[2] 
[DFN[寛永]]は、
[[日本の公年号]]の1つです。

* 元号名

** 寛爾永志

[SEE[ [[寛爾永志]] ]]

** 観睿

[SEE[ [[観睿]] ]]

* 特殊な用例

** 寛永通宝

[SEE[ [[寛永通宝]] ]]

** 満州の「寛永」

[SEE[ [[寛永 (満洲)]] ]]

** 寛永銘漢土製陶磁器

[SEE[ [[東洋近世陶磁器銘の日付]] ]]

** 九州の私年号「寛永」

[20] 
[[寛永]]を[TIME[永正元(1504)年][1504]]を[[元年]]とする[[九州]]の[[私年号]]とする説があります。

[7] 
[TIME[1994-03-01]]に[[日本国]][[熊本県]][[下益城郡]][[松橋町]]の[[上田栄二]]
[WEAK[(昭和2年 -)]]
が出版した書籍は、
[[古代文字]]も出てくるような[[超古代史]]から始まり当地の歴史を語るものでありますが、
著者の独自の研究成果の結論だけが書かれていて、
出典や理由のようなものはほぼ語られません。
[SRC[>>24]]

[15] 
本書は[[日本国]][[熊本県]][[下益城郡]][[美里町]][[津留]]の[[慶専寺]] [SRC[>>8]]
の[[縁起]]を記述するにあたり、

- [9] 「寛永二年 (永正二年一五〇五)」
- [10] [[私年号]]であり、[[九州]]でだけ使われていた

と述べています。
[SRC[>>24]]

[11] 
[[令和時代]]に至るまで、この[[寛永]]なる[[私年号]]に言及したものは、
本書1点以外に見当たりません。

[13] 
本書で語られる[[慶専寺]]の歴史記述は、
[CITE[下益城郡誌]]
とほとんど同内容です。
ただし
[CITE[下益城郡誌]]
には寛永二年とだけあって、[[永正]]であるとも[[私年号]]であるとも書かれていません。
[SRC[>>12]]

[14] 
本書の内容を鑑みるに、[[上田栄二]]が
[CITE[下益城郡誌]]
を参照した可能性はかなり高いと考えられます。

[16] 
地元の他の[[郷土史家]]などの説などがあった可能性も否定できないものの、
現段階では、[[私年号]]云々は[[上田栄二]]が
[CITE[下益城郡誌]]
の解釈のために独自に考案したと見ておきたいところです。

[17] 
[CITE[下益城郡誌]]
および本書の説明では、
寛永2年に寺を作ったことと、
天正10年に寺を作ったことが順に出てきます。
この2つの出来事がどのようにこの形で語られるようになったのかは検討を要しますが、
前者を承けて後者が起きたとすると矛盾します。
そこで天正よりも前の[[寛永]]が[[私年号]]として存在したに誓いないとしたのが本書の説なのでしょう。

[18] 
[[寛永]]を[[永正]]時代としたのは、[CH[永]]が共通しており、
説明の時系列にマッチする[[中世]]後期頃の[[元号]]であることからでしょうか。
他にも該当し得る[[元号]]はありそうで、なぜ永正2年と断定されたのかは不明です。

[19] 
また、だからといってそれが[[九州]]でだけ使われた[[私年号]]というのも飛躍であり、
なぜそのように説明されることになったのか謎です。

[REFS[

- 
[12] 
[CITE@ja-JP[下益城郡誌]], [[下益城郡教育支会 編纂]], [TIME[1973]], [TIME[2026-06-17T01:09:14.000Z]], [TIME[2026-06-21T13:46:05.031Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9769023/1/292?keyword=%E6%85%B6%E5%B0%82%E5%AF%BA> (要登録)
-
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[24] 
[CITE@ja-JP[大日本古代正史]], [[上田栄二]], [TIME[1994.3][1994]], [TIME[2025-09-30T02:09:54.000Z]], [TIME[2025-10-27T05:39:23.466Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/13136294/1/157?keyword=%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7> (要登録)
]FIGCAPTION]

>
[VRL[

[B[[YOKO[24]]、[RUBY[慶][キヨウ]][RUBY[専][セン]]寺 (真宗本派)]]

現在中央町[RUBY[津][ツ]][RUBY[留][ル]]に在りて、佐々木姓なり、

元佐々木高綱薙髪して、了智と号し、西国九州を布教して廻りしと、寺歴に依れば、信州栗林正行[BR[]]
寺を[RUBY[創][ハジ]]む、了智より八世の住、了恩の弟了恵、寛永二年 (永正二年一五〇五) 上は私年号で九州だけ[BR[]]
に使われて居た。

]VRL]


]FIG]
- [8] 
[CITE@ja[[[慶専寺]] | 浄土真宗本願寺派熊本教区 本願寺 熊本別院]], [TIME[2026-06-21T13:40:56.000Z]] <https://hongwanji-kumamoto.gich.net/shopdatail/178461>

]REFS]

* 寛永への改元

[48] 
[TIME[元和10(1624)年2月30日][kyuureki:1624-02-30]]、
[[寛永]]に[[改元]]。

* 寛永からの改元

[49] 
[TIME[寛永21(1645)年12月16日][kyuureki:1645-12-16]]、
[[正保]]に[[改元]]。

* 関連

[SEE[ [[元永]] ]]

* メモ
