* 漢字1文字略号



[44] 
[[元号名]]の先頭文字の略号は、
[[手書き]]の時代から便宜上用いられていたと思われます。

[42] 
使われ始めた時期を確定させるのは困難ですが、
4文字元号を2文字や1文字に略した例は既に[[日本]]の[[奈良時代]]から知られています。

[43] 
[[東アジア]]の他の国や時代にも事例は見られます。
しかし時代と地域を超えた普遍的な慣習ではなさそうです。

** 前近代日本

[81] 
[CITE@ja-JP[古事類苑 歳時部2]], [[神宮司庁古事類苑出版事務所]], [TIME['''['''明41''']'''][1908]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-04-30T13:10:28.731Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/897572/1/92>


[113] [CITE@ja-JP[板碑概説]], [[服部清五郎]], [TIME[1933]], [TIME[2022-12-28T09:26:51.000Z]], [TIME[2022-12-29T08:30:51.193Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1918330/1/384> (要登録)

[136] [CITE@ja-JP[郷土要録]], [[大分県師範学校郷土室]], [TIME[昭和10][1935]], [TIME[2023-01-06T06:14:39.000Z]], [TIME[2023-01-07T13:47:05.956Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1232609/1/29> (要登録)

大分県の板碑の私年号「建」、意識的に使用したかは不明 (具体例なし)


- [79] 
-- [80] 「[V[建二八廿]]」 [SRC[>>900 ([CITE[板碑概説]])]]

[45] 
昭和9年の[[久保常晴]]の論文は、
[[異年号]]と思われながら孤例のものとして
>>79
を紹介しています。
[SRC[>>900]]

[82] 
出典の[CITE[板碑概説]]説を支持して[[建武]]の単称としています。
[SRC[>>900]]





- [900] [CITE[[[金石文󠄃に現れたる異年號に就いて]]]]


[140] 
[[江戸時代]]以前は比較的短い期間に同じ先頭文字が再利用されることが多かったので、
現在のような先頭1文字の省略を実用することは難しかったとも思われます。
(簡易的な[[年号]]記述としては[[十二支年]]があり、
漢字1文字で[[年]]まで特定できましたから、
需要も多くなかったと思われます。)
だとすると[[明治時代]]以後に習慣化したと考えられます。


[68] 
[CITE@ja-JP[歴史考古学 (15)]], [[歴史考古学研究会]], [TIME[1985-04]], [TIME[2024-11-28T09:48:19.000Z]], [TIME[2024-12-15T09:57:13.785Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/7951463/1/30> (要登録)

「永三」 (永徳3年)

[69] 
「天十年亥」 (天保10年) [SEE[ [[田山暦]] ]]

[FIG(short list)[ [130] 前近代日本の元号の省略形

- 4文字から1文字に >>1
- [[寛七年]]
- [[寛元年]]
- [[安仁年]]
- [[長][長元年]]
- [[慶][慶長]]
- [[元][元和]]

]FIG]

** 近現代日本

[46] 
[[近現代日本]]では、
[[元号]]の先頭[[漢字]]1文字を取ったり、
[[ローマ字表記]]の先頭[[ラテン文字]]1文字を取ったりして、
簡略的な[[日時表示]]に使ったり、
[[日時]]を組み込んだ番号や[[識別子]]の一部に使ったり、
[[OCR]] 用の入力に使ったり、
[[情報交換]]・[[情報処理]]用の[[日時形式]]の一部に使ったりします。
[SEE[ [[元号コード]] ]]

[47] 近代初期には珍しくあまり見かけませんが、現代には生活の隅々にありふれています。

[118] 
[[語の先頭文字を使った省略法は日本語として一般的][漢字語固有名詞省略法]]であって、
[[元号]]に適用した例も見られます。例えば明治6年に
「[[明六社]]」
が設立され
「[[明六雑誌]]」
が出版されました。
[[元号]]の2文字目を採った例としては、
[[江戸時代]]の[[文化]]、[[文政]]を中心とする時期の呼称
「[[化政時代]]」、その文化
「[[化政文化]]」
があります。
「[[化政]]」の語がいつ成立したか不明ですが、
[[明治時代]]後期には既に見られるようです。

;;
[122] 
「[[慶應]]」は「[[慶応大学]]」に使われたため、
その省略として「慶大」、「[[早慶戦]]」
のように使われています。[[元号]]としての省略形はほとんど見られません。
同じように
「[[大正大学]]」の「正大」 (2文字目)、
「[[昭和大学]]」の「昭大」、
「[[昭和女子大学]]」の「昭女大」 (「昭和女大」の方が一般的らしい)、
「[[昭和音楽大学]]」の「昭音大」 (「昭和音大」の方が一般的らしい)、
「昭和医療技術専門学校」の「昭医」、
「[[帝京平成大学]]」の「帝平大」、「平大」、
「[[福山平成大学]]」の「福平大」、「平大」
のような省略形があります。
「[[明治大学]]」は「明大」と略される他、
付近の駅名として「[[明大前駅]]」、
受験業界などの用語として
「[[MARCH]]」 ([[明治大学]]等5大学の総称、「M」が[[明治大学]])、
が派生しています。
[CITE[大正野球娘。]]
は
「たいやき」、
「大正」、
「野球娘」、
「やきむす」
と略されました
[SRC[>>125]]。


;;
[123] 
[[元号]]から1文字採った[[固有名詞]]も昔からあったようです。
有名な例としては、
[[昭南]] ([[大日本帝国]][[南方占領地]]旧[[英領シンガポール]])
があります。
[[東京都]]の[[[RUBY[昭島][あきしま]]市][昭島市]]は、
[TIME[昭和29(1954)年][year:1954]]に[[昭和町]]と[[拝島町]]が合併したことによる[[合成地名]]です
([[昭和町]]は[[昭和時代]]の合併により成立した[[村]]に由来)。

- [148] 
「古硯堂詩抄  
平安 山田鈍子静著
著作者 印刷者 山田茂助 明治44.11月
古硯堂記(序) 明七年十有二月 朗廬阪谷素撰 非売品」
[SRC[>>147 PDF 52頁]]

[158] [CITE@ja[東洋文庫リポジトリ]], [[NetCommons]], [TIME[2021-11-28T02:27:42.000Z]] <https://toyo-bunko.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=6328&item_no=1&page_id=25&block_id=47>
PDF 5頁

[159] [CITE@ja[東洋文庫リポジトリ]], [[NetCommons]], [TIME[2021-11-28T02:39:27.000Z]] <https://toyo-bunko.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=5671&item_no=1&page_id=25&block_id=47>
PDF 16頁

[REFS[
- [147] [CITE[山本読書室資料仮目録電子版.indb - dokusho.pdf]], 
2014年3月10日発行,
[TIME[2017-10-28T11:12:29.000Z]], [TIME[2021-03-19T09:52:28.956Z]] <http://matsudakiyoshi.com/dokusho.pdf>
]REFS]

[117] 
[[近現代]]になると提出用書類の様式の日付記入欄でも字数節約のため、
あるいは文書番号の類の構成要素としても用いられるようになったのでしょう。

[40] 
英字略号は、それに加えて[[ローマ字]]表記が[[日本人]]に普及して初めて一般化し得たものといえます。
[[昭和時代]]後半頃でしょうか。
さらに[[昭和時代]]末期頃には電算処理にも使われるようになりました。

[41] 
[[元号名]]文字の省略ではない数値符号は、
[[昭和時代]]末期頃、電算処理の都合上使われはじめたと推測されます。
[[マークシート]]や [[OCR]] 処理される用紙のような形で一般人が記入させられることもあったでしょう。
[SEE[ [[元号コード]] ]]

[REFS[
- [125] [CITE@ja[本スレ事件一覧 - 大正野球娘。 まとめwiki - アットウィキ]] ([TIME[2019-09-07 13:59:22 +09:00]]) <https://w.atwiki.jp/taisho/pages/73.html#id_2c45721f>
]REFS]



- [151] [CITE@ja[時星リウス@妄想自由人さんはTwitterを使っています 「#空間X脱出 ベル星人やグモンガは当然として、疑似空間の吸血ダニまで紹介してるのは、コロタン文庫の「ウルトラ怪獣500」しか知らない。 #[[ウルトラセブン]] https://t.co/19Kk3XNl11」 / Twitter]], 午前8:43 · 2021年7月25日 [TZ[+09:00]], [TIME[2021-07-26T06:44:39.000Z]] <https://twitter.com/TokiBosi20/status/1419080916815605764/photo/1>

書籍記事
「[V[[RUBY[昭][しよう]][YOKO[43]]・[YOKO[2]]・[YOKO[4]][RUBY[放][ほう]][RUBY[映][えい]]]]」


[57] 
[CITE@ja[Xユーザーの利すさん: 「忠清南道庁(アフロ・ユーラシア大陸/高麗楊広道/忠清南道洪城郡) ドチョン。[[檀君紀元]]4322年([[崇禎紀元後]]七己巳)に大田市が大田直轄市(現在の大田広域市)になり道域から外れたため檀君紀元4345年(崇禎紀元後七壬辰)に現在地に移転。 #官公庁観光 #役所巡り #관공청관광 #관공서순회 #令6旅8 #령6여8 https://t.co/aepMqi28T7」 / X]], [TIME[午後10:47 · 2024年6月27日][2024-06-27T13:47:40.000Z]], [TIME[2024-07-22T06:30:03.000Z]] <https://x.com/Tomstantinos/status/1806323514464776195>

- [78] 
[CITE@ja-JP[風流たべもの誌]], [[浜田義一郎]], [TIME[1968]], [TIME[2025-09-30T02:09:54.000Z]], [TIME[2025-10-08T03:49:48.321Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9581690/1/7?keyword=%E5%B9%B4%E5%8F%B7> (要登録)
- [77] 
[CITE@ja-JP[Life-Long Education Society (4)]], [[自らを創造する学会]], [TIME[1990-11]], [TIME[2025-09-30T02:09:54.000Z]], [TIME[2025-10-08T03:47:59.280Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/2211647/1/41?keyword=%E5%B9%B4%E5%8F%B7> (要登録)

[72] >>78 >>77 「宝」 (宝暦)、「明」 (明和)、「安」 (安永)、 「天」 (天明)
「寛」 (寛政) 
など[[江戸時代の元号]]の先頭1文字と「元」や[[漢数字]]で[[元号年]]を略記しています。


-[71] 
[CITE@ja-JP[江戸吉原誌]], [[興津要]], [TIME[1984.4][1984]], [TIME[2025-09-30T02:09:54.000Z]], [TIME[2025-10-08T03:42:32.209Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12457693/1/6?keyword=%E5%B9%B4%E5%8F%B7> (要登録)
-[73] 
[CITE@ja-JP[江戸小咄女百態]], [[興津要]], [TIME[1983.1][1983]], [TIME[2025-09-30T02:09:54.000Z]], [TIME[2025-10-08T03:45:19.276Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12456503/1/8?keyword=%E5%B9%B4%E5%8F%B7> (要登録)
- [74] 
[CITE@ja-JP[大江戸長屋ばなし : 庶民たちの粋と情の日常生活]], [[興津要]], [TIME[1987.11][1987]], [TIME[2025-09-30T02:09:54.000Z]], [TIME[2025-10-08T03:46:08.784Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/13268714/1/7?keyword=%E5%AE%9D%E6%98%8E%20%E5%B9%B4%E5%8F%B7> (要登録)
- [76] 
[CITE@ja-JP[小咄江戸の一年]], [[興津要]], [TIME[1981.12][1981]], [TIME[2025-09-30T02:09:54.000Z]], [TIME[2025-10-08T03:47:16.676Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12456499/1/8?keyword=%E5%B9%B4%E5%8F%B7> (要登録)
- [75] 
[CITE@ja-JP[江戸味覚歳時記]], [[興津要]], [TIME[1993.12][1993]], [TIME[2025-09-30T02:09:54.000Z]], [TIME[2025-10-08T03:46:46.716Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/13253371/1/8?keyword=%E5%B9%B4%E5%8F%B7> (要登録)


[72] >>71 「宝」 (宝暦)、「明」 (明和)、「安」 (安永)、 「天」 (天明)
など[[江戸時代の元号]]の先頭1文字と「元」や[[漢数字]]で[[元号年]]を略記しています。


** 北魏

[53] 
[[孝昌]]を[[孝]]と書いた[[金石文]]が発見されています。
[SEE[ [[孝三年]] ]]

** 高句麗

[54] 
[[景四年]]と書いた[[金石文]]が発見されています。
2文字[[元号]]の省略ではないかとの説があります。
[SEE[ [[景四年]] ]]

** 金

[49] 
[[金]]国の時代の[[金石文]]では、

- [50] [[天會]] → 會
- [51] [[大定]] → 定

のように略していることがあります。
[SRC[>>48]]

[52] 
主に[[金の元号]]が対象ですが、
[[遼の元号]]の[[壽昌]]を[[避諱]]のため[[昌]]と略した例があります。
[SEE[ [[壽昌]] ]]


[REFS[

- [48] [CITE[[[遼道宗“壽隆”年號󠄂探源⸺金代避諱之新證]]]]

]REFS]

* 漢字1文字 + 十二支

[86] 
[[元号名干支年表示]]のさらなる圧縮形です。

[61] >>60 にはこのようにあります:

- [62] [[五山]]の僧徒は紀年に[[元号]]の1字と[[十二支]]を書くことが多い
-- [63] [[横川]]の[CITE[京華集]]に応仁元年丁亥を「仁亥」と書く
-- [65] [[萬里]]の[CITE[帳中香]]の序に延徳3年辛亥を「延亥」と書く
- [66] [[番易黙齋]]の[CITE[聯珠詩格]]の序に大徳元年丁酉を「徳酉」と書く
- [67] >>62 は >>66 に倣ったものだろう

[REFS[

- [58] [CITE@ja-JP[[[日本随筆大成]] 別巻上]], [[日本随筆大成編輯部]], [TIME[1927-1931][1931]], [TIME[2024-10-01T09:05:02.000Z]], [TIME[2024-11-23T12:57:09.775Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1914157/1/325?keyword=%E5%B9%B4%E5%8F%B7> (要登録)
-- [59] [CITE[一話一言]]
--- [60] [CSECTION[徳酉]]

]REFS]

@@
- [94] [CITE@ja-JP[日本芸林叢書 第1卷]], [[池田四郎次郎, 浜野知三郎, 三村清三郎]], [TIME[1972.][1972]], [TIME[2026-06-30T01:10:51.000Z]], [TIME[2026-07-03T08:00:20.960Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12405624/1/184?keyword=%E4%BB%81%E4%BA%A5+%E5%BB%B6%E4%BA%A5> (要登録)

-*-*-

[95] 
徳酉


[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[CITE@ja[WebOPAC Local書誌詳細]], [TIME[2026-07-03T07:28:52.000Z]] <https://m-opac.nul.nagoya-u.ac.jp/iwjs0023opc/catdbl.do?pkey=WB03242925&formkeyno=184041922AGc5TOeJ7g&startpos=1&hitcnt=1&tab_num=0>
]FIGCAPTION]


>タイトル / 著者 等 	精選唐宋千家聯珠詩格 2巻 / (宋) 于濟, (宋) 蔡正孫編集

>出版・頒布事項 	京都 : 出雲寺文治郎 : 小川多左衛門 : 朝倉儀助 , 天保4 [1833] 

>注記 	序に「徳酉孟商番易黙齋于濟徳夫序」とあり 

]FIG]

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[87] 
[CITE@ja[国立国会図書館インターネット資料収集保存事業(WARP)]], [TIME[2026-07-03T07:29:46.000Z]] <https://warp.ndl.go.jp/web/20260306185544/https://www.town.takanabe.lg.jp/material/files/group/19/R7komonjodenshikakityousyo.pdf#page=46>
]FIGCAPTION]

>
[LEFT[
唐宋聯珠詩格 上
]LEFT]

>
[LEFT[
大徳丁酉[BR[]](永仁5)序
]LEFT]
>
[LEFT[
1297
]LEFT]

]FIG]

-*-*-

[97] 仁亥 (応仁元年丁亥)

- [96] [CITE@ja-JP[大日本史料 第8編之2]], [[東京大学史料編纂所]], [TIME[大正4][1915]], [TIME[2026-06-30T01:10:51.000Z]], [TIME[2026-07-03T08:09:02.232Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/3450584/1/533?keyword=%E4%BB%81%E4%BA%A5>
- [98] 
[CITE@ja-JP[中世文学研究 (24)]], [[中四国中世文学研究会]], [TIME[1998-08]], [TIME[2026-06-30T01:10:51.000Z]], [TIME[2026-07-03T08:11:54.439Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/2365870/1/9?keyword=%E4%BB%81%E4%BA%A5> (要登録)


-*-*-

[92] 延亥

- [93] 
[CITE@ja-JP[図書館雑誌 (15)]], [[日本図書館協会図書館雑誌編集委員会]], [TIME[1912-07]], [TIME[2026-06-30T01:10:51.000Z]], [TIME[2026-07-03T07:58:08.798Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/11230042/1/41?keyword=%E5%BB%B6%E4%BA%A5> (要登録)
- [88] 
[CITE@ja-JP[古活字本目録 : 開館三十一周年記念展覧会]], [[天理図書館]], [TIME[1961]], [TIME[2026-06-30T01:10:51.000Z]], [TIME[2026-07-03T07:57:19.301Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/3044596/1/58?keyword=%E5%BB%B6%E4%BA%A5> (要登録)


* 4文字元号の省略形

[84] 
[[日本]]の[[奈良時代]]には4文字[[元号]]が使われました。
[[日本の公年号]]で[[漢字]]2文字でないものは、
この時代の5号だけでした。

[1] 
やはり面倒だったのか、
便宜上2文字に略した事例が数多く知られています。
中には記号的に1文字に略した事例までありました。


- [121] [[天平感宝]] : [DFN[天感]], [DFN[感宝]], [DFN[减寶]], [DFN[天平感]]
- [124] [[天平勝宝]] : [DFN[勝宝]], [DFN[勝[ASIS[〓][⿱穴奴]]]]
- [126] [[天平宝字]] : [DFN[宝字]], [DFN[天平宝]], [DFN[字]]
- [127] [[天平神護]] : 
- [DFN[神護]]
- [128] [[神護景雲]] : [DFN[景雲]], [DFN[云]]


** 用例

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [90] 
[CITE[僧平摂性泰返抄]]
に'''天感'''、
[CITE[華厳経料神充装潢注文]]
に'''感宝'''とありました。
[SRC[>>64 p.145 ([CITE[新日本古典文学大系 続日本紀三]], 1992, 補注17-五一 [CSECTION[天平感宝への改元]] ([CITE[大日本古文書]] 三))]]
- [103] 
[DATA(.label)[[[正倉院文書]] 四十二裏書]]
-- [102] 
「[DATA(.text)[[V[天感元年五月卅日]]]]」
[SRC[>>99]]
- [104] [DATA(.label)[[[続正倉院文書]] 四十一]]
-- [105] 
「[DATA(.text)[[V[感宝元年閏五月七日]]]]」
[SRC[>>99]]
- [106] 
[DATA(.label)[[[続正倉院文書]] 七]]
-- [107] 
「[DATA(.text)[[V[天平感元年六月十五日]]]]」
[SRC[>>99]]
- [89] 
「当時所蔵弘福寺検収古文書」
に'''减寶'''元年とありました。
减は誤りで[[天平感宝]]と解されます。
古文書にはこのような例が多いとされます。
[SRC[>>64 p.145 ([CITE[逸號年表補考]])]]
- [85] 
[[天平感宝]]を天感と書いたもの、
[[天平宝字]]を字と書いたものが[[東大寺]]所蔵の[[公文書]]にありました。
[[法隆寺]]所蔵沈水香の銘文にもありました。
[SRC[>>1731]]
- [108] 
[DATA(.label)[[[正倉院文書]] 裏書]]
-- [109] 「[DATA(.text)[[V[勝宝二年四月一日]]]]」
[SRC[>>99]]
- [3] 
[[吉梓堂文庫]]文書
「勝宝十月廿五日」
[SRC[>>14]]
- [6] 
[[正倉院文書]]
「宝字二年八月二十日」
[SRC[>>14]]
- [7] 
[DATA(.label)[[[続正倉院文書]] 四十六]]
-- [112] 
「[DATA(.text)[[V[宝字二年九月四日]]]]」
[SRC[>>14 ([[正倉院文書]]), >>99]]
- [8] 
[[正倉院文書]]
「宝字二年十一月」
[SRC[>>14]]
- [9] 
[[越前国]]桑原荘券
「宝字三年五月十日」
[SRC[>>14]]
- [110] 
[DATA(.label)[[[続正倉院文書]] 二十]]
-- [111] 
「[DATA(.text)[[V[天平宝四年九月十七日]]]]」
[SRC[>>99]]
- [119] 
[DATA(.label)[[[正倉院文書]] 七]]
-- [120] 
「[DATA(.text)[[V[字七年六月卅日]]]]」
[SRC[>>99]]
- [10] 
[[古梓堂文庫]]文書
「宝字八年十二月廿三日」
[SRC[>>14]]
- [91] 
「石山寺ノ古文書」
に'''天[ASIS[〓][⿱穴奴]]'''とありました。
[SRC[>>64 p.147 ([CITE[逸號年表補考]])]]
- [129] 
[[勝[ASIS[〓][⿱穴奴]]]]
- [11] 
[[東南院文書]]
「神護三年七月十六日」
[SRC[>>14]]
- [12] 越中国司解「景雲元年」 [SRC[>>14]]
- [13] 越中国司解「景雲二年九月九日」 [SRC[>>14]]
- [30] [[宇治宿祢墓誌]]「[V[□雲二年十二月󠄃]]」
- [15] 丸部豊成解「景雲四年七月十二日」 [SRC[>>14]]
- [16] 紀山守解「景雲四年七月十二日」 [SRC[>>14]]
- [17] 丸部豊成解「景雲四年七月十五日」 [SRC[>>14]]
- [18] 大友路万呂解「景雲四年七月廿九日」 [SRC[>>14]]
- [19] 秦鎰取謹解「景雲四年八月一日」 [SRC[>>14]]
- [20] 坂合部浜足解「景雲四年八月十一日」 [SRC[>>14]]
- [21] 物部白麻呂解「景雲四年八月十五日」 [SRC[>>14]]
- [22] 申故文進事「景雲四年八月十五日」 [SRC[>>14]]
- 
[114] 
[[法隆寺百万塔]]基底墨書銘
-- [24] 
「云二四十八右□□見」 [SRC[>>14 ([CITE[観古雑帖]])]]
-- [25] 
「云二四廿右八千万呂」 [SRC[>>14 ([CITE[観古雑帖]])]]
-- [29] 
「云二四廿五左菅生」 [SRC[>>14 ([[石田茂作]] ([CITE[瓦礫洞古玩録]]))]]
-- [28] 
「左云二五四造」 [SRC[>>14 ([[石田茂作]] ([CITE[瓦礫洞古玩録]]))]]
-- [39] 
「云二五廿」
[SRC[>>14 ([CITE[仏教考古とその周辺]], [[景山春樹]])]]
-- [23] 
「云二五廿二」
(景雲2年5月22日)
[SRC[>>116 p.177]]
-- [26]  
「云二六廿八右調益人」 [SRC[>>14 ([CITE[観古雑帖]])]]
-- [27] 
「云二  真男」 [SRC[>>14 ([CITE[観古雑帖]])]]
- [1920] 
天平感宝、天平勝宝、天平宝字、天平神護などの天平を省き、
神護景雲を景雲と書くのは史書にも見えました。
[SRC[>>1731]]
- [4] 
近現代の学術論文や歴史書でも、特に断りなく省略している事例は枚挙に暇がありません。

]ITEMS]


[REFS[
- [1731] [CITE[[[年号の論]]]]
- [115] [CITE[[[佛敎考古學論攷]] 四 佛塔編]]
-- [116] [CITE[塔 ―塔婆・スツーパ―]], pp.161-193, 初出昭和四七年一〇月
- [14] 
[CITE[[V[宇治宿禰銅板墓誌年代考]]]],
[CITE[続仏教考古学研究]],
pp.[V[二〇二]]-[V[二二七]]
- [64] [CITE[[[日本年号史大事典]]]]
]REFS]

[55] [CITE@ja-JP[日本古代人名辞典 第4巻 (し・て)]], [[竹内理三, 山田英雄, 平野邦雄]], [TIME[1963]], [TIME[2023-09-26T02:10:58.000Z]], [TIME[2023-09-27T06:07:46.198Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/2978022/1/17> (要登録)
右下

「[V[[SNIP[]]宝字四・六[SNIP[]]]]」


** 性質

[2] 
2文字の元号の慣習の強さを表すものとされます。
[SRC[>>64 p.145 ([CITE[新日本古典文学大系 続日本紀三]], 1992, 補注17-五一 [CSECTION[天平感宝への改元]])]]

[31] 
[[久保常晴]]は次のように解釈しました。
[SRC[>>14]]

- [33] [[天平感宝]]はわずか3ヶ月で消え去ったので、その間は忠実に使われたのだろう。
- [34] [[天平勝宝]]時代から省略例が見つかるように、
重要な意味を持たぬ文書では省略するようになった。
- [35] [[天平勝宝]]は2例、[[天平宝字]]は5例と、
どちらも約8年間なので、増加傾向にあった。
- [36] [[天平神護]]は1年8ヶ月で1例、
[[神護景雲]]に至っては3年余で10例にも増加。
- [37] [[越前]]、[[越中]]ど同じ方面の用例が見られることが注意される。
- [38] 狭い面に書くのに不便だったろう、
百万塔に「云」にまで省略した例が多数見られる。
- [100] [[公年号軽視の風潮]] [SRC[>>99]]


;; [32] 当時[[久保常晴]]が収集した範囲になかった史料が今では知られているので、
この分析もいくらか訂正が必要でしょう。

[REFS[

- [101] [CITE[日本私年号の研究]]
-- [99] p.[V[四七四]], p.[V[四七七]]

]REFS]

** 漢土


[56] [CITE[shirin_082_1_102.pdf]], [TIME[2021-09-06T06:53:13.000Z]], [TIME[2023-12-19T13:13:36.081Z]] <https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/239516/1/shirin_082_1_102.pdf#page=3>

真君六年 (太平真君)

* 英字1文字略号

[SEE[ >>46 ]]

* 関連

[5] 近現代の[[元号名]]の省略については、
[[元号名]]、[[元号コード]]も参照。

* メモ



[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[70] [CITE@ja[村田銃 - Wikipedia]]
([TIME[2025-07-23T09:40:29.000Z]], [TIME[2025-08-03T15:29:05.127Z]])
<https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%91%E7%94%B0%E9%8A%83>
]FIGCAPTION]

> 一般的には明治を表す「明」と、二桁の年号を一文字分に縮小した「廿三」(23)等の漢数字が製造年号として必ず刻印され、残りの二文字は「実包」あるいは村田の読みを仮借した造語である「邑手(むらた)」のどちらかが用いられた。

]FIG]
