[4] 
[DFN[天王]]は[[安土桃山時代]]の[[日本の私年号]]の1つと考えられています。

[5] 
壷の銘にあるのが現在知られている唯一の用例です。


-*-*-


@@
[BOX[

[16] 
[CITE@ja-JP[丹波の古窯]], [[杉本捷雄]], [TIME[1957]], [TIME[2025-09-30T02:09:54.000Z]], [TIME[2025-10-16T13:52:50.573Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/2482461/1/49?keyword=%E5%AF%9B%E6%9C%89%E5%A4%A9%E7%8E%8B> (要登録)


[15] 
[CITE@ja-JP[中田池古窯址群 その2]], [[武豊町教育委員会]], [TIME[1992.3][1992]], [TIME[2025-09-30T02:09:54.000Z]], [TIME[2025-10-16T13:52:19.266Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/13307841/1/137?keyword=%E5%AF%9B%E6%9C%89%E5%A4%A9%E7%8E%8B> (要登録)

]BOX]

- [1] 
[CITE@ja[刻銘を有する中世陶器(Ⅳ. 政治史と生活史)]], [[吉岡 康暢]], [TIME[1991-11-11]], [TIME[2016-04-01]], [TIME[2022-12-24T08:32:05.000Z]] <https://rekihaku.repo.nii.ac.jp/index.php?active_action=repository_view_main_item_detail&page_id=13&block_id=41&item_id=528&item_no=1>
-- [25] 移転確認 [TIME[2026-04-30T06:32:28.800Z]]
-- [26] 
[CITE@ja[国立歴史民俗博物館学術情報リポジトリ]], [TIME[2026-04-30T06:32:14.000Z]] <https://rekihaku.repo.nii.ac.jp/records/528>
--- [27] 
[TIME[2026-04-30T06:32:41.200Z]]
<https://rekihaku.repo.nii.ac.jp/record/528/files/kenkyuhokoku_036_02.pdf>


#page=16
「寛有天王元年丑四月吉祥日」

16世紀後半 

形態から天正5年丑か天正17年丑 寛有は麗句、天王は祇園信仰 牛頭天王

商人の着想した私年号か

#page=43 白黒写真 (判読できるが細かな字形の認識はやや難しい)

[2] [CITE[学叢29号 本満寺境内所在 蓮乗院廟発掘調査報告 - 029_tyousa_a.pdf]], [TIME[2022-02-03T13:25:02.000Z]], [TIME[2022-12-24T08:43:42.737Z]] <https://www.kyohaku.go.jp/jp/learn/assets/publications/knm-bulletin/29/029_tyousa_a.pdf#page=11>

私年号
「寛有天王」という元号は知られていない

[3] [CITE[Kanzou shiryou database Search Results Detail]], [TIME[2022-12-24T08:50:07.000Z]] <https://www.rekihaku.ac.jp/up-cgi/getdocrd.pl?tn=1&ti=8830&h=./history/w11587392597_26223&ch=2&p=param/syuz/db_param&o=1&k=20&l=&sf=0&so=>

>
,【資 料 名 称】 	,チュウセイトウキ サンジコ タンバ[BR[]]中世陶器 三耳壷 丹波

>
,【備     考】 	,「寛有天王元年 四月吉祥日」刻銘 (1573)  口径14.2cm 胴径34.1cm 底径12.5cm   撫で肩から緩やかに底部へ収縮する器体に、軽く折返す丸口の口縁、頚基部に2条の凹線がめぐる上胴に小さな横耳を付した三耳壷。 器肌は石英粒が散見するが、全体に細やかな陶質、丁寧な横撫で調整、円滑な仕上げ。 赤橙色、一部黄橙色の焼斑、一側に淡い黄胡麻釉をかぶる。 三耳の間隙に太い箆状器具で画した短冊形内に上記銘、90度振って「壷屋四 右衛門(△印)」の刻銘。「天王元年」は私年号と推定されるが在銘資料として貴重である。 口縁、一耳の一部後補。 形姿・胎質は当該期の一般的作例とやや異なり、特注品とみられる。戦国末期における「壷屋」の実在と生産集団との交渉を示唆する点でも興味深い。


[10] [CITE@ja[[[私年号]] - Wikipedia]], [TIME[2022-12-10T11:22:17.000Z]], [TIME[2022-12-22T12:35:00.472Z]] <https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7#%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E3%81%AE%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7>

>
,*私年号 	,*異説 	,*元年相当公年号(西暦) 	,*継続年数 	,*典拠・備考 
,天王 	,- 	,天正5年(1577年)か17年(1589年) 	,不明 	,国立歴史民俗博物館蔵丹波焼三耳壷銘[SUP[__&&[&&__5__&&]&&__]]

>吉岡康暢 「刻銘を有する中世陶器」(『国立歴史民俗博物館研究報告』第36集 国立歴史民俗博物館、1991年11月、NCID AN00377607)

- [321] 
[CITE@ja[「[[私年号]]」の版間の差分 - Wikipedia]], [TIME[2024-07-24T01:25:17.000Z]], [TIME[2024-07-26T14:01:03.449Z]] <https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7&diff=prev&oldid=21472516>
-- [322] 
[CSECTION[2008年8月27日 (水) 17:42時点における版]],
[[可怜]]


-*-*-


[6] 
寛有を形容詞とするのは[[元号名]]が2文字でなければならないと考えてのことでしょうか。
しかしそのような[[元号名]]の接頭辞の例はほぼなく、
同時代に同じような事例が見出されない限りは、説得力は低いと言わざるを得ません。

[7] 
ならば寛有天王の4文字[[元号名]]とも考えられますが、
そのような語の用例も見当たりません。

[8] 
「寛有」は[[日付]]の一部ではなく[[人名]]ではないかといえば、
他により人名らしいものが書かれていますね。

[9] 
天正年間に「天王」と書いたなら誤記とも思われますが、年次が一致しませんし、
明らかな誤刻の焼き物が現存するものだろうかとの疑問もあります。


[11] 
天正は[[正親町天皇]]の[[元号]]で、
天正14年に[[後陽成天皇]]に[[譲位]]した後、
天正20年まで続きました。

[12] 
その間天正7年に[[誠仁親王]]が事実上の[[天皇]]の地位につきましたが、
天正14年に崩じました。


[13] 
寛有天王元年はこれに近い時代ですが、微妙にずれています。
3人のいずれも寛有天王と呼ばれていた気配がありません。


[14] 
この時代の権力者は[[織田信長]]と[[豊臣秀吉]]ですが、それとのつながりを見出すのも難しい。


