[2] 
[DFN[嘉隆]]は、
[[日本の異年号]]の1つです。

* 用例

[22] 
1例のみ知られています。

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [4] 
[DATA(.label)[[CITE[鞍馬破り]]]]
-- [5] 
「[V[[SNIP[]]扨夫よりも常盤の前。御坂を下らせ玉へ。はら[BR[]]へ川の邊にて墨摺流し。自筆を取給へ。[DATA(.text)[嘉隆︀二年[SUP(smaller inline)[丙]][SUB(smaller inline)[午]]二[BR[]]月廿五日]]。常盤廿八歲にて。鞍馬を破り參詣す。今より[BR[]]女人參られよと。竹札に書記し。四ツ塚櫻の御所へ歸[BR[]]らるゝ。[SNIP[]]]]」
([[明朝体]])
[SRC[>>3 ([CITE[御国浄瑠璃本]])]]
--- [17] 
「[V[嘉隆︀二年二月二十五日、常盤年二十八歳にて]]」 ([[明朝体]])
[SRC[>>18 (>>3), >>16 (>>3)]]
--- [11] 
「[V[嘉隆二年丙午二月二十五日常盤二十八歳にて[SNIP[]]]]」 ([[明朝体]])
[SRC[>>1]]
--- [13] 
「[V[嘉隆二年[SUP(smaller inline)[丙]][SUB(smaller inline)[午]]二月廿五日常盤廿八才にて[SNIP[]]]]」
([[明朝体]])
[SRC[>>12 (お国浄瑠璃)]]
--- [15] 
「[V[嘉隆二年[SUP(smaller inline)[丙]][BR[]][SUB(smaller inline)[午]]二月廿五日、常盤廿八歳にて[SNIP[]]]]」
([[明朝体]])
[SRC[>>14 (>>3)]]
- [7] 
[DATA(.label)[[[国文学研究資料館]]本[CITE[常盤鞍馬破]] 写本]]
-- [8] [[庵逧巌]] 旧蔵 [SRC[>>6]]
-- [9] 
「[V[[SNIP[]]嘉󠄄應二[SUP(smaller inline)[庚寅󠄂]][ASIS[年][swc806]]三月三日[SNIP[]]]]」
([[手書き]])
[SRC[>>6]]

]ITEMS]

[19] 
[CITE[仙台叢書]]本の[[原本]]は[[日本国]][[宮城県]][[宮城郡]][[国分大倉村]]
[[白木長吉郎]] 所蔵といわれています [SRC[>>18, >>16]]
が、その根拠と思われる
[CITE[仙台叢書]]
の[CSECTION[[V[御國浄瑠璃本總解題]]]]には次のようにあります。
[SRC[>>3]]

>
[VRL[
[SNIP[]]又其[BR[]]原本は。文化四年宮城郡國分大倉村。白木長吉郎とい[BR[]]へる者が。昔の和樣流の筆跡なれは。不明の部分少か[BR[]]らさるを。百万考察して書きまとめたれは。宜しく之[BR[]]が諒察を賜へ。[SNIP[]]
]VRL]

[REFS[

- [6] 
[CITE@ja[国書データベース]], [TIME[2026-09-05T05:06:31.000Z]] <https://kokusho.nijl.ac.jp/biblio/200032509/19?ln=ja>
- [3] 
[CITE@ja-JP[[[仙台叢書]] '''['''第18巻''']''']], [[仙台叢書刊行会]], [TIME[昭和4][1929]], [TIME[2026-08-18T01:13:52.000Z]], [TIME[2026-09-05T04:56:39.164Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1190422/1/226?keyword=%E5%98%89%E9%9A%86>
- [18] 
[CITE@ja-JP[古浄瑠璃の新研究 補遺篇]], [[若月保治]], [TIME[昭和15][1940]], [TIME[2026-08-18T01:13:52.000Z]], [TIME[2026-09-05T05:31:39.360Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1219581/1/458?keyword=%E5%98%89%E9%9A%86>
-- [16] 
[CITE@ja-JP[古浄瑠璃の研究 第4巻 土佐節・仙臺節篇]], [[若月保治]], [TIME[昭和19][1944]], [TIME[2026-08-18T01:13:52.000Z]], [TIME[2026-09-05T05:30:06.213Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1125569/1/320?keyword=%E5%98%89%E9%9A%86>
- [12] 
[CITE@ja-JP[語文 35]], [[大阪大学国語国文学会]], [TIME[1979-04]], [TIME[2026-08-18T01:13:52.000Z]], [TIME[2026-09-05T05:24:20.707Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/6063540/1/34?keyword=%E5%98%89%E9%9A%86> (要登録)
- [14] 
[CITE@ja-JP[シリーズ女性と仏教 4 (巫と女神)]], [[大隅和雄, 西口順子]], [TIME[1989.6][1989]], [TIME[2026-08-18T01:13:52.000Z]], [TIME[2026-09-05T05:26:42.996Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/13330930/1/106?keyword=%E5%98%89%E9%9A%86> (要登録)

]REFS]

* 諸説

[23] 
[[嘉隆︀]]は[[越南の元号]]にありますが、文脈からみて全くの別の[[元号]]と考えられます。

-*-*-

[24] 
[[日本]]の[[嘉隆︀]]は1例のみ知られています。[[浄瑠璃]]作品
[CITE[鞍馬破り]]
の終盤で[[常盤]]が書いたとされる立札の日付が嘉隆︀2年丙午とされます。

[25] 
本作は史実の[[源義経]]とその[[母]]である[[常盤]]を題材としたもので、
舞台の[[鞍馬寺]]もその所縁の地でありますが、
確実な史料で史実と確認できる出来事ではありません。

[26] 
本作とほぼ同内容の異本と思われるものがありますが、
そちらでは嘉応2年庚寅となっています (>>7)。
嘉隆︀本と嘉応本の関係は不明です。

[27] 
本作はよく知られた[CITE[常盤問答]]の一系統とされます。
[CITE[常盤問答]]
には非常に多くの相違点を持つ諸本が知られておりますが、
それら諸本の大部分は立札云々に相当する部分を欠いているようです。

-*-*-

[28] 
[[常盤御前]]の生年は、
確実な史料がないものの、
[CITE[平治物語]]
の記述から[TIME[保延4(1138)年][1138]]とされています。

[29] 
これに基づくと、[[常盤]]の28歳は[TIME[永万元(1165)年乙酉][1165]]となります。

[30] 
また、文中で[[牛若]]が7歳とありますが、
[[源義経]]の生年が[TIME[平治元(1159)年][1159]]なら、
ちょうど永万元年に7歳となります。

[31] 
従って、本作の原伝承が本来想定していた時期は[TIME[永万元(1165)年乙酉][1165]]だった可能性が高いものの、
嘉隆︀2年丙午、
嘉応2年庚寅のどちらとも[[干支年]]が一致しません。

[32] 
[TIME[嘉応2(1170)年庚寅][1170]]とすると、
[[牛若]]は12歳、
[[常盤]]は33歳となり、
本作の[[年齢]]とは相違します。

[33] 
この付近の[[丙午年]]は[TIME[西暦1126年][1126]]と[TIME[西暦1186年][1186]]です。

[34] 
[TIME[文治2(1186)年丙午][1186]]は、
[[牛若]] = [[源義経]]は28歳、
[[常盤]]は49歳となります。

[35] 
[TIME[文治2(1186)年][1186]]は本作の時期としてまったく成立しませんが、
この年に[[常盤]]は[[源頼朝]]方に捕縛され、それが信頼できる最後の史料となっており、
このことと丙午年とされたことがまったく無縁でも無いかも知れません。

[37] 
一応理由の付けられる丙午年が原形で嘉應は「嘉○」
で時代が概ね合う[[公年号]]に校訂した結果とも捉えられますし、
時代が概ね合う[[嘉応]]が原形で[[嘉隆]]に転じたとも捉えられ、
どちらが原形だったのか (あるいは他の原形があったのか)
は現段階では判断が付きません。


[36] 
2月25日は、本作にも登場する[[北野天満宮]]の縁日すなわち[[菅原道真]]の命日です。
3月3日は[[上巳節]]であり、女性の[[鞍馬]]参詣権という本作の主題とも関連付け得ます。
こうした背景がこれらの日付の伝承に関与した可能性はありますが、
確証はありませんし、どちらが原形かも明らかではありません。

[38] 
[[嘉隆]]という[[私年号]]が当時実在したというべき根拠は他にありませんし、
伝承・作品の何らかの必要から作られたと考えるべき事情も見当たりません。
意図的に作られた[[元号]]という考え方を完全に否定できる根拠は無いものの、
現状ではその可能性は高くないと評するのが妥当でしょう。


* 研究史

[20] 
[TIME[昭和15(1940)年][1940]]の書籍は、
>>17
を紹介して、
「[V[嘉[RUBY[隆︀二][マ  ヽ  ]]年]]」 ([[明朝体]])
と注釈しています。
[SRC[>>18, >>16]]

[10] 
[TIME[昭和42(1967)年][1967]]の書籍は、
>>11
を紹介して、
[CITE[鞍馬破り]]
の「[V[私の見た]]」「[V[原作]]」
は誤字・欠字・当字・方言が入り混じり、
歴史的・仏説的にも出鱈目が多いとして、
その例として[[嘉隆]]などという[[年号]]は存在しない、
としています。
[SRC[>>1]]

[REFS[

-
[1] [CITE@ja-JP[舞踊台本集]], [[西崎正]], [TIME[1967]], [TIME[2026-01-20T01:30:11.000Z]], [TIME[2026-02-06T15:22:36.678Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1362981/1/53?keyword=%E5%98%89%E9%9A%86> (要登録)

]REFS]

[21] 
[[令和時代]]に至るまで、[[私年号研究]]の文脈で紹介された事例は知られていません。

* 関連

[SEE[ [[日本前近代文芸の日時]] ]]

* メモ