[98] 
[DFN[寿慶]] ([[旧字体]]: [DFN[壽慶]])
は、
[[日本の私年号]]の1つです。

* 元号名

[37] 
[[読み][元号名の読み方]]は
「じゅけい」
とされます。
[SRC[>>21, >>125]]

* 用例

** 岩手県下の用例

[40] [[花巻温泉]]での用例が知られています。

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [30] [DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[岩手県]][[花巻市]][[湯口]]]] [[白山神社]] [[大日如来]]]]
-- [31] [DATA(.label)[胎内銘]]
「[DATA(.text)[寿慶元年]]  出羽前司藤原時長」
[SRC[>>1, >>99]]
- [24] [DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[岩手県][[花巻市]][[湯本]]]] [[花巻温泉]][[白山堂]] [[大日如来坐像]]]]
-- [112] >>110 : 白黒写真 (解像度下の上) 文字はなんとなく読めるが字形の細部は読み取り困難
-- [120] >>119 : 白黒写真 (解像度下の上) >>112 と同じ写真だが、印刷とデジタル化による映りが微妙に違う、か?
-- [111] >>110 : 銘文 [[明朝体]] [[翻刻]]
-- [26] >>9 : 銘文 [[明朝体]] [[翻刻]]
-- [25] [DATA(.label)[胎内 (胸から腹) 墨書銘]]
「[V[[DATA(.text)[于時寿慶三己歳三月廿四日]]開眼ス時之]]」
[SRC[>>26, >>111]]
- [33] [DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[岩手県]][[花巻市]]]] [[花巻温泉]][[大日堂]] [[大日如来]]]]
-- [34] 
[DATA(.label)[台座裏紀年銘]]
「[DATA(.text)[[V[寿慶三己巳歳三月廿四〓]]]]」
[SRC[>>2 /283, >>21, >>23]]

]ITEMS]

[41] 情報源によって少しずつ記述が異なります。同じものを指しているとも思われますが、
よくわかりません。

[28] 
>>24 の仏像の様式は、[[南北朝時代]]に遡るのは難しいとされます。[SRC[>>9, >>110]]

[115] 
従って >>25 は旧本尊造立時の銘文を写したものと推測されます。 [SRC[>>110]]

[116] 
享保10年頃の記録に、本尊修造のとき旧本尊造立の銘文が見つかった旨の記載があります。
[SRC[>>113, >>110]]

[117] 
>>116 は >>25 の文章とは違っていて、日付表記も「嘉慶三年三月廿四日」です。
[SRC[>>113]]

[114] 
なお、膝下銘は元禄13年の修理時のものとされます。 [SRC[>>110]]

[REFS[

- [113] 
[CITE@ja-JP[南部叢書 第5冊]], [[太田孝太郎 等校]], [TIME[昭和2-6][1931]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-05-20T14:52:19.095Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1179213/1/250?keyword=%E5%98%89%E6%85%B6%E4%B8%89%E5%B9%B4%E4%B8%89%E6%9C%88>

]REFS]

** 秋田県下の用例

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [46] [DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[秋田県]][[横手市]]]][[金沢山八幡社]] [CITE[般若心経]]]]
-- [67] >>6 : 奥書 [[明朝体]] [[翻刻]]
-- [101] >>100 : 奥書 [[明朝体]] [[翻刻]]
-- [47] [DATA(.label)[巻八十九 奥書]]
--- [48] >>3 : [[一字異音年号]] [L[3]]
--- [102] >>100 : [L[131]] (の1つ目)
--- [62] >>56 : [[明朝体]] [[翻刻]]
--- [60] 
「[DATA(.text)[[V[寿慶弐年五月廿二日]]]]」
[SRC[>>45 ([CITE[宮城県史資料]])]]
--- [69] 
「[DATA(.text)[[V[壽慶貳年五月廿日]]]]」
[SRC[>>67]]
--- [61] 
「[DATA(.text)[[V[壽慶二年五月廿日]]]]」
[SRC[>>62]]
--- [104] 
「[DATA(.text)[[V[寿慶弐年五月七日]]]]」
[SRC[>>101]]
-- [63] [DATA(.label)[巻百二十六 奥書]]
--- [64] >>56 : [[明朝体]] [[翻刻]]
--- [65] 
「[DATA(.text)[[V[應安三年八月]]]]」
[SRC[>>64]]
-- [49] [DATA(.label)[巻百二十七 奥書]]
--- [103] >>100 : [L[131]] (の2つ目)
--- [58] >>56 : [[明朝体]] [[翻刻]]
--- [57] 
「[DATA(.text)[[V[寿慶弐年[LINES(smaller)[戊][辰]]五月廿三日]]]]」
[SRC[>>45 ([CITE[宮城県史資料]])]]
--- [68] 
「[DATA(.text)[[V[壽慶貳年[LINES(smaller)[戊][辰]]五月廿三日]]]]」
[SRC[>>67]]
--- [59] 
「[DATA(.text)[[V[壽慶二年戊辰五月廿三日]]]]」
[SRC[>>58]]
--- [105] 
「[DATA(.text)[[V[寿慶弐年[LINES(smaller)[戊][辰]]五月廿二日]]]]」
[SRC[>>101]]
-- [74] [DATA(.label)[書写奥書]]
--- [75] 
「[DATA(.text)[[V[嘉慶二年]]]]」
[SRC[>>67 /161]]

]ITEMS]

[53] 
[[江戸時代]]には[[寿慶]]のことが既に知られていました (>>52)。

[54] 
大正6年3月に調査がありました [SRC[>>4]]。

** 讃岐国の用例

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [78] [DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[香川県]][[三豊郡]][[仁尾町]][[仁尾]]]] [[賀茂神社]] [[[LINES(smaller)[仁][尾]]賀茂神社文書]] [CITE[大般若經書寫等願主覺]]]]
-- [79] >>7 : [[[V[[LINES(smaller)[仁][尾]]賀茂神社文書]]]] [L[(21)]]
-- [83] >>8 : [V[二二]] [[[V[賀茂神社文書]]]] [L[(21)]]
-- [80] 
「[DATA(.text)[[V[壽慶二年[LINES(smaller)[戊][辰]]八月廾四日]]]]」
[SRC[>>79]]
--- [84] 
「[DATA(.text)[[V[壽慶二年[LINES(smaller)[戊][辰]]八月廿四日]]]]」
[SRC[>>83]]
-- [81] 
「[DATA(.text)[[V[明德四年[LINES(smaller)[关][酉]]四月  日]]]]」
[SRC[>>79]]
--- [85] 
「[DATA(.text)[[V[明德四年[LINES(smaller)[癸][酉]]四月  日]]]]」
[SRC[>>83]]
-- [82] 
「[DATA(.text)[[V[應永二年[LINES(smaller)[乙][亥]]八月十七日[LINES(smaller)[戊][尅]]]]]]」
[SRC[>>79, >>83]]

]ITEMS]

[108] 
[[令和時代]]に至るまで、[[私年号研究]]の文脈で紹介された事例は見当たりません。

[REFS[

- [7] 
[CITE@ja-JP[新編香川叢書 史料篇 2]], [[香川県教育委員会]], [TIME[1981.3][1981]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-05-20T12:01:34.806Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9574679/1/457?keyword=%E5%AF%BF%E6%85%B6> (要登録)
- [8] 
[CITE@ja-JP[香川県史 第8巻 (資料編 古代・中世史料)]], [[香川県]], [TIME[1986.3][1986]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-05-20T12:20:01.467Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9575971/1/75?keyword=%E5%AF%BF%E6%85%B6> (要登録)

]REFS]

** その他の用例

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [93] [CITE(.label)[雲上御系譜 皇統篇]],
[DATA(.author)[[[笹原助]]]], 
[TIME(.published)[1932-10-25]]
-- [87] [DATA(.label)[[[智仙]]]]
「[V[[DATA(.text)[壽慶二年十一月二十五[BR[]]日]]卒八十歳]]」 ([[明朝体]])
[SRC[>>5]]

]ITEMS]

[94] 
[[智仙]]は、
[[順徳天皇]]の子[[善統親王]]の子[[尊雅王]]の子です。
[SRC[>>5]]

[88] その兄弟は延文4年卒 (78才)、文和9年卒 (77歳) です。
[SRC[>>5]]

[89] 時代がちょうど合うので[[嘉慶]]の誤植と思われますが、少々問題があります。

[FIG(table)[

:n:[[名前]]
:b:生年
:d:没年

:n:[[志玄]]
:b:[TIME[弘安5(1282)年][1282]]
:d:[TIME[延文4(1359)年][1359]]

:n:[[智仙]]
:b:[TIME[延慶2(1309)年][1309]]
:d:[TIME[嘉慶2(1388)年][1388]]

:n:[[源朝臣善成]]
:b:[TIME[弘安7(1284)年][1284]]
:d:[TIME[文和9(1360)年 = 延文5年][1360]]

]FIG]

[91] 
文和は5年で[[改元]]されており、文和9年は[[延長年号]]です。

[90] 
系図の配置が兄弟の年長順だとすると、生年が入れ替わってしまいます。

[92] 
文和9年は不審ですが、文和元年だとすると3人中一番年長になってしまいます。

[96] 
現在の通説では、
[[智仙]]こと[[智泉聖通]]の生没年は[TIME[延慶2(1309)年][1309]] - 
[TIME[嘉慶2(1388)年][1388]]となっています。
[SRC[>>95]]

[97] 
[[四辻善成]] ([[源善成]])
の生没年は[TIME[嘉暦元(1326)年][1326]] - [TIME[応永9(1402)年][1402]]となっています。
これによれば生年も矛盾ありませんし、
[[延長年号]]ではなく[[応永]]が正しいということになります。


[109] 
[[令和時代]]に至るまで、[[私年号研究]]の文脈で紹介された事例は見当たりません。

[REFS[

- [5] 
[CITE@ja-JP[雲上御系譜 皇統篇]], [[笹原助]], [TIME[1932]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-05-20T12:26:01.345Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1085873/1/122?keyword=%E5%AF%BF%E6%85%B6> (要登録)
- [95] 
[CITE@ja[智泉聖通(ちせん しょうつう)とは? 意味や使い方 - コトバンク]], [[デジタル版 日本人名大辞典+Plus]], [TIME[2026-05-20T13:01:11.000Z]] <https://kotobank.jp/word/%E6%99%BA%E6%B3%89%E8%81%96%E9%80%9A-1091258>

]REFS]


* 諸説


[16] 
本来[[嘉慶]]と書くべき[[元号]]の別表記 (おそらく誤表記) の可能性が高く、
しかも案外広範囲・長期間使われていたように見える。

[17] 
あまり注意が払われることなく校訂されて翻刻文に出て来ない (または校訂の注記があっても[[私年号]]的な観点では見落とされている) 用例がまだ他に埋もれているかも。




* 研究史

** 近世の秋田県の用例研究

[52] 
[[江戸時代]]、
[[奥羽]]を探索した研究者[[菅江真澄]]は、
>>46
を紹介し、
[[寿慶]]という[[元号]]はなく[[嘉慶]]の誤りであろう、
としています。

[70] 
[[菅江真澄]]が編纂した[[地誌]][CITE[月出羽道]]
[WEAK[([TIME[文政12(1829)年][1829]]までに成立)]]
は、
>>46
を紹介しています。次のように書いています。
[SRC[>>6]]

- [71] [[壽慶]]という[[元号]]はない
- [72] [[嘉慶]]の誤りだろう
- [73] 2つの[[壽慶]] (>>47 >>49) は同じ人の筆跡である
- [76] [[嘉慶]] (>>75) は >>73 が[[嘉慶]]の誤りだったということで改めたもの
-- [77] が、かつて[[壽慶]]という[[元号]]が制定されたものの、
[[壽永]]など宜しくない時代があったということで、
[[壽慶]]を[[嘉慶]]と改称した、
ということもあったのかもしれない。



[REFS[
- [6] 
[CITE@ja-JP[秋田叢書 第10巻]], [[秋田叢書刊行会]], [TIME[昭和3至8][1933]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-05-20T10:00:56.612Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1174145/1/158?keyword=%E5%AF%BF%E6%85%B6>

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[12] [CITE[菅江真澄全集 - 菅江真澄, 营江真澄 - Google ブックス]], [TIME[2022-12-27T14:50:17.000Z]] <https://books.google.co.jp/books?id=NFgoAAAAMAAJ&q=%22%E5%AF%BF%E6%85%B6%22>
]FIGCAPTION]

>265 ページ
>... 渡倍某といふ人の古・塚に生ひたる柳なりしが、近きころ共柳を人フブゃフミカタ cu4 なれは、寿慶は嘉慶を見誤れる 265 しいのは.
>266 ページ
>なれは、寿慶は嘉慶を見誤れるにゃ。寿と嘉と、文字形似たり。また、神皇九十五代後醍醐天皇、諱は尊治、後宇多第二の御子、御母は淡天門院云々。旧都には、戊寅の年の冬、改元して暦応とぞいひける。芳野の宮には本の延元の号なれば、国々や思ひくの号なり。おろこしにはかるためしれ ○十九代 ... 書ると* ~寿慶寿慶二年といふとしの号書たる大般若経、仙北郡金沢八幡宮神蔵に在り、此寿慶は南朝北朝にゃ見えじ。しむかし、年号の数に入らさるるありしか。其としの名にゃ、寿鹿の前に貞治あれば、そを編年に 0 百川秋田/郡雄鹿~浦に百河といふ村あり、 ...
]FIG]

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[14] [CITE[菅江真澄全集 - 菅江真澄 - Google ブックス]], [TIME[2022-12-27T14:55:57.000Z]] <https://books.google.co.jp/books?id=TFVEAQAAIAAJ&q=%22%E5%AF%BF%E6%85%B6%22>
]FIGCAPTION]

>74 ページ
>... 百四十七〇貞治四年七月廿九日、此寿慶は嘉慶の誤なるべし。寿慶といふとしの号なし。嘉慶二(一三八八)年は戊辰にあたれり。そのころは百一代の帝後小松院の御宇也。□敬向、八幡大菩薩護敬白、金剛仏子実印、生年三十三才、寿慶弐年 1 五月廿三日( 44 )
>75 ページ
>... 十三○貞治年七月日、源朝臣義冬畦六作、五十一○貞治六年七月日、義冬、五十八〇貞治年七月十二日、善心、第卅五○貞治四年 ù 八月十七日、善心、一百廿八○貞治、年七》六、生年廿八実祐、乱葉〇寿慶弐年五月廿日、金剛仏子実印、八十九○貞治年呪 ...
>78 ページ
>さりけれどそのいにしへ、寿慶と製しとしの号の、寿永などの姉に年に不祥からぬ事ありて、寿慶を嘉慶と改め給ひし事もありやしらず。享保のころま( 44 )〇貞治年 2 七月日、寛祐、三百四十〇貞治年八月一日、閑、三百五十七〇貞治、、、、年八月十日、 ...
>81 ページ
>古筆梵本の大般若経残巻五百三本筆者甲斐国一宮住小笠原信濃二郎義冬いと多く、また僧俗あまた打交り貞治四年のとしの名のみ多く、応安は一年、康正も一年、嘉慶を寿慶と誤りて両三ヶ処に見ゆ。此事前になほ委曲なり。ツバラカミオモテハナオモテ力夕○興 ...
]FIG]

[51] 
[[国立国会図書館デジタルコレクション]]ではなぜか非公開ですが、次の2つの巻に収録があります。
[TIME[2026-05-20T09:34:03.700Z]]

>菅江真澄全集 第8巻 (地誌 4)
>内田武志, 宮本常一 編集 未来社, 1979.7
>87 コマ: 慶弐年〓五月廿三口此寿慶は嘉慶の誤なるべし。寿慶といふとしの号なし。嘉慶二(一三八八)年は戊辰にあたれり。そのころは百一代の帝後小松院の御宇也。

>菅江真澄全集 第11巻 (雑纂 1)
>内田武志, 宮本常一 編集 未来社, 1980.12
>158 コマ: 編年に書るとなれは、寿慶は嘉慶を見誤れるにや。寿と嘉と、文字形似たり。また、神皇九十五代後醍

]REFS]

** 近代の秋田県の用例研究

[55] 
[TIME[大正6(1917)年][1917]]の書籍は、
[TIME[大正6(1917)年3月][1917-03]]の調査に基づき
>>49
を紹介しています。
他の巻の書写の年代も踏まえつつ、
[[壽慶]]は[[嘉慶]]の誤記であろう、
としています。
[SRC[>>4]]

[66] 
[TIME[大正15(1926)年][1926]]の論文は、
>>46
を紹介しています。
[[壽慶]]は[[嘉慶]]の誤記であろう、
との「先輩の説」があるとしています。
[SRC[>>56]]

[REFS[

- [4] 
[CITE@ja-JP[後三年戦蹟誌]], [[伊藤直純]], [TIME[大正6][1917]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-05-20T09:42:42.822Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/948630/1/31?keyword=%E5%AF%BF%E6%85%B6> (要登録)
- [56] 
[CITE@ja-JP[歴史と地理 17(3)]], [[星野書店]], [TIME[1926-03]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-05-20T09:48:11.280Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/3566918/1/41?keyword=%E5%AF%BF%E6%85%B6> (要登録)

]REFS]

-*-*-

[107] 
[TIME[昭和51(1976)年][1976]]の論文は、
>>46
を紹介し、
[[寿慶]]には[[嘉慶]]の誤りかと注釈を付けています。
[SRC[>>100]]

[REFS[

- [100] 
[CITE@ja-JP[秋田県の紀年遺物 : 石田茂作先生喜寿紀念出版]], [[奈良修介]], [TIME[1976]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-05-20T13:10:46.388Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12208761/1/61?keyword=%E5%AF%BF%E6%85%B6> (要登録)
--
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[13] [CITE[秋田県の紀年遺物: 石田茂作先生喜寿紀念出版 - 奈良修介 - Google ブックス]], [TIME[2022-12-27T14:53:52.000Z]] <https://books.google.co.jp/books?id=nPwxAAAAMAAJ&dq=%22%E5%AF%BF%E6%85%B6%22>
]FIGCAPTION]

>九一 九十三卷貧祐二年九十七卷百卷山北 写(嘉慶かの誤二 5 誤力......一三八八) (裏表紙公裏)八十二卷貞治二年八月六日秀八%八十九卷寿慶式年五月廿日金剛瓜子印一七十六卷貞治二年七月十九日山北雄勝郡三侯滿福寺常住美祐七十九卷貞治二年七月十八日 ...

>秋田県の紀年遺物 10K 宝雨誌之大旦那源朝臣里見義忠同義安右意趣者現当二世諸願成就鬥滿為也将又剩直四生離群類登瓜果菩提者也忘安二年(三六九)奥書横手市金沢八幡神社大般若經第百廿六卷應安二:八月:季:書續:筆者昌妙春秋五十八歲·寿慶(嘉慶小)式年(一 ...
]FIG]

]REFS]


** [CITE[日本私年号の研究]]

[50] 
昭和43年の[CITE[日本私年号の研究]]は、
[[異年号]]のうち[[一字異音年号]]の1つとして、
>>46
を紹介し、
[CH[嘉]]と[CH[寿]]とで意味も相通ずるので、
[[寿慶]]は[[嘉慶]]を指すと見られる、
としています。
[SRC[>>45]]

[REFS[

- [44] [CITE[日本私年号の研究]]
-- [45] p.[V[一九一]], p.[V[一九二]], p.[V[一九五]]

]REFS]


** 昭和時代の岩手県の用例研究

[118] 
[TIME[昭和36(1961)年][1961]]の文化財資料集は、
>>24
を紹介し、
[TIME[嘉慶3(1389)年][1389]]の誤りと思われるとしています。
また、様式が[[南北朝時代]]に遡るのは難しく、
旧本尊造立時の文と考えられるとしています。
その根拠に >>117 も引いています。
[SRC[>>110]]


[27] 
[TIME[昭和47(1972)年][1972]]の[[自治体史]]は、
>>24
を紹介し、
[TIME[嘉慶3(1389)年][1389]]の誤りと思われるとしています。
また、様式が[[南北朝時代]]に遡るのは難しく、
旧本尊造立時の文と考えられるとしています。
[SRC[>>9]]

[29] 
[TIME[昭和54(1979)年][1979]]の[[自治体史]]は、 >>27 を引用しています。
[SRC[>>11]]

[36] 
[TIME[昭和59(1984)年][1984]]の書籍の[[私年号の表][日本私年号一覧表]]は、
>>2
を出典に[RUBY[寿][じゅ]][RUBY[慶][けい]]を掲載し、
>>33
を紹介して[[元年]]を[TIME[西暦1387年][1387]]で3年継続か、としています。
嘉慶3年2月9日に[[暦応]]と[[改元]]されたことを注記しています。
[SRC[>>21]]

[REFS[

- [110] 
[CITE@ja-JP[花巻市の文化財 第3集]], [[花巻市文化財調査委員会]], [TIME[1961]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-05-20T14:44:03.796Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12418425/1/15?keyword=%E5%AF%BF%E6%85%B6> (要登録)
-- [119] 
[CITE@ja-JP[花巻市の文化財]], [[花巻市文化財調査委員会]], [TIME[1979.6][1979]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-05-20T15:00:28.188Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12707011/1/124?keyword=%E5%AF%BF%E6%85%B6> (要登録)
- [9] 
[CITE@ja-JP[花巻市史 文化財篇]], [[熊谷章一]], [TIME[1972.12][1972]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-05-18T06:59:13.046Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/2994252/1/35?keyword=%E5%AF%BF%E6%85%B6> (要登録)
-- [121] 
[CITE@ja-JP[花巻市史 第2巻]], [[花巻市教育委員会]], [TIME[1981]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-05-20T15:02:25.735Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9570495/1/322?keyword=%E5%AF%BF%E6%85%B6%E4%B8%89%E5%B9%B4> (要登録)
- [11] 
[CITE@ja-JP[石鳥谷町史 上巻]], [[石鳥谷町史編纂委員会]], [TIME[1979.3][1979]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-05-18T07:05:13.788Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9570007/1/218?keyword=%E5%AF%BF%E6%85%B6> (要登録)
- [21] 
[CITE@ja-JP[岩手の懸仏]], [[岩手県立博物館]], [TIME[1984.3][1984]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-05-18T07:16:55.577Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12424053/1/40?keyword=%E5%AF%BF%E6%85%B6> (要登録)


]REFS]


-*-*-

[32] 
[TIME[昭和43(1968)年][1968]]の[[司東真雄]]の論文は、
>>30
に言及し、
「寿慶元年」に「[L[(嘉慶の私年号)]]」
と注釈しています。
[SRC[>>1, >>2]]

[38] 
[TIME[昭和44(1969)年][1969]]の[[自治体史]]は
>>32
を掲載する等で同じように注記しています。
[SRC[>>22]]

[35] 
[TIME[昭和54(1979)年][1979]]の[[司東真雄]]の書籍は、
>>32
を掲載しつつ、
[[私年号]]の一覧表に
>>33 (のみ) を掲載しています。
[SRC[>>2]]

[18] 
[TIME[昭和60(1985)年][1985]]の[[司東真雄]]の[[私年号]]の一覧にも、
>>35
と同様に掲載があります。
[SRC[>>23]]

[REFS[

- [1] [CITE@ja-JP[奥州大学紀要 (1)]], [[奥州大学学術研究会]], [TIME[1968-12]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-05-18T07:08:48.909Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1731749/1/14?keyword=%E5%AF%BF%E6%85%B6> (要登録)
- [22] [CITE@ja-JP[北上市史 第2巻 (古代(2)・中世)]], [[北上市史刊行会]], [TIME[1970]], [TIME[2025-02-25T01:55:51.000Z]], [TIME[2025-04-17T03:27:48.923Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9569456/1/255?keyword=%E5%AF%BF%E6%85%B6> (要登録)
- [99] 
[CITE@ja-JP[北上の歴史]], [[北上市]], [TIME[1987.6][1987]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-05-20T13:07:58.986Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/13227347/1/56?keyword=%E5%AF%BF%E6%85%B6%E5%85%83%E5%B9%B4> (要登録)
- [2] 
[CITE@ja-JP[岩手の歴史論集 2 (中世文化)]], [[司東真雄]], [TIME[1979.11][1979]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-05-18T07:15:39.994Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9538754/1/31?keyword=%E5%AF%BF%E6%85%B6> (要登録)
- [23] 
[CITE@ja-JP[岩手の石塔婆 : 東北型の板碑文化]], [[司東真雄]], [TIME[1985.10][1985]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-05-09T09:29:14.485Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12261033/1/134?keyword=%E5%A3%BD%E6%85%B6> (要登録)


]REFS]

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[15] [CITE[角川日本地名大辞典: 岩手県 - Google ブックス]], [TIME[2022-12-27T14:57:18.000Z]] <https://books.google.co.jp/books?id=tJXTAAAAMAAJ&q=%22%E5%AF%BF%E6%85%B6%22>
]FIGCAPTION]

>180 ページ
>神貫路郡のうち。大畑氏は郡上稗貫氏の家臣。大畑大日堂の本尊には,「大旦那大畑之禅門」「前出羽守時義」「寿慶三己巳歳三月廿四日開眼などの文字が見える。寿慶 3 年は南北朝後期の嘉慶 3 年にあたるか(県金石志)。室町期の永寧 8 年稗貫語十八ヶ城語が ...
>792 ページ
>寿慶 3 年は私年号で、南北朝期の嘉慶 3 年にあたるか(県金石志)。豊沢川の北岸の鐘撞森と呼ぶ小丘の西側に,空に囲まれた約 40 間四方の館跡があり、湯口氏の居館跡と推定されている(湯口村誌)。〔近世湯口村江戸期~明治 22 年の村名。稗貫郡のうち。
]FIG]

** 香川県の用例紹介

[86] 
[TIME[昭和56(1981)年][1981]]と[TIME[昭和61(1986)年][1986]]の[[自治体史]]は、
>>78
を紹介しています。[[元号名]]の[[壽慶]]の[CH[壽]]に「[V[(嘉)]]」と注釈があります。
[SRC[>>7, >>8]]


** その後

[106] 
[CITE[日本私年号の研究]]が[[私年号]]の分類外としたためもあるのか、
[[私年号の表][日本私年号一覧表]]などにほとんど掲載例が見られません。

[42] 
[TIME[平成24(2012)年][2012]]に[[日本語]]版[CITE[ウィキペディア]]の一覧表に追加されました。
この表への追加としては新しい方に当たります。
追加の出典は不明ですが、いくつかの[[私年号]]の同時追加であるため、
何らかの既存の表からの転載とも思われます。
当初参照された表になく、後からほかの編集者が参照した表にあったものが選ばれたのでしょうか。
[SRC[>>39]]

[43] この表は、
>>40
を典拠とし、元年は[TIME[嘉慶元(1387)年][1387]]か、としています。
継続年数は不明としています。また、[[嘉慶]]の誤記か、としています。
[SRC[>>10]]
曖昧性が高いですが、これも出典の表記に倣ったのでしょうか。


[REFS[

- [39] [[ウィキペディアの私年号一覧表]]
--
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[10] [CITE@ja[[[私年号]] - Wikipedia]], [TIME[2022-12-10T11:22:17.000Z]], [TIME[2022-12-22T12:35:00.472Z]] <https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7>
]FIGCAPTION]

>
,*私年号 	,*異説 	,*元年相当公年号(西暦) 	,*継続年数 	,*典拠・備考 
,寿慶 	,- 	,元中4年/嘉慶元年(1387年)? 	,不明 	,岩手県花巻市白山神社蔵大日如来胎内銘。公年号「嘉慶」の誤記か。 
]FIG]
-- [19] 
[CITE@ja[「私年号」の版間の差分 - [[Wikipedia]]]], [TIME[2024-07-20T06:30:36.000Z]], [TIME[2024-07-21T08:59:06.548Z]] <https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7&diff=prev&oldid=41377699>
--- [20] 
[CSECTION[2012年2月25日 (土) 04:36時点における版]],
[[Takanuka]]
- [125] 
[CITE@ja[Xユーザーの大森博子 Hiroko Ohmori🔍📚さん: 「【元号】342 寿慶 じゅけい 元中4年/嘉慶元年(1387年)期間不明 岩手県花巻市白山神社蔵大日如来胎内銘。 公年号「嘉慶」の誤記か。 おめでたい字だが、現在は元号選定にあたっては書きやすい=字画の少ない字にするという不文律があるため、次の元号もこのような字とはならないはず。」 / X]], [TIME[午後9:07 · 2018年11月1日][2018-11-01T12:07:24.000Z]], [TIME[2026-05-20T02:25:10.000Z]] <https://x.com/11111hiromorinn/status/1057967341307289601>
-- [126] 
[CITE@ja[Xユーザーの大森博子 Hiroko Ohmori🔍📚さん: 「通し番号が重複してしまいました。このまま続けます。」 / X]], [TIME[午後9:25 · 2018年11月1日][2018-11-01T12:25:36.000Z]], [TIME[2026-05-20T02:25:10.000Z]] <https://x.com/11111hiromorinn/status/1057971920979689472>

[NOTE[

[127] 書きやすい候補を選ぶことは[CITE[元号選定手続について]]で明文化されているので、
不文律ではありません。書きやすさと画数の少なさは、必ずしも等しくありません。
画数の少なさは[CITE[元号選定手続について]]の基準にありませんから、
もしそれが要求されているなら不文律といえますが、どうでしょう。
なぜこの投稿者は「不文律」を知っているのでしょうか。

]NOTE]

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[123] 
[CITE@ja[山神神社 (花巻市湯口) : くぐる鳥居は鬼ばかり]], 
[[yuki]],
2022年12月14日 07:00,
[TIME[2026-05-20T15:15:09.000Z]] <https://yuki.liblo.jp/archives/30662513.html>
]FIGCAPTION]

>[SNIP[]]なお、湯口の白山神社大日如来胎内銘には「大旦那大畑之禅門前出羽守時義」と、稗貫氏の当主と思われる人名が記されており(建武年間に活躍した中条=稗貫出羽前司時長の子孫か)、寿慶3年の年紀があります(寿慶3年は私年号で南北朝期の嘉慶3年か)。[SNIP[]]
]FIG]

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[124] 
[CITE@ja[もうひとつの鈴木敏夫とジブリ展 (大沢温泉) : くぐる鳥居は鬼ばかり]], 
[[yuki]],
2024年12月19日 07:00,
[TIME[2026-05-20T15:16:06.000Z]] <https://yuki.liblo.jp/archives/37216972.html>
]FIGCAPTION]

>[SNIP[]]なお、湯口の白山神社大日如来胎内銘には「大旦那大畑之禅門前出羽守時義」と、稗貫氏の当主と思われる人名が記されており(建武年間に活躍した中条=稗貫出羽前司時長の子孫と推定)、「寿慶三年」の年紀があります。寿慶3年は私年号で南北朝期の嘉慶3年と推定。[SNIP[]]
]FIG]

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[122] 
[CITE@ja[太神宮 (花巻市湯口) : くぐる鳥居は鬼ばかり]], 
[[yuki]],
2025年10月10日 07:00,
[TIME[2026-05-20T15:13:24.000Z]] <https://yuki.liblo.jp/archives/38782368.html>
]FIGCAPTION]

>[SNIP[]]なお、湯口の白山神社大日如来胎内銘には「大旦那大畑之禅門前出羽守時義」と、稗貫氏の当主と思われる人名が記されており(建武年間に活躍した中条=稗貫出羽前司時長の子孫か)、寿慶3年の年紀があります(寿慶3年は私年号で南北朝期の嘉慶3年か)。[SNIP[]]


]FIG]

]REFS]


* メモ
