[12] 
[DFN[寛明]]は、
[[元号名]]の1つです。

[18] 
[[寛政]]の誤記と考えられています。

* 用例

[15] 1例知られています。

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [1] [DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[熊本県]][[熊本市]][[島崎]]3丁目]] 道路脇の桜の木の下の墓碑]]
-- [13] 
「[DATA(.text)[[V[寛明九己王七月六日]]]]」
[SRC[>>3]]
-- [2] 旧所在: 近くの墓地 [SRC[>>3]]

]ITEMS]

[14] 
[[昭和時代]]後期までに知られるようになりました。

;; [16] >>3 で他に提示されている事例は地元の研究者の論文などで先行する報告があるので、
これももっと早い段階で知られていた可能性はあります。

[4] 様式は[[近世]]後期とされます。
[SRC[>>3]]

* 研究史

[19] 
[[日本国]][[熊本県]]の歴史研究者[[前川清一]]が[[昭和時代]]後期に紹介しました。
[SRC[>>3]]

[17] 
[[私年号]]ではなく寛政元年または寛文9年の誤りかと判断しました。
[SRC[>>3]]

[20] 
そのためかその後[[異年号]]の研究でこれを扱ったものは見当たりません。



[REFS[
- [3] [CITE[[[熊本県下の私年号考]]]]
]REFS]


-*-*-

[21] 
寛政元年か寛文9年としたのは、[CH[寛]]が共通し、
[[字形]]が似た[CH[元]]/[CH[九]]の[[年]]で、
[[十干]]が一致するためと思われます。

- [6] [TIME[寛文9(1669)年[LINES(smaller)[己][酉]]][1669]]
- [5] [TIME[寛政元(1789)年[LINES(smaller)[己][酉]]][1789]]

[7] 
しかしこれでは「己王」の[CH[王]]が解釈できません。

[22] 
この位置の[CH[王]]は[CH[閏]]の[[異体字]]と解するのが普通です。
ところが >>6 >>5 のどちらも7月は[[閏月]]ではありません。
また、[[年]]に[[十干]]だけを書いて[[十二支]]を書かない方式は[[東洋の日時表示]]中、稀な例外だけです。

[9] 
前近代に[CH[己]]と[CH[巳]]は混用され、
[[近世]]には[[十干]]のない[[十二支年]]が頻用されることを考慮すると、
矛盾が生じない年があります。

- [8] [TIME[寛政9(1797)年[LINES(smaller)[丁][巳]]閏7月6日][1797-07'-06]]


[10] 
[[江戸時代]]には他にも[CH[寛]]がつく[[元号]]が数回ありましたが、
9年まで続き巳年なのはこのときだけです。

[11] 
しかし9年にもなって[CH[政]]を[CH[明]]に誤刻するなんてあり得るのか、と疑問があります。
かといって意図的に書き換える意味も思い当たりません。

[23] 
原稿が[[草書]]で誤読したとかでしょうか? そんなことあるのでしょうか...

* メモ