37、説一切有部順正理論卷第七十五
「弘安四年壬七月三日」
[SRC[>>44 p.82]]

42、阿毗達磨藏顯宋論卷第三
「弘安四年壬七月日」
[SRC[>>44 p.83]]

- [94] [CITE[[[佛敎考古學論攷]] 三 經典編]]
-- [44] [CITE[攝津大門寺一切經に就いて]], pp.71-95, 初出[V[昭和二五年六月]]



- [482] [[日本女子大学]]文学部日本文学科蔵 [CITE[百人一首抄]] (A抄) [[中院通勝]]写本
(請求番号[V[[YOKO[W]][YOKO[a]]九一一・一四七―[YOKO[S]][YOKO[o]][YOKO[g]]]])
奥書
「[V[昨巳刻立筆]]
[V[文禄五壬七十九上剋書畢]]
[V[同朱了]]」
[SRC[>>447 p.509]]
- [484] [[日本女子大学]]文学部日本文学科蔵 [CITE[百人一首抄]] (B抄) [[中院通勝]]写本
(請求番号[V[[YOKO[W]][YOKO[a]]九一一・一四七―[YOKO[S]][YOKO[o]][YOKO[g]]]])
奥書
「[V[文禄五壬七十七書写了一昨起筆]]」
[SRC[>>447 p.509]]
- [485] [[京都大学]]附属図書館中院文庫蔵 [CITE[小倉抄]] [[中院通勝]]写本
(請求番号: [V[中院[YOKO[/]][YOKO[V]][YOKO[I]][YOKO[/]]一七七]])
写本奥書「[V[文禄五壬七廿二巳刻書写了、[SNIP[]]]]」
[SRC[>>447 p.510]]
- [486] [[国立国会図書館]]蔵 [CITE[百人一首抄]] [[中院通勝]]写本
(請求番号: [V[八三二―二二七]])
六十丁裏奥書「[V[文禄第五丙申壬七廿二記之]]」
六十一丁朱書「[V[文禄五壬七廿二勘之了]]」
[SRC[>>447 p.511]]


[682] [CITE@ja-JP[大日本古文書 家わけ十三ノ一]], [[東京帝国大学文学部史料編纂所]], [TIME[昭和7][1932]], [TIME[2023-01-17T10:48:16.000Z]], [TIME[2023-01-21T10:17:28.588Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1908802/1/81>

後三月

-*-*-

[837] 
[[月番号]]の前に「前」を付けることで、
[[改暦]]による特例で2回あるうちの1回目の[[月]]を表したり、
[[暦法]]の計算の都合上前年の[[月]]を表したりすることがあります。
[SEE[ [[前[VAR[何]]月]] ]]

** 月番号

[717] [[月]]は[[月番号]]による表記と[[月名][東洋の月名]]による表記があります。

[FIG(railroad)[ [249] 月番号
= |
== [VAR[省略月番号]]
== =
=== [VAR[1]]
=== [VAR[0]]
== =
=== [VAR[1]]
=== [VAR[1]]
== =
=== [VAR[1]]
=== [VAR[2]]
== =
=== [VAR[0]]
=== [VAR[一桁正数]]


]FIG]

[FIG(railroad)[ [250] 省略月番号
= |
== [VAR[一桁正数]]
== =
=== [VAR[十]]
=== ?
==== [VAR[1]]
==== [VAR[2]]

]FIG]


* 日

[FIG(railroad)[ [221] [VAR[日部]]
= |
== =
=== |
==== =
===== =
====== ?
======= [VAR[朔日干支]]
====== |
======= =
======== ?
========= [VAR[日名]]
======== [VAR[月日部]]
======== ?
========= ?
========== [VAR[の]]
========= [VAR[日干支の日]]
======= [VAR[日干支の日]]
==== [VAR[朔日干支]]
==== [VAR[月日名]]
=== ?
==== [VAR[日暦注部]]
== [LINES[[VAR[月日部]]][[VAR[日暦注部]]]]
== [VAR[吉日部]]

]FIG]


[FIG(railroad)[ [261] [VAR[月日部]]
= |
== =
=== ?
==== [CODE[生]]
=== [VAR[月日番号]]
== [CODE[朔]]
== [CODE[望]]
== [CODE[晦]]
== [VAR[旬日]]
= ?
== |
=== [CODE[日]]
=== [CODE[天]]
=== [CODE[号]]
=== [CODE[蓂]]

]FIG]

[675] 
「[[日]]」の字は[[異体字]]が使われることがあります。

- [674] 
[[日本国]][[熊本県]][[飽託郡]][[天明町]]中無田252橋本隆徳家前 図像塔裏面 
「[V[[LINES[寛文三□□][[SNIP[]]][四月中八󠄂__&&swc430(日)&&__]]」
[SRC[>>672]]

[REFS[
- [670] [CITE[肥後の金石論集.II]]
-- [671] [CITE[石碑曼荼羅]]
--- [672] [CSECTION[十七、弘法大師の図像塔について]], pp.69-71 
---- [673] 初出: [CITE[[[舫船]] 二一号]], 五九年八月
]REFS]

** 朔日干支

[FIG(railroad)[ [406] [VAR[朔日干支]]
= [VAR[日干支]]
= [CODE[朔]]
]FIG]

- [432] 
山東済寧道嘉祥県[[敦煌長史武班碑]]
「[V[建和元年太歳在丁亥二月辛巳朔廿三日癸卯]]」
[SRC[>>431 ([CITE[金石萃編]])]]

[614] 
[[朔日干支]]は、
[[月]]の[[朔日]] (第1日) の[[日干支]]を表すものです。
一般的には[[朔日干支]]と[[日干支]]を組み合わせるか、
[[朔日干支]]と[[月]]の[[日番号]]と[[日干支]]を組み合わせます。
[[朔日干支]]があると[[暦]]がなくても[[日]]を特定できます。
[[暦]]研究にはありがたい存在です。

[615] 
表す[[日]]が[[朔日]]のときは、
[[朔日干支]]だけで表すことがあります。

[740] 
[[朝鮮]]の古い時代には[[朔日干支]]付きのものは見られず、
次のものが古い例とされます。
[SRC[>>720]]

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [741] 
[DATA(.label)[[[朝鮮]][[丹城]]断俗寺神行禅師碑]],
[TIME[新羅憲徳王5(813)年癸巳][813]],
[[金獻貞]]
「[DATA(.text)[元和八年歳次癸巳九月庚戌朔九日戊午建]]」
[SRC[>>720]]

]ITEMS]


** 旬

[464] 
[[日]]を[[旬]]と[[日]]に分けて書くことがあります。
また[[日]]を特定せず[[旬]]までしか書かないこともあります。
[[旬]]の後に[[吉日]]が続くこともあります。

[FIG(railroad)[ [227] 旬部
= [VAR[旬]]
= [VAR[吉日部]]

]FIG]

[FIG(railroad)[ [226] [[旬]]
= |
== [CODE[上]]
== [CODE[中]]
== [CODE[両]]
== [CODE[仲]]
== [CODE[下]]
= |
== [CODE[旬]]
== [CODE[澣]]
== [CODE[幹]]
== [CODE[浣]]

]FIG]


[FIG(railroad)[ [523] [VAR[旬日]]
= |
== =
=== |
==== [VAR[旬]]
==== [CODE[初]]
==== [CODE[中]]
==== [CODE[仲]]
=== ?
==== [CODE[第]]
== [CODE[旬有]]
= [VAR[一桁正数]]
]FIG]

[708] 
「初六」で6日を表すように、1桁の[[日番号]]は前に「初」が付くことがあります。
現代の[[中華人民共和国]]でも[[農暦]]表記に頻用されます。

[668] 
「中四日」で14日を意味します。
[SRC[>>513 p.30]]


- [220] 
[[摂津]]延福寺鐘「[V[延文歳次丙申初冬下旬五日辛未]]」 
[SRC[>>25]]
[TIME[日本北朝延文元(1356)年[LINES[丙][申]]10月25日][kyuureki:1356-10-25]]
- [211] 
[[日本国]][[東京都]][[品川区]][[妙国寺]][TIME[寛永18(1641)年][1641]]8月下旬銘[[梵鐘]]
「[V[文󠄃安三年丙寅季冬中旬第三天]]」
[SRC[>>519 p.[V[三五四]]]]
[TIME[日本文安3(1446)年[LINES[丙][寅]]12月13日][kyuureki:1446-12-13]]
-- [524] 
文安の梵鐘は現存しない。銘文の表現より旧鐘銘をそのまま刻んだものとみられる
[SRC[>>519 p.[V[三五四]]]]。

[709] 
[[中]]は[[異体字]]の[[仲]]で書くことがしばしばあります。

[685] [CITE[国指定文化財等データベース]], [TIME[2023-01-23T06:07:50.000Z]] <https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/201/7962>

>ト書 	: 	安政二年仲春仲四日ノ御奥書アリ 

[684] [CITE@ja[浅井柳塘 雪竹群雀図 | 古美術瀬戸]], [TIME[2023-01-23T06:06:59.000Z]] <https://kobijutsu-seto.jp/21165/>

>壬子仲春仲浣々■挿詩画

>嘉永5年(1852)

[686] 
「承運第六丙辰葉月仲□」 
「承運元年癸酉仲春仲日」
[SEE[ [[承運]] ]]





- [710] [CITE[[[雜攷]] 第六輯上卷]], [[鮎貝房之進]], [TIME[2023-05-19T07:46:50.000Z]], [TIME[2023-05-19T08:25:24.453Z]] <https://geocol.github.io/zakkou/book-6a.html#81>
- [719] 
[CITE[[[雜攷]] 第六輯下卷]], [[鮎貝房之進]], [TIME[2023-05-19T07:46:50.000Z]], [TIME[2023-05-20T05:32:22.097Z]] <https://geocol.github.io/zakkou/book-6b.html#195>
-- [720] [CSECTION[[[附書年月󠄃日例]]]]


[ITEMS[ [[日時事例]]
- [711] [DATA(.label)[[[朝鮮]][[京畿道]]始興郡中初寺幢竿石柱記]],
[TIME(.published)[新羅興徳王2(827)年丁未][827]]
-- [712] 
「[DATA(.text)[寳曆二年歳次丙午八月朔六辛丑日[SNIP[]]]]」
[SRC[>>710, >>720]]
---
[714] 
[TIME(.value)[唐宝暦2(826)年丙午8月6日辛丑][kyuureki:826-8-6]]。



]ITEMS]

[713] 朔は初と同じ意味か、それとも[[朔日干支]]の脱落か。 [SRC[>>710, >>720]]

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [721] 
[DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[朝鮮]][[原州]]]]興法寺廉巨和尚塔誌]],
[TIME(.published)[新羅聖王6(844)年甲子][844]]
--
[722] 
「[DATA(.text)[會昌四年歳次甲子季秋之月兩旬九日遷化]]」
[SRC[>>720]]
-
[733] 
[CITE(.label)[普明大師憧記]]
--
[734] 
「[DATA(.text)[甲子歳九月上旬九日[SNIP[]]]]」
[SRC[>>720 ([CITE[唐文続拾]])]]
--
[735] 
「[DATA(.text)[[SNIP[]]開平二年七月十四日記]]」
[SRC[>>720 ([CITE[唐文続拾]])]]


]ITEMS]


@@
[BOX[


[691] 澣のかわりに漸を書いた事例: [[正仲]]


[739] 
異例なもの [SRC[>>720]]

[ITEMS[ [[日時事例]]

-
[729] 
[DATA(.label)[懶翁集李達哀跋文]],
[TIME[高麗辛禑3(1377)年丁巳][1377]]
--
[730] 
「[DATA(.text)[彊園大荒落夏孟旬季有日]]」
[SRC[>>720]]
---
[731] [[彊園]]: 丁
---
[732] [[大荒落]]: 巳
--
[737] 
夏孟: 孟夏 = 4月か [SRC[>>720]]
--
[738] 
旬季: 季旬 = 下旬か。季は末の意味。 [SRC[>>720]]

]ITEMS]


[757] 
「月缺之七日」
[SEE[ [[東洋の時刻表示]] ]]

- [1316] 高麗: 顕德5年歳次敦牂8月月欠5日 (立) [SRC[>>7862]]


- [762] [CITE[[[朝鮮の年号と紀年]]]]
-- [7862] [CITE@ja[[[朝鮮の年号と紀年]](上)]],
[[藤田亮策]],
[TIME[1958-09]],
[TIME[2019-04-06 21:05:42 +09:00]]
<https://toyo-bunko.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=4748&item_no=1&page_id=25&block_id=47>
#page=50
-- [7863] [CITE@ja[[[朝鮮の年号と紀年]](下)]],
[[藤田亮策]],
[TIME[1958-12]],
[TIME[2019-04-06 21:05:54 +09:00]]
<https://toyo-bunko.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=4756&item_no=1&page_id=25&block_id=47>
#page=4


[841] 
[CITE@ja-JP[西合志町史 資料編]], [[西合志町史編纂協議会]], [TIME[1994.3.][1994-03]], [TIME[2026-01-20T01:30:11.000Z]], [TIME[2026-02-06T14:57:13.922Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/13277224/1/411?keyword=%E5%B7%B3%E6%97%A5> (要登録)


]BOX]

-*-*-

[736] [[旬]]が「十」の意味で使われることがあります。

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [723] 
[DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[朝鮮]][[長興]]]]宝林寺普照禅師彰聖塔碑]],
[TIME(.published)[新羅憲康王10(884)年甲辰][884]]
--
[724] 
「[DATA(.text)[孟夏仲旬二日[SNIP[]]]]」
[SRC[>>720]]
--
[725] 
「[DATA(.text)[中和四年歳次甲辰季秋九日戊午朔旬有九日丙子建]]」
[SRC[>>720]]
-
[726] 
[DATA(.label)[[[朝鮮]][[金溝]]金山寺慧徳王師真応塔碑]],
[TIME[高麗睿宗6(1111)年辛卯][1111]]
--
[727] 
太平[[紀曆]]17年戊寅
--
[728] 
「[DATA(.text)[[SNIP[]]明年正月旬有一日丙申[SNIP[]]]]」
[SRC[>>720]]


]ITEMS]

** 日番号

[FIG(railroad)[ [219] 月日番号
= |
== [VAR[省略日番号]]
== =
=== [VAR[0]]
=== [VAR[一桁正数]]
== =
=== |
==== [VAR[1]]
==== [VAR[2]]
=== [VAR[一桁数]]
== =
=== [VAR[3]]
=== |
==== [VAR[0]]
==== [VAR[1]]
== [V[[LINES[[VAR[十廿]]][[VAR[一桁数]]]]]]
]FIG]

[FIG(railroad)[ [251] 省略日番号
= |
== [VAR[一桁正数]]
== =
=== |
==== [VAR[十廿]]
==== =
===== |
====== [VAR[1]]
====== [VAR[2]]
===== [VAR[十]]
=== ?
==== ?
===== [CODE[有]]
==== [VAR[一桁正数]]
== =
=== |
==== [VAR[丗]]
==== =
===== [VAR[3]]
===== [VAR[十]]
=== ?
==== ?
===== [CODE[有]]
==== [VAR[1]]

]FIG]




** 日干支

[FIG(railroad)[ [403] [VAR[日干支の日]]
= |
== =
=== [VAR[日干支]]
=== ?
==== ?
===== [VAR[の]]
==== [CODE[日]]
== [LINES[[CODE[日次]]][[VAR[干支]]]]

]FIG]

[FIG(railroad)[ [235] [VAR[[[日干支]]]]
= |
== [VAR[干支]]
== [VAR[割干支]]
]FIG]


- [633] 
「日次[VAR[干支]]」の[[日本]]最古:
[[日本国]][[大分県]][[臼杵市]][[堂ヶ迫石仏群]]聖塔 (北側)
「[V[承安二年[LINES(smaller)[歲次󠄄][壬辰]]八󠄂月十五日[LINES(smaller)[日次󠄄][辛亥]]]]」
[SRC[>>634]]
[TIME[日本承安2(1172)年8月15日][kyuureki:1172-08-15]]
- [635] 
[[観世音寺]]不空羂索観音像
「[V[貞應元年[LINES[歲次󠄄][壬午]]八月十四日[LINES[日次󠄄][己丑]]]]」
(>>114)
[TIME[日本貞応元(1222)年8月14日][kyuureki:1222-08-14]]
- [660] 
[[日本国]][[熊本県]][[熊本市]]坪井町本光寺笠塔婆 
「[V[安元元季[LINES[乙][未]]十月五日[LINES[壬][午]]]]」
[TIME[日本安元元(1175)年10月5日][kyuureki:1175-10-05]]
[SRC[>>513 p.14 [V[一]] [V[②]]]]

[REFS[
- [634] 
[CITE[[V[豊後の磨󠄃崕石佛硏󠄂究]]]],
[[[V[濱田耕作]]]],
[TIME[1925-08-10]], 
[TIME[2021-09-07T11:23:39.000Z]], [TIME[2022-09-19T06:54:08.185Z]] <https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/181618/1/ktkk009_0001.pdf#page=93>
]REFS]

** 日名

[FIG(railroad)[ [291] [VAR[日名]]
= |
== [CODE[時正]]
== [CODE[于時彼岸入日]]
]FIG]

-*-*-

[FIG(railroad)[ [742] [VAR[月日名]]

= [CODE[哉生明]]

]FIG]

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [743] 
[DATA(.label)[[[朝鮮]][[金溝]]金山寺慧徳王師真應塔碑]],
[TIME[高麗睿宗6(1111)年辛卯][1111]]
--
[744]  
「[DATA(.text)[以太平紀曆十有七年歳在戊寅七月哉生明誕師于[SNIP[]]]]」
[SRC[>>720]]
---
[745] 
[TIME[太平17(1037)年丁丑][1037]]
---
[746] 
[TIME[太平18(1038)年戊寅][1038]]
--
[747] 
[[哉生明]]: 3日 [SRC[>>720]]

]ITEMS]



** 日の暦注



[FIG(railroad)[ [224] 日暦注部
= |
== =
=== [VAR[(]]
=== |
==== =
===== [VAR[曜日1]]
===== ?
====== |
======= [VAR[曜日]]
======= =
======== ?
========= [VAR[・]]
======== [VAR[祝休]]
==== =
===== [VAR[祝休]]
===== ?
====== ?
======= [VAR[・]]
====== [VAR[曜日1]]
=== [VAR[)]]
== [VAR[曜日1曜日]]
== [LINES[[CODE[曜]]][[VAR[曜日1曜日]]]]
== [LINES[[VAR[曜日曜日1]]][[VAR[宿宿名]]]]
== =
=== [CODE[時正]]
=== ?
==== [V[[LINES[[CODE[第]]][[VAR[一桁正数]]]]]]
== [CODE[彼岸初日]]
== [CODE[彼岸終]]
== [VAR[十二直]]
== [VAR[その他の情報]]
]FIG]

- [212] [[彼岸終]]: 
[[燕沢碑]]「[V[弘安第𠄡𠀘[LINES[玄黓][敦牂]]仲秋[LINES[二十日][彼岸終]]]]」
[SRC[>>213]]

[REFS[
- [213] [CITE@ja[[[燕沢碑]] - Wikipedia]], [TIME[2020-11-24T13:59:22.000Z]], [TIME[2020-11-29T07:17:03.406Z]] <https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%87%95%E6%B2%A2%E7%A2%91>
]REFS]

[FIG(railroad)[ [228] 曜日1曜日
= =
== [VAR[曜日1]]
== [VAR[曜日]]
]FIG]

[FIG(railroad)[ [229] 曜日曜日1
= =
== [VAR[曜日]]
== [VAR[曜日1]]
]FIG]


[FIG(railroad)[ 曜日
= |
== =
=== |
==== [CODE[曜]]
==== [CODE[よう]]
=== ?
==== [CODE[日]]
== [CODE[ようび]]
]FIG]

[FIG(railroad)[ 祝休
= |
== [CODE[休]]
== [CODE[休日]]
== [CODE[祝]]
== [CODE[祝日]]
== [CODE[休]]
== [CODE[振休]]
== [CODE[振替休日]]
]FIG]

[FIG(railroad)[ [230] 宿宿名
= [CODE[宿]]
= [VAR[宿名]]
]FIG]

- [231] 海龍王寺愛染明王「[V[永享十二年[LINES[庚][申]]六月一日[LINES[曜󠄃木][宿鬼]]]]」
[SRC[>>25]]

** 吉日

[FIG(railroad)[ [225] [VAR[吉日部]]
= |
== [CODE[日]]
== [VAR[吉日]]
== [CODE[初吉]]
== [VAR[彼岸]]
]FIG]

[434] 
「吉日」やそれと同趣旨の色々な語句が使われました。
[SEE[ [[吉日]] ]]

- [292] 埼玉[[円正寺]]雲版
「[V[応安四年辛亥卯月初吉]]」 
[SRC[>>288 [B[10]] ([V[第三図版[YOKO[6]]]])]] [TIME[1371年][year:1371]]4月

-*-*-

[384] [[時正]]や[[彼岸]]を示したものもありました。

[FIG(railroad)[ [383] [VAR[彼岸]]
= |
== [CODE[日時正]]
== [CODE[時正]]
== [CODE[[LINES[時][正]]]]
== [CODE[時正日]]
== [CODE[彼岸]]
== [CODE[彼岸中日]]
]FIG]

- [382] 
[[日本国]][[宮城県]][[登米郡]][[中田町]]本源寺題目板碑
「[V[元弘[LINES[二][二]]年二月時正]]」
[TIME[日本元弘4(1334)年][year:1334]]
[SRC[>>377 [V[[YOKO[15]]]]]]
- [407] 
[[日本国]][[宮崎県]][[日向市]]細島妙国寺境内墓地[[題目板碑]]
「[V[永禄十一年[LINES[戊][辰]]二月[LINES[時][正]]]]」
[TIME[日本永禄11(1568)年][year:1568]]
[SRC[>>401]]

-*-*-

[232] [VAR[その他の情報]]:

- [233] 信濃諏訪慈雲寺鐘「[V[應安元年戊申六月初三佛殿立柱日]]」 [SRC[>>25]]
- [234] 熊野本宮鐘「[V[慶長十九年[LINES[甲][刁]]三月三日則正遷󠄉宮同日]]」 [SRC[>>25]]
- [496] 
[[九州大学]]附属図書館所蔵
([[菅得庵]]旧蔵)
[CITE[施氏七書講義]]
[[古活字版]]
(貴重書庫、[[請求番号]]: [V[八六八―シ―一四]])
第一〇冊後表紙見返し[[識語]]
「[V[元和四年戊午秋重九菊一日]]」
[SRC[>>447 pp.619-620]]

- [478] 
[CITE[塡詞図譜]]
序文
「文化紀元清明前一日」
[SRC[>>477]]
[TIME[日本文化元(1804)年[LINES[甲][子]]][1804]]
-- [479] 同書
([TIME[日本文化2(1805)年][1805]])
「穀雨後三日」
[SRC[>>477]]
- [502] 
[CITE[古京遺文]] 序文
「[V[文政元年󠄂七夕後一日]]」
[SRC[>>501]]
- [439] 
[[曲亭馬琴]]
[CITE[近世物之本江戸作者部類]]
[[識語]]
「天保五年甲子の春む月七くさはやすあした」
[SRC[>>438]]
-- [441] 
[TIME[日本天保5(1834)年[LINES[甲][子]]1月7日][kyuureki:1834-01-07]]
[SRC[>>440]]
朝
-- [442] 原作者不明本の[[曲亭馬琴]]写本の[[識語]]という体をとっているが、
[[曲亭馬琴]]が作者と解されている。
- [456]  
「洛医人名録中村東平編
序 万延紀元中元後一日得斉医叟識 序 久野耳一郎氏
撰 序 庚申桂月抱拙生漫識
(跋)辛酉孟春(文久元年) 加州金沢 中村東平」
[SRC[>>455 PDF 121ページ]]
-- [475] [TIME[日本万延元(1860)年[LINES[庚][申]]7月16日][kyuureki:1860-07-16]]
-- [476] [TIME[日本文久元(1861)年[LINES[辛][酉]]][1861]]1月
- [203] イベント小道具の書状 (毛筆書き) 「[V[平成二三年二月一日(仏滅)]]」 [SRC[>>200]]
[TIME[2011-02-01]]
- [206] 
[[日本国]][[滋賀県]][[蒲生郡]][[日野町]][[中之郷]][[安乗寺]]本尊阿弥陀如来裏書
「[V[寛永十八󠄂年辛己仲春[RUBY[嫺][かん]]([RUBY[[ASIS[嫻][ホ撥ねず]]][かん]])日]]」
[SRC[>>209 p.587]]
-
[790] 
[DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[熊本県]][[上益城郡]][[益城町]][[上砥川]]]] 阿弥陀堂 釈迦像]]
「[DATA(.text)[[V[寛喜弐年[LINES(normal)[庚][□]]二月[LINES(normal)[彼][岸]]五日]]]]」
[SRC[>>789]]



[REFS[
- [501] [CITE@ja[[[古京遺文]] - 国立国会図書館デジタルコレクション]], [[狩谷望之]], [TIME[明26.5][year:1893]], [TIME[2021-03-27T06:01:36.000Z]] <http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/780580/2>
- [438] [CITE[[[近世物之本江戸作者部類]] HTML版]], [TIME[2003-01-27T12:06:00.000Z]], [TIME[2021-03-19T09:28:45.258Z]] <https://jugo.echo.jp/shoko/sakushaburui.html>
- [209] [CITE[[[東桜谷志]]]]
- [788] [CITE[[[肥後の金石論集.II]]]]
-- [789]  
[CITE[[V[石碑__&&swc578(曼)&&__荼羅[YOKO[([TATE[十九]])]] 上砥川阿弥陀堂の石像遺品]]]], pp.[L[75]]-[L[80]]
- [440] [CITE[馬琴資料]], [TIME[2018-06-29T06:04:24.000Z]], [TIME[2021-03-19T09:38:10.345Z]] <http://www.ne.jp/asahi/kato/yoshio/bakin/tenpou5-.html>
- [455] [CITE[山本読書室資料仮目録電子版.indb - dokusho.pdf]], 
2014年3月10日発行,
[TIME[2017-10-28T11:12:29.000Z]], [TIME[2021-03-19T09:52:28.956Z]] <http://matsudakiyoshi.com/dokusho.pdf>
- [200] [CITE@ja[2011年2月2日 「[[肥前夢街道]]ゆるキャラ狩りイベント」参加 | 大野ジョー BLOG]], [TIME[2021-01-11T18:30:58.000Z]], [TIME[2021-01-27T06:49:34.786Z]] <http://blog.onojoe.main.jp/?eid=4>
-
[477] [CITE[田能村竹田の詞論 : 『塡詞図譜』を中心に]],
[[村越貴代美]],
[TIME[2019]]
<https://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/download.php/AA12310306-20190331-0079.pdf?file_id=140386>
PDF 8頁

]REFS]

[624] 
[CITE[untitled - t156_272.pdf]], [TIME[2011-12-30T21:05:48.000Z]], [TIME[2022-01-24T09:27:36.675Z]] <https://www.totetu.org/assets/media/paper/t156_272.pdf#page=9>

>
[L[昭和十三年四月二十九日天長節]]

- [783] [CITE@ja[江戸読本書目年表稿(文化期)]], [[tgen]], [TIME[2016-07-03T18:32:53.000Z]], [TIME[2023-12-02T09:22:19.243Z]] <https://fumikura.net/paper/edoyo/edoyo13.html>

[784] >>783

>そのゝゆき 五巻五冊 曲亭馬琴作 葛飾北斎画 衆星閣板
>(1)「文化四丁卯年春正月發兌\書林\江戸麹町平川町二丁目・角丸屋甚助梓」 (2)「文化丙寅のとし立夏後の一日」




** 年の日

[FIG(railroad)[ [223] 年日部
= |
== =
=== [CODE[春]]
=== [CODE[時正]]
== =
=== [CODE[時正]]
=== [CODE[吉日]]
== [CODE[結制]]
== =
=== [CODE[結制後]]
=== [VAR[月日番号]]
=== [CODE[日]]
== =
=== [CODE[解制前]]
=== [VAR[月日番号]]
=== [CODE[日]]
== [VAR[年の吉日]]
]FIG]


- [298] 小幡俣松平宮内少輔蔵雲版 (現所在不明)
「[V[応永十五結制記之]]」
[SRC[>>288 [B[28]]]] [TIME[1408年][year:1408]]



[FIG(railroad)[ [360] [[年]]の[[吉日]]
= =
== [CODE[今月]]
== |
=== [VAR[吉日]]
=== [CODE[日]]
]FIG]


- [461]  
[CITE[越前州帆山寺造[RUBY[栄][(営)]]勧進之状]]
「[V[享禄三庚寅今月日]]」 [SRC[>>370 (㉓ [V[「曼殊院文書」『福井県史資料編2中世』四一九ページ]])]]
[TIME[日本享禄3(1530)年[LINES[庚][寅]]][1530]]
- 
[371] 
[[日本国]][[岩手県]][[気仙郡]][[越喜来村]]宝珠院所蔵[[巡礼札]]
「[V[于時天文󠄃十一年]]
[V[[LINES[壬][寅]]今月日]]」
[SRC[>>370 p.[V[三三二]] [V[[YOKO[45]]]] ([CITE[岩手県金石志]], [[太田孝太郎]])]]
-
[358] 
[[日本国]][[静岡県]][[川崎町]]堀之内飯室神社[[鰐口]]
「[V[天文󠄃廿一稔今月吉日[SNIP[]]]]」
[SRC[>>339 p.[V[二一九]] [V[[YOKO[35]]]]]]
([TIME[日本天文21(1552)年][year:1552]])
- 
[373]  
[[日本国]][[岩手県]][[一ノ関市]]舞川観音堂旧蔵[[巡礼札]]
(現亡)
「[V[天文󠄃廿三年 [LINES[甲][子]]]]
[V[今月今日]]」
[SRC[>>370 p.[V[三三三]] [V[[YOKO[50]]]] ([CITE[岩手県金石志]], [[太田孝太郎]])]]


[REFS[
- [370] [CITE[[V[巡礼札について]]]],
[CITE[[[仏教考古学研究]]]], pp. [V[三二四]]-[V[三四〇]]
- [43] [CITE[[V[鎌倉時代の越前守について]]]], 
[[[V[佐藤圭]]]],
[TIME[2013-01-31T04:19:16.000Z]], [TIME[2021-03-06T06:36:12.926Z]] <http://www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/lt/rb/624/624PDF/satou.pdf#page=8>

]REFS]

[785] >>783

>阿波之鳴門 五巻五冊 柳亭種彦作 葛飾北斎画 木蘭堂板
(1)「文化五戊辰年正月吉日\東都\通油町・村田治郎兵衞\深川森下町・榎本惣右衞門\同平吉」 (2)「丁卯之小重陽日・伴雲山人」 
[SNIP[]]

[786] >>783

>小説浮牡丹全傳 前帙三巻四冊 山東京傳編・山東京山校 歌川豊廣画 鳳来堂板
(1)「文化六年己巳正月發行\書林\江戸本石町十軒店・西村宗七\同四谷傳馬町二丁目・住吉屋政五郎\梓行」 (2)(自序)「文化戊辰花朝」、(小引)「文化五年戊辰夷則」
[SNIP[]]

[787] >>783

>朝夷巡嶋記全傳 五巻五冊 曲亭馬琴作 一柳齋豊廣画 文金堂板
(1)「文化十二年乙亥\春正月吉日發販\繍梓書肆\江戸馬喰町三丁目・若林清兵衞\筋違御門外神田平永町・山崎平八\大坂心齋橋唐物町南ヘ入・河内屋太助」 (2)「文化甲戌冬至除夜・簑笠陳人」
[SNIP[]]


- [821] [CITE[[[肥後の金石論集.I]]]]
-- [822] [CITE[[V[肥後の雲版二例]]]], pp.[L[40]]-[L[44]]

[823] >>822 熊本市野田町川尻 大梁山大慈寺 雲版 裏面 
「[V[明和六己丑仏誕生月]]」

[258] >>257

* 時刻

[754] 
[[日付]]と共にまたは単体で[[時刻]]が記述されることがあります。

[755] 
[[前近代]]は[[十二支時刻]] (とその亜種等) が、
[[現代]]は主に[[西洋式時刻]]が使われます。
[[近代]]は両者が混在しています。

[FIG(railroad)[ [756] [VAR[時刻]]

= |
== [VAR[[[十二支時刻]]]]
== [VAR[[[西洋式時刻]]]]

]FIG]

* 省略形

[FIG(railroad)[ [243] [VAR[省略年月日]]
= [VAR[元号名]]
= [VAR[省略年番号]]
= ?
== [VAR[[[年の字]]]]
= [VAR[省略月番号]]
= [VAR[省略日番号]]

]FIG]

[FIG(railroad)[ [423] [VAR[省略年]]
= [VAR[元号名]]
= [VAR[省略年番号]]

]FIG]

- [422] [[法隆寺百万塔]]基底墨書銘 [[神護景雲]]年間
[SEE[ [[4文字元号の省略形]] ]]
- [662] 
[[日本国]][[八代郡]][[宮原町]]今天神 板碑
「[V[建徳二年二十]]」
[TIME[日本建徳2(1372)年2月10日][kyuureki:1372-02-10]]
[SRC[>>513 p.18 [V[三]] [V[③]]]]
- [252] 武蔵光明寺阿弥陀「[V[永仁三八十五]]」 [SRC[>>25]]

@@
[380] 
[[縦線踊り字]]

* 数字


[FIG(railroad)[ [20] 十廿
= |
== [VAR[十]]
== [VAR[廿]]
]FIG]

[FIG(railroad)[ [30] 廿
= |
== [CODE[廿]]
== [CODE[念]]
]FIG]

[FIG(railroad)[ [238] 一桁数
= [VAR[0]]
= [VAR[一桁正数]]
]FIG]

[FIG(railroad)[ [218] 一桁正数
= |
== [VAR[1..9]]
]FIG]

[240] 前近代は専ら[[漢数字]]が使われましたが、近現代は[[算用数字]]も混用されます。

[241] [[漢数字]]には[[大字]]や[[異体字]]も多い。

[351] 
[N[4]]
は、
「[V[二二]]」
や
「[V[[LINES[二][二]]]]」
と表記されることもありました。
[SEE[ [[二二]] ]]

[FIG(railroad)[ [664] [[非負整数]]
= |
== [VAR[[[漢数字]]による非負整数]]
== [VAR[[[乗法紀年法]]の数]]
]FIG]

[665] [N[4]] 以外も[[乗法紀年法]]により記述されることがあります。


[444] 
表記が混在することもあります。

- [481] 
[[日本国]][[奈良県]][[天理市]][[天理大学附属天理図書館]]蔵書印
(古活字版 [CITE[伊勢物語]], 請求番号 [V[九一三・三二―イ五五]])
「[V[昭和廿八󠄂年七月貳拾日]]」
[SRC[>>447 p.424]]
- [445] 
[[日本国]][[奈良県]][[天理市]][[天理大学附属天理図書館]]蔵書印
(請求番号 [V[二一〇・三-イ二三]])
「[V[昭和廿八󠄂年十一月拾日]]」
[SRC[>>446 p.156]]


[REFS[
- 
[447] 
[CITE[中近世移行期の文化と古活字版]],
[[高木浩明]],
[TIME[二〇二〇年十二月十日][2020-12-10]] 初版発行
-- [446] 
[CITE[下村本『平家物語』書誌解題稿]], pp.125-166
-- [448] [CITE@ja-jp[[[中近世移行期の文化と古活字版]] | [[高木浩明]] |本 | 通販 | Amazon]], [TIME[2021-02-23T02:24:57.000Z]] <https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4585200770/wakaba1-22/>
]REFS]

- [601] 
[CITE[huibao_029.pdf]], [TIME[2022-01-08T08:54:22.000Z]] <https://ir.library.osaka-u.ac.jp/repo/ouka/all/78839/huibao_029.pdf#page=3>
-[602] [CITE[huibao_052.pdf]], [TIME[2022-01-08T10:06:57.000Z]] <https://ir.library.osaka-u.ac.jp/repo/ouka/all/78863/huibao_052.pdf#page=7>


漢字40


* 干支

[FIG(railroad)[ [207] [[干支]]
= [VAR[十干]]
= ?
== [VAR[の]]
= [VAR[十二支]]
]FIG]

[FIG(railroad)[ [236] 割干支
= |
== [V[[LINES[[VAR[干]]][[VAR[支]]]]]]
== [V[[LINES[[VAR[十干の]]][[VAR[支]]]]]]
]FIG]

[FIG(railroad)[ [237] 十干の
= [VAR[十干]]
= ?
== [VAR[の]]
]FIG]

[208] [[十干]]、[[十二支]]は異名、[[仮名]]表記が使われることもある。

* 助詞

[FIG(railroad)[ [210] [[の]]
= |
== [CODE[の]]
== [CODE[ノ]]
== [CODE[之]]
]FIG]

[FIG(railroad)[ ・
= |
== [CODE[・]]
== [CODE[、]]
]FIG]

- [326] 
高浜村庄屋上田家文書
寛永10年6月25日付[CITE[高浜村御門徒人数付之帳]]
[CSECTION[きりしたんころひ申す書物の事]]
「[L[寛永十年酉ノ六月廿五日]]」
[SRC[>>325]]

[REFS[
- [325] [CITE[11ama.pdf]], [TIME[2015-07-09T07:58:09.000Z]], [TIME[2021-06-01T08:57:34.084Z]] <http://www.seinan-gu.ac.jp/museum/wp-content/uploads/2014/12/11ama.pdf#page=46>
]REFS]

* 前後

[299] 
[[紀年銘]]の前に[[于時]]や[[旹]]のような
「とき」のような語句が付いていることがままあります。
[SEE[ [[紀年接頭辞]] ]]


** 中

[SEE[ [[月中]] ]]

* 欠字

[342] 
[[日時]]に限らず欠落、判読不能を[[□]]などで表すことがあります。
[[日時]]の場合、
数値部分が欠けていることも、
構文的部分が欠けていることもあり得ます。

[343] 
[SRC[>>402 p.[V[二〇〇]]]]

>
[VRL[
[SNIP[]]日光中禅寺宝物館所蔵の
鰐󠄂口には
[BOX(indent)[
[SNIP[]] 文󠄃明□[LINES[戊][□]]年七月 [SNIP[]]
]BOX]
の墨書銘あり、
]VRL]


[348] 
[[日本国]][[京都府]][[京都市]][[東山区]][[清水寺]][[鰐口]]
[SRC[>>339 p.二一二 [V[[YOKO[6]]]]]]

>
[VRL[
嘉禎二年丙申 |[YOKO[|五|]]| 月 |[YOKO[|廿|]]| 八󠄂日
]VRL]

([TIME[嘉禎2(1236)年][year:1236]])

[349] 
この本は[[判読不能]]を[[□]]で表していますが、
ここでは普通サイズの文字の4辺に線を配置しています。
各辺はつながっていません。
[[判読不能]]文字の推定を[[□]]内に書き入れる記法を再現しようとしたものなのでしょうか。

* 記入欄

- [483] 
[[秋田県立図書館]]蔵本慶長十三年初刊本 [CITE[伊勢物語]] 古活字版
(請求番号[V[特―五一]])
蔵書印
「[V[明治三十四年十一月廿四日購入]]」
(「[V[四]]」、「[V[十一]]」、「[V[廿四]]」が墨書、それ以外は朱印)
[SRC[>>447 pp.416-417]]




[327] 
[CITE@ja[女工契約書49点一括 山梨県製糸工場主・井上長十郎 大正期 : 古書 古群洞 kogundou@jcom.zaq.ne.jp]], [[kogundou]], [TIME[2020-12-12T09:36:39.000Z]] <https://kogundou.exblog.jp/240710555/>

「[V[大正  年  月  日]]」
と印字された契約書。

[457] [CITE@ja[サマンサ ラジオさんはTwitterを使っています 「大正、昭和時代の種痘は2回行われ、これは2回分の[[種痘済証]]です。 https://t.co/ntt3xZQE3O」 / Twitter]]
(午後4:39 · 2021年2月7日 [TZ[+09:00]], [TIME[2021-02-25T09:27:22.000Z]])
<https://twitter.com/samansacat/status/1358319579320078339>

* 注釈付き


- [375] 
[[日本国]][[山梨県]][[勝沼町]]大善寺[[鰐口]]
「[V[徳治二年[SUP[丁]][SUB[巳]] (未[YOKO[?]]) 十一月廿日]]」
[SRC[>>339 p.[V[二一八]] [V[[YOKO[29]]]] ([CITE[甲斐国志]])]]
([TIME[日本徳治2(1307)年11月20日][kyuureki:1307-11-20]])

- [410] 
[[日本国]][[宮崎県]][[日向市]]細島地蔵寺墓地[[題目板碑]]
「[V[慶長十七年[LINES[壬][子]]二月廿[YOKO[?]]日]]」
[TIME[日本慶長17(1612)年][year:1612]]
[SRC[>>401 [V[[YOKO[77]]]]]]


- [372] 
[[日本国]][[岩手県]][[中尊寺]]経蔵所蔵[[巡礼札]]
「[V[于時(別筆)天文󠄃]]
[V[十一年[LINES[壬][寅]]今月日]]」
[SRC[>>370 p.[V[三三三]] [V[[YOKO[47]]]] ([CITE[中尊寺大鏡]], [[石田茂作]])]]

- [545] 
[[日本国]][[大阪府]][[枚方市]][[三之宮神社]]文書 ([[近世]])
「[V[天正六[RUBY[[SUP(smaller inline)[戊]][SUB(smaller inline)[酉]]][(戊寅)]]年六月十日亥之時]]」
([[明朝体]])
[SRC[>>546 p.23]]



[480] 
[CITE[[V[『全唐詩逸』をめぐる長崎の日清文化交流―文化元年の市河三亥を中心に―]]]],
[[[V[杉仁]]]]
<https://glim-re.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=1368&item_no=1&attribute_id=22&file_no=1>

論文本文「[V[文化元[LINES[一八󠄂][〇四]]年、]]」




* 改竄痕

[368] 
[[日本国]][[埼玉県]]御堂浄蓮寺文化元年板碑
「[V[文化(保)元年]]
[V[  十二月  日]]」
[SRC[>>364 pp.[V[二九二]]-[V[二九三]] [V[[YOKO[17]]]]]]

[[室町時代]]以前の造立とみられるものの、
「化」
に「[V[幽]]
[V[かに保を改竄せる鑿の痕迹]]」
があり、
改竄は普通古く遡らせるところ新しくしているのが珍しく、
墓碑か塔婆の代用にしたものと推測されます。
[CITE[北武蔵名跡志]], 明治二〇年が文明一三の碑ありとするのは、
これの誤認とみられます。
[SRC[>>364 pp.[V[二九二]]-[V[二九三]] [V[[YOKO[17]], p.[V[三〇二]] [V[([YOKO[26]])]] ([CITE[青石塔婆の偽物に就いて]], [[稲村坦元]])]]]]

[522] 
[[日本国]][[東京都]][[品川区]]荏原7丁目摩耶寺板碑
「[V[應安元年夘月八日]]」,
「[V[應安[YOKO[二二]]年八月__&&swc310(卄)&&__日]]」
の2基は、
「應安」
を
「應和」
に改竄したものでした。
なおこれらは他所から移管されたものとされています。
[SRC[>>519 pp.[V[三五一]]-[V[三五二]] (拓本あり)]]
[TIME[日本応安元(1368)年][1368]],
[TIME[日本応和元(961)年][961]]

[530] 
[[日本国]][[東京都]][[台東区]]池ノ端二丁目宗賢寺[[題目板碑]]に[TIME[日本永仁6(1298)年[LINES[戊][戌]]][1298]]のものがありました
[SRC[>>529 p.[V[二二]] ([CITE[東京日日新聞]] 大正十五年三月十二日, [[池田文痴庵]])]]
が、
[TIME[日本永正5(1508)年[LINES[戊][辰]]][1508]]を改竄したものでした。
[SRC[>>529 p.[V[二二]]]]

[553] [[清保]],
[[建保]]

- [687] [CITE@ja[豆人さんはTwitterを使っています: 「その志田の集落の、更に一歩奥。行く手にはもう、溜池と山と仙山線しかない……そんな場所にぽつんと、こちらの山神さまがいらっしゃる。どこがおかしいか、お分かりになりますか。 #今日のいしぶみ https://t.co/UhaoZpc6gT」 / Twitter]], [TIME[午後7:17 · 2021年12月30日][2021-12-30T10:17:12.000Z]], [TIME[2023-01-24T09:34:32.000Z]] <https://mobile.twitter.com/_mamehito_/status/1476497590342471681>
-- [688] [CITE@ja[豆人さんはTwitterを使っています: 「どこがおかしいか、の正解はこの点。紀年銘は「文和元年十月二日」。西暦に直すと、1352年……そんなバカな。ということで、見てくれ上は中世十四世紀の山神塔、ということになる。こういう石塔が、何の変哲もない山里に転がっているものなのか。 #今日のいしぶみ https://t.co/h6qiNmrQMF」 / Twitter]], [TIME[午後8:41 · 2021年12月30日][2021-12-30T11:41:51.000Z]], [TIME[2023-01-24T09:34:32.000Z]] <https://mobile.twitter.com/_mamehito_/status/1476518894928265220>
-- [689] [CITE@ja[豆人さんはTwitterを使っています: 「そーれは流石にないだろう。「文」の字はまず間違いないとして、「和」の字がおかしい。旁の口の字、向かって左側の縦画が突き抜け過ぎている……思うに、正しい本来の年次は「文化元年(1804)」。年号が偽刻の山神塔というところだろう。 #今日のいしぶみ」 / Twitter]], [TIME[午後8:46 · 2021年12月30日][2021-12-30T11:46:02.000Z]], [TIME[2023-01-24T09:34:32.000Z]] <https://mobile.twitter.com/_mamehito_/status/1476519946503225346>
-- [690] [CITE@ja[豆人さんはTwitterを使っています: 「ただ、何で志田の集落奥にこんな石塔があるかは分からずじまい。偽刻の理由も。台座が伴っていることからすると、古くからここにあるとは思うのだけれど。目の前を通る道はほぼ溜池の管理用道路。徒歩立入は制限されていないとは言え、誰も長く来ていないような、静かな林の中だった。 #今日のいしぶみ https://t.co/JORf8DbJd5」 / Twitter]], [TIME[午後8:53 · 2021年12月30日][2021-12-30T11:53:05.000Z]], [TIME[2023-01-24T09:34:32.000Z]] <https://mobile.twitter.com/_mamehito_/status/1476521721394266112>




* 特殊例

[458] [[聖暦]]

[805] [[初暦]]

[450] [[永戌]]

[693] [[正中]]

[451] 「六四、嘉永戌二酉年十月、酉年貢可納割付之事」 [SRC[>>449]]
([TIME[日本嘉永元(1848)年[LINES[戊][申]]][1848]],
[TIME[嘉永2(1849)年[LINES[己][酉]]][1849]],
[TIME[嘉永3(1850)年[LINES[庚][戌]]][1850]])

[653] [[清国中和主人]]書 [SEE[ [[征露]] ]]

[473] [[遡及年号偽造文書事件]]

[509] 「[VAR[何]]年月日」 [SEE[ [[天命]] ]]


[669] 
[[乗法紀年法]]と同じ要領で
「二三八日」で2月24日を表す例があります。 [SRC[>>513 p.30]]



[378] 伝浙江会稽道紹興古墓出土重列神獣鏡 [SEE[ [[太歳在]] ]]

[514] [[道後温泉碑]]

[379] 晋太元十九年歳次甲午銅像銘 [SEE[ [[歳次]] ]]

[585] [[中原皇清国]]

[REFS[
- [449] [CITE@ja[磐田市立図書館]], [TIME[2021-02-23T03:26:44.000Z]] <https://www.lib-iwata-shizuoka.jp/WebOpac/webopac/searchdetail.do?biblioid=644269>
]REFS]

[586] [[古史古伝の日時]]

[590] [CITE[04郷土の文化財(第6版) #2860C9 - P55-82.pdf]], [TIME[2009-12-09T06:54:57.000Z]], [TIME[2021-10-20T12:22:01.086Z]] <https://www.city.kurume.fukuoka.jp/1080kankou/2015bunkazai/3010bunkazai/files/P55-82.pdf#page=8>

>
[LEFT[
裏面に「[RUBY[元][げん]][RUBY[禄][ろく]]八年(1695)次乙亥十一月日建焉」の
文字が刻み込まれています。
]LEFT]

[591] [CITE@zh[後漢書/卷103 - 维基文库,自由的图书馆]], [TIME[2021-10-08T09:26:43.000Z]], [TIME[2021-10-22T09:33:13.709Z]] <https://zh.wikisource.org/wiki/%E5%BE%8C%E6%BC%A2%E6%9B%B8/%E5%8D%B7103#:~:text=安帝元初四年>

> 安帝元初四年秋,郡國十淫雨傷稼。

>安帝元(年)〔初〕四年秋郡國十淫雨傷稼 校補謂「元年」乃「元初」之訛,各本皆失正。蓋訛沿上和帝永元十年、十三年、十四年、十五年迭舉之例,不覺其訛。然自孝武建元以下,史無書元不著年號者。況安帝屢改元,不書年號,何以辨之?且據本書安紀,亦惟元初四年秋七月京師及郡國十雨水,而由元初元年秋上溯永初元年秋,皆無此異,是其為訛亦顯而易見也。今據改。 

[593] 
[TIME[2021-11-28T03:02:25.400Z]]
<https://ir.lib.shimane-u.ac.jp/files/public/0/1025/20170425011922581971/b002002600k016.pdf>
PDF 15頁


[627] 
[CITE[張今:出土[[六朝]]磚銘文字校訂十五則]], [[先秦秦漢史]], 
2022-07-13 19:00,
[TIME[2022-07-17T01:44:01.000Z]], [TIME[2022-07-24T08:40:02.377Z]] <https://mp.weixin.qq.com/s/fbRyDAKiUaleE1FovJ3TTg>

[628] >>627

「[V[太和五八月四日作]]」 ([[楷書]]?)

「年」の脱落と推定されている。

[629] >>627

「[V[永安四年太歲在辛巳乙卯之朔十一月十二日乙卯[SNIP[]]]]」

>“永安”為吳景帝孫休年號(258-264),四年(261)歲次丁巳,十一月朔日當為甲辰,但當年十月為小月,也許是刻製地券的工匠疏於考慮,遂將十一月朔日天干延後一天至“乙”,但地支“卯”又較朔日甲辰提前了一天,可知這名工匠對天干和地支的計算是分離的。此外,“乙卯之朔十一月”這一紀月方式也僅見此例。


-
[645] 
[CITE[[V[改併玉音類粟四声篇󠄀]]]],
[V[金韓孝彦原撰]],
[V[男道昭重編]],
[V[元至元二六年刊]]:
[CSECTION[[V[重編改併玉音篇序]]]]
「[V[旹泰和八年歳/在強圉単[RUBY[閹][マヽ]]律逢󠄄無射旹六日[SNIP[]]]]」
[SRC[>>644]]
-- [646] 
[TIME[金泰和7(1207)年丁卯][1207]],
[TIME[金泰和8(1208)年戊辰][1208]]
-- [647] 
強圉 = 丁, 単閼 = 卯, 無射 = 9月
-- [648] 
[TIME[元至元26(1289)年][1289]]


-
[644] 
[CITE@ja[[V[[LINES(smaller)[中華民][國國立]]中央圖書館等蔵宋金元版解題[BR[]]⸺中国訪書志三⸺]]]],
[[[V[阿部隆一]]]],
[TIME[1976]]
<https://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/detail.php?koara_id=AN00106199-00000013-0001>
#page=54


[636] [CITE[自祭文:[[陶淵明]]自らを祭る]], [TIME[2018-10-25T07:13:00.000Z]], [TIME[2022-09-19T10:29:37.522Z]] <https://tao.hix05.com/502jisaibun.html>

> 歳惟丁卯 律中無射   歳は惟れ丁卯 律は無射に中る

>年はあたかも丁卯、季節は中秋の九月、天は寒く夜は長く、風の気配は物寂しい。鴻雁は遠く旅立ち、草木は枯れ落ちた。(丁卯の年は陶淵明63歳にあたる、無射は音階12律の11番目、季節としては9月にあたる)



[678] [CITE@ja-JP[花園遺史]], [[尾上角兵衛]], [TIME[1967]], [TIME[2023-01-06T06:14:39.000Z]], [TIME[2023-01-07T14:38:29.566Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/3008717/1/51> (要登録)
左ページ

[681] 
「[VAR[何]]月[VAR[何]]月」: [[仮名書年号]] (誤植事例)

[683] 
[CITE@ja-JP[千葉県史料 中世篇 香取文書]], [[千葉県史編纂審議会]], [TIME[1957]], [TIME[2023-01-17T10:48:16.000Z]], [TIME[2023-01-21T14:29:41.554Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/3450860/1/101> (要登録)
右下

「奉」

[694] 
[[徳寿]], [[永彭]]

[701] 
月在: [[清末民初の日時]]

[770] [[三元甲子]],
[[紀 (12年)]],
[[世 (30年)]]

[707] [[□熙]]

[838] [[天平]]

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [775] 
[DATA(.label)[永井・台・種字板碑群]]
「[V[[DATA(.text)[元亨四年三月十[LINES(normal)[九][日]]]]    (一三二四) ]]」
[SRC[>>637 #page=41 ([V[永井・台・種字板碑群]] [V[[YOKO[1]]、永井・台]])]]
- [778] 
[DATA(.label)[樫崎・妙円寺 [[板碑]]]] 
「[DATA(.text)[[V[延文[LINES(normal)[二][二]]年二月[LINES(normal)[十六][ 日 ]]]]]]」
[SRC[>>637 #page=76]]
- [776] 
[DATA(.label)[永井・台・種字板碑群]]
「[DATA(.text)[[V[[LINES(normal)[嘉吉三年][[SNIP[]]][大三年[LINES(normal)[九  月][廿一日]]]]]]]]」
[SRC[>>637 #page=58 ([YOKO[13]]、永井・台)]]
-- [[書字方向「[MIRRORED[小]]」]]
-- [777] 同じ板碑群の他の[[板碑]]と見比べると、「大三年」は3回忌か何かの意味?

]ITEMS]

- [793] [CITE@ja-JP[滋賀県立琵琶湖文化館研究紀要 = The annual reports of the Biwako Bunkakan (13)]], [[滋賀県立琵琶湖文化館]], [TIME[1996-03]], [TIME[2023-11-28T02:04:43.000Z]], [TIME[2023-12-08T12:12:31.670Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/4422827/1/20> (要登録)

[794] >>793 この論文は全編[[左上横書き]]、
原物が[[縦書き]]と思われる銘文も[[横書き]]化されているが、

- [799] 162. 「[L[貞治六年[SUP(quarter)[丁]][SUB(quarter)[未]]八󠄂月十八󠄂日]]」
- [795] 165. 「[L[応安六年[LINES(quarter)[丑][癸]]]]」
- [796] 166. 「[L[応安[LINES(quarter)[甲][七][寅]]年七月十八󠄂日]]」
- [797] 169. 「[L[永和三年[BR[]][LINES(quarter)[丙][巳]]五月日]]」
- [798] 173. 「[L[永和[LINES(quarter)[二][二]]年[LINES(quarter)[戊][壬]]十一月十六日]]」

とあって、[[干支]]の順番が逆じゃないかと思われるものがいくつか混じっているのは、
本当は原文がどうなっているのか。

[800] [[横書き]]化のミスなら困ったものだし、
そうでないなら貴重な情報になるのに原形がはっきりしないと情報源として信用ならない。
こういうことがあるので[[縦書き]]の銘文を[[横書き]]で収録するのは悪習。改めるべき。

[811] 
「[V[七[LINES(normal)[月][日]]]]」 [SEE[ [[元弘]] ]]

[816] [CITE@ja-JP[信濃史料 第9巻 (応仁2年正月-明応2年11月)]], [[信濃史料刊行会]], [TIME[1957]], [TIME[2024-02-01T05:12:54.000Z]], [TIME[2024-02-08T03:48:26.035Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/3013099/1/30> (要登録)

「応仁二年」の脱字と思われる「応仁年」

[818] [CITE@ja-JP[賀名生村史]], [[賀名生村史編集委員会]], [TIME[1959]], [TIME[2024-02-01T05:12:54.000Z]], [TIME[2024-02-12T15:16:08.192Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/2995327/1/174> (要登録)

干支斜め書きがなんかおもしろいことになってる

[819] [CITE@ja[神奈川大学 学術機関リポジトリ]], [TIME[2024-02-17T14:57:07.000Z]] <https://kanagawa-u.repo.nii.ac.jp/records/14171>
#page=46

干支年の位置

- >>670
-- [824] [CITE[[V[石碑曼荼羅 [YOKO[([TATE[十八]])]][BR[]][RUBY[八][やち]][RUBY[衢][また]]大神の石碑]]]],
pp.[L[72]]-[L[74]] 

[825] >>824 高森町 衢神石碑  
「[V[慶応三[SUP(quarter)[丁]][SUB(quarter)[卯]]年[BR[]]十月未三日]]」


[830] [CITE@ja-JP[宗良親王信州大河原の三十年・東海信越南北朝編年史]], [[松尾四郎]], [TIME[1981.12][1981]], [TIME[2024-05-28T02:01:58.000Z]], [TIME[2024-07-26T23:48:52.375Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12270332/1/15> (要登録)
右上

閏正平7年2月17日

[355] 
[CITE@ja-JP[板碑 : 埼玉県板石塔婆調査報告書 3]], [[埼玉県立歴史資料館 編集]], [TIME[1981.3][1981]], [TIME[2025-04-22T02:57:30.000Z]], [TIME[2025-05-10T09:36:26.661Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12221354/1/403> (要登録)

[L[6]] 「[V[貞治年]]」


* 仮名表記、振り仮名

[SEE[ [[仮名書年号]] ]]

* 書字方向

[385] 
[[文章]]中に登場する[[日時表示]]は、
通常の[[文章]]の[[書字方向]]に従います。
[[漢字文化圏]]では伝統的に[[右上縦書き]]が主として使われてきました。
[[近代]]以後[[左横書き]]が増加し、
[[現代]]の[[中華人民共和国]]では[[左横書き]]が原則に、
[[日本]]や[[中華民国]]でも主流になっています。
[SEE[ [[書字方向]]、[[右上縦書き]]、[[左横書き]] ]]


[386] 
文末や[[金石文]]の[[タイムスタンプ]]として使われる[[日時表示]]も、
基本は[[文章]]中と同じように配置されますが、
[[媒体]]の形状やデザイン上の都合 (対称性など) から、
やや特殊な配置が取られる場合があります。
[[現代]]では[[ポスター]]や[[パンフレット]]などの[[日時表示]]にも、
数値の強調やデザイン性の追求などのため、
特別な配置がなされる場合があります。
[SEE[ 近現代の事例は[[横中縦]]、[[昭和時代の日時]]も参照。 ]]


[387] 
[[金石文]]や[[古文書]]の[[翻刻]]やデジタル化データでは、
[[書字方向]]や[[文字]]の配置の完全な再現は困難です。
現物をどの程度忠実に再現するかは、
翻刻者の解釈や掲載[[媒体]]の特性によって様々です。
例えば現物が[[縦書き]]でも[[横書き]]で記述されていることがあります。
翻刻の方針は必ずしも明記されていないので、
必要に応じて現物や写真を確認しないといけません。
引用が繰り返された結果、
異なる方針の翻刻が混在していることがあります。
その過程で現物が失われて確認が不可能となってしまっていることすらあります。



-*-*-

[389] 
碑文などでそこまでスペースがないとき、
[[日付]]を[[年]]と[[月日]]に分けて別の[[行]]に書くことが、
ままあります。
いくつかの類型があります。

- [390] [V[[LINES[[VAR[何]]年歳在[VAR[何々]]][[VAR[何]]月[VAR[何]]日]]]]:
上揃え
- [391] [V[[LINES[[VAR[何]]年歳在[VAR[何々]]][   [VAR[何]]月[VAR[何]]日]]]]:
2[[行]]目を[[字下げ]]、あるいは下揃え
- [392] [V[[LINES[  [VAR[何]]月][[VAR[何]]年歳在[VAR[何々]]][  [VAR[何]]日]]]]:
「[MIRRORED[小]]」の字型

[400] 
1つ目、2つ目の形は普通の[[右上縦書き]]といえます。

[419] 稀に、左行に[[元号名]]、右行に年数を書くような配置もありました。
[SRC[>>417]]



[414] 
このような書き方の違いは、他の特徴と合わせて[[板碑]]の[[編年]]に使われることがあります。
[SRC[>>415 p.[V[一一八󠄂]]]]

[416] 
こうした[[日付]]を分断した表記法は、
[DFN[割書]]と呼ばれることがありました
[SRC[>>415]]。
ただし[[割書]]は[[[LINES[干][支]]]]などにもみられる[[小書き]]の[[割注]]の意味でも使われるので要注意です。




[418] 
翻刻では、スペースの都合で[[改行]]を記号「[V[」]]」に置き換えて示していることもあります
[SRC[>>417]]。 (こうした表記法は[[日時表示]]に限らず使われることがあります。)


- [399] 
[[日本国]][[宮城県]][[登米郡]]中田町本源寺[[題目板碑]]
「[V[[LINES[嘉暦弐年[LINES[丁][卯]]][九月十九日]]]]」
[SRC[>>377 [V[[YOKO[5]]]]]]
- [420] 
[[日本国]][[神奈川県]][[横浜市]][[港北区]]新吉田町板碑
「[V[[LINES[延文二年][十月日]]]]」
[TIME[日本延文2(1357)年][year:1357]]
[SRC[>>417]]
- [421] 
[[日本国]][[神奈川県]][[横浜市]][[港北区]]新吉田町板碑
「[V[[LINES[応永][[LINES[二][二]]年]]]]」
[TIME[日本応永4(1397)年][year:1397]]
[SRC[>>417]]


-*-*-

[393] 
[[板碑]]などで[[日付]]を
「[MIRRORED[小]]」
の字のように中央行、それを跨いで左右行と分けて書くことがよくありました。

[394] 
普通の[[右上縦書き]]の文章とみなすと、
[[日付]]の構成要素が入れ替わっている不自然な形になってしまいます。
(翻刻文で[[改行]]を保持しなかったため、そうなってしまっている事例がないでもない。)

[395] 
[[意味的][論理順]]には、中央文、右行、左行という順序で[[行]]が並んでいると解釈するのがいいでしょうか。
すると単純な[[右上縦書き]]とは違った[DFN[書字方向「[MIRRORED[小]]」]]と言ってしまってもいいのかもしれません。


[396] 
「[MIRRORED[小]]」のように、といっても現物は翻刻文のように隣接した3行として書かれているとは限らず、
利用可能なスペースの中央と右端、左端にかなりスペースをとっている場合もありますし、
中央と左右で文字の大きさに違いが有る場合もありますが、
そうでない場合もあります。
つまり翻刻文と実物で印象がかなり違ってくることがあるので要注意です。

[398] 
こうした書法は何も[[日付]]に限ったものではなく、「敬白」
を右に「敬」、左に「白」と分割して書いたりもしていました。


- [397] 
[[日本国]][[宮城県]][[栗原郡]]一迫町妙教寺[[題目板碑]]
「[V[康永元[LINES[八月 敬][年][十九日白]]]]」
[SRC[>>377 [V[[YOKO[20]]]]]]
- [413] 
[[日本国]][[宮崎県]][[日向市]]財光寺定善寺墓地[[題目板碑]]
「[V[[LINES[ 天正五 丑][当山九日現阿][ 五月廿四日]]]]」
[TIME[日本天正5(1577)年][year:1577]]
[SRC[>>401 [V[[YOKO[86]]]]]]
- [[網走板碑]]

[640] 
[[翻刻]]の再現程度は担当者が十分と判断した程度なので、
書き方を問題にするときは拓本 (や実物) で確認したいものです (がなかなか難しい)。

- [638] 
如来板碑群 1、牛田・如来
[VRL[
[PRE[
    大戈
弘安七年十月[LINES(normal)[二十□][[ASIS[□][2字分]]白]] 
    甲申
]PRE]
]VRL]
[SRC[>>637 #page=11]]
[TIME[日本弘安7(1284)年10月20日][1284-10-20]]頃
-- [639] 
拓本によると「二」は「月」の右隣、「戈」の下。
損傷が激しいがおそらく「甲申」と「[敬]白」も同じ行。

;; [641] 銘文翻刻の再現度が低い例は
>>637 #page=12
もそう。「[MIRRORED[小]]」の左側が剥落した跡 (月日が書かれていた?)
が[[翻刻]]されず省略されている上に、中央と更に左側が1ブロックのようになっていて、
右側が右下ではなく下段にあって、
拓本がなければまったく違う構造に見えてしまいます。
これで[[翻刻]]銘文だけが他書に引用されると、
そこに[[日時表示]]があったということ
(そして左隣の「末法万年」が[[日付表示]]の一部を構成しているわけではないということ)
を検出するのが難しくなる。

- [642] 
如来板碑群 9、牛田・如来
[VRL[
          五
       戌
嘉暦三年九月
       辰
          日
]VRL]
>>637 #page=20
-- [643] 翻刻では「五」「日」がその上の「戌」「辰」と水平方向にややかすっている。
拓影では「五」「日」は「戌」「辰」の真下に見える。
-- [649] 「嘉」「年」「辰」は拓影では「__&&swc413(𭐒)&&__」「年󠄂」「𫝕」のような字形。
-- [650] 「戌」は拓影では「戊」のように見えるがはっきりしない。
-- [651] 「暦」は拓影では「厂」のように見えるがはっきりしない。

[REFS[
- [637] 
[CITE[[V[桃生•山内首藤氏と板碑]]]],
[[桃生町教育委員会]],
[V[平成十一年三月十一日発行]],
<https://sitereports.nabunken.go.jp/files/attach/29/29561/21436_1_%E6%A1%83%E7%94%9F%E3%83%BB%E5%B1%B1%E5%86%85%E6%B0%8F%E3%81%A8%E6%9D%BF%E7%A2%91.pdf>


]REFS]

@@
[BOX[

[772] [CITE@ja[大心さんはTwitterを使っています: 「久しぶりにお気に入りの地蔵さんに逢って来ました✨ このユルさがたまりません🥰 #癒し系 https://t.co/VVo6LbqJCR」 / X]], [TIME[午前7:07 · 2023年8月9日][2023-08-08T22:07:22.000Z]], [TIME[2023-08-14T06:26:25.000Z]] <https://twitter.com/17G6P5td1wOBglk/status/1689035601587171328/photo/1>

行が左、右と進んでいる。明治時代。

[840] 
[CITE@ja-JP[多摩ニュータウン遺跡 昭和58年度 /第6分冊]], [[東京都埋蔵文化財センター]], [TIME[1984.3][1984]], [TIME[2026-01-20T01:30:11.000Z]], [TIME[2026-02-06T14:42:18.509Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12255776/1/93> (要登録)


]BOX]

[810] 
左、右と進む中世の事例 [SEE[ [[弥勒]] ]]

-*-*-

[388] 
[[干支]]などは[[割書]]されることがよくあります。
その翻刻の再現の程度にもいろいろあります (>>323)。
原文が[[割書]]でも、普通の文字列で表現されていることがあります。




- [296] 徳島県[[丈六寺]]雲版「[V[明徳[LINES[五甲][戌]]九月日]]」
[SRC[>>288 [B[21]] ([CITE[讃岐金石史]], [[岡田唯吉]])]] [TIME[1394年][year:1394]]
- [301] 
[[東京都]][[海晏寺]]雲版
「[V[応永十二[LINES[乙][未]][LINES[十二月吉日][施入大工[SNIP[]]]]]]」
[SRC[>>288 [B[32]] ([CITE[大日本金石史]], [[木崎愛吉]] など)]] [TIME[1415年][year:1415]]

[350] 
[[日本国]][[岐阜県]][[郡上郡]][[相生村]]比新社[[鰐口]]
[SRC[>>339 p.二一五 [V[[YOKO[14]]]] ([CITE[正嘉元年銘ある懸仏について]], [[伊東富太郎]]; [CITE[美濃国那比新宮の懸仏郡について]], [[塩田敏郎]])]]

>
[VRL[
文󠄃永五年[LINES[戊][辰]]三月[LINES[十三][日]][SNIP[]]
]VRL]

([TIME[日本文永5(1268)年3月13日][kyuureki:1268-03-13]])

[357] 
[[日本国]][[京都]][[杉浦丘園]]所蔵[[鰐口]]
「[V[[LINES[于時延󠄁宝六戊午歳][  二月吉日  ]][SNIP[]]]]」
[SRC[>>339 p.[V[二一八]] [V[[YOKO[27]]]] ([CITE[雲泉荘山誌]], [[杉浦丘園]])]]

([TIME[日本延宝6(1303)年][year:1303]]2月)



[361] 
[[多古町]]中村唐竹妙光寺板碑Iの翻刻 [SRC[>>362 p.二三一]]
「[V[応安五年[LINES[大才][壬子]][LINES[二月][十九日]]]]」

「大才」の右半分が「応安五年」の左半分と同じ垂直位置。
「二月」が「応安五年」と同じ垂直位置。


- [362] [CITE[[V[下総󠄃型題目板碑考]]]],
[CITE[[[仏教考古学研究]]]], pp. [V[二二三]]-[V[二四七]]


- [409] 
[[日本国]][[宮崎県]][[日向市]]細島妙国寺門前[[題目板碑]]
「[V[慶長拾九[LINES[甲][寅]]年八[LINES[月][日]]]]」
(「八月」は同じ行、その左の行に「日」)
[TIME[日本慶長19(1614)年][year:1614]]
[SRC[>>401 [V[[YOKO[82]]]]]]
- [412] 
[[日本国]][[宮崎県]][[日向市]]細島妙国寺境内墓地[[題目板碑]]
「[V[慶長七年 [LINES[二][ ][月][ ][日]]]]」
[TIME[日本慶長7(1602)年][year:1602]]
[SRC[>>401 [V[[YOKO[73]]]]]]


[365] 
[[日本国]][[埼玉県]]御堂浄蓮寺大永八年板碑
「[V[大永[LINES[大歳][八年][戊子]]七月  日]]」
[SRC[>>364 p.[V[二七八]] [V[[YOKO[2]]]]]]

[367] 
[[日本国]][[埼玉県]]御堂浄蓮寺板碑
「[V[文󠄃禄四[LINES[乙][年][未]]四月八[LINES[敬][日][白]]]]」
[SRC[>>364 pp.[V[二八九]]-[V[二九〇]] [V[[YOKO[14]]]]]]

[60] [CITE[百貨店の広告]], [TIME[2020-10-18T02:38:00.000Z]], [TIME[2020-11-09T10:24:36.272Z]] <http://tokyowanyosai.com/soft/shakai/pr-hyakka.html>

昭和17年3月
「[L[[TATE[[YOKO[3]]月]]30日―[TATE[[YOKO[4]]月]]6日]]」

[332] [CITE@ja[[[グランフォンドKOMORO]] 長野県小諸市さんはTwitterを使っています 「12月18日12:00~13:00開催の東京オリンピックのシンポジウムにて6月28日に行われた、オンラインサイクリングイベント、GRANFOND KOMORO feat. LongRiderStories! Enjoy Rideについて事例発表いたします! お時間ある方はこちらからご視聴ください! https://t.co/RMg6ii7ClQ https://t.co/0oOs04rWoo」 / Twitter]], 午後0:42 · 2020年12月17日 [TZ[+09:00]], [TIME[2020-12-18T01:50:55.000Z]] <https://twitter.com/gfkomoro/status/1339415633469919232>

ポスター的な画像
「[L[[LINES[令和][2年]]12月18日 (金) 12:00〜13:00]]」





[359] 
[[日本国]][[東京都]][[八丈島]]中ノ郷中里大御堂[[鰐口]]
「[V[徳治二年 [LINES[丁][未 三月二日[SNIP[]]]]]]」
[SRC[>>339 p.[V[二一八]] [V[[YOKO[30]]]] ([CITE[八丈島の史蹟]], [[稲村坦元]])]]

([TIME[日本徳治2(1307)年3月2日][kyuureki:1307-03-2]])

[363] 
[[多古町]]島正覚寺板碑I
「[V[応永十三年[LINES[丙][戌一月日]]]]」
[SRC[>>362 p.二三六]]

- [328] [CITE@ja[第209回 残っている「はけ」の数々 | 漢字の現在(笹原 宏之) | 三省堂 ことばのコラム]], [TIME[2020-12-13T11:58:24.000Z]] <https://dictionary.sanseido-publ.co.jp/column/kanji_genzai209>
-- [329] [CITE[209_6_l.jpg (JPEG 画像, 793x600 px)]], [TIME[2018-07-27T08:49:42.000Z]], [TIME[2020-12-13T11:58:39.524Z]] <https://dictionary.sanseido-publ.co.jp/wp-images/column_sasa/209_6_l.jpg>

石碑
「[V[萬延二[SUP[辛]][SUB[𮠕載]]]]」



* 固定値

[FIG(short list)[ [51] 固定の[[日時]]
- [[五月丙午]]
- [[天平十二年八月日]]
- [[天平十七年八月]]
- [[正平六年六月一日]]

]FIG]



* 文脈

[467] [[日下]]

[474] [CITE@ja[中世の古文書(小島道裕)さんはTwitterを使っています 「北条氏にしても、動物の絵を印の上に付けるのは、東アジア諸外国には例を見ないし、押印位置も日付上ではあるが安定しない。「東アジア標準」の印と押印位置をきちんと取り入れたのは、実は明治政府です。下の例も、天皇印ではないので、年号の一字目を避けて押しています。 https://t.co/66HcQ7UhaH」 / Twitter]], 午後8:44 · 2021年3月15日 [TZ[+09:00]], [TIME[2021-03-18T09:39:29.000Z]] <https://twitter.com/kojima_sakura/status/1371427123248783365>

* 甲骨文字、金文

[SEE[ [[甲骨文の日付表示]] ]]

* 研究史

** 石田茂作


[61] 
[CITE[造像銘記]]は、
[[日本]]に現存していた[[仏像]]の[[銘文]]を集成したものとして、
[V[大正十五年九月一日]]に発行されました [SRC[>>62]]。

[63] 
考古学研究者の[[石田茂作]]は、
[CITE[造像銘記]]
掲載の[[紀年銘]]を中心に分類整理し、
[[考古学会]]の会長で
[CITE[造像銘記]]
編纂に尽力した[[三宅米吉]]
[WEAK[([TIME[万延元(1860)年][1860-07-01]]-[TIME[昭和4(1929)年][1929-11-11]])]]
の追弔論文として[TIME[昭和5(1930)年][year:1930]]に
[DFN[[CITE[紀年銘の記載形式に就いて]]]]
として発表しました
[SRC[>>25]]。

[65] 
[[紀年銘]]の形式に時代差があることは既に知られてはいましたが [SRC[>>25]]、
統計的に考察しその全体像を掴もうとしたことに大きな意義があります。
それも
[CITE[造像銘記]]
というデータベースが整備されてこその成果と言えます。

[531] 
著者自身が、
「[V[思いつきで、手近󠄁の材料のみ]]」
によってまとめたに過ぎず、
「[V[諸賢の御敎示によって、後日の完成を期し度い]]」
とした
[SRC[>>25]]
ように、
元のデータベースの限界が自ずとこの研究の限界でもあります。
残念なことに、
100年近くが経過しても未だこれを超えるものはなく、
貴重な研究成果として参照され続けています。
(部分的に補足する研究はいくつかあるのですが。)

[532] 
[[金石文]]も文献資料も当時より圧倒的な数が発見されていてデジタル化も少しずつ進んでいるので、
改めてこの分野の研究に取り組んでくれる人が現れてほしいものです。


-*-*-

[64] 
[V[年次󠄄の記載形式]]は、次のように分類していました。
[SRC[>>25]]

- [66] [V[一、年號年次󠄄なく、唯だ干支のみによるもの]]:
「[V[まだ年號の制定なかった時代]]」に使われた。
-- [72] [V[[YOKO[1]]、歲次󠄄丙寅年]]
-- [73] [V[[YOKO[2]]、歲在辛巳年]]
-- [74] [V[[YOKO[3]]、戊子年]]
- [67] [V[二、干支なく、年號年次󠄄のみによるもの]]
-- [75] [V[[YOKO[1]]、慶雲二年]]:
慶雲2年[[宇治宿禰墓誌]]銘が最古。
[[藤原時代]]に特に多く行われた ([CITE[造像銘記]]中[FRAC[12][25]])。
[[鎌倉時代]]にも無いでもないが[[干支]]併記が増え、
[[南北朝時代]]、[[室町時代]]とその傾向が強まる。
-- [76] [V[[YOKO[2]]、嘉禎第三年]]:
[[鎌倉時代]]中期以後[[南北朝時代]]にかけて最も流行。
[[東大寺念仏地蔵]]銘
「嘉禎第三天」
が最古。
- [68] [V[三、年號年次󠄄干支を具󠄄備するもの、其の一]]
-- [77] [V[[YOKO[1]]、法興卅一年歲次󠄄辛巳]]:
[[法隆寺釈迦造像銘]]が最古。
[[和銅]]・[[天平]]の頃には用例も多い。
[[平安時代]]以降[[鎌倉時代]]頃まで相当例あるが、
「[V[天治元年[LINES[歲次󠄄][甲辰]]]]」
のような[[細字]]で[[割書]]するものが多い。
[[割書]]最古は天治元年常陸[[東城寺]]経筒銘。
-- [78] [V[[YOKO[2]]、法興六年歲在丙辰]]:
[[道後温泉碑]]が最古。
[[奈良時代]]にも用例あり。
[[中世]]以降は稀で、
擬古的な例が数点ある。
-- [79] [V[[YOKO[3]]、天正十一年歲舍癸未]]:
[[戦国時代]]以降に極稀にある。
-- [80] [V[[YOKO[4]]、保安三年大歲[LINES[壬][寅]]]]:
保安3年常陸[[東城寺]]経筒銘が最古。
「[V[承安元年[LINES[大歲][辛卯]]]]」
型の方が多い。
「[V[大才]]」とも書く。
[[鎌倉時代]]や[[南北朝時代]]に相当多いが[[室町時代]]以後は珍しい。
-- [81] [V[[YOKO[5]]、享徳二稔龍集癸酉]]:
龍集の他に
「[V[龍次󠄄]]」
とも書く。
- [69] [V[四、年號年次󠄄干支を具󠄄備するもの、其の二]]
-- [82] [V[[YOKO[1]]、神龜三年丙寅]]:
神龜3年以後、
[[平安時代]]、
[[鎌倉時代]]、
[[室町時代]]を通して長く広く使われた。
-- [83] [V[[YOKO[2]]、天慶九年[LINES[戊][寅]]]]:
山城岩船寺天慶9年[[阿弥陀像]]銘が最古。
[[藤原時代]]まで用例はあるが多くない。
[[鎌倉時代]]にはこの形式が最多で最も普通だった。
[[南北朝時代]]以後用例はあるが少ない。
-- [84] [V[[YOKO[3]]、文治五年[SUP[己酉]]]]:
[[鎌倉時代]]以後。
-- [85] [V[[YOKO[4]]、嘉曆四年[SUP[己]][SUB[巳]]]]:
近江[[金剛輪寺]]嘉暦4年不動銘が最古。
[[鎌倉時代]]後期から[[室町時代]]に特に用例が多い。
-- [86] [V[[YOKO[5]]、正平七[LINES[壬][辰]]年]]:
[[室町時代]]に非常に多い。
[V[[[干支]]の字配り]]が[[分書]]とそうでないものがあるが、
[V[此の場合大した問題にはならぬらしい]]とのこと。
- [70] [V[五、年號年次󠄄の下に干か支の何れかをつけたもの]]
-- [87] [V[[YOKO[1]]、永仁五年酉]]
-- [88] [V[[YOKO[2]]、文明四癸年]]:
[[足利時代]]に用例あり。
- [71] [V[六、年號と干支のみを記し、年次󠄄をあらわす數字をかくもの]]:
[[佐渡]][[常楽院]]鐘銘
「[V[弘長壬戌林鐘]]」が最古。
[[鎌倉時代]]後期から[[南北朝時代]]に多い。

;; [89] 分類の粒度が一定でないのが気になります。用例の多寡によるものでしょうが。
「大した問題にならぬらしい」とは何に照らした判断なのでしょうか。

[90] [[年の字]]として、次のものを挙げていました。 [SRC[>>25]]

- [91] 「[V[年]]」
- [92] 
「[V[秊]]」
「[V[__&&swc14(𠦚)&&__亏]]」
「[V[__&&swc15(䄵)&&__]]」:
同一字。
「[V[__&&swc531(𠦚亏)&&__]]」
が唐[[則天文字]]で最も正しい。
-- [93] 「[V[秊]]」:
[[金石]]銘では3字中最も多い。
宇佐弥勒寺磬「[V[承元三秊]]」が最古。
[[鎌倉時代]]、[[南北朝時代]]に特に多い。
[[室町時代]]にも少しある。
-- [95] 「[V[__&&swc531(𠦚亏)&&__]]」:
[[金石]]銘では稀。
[[法隆寺伝来御物]]同朋法華経跋銘にある。
-- [96] 「[V[__&&swc15(䄵)&&__]]」:
[[金石]]銘では3字中2番目に多い。
- [97] 「[V[稔]]」:
[[徳川時代]]に非常に多いが、
[[慶長]]以前は少ない。
- [98] 「[V[天]]」:
[[鎌倉時代]]中期以後。
「[V[第何天]]」
となるのが多い。
- [99] 「[V[曆]]」:
[[鎌倉時代]]中期以後。
- [100] 「[V[歲]]」:
[[正倉院御物]]銘識中にも相当多いが勝寶七年から寶字改元までに限る
(c.f. 天平勝宝7年春正月甲子勅)。
しばらく用例がないが、
[[南北朝時代]]頃から用例が現れる。
- [101] 「[V[載]]」:
[[興福寺]]南円堂銅燈銘「[V[弘仁七載]]」が最古。
- [102] 「[V[祀]]」

;; [766] [[年の字]]も参照。

[103] 極稀に[[干支]]に異名を使うこと [SEE[ [[十干]]、[[十二支]] ]]、
時たま[[私年号]]を使うこと [SEE[ [[元号一覧]] ]]
もありました。
[SRC[>>25]]

[104] 
[V[月次󠄄の記載形式]]は、次のものを挙げていました。
[SRC[>>25]]

- [105] [V[正月]]、[V[二月]]、[V[三月]]、...: 9割方この記載方。
- [106] 
「[V[詩的名稱󠄁とも云うべき月の呼稱󠄁]]」
([[青陽]]、[[建辰月]]、[[卯月]]など [SEE[ [[月名]] ]]):
時たま、
ことに金石銘によく見かける。
ほとんど全部が[[鎌倉時代]]以降で、
[[禅宗文学]]との関係を思わせる。
異名中でも「[V[卯月]]」が非常に多く「[V[四月]]」は稀。
「死」を忌避したものか。
- [107] 「[V[季節󠄄を以て月次󠄄の上に冠せ、或はこれを以て月名に代用させている場合]]」
([[春]]、[[仲春]]など [SEE[ [[月名]] ]]):
時々ある。
大部分が[[鎌倉時代]]以降、
多くの場合[[月名]]に代用されている。
- [108] 「[V[今月當月等と主觀的の月次󠄄を記したの]]」:
[[室町時代]]の経筒銘に殊に多い。

[109] 
[[季節]]の用例は、
「[V[夏四月]]」、
「[V[秋七月]]」、
「[V[冬十月]]」
といった[[月名]]に併記したものと、
「[V[春時正]]」
([[春分]])
のようなものを挙げていました。

[110] 
[V[日次󠄄の記載形式]]は、次のものを挙げていました。
[SRC[>>25]]

- [111] [V[一、數字的に日次󠄄を表したもの]]:
[V[三月二十六日]]、
[V[九月三日]]など。
[[飛鳥時代]]から現在まで銘記中に最も多い。
- [112] [V[二、數字的日次󠄄と干支とを兼󠄁ね合せたもの]]
-- [113] [V[[YOKO[1]]、丙午朔二十八日癸酉]]:
支那金石文に多いが日本には少ない。
-- [114] [V[[YOKO[2]]、十四日[LINES[日次󠄄][己丑]]]]:
[[観世音寺]]不空羂索観音像
「[V[貞應元年[LINES[歲次󠄄][壬午]]八月十四日[LINES[日次󠄄][己丑]]]]」
が最古。
-- [115] [V[[YOKO[3]]、二十日癸酉日]]:
天寿国曼荼羅銘文はじめ古いものに却ってあって、新しいものに少ない。
-- [116] [V[[YOKO[4]]、十三日壬寅]]:
[[奈良時代]]以前からあり、
[[平安時代]]初期にも相当あるが、
次第に減少し[[室町時代]]以降にはほとんどみられない。
-- [117] [V[[YOKO[5]]、二日[LINES[己][丑]]]]:
[[京都]]岩船寺阿弥陀像銘
「[V[天慶旧年[LINES[丙][午]]九月二日[LINES[己][丑]]]]」
が最古。
[[藤原時代]]に殊に多く、
4 の干支縦書きが[[平安時代]]中期以降減少するのと反対。
[[鎌倉時代]]には多少あるが、
[[室町時代]]以降は稀。
-- [118] [V[[YOKO[6]]、二壬子日]]
- [119] [V[三、唯干支のみで日次󠄄をあらわしたもの]]:
[CITE[日本書紀]]、
[CITE[[ASIS[續󠄁日本書紀]]]]。
銘記では[[足利学校]]蔵孔子像胎内墨書銘
「[V[天文三年正月庚申之日初刻]]」
のみ。
- [120] [V[四、日次󠄄を其の異名によって表したもの]]
-- [121] [V[[YOKO[1]]、朔日]]
-- [122] [V[[YOKO[2]]、望󠄄日]]
-- [123] [V[[YOKO[3]]、晦日]]
-- [124] [V[[YOKO[4]]、初日]]
-- [125] [V[[YOKO[5]]、初何日]]
-- [126] [V[[YOKO[6]]、生十八日]]:
月始めて現れてから後の第何日という古い書法といわれている。
-- [127] [V[[YOKO[7]]、結制後十一日 解制前󠄁一日]]:
[[安居]]を結ぶ、解くこと、
[[日本]]の禅家では4月15日に結び7月14日に解く。
-- [128] [V[[YOKO[8]]、彼岸]]
-- [129] [V[[YOKO[9]]、時正]]:
[[鎌倉時代]]以降[[室町時代]]のものに限る。
常陸中家般若寺鐘銘
「[V[建治元年[LINES[乙][亥]]八月[LINES[廿][七]]日[LINES[乙][丑]]時正第二]]」
が最古。
[[時正]]は[[彼岸中日]]、
[[時正]]第二は[[彼岸中日]]翌日。
「[V[時正十六日]]」は[[時正]]すなわち16日の意。
「[V[時正吉日]]」は[[時正]]すなわち[[吉日]]の意。
- [130] [V[五、十日宛を一括する言葉によって日次󠄄をあらわすもの]]:
第10日まで、
第20日まで、
第30日までを表す。
澣と浣は[[沐浴]]を意味し、
古代[[支那]]で10日に1度沐浴した風習から転じたとみられる。
-- [131] [[旬]]: [V[上旬]]、[V[中旬]]、[V[下旬]]
-- [132] [[澣]]: [V[上澣]]、[V[中澣]]、[V[下澣]]
-- [133] [[浣]]: [V[上浣]]、[V[中浣]]、[V[下浣]]
- [134] [V[六、主觀的の文字に據って日次󠄄を表したもの]]
-- [135] [V[[YOKO[1]]、吉日]]:
決定的の日次󠄄を書かず吉日のみは[[京都]]十念寺磬銘
「[V[正和二年九月吉日]]」
が最古。
[[鎌倉時代]]はそれが唯一、
[[南北朝時代]]から多くなり (4例)、
[[室町時代]] (明応まで10例)、
[[戦国時代]] (元亀まで13例)、
[[桃山時代]] (慶長まで37例) の[[紀年銘]]は8割方この形式。
-- [136] [V[[YOKO[2]]、吉辰]]:
[[桃山時代]]以前の例未発見。
-- [137] [V[[YOKO[3]]、良辰]]:
[[桃山時代]]以前の例未発見。
-- [138] [V[[YOKO[4]]、吉祥日]]
-- [139] [V[[YOKO[5]]、吉曜󠄃]]
-- [140] [V[[YOKO[6]]、吉曜󠄃日]]
-- [141] [V[[YOKO[7]]、如意日]]
-- [142] [V[[YOKO[8]]、如意珠日]]
- [143] [V[七、日次󠄄を指示する限定詞を略したもの]]:
「[V[三月日]]」など。
記入漏れと見られないではないが、
余りに事例が多く、
字配りから察して、
最初からの意志と考えられる。
[[東大寺]]持国天銘
「[V[治承三年十二月日]]」
が最古。
[[藤原時代]]はそれが唯一、
[[鎌倉時代]]に入って用例が急増 (53例)。
[[南北朝時代]]も多い (23例) が、
[[室町時代]]終わり頃から[[桃山時代]]にかけて[[吉日]]の増加と反比例して減少
(室町時代15例、戦国時代5例、桃山時代6例)。
- [144] [V[八、記載日に關する說明的の字句を添えたもの]]:
全体から言えば多くない。
-- [145] [V[[[十二直]]の一を日次󠄄の下に加える]]ことが稀にある。
-- [146] [V[七曜竝に二十八宿の一を日次󠄄の下に加える]]こともある。
-- [147] [V[其他記載の日が彼岸とか遷󠄉宮日とか、立柱日とかに當った事を日次󠄄の下に併記している]]ことがある。

[151] 
[[干支]]や[[数字]]に[V[異字を用いている場合が相當にある]]として、
次のものを挙げていました。
[SRC[>>25]]

- [152] [V[景]]: [[丙]]。
木崎説によれば[[唐]]の[[太祖]]の諱を[[忌諱]]したもの。
ただし[[神護景雲]]経の跋文
「[V[神護景雲二年歲在戊申五月十三日景申]]」
の5月13日は丙辰であり、
検討が必要。
-- [SEE[ [[景午]] ]]
- [153] [V[康]]: [[庚]]。同音故、干支以外でも古来通用してきた。
- [154] [V[关]]: [[癸]]。
- [155] [V[[RUBY[刁][トラ]]]]: [[寅]]。
一説[RUBY[刀羅][トラ]]の略、
一説[RUBY[虎][トラ]]の略字で、
定説はない。
[[三河]]薬勝寺鐘銘
「[V[寬喜二年[LINES[辛][刁]]卯月三日]]」
が最古。
[[南北朝時代]]の銘記に多くなり、
[[室町時代]]の銘記に一層多い。
- [156] [V[井]]: [[亥]]。
- [157] [V[貳]]: [[二]]。
[[奈良時代]]から既にこの意味で用いられるが、
紀年銘では[[鎌倉時代]]以後に限られる。
[[鎌倉時代]]後期から[[南北朝時代]]の銘記に最多。
[[興福寺]]薬王薬上菩薩銘「[V[建仁貳年]]」
が最古。
- [158] [V[參]]: [[三]]。
古くからこの意味で用いられるが、
紀年銘では[[鎌倉時代]]以後の例がある。
- [159] [V[二二]]: [[四]]。
日光中禅寺鐘銘「[V[建保二二年[LIENS[丙][子]]三月廿二日]]」
が最古。
[[鎌倉時代]]後期から[[南北朝時代]]の銘記に多い。
- [160] [V[[LINES[二][二]]]]: [[四]]。
[[室町時代]]に多く、
[V[二二]]と相反するように感じられる。
- [161] [V[伍]]。
- [162] [V[玖]]。
- [163] [V[拾]]。
陸前多賀城村石塔婆「[V[弘安拾年[LINES[丁][亥]]八月八日]]」が最古。
[[室町時代]]、[[戦国時代]]、[[桃山時代]]に多い。
- [164] [V[廿]] [SEE[ [[廿]] ]]
- [165] [V[念]] [SEE[ [[廿]] ]]
- [166] 景・康・廿以外の異字が[[鎌倉時代]]以後の銘記に限られることが様々な意味で興味深い。

[167] [[紀年銘]]に語を冠させることがありました。
[SRC[>>25]]

- [168] [V[[RUBY[旹][トキ]]]]。
極楽寺第三代善願上人舎利瓶記「[V[旹嘉曆三年八月十日]]」が最古。
[[鎌倉時代]]後期以後の銘記に少なくない。
- [169] [V[維]]:
既に[[奈良時代]]の銘記にある。
[[金石文]]の紀年銘には少ない。
- [170] [V[維時]]。
- [171] [V[時也]]。
- [172] [V[于時]]。
[[鎌倉時代]]の用例もある。
[[室町時代]]、[[桃山時代]]に最も多く、
この時代「[V[旹]]」も相当あったが
「[V[于時]]」
は更に多かった。

[173] 
武蔵光明寺阿弥陀銘「[V[永仁三八十五]]」 (永仁3年8月15日)
のように年月日の字を省略することも、
往々にしてみられました。
[[鎌倉時代]]以後に限って見られ、
とくに[[室町時代]]に多くありました。
[SRC[>>25]]

[174] 
次のように紀年銘の全体を時代ごとにまとめて分析しました。
紀年銘の変遷をたどるだけでも日本の文化史、思想史の外観が察知され愉快だと述べていました。
[SRC[>>25]]

- [175] 
[[飛鳥時代]]の典型は
「[V[歲次󠄄丙寅年正月十八日癸卯日]]」
のような[[干支]]を主としたもの。
[[元号]]未制定や非秩序的な時代、
[[天皇]]の[[即位]]や[[元号]]よりも[[干支]]の方が最も正確を期せたからだろう。
- [176] 
[[奈良時代]]、
[[平安時代]]初期は[[元号]]制定が秩序正しくなったため、
[[干支]]なしの[V[數字的記載]]だけで十分正確を保て、
しかも便利。
一方で
「[V[天平五年歲次󠄄癸酉八月二十五日癸酉]]」
のような[[干支]]併記もある。
従来慣習にもよろうが、
[V[物事を大事に考えて數字と干支を合せて後日の間違いに備える]]意味もあっただろう。
[[正倉院御物]]の衣装など一時的なものに[V[數字的記載]]が多い。
[[金石文]]など永久性を要するものに[[干支]]併記が多い。
- [177] 
[[藤原時代]]、
[[干支]]なし[V[數字的記載]]のみの
「[V[大治五年五月三]]
[V[日]]」
型が[V[相當あらわれてくる]]。
永久性を要する[[金石文]]に[V[さえ隨分出てくる]]。
「[V[大治五年[LINES[歲次󠄄][庚戌]]三月三日[LINES[癸][酉]]]]」
「[V[大治五年[LINES[庚][戌]]]]」
のような[[干支]]だけ細字[[割書]]する書式が現れ、
[V[大いに行われている]]。
これらは[[干支]]の重要性の低下を意味するのではないか。
表面的には全国が統一され[[元号]]制定が秩序を保って行われ、
[[元号]]と数字に頼れるからでないか。
-- [178] 
[[元号]]と[V[數字的記載]]のみの紀年銘が多いのは[[藤原時代]]と[[明治時代]]だけなのが興味深い。
- [179] [[鎌倉時代]]前半は、
[[藤原時代]]を踏襲。他の文化現象と同様。
ただし[V[歲次󠄄[VAR[何々]]]]のかわりに[V[太歲[VAR[何々]]]]と書いたり、
[V[年]]のかわりに[V[秊]]を書いたりが一部の人に試みられている。
[[藤原時代]]末期から[[宋]]との交流が盛んになったためだろう。
- [180] [[鎌倉時代]]末期は[[飛鳥時代]]以来の伝統に一大変革が起こり、
この時代で紀年銘記載形式は前後に大別される。
日本文化は美術も工芸も文学もこの時代で大きく二分されるように思われる。
-- この時期の大きな変化:
--- [181] [V[[YOKO[1]]、]]
「[V[弘安三年]]」
を
「[V[弘安第三年]]」
のように、[[元号]]と[[数字]]の間に[V[第]]を入れる形式が試みられた。
--- [182] [V[[YOKO[2]]、]]
「[V[文永五年[LINES[戊][辰]]]]」
を
「[V[文永五年[SUP[戊]][SUB[辰]]]]」
のように、[[干支]]の[[割書]]を斜めに書く形式が起こった。
--- [183] [V[[YOKO[3]]、]]
年次を[[干支]]のみで数次を書かない形式が現れた。
--- [184] [V[[YOKO[4]]、]]
[V[卯月]]、
[V[林鐘]]、
[V[夷則]]など[[月名]]の異名が好んで用いられた。
--- [185] [V[[YOKO[5]]、]]
[V[刁]] ([V[寅]])、
[V[二二]]、[V[[LINES[二][二]]]] ([V[四]])、
[V[澣]] ([V[旬]])、
[V[天]]、[V[曆]]、[V[秊]]、[V[⿱[ASIS[𠦚][力→刀, 下の一トル]]亏]] ([V[年]])
などの異字が現れた。
--- [186] [V[[YOKO[6]]、]]
「[V[八月日]]」
のように日次を明記しない形式が現れた。
--- [187] [V[[YOKO[7]]、]]
「[V[永仁二三十五]]」
のように[[年月日]]の字を省略した形式が現れた。
--- [188] [V[[YOKO[8]]、]]
[V[旹]]、[V[于時]]などを上に冠する形式が現れた。
--- [189] 細かいことは他にもある。
-- 伝統にとらわれず新しいこと、変わったことが試みられている。
複雑化 ([V[惡く云えば閑人の文字を弄ぶかに見えるもの]])
と単純化が[V[同時代に雑居して渦を卷いている。そこに第三次󠄄のものが出來、そこに超越した世界が展開]]している。
[[鎌倉時代]]の新宗教、新芸術、新文学はみなこうした雰囲気に芽生え育まれたのだろう。
- [190] 
[[南北朝時代]]、[[室町時代]]は大体において[[鎌倉時代]]の忠実なる伝承。
[[鎌倉時代]]の試みはすべてこの時代に引き継がれ、
更に小さな変化が試みられた。
それは記載上の便宜や意味上の正確のためではなく、
変化のための変化とみられるもの、悪く言えば文字の遊戯。
強いて難解なものを記して自ら高しとする物識りの戲れ。
-- [191] 茶湯芸術と同じ道程で、
不立文字といいながら文字を弄ぶ禅宗僧侶に負うところが多かったのではないか。
-- [192] 
[[南北朝時代]]、
[[室町時代]]の頃から再び[[干支]]が[[紀年銘]]と深い交渉をもって来たことが注意される。
たいてい数字的記載に干支が併記されている。
南北朝の対立、[[元号]]並立で[[元号]]と数字的年次のみでは不安を感じたためではないか。
- [193] 
[[戦国時代]]、
「天正十年[LINES[壬][午]]」
を
「天正十[LINES[壬][午]]年」
のように、
[[年]]の下から上に[[干支]]が書かれるようになった。
[[干支]]と数字的年次が同格に重要視された思想の1つの表われだろう。
群雄割拠の時代で[[足利幕府]]の[[元号]]に極度の不安を覚えたのも無理がない。
[[私年号]]が現れたのもこの時代。



[REFS[
- [62] [CITE[[[造像銘記]]]]
-
[659] 
[CITE@ja-JP[考古学雑誌 = Journal of the Archaeological Society of Nippon 20(7)]], [[日本考古学会]], [TIME[1930-07]], [TIME[2022-12-21T08:14:19.000Z]], [TIME[2022-12-25T05:05:23.543Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/3548384/1/4> (要登録)
- [25] 
[DFN[[CITE[[ASIS[紀]]年銘の[ASIS[記]]載形式に就いて ⸺特に『造󠄃像銘記』を主材として⸺]]]],
[CITE[[[佛敎考古學論攷]] 六 雜集編󠄁]],
pp.149-178,
初出: [V[昭和五年七月]]
]REFS]

[503] 
[[昭和時代]]の論文には、[[石田茂作]]の本論文を引いて、例えば

>
[VRL[
金石文の紀年銘には、時代によってほぼ一定した記載形式が見られるので、
たとえばこの[SNIP[]]金
石文は、疑銘だと疑うことができるのである[SUP[(注[YOKO[38]])]]。
]VRL]

... (「[V[この[SNIP[]]金石文]]」は[[鬼室集斯墓碑]], 注38は >>504)
のように議論するものがありました。 [SRC[>>2634]]
「[V[銘文を記す金石遺品の時代相は、銘文の書風や彫法、紀年銘の記載形式などの時代相と一致する]]」
[SRC[>>504]] とされました。


[REFS[
- [2633] [CITE[[[近江朝と渡来人⸺百済鬼室氏を中心として⸺]]]]
-- [2634] [CITE[鬼室集斯墓碑をめぐって]],
pp.44-72
--- [504] 引用: [CITE[[V[金石文の研究法]]]], [[[V[三浦勝男]]]],
[CITE[[V[中世史ハンドブック]]]], [V[[[永原慶二]]他編]], [TIME[[V[一九七四年]]][1974]]
-- [2635] [CITE@ja-jp[[[近江朝と渡来人―百済鬼室氏を中心として]] | 胡口 靖夫 |本 | 通販 | Amazon]], [TIME[2021-03-27T03:02:05.000Z]] <https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4639014031/wakaba1-22/>
]REFS]


[802] [CITE@ja-JP[八百津町史 史料編]], [[八百津町史編纂委員会]], [TIME[1972]], [TIME[2023-12-19T01:59:10.000Z]], [TIME[2023-12-21T12:34:24.433Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9537038/1/426> (要登録)

[803] >>802 元をたどれば石田の論文に行き着きそう。ダイジェストに付加情報。出典は記載なし。直接参照しないで事典類を経由しているかも。


[834] 
[CITE@ja-JP[日本金石文綱要]], [[入田整三]], [TIME[1937]], [TIME[2024-10-01T09:05:02.000Z]], [TIME[2024-10-30T07:20:32.064Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1918106/1/47>

[304] 
[CITE@ja-JP[日本歴史考古学]], [[後藤守一]], [TIME[昭12][1937]], [TIME[2025-02-25T01:55:51.000Z]], [TIME[2025-03-23T06:39:39.225Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1231555/1/18>

**

[715] 
[[大日本帝国朝鮮]]の[[昭和時代]]初期の朝鮮言語史研究者[[鮎貝房之進]]は、
[[朝鮮半島]]の[[金石文]]等の日付の表記から特徴的なものを整理しました。
[SRC[>>716]]

[758] 
[[鮎貝房之進]]の研究は[[日時]]の構文を網羅したものではありませんが、
古い時代は単純だったものが、
[[唐]]に派遣された[[新羅]]の役人が撰じた碑文に[[支那]]の故事に基づく複雑な表現が出現することや、
[[宋]]から[[高麗]]への移住者が[[干支]]の異名を使って以来それが普及することなどを指摘しています。

;; [759] 
[[宋]]の影響を画期の1つとする見解は、
[[石田茂作]]による[[日本]]の[[金石文]]の分析と一致しています。

[768] 
[[昭和時代]]中期の研究者[[藤田亮策]]の[[朝鮮半島の紀年法]]をまとめた[[論文]]にも、
[[朝鮮]]で行われた[[日付表示]]の方法がある程度説明されています。
[SRC[>>7863]]
ただ[[紀年法]]の解説が主な目的のため、
表記法や[[月日]]については体系的、網羅的になっていません。



[REFS[

- [716] [CSECTION[[[[WEAK(smaller)[附]]書年月󠄃日例]]]]

]REFS]


[242] 
[[日本国]][[熊本県]]の[[昭和時代]]の[[郷土史家]][[前川清一]]は、
[[熊本県]]の[[金石文]]等の日付の形式を
[CITE[郷土調査の手引き]]
で一覧にしました。
[SRC[>>513]]


[REFS[
- [513] [CITE[[[郷土調査の手引き]]]]・1 三訂版
]REFS]

@@
[BOX[

[801] [CITE@ja-JP[大宮市史 第2巻 (古代・中世編)]], [[大宮市史編さん委員会]], [TIME[1971]], [TIME[2023-12-19T01:59:10.000Z]], [TIME[2023-12-20T14:08:50.732Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/2989704/1/296> (要登録)

[654] 
[CITE@ja-JP[八百津町史 史料編]], [[八百津町史編纂委員会]], [TIME[1972]], [TIME[2025-07-02T03:11:48.000Z]], [TIME[2025-07-22T13:40:07.810Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9537038/1/426> (要登録)

[842] 
[CITE@ja-JP[葛飾区板碑調査報告]], [[東京都葛飾区教育委員会社会教育課]], [TIME[1985.3][1985]], [TIME[2026-03-18T03:11:57.000Z]], [TIME[2026-04-03T15:34:47.521Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12221234/1/16> (要登録)

]BOX]


* 関連

[582] [[神代文字]]表記例
[SEE[ [[的野正八幡宮神代文字石塔]] ]]

[381] 
派生:
[[新港文書の日付表示]]

[781] [[短単位]]

[808] [[東洋の日時表示]]

* メモ

@@
<https://ipsj.ixsq.nii.ac.jp/ej/?action=repository_action_common_download&item_id=54969&item_no=1&attribute_id=1&file_no=1>
<http://datablog.trc.co.jp/2016/08/29162209.html>


[23] 
[CITE[金石文拓本 : 「梵鐘」資料について]],
[[角田芳昭]],
[CITE[関西大学博物館紀要]], 1: 114-139, [TIME[1995-03-30]]
<https://kuir.jm.kansai-u.ac.jp/dspace/bitstream/10112/16502/1/KU-0200-19950330-10.pdf>
(消滅確認 [TIME[2020-04-11T06:47:22.0Z]])

<https://kansai-u.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=920&item_no=1&attribute_id=19&file_no=1>
[TIME[2020-06-08T05:09:45.000Z]]

[4] ([TIME[2019-01-27 14:12:24 +09:00]])
<https://www.tosyokan.pref.shizuoka.jp/data/open/cnt/3/59/1/kz16.pdf>

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[5] [CITE@ja[御伝鈔 - WikiArc]]
([TIME[2019-02-02 17:39:39 +09:00]])
<http://labo.wikidharma.org/index.php/%E5%BE%A1%E4%BC%9D%E9%88%94#P--1061>
]FIGCAPTION]

> [時に永仁第三の暦、応鐘中旬第二天、晡時に至りて草書の篇を終へをはりぬ。] 
> [SNIP[]]
> [暦応二歳己卯四月二十四日、ある本をもつてにはかにこれを書写したてまつる。
> [SNIP[]]
> [康永二載癸未十一月二日筆を染めをはりぬ。]

]FIG]

[FIG(list middle)[
[FIGCAPTION[
[REFS[
- [6] [CITE[年号と東アジア―改元の思想と文化―]]
-- [7] [CITE[2 金沢文庫本『群書治要』移点の意味]],
[[石井行雄]],
[[猪野毅]],
[[近藤浩之]],
pp.75-94
]REFS]
]FIGCAPTION]

[8] 
蓮華王院宝蔵御本の奥書より [SRC[>>7]]

巻三十九

>
長寛二年清涼八月

巻四十

>
長寛二年之秋

[9] 
金沢文庫本[CITE[群書治要]]奥書より [SRC[>>7]]

巻卅四

> 文応之冬

巻卅五

>
文応之暦仲冬之律

巻卅六

>
文応元年孟冬之候

巻卅九

>
正元〻年仲冬之候

巻五十

>
文応改元之暦応鐘上旬之候
]FIG]

[19] 
[CITE[日本書紀の写本]],
[[石上英一]],
[CITE[日本書紀の誕生―編纂と受容の歴史―]],
[TIME[2018年4月30日][2018-04-30]]

p.44 兼石本[CITE[日本書紀]]巻三十奥書

>
正応第六之暦仲春第九之日

p.47 水戸本[CITE[日本書紀]]巻一奥書

>
于[SUB[レ]]時、[RUBY[嘉暦第三][(一三二八)]][RUBY[執徐][(辰)]]之年[RUBY[季秋][(九月)]]中旬[RUBY[閹[RUBYB[茂][(戌)]]之][(十五日)]]日

>嘉暦三年戊辰[RUBY[夏五][(五月)]]十七日


[11] [CITE@ja[Template:和暦 - Wikipedia]]
([TIME[2019-08-20 07:56:54 +09:00]])
<https://ja.wikipedia.org/wiki/Template:%E5%92%8C%E6%9A%A6>


[12] 
[CITE@ja[[[通航一覧]]. 第5・6巻 - 国立国会図書館デジタルコレクション]] ([TIME[2019-09-19 10:41:01 +09:00]]) <http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1908952/399>

>
慶長十四年龍集己酉孟秋二十五[ASIS[蓂][⿱艹𭁷]]


[13] 
[CITE[解説字体辞典]]:

[14] 普及版 p.10

- 写真「泰始四󠄂年閏」 (閏下半分以下掲載省略)
-- 「楼蘭から出土した魏晋の木簡。 泰始4年、二六八年」
-- 写真「泰」は⿻丰𭴑 - ソ
-- 写真「年」は<https://glyphwiki.org/wiki/zihai-000307>に近い
- 写真「𠄡鳳元年十二月乚卯𦙚」
-- 「敦煌から出土した漢の木簡。 五鳳元年、前五七年」
-- 写真「鳳」は⿵𠘨⿳一月⿵冂⿰丨丨
-- 写真「年」は<https://glyphwiki.org/wiki/u2ffb-u4e05-u4e96>の1角目がノ
-- 写真「𦙚」は1角目が一
- 写真「泰始五年六月庚申𦙚」
-- 「楼蘭から出土した魏晋の木簡。 泰始5年、二六九年」
-- 写真「年」は<http://glyphwiki.org/wiki/u5e74-itaiji-019>
-- 写真「𦙚」は1角目が一

[15] 普及版 p.11

- 写真「永興元年六月
甲辰𦙚十八日」
-- 「孔廟置守廟百石卒史碑
永興元年 (一五三)」
-- 写真「年」は<https://glyphwiki.org/wiki/zihai-000307><https://glyphwiki.org/wiki/twedu-a01194-033>に近い
-- 写真「辰」は<https://glyphwiki.org/wiki/u8fb0-07-itaiji-001>に近い
-- 写真「𦙚」は1角目が一
- 写真「甲戌𦙚十五
⿵門井皇四󠄂年四󠄂月」
-- 写真「𦙚」は1角目が一
-- 「啓法寺碑
仁寿2年 (六○二)」
-- 写真「年」は<https://glyphwiki.org/wiki/u5e74-itaiji-019>に近い
- 写真「四月甲申
𦙚旬有六日己亥」
-- 「九成宮醴泉銘 貞観六年 (六三二)」
-- 写真「𦙚」は1角目が一
-- 写真「亥」は<https://glyphwiki.org/wiki/u4ea5-itaiji-003>
- 写真「庚辰𦙚甲申」
-- 「粘葉本和漢朗詠集 平安中期」
-- 写真「𦙚」は1角目が一

[16] 普及版 p.146

享禄、元禄の諸用例


[18] [CITE@ja[立正大学学術機関リポジトリ: 中世の紀年銘ある水盤]]
([TIME[2014-04-24 01:38:30 +09:00]])
<http://repository.ris.ac.jp/dspace/handle/11266/3392>

[21] [CITE[46.pdf]], [TIME[2016-10-07 01:22:43 +09:00]] <http://www.jbf.ne.jp/pdf/zenbutsu/46.pdf#page=7>

一九五九年九月吉辰七日 ([[縦書き]])


[22] [[西暦]]、[[仏暦]]



[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[24] [CITE@jp[100年前「防疫先進国」に後藤新平が導いた日台の明暗]]
([TIME[2020-04-20 14:23:58 +09:00]])
<https://ironna.jp/article/14760?p=2>
]FIGCAPTION]

>> 
[BOX(vertical)[
大正癸丑夏
]BOX]
> 長野県松本市の松商学園高校で発見された後藤新平直筆の扁額

]FIG]





[29] [CITE[manyo_151.pdf]], [TIME[2014-03-11 15:01:36 +09:00]] <http://manyoug.jp/wordpress/wp-content/uploads/2014/03/manyo_151.pdf#page=3>


[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[31] [CITE@ja[多武峰略記(神道体系本)]]
([[Niels Guelberg]]著, [TIME[2020-05-20 14:51:20 +09:00]])
<https://web.archive.org/web/20170404141013if_/http://www.f.waseda.jp/guelberg/ryakki/sht.htm>
]FIGCAPTION]

> 治承二年八月六日丁酉申時奉居常行堂、

]FIG]

[[日干支]] + [[十二支時刻]]で[[十二支]]連続

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[32] [CITE@ja[多武峰略記(群書類聚本)]]
([[Niels Guelberg]]著, [TIME[2020-05-20 14:52:50 +09:00]])
<https://web.archive.org/web/20190504045554if_/http://www.f.waseda.jp/guelberg/ryakki/gshr.htm>
]FIGCAPTION]

> 靈廟在當寺。
> 碑曰。
> 入唐求法沙門定惠。
> 和銅七年六廿五。春秋七十。
> 端座遷化矣。

]FIG]

[33] 
[CITE[年中行事秘抄 : 近代]], [TIME[2020-05-22 20:11:25 +09:00]] <https://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/html/wa03/wa03_06277/index.html>

[CITE[wa03_06277_p0051.jpg (JPEG 画像, 2592x1728 px) - 表示倍率 (29%)]], [TIME[2008-07-02 15:00:24 +09:00]] <https://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/wa03/wa03_06277/wa03_06277_p0051.jpg>

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[34] [CITE@ja[東京国立博物館 - トーハクメールマガジン バックナンバー 第731号]]
([[東京国立博物館 -トーハク-]]著, [TIME[2020-06-08 10:57:45 +09:00]])
<https://www.tnm.jp/modules/r_db/index.php?controller=dtl&t=mail_magazine&id=731>
]FIGCAPTION]

> 次に巻末の奥書にご注目ください。
> 長寿三年六月一日という日付が見えます。
> 長寿というのは中国・唐時代の元号で西暦694年にあたりますが、
> 「年」「月」「日」は、見慣れない文字を使っています。
> これは則天文字というもので、唐の則天武后が定めた独自の文字。

]FIG]

[35] [CITE[horitsuronso_26_5_58.pdf]], [TIME[2012-09-27 09:37:00 +09:00]] <https://m-repo.lib.meiji.ac.jp/dspace/bitstream/10291/9206/1/horitsuronso_26_5_58.pdf;>

[36] [CITE[Rilas04_417-438_Kei-UMEDA.pdf]], [TIME[2016-10-19 05:42:25 +09:00]] <https://www.waseda.jp/flas/rilas/assets/uploads/2016/10/Rilas04_417-438_Kei-UMEDA.pdf#page=5>



[38] 
[[鬼室集斯墓]]

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[39] [CITE[上代歴史地理新考 東山道・附風土記逸文註釋、井上通泰]]
([TIME[2020-06-22 18:33:29 +09:00]])
<https://kiebine2007.amearare.com/rekisitiri2.htm>
]FIGCAPTION]

> 癸卯歳孟冬十一月 [SNIP[]]
> 乙巳初夏十日

]FIG]


[40] [[昭和時代の日時]]


[41] [[壬春]]





[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[47] [CITE[22.仁和寺所蔵史料(御経蔵)の調査・撮影 syoho53-saiho]]
([TIME[2020-07-30 15:48:26 +09:00]])
<https://www.hi.u-tokyo.ac.jp/publication/syoho/53/saiho_53_022.html>
]FIGCAPTION]

>  (書写奥書)「于時天文元年沽洗(三月)日遂書功了、/卅二相等後加書 之者也、秘蔵之」*改元七月。
>  ( 校合奥書)「右行状絵詞十二巻/加数校為私本者也、/被 (ママ) 蔵々々、/永 禄乙丑(八年:一五六五)八月廿一日/二品親王任助誌之」

]FIG]


[49] [CITE[AN00181387_1959_19_27.pdf]], [TIME[2015-08-03 11:41:46 +09:00]] <https://repository.nabunken.go.jp/dspace/bitstream/11177/3532/1/AN00181387_1959_19_27.pdf#page=5>

>
[BOX(vertical)[
推古天皇二十年[LINES[歳未ヽ][当]]
]BOX]


[48] [CITE[AN00181387_1959_19_27.pdf]], [TIME[2015-08-03 11:41:46 +09:00]] <https://repository.nabunken.go.jp/dspace/bitstream/11177/3532/1/AN00181387_1959_19_27.pdf#page=8>

>
[BOX(vertical)[
延応元秊[LINES[春比][己[RUBYB[宛][(亥)]]]]
]BOX]


[50] ([TIME[2020-03-27 18:06:08 +09:00]])
<https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/247470/1/shirin_011_2_249.pdf#page=15>

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[52] [CITE@ja[小説・ラノベのルール基本+記号作法12選まとめ!【校正チェックはこれだけ!】 | 作家の味方|だれでも無料で受けられる小説講座]]
([TIME[2020-05-22T14:37:38.000Z]], [TIME[2020-09-06T10:07:44.796Z]])
<https://sakka-no-mikata.jp/2019/03/30/character-setting-93/>
]FIGCAPTION]

> 例外.2:西暦2019年1月1日といった年号や日付の表記方法にも注意しておきましょう。
> ※縦書きでは「二〇一九年一月一日」と9マス使います。二千十九年は誤りなので気をつけましょう。
>  
> 例外.3:(例外.2)とあわせて、平成21年は縦書きの原稿用紙では平成二十一年と書きます。

]FIG]


[53] [CITE[jinbunkagakukiyo_40_399.pdf]], [TIME[2012-09-27T00:37:00.000Z]], [TIME[2020-10-03T02:52:30.960Z]] <https://m-repo.lib.meiji.ac.jp/dspace/bitstream/10291/9889/1/jinbunkagakukiyo_40_399.pdf>

[54] [CITE[jinbunkagakukiyo_44_(25).pdf]], [TIME[2012-09-27T00:37:00.000Z]], [TIME[2020-10-03T02:53:15.796Z]] <https://m-repo.lib.meiji.ac.jp/dspace/bitstream/10291/9936/1/jinbunkagakukiyo_44_%EF%BC%8825%EF%BC%89.pdf>

[55] [CITE@ja[西周金文における字体の多様化について]], [TIME[2020-10-03T02:56:04.000Z]] <https://www.jstage.jst.go.jp/article/shogakushodoshi/2011/21/2011_27/_article/-char/ja/>

[56] [CITE[090905.pdf]], [TIME[2011-07-14T05:38:31.000Z]], [TIME[2020-10-16T10:58:16.685Z]] <https://www.nhk.or.jp/bunken/summary/research/report/2009_09/090905.pdf>


[57] 
[CITE[[V[くぎり符號の使ひ方〔句讀法〕(案)]]]]
は
「[V[・]]」の使い方で
「[V[昭和二一・三・一八]]」
のような例を示していました。



[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[58] [CITE[○青梅市公文規程]]
([TIME[2020-09-29T12:56:37.000Z]], [TIME[2020-10-17T09:43:06.265Z]])
<https://www.city.ome.tokyo.jp/d1w_reiki/34990221000200000000/34990221000200000000/print.html>
]FIGCAPTION]

>    (2) 数字の桁の区切り方は、3位区切りとし、区切りには「,」(コンマ)を用
>     いる。ただし、年号等は、区切りを付けない。
>    (4) 日時、時刻および時間の書き方は、次の例による。この場合において、年の
>     表示には元号を用いるものとする。
>     ア 普通の場合
>      (例)日付 平成23年1月1日
>         時刻 10時20分
>         時間 9時間20分
>     イ 省略する場合
>      (例)平成23.1.1

]FIG]


[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[59] [CITE@ja[「太」ったり、「大」きくなったり―九州・太宰府へ(2) - ことばマガジン:朝日新聞デジタル]]
([[The Asahi Shimbun Company]], [TIME[2020-10-19T06:09:09.000Z]])
<http://www.asahi.com/special/kotoba/archive2015/photo/photo.html%3Fphoto=%252FS2007%252Fupload%252F2011091600013_9.jpg.html>
]FIGCAPTION]

> [L[昭和六十乙丑年]]

]FIG]






[148] [CITE[x_hibari.jpg (312×397)]]
([TIME[2008-05-23T19:19:08.000Z]], [TIME[2020-11-20T05:14:16.600Z]])
<http://www.asahi-net.or.jp/~qm4h-iim/x_hibari.jpg>

[149] [CITE@ja[アニメイト和歌山さんはTwitterを使っています 「【✨フェア情報✨】 アニメイト和歌山では【「中島由貴」アーティストデビュー&1stアルバム「Chapter Ⅰ」発売記念キャンペーンinアニメイト】を開催いたしますワカ!! ①抽選会 ②等身大スタンディ展示 ③コメント動画の放映 3つの施策を開催しますワカ!! 🔽詳細はPOPをチェック!🔽 https://t.co/xXSkGYBknC」 / Twitter]], 午後1:30 · 2020年10月23日 [TZ[+09:00]], [TIME[2020-11-20T08:53:59.000Z]] <https://twitter.com/animatewakayama/status/1319496410228666368/photo/1>

パンフレット画像
「[V[開催期間 [YOKO[2020]]年[YOKO[12]]月[YOKO[22]]日(火)[ASIS[〜][S型]][YOKO[2021]]年[YOKO[1]]月[YOKO[10]]日(日)]]」

「2020年」「2021年」は小さなサイズで、[[行]]に収まる横幅。


[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[150] [CITE@ja[看板・プレートに見る昔の姫路 電柱番号札2 - まちなみのアクセント - お散歩 Photo Album]]
([TIME[2020-11-22T03:04:25.000Z]])
<https://osampo2001.sakura.ne.jp/machi/denchu2.html>
]FIGCAPTION]

> 森富の東側にある「茶町跡」の碑。「辛酉七月」というのは昭和56年(1981)7月のことでしょう。
> 撮影:2011年1月 兵庫県姫路市古二階町

]FIG]


- [259] [CITE[book12.pdf]], [TIME[2011-03-24T01:46:00.000Z]], [TIME[2020-11-30T12:11:34.828Z]] <https://www.kansai-u.ac.jp/Museum/naniwa/publication/book12.pdf#page=50>
- [260] [CITE@ja[平泉の世紀 │ 毛越寺について │ 毛越寺]], [TIME[2020-04-10T00:30:03.000Z]], [TIME[2020-11-30T12:13:28.535Z]] <https://www.motsuji.or.jp/about/seiki.html>

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[268] >>267 pp.[V[二四]]-[V[二五]]
]FIGCAPTION]

>
[VRLBOX[
[SNIP[]]なお三河の西村白烏の『煙霞綺談』 [WEAK[(明和七年・一七七〇)]] にも

[BOX(indent)[
貞享三丙寅八月、三河国伊良湖崎の山間に初立と云所あり、農夫畑畦の堤より古き軒瓦を掘出す、径七寸ばか
り、中に七曜の輪あり、中通りの三つ([YOKO[(東)]])([YOKO[(大)]])([YOKO[(寺)]])、右の方の二つ([YOKO[(大)]])([YOKO[(仏)]])、左の二つ([YOKO[(殿)]])([YOKO[(瓦)]])筆勢凡ならず古昔東大
寺草創の時、瓦を造りたる所と見えて、其畑近辺数多瓦の破れるあり、今も折々掘出す、中には神亀執二年二
月と彫付たる瓦工の割符と見えて、瓦の裏面に南の字、あるいは東の字など彫りたるも間々ありて四方へ執去、
[SNIP[]]
]BOX]

とある。なお周りに「東大寺大仏殿廻󠄃廊」と中央に「[SUP[[YOKO[:]]]]」の梵字を現わせる鎧瓦を図示している。[SNIP[]]

]VRLBOX]

;; [269] [[囲み文字]]は、本文文字よりやや小さな文字のまわりに、本文文字よりやや大きくなるように括弧状の弧を四方に配置したもの。斜めの四箇所に切れ目が有る。

;; [270] [[梵字]]は、[[涅槃点]] (のみ) のようにも見えるが汚れのようにも見え、
本来意図した文字が欠けたる誤植のようにも思われる。

]FIG]


[273] 古瓦の一覧表の年月日 [SRC[>>267 pp.[V[三八]]-[V[四九]]]]
からいくつか抜粋。
([[漢数字]]が原文ママでは''なく''[[改行]]が保存されていないなど、
元の銘文と同文とは限らないことに注意)

- [274] 法隆寺講堂「[V[キノトノヲウエイ一二子]]
[V[ン五月二五日トリノトシ]]」 ([TIME[1405年][year:1405]])
[SRC[[CITE[法隆寺金石文集]], [[高田十郎]]]]
- [275] 奈良 聖院「[V[ヲウエイ一三子ン五月一]]
[V[八日ヒノエイヌノトシ]]」 ([TIME[1406年][year:1406]])
[SRC[[CITE[法隆寺金石文集]], [[高田十郎]]]]
- [277] 奈良 聖院「[V[ヒノエ  ヲウエイ一三子]]
[V[ン五月二一日イヌノトシ]]」 ([TIME[1406年][year:1406]])
[SRC[[CITE[法隆寺金石文集]], [[高田十郎]]]]
[SRC[[CITE[法隆寺建築]], [[大田博太郎]]]]
- [278] 奈良 南大門「[V[永享一〇年ツチノエムヌ]]
[V[ノトシ  七月一一日]]」 ([TIME[1438年][year:1438]])
[SRC[[CITE[法隆寺金石文集]], [[高田十郎]]]]
- [276] 奈良 南大門「[V[ツチノエムマノトシ]]
[V[永享一〇年七月二七日]]」 ([TIME[1438年][year:1438]])
[SRC[[CITE[考古学雜誌]] 六-六]]
[SRC[[CITE[法隆寺金石文集]], [[高田十郎]]]]
- [279] 奈良 平野飯高瑞華院
「[V[嘉吉歳次辛酉卯月吉日良辰]]」 ([TIME[1441年][year:1441]])
[SRC[[CITE[考古学雜誌]] 二-七]]
[SRC[[CITE[考古学雜誌]] 六-六]]
[SRC[攝河泉金石史]]
- [280] 奈良 平野飯高瑞華院「[V[カキチ元年五月一三日]]」 ([TIME[1441年][year:1441]])
[SRC[[CITE[考古学雜誌]] 六-六]]
- [281] 法隆寺伝法堂「[V[フアン三年九月一九日]]」 ([TIME[1446年][year:1446]])
[SRC[[CITE[法隆寺金石文集]], [[高田十郎]]]]
- [282] 法隆寺伝法堂「[V[トラノトシ]]
[V[フアン三年九月一九日]]」 ([TIME[1446年][year:1446]])
[SRC[[CITE[考古学雜誌]] 七-六]]
[SRC[[CITE[法隆寺金石文集]], [[高田十郎]]]]
- [283] 法隆寺伝法堂「[V[フアン三年九月二四日]]
[V[ヒノエトラノ]]」 ([TIME[1446年][year:1446]])
[SRC[[CITE[法隆寺金石文集]], [[高田十郎]]]]
- [284] 法隆寺伝法堂「[V[フアン三年一〇月二七日]]
[V[ヒノエトラ]]」 ([TIME[1446年][year:1446]])
[SRC[[CITE[法隆寺金石文集]], [[高田十郎]]]]
- [285] 法隆寺食堂「[V[文󠄃安三年一一月吉日丙寅]]」 ([TIME[1446年][year:1446]])
[SRC[[CITE[法隆寺金石文集]], [[高田十郎]]]]
- [286] 岡山 和気 福田天神宮「[V[天正一二年四月吉日]]
[V[きのへ、さる]]」 ([TIME[1584年][year:1584]])
[SRC[[CITE[岡山県金石史]]]]
- [287] 教王護国寺「[V[京ちやう四年卯月一四日]]」 ([TIME[1599年][year:1599]])


[REFS[
- [267] [CITE[[V[古瓦断章]]]],
[CITE[[[仏教考古学研究]]]], pp. [V[一七]]-[V[六七]],
]REFS]



[294] 雲版 (現亡)
[SRC[>>288 [B[17]]]] [TIME[1391年][year:1391]]


>
[VRL[
峕明徳二年[LINES[竜][集]]南呂

[BOX(indent)[
下澣二候日
]BOX]

上野州群那󠄃波柴般山玉泉寺常住

[BOX(indent)[
(去永禄三年[LINES[[ASIS[辛][半角]]][[ASIS[酉][半角]]]]極月二十日)

[BOX(indent)[
(南甲越河時失却)
]BOX]

(今同十一年[LINES[戊][辰]]十月一[ASIS[日][)なし]]

(月叟󠄂尋的之置者也)
]BOX]

]VRL]


- [302] 
[[山口県]][[竜文寺]]雲版
(現亡失)
「[V[宝徳三年辛未黄鐘律元]]」
[SRC[>>288 [B[46]] ([[小川五郎]], [CITE[考古学雜誌]] 二二-八)]] [TIME[1451年][year:1451]]



[295] [CITE[book12.pdf]], [TIME[2011-03-24T01:46:00.000Z]], [TIME[2020-12-02T11:47:06.274Z]] <https://www.kansai-u.ac.jp/Museum/naniwa/publication/book12.pdf#page=52>

さんたのりよの日

PDF125頁

[324] [CITE@ja-JP[【READPIA】オリジナル朗読劇「顎門の如き、雲の峰」令和弐年師走公演直前 キャストインタビュー - YouTube]]
([TIME[2020-12-07T11:20:22.000Z]])
<https://www.youtube.com/watch?v=MjCjfQJehDE>







- [702] 
[[日本国]][[広島県]][[豊田郡]]瀬戸田町光明三昧院十三重石塔に、
「[V[釈迦󠄃如来遺法二千二百二十三年 奉勅造立之 永仁二年[ASIS[[LINES[午][甲]]]]七月日 忍性]]」
とありました。
[SRC[>>700 p.[V[二四八󠄂]] [V[[YOKO[2]]]] ([CITE[大日本金石史]], [[木崎愛吉]])]]



[330] [CITE@ja[樹下清さんはTwitterを使っています 「鎌倉時代の永仁2年(1294)の銘を持つ板碑。 上部を欠いていますが、素朴な花瓶と個性的な文字がキラリと光ります。 埼玉県小川町。 #板碑 #石仏 #石分補給 https://t.co/wt2R7YO8fw」 / Twitter]]
([TIME[2020-12-14T04:53:56.000Z]], [TIME[2020-12-14T04:54:00.732Z]])
<https://mobile.twitter.com/rokumeibunko1/status/1335183593295900672>

[331] [CITE@ja[満洲時局と前衛の警察官記念写真帖 大連・満洲警察官警備記念帖刊行会 昭和7年 : 古書 古群洞 kogundou@jcom.zaq.ne.jp]]
([[kogundou]], [TIME[2020-12-14T09:12:44.000Z]])
<https://kogundou.exblog.jp/240702578/>


[334] [CITE[20170817105515 - 1531120406.pdf]], [TIME[2018-07-09T07:13:26.000Z]], [TIME[2020-12-21T08:48:21.817Z]] <https://www.town.taketomi.lg.jp/sp/userfiles/files/autoupload/2018/07/1531120406.pdf#page=12>

本文
「[V[[YOKO[6]]月[YOKO[24]]、[YOKO[25]]日]]」

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[335] [CITE[明和の大津波]]
([TIME[2019-06-06T12:21:31.000Z]], [TIME[2020-12-21T09:36:18.882Z]])
<http://www.zephyr.justhpbs.jp/meiwa_tunami.html>
]FIGCAPTION]

>  1983年(昭和58)4月24日  明和大津波遭難者慰霊碑建立期成会

]FIG]


[336] [CITE[西表島の石碑・説明看板 (東部)]], [TIME[2020-01-31T12:26:35.000Z]], [TIME[2020-12-21T09:40:01.355Z]] <http://www.zephyr.justhpbs.jp/iriomote_hibun_east.html>

碑文
「[L[[RUBYB[平成7年][(1995年)]]11月吉日建立]]」

[[西暦年]]も文字サイズは同程度




[337] [CITE[石垣島の石碑・説明看板(市街地-2)]], [TIME[2020-08-28T14:19:42.000Z]], [TIME[2020-12-22T05:12:54.445Z]] <http://www.zephyr.justhpbs.jp/ishigaki_hibun_cityarea-3.html>

>新八重山音頭

>
二千一年十月吉日建立




[341] 
[SRC[>>288 p. [V[一八󠄂五]]]]

>
[VRL[
一は、丹後国与謝郡吉津村智恩寺のものにして、[SNIP[]]、銘次の如し。

至治二年壬戌[FENCED[(][[LINES[我元亨二和年][西歴一三二二]]][)]]十月十六日 海州[SNIP[]] 伏願皇帝万々歳[FENCED[(][[LINES[香取秀真氏『山][陰めぐり』]]][)]]

[SNIP[]]

四は、慶尚北道発見の新羅時代末のものにして [FENCED[(][[LINES[[ASIS[『][アキなし]]朝鮮古蹟図譜[ASIS[』][アキなし]]][七図版八󠄂六〇]]][)]]、[SNIP[]]。次の如し。

咸通陸歳乙酉[FENCED[(][[LINES[我が貞観七年][西暦八󠄂六七]]][)]]二月十二日 [SNIP[]][FENCED[(][[LINES[香取秀真氏][[ASIS[『][アキなし]]金鼓と鰐󠄂口[ASIS[』][アキなし]]]]][)]]

]VRL]


[374] 
[SRC[>>700 p.[V[二四八󠄂]]]]

>
[VRL[
時を示すのに年号をもってするのは昔も今もなお変わらぬが、西暦・皇紀を用[ASIS[う][1画]]る場合がある。また人皇によ
る場合もある。しかしかかる際にはこれをのみ単独に使用すること[ASIS[な][右1画]]く、年号と併用するのを普通とするのであ
って、栃木県小俣鶏足寺の天正一二年在銘釈迦󠄃像に「仁王百八󠄂代」とあるのはその例である。この皇代と同様に
年号と同時に仏滅後の年次󠄂を使用する場合もある。
]VRL]



[REFS[
- [700] [CITE[[V[金石文に現れたる仏滅年代]]]],
[CITE[[[仏教考古学研究]]]], pp. [V[二四八󠄂]]-[V[二六二]]
]REFS]

[376] [CITE[KJ00005114250.pdf]], [TIME[2021-01-09T02:45:51.000Z]] <http://repo.komazawa-u.ac.jp/opac/repository/all/14011/KJ00005114250.pdf#page=5>

翻刻文。「年」と[[干支年]]割書の間で[[改行]]。



- [404] 
[[日本国]][[宮崎県]][[日向市]]財光寺定善寺墓地[[題目板碑]]
「[V[永正十一年[LINES[乙][亥]]九月]]」
干支によれば12年
[SRC[>>401 [V[[YOKO[6]]]]]]


- [405] 
[[日本国]][[宮崎県]]日向市財光寺定善寺墓地[[題目板碑]]
「[V[永正十二年[LINES[乙][亥]]七年]]」
[SRC[>>401 [V[[YOKO[9]]]]




[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[437] [CITE@ja[CiNii 図書 - 岩崎氏雜記]]
([TIME[2021-01-31T12:42:08.000Z]])
<https://ci.nii.ac.jp/ncid/BB29520772>
]FIGCAPTION]

> 『新陰流極傳』: 奥書に「紀元二千五百三十七年明治十年一月冩之 第二大区八小区北五番丁弐百三拾九番地 伊波佐喜」とあり

]FIG]






- [487] [[内閣文庫]]所蔵 ([[菅得庵]]旧蔵) [CITE[史記]] [[古活字版]]
-- [488] 第二十四冊[[識語]]
「[V[于時慶長拾参易草木夏四月二十三日]]」
[SRC[>>447 p.589]]
--- [491] 
[TIME[日本慶長13(1608)年[LINES[戊][申]]4月13日][kyuureki:1608-04-13]]
-- [489] 第二十八冊
「[V[慶長第十二丁未之歳十月廿九日巳刻]]」
[SRC[>>447 p.590]]
--- [492] 
[TIME[日本慶長12(1607)年[LINES[丁][未]]10月29日][kyuureki:1607-10-29]]
-- [490] 第四十冊
「[V[慶長十四陽草木屠維作噩冬蜡月二十日]]」
[SRC[>>447 p.591]]
--- [493] 
[TIME[日本慶長14(1609)年[LINES[己][酉]]12月20日][1609-12-20]]
--- [494] 屠維 = 己
--- [495] 作噩 = 酉



- [497] 
[[国立国会図書館]]所蔵
[CITE[施氏七書講義]]
[[古活字版]]
([[請求番号]]: [V[[V[W]][V[A]]七―一九二]])
第一六冊巻第三十九 巻末[[石川丈山]][[識語]]
「[V[元和六庚申蕤賓暇日]]」
[SRC[>>447 p.624]]


[506] [CITE@ja[拾萬字鏡さんはTwitterを使っています 「「キシ乙」という不思議な3文字を書いた呪符。文字および故事は1198年頃に成立した南宋の『夷堅志・異僧符』に由来する。日本では1680年代前後からまじないの文字として資料に現れる。天然痘やコレラなどの疫病が流行すると家や集落の門戸にこの3文字を貼って祈ったという。 #コロナ疫退散 https://t.co/k8QWsYmSGr」 / Twitter]]
(午後0:09 · 2021年4月13日 [TZ[+09:00]], [TIME[2021-04-14T02:29:07.000Z]])
<https://twitter.com/JUMANJIKYO/status/1381806779894362118/photo/1>

- [508] 
[CITE[淸太祖天命建󠄁元考]],
[[黃彰健]], 
民國五十五年三月三十一日改定, 
民國五十五年十月四日補記,
[TIME[2020-03-05T07:54:12.000Z]], [TIME[2021-05-01T04:56:45.435Z]] <http://www2.ihp.sinica.edu.tw/file/4013mAGwvcj.pdf#page=12>


[510] <https://hirosaki.repo.nii.ac.jp/?action=repository_uri&item_id=1821&file_id=20&file_no=1#page=19>


[300] [CITE@ja[朱里 【syuri 】さんはTwitterを使っています 「明日🌸 スターダムのみんなの気持ちを胸に 小波  なつぽい  朱里 参戦します⭐️ よろしくお願いいたします🙇‍♀️🌸 #木村花またね #stardom https://t.co/lZNRF1oHVq」 / Twitter]]
(午後8:30 · 2021年5月22日 [TZ[+09:00]], [TIME[2021-05-22T15:22:47.000Z]])
<https://twitter.com/syuri_wv3s/status/1396065831159668740/photo/1>

[305] [CITE@ja-jp[平成10年問題 ‐ 通信用語の基礎知識]], [TIME[2021-05-24T08:35:39.000Z]] <https://www.wdic.org/w/TECH/%E5%B9%B3%E6%88%9010%E5%B9%B4%E5%95%8F%E9%A1%8C>



>
日本語版Windows 95にはファイルの作成日付などを和歴(元号)で表示するオプションがあり、これを有効にすると、例えば「1995年」のかわりに「平成 7年」と表示させることができる。
>
しかしながら、「1998年」は「平成10年」ではなく「平成 0年」と表示されてしまう。
>
表示形式を、出荷時の「yy/MM/dd」から「gg yy/MM/dd」に変更すると、「平成10年」と表示させることが可能となるが、その場合には一桁の年の表示が「平成07年」といった、違和感のあるものになる。




- [338] [CITE[古文漢文板の質問スレ]], [TIME[2021-06-02T07:24:39.000Z]] <https://yomogi.5ch.net/test/read.cgi/kobun/1295165384/334-340>
-- [352] [CITE[Wayback Machine]], [TIME[2021-06-02T07:25:10.000Z]] <https://web.archive.org/web/20131103093036/http://2ch-dc.mine.nu/v2/src/1312507112808.jpg>
-- [353] [CITE[Wayback Machine]], [TIME[2021-06-02T07:25:21.000Z]] <https://web.archive.org/web/20131103094818/http://2ch-dc.mine.nu/v2/src/1312897974012.jpg>



[366] [CITE[御伽比丘尼卷五 ㊃行暮て此辻堂をやど付菊水の叟: Blog鬼火~日々の迷走]], [TIME[2021-06-02T07:29:10.000Z]] <https://onibi.cocolog-nifty.com/alain_leroy_/2020/12/post-d9dcd3.html>


- [433] 
[[朝鮮]][[京畿道]]始興郡東面中初寺石柱
「[V[宝暦二年歳次丙午八󠄂月朔六辛丑]]」
[SRC[>>431 ([CITE[朝鮮金石攷]], [[葛城末治]])]]
- [463] 
[[朝鮮]][[江原道]]原州郡地正面興法寺舎利塔
「[V[会昌四年歳次甲子季秋三月両旬九日]]」
[SRC[>>431 ([CITE[朝鮮金石攷]], [[葛城末治]])]]
- [465] 
[[朝鮮]][[全羅南道]]長興郡有治面宝林寺塔碑
「[V[中和四年歳次甲辰秋九月戊午朔旬有九日丙午]]」
[SRC[>>431 ([CITE[朝鮮金石攷]], [[葛城末治]])]]



- [515] 
[[蘭亭序]]
「[V[永和九年嵗在癸丑暮春之初]]」




- [516] [CITE[[[日本私年号の研究]]]]


- [517] 
保母磚志
「[V[興寧三年歳在二丑二月六日]]」
[SRC[>>516 ([CITE[金石萃編]] 第二五巻)]]
- [518] 
山東長清県立峰山蓮花洞[[仏龕]]
「[V[大雄開皇四年歳在甲辰辛酉朔七月十五乙]]」




- [539] 
[[日本国]][[京都府]][[京都市]]大原村草生[[寂光院]]水盤
「[V[慶長十一[LINES[甲][午]]年六月吉日]]」
[SRC[>>536 p.[V[六七]] (40)]]
は[[干支]]の違い (本来は丙午年) と石の様子が新しいことから疑問が持たれました
[SRC[>>536 pp.[V[七九]]-[V[八󠄂〇]]]]。


[541] 
[[日本国]][[東京都]][[日野市]]坂西第一号墓 (横穴墓) には、
(判読困難な部分もあるものの、)
「[V[永仁二年三月十二]]」 ([[左文字]]),
「[V[永仁□年]]」,
「[V[午]]」,
「[V[午]]」
とロームの壁に掘られていました。
[SRC[>>540 p.[V[一一五]]]]

[542] 
この墓を調査した[[久保常晴]]は、
書いた人の階層と地域が近いと考えられ、
比較的まとまった写真資料が入手可能だった[[東京都]][[大田区]]および[[埼玉県]]西北部の[[板碑]]の[[文字]]を調査しました。
「仁」の字は変化が少なく、
「永」の字は変化に富むことから、
「永」の[[字形]]を13種に分類し、
年代を8期に分けました。
[SRC[>>540 p.[V[一一五]]]]

[543] 
この[[編年]]などから「永仁」は永仁時代に書かれたものとみて構わなそうと判断されました。
また「午」は[TIME[永仁2(1294)年[LINES[甲][午]]][1294]]の意かとされました。
[SRC[>>540 pp.[V[一一五]]-[V[一一六]]]]




- [547] 
[[日本国]][[大阪府]][[枚方市]]旧[[津田村]]尊光寺所蔵[CITE[当郷旧跡名勝誌]]所引三之宮神社[[棟札]]
「[V[一奉修復御宝殿棟上[LINES(smaller)[嘉吉二年][三月二日]]  [LINES(smaller)[大歳][壬戌]]]]」
[SRC[>>546 p.24]]
- [548] 
[CITE[穂谷三之宮大明神年表録]]
「[V[[LINES[一奉修覆御宝殿棟上][  嘉禄二[SUP(smaller inline)[壬]][SUB(smaller inline)[戌]]年三月二日]]]]」
[SRC[>>546 p.21]]
-- [TIME[日本嘉禄2(1226)年[LINES[丙][戌]]3月2日][kyuureki:1226-03-02]]
-- [549] [[干支]]が合わない。「嘉吉」を「嘉禄」に誤写した別資料を意図的に引いたと考えられている。
[SRC[>>546 pp.24-30]]




- [550] 
[CITE[[[由緒・偽文書と地域社会]]]]
「[V[その後も、「[RUBY[貞享元子][(一六八󠄂四)]]歳ニ神社之[SNIP[]]]]」
([[明朝体]])
[SRC[>>546 p.26]]
-- [551] [[ルビ]]は[[親文字列]]の上端から下端までに均等配置。
[[括弧]]は[[半角]]分。





[554] 
筆跡を様々に変えて[[偽文書]]を作成していたが、
頻用される「年」の字形から同一人物によるものと推定された事例
[SRC[>>552 p.242]]。




[552] [CITE@ja[みなと商事コインランドリーさんは[[Twitter]]を使っています 「\みなと商事ドラマCD化!!/告知解禁 【2021年7月15日(木)発売の】月刊コミックジーン8月号にて大人気ゆるきゅんBL「#みなと商事コインランドリー」の豪華ドラマCDが付いてくる!! 湊晃 CV.山下誠一郎さん 香月慎太郎 CV.島﨑信長さん コミックス②巻特典も続々!おたのしみに♪ https://t.co/cpNjkm8SDu」 / Twitter]], 午前1:03 · 2021年6月15日 [TZ[+09:00]], [TIME[2021-06-16T09:13:52.000Z]] <https://twitter.com/minato_syouji/status/1404469667897307136/photo/2>

宣伝画像
「[L[[TATE[[WEAK(quarter)[[YOKO[2]][YOKO[0]][YOKO[2]][YOKO[1]]年]]]]7/[SUB(quarter)[火⃝]]27]]」

年部分の上下が行の上下と同じ高さ。



- [560] 
[[日本国]][[新潟県]][[新潟市]]西厳寺方便法身像裏書
「[V[文明三年[LINES(smaller)[庚][子]]十一月廿八󠄂日]]」
[SRC[>>559 p.546]]
-- [561] 
[[大阪市教育委員会]]調査は[TIME[文明3(1481)年[LINES(smaller)[辛][卯]]][1481]]と文明12年[LINES(smaller)[庚][子]]のいずれかの誤りとしつつ、
特に根拠はなく文明3年には云々としていました。
[SRC[>>559 p.546]]
-- [562] 
報告書の写真では一見「[V[三]]」に見えますが、
「[V[十二]]」が
「[V[掠れたものとも見えなくもない]]」のであり、
常識的に考えて文明3年[LINES(smaller)[辛][卯]]に「庚子」とは誤らないから、
文明12年だろうと考えられます。
[SRC[>>559 p.546]]




[563] [CITE[安田の髙松家_チラシ_了 - takamatuke.pdf]], [TIME[2021-04-20T04:50:44.000Z]], [TIME[2021-06-25T02:58:18.866Z]] <https://yasuda-nagomi.com/pdf/takamatuke.pdf>

[564] [CITE@ja[みんなのドゲンジャーズRadio【公式】さんはTwitterを使っています 「【おしらせ】 7/10(土)の「#みんなのドゲンジャーズRadio」公開収録の詳細が決まりました!! 東京・渋谷パルコのGG Shibuyaにて、 ①11:00~12:00 ②13:00~14:00 ③15:00~16:00 豪華なゲストに加え、盛り沢山な内容でお届けいたします!!! チケット受付はこちら⏬ https://t.co/Ho3dm7xzFo https://t.co/Nb4ATWgCYh」 / Twitter]], 午後0:00 · 2021年6月26日 [TZ[+09:00]], [TIME[2021-06-26T03:02:45.000Z]] <https://twitter.com/henshin_agqr/status/1408621034547286021/photo/1>


- [565] [CITE[[[福岡通りの三十年]]]], p.167

[566] 
[[日本]]の[[江戸時代]]の[[盛岡藩]]の[[家老]]の執務日誌[CITE[雑書]]は、
「[V[五ノ十日]]」や「[V[五ノ十]]」のように[[月日]]を記述していました。
[[朔日]]以外は[[月名]]を記載しない巻もありました。
[[閏月]]は「[V[閏正ノ三日]]」
のように書いていました。[[閏]]でなく[[後]]と書いた巻もありました。
[SRC[>>585]]

[567] [CITE[第4章 松前藩の成立]], [TIME[2011-09-08T01:59:59.000Z]], [TIME[2021-06-28T04:09:21.998Z]] <http://www2.town.yakumo.hokkaido.jp/history_k/k04/index.html#:~:text=%E4%B8%89%E6%9E%9A%E7%9B%AE%E3%81%AE%E7%99%BD%E7%B5%B9%E3%81%AB%E3%81%AF>


- [569] 
[CITE[[[真暦考]] / 本居宣長 '''['''著''']''']], [TIME[2021-06-29T03:09:48.000Z]] <https://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/html/ni05/ni05_00921/index.html>
--
[568] [CITE[ni05_00921_p0038.jpg (2592×1728)]]
([TIME[2008-04-22T01:06:29.000Z]], [TIME[2021-06-29T03:08:56.451Z]])
<https://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/ni05/ni05_00921/ni05_00921_p0038.jpg>

「[V[天明の二とせという年のなが月の十日あまり二日の日]]」
([[変体仮名]])


[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[570] [CITE[人名規範資料庫]]
([TIME[2021-07-10T03:17:10.000Z]])
<https://authority.dila.edu.tw/person/search.php?aid=A010707>
]FIGCAPTION]

> 卒年出處 Deathdate Reference:泰昌改元庚申仲冬二十七日辰時坐逝(〈南明禪師行狀〉)

]FIG]


[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[571] ([TIME[2021-07-10T03:19:34.000Z]])
<https://www.jstage.jst.go.jp/article/ibk1952/31/2/31_2_527/_pdf/-char/ja#page=2>
]FIGCAPTION]

> これは「泰昌改元の歳、庚中にあり」というから、明の泰昌元年(}9一六二〇)に書かれたものである。

]FIG]

[572] [CITE@zh[明 陳元素]], [TIME[2021-07-10T03:20:54.000Z]] <https://www.christies.com/zh/lot/lot-6205689>

[573] [CITE@utf-8[大乘起信論直解 憨山大師解_刻起信論直解辭]]
([TIME[2021-07-10T03:28:20.000Z]])
<http://www.book853.com/show.aspx?id=1042&cid=88>

[574] [CITE@zh[寧極齋稿 (四庫全書本) - 维基文库,自由的图书馆]]
([TIME[2021-06-27T18:48:07.000Z]], [TIME[2021-07-10T03:28:47.898Z]])
<https://zh.wikisource.org/wiki/%E5%AF%A7%E6%A5%B5%E9%BD%8B%E7%A8%BF_(%E5%9B%9B%E5%BA%AB%E5%85%A8%E6%9B%B8%E6%9C%AC)>

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[575] [CITE[min0101a.html]]
([TIME[2006-11-16T00:33:52.000Z]], [TIME[2021-07-10T03:33:10.286Z]])
<http://kanji.zinbun.kyoto-u.ac.jp/db-machine/imgsrv/takuhon/type_a/html/min0101a.html>
]FIGCAPTION]

> 景泰6年(1455)11月上望吉旦

]FIG]


[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[576] [CITE[min0180x.html]]
([TIME[2006-11-16T00:33:54.000Z]], [TIME[2021-07-10T03:33:38.650Z]])
<http://kanji.zinbun.kyoto-u.ac.jp/db-machine/imgsrv/takuhon/type_a/html/min0180x.html>
]FIGCAPTION]

> 年代	:	正徳6年(1511)4月上瀚之吉

]FIG]


[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[577] [CITE[min0205x.html]]
([TIME[2006-11-16T00:33:54.000Z]], [TIME[2021-07-10T03:33:57.100Z]])
<http://kanji.zinbun.kyoto-u.ac.jp/db-machine/imgsrv/takuhon/type_a/html/min0205x.html>
]FIGCAPTION]

> 年代	:	正徳12年(1517)7月既望

]FIG]


[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[578] [CITE[min0418x.html]]
([TIME[2006-11-16T00:34:00.000Z]], [TIME[2021-07-10T03:34:54.763Z]])
<http://kanji.zinbun.kyoto-u.ac.jp/db-machine/imgsrv/takuhon/type_a/html/min0418x.html>
]FIGCAPTION]

> 年代	:	萬暦45年(1617)正月初吉日

]FIG]


[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[579] [CITE[min0453x.html]]
([TIME[2006-11-16T00:34:02.000Z]], [TIME[2021-07-10T03:35:38.134Z]])
<http://kanji.zinbun.kyoto-u.ac.jp/db-machine/imgsrv/takuhon/type_a/html/min0453x.html>
]FIGCAPTION]

> 年代	:	崇禎9年(1636)正月上元日

]FIG]


[580] [CITE@zh[吴周 - 维基百科,自由的百科全书]]
([TIME[2021-07-04T14:08:53.000Z]], [TIME[2021-07-18T04:37:09.055Z]])
<https://zh.wikipedia.org/wiki/%E5%90%B4%E5%91%A8#cite_note-3>

[581] [CITE[lit54_1-76.pdf]], [TIME[2017-11-06T04:33:05.000Z]], [TIME[2021-07-20T12:25:48.884Z]] <https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/197453/1/lit54_1-76.pdf>

[584] [CITE@ja[おじさんだけで遊びたい!公式さんはTwitterを使っています 「ベテラン声優たちによるイベント『おじさんだけで遊びたい!』開催決定🎉 🥸日程 2021年8月15日(日) 🥸場所 川口総合文化センター・リリアメインホール 🥸出演者 【両部】#置鮎龍太郎、#千葉一伸、#檜山修之、#緑川光 【夜の部のみ】#三木眞一郎 🥸チケット https://t.co/Eo8eRvIOFR お楽しみに! https://t.co/CB2rLQ8g72」 / Twitter]]
(午後6:01 · 2021年7月7日 [TZ[+09:00]], [TIME[2021-07-27T12:01:11.000Z]])
<https://twitter.com/ojisanproject/status/1412698165141151747/photo/1>

[587] [CITE[日本古代碑の再検討 宇治橋断碑について 藤田友治]], [TIME[2021-01-04T12:17:17.000Z]], [TIME[2021-09-20T06:24:53.967Z]] <http://furutasigaku.jp/jfuruta/simin10/sekihika.html>

[588] [CITE@ja[境田稔信さんはTwitterを使っています 「■『言海』大型本(※=新たな正誤表) 75版※(明40) ──2点のうち1点は奥付を後から付け直したもの。 76版※(大元) 77版※(大5) ──77版だけが総クロースで、背革装ではない。 https://t.co/MmuJKtkv2S」 / Twitter]]
([TIME[2021-10-18T01:16:33.000Z]], [TIME[2021-10-18T01:23:13.850Z]])
<https://twitter.com/pX03dDIs4dQ1G3x/status/1388995877117693952>

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[589] [CITE[このアーカイブについて | 宮内庁書陵部収蔵漢籍集覧 -書誌書影・全文影像データベース-]]
([TIME[2021-10-20T11:22:57.000Z]])
<https://db2.sido.keio.ac.jp/kanseki/T_bib_han.php>
]FIGCAPTION]

> 本デジタルアーカイブは、平成24至28年度科学研究補助金による基盤研究(A)「宮内庁書陵部収蔵漢籍の伝来に関する再検討—デジタルアーカイブの構築を目指して—」、令和2年至6年度同基盤研究(A)「江戸幕府紅葉山文庫の再構と発信―宮内庁書陵部収蔵漢籍のデジタル化に基づく古典学―」、及び平成24至25年東京大学東洋文化研究所東洋学研究情報センター共同研究「日本漢籍集散の文化史的研究—「図書寮文庫」を対象とする通時的蔵書研究の試み—」、平成26至27年同共同研究「日本所在漢籍に見える東アジア典籍流伝の歴史的研究—宮内庁書陵部蔵漢籍の伝来調査を中心として—」の成果の一部である。

]FIG]


[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[592] [CITE@zh[漢書/卷026 - 维基文库,自由的图书馆]]
([TIME[2021-10-11T05:38:48.000Z]], [TIME[2021-10-25T05:38:55.389Z]])
<https://zh.wikisource.org/wiki/%E6%BC%A2%E6%9B%B8/%E5%8D%B7026>
]FIGCAPTION]

> 四夫閏月庚午

]FIG]


[594] [CITE[¯Ñ²ñ¾Ç³ø-p1-4 - 耕莘學報第五期-06.pdf]], [TIME[2021-12-13T07:25:42.000Z]] <http://ir.lib.ctcn.edu.tw/bitstream/987654321/355/2/%E8%80%95%E8%8E%98%E5%AD%B8%E5%A0%B1%E7%AC%AC%E4%BA%94%E6%9C%9F-06.pdf>

[596] [CITE@ja[ナカムラブングテンさんはTwitterを使っています 「昭和31年に届いた年賀状の宛先が… https://t.co/94zGqttGPg」 / Twitter]], [TIME[2022-01-02T02:02:02.000Z]], [TIME[2022-01-02T02:04:23.637Z]] <https://twitter.com/nakamurabung10/status/1477187719705284608/photo/1>

-
[599] [CITE[huibao_022.pdf]], [TIME[2022-01-05T12:19:19.000Z]] <https://ir.library.osaka-u.ac.jp/repo/ouka/all/78832/huibao_022.pdf#page=4>
-
[598] [CITE[huibao_038.pdf]], [TIME[2022-01-05T11:59:39.000Z]] <https://ir.library.osaka-u.ac.jp/repo/ouka/all/78848/huibao_038.pdf#page=7>
-
[597] [CITE[huibao_039.pdf]], [TIME[2022-01-05T11:57:21.000Z]] <https://ir.library.osaka-u.ac.jp/repo/ouka/all/78849/huibao_039.pdf#page=7>
-
[600] [CITE[huibao_031.pdf]], [TIME[2022-01-08T08:36:18.000Z]] <https://ir.library.osaka-u.ac.jp/repo/ouka/all/78841/huibao_031.pdf#page=4>
-
[603] [CITE[huibao_088.pdf]], [TIME[2022-01-08T12:38:33.000Z]] <https://ir.library.osaka-u.ac.jp/repo/ouka/all/78899/huibao_088.pdf#page=7>
-
[604] [CITE[huibao_100.pdf]], [TIME[2022-01-08T12:46:59.000Z]] <https://ir.library.osaka-u.ac.jp/repo/ouka/all/78910/huibao_100.pdf#page=6>
-
[605] 
[CITE[huibao_104.pdf]], [TIME[2022-01-09T02:26:06.000Z]] <https://ir.library.osaka-u.ac.jp/repo/ouka/all/78915/huibao_104.pdf#page=4>
-
[606] 
[TIME[2022-01-09T03:56:35.100Z]]
<https://toyo-bunko.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=5688&item_no=1&attribute_id=22&file_no=>
-
[607] [CITE[「縁禾」と「延和」のあいだ:『吐魯番出土文書』箚記(五)]], 
[[關尾史郎]],
[TIME[1985-12-20]],
[TIME[2021-11-28T02:03:54.000Z]] <https://digital-archives.sophia.ac.jp/repository/view/repository/00000009470>
PDF 4頁、10頁


[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[608] [CITE@ja[文徳 (大理) - Wikipedia]]
([TIME[2022-01-01T03:41:57.000Z]], [TIME[2022-01-15T03:49:44.908Z]])
<https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E5%BE%B3_(%E5%A4%A7%E7%90%86)>
]FIGCAPTION]

> 時天福丁酉二年也

]FIG]


[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[609] [CITE@zh[文德 (大理) - 维基百科,自由的百科全书]]
([TIME[2022-01-01T09:08:52.000Z]], [TIME[2022-01-15T09:10:08.828Z]])
<https://zh.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E5%BE%B7_(%E5%A4%A7%E7%90%86)>
]FIGCAPTION]

> 時天福丁酉二年(937)也

]FIG]


[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[610] [CITE@zh-Hans-CN[明开 - 维基百科,自由的百科全书]]
([TIME[2022-01-17T01:02:32.000Z]], [TIME[2022-01-21T08:44:19.398Z]])
<https://zh.wikipedia.org/zh-cn/%E6%98%8E%E5%BC%80>
]FIGCAPTION]

> 《陇西氏比丘释戒明之碑》:“明开七年立冬十九日迁亡

]FIG]


[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[611] [CITE@ja[ADEAC(アデアック):デジタルアーカイブシステム]]
([TIME[2022-01-22T12:29:23.000Z]])
<https://trc-adeac.trc.co.jp/WJ11F0/WJJS07U/2321315100/2321315100100010/mp00798400>
]FIGCAPTION]

> 元奥書「宝永改元甲申秋社日」。

]FIG]


[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[612] ([TIME[2008-01-19T10:03:05.000Z]], [TIME[2022-01-22T12:29:46.206Z]])
<https://www.asj.or.jp/geppou/archive_open/1964/pdf/19640203.pdf>
]FIGCAPTION]

> 貞享改元甲子夏日

]FIG]



[625] 
[[西夏の日時表示]]



[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[613] [CITE@zh[大义 - 维基百科,自由的百科全书]]
([TIME[2022-01-22T08:20:14.000Z]], [TIME[2022-01-31T08:51:02.439Z]])
<https://zh.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E4%B9%89>
]FIGCAPTION]

> 《祷雨龙王文》开篇称“维大义二年岁次辛丑四月辛巳朔越三日癸未”

]FIG]


[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[616] [CITE@zh[明史/卷191 - 维基文库,自由的图书馆]]
([TIME[2022-01-29T06:12:13.000Z]], [TIME[2022-02-12T06:12:23.013Z]])
<https://zh.wikisource.org/wiki/%E6%98%8E%E5%8F%B2/%E5%8D%B7191>
]FIGCAPTION]

> 明年,嘉靖改元正月,

]FIG]


[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[617] [CITE@zh[明史/卷306 - 维基文库,自由的图书馆]]
([TIME[2022-01-29T06:35:34.000Z]], [TIME[2022-02-12T06:35:36.670Z]])
<https://zh.wikisource.org/wiki/%E6%98%8E%E5%8F%B2/%E5%8D%B7306>
]FIGCAPTION]

> 崇禎改元五月

]FIG]


[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[618] [CITE@zh[明史/卷214 - 维基文库,自由的图书馆]]
([TIME[2022-01-29T06:41:12.000Z]], [TIME[2022-02-12T06:41:15.033Z]])
<https://zh.wikisource.org/wiki/%E6%98%8E%E5%8F%B2/%E5%8D%B7214>
]FIGCAPTION]

> 自嘉靖改元至十五年

]FIG]


[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[619] [CITE[大阪歴史博物館:常設展:展示更新情報:大阪月山派の展開]]
([TIME[2017-02-01T07:10:30.000Z]], [TIME[2022-02-25T08:32:03.880Z]])
<http://www.mus-his.city.osaka.jp/news/2011/tenjigae/120328.html>
]FIGCAPTION]

> 銘	大和住月山貞利謹作/平成寿五年三月吉祥日
> 平成15年 月山貞利作 当館蔵(月山貞利氏寄贈)

]FIG]

-
[620] 
[CITE[Chinese romanization table - chinese.pdf]], [TIME[2012-08-10T14:24:46.000Z]], [TIME[2022-03-12T11:15:24.343Z]] <https://www.loc.gov/catdir/cpso/romanization/chinese.pdf#page=8>

[621] 
[[漢字]]に[[ピンイン]]を併記した[[西暦]]の[[年月日]]の例: [SEE[ [[上ルビ]] ]]

[622] [CITE@ja[Tour Master -旅行メディア-さんはTwitterを使っています 「/ 日本アルプスを天空から眺められる✨ #ヘリコプター遊覧飛行🙆‍♂️ \ 皆さんGWはどう過ごされますか?☺️ 本記事では、GWにおすすめしたい長野県白馬村の広大な絶景を眺めるヘリコプター遊覧飛行をご紹介します✍️ ▼詳細はこちら https://t.co/dwT3BJH3Ei #ツアーマスター #白馬樅の木ホテル発 https://t.co/QPqfiMd5oR」 / Twitter]], [TIME[2022-03-30T11:10:06.000Z]], [TIME[2022-03-30T12:05:24.761Z]] <https://twitter.com/Tours_Master/status/1509026687459024900/photo/1>

デザイン的に付け加えたにしても蛇足感が強く謎な英語曜日ルビw

[623] [CITE@yue[Talk:頭版 - 維基百科,自由嘅百科全書]], [TIME[2022-04-14T16:26:34.000Z]], [TIME[2022-04-23T11:55:11.121Z]] <https://zh-yue.wikipedia.org/wiki/Talk:%E9%A0%AD%E7%89%88>

>2022年4月23號 禮拜六 11:54 (UTC)


[454] 
[CITE[pic_all.pdf]], [TIME[2016-09-09T10:09:07.000Z]], [TIME[2022-06-26T02:47:57.943Z]] <https://www.kobe-sc.jp/image/history/pdf/pic_all.pdf#page=149>

同じページで[[縦書き]]では「[V[[YOKO[49]]・[YOKO[9]]・[YOKO[4]]]]」、
[[横書き]]では「[V[50.7.4]]」と [CODE[・]] と [CODE[.][[FULL STOP]]
が書き分けられている。

;; [626] この時代の出版物では一般的な表記。




[630] [CITE[歴史編]], [TIME[2022-09-15T14:31:24.000Z]] <http://sudati.iinaa.net/rekisi.html>

>[SNIP[]]御隠尊の日精上人が『随宜論』を著したのは、寛永10年あるいは11年の11月である(『随宜論』の巻末には「寛永十戌年」と記されている。しかし、戌年は正しくは寛永11年である)。[SNIP[]](『地涌』第232号1991年8月20日)

[631] [CITE[F7-A01-01.pdf]], [TIME[2017-06-19T07:54:51.000Z]], [TIME[2022-09-17T23:51:57.651Z]] <https://iiif.lib.keio.ac.jp/FKZ/F7-A01-01/pdf/F7-A01-01.pdf#page=9>

蒲節後2日


[652] [CITE@ja[げんぷーさんはTwitterを使っています: 「妻木八幡神社(岐阜県土岐市)にていただいた御朱印です❗ 「刕」の字がまったくもって読めませんでした... 「州」の異字体だそうです (*・`o´・*)ホ─ 妻木城攻めで疲労困憊の体には、この本殿への階段は、かーなーりキツイ orz #御朱印 https://t.co/d2L0XzGpRR」 / Twitter]], [TIME[午前6:37 · 2020年9月10日][2020-09-09T21:37:56.000Z]], [TIME[2022-10-09T00:44:25.000Z]] <https://twitter.com/gen_pu/status/1303809890863910913/photo/1>

[[御朱印]] ([[楷書]])

>
[VRL[
[PRE[
      [ASIS[子年][(別色)]]
令和二年九月五日
]PRE]
]VRL]

「令」は明朝体風の字形

[655] [CITE@ja-JP[木簡研究 = Proceedings of the Japanese Society for the Study of Wooden Documents (2)]], [[木簡学会]], [TIME[1980-11]], [TIME[2022-12-21T08:14:19.000Z]], [TIME[2022-12-23T13:59:57.357Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/4424287/1/49> (要登録)


- [656] [CITE@ja-JP[刀剣史料 (46)]], [[南人社]], [TIME[1962-10]], [TIME[2022-12-21T08:14:19.000Z]], [TIME[2022-12-24T04:32:53.730Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/8099939/1/8> (要登録)
- [657] [CITE@ja-JP[刀剣と歴史 (431)]], [[日本刀剣保存会]], [TIME[1966-05]], [TIME[2022-12-21T08:14:19.000Z]], [TIME[2022-12-24T04:55:15.438Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/7901125/1/20> (要登録)


[658] [CITE@ja-JP[古代 = Journal of the Archaeological Society of Waseda University (69/70)]], [[早稲田大学考古学会]], [TIME[1981-03]], [TIME[2022-12-21T08:14:19.000Z]], [TIME[2022-12-25T04:58:01.190Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/6062505/1/29> (要登録)

[679] [CITE@ja-JP[坂戸市史 中世史料編 2]], [[坂戸市教育委員会]], [TIME[1980.4][1980]], [TIME[2023-01-06T06:14:39.000Z]], [TIME[2023-01-08T03:53:22.068Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9642035/1/241> (要登録)

[680] [CITE@ja-JP[史迹と美術 63(3)(633)]], [[史迹美術同攷会]], [TIME[1993-03]], [TIME[2023-01-06T06:14:39.000Z]], [TIME[2023-01-09T14:17:28.475Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/6067521/1/7> (要登録)

[695] 
[TIME[2023-02-19T13:31:38.300Z]]
<https://otemae.repo.nii.ac.jp/index.php?action=repository_action_common_download&item_id=2201&item_no=1&attribute_id=20&file_no=1&page_id=33&block_id=62>
#page=49

>乾符丙申歲建巳月有五日(唐僖宗乾符 3 年、876 年夏 4 月 5 日)


[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[696] [CITE@zh[晋成公 - 维基百科,自由的百科全书]]
([TIME[2023-02-12T08:15:30.000Z]], [TIME[2023-02-26T08:15:38.794Z]])
<https://zh.wikipedia.org/wiki/%E6%99%8B%E6%88%90%E5%85%AC>
]FIGCAPTION]

> 成公于元年(前606年),

]FIG]


[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[697] [CITE@zh[晉昭侯 - 维基百科,自由的百科全书]]
([TIME[2023-02-12T08:10:17.000Z]], [TIME[2023-02-26T08:15:56.451Z]])
<https://zh.wikipedia.org/wiki/%E6%99%89%E6%98%AD%E4%BE%AF>
]FIGCAPTION]

> 昭侯于元年(前745年)

]FIG]


[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[698] [CITE@zh[魏襄王 - 维基百科,自由的百科全书]]
([TIME[2023-02-24T07:02:54.000Z]], [TIME[2023-02-26T09:59:47.411Z]])
<https://zh.wikipedia.org/wiki/%E9%AD%8F%E8%A5%84%E7%8E%8B>
]FIGCAPTION]

> 魏惠王于三十六年(前334年)

]FIG]



[704] [CITE@ja[詞の玉垣 (題未定4)]], [[Heitotsu]], [TIME[2019-03-02T12:08:30.000Z]], [TIME[2023-04-18T13:20:49.155Z]] <http://kstn.fc2web.com/zuihitu_21a.html>

>平成己丑年春三月辛未朔丁丑


[705] >>704 [[ウェブ日記]]で[CITE[日本書紀]]風の[[日時表示]]を使った事例
([[著者]]は[CITE[日本書紀]]方式だといっていますが、
厳密に言えば[[元号名干支年表示]]は[CITE[日本書紀]]とは無関係です。)


[706] [CITE@ja[干支と年月日]], [[Heitotsu]], [TIME[2019-03-02T12:08:30.000Z]], [TIME[2023-04-18T13:32:26.116Z]] <http://kstn.fc2web.com/kiureki.html>


[761] [CITE[mizuyasiki.pdf]], [TIME[2016-09-18T10:55:03.000Z]], [TIME[2023-05-25T09:32:37.741Z]] <http://www.yousun.sakura.ne.jp/public_html/book/mizulyasiki/mizuyasiki.pdf#page=2>

[771] 
[[琉球政府]]: [[文書作成規程]]

[773] [CITE@ja[小山田浩史 on X: "『空飛ぶ円盤のなぞ』(南山宏 1973)に載ってる事例、どんなにトンチキに思えても南山先生の創作ではなくソース(一次資料/モトネタ)が存在する。コズミックひき逃げ事件もちゃんとINTCATデータベースにあるのだ https://t.co/gPJpaSclSU" / X]], [TIME[午後4:23 · 2021年8月12日][2021-08-12T07:23:49.000Z]], [TIME[2023-08-17T15:17:44.000Z]] <https://twitter.com/magonia00/status/1425719658653442048/photo/1>

[774] [CITE[20211125_000 - 3_7306_up_kyqjv7w8.pdf]], [TIME[2021-11-25T06:52:49.000Z]], [TIME[2023-11-16T13:44:14.687Z]] <https://www.town.kumamoto-yamato.lg.jp/library/kiji0037306/3_7306_up_kyqjv7w8.pdf#page=1>

于時享保六歳丑天[SNIP[]]八月

[806] [CITE@ja[XユーザーのATSUJINさん: 「大日本中央標準時子午線通過地識標(明治43年) 「日」が「囧」 ここは明石すなわち 朙石 だから偏を同じものと捉えたのでは https://t.co/jjiXWs5cIc」 / X]], [TIME[午後4:35 · 2017年11月12日][2017-11-12T07:35:45.000Z]], [TIME[2023-12-31T01:26:52.000Z]] <https://twitter.com/atsatsatsa/status/929613670673391616/photo/2>

西暦縦中横


[835] 
[CITE@ja[篇韻貫珠集・篇韻拾遺に基づく疑難字考釋 (Final Manuscript with appendix and supplements: 2019-10-15) - jsccc-pygzj2019-paper-a5-for-web-20241104.pdf]], [TIME[2024-11-04T02:50:21.000Z]], [TIME[2024-11-05T06:58:38.674Z]] <https://a4lg.com/downloads/archives/2024/1104/jsccc-pygzj2019-paper-a5-for-web-20241104.pdf#page=5>


[836] >>835
[[左横書き]]の[[漢数字]]表記[[元号年]]。[[上ルビ]]で[CH[年]]に[[右寄せ]]で西暦年4桁[[欧州数字]]。
「[L[十至十一年]]」
のような範囲も[CH[年]]に右寄せで[CH[-]]で範囲指定。
[[漢数字]]、[[欧州数字]]とも不明を表す[CH[?]]が直後に付くことがある。

[676] [CITE@ja[摂津市公用文作成基準]], [TIME[2025-07-15T02:16:06.000Z]], [TIME[2025-09-25T07:25:09.180Z]] <https://www.city.settsu.osaka.jp/section/reiki/reiki_honbun/v100RG00000043.html>

[692] [CITE@ja[公用文作成要領について]], [TIME[2025-08-18T01:38:20.000Z]], [TIME[2025-09-25T07:26:56.933Z]] <http://webhp.city.okazaki.lg.jp/reiki/reiki_honbun/i504RG00000115.html>

[703] 
[CITE[清水町公用文作成に関する規程]], [TIME[2025-09-25T07:29:43.000Z]] <https://www.town.shimizu.hokkaido.jp/administration/reiki/H406902200004/print.html>


[760] 
[CITE@ja-JP[大日本金石史 第2巻]], [[木崎愛吉]], [TIME[1972]], [TIME[2025-09-30T02:09:54.000Z]], [TIME[2025-10-12T07:25:28.950Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12211845/1/175> (要登録)


[767] 
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