* 宝永改元

[10] 
[[尾張藩]]士[RUBYB[[[朝日重章]]][[TIME[1674]]-[TIME[1718]]]]の[[日記]]
[CITE[鸚鵡篭中記]]
に[[改元]]関連の記事があります。
[SRC[>>7]]

[17] 
[CITE[鸚鵡篭中記]]
[TIME[元禄17(1704)年3月12日][kyuureki:1704-03-12]]条と[TIME[元禄17(1704)年3月13日][kyuureki:1704-03-13]]条の間に
[CSECTION[改元略記]]
として[[京都]]や[[江戸]]の改元儀式の日程が書かれています。
[SRC[>>7 /244 [CSECTION[改元略記]]]]
筆者本人がどちらも参加したとは考えにくく、
何らかの経路で入手した情報を転載したものと考えられます。


-[11] 
元禄17年3月12日 改元条儀 [SRC[>>7 /244 [CSECTION[改元略記]]]]。
-
[12] 
元禄17年3月13日未1点 条事定め [SRC[>>7 /244 [CSECTION[改元略記]]]]。
-
[13] 
元禄17年3月13日申1点 [[改元定め]] (着座の図表あり) [SRC[>>7 /244 [CSECTION[改元略記]]]]。
-
[15] 
元禄17年3月13日 [[行赦]] [SRC[>>7 /244 [CSECTION[改元略記]]]]。
-
[16] 
元禄17年3月30日 [[江戸城]]で改元披露 [SRC[>>7 /244 [CSECTION[改元略記]]]]。

[18] 
[CITE[鸚鵡篭中記]]
元禄17年3月18日条に、

>
[VRL[
□十八日  雨。宝永元年と云字を板にて押し、一銭づゝ[BR[]]
にてうりめぐる◯巳ゟ晴、夜曇、戌前後雨、或後小降[BR[]]
◯昼ゟ久太へ行。源右・権内◯暮ゟ加兵へ行。瀬左・[BR[]]
半九。

]VRL]

とあります。
[SRC[>>7 /245]]

[19] 
つまり「宝永元年」と印刷されて1銭で売り歩く者が[[名古屋]]城下に出現したようです。
この書き方は朝方から巳刻までの間、雨の降っていたときのこと理解していいのでしょうか。

[20] 
[CITE[鸚鵡篭中記]]
元禄17年4月1日条の後の方、元禄17年4月2日条の前に、

>
[VRL[
◯去月、京にて改元に付、行赦之節群聚す。板木屋来り[BR[]]
年号を聞て、板に刻みける。其比五所に万日の恵向あ[BR[]]
り。是にて売し故大分うれたり。関東にて未御披露も[BR[]]
無之内に、如此事を有司聞而売る者を捕へ、篭に入。
]VRL]

とあります。
[SRC[>>7 /247]]

[21] 
つまり[[江戸城]]で[[改元]]施行儀式が終わらぬうちに[[元号名]]を知って印刷し、
[[万日回向]] (仏教行事) で人が集まった所で売って大儲けした者がおり、
[[逮捕]]したようです。

[22] 
「去月」というのはどこまでに掛かっているのでしょうか。
この記事が4月1日条に掛けられているということは、
逮捕したのは4月1日のことなのでしょうか。それとも4月1日に思い出して書いた3月中の出来事なのでしょうか。
[[江戸城]]での改元実施は3月30日のことですが、
それが[[名古屋]]に伝わったのはいつのことでしょうか。
>>18 と >>20 は同一事象でしょうか、別事象でしょうか。



[23] 
[CITE[鸚鵡篭中記]]
元禄17年4月6日条に、

>
[VRL[
◯御勘定所にて今日ゟ宝永の年号を用ゆ。
]VRL]

とあります。
[SRC[>>7 /249]]

[24] 
つまり[[尾張藩]]の機関である[[御勘定所]]では元禄17年4月6日に[[改元]]を施行したようです。
[[御勘定所]]と断っているのは、機関ごとに施行日の決定権があったのでしょうか。
それとも筆者が関係していたのが[[御勘定所]]だったのでそう書いたまででしょうか。

[25] 
この1,2日前くらいに[[江戸]]から[[改元]]施行の連絡が来たということでしょうか。

[26] 
元禄17年3月18日なり元禄17年4月1日なりの時点で筆者や他の[[尾張藩]]の国元の役人達は[[江戸城]]での[[改元]]施行の日取りや、
新しい[[元号名]]を把握していたのでしょうか。それとも披露の後の[[江戸]]からの連絡で初めて知ったのでしょうか。


[27] 
[[弘前藩]]の記録では、
元禄17年3月30日に[[江戸城]]で新元号が披露されたこと、
元禄17年4月22日に藩庁で新元号が施行されたことが記載されています。
[SEE[ [[弘前藩日記]] ]]



[REFS[

- 
[7] [CITE@ja-JP[名古屋叢書 続編 第10巻 (鸚鵡籠中記 第2)]], [[名古屋市教育委員会]], [TIME[1966]], [TIME[2024-05-28T02:01:58.000Z]], [TIME[2024-07-27T13:32:01.735Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/2972577/1/247> (要登録)
左上
/245 右下
/249 右下

]REFS]




[3] 
[[昭和時代]]の[[瓦版]]研究者[[平井隆太郎]]は、
[[改元デマ]]に関して[[新聞]]業界の雑誌に寄稿した記事で、
[CITE[鸚鵡籠中記]]
から引いて次のように書いています。
から次のように引いています。
[SRC[>>1]]

> 
[VRL[
[SNIP[]]「三[BR[]]月十八日、宝永元年と云う字を板にて[BR[]]
押し、一銭づつにて売りめぐる」、[SNIP[]]
]VRL]

>
[VRL[
[SNIP[]]「板木屋来り年号を聞きて板に刻み[BR[]]
ける。その頃、五ヶ所に万日回向あ[BR[]]
り、是にて売りし故、大分うれたり。[BR[]]
売るもの牢舎」などとしるされてい[BR[]]
る。
]VRL]

[8] >>18 >>20 と >>3 を比較して微妙に表現が違うのは[[底本]]の違いなのか、
[[引用]]がおかしいのか。

[4] 
>>1 は >>3 を引用し、元禄17年3月13日の[[宝永]]改元で ([[改元デマ]]と違って)
確報なのに捕まるのは遣り切れないだろうと書いて、
幕閣当局者は[[瓦版]]のような「軽い出版物」が[[元号]]を扱うことを嫌う
「独得の発想」を備えていたと断定しています。 [SRC[>>1]]

[6] 
しかし引用元の
[CITE[鸚鵡籠中記]]
に
「関東にて未御披露も無之内に」
と説明があり、
[[江戸城]]の[[改元]]披露が元禄17年3月30日にあったことも書かれているのに、
なぜかそれらを省略して引用してまったく言及せず、
[[朝廷]]での[[改元日]]である元禄17年3月13日だけをきっちり書くのは不思議です。
なぜ原文に書かれていることを無視し、
どこにも書かれていない「独得の発想」
を理由とするのでしょう。


[9] 
「確報」だったといえるのは[[宝永]]が新元号であることを知っている未来の我々が見た場合だからであって、
当時の一般民衆にとって元禄17年3月18日時点では、
未発表の新元号とされるものは真偽不明の怪文書でしかありません。
[[改元デマ]]と本質的に変わらないもので、
未発表の不審な情報をあたかも事実であるかのように流布する者を取り締まるという点で幕藩体制側の姿勢は一貫しています。
(虚言すらも) [[言論の自由]]を広く認められる現代の感覚とは違うかもしれませんが、
根拠のない「独得の発想」を導入することなく論理的に説明できます。





[REFS[

-
[14] 
[CITE@ja-JP[[[新聞研究]] [L[1978年8月号]]]] (337), 
[[日本新聞協会]], 
[V[[TIME[昭和五十四年八月一日][1979-08-01]]発行]],
[TIME[2024-02-01T05:12:54.000Z]], [TIME[2024-02-21T10:14:03.374Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/3360896/1/6> (要登録)
-- [1] 
[CSECTION[[[[V[江戸時代の改元誤報]]]]]],
[[[V[平井隆太郎]]]]

]REFS]




[28] 
この[[尾張藩]]の事案は[[改元伝達]]や[[江戸幕府]]・諸[[藩]]の[[元号]]政策の分析において興味深い事案と思われますが、
その後の[[元号研究]]で参照したものは見当たりません。

[34] 
[CITE[鸚鵡篭中記]]は昭和40年代に刊行されるまでほとんど内容は知られていなかったようです。
それ以前はこのような事件があったことも忘れられていたのでしょう。



[29] 
印刷して売った者は、どのようにして「安永」の[[元号名]]を知ったのでしょうか。
何らかの情報源から今次の新元号を知ったのでしょうか、
それとも偶然なのでしょうか。

;; [30] 完全なる偶然は難しいでしょうが、
以前の新元号案が後から[[改元デマ]]になって出現するような事例はあるので、
それが偶然本当の新元号だったという可能性はあります。

[31] 
本当の新元号だった場合は情報源はどこでしょうか。
[[尾張藩]]の関係者でしょうか、それとも他でしょうか。
元禄17年3月18日時点で[[尾張藩]]の役人は新元号を知っていたのでしょうか。

[32] 
[[京都]]で[[朝廷]]や[[公家]]に出入りした者や、
[[禁裏御料]]・[[公家領]]の[[改元]]情報が自然に広まって元禄17年3月18日時点で[[尾張藩]]領にも到達していた可能性もありそうです。



[33] 
[[尾張藩]]では[TIME[元禄14(1701)年][1701]]にも[[改元デマ]]事件がありました。
[SEE[ [[正禄]] ]]


[35] [CITE@ja-JP[大田区史 資料編 寺社 1]], [[東京都大田区史編さん委員会]], [TIME[1981.6][1981]], [TIME[2025-09-30T02:09:54.000Z]], [TIME[2025-10-09T11:05:09.195Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9642287/1/822?keyword=%E6%94%B9%E5%85%83> (要登録)

* 延長年号

[SEE[ [[古史古伝の日時]] ]]

* 関連


[5] 関連: [[改元伝達]],
[[改元デマ]]


* メモ



[2] 
>>1 正式発表前にフライング報道して処罰された事案。新聞屋はいつの時代もかわらないなあ。

