[1] [DFN[好徳]] ([[旧字体]]: [DFN[好德]]) は、[[日本の私年号]]の1つです。

* 用例

[14] 
用例が1点知られています。

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [117] [DATA(.label)[[CITE[本土寺過去帳]] 甲本]]
-- [116] 「従[DATA(.text)[明徳元年]]已来旧故移改置処也」
[SRC[>>128 (甲本下巻76ウ-77オ), >>114 ([CITE[小金本土寺過去帳補遺]], [[石井英雄]]; >>128)]]
- [120] [DATA(.label)[天正本[CITE[本土寺過去帳]]]]
-- [124] >>6 /15 : 白黒写真 (解像度中の上) 該当部分字形はよくわかる
-- [121] 「[V[御本云[SNIP[]]右此過去張者、從[DATA(.text)[好德元年]]已来之張也、]]」
[SRC[>>6 /81, >>128]]
- [115] [DATA(.label)[[CITE[本土寺過去帳]]]]
-- [2] 
[DATA(.label)[奥書]]
「[DATA(.text)[好徳元年]]已来蓮上坊日鏡私云」
[SRC[>>114]]
-- [129] >>121 と同じものか?

]ITEMS]

[125] 
現存[CITE[本土寺過去帳]]には、天正本と明暦本があります。
著しい相違がありますが、共通祖本が存在したと考えられています。 [SRC[>>6 /238]]

[126] 
[CITE[続群書類従]]本は明暦本系統です。 [SRC[>>6 /238]]

[HISTORY[

[8] 
「小金井」 [SRC[>>114]] は「小金」の誤植。

]HISTORY]


* 諸説

[20] 
[CITE[日本私年号の研究]]が[[私年号]]とも[[私年号的諸資料]]とも認定しなかった理由はよくわからない。
単独の資料の用例のみで異本との比較で誤記と明らか (だと判定した)
かつ過去の研究者が[[私年号]]扱いしていないからか?

[21] 
宝徳、明徳、弘徳と3説あって一応弘徳が最新説?
自明に誤りとはいえず議論になっていたという研究史上の位置を考えれば、
今後は[[私年号]]として扱ってよかろう。


[15] 
3説ある中では[[明徳]]説が有利そうに見えますが、[CH[明]]と[CH[好]]の関係を説明できていないことが、
この説に確定させる上での障害となっていそうです。
誤りにしても、なぜ誤ったかのか、説得力ある変化経路が提案される必要があると考えられます。


* 研究史

[130] 
[TIME[昭和34(1959)年][1959]]の[[石井英雄]]の論文は、
>>121 を引用し、
[V[好徳元年]]に[V[(明カ一)]]
と注釈しています。
[SRC[>>128]]

[131] 
推定の根拠は明記されていませんが、 >>116 と対比し、
明徳以来の過去帳があったと読み取っているので、
同一のものを一方が誤ったと判断したようです。




[REFS[

- [127] 
[CITE@ja-JP[白山史学 (5)]], [[白山史学会]], [TIME[1959-12]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-05-08T09:08:40.404Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/7920461/1/20?keyword=%E5%A5%BD%E5%BE%B3> (要登録)
-- [128] 
[CITE[[V[「下総国小金本土寺過󠄃去帳」覚書]]]],
[[[V[石井英雄]]]]

]REFS]

-*-*-

[118] 
昭和42年の[CITE[日本私年号の研究]]は[[私年号的諸資料]]の章において、
[[好徳]]を[[私年号]]とも[[私年号的諸資料]]とも立項せず、
本文中で説明だけしています。
[SRC[>>114]]

[119] 
それによると、 
>>115 
の用例が知られるものの、
>>117 
から[[明徳]]の誤りと考えられ、記載された霊銘忌の[[元号]]ごとの個数からもそれが証明されます。
[SRC[>>114]]

[REFS[

- [19] [CITE[日本私年号の研究]] 
-- [114] pp.[V[四九二]]-[V[四九三]]

]REFS]

-*-*-

[122] 
[TIME[昭和57(1982)年][1982]]の[[自治体史]]は、
[CITE[本土寺過去帳]]
への注釈で、
「[V[好(弘)德元年=至德元年[BR[]](西暦一三八四年)]]」
としています。
[SRC[>>6 /81]]

[123] 
それに隣接して
「[V[明德元年西曆 (一三九〇年)]]」
ともありますが、なにに対する注釈なのかよくわかりません。
[SRC[>>6 /81]]

[133] 
[CITE[本土寺過去帳]]祖本成立の[[好徳]]に関連して次のような記述もあります。 
[SRC[>>6 /238]]

- [134] [[好徳]]は[[公年号]]にない
- [5] >>132 は[[日福]]に引きつけ、没年の前年の[TIME[宝徳元(1449)年][1449]]とする
- [3] >>128 は同趣旨の奥書に[TIME[明徳元(1390)年][1390]]とあるので、[[明徳]]の誤りとする
- [7] [[宝徳]]が他に検出できないこと、
「[[日福]]聖人''移写置''」などの文言があること、
[[日福]]72才の高齢となること、
などから、[[明徳]]の方がより妥当
- [9] 更に考えを進め、 (他に使用例をみないが) [[私年号]]の[[弘徳]]に通ずると理解すれば、
弘德元年 = [TIME[至徳元(1384)年][1384]]まで遡ることが可能
- [10] 14世紀後期の成立と指摘するに留めたい

[11] 
しかしこの直前でも「[V[[RUBY[好][・]]徳元 (一三八四) 年]]」と書く
[SRC[>>6 /238]] など、
筆者としては[[至德]]説を推しているように思われます。


[16] 
ここでは先行研究は引用されていますが、[CITE[日本私年号の研究]]説は参照されていません。
[CITE[本土寺過去帳]]を主題とする論文ではないので、見落とされたのでしょう。
[[弘德]]を[[私年号]]として参照しているのは、辞典類か何かから拾ったのでしょう。

[REFS[

- [6] 
[CITE@ja-JP[千葉県史料 中世編 本土寺過去帳]], [[千葉県企画部広報県民課]], [TIME[1982.3][1982]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-05-08T08:53:19.316Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9642635/1/81?keyword=%E5%A5%BD%E5%BE%B3> (要登録)
-- [132] 
引用:
[CITE[[V[『本土寺過去帳』と我孫子]]]],
[[森田洋平]],
[CITE[[[我孫子市史研究]] 4]]

]REFS]


* 関連

[SEE[ [[妙 (明)]] ]]

[SEE[ [[弘德]] ]]

* メモ