[6] 
[[超古代史]] ([[古史古伝]])
は独特の[[日時システム]]を使っていることがあります。

[7] 
[[物語世界]]の[[架空の日時]]の一種ですが、
信奉者らによって、現実世界の過去を記述したものだと信仰されている点が特徴です。


* 先代旧事本紀

[2013] 
[CITE[先代旧事本紀]]
[WEAK[(9世紀頃成立)]]
は、
[[歴史書]]でした。
[[神代]]から[[推古天皇]]時代までを扱っていました。

[2014] 
[[平安時代]]に既に存在したとされ、
一時は[[記紀]]より古い現存最古の歴史書とも考えられました。
[[江戸時代]]頃から[[偽書]]と考えられるようになりました。
現在では、
序文が後の時代に作られた偽造されたもので、
それ以外は[[平安時代]]成立のある程度信用して良いものとされています。

[SEE[ 本文の日付については[[日本古代の日時]] ]]

-*-*-

[2016] 偽書とされる序文に、
次のようにありました。
[SRC[>>2015]]

- [2017] 「于時小治田豐浦宮御宇豐御食炊屋姬天皇即位廿八年歲次庚辰,春二月甲午朔戊戌
[WEAK[【○底本作三月,據日本長曆正之。】]]」
- [2018] 「于時卅年歲次壬午春二月朔癸丑是也。[WEAK[【○底本作己丑,按長曆校之。】]]」

[2019] 
それぞれ[TIME[推古天皇28(620)年][year:620]]、
[TIME[推古天皇30(622)年][year:622]]と解されています。

[395] 
[[推古天皇]]時代に[[天皇即位紀年]]が実用された根拠はなく
[SEE[ [[日本古代の日時]] ]]、
それも[[偽書]]と疑うべき根拠といえます。

[REFS[
- [2015] [CITE[私本 [[先代舊事本紀]]]], [TIME[2020-06-06 11:23:36 +09:00]] <https://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/sendaikuji/sendaikuji_top.htm>
]REFS]




* 九鬼文書

[5] 
[DFN[皇紀]] ([DFN[天之御中主天皇即位紀元]])
[SRC[>>2]]

[1] 
[DFN[神紀]]
[SRC[>>2]]

[94] 
[CITE@ja-JP[日本超古代秘史資料]], [[吾郷清彦]], [TIME[1976]], [TIME[2025-07-30T10:21:15.000Z]], [TIME[2025-08-29T11:02:12.018Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12271996/1/103?keyword=%E7%A5%9E%E7%B4%80+%E7%9A%87%E7%B4%80> (要登録)

神紀 皇紀


[93] [CITE@ja-JP[九鬼神伝全書 : 中臣神道・熊野修験道]], [[吾郷清彦]], [TIME[1983.6][1983]], [TIME[2025-07-30T10:21:15.000Z]], [TIME[2025-08-29T11:00:05.075Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12262211/1/37?keyword=%E7%9A%87%E7%B4%80> (要登録)

神紀 皇紀

[95] 
[CITE@ja-JP[日本超古代史の謎に挑む : 日本・ユダヤ同祖論の深層]], [[柞木田竜善]], [TIME[1985.9][1985]], [TIME[2025-07-30T10:21:15.000Z]], [TIME[2025-08-29T11:04:18.522Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12239224/1/143?keyword=%E7%A5%9E%E7%B4%80+%E7%9A%87%E7%B4%80> (要登録)


[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[2] [CITE@ja[皇紀(九鬼文書) - Uyopedia]]
([TIME[2009-02-22 00:00:31 +09:00]] 版)
<http://uyopedia.a.freewiki.in/index.php/%E7%9A%87%E7%B4%80%EF%BC%88%E4%B9%9D%E9%AC%BC%E6%96%87%E6%9B%B8%EF%BC%89>
]FIGCAPTION]

> 「九鬼文書」の用語。「九鬼文書」では「皇紀」といえば神武天皇ではなく天之御中主天皇から数えることになっている。
> 天之御中主天皇から伊弉諾天皇まで2万余年、天照天皇から彦火山々出見天皇まで8000余年、鵜茅不合葺天皇時代が1200余年、神武天皇から孝明天皇まで2500余年(神武天皇の即位年を「日本書紀」と同じとすると実数は2527年間であり、「余年」というのは±30年くらいの誤差をいうことがわかる)。「余年」がつくように、これは概数であり、正確な年数は伝承(?)がない。 そのため実際の紀元としては使えないが、仮に「余年」を無視すると神武天皇より2万9200年前であり、元年はBC2万9860年となる。


> 「九鬼文書」においては皇紀の他に「神紀」なるものが登場する。これは「九鬼文書」では天之御中主天皇以前にも様々な神々が創作追加されており、宇宙初発の神である「太源輝道神祖」(もとつわたらせのおおかみ)とその次ぎの「天津身光大神」(あまつみひかりのおおかみ)までが2万3000年(余年はない)、「天津日身光大神」(あまつひのみひかりおおかみ)から天之御中主神(天之御中主天皇とは別でその親神)まで13世の神々があってこの期間(造化時代)が5万余年とする。これは天之御中主天皇よりも約7万3000年前であり、これも仮に余年を無視するとその元年はBC10万2860年となる。

]FIG]


[REFS[
- [3] [CITE@en[[[天之御中主天皇即位紀元]] (Era) - SuikaWiki Data]]
<https://data.suikawiki.org/era/1728>
]REFS]

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[4] [CITE@ja[[[古史古伝]]にみる天照大神観|hifumi1810さんのブログ]]
( ([TIME[2016-05-03 23:29:01 +09:00]]))
<http://ameblo.jp/hifumi1810/entry-10652112830.html>
]FIGCAPTION]

> この神から更に何代かの神を経て“神皇始祖”「天之御中主天皇(あめのみなかぬしすめらみこと)」の名があり、「此天皇、即位年ヲ皇紀元年トス」と記されています。

]FIG]

* [CITE[上記]]、[CITE[秀真伝]]

[64] [[天鈴暦]]

[92] 
[CITE@ja[Xユーザーの原田 実さん: 「だいたい、ミチノク(陸奥の首長)がヤマトタケ(日本武尊)から使っている暦を聞かれて「イセのコヨミ」と答えるなんて文書が古代のもののわけがないじゃない>「ホツマツタエ」」 / X]], [TIME[午後0:00 · 2025年2月16日][2025-02-16T03:00:27.000Z]], [TIME[2025-08-28T03:36:57.000Z]] <https://x.com/gishigaku/status/1890959396470923676>


[99] 
[CITE@ja-JP[「古史古伝」論争]], [[新人物往来社]], [TIME[1993.7][1993]], [TIME[2025-09-30T02:09:54.000Z]], [TIME[2025-10-16T08:27:20.801Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/13199896/1/219?keyword=%E5%AE%9D%E6%B0%B8> (要登録)

[[宝永]]15戌年 ([[延長年号]] +8年)

* 竹内文書


[15] 
[[皇祖皇太神宮天津教]]の教祖[RUBYB[[[竹内巨麿]]][[TIME[1874]]-[TIME[1966]]]]らの偽造とされる[[竹内文書]]は、
原本は[[第二次世界大戦]]中、[[米軍]]の[[東京大空襲]]虐殺事件の折に焼失したとされています。

-*-*-

[16] 
現存する目録の各文献には
「幹仁帝応永八年三月二十二日」
のような日付が書かれているものが多数あります。
[SRC[>>12]]
(目録は文書が[[靖国神社]]に預けられた折に作られたのでしょうが、
その信憑性は不明で、原本をどの程度忠実に反映したのかも不明です。)

[17] 
「幹仁帝」は[[後小松天皇]]です。
[SRC[>>12]]
[[元号名]]の前に[[天皇]]名を置くことは一般的でしたが、
このような[[諱]] + 「帝」の形はあまり見られません。
なぜ敢えてこのような表記を選んだのかは不明です。
他の[[天皇]]と取り違えたものや誤記、
由来不明の呼称も使われていました。

[18] 
「小聖帝延喜甲子才」
[SRC[>>12]]
(= [TIME[醍醐天皇延喜4(904)年[LINES(smaller)[甲][子]]][904]])
や
「康平五壬寅年十二月十六日」
[SRC[>>12]]
のような、構文から見て到底その時代に書かれたとは思えない表記もありました。
[SEE[ [[東洋の日時表示]] ]]
- [54] 
[CITE[紀氏竹内系図]]
「天平勝宝八丙申年正月二十九日生正五位上天長十癸丑年二月一日[SNIP[]]延喜癸丑二十三年十二月七日」
[SRC[>>11 p.196]]
-- 延喜23年は癸未
- [57] 
[CITE[紀氏竹内系図]]
「天平神護元乙巳年九月一日生正四位下延長七己午十月二十日[SNIP[]]天暦五甲亥年七月八日[SNIP[]]」
[SRC[>>11 p.198]]
-- [58] 己午, 甲亥は実在しない[[干支]]


;; [25] 文献ごとに表記が様々にバラけていて、
同じ人物の偽造だとすると画一的になり過ぎないよう注意していたのでしょうが、
時代考証は不十分だったようです。


[23] 
[[元号年]]と[[干支]]の不一致も複数ありました。

[19] 
次のような怪しい[[元号名]]もありました。

- [20] 
「祢遠尊帝天号二己巳十月二十日」
[SRC[>>12]]
-- [TIME[淳和天皇天長2(825)年[LINES(smaller)[乙][巳]]][825]]
-- [21] 「長」の崩れた[[字形]] (「长」) が「号」に変化した?
- [24] 
「元利二丙辰年三月六日」
[SRC[>>12]]
-- 元和2年丙辰 [SRC[>>12]]
- [27] [[菅原道真]]
「日泰二年六月十五日」
[SRC[>>12]]
-- 
[28] 昌泰2年 [SRC[>>12]]
- [26] 
「応永三十六年二月十八日」
[SRC[>>12]]
-- [[延長年号]] +2
- [32] 
「大伴帝延元五年八月二日」
[SRC[>>12]]
-- [35] [[延長年号]] +0 4月28日[[改元]]
-- [33] 本来「大伴」は[[淳和天皇]] [SRC[>>12]]
-- [34] [[延元]]時代は[[後村上天皇]] [SRC[>>12]]

[37] 通常の[[月番号]]のものの他に、独特の[[月名]] [SRC[>>38]]
を使ったものも複数ありました。

- [22] 「日両帝神亀戊辰なよな月」
[SRC[>>12]]
-- [[聖武天皇]]
- [30] 
「惟城帝昌泰己未年伊矢代月十四日」
[SRC[>>12]]
-- [[醍醐天皇]] [SRC[>>12]]
- [31] 
「素融帝正応壬辰歳左奈部月三日」
[SRC[>>12]]
-- [[伏見天皇]] [SRC[>>12]]
- [36] 
「文禄四年子月二十六日」
[SRC[>>12]]
- [29] 
「美廉斯神亀三夏ラベン自」
[SRC[>>12]]
- [49] 
「[V[神日本六十一代宇多天皇御代寛平四年 [WEAK(smaller)[__&&[&&__*八九二__&&]&&__]] サナヘ〔五月〕立六日]]」
[SRC[>>47]]
- [50] 
「寛平四年サナヘ月立日ム日〔六日〕」
[SRC[>>47]]
- [51] 
「延喜三年ケサリ月〔二月〕籠リ日」
[SRC[>>47]]
- [52] 
[[菅原道真]]遺言
「[V[神日本紀元千五百六十九年ハ延喜九年ニ[SNIP[]]]]」
[SRC[>>47]]
- [53] 
「延喜十年ケサリ月籠イ日」
[SRC[>>47]]

[55] 
[CITE[道]],
[[皇祖皇太神宮東海支部奉栄会]],
[TIME[1973-08-25]]
「[V[神明三十日神宮の日々の言ひ方は、一日より十日迄󠄃を[BR[]][RUBY[立][タツ]]何日・十一日より二十日迄󠄃を[RUBY[円][マド]]何日・二十一日より月末迄󠄃を[RUBY[籠][コムリ]]何日と申します。]]」
[SRC[>>11 p.197]]

;; [56] 
立一日から籠十一日まで守護する神社、祭神が配当されていました
[SRC[>>11 p.197]]。
(籠11日があるということは[[グレゴリオ暦]]?)

-*-*-

[42] 
次のような[[即位紀年]]らしき[[日付]]がありました。

- [43] 
「[V[アマツヒツキ〔天津日嗣〕六十一年フクミツキ〔七月〕タツイツヒ〔立五日〕]]」
[SRC[>>40]]
- [45] 
「[V[ヒツキ〔日嗣〕六十二年イヤヨツキ〔三月〕タツ〔立〕一日]]」
[SRC[>>40]]
- [46] 
「[V[ヒツギ〔日嗣〕六ネン〔年〕ナヨナツキ〔九月〕タツ一ヒ〔立一日〕]]」
[SRC[>>40]]


;; [44] [* [VAR[...]] ] は掲載書籍 [SRC[>>11]] の著者が挿入したもの。
〔 [VAR[...]] 〕 は不明。


[REFS[

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[38] 
[CITE@ja[[竹内文書を読む-02__&&]&&__[[暦月]]の名称を考える : 伊那の谷から古代が見える]], [[hansaki460]], 
2013-01-02 10:41,
[TIME[2021-08-19T09:21:25.000Z]] <https://utukusinom.exblog.jp/19452213/>
]FIGCAPTION]

>
[PRE[
  月 【竹内文献】  和風月名(現代)

  1月  むつひ月   睦月  むつき
  2月  けさり月   如月  きさらぎ
  3月  いやよ月   弥生  やよい
  4月  うべこ月   卯月  うづき
  5月  さなへ月   皐月  さつき
  6月  みなつ月   水無月 みなづき
  7月  はやれ月   文月  ふみづき
  8月  なよな月   葉月  はづき
  9月  ふくみ月   長月  ながつき
 10月  かなめ月   神無月 かんなづき
 11月  じぶる月   霜月  しもつき
 12月  しはつ月   師走  しわす
]PRE]
>
この名称は、大和朝より以前にあったとされる「不合(ふあえず)朝」の三代スメラミコトの時の記述に書かれている。
]FIG]

- [11] [CITE[幻影の偽書『竹内文献』と竹内巨麿 [WEAK[超国家主義の妖怪]]]],
[[藤原明]],
[V[二〇二〇年 一 月二〇日  初版印刷]],
[V[二〇二〇年 一 月三〇日  初版発行]]
-- [10] [CITE@ja-jp[幻影の偽書『竹内文献』と竹内巨麿: 超国家主義の妖怪 | [[藤原明]] |本 | 通販 | Amazon]], [TIME[2021-08-19T08:06:25.000Z]] <https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4309227988/wakaba1-22/>
-- [12] 
[CSECTION[[V[別表  遊就館保存の皇祖皇太神宮御神宝総󠄃目録中より文献のみ抜粋したリスト]]]],
pp.130-138
--- [13] 出典:
[CITE[古代の叡智『竹内文書』と神秘秘伝の術事],
[[竹内康裕]],
[V[二〇一五]]
---- [14] 
[CITE@ja-jp[古代の叡智『竹内文書』と神秘秘伝の術事: 祝詞CD付き | [[竹内康裕]] |本 | 通販 | Amazon]], [TIME[2021-08-19T08:11:59.000Z]] <https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4198639744/wakaba1-22/>
-- [40] 
[CITE[[V[吉備津彦尊軍略之巻]]]],
pp.184-191
--- [41] 本書の[[著者]]が古書店で購入した
[CITE[神皇御記録]],
[[小島光枝]]に「挟み込まれていたコピー」 (の[[翻刻]])。
-- [47] 
[CITE[〈菅原道真公遺言〉]],
pp. 191-199
--- [48] 本書の[[著者]]が古書店で購入した
[CITE[日国是文字源]] 天地人三巻,
[[高畠康壽]]に「挿入されていたコピー」 (の[[翻刻]])。
題名は本書の[[著書]]が与えた仮題。



]REFS]

@@
[BOX[

[66] [CITE[シドニー浜の竹内文書・竹内文献に関するメモ帳]], [TIME[2015-12-10T01:47:01.000Z]], [TIME[2023-04-14T14:42:17.242Z]] <http://sydneyminato2.web.fc2.com/101.html>

[86] 
[CITE[修訂 [[絹と立方体]]]], pp.[L[282]]-

[CITE[神万史]]から引用して超古代の天皇の即位紀年と独自の月名と日が書かれている。


[100] 
[CITE@ja-JP[古代推算究極の年表]], [[木村信行]], [TIME[1992.11][1992]], [TIME[2025-12-18T02:09:35.000Z]], [TIME[2025-12-18T06:43:15.276Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/13211888/1/6> (要登録)

[101] 
[CITE@ja-JP[神字起源解]], [[高畠康明]], [TIME[1931]], [TIME[2025-12-18T02:09:35.000Z]], [TIME[2025-12-18T11:44:50.559Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1085573/1/54> (要登録)


]BOX]

* 宮下文書 (富士古文書)


[62] 
[CITE@ja[原田 実さんはTwitterを使っています: 「『[[富士宮下文書]]』の上代・神代に限って言っても、神武天皇即位の日付を「二月十一日」にしているだけで明治6年以降の近現代の作ということは明らか(ちなみにこれは『神皇紀』の加筆ではなく元の「古文書」でもそうなっていることが影印版で確認できます)」 / Twitter]], [TIME[午前11:31 · 2022年10月17日][2022-10-17T02:31:40.000Z]], [TIME[2022-10-17T05:47:23.000Z]] <https://twitter.com/gishigaku/status/1581835303337463808>

[63] [CITE@ja[星天講さんはTwitterを使っています: 「@QP_honey99 「富士古文書」の中ではもともと独自の暦(仕組みは分類上は太陽暦)だったのが応神天皇の時に中国式の暦に改めたことになってるのよ」 / [[Twitter]]]], [TIME[午後0:28 · 2022年10月17日][2022-10-17T03:28:46.000Z]], [TIME[2022-10-17T05:47:23.000Z]] <https://twitter.com/hoshisora_c/status/1581849675748868096>



[65] 関連: [[肇国ノ紀元]]

* 和田家文書

[39] 
[[和田家文書]]は、
[[昭和時代]]に[[和田喜八郎]]が偽造したとされる文書等です。
現在の[[青森県]]を中心とする[[超古代史]]が記録されていました。
[[平成時代]]初期に真贋論争があり、
筆跡などから[[偽書]]と確定されました。
今でも一部の[[陰謀論]]グループなどが信奉しています。
[SEE[ [[和田家文書]] ]]



- [586] [CITE[偽書『東日流外三郡誌』の亡霊 [WEAK[荒吐の呪縛]]]],
[[藤原明]],
[V[二〇一九年一二月二〇日  初版印刷]],
[V[二〇一九年一二月三〇日  初版発行]]
-- [587] [CITE@ja-jp[偽書『東日流外三郡誌』の亡霊: 荒吐の呪縛 | [[藤原明]] |本 | 通販 | Amazon]], [TIME[2021-08-18T08:58:22.000Z]] <https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4309227929/wakaba1-22/>


[588] 
[CITE[青森民友]]
昭和三十二年三月三十一日掲載
[CITE[中山修験宗の文化物語 (36)]],
[[開米智鎧]]に,
「発掘資料の断片」
を根拠に
「[V[正二十元年]]」
に云々との記述がありました。
[SRC[>>586 p.148]]

[589] 
この表記が「発掘資料」に由来するものか、
[[開米智鎧]]または[CITE[青森民友]]が誤ったものか不明です。
[[藤原明]]は「二十」の後に「平」の誤りかと注釈しており
[SRC[>>586 p.148]]、
「正平元年」を意味すると解したようです。

[590] 
ここにいう「発掘資料」とは、
[[和田家文書]]の偽造で知られる[[和田喜八郎]]が発掘した
「[[役小角]]墳墓」
で出土した文献です。
[[役小角]]研究で知られた[[郷土史家]]の[RUBYB[[[開米智鎧]]][[TIME[1888]]-[TIME[1969]]]]は、
当時真書と信用していたようです。
現在ではそれらも墳墓自体も捏造と考えられています。

[591] 
「[V[二十]]」と「[V[平]]」は字形が似ています。
原書 (偽文書) の字形がやや崩れていて見誤ったのでしょうか。

[60] 
[[南朝の元号]]の[[興国]]への執着がみられるとも言われます。
[SRC[>>61]]

[59] 
[[永元]], [[正久]]という謎の[[元号]]も使われています。

[REFS[
- [61] [CITE[[[近代諸元号現象・改]]]], p.686
]REFS]

-*-*-

- [67] [CITE@ja-JP[郷土史料異聞珍談 : 一名津軽伝説集]], [[福士貞蔵]], [TIME[1956]], [TIME[2023-06-27T13:15:37.000Z]], [TIME[2023-07-04T03:20:26.373Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/3009227/1/30> (要登録)
- [69] [CITE@ja-JP[東日流外三郡誌 第5巻 (宗教編)]], [[小館衷三, 藤本光幸]], [TIME[1985.9][1985]], [TIME[2023-06-27T13:15:37.000Z]], [TIME[2023-07-04T03:20:35.416Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9571636/1/91> (要登録)
/19, /87, /91
- [71] [CITE[和田家文書調査の思い出 古田先生との津軽行脚 - tugaru232.pdf]], [TIME[2023-06-11T09:00:45.000Z]], [TIME[2023-07-04T03:21:17.833Z]] <https://www.furutasigaku.jp/jfuruta/move/tugaru232.pdf#page=13>
- [74] [CITE@ja[第3074話 2023/07/20]], [TIME[2023-07-26T03:21:46.000Z]] <https://koganikki.furutasigaku.jp/koganikki/tatuya-koga/post-11428/>
- [73] 
[CITE@ja[第3077話 2023/07/23]], [TIME[2023-07-26T03:11:20.000Z]] <https://koganikki.furutasigaku.jp/koganikki/tatuya-koga/post-11440/>


[70] [[役小角]]関係の「壷」銘の日付が「大宝辛丑天」で、
関係する「伝説」にもこの日付が出てきます。
[[元号名干支年表示]]、[[天年号]]という[[近世]]臭ある[[日付][東洋の日時表示]]。

[72] 
>>67 には「和銅戍申夭」も。

[77] 
>>73 の[[翻刻]]は「和銅戌申天十二月十一日」。

[75] 
この銘文があるという「銅板」は現在行方不明とのこと [SRC[>>74]]。

[76] 
しかも >>74 によると信奉者グループも実見しないで (写真すらなく)
流布されている銘文だけを読んであれこれ妄想しているらしい。
「実物」が当初は実在していたのかも要検証事案?

[78] 
近世臭がある、というのは近代偽造説の一部を切り崩せる可能性はあるのだから、
信奉者グループももっと慎重に銘文を読んで検討してみたらいいのにねえ。

-*-*-

[79] [CITE@ja[〝興国の大津波〟は元年か二年か]], [TIME[2023-11-09T06:57:26.000Z]] <https://koganikki.furutasigaku.jp/koganikki/tatuya-koga/post-11849/>

>この他に、「興国己卯年」「興国己卯二年」のような年号と干支がずれている表記も見えます。すなわち、「己卯」は1339年であり、年号は「延元四年(南朝)」あるいは「暦応二年(北朝)」で、興国元年の前年にあたります。[SNIP[]]
>[SNIP[]]
> この年号と干支がずれている表記がどのような理由で発生したのかは未詳ですが、「東日流外三郡誌」編纂時(寛政年間頃)に〝興国の大津波〟の年次を興国元年とする史料と興国二年とする史料とが併存していたと考えざるを得ません。[SNIP[]]

[80] >>79 [[和田家文書]]を真書と主張したいなら、[[昭和時代]]にはもう[[南朝の元号]]の正しい年次が知られていた、
[[南北朝正閏論]]決着後に[[南朝の元号]]を間違えるなどあり得ない、
これは近現代の偽造でなく近世に書かれた決定的証拠だ!ってもっと喜んでいいと思うんですけどね。
なんでか妙に消極的ですねえ。

[81] 
なぜか消極的な理由はこれ [SRC[>>79]] ですかねえ。

>依テ高楯城ハ興国己卯年ニ至ル(中略)
>明治元年六月十六日  秋田重季 花押
>[SNIP[]]
>※「東日流外三郡誌」三一巻に「付書」したとされる当記事は年次的に問題があり、「東日流外三郡誌」とは別史料として扱うのが妥当と思われる。例えば、年号が明治(1868年)に改元されたのは同年九月であり、六月はまだ慶応四年であること、秋田重季氏は明治十九年の生まれであることから、これらを書写時(明治時代)の誤りと考えても、史料としての信頼性は劣ると言わざるを得ない。従って、「興国己卯年」の考察においては三~四次資料と考えられ、本論の史料根拠としては採用しないほうがよいかもしれない。

この[[遡及年号]]は[[和田家文書]]の真書性を主張するにはかなり致命的で、
真書派であってもこの部分だけはそうでないと苦しい主張をしなければならないようです。


[83] 
>>82 によると興国の津波は[[和田家文書]]のオリジナル説ではないものの、
近世後期までしか遡れないのだそうです。

[84] 
そしてその時期は古くは「興国元年庚辰八月」だったそうです [SRC[>>82 #page=7]]。
なぜ時期が興国元年となったかは不明とされます [SRC[>>82 #page=12]]。
当論文 [SRC[>>82]] はそれ以上の詳細な記述がないので、
調査対象の文献で他の年が書かれたものがあったかどうかはわかりません。
従って年がずれた異説が[[和田家文書]]オリジナルなのか、それ以前からあったのかは検討が必要です。

[85] 
それにしても[[平成時代]]初期には[[和田家文書]]を根拠に地震研究も行われていたそうで、
古代史のロマン云々で済まされる話ではなくなっています。
[[偽書]]によって地震研究、災害対策のリソースが浪費されるのは、文字通りの死活問題です。
[SEE[ [[偽史]] ]]

[REFS[

- [82] 
[TIME[2023-11-09T07:20:43.800Z]]
<https://hirosaki.repo.nii.ac.jp/record/92/files/KikanYamataikoku_53_203.pdf>

]REFS]

-*-*-


[98] 
[CITE@ja-JP[東日流外三郡誌「偽書」の証明]], [[安本美典]], [TIME[1994.1][1994]], [TIME[2025-09-30T02:09:54.000Z]], [TIME[2025-10-12T12:23:57.716Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/13227518/1/69> (要登録)

- [87] [CITE@ja[Xユーザーのhyena_no_papaさん: 「@nemurikappa 和田家の家系図は、『「古史古伝」論争』p134からの安本美典氏 『東日流外三郡誌』は現代人製作の偽書である の中でも掲げてあります(p141)。 因みにこの『「古史古伝」論争』巻頭寄稿は原田実氏の 新しい分析視角「極小史(ミクロストリエ)」の提唱 「古史古伝」研究の現状と展望 です。」 / X]], [TIME[午後3:34 · 2024年9月28日][2024-09-28T06:34:49.000Z]], [TIME[2024-10-02T01:38:23.000Z]] <https://x.com/hyena_no/status/1839916654706471163>
-- [88] [CITE@ja[Xユーザーのhyena_no_papaさん: 「@nemurikappa p133には、先日も私が触れました閏月のことが齋藤隆一氏によって指摘されています。 ― さらに決定的なのは、「閏月」の無視である。富士の七穂氏が『東日流誌』は「閏月」には書かなかったという指摘をされているが、古文書に頻繁に見かける「閏七月」などの日付が『東日流誌』には見当たらない。⇨」 / X]], [TIME[午後5:56 · 2024年9月28日][2024-09-28T08:56:10.000Z]], [TIME[2024-10-02T01:38:23.000Z]] <https://x.com/hyena_no/status/1839952226032169073>
-- [89] 
[CITE@ja[Xユーザーのhyena_no_papaさん: 「@nemurikappa 江戸時代には三年に一度ぐらいの割合で「閏月」があり、例えば一年に七月が二度くりかえされたので、「閏七月」「壬七月」などと表記していたのだが、三十六分の一はあるはずの「閏月」二、数多いすべての筆者が文書を書いていない。⇨」 / X]], [TIME[午後5:58 · 2024年9月28日][2024-09-28T08:58:15.000Z]], [TIME[2024-10-02T01:38:23.000Z]] <https://x.com/hyena_no/status/1839952753877279044>
-- [90] [CITE@ja[Xユーザーのhyena_no_papaさん: 「@nemurikappa もっとおかしいのは、大の月が三十日で、小の月は二十九日であるはずなのに、小の月に三十日の日付がみられる例があることである。 ― ひと月が29日などというのは太陽暦の閏年2月にのみ出現しますが、旧暦では小の月が二十九日なんですよね。 つまり、それらの記事は「閏月」を知らない人が書いた!」 / X]], [TIME[午後6:02 · 2024年9月28日][2024-09-28T09:02:54.000Z]], [TIME[2024-10-02T01:38:23.000Z]] <https://x.com/hyena_no/status/1839953922536157258>



- [96] 
[CITE@ja[Xユーザーのhyena_no_papaさん: 「@gishigaku 浄土門主総本山知恩院門跡 岸信宏による開米智鎧『金光上人』「序文」 金光上人の遺跡の一つである正中山梵場寺は或は大中山梵寿寺といわれているが、その跡を今は梵珠山と呼んでいるとのことである。その山の洞窟の中から近年多くの古文書が発見せられたのである。⇨ #東日流外三郡誌 #和田家文書」 / X]], [TIME[午後6:58 · 2022年2月1日][2022-02-01T09:58:00.000Z]], [TIME[2025-09-08T07:44:48.000Z]] <https://x.com/hyena_no/status/1488451559100862464>
-- [97] 
[CITE@ja[Xユーザーのhyena_no_papaさん: 「@nemurikappa 面白い記述を発見!『金光上人』p295 寛永二十七年三月二十五日 寛永は21年まで。誤植と言われたらそれまでですけどね~ https://t.co/CgGUQ2LP4K」 / X]], [TIME[午後7:18 · 2025年9月7日][2025-09-07T10:18:54.000Z]], [TIME[2025-09-08T07:44:48.000Z]] <https://x.com/hyena_no/status/1964634476186939432>




* 九州王朝説

[SEE[ [[九州年号]] ]]

[SEE[ 和田家文書の項 ]]

[91] [CITE[古田史学会報 十五号]], [TIME[2024-08-15T03:03:09.000Z]], [TIME[2024-10-17T02:52:42.751Z]] <https://furutasigaku.jp/jfuruta/kaihou/kaihou15.html#:~:text=弥勒の出世は陰暦での計算だった>

[CITE[弥勒の出世は陰暦での計算だった?]]

* 神代文字

[SEE[ [[的野正八幡宮神代文字石塔]] ]]

* 朝鮮系

[SEE[ [[[CITE[桓檀古記]]の日時]], [[天符]] ]]


* 関連

[8] 
[[古史古伝]]以外の[[偽書]]や、
完全フィクションの作中の[[日時]]にも共通する性質があります.
[SEE[ [[架空の日時]], [[東洋の日時表示]], [[偽書]] ]]

[9] 
偽造された文書や[[金石文]]の[[日時表示]]は時代考証が不十分なものが多く、
記述の形式から偽造と見抜いた研究の例が多々あります。
[SEE[ [[東洋の日時表示]] ]]


* メモ

[68] [CITE@ja[暦 - Uyopedia]], [TIME[2020-07-31T14:48:20.000Z]], [TIME[2023-04-21T08:54:28.434Z]] <http://uyopedia.a.freewiki.in/index.php/%E6%9A%A6%E5%88%B6#.E5.8E.9F.E7.90.86.EF.BC.9A.E5.9C.B0.E8.AA.AD.E3.81.BF>


