[4] 
[DFN[寛有天王]]は、[[日本の私年号]]の1つです。

* 用例

[5] 
壷の銘にあるのが現在知られている唯一の用例です。

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [21] [DATA(.label)[[[国立歴史民俗博物館]]所蔵[[丹波三耳壺]]]]
-- [82] >>81 : A-217-77
-- [28] >>27 : [L[B]]
-- [29] >>27 #page=43 : 白黒写真 (判読できるが細かな字形の認識はやや難しい)
-- [77] 
「[DATA(.text)[[V[寛有天王元𭘾[BR[]][SUP(smaller inline)[丑]]四󠄂月吉祥日]]]]」
[SRC[>>29]]
--- [17] 
「[DATA(.text)[寛有天王元年四月]]吉祥吉壺屋西衛門」
[SRC[>>16]]
--- [24] 
「[DATA(.text)[寛有天王元年丑四月吉祥日]]」「壺屋四西(右)衛門[ASIS[〓][swc763]]」
[SRC[>>27 #page=16]]
--- [44] 「[DATA(.text)[寛有天王元年 四月吉祥日]]」「壷屋四 右衛門(△印)」
[SRC[>>3]]
--- [23] 
「[DATA(.text)[寛有天王元年[BR[]]丑四月吉祥日]]」「壷屋西右衛門△」
[SRC[>>2]]

]ITEMS]

[31] 
>>21 の出土地は未詳です。 [SRC[>>27 #page=16]]

[79] 
[TIME[平成3(1991)年][1991]]には[[国立歴史民俗博物館]]所蔵となっていたようですが、
来歴は不明です。
昭和32年に目撃された記録が残っていますが、詳細は不明です。

[84] 
銘文は2つあり、それぞれ別々に枠に囲われています。
[SRC[>>29]]

[85] 
[[紀年]]らしき銘文は、[[元号名]]・[[元号年]]状の[[行]]と、[[十二支年]]と[[月日]]の[[行]]の2つで構成されます。
[[十二支年]]の分少し第2行が上から始まりますが、第2行が少し上で終わって約1文字分のアキが下にあります。
第1行の上には少しアキがありますが、下はすぐに枠線です。
[SRC[>>29]]

[141] 
壷屋某の素性は不明です。

* 諸説

[86] 
用例は1点のみ知られており、
[[紀年]]状の文字列の[[元号名]]部分が未知の4文字であることから、
これをどう解釈するかが問題となります。

-*-*-

[119] 
銘文は、各文字が独立していますが、[[文字]]の大きさと[[字間]]は揺らぎがあります。

[120] 
第2行に比べると、第1行の[[字間]]は詰まり気味です。
第1行の先頭は「寛有天王」の4字と読まれています。[CH[寛]]と[CH[有]]の2字の[[字間]]は、
それ以後に比べて余裕があります。
あらかじめ決めた範囲に彫るにあたって、最初は第1字の上にもアキを置くほどだったのに、
徐々に残空間が少なくなって[[字間]]も[[文字]]も小さく詰め込まざるを得なくなったのでしょうか。

[121] 
[CH[天]]の次の[CH[王]]はやや食い気味で、2部品合わせて1字と読めないこともありません。
[CH[天]]が単独1字であるにしては[CH[人]]部分の下が開きすぎているようにも感じられます。
しかし、2つ合わせて1字と読める常用字はありません。文字の大きさも、 >>120
説によって徐々に小さくなったと考える方が、大きな1字と考えるよりも自然です。

[122] 
[CH[天]]と読まれる第3字は、[CH[人]]部分が広いだけでなく、
上から2つ目の横画が、一本の横線ではない不思議な形状に見えます。

[123] 
[CH[王]]と読まれる第4字は、中央の横画の形状が不明瞭です。縦画を貫いていないようにも見えますが、
整形上の都合とも思われ、よくわかりません。左側に比べて右側が短すぎます。
[CH[正]]とも読み得るようにも思われますが、それにしては左下の空間が空きすぎでしょうか。
横線ではなく2つの点のようにも見え、[CH[平]]と似ますが、[CH[平]]のように縦画が下には貫きません。

[124] 
通説の「寛有天王」の判読が最も妥当と思われ、異説もこれまで確認されていないものの、
実物や高解像度写真等での詳細な検討で確定させたいところであります。

-*-*-

[94] 
[[元号名スロット]]の4字について、
学説として提示されているもの、いないもの含め、いくつかの解釈があり得ますが、
いずれも傍証や類例がなく、自然な解釈と言えるものが現時点で1つも知られていません。


- [113] 「寛」「有」「天」「王」
-- [114] 意味がある解釈が見出だせません。
- [115] 「寛」「有」「天王」
-- [116] 意味がある解釈が見出だせません。
- [93] 「寛」「有天」「王」
-- [112] 意味がある解釈が見出だせません。
- [117] 「寛有」「天」「王」
-- [118] 意味がある解釈が見出だせません。
- [96] 「寛有」「天王」
-- [104] [[元号名]]は2字との一般則に当てはまると考え分解する解釈と考えられます。
-- [90] 「寛有」を[[元号名]]とし、「天王」を後置修飾 (装飾?) とする。
--- [105] 一応[[天平聖暦]]が類例に挙げられますが、
あまり一般的ではありません。
--- [106] 修飾語だとしても意味が通りません。
-- [88] 「寛有」を[[元号名]]の前置修飾とし、「天王」を[[元号名]]とする。
--- [6] 類例がありません。
同時代に同じような事例が見出されない限りは、説得力は低いと言わざるを得ません。
--- [126] >>30 説
-- [91] 「寛有」を[[紀年]]全体の修飾語 ([[紀年接頭辞]]) とし、「天王」を[[元号名]]とする。
--- [102] 類例がありません。
-- [8] 「寛有」を作者 ([[陶工]]) とし、「天王」を[[元号名]]とする。
--- [107] [CH[有]]と[CH[天]]の間にアキがなく不自然です。
--- [108] 該当しそうな人物は見当たりません。
- [93] 「寛」「有天王」
-- [89] 意味がある解釈が見出だせません。
-- [95] 「有天王」なる[[神]]や[[人]]は見当たりません。
- [92] 「寛有天」「王」
-- [103] 「寛有天」なる[[神]]や[[人]]は見当たりません。
- [97] 「寛有天王」
-- [98] 銘文の構造上はこの解釈が自然です。
-- [87] 4字の[[元号名]]
--- [99] 既知のどの[[公年号]]とも[[私年号]]とも一致しません。
---- [101] あまり例のない4字[[元号名]]となるのが少し不自然です。
--- [100] 既知の[[神]]や[[人]]になく、[[即位紀年]]とも断言できません。
--- [7] 概念・通念・思想などにも当てはまりそうなものが見当たりません。
- [109] [[吉祥句]]、定型句、戯作でたまたま[[日付]]風に設えられている
-- [110] 類例がありません。
-- [111] いかにもその類であるような語句 (縁起が良さそうな文字など) でもありません。

[125] 
「寛有」は広く使われる語ではありません。
[[寛宥]]という語があり、その[[音通]]異表記とも考えられます。
しかし、[[寛宥]]だとしても、自然な解釈は見出だせません。

[127] 
「天王」は、[[牛頭天王]]を指してしばしば使われる語で、 >>30 はこの説を採用しています。
この解釈自体は不自然ではありませんが、
[[牛頭天王]]と「寛有」ないし「寛宥」との結び付きが強いとは言えず、
合理的な説明を要します。

[128] 
[[十二支年]]が[[丑]]であることと[['''牛'''頭天王]]とのつながりも注意されるところです。
ただ、[[牛頭天王]]と[[丑年]]とは、現在の一部の神社などで結び付きも見られるものの、
体系化された信仰としての密着度は然程でもありませんから、
実日付と無関係の神話的日付のようなものの可能性はそこまで高いとも思われません。

[129] 
「天王」は、[[天皇]]とも解し得ます。
しかしこの壷が作られたと目される[[中世]]末期頃の同時代の[[天皇]]が[[天王]]/[[天皇]]号で書かれ得るかは疑問ですし、
他の時代の[[天皇]]名を書くのも不自然です。「寛有」やそれと同音の[[天皇]]や[[皇族]]も見受けられません。
擬古作のようなものとも考えにくいです。

-*-*-

[131] 
比定年については、

- [135] [[天正]]年間
- [134] [TIME[天正元年(1573年)][1573]]
- [138] [TIME[天正元年(1573年)][1573]]か
- [132] [TIME[天正5年(1577年)丑][1577]]
- [133] [TIME[天正17年(1589年)丑][1589]]

... の諸説があります。

[136] このうち天正5年説、天正17年説は >>30 の説で、媒体の年代感と[[十二支年]]によります。

[137] 天正元年説は、根拠が不明瞭ですが、
銘文の[[元号名]]の類似からの同定や、
「天正年間」の曖昧性が削ぎ落とされ[[元年]]に転じたものと思われます。

[143] 天正元年は[[丑年]]ではありませんから、その点の説明を要します。

[139] [[天正]]年間説も根拠は不明瞭ですが、
>>30 説や天正元年説の曖昧・不確定性の1つの表現方法と思われます。

[140] 
どの説も[[天正]]年間の範囲を出ていませんが、論拠 (あるいはその不在) 
を点検するとやや脆弱に感じられるところです。

-*-*-

[9] 
天正年間に「天王」と書いたなら誤記とも思われますが、年次が一致しませんし、
明らかな誤刻の焼き物が現存するものだろうかとの疑問もあります。


[11] 
天正は[[正親町天皇]]の[[元号]]で、
天正14年に[[後陽成天皇]]に[[譲位]]した後、
天正20年まで続きました。

[12] 
その間天正7年に[[誠仁親王]]が事実上の[[天皇]]の地位につきましたが、
天正14年に崩じました。


[13] 
寛有天王元年はこれに近い時代ですが、微妙にずれています。
3人のいずれも寛有天王と呼ばれていた気配がありません。


[14] 
この時代の権力者は[[織田信長]]と[[豊臣秀吉]]ですが、それとのつながりを見出すのも難しい。




* 研究史

[18] 
[TIME[昭和32(1957)年][1957]]の書籍が、
銘文を紹介し、
「[V[天正ではないかという]]」
ので出会ったと述べています。
[SRC[>>16]]

[78] 
これだけではよく状況がわかりませんが、著者が誰かから[[天正]]の壷ではないかと案内され、
実見したものの、紀年資料として使えるものではないと判断した、
ということでしょう。いつどこで「[V[出会つた]]」のかは不明です。

[REFS[

- [16] 
[CITE@ja-JP[丹波の古窯]], [[杉本捷雄]], [TIME[1957]], [TIME[2025-09-30T02:09:54.000Z]], [TIME[2025-10-16T13:52:50.573Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/2482461/1/49?keyword=%E5%AF%9B%E6%9C%89%E5%A4%A9%E7%8E%8B> (要登録)

]REFS]

-*-*-

[30] 
[TIME[平成3(1991)年][1991]]の論文は、
[[私年号]]のある中世陶器の1つとして
>>21
を紹介しています。
次のように述べています。
[SRC[>>27 #page=16]]

- [33] 16世紀後半
[NOTE[

[32] 他用例から類推すると、これは様式、銘文の解釈等を含めた著者の総合判定の結論と思われます。

]NOTE]
- [34] [[丹波窯]]の天正2年、慶長2年、慶長18年銘と比較すると、
天正2年銘に近似
- [35] 
16世紀後半の丑年は、
-- [37] 
[TIME[永禄8(1565)年乙丑][1565]]、
[TIME[[ASIS[同][天正]]17(1589)年己丑][1589]]もあるが、
-- [36] 
様式より「[L[一応]]」天正5年か天正17年が「[L[該当しよう]]」
--
[NOTE[

[74] 天正17年の扱いが謎です。

]NOTE]
- [38] 
「[L[「寛有」(寛宥, 寛大) の麗句を形容詞とみ]]」て、
- [39] 
「天王」は[[祇園信仰]] = [[午頭天王]]から連想したと考えられる
- [41] 
「[L[あるいは祇󠄀園社の神文である窠文 (胡瓜形) にヒントをえたかと思われる印[BR[]]章]]」
[ASIS[〓][swc763]]
- [40] 
[[陶器商]]「壷屋四(西)右衛門」が商売繁盛祈念で祇園社等に寄進したものか
- [42] 
[[私年号]]が商人によって着想されたとすれば、類例に乏しく興味深い
- [45] 
類例と合わせて、
[[文安]] → [[福安]],
[[天正]] → [[天王]],
[[正元]] → [[正見]]の[[1字置き換え][1字置き換え説]]とするなら、
-- [46] 前2者は寿(嘉)字のもつ招福除災効果の増幅を意図したと見られる点で、
[[私年号]]の最大公約数的要件を満たしているといえる
-- [47] [[千々和到]]のいう「使われない私年号」に属する
-- [48] [[私年号]]の従来事例が宗教関係が大半だったのに対し、
--- [49] 特注品とはいえ陶器のような民需品にも使用され、
--- [50] 商人にも[[私年号]]の加担者層が拡がったこととなり、
--- [51] 今後の新出資料が期待され、
--- [52] [[私年号]]の性格を深める新たな手掛かりを提供した
--- [53] 招福除災の俗信を基盤に、地域の民衆文化の創造と発揚を考える素材となろう
--
[NOTE[

[54] >>45 の部分は、おおむね[[千々和到]]の[[私年号]]解釈をなぞり、
それが[[商人]]にも拡大されると言っているのです。 
「最大公約数」などよくわからないことを言っていますが、
[[千々和到]]説の枠組みに包含できる、
というくらいのことでしょう。論理的には少々怪しげですし、
あくまで[[千々和到]]説が成り立つなら、という前提のもとでの話です。
[SEE[ [[私年号研究史]] ]]

]NOTE]
--
[NOTE[

[130] 新出への期待が綴られていましたが、残念ながらその後30年間新報告は出ていないようです。
例外的な3例の1つだったのでしょうか。それともまだ未発見のものがどこかに眠っているのでしょうか。
なお、3例それぞれ異なる事情がたまたま[[平成時代]]初期に[[私年号]]と見なされたことで結び付けられたに過ぎないのであり、
安易に同一現象と結論付けるのは危険と思われます。

]NOTE]




[43] 
[[国立歴史民俗博物館]]の [[Webサイト]]で公開されているデータベースの解説は、
「天王元年」を[[私年号]]と推定されるとし、
[TIME[西暦1573年][1573]]としています。 [SRC[>>3]]
この年は天正元年にあたります。

[83] 
[[天王]]を[[天正]]とみなしたものでしょうか。それとも[[天正]]年間が天正元年に誤って登録されたのでしょうか。


[REFS[

- [1] 
[CITE@ja[刻銘を有する中世陶器(Ⅳ. 政治史と生活史)]], [[吉岡 康暢]], [TIME[1991-11-11]], [TIME[2016-04-01]], [TIME[2022-12-24T08:32:05.000Z]] <https://rekihaku.repo.nii.ac.jp/index.php?active_action=repository_view_main_item_detail&page_id=13&block_id=41&item_id=528&item_no=1>
-- [25] 移転確認 [TIME[2026-04-30T06:32:28.800Z]]
-- [26] 
[CITE@ja[国立歴史民俗博物館学術情報リポジトリ]], [TIME[2026-04-30T06:32:14.000Z]] <https://rekihaku.repo.nii.ac.jp/records/528>
--- [27] 
[TIME[2026-04-30T06:32:41.200Z]]
<https://rekihaku.repo.nii.ac.jp/record/528/files/kenkyuhokoku_036_02.pdf>
-
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[3] [CITE[Kanzou shiryou database Search Results Detail]], [TIME[2022-12-24T08:50:07.000Z]] <https://www.rekihaku.ac.jp/up-cgi/getdocrd.pl?tn=1&ti=8830&h=./history/w11587392597_26223&ch=2&p=param/syuz/db_param&o=1&k=20&l=&sf=0&so=>
]FIGCAPTION]

>
,【資 料 名 称】 	,チュウセイトウキ サンジコ タンバ[BR[]]中世陶器 三耳壷 丹波

>
,【備     考】 	,「寛有天王元年 四月吉祥日」刻銘 (1573)  口径14.2cm 胴径34.1cm 底径12.5cm   撫で肩から緩やかに底部へ収縮する器体に、軽く折返す丸口の口縁、頚基部に2条の凹線がめぐる上胴に小さな横耳を付した三耳壷。 器肌は石英粒が散見するが、全体に細やかな陶質、丁寧な横撫で調整、円滑な仕上げ。 赤橙色、一部黄橙色の焼斑、一側に淡い黄胡麻釉をかぶる。 三耳の間隙に太い箆状器具で画した短冊形内に上記銘、90度振って「壷屋四 右衛門(△印)」の刻銘。「天王元年」は私年号と推定されるが在銘資料として貴重である。 口縁、一耳の一部後補。 形姿・胎質は当該期の一般的作例とやや異なり、特注品とみられる。戦国末期における「壷屋」の実在と生産集団との交渉を示唆する点でも興味深い。
]FIG]
--
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[81] 
[CITE[Kanzou shiryou database Search Results Detail (syuz)]], [TIME[2026-06-13T15:18:08.000Z]] <https://www.rekihaku.ac.jp/up-cgi/getdocrd.pl?tn=1&ti=8831&h=./history/w11781363821_30256&ch=1&p=param/syuz/db_param&o=1&k=20&l=&sf=0&so=>
]FIGCAPTION]

>
[BOX[
,【資 料 名 称】 ,	チュウセイトウキ サンジコ タンバ[BR[]]中世陶器 三耳壷 丹波
,【コレクション名】 ,	チュウセイトウキコレクション[BR[]]中世陶器コレクション
,【指     定】 ,	指定:未指定 _
,【数     量】 ,	1 点
,【法     量】 ,	横34.10 cm 高41.20 cm
,【材     質】 ,	原品: 陶器
,【実 物・模 造】 ,	実物
,【尺     度】 ,	_
,【製 作 年 代】 ,	AD1573 世紀:16-C 時代:安土桃山時代 元号:天正 - 01 年
,【使  用  地】 ,	_
,【資 料 番 号】 ,	A-217-77
,【備     考】, 	「寛有天王元年 四月吉祥日」刻銘 (1573)  口径14.2cm 胴径34.1cm 底径12.5cm   撫で肩から緩やかに底部へ収縮する器体に、軽く折返す丸口の口縁、頚基部に2条の凹線がめぐる上胴に小さな横耳を付した三耳壷。 器肌は石英粒が散見するが、全体に細やかな陶質、丁寧な横撫で調整、円滑な仕上げ。 赤橙色、一部黄橙色の焼斑、一側に淡い黄胡麻釉をかぶる。 三耳の間隙に太い箆状器具で画した短冊形内に上記銘、90度振って「壷屋四 右衛門(△印)」の刻銘。「天王元年」は私年号と推定されるが在銘資料として貴重である。 口縁、一耳の一部後補。 形姿・胎質は当該期の一般的作例とやや異なり、特注品とみられる。戦国末期における「壷屋」の実在と生産集団との交渉を示唆する点でも興味深い。

]BOX]

]FIG]

]REFS]


-*-*-

[19] 
[TIME[平成4(1992)年][1992]]の[[正見]]に関する報告書は、
>>1
を引用しつつ、
従来の[[文安]] → [[福安]],
[[天正]] → [[天王]]に新たに[[正元]] → [[正見]]を加えられると説いています。
[SRC[>>15]]

[20] 
平成19年の論文は、
[[丹波焼]]の出土例には年代を特定できない[[私年号]]の事例もあって[[編年]]研究の基準資料とみなすには問題があるとしています。
[SRC[>>2]]

[22] 
その具体例として
>>21
を紹介し、
「寛有天王」という[[元号]]は知られていない、
と述べています。
[SRC[>>2]]


[REFS[

- [15] 
[CITE@ja-JP[中田池古窯址群 その2]], [[武豊町教育委員会]], [TIME[1992.3][1992]], [TIME[2025-09-30T02:09:54.000Z]], [TIME[2025-10-16T13:52:19.266Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/13307841/1/137?keyword=%E5%AF%9B%E6%9C%89%E5%A4%A9%E7%8E%8B> (要登録)
- [2] [CITE[学叢29号 本満寺境内所在 蓮乗院廟発掘調査報告]], 
平成 19 年 5 月発行,
[TIME[2022-02-03T13:25:02.000Z]], [TIME[2022-12-24T08:43:42.737Z]] <https://www.kyohaku.go.jp/jp/learn/assets/publications/knm-bulletin/29/029_tyousa_a.pdf#page=11>

]REFS]

-*-*-

[145] 
[TIME[平成7(1995)年][1995]]の、
[[平成時代]]を代表する[[私年号研究者]]である[[千々和到]]の論文では、
>>1
が紹介され、それらの[[私年号]]は

- [144] 刻んだ作者が[[元号]] [WEAK[(ここでは[[公年号]]のこと)]] の存在を知らなかったとは考えられない
- [146] むしろ知りながら何らかの祈念の気持ちを込めて自分の作品に[[私年号]]を刻み込んだというべきだろう
- [147] [[元号]]を積極的に否定する意志があったとまでは評価できない
- [148] 僧侶たちの間で、自分にとって記念すべきことがあり、
祈り・願望があったとき、[[元号]]と違うめでたい字を含んだ[[年号]]を用いることが、
案外しばしばあったのではないか
-- [149] こうした年号は、ごく限られた集団や個人の間でしか使われなかったであろう
-- [150] 広く使用されたものでない孤立した[[私年号]]の使用例は、
多くこうしたものではないか

... と述べました。 [SRC[>>152]]

;; [151] しかしいずれも推測であり、独自の論拠が提示されているわけではありません。

[REFS[

- [152] 
[CITE@ja-JP[講座・前近代の天皇 第4巻 (統治的諸機能と天皇観)]], [[永原慶二 '''['''ほか''']'''編]], [TIME[1995.6][1995]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-06-14T11:22:17.178Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/13142711/1/90?keyword=%E7%A6%8F%E5%AE%89> (要登録)

]REFS]


-*-*-

[55] 
[[千々和到]]の系統の[[私年号]]の一覧表のいくつかに[[天王]]が掲載され、
時期は[[天王]]頃か、
といったような表現になっています。
[SRC[>>56]]

[72] 
そのうちの一部では、[[天正]]から[[天王]]への[[1字置き換え][1字置き換え説]]であると判定されています。
[SRC[>>56]]


[58] 
[[日本語]]版[CITE[ウィキペディア]]の一覧表にも初期から掲載されています。

- [59] 当初は「[[天正]]年間(1573年~1592年)」。出典は不明。
- [60] 平成19年1月に「[[天正]]元年||1573年」、
継続年数20年。根拠は不明。
- [63] 平成20年に「[[天正]]元年([[1573年]])?」と[CH[?]]を追加し、
継続年数が20年から不明に変更、
「公年号「天正」の誤記か。」と追記。根拠は不明。
- [62] 平成25年に所蔵を「兵庫県丹波古陶館」と追記 [SRC[>>61]]、根拠は不明。
- [65] 平成25年5月に
「[[天正]]5年([[1577年]])か17年([[1589年]])」、
所蔵を[[国立歴史民俗博物館]]に変更、
出典は >>1。

... との変遷を経ています。
[SRC[>>57]]

[66] 
これらは平成3年の論文 [SRC[>>1]] を参照する以外まったく根拠が示されていない怪情報の塊であり、
あるいは何らかの書籍等に記載があるのかもしれませんが、現段階では不明です。

- [67] [[天王]]が[[天正]]年間とするのは、[[千々和到]]系統の表から採録したものでしょう。
- [68] 天正元年説が生じたのは、時期不明なものを[[元年]]と誤解したものでしょう。
- [70] 天正元年か、としたものは、[[天正]]の誤記か、との注釈と共に[CH[?]]を挿入したものであり、
[[天正]]誤記と確定できない、という意図でしょうか。
- [71] 誤記説は、出所不明です。編集者の独自説でしょうか。
- [69] 継続年数20年とするのは全く意味不明であり、何らかの誤混入でしょうか。
- [73] [[丹波古陶館]]所蔵説の根拠は不明です。あるいは一時的に貸し出されていたのでしょうか。
-- [142] 「丹波焼三耳壷」の名称で紹介される壷は各地にいくつかあるようです。
[CITE[ウィキペディア]]編集者による誤同定かもしれません。



[76] 
[[中文]]版[CITE[维基百科]]の一覧表は、
>>2
を出典に、
[[天王]]を[[天正]]年間の1年間継続の[[私年号]]として掲載しています。
[SRC[>>75]]

[REFS[

- [56] [[日本私年号一覧表]]
- [57] [[ウィキペディアの私年号一覧表]]
--
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[10] [CITE@ja[[[私年号]] - Wikipedia]], [TIME[2022-12-10T11:22:17.000Z]], [TIME[2022-12-22T12:35:00.472Z]] <https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7#%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E3%81%AE%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7>
]FIGCAPTION]

>
,*私年号 	,*異説 	,*元年相当公年号(西暦) 	,*継続年数 	,*典拠・備考 
,天王 	,- 	,天正5年(1577年)か17年(1589年) 	,不明 	,国立歴史民俗博物館蔵丹波焼三耳壷銘[SUP[__&&[&&__5__&&]&&__]]

>吉岡康暢 「刻銘を有する中世陶器」(『国立歴史民俗博物館研究報告』第36集 国立歴史民俗博物館、1991年11月、NCID AN00377607)
]FIG]
-- [321] 
[CITE@ja[「[[私年号]]」の版間の差分 - Wikipedia]], [TIME[2024-07-24T01:25:17.000Z]], [TIME[2024-07-26T14:01:03.449Z]] <https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7&diff=prev&oldid=21472516>
--- [322] 
[CSECTION[2008年8月27日 (水) 17:42時点における版]],
[[可怜]]
-- [61] 
[CITE@ja[「私年号」の版間の差分 - Wikipedia]], [TIME[2026-06-05T03:08:42.000Z]], [TIME[2026-06-13T14:21:26.639Z]] <https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7&diff=prev&oldid=47690649>
-- [64] 
[CITE@ja[「私年号」の版間の差分 - Wikipedia]], [TIME[2026-06-05T03:08:42.000Z]], [TIME[2026-06-13T14:27:24.588Z]] <https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7&diff=prev&oldid=47911576>
- [75] 
[CITE@zh[日本年號列表 - [[维基百科]],自由的百科全书]], [TIME[2026-06-09T10:31:47.000Z]], [TIME[2026-06-13T14:42:03.935Z]] <https://zh.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%B9%B4%E8%99%9F%E5%88%97%E8%A1%A8#%E5%AE%89%E5%9C%9F%E6%A1%83%E5%B1%B1%E6%99%82%E4%BB%A3>

]REFS]

-*-*-

[80] 
[[令和時代]]に至るまで、
一覧表への掲載を除けば、[[私年号研究]]側の専門の研究者によって本格的に検討された事例は見当たりません。


* 関連

[SEE[ [[天正]] ]]

[SEE[ [[天皇即位紀年]] ]]

[SEE[ [[正見]], [[福安]] ]]

[SEE[ [[見飛]], [[福徳]] ]]

* メモ

