* 太和 (魏)

[15] 
[CITE@zh[三國史記/卷29 - 维基文库,自由的图书馆]], [TIME[2023-04-16T02:22:41.000Z]], [TIME[2023-04-30T05:43:42.787Z]] <https://zh.wikisource.org/wiki/%E4%B8%89%E5%9C%8B%E5%8F%B2%E8%A8%98/%E5%8D%B729>

>大和元年


* 太和 (東晋)

[16] 
[[太和]] [TIME[y~868]]

[17] [[元年]] [TIME[西暦366年][366]]


[6] 
[CITE[張今:出土[[六朝]]磚銘文字校訂十五則]], [[先秦秦漢史]], 
2022-07-13 19:00,
[TIME[2022-07-17T01:44:01.000Z]], [TIME[2022-07-24T08:40:02.377Z]] <https://mp.weixin.qq.com/s/fbRyDAKiUaleE1FovJ3TTg>

東晉馮慶地券
「[V[泰和元年十一月乙丑朔八日壬申[SNIP[]]]]」

[152] 
かつては[[太和と泰和の表記違い][太と泰]]は十分に理解されていませんでした。
[[泰□]]の解釈でも[[太和]]と[[泰和]]は同じで音通だとわざわざ説明が必要で [SRC[>>100]]、
反論されやすい当該説の弱点でもありました。

[205] 
[[喜田貞吉]]は、
[[太]]と[[泰]]が通用することを指摘し、
[CITE[晋書]]武帝泰始元年条に[[改元]]とともに
「改景初暦為太始暦」
とあることを紹介しました。
[SRC[>>197]]
[[七支刀]]の[[泰□]]の文脈でこの通用を紹介したのはこれが初めてと思われます。

[REFS[

- [197] 
[CITE[[[喜田貞吉]] 石上神宮の神宝七枝刀]], [TIME[2020-07-02T18:06:34.000Z]], [TIME[2023-06-17T07:28:58.947Z]] <https://www.aozora.gr.jp/cards/001344/files/49790_71268.html>
-
[119] 
[CITE@ja-JP[百済史の研究]], [[坂元義種]], [TIME[1978.7][1978]], [TIME[2023-05-30T10:04:52.000Z]], [TIME[2023-06-14T09:33:04.216Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12173013/1/195> (要登録)
-
[100] [CITE@ja[[[七支刀]] - Wikipedia]]
([TIME[2016-02-08 08:58:53 +09:00]] 版)
<https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%83%E6%94%AF%E5%88%80>


]REFS]

[166] >>165 /319

[260] [CITE@ja-JP[日本名所風俗図会 1]], [[角川書店]], [TIME[1987.7][1987]], [TIME[2025-10-29T01:48:45.000Z]], [TIME[2025-12-16T05:15:10.775Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12282609/1/194?keyword=%E4%BA%BA%E5%92%8C> (要登録)

人和

* 泰□ (七支刀)

[SEE[ [[泰□]] ]]


** 大和

[SEE[ [[泰□]] ]]

* □和 (高句麗)

[68] 
[DFN[□和]]は[[高句麗の元号]]の1つとされるものです。

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [69] 
[DATA(.label)[[[朝鮮民主主義人民共和国]][[咸鏡南道]][[新浦市]]梧梅里寺廟遺址裡出土[CITE[新浦市寺谷金銅板銘文]]]]
-- [70] 
「[DATA(.text)[[太]和三年歲次丙寅二月廿六日[甲]戌朔記首]]」
[SRC[>>66]]

]ITEMS]

[73] 
[[元号名]]は発見後に「太和」と読まれましたが、
現在見られる写真では損傷が酷く1文字目は判読不能とされています。
[SRC[>>1717]]

[71] 
[[中文]]版[CITE[维基百科]]は[[元号名]]を[[太和]]としています。
[SRC[>>66]]
根拠不明ですが、参考文献に >>67 があり、それに従ったのでしょうか。


[65] 
[[太和]]は[[高句麗の元号]]とされるがその可能性は低い
[SRC[>>1555 (姜賢淑2015など)]]
というのが近年の評価のようです。
おそらく□和を指すのでしょう。
太はもう候補とも考えられないのでしょうか。


-*-*-

[75] 
[[渤海]]文化層から出土したとされますが、
[[渤海の元号]]で合致するものがありません。
[SRC[>>1717]]

;; [76] が、[[渤海の元号]]も未解明部分が多いです。
[[元号]]が伝わらない後期も含め王の治世年代に合わないことから[[渤海]]ではないとされている
[SRC[>>1717]] ようですが、治世途中での[[改元]]の[[逸年号]]が1例既に知られているので、
これだけの検討では不十分ではないでしょうか。

[77] 
[[中国の元号]]でも□和3年丙寅に合致するものはなく、[[高句麗の元号]]とされます。
[SRC[>>1689, >>1717]]

[78] 
[CITE[[[조선유적유물도감]] 4]],
[[조선유적유물도감편찬위원회]],
[TIME[1990]]
はこれを
「[太]和三年歲次丙寅二月廿六日[甲]戌朔」
と読んで、[TIME[西暦546年][546]]
([TIME[y~4136]])
としました。
多くの研究者がこれに従いました。
[SRC[>>1717]]



[72] 
[[中文]]版[CITE[维基百科]]は[TIME[西暦546年][546]]説
([TIME[y~4136]])
により、
[[元年]]は[TIME[西暦544年][544]]としています。
[SRC[>>66]]
根拠不明ですが、参考文献に >>67 があり、それに従ったのでしょうか。

[81] 
[[임기환]]は、
日付から 426 486 546 606、銘文から長寿王 (426 486) は難しい。
[TIME[西暦606年][606]]
([TIME[y~4135]])
の可能性が高いとしました。
[SRC[>>1689]]

[80] 
[[이승호]]は銘文や他の[[高句麗の元号]]との関係から[TIME[西暦606年][606]]
([TIME[y~4135]])
としました。
[SRC[>>1717]]

[REFS[

-
[1689] 
[CITE@ko[高句麗의 年號에 대한 小考 | [[국회도서관]]]], 
[[임기환]],
[TIME[1997-03-01]],
[TIME[2023-06-05T12:15:07.000Z]] <https://dl.nanet.go.kr/search/searchInnerDetail.do?searchType=INNER_SEARCH&resultType=INNER_SEARCH_DETAIL&searchMehtod=L&searchClass=S&controlNo=KINX2007120506&queryText=&zone=&fieldText=&prevQueryText=KINX2007120521%3AALL_NI_TOC%3AAND&prevPubYearFieldText=&languageCode=&synonymYn=&refineSearchYn=&pageNum=&pageSize=&orderBy=&topMainMenuCode=&topSubMenuCode=&totalSize=1&totalSizeByMenu=1&seqNo=&hanjaYn=Y&knowPub=&isdb=&isdbsvc=&tt1=&down=&checkedDbIdList=&baseDbId=&selectedDbIndexIdList=&caller=&asideState=&dpBranch=ALL&journalKind=&selZone=ALL_NI_TOC&searchQuery=KINX2007120521>
(全文画像閲覧可能)
p.15
-
[67] 
[CITE@ko[新浦市 절골터 金銅板 銘文 검토]], 
[[이승호]] ([[Lee, Seung-ho]]),
[TIME[2015]],
[TIME[2023-06-07T12:58:07.000Z]] <https://www.kci.go.kr/kciportal/ci/sereArticleSearch/ciSereArtiView.kci?sereArticleSearchBean.artiId=ART002015548>
(先頭5ページのみ [[PDF]] 閲覧可能)
-
[1717] 
[CITE@ko[고구려의 稱元法과 年號 운용]], 
[[이승호]] ([[Lee, Seung-ho]]),
[TIME[2020]],
[TIME[2023-06-06T09:59:10.000Z]] <https://www.kci.go.kr/kciportal/ci/sereArticleSearch/ciSereArtiView.kci?sereArticleSearchBean.artiId=ART002607784>
([[PDF]] 全文あり)
#page=26
-- 白黒写真あり
- [66] [CITE@zh[[[太和]] (高句麗) - [[维基百科]],自由的百科全书]], [TIME[2023-05-31T11:01:55.000Z]], [TIME[2023-06-07T12:57:15.953Z]] <https://zh.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E5%92%8C_(%E9%AB%98%E5%8F%A5%E9%BA%97)>


]REFS]

[84] 関連: [[開化]]


[1667] [CITE@zh[哪些帝王的「年号」「谥号」「庙号」及政权的「国号」史书阙载直到考古重新发现? - 知乎]], [TIME[2023-06-04T13:23:24.000Z]] <https://www.zhihu.com/question/319502342/answer/1622757434>

□和、カラー写真あるも低解像度で判読不可


-*-*-

[82] 
[[高句麗]]では他に「[永]和十三年」銘が発見されていて、
東晋の永和とされています。 [SEE[ [[高句麗の元号]] ]]

[83] 
[[高句麗]]では他に「大和十三年歳在己已」銘が発見されていて、
[[北魏]]の太和とされています。 [SEE[ [[高句麗の元号]] ]]



* 太和 (新羅)

[28] 
[DFN[太和]]は、
[[新羅の元号]]の1つです。
[[新羅]]最後の独自[[元号]]です。

[26] 
基本的に[[太和]]表記ですが、たまに[DFN[大和]]表記されています。

[27] 「大和」表記例:

[REFS[

- [25] [CITE@ja-JP[百済史研究]], [[今西竜]], [TIME[1934]], [TIME[2023-04-25T10:11:41.000Z]], [TIME[2023-05-15T10:04:47.773Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1918347/1/142>
- >>261
-- [262] [[振り仮名]]付き

]REFS]

[61] 
非常に平和な世を願ったものといわれます [SRC[>>1555]]
が、想像の域を出ません。

[REFS[

- [1553] [CITE[[[日本語学]]]]
-- [1554] [CSECTION[[[年号を考える]]]]
--- [1555] [CITE[[[韓国の年号]]]], [[吉本一]], p.[L[79]]

]REFS]


[29] 
王即位年の[[改元]]とする[TIME[太和1(647)年丁未][647]]説 ([TIME[y~270]]) 
があります。

- [30] [CITE[三国史記]]本紀にそうあります。 [SRC[>>7862]]

[31] 
王即位年の翌年の[[改元]]とする[TIME[太和1(648)年戊申][648]]説 ([TIME[y~3991]])
があります。

- [32] [CITE[三国史記]]年表にそうあります。 [SRC[>>7862]]
- [33] [CITE[三国遺事]]にそうあります。 [SRC[>>7862]]

[60] 
[CITE[紀元編]]には[TIME[唐贞观19(645)年乙巳][645]]とあります ([TIME[y~4127]])。
[SRC[>>59]]


[36] [CITE[三国遺事]]に用例があります。

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [35] [CITE(.label)[三国遺事]]
-- [37] 
「[SNIP[]]後有崛山祖師梵日。[DATA(.text)[太和年中]]入唐。[SNIP[]]以[DATA(.text)[會昌七年丁卯]]還國。[SNIP[]]」
[SRC[>>34]]
--- [38] [TIME[唐会昌7(847)年丁卯][847]] ([TIME[y~616]])
--- [39] [TIME[唐大和1(827)年丁未][827]]以後 ([TIME[y~553]])
-- [40] 
「[SNIP[]]逃隱入五臺山(古記云:太和元年戊申八月初王隱山中。恐此文大誤。按孝照一作昭。以天授三年壬辰即立。時年十六。長安二年壬寅崩。壽二十六。聖德以是年即位。年二十二。若曰太和元年戊申。則先於孝照即位甲辰已過四十五歲。乃太宗文武王之世也。以此知此文為誤。故不取之)[SNIP[]]」
[SRC[>>34]]
--- [41] [TIME[新羅太和1(648)年戊申][648]] ([TIME[y~3991]])
--- [42] [TIME[唐天授3(692)年壬辰][692]] ([TIME[y~505]])
--- [43] [TIME[唐长安3(703)年癸卯][703]] ([TIME[y~550]])
--- [44] [TIME[新羅孝昭王1(692)年壬辰][692]] ([TIME[y~3903]])
-- [45] 
「[SNIP[]][DATA(.text)[太和元年八月五日]][SNIP[]][DATA(.text)[神龍元年三月八日]][SNIP[]]」
[SRC[>>34]]
--- [47] [TIME[新羅太和1(647)年丁未][647]] ([TIME[y~270]])
--- [46] [TIME[新羅太和1(648)年戊申][648]] ([TIME[y~3991]])
--- [48] [TIME[唐神龙1(705)年乙巳][705]] ([TIME[y~285]])
-- [62] 
「[DATA(.text)[[SNIP[]]興德王代大和元年丁未[SNIP[]]]]」
[SRC[>>34]]
--- [63] [TIME[唐大和1(827)年丁未][827]] ([TIME[y~553]])

]ITEMS]

[49] 2つは[[新羅]]の[[太和]]でなく[[唐]]の[[太和]]、
1つは注釈内の古記からの引用で[[干支年]]があるものの信憑性不明、
1つは[[干支年]]等なく[[年]]の確定は不能です。

[50] 
[CITE[三国遺事]]には継続年数6年とありますが、3年ないし4年の誤りです。
[SRC[>>7862]]

[64] 
[CITE[三国遺事]]に「[V[「太和六年」といった記述が見える]]」 ([[明朝体]])
ので国内では独自の[[元号]]を使い続けたとする説
[SRC[>>1555 (鄭孝雲2011)]] がありますが、これのことを指しているのでしょうか。
繼續6年の記述はありますが、「太和六年」は見当たりません。

[REFS[

-
[34] 
[CITE@zh[[[三國遺事]]/卷第三 - 维基文库,自由的图书馆]], [TIME[2023-05-07T06:42:07.000Z]], [TIME[2023-05-21T11:54:06.140Z]] <https://zh.wikisource.org/wiki/%E4%B8%89%E5%9C%8B%E9%81%BA%E4%BA%8B/%E5%8D%B7%E7%AC%AC%E4%B8%89>
-
[59] 
[CITE@zh-TW[[[紀元編]]一 第76頁 (圖書館) - 中國哲學書電子化計劃]], [[Donald Sturgeon]], [TIME[2023-03-11T20:10:53.000Z]], [TIME[2023-06-03T06:58:55.149Z]] <https://ctext.org/library.pl?if=gb&file=29319&page=76>
- [74] [CITE[[[朝鮮の年号と紀年]]]]
-- [7862] [CITE@ja[[[朝鮮の年号と紀年]](上)]],
[[藤田亮策]],
[TIME[1958-09]],
[TIME[2019-04-06 21:05:42 +09:00]]
<https://toyo-bunko.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=4748&item_no=1&page_id=25&block_id=47>
#page=16

]REFS]

[51] 
この[[元号]]は、[[宗主国]]の[[唐]]に知られて廃止し、
[[唐]]の[[正朔を奉じ]]ることを決めたエピソードで有名です。

[52] 
王の即位2年に[[唐]]に派遣された使節と[[唐]]の皇帝との間でそのやり取りがありました。
このエピソードが即位2年の[[改元]]と誤認される要因とも推測されます。
[SRC[>>7862]]

[53] 
また、2年のそのやり取りの後、3年に[[唐]]の服制に従いながら、
4年にようやく[[正朔を奉じ]]るのは遅すぎるようにも思われます。
2年の使節は[[唐]]側に記録がなく、4年の使節の記録はあるので、
4年に[[正朔]]を受けたとも考えられます。
[SRC[>>7862]]


** 独創的な説

[263] 
[[昭和時代]]後期頃の[[朝鮮人]]らは、
[[新羅]]が[[大化の改新]]に関与しており、
[[新羅]]の[[元号名]]の[[大和]]が[[日本列島]]の[[国号]]の[[大和]]となったとの説を唱えていました。
[SRC[>>261, >>264]]

;; [265] なお >>261 は編者が反[[天皇制]]の[[元号廃止論者]]。
>>261 は同じ書籍に[[大化の改新]]否定論者の[[持統大化]]説も収録。

[269] >>267 はなぜ!?と思う媒体ですが、 >>263 説を全面採用した歴史小説(?)をガス会社の役員が執筆しています。



[259] 
[[大化の改新に関係する陰謀論]]も参照。


[REFS[

- [264] 
[CITE@ja-JP[大王から天皇へ]], [[和歌森太郎]], [TIME[1974]], [TIME[2025-10-29T01:48:45.000Z]], [TIME[2025-12-17T15:13:03.108Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12234224/1/42?keyword=%E5%B9%B4%E5%8F%B7> (要登録)
-- [266] 
[CITE@ja-JP[日本文化と朝鮮 第2集]], [[朝鮮文化社]], [TIME[1975]], [TIME[2025-10-29T01:48:45.000Z]], [TIME[2025-12-17T15:16:23.132Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12208031/1/71?keyword=%E5%B9%B4%E5%8F%B7%20%E5%80%AD%E5%9B%BD> (要登録)
-- [261] [CITE@ja-JP[日本史の謎と発見 4]], [[毎日新聞社]], [TIME[1978.11][1978]], [TIME[2025-10-29T01:48:45.000Z]], [TIME[2025-12-17T14:58:54.660Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12210780/1/100?keyword=%E5%B9%B4%E5%8F%B7> (要登録)
-- [268] [[著者]]の[[金達寿]]の他の著書いくつかにも収録
- [267] 
[CITE@ja-JP[日本瓦斯協会誌 = Journal of the Japan Gas Association 33(6)]], [[日本瓦斯協会]], [TIME[1980-06]], [TIME[2025-10-29T01:48:45.000Z]], [TIME[2025-12-17T15:19:21.097Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/2337856/1/52?keyword=%E5%B9%B4%E5%8F%B7> (要登録)



]REFS]



* 大和 (越南)


- [7] [CITE[joufsns_13_195.pdf]], [TIME[2023-04-01T13:50:29.000Z]] <https://ir.library.osaka-u.ac.jp/repo/ouka/all/79680/joufsns_13_195.pdf>
-- [2] [CITE@ja[CiNii 論文 -  黎朝仁宗元号考(文化編)]]
([TIME[2019-04-25 15:24:56 +09:00]])
<https://ci.nii.ac.jp/naid/40004878822/>


[8] [CITE[Về một số danh xưng thời chúa Nguyễn]], [[Cổ vật tinh hoa]], [TIME[2023-04-08T09:55:41.000Z]] <http://covattinhhoa.vn/news/detail/1369/ve-mot-so-danh-xung-thoi-chua-nguyen.cvth>

[12] 
[[Lê Thành Lân]]
は、
[[越南]]における
「"Thái" (chữ Hán "đại")」 (「タイ」、漢字「ダイ」、 >>202 では
「[V[「タイ」 [WEAK(smaller)[(漢字は「大」)]]]]」)
の読み方を検討しました。
[CITE[大越史記全書]]
に従って
Đại Hòa
と読んでも、
[CITE[欽定越史通鑑綱目]]
に従って
Thái Hòa
と読んでも構わないとしました。
[SRC[>>202, >>230]]

;; [13] >>202 では読みが両方とも「[V[大和]]」になっていて意味不明になっています。



[REFS[
-
[200] 
[CITE[[V[[[日本語学]] 第三十九巻第四号冬号]]]],
[V[令和二年十二月十日発行]]
--
[201] 
[CSECTION[[V[特集 年号を考える]]]]
---
[202] 
[CSECTION[[V[[[ベトナムの漢字年号について[BR[]]⸺李王朝を中心に⸺]]]]]],
[[[V[グエン・ティ・オワイン]]]],
pp.[L[88]]-[L[101]]
- [230] 
[CITE[CVv235S12021003.pdf]], [TIME[2021-08-01T04:22:35.000Z]], [TIME[2023-04-02T02:19:43.252Z]] <https://sti.vista.gov.vn/tw/Lists/TaiLieuKHCN/Attachments/320590/CVv235S12021003.pdf>
-- [231] 
>>202 の[[越南語]]版と思われる (さらっと見た感じ同内容、
出版はこちらが後、著者が[[越南人]]なのでこちらが原文か)
]REFS]


- [9] 
[CITE[Bàn về niên hiệu thứ nhất của vua Lê Nhân Tông]],
[[Lê Thành Lân]],
[TIME[1999]]
-- [10] >>230 に [CITE[Về niên hiệu thứ nhất của vua Lê Nhân Tông]]
とあるものの、他の[[ウェブ]]上の情報では >>9 と書いている。
-- [11] >>202 は
[CITE[[V[黎仁宗の第一の年号について]]]]
と引用。


* 大和 (唐)

[18] 
[[唐]] [[大和]] [TIME[y~553]]

[19] 
[[元年]] [TIME[西暦827年][827]]

-*-*-

[3] [CITE@ja[元号一覧 (中国) - Wikipedia]], [TIME[2021-05-01T04:48:29.000Z]], [TIME[2021-05-06T07:05:13.344Z]] <https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%83%E5%8F%B7%E4%B8%80%E8%A6%A7_(%E4%B8%AD%E5%9B%BD)#%E5%94%90>

>
大和(827年-835年):一説に「太和」

[14] [CITE[“大和”还是“太和”]], [TIME[2023-04-27T09:57:14.000Z]] <https://baijiahao.baidu.com/s?id=1674428296142469642&wfr=spider&for=pc>


[22] [CITE@zh[[[三國史記]]/卷44 - 维基文库,自由的图书馆]], [TIME[2023-04-18T09:02:18.000Z]], [TIME[2023-05-02T09:11:19.806Z]] <https://zh.wikisource.org/wiki/%E4%B8%89%E5%9C%8B%E5%8F%B2%E8%A8%98/%E5%8D%B744#%E9%87%91%E9%99%BD>

>[SNIP[]]太[SUP[__&&[&&__13__&&]&&__]]和和二年,興德王三年,[SNIP[]]

13

>原本「大」

[23] 
わざわざ校訂しているのに「和和」になっているのが謎。
「大」を「太」に訂正したのより後に余分な「和」が挿入された?

[24] 大和とされることが多いこの元号を校訂者はなぜ太和に直したのだろうか。

-*-*-

[55] 
[[日本国]][[福井県]]に太和7年銘の鐘があります。
[[朝鮮半島]]から持ち込まれ、慶長年間に寺に寄贈されたものです。
[SRC[>>56]]

[57] 
[[江戸時代]]の[[藤貞幹]]は[[新羅]]の[[太和]]と考えました。
[SRC[>>54, >>7862]]
[[内藤湖南]]と[[稲葉君山]]も支持しました。
[SRC[>>7862]]
[[明治時代]]の研究者[[菅政友]]も[[藤貞幹]]の見解を引いています [SRC[>>165]]。

[58] 
[[平子尚]]が[[唐]]の[[太和]]と考えました。
[[藤田亮策]]も支持しており、
鐘の様式も[[新羅]]の[[太和]]の時代のものではないとしています。
[SRC[>>7862]]
現在はこれが通説となっています。
[SRC[>>56]]


[REFS[

-
[165] 
[CITE@ja-JP[[[菅政友全集]] : 全]], [[国書刊行会]], [TIME[1907]], [TIME[2023-05-30T10:04:52.000Z]], [TIME[2023-06-17T04:52:45.364Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/991239/1/320>
-
[54] [CITE@ja-JP[[[日本随筆大成]] 巻十一]], [[日本随筆大成編輯部]], [TIME[昭和3][1928]], [TIME[2023-05-15T11:26:02.000Z]], [TIME[2023-05-21T12:59:52.386Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1914138/1/297> (要登録)
- 
[56] [CITE[国指定文化財等データベース]], [TIME[2023-05-21T13:00:53.000Z]] <https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/201/366>
]REFS]


* 泰和 (金)

[5] 
[CITE[[[《馬天祥造像記》與北齊武平九年紀年]]]]

>還有傳世《重修政和經史證類備用本草》,卷首有牌記署曰:“泰和甲子下己酉冬日南至晦明軒謹記。”[20]錢謙益在入清後爲此書撰寫題跋,謂“泰和甲子下己酉,金章宗太和四年,甲子,宋寧宗嘉泰四年也;至己酉歲爲宋理宗淳祐九年,距甲子四十五年,金源之亡,已十六年矣。猶書‘泰和甲子’者,蒙古雖滅金,未立年號,又當女後攝政,國內大亂之時,而金人猶不忘故國,故以‘己酉’係太和甲子之下與”[21]?

[257] 
[CITE@ja-JP[貿易実務ダイジェスト : 貿易手続の専門誌 9(3)(91)]], [[日本関税協会]], [TIME[1969-03]], [TIME[2025-09-30T02:09:54.000Z]], [TIME[2025-10-10T14:29:48.512Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/2804065/1/35?keyword=%E6%B3%B0%E5%92%8C> (要登録)

[SEE[ [[高麗の元号]] ]]


* 大和 (古代年号)

[272] 
[CITE@ja-JP[日本歴史大辞典 第6巻 (すーち)]], [[日本歴史大辞典編集委員会]], [TIME[1985.7][1985]], [TIME[2026-04-07T01:12:04.000Z]], [TIME[2026-04-18T15:26:15.317Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12192186/1/220?keyword=%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7> (要登録)

[1] 
[CITE@ja[Xユーザーの大森博子 Hiroko Ohmori🔍📚さん: 「【元号】326 大和(大化) だいわ(たいか) 持統天皇9年(695年)より2年間 「やまと」と読みたい所だが、年号は音読みが慣例のため「だいわ」としておく。実際に使われたかどうかは不明。」 / X]], [TIME[午後8:55 · 2018年10月25日][2018-10-25T11:55:55.000Z]], [TIME[2026-07-02T13:11:40.000Z]] <https://x.com/11111hiromorinn/status/1055427734246109184>


* 関連

[SEE[ [[泰と太]] ]]

[240] [[太同]]

* メモ
