[16] 
[DFN[大新]]
([TIME[y~1768]],
[TIME[y~1769]])
は、
[[大東亜戦争の終戦]]前後の[[ソ連軍]]の[[侵攻][ソ連の極東侵略]]に伴い混乱した[[アジア大陸]]在住[[日本人]]の間で使われた[[私年号][日本の私年号]]です。

[47] 
[[大東亜戦争]]時点で、
[[内満州]]
[WEAK[(現在は[[中華人民共和国]]の統治下)]]
は親日政権の[[満州国]]の統治下にありました。
[[満州国]]には多数の[[日本人]]が居住しており、
[[日本軍]]部隊 ([[関東軍]]) が駐留していました。

[48] 
戦争末期から[[終戦][大東亜戦争の終戦]]後にかけて、
[[ソビエト連邦]]およびその[[衛星国家]]の[[外蒙古]]
[WEAK[(現在の[[モンゴル国]])]]
は、
協力関係にあった[[中共軍]]
[WEAK[(現在の[[中国共産党]])]]
とともに、
[[満州国]]および[[大日本帝国朝鮮]]北部 
[WEAK[(現在は[[朝鮮民主主義人民共和国]]の統治下)]]
に侵攻しました。
[[終戦][大東亜戦争の終戦]]により軍事的にも政治的にも保護を喪失した[[日本人]]は、
共産軍の襲撃を受けながら北満から南満へ、
満州から朝鮮へと脱出を試みました。
しかし交通や通信が遮断され、
各地に取り残された[[日本人]]は共産軍の圧政に苦しみました。

[49] 
[[大新]]は、そのような過酷な環境下に置かれた[[日本人]]の間で広まった、
[[昭和]]から[[改元]]されたという新元号の[[デマ][改元デマ]]でした。
[[内地]]との自由な往来が不可能となり、
正確な情報を入手する手段も失われたところで、
[[昭和天皇]]の[[退位]]と[[改元]]という、
敗戦の結果いかにもありそうなニュースが信じられたようです。

[50] 
[[日本人]]の一部は帰国が許されず、
[[ソ連軍]]によって[[ソビエト連邦]]やその衛星国家の統治下の地域に強制連行され、
数年間労働を強いられました
([[シベリア抑留]])。
[[満州]]より更に過酷で祖国から離れた[[シベリア]]の地に隔離され、
本国の情報がまったく手に入らなくなった[[日本人]]達の間で、
[[大新]]の[[改元]]の噂はますます広まりました。




* 伝播

[29] 
[[日本]]の[[昭和天皇]]が[[退位]]し、
[[皇太子]]
(現在の[[上皇陛下]])
が[[即位]]、
それに伴う[[代始改元]]で[[昭和]]から[[大新]]に[[改元]]された (される)
との[[改元デマ]]が流布されました。

[30] 
[TIME[昭和20(1945)年][year:1945]]秋頃には既に広まっていたようです (>>28)。
その後何年かの間、広まり続けました (>>18)。
当初は[[改元]]される予定という情報だったのが、
いつしか[[改元]]されたという過去情報になっていたようです。

[31] 
[TIME[昭和21(1946)年][year:1946]]時点で、
当年が[[元年]] ([TIME[y~1769]]) か
2年 ([TIME[y~1768]]) かわからない状態で噂が広がっていたようです。
[SRC[>>6]]

[55] 
現在知られているわずかな情報から推測すると、
[[南満州]]で生まれ、
[[シベリア]]へと広まっていったとみられます。
抑留後帰還できた人の数に比してこの[[私年号]]の情報が少ないことをみるに、
あまり信用しなかった (したくなかった) 人が多く、
みんながみんな使うような状態にはならなかったのでしょうか。


[REFS[

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[6] [CITE[現代教養全集: 愛情の記錄 - [[Google ブックス]]]],
[[臼井吉見]],
[TIME[1958][year:1958]],
[TIME[2020-07-11 20:23:02 +09:00]]
<https://books.google.co.jp/books?hl=ja&id=c8A7AAAAMAAJ&dq=%E2%80%9D%E5%A4%A7%E6%96%B0%E2%80%9D>
]FIGCAPTION]

> 163 ページ
> 日本の年号は更新されて大新とわからないので、私は牛車の下にはい込んでそこに
眠ることにした。なっているそうだ。大新と去年から変っていれば二年だし、今年かこども
たちにふろしき座ぶとんをかけてやり、私は車の下に半分坐ら改まれば大新一年だから

]FIG]

]REFS]

-*-*-

[64] 
[[改元デマ]]の出所は不明であり、その特定はほとんど不可能でしょう。
しかし現在知られている[[大新]]の情報は[[譲位]]に伴う[[代始改元]]を想定しており、
[[退位]]・[[譲位]]の[[デマ]]から[[改元デマ]]が生じたのか、
最初から[[退位]]・[[譲位]]とセットで[[改元デマ]]も生じた可能性が高いというべきでしょう。

;;
[65] 
当時[[内地]]には[[退位]]を前提としない[[改元]]の提案もありました。
[SEE[ [[昭和時代の日時]] ]]

[66] 
[[昭和天皇]]の[[退位]]は避けられないとする見方は[[内地]]にもあったようですし、
[[連合国]]側には[[退位]]するべきという主張もあったようです。
そうした意見や風聞が一般の[[日本人]]に漏れ伝わってくることもあったでしょうし、
そうでなくても想像することはあったかもしれません。
([[承久の乱]]のように敗戦した[[天皇]]が[[退位]]した前例は、
当時も多くの[[日本人]]の知るところだったはずです。)

[67] 
[TIME[1945-09-30]]に[[中華民国]][[重慶国民政府]]の首都[[重慶]]で発行された新聞には、
[TIME[1945-09-27]]の[[ロンドン]]発として、
[[朝鮮人]]の情報筋によれば[[天皇]]が年内に[[譲位]]するらしいとの記事が掲載されました。
[SRC[>>63]]
[WEAK[([TIME[1945-09-27]]は[[昭和天皇]]が [[GHQ]] の[[マッカーサー元帥]]と会談された日でしたが、関係は不明です。)]]
[[退位]]デマ (真偽不明の怪情報) 
の伝播には[[朝鮮人]]や[[連合国]]人が関与していたことが示唆される記事です。
([[中国共産党]]が関与した節もあります: >>56)


[REFS[
- [62] [CITE@en[[[中央日報]] 1945.09.30 : 國民黨 : Free Download, Borrow, and Streaming : Internet Archive]], [TIME[2021-10-27T08:30:24.000Z]] <https://archive.org/details/zhongyang-ribao-1945.09.30>
-- [63] [CITE[1945.09.30.pdf]], [TIME[2021-10-14T13:48:33.000Z]], [TIME[2021-10-27T08:30:49.782Z]] <https://ia801501.us.archive.org/15/items/zhongyang-ribao-1945.09.30/1945.09.30.pdf#page=2>
]REFS]



* 元号名

[59] 
[[元号名]]は時代の一新を直接的に表現したものといえます。

[60] 
[[日本の元号]]で[[大正]]、
[[満州国の元号]]で[[大同]]が時代的に近く、
当時の人々の記憶にも新しかったと思われます。
当時の人にとって特に[[元号らしさ]]を感じた名前だったのではないでしょうか。
近い時代の[[元号]]の[[漢字]]の流用は[[日本の中世私年号]]にも頻出する現象で、
注目されます。

* 文脈

[45] 
元々[[改元デマ]]でしたが、
他に信頼できる情報源もなく、
信用した (信用するほかなかった) 
[[アジア大陸]]の[[日本人]]の一部が日常的に利用したとみられます。
その痕跡がいくつか知られています
(>>44, >>39)。

[46] 
大新2年の用例が知られていますが、
3年以後があったかは不明です。

[58] 
[[満州]]で生存できた人々は何年もたたないうちに[[日本]]に帰国が叶ったでしょうから、
大新もそう何年も続いたとは思われません。
[[シベリア]]の人々は長年抑留され続けられましたが、
やがて (検閲下ながら) [[郵便]]が認められるようになりましたから、
こちらでもやはり大新はそう何年も続かなかったと思われます。


* 北鮮

@@
[BOX[

-[78] 
[CITE@ja-JP[清津から平壌へ]], [[開勇]], [TIME[1976]], [TIME[2025-12-18T02:09:35.000Z]], [TIME[2025-12-26T08:10:28.797Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12399257/1/48?keyword=%E5%A4%A7%E6%96%B0> (要登録)
-[79] 
[CITE@ja-JP[清津憲兵分隊 : 羅南地区憲兵隊 清津から竜山基地へ]], [[開勇]], [TIME[1982.3][1982]], [TIME[2025-12-18T02:09:35.000Z]], [TIME[2025-12-26T08:11:10.578Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12231525/1/127?keyword=%E5%A4%A7%E6%96%B0%E5%85%83%E5%B9%B4> (要登録)

[87] 
[CITE@ja-JP[流民]], [[高橋是人]], [TIME[1983.3][1983]], [TIME[2025-12-18T02:09:35.000Z]], [TIME[2025-12-26T08:26:54.130Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12285263/1/18?keyword=%E5%A4%A7%E6%96%B0> (要登録)

]BOX]

* 満州

[37] 
[[終戦][大東亜戦争の終戦]]後、
[[満鮮国境]]の[[満州]]側の街、
[[通化]]には[[日本人]]が集められていました。

[38] 
[[通化]]では、
[[昭和天皇]]が[[退位]]し、
[TIME[昭和20(1945)年][year:1945]] ([TIME[y~1768]])
か[TIME[昭和21(1946)年][year:1946]]
([TIME[y~1769]]) に[[大新]]と[[改元]]されるという噂が流布されていました。
[SRC[>>5]]

[43] 
体験談によると、
[[昭和天皇]]が[[退位]]し、
[TIME[昭和21(1946)年][year:1946]]が[[大新]]元年に[[改められた][改元]]
([TIME[y~1769]])、
と噂になっていました。
[SRC[>>41]]

[44] 
体験談によると、
[[子供]]が病死したため、
「大新二年三月二十四日」
の墓標を作ったといいます。
[SRC[>>41]]
[TIME[昭和21(1946)年][year:1946]]の出来事のようで、
[TIME[昭和20(1945)年][year:1945]]を[[元年]]とする数え方
([TIME[y~1768]])
になります。
当時[[大新]]の[[元号]]が普通に実用されていたのでしょう。

[39] 
[[日記]]で実用した例もあったそうです。
[SRC[>>5]]


[56] 
[[中国共産党]]の工作で流布されたとする説もあり [SRC[>>40]]、
いかにもありそうな話ですが真偽不明です。
そうした噂が大々的に流れていたなら[[中共]]側も把握はしていたでしょうから、
発信元かどうかはともかく、
[[日本人]]統治に利用した可能性は高いでしょう。




[REFS[

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[41] [CITE[[[通化事件]]: 共産軍による日本人虐殺事件はあったのか? - 佐藤和明 - Google ブックス]], 
[[佐藤和明]],
[TIME[1993][year:1993]],
[TIME[2020-08-19 19:54:19 +09:00]] <https://books.google.co.jp/books?hl=ja&id=kv1MAAAAMAAJ&dq=%E5%A4%A7%E6%96%B0>
]FIGCAPTION]

>222 ページ
>... 刷り込んであった。「後で聞いたのだが、私共が連行された日を命日として
位牌も出来ていたとか・・・ ・・・。おそらく二度と帰らぬだろうと噂が巷に
満ちていたそうだ。そしてこの時、何処からか伝わったデマか、
日本の年号は大新となったなどと言
われ、私達もそれを信じ、昭和二十一年は大新元年であり、昭和天皇は退位した
のだとも伝えられていた」(佐藤註・同年は大新二年だと思われる)た。ついで、「身の丈堂々とした偉丈夫」が壇上に立った。杉本一夫と名乗る日本人
工作員だった。杉本は、「立派な中共の将校服に、肩から吊ったモーゼル拳銃の
木製サックの間から彼ら特有の赤いもみの布片が見え、六尺近い体躯と、中国人
に見られない毅然とした
品のある堂々とした男であり、その周りには必ず八路軍の護衛兵だろう、四人程が ...

>223 ページ
>ゼイゼイあえぐ度に瞳孔は開き放し、苦しさに身をよじる五歳の子、私には
どうしてよいか判らなかった。三月の末のある夜発病してから四日目の夜だった
。『おしっこ』「よし』と私は薄暗い便所まで抱えてやった。「あら、紙が」と言っ
たまま、洋子はすとんと首をうなだれた。これがたった五歳になった洋子の最後
だった」白木を削った墓標に、「大新二年三月二十四日入寂、俗名高井洋子」と
記 ...

]FIG]

@@
[81] 
[CITE@ja-JP[通化事件 : 無条件降伏下、武装蜂起した日本人]], [[佐藤和明]], [TIME[1989.7][1989]], [TIME[2025-12-18T02:09:35.000Z]], [TIME[2025-12-26T08:14:13.213Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/13206154/1/112?keyword=%E5%A4%A7%E6%96%B0> (要登録)


[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[40] [CITE[[[共産党]]が要求した日本人慰安婦 - 反日勢力無力化ブログ]], [[陽炎之会@ブログ係]], [TIME[2020-08-15 21:58:42 +09:00]] <https://tainichihate.blog.fc2.com/blog-entry-350.html>
]FIGCAPTION]

>[B[「昭和天皇が退位した」と宣伝していた共産党]]
>>
1993(平成5)年 新評論 佐藤和明 「通化事件」
>> [B[昭和天皇退位、新元号「大新」]]


]FIG]

;; [42] 引用元は >>41 か。

- [431] 
[CITE[修訂 [[絹と立方体]]]],
pp.[L[680]]-[L[682]]
- [33] [CITE[三訂 [[近代諸元号現象]]
--
[2] [CITE[絹と立方体]] [[PDF]] 682ページ
--
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[5] [CITE@ja[満洲国 - 木村 守一 | パブー]] ([TIME[2019-07-16 20:15:35 +09:00]]) <http://p.booklog.jp/book/126808/page/3626870>
(>>2 の改訂版)
]FIGCAPTION]

>
一九四五年から一九四六年にかけて、日本人は避難のため満洲と朝鮮の国境の町通化に集まった(もしくは集められた)。ただでも狭い町に数万人が押し込まれ、本国の状況も判らず、中国共産党の監視下に置かれていたとなればその閉塞感は察するに余りある。この通化で次のような噂が流れた。曰く、昭和天皇は退位し、昭和は二〇年もしくは二一年をもって「大新元年」に改元されるというのである。実に露骨で通化の日本人の切羽詰まった心境をうかがわせる用字の元号だが、この「大新」の日付で日記を書いていた人もあったという。

]FIG]
--- 移転確認 [TIME[2020-08-19T10:32:15.600Z]]
-- [32] [CITE[三訂 [[近代諸元号現象]] - 木村 守一 | Published with Bibi]], [TIME[2020-08-19 19:31:22 +09:00]] <https://puboo.jp/bib/i/?book=126808.epub>
pp.43-44

[NOTE[
[36] 
出典は明記されていないが、
参考文献一覧にあるこの書籍か?

- [34] [CITE[ニセチャイナ: 中国傀儡政権満洲・蒙疆・冀東・臨時・維新・南京]],
[[広中一成]],
[TIME[2013-06-01]]
-- [35] [CITE@ja-jp[ニセチャイナ―中国傀儡政権 満洲・蒙疆・冀東・臨時・維新・南京 (20世紀中国政権総覧) | 広中 一成 |本 | 通販 | [[Amazon]]]], [TIME[2020-08-19 19:38:07 +09:00]] <https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4784511156/wakaba1-22/>
]NOTE]

]REFS]

[27] 
[[初谷三衣子]]は、
[[終戦][大東亜戦争の終戦]]当時小学5年生で、
[TIME[昭和21(1946)年][year:1946]]春に移動するまで、
[[吉林]]に居住していました。
[SRC[>>25]]

[28] 
その経験談によると、
終戦直後の頃、
[[昭和]]から[[大新]]に[[改元]]されると噂になっていました。
[[初谷三衣子]]は、
[[手巻きタバコ]]に
「大新」
と名付けて売り、
生活費を集めていました。
[SRC[>>25]]


[REFS[
- [4] 
[CITE[アカシアそして[RUBY[百日紅][サルスベリ]]]],
[[初谷三衣子]] 
-- [23] 
平成12年以後 (平成13年?)
-- [24] 
([TIME[2010-03-28 15:45:00 +09:00]]) <https://www.heiwakinen.go.jp/shiryokan/heiwa/13hikiage/H_13_114_1.pdf#page=6>
--- 移転確認 [TIME[2020-08-19T09:15:22.900Z]]
-- [25] 
[CITE[H_13_114_1.pdf]], [TIME[2010-03-28 15:45:00 +09:00]] <https://www.heiwakinen.go.jp/wp-content/uploads/archive/library/roukunote/hikiage/13/H_13_114_1.pdf#page=6>

[FIG(quote)[ [26] >>25

>
[BOX(vertical)[
だれが言い出したのか終戦と同時に、昭和は終
わって年号は「大新」になると噂が立ち、手巻きのたばこに大新と名付けて売った。五年生の私は、そのたばこ大新を小さな板きれにのせて並べ、真冬の街頭に立って売った。

]BOX]

]FIG]
]REFS]

@@
[BOX[




[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[76] 
[CITE[軍事研究 - [[Google ブックス]]]], 
第 8 巻,
[[軍事研究社]], 
[TIME[1973]],
[TIME[2023-06-08T13:42:19.000Z]] <https://books.google.co.jp/books?id=TJ8MAAAAIAAJ&q=%22%E5%A4%A7%E6%96%B0%E5%85%83%E5%B9%B4%22>
]FIGCAPTION]

>148 ページ
>しかもどうしたデマか、判らないが、年号も大新と改められ、大新元年二月四日入寂と書いてあった。 夜中に二回も摂食しなければなら -148- しかし後で聞いたのだが、こうした群衆の中には、こうまで打ひしがれた同胞の帰路襲い、僅かばかりの持物すら剥き ...



]FIG]

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[75] 
[CITE[満洲開拓史 - [[Google ブックス]]]], 
[[全国拓友協議会]], 
[TIME[1980]],
[TIME[2023-06-08T13:41:10.000Z]] <https://books.google.co.jp/books?id=ihY2AQAAIAAJ&q=%22%E5%A4%A7%E6%96%B0%E5%85%83%E5%B9%B4%22>
]FIGCAPTION]

>589 ページ
>内地の消息解りたると、宮城にはマッカーサーがおり、年号も大新元年と改められたとか......六月二十五日中村、今福先生方先に南下した鎌田先生の宿舎に行き、ようやく全団の方にては死亡者絶えず。六月十日.


]FIG]

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[73] 
[CITE[清津憲兵分隊: 羅南地区憲兵隊 : 清津から竜山墓地へ - [[開勇]] - Google ブックス]],
[TIME[1982]],
[TIME[2023-06-08T13:38:35.000Z]] <https://books.google.co.jp/books?id=u3ovAQAAIAAJ&q=%22%E5%A4%A7%E6%96%B0%E5%85%83%E5%B9%B4%22>
]FIGCAPTION]

>244 ページ
>まして昭和の年号が変って大新元年となり、内地は四ヶ国分譲でトロッコに粉炭を積み込んでバケットまで押して行き、粉炭を落すと、次の者が石灰を落す。後は精炭機が粉炭と、石灰を攪拌して型に入れて出来上り。単純な作業の繰り返しだが力がなくては出来 ...

]FIG]

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[74] 
[CITE[殉国憲兵の遺書 - [[Google ブックス]]]], 
[[東京憲友会]], 
[TIME[1982]],
[TIME[2023-06-08T13:39:55.000Z]] <https://books.google.co.jp/books?id=XyYkAAAAMAAJ&q=%22%E5%A4%A7%E6%96%B0%E5%85%83%E5%B9%B4%22>
]FIGCAPTION]

>609 ページ
>はや鋸の音きこゆ吾子負いて大根畑の急坂をゆく照りつゞく河原に吾子と水浴みて心ゆたけく水音をきく(大新元年十月十日、菅野尚久二歳野辺送り堪えがたき苦痛にたえて二十日あまり幼き魂はいま天還りますあまかえ チチハル忠霊塔前で北川伍長自決チチハル ...

]FIG]

[77] 
[CITE@ja-JP[延吉から]], [[柘植道武]], [TIME[1988.7][1988]], [TIME[2025-12-18T02:09:35.000Z]], [TIME[2025-12-26T08:08:11.068Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/13201946/1/47?keyword=%E5%A4%A7%E6%96%B0> (要登録)

[80] 
[CITE@ja-JP[二竜山(あるろんしやん)]], [[深田信四郎, 深田信 共著]], [TIME[1971]], [TIME[2025-12-18T02:09:35.000Z]], [TIME[2025-12-26T08:11:54.344Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12398987/1/115?keyword=%E5%A4%A7%E6%96%B0> (要登録)

[82] 
[CITE@ja-JP[殉国憲兵の遺書]], [[東京憲友会]], [TIME[1982.8][1982]], [TIME[2025-12-18T02:09:35.000Z]], [TIME[2025-12-26T08:15:59.008Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12227317/1/308?keyword=%E5%A4%A7%E6%96%B0> (要登録)

[83] 
[CITE@ja-JP[楨幹 続]], [[石頭会・続楨幹編集委員会]], [TIME[1980.12][1980]], [TIME[2025-12-18T02:09:35.000Z]], [TIME[2025-12-26T08:18:01.311Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12230168/1/160?keyword=%E5%A4%A7%E6%96%B0> (要登録)

[84] 
[CITE@ja-JP[満洲開拓史]], [[満洲開拓史刊行会]], [TIME[1966]], [TIME[2025-12-18T02:09:35.000Z]], [TIME[2025-12-26T08:20:39.044Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/2510142/1/294?keyword=%E5%A4%A7%E6%96%B0%E5%85%83%E5%B9%B4> (要登録)

[90] 
[CITE@ja-JP[沿革誌]], [[草加野開拓農業協同組合沿革誌編纂委員会]], [TIME[1965.12][1965]], [TIME[2025-12-18T02:09:35.000Z]], [TIME[2025-12-26T08:32:47.027Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/11619536/1/65?keyword=%E5%A4%A7%E6%96%B0%20%E6%94%B9%E5%85%83> (要登録)

]BOX]

* シベリア

[17] 
[[日本人]]の[[窪谷好信]]は、
[[終戦][大東亜戦争の終戦]]後、
[[ソ連軍]]により[[ソビエト連邦領シベリア]]に強制連行されました。
[TIME[1946-12-31]]、
第十一収容所から[[タイシェット]]地区へと移動させられ、
[TIME[昭和22(1947)年10月][1947-10]]の[[日本]]帰国まで強制労働を課されました。
[SRC[>>9]]

[18] 
その経験談によると、
収容所では真偽不明の怪情報がたびたび流布されました。
その1つとして、
[[昭和天皇]]が[[譲位]]し、
[[大新]]と[[改元]]されたというものがありました。
[[窪谷好信]]はその情報を信用しました。
[SRC[>>9]]
仮に疑問に思っても判断材料はなかったでしょう。
同地の他の[[日本人]]も同じように信用した可能性が高そうです。

[19] 
また他の体験談によると、
[TIME[1946-12-23]]、
[[エラブカ]]将校収容所の[[天長節]]の式が挙行された折、
[[昭和天皇]]が[[譲位]]し、
[[大新]]と[[改元]]された、
と何者かが伝えたようです。
[SRC[>>9]]
このことは[[窪谷好信]]の手記にありますが、
後に知ったと書かれており、
[[シベリア抑留]]当時は知らなかった情報のようです。

[20] 
[[窪谷好信]]が[[改元]]を知らされた時期は書かれていないのですが、
昭和21年12月のよその収容所の情報が昭和22年に自分達の収容所に伝わった、
と執筆当時の[[窪谷好信]]が理解したとすれば、
時系列は一応辻褄があいます。

[21] 
問題は、
12月23日が[[平成時代]]の[[天皇誕生日]]であることです。
当時の[[昭和天皇]]の[[天長節]]は、
4月29日でした。
もし12月23日に[[天長節]]が祝われたとするなら、
実は[[エラブカ]]将校収容所の[[日本人]]は既に[[譲位]]を知っていたことになります。
([[皇太子]]の[[誕生日]]を覚えている人がいても不思議ではないでしょう。)
だとするとこの引かれている体験談の信憑性も疑わざるを得なくなります。
[[平成時代]]に入ってからの証言だとすると、
不正確な記憶により[[平成時代]]の[[天皇誕生日]]に書き換わってしまった可能性もあります
(が、それにしても季節が違いすぎます)。


[22] 
[[タイシェット]]の収容所の人々は、
[[窪谷好信]]が知ったタイミングまで、
[[改元]]を知らなかった可能性が高いでしょう
(そうでなければニュース性がありません)。
[[改元]]の情報は実際はどのように広まったのでしょうか。
収容所間の配置転換があったようなので、
それによって情報も移動したのでしょうか。
あるいは[[ソ連軍]]が撹乱のため意図的に情報を流すこともあったのでしょうか。

[61] 
ソ連軍が戦闘終了後相当長期間、
大量の日本人を拘束し過酷な環境に置いて、
相互の情報共有もままならない非人道的扱いを続けたことがわかります。

[REFS[
- [9] [CITE[シベリア回顧録]],
[[窪谷好信]],
[TIME[平成六年二月十七日][1994-02-17]]
--
[1] ([TIME[2010-03-28 15:46:00 +09:00]])
<http://www.heiwakinen.jp/shiryokan/heiwa/13yokuryu/S_13_075_1.pdf#page=9>
--- [3] 移転確認 [TIME[2019-06-22T05:50:29.000Z]]
-- [10] 
[CITE[シベリア回顧録]],
[[窪谷好信]]
([TIME[2010-03-28 15:46:00 +09:00]]) <https://www.heiwakinen.go.jp/shiryokan/heiwa/13yokuryu/S_13_075_1.pdf>
--- [11] 移転確認 [TIME[2020-08-19T08:28:20.400Z]]
-- [12] 
[CITE[S_13_075_1.pdf]], [TIME[2010-03-28 15:46:00 +09:00]] <https://www.heiwakinen.go.jp/wp-content/uploads/archive/library/roukunote/yokuryu/13/S_13_075_1.pdf#page=9>
--- [14] 
[CITE@ja[労苦体験手記 シベリア強制抑留者が語り継ぐ労苦(抑留編) 第13巻 – 平和祈念展示資料館([[総務省]]委託)]], [TIME[2020-08-19 17:32:54 +09:00]] <https://www.heiwakinen.go.jp/library/shiryokan-yokuryu13/>
からリンクされるはずなのだが、
前後他の [[PDF]]
にリンクされていたり、
[[URL]]
が間違っていて
[CODE[404]]
ページに飛ばされたりして酷い状態。
本稿は題名と著者名があるのに、
肝心の本文には飛べない (1つ前の本文に飛ばされる)。
[TIME[2020-08-19T08:35:03.000Z]]



;; [13] なぜこうもころころと [[URL]] が変わるのか。
毎回探すのに苦労する。
貴重な証言を後世に受け継ぐ気は本当にあるのか疑問だ。

[FIG(quote)[ [15] >>14

>
[BOX(vertical)[
祖国日本は、天皇が退位し、皇太子が即位となり、年号は「大新」と改元された。また、天皇制が
廃止となり共産国家になった。内地は食料と輸送船不足で引揚者の受け入れができない悲観的な憶測など、ニュースかデマか確信の余地がないままいつしか消えていった。年号改元は「エラブカ将校収容所で昭和二十一年十二月二十三日天長節の式をあげていた時にどこからともなく『天皇退位、皇太子即位、大新と改元』と伝えられたためである」と後の誰かの体験記に述べられている。この傑作デマが我々の収容所に流布されたもので当時はなるほどと信じていた。なお、『日本新聞』は民主化、共産化の報道が目的であったので、真意は
疑わしいものであるが、その頃は活字に飢えていたので一応ニュースの価値があったと思われる。このほかにマホルカ(刻み煙草)の巻き紙として大いに活用された。
]BOX]
]FIG]
]REFS]

@@
[BOX[

[89] 
[CITE@ja-JP[闘ふ捕虜 : ソヴエツト帰還者の手記]], [[石川正雄]], [TIME[昭和23][1948]], [TIME[2025-12-18T02:09:35.000Z]], [TIME[2025-12-26T08:32:02.489Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1131002/1/19?keyword=%E5%A4%A7%E6%96%B0> (要登録)

[85] 
[CITE@ja-JP[潮流 3(3)]], [TIME[1948]], [TIME[2025-12-18T02:09:35.000Z]], [TIME[2025-12-26T08:23:00.178Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/8823891/1/25?keyword=%E5%A4%A7%E6%96%B0> (要登録)

[88] 
[CITE@ja-JP[福島正夫著作集 第8巻 (法と歴史と社会と 2)]], [[勁草書房]], [TIME[1995.5][1995]], [TIME[2025-12-18T02:09:35.000Z]], [TIME[2025-12-26T08:29:37.673Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/13099168/1/81?keyword=%E5%A4%A7%E6%96%B0+%E6%94%B9%E5%85%83> (要登録)


[86] 
[CITE@ja-JP[日通文学 43(8)(494)]], [[日通ペンクラブ]], [TIME[1989-08]], [TIME[2025-12-18T02:09:35.000Z]], [TIME[2025-12-26T08:25:43.214Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/7917733/1/24?keyword=%E5%A4%A7%E6%96%B0> (要登録)




]BOX]

* 関連

[8] [[大延]]とは無関係。

[53] 
[[内地]]では[[改元]]の動きは実際ありました。
[SEE[ [[新日本]] ]]
その他にも各地で勝手に[[私年号]]を作る動きがありました。
[SEE[ [[昭和時代の日時]] ]]
そうした[[内地]]の情報が断片的にでも伝わったのかどうかは、
今後検証が必要でしょう。

[68] 
[[征露]]

* メモ


[51] 
[[大新]]は、[[日本人]]によって用いられた[[元号]]でありながら、
[[日本]]本土で用いられた例がまったく知られておらず、
[[アジア大陸]]でだけ使われたという特異な例です。


[52] 
[[大新]]の一件は、
[[改元デマ]]と[[私年号]]の関係を考えさせられます。
正規の情報伝達経路が遮断された状況で、
生活が苦しくなると[[私年号]]が出現するというのは、
[[日本の中世私年号]]に状況が似ています。
[[元年]]がいつかはっきりしなかったり、
近接するコミュニティー間で少しずつ時間差がありながら広まっていったりする様子もそっくりです。




[7] 
[[Web]] 上にはほとんど情報がない。。。
[TIME[2020-07-11T11:28:08.00Z]]


[54] 
既に生存者はそれほど残っていないでしょうが、
回顧録的なものはたくさんあるはずなので、
探せばもっと情報は集まるでしょうか。


[57] 
すぐに帰国はできない、
情報も入ってこない、
生活もままならないという苦難の中で、
必死に生きながら祖国のことを思い続けた人々の心中は察するに余りあります。


[69] [CITE@ja-JP[軍事研究 = Japan military review 8(6)(87)]], [[ジャパンミリタリー・レビュー]], [TIME[1973-06]], [TIME[2022-12-21T08:14:19.000Z]], [TIME[2022-12-24T02:07:15.510Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/2661551/1/74> (要登録)

[70] [CITE@ja-JP[軽塵集 : 歌集]], [[草部道彦]], [TIME[1958]], [TIME[2022-12-21T08:14:19.000Z]], [TIME[2022-12-24T02:09:25.523Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1344752/1/77> (要登録)

[71] 
<https://dl.ndl.go.jp/pid/6066909/1/220>
(非公開)

>詩人会議 38(12)
>雑誌
>詩人会議 編 (詩人会議, 2000-11)
>220: 緑の中に佐藤冨美雄大新元年と改元された本当かそりあ?チタで日本行きの


[72] [CITE@ja-JP[満洲開拓史]], [[満洲開拓史刊行会]], [TIME[1966]], [TIME[2022-12-21T08:14:19.000Z]], [TIME[2022-12-24T02:11:22.282Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/2510142/1/294> (要登録)