[77] 
[DFN[大正改元]]は、
[[明治]]から[[大正]]への[[改元]]です。

* 法令

[REFS[
- [7] [CITE@ja[明治四十五年七月三十日以後ヲ改メテ大正元年ト爲ス - Wikisource]] ([TIME[2016-01-11 06:20:12 +09:00]] 版) <https://ja.wikisource.org/wiki/%E6%98%8E%E6%B2%BB%E5%9B%9B%E5%8D%81%E4%BA%94%E5%B9%B4%E4%B8%83%E6%9C%88%E4%B8%89%E5%8D%81%E6%97%A5%E4%BB%A5%E5%BE%8C%E3%83%B2%E6%94%B9%E3%83%A1%E3%83%86%E5%A4%A7%E6%AD%A3%E5%85%83%E5%B9%B4%E3%83%88%E7%88%B2%E3%82%B9>
-- [8] [CITE[国立公文書館 アジア歴史資料センター 標題:御署名原本・明治四十五年・詔書七月三十日・ 明治四十五年七月三十日以後・・]] ([TIME[2016-01-22 20:00:22 +09:00]] 版) <http://www.jacar.go.jp/DAS/meta/listPhoto?IS_STYLE=default&REFCODE=A03020922000>
-- [9] [CITE@ja[国立国会図書館デジタルコレクション - 官報. 1912年07月30日]] ([TIME[2016-01-22 20:09:07 +09:00]] 版) <http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2952093/17>
-- [2] ''改元ノ詔書'' (明治45年7月30日) <http://plaza2.mbn.or.jp/~duplex/shou/sm45.htm>
- [11] 大正元年内閣告示第一号
-- [10] [CITE@ja[国立国会図書館デジタルコレクション - 官報. 1912年07月30日]] ([TIME[2016-01-22 20:11:34 +09:00]] 版) <http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2952093/20>

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[12] 大正元年七月三十日官報號外 (>>10)
]FIGCAPTION]

> 内閣告示第一號
> 元號ノ稱呼左ノ如シ
> [RUBY[大正][タイシヤウ]]
> 大正元年七月三十日 内閣総理大臣 侯爵西園寺公望
]FIG]
]REFS]

* 読み方


[5] 
[[改元]]時に発出された[[内閣告示]]で、
新[[元号の読み方]]は
「タイシヤウ」
と発表されました
[SRC[>>12]]。
[[現代仮名遣い]]では
「たいしょう」
に当たります。
新元号と共に読み方が正式発表されたのは、
史上初でした。
[SEE[ [[元号の読み方]]、[[元号の選定]] ]]


** 毎日新聞改元誤報事件

[6] 
[CITE[東京日日新聞]]
と
[CITE[大阪毎日新聞]]
(ともに現在の
[CITE[毎日新聞]])
は、
「たいせい」
という誤った読み方を報じました。
[SRC[>>4]]
[SEE[ [[改元デマ]] ]]

;; [14] 
正確性よりも速報性を優先し、
出所不明の怪情報をさも事実であるかのように拡散する報道姿勢が、
次の[[昭和改元]]での[[フェイクニュース]]に繋がったのでした。
この時反省していれば歴史は変わっていたのかもしれません。
[SEE[ [[光文事件]] ]]

[23] 
正式な[[元号の読み方]]が定められたのがこの時初めてだったということは、
「正しい読み方」が存在するという観念も記者にはなかったのかも?


[REFS[

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[4] [CITE@ja[「大正」[[改元]]時の〝歴史的誤報〟 | [[毎日]]ことば]],
[[岩佐義樹]],
[[毎日新聞]] 校閲センター,
2019年4月27日,
2019年4月27日,
[TIME[2019-12-22 13:30:53 +09:00]]
<https://mainichi-kotoba.jp/blog-20190427>
]FIGCAPTION]

> 同日中に次の元号が決まりました。それを報じる「明治四十五年七月三十一日」という欄外の2面と3面です。元号「大正」の見出しに「たいせい」とルビがあるではありませんか。
> 見出しだけではなく「卅(さんじゅう)日の枢密院會議に於て諮詢せられたる元號制定は兪大正と決したり其故事は公羊傳に君子大居正又易に曰く大亨以正天之道也といふ字句より出でたりと確聞す」とある記事にも「たいせい」とあるのが読み取れます。
> まさに歴史的誤報。合併前の大阪毎日新聞でも同様に「たいせい」でした。

> 経緯は分かりませんが、7月30日時点で記者がつかんだ情報では「たいせい」だったけれど内閣告示では違っていたのかもしれません。想像するに、改元発表のテレビ中継のない当時は、読みは副次的なものとみなされ漢字のみが知らされたのでしょうか。

]FIG]

]REFS]


[46] 
[[マスコミ]]関係者はこれ以外の[[改元デマ]]事件でも、
「記者がつかんだ情報[SNIP[]]違っていたのかもしれません」
のような
“取材時点では正しかったかも”
式の擁護をする習性があるようです。
[SEE[ [[改元デマ]] ]]

[47] 
そりゃあ可能性はあるでしょうよ。
でもその可能性を敢えて強調する必要はありますかね?
ちょっと考えただけで、

- [48] はじめから「たいしょう」だったのに記者が間違えた
- [49] はじめから「たいしょう」だったのに記者はその情報を得られなかった
- [50] はじめから「たいしょう」だったのに記者に伝えた誰かが間違えた
- [51] はじめから「たいしょう」だったのに誰かが嘘情報を流した
- [52] 記者が知る前に「たいせい」から変更されたのに記者は最新情報を得られなかった
- [53] 記者が知った時点では読みが決まってなかった
- [54] 記者が知った時点では「たいせい」だったが変更された
- [55] 記者に「たいせい」が漏れたとわかったので変更された
- [56] 記者が嘘情報を流した
- [57] 新聞社が組織的に嘘情報を流した

... くらいは思いつくわけです。そのうちのいくつかは
“取材時点では正しかったかも”
よりずっと蓋然性は高いのではないでしょうか。

;; [58] 
新聞社が嘘情報を流すなんてあり得るか?と疑問に思うかもしれませんが、
わずか15年後に実際に[[京城日報改元詔書偽造事件]]が起こっているので、
検証は必要です。




[22] [CITE@ja[世紀の大誤報「光文事件」とは? 大正、昭和、平成の元号スクープ合戦を追った(ハフポスト日本版) - Yahoo!ニュース]]
([TIME[2019-04-01 10:01:34 +09:00]])
<https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190331-00010001-huffpost-soci>


* 選定

[15] 
[[大正改元]]の反省で[[森鴎外]]によって元号選定の研究が進んだといいます。
[SEE[ [[元号の選定]] ]]

* 制定

[90] 
[[大正改元]]は、
[[一世一元]]の詔、
[CITE[皇室典範]]、
[CITE[[[登極令]]]]
によって定められた制度で初めての[[改元]]でした。

-*-*-

[110] 
[TIME[1912-07-28]]、
[[明治天皇]]のご病状が絶望的と診断され、
[[内閣総理大臣]]の[[西園寺公望]]は非礼ながらも万一に備えて元号勘申の内案を作成するよう、
[[内閣書記官長]]の[[南弘]]に命じました。
[SRC[>>108, >>115]]

[111] 
[TIME[1912-07-28]] [SRC[>>115]]
(一説[TIME[1912-07-29]]夜 [SRC[>>108]])、
[[西園寺公望]]は提出された元号案を閣僚に僉議させ、
各大臣特に異議なしとしました。
ところが[[西園寺公望]]は「一も採る所なし」と却下しました。
[SRC[>>108]]
([[乾徳]], [[永安]]。どちらも[[元号]]や宮殿名に用例ありとして却下。 [SRC[>>115]])

[113] 
[TIME[1912-07-29]] [SRC[>>115]]
の再提出案も[[西園寺公望]]は「採る所なし」と却下しました。
[SRC[>>108]]
([[昭徳]], [[天興]]。どちらも[[人名]]や宮殿名に用例ありとして却下。 [SRC[>>115]])

[114] 
[[西園寺公望]]は3度目の案を提出させました。
([[大正]], [[興化]])
[SRC[>>115]]
[TIME[1912-07-30]] [SRC[>>115]]、
第1を[[大正]]、
第2を[[天興]]、
第3を[[興化]]とする元号勘文内案を取りまとめました。
[SRC[>>108 ([CITE[大正大礼記録]])]]



[91] 
[[明治天皇]]が[TIME[1912-07-30]]の9時43分に[[崩御]]すると [SRC[>>89]]、
[[大正天皇]]が[[践祚]]し、
[CITE[登極令]]
により[[代始改元]]が行われる必要が生じました。

[92] 
そこで[[大正天皇]]は[[元号]]建定を命じました。
[SRC[>>89]]
[[西園寺公望]]は、
元号案 (>>114) と詔書案を[[枢密院]]に[[諮詢]]しました。
[SRC[>>89, >>115]]

[93] 
[[枢密院]]は提示された案から[[大正]]を選び、
[[詔書]]案を可決しました。
[SRC[>>89, >>115]]

[94] 
[TIME[1912-07-30]]17時半、
[[枢密院]]議長の[[山縣有朋]]が[[詔書]]案を[[大正天皇]]に奏上したところ、
議決通りに勅定されました。
[SRC[>>89, >>115]]

[95] 
よって直ちに改元詔書が発せられ、[[内閣]]の全員が副署し、
[[官報]]により[[公布]]されました。
即日[[発効]]しました。
[SRC[>>89, >>115]]

[97] 
また、
[[読み方][元号の読み方]]は内閣告示第一号により示されました。
[SRC[>>89, >>115]]



[REFS[

- [106] 
[CITE@ja-JP[大礼記録]], [[大礼記録編纂委員会]], [TIME[大正8][1919]], [TIME[2024-03-21T07:14:33.000Z]], [TIME[2024-03-28T10:12:33.954Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/946360/1/177>
- [107] [CITE[[[日本年号史大事典]]]]
-- [115] 
pp.[L[69]]-[L[70]], p.[L[81]]
-- [109] [CSECTION[[V[大正]]]]
--- [89] p.[L[625]]
-- [108] [CSECTION[[V[[WEAK(smaller)[コラム[YOKO[44]]]] 西園寺公望の指揮した「大正」改元]]]],
[V[[YOKO[T]]]],
p.[L[628]]

]REFS]


** [CITE[朝日新聞]]情報漏洩事件

[88] 
新元号が「[RUBY[大正][たいしょう]]」であることは、
[CITE[朝日新聞]]
記者の[[緒方竹虎]]が一早く情報を入手して[[号外]]で発表したとされます。

[98] 
当時はもちろん現在のように政府から国民に即時直接情報伝達する[[媒体]]はなく
([CITE[官報]]が公式な発表[[媒体]]ですが、印刷されて全国に配布されるまで時間がかかります)、
[[報道]]各社を集めて[[記者会見]]で発表するという制度もまだありませんから、
政府情報の公表の考え方がまず現在とはまったく異なるという点には注意が必要です。

[99] 
[[大正改元]]について、

- [100] 政府は発表前の新元号を秘密にしており、
- [101] [[報道]]各社は情報入手を争っており、
- [102] [[緒方竹虎]]は懇意にしていた政府高官から情報を入手し、
- [103] [CITE[朝日新聞]]は他社を出し抜いて「スクープ」できた

とする「[[雑学]]」が広まっています。

[104] 
もしこれが事実なら、
[[緒方竹虎]]と[CITE[朝日新聞]]が政府の秘密情報を盗み出して公表した情報漏洩事件なのですが、
なぜか武勇伝のように語られています。

[105] 
しかし事実関係や時系列、社会背景の現在との違いといった事柄はまともに検討されていません。
[[改元]]の1年前に[[号外]]が出されたと主張する記事まであります。


-*-*-


[65] [CITE@ja[福岡市 [[緒方竹虎]]]], [TIME[2023-01-25T03:16:24.000Z]], [TIME[2023-01-25T03:17:49.498Z]] <https://www.city.fukuoka.lg.jp/chuoku/kikaku/charm-kankou/ch-jouhouhassin/ogatataketora.html>

>[SNIP[]]25才の時、「大正」という元号をスクープしたことでも有名です。

[66] 時代が時代とは言え政府の未公開情報を漏洩させた事件を郷土の偉人の偉業のように自治体が紹介するのはいかがなものかと。。。

[71] [CITE@ja[激動の時代に生きた巨人 緒方竹虎 | ふるさと歴史シリーズ「博多に強くなろう」 | 地域社会貢献活動 | 西日本シティ銀行について | 西日本シティ銀行]], [TIME[2023-01-25T03:23:57.000Z]] <https://www.ncbank.co.jp/corporate/chiiki_shakaikoken/furusato_rekishi/hakata/034/01.html>


>
[BOX(right)[
対談:昭和60年9月

司会・構成:土居 善胤
]BOX]

>お話:    福岡市長 進藤 一馬氏
>聞き手:    福岡シティ銀行頭取 四島 司 

>[B[四島]]
>
大正の元号制定。あの大スクープはまだ新聞記者駆(か)け出し時代ですね。あれもそういうことから。
>
[B[進藤]]
>[SNIP[]]
>大勢の記者が目をつけていたでしょうが、緒方先生は三浦さんに信用されていたので、元号は「大正」、読み方はタイショウであると教えてくれたんです。
>大スクープですね。後に緒方先生は三浦さんの遠縁にあたるコト夫人と、[B[玄洋社]]の創始者である[B[頭山満]]先生(安政2-昭和19年)の媒酌で結婚していますから、ずいぶん信頼されていたんですね。

[72] 
市長からしてこんな感じなのか、福岡やべーところだな。
福岡市政もそんな風に縁故者に情報ダダ漏れでやってるんか?


[67] [CITE@ja[元号案を2度ボツにした「最後の元老」(2ページ目)|日経BizGate]], [[日本経済新聞社]], [TIME[2023-01-25T03:19:03.000Z]] <https://bizgate.nikkei.co.jp/article/DGXMZO4297349027032019000000?channel=DF150320194919&page=2>

>
大正改元は、メディアが激しく取材合戦する最初の元号ともなった。いち早くスクープして号外で報じたのが、朝日新聞に入社2年目の記者だった緒方竹虎(後の朝日新聞副社長、国務大臣、官房長官、自由党総裁)だ。ネタ元は枢密顧問官の三浦梧楼。緒方は学生時代から面識があり、枢密院会議の帰りを三浦邸で待ち構えて新元号を聞き出した。後に緒方は三浦と親戚関係になったという。

[68] [CITE@ja[世紀の大誤報「光文事件」とは? 大正、昭和、平成の元号スクープ合戦を追った | ハフポスト NEWS]], [TIME[2023-01-25T03:19:27.000Z]] <https://www.huffingtonpost.jp/entry/koubun_jp_5ca08946e4b0bc0daca9db31>

> 1911年8月30日の号外で「大正」への改元をスクープしたのは、大阪朝日新聞の号外だった。入社1年目の新人記者、緒方竹虎(おがた・たけとら)が手がけたものだった。
>
政界に影響力を持っていた枢密顧問官の三浦梧楼の自宅に自動車で向かい、情報を得たという。『緒方竹虎』(朝日新聞社)には次のように書かれている。
>
[B[<<当時政界の大御所として隠然たる勢力のあった三浦の家には、多くの新聞記者が平常から出入りしていたが、緒方の出入りは学生時代からであり、かつ信用も厚かったので、三浦は帰宅するや、「大正」と元号が決ったこと、その発音は「タイショウ」であることを教えた。緒方は直ぐさま社に飛帰って号外を出したが、朝日新聞が一番早かったため、特別に賞与を得た>>]]

[69] この成功体験が[[マスゴミ]]各社を勘違いさせてしまったと言われている。
[[光文事件]]の遠因で (なお[[毎日新聞]]はこの[[大正改元]]の裏で既にやらかしているのだが)、
[[京城日報改元詔書偽造事件]]の遠因でもあり、
[[平成改元]]の折に[[毎日新聞社]]の記者が業界で表彰されると張り切っていた元凶でもあるんだな。
一般庶民には理解不能な感覚だろう。

[70] [CITE@ja[緒方竹虎とは?経歴や緒方貞子との関係性、また元号「大正」やCIAとの関わりについて解説!]], [TIME[2023-01-25T03:23:35.000Z]] <https://history-men.com/ogata-taketora/#i-4>

>[B[この時まだ新人の緒方竹虎は、天皇の諮問機関である枢密顧問官を務めていた三浦梧楼と面識があたっため、邸宅で待ち構え三浦梧楼から新元号「大正」を聞きだします。]]
>
[B[緒方竹虎が聞きだした新元号「大正」はすぐさま新聞で報じられることとなり、緒方竹虎は名を馳せることとなりました。]]

[75] 
[[枢密院]]に仕えながら情報を漏らすとか[[天皇]]への冒涜、朝敵だろこいつ、なんで処分されてないのですかねえ。
[[天皇]]は神聖でうんたらかんたらというのは虚像で実態はこういう奸臣に蝕まれてたわけだ、
そりゃあ国も滅びますよ。



[73] [CITE@ja[元号をめぐる誤報「光文事件」はなぜ起きた?事件の経緯や現在の改元制度などを歴史好きライターが簡単にわかりやすく解説 - ページ 2 / 4 - Study-Z ドラゴン桜と学ぶWebマガジン]], [TIME[2023-01-25T03:27:21.000Z]] <https://study-z.net/100192362/2>

>実は、[B[年号が「明治」から「大正」に変わることは事前にスクープされています]]。[B[1911]](明治44)[B[年8月に]]、[B[大阪朝日新聞が号外を出しました]]。その内容が、新元号は「大正」で読み方は「タイショウ」であるというものだったのです。スクープしたのは、まだ新人記者だった緒方竹虎でした。
>
緒方は、当時の大物政治家だった三浦梧楼から、[B[新元号が]]「[B[大正]]」[B[となることを聞き出すことができました]]。緒方は学生時代から三浦の自宅に出入りしていたため、三浦から信頼を得ていたのです。のちに緒方は朝日新聞社の副社長にまで出世。さらには国会議員となり、第4次吉田茂内閣では副総理となりました。

[74] 
倫理観ぶっ壊れてるやつが副総理とかやばいよな。そういう時代だったんだろうけど。


[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[266] 
[CITE@ja[新元号発表!その時何をしていた? | サンドリヨンのブログ☆正統派歴女いざ参る!]], 
2019-04-02 23:36:34,
[TIME[2024-03-08T12:45:29.000Z]] <https://ameblo.jp/3091nh/entry-12451561744.html>
]FIGCAPTION]

>秘密裏にしていたものがなぜバレたのか・・・・、それにはこの人物が、
>
天皇の顧問機関にいる人物から聞き出してしまったと言った事から、発表前に世の中にバレてしまったという話しでした。(笑)
>
その時の記者さんは、勿論その後新聞社のトップになったという事でした。(*¯m¯)プッ  [SNIP[]]


]FIG]

[79] 政府の漏洩情報をつかめば「勿論」新聞社のトップに昇進できる。事実関係はどうかわからないが
(>>266 は出典も明記していないただの個人ブログ)、[[令和時代]]の一般市民からみてそう認識されているということである。


- [80] 
[CITE[新聞と「昭和」 - 朝日新聞「検証・昭和報道」取材班 - Google ブックス]], [TIME[2024-03-28T04:41:08.000Z]] <https://books.google.co.jp/books?id=mfm2AwAAQBAJ&pg=PA15&dq=%22%E3%81%82%E3%81%AE%E3%81%A8%E3%81%8D%E3%81%AF%E5%BF%83%E8%87%93%E3%81%8C%E6%AD%A2%E3%81%BE%E3%82%8A%E3%81%9D%E3%81%86%22>

[81] 
>>80 これは[[朝日新聞社]]の書籍。

昭和63年9月に政治部長になった[[羽原清雅]]は先輩らに冷やかされたとして、
[[大正改元]]時の[[朝日新聞]]の[[緒方竹虎]]は後に主筆になったこと、
[[昭和改元]]時の[CITE[東京日日新聞]]が[[光文事件]]を起こしたことを述べている。
この説明では「冷やかされた」が何に掛かっているのかいまいちよくわからないが
(新聞記者の悪文は今も昔もよくあることだ)、
[[改元]]情報と新聞社の出世の関係が昭和末期の[[朝日新聞社]]内では公然と認識されていたということなのだろう。

[82] 
なお昭和63年9月といえば[[昭和天皇]]の体調が急激に悪化していた時期で、
世間では[[崩御]]と次の[[即位]]、[[改元]]のことは世間では秘かに囁かれていたので、
新聞社内でそれが話題になるのは当然のことだが、それをこのようにおもしろエピソード(?)として披露する倫理観はどうなってるのか。


[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[17] [CITE@ja[緒方竹虎 - Wikipedia]]
([TIME[2020-08-13 10:00:02 +09:00]])
<https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B7%92%E6%96%B9%E7%AB%B9%E8%99%8E#%E8%8B%A5%E6%89%8B%E8%A8%98%E8%80%85%E6%99%82%E4%BB%A3>
]FIGCAPTION]

> 新人記者でありながら、学生時代から出入りしていた枢密顧問官・三浦梧楼から「大正」の年号をスクープした。

]FIG]

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[86] 
[CITE@ja[9551ee382647a377093cc917fe29fe6b.pdf]], [TIME[2021-09-26T06:29:32.000Z]], [TIME[2024-03-28T09:26:43.744Z]] <http://harc.tokyo/wp/wp-content/uploads/2021/09/9551ee382647a377093cc917fe29fe6b.pdf#page=17>
]FIGCAPTION]

>
[LEFT[
[B[7]] 戦後、緒方はこのときのことを次のように語っている。[BR[]]
《弓削田さんから僕に枢密顧問官(三浦梧楼)の所へ聞きに行けといわれたが、そんな元号問題な[BR[]]
んか聞きに行くのは嫌だといって辞(ママ)わった。すると弓削田さんが自分で車を頼んで来て「車[BR[]]
を呼んであるから是非行け」といわれて仕方がないから三浦梧楼の所に行って枢密院から帰って来[BR[]]
るのを待っていると直ぐ帰って来た。そして「大正」という字を書いて「元号はこういう風に替った。[BR[]]
漢音で読めばタイセイ、呉音で読めばダイショウとなるが、両方の音を交ぜてタイショウと読むこ[BR[]]
とになった」と説明してくれた。それで直ぐ帰って号外を出したが、これは「朝日」が一番早かっ[BR[]]
たので賞与を貰った》(今西光男『新聞資本と経営の昭和史──朝日新聞筆政・緒方竹虎の苦悩』朝[BR[]]
日新聞社、2007年、39~40頁)
]LEFT]

]FIG]



[85] 
[TIME[1912-07-30]] (明治45年) の[[改元]]のことを[TIME[1911-08-30]]の[[号外]]で「スクープ」するとはどういうことか。

[87] 
そんな時期に[[枢密院]]で新元号を審議しているはずがない。明治44年説は[[デマ]]。



* 境界

[SEE[ 一般的原則や近代日本の改元日の扱いについては[[改元日]] ]]

[13] 当日の[[官報]]は先帝[[崩御]]と新帝[[即位]]を伝える[[号外]]が何度も発行されています (>>9)。
[[官報]]記載の発行日も掲載されている[[法令]]等も、
[[改元]]の[[詔書]]までの[[号外]]はすべて[[明治]]で、
その次の[[号外]]からはすべて[[大正]]となっています。

* 改元伝達


[83] 
[[大正改元]]の時代はまだ[[無線通信]]が実用化前で、
[[奥山]]や[[離島]]への[[改元伝達]]には最大で数ヶ月もの時間差がありました。

@@
[BOX[

[121] 
[CITE@ja-JP[白堊校百年史 通史]], [[岩手県立盛岡第一高等学校校史編集委員会]], [TIME[1981.6][1981]], [TIME[2026-01-20T01:30:11.000Z]], [TIME[2026-02-13T10:09:04.172Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12114373/1/142?keyword=%E6%94%B9%E5%85%83> (要登録)


[119] 
[CITE@ja-JP[新篠津村史]], [[新篠津村史編さん委員会]], [TIME[1975.9][1975]], [TIME[2026-01-20T01:30:11.000Z]], [TIME[2026-02-13T09:50:02.037Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9570124/1/174?keyword=%E6%94%B9%E5%85%83> (要登録)

[118] 
[CITE@ja-JP[相良町史 通史編 下巻]], [[相良町]], [TIME[1996.5][1996]], [TIME[2026-01-20T01:30:11.000Z]], [TIME[2026-02-13T09:46:17.381Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/13316310/1/209?keyword=%E6%94%B9%E5%85%83> (要登録)

[117] 
[CITE@ja-JP[天竜市史 史料編 8]], [[天竜市]], [TIME[1987.2][1987]], [TIME[2026-01-20T01:30:11.000Z]], [TIME[2026-02-13T09:40:00.976Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9571893/1/36?keyword=%E6%94%B9%E5%85%83> (要登録)

[120] 
[CITE@ja-JP[御殿場市史 第6巻 (近代史料編 2)]], [[御殿場市史編さん委員会]], [TIME[1979.3][1979]], [TIME[2026-01-20T01:30:11.000Z]], [TIME[2026-02-13T10:03:10.618Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9537866/1/181?keyword=%E6%94%B9%E5%85%83> (要登録)


]BOX]

** 伊豆諸島


[42] 
[[伊豆諸島]]の[[青ヶ島]]には[[改元]]の知らせが1年近く到達しなかったといわれています
[SRC[>>384]]。
(出典は不明ですが、参考文献として示されている村史等のいずれかでしょうか。
[SEE[ [[昭和改元]] ]])

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[384] [CITE@ja[道路レポート 東京都道236号青ヶ島循環線 [[青宝トンネル]]旧道]],
[[ヨッキれん]], 
公開日 2018.01.02,
[TIME[2018-01-09 19:17:16 +09:00]]
<http://yamaiga.com/road/tpr236_seihou/main10.html>
]FIGCAPTION]

> 島民は大正や昭和の改元を、それぞれ1年近く知らないまま暮らしていたというものがある。このうち昭和の改元については、昭和2年12月に漂着した高知県の遭難漁船の船員によって初めて島に伝えられたそうだ。

]FIG]

[78] 
[CITE@ja-JP[青ケ島の生活と文化]], [[青ケ島村教育委員会, 青ケ島村]], [TIME[1984.7][1984]], [TIME[2024-02-01T05:12:54.000Z]], [TIME[2024-02-22T15:22:23.948Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9643307/1/519> (要登録)

** 小笠原諸島

[44] 
[[小笠原諸島]]の[[硫黄島]]には[[改元]]の知らせが[TIME[1912-08-20]]に届きました。
たまたまその時期に学術調査団が訪問したためで、
それがなければ更に数ヶ月遅れていた可能性があったようです。

[NOTE[


[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[21] [CITE[ス ウ ェン ・ヘ デ ィン の講 演 と豆南諸島学術旅行]]
[[辻村太郎]],
[TIME[1969]],
[TIME[2018-10-28 21:14:42 +09:00]]
<https://www.jstage.jst.go.jp/article/jgeography1889/78/3/78_3_205/_pdf>
]FIGCAPTION]

> 大正元年8.月,東 京地学協 会
> 主催 の豆南諸島学術旅行 に参加 し,2週 間 にわた
> る航海 を初 めて経験 した私 は,南 洋地方 に関心 を
> もつ機会 を与 えられた.
[SNIP[]]
> そのころの硫黄島で は住民の数 が200人ぐらい,
八丈島から移住したものが多かつた. わづか年3
回の航海しかなく,海 底電線の設備もなかつたか
ら, 島民は7[ASIS[日][月カ]]の改元 を知 らず,旅行団歓迎の意
味で,海 岸か ら元山 に行 く坂道 に,シ マサ カキの
葉で造つた[RUBY[緑門][アーチ]]が立つていたが, あわてて国旗に
黒い巾を垂れる仕末であつた.

]FIG]

[1] 
[[硫黄島]]到着がいつのことか明記されていない。
文脈から読み取れるのは、最速でも[TIME[8月18日][1912-08-18]]。
最遅でも[TIME[28日][1912-08-28]]。
[SEE[ [[小笠原の日時]] ]]

[35] [CITE@ja[歴史 | [[小笠原村]]公式サイト]], [TIME[2021-08-27T04:18:33.000Z]] <https://www.vill.ogasawara.tokyo.jp/ioutou_index/ioutou_history/>

>
1912年(明治45年)(大正元年) 	8月12日、東京地学協会伊豆南方諸島学術調査団が硫黄島を調査。


[36] 
出典不明。村内の記録にあったもの? 
([[硫黄島]]は言わずとしれた[[大東亜戦争]]の激戦地で[[米軍]]に徹底的に破壊され、
[[父島]]も米国統治時代に一旦更地にされているので、
当事者の記録だとすると一時[[内地]]に疎開した資料ということになる?)
それとももともと[[内地]]側の何らかの記録に依拠したもの?
(この[[Webページ]]の直接の出典は[[PDF]]で公開されている[CITE[硫黄島クロニクル]]。
それに参考文献として示されているどれかに書かれているのだろうが。)

[37] 
>>21 は[TIME[昭和44(1969)年][1969]]執筆、調査団メンバーの回顧。
57年も経過していて、自身の記録に基づくのか記憶で書いたのかは不明。
8月14日に[[横浜]]発とは断言していて、
2回に分けて出発したような形跡もみられない。
これが正しく14日に出発したのだとすると、12日に調査することは不可能。
(出発日を誤認したものでもないが、
出発式のようなものが事前にあった可能性も?)

[38] [CITE[東京地学協会編年史稿]],
[[石田龍次郎]], 
[TIME[1969]],
[TIME[2021-08-27T05:55:56.000Z]] <https://www.jstage.jst.go.jp/article/jgeography1889/78/3/78_3_83/_pdf#page=22>

[TIME[大正元年8月14日][1912-08-14]]-[TIME[30日][1912-08-14]]実施とある。
出典は当時の機関誌で、誤り無いとみてよかろう。


- [39] [CITE[24_785.pdf]], [TIME[2021-08-27T06:13:31.000Z]] <https://www.jstage.jst.go.jp/article/jgeography1889/24/11/24_11_785/_pdf/-char/ja>
- [40] [CITE[24_835.pdf]], [TIME[2021-08-27T06:14:01.000Z]] <https://www.jstage.jst.go.jp/article/jgeography1889/24/12/24_12_835/_pdf/-char/ja>


[41] 
当時 (年内) の報告書によると、
有人の寄港地は[[八丈島]]、
[[鳥島]]、
[[父島]]、
[[母島]]、
[[中硫黄島]]。
このうち[TIME[8月20日][1912-08-20]]の[[硫黄島]]のみ、
歓迎されたが[[崩御]]が伝わってなかったのだと書かれてありました。
[SRC[>>39]]
この記述より[[硫黄島]]への[[改元]]初報が[TIME[20日][1912-08-20]]と確定できます。
他の各島は[[改元]]を知っていたと推測できますが、
明言されていないので確定はできません。
([[硫黄島]]だけ盛大な歓迎を受けたので特記したとも考えられなくないためです。)

[43] 
[[海底ケーブル]] ([[電信線]]) に言及がありましたが [SRC[>>21]]、
[[父島]]には電信の中継局が有りましたから、
早い時期に伝わっていたのかもしれません。

]NOTE]

* 延長年号

[SEE[ [[延長年号]] ]]

[84] 
[[改元伝達]]タイミングによるもの: >>83


[16] 
[[尾崎行雄]]は[[改元]]を廃し[[明治]]の[[元号]]を継続することを提案していたといいます。
[SEE[ [[新日本]], [[日本の紀年法改良運動]] ]]

[34] [CITE[082026_hanrei.pdf]], [TIME[2014-07-17T16:33:35.000Z]], [TIME[2021-07-20T02:46:08.786Z]] <https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/026/082026_hanrei.pdf#page=23>

[76] [CITE@ja[文化・教育:オピニオン:教育×WASEDA ONLINE]], [TIME[2023-06-01T04:06:06.000Z]], [TIME[2023-11-07T08:12:42.148Z]] <https://yab.yomiuri.co.jp/adv/wol/opinion/culture_120709.html>

>1880年代の後半(明治10年代末)、坪内逍遙が文学革新の試みを続けていた頃、自由民権運動を背景とした「政治小説」と言われるものが書かれた。その代表作の一つ、末広鉄腸『雪中梅』(1886)は、明治173年(2040年!)の国会の祝日の折、「先日の大雨で上野博物館の後に当る鴬谷の崖が崩れると其中から一の石碑が出ました」というエピソードから始まる。国会開設に挺身した人物の記念の石碑で、その人の事蹟を書いた物語を「上野の書籍館」でやっと見つけ、以下に紹介する、という手の込んだ導入である。学生の頃初めて読んで、「崖」から不思議なものが出て来るという設定を、面白く思った。


[116] 
[CITE@ja-JP[新日本文学 51(1)(568)]], [[新日本文学会]], [TIME[1996-01]], [TIME[2025-09-30T02:09:54.000Z]], [TIME[2025-10-16T09:40:10.092Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/6079387/1/47> (要登録)


** 博物館明治村の明治元号年


[24] 
[[明治村]]の写真撮影用の看板には明治何年何月何日と書かれています。
[SRC[>>25, >>26, >>320]]
[TIME[西暦2004年][year:2004]]夏から設置されています。
[SRC[>>28]]

[33] 
また、
[CITE[[V[明治村新聞[YOKO[号外]]]]]]
が「[R[明治百五十二年四月二十六日  金曜日]]」
[WEAK[([TIME[2019-04-26]])]]
付で発行されました [SRC[>>31, >>32]]。

[30] 
なお、[[Webサイト]]や入場券には[[西暦年]]が使われているようです。
あまり世界観設定が徹底していないようです。


;; [29] [[テーマパーク系異年号]]は他の時代にも例があります。

[REFS[
- [28] [CITE@ja[新元号もお構いなし? 我が道を歩み続ける[[明治村]]、日付表示が話題に]], [[若松 真平]], 
2019/04/01,
[TIME[2021-01-27T10:25:50.000Z]] <https://withnews.jp/article/f0190401003qq000000000000000W00o10101qq000018990A>
- [25] [CITE@ja[[[明治村]]【公式】ฅ^•ω•^ฅさんはTwitterを使っています 「今日は令和元年5月1日.......だけど明治村では明治152年5月1日なのだ!! 元号が変わり、また1つ明治が前の時代になったけれど、明治村にきて、明治のことを振り返り、学んで欲しいのだ(`•ω•´) #令和最初のツイート #明治村 https://t.co/oQwXFKqKpc」 / Twitter]], 午前9:31 · 2019年5月1日 [TZ[+09:00]], [TIME[2021-01-27T10:20:18.000Z]] <https://twitter.com/meijimura_pr/status/1123384298143305728/photo/1>
- [26] [CITE@fr[〜令和元年5月1日!でも[[明治村]]では?〜 今日は令和元年5月1日。... - 博物館明治村(Museum Meiji-Mura) | Facebook]], [TIME[2021-01-27T10:24:34.000Z]] <https://fr-fr.facebook.com/meijimura/posts/2369707589727298/>
- [320] [CITE@ja[(1) みら@プリズム垢さんは[[Twitter]]を使っています 「平成35年? 明治村の時間はこれだぞ https://t.co/bz2QaqjgYC」 / Twitter]], [TIME[2020-02-18 11:22:26 +09:00]] <https://twitter.com/mira_pri_days/status/1216946773001826304>
- [27] [CITE@ja[「平成最後の日」それぞれの過ごし方、明治村・大正村・昭和村を巡る人も : [[中京テレビ]]NEWS]], [TIME[2021-01-27T10:25:21.000Z]] <https://www2.ctv.co.jp/news/2019/04/30/49492/>
- [31] [CITE@ja[まっちゃんさんは[[Twitter]]を使っています 「#明治偉人隊 たった今気づいた 2種類あったのね…😅 #明治村新聞号外 #2つ違うやつやん #雰囲気が全然変わるね https://t.co/6HkTE8U2wm」 / Twitter]], 午後11:40 · 2019年6月23日 [TZ[+09:00]], [TIME[2021-01-27T10:28:31.000Z]] <https://twitter.com/matsu1791/status/1142804558688555008/photo/1>
- [32] [CITE@ja[69.明治偉人隊のアイテム|ひとみ「明治と令和を生きる昭和生まれ」|[[note]]]], [TIME[2021-01-27T10:37:03.000Z]] <https://note.com/h1t__note_/n/n4fe3810f8ab0>
-- 「明治152年4月26日発行「明治村新聞(号外)」より」
-
[45] 
[CITE@ja[頑なに明治元号を守り工学から医学まで幅広く産業の遺産の保存維持を頑張ってる博物館[[明治村]]の今 - Togetter]], [TIME[2022-04-05T02:15:01.000Z]] <https://togetter.com/li/1868549>



]REFS]


[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[59] 
[CITE@jp[2022年=明治155年? 頑なに「改元」しない明治村の姿勢に反響→実は深い理由があった(全文表示)|[[Jタウンネット]]]], [[福田 週人]], 
2022.04.11 20:00,
[TIME[2022-04-12T03:23:07.000Z]] <https://j-town.net/2022/04/11333243.html?p=all>
]FIGCAPTION]

>
同館の学芸・催事担当(広報担当)の反端一也さんによると、看板が明治村正門付近に設置されたのは元号が平成だった時のこと。ただ、設置した当時の資料が残っておらず、何十年もの間設置されている、ということ以外はわからないそうだ。
>
また、それ以前にも同じような看板が存在していたが、現在は保管しておらず、いつから設置されていたのかも不明。
>
ただ、いずれにしても「元号の表示は常に『明治』だった」と反端さん。



]FIG]

[60] 
[TIME[平成31(2019)年][2019]]には分かっていた設置時期 [SRC[>>28]]
が[TIME[令和4(2022)年][2022]]にはもう分からなくなっている [SRC[>>59]] ってこと?
それとも平成31年のは間違いだった?

[63] 今知られている最古は[TIME[2008-07-20]] [SRC[>>62]]

[62] [CITE@ja[『2008 猛暑で過酷な明治村』犬山(愛知県)の旅行記・ブログ by マチャさん【[[フォートラベル]]】]], 
[[マチャ]],
2008/07/20,
[TIME[2022-04-12T04:07:53.000Z]] <https://4travel.jp/travelogue/10256579>

明治141年7月20日

[61] [CITE@ja[『校外学習で明治村へ(^v^)V』犬山(愛知県)の旅行記・ブログ by HARUさん【[[フォートラベル]]】]], 
[[HARU]],
2009/12/02,
[TIME[2022-04-12T04:05:13.000Z]] <https://4travel.jp/travelogue/10406321>

明治142年12月2日

* 周年

[96] 
[DFN[明治百年]], [DFN[明治150年]]は[[改元]]からの[[周年式]]の数え方
(明治101年、明治151年)
で祝われました。

;; [112] [[昭和100年]]も参照。

* 作品

[3] [CITE[鬼滅の刃]]
[SEE[ [[架空の日時]] ]]

* 関連

[SEE[ 前の改元は[[明治改元]] ]]

[SEE[ 次の改元は[[昭和改元]] ]]

* メモ


[18] [CITE@ja[元号建定ノ詔書案]]
([[独立行政法人国立公文書館 | NATIONAL ARCHIVES OF JAPAN]]著, [TIME[2018-06-17 20:34:42 +09:00]])
<https://www.digital.archives.go.jp/das/image/M0000000000001748319>

[19] [CITE@ja[元号ノ称呼]]
([[独立行政法人国立公文書館 | NATIONAL ARCHIVES OF JAPAN]]著, [TIME[2018-06-17 20:35:14 +09:00]])
<https://www.digital.archives.go.jp/das/image/M0000000000001748320>

[20] [CITE@ja[改元ニ付テハ法律勅令閣令告示等公布ヲ要スル番号更新スルコト...]]
([[独立行政法人国立公文書館 | NATIONAL ARCHIVES OF JAPAN]]著, [TIME[2018-06-17 20:35:47 +09:00]])
<https://www.digital.archives.go.jp/das/image/M0000000000001748322>






[64] [CITE@ja-JP[公正取引 (1)(303)]], [[公正取引協会]], [TIME[1976-01]], [TIME[2023-01-06T06:14:39.000Z]], [TIME[2023-01-08T15:17:19.477Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/2682225/1/10> (要登録)