* 私年号研究史

[672] 
[[日本の私年号]]の研究は、[[古代年号]]、[[改元デマ]]、
その他の[[私年号]]の3系統で進められてきました。

[673] 
[[古代年号]]は[[日本古代史]]の一要素として研究されてきました。
[CITE[日本書紀]]は、広義の[[古代年号]]の現存最古の研究成果といえます。
その後も[[年表]]や[[系譜]]資料のような形でまとめられてきました。
[[中世後期]]には[[外国人]]による[[日本研究]]資料の一部にも取り上げられました。
[[江戸時代]]になると、[[国学者]]らから独立した研究対象ともみなされるようになりました。
[SEE[ [[古代年号]] ]]

[674] 
[[改元デマ]]は古くから記録に残されてきました。
[[江戸時代]]以後、歴史研究の一部などの形で個別の事例ベースで考察されるようになりました。
[SEE[ [[改元デマ]] ]]

[675] 
その他の[[私年号]]も、[[江戸時代]]以後個別の事例ベースで考察されるようになりました。

;;
[677] 
この他に[[南朝の元号]]の研究もありました。
[SEE[ [[日本南北朝時代の元号]] ]]

[676] 
ただ、[[古代年号]]が一連の年号群の形で体系的に出現していたのに対して、
[[改元デマ]]やその他の[[私年号]]は単発の事例が全国各地でバラバラに見出されるのみなので、
それらが集約されることはあまりなく、
せいぜいが[[古代年号]]にフォーカスしながらその他も一括して扱われるような形でした。


[678] 
そうした経緯から、[[古代年号]]、[[偽年号]]、[[逸年号]]、[[九州年号]]、
[[異年号]]、[[私年号]]といった[[江戸時代]]以来の各論者が[[古代年号]]の性格を評した用語が、
その他の[[私年号]]や[[改元デマ]]まで含めた全体を曖昧に指したり、指さなかったりする曖昧な状態で現在に至っています。
[[昭和時代]]に[[久保常晴]]が[CITE[日本私年号の研究]]の冒頭でこれを整理したものの、
古い辞書の記述などを駆逐するまでには至らず、未だに幾らか混乱が残っています。

[679] 
それはともかく、いわゆる[[日本の私年号]]は[[古代年号]]とそれ以外に大別できます。
一覧表でどちらもまとめられたり、雑に両方を一括りにされることもしばしばあったとはいえ、
体系的な検討が必要な[[古代年号]]と個別的な検討が必要なその他の[[私年号]]は大抵別々に研究されてきました。
[[古代年号]]の研究史については[[古代年号]]を参照。

[680] 
また、[[平成時代]]に入るまで[[私年号]]と[[改元デマ]]の関係性は不明瞭で、
たまたま[[私年号]]扱いされたものとされなかったものでわかれていました。
[[改元デマ]]主体の研究史については[[改元デマ]]を参照。


[34] 
[[昭和時代]]に[[関東地方]]の[[板碑]]の網羅的な研究が進められたことで中世東国の私年号の性質が明確になりました。
[SRC[>>35]]
[[日本の私年号]]は他に[[古代のもの][日本古代の日時]]や近現代のものもあり、
西国でも若干数見つかっていますが、最も広く使われたとみられる中世東国のものが研究の中心となってきたようです。

[272] 
近世、近代には、それらの[[年号]]を人々の願望の現れと理解し、
[[朝廷]]によって定められた[[公年号]]ではない、という程度の意味で[[私年号]]と呼んでいました。
[SRC[>>271]]

[274] 
今では[[私年号]]という呼称が最も一般的ですが、
[[近代]]の文献ではむしろ[[異年号]]という方が多いようにも思われます。
[[私年号]]の語も元からありましたが、[[昭和時代]]に一般化し、
[CITE[日本私年号の研究]]によって決定的に優勢となりました。
[SEE[ 呼称問題については[[私年号の呼称と分類]] ]]




** 草創期

[964] 
[TIME[寛文12(1672)年][1672]]6月に[[向井吉重]]が編纂した[CITE[会津旧事雑考]]は、
[[編年体]]地域史書ですが、
そこに収録された[[弥勒]]紀年銘に関連して、簡単な考察があります。わずか1段落ではありますが、
[[私年号研究]]の草分けといえます。 [SEE[ [[弥勒]] ]]

;; [965] 
[CITE[会津旧事雑考]]は近世に諸藩で行われた修史・地誌編纂事業の中でも初期に当たります。
[[年代学]]的考察はこうした事業の必須の基礎ですから、必然的だったといえます。


- [666] [CITE[[[増補逸号年表]]]] - [[藤貞幹]], [[中山信名]] 補
- [667] [CITE[[[偽年号考]]]] - [[中山信名]], [[山崎美成]] 補
- [669] [CITE[[[年号の論]]]] - [[伴信友]]
- [668] [CITE[[[逸年号考]]]] - [[栗田寛]]
- [670] [CITE[古事類苑]] [CSECTION[逸年號]] [SEE[ [[日本私年号一覧表]] ]]

@@
[BOX[

[938] 
[CITE@ja-JP[日蓮宗宗学全書 第19巻 (史伝旧記部 第2)]], [[立正大学日蓮教学研究所]], [TIME[1960]], [TIME[2025-12-18T02:09:35.000Z]], [TIME[2025-12-20T04:46:12.654Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/2967870/1/141?keyword=%E7%A6%8F%E5%BE%B3> (要登録)

[SEE[ [[鎌倉光明寺勅額]], [[福徳]] ]]

[958] 
[CITE@ja-JP[通略延約弁]], [[野之口隆正, 三ケ尻浩 校訂]], [TIME['''['''19--''']'''][1900]], [TIME[2026-03-18T03:11:57.000Z]], [TIME[2026-04-03T08:54:14.767Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1870582/1/36?keyword=%E7%95%B0%E5%B9%B4%E5%8F%B7> (要登録)

[962] 秋成:

- [963] 
[CITE@ja-JP[花園大学国文学論究 (7)]], [[花園大学国文学会]], [TIME[1979-10]], [TIME[2026-03-18T03:11:57.000Z]], [TIME[2026-04-03T09:14:32.254Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/4421204/1/20?keyword=%E7%95%B0%E5%B9%B4%E5%8F%B7> (要登録)



]BOX]

-*-*-

[804] 
[[近世]]には[[私年号]]は[[後南朝]]によるものだとする説がありました。
これといった根拠はなく、[[公年号]]でないなら[[南朝]]と関係あるのかもという素朴な理解によるものと思われます。
[SEE[ [[南朝の元号]] ]]



[595] [CITE@ja-JP[風雲 第6集]], [[片岡弥吉 (明治潜夫)]], [TIME[明22,23][1890]], [TIME[2024-10-01T09:05:02.000Z]], [TIME[2024-10-30T06:57:33.229Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/893094/1/5> (要登録)

[610] >>595 [[福徳]], [[弥勒]], [[永喜]]は[[足利氏]]の僭号だという主張。[[南北朝正閏問題]]的文脈から[[足利氏]]を逆賊とする当時の思想の延長なのだが、
根拠が何も提示されておらずなぜそう自信満々に強弁できるのか謎い。


-*-*-

[38] [[昭和時代]]初期、[[服部清道]]は[[板碑]]から[[私年号]]の実態を研究しました。
服部による[[私年号]]への理解 [SRC[>>37]] は当時の代表的な辞書である
[CITE[國史辭典]]
[WEAK[(四 pp. 756-758 [CSECTION[私年號]], [[日野一郎]])]]
にも反映されました。 
[SRC[>>35]] 




[656] 
[CITE@ja-JP[国史の研究 総説の部]], [[黒板勝美]], [TIME[1918 9版][1918]], [TIME[2024-10-01T09:05:02.000Z]], [TIME[2024-10-30T08:07:18.425Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1918450/1/56>


[782] 
[CITE@ja-JP[石田・和田・竜・山中四先生頌寿記念史学論文集]], [[頌寿記念論文集刊行委員会]], [TIME[1962]], [TIME[2025-02-25T01:55:51.000Z]], [TIME[2025-03-10T08:11:12.754Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/3006676/1/237> (要登録)


[783] >>782 「改政」など

[788] 
[CITE@ja-JP[史的事項の解説 : 文検参考 日本・東洋の部]], [[木村武三]], [TIME[昭和6][1931]], [TIME[2025-02-25T01:55:51.000Z]], [TIME[2025-03-23T07:56:58.855Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1269455/1/31>

[26] 
[CITE@ja-JP[岩波講座日本歴史 第5]], [[国史研究会]], [TIME[昭和9][1934]], [TIME[2026-04-07T01:12:04.000Z]], [TIME[2026-04-27T15:26:31.354Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1920798/1/127>

@@
[29] 
[CITE[私年號]],
[[河田羆]],
[CITE[[[史學雜誌]] 七ノ三號]]



*** 久保常晴

[39] [[昭和時代]]中期、
[[久保常晴]]は古代から近世までの[[日本の私年号]]について大量の史料を収集、検討し、
[[私年号]]の利用状況や時代背景などの総合的な研究を行いました。
従来若干の混乱が見られた[[私年号]]に関連する用語を整理し、
[[古代年号]]や中世の[[私年号]]の性格を明らかにしました。
久保の研究は[CITE[日本私年号の研究]]としてまとめられました。
[SRC[>>40]]
[CITE[日本私年号の研究]]はその後の若干の研究の進展によってやや古びているものの、
[[日本の私年号]]の「今日の研究水準を導き出す原動力」 [SRC[>>35]]
と高く評価されており、
現在でも[[日本の私年号]]をメインテーマとした唯一の研究書です。
[SEE[ [[久保常晴]] ]]


[569] 
昭和9年の論文で[[久保常晴]]は、
[[中山信名]]の[CITE[偽年号考]]の社会が乱れて[[偽年号]]が流伝したとする説を引いて、
その流伝の遅速次第で地域によって使用年が異なり諸説を生じたのだとしました。
ところが諸書がそのうち1説のみを挙げるだけなために、
あたかも年が確定しているかのように誤認を誘うのだと問題を指摘しました。
[SRC[>>568]]
[SEE[ [[福徳]], [[弥勒]], [[命禄]] ]]


[REFS[

- [568] [CITE[[[私年号命禄の年代に就いて]]]]

]REFS]

[330] 
[CITE@ja-JP[多古町史 上巻]], [[多古町史編さん委員会]], [TIME[1985.7][1985]], [TIME[2024-01-05T08:01:52.000Z]], [TIME[2024-01-20T14:02:04.901Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9643568/1/118> (要登録)

[879] 
[CITE@ja-JP[宗教美術研究 (7)]], [[多摩美術大学宗教美術研究会]], [TIME[2000-03]], [TIME[2025-02-25T01:55:51.000Z]], [TIME[2025-04-13T09:25:19.136Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/4427933/1/51?keyword=%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7> (要登録)

*** 昭和後期

@@


[290] 
[[浅沼徳久]]は、[[私年号]]資料に占める[[板碑]]の多さにより、
[[板碑]]を中心に[[中世私年号]]を考察しました。
ただし[[板碑]]に偏った検討となることや、
改刻を想定した[[史料批判]]が必要である (が不十分な) ことには注意を促しています。
[SRC[>>289]]

[291] 
[[浅沼徳久]]は[[私年号]]の伝播への[[順礼]]が寄与したと考えました。
当時知られた[[板碑]]36件のうち、
板東三十三番札所の7箇所に24個があり、残りのほとんども順礼行路から10キロメートル以内にあります。
また、[[弥勒]]の文書・経典・板碑などの分布もこれと一致します。
実際に[[順礼]]の遺物で[[私年号]]を使った例も残されています。
[SEE[ [[延徳]], [[福徳]], [[弥勒]] ]]
[SRC[>>289]]

[293] 
[[私年号]]は民間で私的に創作されてひそかに伝えられ広まったものであり、
その伝播も公然たる方法によれなかったため、
戦乱激しく社会の混乱した関東で自由にかつ広域で通行する者の力が必要だったと考えました。
すなわち、社会の不安と混乱を神仏に祈って救われようとし、各地を巡り歩いた順礼は、
社会不安、苦難の原因たる権力者の[[公年号]]に反感を持ち、ひそかに民福を希求し創作された[[私年号]]の伝播に相応しい存在だったとしました。
[SRC[>>289]]

;; [294] 
社会不安 → 反権力 → 反[[公年号]] = 強く生きる庶民、のこの図式は、
ちょうどこの発表と同じ時代に[[天皇制]]や[[自民党]]に反感を持ち、それに紐づけて[[元号制度]]そのものに反対した[[日本共産党]]等の[[左翼団体]]や[[学界]]に巣食っていた[[極左活動家]]グループらの[[元号廃止論]]や、
その「素材」としての[[私年号]]の過大評価の論理そのものであることに注意が必要です。
[[浅沼徳久]]がそのような思想の持ち主だったかどうかは定かではありませんし、
少なくても現在知られている[[私年号]]関連論文で[[浅沼徳久]]は学術研究の域を逸脱してはいません。
しかし知ってか知らずか時代の思想の色眼鏡を通して過去を観察してしまっていたのかもしれませんし、
逆にこうした研究成果がそのような思想の人々の理論的根拠に使われるという負のループに陥っていたこの時代の[[私年号研究]]を象徴する考察といえます。

[295] 
[[私年号]]が[[公年号]]への反感から民福を希求して創作されたものであることは、
命名から窺えるとし、[[福徳]]や[[命録]]は[[福禄寿思想]]に基づく、
[[弥勒]]は[[弥勒菩薩]]待望からの発想、と説明しました。
[SRC[>>289]]

[296] 
そして[[公年号]]の[[改元]]で歳運の転換を願うのが常識化しており、
[[私年号]]もそれに準じたものだとしました。
[SRC[>>289]]

[297] 
[[私年号]]の発生は公権力の与える苦難に反感を覚えた庶民の自然な希求が原因だとしました。
ただしその庶民とは、順礼者を含む下層教化階級だったとしました。
[SRC[>>289]]



[298] 
ただし[[享正]]は[[足利成氏]]と関係有るもので、
[[足利持氏]]・[[足利成氏]]が権威を保持していた[[永享]]・[[享徳]]を継承する意識に基づき、
関東足利氏の勢力範囲内で[[室町幕府]]への対抗意識を背景に使われたとしました。
[SEE[ [[享正]] ]]
また、[[延徳]]も同様としました。
[SRC[>>289]]


[501] 
[[地域的公年号]]説に対しては、
利用期間が[[京都]]の[[公年号]]に対してあまりにも短く、
両者を同等と見て良いものかと疑問が示されています。
[SRC[>>492]]

[503] 
[[三島社]]建元説に対しては、
[[伊豆]]や[[駿河]]の[[私年号]]用例の少なさから疑問視されています。
[SRC[>>492]]


[REFS[

- [286] [CITE[[[日本の石仏]] 4号]],
[TIME[1977-12]]
-- [287] 
[CSECTION[小特集 中世板碑]]
--- [289] 
[DFN[[CITE[[V[中世私年号と板碑[WEAK(smaller)[―私年号伝播者および足利成氏との関係を中心に―]]]]]]]],
[[[V[浅沼徳久]]]],
pp.[L[17]]-[L[23]]
---- [292] 関連: [[弥勒]]


]REFS]

@@
[BOX[


[802] 
[CITE@ja-JP[元号事典]], [[川口謙二, 池田政弘]], [TIME[1986.8][1986]], [TIME[2025-02-25T01:55:51.000Z]], [TIME[2025-04-04T14:57:51.829Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12206705/1/140> (要登録)


[897] 
[CITE@ja-JP[日本史研究 (66)]], [[日本史研究会]], [TIME[1963-05-20]], [TIME[2025-07-02T03:11:48.000Z]], [TIME[2025-07-22T09:51:10.884Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/10987461/1/36?keyword=%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7> (要登録)

[904] 
[CITE@ja-JP[日和見 : 日本王権論の試み]], [[宮田登]], [TIME[1992.10][1992]], [TIME[2025-07-30T10:21:15.000Z]], [TIME[2025-09-11T06:30:02.802Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/13198345/1/44> (要登録)

]BOX]

*** 千々和到

[41] [[千々和到]]は、
関東に残る[[板碑]]を分析して[[私年号]]の利用状況を調査し、
中世[[私年号]]の性格や[[改元]]の伝達経路について考察しました。
[SRC[>>42]]
[[千々和到]]の研究は、発表数、頁数で見ると少ないですが、
重要な指摘が多く「高密度」で、
[CITE[日本私年号の研究]]以後の私年号研究の方向性を決定付けました。
[SEE[ [[千々和到]] ]]

[357] 
[[千々和到]]は、

- [358] [[私年号]]を生んだものと使用したものとを区別すること
- [359] 広く使用された[[私年号]]と孤立した使用例しかない[[私年号]]を区別すること

が[[私年号研究]]に必要ではないかと提起しました。
[SRC[>>444]]

[361] 
この研究方針はその後の多くの[[私年号]]研究者に承認、踏襲され、
[[私年号]]の性格の理解が進むことになりました。

[360] 
[[千々和到]]以前の[[私年号研究]]ではこうした区別がなく、
一体的な現象として理解され、議論されていました。
例えば、
仏教的性質の[[元号名]]であればその使用者の間に信仰が広がっていたとみなし、
反権力的性格が感じられればその使用者が自らの反抗心を表すため作って使っていたのだとみなしていました。
ところが[[千々和到]]やそれ以後の研究者の分析と新発見によって、
従来[WEAK[(たまたま見つかっていた用例の存在だけを根拠に)]]考案者と思われていた者がただの1使用者に過ぎないことがわかったり、
[[私年号]]を[[公年号]]と誤解して使った人々がいたことが判明したりしました。

[362] 
[[久保常晴]]はすべての[[私年号]]にその成立の背景となる願望を推測しました。
しかしほとんどの[[私年号]]には[[改元]]の理由の記録はなく、
[[板碑]]などの用例が残るのみです。
[[千々和到]]はこの史料的限界ゆえに[[私年号]]の[[建元]]の事情を推測することは
「[V[現段階ではあまり生産的なこととは思[BR[]]えない]]」
としました。
それ故に[[千々和到]]は広く使用された[[私年号]]の (作った人ではなく)
受け入れた人々の意識をまず解明するべきと考えたのでした。
[SRC[>>444]]

[816] 
[TIME[昭和61(1986)年][1986]]の[CITE[国史大辞典]]で次のように解説しました。
[SRC[>>811]]


- 用語の定義 [SEE[ [[私年号の呼称と分類]] ]]
- [817] 40例以上
-- [818] 同時代の確実な史料があるもの 中世に頻出、30例以上
-- [819] 元年だけのもの、1,2の使用例しか知られないものが多い
--- [820] 作った人かごく近い範囲で短期間使用されたにすぎないだろう
- [821] 鎌倉時代、南北朝時代
-- [822] [[建教]]など
-- [823] 家の安穏など特定の願いを託したと説明されている
-- [824] 性格上、通用範囲もさほど広がらず
- [825] 15世紀後半以降
-- [826] 東国の私年号で極めて広い範囲で通用したものがしばしば存在
--- [827] [[延徳]], [[福徳]], [[弥勒]], [[永喜]], [[命禄]]など
-- [828] [[延徳]] [CITE[香蔵院珍祐記録]]
--- [829] 東国の理念的中心、鶴岡社さえ一時改元の風説で[[延徳]]を用いた
--- [830] 広範囲に通用した私年号は、私年号と知らずに元号そのものと認識して使用された
--- [831] 背景に京都と鎌倉公方の争いで[[改元伝達]]ルートの乱れ
---- [832] その証拠に広範囲に用いられた私年号は足利持氏討滅から後北条氏まで、
15C半ばから16C半ばまで
--- [833] 私年号は超時代的性格を持つが、
広範囲で用いられる私年号は中世後期、東国の歴史的所産
- [834] [[命禄]]以後、[[私年号]]は次第に姿を消していく
-- [835] [[正中]] : [[静岡]]で使われたと言われる
-- [836] [[大道]]([[大筒]]) : キリシタン禁制など幕府の圧政に対する抵抗との解釈も一部で行われている
-- [837] [[神治]]
-- [838] [[延寿]] : 明治新政府に抵抗した奥羽諸藩による使用とされるが通用範囲の実否には不明の点が多い
-- [839] [[自由自治]] : [[秩父困民党]]が称したとする説もあるが、
その真偽や作成意図、通用範囲については疑問もある
-- [840] [[征露]] : 日露戦争の頃一部で用いられたとする説もあるが、
その真偽や作成意図、通用範囲については疑問もある
- [841] [[文字]]
-- [842] [CH[大]], [CH[福]], [CH[徳]], [CH[喜]], [CH[寿]]などめでたい字が多い
-- [843] [[至大]] <-[[至徳]], [[福徳]] <-[[延徳]]
のようにときの[[元号]]の一字をめでたい字に置き換えた例も多い
-- [844] [[元号]]の攘災招福の呪術性をこうした操作で更に高めたと考えてよかろう
- [845] 作成者もしくは伝達者に僧侶が介在したことまちがいない
-- [846] [[弥勒]], [[命禄]]のように[[弥勒信仰]]を表現した[[私年号]]
-- [847] 残存史料が過去帳、経典奥書、板碑などの宗教史料に偏在
- [848] 天災、戦乱、飢餓で[[改元待望]]が強まった時、
僧侶がその人々の願望をうけて元号と別の年号を作成、通用させたと、
いちおう考えておいてよいだろう
- [849] しかし使用者は元号そのものと考えて使っていた
-- [850] ただちに京都に対する自立の意志の表現とは評価できない
- [851] [[私年号]]とは別に、
地域の政治権力が改元後の新年号を認めず意図的に旧年号を使い続ける場合がある
-- [852] [[養和]]を用いず[[治承]] [[源頼朝]]
-- [853] [[観応]]を用いず[[貞和]] [[足利直冬]]など[[足利直義]]派 
-- など
- [854] しばしば[[鎌倉公方]]が京都改元を管下諸国に伝達せず以前の年号を使い続けた
-- [855] [[永享]]を用いず[[正長]] [[足利持氏]]
-- [856] [[康正]]を用いず[[享徳]] [[足利成氏]]
-- [857] 積極的に改元を認めなかったのか、
京都から伝えられないという消極的理由からかは別にせよ、
-- [858] 地域の政治権力が京都の改元を認めないとの主張を明示したものと考えることができ、
[[私年号]]とは違って[[元号]]の政治的性格を知った上での自立の意志の表現と評価できる

[REFS[

- [810] [CITE[[[国史大辞典]] 7]], [TIME[1986]]
-- [811] [CSECTION[私年号]], [[千々和到]]

]REFS]



- [363] 
平成2年時点で[[千々和到]]が「[V[広範に使われた私年号]]」
とみなしたもの:
[[延徳]],
[[福徳]],
[[徳応]],
[[弥勒]],
[[永喜]],
[[命禄]]
[SRC[>>444]]

[368] 
[[千々和到]]の論: [SRC[>>444]]


- [372] 
[[不改年号]] 
--
[374] 
[[足利持氏]]
---
[377] [[改元伝達]]を行わなかった
[SRC[[CITE[封建時代の年号と天皇]], [[峰岸純夫]]]]
---
[379] 
[[金石文]]の多くが[[延長年号]]
[SRC[[CSECTION[改元と東国の金石文]]]]
--
[376] 
[[足利成氏]]
---
[378] 
[[朝敵]]で[[改元伝達]]されなかったと推測される
[SRC[[CITE[封建時代の年号と天皇]], [[峰岸純夫]]]]
---
[380] 
[[金石文]]の[[延長年号]]はきわめて稀
[SRC[[CSECTION[改元と東国の金石文]]]]
--
[381] 
[[板碑]]制作者は[[足利成氏]]を経由せずに[[改元]]を知れた。
- [367] 
東国には複数の改元伝達ルートが編成されていた。
-- [382] 
[[足利持氏]]から[[足利成氏]]の間、15世紀前半から半ばまで
-- [384] 
[[福徳]]の[[元号年]]の違いから複数ルートの存在が確認できる。
[SEE[ [[福徳]] ]]
- [365] 
[[私年号]]は東国の政治的まとまりの解体状況の中で、何らかの事情から[[改元伝達]]ルートに乗ってしまった
-- [364] 
広範に使われた私年号 (>>363) は、15世紀半ばから16世紀なかばまでにだけ
-- [366] 
宗教的史料に偏在することから、寺社間ルートだったのではないか。
-- [383] 
[[関東]]で最も代表的な神社である[[鶴岡八幡宮]]でも誤った改元情報を信じていた。
[SEE[ [[延徳]] ]]
- [385] 
広く使われた私年号が広く使われた理由は何か: [[改元待望]]が広範に存在したため
-- [389] 
災害、代替わり、彗星、と[[徳政]]要求が醸成されておかしくない状況
--- [386] 
[[私年号]]使用時には飢饉や災害が多い [SRC[[[久保常晴]]]]
--- [387] 
[[福徳]]: 前々年の[[足利義尚]][[将軍]]の死、
前年の[[足利義政]]前将軍の死、
当年の[[足利義視]]の死、
[[足利政知]][[堀越公方]]の死、
少し遅れるが当年後半の[[彗星]]出現
--- [388] 
[[弥勒]] (永正3年):
[[彗星]]出現
--
[417] 
[[徳政]]はそれ自体が戦乱、飢餓を克服するため国主が行うべき呪術と理解されていた
---
[418] 
招福除災の機能が期待された[[改元]]もそうであるはずで、
[[徳政]]要求の契機と[[改元]]待望の契機は極めて近似的な関係にあるはず
--
[419] 
ところが[[徳応]]の時以外は[[改元]]がない
--- [420] 
しなければならないとき、しなければならない[[徳政]]、[[改元]]が求められた
--- [421] 
この背景があってはじめて、[[私年号]]が[[改元伝達]]ルートにのってしまったのだろう。
-- [422] 
[[徳政]]要求のありようと[[改元]]待望とが極めて近似的であると考えれば、
広範に通用した[[私年号]]がわずか1年しか用いられないことも、
時間を置いて別の[[私年号]]がいわば波状的に何回も広まることも、
説明できるのではないか。
-- [423] 
[[改元]]待望が主として飢餓克服のまじないとしての期待だとするなら、
15世紀半ばに東国の村落で発生、成長してきた[[結衆]]が、
[[改元]]待望を抱いた人々だろう。
--- [424] 
それが寺社間の改元伝達ルートから改元情報を引き出そうと努めた人々だったのではないか。
- [425] 
[[私年号]]の創案者は、史料がないため触れようがない。
-- [426] 
[[久保常晴]]のいうように[[仏教]]者の介在はありそう
-- [427] 
[[福徳]], [[延徳]], [[文鬼]]といった私年号特有の語感から、
[[陰陽道]]関係者の介在の可能性も否定できない

[487] 
すなわち[[改元]]という行為、[[伝達][改元伝達]]そのものに祈念の意味がある、
と指摘したものと理解されています。 [SRC[>>440]]

[344] 
その他に[[千々和到]]の重要な指摘の1つは、
[[史料批判]]の必要性です。
[[平成時代]]初期の時点で約40例の[[私年号]]が発見されていましたが、
用例が1例しかないもの、伝聞史料にしかないもの、誤記かと疑えるものもあって、
それ以外ときちんと区別されていませんでした。
これを史料の実物にあたって再調査、検討する必要があると指摘しました。
[SRC[>>444]]

[345] 
これは歴史研究の基本ではありますし、
先行する研究者も実物の調査や記述内容 (文書、銘文) の吟味をしていないわけではありません。
[SEE[ [[日本私年号の研究]] ]]
しかし[[江戸時代]]から地味に長く続く研究史で蓄積されてきた報告のすべてで実物まで遡った再検証がなされていないのは事実です
(今でも誰もやっていません)。
また、たとえ[[孫引き]]でも、よほどの理由がなければ、
原形となる「私年号の存在」という史実はあったという素朴な仮定がこれまでは置かれていたように思われます。



[273] 
千々和は、
一種の徳政願望であって、
災異改元による除災招福を求めたもので、
異年号の継続的な使用よりも改元されたという情報が重要だったとしました。
[SRC[>>13 普及版 p.343 (千々和 1990, 1995)]]


[275] 
[[千々和到]]は[[板碑]]の研究で知られていますが、その専門性もあってか[[中世私年号]]を中心に考察しています。
[[平安時代]]や[[鎌倉時代]]の[[私年号]]の多くは使用例が少なく、
史料残存の偶然性よりも限られた僧侶などがまさに「私」年号として使ったのに対し、
[[室町時代]]以後はかなり広範囲に用いられ使用例も多いと指摘しています
[SRC[>>271]]。

;; [276] [[私年号]]の全体を連続した現象して捉えた[[久保常晴]]とは少し視点が違っています。
同じく[[板碑]]を専門分野としつつも[[古代]]から[[近世]]、はたまた[[ネパール]]まで幅広く取り扱う近代考古学者の[[久保常晴]]と、
学問分野の細分化が進み始めた[[昭和時代]]の研究者の[[千々和到]]との立ち位置の違いでもあるのかもしれません。
これは別に[[千々和到]]の視野が狭いということではなく、
用例数が多い = 広範囲に普及した[[私年号]]を少数例しかない[[私年号]]と区別するべきという[[千々和到]]の立てた研究方針によって[[千々和到]]や後続研究者は新たな視点からの成果を得られています。

;; [859] 
[[久保常晴]]だけでなくそれまでの多くの研究者たちも、[[私年号]]群をひとまとめにして共通の性質を説明しようとしてきました。
[[私年号]]と一括りにされるなかにも色々な異なる性質のものがあり、
区別して扱うべきだというのは[[千々和到]]の重要な指摘です。


[483] 
[[千々和到]]は、

- [484] [[元年]]だけの[[元号]]が多い
- [485] [[公年号]]の1字を置き換えた[[元号]]が多い
- [486] 用例が1,2だけの[[元号]]が多い


と[[私年号]]の特徴を指摘しました。 [SRC[>>440]]

[277] 
[[千々和到]]は[[公年号]]の1字を良い字に置き換えた[[私年号]]が多いとしました。
[SEE[ [[至大]], [[享正]], [[延徳]], [[福徳]] ]]
そしてその置き換えは「大」「正」「福」などのめでたい字です。
元々[[公年号]]の[[改元]]にみられる変革思想、呪術的な期待が、
[[公年号]]を置き換えた[[私年号]]の発生にも見られるとしました。
[SRC[>>271]]

[282] 
[[弥勒]]は[[公年号]]と関係しませんが、
憧れのミロク世の出現と改元という変革思想の結合として説明できるとしました。
[SRC[>>271]]


[278] 
[[千々和到]]は、[[久保常晴]]が[[享正]]と[[延徳]]が[[足利成氏]]の勢力下にみられその関係で利用されたと推測したことについて、

- [280] [[足利成氏]]自身は[[享徳]]を使い続け、[[享正]]・[[延徳]]を使った証拠がない
- [281] [[東国]]の[[改元伝達]]ルートの中枢に[[鎌倉公方]]家があったなら、
彼が[[改元伝達]]しなかった可能性は強い

と指摘し、この背景のもとで[[享徳]]の1文字置き換えで[[享正]]・[[延徳]]の[[私年号]]が発生したと考えました。
[SRC[>>271]]

[283] 
[[千々和到]]は、
[[福徳]]の[[改元伝達]]情報が[CITE[妙法寺記]]に残ることから、
[[福徳]]は正規、または正規に近い[[改元伝達]]ルートで伝わり、
[CITE[妙法寺記]]の筆者や他の使用者は[[福徳]]を[[公年号]]と理解していたと推測しました。
[[公年号]]の[[改元]]で何の摩擦もなく自然に[[私年号]]が終息するのものそのためとしました。
[SRC[>>271]]

[284] 
そして[[福徳]]が[[改元伝達]]ルートに乗り得たのは[[飢餓]]や[[将軍]]死去などの情報があって、
改元待望 (>>277) が背後にあったためだとしました。
[SRC[>>271]]

[488] 
[[千々和到]]は[[私年号]]用例が宗教史料に偏在することから、
寺社間の[[改元伝達ルート]]を想定しました。
後に[[室町時代]]は[[五山]]の[[改元伝達ルート]]が存在したことが指摘され、
この推測を補強する材料となりました [SRC[>>440]]。

[285] 
政治的性格 (>>346) を否定し、宗教的・呪術的側面とのかかわりがあるとしました。
[SRC[>>271]]
[[武蔵国]]全般で広く使われた[[福徳]]ですら、
1年間しか通用していません。
「独立宣言論」はもちろん、[[東国]]のどこかで独自に[[改元]]したとする説も、
短期間で混乱なく元の[[年号]]に復する事態を説得的に説明できそうにないと考えられます。
[SRC[>>444]]




[REFS[

- [271] [CITE[[[中世東国の「私年号」]]]]
- [444] [CITE[[[改元と私年号]]]]
- [428] [CITE[[[千々和到報告「改元と私年号」を聞いて]]]]

]REFS]

-*-*-





[51] 
[CITE[日本年号史大事典]]は、
こうした中世の
「公年号の存在を前提としつつ、それと異なる年号を用いる例」
とその研究を踏まえ、
「「私年号」と呼ばれるものが、中央の「公年号」
への対抗への意思などから作成・利用されたものではなく、
何らかの理由による改元情報の誤伝達などにより発生したものであることを物語る。」、
「それほど強い独立への志向はなく、
何らかの事情で伝わった京都での改元の結果が伝えられたものと理解していた可能性が高く、
誤りが判明すると、すぐにそれらは打ち捨てられている。」
としました。
[SRC[>>13 普及版 p.341, p.343]]

[174] 
その後、
[[前川清一]]の研究により、
従来[[関東]]中心と考えられてきた[[私年号]]が[[九州]]でも次々に発見されました。
[SRC[>>13 普及版 p.343 (前川清一 1982)]]
[SEE[ [[前川清一]] ]]
[[関東]]ほどではないにせよ、広い地域と時代にわたって出現することが想定され、
しかも[[関東]]との共通性と相違点が共に観察され、
私年号研究に一石を投じることとなりました。

[14] 
また[[幕末]]や[[第二次世界大戦]]の[[終戦]]後に[[私年号]]が発生したことも次々に判明しています
([SEE[ [[幕末維新期の日時]]、[[昭和時代の日時]]、[[永長]] ]])。
こうした他の混乱期の[[私年号]]や[[改元デマ]]とも比較検討することで、
中世の[[私年号]]への理解もいっそう深まることが期待されます。


[REFS[

[FIG(quote)[ [36] [CITE[國史大辭典]], [TIME[明治41年7月][1908-07]]初版, [TIME[大正元年12月][1912-12]]増訂縮刷版, p.1975 [CSECTION[[RUBY[年號][ネンガウ]]]] [SRC[>>35]]

>
朝廷に於て年号を定められたる以後も、
民間往々にして、
私に年号を称するものあり、
異年号、
また私年号 (シネンガウ)
と世に称するものこれなり

]FIG]

[FIG(quote)[ [37] [CITE[板碑概説]], [[鳥居龍蔵]]序, [[服部清道]]著, [TIME[昭和47年11月][1972-11]]初版, [TIME[昭和53年6月][1978-06]]再版 [SRC[>>35]]

第二編 [CSECTION[各論]] 第四章 [CSECTION[特殊研究]] 第五節 [CSECTION[板碑に現はれたる私年号]] pp. 559-574

pp. 559-560

> 私年号は逸年号・異年号・偽年号などとも称し、
民間に於いて私に制したる年号にして、
其の多くは神社・仏寺関係の後を用ひ、
その文字甚だ拙なりとは一般の批判である

> 板碑に於ける私年号は多く足利時代のものに現はれ、
就中福徳のもの最も多く、
鎌倉・南北朝時代に於いても私年号に近きもの一二の例を見うけられる

初出は[CITE[板碑概説]], [[鳥居龍蔵]]序, [[服部清道]]著, [TIME[昭和8年9月][1933-09]]。
]FIG]

- [79] [CITE[我が国の私年号に関する研究 口]]
([TIME[2014-04-24 01:37:43 +09:00]] 版)
<http://repository.ris.ac.jp/dspace/bitstream/11266/2900/1/KJ00000189425.pdf>
- [40] [CITE[日本私年号の研究]]
-- [107] [CSECTION[[V[本論]]]]
--- [106] [CSECTION[[V[第六章  江戸時代以降の私年号]]]]
- [42] [CITE[板碑とその時代―てぢかな文化財 みぢかな中世―]]
- [44] 
[CITE[板碑の総合研究 2 地域編]],
[[板詰秀一]]編,
[TIME[1983年11月][1983-11]],
pp. 126-143
の
3 [CSECTION[関東地方]], 6 [CSECTION[東京都]], [[比留間博]], p. 1131
に、
[[福徳]]、[[弥勒]]、[[命禄]]の板碑は西多摩に特に集中しており、
久保の甲斐発祥説に有利である、
とあります [SRC[>>35]]。
- [236] 美禄 = 弥勒? <http://www.chibanippo.co.jp/news-box/2001/5-16/chiiki.html>
- [35] 
[CITE[「私年号」とは何か]],
[[小山田和夫]],
[CITE[歴史読本]] [TIME[2008年1月][2008-01]]号 特集 日本の年号, pp.114-122

;; [43] >>35 には自治体の文化財調査報告書などにみえる私年号板碑のリストが掲載されています。

- [13] [CITE[日本年号史大事典]]

]REFS]

[213] [[日本私年号一覧表]]


[342] [CITE@ja[足利成氏 - Wikipedia]], [TIME[2024-01-11T09:03:54.000Z]], [TIME[2024-01-20T14:27:11.444Z]] <https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%B3%E5%88%A9%E6%88%90%E6%B0%8F#%E4%BA%AB%E5%BE%B3%E3%81%AE%E4%B9%B1%E5%8B%83%E7%99%BA%EF%BC%88%E6%88%90%E6%B0%8F%E3%81%AE%E6%94%BB%E5%8B%A2%EF%BC%89>

[789] 
[CITE@ja-JP[思考のレクチュール 2 (生命のざわめき)]], [[小阪修平]], [TIME[1986.10][1986]], [TIME[2025-02-25T01:55:51.000Z]], [TIME[2025-03-27T08:50:56.303Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12284951/1/74?keyword=%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7> (要登録)



*** 平成以後

[218] 
[[平成時代]]の歴史研究者[[佐々木茂]]は、
[[私年号]]の[[延徳]]が[[東北地方]]で使われていたことを初めて指摘しました。
しかも[[鎌倉]]の[[鶴岡八幡宮]]の[[延徳]][[改元]]記事とほぼ同時期であることから、
従来説の[[巡礼者]]
[SRC[[CITE[中世私年号と板碑―私年号伝播者および足利成氏との関係を中心に―]], [[浅沼徳久]], [TIME[1977]]]]
のような悠長なメディアではなく、
[[私年号]]を迅速に伝える情報網が東北日本全域に張り巡らされていたことを想定するべきだとしました。
[SRC[>>217]]
[SEE[ [[延徳]] ]]

[219] 
[[佐々木茂]]は、
[[東北地方]]と[[私年号]]はあまり結びつかない印象があるが、
正しくないと指摘しました。
[CITE[日本私年号の研究]]で[[東北地方]]の[[福徳]]、[[弥勒]]、[[永喜]]の用例が紹介されているにも関わらず、
その後[[東北地方]]の[[私年号]]はほとんど紹介されていませんでした。
しかし自治体史等で容易に閲覧できる史料が増えた結果、
新たな[[私年号]]史料が見出されるようになりました。
[[千々和到]]が[[永喜]]の史料を紹介したり、
[[佐々木茂]]が[[延徳]]の史料を紹介したりしました。
[SRC[>>217]]

[220] 
[[佐々木茂]]は、
[[私年号]]発見地を結ぶ情報網を明らかにするには材料が少なすぎて生産的ではないとしながらも、
共通性を見出し情報伝達ルートを探る試みは (困難だが) 無意味ではないだろうとし、
思考を巡らせています。明瞭な結論はやはり得られていないものの、
掻い摘んで紹介すると、


- [221] [[私年号]]の伝わった場所は「宗教的」「呪術的」性格が指摘されてきた。
-- [105] 巡礼者の伝達への関与説
[SRC[[CITE[中世私年号と板碑―私年号伝播者および足利成氏との関係を中心に―]], [[浅沼徳久]], [TIME[1977]]]]
-- [228] [[私年号]]は宗教的かつ呪術的とする説
[SRC[[CITE[戦国期の私年号について「福徳」「弥勒」「[ASIS[命録]]」を中心に]], [[渡辺恵美子]]]]
-- [53] [[東北地方]]の[[延徳]]や[[福徳]]の用例も確かにそう
-- [54] 一方宗教的でないものも。
弥勒2年の[CITE[岩城親隆書状]] (土地関係)、
命禄の[[武田信虎]]文書。
寺社のみならず武家も[[私年号]]を使っていた。
- [55] 
[[福徳]]が記録された[[甲斐]]の[CITE[妙法寺記]]と[[福島]]の[CITE[会津塔寺八幡宮長帳]] [SEE[ [[延徳]] ]]。
どちらも商業や流通への関心が窺える記事がある。
[[妙法寺]]も[[塔寺]]も交通路上に位置している。

と指摘しています。
[SRC[>>217]]

[232] 
そして[[私年号]]を「宗教的」「呪術的」など特殊な[[元号]]と捉えてきた従来説に与せず、
「[V[特殊な年号であると考えていない]]」、関東以北で
「[V[公年号のほうがむしろ特殊]]」
な状況が存在した可能性を示唆します。

- [110] [[福島県]]域の史料を広く収集した[CITE[福島県史]]で、
私年号の延徳2年に相当する寛正3年表記の古文書はほとんどありません。
-- [234] 寛正3年9月8日 [CITE[乗々院御坊御教書]]2通
-- [57] 寛正3年9月24日 [CITE[熊野総検校等連署下知状]]
-- [58] この3通のみで、いずれも[[八槻文書]]、東国発給ではない
- [253] [[私年号]]史料 (ことに記録類)
には通常と異なる年紀を前後に伴うことが多くあります。
-- [254] 
[CITE[会津塔寺八幡宮長帳]]には[[延長年号]]+1年の長禄5年、長享4年があります
[SEE[ [[延徳]] ]]。
この時期意図的に[[不改年号]]を使い続けた勢力はありません。
-- [255] 
長禄5年は[[板碑]]、
[[香取文書]]、
[[日光山]][CITE[御念仏所作配]]・[CITE[御忌日講師并提婆品講師已役帳]]、
[CITE[妙法寺過去帳]]、
[CITE[会津塔寺八幡宮長帳]]
などに広く見られ、[[私年号]]の[[延徳]]とセットで現れる傾向があります。

こうした徴証を踏まえて[[関東]]や[[東北]]の[[私年号]]と、同時に使われた[[私年号]]の使用状況の分析が必要だと問題提起しました。
[SRC[>>217]]

[256] 
史料と考察がこれだけでは不十分と考えて断言しなかったのでしょうが、
ここまで説明されればその構想は明白です。つまり、

- [89] [[私年号]]や[[延長年号]] (のうち、少なくても一部分) は、
-- [224] 政治的・宗教的な動機で使われたものではない
-- [267] 本来の[[公年号]]と区別されることなく使われた
-- [268] [[延長年号]]は[[改元]]情報の不到達を意味する
-- [269] [[私年号]]は誤った[[改元]]情報の到達を意味する

という仮説を立てられます。そして交通の要所に残された[[私年号]]は、
[[改元伝達]]の経路の痕跡なのでしょう。

;; [270] [[佐々木茂]]は執筆中の別稿で掘り下げると書いていました [SRC[>>217]]
が、公表されたのかは不明です。

[301] 
[[佐々木茂]]は[TIME[平成9(1997)年][1997]]時点で

>
[VRL[
[SNIP[]]従来公年号の使用に反感を表す意図によって使用されたと言われてきたが、近年千々和到氏ら[BR[]]
の研究によって、そのほとんどのケースにおいては、私年号の使用と公年号への反抗・反感との間に直接的なかかわ[BR[]]
りは無いという説が有力になってい[RUBY[る][([YOKO[1]])]]。
]VRL]

と研究状況を説明しています。 (1) は[[千々和到]]の[CITE[[[板碑とその時代]]]]です。
[SRC[>>217]]

;; [302] 一方で[[不改年号]]は
「[V[明らかに「公年号に反感を持って」使われたと思われる]]」
[SRC[>>217]]
と説明していました。

[REFS[

- [216] 
[CITE[[[歴史民俗資料学研究]] 第7号]],
[TIME[2002.02][2002-02]]
--[217] 
[CITE[[[[V[東北の私年号[BR[]][WEAK(smaller)[⸺「延徳」の事例を中心に⸺]]]]]]]],
[[[V[佐々木茂]]]],
pp.[L[44]]-[L[59]]

]REFS]


[629] 
[[日本国]][[福岡県]][[古賀市]]の[[亀光]][[私年号]]墓石の文化財登録審議の資料は、
元々は遺跡調査の報告と思われ、
市の文化財担当の学芸員か発掘に関わった研究者が用意したものなのでしょうが、
[[私年号研究]]の当時として最新の状況を非常に的確かつ簡潔にまとめていました。
[[ウェブ]]上で入手できる良質の[[私年号]]情報として、
[[平成時代]]末期から[[令和時代]]初期における最も良質な情報源でした。
[[亀光]]に限らず[[私年号]]の研究への非常に大きな貢献といえます。
[SRC[>>60]]
[SEE[ [[亀光]] ]]




[441] 
[TIME[令和元(2019)年][2019]]に歴史研究者の[[遠藤珠紀]]は、
[[中世]]の[[元号]]に関係する研究状況をまとめた[[論文]]を発表しました。
既発表論文の成果の紹介が中心と思いきや、
[[改元伝達]]の様相など若干の他にまとめられていない情報も含まれます。
[SRC[>>440]]
[[平成時代]]のこの分野の研究成果の総覧としてよい文献です。

[456] 
関連: [[永伝]], [[改元手続き]], [[改元伝達]], [[日本南北朝時代の元号]], 
[[後南朝の元号]],
[[日本私年号一覧表]],
[[元二年]]


;; [442] [[遠藤珠紀]]は[[暦]]関連の論文等がいくつかある研究者です。

[482] 
[[遠藤珠紀]]は[[公年号]]の[[改元伝達]]で音のみが伝わった事例 ([SEE[ [[改元伝達]] ]])
を引いて、[[私年号]]にも[[公年号]]が異なる字で認識されたのではないかと推測されるものもあると述べています。
[SRC[>>440]]
(具体的にどれを指すかは不明。)

[489] 
[[伊豆暦]] ([[三島暦]]) との関わりについては、
これを紹介しつつも [SRC[>>440 ([CITE[戦国期の徳政と地域社会]])]]、
意図的かは不明ながらこうした形で[[私年号]]が流布することもあったと考えられる
[SRC[>>440]]
と述べるに留まっています。東国独自の改元については[[千々和到]]の論を引いて否定的です。

[REFS[

- [439] 
[CITE[[[歴史と地理]] (727)]],
[TIME[2019-09]]
-- [440] 
[DFN[[CITE[[V[中世の元号]]]]]],
[[[V[遠藤珠紀]]]]
--- [443] 図版ページに図版1点 (カラー写真) あり。


]REFS]



[391] 
[TIME[令和2(2020)年][2020]]に[[日本国]][[東京都]][[府中市]]の歴史研究者[[深澤靖幸]]は、
[[中世私年号]]の研究史を簡潔にまとめるにあたり、
[CITE[日本私年号の研究]]後の研究状況を

- [392] [[千々和到]]の説:
-- [393] 天災等から逃れようとする民衆の[[改元]]待望意識のもとで
-- [394] [[改元伝達]]ルートに誤って乗った[[私年号]]が広く流布した
- [395] [[勝俣鎮夫]]の[[三島社]]が[[改元]]権を有した可能性があり[[三島暦]]とともに流布されたとする[[地域年号]]説

を代表して紹介し、

>
[VRL[
[SNIP[]]こうした理解は史資料を素材に丁寧に組み立てられていて、[BR[]]
戦国期の私年号に関する研究の到達点を示している。当然、議論は尽くされ、新たなアプローチ[BR[]]
の道は見出しにくいように感じる。
]VRL]

と述べています。 [SRC[>>390]]

[396] 
つまり私年号研究の行き詰まり、閉塞感のようなものがあったようです。
これは論文の前段の現状紹介で、[[深澤靖幸]]は新たなアプローチで切り込もうとしているので、
これでどん詰まりという認識ではないのですが、それを除いてもこのまとめには違和感があります。
[[勝俣鎮夫]]の説に従えば自ら[[元号]]を意図的に建てて使わせた勢力があることになりますが、
[[千々和到]]の説ではどこかから伝わった[[元号]]が間違って使われたことになります。
両者は必ずしも矛盾しないのですが、「議論は尽くされ」
というほど明確には権力構造も[[元号]]の広まる過程も描かれていないのが[[地域年号]]説の現状でしょう。

;; [397] 
例えば、本論文 [SRC[>>390]] でも引用されていますが、
[[千々和到]]説の根本には[[延徳]]の[[改元]]情報が誤情報だったと通達された文書があります。
三島に独自の「改元権」があったとしても、[[鎌倉]]ではデマ扱いされる程度のものでした。
この食い違いには何らかの説明が必要でしょう。

[414] 
同じ[[深澤靖幸]]による一般向け小冊子には、このあたりも説明があります。
基本的には[[千々和到]]の解釈を踏襲していて、
僧侶などによる限られた人たちの「マイナー」な私年号と、
[[私年号]]として意識せず[[改元伝達]]ルートを通して誤って伝わった「メジャー」な私年号があったとします。
[SRC[>>411]]

[73] 
その上で、[[三島神社]]建元説を紹介し、地方暦が[[私年号]]の創出と流布に関わったとする考えは魅力的だとします。
しかし、[[私年号]]が短期間で[[公年号]]に戻ることや、
[[三島暦]]の範囲を遥かに超えて[[福徳]]が通用していることから、
誰がどこで私年号を生み出したかは謎のままだと述べています。
[SRC[>>411]]




[74] 
[[深澤靖幸]]は[[武蔵]]地域の[[福徳]]銘[[板碑]]と同時期の[[公年号]]板碑の[[型式]]分類による計量的分析を通じて、
[[武蔵]]地域における[[板碑]]の生産体制と、そこに現れた[[福徳]][[私年号]]の伝播の様子を推定しました。
[SRC[>>390]]

[399] 
[[深澤靖幸]]は[[千々和到]]の説を再検証したに過ぎないと謙遜していますが [SRC[>>390]]、
より多くの史料をより精細に分析することで、
[[元号]]の切り替えの様子を従来にも増して鮮やかに描き出せたのは、
重要な成果といえます。
とりわけ、
[[私年号]]研究のために大量の[[公年号]]史料を活用した点は評価されるべきで、
従来の[[私年号]]史料を中心とした考察では解明できないエリアへと研究のレベルを一歩引き上げたといえます。

[76] 
これまでの諸研究によって、
[[私年号]]の伝播と[[公年号]]の[[改元伝達]]に強い関係があることや、
[[私年号]]と[[公年号]]の[[延長年号]]にただならぬ関係があることが示唆されています。
しかし[[中世東国]]の[[公年号]]の[[改元伝達]]の実態は未だ十分解明されておらず、
[[公年号]]の伝達と[[私年号]]の伝播を比較することは現在の研究状況では困難です。
今後は[[中世東国]]の[[公年号]], [[私年号]], [[延長年号]], [[改元伝達]]は一体的に研究を推進していくことが求められます。

;; [401] 
[[私年号]]の研究手法を[[公年号]]の[[改元伝達]]にも適用して発展させることもできそうです。


[402] 
[[深澤靖幸]]は、
[[武蔵]]の[[板碑]]における[[福徳]]の受容をめぐる「ドラスティック」
な変化に基づき、特に短期間で[[私年号]]から[[公年号]]へと復することに触れ、
民衆が[[私年号]]に強い呪術性を認識していたとする説
[SRC[渡部1997]]
を否定しました。
[SRC[>>390]]

[403] 
[[深澤靖幸]]は[[府中市郷土の森博物館]]の学芸員です [SRC[>>390]]
(令和5年時点で館長)。
[[府中市郷土の森博物館]]は[[令和改元]]を記念した企画展
「中世東国と改元」を[TIME[2019-07-27]]から[TIME[2019-10-27]]に開催しました。
この研究はそれに連動したものです。
[SRC[>>390]]

[404] 
令和3年には[[府中市郷土の森博物館]]から小冊子[CITE[中世東国と年号]] [SRC[>>411]]
が刊行されており、
[[私年号]]を含む[[中世東国]]の[[元号]]事情が一般向けにわかりやすく紹介されています。
企画展をベースにしたとのことで、
[[中世私年号]]等の入門書としてちょうどよさそうです。
今までこの分野の教科書的なものはありませんでした。


;;
[406] 
[[深澤靖幸]]は地域史の研究者で、[[元号]]関連の研究は他に見当たりません。
今後[[元号]]に焦点を当てた研究が続かないとすると残念なことです。



[REFS[

- [390] 
[CITE[[[板碑からみた私年号「福徳」の受容]]]]
- [411] 
[CITE[[[中世東国と年号]]]]


]REFS]


-*-*-


[547] 
写本間の比較により、書写時に[[私年号]]が[[公年号]]に改められた例があることが知られています。
[SEE[ [[命禄]] ]]

[548] 
その1例をもって[[私年号]]が[[公年号]]に書写時に書き改めることが多かったとする説があります。
[SRC[>>258]]
「多かった」とする根拠はありませんが、今伝わる[[公年号]]の写本の中にも本来は[[私年号]]だったものが他にもあるだろうとは推測できます。

;; [549] [[古代]]でも、原文にない[[古代年号]]を書写時に挿入する例などが知られています。
現代でも、[[写本]]ではありませんが、
[[寺社縁起]]に基づく解説文などでオリジナルの[[元号]]の後に[[西暦]]を挿入したり、
[[元号]]を[[西暦]]に書き換えたり、
[[干支年]]を削ったりするような編集は頻繁に行われていることが観察されます。
今も昔も[[日付]]の原表記を保存しようという考えはそこまで強くないことに注意が必要です。



[326] 
[[足利成氏]]と[[私年号]]: [[享正]], [[延徳]], [[福徳]]


[327] 
[CITE@ja[テキスト / コラム 板碑に刻まれた私年号]], [TIME[2024-01-20T13:39:08.000Z]] <https://adeac.jp/miyashiro-lib/text-list/d100010/ht200510>

>私年号とは、公的な年号である元号と異なり、一地方や限定的な地域において使用された非公式な年号であり、その存在は許されなかったが、一部の人々に使用された。私年号を異年号、偽年号とも称している。私年号は、保寿、和勝、迎雲、永福、白鹿、応治、天靖、享正、福徳、永伝、徳応、弥勒、宝寿、命禄、永長、元真、至大、延徳、永喜、大道、延寿などがあり、平安時代末期から江戸時代にわたって使用されているが、室町時代~戦国時代にかけて著しく増加している。
> 私年号が用いられた理由は、①朝廷に対して力を持った豪族が、対抗意識や勢力誇示のために使用した説、②天変地異や疫病流行などを忌避(きひ)したいがために使用した説、③地方の豪族が自己顕示のために使用した説などがある。


[328] >>327 「許されなかった」 誰により?

[329] >>327 ① ③ は誰が唱えている説?

-
[77] [CITE@ja-JP[仏教史学研究 26(2)]], [[仏教史学会]], [TIME[1984-03]], [TIME[2024-01-05T08:01:52.000Z]], [TIME[2024-01-20T13:55:34.687Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/4422667/1/22> (要登録)


[607] 
なぜか誰も指摘しないが、[[鶴岡八幡宮]]は[[延徳]]、[[福徳]]、[[命禄]]という戦国時代私年号四天王のうち3つの利用がみられる
([[弥勒]]は未発見)。
[[私年号]]の近くに[[私年号]]が見つかる傾向はあるものの、3つも揃っている、
しかも超重要史料込み、
で[[東国]]最大級の寺社、というキーポイント。


[615] 
[CITE@ja-JP[国民百科辞典]], [[富山房編輯局]], [TIME[明41.12][1908]], [TIME[2024-02-01T05:12:54.000Z]], [TIME[2024-02-13T12:14:43.346Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/897520/1/417> (要登録)



[616] [CITE@ja[Xユーザーの東行斎さん: 「@medieval_oota こんばんは🌙😃❗お疲れ👋😃💦さまです。鹿沼史林第14・15・16号に浅沼徳久氏の中世の私年号の論文があります。確認して見てください。」 / X]], [TIME[午後8:36 · 2022年7月19日][2022-07-19T11:36:05.000Z]], [TIME[2024-02-14T05:23:35.000Z]] <https://twitter.com/5X4nBy3lIDmBLSZ/status/1549357404324007937>

- [618] [CITE@ja[詳細情報です。 | 鹿沼市立図書館]], [TIME[2024-02-14T05:50:25.000Z]] <https://www.lics-saas.nexs-service.jp/kanuma/webopac/searchdetail.do?biblioid=607233>
-- [619] 「下野における私年号の使用(上)資料紹介と使用背景を考えて 	浅沼 徳久」
- [620] [CITE@ja[詳細情報です。 | 鹿沼市立図書館]], [TIME[2024-02-14T05:51:01.000Z]] <https://www.lics-saas.nexs-service.jp/kanuma/webopac/searchdetail.do?biblioid=607234>
-- [622] 「下野における私年号の使用(下)	浅沼 徳久」

[623] >>619 >>622 が15号、16号。

[624] 14号の目録 [SRC[>>617, >>625]] には[[浅沼徳久]]の記事が見当たらない。
記事単位ではない雑報扱い (発表会概要など?) で掲載されている可能性もある?

- [617] [CITE@ja[詳細情報です。 | 鹿沼市立図書館]], [TIME[2024-02-14T05:49:49.000Z]] <https://www.lics-saas.nexs-service.jp/kanuma/webopac/searchdetail.do?biblioid=607231>
- [625] [CITE@ja[資料詳細:栃木県立図書館]], [TIME[2024-02-14T05:52:08.000Z]] <https://kensaku.lib.pref.tochigi.lg.jp/winj/opac/switch-detail-iccap.do?bibid=1100558672>

[635] 
[[公年号]]との衝突:
[[大同]]★, [[天延]], [[永長]]★, [[元暦]]★, [[長徳]], [[建保]]★
(★は[[公年号]]になぞらえて使った等の説がある)

[662] 
1文字踏襲:

- [[享永]] ← [[享保]]

[627] 
新旧公年号の合体:

- [[明応]] : [[応仁]] + [[文明]]
- [[万政]] : [[安政]] + [[万延]]
- [[平和]] : [[昭和]] + [[平成]], [[平成]] + [[令和]] [SEE[ [[平和]] ]]

[634] 
[[絵馬]]: [[久宝]],
[[永佳]],
[[天晴]],
[[征露]]

[640] 
[[私年号]]への訂正・追記:
[[宝力]],
[[宝明]],
[[永長]]


[641] 
[[私年号]]からの訂正・追記:
[[神徳]], [[建教]]

[642] 
[[私年号]]と[[公年号]]の併記: 
[[永長]],
[[久宝]]

[664] 
元・誤記説:
[[慶喜]],
[[神治]]

[665] 
[[偽年号]]: 
[[縫武]],
[[元和]]

[457] 
年末年始に出回り始めた?:
[[福徳]],
[[延徳]],
[[弥勒]],
[[命禄]],
[[慶喜]],
[[元暦]]


[458] 
[[暦]]との関係:
[[命禄]],
[[慶喜]],
[[永長]]

[459] c.f. 二段階伝播説 >>583

[628] 
[[長徳]]

- [630] 
[CITE[ムー: 2019年7月号 - [[Google ブックス]]]], [TIME[2024-03-08T13:20:45.000Z]] <https://books.google.co.jp/books?id=N7ibDwAAQBAJ&pg=PA86>

[631] 
[[令和改元]]直後に発行された[[オカルト]]雑誌の[CITE[ムー]]の記事で、
[[私年号]]を取り上げたものがあります。特に[[幕末の私年号]]の[[天晴]]、
[[大政]]、
[[明治時代]]の[[征露]]を中心に紹介しています。
そして妖怪の[[油取り]]と関係があるのだ! [[な、なんだってー]]!?
という構成になっています。
[SRC[>>630]]

[632] 
前半の[[私年号]]の紹介は、一般向けの解説としては標準的なまともな内容です。
そしてそれと同じ時代、同じ地域に[[油取り]]の伝承があるのだ、と繋げていますが、
「同じ」判定がガバガバな辺りは[CITE[ムー]]の本領発揮というか、
エンターテインメントですね。

[633] 
[[私年号]]がそのような娯楽の題材に取り上げられること自体がおそらく前例がなく
(今後もあるのかどうかw)、[[令和改元]]という出来事の大きさが感じられます。

[637] 「実在しない」 [[久保]]

[638] 「架空」[[久保]]

[636] 「幻」 [[天晴]]


[647] 
地域ナショナリズムに引きずられた事例: 
[[久宝]], [[天晴]], [[長徳]]

[648] >>647 [[昭和時代]]後期から[[平成時代]]初期に各地の地方研究者がこのような説を唱えた背景には、

- [649] [[郷土愛]]、地元の先人をたたえたい

という純粋な地元民の感情をベースに、

- [650] 悪い[[幕藩体制]]を打倒した明治の偉人たちを輩出しなかった
(or [[薩長政権]]の中枢から外れた) 自分たちの地域

という[[近代]]から[[昭和時代]]の社会風潮と教育で生み出された負い目のようなものや、

- [651] [[マルクス史学]]
- [652] 中央の権力者の歴史とは違う、懸命に生きた一般庶民の歴史

に大きな価値を見出した[[昭和時代]]の歴史学界の雰囲気が複雑に絡まっているのでしょう。
どんな動機だろうと史実を追求している限りはいいのですが、
このタイプの研究は往々にしてあることないことをつなぎ合わせてそれらしいストーリーを作る方向に進むようで、
[[偽史]]町おこしのような危うさを感じます。



-*-*-

[319] 
歴史研究者の[[清水克行]]は一般書で[[中世の元号]]について紹介しています。
[SRC[>>316]]

- [320] [[年号]]にはいくつかの機能
-- [321] 現在もっとも大きなものは「時間のものさし」機能
--- [322] 中世には頻繁に改元があった
---- [323] [[元号年]]で何年前の話か理解するのは今以上に難しかったはずだ
---- [324] 年号に「時間のものさし」機能は希薄だったという他ない
----- [325] それで困らなかったのは[[干支年]]を使っていたから
------ [331] 多くの人にとって年号より干支が「時間のものさし」の役割を果たしていた
---- [407] 「時間のものさし」の役割をほとんど期待していない
-- [332] 中世の年号の機能
--- [334] [[改元]]を宣言する主体が「日本国の主宰者であることを示す」機能
---- [336] 文書、とくに権利関係を保障する文書は、
後世の証拠とするためにも、年月日を明記する必要があった
---- [335] c.f. [[南北朝時代の元号]], [[享徳]]の[[延長年号]]
--- [333] いちばん大きいのは「世の中がリセットされたことを世間に示す」機能
---- [337] 中世日本の為政者は[[災異改元]]を多用、
擬似的政権交代を演出して不満をそらして政権の延命をはかった
---- [338] c.f. [[令和改元]]ですべてリニューアルされたかのような晴れ晴れしさ
---- [339] 政権の欺瞞ばかりではない、人々は[[私年号]]を勝手に使いはじめた
----- [340] ただ、あちこちで反政府の「独立国」が生まれたというのは過大評価
------ [341] ほとんどの[[私年号]]は永続的な使用を意図して創案されたものではなく、
3年もたたずに消滅してしまう一過性のもの
------ [350] 天皇の秩序への反抗や新たな「時間のものさし」を打ち立てる意識はなかった
----- [351] 飢餓や戦乱の災禍を断ち切って新たな秩序がもたらされることを希求、
一種の厄払いとして世の中をリセットしてくれる
------ [352] 直接には暦の混乱と誤情報の混入がもたらしたものだったようだ
------ [353] それを受容した人々の意識は「世直り」の願望があったと考えられている
------ [354] 新年号を立てること自体が目的で永続性は期待されていない、
災厄が克服されれば私年号に用はない
- [355] [[元二年]] [SEE[ [[元二年]] ]]
- [373] [[天皇]]の在位と[[年号]]を一体化させた近代のあり方が必ずしも一般的なものではなかった
-- [375] 制定権・改元権が必ずしも中央に一元化しておらず、
南北朝時代は諸勢力が自由に年号を制定する多元的な様相、
戦国時代は中央の年号の下で非公式に別の年号や独自の改元法が運用される重層的な様相
--- [405] 「多元性」「重層性」は中世社会を考える重要なキーワード
- [412] [[令和]]度の「年号予想ブーム」 [SEE[ [[新元号予想]] ]]
と改元直後のお祭り騒ぎは、不謹慎どころか、意外に中世の年号観の伝統にかなった正しい行いだったのかもしれない
- [413] 参考文献: 
-- [445] [CITE[天皇と元号と改元]], [[峰岸純夫]]
-- [446] [CITE[[[暦と改元]]]]
-- [416] >>492

[NOTE[

[447] 
本書は[[現代日本]]の常識から乖離した[[中世日本]]の諸相をわかりやすく解説した一般書であり、
その1つの分野として[[元号]]が取り上げられたものです。[[令和改元]]から日が浅い時期の発表というのもあるのでしょう。

[449] 
[[清水克行]]は一般向け書籍や[[テレビ]]出演で知名度も高い歴史研究者で、
[[中世日本]]を専門としています。しかし[[元号]]が専門分野ということではなさそうで、
内容は参考文献の示した見解を簡単に再構成し、
筆者の体験した[[令和改元]]とも紐付けて紹介したものとなっています。

[448] 
どちらかといえば中世と現代の同じ「日本人」の考え方の違いにフォーカスを当てた本書にありながら、
[[改元]]や[[元号]]という現象から見える[[日本人]]の変わらない部分を指摘しているのはおもしろいところかもしれません。

[450] 
本旨からは逸れるのかもしれませんが、
現代の[[改元]]の研究が前近代の[[改元]]の理解に資するところもあるはずだと、
中世日本史研究者の立場から示唆したものと受け取っておきたいです。

[451] 
ただし、[[改元待望]]説を中心に据えた結果
「時間のものさし」機能の評価が過剰に低くなっているようにも感じられます。
長期間の計測の機能を[[元号年]]でなく[[干支年]]が果たしたという説明は、
その通りでしょう。だからといって[[元号年]]に「時間のものさし」
機能がないといえるでしょうか。

[452] 
中世文書に書かれる[[日付]]は基本が[[元号年]]です。
[[金石文]]でもそうです。
[[干支年]]だけしか書かないのは例外的です 
([[元号年]]に[[干支年]]も併記することはよくありますが)。
それが[[天皇]]の秩序への従属を示すことを主目的に書いたもので「時間のものさし」
機能は持っていないと考えるのはさすがに難しいでしょう。

[453] 
[[改元]]すると何年前か計算が難しいから「時間のものさし」
には使えないと考えるのは現代人的な思考のように思われます。
日常でそんな計算が必要になることなんてそうそうなかったでしょう。
そしてたまに計算が必要になったときはがんばって計算している痕跡を見かけますよね
(計算を間違えてることもしばしばありますよねw)。

[455] 
また、「多元性」「重層性」という中世世界全体のキーワードへの結びつけは、
一般書ゆえに細部を省いたのかもしれませんが、強引さを感じます。
「多元性」はあたかも建元勢力が多数乱立したかのような言い方ですが、
実際は南朝と北朝の2勢力だけです。本文中は3元号並立の事例を引いていますが、
[[延長年号]]が含まれるのであくまで元号を立てた勢力は2つです。
また、[[改元デマ]]起因だと本書も述べている[[私年号]]を[[公年号]]と
「重層的」だというのは無理があるのではないでしょうか。
[[元二年]]説も一般書で紹介するほど確立された説とは思えません。


]NOTE]

[REFS[

- [313] 
[CITE[[L[室町は今日もハードボイルド[BR[]][WEAK(smaller)[日本中世のアナーキーな世界]]]]]],
[[[L[清水克行]]]],
[L[発行 2021.6.15]] [WEAK[([TIME[2021-06-15]])]],
[L[2刷 2021.7.20]]
-- [646] [CITE@ja-jp[室町は今日もハードボイルド: 日本中世のアナーキーな世界 | 清水 克行, 清水 克行 |本 | 通販 | [[Amazon]]]], [TIME[2024-03-19T06:49:55.000Z]] <https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/410354161X/wakaba1-22/>
-- [315] 
[DFN[[CSECTION[[V[[WEAK(smaller)[第[YOKO[5]]話 枡のはなし]][BR[]]みんなちがって、[BR[]]みんないい]]]]]],
pp.[L[76]]-[L[88]], p.[L[250]]
-- [316] 
[DFN[[CSECTION[[V[[WEAK(smaller)[第[YOKO[6]]話 年号のはなし]][BR[]]改元フィーバー、[BR[]]列島を揺るがす]]]]]],
pp.[L[89]]-[L[102]], p.[L[251]]

]REFS]

[314] 
>>313 は、
[CITE[小説新潮]] 2019年9月号から2020年12月号の連載
[CITE[アナーキー・イン・ジャパン]]
を加筆修正したものです。
[SRC[>>313 p.[254] ]]

[317] >>315 関連記事: [[多進法]]

[318] >>316 関連記事: [[新元号予想]], [[元二年]],
[[久宝]], [[節約]]

- [644] 
[CITE[220201読んだ本:けふもよむべし あすもよむべし:[[SSブログ]]]], 
[[middrinn]],
2022-02-01 20:58,
[TIME[2024-03-19T06:35:48.000Z]], [TIME[2024-03-19T06:41:06.144Z]] <https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-02-01>

[645] 
>>644 は[[節約]]の[[私年号]]の作者。引用しているのは >>646。

>気になるのが、上記の私年号で、贋作あるいは中世人の悪戯による可能性はモチないんだよね(^_^;)
美術史を見てると、騙されて、もっともらしい作品解説をしている専門家がいるから(^_^;) [SNIP[]]

とか

>都で改元が行なわれたという「情報」が「関東地方や南九州」には「誤」って伝わり、「福徳元年」
等を使い始めたら「誤情報」だったことが判明して「三年ともたずに」使用を止めただけで、ソレを
現代の研究者が新説を唱えたいばかりに「私年号」と名付けて、もっともらしい理屈をこねたような
感も(^_^;) [SNIP[]]戦国時代は「それまで以上に」飢饉や戦乱が
あったとするけど、古代にも「飢饉や戦乱」はあったわけだし、同じように「一種の厄払いとして」
私年号が使用されててもおかしくない気も(^_^;) 私年号の使用が中世の戦国時代に限られるのなら、
「天皇や室町幕府」の権威が低下しまくってた状況を前提にしているはずで、私年号使用の根底には
やはり「天皇や室町幕府」が「日本国の主宰者であること」を認めない政治的意思がありそう(^_^;)
[SNIP[]]

とか、着眼点が鋭い。前提知識なしで書いているのでこれらの推測は逆方向にいっているのだけど、
旧来の説の「弱点」を的確に突いている。


- [312] [CITE[[[古事類苑]]>歳時部四>年號下>逸年號]] ([TIME[2011-10-22 21:38:04 +09:00]]) <http://base1.nijl.ac.jp/~kojiruien/saijibu/frame/f000340.html>

[772] 
[CITE@ja-JP[史林 18(3)(71)]], [[史学研究会]], [TIME[1933-07-01]], [TIME[2024-11-28T09:48:19.000Z]], [TIME[2024-12-10T12:41:12.691Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/11005239/1/62?keyword=%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7> (要登録)

[773] 
[CITE@ja-JP[熊本年鑑 第28巻(昭和50年版)]], [[熊本年鑑社]], [TIME[1975]], [TIME[2024-11-28T09:48:19.000Z]], [TIME[2024-12-10T12:43:31.067Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9769008/1/83?keyword=%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7> (要登録)

[781] 
[CITE@ja-JP[図書館学研究報告 (15)]], [[東北大学附属図書館]], [TIME[1982-12]], [TIME[2025-02-25T01:55:51.000Z]], [TIME[2025-03-10T06:57:54.244Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1796754/1/3> (要登録)


-*-*-

[308] [[関東の延長年号]]

*** 板碑研究と私年号

@@



[686] 
[[中山正義]]は[[私年号]]の日付のある[[板碑]]の一覧表を作成して発表しました。
[SRC[>>46, >>621, >>653]]

[706] 
[[板碑]]の銘文の[[日付]]部分と、
所在地、出典、
判明しているものは[[種子]]、寸法が一覧表になっています。
明記されていませんが、当時知られていたものをすべて列挙する趣旨と思われます。

[707] 
[[大分県]]の1例を除いてすべてが[[関東地方]]所在です。

[708] 
[CITE[日本私年号の研究]]に掲載されたものに未掲載のものを足し合わされています。
[[一字異音年号]]、
[[同音異字年号]]、
[[私年号]]が対象とされています [SRC[>>46]]。

[712] >>46


- [687] [[正仲]]3年 [[大分県]] [SRC[[[日本私年号の研究]]]]
- [688] [[乾徳]]元年 [[東京都]][[足立区]] [SRC[[[日本私年号の研究]]]]
- [689] [[乾徳]]元年 [[東京都]][[葛飾区]] 
- [690] [[致得]]元年 [[埼玉県]][[新座市]] [SRC[[[日本私年号の研究]]]]
- [691] [[応任]]8年 [[茨城県]][[新郷村]] [SRC[[[日本私年号の研究]]]]
- [692] [[文命]]13年 [[千葉市]][[市川市]] [SRC[[[日本私年号の研究]]]]
- [693] [[長享]]2年 [[埼玉県]][[東村山市]] [SRC[[[日本私年号の研究]]]]
- [694] [[永福]]5年 [[東京都]]旧[[豊島郡]] [SRC[[[日本私年号の研究]]]]
- [695] [[正久]]2年 [[埼玉県]][[飯能市]] [SRC[[[日本私年号の研究]]]]
- [696] [[元真]]元年 [[埼玉県]][[比企郡]] [SRC[[[日本私年号の研究]]]]
- [697] [[至大]]元年 [[東京都]][[板橋区]] [SRC[[[日本私年号の研究]]]]
- [698] [[享正]]3年 [[埼玉県]][[比企郡]] [SRC[[[日本私年号の研究]]]]
- [699] [[享正]]4年 [[埼玉県]][[比企郡]] [SRC[[[日本私年号の研究]]]]
- [700] [[福徳]] 34件 (うち[[埼玉県]] 12件)
-- [717] うち[[八王子市]]の1件は、
[CITE[日本私年号の研究]]
の一覧作成時の誤編集から生じたものと推測され、
>>621 
に於いて削除
- [701] [[徳応]]元年 [[東京都]][[板橋区]] [SRC[[[日本私年号の研究]]]]
- [702] [[徳応]]元年 [[東京都]][[中野区]] [SRC[[[日本私年号の研究]]]]
-- [719] 
[[徳応]]2基は
>>653
に於いて1基に訂正
([[板橋区]]出土、[[中野区]]所蔵)
- [703] [[弥勒]] 8件 (うち[[埼玉県]] 6件)
-- [718] うち1件の[[種子]]等は
>>621
に於いて訂正 (明記されていないが実見による訂正だろう)
- [704] [[命禄]] 3件 [[埼玉県]]
- [705] [[元得]]3年 [[埼玉県]][[比企郡]]

[714] >>621

- [715] [[徳応]]元年 [[埼玉県]][[狭山市]]
- [716] [[福徳]] 6件 (うち[[埼玉県]] 3件)

[720] >>653

- [721] [[弥勒]]2年 [[茨城県]][[猿島郡]]
- [722] [[福徳]]元年 [[茨城県]][[猿島郡]]
- [723] [[福徳]]2年 [[埼玉県]][[比企郡]]
- [724] [[福徳]]2年 [[東京都]][[品川区]]

[727] 
[TIME[平成20(2008)年][2008]]には[[中山正義]]は、
13基の[[板碑]]の[[拓本]]と銘文翻刻を公開しています。
うち3件が[[弥勒]]、10件が[[福徳]]です。
3件を除いて[[埼玉県]]内のものです。
[SRC[>>726]]

[REFS[

- [685] 
[CITE@ja[野仏 : 多摩石仏の会機関誌 1-13 19690900-19810900 | NDLサーチ | 国立国会図書館]], [TIME[2024-12-07T11:34:38.000Z]] <https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000000037266-i6991178>
-- [655] [CITE[[[野仏]] (第一〇集)]],
[[多摩石仏の会]],
[TIME[昭和53(1978)年][1978]]
--- [46] [DFN[[CITE[[V[私年号板碑仮年表]]]]]],
[[[V[中山正義]]]],
pp.[L[48]]-[L[52]]
-- [683] [CITE[[[野仏]] (第一一集)]],
[[多摩石仏の会]],
[TIME[昭和54(1979)年][1979]]
--- [621] [DFN[[CITE[[V[私年号板碑仮年表[BR[]]追加・訂正・削除]]]]]],
[[[V[中山正義]]]],
pp.[L[32]]-[L[33]]
-- [684] [CITE[[[野仏]] (第一二集)]],
[[多摩石仏の会]],
[TIME[昭和55(1980)年][1980]]
--- [653] [DFN[[CITE[[V[私年号板碑仮年表 [WEAK(smaller)[(その三)]]]]]]]],
[[[V[中山正義]]]],
p.[L[41]]
- [725] 
[CITE[[V[[[野仏]] 第[YOKO[39]]集]]]],
[[多摩石仏の会]],
[TIME[平成20(2008)年][2008]]
--
[726] 
[CITE[[V[私が出会った私年号板碑]]]],
[[[V[中山正義]]]],
pp.[L[80]]-[L[87]]



]REFS]

@@
[BOX[

- [50] 
[CITE@ja-JP[板碑概説]], [[服部清五郎]], [TIME[1933]], [TIME[2022-12-21T08:14:19.000Z]], [TIME[2022-12-25T04:30:42.256Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1918330/1/383> (要登録)

- [56] 
[CITE@ja-JP[小山市史 通史編 1 (自然.原始・古代.中世) 本編]], [[小山市史編さん委員会]], [TIME[1984]], [TIME[2022-12-21T08:14:19.000Z]], [TIME[2022-12-25T04:34:30.385Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9643282/1/443> (要登録)

- [64] 
[CITE@ja-JP[武蔵国板碑集録 : 板碑発生最密集地域精査 第2 (旧比企郡)]], [[千々和実]], [TIME[1968]], [TIME[2022-12-21T08:14:19.000Z]], [TIME[2022-12-25T04:55:39.655Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/2998370/1/46> (要登録)

- [65] 
[CITE@ja-JP[板碑入門]], [[小沢国平]], [TIME[1967]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-05-31T03:02:14.536Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/2980023/1/78> (要登録)

[265] 
[CITE@ja-JP[東京都文化財調査報告書 第2]], [[東京都教育委員会]], [TIME[1955]], [TIME[2022-12-21T08:14:19.000Z]], [TIME[2022-12-25T12:07:14.570Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/2515336/1/22> (要登録)

- [122] 
[CITE@ja-JP[研究紀要 (1)]], [[埼玉県立歴史資料館]], [TIME[1979-03]], [TIME[2023-01-06T06:14:39.000Z]], [TIME[2023-01-08T03:43:45.496Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/7952158/1/68> (要登録)


[19] 雑誌 [CITE[浦和]] ([[さいたま市図書館]]に所蔵されている)

- [27] [CITE[[[浦和]] No88]], [TIME[1976-08]]
-- [45] [CSECTION[浦和遺文29「私年号板碑」]], p11
- [21] [CITE[[[浦和]] No.123]], [TIME[1979-07]]
-- [22] [CSECTION[やさしい浦和の歴史19「中世の浦和」室町時代5(私年号-弥勒と福徳,沼影広田寺]], ppp48-49


[931] 
[CITE@ja-JP[考古学雑誌 3(6)]], [[日本考古学会]], [TIME[1913-02]], [TIME[2025-10-29T01:48:45.000Z]], [TIME[2025-11-27T08:32:13.892Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/3548176/1/12> (要登録)

[960] 
[CITE@ja-JP[武蔵野の青石塔婆]], [[稲村坦元]], [TIME[1959]], [TIME[2026-03-18T03:11:57.000Z]], [TIME[2026-04-03T09:04:15.761Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/2979986/1/23?keyword=%E7%95%B0%E5%B9%B4%E5%8F%B7> (要登録)

[961] 
[CITE@ja-JP[日本考古図録大成 第拾參輯]], [[日東書院]], [TIME[昭和6][1931]], [TIME[2026-03-18T03:11:57.000Z]], [TIME[2026-04-03T09:06:35.510Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1903708/1/87?keyword=%E7%95%B0%E5%B9%B4%E5%8F%B7> (要登録)


]BOX]


** 日本の近世私年号


[7] 
[[江戸時代]]は政情が安定し[[私年号]]は見られなくなったとかつては考えられていましたが、
実際にはいくつか[[私年号][日本江戸時代の私年号]]や[[改元デマ]]が知られており、
しかも[[改元デマ]]は恒例化していたようです。

[306] 一覧は[[江戸時代の元号]],
[[幕末維新期の私年号]]参照。

-*-*-

[311] 研究史は[[改元デマ]]も参照。

[462] 
[[近世]]、
各地の研究者がいくつかの[[私年号]]や[[改元デマ]]を見つけていました。
[SEE[ [[慶喜]], [[法徳]], [[近宝]] ]]
しかしその成果は狭い範囲で知られるに留まり、
互いの知見を知ることもなく、
その後の[[元号研究]]に直接的に引き継がれることはありませんでした。

[463] 
[[近世日本]]の[[元号研究者]]らは[[中世]]の[[私年号]]をいくつか報告、検討していましたが、
同時代である[[江戸時代]]の[[私年号]]や[[改元デマ]]は知り得なかったのか、
研究対象と認識していなかったのか、取り上げられることがありませんでした。

[464] 
[[近代日本]]の[[元号研究者]]らは[[近世]]の研究の蓄積に新規の発見を加えて[[私年号]]の知見を積み重ねていきましたが、
[[幕末の私年号]]の1つ[[延寿]]を除き、[[近世]]の[[私年号]]や[[改元デマ]]は知られないままでした。

[465] 
[[明治時代]]から[[昭和時代]]中期にも、
狭い範囲で個別的のみ知られ全国的な[[元号研究]]に捕捉されなかったものがいくつかありました。
[SEE[ [[法徳]], [[天晴]], [[延寿]], [[大政]] ]]


[108] 
[[昭和時代]]中期の
[CITE[日本私年号の研究]]
は、
政治的統一、中央集権的体制の確立に向かうなかで
「[V[私年号の発生は逆行であって織豊政権下には考えられない]]」
としていました。そして[[江戸時代]]初期に比定された[[大道]]の存在には
「[V[それなりの理由を追求せざ[BR[]]るをえまい]]」ものの、
支配体制が確立していた[[江戸時代]]にはそれ以外に[[私年号]]の発生をみなかったとしていました。
[SRC[>>106 p.[V[四四五]]]]

;;
[114] 
ところがその後[[江戸時代]]にも少なくない[[私年号]]が存在していたことが知られるようになり、
この分析も幾分訂正せざるを得ないのであります。

-*-*-

[48] 
[TIME[平成2(1990)年1月][1990-01]]、
歴史研究者の[[河野昭昌]]は
[DFN[[CITE[江戸時代私年号に関する覚書]]]]
で[[永長]]と[[長徳]]を報告しました。
[SRC[>>471, >>947]]


[476] 
当該研究会の機関誌 [SRC[>>9233]] 
によると[TIME[1990-01-27]]に[[法政大学]]で開催された月例会で[[河野昭昌]]が
[CITE[[V[江戸時代私年号に関する覚書]]]]
と題して報告しました。
機関誌 [SRC[>>9233]] にあるのは題名だけで内容は不明です。

[477] 
[DFN[[CITE[近世の私年号に関する覚書]]]] [SRC[>>947]]、
[DFN[[CITE[江戸時代私年号に関する覚書―永長・長徳をめぐって―]]]]  [SRC[>>471]]
と紹介されることもあって題名すら一定しません。


[478] 
「覚書」と題するからには配布資料くらいはあったのか、
それとも口頭発表のみだったのかわかりませんが、
この報告内容が収録されたものは見つけられませんでした。
[[河野昭昌]]の他の著作等でこの話題を扱っていそうなものも未発見です。



[472] 
この報告を引用したものによると、

>
[VRL[
近世でも狂歌・落首の類には私年[BR[]]号が多く見られると指摘したが、同時代の第三者による記[BR[]]録で流布が確認できたのは「永長」の事例のみであった
]VRL]

のだそうです。
[SRC[>>935]]

[473] 
同時代の第3者の記録というのが[[永長]]の出典として引かれた[CITE[我衣]] [SRC[>>947]]
のことをいうのか、
それ以外で[[河野昭昌]]が報告しているのか、
はたまた >>935 の引く事例 ([SEE[ [[永長]] ]]) のことなのか、
この[[引用]]だけではよくわかりません。

[474] 
多く見られるという近世の[[狂歌]]や[[落首]]の[[私年号]]も、
どんなものがあったのか、
現在広く知られているものには見当たりません。


[888] 
[[佐藤進一]]は[[近世]]の[[私年号]]が

>
その作成使用の意図や機能について、積極的に評価する者は少ない

と説明していました。
[SRC[>>887]]

[890] 
[[永長]]の用例を報告した[[白井哲哉]]は、
>>888
に対し、
事例が蓄積すれば当然に再評価は不可避と指摘しました。
[SRC[>>935]]



[REFS[

-[9232] 
[CITE[関東近世史研究]] 第29号, 1990.10
-- [9233] 
[CSECTION[[V[【大会・月例会報告一覧】]]]],
p.[L[60]]

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[471] 
<https://dl.ndl.go.jp/pid/7910559/1/68>
(非公開)
]FIGCAPTION]

>日本歴史 (503)
>雑誌
>日本歴史学会 編 (吉川弘文館, 1990-04)

>度的検討岩淵令再生に江戸時代私年号に関する覚書-永長·長徳をめぐって-河野昭昌氏◇神奈川地域
]FIG]

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[475] 
<https://dl.ndl.go.jp/pid/7940686/1/59>
(非公開)
]FIGCAPTION]

>歴史評論 (480)
>雑誌
>歴史科学協議会 編 (歴史科学協議会, 1990-04)

>討」、河野昭昌氏が「江戸時代私年号に関する覚書」をそれぞれ報告した。◇朝鮮史研究会1月例
]FIG]

- [937] [CITE[[[埼玉地方史]] 35号]],
[TIME[1996.6.15][1996-06-15]]
-- [935] 
[CITE[[[私年号記載のある御用留]]]]
--- [885] 引用:
---- [947]
「[V[河野昭昌氏の報告 (関東近世[BR[]]史研究会一九九〇年一月例会報告「近世の私年号に関する[BR[]]覚書」)]]」
---- [886] [CITE[日本史大事典]], [[平凡社]]
----- [887] [CSECTION[異年号]], [[佐藤進一]]


]REFS]

-*-*-

[468] 
[[昭和時代]]後期から全国各地で近世史の研究が進み、
[[私年号]]や[[改元デマ]]の新報告が続出しています。
[[令和時代]]に入っても新出の史料や、
報告済みながら埋もれていた研究が次々と見つかっています。

;; [469] 
地域で活動する歴史愛好家団体の機関誌で[[昭和時代]]に報告されたきり知られずにいたものや、
地方の小さなラジオ局の番組でしか紹介されていないようなものもあったりします。
埋もれているものはまだまだありそうです。


[310] 
[[中世]]に爆発的な発生をみた[[私年号]]が中近世移行期から近世初期に小康状態となるのはおそらく間違いないにせよ、
その後も[[私年号]]はしばしば発生しているのであり、
しかも今なお新発見が続いていますから、
既出の史料は氷山の一角に過ぎないとも考えられます。

[466] 
また、農村部で報告の多い[[私年号]]に対し、
都市の記録によると[[改元デマ]]が頻発していたことが知られます。

[470] 
各地、各時代の研究者はそれぞれが知り得た史料をもとにあれこれ想像を巡らせるのですが、
その後遠く離れた地にも用例が見つかり当初の想像が的外れだった事例がいくつかあります。
限られた史料から推測するしかないという歴史研究の性質上如何ともしがたいものであり、
各研究者の能力の低さを示すものでは決してありませんが、
間違った結論がときに間違った「地域の誇り」のようなものを生み出すこともあり、
安易な結論付けには注意が必要です。


[467] 
いまはいたづらに結論を急ぐよりも新史料の発掘と収集につとめるのが賢明かもしれません。




** 日本の近現代私年号

[4] 
[[近現代]]の[[私年号]]は、あまり積極的に学術研究の対象とはされてないのが現状です。
[SEE[ [[近現代日本の私年号]]  ]]

* 日本の私年号の地方性

[479] 
現在知られている[[日本の私年号]]諸用例は、[[日本全国]]に均等に分布しておらず、
明らかな地域的な偏りがみられます。
この偏りが

- [480] [[私年号]]が使われた地域の偏り
- [481] [[私年号]]が残った地域の偏り
- [490] [[私年号]]用例が検出されている地域の偏り

のいずれに由来するものか、未だ十分解明されていません。

[491] 
[[私年号]]の中でも研究が進んでいる[[中世東国私年号]]も、
[[東国]]に濃厚に分布していますが、
域外にも少数用例が残ることを[[平成時代]]までの[[私年号]]研究者は知らないまま分析していました。
[[東国]]の[[板碑]]がよく保存されてきたことが[[私年号]]用例が「残される」
理由となり、[[近現代日本]]の[[首都]]が[[東京]]にあることが[[昭和時代]]に東国[[板碑]]の悉皆調査が実現する原動力となったのであり、
そうした[[私年号]]が使われたのが本当に[[東国]]だけだったのか、
なおも検討の余地が残されています。

[502] 
また、現在知られている[[私年号]]用例は石造物や地方の旧家の文書などにひっそり紛れていたことが多いですが、
そうしたものは地方の[[自治体]]所属研究者・学芸員や[[郷土史家]]の地道な調査で副産物的に判明しがちです。
たまたまそうした方面に興味を持った人がいた、たまたま[[自治体史]]の編纂事業があった、
たまたま関係者に[[私年号研究者]]とのつながりがあった、
といった偶発的事象が[[私年号]]としての報告につながります。
[[自治体史]]に掲載こそはすれど、
[[私年号]]としては長年知られていなかった、
という事例もいくつもあります。
こうした事情により[[私年号]]の報告に地域的な偏りが生じるのは必然であり、
しかしその偏りが[[私年号]]の利用の偏りとは限らないことに注意が必要となります。

*** 栃木県の私年号


[208] 
[[昭和時代]]の歴史研究者[[浅沼徳久]]は、
当時知られていた[[下野]]の[[私年号]]用例を

- [209] [V[第一類]] : [[下野]]において、または[[下野]]の人が記録したもの
([[延徳]]、[[福徳]]のすべてが[[日光山]]所蔵)
[SEE[ [[延徳]], [[福徳]], [[弥勒]], [[永喜]], [[命禄]] ]]
- [210] [V[第二類]] : そうだと立証できないもの (すべて[[日光山]]所蔵)
[SEE[ [[真賀]], [[福徳]], [[王徳]], [[命禄]] ]]

に分類しました。第2類の多くは[[日光輪王寺]]慈眼堂収納で関東各地から集められたと考えられるものが多く、
[[下野]]での用例かどうかにわかには立証できないものです。
[SRC[>>207]]

[211] 
このうち第1類の[[延徳]]、[[福徳]]は、同時期に[[日光山]]で[[公年号]]を使用した史料が見当たらず、
むしろ最大行事の記録や事実上の別当が[[私年号]]が使っていることから、
一山全体が[[私年号]]のみを使っていたと考えられます。
[SRC[>>207]]

[212] 
[[延徳]]は[[足利成氏]]と関係するという先行研究 
(おそらく[CITE[日本私年号の研究]]などのこと)
を踏襲して公年号同様の儒教的発想があり、政治的対立によるとします。
一方[[福徳]]以後は仏説的な現世利益希求だとします。
後者は天災、飢饉、兵乱などに続いて発生し、解消すると使われなくなるとします。
特に[[弥勒]]や[[永喜]]は孤例で[[日光山]]の他の記録では[[公年号]]なので、
伝播による偶発的知識による使用だとします。
よって[[日光山]]は[[足利成氏]]の時代には[[私年号]]を使用し、
死後は使用しなくなったと結論付けています。
[SRC[>>207]]


;; [768] 
[[昭和時代]]までは多くの研究者が[[私年号]]と[[足利成氏]]の関係を模索しました。
現在の研究状況から再検討するなら、
[[足利成氏]]の統治下の時代とそれ以外の時代との情報伝達 ([[改元伝達]])
経路の相違と[[私年号]]や[[延長年号]]の利用状況という観点で分析し直す感じでしょうか。

[REFS[

- [204] [CITE[[[古文書研究]] 第12号]],
[TIME[昭和53(1978)年10月][1978-10]]
-- [206] [CSECTION[[V[日本古文書学会第十回学術大会発表要旨]]]]
--- [207] [DFN[[CITE[[V[室町時代における日光山の私年号使用[BR[]][WEAK(smaller)[⸺下野に現存する私年号資料の紹介をかねて⸺]]]]]]]],
[[[V[浅沼徳久]]]],
pp.[V[一四〇]]-[V[一四一]]

]REFS]


**** 日光山私年号説

@@
[910] 
[CITE@ja-JP[栃木県立博物館研究紀要 (5)]], [[栃木県立博物館]], [TIME[1988-03]], [TIME[2025-09-30T02:09:54.000Z]], [TIME[2025-10-12T06:47:15.073Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/2226913/1/103?keyword=%E5%B9%B4%E5%8F%B7> (要登録)




[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[214] 
[CITE@ja[富士見と富士見坂(2)の2 太田道灌の城のコスモロジー(後半) | 今日も日暮里富士見坂 / Nippori Fujimizaka day by day]], 
[[yokout]],
2014.03.11,
[TIME[2024-01-07T08:11:49.000Z]] <https://fujimizaka.wordpress.com/2014/03/11/fujimi_fujimizaka2-2/>
]FIGCAPTION]

>また、注目すべきは、集翁興徳以外には北方面の風景を描く者のないことである。関東平野の北域には、関東随一の霊山である日光山が見えたはずであるが、これについてはどの作者も触れようとはしない。日光は、男体山頂上を中心に平安後期を中心とした大祭祀遺跡が存在し(註69)、山岳信仰の霊場として屹立するが、この当時は、太田道灌の扇谷上杉氏側と敵対する古河公方の庇護者となっており、宗教的権威を背景に、古河公方を中心にして関東に通用する「延徳」「福徳」などの異年号をつくっていたともいわれる。(註70)したがって、太田道灌の城と町を祝福する詩の中には日光山は登場しないというふうに理解することができる。

>註70 久保常晴「足利成氏勢力圏の私年号―享正と延徳―」『日本私年号の研究』吉川弘文館 1967、浅沼徳久「室町時代における日光山の私年号使用―下野に現存する私年号資料の紹介をかねて―」日本古文書学会『古文書研究』第12号 1978、網野善彦『東と西の語る日本の歴史』そしえて文庫7 そしえて 1982、森浩一 網野善彦『日本史への挑戦 「関東学」の創造をめざして』大巧社 2000 における網野の発言
]FIG]


[215] 示された文献4つのうち最初の2つは[[日光山]]が[[私年号]]を作っていたとはいっていない。
ということはまた[[網野善彦]]?


@@
[933] 
[CITE@ja-JP[栃木県立博物館研究紀要 (5)]], [[栃木県立博物館]], [TIME[1988-03]], [TIME[2025-10-29T01:48:45.000Z]], [TIME[2025-11-28T10:20:35.082Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/2226913/1/103?keyword=%E7%A6%8F%E5%BE%B3> (要登録)



*** 埼玉県の私年号

@@

- [116] [CITE[埼玉史談]] 13(2)
-- [117] [DFN[[CITE[[V[県内における私年号板碑]]]]]],
[[[V[中英夫]]]],
pp.[V[二四]]-[V[二六]]

[118] >>117 は筆者手持ち資料に基づく[[私年号]][[板碑]]の一覧表。
[[久保常晴]]の[[論文]]を参照しているものの、
[CITE[日本私年号の研究]]より前の時代。
[CITE[日本私年号の研究]]未掲載の用例が含まれます。

- [119] (1) [[元悳]]元年十月廿三日 (1329) 比企郡菅谷村志賀 宝城寺
- [120] (2) 元得三年四月日 (1331) 比企郡菅谷村平沢 平沢寺
- [115] (3) 致得元年甲子正月五日 (1384) 北足立郡新座町片山 未調査
- [125] (4) 福徳□ 比企郡菅谷村遠山 遠山寺
- [25] (5) 福徳元年辛亥八月時正 (1491) 川口市 善光寺 未調査
- [127] (6) 福徳二年八月日 (1491) 川口市 善光寺 未調査
- [128] (7) 福徳二年三月十六日 (1491) 浦和市内谷 旧普門寺墓地 未調査
- [129] (8) 福徳二年 (1491) 大宮市奈良町 観音堂(宝性寺)
- [130] (9) 福徳三年辛亥十月十六日 (1491-3) 川口市前川 観福寺 未調査
- [132] (10) [[永章]]□年十月三日 ([V[元年は一五〇四]]) 川口市神根 源長寺 未調査
- [133] (11) 弥勒二年丁卯三月三日 (1507) 川口市安行領家 宇田川氏 未調査
- [134] (12) 弥勒二年丁卯正月二十六日 (1507) 浦和市三室山崎 宝蔵院(現・玉蔵院保存)
- [135] (13) 命禄三年壬刀正月廿三日 (1542) 北葛飾郡松伏村築比地 栄光院 未調査
- [136] (14) [[享正]]三丙子四月廿四日 比企郡玉川町一ト市 高山氏墓地
- [137] (15) [[享正]]四年四月十三日 入間郡坂戸町大家 大戸氏 未調査

[138] >>117 の推測:

- [140] (3) は[[至徳]]といわれている、[[干支]]と[[音通]]

;; [711] 
同じ著者の
[CITE[[[「永章」の私年号板碑について]]]]
に続報があります。

[709] 
[[中英夫]]の死去直前、没年の夏の時点で、
[[埼玉]]の[[私年号]]板碑は約30基、[[福徳]]だけでも17基あるとしていました。
[SRC[>>46]]

[710] 
>>117 の時代から倍増していたことがわかります。
しかし[[中英夫]]は残念ながらそのリストを残しませんでした。
[TIME[昭和53(1978)年][1978]]に[[中山正義]]は[[福徳]]が[[埼玉県]]内に12基しか確認できず、
うち1基は[[中英夫]]の没後に報告されたものだと述べています。
そして[[埼玉県]]内にまだ7,8基の[[私年号]]板碑があると思っているとしています。
[SRC[>>46]]

[713] 
[TIME[昭和53(1978)年][1978]]の[[中山正義]]によると[[埼玉県]]内に[[私年号]]の[[板碑]]が28基確認されていました。
(>>712)


*** 石川県の私年号

[880] 
[[石川県]]域ではいくつかの[[私年号]]が知られ、ある程度は研究対象となっていました
(詳しくは各[[元号]]を参照)。


[170] 
[TIME[昭和52(1977)年][1977]]時点で[[石川県]]で

- [[白鹿]] : [CITE[石川県史]]所収, 反政府勢力
- [[法徳]] : [CITE[石川県史]]所収, [[偽文書]]
- [[久宝]] : [TIME[昭和47(1972)年][1972]]報告
- [[慶喜]] : [TIME[昭和46(1971)年][1971]]に[[私年号]]として報告
- [[喜楽]] : [[古代年号]]
- [[延寿]]
- [[永長]] : [TIME[昭和52(1977)年][1977]]報告

が知られていました。 [SRC[>>565]]


[567] 
その記事の書き方と時期からみて後の5つは1970年代に立て続けに発見されて話題になったようです。
[SRC[>>565]] [[令和時代]]が始まった時点でその5つのうち知られていたのは[[久宝]]と[[永長]]と[[慶喜]]の3つだけで、
他の2つは埋もれてしまっていました。


[144] 
[TIME[平成9(1997)年][1997]]当時に[[石川県]]域で発見されていた[[私年号]]
(「異字年号」を含む。) は12種25例で、そのほとんどは[[江戸時代]]とのこと。
しかし具体的にどれかは示されていません。
[SRC[>>143]]

[566] 
当時発見されていたはずのものを探すと:

- [[喜楽]]
- [31] [[白鹿]] : [[得江文書]] [[南北朝時代]] (カウントされたと思われるが、発見地が[[能登]]で、発給者の所在は不明なので実は微妙)
- [370] [[白禄]] : [[幽霊元号]] (どうカウントされたか不明)
- [158] [[法徳]] : 複数文書 (どうカウントされたか不明)
- [155] [[□徳]] : [CSECTION[故墟考]]所収文書 (どうカウントされたか不明)
- [11] [[清徳]] : [CITE[能登日暦]]所収文書 (当時刊行済だがカウントされたか不明)
- [164] [[慶喜]] : [[上梶家文書]]5点 [[江戸時代]] (どうカウントされたか不明)
- [165] [[慶喜]] : [[珠洲市]] 延武文書 [[江戸時代]]
- [121] [[慶喜]] : [[珠洲市]] 尾間谷文書 [[江戸時代]]
- [168] [[慶喜]] : [CITE[能登国古文書]]所収文書  [[江戸時代]]
- [169] [[慶喜]] : [[内浦町]] 山下家文書 [[江戸時代]]
- [171] [[永長]] : 加賀商人文書 [[江戸時代]]
- [369] [[元暦]] : [[能美郡]] [[過去帳]] [[江戸時代]]
- [153] [[久宝]] : [[七尾市]] [[絵馬]] [[江戸時代]]
- [152] [[永佳]] : [[七尾市]] [[絵馬]] [[江戸時代]]
- [123] [[征露]] : 池田周三家文書 [[明治時代]] (平成8年までに報告、カウントされたか不明)
-- [131] [[征露]]用例は他にもあるが当時未発見か
- [172] [[霊寿]] : [[金沢市]] [[璽宇教]] [[昭和時代]] (カウントされたか不明)

[182] 以上、□徳と[[白禄]]を除くと11種類。あとの1つは何か。

[185] [[石川県]]は[[関東]]を除くと[[私年号]]発見数最大級ではないでしょうか。
[[私年号]]が多く使われた理由があるのか、それとも多く見つかる理由があるのか。
しかし発見数が多いからといって研究が進んでいるわけではないのは残念。

[186] [[能登]]が多いですが、[[加賀]]にもあります。ところで[[富山県]]域では報告がないのが気になります。
[[近世]]の[[越中]]の大部分は[[加賀藩]]領、[[富山市]]中心部付近はその[[支藩]]の[[富山藩]]領でした。


[REFS[

- [565] [CITE[[[はじめてみつかった〝永長〟私年号]]]]
- [142] [CITE[[L[石川れきはく]] No.42]],
[[[L[石川県立歴史博物館]]]],
[L[1997.1.25]]
-- [143] 
[CITE[[L[私年号の新資料「永佳」]]]],
[[[L[戸澗幹夫]]]],
p.[L[6]]


]REFS]

*** 奈良県の私年号

[786] 
[[奈良県]]の領域 ([[大和国]]) 
では単発または少数の用例のみの[[異年号]]がいくつか見つかっています。

[FIG(short list)[ [785] [[奈良県]]下所在または関係が深い[[異年号]]

- [[法興]]
- [[白鳳]]
- [[朱雀]]
- [[大長]]
- [[迎雲]]
- [[和勝]]
- [[永宝]]
- [[保寿]]
- [[寿保]]
- [[弘徳]]
- [[建教]]
- [[歓喜]]
- [[[ASIS[〓][⿸厂友]]治]]
- [[永福]]
- [[永楽]]
- [[天靖]]
- [[明応]]
- [[天統]]
- [[天和]]
- [[延治]]
- [[大延]]

]FIG]

[787] 
用例の多い[[中世関東私年号]]等とは異なりあまり研究が進んでいません。
事例が少ないため研究が進まず、実態が不明のために調査員が意識しておらず、
用例を拾い切れていない疑いがあります。
歴史が長く残存資料も多い土地柄故、寺社等に未知の用例がまだ眠っている可能性があります。


[730] 
[TIME[昭和32(1956)年][1956]]、
[[日本国]][[奈良県]]の歴史研究者[RUBYB[[[田村吉永]]][[TIME[1893]]-[TIME[1977]]]]は、
[[奈良県]]下の[[私年号]]として
6種類を挙げています。
[SRC[>>729]]

;; [731] ただしこれは実見するなど[[田村吉永]]が考察の対象とし得たものが6種ということで、
[[和勝]]などは言及されていても数に入っていません。

[749] 
[CSECTION[[V[はしがき]]]]に次のようにあります。
[SRC[>>729]]

- [732] 
40年前 (逆算すると[[大正]]の頃?) [[和歌山]]の寺で[[大道]]石灯籠を見た
-- [733] [[田村吉永]]が[[私年号]]に接した初め
-- [734] [[南北朝時代]]といわれる
- [735] 国史辞典に数多掲載されている
-- [736] 「公認でない年号を私年号とすると」
--- [737] [[法興]]もその1であろう
--- [738] [[白亀]]
--- [739] [[高倉天皇]]の[[承安]]元年の[[弥勒]]
--- [740] [[泰平]]など
--- [741] それ以後明治まで20余り
-- [742] 多くは[[関東]]、慥かに[[関西]]と記されているのは
--- [743] [[大道]]
--- [744] [[迎雲]]
--- [745] [[和勝]]
--- [746] [[後花園天皇]]の嘉吉3年の[[[ASIS[元]]靖]]
--- [747] [[弥勒]] 石山寺の順礼札 [SRC[歴史と地理五ノ四]]
- [748] ところが[[大和]]で6例に達した


[750] 
おそらくこれが当時の研究者の一般的な認識でしょう。
つまり近代に編纂された歴史学の辞典の情報に依拠し、
[[公年号]]でないものが一括りに[[私年号]]と理解され、
ニ三十種程度あるうちの多くは[[関東]]で発見され、[[関西]]にもあるがそこまで多くない、と。

[751] [[大和]]の6例は:

- [V[一]] [[永宝]]
- [V[二]] [[保寿]]
- [V[三]] [[弘徳]]
- [V[四]] [[建教]]
- [V[五]] [[歓喜]]
- [V[六]] □□元年 [SEE[ [[[ASIS[〓][⿸厂友]]治]] ]]
- [V[追記]] [[天靖]]

;; [752] 詳しくは各項を参照。

[753] 
これらから次のようにまとめています。 [SRC[>>729]]

- [754] 用例はいずれも神仏関係
- [755] 用例はいずれも「元年」
- [756] いずれも吉祥文句
- [757] これらが[[私年号]]だとすると、神仏関係者の縁起担ぎと考え得る
- [758] [[永宝]]の考察で1例なので[[私年号]]か研究の余地があるとの慎重論があるが
-- [759] 元来[[私年号]]の多くは1回限り、数回見出されるのはごく少数
--- [760] それでもいずれも[[私年号]]とみてきた
-- [761] 慎重論によれば従来の[[私年号]]も再考の余地、
数箇所や数ヶ月、数年の使用例で真の私年号とせねばらなない
-- [762] が、[[田村吉永]]は前述 (>>757 を指すか?) の如く解し、
この種のものも[[私年号]]に入れてよいと考える
- [763] 事例の少ない[[関西]]で[[大和]]のみで6例
-- [764] 社寺が多いためで、
-- [765] [[私年号]]の意義を解せしめる1つの理由になるものと思う
- [770] 
[[建教]],
[[迎雲]],
[[永宝]]と[[法隆寺]]の近辺に[[私年号]]があり注目するべき

;; [766] 
従来一括りに[[私年号]]とされてきたものの中にも用例の多寡の違いがあること、
これを昭和32年時点ではっきり指摘しているのは重要ですね。

;;
[767] 
正体がはっきりしないまま「私年号」と呼ばれてきたものたちについて、
その「私年号」の括りに入れてしまっていいかどうかの見解の相違が生じていることも重要です。
言葉の利用実態を重視する意味では[[田村吉永]]の「私年号と呼んでしまっていい」
という見解は現実的ですが、既存の個別の「私年号とされたもの」の性質が十分理解され整理されていないこの時代の研究段階では、
雑多な「私年号とされたもの」のリストが膨れ上がっていくだけに留まってしまいました。



[201] 
昭和47年、[[田村吉永]]は当時知られていた[[奈良県]]域の[[私年号]]をまとめて発表しました。
[SRC[>>200]]

[203] 
いずれも寺社関係であることから、
神社仏閣等が縁起を担いでつけた[[年号]]と推測しました。
[SRC[>>200]]
[SEE[ [[永宝]], [[歓喜]], [[建教]], [[保寿]], [[弘徳]] ]]
([[法興]], [[迎雲]]にも簡単に言及。)

[202] 
特に[[永宝]],
[[歓喜]],
[[法興]],
[[迎雲]]が[[法隆寺]]に関係していることに注目しています。

[771] 
昭和47年の論文は、昭和32年の論文のダイジェストのようになっています。表現は違いが多いですが、
内容はほとんど変わっていません。ただ両者を比較すると昭和47年の方は[[銘文]]も不正確で、
[[誤植]]と思われる差異もいくつかあります。



[REFS[

- [728] 
[CITE[[[日本歴史]] (108)]],
[TIME[昭和32(1957)年6月][1957-06]]
--
[729] 
[DFN[[CITE[[V[私年号六題]]]]]],
[[[V[田村吉永]]]],
pp.[L[75]]-[L[78]]
---
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[769] 
[CITE[[[日本歴史]] - Google ブックス]], 
[TIME[1957]],
[TIME[2022-12-29T03:19:17.000Z]] <https://books.google.co.jp/books?id=8nUHAQAAMAAJ&q=%22%E5%BB%BA%E6%95%99%E5%85%83%E5%B9%B4%22>
]FIGCAPTION]

>75 ページ
>村吉永はしがきかれこれ四十年のむかし、和歌山県高野口町国鉄駅前の一寺「大道」なる私年号のある石燈籠をみた。これが私の私年号に接した始めであった。この大道は南北朝の頃のものといはれ、紀伊国続風土記にも載せられてみる。それから国史辞典をみる ...
>
76 ページ
>
弘徳元年の下干支は甲と読み得られるから、弘徳元年』六月十三日に本社殿の造替が行はれた事が知られるのである。弘徳は従来他に見出されてみよい。勿論私年号とすべきである。かつて故天沼工学博士は本社殿を調査され、その記録に弘徳元年とし、至徳の誤 ...
>77 ページ
>松田福一郎氏所蔵華厳経巻第六十に、「歓喜元年五十月写金剛仏子」との墨書識語がある。同氏の不空庵常住古釣旧栗録にその写真が載せられ、記して「書写年代は鎌倉時代なるが、歓喜元年丑十月写の私年号の奥書の存するは珍らしき資料であるが、その何年に ...
生年廿四右筆花敲宗末学大法師宗性花厳宗末学大法師宗性之一建教元年二月廿七日照於東大寺中院一交了、大法師宗性とあって、建教なる年号が東大寺にあった事を同図書館司書の堀池春氏に教へられた。何れも宗性によって記されたもので、建教元年は宗性の ...
この二月十七日、及び二十七日の両度に記されてみる事は殊に注意すべきで、宗性のみが個人的に記したものか、また東大寺々中 ...
>78 ページ
>昭和廿六年夏観音寺経を調査され永宝の文字をみられた奈良女子大学教授岩城隆利氏は、奈良県総合文化調査報告書中に、「永宝は只一回で他に例を見ない。私年号であるかどうか同研究の余地がある」と記されてある。なる程重な見方である。元来私年号として ...

>昭和廿六年夏観音寺経を調査され永宝の文字をみられた奈良女子大学教授岩城隆利氏は、奈良県総合文化調査報告書中に、「永宝は只一回で他に例を見ない。私年号であるかどうか同研究の余地がある」と記されてある。なる程重な見方である。元来私年号として ...



]FIG]
- [199] [CITE[[[近畿文化]] (277)]],
[TIME[昭和47(1972)年12月][1972-12]]
-- [200] 
[DFN[[CITE[[V[大和の私年号]]]]]],
[[[V[田村吉永]]]],
p.[L[3]]

]REFS]

* 「公年号軽視の風潮」論

@@
[12] 
[CITE[日本私年号の研究]] [DFN[公年号軽視の風潮]]が[[私年号]]を生む土壌となった説
c.f. 
[[仮名書年号]],
[[関東の延長年号]],
[[和勝]]

* 私年号法的地位問題


** 私年号秘密説

[257] 
昭和41年に[[久保常晴]]は、

>
[VRL[
私年号とは一部の人々が密かに用いた年号である。[SNIP[]]
]VRL]

とまとめています。 また[[中世私年号]]を

>
[VRL[
これが応仁文明の乱が終ってからは従来の政治的対立から生まれた私年号とは異なって、打続く兵乱に加えて、[BR[]]
天変地異のため、またそれからくる飢饉等の苦を遁れようとして、朝廷、幕府の制定した年号の名称が何ら民衆[BR[]]
に密着したものでないため、幸福と寿命の延びること、経済的な即禄の増す事を求め、福徳、命禄、宝寿等の私[BR[]]年号が関東に広く使用されている。

]VRL]

と説明しています。
[SRC[>>2581]]


[778] >>293

[REFS[

- [2581] [CITE[[[〝大道〟の私年号を追って]]]]

]REFS]



[626] 
[DFN[私年号秘密説]]: 
[[保寿]],
[[元暦]], [[永佳]], [[永長]], [[宝明]], [[宝力]], [[久宝]], [[天晴]],
[[正中]],
>>293




** 私年号禁止説


[262] 
[[私年号]]は人目を憚って用いられ、
「[V[使用はご法度である]]」
[SRC[>>143]]
のようにいう研究者もいます。

[263] 
しかしその根拠となる法令なり、道徳規範なりを明確に示した研究は見つかりません。
[[元号]]の違いと政治・軍事勢力の違いが直結していた[[中世]]の[[元号]]利用状況や、
大陸の事例からの類推なのでしょうか。
[[日本]]の農民層や[[近世]]にも無条件に援用できるようには思われません。

[264] 
もちろん一般論として反政府的な言動が見つかればただでは済まされないでしょうが、
[[私年号]]がそうであるとの認識が広く存在したかは疑わしいです。
[[私年号]]の存在と反政府的性質を持つとの理解が反政府的庶民側にも取締る支配層側にも広く共有されていなければ、
反政府のため[[私年号]]を作ろう、でもバレないようこっそり使おう、
とはならないはずです。
そしてそれが氾濫していなければ、禁止しようともならないはずです。

;; 
[84] 
むしろこうしたものは禁令で抑え込もうとすれば[[増えそう][消せば消える]]なものですが
(文化方面の禁令全般にあることですが、[[日時制度]]関連だと[[お化け暦]]の事例が典型的ですね)、[[私年号]]の残存数は少なすぎ、
[[近世]]に[[私年号]]があったという記憶すらも一旦はすっかり失われていました。

[774] 
[[改元デマ]]に関係して、[[江戸幕府]]は[[公年号]]以外を厳しく取り締まったという主張があります。
しかし説得力有る根拠は示されていません。
[SEE[ [[改元デマ]] ]]

[775] 
[[江戸時代]]には[[元号]]についての落首や噂が民衆の間で公然と流布されており、
ときには[[改元]]に影響を与えたことが知られています。
[SEE[ [[江戸時代の元号]] ]]
[[私年号]]や[[改元デマ]]のような行き過ぎた事案を別にすれば、
通常の[[元号]]は「神聖不可侵で話題に出すのも憚れるような存在」では''なく''、
庶民の生活に溶け込んだもので、
[[江戸幕府]]もそれを不適切とは考えていなかったのでしょう。

[776] 
[[天皇]]と[[幕府]]の[[元号]]が神聖でそこから外れることは絶対に許されないという考え方は、
むしろ[[近代]]や[[昭和]]の人々の考え方のように思われます。
右派は[[天皇]]の[[改元大権]]を重視しその枠から[[元号]]が外されることを拒みました。
左派は[[元号]]と[[天皇]]の歴史的関係性を強調し、
[[天皇制]]と共に[[元号制度]]を除去することを企てました。
どちらも目指す方向性は違えど[[元号]]と[[天皇]]の密接な関係の下に国民が置かれた状態を考えました。
[[私年号]]や[[改元デマ]]が厳しく統制されたという論は、そうした前提のもとで発達したのでしょう。
しかしそれは[[近代]]の価値観に基づく[[近世]]の評価に過ぎません。

[663] 
私年号禁止説: [[久宝]], [[慶喜]] (, [[永長]])

** 改元デマ取り締まり

[SEE[ [[改元デマ]] ]]



* 私年号政治権力説


** 古代年号別王朝説

[SEE[ [[古代年号別王朝説]] ]]


** 後南朝元号説

[SEE[ [[後南朝の元号]] ]]


** 私年号独立権力説


[346] 
[[昭和時代]]の後半には、
[CITE[日本私年号の研究]]
を踏まえて、しかしそこから離れて、[[私年号]]の政治的性質を強調する論が出てきました。

[347] 
[[林屋辰三郎]]は、
「元号を拒否した私年号の使用は、一定の地域の民主的独立の宣言」
だと考えました
[SRC[>>444 ([CITE[元号問題私見]]), >>271 ([CITE[元号問題私見]], [[林屋辰三郎]], [CITE[[[日本史研究]] 一七二]])]]。


[348] 
[[網野善彦]]は、
[[東国・西国論]]の立場で、
[[東国]]のどこかで[[天皇]]の[[改元]]と異なる[[改元]]が行われたものと積極的に評価しました。
[SRC[>>444 ([CITE[東と西の語る日本の歴史]])]]

@@
[BOX[

[613] [CITE@ja-JP[シンポジウム中世の瀬戸内 上]], [[山陽新聞社]], [TIME[1981.7][1981]], [TIME[2024-02-01T05:12:54.000Z]], [TIME[2024-02-10T04:17:45.886Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9773917/1/61> (要登録)

[614] >>613 [[網野善彦]]の講演。

[909] 
[CITE@ja-JP[東と西-二つの日本]], [[谷川健一 ほか著]], [TIME[1984.11][1984]], [TIME[2025-09-30T02:09:54.000Z]], [TIME[2025-10-12T06:29:07.961Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12209709/1/38?keyword=%E5%85%83%E5%8F%B7> (要登録)

[932] 
[CITE@ja-JP[日本民俗文化大系 第1巻]], [[網野善彦 '''['''ほか''']'''編]], [TIME[1986.5][1986]], [TIME[2025-10-29T01:48:45.000Z]], [TIME[2025-11-28T08:59:44.121Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12173405/1/196> (要登録)


]BOX]

[49] 
歴史研究者の[[佐藤進一]]は、
[[異年号]]は国家の正年号を否定する性格を持つと主張しました。
[SRC[>>60]]



[349] 
しかしながら、[[中世私年号]]の政治的意義を高く評価するこうした論は、
いずれも史料的根拠がありません。 [SRC[>>444]]
[[私年号]]から[[公年号]]に混乱も抵抗もなく戻っている実態と整合しません
[SRC[>>492 ([CITE[[[暦と改元]]]])]]
し、
[[戦国大名]]等為政者層の用例がほとんどないこととも矛盾しています
[SRC[>>492]]。



[356] 
にも関わらず、このような考え方は[CITE[[[元号法]]]]制定を巡る当時の政治的な運動ともリンクし、
一部の人達にもてはやされたようです。
[[元号廃止論者]]は「天皇の元号」を相対化するこれらの主張に共鳴しました。
[[元号]]問題以外でも、反[[天皇]]、反[[日本政府]]、反[[自民党]]のような[[イデオロギー]]ととても相性が良かったようです。


[429] 
[[千々和到]]は、[[マルクス主義]]系とされる歴史団体[[歴史科学協議会]]で、
[[林屋辰三郎]]説や[[網野善彦]]説を切り捨てた
「[V[はっきりと異なった報告者独自の私年号説]]」
[SRC[>>428]]
を発表しました [SRC[>>444]]。
この発表の場にいて、後に機関誌に感想文を発表した[[平成時代]]の歴史研究者[RUBYB[[[井原今朝男]]][[TIME[1949]]-]]は、

>
[VRL[
[SNIP[]]報告によれ[BR[]]
ば、東国民衆は年号を単に権力から伝達されるものとして一方的に受[BR[]]
け取るだけの受動的な存在ではなかった。東国民衆は、年号に一種の[BR[]]
呪術性を認め、改元を待望する中で私年号を流布させ、天皇の元号を[BR[]]
相対化させていたことをはじめて明らかにしたといえる。[SNIP[]]
]VRL]

と要約しました。これが[[千々和到]]の報告の「[V[第一の意義]]」
とされます。 [SRC[>>428]]

[430] 
しかし[[千々和到]]は確かに東国の民衆の「改元待望」を論じており (>>385)、
([[千々和到]]はそのような表現を用いていないものの)
これを民衆の能動性と理解することはできるもの、
「天皇の元号を相対化」
したとはまったく主張していません。
それどころか[[千々和到]]は[[私年号]]が[[公年号]]と誤認されて流布されたことを発見し、
[[公年号]]の[[改元]]があるべき(なのになされない)ときに[[私年号]]がその補完となったことを主張しているのですから、
相対化とは正反対です。

[2] 
そのことは[[千々和到]]の論文 [SRC[>>444]] を読めば明白ですし、
[[井原今朝男]]もそれをしっかり要約に含めている [SRC[>>428]]
にも関わらず、なぜ正反対の方向に曲解しなければならなかったのかは、
[[井原今朝男]]がいう[[千々和到]]の報告の「[V[第二の意義]]」によって明らかにされます。
すなわち、

- [432] [[中世私年号]]や改元待望意識の掘り起こしにより、
「[V[近代天皇制の一世一元制下の年号の特殊性を浮き[BR[]]彫りにしたといえよう。一世一元制に慣らされた近現代人は、元号は[BR[]]天皇による時間の支配を示すものであり、国民主権や国際性に反する[BR[]]ものと批判してきたものの、中世東国民衆のような元号を相対化する[BR[]]動きはみられない。]]」
- [433] 近現代では[[自由自治元年]]を思い出す程度であるが、
明治の民衆も
「[V[改元待望意識の伝統が生きており、年号を自らの要求に基づいて主[BR[]]体的に受けとめ、「明治」年号を相対化しようとする意識が明確にな[BR[]]っていた、と言えるのではなかろうか。]]」

というのです
[SRC[>>428]]。

[434] 
更に[[井原今朝男]]は、[[日の丸]]や[[君が代]]に関する
「[V[文部省や一部保守勢力の卑劣さは[BR[]]指摘するまでもない]]」
などと現代政治の批判をつなげ、
[[日の丸]]や[[君が代]]を「[V[相対化しようとする運動]]」
が広まらないことへのもどかしさを綴り、
「[V[現代の国民文化の質を問いかける問題]]」
が[[千々和到]]によって提起されたのだとしています。
[SRC[>>428]]

[435] 
[[千々和到]]による純粋な歴史学研究に属する学会発表に対してこのような評価が学会誌に掲載されるというのは、
現在ではなかなか理解し難いところがあります。
この[[歴史科学協議会]]は[[昭和時代]]後期の[CITE[元号法]]制定の頃に積極的に[[元号]]反対
([[元号廃止]]) を訴える政治活動に取り組んでいました。
しかし世論の理解を得るには至らず[CITE[元号法]]は制定され、
この発表のあった[TIME[平成2(1990)年][1990]]の前年には新制度下で初めての[[改元]]
([[平成改元]])
がありました。
[[平成改元]]とそれを含む[[皇位継承]]関連行事は、
[[極左]]過激派によるテロ事件などもあったとはいえ、
ほとんどの[[国民]]には肯定的に受け止められていました。

[436] 
[[井原今朝男]]にとって[[私年号]]は[CITE[元号法]]や「天皇の元号」
を「相対化」し、ひいては否定し得る貴重な歴史的遺産で、
目下進行中の[CITE[国旗国歌法]]制定
[WEAK[(紆余曲折を経て[TIME[平成11(1999)年][1999]])]]
につながる動きへの反対運動を盛り上げる素材にもできると思えたのでしょう。

[437] 
しかし[[千々和到]]の発表に対しては「[V[積極的な討議も少なかった]]」
ので、[[井原今朝男]]にとっては不完全燃焼だったようです。
[SRC[>>428]]

;; [438] 
[[井原今朝男]]は、[[近世]]の[[私年号]]の有無や[[自由自治]]との関係なども議論したかったそうです。
[SRC[>>428]]
それは[[中世私年号]]の反天皇、反公年号の伝統が[[自由民権運動]]へと繋がったというストーリーを望んでいたのかもしれませんが、
そのような政治的意図はともかくとして、着眼点は良いと思われます。
なお、[[自由自治]]も参照。

;; [682] 
[[井原今朝男]]は[[私年号]]に積極的だった[[中世]]人に対して現代人は[[私年号]]を建てて[[公年号]]を相対化しないと批判していますが、
事実は異なります。[[マルクス主義史学]]とやらで視界が曇った自称歴史研究者らが知らなかっただけで、
この時代は日本史上最大規模で[[私年号]]が量産されていたことが今では明らかになっています。
[SEE[ [[現代日本の私年号]] ]]

[891] 
ここでもやはり[[昭和時代]]の学界の価値観が過去の[[私年号]]に投影されていることに注意が必要です。

[892] 
[[私年号]]に政治的独立性を見出す考え方は、
[[千々和到]]が指摘した通り、
史料的根拠を有するものではありません。
[[日本南北朝時代の元号]]の分裂や、
[[漢土]]の反乱政権の独自の[[元号]]などからの類推によるものでしょう。

[893] 
こうした説は[[昭和時代]]に発達したものの、
実は[[江戸時代]]から素朴に行われてきたもので、
[[後南朝]]と結びつけられるなど、やはり[[日本南北朝時代の元号]]現象が源泉にあります。
現在でも非専門家らには深い洞察を伴わずに信じられていることがあります。

[894] 
現在政治的な独立性の表明であることが有力視されている[[日本の私年号]]は、
[[奥羽越列藩同盟]]の[[大政]]だけです。

[895] 
従来政治的な独立との関係を指摘されていた[[白鹿]]や[[天靖]]は、
従来説が提唱したような政治的背景に十分な史料的根拠がありません。

[896] 
その他[[宗教]]や[[陰謀論]]に関係するもの、
[[マイクロネーション]]関係のものなどはいくつか近現代に事例があるものの、
政治的、軍事的に[[日本]]の中央政府から明確に分離する意図を持ち、
実際に[[統治権]]を行使する一貫として[[元号]]を制定したといえるものはありません。


[777] 
関連: [[古代年号別王朝説]],
[[日本南北朝時代の元号]],
[[近現代日本の私年号]]

** 地域年号説

[61] 
[[勝俣鎮夫]]は、
[[東国]]で[[戦国時代]]に広まった[[私年号]]を「[DFN[地域年号]]」
と呼びました。
[SRC[>>60]]

- [533] [CITE[勝山記]]の年号の混乱に見えるのは誤りでなく、年号観の表れである
[SEE[ [[勝山記の日時]], [[元二年]] ]]
- [536] [CITE[勝山記]]の[[改元]]記事には
「[V[編者の編集上の操作・歪曲の記述]]」がある
[SEE[ [[勝山記の日時]] ]]
- [537] 
[[東国]]では福徳2年辛亥が延徳3年辛亥と同じレベルで日常的に使用されていた。
特定の寺院集団や個人的に使用された私年号と同一視するのは必ずしも妥当ではない。
-- [538] 
「[V[元号に対して、地域社会年号ともいう[BR[]]べき公界の公年号]]」
-- [539] 
[CITE[勝山記]]編者は福徳2年辛亥から約100年後、
福徳2年辛亥と正京2年を京都の朝廷が改元した京年号と考えた、
「[V[東国の自分達が使用した年号とは別世界の京年号ともいうべ[BR[]]き年号と考えていた]]」
-- [540] 
「[V[われわれが私年号とした年号を京年号(元号)とし、自分達が生活す[BR[]]る東国地方の年号とは異なる地域年号と編者は考えた]]」
-- [541] この年号観は、京年号とは別の東国独自の年号の存在が前提となる
--- [542] [[日国]]らが使った[[福徳]]を生み出した
「[V[広く東国地域に使用された公年号、地域年号]]」
- [543] 
「[V[天皇が国家の時間を定める[BR[]]ということだけでなく、そこで定められた元号が、日本列島に住む人々の年という時間を一元的に規定したと考えて[BR[]]きた、これまでの日本国という国家に対する国家観が、これら公年号を私年号と位置づけた原因といえるであろう。[BR[]]元号を地域年号として別の世界の年号とし、それとは独立した公年号をもつと考えられた世界が、戦国時代東国地域[BR[]]に存在したことは、広汎な私年号の使用例が物語っている。そして、それが地域年号というかたちで使用されたこと[BR[]]からいえば、これらの年号が地域社会の人々の生活時間を律していた地域的暦と深い関係があったことは容易に想定[BR[]]されよう。]]」

と主張しました。
[SRC[>>258]]

;; [544] この主張は、前提となる事実認定と論理構成に多くの問題を抱えています。
[SEE[ [[勝山記の日時]] ]]

[NOTE[

[545] 広く普及した[[私年号]]をそれ以外の[[私年号]]と区別するべき、
というのは[[千々和到]]の主張と同じです。
しかし[[千々和到]]は[[京都]]の[[公年号]]と異なるものをすべて[[私年号]]という枠内の小分類にとどめていたのに対し、
[[勝俣鎮夫]]は普及した[[私年号]]を[[私年号]]と呼ぶべきではなく、
[[京都]]とは違う[[公年号]]であると主張しているわけです。
そして[[京都]]とは違う[[東国]]の[[公年号]]をこれまで[[私年号]]呼ばわりしてきたのは[[イデオロギー]]のせいだ、
と別の地域主義的[[イデオロギー]]で対抗しようとしていたということです。

[546] 
[[東国]]の「公年号」がそれまで[[私年号]]と呼ばれていた理由は、
「公」的に制定されたことを裏付ける史料的根拠がなかったから、
に尽きます。[[天皇家]]以外は「公」とは認めない、
という[[イデオロギー]]で公私の区別をした人も中にはいたかもしれませんが、
それで研究者の目が曇って「公」的性を示す史料を見逃してきた、
ということでも''ありません''。
その後も今に至るまで「公」的性を示す史料は見つかっていません。
見つかれば分類も変わっていくはずです。
[[イデオロギー]]のせいで「私」年号と軽視しているのではありません。
(が、そのように主張する[[陰謀論]]は今でもあるんですよね。
「私」年号なら軽視されているというものでもないと思いますが...)

]NOTE]



[530] 
[[平成時代]]の歴史研究者の[[阿部浩一]]は、
[[勝俣鎮夫]]に師事していましたが、
[[命禄]]が[[伊豆暦]]に書かれていたとする記録を発見し、
[[伊豆暦]] = [[三島暦]]の発行者 ([[暦師]]ないし[[三嶋大社]])
が[[命禄]]の[[建元]]者としました。他の[[私年号]]もそうである可能性があるとしました。
[SRC[>>529]]

;; [531] 
[[阿部浩一]]の研究は[[私年号]]の[[伝達][改元伝達]]媒体としての[[暦書]]を発見するに留まらず、
同じ論文で[[京暦]]との配日の違いを論じて[[暦]]と[[元号]]の地方差を立体的に解明しようとした意欲作でした。
残念ながら同論文中で[[元号]]と[[暦]]が交差するのは[[命禄]]が[[伊豆暦]]に掲載されたとの1点だけで、
この試みはあまりうまくいっていません。
[[私年号]]のみならず[[公年号]]の[[改元伝達]]でも[[暦書]]の影響力は想定され、
両者の伝達経路の解明など融合的な検討は今後も必要でしょう。



[550] [[勝俣鎮夫]]は[[阿部浩一]]の見解を踏まえて、
[[三島神社]]が地域年号を制定し、[[三島暦]]で広まったと主張しました。
[SRC[>>258]]


- [551] [[命禄]]が伊豆暦にあるとの記録がある [SEE[ [[命禄]] ]]
-- [552] [[三島神社]]で制定したものを[[甲州暦]]で採用した
-- [553] [[甲斐国]]の一般社会は[[甲州暦]]に従い使ったが、
[[武田信虎]]はそれより先に知って使い始めていた
- [554] [[大名]]が[[地域年号]]を使ったのは稀だが、その領国では使われた
-- [555] [[今川氏]]は使っていないが[[静岡県]]には用例 [SEE[ [[命禄]] ]]
-- [556] [[後北条氏]]は使っていないが、
結びつきが強い[[鶴岡八幡宮]]には記録 [SEE[ [[命禄]] ]]
- [557] [[鶴岡八幡宮]]で[[三島暦]]またはその系統の暦を使ったのは明らか
-- [558] なぜなら[[命禄]]が使われたから
-- [560] [[三島神社]]からの[[改元伝達]]ルート
--- [559] [[後北条氏]]は[[命禄]]を使っていないので、別の[[改元伝達]]ルートだった
-- [561] [[延徳]]の[[私年号]]の記録 [SEE[ [[延徳]] ]]
--- [562] [[延徳]]の[[改元]]情報は通常の確かな根拠に基づいていたこと疑いない
--- [563] [[三島神社]]からの[[改元]]情報、[[三島暦]]の[[元号]]によるものだろう
- [564] [CITE[勝山記]]の永正3年の[[改元]]記事、永正4年に弥勒2年とあるのは、
[[鶴岡八幡宮]]の[[延徳]]と同じパターン
-- [572] [[常在寺]]も[[三島神社]]を拠点とする寺社間情報伝達ルート上にあったと考えられる
- [573] [[三島神社]]で制定された地域年号が主に寺社間ルートで広く東国に伝達された
-- [574] [[三島神社]]は年号制定の機能を社会的に認められていた
-- [579] [[三島暦]]の頒布ルートで伝えられた
--- [580] 現存する[[三島暦]]には[[京都]]の[[元号]]が書かれている
--- [581] 地域年号も同じ様式で書かれたと思われる
--- [578] [[福徳]], [[弥禄]]も分布が[[三島暦]]と重なるので、
[[三島神社]]の地域的公年号とすることができる
- [576] [[堀越公方]][[足利政知]]は[[京都]]の[[元号]]の使用を強制した [SEE[ [[延徳]] ]]
- [577] [[古河公方]][[足利成氏]]は積極的に地域年号を採用し、その勢力圏に強制した
(c.f. 浅沼徳久1978)
- [591] 
[[三島神社]]は、
年号の攘災招福機能を利用し、年号改定権を行使し、新年号を制定し、
東国に「弥禄の世」「福徳の世」など至福千年の世界を招来しようと試みたのが、
戦国時代に多くの地域年号がつくられ、人々に受用され流布した理由
-- [592] 
中世を通じて一貫して制定権を行使して地域的公年号を創出した可能性は十分想定できる。
- [582] 比較的狭い地域にみられる[[宝寿]]、[[永喜]]などの地域年号は、
その地域の暦作成主体の有力社寺が制定主体と予測される
- [590] 南九州の[[加平]]・[[子平]]などの地域年号は[[阿蘇神社]]が制定したと考えられる


;; [575] 
[[改元]]した翌年に地域年号を使うのが[[延徳]]と[CITE[勝山記]][[弥勒]]で同じパターンだ、
というのは意味がよくわかりません。[[延徳]]は[[改元]]後に「延徳元年」
と明記されていますし、[CITE[勝山記]]に「年号賛ルナリ」とあるのを
「弥[ASIS[禄]]元年」になったと >>258 は解しています。
[[改元]]して[[元年]]になり、翌年に2年になるのはすべての[[元号]]に共通する大原則で、
同じなのは当然です。
([[元二年]]に絡めて東国独自の方法だ、と主張したいようにも見えるのですが、
>>258 の文章がそうはなっていなくて、意図をつかみかねます...)

;; [583] 
どうやら「改元情報」と「改元の翌年の暦」の2段階で地域年号が伝わったと考えているようです。
寺社間の[[改元伝達]]ルートは前者に関係し、後者は[[三島暦]]の頒布ルートによって広まるもので、
後者は寺社以外の一般社会も含むということなのでしょう。
そして[[三島暦]]は[[京都]]の[[元号]]と地域年号を併記していて、
受け取った人はそれを採用する、しないの裁量があった
(ので[[甲州暦]]や[[武田信虎]]や[[鶴岡八幡宮]]は採用することを選んだ)
といいたいように見えます。
(どちらの説も根拠は特にありません。)
この2段階伝達説は、[[元二年]]の成立の構造的要因として提唱されているようにもみえます。


;; [584] しかし[[三島暦]]にかかれていたと記録されるのは[[命禄]]だけで、
各[[私年号]]の分布域が[[三島暦]]と重なるというのも論証がありません
(後の研究者からは疑問視されています)。
[[三島神社]]が[[建元]]したとする根拠も何1つ提示されていません。

;; [585] 
[[永喜]]はともかく[[宝寿]]は発見数がかなり少ない部類で、
地域年号は一部の人が使った私年号とは違うんだと力説していながらなぜ[[宝寿]]は地域年号の可能性があるのか
(逆に地域年号でない私年号には何が該当するのか) よくわかりません。

[586] 
[[勝俣鎮夫]]は、
「[V[歴史的にみれば、本来時間は、神の支配に属するものであったことは、西暦(キリスト暦)・イスラム暦などの存在[BR[]]を見れば明らかである。]]」
としました
[SRC[>>258]]。
ここでもまた「明らか」と明確な根拠を示すことなく断定しています。
そして、[[日本]]は[[中国]]の[[元号]]制度を導入し、
「[V[天皇が日本国家の時[BR[]]間を支配する国家体制をつくりあげたが、そのなかにあって神仏の支配する時間をなお維持しつづける寺社などを中[BR[]]心とする聖の領域が存在した。]]」
と位置づけています
[SRC[>>258]]。
つまり、[[時間]]とは根源的に宗教的存在だったにも関わらず、
[[中国]]の[[皇帝]]と[[日本]]の[[天皇]]が政治的支配を打ち立てたものの、
一部に残存したのが[[三島神社]]の独自の[[元号]]だというのです。
その別の根拠として、
「[V[年号でいえば、各地の寺社が所有していた王代記・年代記などと称され[BR[]]るものが、その記述を大化以前の仏教的古代年号からはじめていることからもその一端がうかがえる。]]」
ことを挙げています
[SRC[>>258]]。

[NOTE[

[587] 
この主張は、論者の前提知識が根本的に誤っていることを明確に示しています。
[[キリスト紀元]]と[[イスラム暦]]のいずれも、
[[元号]]制度より数百年遅れて成立したものです。
世界の多くの地域で、
こうした宗教的[[紀年法]]が採用される遥か前から、
その地域の統治者の[[即位紀年]]が使われています。

[588] 
特に[[日本]]において[[天皇]]と無関係な宗教的[[日時制度]]が確立されていたことを示す遺物は何1つ発見されていません。
これは[[紀年法]]についても[[暦法]]についてもです。

[608] 
強いて言えば[[干支年]]は[[木星]] / [[歳星]]との関係で信仰から発達した宗教的[[紀年法]]といえないこともありませんが、
[[西暦]]や[[イスラム暦]]とは[[紀年法]]としての構造も[[宗教]]としての性質もまったく違っています。
しかも大陸では[[即位紀年]]や[[元号]]の方が[[干支年]]より先に発達、普及しました。
[[日本]]では[[干支年]]の方が[[元号]]より古くから使われているものの、
寺社との特別の関係性は認められません。
何より[[中世]]においても[[干支年]]は[[京都]]を含む[[日本]]全国で偏りなく使われています。

[589] 
そして[[年代記類]]の[[古代年号]]が[[中世]]を遡らないことは、 >>258
の冒頭で引用された[CITE[日本私年号の研究]]が断言する最も重要な研究成果の1つです。
[SEE[ [[古代年号]] ]]
それを一度でも読んでいれば「歴史的」「本来」の[[日時制度]]のあり方の議論に決して持ち出されるはずがないものとわかるはずですが...


]NOTE]

;; [609] 
「地方は天皇の支配に屈したが、古くからの制度は寺社に保存され中世まで続いていた。
天皇も民衆の信仰心までは侵略できなかったのだ。」
というストーリーは、筆者がそれを意図していたかどうかは定かではないものの、
特定の思想を持つ人々には受けがよかったことでしょう。


[343] 
[[山田邦明]]もこれに賛同して論文で「私年号 (地域年号)」のように書いていました。
[[公年号]]を「京都の年号」とも書いていました。
[SRC[>>148]]


[REFS[

- [528] [CITE[[[遙かなる中世]] (12)]]
-- [529] 
[CITE[[V[戦国期東国の暦・私年号に関する一考察[BR[]]―甲斐国『妙法寺記』『王代記』と[BR[]]三島暦を素材として―]]]],
[[[V[阿部浩一]]]]
- [532] 
[CITE[戦国時代論]],
[[勝俣鎮夫]]
-- [534] 第III部
--- [258] 
[CSECTION[[V[第一章  [DFN[戦国時代東国の地域年号について]]]]]],
pp.[L[157]]-[L[197]]
-- [460] 
[CITE@en-us[Amazon.co.jp: [[戦国時代論]] : 勝俣 鎮夫: Japanese Books]], 
[TIME[1996-11-11]],
[TIME[2024-08-10T05:57:36.000Z]] <https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4000029975/wakaba1-22/>

]REFS]

@@
[BOX[

[922] 
[CITE@ja-JP[湘南物語 第4部 中]], [[湯山学]], [TIME[1997.2][1997]], [TIME[2025-09-30T02:09:54.000Z]], [TIME[2025-10-27T05:58:20.857Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/13178677/1/58?keyword=%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7> (要登録)

[24] 
[CITE@ja-JP[日本民俗文化大系 第1巻]], [[小学館]], [TIME[1995.3][1995]], [TIME[2026-04-07T01:12:04.000Z]], [TIME[2026-04-27T15:21:22.919Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/13200531/1/197> (要登録)

民俗学方向から似たような結論に着地する説

]BOX]

** 元号廃止論者から見た私年号

[660] [[元号廃止]]の主張のために[[私年号]]を持ち出した事案:

- [661] [CITE@ja-JP[歴史の見かた]], [[和歌森太郎]], [TIME[1973]], [TIME[2024-05-28T02:01:58.000Z]], [TIME[2024-06-21T14:27:42.511Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12148751/1/78> (要登録)



- [188] [CITE@ja-JP[日本史研究 (190);1978・6]], [[日本史研究会]], [TIME[1978-06]], [TIME[2024-01-05T08:01:52.000Z]], [TIME[2024-01-06T06:08:55.278Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/13000561/1/29> (要登録)
-- [194]  
[CITE[[[[V[元号問題雑感[BR[]][WEAK(smaller)[―朝鮮人・戸籍・憲法そして日本史研究会―]]]]]]]],
[[[V[田中真人]]]]


[195] 
>>194
筆者は[[極左活動家]]で[[元号廃止]]を求めている。
[[元号]]に反対する理由に[[私年号]]の「伝統」が使われている。

[148] 
その時代、当時の[[私年号研究]]の成果を曲解して[[元号廃止]]の主張に組み込んだり、
そこまでしなくても[[公年号]]を相対化して[[元号]]や[[日本政府]]に批判的な政治的・思想的主張の論拠の1つに使ったりする人達が出現していた。

[52] 
そうした「曲解」はもとより妄想部分が多くて学術的価値はないし、
今ではそのベースになっていた[[私年号研究]]の描く中世像も研究の進展で様子が変わってきていて、
当該政治的・思想的主張の拠り所にはならない。

[198] 
イデオロギーの曇った目で見た「歴史」を主張の根拠にしてはならないというのは、
そういう主張の人達が反対していたのであろう戦前の[[皇国史観]]と同じ轍を踏んでいるのであって、
どちらも歴史学の成果を濫用して社会を混乱させた[[黒歴史]]として学界は大いに反省しなければならないだろう。
特に戦後史学の濫用は、[[皇国史観]]の反省のはずの暴走だから余計にたちが悪い。



[915] [CITE@ja-JP[新日本文学 31(12)(352)]], [[新日本文学会]], [TIME[1976-12]], [TIME[2025-09-30T02:09:54.000Z]], [TIME[2025-10-16T12:55:00.461Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/6079171/1/46?keyword=%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7> (要登録)


[916] >>915 [[福徳]]や[[弥勒]]のような[[私年号]]は[[弥勒信仰]]に関係があり、
[[弥勒信仰]]とは農民の共産コミューンの夢、なんだそうな...

;; [918] 
[[マルクス主義]]の教義はどうなったんだよと突っ込みを入れたいし、[[弥勒信仰]]に対する[[文化の盗用]]でもあって醜悪...

[917] 
[[大道]]=[[キリシタン]][[私年号]]説もあたかも確定的史実であるかのように紹介している。そしてこうしたものを根拠の1つにして[[元号]]や[[天皇制]]への反発を述べている。

-*-*-


- [8] 
[CITE@ja-JP[歴史と責任]], [[家永三郎]], [TIME[1979.8][1979]], [TIME[2026-04-07T01:12:04.000Z]], [TIME[2026-04-22T08:37:18.828Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12209236/1/225?keyword=%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7> (要登録)

[9] >>8 古来[[私年号]]が使われてきたのだから、元号制定権を国家機関が掌握するべきではない、と。

[10] 
>>9 このような意味不明な論理で[[私年号]]を政治的闘争の道具に使うような人物が、
この時代を代表する学者のように扱われていたことに、驚きを隠せないというのが正直な感想。
そういう風潮の時代だったと言ってしまえばそれまでだが...

-*-*-



- [925] [CITE@ja[11961.私年号 NHK『明るい農村』<福田元昭トークSHOW232~236> - 未分類]], [[福田元昭]], [TIME[2025-10-30T03:43:40.000Z]], [TIME[2025-10-30T04:59:23.412Z]] <http://ab5730.blog.fc2.com/blog-entry-13002.html>
-- [923] 
[CITE@ja-JP[私年号 撮影現場:埼玉県比企郡滑川町 - YouTube]], [TIME[2025-10-30T04:58:29.000Z]] <https://www.youtube.com/watch?v=vnFa7gjGOuI>
-- [926] 
[CITE[元号法 撮影現場:埼玉県比企郡滑川町]],
[TIME[2025-10-30T05:07:27.100Z]]
<https://www.youtube.com/watch?v=MP-Mu_G-Zd8>

[924] >>923 03:00 頃から、04:00 頃から : 
[[戦国大名]]が[[私年号]]を作っていた時代が100年くらい続き、誰も[[元号]] ([[公年号]]のことか) を使っていなかった。

[927] >>923 最後 : 明治時代になって天皇中心の時代で[[元号]]がよく使われるようになった。 >>926 
03:00 頃から : 大学生の頃、元号法制化キャンペーンがあって[CITE[元号法]]ができた。自分は今でも[[元号]]と[[天皇制]]が諸悪の根源と考えている。今も人々は天皇の死去で時代を区切っているが馬鹿馬鹿しい。



[928] 出典は明らかにされていないが、[[元号法制化反対運動]]系の知識か。

;; [929] 
同じ[[著者]]の他の記事を見ると反[[自民党]]に熱心な他、 [[反ワクチン]]や [[CIA陰謀論]]などにも傾倒している模様。


* 私年号宗教民俗説


** 仏僧創作説

@@
[SEE[ [[古代年号]], [[弥勒]] ]]


** 改元待望

[SEE[ [[改元待望]] ]]

** 私年号世直し説

[957] [[亀光]], [[天晴]]


** 私年号呪術説

[493] 
[[平成時代]]初期の歴史研究者[[渡部恵美子]]は、
先行研究から[[戦国時代]]の[[私年号]]の特徴を

- [494] (A) ほとんどが[[東国]]で、同時期に広範囲で使用
- [495] (B) 多くは[[年数]]が違っていても[[干支]]が同じ
- [496] (C) 寺社関係の史料に多い

と要約しました。
そして1つの寺院や1個人で非常に私的に用いられた他の時代の[[私年号]]と違って特異であるとし、
そこから当時の人々の意識を読み取ろうとしました。
[SRC[>>492, >>594]]


[504] 
[[戦国時代]]の用例が多い[[私年号]]について、
次のような実例をもとに、
当時の人々は[[公年号]]と[[私年号]]を明らかに区別していて、
[[私年号]]は[[公年号]]と比べて呪術的、宗教的な性格を持った年号との意識を持ち、
宗教的な資料で選択的に[[私年号]]を使ったと主張しました。
[SRC[>>492]]

- [505] [[甲斐国]]で1月から6月に福徳2年を使い、7月から延徳3年を使う用例がある
[SEE[ [[福徳]] ]]
-- [506] そのため1月から6月を記述した[CITE[日国覚書]]は福徳2年の1年間ではなく[[福徳]]を使った半年の記録である
[SEE[ [[勝山記]] ]]
--- [507] [[私年号]]を[[公年号]]と誤認した (>>499) わけでも、
[[地域的公年号]]と認識していた (>>500) のでもない
--- [522] 災異が収まったから[[私年号]]を使い終え、記録を残した
-- [510] ところが11月8日の[[板碑]]がある
[SEE[ [[福徳]] ]]
--- [511] [[私年号]]は[[宗教的]]性格を持ち、呪術的なので、
[[公年号]]でなく[[私年号]]を選んだ
- [20] [CITE[勝山記]]で[[公年号]]はただ[[改元]]の事実だけ書かれ、
[[公年号]]と別に[[私年号]]も書かれ、
[[私年号]]の[[改元]]には場所や理由も書かれている
[SEE[ [[勝山記]] ]]
-- [509] [CITE[勝山記]]の編者は[[私年号]]を[[公年号]]と誤認していた (>>499)
のではない、そうでなければ正しくないとわかった時点で[[私年号]]は消されたはずだ
- [512] [[東京都]][[青梅市]]のすぐ近くに同時期の[[福徳]]の[[板碑]]と[[延徳]]の[[板碑]]がある
[SEE[ [[福徳]] ]]
-- [513] 片方でだけ[[私年号]]を知っていたとは考えにくく、
[[私年号]]と[[公年号]]は意図的に選ばれた
-- [514] [[私年号]]には呪術的な意味が含まれていた
- [515] [[静岡県]]の胎内銘に[[天文]]と[[弥勒]]が併記されている
[SEE[ [[弥勒]] ]]
-- [516] [[公年号]]を知りながらわざわざ[[私年号]]を使っている
-- [517] 日付表記のためだけなら片方でいい
-- [518] 仏像という宗教的性格から、私年号の特別な呪術性で使われたと考えられる
- [519] [[長野県]]の仏像に[[弥勒]]が使われている
-- [521] 仏像という宗教的性格から、私年号がわざわざ使われた
-- [520] 県内で他に[[弥勒]]はない、他は公年号でいいと判断されたから

[523] 
[[千々和到]]はこの時代の遺物に宗教関連史料が多いため必然的に[[私年号]]が宗教史料に多いのであり、
必ずしも[[私年号]]の使用が信仰のあらわれとは言えないとしていましたが、
[[渡部恵美子]]は[[板碑]]文化圏外の[[長野県]]には[[私年号]]が少ないのは[[私年号]]が宗教的史料に集中していることを示している 
([[私年号]]の使用は宗教的だ) と主張しました。
[SRC[>>492]]

[524] 
[[渡部恵美子]]は、
従来や[[西国]]では[[朝廷]]の[[元号]]が統治機能を果たしていたものの、
[[戦国時代]]の[[東国]]では戦乱、飢餓、疫病でそれが果たされなくなり、
それを[[東国]]の人々が自ら担うべく生み出したのが[[私年号]]であり、
自力救済の社会を象徴するものだったとしました。
[SRC[>>492, >>594]]
当時の人が頼った場所が寺社だったからこそその史料に[[私年号]]が多く残るのだとしました。
[SRC[>>594]]

[497] 
[[渡部恵美子]]は先行研究による意識の理解を、

- [498] 「きわめて政治的な性格」説: [[林屋辰三郎]]、[[網野善彦]]の中央・天皇への対抗説
- [499] 「改元の呪術的性格」説: [[千々和到]]の[[私年号]]は[[公年号]]と誤認され区別なく使われ、
[[改元伝達]]の行為が重要だったとの説
- [500] 「地域的公年号」説: [[勝俣鎮夫]], [[阿部浩一]]の[[京都]]の[[元号]]と別に[[東国]]独自の[[元号]]を持っていた説

に3分類していました。
[SRC[>>492]]

[525] 
このうち >>498 と >>500 は中央の[[元号]]と異なる[[元号]]を[[東国]]独自に立てるという点で同じように見えますが、
政治的権威が[[建元]]し排他的な >>498 
と宗教的権威が[[建元]]し共存する >>500
で別物としているように見えます。
どちらの説にも不十分を感じたようですが、
結論は >>500 説に近い所に着地しています (>>524)。
違いは >>500 のように特定の宗教的権威によるものでなく、
[[東国]]の人々全体が建元者と考えているところなのでしょうか
(否定するだけで誰が[[建元]]したかはお茶を濁しているともいえます)。

[526] 
また、[[千々和到]]の説は現在では[[私年号]]と[[公年号]]が区別されていなかったとする発見を中心に理解されていると思われますが、
[[渡部恵美子]]は[[改元]]の呪術的性格の指摘を重視しているように感じられます。
結論に引きづられている感がないでもありませんが、
宗教的、呪術的性格は[[千々和到]]以前からの学界の[[私年号]]に対する漠然とした認識としてあったもので、
その延長線上での理解ともいえます。

[601] 
[[私年号]]用例には少数ながら[[戦国大名]]によるものがあります ([SEE[ [[日本の私年号]] ]])。
呪術的私年号説は[[私年号]]の利用に宗教目的があるとしていますから、
純粋に政治的な文書に[[私年号]]が使われることに説明が付きません。
これについて[[渡部恵美子]]は、

- [602] [[諏訪頼満]]は神職でもあり呪術的手段として使った [SEE[ [[福徳]] ]]
- [603] [[結城政朝]]は寺社や民衆に近づくために使った [SEE[ [[弥勒]] ]]
- [604] [[武田信虎]]は寺社や民衆に近づくために使ったり、
自分の希望を叶えるために呪術的に使った [SEE[ [[命禄]] ]]
- [605] [[足利成氏]]は[[朝廷]]への対抗を表す政治的意図で使った [SEE[ [[福徳]] ]]

とばらばらな意図で使ったと説明しました [SRC[>>594]]。

;; [606] 「[V[戦国武将たちは、私年号を自分なり[BR[]]に都合よく活用していった]]」
[SRC[>>594]] とまとめています。しかしどちらかといえばこの一貫性のない無理のある説明の方が自説に
「都合よく活用し」
ているようにも思われます。各項を参照。


[527] 
[[渡部恵美子]]の見解はその後の研究者にはあまり支持されていないようです。
[[千々和到]]説と[[地域的公年号]]説の折衷的な見解で、
どちらと比べてもはっきりしないように感じられるためでしょうか。
[[千々和到]]の新説の多くのポイントに否定的な反論を加えていますが、
[[千々和到]]説より説得力が劣るように思われます。
[[私年号]]の呪術性による選択的利用を主張しながら、
どのように[[私年号]]と[[公年号]]が使い分けられたか実例に対して的確に説明できていないのが最大の課題と思われます。
[SEE[ >>504 の各項 ]]


[REFS[

-
[259] 
[CITE@ja-JP[[[信濃]] '''['''第3次''']''' 49(12)(575)]], [[信濃史学会]], [TIME[1997-12]], [TIME[2022-12-21T08:14:19.000Z]], [TIME[2022-12-25T04:25:20.525Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/6070057/1/19> (要登録)
-- [492] 
[DFN[[CITE[[V[戦国期の私年号について[BR[]][WEAK(smaller)[―「福徳」「弥勒」「命禄」を中心として―]]]]]]]],
[[[V[渡部恵美子]]]],
pp.[L[889]]-[L[906]]
- [593] [CITE[[[信大史学]] (22)]],
-- [594] [DFN[[CITE[[V[戦国大名と私年号]]]]]],
[[[V[渡部恵美子]]]],
pp.[L[1]]-[L[16]]

]REFS]

[571] [CITE@ja[書誌所蔵情報 | 石川県立図書館]], [TIME[2024-10-29T07:30:13.000Z]] <https://www.library.pref.ishikawa.lg.jp/wo/opc_srh/srh_detail?detail[sid]=1009910082311>

>
,*書名	,日本史学年次別論文集 中世2-1997年(ニホンシガク/ネンジベツ/ロンブンシュウ(チュウセイ-2-1997))
,*著者名等	,学術文献刊行会‖編集(ガクジュツ/ブンケン/カンコウカイ)

>[SNIP[]] ; 戦国期の私年号について / 渡部/恵美子‖著(ワタベ,エミコ) ;[SNIP[]]

- [80] 
[CITE@ja-JP[栃木史学 = The Tochigi journal of Japanese history (2)]], [[国学院大学栃木短期大学史学会]], [TIME[1988-03]], [TIME[2022-12-21T08:14:19.000Z]], [TIME[2022-12-25T04:32:40.997Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/4424952/1/83> (要登録)


-*-*-


[643] 
私年号呪術説: 
[[永佳]], [[永長]], [[久宝]],
[[天晴]],
[[長徳]]

[15] 
私年号縁起担ぎ説:
[[則吉]],
[[宝寿]]


** 不時の正月説


[654] 
[CITE@ja-JP[奇態流行史]], [[廃姓外骨]], [TIME[大正12][1923]], [TIME[2024-10-01T09:05:02.000Z]], [TIME[2024-10-30T07:58:11.096Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/927420/1/21>


[659] 
[CITE@ja-JP[日本民俗学 〔第1-4〕 隨筆篇]], [[中山太郎]], [TIME[昭和6][1931]], [TIME[2024-10-01T09:05:02.000Z]], [TIME[2024-10-30T08:09:38.362Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1449499/1/34>

2度正月をする, 大福元年
[SEE[ [[鎌倉光明寺勅額]] ]]

** 私年号一般慣習説

[942] 
[[私年号]]はカジュアルに作られ使われた[[民俗学]]的風習だったとの主張が[[現代日本]]でたまに見られます。

[943] 
かかる前近代の風習を根拠に現代でも気軽に[[私年号]]を使おうとの提起が伴うことが多いようです。[[日本政府]]による[[公年号]]を否定するような思想的背景を感じさせる提案の場合もあります。

[944] 
この種の説で[[私年号研究者]]による学術的な考察を引いているものは見たことがありません。

[945] 
提唱者が実践しているのかどうかもあまり明確ではありません。


[303] 
[CITE@ja[Xユーザーのノザキハコネさん: 「柳田國男が紹介してたけど日本では近世後期ぐらいまで自分が信心してる仏様とかにちなんで勝手に作った私年号を使う習慣があったそうなのでこの美しい伝統を復活させましょう。令和とか使わず各職場やご家庭でガンダム元年とかちいかわ元年とか好きに決めて使おう。」 / X]], [TIME[午前1:16 · 2023年11月5日][2023-11-04T16:16:01.000Z]], [TIME[2023-11-07T06:03:32.000Z]] <https://twitter.com/hakoiribox/status/1720837313583108351>

[300] 
少なくても
[CITE[定本柳田国男集]]
索引で「私年号」は1箇所だけで、その
[CITE[海上の道]]
には確かに[[柳田國男]]の[[弥勒]]の考察が見えるのだけど、[[柳田國男]]は

>
[SNIP[]]すなわち一時は少なくともそういう年号が、新たに制定せられたものと信じて、これを用いた人が多かったのである。[SNIP[]]

と書いてるんだよなあ。 [SEE[ [[弥勒]] ]]

[299] 
「近世後期ぐらいまで自分が信心してる仏様とかにちなんで勝手に作った私年号を使う習慣があった」
ってのはどの本のどこに書いてあるんだろうか。
真逆に見えるんだけど、いつどういう理由で新説を唱えたのか、どちらが新しいのか。

[279] 
[[平成時代]]はじめくらいまで「私年号の時代は近世初期で終わった (幕末など例外あり)」
ってのが通説だったのに。[[柳田國男]]が近世後期までの習慣を紹介しているなら、
見逃されてるはずないと思うんだけど。


- [266] [CITE@ja[XユーザーのDr. Yusuke YAMASHITA, PhD, Associ.Prof. of CSRさん: 「歴史上、日本には「私年号」「異年号」と言われるものが存在する。これは、 元号の一字を縁起の良い文字に変えて使う、という縁起物的風習であり、 例えば、「延徳」を「福徳」として使用した事例が存在する(※二代古河公方・足利政氏の御書の事例)。 (参照:市村高男『足利成氏の生涯』)」 / X]], [TIME[午後3:41 · 2023年11月5日][2023-11-05T06:41:08.000Z]], [TIME[2023-11-07T07:33:34.000Z]] <https://twitter.com/YAMASHITAnoID/status/1721055025487900672>
-- [941] 
[CITE@ja[XユーザーのDr. Yusuke YAMASHITA, PhD, Associ.Prof. of CSRさん: 「例えば年賀状に、令和ではなく「福和」と書いて出しても、これは私年号として(日本の伝統的な)縁起物として良し、とされる訳ですね。」 / X]], [TIME[午後9:32 · 2025年12月27日][2025-12-27T12:32:53.000Z]], [TIME[2025-12-28T00:17:59.000Z]] <https://x.com/YAMASHITAnoID/status/2004893244967317773>


[260] 
「縁起物的風習」。[CITE[足利成氏の生涯]]にそう書いてあるのか、この人がそういってるだけなのか。


* 1字置き換え

>>485

[SEE[ [[建教]], [[正久]], [[弘德]] ]]

[28] 循環論法 : [SEE[ [[永福]], [[至大]] ]]

[47] 
[[峰岸純夫]]は、[[千々和到]]の1字置き換え論を全面的に採用して講演で語っています。 
[SRC[>>30]]

[REFS[

- [30] 
[CITE@ja-JP[板碑 : 特別展図録]], [[埼玉県立博物館]], [TIME[1982.3][1982]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-05-04T12:53:37.098Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12261498/1/52?keyword=%E8%87%B3%E5%A4%A7> (要登録)

]REFS]

* メモ


[860] 
これに限らず「何である」かはよく語られますけど、
「何でない」かは語られないがちですよね。

[861] 
[[私年号]]はよく宗教、特に仏教との関わりが指摘されてきました。
残存資料が仏教関係に偏っているのは事実です。
でも仏教と[[私年号]]の関係がどれだけ強固なものかは今一度考え直す必要があるでしょう。

- [862] 仏教関係以外とは何か?
-- [863] 神道系 - [[神社]]関係の私年号資料も珍しくない。
[[神仏習合]]の中世で仏教と神道は厳密に切り分けられるものでもない。
[[神道]]的性格が強いとはとてもいえないが、特別に[[仏教]]側ということもできないだろう。
-- [864] 武家系 - 武将の文書などでも若干の私年号資料がある。
残存資料数を考えれば圧倒的に少ないと言えるのは確か。
--- [865] 武士と私年号の縁は遠いと見るか、遠くはないと見るか。言い方次第?
--- [867] 「仏教系改元伝達経路」説が成立するとしたら、「じゃない方」は武士の主従関係?
-- [866] 公家系 - 私年号資料はほとんどない(?)
--- [868] 京都にいたから私年号を使う機会、接する機会はなかった?
--- [869] 戦国時代に京から逃避した公家は? 南朝方で地方に下った人々は?
--- [870] 荘園や寺社とのやり取りで接することはなかったのか?
-- [871] 農民 
--- [872] 中世: 私年号資料はあるが仏教系という扱いにされている
---- [873] 板碑、寺社文書
---- [874] 確かに仏教関係ではあるが、それ以外で現存するものがそもそもそんなにないのでは
--- [875] 近世: 村方文書にかなり埋もれていることが近年知られるようになってきたのでまだまだでてきそう
-- [876] 商人その他
--- [877] 中世: ほとんどないが、なかったのか? それとも現存していないのか?
--- [878] 近世: 近年知られるようになってきたのでまだまだでてきそう








[REFS[
- [225] [CITE@ja[私年号 - Wikipedia]] ([TIME[2015-12-13 18:25:40 +09:00]] 版) <https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7>
- [233] [CITE[日本の私年号]]
<http://www5a.biglobe.ne.jp/~hampton/018.htm>
-[60] 
[CITE[「[[亀光]]元年」を彫る墓石に関する調査報告]] ([TIME[2017-08-31 14:45:43 +09:00]]) <https://www.city.koga.fukuoka.jp/uploads/files/somu/222.pdf#page=6>
]REFS]


-*-*-






[190] 
[[久保常晴]]は、
集権体制の崩壊と文字の一般層への普及により、
正しい表現が崩れていき、
「[[公年号]]を軽視する態度」
から
「[[公年号]]無視の傾向」
へと発展し、
[[私年号]]の出現に至ったと考えました。
[[仮名書年号]]等をその[[私年号]]発生に至る前段階としました。
[SRC[>>189 p.[V[一六三]]]]


[REFS[

- [189] [CITE[日本私年号の研究]]

]REFS]

[92] 
[[養保]],
[[慶觀]],
[[弘治]],
[[大徳]]

[159] 
[[現存最古を発生と誤認した事案]]


- [104] 
[CITE@ja-JP[最新日本歴史年表]], [[大森金五郎, 高橋昇造 共著]], [TIME[1934]], [TIME[2022-12-21T08:14:19.000Z]], [TIME[2022-12-24T05:57:50.264Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1908814/1/12> (要登録)

[167] 
[CITE@ja-JP[日本百科大辞典 第5巻]], [[三省堂編輯所]], [TIME[明41-大8][1919]], [TIME[2022-12-21T08:14:19.000Z]], [TIME[2022-12-23T13:21:21.675Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/898069/1/121> (要登録)

[166] [CITE@ja-JP[正朔要覧]], [[宮本和一]], [TIME[昭和5][1930]], [TIME[2022-12-21T08:14:19.000Z]], [TIME[2022-12-23T12:49:22.170Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1190088/1/60> (要登録)

[175] [CITE@ja-JP[栗里先生雑著 : 一五巻 下]], [[栗田寛, 栗田勤]], [TIME[明治34][1901]], [TIME[2022-12-21T08:14:19.000Z]], [TIME[2022-12-24T13:30:10.606Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1087995/1/212>

[226] 
[CITE@ja[正年号(せいねんごう)とは? 意味や使い方 - コトバンク]], [[,世界大百科事典内言及]], [TIME[2024-02-11T13:13:09.000Z]] <https://kotobank.jp/word/%E6%AD%A3%E5%B9%B4%E5%8F%B7-1350220>

- [222] 
[CITE@ja-JP[岩手の歴史論集 2 (中世文化)]], [[司東真雄]], [TIME[1979.11][1979]], [TIME[2024-02-01T05:12:54.000Z]], [TIME[2024-02-09T15:00:32.419Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9538754/1/283> (要登録)
左


- [205] 
[CITE@ja-JP[Museum (88)]], [[東京国立博物館]], [TIME[1958-07]], [TIME[2022-12-21T08:14:19.000Z]], [TIME[2022-12-24T06:14:48.814Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/4429480/1/6> (要登録)

[173] 
[CITE@ja-JP[国史便覧]], [[重田定一 等編]], [TIME[明31.3][1898]], [TIME[2022-12-21T08:14:19.000Z]], [TIME[2022-12-24T06:35:58.276Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/769393/1/77>

- [192] 
[CITE@ja-JP[国史概説]], [[大森金五郎 述]], [TIME[明43序][1910]], [TIME[2022-12-21T08:14:19.000Z]], [TIME[2022-12-24T06:40:26.447Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/769275/1/143>

- [176] 
[CITE@ja-JP[経済史観日本 上巻]], [[中村直勝]], [TIME[昭和23][1948]], [TIME[2026-04-07T01:12:04.000Z]], [TIME[2026-04-27T12:47:08.940Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1276238/1/65?keyword=%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7> (要登録)

[18] >>176 は[[久保常晴]]の初期の論文を引用して[[私年号]]の概略を説明したもので、
[CITE[日本私年号の研究]] pp.[V[三〇八]]-[V[三一〇]]
で逆に[[久保常晴]]が引用しています。

[177] 
[CITE@ja-JP[新撰日本仏教年表]], [[橋川正]], [TIME[昭和2][1927]], [TIME[2022-12-21T08:14:19.000Z]], [TIME[2022-12-25T04:18:51.104Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1174324/1/245> (要登録)

[178] [CITE@ja-JP[図書館学研究報告 (15)]], [[東北大学附属図書館]], [TIME[1982-12]], [TIME[2022-12-21T08:14:19.000Z]], [TIME[2022-12-25T04:20:01.370Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1796754/1/3> (要登録)

[179] [CITE@ja-JP[日本の歴史 8]], [[樋口清之]], [TIME[昭和33][1958]], [TIME[2022-12-21T08:14:19.000Z]], [TIME[2022-12-25T04:26:55.903Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1627745/1/83> (要登録)

[180] [CITE@ja-JP[日本建築様式]], [[井上一之]], [TIME[1954]], [TIME[2022-12-21T08:14:19.000Z]], [TIME[2022-12-25T04:37:08.204Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/2469974/1/234> (要登録)

[181] [CITE@ja-JP[対照世界美術年表]], [[中村亮平]], [TIME[1938]], [TIME[2022-12-21T08:14:19.000Z]], [TIME[2022-12-25T04:42:30.997Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1902443/1/237> (要登録)

[184] [CITE@ja-JP[Museum (88)]], [[東京国立博物館]], [TIME[1958-07]], [TIME[2022-12-28T09:26:51.000Z]], [TIME[2022-12-28T11:33:01.416Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/4429480/1/6> (要登録)


[191] 
[CITE@ja-JP[香取文書纂 巻之1,2]], [[伊藤泰歳, 村岡良弼 校]], [TIME[明39-41][1908]], [TIME[2023-01-17T10:48:16.000Z]], [TIME[2023-01-22T00:15:36.918Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/815200/1/10> (要登録)

[930] 
[CITE@ja-JP[香取古文書目録]], [[色川三中]], [TIME[明17.5][1884]], [TIME[2025-10-29T01:48:45.000Z]], [TIME[2025-11-27T08:30:03.589Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/815196/1/8?keyword=%E7%95%B0%E5%B9%B4%E5%8F%B7>


- [196] [CITE[スライド 1]], [TIME[2015-03-31T10:24:38.000Z]], [TIME[2023-01-24T10:31:03.012Z]] <http://koshigayahistory.org/560.pdf#page=7>


[149] 
令和4年末に[[国立国会図書館]]の全文検索が拡充されてから約1ヶ月のうちに、
[[平成時代]]までに'''報告済み'''の[[異年号]]でこれまでに一覧表等に掲載されてこなかったものが十個くらいみつかってます。
きっとこの先もっとみつかるでしょう。





- [160] 
[CITE@ja-JP[小山市史 通史編 1 (自然.原始・古代.中世) 本編]], [[小山市史編さん委員会]], [TIME[1984]], [TIME[2023-12-19T01:59:10.000Z]], [TIME[2023-12-21T09:46:22.860Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9643282/1/443> (要登録)


[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[62] [CITE[[[日本史用語大辞典]]: 用語編 - Google ブックス]],
[TIME[1978][year:1978]],
[TIME[2020-09-02T03:49:10.000Z]] <https://books.google.co.jp/books?id=RX9CAAAAYAAJ&q=%E5%BE%81%E9%9C%B2>
]FIGCAPTION]

>|私、年号」異説太和白白中白朱朱白白朱大朱朱大白大大大大大白保泰和迎建水正
元白庇真弘永元至天福永弥永宝命光大大延自鳳凰元鳳雀鳥雄鳳雀化鳥雀和鳳屯長
和化長龟持平勝云教福久不鹿治貿德宝真大靖德怎勒喜寿禄永道简并自由自治征露 ...
]FIG]



[63] [CITE[読史の趣味 - Google ブックス]]
([TIME[2020-09-09T04:31:39.000Z]])
<https://books.google.co.jp/books?id=yuI8YiwZLMcC&pg=PP245&dq=%E5%BE%81%E9%9C%B2%E5%85%83%E5%B9%B4>


[87] [CITE[同和はこわい考通信 No.34 - 藤田敬一]]
([TIME[2019-02-20T07:39:56.000Z]], [TIME[2021-05-06T02:15:46.020Z]])
<http://kowaikou.main.jp/34.htm>

[139] [CITE[[抜書き]『日本史への挑戦 「関東学」の創造をめざして』]]
([TIME[2016-07-15T02:03:03.000Z]], [TIME[2021-05-06T02:17:30.218Z]])
<http://www.kkjin.co.jp/boso010_130317.htm>

[141] [CITE@ja[国立歴史民俗博物館学術情報リポジトリ]], [[NetCommons]], [TIME[2021-12-22T05:55:14.000Z]] <https://rekihaku.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=2429&item_no=1&page_id=13&block_id=41>

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[147] 
[CITE@en[大阪経済大学 日本経済史研究所 『経済史文献解題』データベース:解題情報]]
([TIME[2021-12-28 23:45:48 +09:00]])
<https://bkaidai.osaka-ue.ac.jp/search/detail?no=2544&modelKey=%7B%22pn%22%3A128,%22nod%22%3A20,%22ood%22%3A0,%22oodt%22%3A1,%22ip%22%3Atrue,%22mti%22%3A0,%22pyf%22%3Anull,%22pyt%22%3Anull,%22k%22%3Anull,%22t%22%3Anull,%22tmt%22%3A0,%22jt%22%3Anull,%22jtmt%22%3A0,%22a%22%3Anull,%22amt%22%3A0,%22p%22%3Anull,%22pmt%22%3A0,%22l%22%3Anull,%22c%22%3A%222-3%22,%22ct%22%3A0,%22ck%22%3Anull,%22ckmt%22%3A0,%22agonc%22%3A%5B%5D,%22aronc%22%3A%5B%5D,%22fonc%22%3A%5B%5D,%22yef%22%3Anull,%22yet%22%3Anull,%22isb%22%3Anull,%22iss%22%3Anull,%22pdt%22%3A0,%22idt%22%3A0%7D>
]FIGCAPTION]

> 論題 (Title)
> 戦国期の私年号について—「福徳」「弥勒」「命禄」を中心として—
> 編著者 (Author)
> 渡部 恵美子
> 解題・目次 (Contents)
> はじめに、戦国期の私年号、「日国覚書」と「勝山記」における私年号「福徳」の記述、私年号の使用期間、私年号の使用意識、おわりに。

]FIG]

[145] 
渡部恵美子  戦国大名と私年号
信大史学 22


[151] 
<https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/4424952>

>卒業論文・報告 十五・六世紀における私年号の考察--「永喜」を中心として=Graduation Theses and Reports A Study of "Shinengo" (Unofficial Name of an Era) in the 15th and the 16th Centuries / 山崎真佐恵/p154~177





[161] [CITE@ja[ADEAC(アデアック):デジタルアーカイブシステム]]
([TIME[2022-03-22T10:01:05.000Z]])
<https://trc-adeac.trc.co.jp/WJ11E0/WJJS06U/1320715100/1320715100400030/ht072480>

[183] 
[CITE[タテ05_水上氏.indd - 0529-6803_61_55-82.pdf]], [TIME[2023-01-24T14:35:12.000Z]], [TIME[2023-01-24T14:36:10.188Z]] 
<https://chuo-u.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=12948&item_no=1&attribute_id=22&file_no=1>




[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[240] [CITE@ja[[[石井良助]]『天皇 天皇の生成および不親政の伝統』における〝私年号〟 - 「魏志倭人伝」への旅 ブログ版]], [[hyenanopapa]], [TIME[2021-10-02T03:06:31.000Z]], [TIME[2021-10-02T03:10:49.149Z]] <https://hyenanopapa.blog.fc2.com/blog-entry-1862.html>
]FIGCAPTION]

>石井良助『天皇 天皇の生成および不親政の伝統』p217

>たとえば、甲斐、常陸、陸奥、相模、下総などで行なわれた福徳(元年が延徳二年に当たる)、薩摩地方で行なわれた福伝(元年が延徳二年に当たる)、甲斐、常陸、会津地方で行なわれた弥勒(元年が永正二年に当たる)、甲斐に行なわれた宝寿(元年が天文二年に当たる)のごときこれである。改元を奉じないで古い年号を用いた例もある。たとえば、文明三年を享徳二〇年と記したごときこれである(享徳と文明のあいだには、康正、長禄、寛正、文正、応仁がある)。
]FIG]






[535] [CITE@ja-JP[日本社会事彙 下巻]], [[経済雑誌社]], [TIME[明治35][1902]], [TIME[2022-12-21T08:14:19.000Z]], [TIME[2022-12-25T02:27:25.361Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1805636/1/576>


[241] 
[CITE@ja-JP[日本社会事彙 下]], [[経済雑誌社]], [TIME[明23,24][1891]], [TIME[2023-11-28T02:04:43.000Z]], [TIME[2023-11-30T11:57:34.585Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/898057/1/639>

[242] [CITE[國學院図書館 Digital Library]], [TIME[2022-02-21T08:22:12.000Z]], [TIME[2024-01-05T14:37:24.491Z]] <https://opac.kokugakuin.ac.jp/digital/diglib/yoshidakemonjyo-04/etc/kaisetsu.html>

>
,44,覚書,,私年号等の覚



[304] [CITE[香取文書の売券から見える中世の東国]]
([TIME[2018-07-09 10:59:50 +09:00]])
<https://www.yokoreki.com/wp-content/uploads/2018/07/%E9%A6%99%E5%8F%96%E6%96%87%E6%9B%B8%E3%81%AE%E5%A3%B2%E5%88%B8%E3%81%8B%E3%82%89%E8%A6%8B%E3%81%88%E3%82%8B%E4%B8%AD%E4%B8%96%E3%81%AE%E6%9D%B1%E5%9B%BD.pdf>



[570] 
[TIME[2024-10-29T07:26:20.200Z]]
<https://rissho.repo.nii.ac.jp/record/1018/files/KJ00000189213.pdf>
#page=7


[903] 
[CITE@ja-JP[酒井家文庫綜合目録]], [[小浜市立図書館]], [TIME[1987.1][1987]], [TIME[2025-07-02T03:11:48.000Z]], [TIME[2025-07-23T07:36:23.979Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12404471/1/69?keyword=%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7> (要登録)

[911] 
[CITE@ja-JP[日本史の森 : ある歴史教育論の試み]], [[黒羽清隆]], [TIME[1976]], [TIME[2025-09-30T02:09:54.000Z]], [TIME[2025-10-16T12:19:18.218Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12160995/1/52> (要登録)


-[912] 
[CITE@ja-JP[雑学日本史こぼれ話]], [[太田公, 読売新聞日曜版編集部]], [TIME[1987.2][1987]], [TIME[2025-09-30T02:09:54.000Z]], [TIME[2025-10-16T12:24:57.750Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12208246/1/60> (要登録)
-
[913] 
[CITE@ja-JP[おどろき日本史249の雑学]], [[太田公, 読売新聞日曜版編集部]], [TIME[1992.1][1992]], [TIME[2025-09-30T02:09:54.000Z]], [TIME[2025-10-16T12:37:37.683Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/13207825/1/66> (要登録)

[261] [CITE@ja[Xユーザーの幣束さん: 「何年か前に石仏の側面確認したら全く知らん年号出てきて検索しても無いし?????ってなったんだがアレも私年号だったのだろうな多分」 / X]], [TIME[午前11:42 · 2023年11月6日][2023-11-06T02:42:16.000Z]], [TIME[2023-11-07T07:33:34.000Z]] <https://twitter.com/goshuinchou/status/1721357299237929184>


[946] [CITE@ja-JP[中世史用語事典]], [[佐藤和彦]], [TIME[1991.9][1991]], [TIME[2026-01-20T01:30:11.000Z]], [TIME[2026-02-12T15:01:14.374Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/13324376/1/86?keyword=%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7> (要登録)

[948] 
[CITE@ja-JP[世界原色百科事典 第1]], [[小学館]], [TIME[1967]], [TIME[2026-01-20T01:30:11.000Z]], [TIME[2026-02-12T15:05:19.721Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/2999116/1/158?keyword=%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7> (要登録)

[949] 
[CITE@ja-JP[新編日本史辞典]], [[京大日本史辞典編纂会]], [TIME[1990.6][1990]], [TIME[2026-01-20T01:30:11.000Z]], [TIME[2026-02-12T15:06:08.148Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/13210764/1/164?keyword=%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7> (要登録)


[950] 
[CITE@ja-JP[旺文社百科事典エポカ 2]], [[旺文社]], [TIME[1983.10.][1983-10]], [TIME[2026-01-20T01:30:11.000Z]], [TIME[2026-02-12T15:07:21.893Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12405158/1/66?keyword=%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7> (要登録)


[955] [CITE@ja-JP[【私年号はもう一つの歴史—人はなぜ勝手に年を名付けたくなるのか】私年号は“もう一つの歴史”—人はなぜ勝手に年を名付けたくなるのか|とまとの気分次第研究所]], [TIME[2026-02-21T10:39:33.000Z]] <https://note.com/lyco_pene/n/n6e044d776079>


[956] 
>>955 [[AI]] で生成された低品質記事


@@
[959] 
[CITE@ja-JP[大和文化研究 3(3/4)]], [[大和文化研究会]], [TIME[1955-08]], [TIME[2026-03-18T03:11:57.000Z]], [TIME[2026-04-03T08:57:54.559Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/4418779/1/64> (要登録)



- [408] [CITE@ja[[[ムー]] 2019年7月号 (発売日2019年06月08日) | 雑誌/電子書籍/定期購読の予約はFujisan]], [TIME[2024-01-16T11:25:04.000Z]] <https://www.fujisan.co.jp/product/2614/b/1835968/>
-- [409] [CITE[改元と怪人「油取り」事件]]
--- [410] >>408 で先頭2頁 (1見開き) だけ閲覧可能

[658] 
[CITE@ja-JP[刀剣刀装鑑定辞典]], [[清水孝教]], [TIME[昭11][1936]], [TIME[2024-05-28T02:01:58.000Z]], [TIME[2024-06-21T12:58:44.712Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1222005/1/270> (要登録)

[657] 
[CITE@ja-JP[刀剣史料 (46)]], [[南人社]], [TIME[1962-10]], [TIME[2024-05-28T02:01:58.000Z]], [TIME[2024-06-21T12:09:15.688Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/8099939/1/8> (要登録)


