[23] 
[DFN[天竜]] ([[旧字体]]: [DFN[天龍]])
は、[[日本の異年号]]の1つです。

* 元号名

[24] [[新字体]]は[[天竜]]です。

[25] [[旧字体]]は[[天龍]]です。

* 用例

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [16] 
[DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本]][[陸奥国]][[名取郡]][[秋保郷]][[湯本村]]]] [[洞窟堂山]] [[塩滝不動尊]] [[不動像]]]]
-- [27] [[日本国]][[仙台市]][[太白区]][[秋保町]][[湯元]][[字枇把原]] [SRC[>>21]]
-- [17] 
「[DATA(.text)[天龍元年]]」
[SRC[>>2 ([CITE[薬湯山泉明寺薬師縁起]])]]
--- [36] 
「[DATA(.text)[[V[天竜元年]]]]」 ([[明朝体]])
[SRC[>>35, >>33]]

]ITEMS]

[37] 
[[不動尊]]は現存し [SRC[>>21, >>20, >>19]]、
現在も「密教伝来以来の不動尊像」なるものがあるとされます [SRC[>>21]]。

[38] 
それに銘文があったのではないかと思われますが、
銘文らしきものに触れた現代の文献は見当たりません。

[52] 
当地は[[慈覚大師]]
[WEAK[([TIME[延暦13(794)年][794]] - [TIME[貞観6(864)年][864]])]]
が修行した場と伝わります。

[53] 
[CITE[奥羽観跡聞老志]]は、洞内に「平治二年」の文字があると書いています。
[SRC[>>32 /251]]
[TIME[平治2(1160)年][1160]]銘の何かが現存するのかは不明です。

[REFS[

- [21] 
[CITE@ja[公益財団法人みやぎ環境とくらしネットワーク(MELON)]], [TIME[2020-06-22T06:20:34.000Z]], [TIME[2026-10-17T08:07:58.243Z]] <https://www.melon.or.jp/contents/Section/Water/wg/profiles/profile017.html>
- [20] 
[CITE@ja[岩窟堂(塩滝不動尊)]], [TIME[2023-04-18T01:47:00.000Z]], [TIME[2026-10-17T08:07:30.396Z]] <https://www.kusatuyu.com/akiu/iwakutu.html>
- [19] 
[CITE@ja[Instagram]], [TIME[2026-10-17T08:06:55.000Z]] <https://www.instagram.com/p/DcFy6WOmkr4/?img_index=1>

]REFS]

* 諸説

[29] 
現在までに一例のみ知られていますが、実物の現況は不明です。
[[江戸時代]]のうちに既に銘文読み取りが困難になっていたようで、
「天竜元年」との解読の正確性には不安が残ります。

[56] 
まずは実物を調査し銘文を明確にする作業が必要です。

-*-*-

[54] 
享保時代の研究者は、[[天竜]]は不明とし、それ以上の判断を避けました。 (>>26)

[55] 
[[伴信友]]は[[妖僞年號]] (>>3) と判断しました。信用できない怪しげな[[元号]]という判断です。
[SEE[ [[妖僞年號]] ]]

[57] 
[[媒体]]の仏像である可能性あるものは、
「密教伝来以来の不動尊像」 (>>37)
とされています。その判定の根拠は不明瞭ですが、古めかしく、
[[慈覚大師]]の伝承と合致することによるものでしょうか。

[58] 
もしこの仏像の制作年を表すのだとすると、[[平安時代]]初期ということになるのでしょうか。

[59] 
[[奈良時代]]末期に[[天應]]、[[平安時代]]初期に[[天長]]、[[天安]]があります。
[[天長]]・[[天安]]は[[慈覚大師]]の在命中に当たります。

[60] 
不鮮明なこうした文字を読み違えたとも考えられるところですが、
実物を調査した[[享保]]時代の研究者も[[元号一覧]]を眺めながら解釈を考えたはずで、
それでも[CH[竜]]と読んで不明としたことは無視できません。


* 研究史

[26] 
享保元年、
[[仙台藩]]主の[[伊達吉村]]は
[CITE[薬師堂因縁記]]
を編纂させました。
本書は[[泉明寺]][[薬師堂]]と[[塩滝不動明王]]に由来を調査し書き上げたものでした。
[SRC[>>34]]

[FIG(quote)[ [35] [CITE[薬師堂因縁記]] [SRC[>>34]]

>
[VRL[
往古ハ此窟ヲ堂トシテ薬師如来ヲ安置ス、
窟中ヲ見レバ朽タル柱・格子ノ形モ遺レリ、
不動尊ノ石造ニ銘識アリ、
天竜元年ノ四字隠然タリ[LINES(smaller)[天竜ト云][年号詳ナラズ]]又側ニ寺の旧址も見ユ
]VRL]

]FIG]

[18] 
本書には、[[塩滝不動尊]]の石造に「天竜元年」の銘文があるものの、
「隠然」たるさまであったこと、
[[天竜]]という[[元号]]は不明であることが記載されています。
[SRC[>>35]]

[39] 
本書は[[昭和時代]]時点で[[泉明寺]]檀家佐藤家に所蔵されています。
ごく一部のみ低解像度の写真と引用が自治体史に掲載されています。
[SRC[>>34 /264]]


-*-*-


[3] 
[[江戸時代]]後期に[[伴信友]]が書いた[CITE[年号の論]]に、
[[妖僞年號]]の一つとして[[天龍]]が挙げられています。
[SRC[>>4]]

[2] 
[[伴信友]]の[[[CITE[逸号年表]]補考]]貼紙に、

>
[VRLBOX[
陸奥名取郡秋保郷湯本村薬湯山[BR[]]
泉明寺薬師縁起𛂌不動石像[BR[]]
銘𛂌天龍元年と有り[SUP(smaller)[云]][SUB(smaller)[〻]]

[BOX(indent)[
右縁起ハ享保中同寺僧侶の作𛂌候

此温泉ハ名取のミ湯𛂌候
]BOX]
]VRLBOX]

([[草書]]) とありまって、 >>16 が紹介されています。 [SRC[>>1]]
これが ([[元号名]]のみの >>3 を除けば) >>16 に関する唯一の現存する情報です。

[5] 
[CITE[逸号年表]]貼紙は後世のものもありますが、[CITE[年号の論]]にも記載があるので、
[[天龍]]は[[伴信友]]自身によるものと考えられます。

[6] 
>>2 によると、

- [7] [[日本]][[陸奥国]][[名取郡]][[秋保郷]][[湯本村]]の
- [14] [[薬湯山泉明寺]]の
- [10] 薬師縁起
-- [11] [[享保]]年間に
--- [12] [[泉明寺]]僧侶が編纂
-- [8] 石造不動像の銘文が「天龍元年」とある
- [13] この温泉は[[名取の御湯]]

... とのこと。

[15] 当地には[[秋保温泉]]が今もあります。その別名は[[名取の御湯]]。

[9] 
薬師縁起とは
[CITE[薬師堂因縁記]]
[SRC[>>35]]
を指しているのではないかと思われます。

[28] 
[[伴信友]]が[[秋保]]を訪問したとする記録は見当たりません。
[[伴信友]]が現地で[CITE[薬湯山泉明寺薬師縁起]]の原本を見たというよりは、
写本なり現地人からの情報提供なりで知った可能性が高いと思われます。

[40] 
[[伴信友]]の書き方では、[[泉明寺]][[薬師堂]]に[[不動像]]があって「天竜元年」
と書かれているように読めます。しかし、
現在[[泉明寺]]にそのような不動像があるとの情報は見当たりません。

[41] 
[[伴信友]]は同書に[[泉明寺]][[薬師堂]]と[[塩滝不動]]の両方の[[縁起]]がまとめられているとは知らず、
断片的な情報しか得ていなかったのではないでしょうか。


[REFS[

- [4] [CITE[[[年号の論]]]]
- [1] 
[CITE@ja[国書データベース]], [TIME[2026-10-17T06:24:28.000Z]] <https://kokusho.nijl.ac.jp/biblio/200043359/3?ln=ja>

]REFS]

-*-*-

[45] 
[[藩政時代]]の著 [SRC[>>32 /286]]
とされる作者未詳 [SRC[>>32 /36]]
の
[CITE[秋保瀑布見の記]]
は、
[[秋保大滝]]への道中で[[塩滝不動]]を訪問したことを記録しています。
[SRC[>>32]]

[42] 
本書は
[CITE[秋保名勝写真案内記]]
に収録されています。
[CITE[秋保名勝写真案内記]]
は昭和17年に編集された非売品です。
現在では[[宮城県図書館]]に所蔵が確認できます。
[SRC[>>44, >>43, >>32 /248]]

[FIG(quote)[ [33] [SRC[>>32]]

>
[VRLBOX[

[BOX(indent)[
[B[五、秋保瀑布見の記]]

[BOX(indent)[
『秋保名勝写真案内記』所収、茂木文庫蔵
]BOX]
]BOX]

音にのみ聞きわたりし秋保の瀑布見にゆかん事を思ひたちて、[BR[]]
友とする人三たりよたり、神無月三かの日、草の戸を立出はべ[BR[]]
りぬ。道の案内知る人もなければ、広瀬川の流れに沿ひて行く[BR[]]
よし、かねて聞しることをしるべにたよりつゝ落合といふ辺り[BR[]]
の橋をも過ぎ、愛子の里にいたる。爰に友どちの知れる人のあ[BR[]]
る由にてその屋を訪ひて滝のふもとにいたる道すがらの事をく[BR[]]
はしく尋ね問へば、露分衣のひるまも過ぬればいかに急ぐとも[BR[]]
日の暮るゝのちならでは彼のほとりに至りがたく、とひみる甲[BR[]]
斐もあらじ、今宵は湯本の里に宿り、翌るあしたのとくにいな[BR[]]
ば興もありなんなとさゝやくを、人もわれも同じ念にもよほさ[BR[]]
れて、さらば教へのまゝに仮枕せんとて、そのたよりあるかた[BR[]]
におもむく。山又山をいくへともなく分行く所なれば人々越へ[BR[]]
なやみ、登ればくだるなと佗あへぬ。此の言の葉は、最上川に[BR[]]
てそ耳なれつれどかへる折にもいとおかしくきゝなされて、行[BR[]]
く〱のぞき橋にいたる。高くそびへたる巌のうへに架りたる[BR[]]
橋なればふむもいとあやうけれどしばらく足をとゞめ水上より[BR[]]
なかるゝ末のみ見る限りを見はたすに、そばたちたるいはほ、[BR[]]
いくむらといふ限りもしらす立つゝきてひまひまを水のなかる[BR[]]
ゝさまいはんかたなく絵にかゝまほし。そのあたりに慈覚の旧[BR[]]
跡とて洞窟あり。不動の碑を安置せり。碑のうらに天竜元年と[BR[]]
刻りつけあるよし聞つれど霜雪のいたくふりにしゆへか、文字[BR[]]
の姿も見へず苔のみ蒸したり。かたはらの松が根によりて、や[BR[]]
すらひながら眺め見る。遠方の高峯緑に晴れて半ば雲を帯びま[BR[]]
ぢかき山は染つくす、木々の紅葉に埋れて紅より外の色なく、[BR[]]
水行川の流れ岸の巌のたゝすまひ、さらに此国のさまともおも[BR[]]
はれず、仙人の棲むてふ境に入りたらんかとあやまたれて、日[BR[]]
のくるゝをも知らずながめいり、行先も忘られしが入相の鐘に[BR[]]
驚き、からうじて湯本の里に行つきぬ。爰に温泉あり、是なん[BR[]]
名取の御湯也。湯守といふ植生の小屋に宿りよもすがら湯あみ[BR[]]
して、明るあした末なをくらきに 立いでゝ滝のかたに おもむ[BR[]]
く。道すがらのけはい、昨日のさまにもおさ〱おとらず。ひだ[BR[]]
りみぎの山端ことに紅葉して、さながら錦のとばりを張りたら[BR[]]
んがごとくなるに羽山といふ小山のみ、ひとり松杉の緑深く繁[BR[]]

]VRLBOX]

]FIG]

[46] 
これによれば、

- [47] [[不動像]]の裏に「天竜元年」と刻まれていることが知られていた
- [49] 洞窟があり、[[不動像]]が置かれていた
- [48] 実見しても摩滅したのか文字は見えず、苔蒸していた

... ということになります。
[SRC[>>33]]

[50] 
これは10月3日のことでしたが、何年かは不明です。

[51] 
思い立って[[広瀬川]]沿いに一日で到着できる、
ということですから、[[仙台城]]下あたりに住んでいた知識人でしょうか。
おそらく[[江戸時代]]の中後期頃 ([[享保]]よりは後)
に、そうした人々の間に「天竜元年」石像があるらしい、
という情報が伝わっていたと推測できます。

[REFS[

-
[32] 
[CITE@ja-JP[秋保町史 資料編]], [[秋保町史編纂委員会]], [TIME[1975]], [TIME[2026-09-15T01:13:48.000Z]], [TIME[2026-10-17T07:23:56.221Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9537333/1/257?keyword=%E5%A4%A9%E9%BE%8D> (要登録)
- [34] 
[CITE@ja-JP[秋保町史 本編]], [[秋保町史編纂委員会]], [TIME[1976]], [TIME[2026-09-15T01:13:48.000Z]], [TIME[2026-10-17T07:49:40.531Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9537332/1/359?keyword=%E5%A4%A9%E9%BE%8D> (要登録)
- [44] 
[CITE@ja-JP[郷土資料図書分類目録 其1 (東北地方関係古文書目録)]], [[斎藤報恩会]], [TIME[1986.12][1986]], [TIME[2026-09-15T01:13:48.000Z]], [TIME[2026-10-17T08:21:51.699Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12160257/1/54> (要登録)
- [43] 
[CITE@ja[資料詳細:宮城県図書館]], [TIME[2026-10-17T08:21:30.000Z]] <https://www.library.pref.miyagi.jp/winj/opac/switch-detail-iccap.do?bibid=1100422466>

]REFS]

-*-*-

[22] 
情報が少ないためなのか、その後の[[私年号研究]]では触れられることなく忘れられています。

* 関連

- [30] [CITE@ja-JP[探しあてた二千年前のルーツ : 私を導いた白い李の花]], [[李家正文]], [TIME[1980.8][1980]], [TIME[2026-09-15T01:13:48.000Z]], [TIME[2026-10-17T07:19:02.064Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12170701/1/55?keyword=%E5%A4%A9%E9%BE%8D%E4%BA%8C%E5%B9%B4> (要登録)

[31] >>301 北宋の真宗の天龍二年。[[天禧]]の誤植か。

-*-*-

[SEE[ [[天竜 (法元天皇)]] ]]


* メモ