[3] 
[DFN[[RUBY[天][てん]][RUBY[晴][せい]]]]は、
[[幕末]]期の[[日本の私年号]]です。

* 元号名

[48] 
[[元号名]]に[DFN[天晴]]、
[DFN[天政]]、
[DFN[天星]]、
[DFN[天成]]が知られています。 [SRC[>>47]]

[50] 「てんせい」と[[読まれて][元号の読み方]]います。 
[SRC[>>12, >>65, >>182, >>228, >>262, >>25, >>42, >>17, >>1, >>41, >>27, >>65, >>70, >>468]]

* 紀年法

[516] 
[[四国]]、[[九州]]の用例では、[[元年]]は[TIME[慶応3(1867)年丁卯][1867]]です。

[517] 
[[飛騨]]の用例では、[[元年]]は[TIME[慶応4(1868)年戊辰][1868]]です。

[77] 
現在知られている用例は、元年の5月から11月と書かれています。
2年以降の例は見つかっていません。


* 由来

[519] 
発生と拡散の過程は未だほとんどわかっていません。

-*-*-

[518] 
現在までに4種類の[[漢字]]表記が知られています。
同音で同年なので、同じ[[元号]]と考えられています。

[49] 
[[漢字]]表記がはっきりしないまま音声だけで各地に伝わったと考えられています。
[SRC[>>153, >>47, >>17, >>1, >>468]]
[[高知県立歴史民俗資料館]]の前副館長[[浜田真尚]]の見解 [SRC[>>1]]
とのこと。

[78] 
[[高知県]]内の「天晴」が現在知られている最古の例です。
発見数も「天晴」が圧倒的に最多です。
この表記が原形なのでしょうか?


[10] 
[[日本国]][[高知県]][[高知市]]で活動する [[NPO]] 
[[地域文化計画]]の副理事長の[[中村茂生]]は、
[[慶応]]度の[[改元]]で最終案に[[天政]]があったとし、
それが誤って広まった可能性があると指摘しています。
[SRC[>>1]]

[318] 
[[中村茂生]]は普通は[[元号名]]に[CH[晴]]や[CH[星]]は使わないとも述べており、
[[天政]]が原形とみているようです。
[SRC[>>1]]

[319] 
[CITE[日本年号史大事典]]によると [SRC[p.[L[740]]]]、
[[日本の公年号]]の歴史上[[天成]]が7回、
[[天政]]が1回、
[[天静]]が1回[[提案され][改元手続き]]て不採用となっています。

[320] 
[CITE[日本年号大観]]によると、
[[天成]]は[[康平]]度、
[[嘉保]]度、
[[元亨]]度、
[[元禄]]度、
[[永保]]度、
[[元応]]度、
[[慶応]]度 ([[菅原修長]])、
[[天政]]は[[慶応]]度 ([[菅原在光]])、
[[天静]]は[[元治]]度 ([[菅原為栄]])
に提案されています。

;;
[324] 
>>27
は[[慶応]]度の元号案を乾永・文隆・大暦・萬徳・慶応・明定・天政としています。
出典は不明。


-*-*-

[523] 
[[明治時代]]の人の証言で、[[京都]]から[[高知]]へと[[改元]]の情報があったとされています
(>>249)。
つまり[[改元デマ]]に由来する[[私年号]]ということになります。

[75] 
伝播経路は、根拠を示していない憶測を含めいくつかの断片的な案はあるものの、
十分検討されていないようです。


[126] 
漢字表記について、
同じ[[西諸木]]地区で[[天政]]と[[天晴]]の2種類があることには疑問があります
[SRC[>>44, >>125]]。
どのように[[改元伝達]]がなされ、どの時点でどう漢字が変化したのか、
現状では使える情報は少ないものの、
仮説をいくつか立ててみるのも一案でしょう。




[51] 
翌年「てんせい」に改元されるとの噂を聞いた民衆が、
藩の許可無く使い始めたものだとする説があります。
[SRC[>>47, >>17, >>468]]

;; [64] [[江戸時代]]中の政情が安定していた頃は、
[[朝廷]] → [[幕府]] → [[藩]] → 民衆という[[改元伝達]]ルートがありました。

;; [76] 
実際に[[改元]]された慶応4年の1年前の慶応3年に[[元年]]が相当します。
[[孝明天皇]]の[[崩御]]と[[明治天皇]]の[[践祚]]や[[徳川家茂]]の死去と[[徳川慶喜]]の[[征夷大将軍]]就任の情報も伝わっていたでしょうから、
[[代始改元]]があるはずだという認識を持っていた人々もいたことでしょう。

[524] 
[[中世私年号]]は平時の[[改元伝達]]ルートに何らかの理由で[[改元デマ]]が混入したとする説が[[平成時代]]以来通説化しています。
[[幕末]]とは[[改元伝達]]ルートの構造が違っていると考えられますが、
同様の伝達過程をたどった可能性はあります。

[525] 
通常のとは異なる独特の[[改元伝達]]を想定する説もあります (>>446) が、
現状では肯定も否定も難しいです。


[521] 
[[高知県]]の領域内で考案されたという人もいますが、
そこで使われていたからという以上の根拠は無さそうです。
[[京都]]から伝わったとする証言 (>>249) とは矛盾します。


[522] 
[[三条実美]]の人脈が関与したとする説もあります (>>472)。

[520] 
都市部より農村部に分布しているという人もいます。

[558] 
高知県下の全域に用例が分布していますが、東西ほぼ中央にある[[高知市]]からみて少し東側の地域に用例が多いのは示唆的です。

[569] 
慶応3年の用例は、5月のものと9月前後のものの2群があり、
6月、7月付けのものや、11月以後のものは見つかっていません。
たまたま中間のものが未発見であるに過ぎないのか、
噂が2度 (慶応4年も含めれば3回) 伝播したのか、
更なる資料の探索と検討が必要と思われます。




- [211] 
[CITE@ja[Xユーザーの吉良播磨守親貞ファンさん: 「@tanemunedate15 戦国期ではなく、幕末ですが、土佐では「天晴」なる私年号が使われてまして、諸説ありまするが、次は天晴らしいぞって噂が広まったから、との説があります。 幕末でそんなですから、戦国期はさぞ混乱してそうですが、どうなのでしょう。」 / [[X]]]], [TIME[午後3:24 · 2020年7月11日][2020-07-11T06:24:00.000Z]], [TIME[2024-03-06T11:34:03.000Z]] <https://twitter.com/chikasada_kira/status/1281836622330212352>

[212] 
>>211 [[諸説ある]]なら他にも説がありそうだが、どんな説があるのだろう?


* 用例



[541] 
現在までに存在が判明してこのウィキ頁に掲載されているものは、

- [542] 元年丁卯
-- [544] 高知県内
--- [545] 天晴 11件
--- [546] 天政 2件 (>>600 等)
--- [547] 天星 1件
-- [548] その他高知県関係
--- [549] 天晴 1件 (>>347)
-- [550] 徳島県
--- [551] 天政 1件
-- [552] 福岡県
--- [553] 天政 1件
- [543] 元年戊辰
-- [554] 岐阜県
--- [555] 天政 1件

の合計17件です。また、同時代と思われる人の証言 (の記録) が1件 (>>249)
伝わります。


[HISTORY[


[383] 
[TIME[昭和49(1974)年][1974]]に2例
(>>14, >>6)
が知られるようになりました [SRC[>>382]]。

[398] 
[TIME[昭和56(1982)年][1982]]の[[坂本正夫]]の調査の時点で6例
(>>6, >>14, >>24, >>20, >>5, >>30)     
が知られるようになりました
[SRC[>>375 (>>43)]]。


[273] 
[TIME[平成元(1989)年][1989]]時点で[[日本国]][[高知県]]内で6例
(>>14, >>6, 赤岡町, 春野町2箇所, 吾川村)
が知られていました
[SRC[>>272]]。

[32] 
[TIME[平成21(2009)年][2009]]ないし[TIME[平成22(2010)年][2010]]の時点の研究
(>>161)
では[[日本国]][[高知県]]内のみで10例
(>>20, >>24, >>5 など)
が知られていました。 
[SRC[>>28]]
[[天晴]]の[[石灯籠]]は4例 [SRC[>>28, >>216]]
(>>6, >>14, >>29, >>30) 
が知られていました [SRC[>>28]]。


[313] 
[TIME[平成29(2017)年][2017]]末の展覧会で13例が展示されました。
[SRC[>>17]]
当時知られていたすべての用例が展示されたということでしょうか。


[4] 
[TIME[平成31(2019)年][year:2019]]時点で[[日本国]][[高知県]]内で13例
([[天晴]]が11例)
が知られていました。 
[SRC[>>1, >>2]]


[155] 
[TIME[平成31(2019)年][year:2019]]時点で[[高知城歴史博物館]]によると13例が知られていました。
[SRC[>>153]]

[254] 
[TIME[平成31(2019)年][2019]]時点で[[日本国]][[高知市]][[南国市]]によると[[天晴]]は[[日本国]][[高知県]]で12例が知られていました。
うち石造物が8箇所10例、そのうち石灯篭が6箇所8例でした。
[[棟札]]が1例でした。
[SRC[>>252]]

[603] 
[TIME[令和8(2026)年2月][2026-02]]時点で[CITE[高知新聞]]によると[[高知県]]内で「少なくとも」
14[ASIS[カ所]]、
内訳として
「天晴」12件、
「天星」1[ASIS[つ]]、
「天政」1[ASIS[つ]] + 「天政」新報告1[ASIS[例]]が確認されていました。
[SRC[>>597]]

]HISTORY]


** 土佐

*** 天晴

[ITEMS[ [605] [[日時事例]]

- [6] 
[DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[高知県]][[安芸郡]][[安田町]][[唐浜]]]] [[神峯神社]] 石灯籠]]
[SRC[>>183]]
-- [184] 
「[DATA(.text)[[V[天晴元丁夘[BR[]]𠄡月吉旦]]]]」
[SRC[>>1, >>25, >>27]]
--- [399] 
「[V[天晴元丁卯[BR[]]五月吉日]]」
[SRC[>>375 (>>43) [V[[YOKO[(一)]]]]]]
-- [368] 
>>135 に銘文日付部分のカラー写真
-- [369] 
>>99 に銘文部分のカラー写真
-- [270] 
>>269 に銘文部分の一部の白黒写真
-- [389] >>375 に銘文部分の白黒写真
-- [385] 
>>117 に白黒写真、かろうじて銘文がなんとなく読める程度の画質
--- [386] [TIME[昭和49(1974)年][1974]]の報告直後の出版で、現存最古の写真の可能性
-- [387] >>25, >>27 に写真
-- [559] [[明治時代]]の証言 >>249
-- [384] 
[TIME[昭和49(1974)年][1974]]に[[安芸市史編さん事務局]]の[[小松栄次]] (>>274) 
の調査で発見 [SRC[>>382]]
-- [237] 
[TIME[平成20(2008)年][2008]]から約30年前に[[広谷喜十郎]] (>>377) が存在を把握
[SRC[>>12]]
-- [560] [[神峯神社]]は[[神仏分離]]前は[[神仏習合]]。
[TIME[明治20(1887)年][1887]]に近隣に[[神峯寺]]が再興。
- [24] 
[DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[高知県]][[香美郡]][[赤岡町]]]] [[須留田八幡宮]]拝殿[[絵馬]]]]
-- [401] 
「天晴元[SUB[丁]]卯年」「五月𠮷祥日」「丑之歳男」
[SRC[>>23]]
--- [402] 
「[V[天晴元丁卯年[BR[]]五月吉祥日[BR[]]丑之歳男]]」
[SRC[>>375 (>>43) [V[[YOKO[(三)]]]]]]
-- [418] >>375 に白黒写真、銘文の一部が読み取れる

]ITEMS]

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [347] [DATA(.label)[[[田宮道雄]]旧蔵写本]]
-- [348] 書写奥書
「[DATA(.text)[天晴元八月日寫]]」
[SRC[>>86]]
-- [350] [TIME[令和元(2019)年][2019]]発見か
- [14] 
[[日本国]][[高知県]][[安芸市]]土居[[春日神社]]石灯籠
[SRC[>>12, >>18, >>26]]
-- [366] 
「[DATA(.text)[[V[天晴元夘九月令日]]]]」 ([[楷書]])
--- [584] 
右側「[V[天晴元卯九月八日、奉献、氏子中]]」
[SRC[>>576]]
--- [587] 
左側「[V[元卯九月八日、奉献、氏子中]]」
[SRC[>>576]]
--- [400] 
「[V[天晴元卯九月令日]]」
[SRC[>>375 (>>43) [V[[YOKO[(二)]]]]]]
-- [367] 
>>18 にカラー写真、銘文の字形がほぼわかる解像度
-- [390] 
>>375 に銘文部分の一部の白黒写真、一部しか判読しがたい
-- [383] 
[TIME[昭和49(1974)年][1974]]頃に[[安芸市史編さん事務局]]の[[小松栄次]] (>>274)
の調査で発見 [SRC[>>382]]
-- [236] 
[TIME[平成20(2008)年][2008]]から約30年前に[[広谷喜十郎]]の知人が[[広谷喜十郎]] (>>377)
に存在を知らせる
[SRC[>>12]]
-- [305] 平成2年に案内板設置 [SRC[>>18]]
-- [309] [TIME[平成26(2016)年][2016]]時点では新しい案内板に [SRC[>>26]]
- [20] 
[DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[高知県]][[安芸市]][[春野町]][[西諸木]]]] [[御山所神社]]狛犬台座]]
-- [210] 
「[TATE[[DATA(.text)[[V[[ASIS[天][二]]晴[BR[]]元卯[BR[]]九月[BR[]]令󠄂日]]]]]]」
[SRC[>>19, >>27]]
--- [404] 
「[V[天晴元卯[BR[]]九月令日]]」
[SRC[>>375 (>>43) [V[[YOKO[(四)]]]]]]
-- [209] >>19, >>27 に写真
-- [208] >>207 にカラー写真、字形が明確に読み取れる解像度だが苔むして一部読み取りにくい
-- [392] >>375 に全体白黒写真、銘文判読不可
-- [403] 旧: [[吾川郡]][[春野町]]
- [36] 
[DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[高知県]][[南国市]][[領石]]]] [[領石天満宮]]境内社 小宮さま (大神宮) [[棟札]]]]
-- [220] 
「[DATA(.text)[[V[天晴元__&&swc632(年)&&__[SUP(smaller inline)[丁]][SUB(smaller inline)[卯]]九月十七日]]]]」
[SRC[>>216]]
--- [224] 「天晴元年」 [SRC[>>35, >>41]]
-- [221] >>41 に写真あり
-- [219] >>216 に現地の案内看板
--- [225] 看板内にカラー写真と翻刻
-- [230] >>228 にカラー写真
-- [255] 元は[[日本国]][[高知県]][[南国市]][[領石]][[字笹原]]にあったと思われる弁財天宮
[SRC[>>252]]
-- [226] 平成27年6月の調査で発見 [SRC[>>216]]
-- [256] 調査後に寄贈され[[高知県立歴史民俗資料館]]所蔵 [SRC[>>216]]
- [30] 
[DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[高知県]][[吾川郡]][[仁淀町]]]] [[黒森山]] [[鈴ヶ峠]] [[石灯籠]] (灯明台) ]]
[SRC[>>185, >>262]]
-- [186] 
「[DATA(.text)[[V[天晴元夘九月十八󠄃日]]]]」
[SRC[>>28, >>37, >>39, >>68]]
--- [408] 
「[V[天晴元卯九月十八日]]」
[SRC[>>375 (>>43) [V[[YOKO[(六)]]]]]]
-- [346] >>68 に銘文部分の大きなカラー写真
-- [264] >>37 に写真
-- [263] >>262 に白黒写真、ぎりぎり銘文が読めるサイズ
-- [321] >>39 にカラー写真、ぎりぎり銘文の一部が読めるサイズ
-- [419] >>375 に銘文日付部分の白黒写真
-- [407] 旧: [[吾川郡]][[吾川村]] [[鈴ヶ森]]
[SRC[>>375 (>>43)]]
- [66] 
[DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[高知県]][[安芸郡]][[安田町]]]] [[髙松順蔵]] (>>491) 歌集]]
-- [343] 「[V[天晴]]」
[SRC[>>65]]
-- [488] 「天晴のはしめの年 神無月しるす」 [SRC[>>130]]
-- [344] 
[TIME[2019-06-27]]までに発見 [SRC[>>65]]
- [29] 
[DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[高知県]][[南国市]][[領石]]]] [[領石天満宮]] [[石灯籠]]]]
[SRC[>>28 ([CITE[土佐史談206号]]], [[門脇良雄]] = >>169), >>28 ([CITE[街道の日本47 土佐と南海道]], [TIME[2006][year:2006]] = >>171)]]
-- [222] 
「[DATA(.text)[[V[[LINES[天晴元[SUP(smaller)[丁]][SUB(smaller)[卯]]][[SNIP[]]][十月吉日]]]]]]」 ([[楷書]])
--- [170] 
「天晴元 丁卯 十月吉日」 [SRC[>>28]]
--- [223] 
「[V[天晴  丁卯  十月吉日]]」 ([[楷書体]]) [SRC[>>216]]
-- [217] >>213 に現地のカラー写真 (銘文も読めるが一部読みづらい)
-- [229] >>228 に現地のカラー写真、低解像度で銘文のごく一部しか読めない
-- [234] >>232 に現地のカラー写真、一部のみ拡大あり
-- [218] >>216 に現地の案内看板

]ITEMS]


[306] 
>>14, >>20 は銘文がまったく同じで、[[令日]]も共通で、
関係性を指摘する人もいます。 [SRC[>>18, >>25]]

[561] 
峠の灯明台 (>>30) は[[明治]]のものと対になっています。

[349] 
[TIME[令和元(2019)年][2019]]に発表された[[慶応大学]]で新規整理した所蔵書リストにも、
新出の[[天晴]]私年号資料があります (>>347)。
寄贈した田宮家は、
[[土佐藩]]の[[郷士]]で、[[明治維新]]後に[[大阪]]に移ったといいます
[SRC[>>86 #page=2]]。


[489] 
「天晴のはしめの年」 (>>66)
の「はじめのとし」は[[元年]]の[[訓読]]です。
[[和風月名]]の[[神無月]]と共に[[和風の表記][和語元号名]]で用いられることがあります。

;;
[490] 
「天晴」も[[訓読み]]した可能性も考えられなくはありませんが、
その場合は[[仮名]]書きか[[振り仮名]]・[[送り仮名]]があったはずと考えるべきで、
一応[[音読み]]と理解しておいて良さそうです。


[ITEMS[ [[日時事例]]

- [15] 田口家 神祭帳
[SRC[>>12 ([CITE[土佐山田町史]]), >>375 ([CITE[土佐山田町史]])]]
-- [448] [[慶応]]から[[明治]]に移る間に[[天晴]]がある 
[SRC[>>375 ([CITE[土佐山田町史]])]]
- [16] 須江高野家文書
[SRC[>>12 ([CITE[土佐山田町史]]), >>375 ([CITE[土佐山田町史]])]]
-- [449] 天晴元年の記録がある 
[SRC[>>375 ([CITE[土佐山田町史]])]]
-
[511] 
[DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[高知県]][[四万十市]][[佐岡]]]] [[薫的神社]]文書 ([[広谷喜十郎]]所蔵)]]
--
[512] 末尾 「天晴」
[SRC[>>502]]
-- [513] 
[TIME[平成30(2018)年][2018]]かそれ以前に[[広谷喜十郎]]が所蔵文書から発見
[SRC[>>502]]
-
[606] 
[DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[高知県]][[高岡郡]][[四万十町]][[志和]]]] [[薬師寺]]石灯籠銘]]
[SRC[>>597]]
-- [607] 
[TIME[令和8(2026)年2月][2026-02]]時点の[[高知県]]内報告用例中最西 [SRC[>>597]]

]ITEMS]


[REFS[

- [84]  [CITE[高知市歴史散歩]]
([TIME[2008-09-01 13:54:14 +09:00]] 版)
<http://www.city.kochi.kochi.jp/deeps/01/0104/rekishi/re0809.htm>
-- [21] 移転確認 [TIME[2019-07-16T06:30:26.100Z]]
-- [11] [CITE[高知市歴史散歩]] ([TIME[2018-06-29 09:47:01 +09:00]]) <https://www.city.kochi.kochi.jp/akarui/rekishi/re0809.htm>
--- [12] 
[CITE[[[高知市歴史散歩]] 289 幻の年号「天晴(てんせい)」]],
[[広谷喜十郎]],
高知市広報[CITE[あかるいまち]] [TIME[2008年9月][2008-09]]号


[FIG(quote)[ [13] [SRC[>>12]]

> 調べてみると、安芸郡安田町の神峯(こうのみね)神社にも「天晴元年五月」と刻記された石灯籠があり、それには「安喜(あき)土居村」とも刻まれている。
>  その後、民俗学者・坂本正夫氏らの調査により、東は田野町から西は越知町に至る範囲に「天晴(天政や天星)元年」と刻記された石灯籠や手水鉢があることが判明し、神社の絵馬や古文書にも記されていることが確認された。それらはいずれも「丁卯(ていぼう)」または「卯年(うどし)」と併記されている。
>  『土佐山田町史』にも、田口家の神祭帳や高野家文書の記述を根拠として、慶応から明治に移る間に天晴年号が使用されていることが指摘されている。
>  「丁卯」に当たるのは慶応三(一八六七)年で、翌慶応四年九月八日に明治元年に改元されている。判明している限りでは、天晴という年号が地域的に使われたのは、前年の五月から明治元年までということになる。
[SNIP[]]
>
神峯神社にある石灯籠の年号について、明治末期に高村晴義氏は「慶応三年の事なり(略)京阪の言信(略)此頃の国内の不穏なるにつき年号を改めてこの妖気を攘(はら)ふの議朝廷におこり」と語っている。翌慶応四年に天晴への改元の動きがあることを見越して、年号が刻記されたことの証言である。

]FIG]

- [19] 
[CITE[今日も春野、天晴元卯九月令日]]
[CITE@ja[[[ひまわり乳業株式会社]] | 今日のにっこりひまわり]] 〔3099〕,
[TIME[2011/10/10][2011-10-10]]
([TIME[2019-07-16 16:09:50 +09:00]]) <https://www.himawarimilk.co.jp/diary/?No=3099>
- [23] 
[CITE[赤岡、須留田八幡宮の天晴]]
[CITE@ja[[[ひまわり乳業株式会社]] | 今日のにっこりひまわり]]
〔3117〕,
[TIME[2011/10/28][2011-10-28]]
([TIME[2019-07-16 16:20:36 +09:00]]) <https://www.himawarimilk.co.jp/diary/?No=3117>
- [18] 
[CITE[安芸、春日神社の天晴]],
[CITE@ja[[[ひまわり乳業株式会社]] | 今日のにっこりひまわり]] 〔3118〕,
[TIME[2011/10/29][2011-10-29]]
([TIME[2019-07-16 16:07:33 +09:00]]) <https://www.himawarimilk.co.jp/diary/?No=3118>
- [25] 
[CITE[安田、神峯神社の天晴]],
[CITE@ja[[[ひまわり乳業株式会社]] | 今日のにっこりひまわり]]
〔3200〕,
[TIME[2012/01/19][2012-01-19]]
([TIME[2019-07-16 16:23:40 +09:00]]) <https://www.himawarimilk.co.jp/diary/?No=3200>
- [22] 
[CITE[遍路路沿いの天政]]
[CITE@ja[[[ひまわり乳業株式会社]] | 今日のにっこりひまわり]]
〔4554〕,
[TIME[2015/10/04][2015-10-04]]
([TIME[2019-07-16 16:17:34 +09:00]]) <https://www.himawarimilk.co.jp/diary/?No=4554>
- [26] 
[CITE[安芸の朝、天晴の朝]],
[CITE@ja[[[ひまわり乳業株式会社]] | 今日のにっこりひまわり]]
〔5003〕,
[TIME[2016/12/26][2016-12-26]]
([TIME[2019-07-16 16:24:43 +09:00]]) <https://www.himawarimilk.co.jp/diary/?No=5003>

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[42] [CITE[高校生の天晴れ]],
[CITE@ja[[[ひまわり乳業株式会社]] | 今日のにっこりひまわり]]
〔5128〕,
[TIME[2017/04/30][2017-04-30]]
([TIME[2019-07-16 17:48:00 +09:00]]) <https://www.himawarimilk.co.jp/diary/?No=5128>
]FIGCAPTION]

>
高知県率東高校の生徒さんが、クラブ活動の中で纏められたもの。左端が2010年3月発行で、
[SNIP[]]
>
幕末土佐の私年号ー「天晴」を検証するー
>
[SNIP[]]
昔、歴史民俗資料館の館長さんだった坂本先生の論文から、南国市出身の民俗研究科、高村晴着さんが明治22、23年頃に安田町神峯神社で堂守らしき男から聞き書した貴重な話を伝えている。
>
それによると。幕末、安田からも二、三の志士が上京していた。そのうちの一人から、「此頃の国内の不穏なるにつき年号を改めてこの妖気を攘うの議、朝廷におこりたり」という知らせがあり、「来年は天晴と改元のある由なり」と二度ほども通知があったので、神峯神社の石灯籠に「天晴」と刻むことになったとのこと。

]FIG]

- [135] 
[CITE@ja[Xユーザーの[[根岸敦生]]さん: 「「私年号」ってご存じですか。天皇の決めた年号ではなく、私的に決めた年号のことです。土佐の一部では1867(慶応3)年が「天晴元年」だったそうで。痕跡を初めてみました。「てんせい」と読むらしいです。「あっぱれ」ではなく。#安芸支局 https://t.co/GK3iEqrN2z」 / X]], [TIME[午前2:46 · 2015年10月30日][2015-10-29T17:46:46.000Z]], [TIME[2024-02-18T09:53:09.000Z]] <https://twitter.com/Atsuo_NGS_Asahi/status/659788480378093568/photo/1>
-- [365] [CITE[朝日新聞]]記者
- [232] 
[CITE@ja[Xユーザーのゲッター・ショーンさん: 「これが私年号「天晴(てんせい)」か https://t.co/G4tpdQPSi0」 / [[X]]]], [TIME[午後1:46 · 2021年6月23日][2021-06-23T04:46:57.000Z]], [TIME[2024-03-07T12:31:38.000Z]] <https://twitter.com/GetterShown/status/1407560786529034244>
-- [233] 
[CITE@ja[Xユーザーのゲッター・ショーンさん: 「「天晴 丁卯 十月吉日」と刻まれている 慶応三年(1867年)のこと https://t.co/A18d4Lqjkw」 / [[X]]]], [TIME[午後1:48 · 2021年6月23日][2021-06-23T04:48:49.000Z]], [TIME[2024-03-07T12:31:38.000Z]] <https://twitter.com/GetterShown/status/1407561258618920960>
-
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[65] [CITE@ja[高知県安田町の古文書に「天晴」 龍馬の義兄が私年号記す|[[高知新聞]]]], 
2019.06.28 08:35,
[TIME[2021-06-25T02:53:32.000Z]] <https://www.kochinews.co.jp/article/288738/>
]FIGCAPTION]

>幕末の土佐で使われた私年号「天晴(てんせい)」の文字が書かれた古文書が27日までに、高知県安芸郡安田町で見つかった。坂本龍馬の義兄で安田町の儒学者、高松順蔵(1807~76年)が編んだ歌集にあった。中芸地域の古文書で確認されたのは初めて[SNIP[]]


]FIG]
-- [341] 消滅確認 [TIME[2024-03-09T07:09:47.000Z]]
-- [342] 
[CITE@ja[高知県安田町の古文書に「天晴」 龍馬の義兄が私年号記す|[[高知新聞]]]], [TIME[2024-03-09T07:09:30.000Z]], [TIME[2019-08-12T13:02:31.905Z]] <https://web.archive.org/web/20190812130214/https://www.kochinews.co.jp/article/288738/>

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[86] [TIME[2022-12-25T08:13:11.400Z]]
<https://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/download.php/AN00106199-20190000-0121.pdf?file_id=147073>
#page=54
]FIGCAPTION]

>
[VRL[
[BOX(set)[
[BOX(set)[
[BOX(left)[
謫居詩存〔二〕巻存巻上
]BOX]

[BOX[
和半
]BOX]
]BOX]

[BOX(right)[
[YOKO[[LINES[919][ト 363][1]]]]
]BOX]
]BOX]

[BOX(indent)[

[BOX(set)[
[BOX[
藤田東湖撰 門生等校
]BOX]

[BOX[
天晴元年(=慶応三年、一八六七)八月写(〔田宮穆風齋〕)
]BOX]
]BOX]

書写奥書「天晴元八月日寫於府之新街僑居/物水小史悌識」。「天晴」は土佐の一部で用いられた私年号。朱句点[BR[]]
等あり。識語:田宮虎次郎之悌、物水子帰、田宮子順悌、之春(いずれも本文同筆) *田宮道雄氏寄贈

]BOX]

]VRL]

]FIG]


- [205] 
[CITE@ja[Xユーザーのゲッター・ショーンさん: 「私年号「天政」 https://t.co/nWGRweWtvL」 / [[X]]]], [TIME[午前11:43 · 2021年10月24日][2021-10-24T02:43:23.000Z]], [TIME[2024-03-06T08:50:57.000Z]] <https://twitter.com/GetterShown/status/1452103396857561092>
-- [207] 
[CITE@ja[Xユーザーのゲッター・ショーンさん: 「近くにも私年号「天晴」 https://t.co/2G4inqYxg2」 / [[X]]]], [TIME[午前11:55 · 2021年10月24日][2021-10-24T02:55:13.000Z]], [TIME[2024-03-06T11:34:13.000Z]] <https://twitter.com/GetterShown/status/1452106376352657408>


]REFS]

*** 天政

[ITEMS[ [599] [[日時事例]]

- [5] 
[DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[高知県]][[高知市]][[春野町]][[西諸木]] [[森神社]]手水鉢]]
-- [204] 
「[DATA(.text)[[V[[LINES[天政元夘歳][[SNIP[]]][九月𠮷日[SNIP[]]]]]]」
[SRC[>>1, >>12, >>22, >>27]]
--- [405] 
「[V[天政元卯歳[BR[]]九月吉日  [SNIP[]]]]」
[SRC[>>375 (>>43) [V[[YOKO[(五)]]]]]]
-- [364] >>132 に銘文の一部のカラー写真
-- [203] >>12, >>22, >>27 に写真
-- [202] >>201 にカラー写真
-- [127] >>44 にカラー写真、銘文全体がよく読み取れる
-- [206] >>205 にカラー写真、字形が明確に読み取れる解像度
-- [391] >>375 に銘文部分の一部の白黒写真、一部判読しがたい
-- [406] 旧: [[吾川郡]][[春野町]]
- [600] 
[DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[高知県]][[安芸郡]][[東洋町]][[野根]]]] [[竈戸神社]] 右側[[狛犬]]台座裏面銘]]
-- [615] [[[RUBY[竈門][かまど]]神社][竈門神社]] [SRC[>>597]]
-- [601] 
[LAT[33.52219835596441]], [LON[134.25170928239822]] 付近か?
-- [617] 
「[DATA(.text)[[V[天政元年[BR[]]夘十一月日]]]]」 ([[楷書]])
[SRC[>>597]]
--- [618] >>597 にカラー写真、苔むして見づらいもののおおむね字形が判読できる解像度
-- [619] 「内田 葛籠 若中」 [SRC[>>597]]
-- [608] 
[TIME[令和8(2026)年2月][2026-02]]時点の[[高知県]]内報告用例中最東 [SRC[>>597]]




]ITEMS]


[620] 
[TIME[令和7(2025)年12月][2025-12]]、
[[日本国]][[高知県]][[香南市]]の[[古沢政光]]は、
[[竈戸神社]]で石造物銘の調査を行い、
[[天政]]紀年銘 (>>600) をたまたま確認しました。
[SRC[>>597]]

[616] 
[[日本国]][[高知県]][[安芸郡]][[東洋町]]の[[郷土史家]][[原田英祐]]は、
[[古沢政光]]からの連絡でこれ (>>600) を確認しました。
[SRC[>>597]]

[602] 
[TIME[2026-02-19]]、
[[日本国]][[高知県]]の[[新聞社]][[高知新聞社]]は、
これ (>>600) を把握しました。
[TIME[2026-02-20]]、
[CITE[高知新聞]]
は記事でこのことを伝えました。
[SRC[>>597]]


[621] 
[[高知県立高知城歴史博物館]]によると、
[[東洋町]]域の初の報告です。
[SRC[>>597]]

[622] 
地図によると[[竈門神社]]は山に少し入ったところにあるようですが、
そのすぐ麓の集落が[[内田]]です。
川を挟んでその対岸にある集落が[[葛籠]]です。
[[竈門神社]]は、この2つの地区の氏神です [SRC[>>597 ([[原田英祐]])]]。
銘文に「若中」とある通り、当時の両地区の青年団が建立した狛犬と推測されます
[SRC[>>597 ([[原田英祐]])]]。

[623] 
この用例は、 [CH[天]]が [CH[[V[一大]]]] のような字形となっているのが特徴的です。
[SRC[>>597]]


[REFS[

-
[132] 
[CITE@ja[[[X]]ユーザーのうっじーさん: 「資料館の人に教えてもらった 天政年号のある神社。 全国で天晴、天星の年号は 数件発見されているが 天政はここだけだそう。 https://t.co/QXYgUYSOkv」 / X]], [TIME[午後1:13 · 2019年4月21日][2019-04-21T04:13:47.000Z]], [TIME[2024-02-18T09:53:09.000Z]] <https://twitter.com/uuu_uj/status/1119816475877920768>
- [597] 
[CITE@ja[幕末の私年号「天政」東洋町でも 高知県内発見例、より東に 竈戸神社のこま犬で確認 | [[高知新聞]]]], 
[[人見彩織]],
2026.02.20 08:33,
[TIME[2026-02-21T08:23:52.000Z]] <https://www.kochinews.co.jp/article/detail/973338>
(本文要登録[無料]、銘文写真は閲覧可能)
-- [598] 
[CITE[a6d7688b8b234c10253d149a6c84559da981f8ba.jpg (JPEG 画像, 1200 × 737 px)]], [TIME[2026-02-19T10:16:13.000Z]], [TIME[2026-02-21T08:24:53.526Z]] <https://images.www.kochinews.co.jp/media/article/973338/images/a6d7688b8b234c10253d149a6c84559da981f8ba.jpg>
- [642] 
[CITE@ja[ひまわり乳業株式会社 | 牛乳を飲んで健康な毎日]], [TIME[2026-03-02T03:26:48.000Z]] <https://www.himawarimilk.co.jp/diary/?No=8346>
-- [643] 
[CITE[20260220-08346.jpg (JPEG 画像, 640 × 480 px)]], [TIME[2026-02-19T23:02:30.000Z]], [TIME[2026-03-02T03:27:25.572Z]] <https://www.himawarimilk.co.jp/diary/photo/2026/02/20260220-08346.jpg>
--- [644] 新聞記事カラー写真 (低解像度、判読困難)



]REFS]


*** その他の表記

[ITEMS[ [604] [[日時事例]]

- [7] 
[DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[高知県]][[安芸郡]][[田野町]][[大野]]]] [[大山祇神社]] 手水鉢]]
[SRC[>>182]]
-- [611] [[[RUBY[大山[CH[祇]]][おおやまづみ]]神社][大山祇神社]] [SRC[>>597]]
-- [610] [[大山[CH[祗]]神社]] [SRC[?]]
-- [614] 山ノ神様 [SRC[>>613]]
-- [181] 
「[DATA(.text)[天星元夘九月𠮷辰日]]」
[SRC[>>1, >>2]]
-- [609] 
[TIME[令和8(2026)年2月][2026-02]]時点の[[高知県]]内報告用例中旧最東
(新第2位) [SRC[>>597]]




]ITEMS]

[317] 
[TIME[2019-03-14]]の新聞記者の取材に対し、
森神社 (>>5) を毎月掃除しているという地元の女性(60歳)は、
[[天政]]のことを全く知らなかったと語っています。
[SRC[>>1]]
関心を持っていない人にはまったく気付かれずにいたようです。


[535] 
他に[[天成]]があるとされます [SRC[>>47]] が、不明です。





*** 証言


[249] 
明治二十二・三年([TIME[1889]],[TIME[1890]])頃、
[[高村晴義]] (>>421) は[[神峯神社]]の石灯篭 (>>6) の「天晴元年」
に気づき、
堂守に質問して回答を得ました。
[SRC[>>420 (>>375)]]

- [422] 慶応3年のことである
- [423] 当村 = [[日本]][[土佐国]][[安芸郡]][[安田村]]から2,3人の士が上京していた
-- [424] [[京都]]や[[大阪]]の情報は折々伝えられていた
-- [425] うち1人から、
この頃国内の不安なるにつき年号を改めてこの妖気を攘うと朝廷で議論されている、
と連絡があった
- [426] 当時この石灯篭 (>>6) の建立を計画していた
-- [427] ならばいい機会なので新元号の銘文としようと話していた
- [428] 来年は天晴と改元されるとのこと、と2回ほども通知があった
-- [429] それで天晴で建立した
- [430] ところが改元されてみれば[[明治]]になっていた
- [431] 村民一同残念だったが改刻する力もなくそのままとなった

[432] 
堂守は当時をリアルタイムで経験した人でしょうか。貴重な証言です。
ただ当時から聞き取りまで20年強 ([[高村晴義]]は30歳くらい)、
聞き取りから発表まで更に50年強 ([[高村晴義]]は75歳くらい)
と随分と時間が経っている
[SRC[>>420 (>>375)]]
のは不安材料です。

[NOTE[

[433] 
これをそのまま信じるなら、

- [434] 慶応2年かそれ以前に改元計画の噂が流れてきた
- [435] 慶応2年に「慶応3年が天晴元年」の噂が2回流れてきた
- [436] 慶応2年かそれ以前に石灯篭の計画があった
-- [439] 慶応2年か慶応3年に銘文を確定した
- [437] 銘文決定後 (銘文の日付の前か後かは不明 = 慶応2年から慶応4年の間)
に誤情報と判明した

ということになります。

[438] 
しかしその後いつしか改元情報があったので石灯篭を立てることにしたと解釈されるようになります
(例えば >>283, >>251)。

[381] 
[[平成時代]]の研究者が[[代替わり]]による[[改元]] (史実の[[明治改元]])
の誤解説を取っていますが、この証言では政情不安としか言っていないことには注意が必要かもしれません。
[[代始改元]]なら慶応2年12月の[[孝明天皇]]の[[崩御]]まで
([[尊王]]云々を抜きにすれば慶応2年7月の[[徳川家茂]]の死去まで)
しか噂の始まりは遡り得ないことになりますが、
政情不安が改元理由ならそれ以前から出回っていた噂の可能性があります。

[570] 
慶応2年は[[第二次長州征伐]]をはじめ混乱の年でした。

[461] 
[[天政]]が[[慶応]]度の[[公年号]]候補から生じたデマとする説 (>>10)
に従えば[[慶応]]の[[改元定]]の頃まで遡る可能性があるわけです。




]NOTE]

;; [466] この証言に従えば、
この地域が[[土佐]]における[[天晴]]の発信源の1つだったということになるでしょうか。
それが[[土佐]]における唯一の発信源なのか、
他の地域にも同じような連絡があったのか、
というのも興味深い問題です。

;; [467] [[安田村]]の旧家に当時の連絡の現物が残っていたりしないのですかね?
さすがにもう調査はされていますかね?

*** メモ


[562] 
これらの資料の時代について、慶応3年説が成立して以来個別に詳細に検討されていないように見えるのですが、

- [563] 「丁卯」か「卯」と書かれたものが多い
- [566] >>66 の筆者の活動時期
- [564] [[明治時代]]の人の証言 (>>249)
- [565] [[明治時代]]のものと対にされている[[石灯篭]]がある (>>561)
- [567] [[石灯篭]]は数百年も前のものではない (>>282)
- [568] >>15 の前後関係

から総合的に判断して、やはり慶応3年で妥当と考えられます。
ただ、個別の遺物の様式や銘文の内容などからそれぞれの時代を判定する基礎的な作業は改めて行われるべきです。






** 徳島

[ITEMS[ [[日時事例]

- [8] [DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[徳島県]][[三好市]]]] [[太鼓]]]]
-- [471] 
「天政」
[SRC[>>1, >>468]]

]ITEMS]

** 福岡

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [9] 
[DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[福岡県]][[宗像市]]]] 文書]]
-- [52] [[戦国時代]]の[[宗像氏]]の内紛を描いた書物の写本 [SRC[>>47, >>468]]
-- [198] 書写[[奥書]] 
「[DATA(.text)[[V[天政元𭘾[BR[]]    丁夘十月吉[ASIS[祥][丰、]]日[SNIP[]]]]]]」 ([[楷書]])
[SRC[>>38, >>468]]
-- [199] >>468 にカラー写真あり
-- [200] >>116 にカラー写真あり

]ITEMS]

[53] 
[TIME[平成31(2019)年3月][2019-03]] [SRC[>>1, >>47, >>468]]、
[[高知近代史研究会]]の会長 [SRC[>>47, >>468]]
で[[日本国]][[高知県]][[高知市]]の [[NPO]]
[[地域文化計画]]の理事 [SRC[>>1]]
の[[今井章博]]が[[日本国]][[福岡県]][[宗像市]]の古書店で入手しました
[SRC[>>47, >>468]]。
市 [WEAK[([[宗像市]]か)]] 内の寺に関する文書でした。
[SRC[>>1]]
[[令和改元]]直前の[TIME[平成31(2019)年4月][2019-04]]に新聞で報じられました
[SRC[>>38]]。


[571] 
書写者と思われる[[人名]]がありますが、どのような人物かはわかりません [SRC[>>196]]。

[REFS[

- [38] 
[CITE@ja[私年号「天政」 福岡でも? 本県研究者 宗像市古文書で確認|[[高知新聞]]]],
[TIME[2019.04.26 14:35][2019-04-26T14:35]]
([TIME[2019-07-16 16:59:58 +09:00]]) <https://www.kochinews.co.jp/article/272657/>
-- [197] 消滅確認 [TIME[2024-03-06T11:46:06.00Z]]
-- [46] [CITE@ja[楢山おろかさんは[[Twitter]]を使っています 「『高知新聞』私年号「天政」 福岡でも? 本県研究者 宗像市古文書で確認 https://t.co/gWI8ydCF0Y 出処はきっと早川勇だろうけど、興味深いのは、情報通の加瀬屋、若手勤王派の山中立木や祝部波門なんかの記録にない=福岡城下には到達してなさそうなところで早川の勢力範囲が見えそうなあたり」 / Twitter]], 午前10:15 · 2019年4月27日 [TZ[+09:00]], [TIME[2021-01-28T06:38:42.000Z]] <https://twitter.com/oroka0219/status/1121945934328262656>
--- [196] 
[CITE@ja[Xユーザーの楢山おろかさん: 「または、早川は知ってて使わなかったけど早川の周りに使ったひとがいた、ぐらい、とか。城戸(山崎)吉近って誰やっけな、っていうか、「写之」ってあるけどその史料何だべな」 / [[X]]]], [TIME[午後0:37 · 2019年4月27日][2019-04-27T03:37:49.000Z]], [TIME[2024-03-06T08:59:48.000Z]] <https://twitter.com/oroka0219/status/1121981749695635456>
- [47] [CITE@ja[ななづきさんは[[Twitter]]を使っています 「無茶苦茶ワクワクする記事。私年号「てんせい」の伝達には三条実美さん周辺の志士が関わってた!? https://t.co/PxmvHl7tCF」 / [[Twitter]]]], 午後6:37 · 2019年4月26日 [TZ[+09:00]], [TIME[2021-01-28T06:10:13.000Z]] <https://twitter.com/nana_duki/status/1121709890311901186/photo/1>
-- [468] 写真: >>38 の紙版
--
[122] [CITE@ja[Xユーザーのななづきさん: 「天晴に関する資料やっと見つけた ちゃんと整頓しなさい 土佐歴史余話の『私年号「天晴」あれこれ』 天晴が彫られた灯篭のある寺 安田村から上京した士が、慶応3年に「天晴と改元ある由」と通知したと伝えられているらしい 下のツイの記事と合わせてワクワクする https://t.co/NKwTW7cf65」 / [[X]]]], [TIME[午後11:39 · 2022年9月23日][2022-09-23T14:39:12.000Z]], [TIME[2024-02-14T05:25:44.000Z]] <https://twitter.com/nana_duki/status/1573321087387303937>
-- [128] [CITE@ja[Xユーザーのななづきさん: 「『天晴』だ! https://t.co/gs1r4sh7Li」 / X]], [TIME[午後9:19 · 2022年9月22日][2022-09-22T12:19:54.000Z]], [TIME[2024-02-18T09:53:09.000Z]] <https://twitter.com/nana_duki/status/1572923641347870722>
-- [129] 
[CITE@ja[Xユーザーのななづきさん: 「@ambujam10 土佐の東部、安田に住んでた龍馬の義理の兄の順蔵さんも『天晴』の年号を何かに書き残してたはず(うろ覚え) 誰が持ち帰って広めたのか気になるんですよね」 / X]], [TIME[午後2:26 · 2022年9月23日][2022-09-23T05:26:43.000Z]], [TIME[2024-02-18T09:53:09.000Z]] <https://twitter.com/nana_duki/status/1573182049887846402>
-- [130] 
[CITE@ja[Xユーザーのななづきさん: 「そういえば、安田のギャラリーの展示に、順蔵さん編著の歌集で『天晴』の年号が使われている事が紹介されていました。「天晴のはしめの年 神無月しるす」とあるそうで。誤っている事をわかった上で使っているのだろう的な説明でした。 順蔵さんがこの年号を使いたいと思った理由は何だろう?」 / X]], [TIME[午後10:57 · 2019年10月11日][2019-10-11T13:57:56.000Z]], [TIME[2024-02-18T09:53:09.000Z]] <https://twitter.com/nana_duki/status/1182656580581543937>
--
[134] 
[CITE@ja[Xユーザーのななづきさん: 「なぬ!?絵金の贋作、追放事件は無かった!?藩の記録に見当たらないとな?さてさて、どうなんだろー?読んでみたいなー。 絵金さんも『天晴』使ってたのかー。この年号かなり広まってたんですね。 https://t.co/TsS93xVZ7Q」 / X]], [TIME[午後5:39 · 2018年8月21日][2018-08-21T08:39:27.000Z]], [TIME[2024-02-18T09:53:09.000Z]] <https://twitter.com/nana_duki/status/1031823081906393088/photo/1>







[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[116] [CITE[[[ねんごう]] の写真・画像 : 報道写真・ニュース映像ならKYODO NEWS IMAGELINK(イメージリンク)]], [TIME[2022-12-29T09:39:50.000Z]] <https://imagelink.kyodonews.jp/search?product_type=1,2,11&keyword=%E3%81%AD%E3%82%93%E3%81%94%E3%81%86&opendetail=8893991>
]FIGCAPTION]

>登録日時: 2019年04月27日 17:20:22
>「天政元年」の記述 民間年号「てんせい」の謎
>「天政元年」と記述された福岡県の寺の資料
>    提供元: 共同
]FIG]

]REFS]


** 飛騨

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [351] [DATA(.label)[[[高山御用所]]宛 [DATA(.addr)[[[日本]][[飛騨国]][[益田郡]][[中呂村]]]]名主四郎兵衛文書]]
-- [352] 
「[DATA(.text)[[V[天政元[SUP[辰]]年[BR[]]       二月]]]]」 ([[草書]])
[SRC[>>82]]
-- [353] >>82 に白黒写真あり、低解像度ながらも日付部分は判読可能

]ITEMS]

[354] 
この文書は[TIME[昭和62(1987)年][1987]]に自治体史で紹介されました。
[SRC[>>82]]
いつから知られていたかは不明です。

[355] 
自治体史では「天政元年」という[[元号]]に注意を促しながらも、
それが何であるかには踏み込んでいませんでした。
[SRC[>>82]]
そのためか[[私年号研究]]の分野では[[令和時代]]に至るまでまったく見落とされてきました。

[356] 
この文書は、[TIME[慶応4(1868)年][1868]]2月に[[明治政府]]が長寿者表彰のため各村に報告を求めたものに対する回答とされます。
[SRC[>>82]]
[[日付]]に[[十二支年]]が「辰」と明記されていることからも、
「天政元辰年」が[TIME[慶応4(1868)年戊辰][1868]]を指すことがわかります。

[357] 
慶応3年卯が元年の西日本の「てんせい」と違って慶応4年辰が元年であることに注意が必要です。
また、[[飛騨]]では[[幕末]]に一時[[亀光]]が使われたこともありました。

[358] 
旧[[幕府領]]で[[明治政府]]が接収して間もない[[飛騨]]地域の山村という位置も注目されます。
[[明治政府]]からの指示が到達し、素直に回答するような行政の状況において、
[[明治政府]]が制定していない[[元号]]が公然と使われ、上位行政機関に提出されたものです。

[REFS[

- [82] [CITE@ja-JP[[[萩原町史]] 第3巻 (南飛騨の夜明け)]], [[萩原町史編集室]], [TIME[1987.6][1987]], [TIME[2022-12-21T08:14:19.000Z]], [TIME[2022-12-23T13:09:45.856Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9540518/1/203> (要登録)

]REFS]




* 受容

[71] 
用例が多数見つかっている[[日本国]][[高知県]]では比較的関心が髙いようです。

[72] 
[[令和改元]]の前後には特に関心が高まったようで、
イベント開催や[[メディア]]での紹介が複数回ありました。
新史料の発見もありました。
([[亀光]]の状況とも似ています。)

[62] 
[[令和改元]]をきっかけに関心が高まり新発見があったり、
それに因んだ命名 (>>55) があったりしたようで、
[[改元]]のメリットを享受した幸運な[[私年号]]ですねw


-*-*-



[173]
[TIME[平成22(2010)年][2010]]の[[日本国]][[高知県]]の[[高知県坂本龍馬記念館・現代龍馬学会]]の会員[[唐石淳子]]の記述によると、
[[日本国]][[高知県]][[南国市]][[領石]]の[[天満宮]]石灯籠 (>>29)
の[[私年号]]用例には従来地元ではまったく関心を払ってきませんでした。
銘文は風化が進み、どうにか保存できないのかと困っていたようです。
[SRC[>>28]]




[157] 
[TIME[2015-08-16]]、
[[南国市立中央公民館]]開催の[[南国史談会]]例会の第38回は
「幕末土佐でのみ使用された私年号「天晴」」
がテーマでした。
[SRC[>>156]]


;; [159] 
[[南国史談会]]は[[南国市]]を中心とした歴史・文化の研修を行う公民館のサークルとして登録されています
[SRC[>>158]]。例会の連絡先は市役所になっており [SRC[>>156]]、
市からある程度のバックアップもあって活動していると思われます。

[311] 
平成29年末から平成30年にかけて、[[日本国]][[高知県]][[高知市]]の[[高知城歴史博物館]]では、
[[天晴]]の写真展が開催されました。
[SRC[>>69, >>17]]


[154] 
[[令和改元]]直前の[TIME[2019-02-23]]、
[[日本国]][[高知県]][[安芸郡]][[田野町]]で
「幕末の土佐で使われた謎の私年号「てんせい」を探すツアー」
と銘打った[[田野町]]大野地区の[[大山祗神社]]の見学会がありました。
[SRC[>>153]]

[359] 
[TIME[2019-03-27]]には、
[[天晴]]関係の活動を続ける[[日本国]][[高知県]][[高知市]]の [[NPO]]
[[地域文化計画]]がトークイベントを開催しました。
[SRC[>>70]]






[323] 
[[令和改元]]のあった[[10連休]]には、
[[高知県立歴史民俗資料館]]で特別展があり、
[[天晴]]銘棟札 (>>36)
の実物が初展示されました。
[SRC[>>322, >>41]]

[345] 
[TIME[令和元(2019)年7月][2019-07]]には、
[TIME[令和元(2019)年6月][2019-06]]までに認知されたばかりの[[高松順蔵]]の用例 (>>66)
が[[日本国]][[高知県]][[安芸郡]][[安田町]]の企画展で展示されました。
[SRC[>>65]]


[121] 
地元では観光名所として扱われているようです
[SRC[>>131]]。

[187] 
その他[[高知県]]の自治体のウェブページや広報誌、
観光関係、
歴史関係、
登山関係、
一般のブログ記事などでしばしば紹介されています
[SRC[>>183, >>169, >>185, >>156, >>182, >>158, >>213, >>235, >>252, >>262, >>266, >>267, >>268, >>37, >>67, >>33, >>39, >>27, >>68, >>179]]。

[188] 
裾野が広がるとどうしても怪しげな説明も出てくるもので、
「使用されることのなかった“幻の年号”」が使われているという不思議な解説
[SRC[>>185]]
もあったりします。

;; [339] 
「公年号に採用されるといわれていたが採用されなかった幻」という意味で書いたのですかね?
背景知識がなければこれだけ読んでそう解釈するのは不可能ですが...


[195] 
[[令和]]の新元号の発表の前日[TIME[2019-03-31]]には、
[[BS-TBS]]
の特番で[[天晴]]も紹介されたようです。
[SRC[>>194]]
番組内容は不明ながら、 
[[SNS]]
での反応によればあまり品質はよくなかったようです [SRC[>>193]]。

[370] 
[[令和時代]]初期の[[九州王朝]]説の支持者のブログ記事では、
[[陰謀論]]の材料として[[古代年号]]との対比で使われたりもしています。
[SRC[>>99]]
(過去の学説から自説に都合のいい部分だけ切り取って繋げたに過ぎず、
[[天晴]]に関する引用を除けば主張の根拠も示されていません。
[SEE[ [[九州年号]] ]])

[458] 
[[令和改元]]直後に発行された[[オカルト]]雑誌の[CITE[ムー]]の記事で、
[[私年号]]を取り上げたものがあります。
[[私年号]]の事例として[[天晴]]を紹介していました。
それ自体は普通の紹介なのですが、
そして妖怪の[[油取り]]と関係があるのだ、
と強引な展開に持ち込んでいます。
[SRC[>>269]]
(そういう芸風の雑誌です。)

;;
[459] 
強引な結びつけではあるのですが、
郷土史家の真面目な論文でも (本論とは関係ないとはいえ)
[[天晴]]から[[あぶら取り一揆]]に無理につなげている事例があります
(>>457)。
[CITE[ムー]]の記事執筆者はそれに着想を得たのか 
([[私年号]]の解説は真面目にしているので論文を細部まで読み込んでいたとしても不思議ではありません)、
それとも偶然の一致なのか、どちらでしょうね。


[REFS[

- [171] 
[CITE@ja[土佐と南海道 ([[街道の日本史]] ; 47) | NDLサーチ | 国立国会図書館]], [TIME[2024-03-05T08:59:39.000Z]] <https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000008374119>
- [235] 
[CITE@ja[digidepo_3489443_po_1000-6700.pdf]], [TIME[2024-03-07T13:35:09.000Z]] <https://www.dl.ndl.go.jp/view/prepareDownload?itemId=info%3Andljp%2Fpid%2F3489443&contentNo=1#page=7>
下

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[179] 
[CITE[峠データベース・詳細表示:[[鈴ヶ峠]](高知県吾川郡仁淀川町峰岩戸/日浦)]], [TIME[2024-03-05T09:28:39.000Z]] <http://pdb.the-orj.org/view.php?no=3221>
]FIGCAPTION]

>[SNIP[]]峠には私年号「天晴」(慶応三年)の銘のある灯明台がある。同様の「天晴灯明台」は他に安田町の神峰神社、安芸市の春日神社にあるそうだ。(「土佐の峠風土記」) 
]FIG]

;; [180] [CITE[土佐の峠風土記]]は[TIME[平成3(1991)年][1991]]出版。


- [183] 
[CITE@ja-JP[[[土佐史談]] (200)]], [[土佐史談会]], [TIME[1996-01]], [TIME[2024-02-01T05:12:54.000Z]], [TIME[2024-03-05T12:05:55.496Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/7913143/1/21> (要登録)
右上
- [169] 
[CITE@ja-JP[[[土佐史談]] (206)]], [[土佐史談会]], [TIME[1997-12]], [TIME[2024-02-01T05:12:54.000Z]], [TIME[2024-03-05T08:55:46.778Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/7913149/1/27> (要登録)
右下

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[185] 
[CITE@ja[[L[[[[I[不思議の森から]]]] Volume 22]]]], 
[L[April 2010]],
[TIME[2022-03-16T08:43:05.000Z]], [TIME[2024-03-05T12:19:36.364Z]] <https://www.yokogurayama-museum.jp/wp-content/uploads/2022/03/vol_22.pdf>
]FIGCAPTION]

>
[LEFT[
[B[•鈴ヶ峠]] 黒森山(1017.3m)北西麓に位置する峠(822袤)。[BR[]]
使用されることのなかった“幻の年号”「[RUBY[天晴][てんせい]]」[SUP[※2]] 〔慶応[BR[]]
3(1867)年;明治の前年〕の入った石灯籠(「[RUBY[月燈][がっとう]]」:[BR[]]
本体高さ1.85㍍,砂岩製)がある。[SNIP[]]
]LEFT]

>
[LEFT[
※2 県内ではこの他、安田町・赤岡町・土佐山田町・春野町のみ[BR[]]
で使用された私年号。
]LEFT]

]FIG]

- [37] 
[CITE[旧[[松山街道]]歩きから帰宅しました。: あ~ぴょんの「ちょっと書いてもうか」ブログ編]],
[TIME[2010年4月25日 (日)][2010-04-25]]
([TIME[2019-07-16 16:52:43 +09:00]]) <http://a-pyon.cocolog-nifty.com/apylog/2010/04/post-99fb.html>
-- [304] 消滅確認 [TIME[2024-03-09T05:02:59.200Z]]
- [262] 
[CITE@ja[Œ{Ł¶14-15.ai - 201010.pdf]], [TIME[2011-02-23T06:52:58.000Z]], [TIME[2024-03-08T12:39:53.673Z]] <http://www.town.ochi.kochi.jp/upld/files/soumu/kouhou/2010/201010.pdf#page=17>
-- [265] 引用: >>81

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[39] [CITE@ja[鈴ケ峠(旧吾川村~旧池川町) [[私年号]]『天晴』 : 茶凡遊山記]],
[[ky_kochi]],
[TIME[2019-03-30 12:00][2019-03-30T12:00]],
[TIME[2019-07-16 17:06:25 +09:00]]
<https://chabon.exblog.jp/30513868/>
]FIGCAPTION]

>日本史年号には現れない幻の私年号「天晴」が、土佐から伊予へのかつての往還道「旧松山街道(黒森越え)」の、「鈴ケ峠」(すずがとう)に残る灯明台に刻まれている。
>[SNIP[]]
> 画像はすべて平成23年8月のものだが、元号改正が2日後に迫るなか、私年号「天晴」を思い出したので、昔の記憶と記録を掘り起こしておこう。



]FIG]



- [67] [CITE@ja[でんでんむしの詞(うた): [[天晴]]元年]], 
[[tsurarenaisakana1]],
2012/9/22 (土) 18:27,
[TIME[2021-01-25T08:35:21.000Z]], [TIME[2021-06-25T04:25:50.704Z]] <https://dendenmushi1.blogspot.com/2012/10/blog-post_7431.html>
- [156] 
[CITE@ja[18〜19ペ−ジ.pdf]], [TIME[2024-03-05T08:07:49.000Z]] <https://www.city.nankoku.lg.jp/download/?t=KHN&id=111&fid=21911#page=1>
右

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[268] 
[CITE@ja[佐川が生んだ偉人・田中光顕やジョン万次郎らが往き来した旧松山街道とは: 仁淀ブルー スタッフ[[ブログ]]]], 
2016年10月21日,
[TIME[2024-03-08T13:14:56.000Z]] <http://niyodogawa.seesaa.net/article/442997939.html>
]FIGCAPTION]

>ここに来たかったというメンバーが多かったように思います。
こことは鈴ヶ峠にある「天晴年号の入った灯明台」。
慶應の次の年号は明治ですが、慶應の次が天晴であったという幻の年号が彫刻されています。慶應3年が天晴元年であったという説が高知の随所に残っています。
摩訶不思議。
]FIG]

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[33] 
[CITE@ja[【ブックマンの読書道 vol.37】... - [[高知市民図書館]]「しみんの図書館」 | Facebook]],
[TIME[2017年11月4日][2017-11-04]] ([TIME[2019-07-16 16:48:14 +09:00]]) <https://www.facebook.com/431200447032915/posts/931209397032015/>
]FIGCAPTION]

>
そんな高知にしかなかった年号の名前は「天晴」。天が晴れると書いて天晴という文字になります。実に高知の人らしい命名かなと思います。また他にも、天の政(まつりどころ)と書いて「天政」や天の星と書いて「天星」というのも1例ずつあるそうです。話を戻して天晴について。この天晴の面白いところは、幕末の高知にそんな私年号があったところも面白いと思いますが、残っている史跡のほとんどに住民や地域の周知・合意があった点だと思います。高知県下でこの「天晴」は10例ほど見つかっているのですが、そのうち9例は組織性があると見られています。それほど、当時の世直し・時代の移り変わりを住民は感じていたのかなと感じます。そんな情報がこの「南国史談 39号」には記載がされています。
]FIG]

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[267] 
[CITE@ja[師走益々天晴! | サンドリヨンのブログ☆正統派歴女いざ参る!]], 
2017-12-28 23:49:52,
[TIME[2024-03-08T12:59:14.000Z]] <https://ameblo.jp/3091nh/entry-12340013222.html>
]FIGCAPTION]

>故郷 「高知」 では、その幕末期の終わりに、突如現れて消えた幻の年号があるという。 それが 「天晴」 というもの・・・・・
>
なんとも晴れ晴れしたような素敵な年号ではないか! (#^.^#)
>
幕末の慶応3年 1867年 ・・・・・。 この年号は、高知だけでなくお隣の徳島県でも、使われていた形跡がある。 発見した方は、主に神社などの石灯籠や絵馬から知ったようだけれど、どうも大政奉還後の日本において、幕末動乱の中で日本国内外の国難を追い払おうと、
>
改元 がなされるという噂が、京より地方に伝えられたことが発端らしい。
>
あくまでも 噂 であって、 「明治」 の年号が現れるのは、この
>
翌年1868年9月8日なのだが、先に出てしまったこの噂によって、
>
「天晴」の年号だけが、どこから出たのかわからないが、すでに一人歩きで使われていたというもの・・・・・。

>土佐の高知で幕末に、突如現れた「天晴」という年号・・・・・
>
こうした年号は、 「私年号」 といって、正史にはその名を残さないモノを言うらしいが、坂本龍馬や中岡慎太郎 土佐でいうならば、
>
土佐勤王党など・・・・・。 何かともの騒ぎな事柄も続いていました。
>それまでの何かが、何かわからないがとんでもなく大きく変わろうとしているようだと、人々もそれぞれに何かを悟っていたんではと思います。 そんな不穏な空気を吹き飛ばしそうな「天晴」という私年号は、もしかしたら字のごとく!
>
その何かを、吹き飛ばしてどこまでも晴れた空のように、パッと明るくなってくれというような・・・・・、そんな意味合いもあったのかもしれませんね。 だからこそ・・・・、噂を噂と思ってなかったのか・・・・いや、噂だと知っていながらも、すでにこの私年号が使われたんだと思います。
>
主に神社などで、見つかっているのを見ると、やはり時代の変わり目に、これまでにない変化を、求めていたのかもしれません。 そして祈っていたのかも・・・・・・。

]FIG]

- [69] [CITE@ja[写真展 土佐の私年号『天晴』 - [[高知城歴史博物館]]]], [TIME[2021-06-25T04:39:05.000Z]] <https://www.kochi-johaku.jp/program/2121/>
- [17] [CITE@ja[幕末土佐の私年号「天晴」 刻んだ石碑や絵馬写真展 高知城博館|[[高知新聞]]]],
[TIME[2018.01.25 08:20][2018-01-25T08:20]],
[TIME[2019-07-16 16:04:25 +09:00]]
<https://www.kochinews.co.jp/article/154840/>
-- [312] 消滅確認 [TIME[2024-03-09T05:47:34.300Z]]
--
[133] 
[CITE@ja[Xユーザーの高知新聞さん: 「【[[高知新聞]]1月25日の朝刊から】 幕末土佐の私年号「天晴」 刻んだ石碑や絵馬写真展 高知城博館 https://t.co/JJr3FWr7vW #高知新聞 #天晴 #年号 #幕末土佐 #高知城歴史博物館 #写真展 https://t.co/akiDP3Zl6e」 / X]], [TIME[午前10:09 · 2018年1月25日][2018-01-25T01:09:13.000Z]], [TIME[2024-02-18T09:53:09.000Z]] <https://twitter.com/Kochi_news/status/956333100891480064>


[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[266] 
[CITE@ja[新元号発表!その時何をしていた? | サンドリヨンのブログ☆正統派歴女いざ参る!]], 
2019-04-02 23:36:34,
[TIME[2024-03-08T12:45:29.000Z]] <https://ameblo.jp/3091nh/entry-12451561744.html>
]FIGCAPTION]

>今回は
>
何かと以前書いたブログ記事の引用が多くなるが、土佐には幻の元号が存在している。 その謎の元号と言われた 「天晴」 というものは 「てんせい」 と読み、土佐の東部・中部他 徳島県の三好でも見つかっていて、探せばもしかしてもっと出るかもしれないものだ。 以前そんな幻の元号の事を知って、学んでいるという地元高知県の学生の話題を目にしたこともあったが、一緒に記されている干支が・・・・・ 
>
1867年 慶応3年 の頃を指すとされていて、これが幕末動乱の世の中で、人々の間に広まっていた元号だったとわかっている。
>
明治改元は 1868年 9月8日・・・・・・ 
>
その一年前には、既に土佐においては新元号として、広まっていたという事になる。 幕末から明治維新への間の日本国では、様々な事柄があったことは知ってらしゃると思うが、「天晴」と書くだけに・・・・
>
その元号に込めた祈りは強い。 他にも日本では、1884年 明治17年に蜂起した秩父困民党が使ったとされている 「自由自治」 なる元号もあるそうだよ。 日本国中探してみると、いろいろと出てくるかもね。 こうゆうものは、文書や金石文の中に、正史にはその名を残さない年号・・・ 私年号 と言うらしい。 


]FIG]

- [2] [CITE@ja[謎の年号「てんせい」探せ 幕末土佐の文書などに13例 田野町「天星」を見学|[[高知新聞]]]],
[TIME[2019.02.25 08:45][2019-02-25T08:45]]
([TIME[2019-06-24 18:36:42 +09:00]]) <https://www.kochinews.co.jp/article/256460/>
-- [314] 消滅確認 [TIME[2024-03-09T05:52:31.300Z]]
-- [153] 
[CITE@ja[謎の年号「てんせい」探せ 幕末土佐の文書などに13例 田野町「天星」を見学|[[高知新聞]]]], 
2019.02.25 08:45,
[TIME[2024-03-05T07:52:28.000Z]], [TIME[2019-03-01T17:04:49.519Z]] <https://web.archive.org/web/20190301165446/https://www.kochinews.co.jp/article/256460/>
-
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[70] [CITE[地域文化計画×高知 [[蔦屋書店]] トークイベント 「謎の年号『てんせい』をめぐって」 | イベント | 高知 [[蔦屋書店]] | 蔦屋書店を中核とした生活提案型商業施設]], [TIME[2021-06-25T04:40:08.000Z]] <https://store.tsite.jp/kochi/event/shop/5313-2101240316.html>
]FIGCAPTION]

>幕末の一時期、高知県内の限られた?地域で使われた年号―てんせい。天晴・天政・天星、と様々に漢字があてられ、灯篭や狛犬などの石造物に刻印された実在しない年号は、何を意味し、なぜ高知県の一地域でだけ使われたのか。謎の年号をめぐり、近年新たに見つかった資料を含め、県内各地の事例の紹介と年号の謎について語り合う。
>【登壇者】 
>
濱田眞尚(南国市文化財審議委員)
>
小林和香(地域文化計画 理事長) 
>
今井章博(地域文化計画 理事、高知近代史研究会会長)

>    日程 2019年3月27日(水) 
]FIG]
-- [539] 
[CITE@ja[地域文化計画×高知 [[蔦屋書店]] トークイベント 「謎の年号『てんせい』をめぐって」 | Facebook]], [TIME[2024-03-10T13:53:48.000Z]] <https://www.facebook.com/events/645292852568583/?ref=newsfeed>
-- [540] 
[CITE@ja[地域文化計画 - 特定非営利活動法人 地域文化計画。ようやく法人となりました。 あす新年号発表ですが、... | [[Facebook]]]], 
2019年3月31日,
[TIME[2024-03-10T13:55:00.000Z]] <https://www.facebook.com/bunkakeikaku.kochi/posts/pfbid036oMgxuin8trpXKt3TdoADNmcrSGfmZszTB7TU4HY3EXFxcmX6U4MvhiV3dtPed52l>
- [1] [CITE@ja[謎の元号「てんせい」、漢字も3種類=幕末の高知、口頭で伝承?:[[時事ドットコム]]]],
[TIME[2019年03月25日13時49分][2019-03-25T13:49]]
([TIME[2019-03-26 12:15:48 +09:00]])
<https://www.jiji.com/jc/article?k=2019032500079&g=soc>
-- [315] 消滅確認 [TIME[2024-03-09T05:52:44.500Z]]
--[63] [CITE@ja[時事ドットコム([[時事通信]]ニュース)さんはTwitterを使っています 「【謎の元号「てんせい」、漢字も3種類】 日本の歴史上、採用されたことがない「てんせい」と読む元号が、高知県内の石造物や文書などに残されています。漢字表記は「天晴」「天政」「天星」の3種類です。 記事はこちら⇒https://t.co/2iAS7SLI1V https://t.co/1sJkEYMMjE」 / Twitter]], 午後2:36 · 2019年3月25日 [TZ[+09:00]], [TIME[2021-04-14T07:34:39.000Z]] <https://twitter.com/jijicom/status/1110052812736487424/photo/1>


[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[201] 
[CITE[ちょうず鉢の文字 民間年号「てんせい」の謎 (コード 2019042700391)の写真・画像:報道写真・ニュース映像の提供購入サービス:[[KYODO NEWS IMAGELINK]](イメージリンク)]], [TIME[2024-03-06T11:51:15.000Z]] <https://imagelink.kyodonews.jp/detail?id=8893994>
]FIGCAPTION]

>登録日時: 2019年04月27日 17:20:26
>[B[ちょうず鉢の文字 民間年号「てんせい」の謎]]
>高知市内の神社のちょうず鉢に刻まれた「天政元夘」

]FIG]

- [194] 
[CITE@ja[XユーザーのBS-TBSさん: 「/ 🌸新元号、公表まで あと2日⏰ \ あした3/31(日)よる6時 📺BS-TBS「#みんなの平成」 #中山秀征 #貴乃花 #伊集院光 #小島慶子 みんな大集合!👦👩👴👵 あなたも「平成エピソード」をツイートしよう! 抽選で5名様に💴QUOカード千円分を #プレゼント🎁」 / [[X]]]], [TIME[午後8:24 · 2019年3月26日][2019-03-26T11:24:52.000Z]], [TIME[2024-03-06T08:44:28.000Z]] <https://twitter.com/bstbs6/status/1110502875010990081>
-- [193] [CITE@ja[Xユーザーの似而非歴史学徒さん: 「@bstbs6 昨夜の私年号の説明はひどかった!私年号は幻ではないし、慶応は4年まで続いたので天青でなく明治に改元されたという説明も勘違い」 / [[X]]]], [TIME[午前11:38 · 2019年3月30日][2019-03-30T02:38:53.000Z]], [TIME[2024-03-06T08:44:28.000Z]] <https://twitter.com/sundayhistorian/status/1111820059263950849>
-
[252] 
[CITE@ja[なんこく19_3月号.indd - [[広報なんこく]](平成31年3月号).pdf]], [TIME[2024-03-08T10:19:22.000Z]] <https://www.city.nankoku.lg.jp/download/?t=KHN&id=178&fid=42804#page=15>
- [35] [CITE@ja[行事等のお知らせ(No.00041954) | [[高知県庁]]ホームページ]],
公開日 [TIME[2019年04月25日][2019-04-25]]
([TIME[2019-07-16 16:49:27 +09:00]]) <https://www.pref.kochi.lg.jp/press1/2019042300083/>
-- [322] 
[CITE@ja[行事等のお知らせ(No.00041954) | [[高知県庁]]ホームページ]], [TIME[2024-03-09T06:38:30.000Z]] <https://warp.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/11352744/www.pref.kochi.lg.jp/press1/2019042300083>
- [41] [CITE@ja[私年号「天晴」棟札:幕末土佐、「慶応」の次は… 南国で初公開 /高知 - [[毎日新聞]]]],
[TIME[2019年5月1日][2019-05-01]]
([TIME[2019-07-16 17:45:06 +09:00]]) <https://mainichi.jp/articles/20190501/ddl/k39/040/267000c>
- [27] [CITE@ja[幻の元号『天晴』 - 慶応3年の土佐にだけ残っちゅう私年号 - 史跡 | [[史跡]]・[[文化財]]]],
[[オンチャン(とさっぽ)]],
[TIME[2019-05-01][2019-05-01]]
([TIME[2019-07-16 07:14:24 +09:00]]) <http://nangokutosa.blog47.fc2.com/blog-entry-2204.html>
-
[269] 
[CITE[ムー: 2019年7月号 - [[Google ブックス]]]], [TIME[2024-03-08T13:20:45.000Z]] <https://books.google.co.jp/books?id=N7ibDwAAQBAJ&pg=PA86>
-
[131] 
[CITE@ja[Xユーザーの[[南国市観光協会]](高知県)さん: 「久礼田の熊野神社は本日お祭りの準備中。絵金屏風や廃仏毀釈の名残の説明をの後領石に移動し、慶応時代の次の年号ではと噂された「天晴(てんせい)」の碑を歩きました。 南国市では他に国分、岡豊、掩体、後免の観光ガイドを通年承っております! #土佐のおんちゃん https://t.co/1ASYt04rBM https://t.co/Pr9NQSGoHc」 / X]], [TIME[午後9:20 · 2019年7月24日][2019-07-24T12:20:03.000Z]], [TIME[2024-02-18T09:53:09.000Z]] <https://twitter.com/WelcomeNankoku/status/1154003309532864513>
- [68] [CITE@ja[旧松山街道を歩く 鈴ケ峠〜見ノ越 | によどがわ.TV|[[高知県]] 仁淀川町観光ポータルサイト | [[仁淀川町]]観光ポータルサイト]], 
2020.03.12,
[TIME[2021-06-25T04:33:01.000Z]] <https://www.niyodogawa.tv/news/news-10674/>
- 
[182] 
[CITE@ja[町のおぼえがき帖 - oboegakicho.pdf]], [TIME[2020-06-01T05:30:06.000Z]], [TIME[2024-03-05T12:02:52.998Z]] <https://tanocho.jp/cms/wp-content/themes/tanowp/document/100th/oboegakicho.pdf#page=1>
-- [612] 
消滅確認 [TIME[2026-02-21T09:11:40.600Z]]
-- [613] 
[CITE@ja[町のおぼえがき帖 - oboegakicho.pdf]], [TIME[2026-02-21T09:11:13.000Z]] <https://warp.ndl.go.jp/20250607/20250607014410/https://tanocho.jp/100th/document/100th/oboegakicho.pdf>
-
[99] [CITE@ja[幕末土佐で使われた私年号「天晴」 もう一つの歴史教科書問題]], 
2021/06/03 10:08,
[TIME[2022-12-28T09:48:09.000Z]] <http://rekisi.tosalog.com/%E4%B9%9D%E5%B7%9E%E5%B9%B4%E5%8F%B7%E8%A6%8B%E3%81%A4%E3%81%91%E3%81%9F%EF%BC%81/%E5%B9%95%E6%9C%AB%E5%9C%9F%E4%BD%90%E3%81%A7%E4%BD%BF%E3%82%8F%E3%82%8C%E3%81%9F%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7%E3%80%8C%E5%A4%A9%E6%99%B4%E3%80%8D>
--
[44] 
[CITE@ja[「[[天政]]」年号を刻んだ手水鉢――高知市春野町西諸木の森神社 もう一つの歴史教科書問題]], 
2021/06/25 09:55,
[TIME[2024-03-10T08:16:51.000Z]] <http://rekisi.tosalog.com/%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E8%80%85%E3%81%AE%E7%A5%9E%E7%A4%BE%E5%8F%82%E6%8B%9D/%E3%80%8C%E5%A4%A9%E6%94%BF%E3%80%8D%E5%B9%B4%E5%8F%B7%E3%82%92%E5%88%BB%E3%82%93%E3%81%A0%E6%89%8B%E6%B0%B4%E9%89%A2%E2%80%95%E2%80%95%E6%98%A5%E9%87%8E%E7%94%BA%E8%A5%BF%E8%AB%B8%E6%9C%A8%E3%81%AE%E6%A3%AE%E7%A5%9E%E7%A4%BE>
-- [125] 
[CITE@ja[御山所神社にもう一つの「[[天晴]]」年号――高知市春野町西諸木 もう一つの歴史教科書問題]], 
2021/06/26 11:46,
[TIME[2024-03-10T08:11:23.000Z]] <http://rekisi.tosalog.com/%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E8%80%85%E3%81%AE%E7%A5%9E%E7%A4%BE%E5%8F%82%E6%8B%9D/%E5%BE%A1%E5%B1%B1%E6%89%80%E7%A5%9E%E7%A4%BE%E3%81%AB%E3%82%82%E3%81%86%E4%B8%80%E3%81%A4%E3%81%AE%E3%80%8C%E5%A4%A9%E6%99%B4%E3%80%8D%E5%B9%B4%E5%8F%B7%E2%80%95%E2%80%95%E9%AB%98%E7%9F%A5%E5%B8%82%E6%98%A5%E9%87%8E%E7%94%BA%E8%A5%BF%E8%AB%B8%E6%9C%A8>
- [158] 
[CITE@ja[WýËµü¯ë - サークル一覧.pdf]], [TIME[2024-03-05T08:14:49.000Z]] <https://www.city.nankoku.lg.jp/download/?t=LD&id=6391&fid=87381>
- [213] 
[CITE@ja[Xユーザーのともろー🙃さん: 「南国市領石 天晴の石灯籠 時は幕末 上京していた志士が 「世の中不穏じゃん?とりあえず年号改めて気分上げ⤴︎︎︎するみたいよ。ほんで天晴(てんせい)に変えるらしいで」 てなやりとりで正式に年号変わる前に先んじて「天晴」と刻んでしまったとか😳 県内にいくつか天晴と刻まれた寺社があるとか🙂 https://t.co/1H34uEj1Iu」 / [[X]]]], [TIME[午前11:51 · 2024年1月19日][2024-01-19T02:51:19.000Z]], [TIME[2024-03-07T07:37:19.000Z]] <https://twitter.com/tomorow45g/status/1748176282335268893>
-- [216] 
写真4枚目: 現地の案内看板
-- [214] 
[CITE@ja[Xユーザーのはるか@自分軸で生きる幸せな人生に✨学びで得たこと発信。さん: 「@tomorow45g へぇ! あっぱれ ですか^^ 天晴✨(てんせい) そうならんかったがは残念やけど 昔から中央のやることをいち早く取り入れようとした証ですね^^ 面白いです♪ 県内でも刻まれちゅうのは4か所と書かれてますね。 ならんかった時は残念やったでしょうね〜😂」 / [[X]]]], [TIME[午後1:00 · 2024年1月19日][2024-01-19T04:00:19.000Z]], [TIME[2024-03-07T07:37:19.000Z]] <https://twitter.com/harukadesu369/status/1748193646904775148>
-- [215] 
[CITE@ja[Xユーザーのともろー🙃さん: 「@harukadesu369 なんというか気の短い土佐人の気質といいましょうか、通信もない時代なのでろくに確認もきないところがいいですね🤣 そんな残念?な証が今も残っちゅうのが嬉しいです🤭」 / [[X]]]], [TIME[午後5:30 · 2024年1月19日][2024-01-19T08:30:03.000Z]], [TIME[2024-03-07T07:37:19.000Z]] <https://twitter.com/tomorow45g/status/1748261524119204258>







]REFS]

-*-*-

[260] 
[TIME[平成31(2019)年][2019]]の地元自治体広報誌は、
「高知県のみ」
で
「天晴への改元が信じられていた」
ことを
「時代の流れの中で明るく生きようとした土佐人のユーモアが感じられる」
と評しています。
[SRC[>>252]]

[261] 
[[改元デマ]]に踊らされるのがユーモアなのか?と突っ込みたくはなりますが、
このような郷土ナショナリズム的な評価は[[私年号]]に限らずどこの地域でもしばしば見られるものです。
[[天晴]]に限ってもいくつも類例を拾うことが出来ます。

[34] 
[TIME[平成29(2017)年][2017]]に[[高知市民図書館]]は
「高知にしかなかった年号」
が
「天が晴れると書いて天晴という文字になります。実に高知の人らしい命名かなと思います。」
と評しています。
[SRC[>>33]]

[500] 
高知県民と思われるブログ記事で
「[SNIP[]]ほぼ1年先取りして独自の改元をしたことになる。高知県人の県民性[SNIP[]]」
と述べているものがあります。
[SRC[>>44]]


[325] 
[[令和改元]]時に書かれた[[高知県]]民と思われるブログ記事は、
研究者らの見解 (出典は明記されていないものの、
従来説をなぞった内容) を示した後に、
「与太咄」
として次のような見解を示しています
(根拠はなし)。
[SRC[>>27]]

- [326] 石造物を作るには時間がかかるので、計画が始まったのは慶応3年早々
- [327] [[天政]]は[[''天''皇]]が[[''政''治]]すると読めるので尊王倒幕論者に都合が良かった
-- [328] 土佐出身者が京都にいたので[[慶応]]度不採用案を知り得た
- [329] 
[[福岡県]]や[[徳島県]]でも発見されているが
「やはり『てんせい』は土佐だけの幻の年号と云える」
-- [330] 
[[京都]]や[[大阪]]の土佐出身者の周りに他の藩の出身者もいたから同調して使用しても不思議ではない
- [331] 「「元号でもって願掛けし、幕府を倒そう」との思い」があった
-- [332] 幕府や藩に発覚しないように密かに計画された
-- [333] 高知城から遠く離れた地区の神社などに石灯篭が作られた
-- [334] 有名寺社も含まれるが、山の上や拝殿内の絵馬など人目につかないところが選ばれた
- [335] 何度も繰り返し協議してはじめは「天政」に決められた
-- [336] 同音の「天晴」なら「あっぱれ」とも読めるので、
「神さんにゃ『天政』の思いで倒幕の願をかけ、命を落とした仲間たちや、今だ京・阪で奔走しゆう仲間たちへの応援と敬意を込めての考えじゃ。それに、早よう天子様の世が来るようにと願うちょる、わしらー郷士仲間や、庶民の思いも込めての事ながよ」
と発案した者があった
-- [337] 「天晴」は、
「人の行為がとてもすぐれていて、賞賛に値する様を意味」
する
-- [338] 13例中11例が「天晴」なのは同一人物が関与した

;; [340] 
「密かに」使った説や呪術的説は他の[[私年号]]でもしばしば唱えられている
(が近年あまり支持されない) 説で、それを知っていて当てはめたのか、
独自に同じところにたどり着いたのか興味を惹きます。
しかし交通要衝や有名寺社にあるのを無理に捻じ曲げているのはいただけません。



-*-*-

[55] 
[TIME[平成31(2019)年4月][2019-04]]、
[[日本国]][[高知県]][[高知市]]の[[旅館]][RUBY[[[城西館]]][じょうせいかん]]は、
全面リニューアルした本館を[RUBY[天誠][てんせい]]と命名しました
[SRC[>>54, >>56, >>57, >>58]]。

[59] この名前は[[高知]]で使われた[[私年号]]の[[天晴]]に因んだものとされます。
[SRC[>>54]]

[60] この旅館は[[皇族]]が繰り返し宿泊するような由緒正しい老舗のようで、
そんなところで[[私年号]]から命名しちゃっていいものか気になりますが、
まあ[[私年号]]といっても[[朝敵]]が使ったわけではありませんからね。

[61] ちなみにこの旅館の沿革には
「平成31年2月
(2019年2月)」
の次が
「令和元年4月
(2019年4月)」
の「「天誠」客室リニューアルオープン」
で、その次が
「令和元年5月
(2019年5月)」
と書かれていました。 [SRC[>>58]]
令和元年は5月からなので、[[遡及年号]]の形になります。
ただの書き間違いでしょうが。

[REFS[


- [54] [CITE@ja[ななづきさんはTwitterを使っています 「雑誌に載ってる城西館さんの広告。 『幕末土佐で使われた私年号「天晴」に先代が大切にしてきた、“ 誠の心を尽くす宿”の想いを込めて本館を「天誠(てんせい)」の名でリニューアル』 まさかの天晴!私年号気になってるので嬉しいです。 https://t.co/cAueHzPYLj」 / [[Twitter]]]], 午後9:24 · 2019年5月24日 [TZ[+09:00]], [TIME[2021-01-28T06:54:57.000Z]] <https://twitter.com/nana_duki/status/1131898865139847168>
- [56] [CITE@ja[2019年4月 [[城西館]] 本館が全面リニューアルオープン]], [[(株)城西館]], [TIME[2021-01-28T07:04:15.000Z]] <https://www.jyoseikan.co.jp/info/renewal2019/>
- [57] [CITE@ja[客室のご紹介 ─ 天誠 ─ ‹ 高知のホテル [[城西館]]]], [[(株)城西館]], [TIME[2021-01-28T07:04:35.000Z]] <https://www.jyoseikan.co.jp/guestroom/tensei/>
- [58] [CITE@ja[[[城西館]]の歴史 ‹ 高知市上町 ホテル 城西館]], [[(株)城西館]], [TIME[2021-01-28T07:03:09.000Z]] <https://www.jyoseikan.co.jp/history/>


]REFS]

@@
[BOX[

- [638] 
[CITE@ja[Xユーザーの実枝(さねき)さん: 「今回幕末の土佐でそれが見つかったのが興味深い。幕末にも”世直し思想”という考え方があったのは知られているけど(世直し一揆・ええじゃないか)中世の徳政と幕末の世直し思想はやっぱりリンクするような気がしますね。以前からそうは思ってましたが、大分確信が持てた。それが多くの民権家を生み出し」 / X]], [TIME[午前1:28 · 2026年2月21日][2026-02-20T16:28:06.000Z]], [TIME[2026-02-21T07:34:16.000Z]] <https://x.com/buro19351/status/2024883771875705219>
-- [640] 
[CITE@ja[Xユーザーの実枝(さねき)さん: 「た土佐に多数見られたのは、偶然だろうか、そうだろうな😭」 / X]], [TIME[午前1:29 · 2026年2月21日][2026-02-20T16:29:04.000Z]], [TIME[2026-02-21T07:34:16.000Z]] <https://x.com/buro19351/status/2024884013987758277>
-- [641] 
[CITE@ja[Xユーザーの実枝(さねき)さん: 「私年号、清水克行さんがエッセイで「世の中がリセットされたことを世間に示す役割があるといっているのだけど(『室町は今日もハードボイルド』)言ってしまえばそれって武力行使をしない私徳政なんだろうね。あくまで徳政”令”ではないけど、自ら徳のある政治を理想としたのではないかと考えられる歟」 / X]], [TIME[午前1:30 · 2026年2月21日][2026-02-20T16:30:11.000Z]], [TIME[2026-02-21T07:34:16.000Z]] <https://x.com/buro19351/status/2024884298067976623>


[651] [CITE@ja[Facebook]], [TIME[2026-03-16T02:37:05.000Z]] <https://www.facebook.com/argimarine/photos/%E9%A0%98%E7%9F%B3%E3%81%AE%E5%A4%A9%E7%A5%9E%E6%A7%98-20110429%E7%89%A9%E9%83%A8%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%91%E3%82%B9%E3%81%8B%E3%82%89%E3%82%82%E5%B2%A1%E8%B1%8A%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%91%E3%82%B9%E3%81%8B%E3%82%89%E3%82%82%E9%A0%98%E7%9F%B3%E3%81%AF%E6%95%A3%E7%AD%96%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%97%E3%81%BE%E3%81%86%E5%A0%B4%E6%89%80-%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7%E5%A4%A9%E7%A5%9E%E6%A7%98%E3%81%AA%E3%81%A9%E3%81%93%E3%81%AE%E8%BE%BA%E3%82%8A%E3%82%92%E5%BE%98%E5%BE%8A%E3%81%99%E3%82%8B%E6%97%A5%E3%81%8C%E3%81%82%E3%82%8B%E4%BA%BA%E3%81%AA%E3%81%84%E4%BA%BA%E3%81%93%E3%82%8C%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%99%E3%82%8B%E4%BA%BA/1444934917419537/>

>領石の天神様 (2011.04.29)
>
物部キャンパスからも岡豊キャンパスからも領石は散策してしまう場所! 私年号、天神様など、
[SNIP[]]

※写真



]BOX]


* 研究史

[421] 
[[近代]]の[[日本国]][[高知県]]の民俗研究者[RUBYB[[[高村晴義]]][[TIME[1862]]-?]]は、
明治22,3年頃に[[四国遍路]]巡礼の折に[[神峰神社]]を訪れたことを[TIME[昭和12(1937)年][1937]]の雑誌記事に書き残しています。
[SRC[>>420 (>>375)]]
[[天晴]]について地元住民にたずねた所、[[改元デマ]]があったとわかったのだそうです 
(>>249)。


[372] 
その後この[[私年号]]のことは忘れられていました。
[[近代]]の[[私年号研究]]でこの[[私年号]]が紹介されたことはありませんでした。

[373] 
[[昭和時代]]中期の[CITE[日本私年号の研究]]には掲載されませんでした。
[[久保常晴]]はこの[[私年号]]を知らなかったと考えられます。

;; [374] 
落語ネタレベルで研究対象にならなかった [SRC[>>101]]
と邪推する [[SNS]] 投稿がありますが、まったく根拠のない言いがかりに過ぎません。
[[落語]]なら研究されないというのも[[落語]]と研究者を馬鹿にした話で、
[[大衆芸能]]や[[御伽草子]]のような「俗」的なもののにみえる[[異年号]]を議論した研究は古くからあります。
[SEE[ [[弥勒]], [[福徳]], [[魚鳥]] ]]


-*-*-

[168] 
[[昭和時代]]における[[天晴]]の研究は、
[[日本国]][[高知県]][[安芸市]]の市史編纂に携わっていた[[小松栄次]] (>>274) 
が[[土居春日神社]]の用例 (>>14) を検出したことに始まり
[SRC[>>28 ([[広谷喜十郎]]), >>375]]、
続く調査で他にも1例 (>>6) が検出されました
[SRC[>>12]]。

[382] 
[TIME[1974-06-19]]付[CITE[高知新聞]]記事
[CSECTION[〈天晴〉ハテ? 奇妙な年号・史家も当惑・安芸市と安田町の神社で見つかる]]
でこの2点 (>>14, >>6) の発見が報じられました。
2点を発見した[[小松栄次]] (>>274) は、
年表、古老の話、[[干支年]]などから慶応3年と推定しましたが、
なぜ[[天晴]]が使われたのかはわからないとしていました。
記事では、
[[農民一揆]]や[[ええじゃないか]]で民衆が狂乱した頃で、
時代の変革期で招来への明るい願望を込めて新元号を「天晴」
と予想したのかも、
と推測していました。
[SRC[>>375]]


[388] 
[[広谷喜十郎]] (>>377) は、
[[小松栄次]] (>>274)
と共に[[安芸市]]史の編纂に関与していました。
[[広谷喜十郎]]は[[小松栄次]]から[[天晴]]のことを聞いていました。
[[広谷喜十郎]]は、
[TIME[昭和49(1974)年][1974]]に出版された
「写真で見る安芸市史」
の位置付けの書籍
[CITE@ja-JP[あき・市制二十周年]]
に[[小松栄次]]が撮影した >>6 の写真を掲載 [SRC[>>117]] しました。
[SRC[>>375]]
ただそのときの調査では「[V[わからずじまいでそのまま]]」
となり [SRC[>>375]]、
同書には写真自体以外に特に説明はありませんでした
[SRC[>>117]]。


[REFS[

- [117] 
[CITE@ja-JP[あき : 市制20周年]], 
[[高知県安芸市]], [TIME[1974]], [TIME[2022-12-28T09:26:51.000Z]], [TIME[2022-12-29T09:52:55.741Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9769215/1/10> (要登録)

]REFS]

[397] 
[[高知県]]内各地に[[天晴]]の用例があることは、
しばらく新聞紙上などで話題となりました。
[SRC[>>375]]


[394] 
[[昭和時代]]の郷土史家[[橋詰延寿]]は、
[CITE[高知新聞]]
記事 (>>382)
に触発されて[[日本国]][[高知県]]で発行されていた雑誌
[CITE[県民クラブ]]
の昭和49年7月号、昭和49年8・9月号で[[天晴]]を紹介しました。
また、
[CITE[諸木の記録]]
でも紹介しました。
[SRC[>>375]]

[395] 
この
[CITE[諸木の記録]] (>>118)
は、
引用、
所蔵図書館や販売古書店の書誌情報などで[TIME[昭和37(1962)年][1962]]の刊行とされています
[SRC[>>393, >>375]]。
ところが図書館の書誌情報によると
「昭和30~40年代新聞スクラップ」
と内容が説明されています
[SRC[>>393]]。
昭和37年の日付がありながらも実際にはそれ以後も書き継がれて成立したということでしょうか。

[579] 
昭和49年7月号の[[橋詰延寿]]の雑誌記事によると、
[[橋詰延寿]]は[ASIS[[TIME[1974-06-16]]]]の[CITE[高知新聞]]掲載の[[春日神社]]の[[天晴]]の記事を読んで、
[[日本の元号]]の他に[[中国の元号]]も調べましたが、
見つけられませんでした。
[SRC[>>576]]


[396] 
[[橋詰延寿]]は[CITE[諸木の記録]] (>>118)
で、
[[天政]]は[[天正]]と思いきや[[十二支年]]が合わず、
[[安政]]、[[寛政]]、[[文政]]でもなく、
[[天晴]]となるとさっぱりわからず、
一体いつなのだろうと述べていました。
[SRC[>>375]]


[580] 
[[天晴]]は「たちまち」話題になり、 (放送局に?) 頼まれるままに放送局 (どこ?)
で放送しました。
放送局の写真には献灯の銘文「大坪亀太郎」
があり、[[橋詰延寿]]は近代人だと感じました。
そこで地域の住民を調べれば判明すると考え、
放送で[[大坪亀太郎]]の情報を求めました。
[SRC[>>576]]

[581] 
放送が終わって放送局を離れようとしたところ、
受付に電話があり、
[[大坪亀太郎]]の子孫からでした。その人物は[[橋詰延寿]]とは旧知でした。
[SRC[>>576]]

;; [582] 昭和の地方のほのぼのとした狭い世界の光景が思い浮かびますね。

[585] 
ところが現地に行ってみると、[[大坪亀太郎]]の献灯は天晴元年銘灯篭とは別の、
大正15年の新しいものでした。放送局の写真で確認しただけだったので新旧の区別が付いていなかったのです。
[SRC[>>578]]

[586] 
しかしこれが怪我の功名となって、
天晴元年が[TIME[慶応3(1867)年丁卯][1867]]だと判明しました。
[SRC[>>578]]

[588] 
と書かれているのですが、何がどうなってこの結論が導かれたのかは不明です。
大正15年よりも古くて丁卯年だから慶応3年が該当するということなのでしょうか。

[589] 
そこで[[橋詰延寿]]は次のように結論付けました。
[SRC[>>578]]

- [590] 慶応3年、[[明治天皇]]のもとで[[天晴]]に[[改元]]されるということが流布された
- [591] その情報はこの地にも強く伝わってきた
- [592] 氏子はやがて改元されると「天晴元年」と彫り込んだ
- [593] [[明治]]と[[改元]]されて[[天晴]]の流布は空しく消え、
たまたま既に[[天晴]]で奉献した献灯が残った
- [594] [[神峯神社]]にあるというが未見


[595] 
さて、この[[橋詰延寿]]の記事は、出来事の直後の自身の行動の記録であり信憑性は高いと思われますが、
不思議な点があります。
[TIME[1974-06-19]]付の[CITE[高知新聞]]の記事 (>>382) 
と[[橋詰延寿]]が読んだらしい[TIME[1974-06-16]]付の[CITE[高知新聞]]の記事はどういう関係にあるのでしょうか。
どちらかの日付が間違っているのでしょうか。それとも3日後に続報があったのでしょうか。
もし同じものだとすると、
記事に既に慶応3年説があったはずですから、
[[橋詰延寿]]が自身で推理しなければならなかったのは変です。
違うものだとすると、
3日間で話題になり、放送があり、現地を訪問したということでしょうか。
続報があったとして、それに言及しないのはなぜでしょうか。



;; [583] 
[[延寿]]はよくある[[人名]]ですが、[[天晴]]と近い時代の[[私年号]]にもあり、
これもなにかの運命なのでしょうか。


[REFS[

- [575] 
[CITE[県民クラブ]] (253) 昭和49年7月号
-- [576] 
[CITE[[V[大津荘雑記 (一五〇)[BR[]]ゴキブリと天晴元年]]]],
[[[V[橋詰延寿]]]],
pp.[L[9]]-[L[11]]
- [577] 
[CITE[[V[[[県民クラブ]] [YOKO[第254号]]]]]],
1974年8.9月,
[[[V[高知広報社]]]]
-- [578] 
[CITE[[V[大津荘雑記 (一五一)[BR[]]伊藤甲之助墓所]]]],
[[[V[橋詰延寿]]]],
pp.[L[1]]-[L[5]]

]REFS]

[288] 
[TIME[昭和53(1978)年][1978]]に[[日本国]][[高知県]]の[[山崎清憲]]は、
街道の紹介の書籍の中で[[鈴ヶ峠]]の用例 (>>30) を紹介しました。
次のように述べています。
[SRC[>>287]]

- [289] 灯明台に「[V[天晴元卯九月十八日]]」 とある
- [290] [[天晴]]とはおかしく、勝手な想像をした
-- [291] 住民は圧政に苦しみ[[百姓一揆]]などがあった
-- [292] [[天明]]の[[元号]]に不吉なものを感じたのではないか
-- [293] 灯明台は麓に救世、光明をもたらすもので不幸、不吉の「天明」を避けて
「天晴」としたのでは
- [294] 「のちに」[CITE[高知新聞]]に安田 (>>6) と安芸 (>>14) の発見が掲載された
- [295] 「その後」 [[鈴ヶ峠]] (>>30) は次の仮説がたてられている
-- [296] 「神楽囃詞引用説」では
--- [299] 「天晴」は「あっぱれ」と読んでお祝いごとのときに舞う
--- [297] 慶応3年丁卯にあたる
--- [298] 山村住民が新しい時代へ希望を託したものか
- [300] 1山村のみならず高知県下あちこちに残っている
-- [301] 県下全域で凶を排除して吉を取る、新生日本の夜明けを期待する住民の願いの現れとみてよいのでは


[302] 
[[山崎清憲]]は歴史の専門家ではなく、本人が「勝手な想像」と断っている通り、
天明説は史料的根拠のある説ではありません。これ以前に発表されたのかは不明です。
また、2点の石灯篭より先に存在を知っていたようですが、
具体的にいつから知っていたのかは不明です。
有名な峠のよく目立つ位置の灯籠のよく読める銘文ですから、
峠を通る人達には
([[私年号]]史料としての認識はともかく)
不思議な紀年銘があることは昔から知られていたのかもしれません。

[303] 
「「神楽囃詞引用説」」というのはよくわかりませんが、書名などではなさそうで、
神楽の「あっぱれ」の詞を引用して[[元号]]としたという説、
ということでしょうか。書き方から、
[[山崎清憲]]の説ではなく3点(以上)の石灯篭が知られた後に誰かが唱えた説ということでしょう。




[239] 
[TIME[昭和54(1979)年][1979]]の[CITE[土佐山田町史]]は文献資料 (>>15, >>16)
から[[慶應]]と[[明治]]の移行期に[[天晴]]が使用されたと指摘しました。
[SRC[>>13]]


[238] 
[TIME[昭和57(1982)年][1982]]に[[坂本正夫]]が全国的に[[私年号]]として紹介しました
[SRC[>>43]]。
[[坂本正夫]]らの調査で[[日本国]][[高知県]]の東は[[田野町]]から西は[[越知町]]までに多数の[[天晴]], 
[[天政]],
[[天星]]の用例が知られるようになりました。
[SRC[>>12]]
(>>398 では[[天晴]]と[[天政]]の6例)


[274] 
[TIME[平成元(1989)年][1989]]、地元郷土史家の[[小松榮次]]
[WEAK[(>>6, >>14 の報告者)]]
は、
次のように紹介しました。
[SRC[>>272]]

- [276] [[日本]][[土佐国]][[安芸郡]][[土居村]]では新年号を伝え聞いて信じて慶応3年9月に氏神に新時代の祈願をして奉納したものか
-- [279] 氏子の話し合い、集金、石工に依頼、仕上げと2ヶ月3ヶ月では運ばなかっただろう
-- [380] 慶応2年末から慶応3年にかけて天皇と将軍の代替わりがあった
-- [277] 新元号の情報は前年か春にはもう話されていたのか
- [275] 県内で6例知られている (>>273)
-- [278] どのような経路で伝わったのかはわからない
-- [280] 土佐で1年余使われていたことになる
- [281] [[日本国]][[岡山県]]の人が[[南朝の元号]]だと伝えてきた
-- [282] [[安芸]]の石灯篭は600年前のものとは思えない

;; [283] 
慶応2年末から慶応3年にかけての天皇と将軍の代替わりと新元号を祝うという前提で考えているため、
慶応2年末から慶応3年春に新年号情報が広まり、それを聞いてから安芸で石灯篭を作る計画が出てきた、
という想定になっているようです。しかし石灯篭にはそのようなことは書かれていないのですから、
たまたま石灯篭を奉納する段階になって新年号情報があったのでそれに従ったと考える方が妥当です。
スケジュール感は改めて検討が必要でしょう。

;; [284] 岡山の云々は、[[美作後南朝]]説なるある種の[[陰謀論]]に関係します。
[SEE[ [[天靖]] ]]
[[昭和時代]]末期から[[平成時代]]初期の当時のどのような情報経路で[[高知県]]の[[私年号]]情報が[[岡山県]]まで伝わったのか、
もまた興味深いですね。


[REFS[

- [287] 
[CITE@ja-JP[土佐の街道]], [[山崎清憲]], [TIME[1978.6][1978]], [TIME[2024-02-01T05:12:54.000Z]], [TIME[2024-03-09T04:01:18.717Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9773089/1/66> (要登録)
- [652] 
[CITE@ja-JP[土佐の峠風土記]], [[山崎清憲]], [TIME[1991.11][1991]], [TIME[2026-03-18T03:11:57.000Z]], [TIME[2026-04-06T09:46:45.251Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/13278860/1/92?keyword=%E5%A4%A9%E6%99%B4> (要登録)
-
[43] 
[CITE[高知県下の天晴元年という私年号]],
[[坂本正夫]],
[TIME[1982][year:1982]],
[CITE[歴史手帖]] 10(4)(102), pp.58-59
-- [100] [CITE@ja[hyena_no_papaさんは[[Twitter]]を使っています: 「『歴史手帖 昭和57年4月号 10巻4号』p58 坂本正夫「高知県下の天晴元年という私年号」 天晴元年は慶応三年(1867)。当時上京していた安芸郡安田村の士より「来年ハ天晴と改元のある由なり」と2回連絡があり、石灯籠などに「天晴」と刻んだのだとか。つまりフライング!ネットでもヒット。 #私年号」 / Twitter]], [TIME[午後10:33 · 2022年3月9日][2022-03-09T13:33:05.000Z]], [TIME[2022-12-28T09:48:39.000Z]] <https://mobile.twitter.com/hyena_no/status/1501551651202555906>
--- [101] [CITE@ja[hyena_no_papaさんは[[Twitter]]を使っています: 「久保常晴氏の『日本私年号の研究』第六章 江戸時代以降の私年号を開いてみると、同時期の「延寿」や明治の「征露」は収められていますが、「天晴」は見えません。落語ネタレベルなので研究の対象とはならなかったのかも。 幻の年号「天晴(てんせい)」 https://t.co/SziKcEqNND」 / Twitter]], [TIME[午後10:41 · 2022年3月9日][2022-03-09T13:41:24.000Z]], [TIME[2022-12-28T09:48:39.000Z]] <https://mobile.twitter.com/hyena_no/status/1501553740888772610>
--- [102] [CITE@ja[hyena_no_papaさんは[[Twitter]]を使っています: 「@nemurikappa おはようございます。元号発布については偽情報が流れるってありそうですけどね。間違いと判明して村民は「之を改刻する力なく其儘に差置つつあるこそ越中褌の極なれ」だとか。 石灯籠3件 絵馬1件 狛犬1件 手水鉢1件 都合6件 出典は[[高村晴義]]「土佐の話」s12『旅と伝説 110号』とのこと。」 / Twitter]], [TIME[午前9:14 · 2022年3月10日][2022-03-10T00:14:57.000Z]], [TIME[2022-12-28T09:48:39.000Z]] <https://mobile.twitter.com/hyena_no/status/1501713180778647555>
- [271] 
[CITE@ja-JP[[[土佐史談]] (182)]], [[土佐史談会]], [TIME[1989-12]], [TIME[2024-02-01T05:12:54.000Z]], [TIME[2024-03-09T02:50:50.432Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/7913125/1/49> (要登録)
-- [272] 
[CITE[[V[明治の安芸]]]],
[[[V[小松榮次]]]]


]REFS]


-*-*-

[377] 
[[天晴]]の研究に大きく貢献した1人が[[昭和時代]]から[[平成時代]]の土佐史研究者[RUBYB[[[広谷喜十郎]]][[TIME[1931]]-[TIME[2022]]]]です。
[[広谷喜十郎]]は[[高校]]教員や公立図書館員の他、
数々の自治体史の編纂や文化財保護の委員を務めました。

[378] 
[[広谷喜十郎]]は地域史を幅広く研究しましたが、
[TIME[昭和63(1988)年][1988]]には[[義民伝承]]について発表しています。
[[天晴]]は世直し願望により[[明治]]のかわりに多くの土佐人に用いられた[[私年号]]と理解していたようです。
[SRC[>>376]]
[TIME[平成4(1992)年][1992]]の[[天晴]]についての論考も、
[[義民伝承]]の研究からの発展という形になっています。
[SRC[>>375]]

[460] 
[TIME[平成4(1992)年][1992]]に[[広谷喜十郎]]は次のような見解を示しました。
[SRC[>>375]]


- [371] 金石文6例が知られている (>>398)
-- [450] 文書にも2例ある (>>15, >>16)
-- [451] [[高知県]]下の[[金石文]]や[[文書]]の検索が必要ではないか
- [409] 用例から天晴元年が慶応3年なのは間違いない
-- [410] 明治改元の前年5月、1年余前から使用していた
-- [411] 慶応をやめて勝手に先取りしていた
-- [412] 大動乱期とはいえ決して許されないこと、支配階級の最高のシンボルで絶対に侵せないもので、
上意下達の封建体制であり得ないことが起こった
- [413] 銘文に「氏子中」などあり少数の庶民の勝手な思い込みではなく村全体の総意
-- [414] 寄進年月日が銘記されているかなり以前から注文しなければならないはず
-- [415] 広範囲に分布しておりしかも短期間で普及している
-- [416] 単なる思いつきでないことは明らか
- [417] [[所功]]の[CITE[年号の歴史]]でも[[明治改元]]で[[天晴]]が検討された記録がない
- [440] [[明治時代]]の証言 (>>249)
-- [441] [[安田村]]からの上京の記録は確かにある、地元に伝えたことは考えられる
-- [442] [[土居村]]は少し離れた場所にある
--- [443] かなりの人々に口伝されなければならない
--- [444] [[吾川郡]]の山間部までかなりの時間を要したはず
--- [445] ところが土佐国各地に短時間で伝わっている
---- [446] 絶えず藩内を巡回している人々や勤王志士のように組織的に行動している人々が伝えないと無理に思われる
---- [447] 今後の検討課題
- [452] 今すぐに結論めいたまとめは難しい
-- [453] 庶民が勝手に思い込んで使用したことは明らか
-- [454] 正式の通達なしに[[元号]]を使用したことは幕藩体制の動揺の大きさを物語る
-- [455] 多くの人が信じたということはそれだけ深い思いを抱いていたことになる
-- [456] 中央の[[ええじゃないか]]の爆発的ブームと同様に土佐の庶民の世直しへの期待から年号を勝手に先取りして付けたといえるかもしれない
-- [457] しかし[[明治維新]]は庶民の期待を裏切って、
明治4年の[[あぶら取り一揆]]として爆発する
(c.f. >>459)

;; [379] 
結論は難しいといいながらも、
その後の通説の大筋はここで形作られて(しまって)います。
用例ベースの従来の検討と[[明治時代]]の証言がこの段階で合流しました。
なお[[明治時代]]の証言は[[坂本正夫]]が[[広谷喜十郎]]に教えたそうです
[SRC[>>375]]。



[240] 
[TIME[平成20(2008)年][2008]]に[[広谷喜十郎]]は[[日本国]][[高知県]][[高知市]]の広報誌で[[天晴]]を
「幻の年号」として紹介しました。
次のように説明しました。
[SRC[>>12]]

- [241] 30年前から知られるようになってきた (>>168, >>238, >>239)
-- [242] 判明している限り、天晴は慶応3年5月から明治元年まで使われた
- [243] [[石灯篭]]等には「氏子中」などとあり個人でなく村の総意で寄進されたもの
-- [244] 石造物の寄進は早めに注文するはず
-- [245] 広範囲で短期間に普及している
-- [246] 単なる思いつきでないのは明らか
- [247] 元号史の本にも天晴が検討された記録はない
-- [248] 上意下達の封建時代に年号という絶対的なものに起こった現象、
民衆の世直し願望の一種かもしれない
-- [250] >>249, 慶応4年に天晴へ改元があることを見越して年号が刻まれたとの証言である


;; [253] 
この記事で[[天晴]]は全国的に広く知られるようになりました。
[CITE[ウィキペディア]]も[[天晴]]の出典としてこれを引いています
[SRC[>>85]]。
[[天晴]]が「幻の年号」「幻の元号」と紹介されることがある [SRC[>>27, >>188, >>185]]
のはこの記事に由来するのでしょうか。



;; [251] このうち >>250 は慶応4年に[[公年号]]の[[改元]]があったことを知ってしまっている我々現代人の視点ゆえの誤解です
(>>283, >>438)。
天晴の用例のほとんどには丁卯と書かれていて、慶応3年丁卯を指していることは明白です。
(筆者もそう紹介しているのです。)
翌年の改元を「見越し」たなら「天晴0年」とでも書かなければならなくなります。


[503] 
[TIME[平成30(2018)年][2018]]に[[広谷喜十郎]]は歴史愛好家グループの機関誌で[[天晴]]を紹介しました。
基本的には従来の発表内容を繰り返したに過ぎませんが、
>>460, >>240
にない記述を拾うと:
[SRC[>>502]]

- [504] 明治時代の証言 (>>249)
-- [505] 急進的な勤王志士が数人出ている地域ではある
-- [506] しかしまだ可能性を実証できない
-- [507] 別の視点から、世直し意識と連動しているか検討している  
- [508] 県外の歴史家や資料館に問い合わせても全く用例がない  
- [509] 慶応3年丁卯私年号説 
-- [510] 丁卯年の「翌年になっても「天晴元年」と「丁卯」の両方を同時に明記されている石碑や史料などがあるので、慶応三年の次は天晴元年しか理解できなかった人々が多かったことを容易に物語っている。これは私年号のあり方の特色かも知れない。それにしても堂々と私年号を使用しているので、暦の約束事が無視されていることになっている。」

;; [514] 
>>249 を実証できないというのは、具体的にはわかりませんが、
証言の裏付けとなる他の資料が出てこないということでしょうか。
例えば改元通知の文書そのものとか、
他の地域でも同様の連絡があった記録とかが残っていれば裏付けとなりますが、
調査してもそういうものが出てこないということですかね。

;; [515] >>510 はちょっと意味が掴みかねます。
天晴元年丁卯と書いてあっても実際には慶応4年戊辰を意味するものがあるということでしょうか。
なかなか考えにくいように思われますが...
「慶応三年の次は天晴元年」
という認識があったというのが誤解 (>>251)
なのではないですかね。


[NOTE[

[123] 
[[近世]]や[[幕末]]の[[私年号]]がいくつもあることがわかった現在から振り返ると、
[[元号]]は「上意下達の封建体制」の聖域というほどのものではなかった、
ということですかね。

[469] 
そもそも、という話をしてしまうと、
藩の指示であれ勝手にであれ多数の人員が京阪方面に出て行ってそれぞれの思惑で動き回り、
幕府や藩の制御できない形で情報を国元に送ったりもしているわけですから、
[[慶応]]時代には既に「上意下達の封建体制」なるものはほとんど存在していないのです。


]NOTE]

[470] 
[[平成時代]]の[[天晴]]に関する説明の大部分は、明示的に引用していないものも含めて、
[[広谷喜十郎]]の説やそこから派生した説が基になっているようです。

[257] 
[TIME[平成31(2019)年][2019]]の地元自治体広報誌も石灯篭は製作に時間がかかるため、
改元を予見して建立したものだと解説しています。 [SRC[>>252]]
>>250 を踏襲したものでしょうか。 (ただしこちらは翌年の改元とはしていません。)

[NOTE[
[258] 
改元を「予見」したのか改元が「あったと理解した」のか、
どちらなのか判定できる資料は今のところありません。
[[私年号研究]]一般では「あったと理解した」結果使われたと推測するのが基本です。
「あったと理解して使う」に比べて「予見して使う」というのは特殊な行為なので、
そうであるとするなら相応の論証が求められます。

[259] 
なお、
[[前近代]]には (いったん改元が施行されると過去の)
日付記述において[[改元日]]はあまり重視されず、
[[元日まで遡って新年号で書かれる][遡及年号]]ことがあり得ること、
一方で幕藩体制が盤石だった時期なら未施行[[元号]]の先走り使用は厳禁されていたこと
([SEE[ [[改元手続き]] ]])
には注意が必要です。
]NOTE]


[REFS[

- [376] 
[CITE@ja-JP[[[土佐史談]] (178)]], [[土佐史談会]], [TIME[1988-09]], [TIME[2024-02-01T05:12:54.000Z]], [TIME[2024-03-09T11:23:30.031Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/7913121/1/3> (要登録)
- [79] [CITE@ja-JP[[[土佐史談]] (190)]], [[土佐史談会]], [TIME[1992-09]], [TIME[2022-12-21T08:14:19.000Z]], [TIME[2022-12-23T13:00:23.724Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/7913133/1/27> (要登録)
-- [375] [CITE[[V[『天晴』私年号と幕末の世直し意識]]]],
[[[V[広谷喜十郎]]]]

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[81] [CITE[図說高知県の歴史 - [[Google ブックス]]]], [TIME[2022-12-23T13:03:11.000Z]] <https://books.google.co.jp/books?id=7AU1AQAAIAAJ&q=%E5%A4%A9%E6%99%B4>
]FIGCAPTION]

>41 ページ
>... の発明 166 きんう巻末付録絵師金蔵の画業 180 土佐の義民伝承 198 索引 5 年表てんせい 5 天晴号と幕末の世直し意識 206 博物館・図書館一覧 20 堺事件と藩家老文化財一覽年中行事一覧写真師井上俊三参考文献 32 コラム執筆ロ絵執筆序説土佐の先進.
>42 ページ
>... 半蔵の発明絵師金蔵の画築堺事件と藩家老写真師井上俊三田村遺跡環溝屋敷群画/穂積和夫監修/岡本健児資料提供/宮本長二郎・京都科学広谷喜十郎土佐の義民伝承天晴私年号と幕末の世直し意識高知市の発足と電力事業板垣退助銅像物語高知城下町画/中西立 ...
>206 ページ
>南国市在住の民俗研究家高村晴義が「旅と伝説」一一〇号(昭和一二年一九三七)のなかで、天晴年号について書いている。それによると、高村は明治二二年(一八八九)頃に神峯寺を参拝した時に、近くにある神社の石灯籠の年号に気付いて、地元民に質問している ...
]FIG]
-- [462] [[天晴]]部分は >>376, >>375 を収録したものか?
-- [285] 
[CITE@ja-JP[[[土佐史談]] (189)]], [[土佐史談会]], [TIME[1992-03]], [TIME[2024-02-01T05:12:54.000Z]], [TIME[2024-03-09T03:59:29.836Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/7913132/1/46> (要登録)
右下
--- [286] >>81 の書評
-
[501] 
[CITE[[[歴史研究]] 第665号]],
[TIME[2018-10-10]]
-- [502] 
[CSECTION[[[幕末の「天晴」私年号]]]],
[[広谷喜十郎]]



]REFS]

@@
[BOX[

[646] 
[CITE@ja-JP[図説日本の歴史 39]], [[河出書房新社]], [TIME[1991.11][1991]], [TIME[2026-03-03T01:08:12.000Z]], [TIME[2026-03-03T08:25:29.246Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12211251/1/108> (要登録)

[647] 
[CITE@ja-JP[土佐山田町史]], [[土佐山田町史編纂委員会]], [TIME[1979.12][1979]], [TIME[2026-03-03T01:08:12.000Z]], [TIME[2026-03-03T08:30:11.705Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/13284971/1/534?keyword=%E5%A4%A9%E6%99%B4%E5%85%83%E5%B9%B4> (要登録)

]BOX]


-*-*-


[161] 
[TIME[平成21(2009)年][2009]]に[[日本国]][[奈良県]]の[[奈良大学]]が開催した第3回[[全国高校生歴史フォーラム]]で、
[[日本国]][[高知県]][[高知市]]の[[高知県立高知東高等学校]]の[[片岡靖裕]]が、
[CITE[幕末土佐の私年号 ―「天晴」を検証する!―]]
を発表し、
優秀賞を受賞しました。
[SRC[>>160, >>162]]
同校の[[郷土史クラブ]]の活動の一環でした。
[SRC[>>42]]

[165] 
[TIME[平成22(2010)年][2010]]の情報によると、
高校3年 [WEAK[(平成21年度か平成22年度か不明)]] の[[片岡靖裕]]の[[論文]]
[CITE[私年号天晴を検証]]
では10例が報告されていました。 
[SRC[>>28]]

[166] 
題名が違いますが、受賞した[[論文]]そのものを指すのか、
別にまとめられたものがあるのか不明です。
また、当時地元で興味ある人が入手できていたことがわかりますが、
現在これを入手する方法があるのかは不明です。

;; [172] 
>>28 
は
[CITE[街道の日本史]] (>>171)
を
「街道の日本」と誤引用していると思われ、
同様に論文名は正確でないかもしれません。

[310] 
>>42 には表紙のカラー写真があります。
[TIME[平成22(2010)年3月][2010-03]]に発行された
[CITE[幕末土佐の私年号―「天晴」を検証する―]]
だと説明されています。


;; [167] 学術的に貴重な研究成果と思われますから、
是非ともご本人か高校で広く公表してほしいものですが、
これだけ日が経ってしまうと難しいのですかね。

[REFS[

- [162] 
[CITE@ja[h1-h4ol - nu-news-152.pdf]], [TIME[2016-07-25T11:27:45.000Z]], [TIME[2024-03-05T08:30:30.183Z]] <https://www.nara-u.ac.jp/about/overview/press/nu_navi/pdf/nu-news-152.pdf#page=5>
左
- [163] 
[CITE@ja[hitou74.pdf]], [TIME[2018-03-29T05:13:32.000Z]], [TIME[2024-03-05T08:35:28.506Z]] <https://ryoma-kinenkan.jp/share/img/about/hitou74.pdf#page=8>
-- [164] 
[CITE[高知県坂本龍馬記念館・現代龍馬学会]]
[TIME[2015-12-30 11:56:48 +09:00]]
<http://www.kochi-bunkazaidan.or.jp/~ryoma/hitou74rg.pdf#page=3>
--- [28] 
[CITE[[L[領石に残る「天晴の石灯籠」]]]],
[[[L[唐石淳子]]]],
p.[L[4]]
- [160] [CITE[これまでの[[全国高校生歴史フォーラム]] | 第16回 全国高校生歴史フォーラム]], [TIME[2023-12-07T00:36:46.000Z]], [TIME[2024-03-05T08:27:25.809Z]] <https://www.nara-u.ac.jp/forum/history/>

]REFS]

-*-*-

[31] 
[TIME[平成23(2011)年1月][2011-01]]に[[日本国]][[高知県]][[南国市]][[領石]]の[[天晴]]石灯篭
(>>29)
前に現地住民らによって解説看板が設置されました。
[[天晴]]は[[土佐]]でのみ使用された[[私年号]]で、
[[参勤交代]][[北山道]]の要所だった[[領石]]には中央の情報が一早く伝わっていたもので、
国内不穏に付き天晴と改元する、
と誤情報が伝わって住民は信じたに違いないとしています。
[SRC[>>216]]
同地ではその後[TIME[平成27(2015)年6月][2015-06]]の調査で[[棟札]]の用例 (>>36)
も見つかり、
[TIME[平成27(2015)年8月][2015-08]]に現地住民らにより追加の案内看板が作られました。
[SRC[>>216]]
先人の残した文化財を大切に思う現在の住民の熱心さが伝わってきます。
[TIME[2016-11-15]]には石灯篭と棟札が[[南国市保護有形文化財]]
「領石の天晴年号資料」にも指定されています。
[SRC[>>227]]

[307] 
[[平成時代]]の地元民のブログ記事では、
[[天晴]]や[[天政]]は[[大政奉還]]で国の行き先が不透明となる中で[[土佐]]の人が自分たちで新しい元号を使って広めていたのであるとし、
[[遍路道]]沿い用例が存在することからそのことに特別な意味があったのではないかと指摘しています。
[SRC[>>22]]

;; [308] 
いわゆる宗教的私年号説、呪術的私年号説の系統でしょうか。
[SEE[ [[中世私年号]] ]]

[316] 
[TIME[平成31(2019)年][2019]]の新聞記事では、他の地域では慶応3年が続いていたとしています
[SRC[>>1]]。他の地域がどこを指すのか ([[土佐]]以外なのか、
[[土佐]]の[[天晴]]用例のある地域以外なのか) 不明ですし、
どの程度の調査に基づいてそう説明したのかは不明です。


[REFS[

- [231] 
[CITE@ja[なんこく8月号.indd - 広報なんこく(平成29年8月号).pdf]], [TIME[2024-03-07T13:31:18.000Z]] <https://www.city.nankoku.lg.jp/download/?t=KHN&id=151&fid=32679#page=9>
左上
-- [227] [CITE@ja[なんこく8月号.indd - 8〜9ページ.pdf]], [TIME[2024-03-07T13:25:10.000Z]] <https://www.city.nankoku.lg.jp/download/?t=KHN&id=151&fid=32684#page=1>
左上
- [228] 
[CITE@ja[領石の天晴年号資料 [[文化遺産オンライン]]]], [TIME[2024-03-07T13:26:50.000Z]] <https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/367127>


]REFS]

-*-*-

[472] 
[TIME[平成31(2019)年3月][2019-03]]、
[[日本国]][[福岡県]][[宗像市]]の写本奥書に
「天政元年」
の用例 (>>9)
があることがわかりました。
[[高知近代史研究会]]の会長[[地域文化計画]]の理事[[今井章博]]は、
次のように推測しました。
[SRC[>>468]]

- [473] [[慶応]]度[[改元]]の候補に「天政」があった
- [474] [TIME[慶応元(1865)年][1865]]、
[[三条実美]]と[[土佐]]出身の[[中岡慎太郎]]や[[黒岩直方]]は[[宗像]]に滞在しており、
[[三条実美]]周辺には[[宗像]]出身の志士もいた
- [475] [[孝明天皇]]の[[崩御]]後の新元号情報が有力公家の[[三条実美]]の耳に入った可能性がある
- [476] [[三条実美]]の周辺の志士のルートで[[土佐]]や[[宗像]]に伝わったかもしれない

;; [477] [[改元デマ]]を掴まされる「有力公家」の[[三条実美]]さん・・・

[NOTE[

[478] 
[[公家]]の[[三条実美]]は、
[TIME[文久3(1863)年][1863]]に[[尊皇攘夷]]派による国政の掌握を企て失敗し
([[八月十八日の政変]])、
[[朝敵]]となり[[長州藩]]に逃亡していました
([[七卿落ち]])。

[479] 
[TIME[元治元(1864)年][1864]]の[[第一次長州征伐]]の結果[[三条実美]]らは[[福岡藩]]預かりとなり、
[TIME[慶応元(1865)年][1865]]1月に[[福岡藩]]領に移動、
2月までの約1ヶ月を[[福岡藩]]領[[宗像]]で過ごしました。

[480] 
[[中岡慎太郎]]は[[土佐藩]]士でしたが、
[[三条実美]]と共に行動していました。
[TIME[慶応3(1867)年][1867]]には京都にいました。

[481] 
[[黒岩直方]]は[[土佐国]][[安芸郡]][[土居村]]出身の[[郷士]]でしたが、
[[三条実美]]と共に行動していました。

[482] 
[[三条実美]]は[TIME[慶応3(1867)年][1867]]12月に赦免され[[上洛]]しました。


]NOTE]


-*-*-

[492] 
[TIME[令和元(2019)年6月][2019-06]]頃、
[[髙松順蔵]]の歌集の[[天晴]]の用例 (>>66)
が知られるようになりました [SRC[>>65]]。
高松家は[[土佐藩]]の[[郷士]]の家でした。
[RUBYB[[[髙松順蔵]]][[TIME[1807]]-[TIME[1876]]]]は、
[[歌人]]・[[儒学者]]で、
[[坂本竜馬]]の義理の兄に当たるほか、
弟子に[[中岡慎太郎]]がいます。

[493] 
[TIME[令和元(2019)年10月][2019-10]]の [[SNS]] 投稿によると、
「安田のギャラリーの展示」
でその歌集の用例が紹介されました
[SRC[>>130]]。
[[日本国]][[高知県]][[安芸郡]][[安田町]]の町立の[[安田町まちなみ交流館・和]]で[TIME[2019-07-13]]から[TIME[2019-12-09]]に[[高松順蔵]]の特別展が開催されており
[SRC[>>495]]、
また常設展にも[[高松順蔵]]の展示があるとのこと [SRC[>>494]] で、
そのいずれかで展示されていたのかと推測されます。

[496] 
展示では、
[[天晴]]は誤った[[元号]]であることをわかった上で使っているのだろうと解説されていたそうです。
[SRC[>>130]]
その思惑までは説明されていなかったようです。
根拠があっての推測なのかは不明です。

;; [491] 
石造物のように発注してから誤りとわかってもう直せないというケースはありますが、
歌集 (印刷物ではなさそう) で誤りと知ってて書くなんてことあり得ますかね?
相当強い根拠がないと主張できなそうですが...


[REFS[

- [494] 
[CITE@ja[企画展示・常設展│[[安田町まちなみ交流館・和 -なごみ-]]]], [TIME[2024-03-10T07:10:08.000Z]] <https://yasuda-nagomi.com/exhibition.html>
-- [495] 
[CITE[17.jpg (JPEG 画像, 800 × 1130 px)]], [TIME[2022-09-08T02:40:13.000Z]], [TIME[2024-03-10T07:12:17.105Z]] <https://yasuda-nagomi.com/archive/17.jpg>

]REFS]

-*-*-


[624] 
[TIME[令和8(2026)年2月][2026-02]]の新聞記事によると、
[TIME[令和7(2025)年12月][2025-12]]に確認された[[天政]]銘狛犬 (>>600) について、
現地の[[郷土史家]]の[[原田英祐]]は、

- [625] 現地の「若中」の銘があり、氏子の青年団が建立したものであろう。
- [626] 様式等から、[[堺]]で作られ海路で運送されたものではないか。
- [627] [CH[天]]の字の[CH[一]]と[CH[大]]の間に不自然な隙間がある。[[天政]]を知らない彫師の戸惑いを感じる。
- [628] [[東洋町]]域にも[[天政]]の[[私年号]]が広がり、当時の「若いし」が遊び心で使ったのではないか。

と推測しました。
[SRC[>>597]]

[629] 
つまり[[天政]]を知っている現地の人達が「遊び心」で[[天政]]を使って[[堺]]の工房に発注したところ、[[堺]]では[[天政]]が知られていなかったので、[CH[天]]の字形がおかしくなってしまったというのです。

[631] 
しかし、精巧な[[狛犬]]だから一大産地の[[堺]]で作られたものだという推定と、
いささか矛盾して感じられます。
[[元号]]を知らないごときで字形バランスを誤る彫師はレベルが低すぎるのではないでしょうか。知らない字ならともかく、[CH[天]]ほど基本的な文字で動揺するようなメンタルで、一大産地の職業彫師は務まるものでしょうか。


[632] 
銘文の写真をみると、指摘の通りこの[CH[天]]の字はかなり不自然です。事前の知識がなければ、まず最初に「天」ではなく「一大」と読むような配置です。

- [633] [CH[天]]のつもりが彫師の失敗で「[V[一大]]」になってしまった
- [634] 発注者が「天」と書いたものを彫師が「一大」と誤読した
- [635] 「一大政」が新元号として伝わっていた

... などいろいろの可能性も考えておくべきでしょうが、
[[元号名]]が「一大政」の3字だとすると非常に不審に思われたはずです。

[637] 
完成品の銘文を見た若中の面々は、この「[V[一大]]」の字を見てどう思ったのでしょうね。

[636] 
写真だと[CH[天]]だけ妙に字形がはっきり見えるのですが、これは撮影の加減でしょうか。それとも実物でもそう見えるのでしょうか。


[630] 
なお、少なくとも新聞記事の範囲内には「遊び心」の根拠が何も示されていません。銘文にも狛犬にも、「遊び心」を見て取れる要素は見当たりません。

[639] [[堺]]で作られたとする推定の根拠については記事中ごく簡単にしか説明がなく、
これも妥当性の検討が必要です。


-*-*-

[120] 
[[天晴]]は[[昭和時代]]後期から[[平成時代]]にかけて[[日本国]][[高知県]]では盛んに研究されましたが、
全国的な[[媒体]]での紹介は[[平成時代]]末期まであまりなく、
[[私年号研究]]の分野では見落とされてきました。

[463] 
[[平成時代]]の[[千々和到]]の[[一覧表][日本私年号一覧表]]には掲載されていません。

[464] 
[[平成時代]]の[CITE[ウィキペディア]]の一覧表に[[天晴]]が掲載され、
[[天政]]と[[天星]]がその「異説」とされています。
[SRC[>>85]]

[536] 
[[平成時代]]中期の[CITE[近代諸元号現象]]には掲載がなく、
[[令和改元]]時の[CITE[[[三訂 近代諸元号現象]]]]には[[天晴]]
(別字: [[天星]]、[[天政]]) が[[元号名]]だけ紹介されました [SRC[>>538]]。


[73] 
[[高知県]]内の[[金石文]]は、これだけ話題になっているので大方探され尽くされたのかもしれません。
文献資料は[[令和改元]]の頃に新発見があった [SRC[>>65]] 
ように、まだまだ未発見のまま眠っているものがあるかもしれません。

;; [465] 
これだけ[[金石文]]が報告されているのに[[村方文書]]が全然出てこないのは不思議です。
石造物を刻んだ村ではその当時[[文書]]にも[[天晴]]を使ったと考えるのが自然ですが...

[74] 
[[高知県]]外は[[高知県]]内ほど注目されていないようなので、
今後まだ新発見がありそうな気がします。

[360] 
[[天晴]]のように[[元号らしさ]]があまり感じられない用字は印象に残りやすいですが、
[[天政]]のようにいかにも[[元号]]のようなものは見落とされている可能性があります。

[526] 
[[高知県]]民を中心にいろいろな人が自説を述べていますが、
論点が整理されておらず議論が深まっていない感はあります。

[527] 
今後の課題を挙げるとすれば、

- [528] 新たな用例 (金石文と文献の両方、全国で) の収集を引き続き行うこと
- [529] 用例の目録を作成、管理、公開すると共に、
各資料の性格を明らかにすること
- [530] 用例に近い資料 (同時期、同地域) で慶応や明治が使われた事例を収集し、
いつ・どこで使われた、使われなかったかを明らかにすること
- [531] 地域の交通と情報の流れや人脈から伝達の過程を推測すること
- [532] [[明治時代]]の証言 (>>249) の裏付けとなる資料を捜索すること
- [534] [[京都]]や[[大坂]] (や[[江戸]]) における[[改元]]の風説の情報を捜索すること
- [533] 他の[[幕末の私年号]]との時間的、空間的関係性を把握すること


あたりでしょうか。


[REFS[

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[85] [CITE@ja[[[私年号]] - Wikipedia]], [TIME[2022-12-10T11:22:17.000Z]], [TIME[2022-12-22T12:35:00.472Z]] <https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7>
]FIGCAPTION]

>
,*私年号 	,*異説 	,*元年相当公年号(西暦) 	,*継続年数 	,*典拠・備考 
,天晴 	,天政・天星 	,慶応3年(1867年) 	,2 	,高知県下神社の石灯籠・手水鉢などに使用例多数[SUP[__&&[&&__9__&&]&&__]]

>“幻の年号「天晴(てんせい)」”. 高知市ホームページ. 高知市歴史散歩. 2019年12月6日閲覧。

]FIG]

- [572] 
[CITE@ja[「私年号」の版間の差分 - [[Wikipedia]]]], [TIME[2024-07-20T06:30:36.000Z]], [TIME[2024-07-21T08:59:06.548Z]] <https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7&diff=prev&oldid=41377699>
-- [573]  
[CSECTION[2012年2月25日 (土) 04:36時点における版]],
[[Takanuka]]
- [537] [CITE[[[近代諸元号現象]]]]
-- [538] [CITE[[[三訂 近代諸元号現象]]]], #page=4

]REFS]

* 関連

[40] 
この時代他にも日本各地で[[私年号]]が発生しました。
[SEE[ [[幕末維新期の日時]] ]]

[45] 
同時期の東国で見られた「[[大政]]」との関係が気になりますね。

[124] 
[[後南朝]]関連にもあります。 [SEE[ [[天晴][天靖]] ]]

* 天晴 (天候)

[136] 
[CITE@ja[KU-1100-19841125-02.pdf]], [TIME[2024-02-19T05:09:27.000Z]], [TIME[2024-02-19T05:35:14.275Z]]
<https://kansai-u.repo.nii.ac.jp/record/4556/files/KU-1100-19841125-02.pdf>
#page=4

[137] >>136 

「天晴乙亥梵崟来[SNIP[]]」

[138] これは日記なので、この「天晴」はおそらく[[天候]]が[[晴れ]]の意味。

[139] その次の[[乙亥]]はこの位置なら[[日干支]]が来そう。

[140] 
ところがこの日は[TIME[寛永14(1637)年9月15日][kyuureki:1637-09-15]]とされ、
[[日干支]]は[[庚辰]]で一致しない。

[141] 
[TIME[寛永10(1633)年4月9日][kyuureki:163-04-09]]説もあって、誤読とされるが、
それでも[[庚午]]で一致しない。

[142] 
[[年干支]]でも[[月干支]]でもないし、[[時刻][十二支時刻]]とも[[方角][十二支方位]]とも考えにくい。

[143] 
>>136 #page=7 では

>
[V[天晴。乙亥、梵崟来。[SNIP[]]]]

と訓んでいるが、どういう解釈なのかよくわからない。

[144] 
仕方がないので前後の[[年]]を調べてみると、ちょうど1年後の[TIME[寛永15(1638)年9月15日][kyuureki:1638-09-15]]が[[乙亥]]。


* 天政 (天正)

[SEE[ [[天正]] ]]


* 天政 (文政)

[361] 
[[文政]]のことを[[天政]]と書いた例がいくつかあります。

-*-*-

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[115] [CITE@ja[美味しい和菓子♪ : 花の香りとともに]], [[b-clair]], 
2013年 04月 11日 ,
[TIME[2022-12-29T09:37:42.000Z]] <https://bclair.exblog.jp/20280369/>
]FIGCAPTION]

>[SNIP[]]
愛知県江南市に本店の、大口屋さんの”餡麩三喜羅”という麩饅頭です。
>創業天政元年という老舗店の代名詞ともいえるお菓子で、モチモチっとした生麩が、さっぱりとしたこし餡をたっぷり包んでおり、美味しい一品です。
]FIG]

[189] 
[CITE@ja[Xユーザーのノンシュガーさん: 「今日はシュークリームも貰った上に、創業天政元年、愛知県江南市の大口屋さんのさんきら餅まで頂いちゃいました。太るよー https://t.co/kw5Swnd0HA」 / [[X]]]], [TIME[午後7:47 · 2018年6月4日][2018-06-04T10:47:51.000Z]], [TIME[2024-03-05T08:05:14.000Z]] <https://twitter.com/Ao1BbEAEkuvj0Km/status/1003589139088924672>


[REFS[

- [145] [CITE@ja[三喜羅、「食わず嫌い王決定戦」で選ばれた愛知の逸品:セントレア的生活!もっと楽しむガイド]], [TIME[2024-03-04T09:52:34.000Z]] <http://centrair.livedoor.biz/archives/54609140.html>
-- [146] [CITE[36bea4e3.JPG (JPEG 画像, 300 × 225 px)]], [TIME[2023-10-29T15:54:07.000Z]], [TIME[2024-03-04T09:53:44.266Z]] <https://livedoor.blogimg.jp/tiritiricentrair/imgs/3/6/36bea4e3.JPG>

]REFS]

[147] >>145

>創業天政元年 愛知県江南市の大口屋さんのお菓子、[B[≪三喜羅≫]]。[SNIP[]]

[REFS[

- [148] [CITE@ja[会社案内 – 菓子処 大口屋]], [TIME[2024-03-04T09:54:03.000Z]] <https://www.ooguchiya.co.jp/company/>
-- [149] [CITE[ad01.png (PNG 画像, 300 × 250 px) — 表示倍率 (95%)]], [TIME[2019-10-16T06:31:11.000Z]], [TIME[2024-03-04T09:54:30.675Z]] <https://www.ooguchiya.co.jp/wp/wp-content/uploads/2019/10/ad01.png>

]REFS]

[150] >>148

>
,*創業	,文政元年(1818年)


[151] 
>>150 より >>147 は[CH[文]]を[CH[天]]と誤読したものであることがわかります。

ブログ記事掲載写真 [SRC[>>146]] 
に同梱の案内と思われる紙片に「創業 文政元年」と筆文字で書かれていて、
ブログ記事掲載写真が低解像度なのもありますが、
たしかに[CH[天]]と読んでも仕方ない字形に見えます。

公式サイトの写真 [SRC[>>149]] を見るとこの字形は何パターンかあるようですが、
よくみれば[CH[文]]ではあるもののパッと見で[CH[天]]と誤読されることも理解できる字形があります。

[174] 
同じ和菓子店を複数の人が誤読しています。書いていないだけで誤解している人は他にもいそうです。

-*-*-



[83] 
[CITE@ja-JP[[[高山市史]] 下]], [[高山市]], [TIME[1953]], [TIME[2022-12-21T08:14:19.000Z]], [TIME[2022-12-23T13:15:24.949Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/3015353/1/343> (要登録)

[175] 
>>83 右
「天政元年七月六日」と書かれている、原文にあるのか編集時の誤植か?
前の項目が文化11年、次の項目は文政12年なので、
市史編集者は文政元年と考えているが注釈を入れていない。

[152] 
出典は高山町年寄日記とあるので、原文日付はこの表記ではなさそう、
おそらく排列から文政元年で間違いないのだろうが、 >>82 のように飛騨でも「天政」の用例があるので要注意。

*天政 (天明)


[362] 
[[天明]]のことを[[天政]]と書いた例が1例あります。
単発の誤記に過ぎないと思われます。

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[176] [CITE@ja[[[塩昆布]] – 八代目神嵜屋宗兵衛]], [TIME[2024-03-05T09:21:12.000Z]] <https://kanzakiyasoubei.com/products/shio-konbu/>
]FIGCAPTION]

>
[BOX[

[BOX(set)[

[BOX(left)[
[B[[WEAK(quarter)[point]][BR[]]01]]
]BOX]

[BOX(left)[
[BOX(set)[
[BOX(left)[
[B[天政元年(1781)より受け継ぐ[BR[]]「一子相伝」の技]]
]BOX]
]BOX]
]BOX]

]BOX]

初代神嵜屋宗兵衛が天明元年大坂船場靭町(現・伏見町一丁目)で創業し、
[SNIP[]]

]BOX]


]FIG]

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[178] 
[CITE@ja[[[食福]] – 八代目神嵜屋宗兵衛]], [TIME[2024-03-05T09:25:25.000Z]] <https://kanzakiyasoubei.com/concept/>
]FIGCAPTION]

>
[BOX(center)[
天明元年(1781年)に創業した神嵜屋宗兵衛では、
]BOX]

]FIG]

[177] 
[TIME[西暦1781年][1781]]は天明元年。本文では正しいのにそれより目立つ[[見出し]]で間違っていてなぜ気付かないのか不思議。

* 天星 (香港)

[363] [[天星]]は[[香港]]での利用例もあります。[[幕末の私年号]]とは無関係です。
[SEE[ [[天星 (香港)]] ]]


* 天星 (作中元号)

[190] [[天星]]は[[作中元号]]の事例もあります。

- [192] [CITE@ja[Xユーザーの鷹橋義歌/エグゾルエリスカさん: 「【創作漫画】生き残った男が異形の獣と弟を探しに行く話 7 (1/2 #漫画が読めるハッシュタグ https://t.co/QVtQPEDbDZ」 / X]], [TIME[午後11:45 · 2023年8月12日][2023-08-12T14:45:19.000Z]], [TIME[2024-03-06T08:52:35.000Z]] <https://twitter.com/EgerAdm666/status/1690373906329481216/photo/1>
- [191] [CITE@ja[Xユーザーの鷹橋義歌/エグゾルエリスカさん: 「年号の表記修正したのをpixiv上げ忘れてだから後でなおします 天鬼→天星 おじがカシム保護して20年経ってます」 / X]], [TIME[午前10:44 · 2023年8月13日][2023-08-13T01:44:34.000Z]], [TIME[2024-03-06T08:52:35.000Z]] <https://twitter.com/EgerAdm666/status/1690539813450223616>


* メモ







- [80] 
<https://dl.ndl.go.jp/pid/1483576/1/36>
(非公開)
-- [420] [CSECTION[天晴元年]], [[高村晴義]]












[113] [[国立国会図書館]]に所蔵されていないが地元の[[図書館]]にある関係書籍:

- [93] [[オーテピア高知図書館]]所蔵[CITE[[[秦史談]] 25~28号]]
-- [94] 27号
--- [95] [CITE[謎の私年号と線彫地蔵]], [[岡村庄造]], p.9-
- [90] [[オーテピア高知図書館]]所蔵[CITE[[[秦史談]] 29~32号]]
-- [91] 31号
--- [92] [CITE[朝日新聞より世直し期待の私年号「天晴」]], [[広谷喜十郎]], p.19-
- [87] [CITE[[[秦史談]]]] 平成28年5月 第186号
-- [88] [CSECTION[談話室]]
--- [89] [CITE[謎の私年号]], [[松本紀郎]]
- [96] [CITE[香美史談]] 42号
-- [97] [CITE[いわゆる私年号「天晴」を考える]], [[濱田眞尚]]
-- [98] [CITE[新元号「令和」と元号について]], [[上村敬介]]
- [103] [CITE[高知史学 : 歴史研究会紀要]] 20号
-- [104] [CITE[「天晴元年」という高知県下の私年号]], p.1-
- [105] [[オーテピア高知図書館]]所蔵[CITE[[[龍馬研究]] №84~100]]
-- [106] [CITE[幕末の「天晴」私年号について]], [[広谷喜十郎]], p.4
- [111] 
[CITE[高知観光ガイドブック 土佐山地区 鏡地区 春野地区 改訂増補版 4]],
[[土佐観光ガイドボランティア協会]],
[TIME[2019-04]]
-- [112] [CSECTION[森神社と御山所宮の私年号]], p.96
- [118] [CITE[諸木の記録]], 昭和37年
-- [119] [CSECTION[天政と天晴]]
-- [393] 
[CITE@ja[資料詳細]], [TIME[2024-03-09T12:45:06.000Z]] <https://archive.otepia.kochi.jp/webmuseum/detail?cls=book_kinds&pkey=LB204100324>

-*-*-

[107] [CITE[高知新聞]]記事

- [108] [CSECTION[幕末土佐の私年号「天晴」 刻んだ石碑や絵馬写真展 城博館]],
[TIME[2018-01-25]]
-- >>17
- [109] [CSECTION[私年号「天政」福岡でも?宗像市古文書で確認]],
[TIME[2019-04-26]]
-- >>38
- [110] [CSECTION[安田の古文書に「天晴」 龍馬の義兄私年号記す]],
[TIME[2019-06-28]]
-- >>65

-*-*-

[556] 
石造物の用例の残存数が多いのがこの[[私年号]]の特徴ですね。

[557] 
[[土佐]]では毎年こんなに石灯篭を立てていたのでしょうか。それともこの年だけ多いのでしょうか。









- [483] [CITE[私年号「天晴」あれこれ]], [[岡村庄造]]
-- [484] >>122 に一部の写真


- [485] [CITE@ja[元号・西暦逸話 | NDLサーチ | [[国立国会図書館]]]], [TIME[2024-03-10T04:21:27.000Z]] <https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R000000004-I032244069>
-- [487] [CITE@ja[よど23号目次 - 予土歴史文化研究会]], [[yodoken]], [TIME[2024-03-10T04:20:58.000Z]], [TIME[2024-03-10T04:22:50.821Z]] <https://yodoken.blog.fc2.com/blog-entry-17.html>
-- [486] >>128 に新聞の紹介記事


- [497] [CITE@ja-jp[Amazon.co.jp: 広瀬金蔵-絵金の真実: 「土佐にあだたぬ男」は龍馬だけではなかった : 村上 純一: [[本]]]], [TIME[2024-03-10T08:06:32.000Z]] <https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4882551624/wakaba1-22/>
-- [499] [CSECTION[3 広瀬金蔵と「天晴」の私号(芝居絵屏風が生まれた背景)]]
-- [498] >>134 に新聞の紹介記事





[574] [CITE@ja-JP[土佐史談 (181)]], [[土佐史談会]], [TIME[1989-09]], [TIME[2025-02-25T01:55:51.000Z]], [TIME[2025-03-23T06:34:02.416Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/7913124/1/40?keyword=%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7> (要登録)


[596] [CITE@ja[Xユーザーのななづきさん: 「今日の高知新聞ローカルジャーナルのコーナーに南国史談48号が紹介されてました 「南国市植野 野村家資料に見る所謂私年号『天晴』などが載っているそうです」 / X]], [TIME[午前11:09 · 2025年7月3日][2025-07-03T02:09:32.000Z]], [TIME[2025-09-06T06:51:04.000Z]] <https://x.com/nana_duki/status/1940593724217770048>



[645] 
[CITE@ja-JP[中山秀雄]], [[矢野城楼]], [TIME[1987.1][1987]], [TIME[2026-03-03T01:08:12.000Z]], [TIME[2026-03-03T08:12:43.994Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/13128224/1/39?keyword=%E5%A4%A9%E6%99%B4> (要登録)


[648] 
[CITE@ja-JP[日本民俗学文献総目録]], [[日本民俗学会]], [TIME[1980.5][1980]], [TIME[2026-03-03T01:08:12.000Z]], [TIME[2026-03-03T08:31:27.562Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12155879/1/365?keyword=%E5%A4%A9%E6%99%B4%E5%85%83%E5%B9%B4> (要登録)

[649] 
[CITE@ja-JP[土佐史談 (184)]], [[土佐史談会]], [TIME[1990-10]], [TIME[2026-03-03T01:08:12.000Z]], [TIME[2026-03-05T05:47:54.598Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/7913127/1/39?keyword=%E5%A4%A9%E6%99%B4> (要登録)

[650] 
[CITE@ja-JP[伊野・春野伝説散歩]], [[市原麟一郎 編著]], [TIME[1977.7][1977]], [TIME[2026-03-03T01:08:12.000Z]], [TIME[2026-03-05T05:48:51.166Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12468133/1/97?keyword=%E5%A4%A9%E6%99%B4> (要登録)
