[25] 
[[高麗]]では[[建国紀元]]や類するものが使われました。

* 天授 (高麗)

[35] 
[DFN[天授]]
([TIME[y~281]])
は、[[高麗の元号]]の1つです。

[36] 
[[高麗]]を建国した初代[[王]]の[[太祖]]の唯一の[[元号]]で、
[[即位]]時に[[改元]]したとされます。
したがって[[太祖]]の[[即位紀年]]や[[高麗]]の[[建国紀元]]と同年数になります。

[37] 
[[金石文]]用例がなく、どれだけ使われたかは疑問が持たれています。
前後関係や同時期の他の[[紀年法]]は[[朝鮮半島の紀年法]]を参照。

[42] 
[[元号名]]は天から国権を授かったという意味とされます。
[SRC[>>1555 (王光錫1991、丁善溶2012)]]

[43] 
[[泰封]]や[[新羅]]への反乱の正当化の意図があったとされます。
[SRC[>>1555 (丁善溶2012、李敏弘2017)]]

[44] 
[[則天武后]]は当時再評価されており、それを理想化したとみられます。
[SRC[>>1555 (丁善溶2012、李敏弘2017)]]


[REFS[

- [1553] [CITE[[[日本語学]]]]
-- [1554] [CSECTION[[[年号を考える]]]]
--- [1555] [CITE[[[韓国の年号]]]], [[吉本一]], p.[L[83]]

]REFS]

[38] 独自の[[元号]]はしばらく途絶えました。次の独自[[元号]]は[[光徳]]。


* 太祖即位紀年

[39] 
[[高麗]]の[[太祖]]の[[即位紀年]] ([TIME[y~4045]]) は、
[[太祖]]の[[高麗]]王[[即位]]すなわち[[高麗]]の建国を[[元年]]とする[[即位紀年]]です。

[40] 
[[朝鮮半島の即位紀年]]は[[元年]]の決め方が2通りありますが
([SEE[ [[朝鮮半島の紀年法]] ]])、
初代ということで[[太祖]]の[[即位紀年]]はみなこの数え方を採用しています。

[41] 
[[太祖]]は[[即位]]時に[[天授]]と[[改元]]したので、[[年数]]は同じになります。

* 啓統紀元

[9] 
[DFN[啓統紀元]]
([TIME[y~4097]])
は、
[[高麗]]の[[建国]]を[[元期]]とする[[紀年法]]です。

[10] 
[[元号名][元号名スロット]]は[DFN[距本朝啓統戊寅]]です。
[[戊寅]]は[[高麗]]の初代王の建国年である[TIME[西暦918年戊寅][918]]を[[指し][干支年]]ます。

[ITEMS[ [[日時事例]]

-
[2] 
[CITE(.label)[崔㫛墓誌]] [SRC[>>8]]
--
[4] 
「[DATA(.text)[[V[[SNIP[]]巳丑秋八月[SNIP[]]十日[ASIS[乙][<https://glyphwiki.org/wiki/u4e59-15-var-001>]]巳[SNIP[]]二十四日己未[SNIP[]]]]]]」
([[楷書]])
[SRC[>>1, >>15 (白黒写真)]]
--
[3] 
「[DATA(.text)[[V[距  夲朝啓統戊寅 三百十二歳巳丑八月 日書]]]]」 ([[楷書]])
[SRC[>>1, >>15 (白黒写真)]]
---
[5] 皇紀1889年8月 [SRC[>>14, >>1]]
---
[6] 
[TIME[西曆1229年己丑][1229]]8月
---
[7] 
[[元年]]は[TIME[高麗太祖1(918)年戊寅][918]] ([TIME[y~4045]])



]ITEMS]

[16] 
「夲朝啓統戊寅」の前後には微妙な[[空白]]がありますが、
[[闕字]]とは思われず、[[単語]]区切りでしょうか。

[17] 
[[元号名]]部分は「「夲朝啓統戊寅」年から数えて」ということで、
説明的に書いているだけで、[[紀年法として十分に定着][紀年法の成熟]]したものではなかったと思えます。



[12] 
[[明治時代]]の[[日本]]の[[朝鮮史]]研究者[[今西竜]]は、
[[金]]や[[宋]]が衰退してから、
[[元]]の[[属国]]となるまでの約40年間に[[高麗]]で使われた[[紀年法]]と考え、
[DFN[啓統紀元]]と呼びました。
[SRC[>>11]]

[18] ただこの名称は[[今西竜]]ばかりが使っていたもののようで、
他の研究者は特別な名称なしに紹介しています。
1例だけなのであまり呼ぶ必要もないためでしょうか。


[23] 
この[[紀年法]]の用例は、これ1例だけです。
[SRC[>>7863]]

[24] 
もっと見出されるはず [SRC[>>7863]] との予想もあります。

[34] 年数としては[[天授]]と同じです。

[13] 関連: [[開国紀元]]

[REFS[


-
[14] 
[CITE@ja-JP[[[考古界]] 7(2)]], [[考古学会, 集成堂]], [TIME[1908-05]], [TIME[2023-04-25T10:11:41.000Z]], [TIME[2023-05-07T06:39:03.436Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/11185706/1/28> (要登録)
- [11] [CITE[[[[V[朝󠄃鮮半󠄃島國の年號[SUP(quarter)[附]]事大主義一斑]]]]]]
-
[1] [CITE@ja-JP[[[朝鮮金石総覧]] 上]], [[朝鮮総督府]], [TIME[大正8-12][1923]], [TIME[2023-04-25T10:11:41.000Z]], [TIME[2023-05-07T06:04:19.532Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/946079/1/270>
- [74] [CITE[[[朝鮮の年号と紀年]]]]
-- [7863] [CITE@ja[[[朝鮮の年号と紀年]](下)]],
[[藤田亮策]],
[TIME[1958-12]],
[TIME[2019-04-06 21:05:54 +09:00]]
<https://toyo-bunko.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=4756&item_no=1&page_id=25&block_id=47>
#page=25
-
[15] [CITE@ja-JP[[[Museum]] (536)]], [[東京国立博物館]], [TIME[1995-11]], [TIME[2023-04-25T10:11:41.000Z]], [TIME[2023-05-07T06:44:40.276Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/4429925/1/17> (要登録)
-
[8] 
[CITE@ja[ColBase]], [TIME[2023-03-16T06:17:27.000Z]], [TIME[2023-05-07T06:15:24.448Z]] <https://colbase.nich.go.jp/collection_items/tnm/TJ-713?locale=ja>


]REFS]

- [19] [CITE@ja-JP[史林 = The Journal of history 7(3)(27)]], [[史学研究会]], [TIME[1922-07-01]], [TIME[2023-04-25T10:11:41.000Z]], [TIME[2023-05-15T10:30:24.583Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/11005195/1/56> (要登録)
- [22] 
[CITE[[[雜攷]] 第六輯下卷]], [[鮎貝房之進]], [TIME[2023-05-19T07:46:50.000Z]], [TIME[2023-05-20T02:17:53.845Z]] <https://geocol.github.io/zakkou/book-6b.html#193>


[51] >>19 >>22 >>7863 は「距 」を日付の一部とみなしていない模様。


* 天授紀元后

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [45] 
[CITE(.label)[郎中公祭壇碑文]]
--
[47] 
「[SNIP[]]三十二世孫 領議政敦仁 皆嘗以道伯 遣幕裨 驗問無徵 [DATA(.text)[天授紀元后一千一十六年甲戌]] 遭離餘生 慕先追本禮議峻發 [SNIP[]]」
[SRC[>>1868]]
--- [46] [TIME[西曆1934年甲戌][1934]] [SRC[>>1868]]
--
[48] 
「[DATA(.text)[己亥五月下旬 三十五世孫 嘉善大夫 前行江原道觀察使 原任奎章閣待制 益相 謹撰]]」
[SRC[>>1868]]
--- [49] [TIME[西暦1899年己亥][1899]] [SRC[>>1868]]

]ITEMS]

[50] 
[DFN[天授紀元后]]は、
[[元年]]が[TIME[西曆918年戊寅][918]] (高麗天授元年)、
1年が[TIME[西曆919年己卯][919]]。

[17] 
[[韓国語]]訳文では
「고려기원(高麗紀元) 1016년 갑술년(1934)」
となっています。
[SRC[>>1868]]


[REFS[

- [1868] 
[CITE@ko[안동권씨 시조~ 22세까지 편집]], 
[TIME[2023-06-11T07:54:35.000Z]] <https://khm2767.tistory.com/11299761>

]REFS]

-*-*-

[78] 
20世紀の[[偽書]]
[CITE[桓檀古記]]
に、
[[高麗]]時代後期の年を[DFN[天授紀元]]439年と書いた例があります。
[[元号]]の[[天授]]と同じ数え方です。
[SEE[ [[[CITE[桓檀古記]]の日時]] ]]


* 高麗紀元


[57] [CITE[시군지순례 23-2.(연천군 : 숭의전 제향) ]], 
[[김윤만]],
2002-07-03 (수) 07:29,
[TIME[2023-06-11T09:00:43.000Z]] <http://andongkimc.kr/php7/board.php?board=ankim79&page=6&sort=rand()&command=body&no=2241>

>▣ 대제분정기(大祭分定記) 및 배치. pp779~781. 
>1. 분정기 
>[SNIP[]]
>--1998년 10월 22일에 행해진 숭의전 대제의 분정기를 살펴보면 다음과 같다. 
>[SNIP[]]
>
고려기원일천팔십일년무인구월초삼일(高麗紀元壹千八十一年戊寅九月初三日) 
[SNIP[]]


>▣ 진설(陳設). 축문(祝文). 망기(望記). pp783. 
>[SNIP[]]
>
高麗紀元壹千八十一年歲次 戊寅九月庚子朔初三日壬寅
>
(고려기원일천팔십일년세차 무인구월경자삭초삼일임인) 
>[SNIP[]]
>高麗紀元壹千(고려기원일천)         十年月日(십년월일) 


[58] 
1081年が[TIME[西曆1998年戊寅][1998]]だと[[元年]]は[TIME[西暦918年][918]]。
[[天授]]と同じ数え方。

[59] [TIME[1998-10-22]]は[[旧暦][大韓民国の旧暦]]だと西紀1998年9月3日壬寅。
9月1日は庚子。


[60] 
3つ目の日付は意味不明ですが、原形は
「高麗紀元壹千[  ]十[  ]年[  ]__&&[&&__  ]月[  ]日[  ]」
と空欄に記入せよという様式なのかもしれません。

[61] 
[[ウェブ]]検索では類例は他に見つけられませんが、
これは書籍から引用されたある年の[[祭文]]ということですので、
例年の祭祀でいつもこのようなものが (おそらく昔から) 使われてきたということなのでしょう。
いつまで遡るものなのか、
[[李氏朝鮮]]時代も[[高麗]]紀元が使われていたのかは気になる所です。


[62] [CITE[suanlee > 공지사항 > 發 刊 辭 (遂安李氏家門史傳記文集)]], [TIME[2023-06-11T08:13:11.000Z]], [TIME[2023-06-11T09:16:45.857Z]] <http://www.suanlee.org/bbs/board.php?bo_table=a_4_1&wr_id=218&sfl=&stx=&sst=wr_hit&sod=asc&sop=and&page=10>

>
小生이 그간에 엣 文獻을 찾아 볼때 마다 글 쓰신 분들이 글 말미에 글 쓴 때의 表示를 干支 만을 記錄한 경우가 많아서 干支는 60年 마다
>
같은 週期가되어서 數 百年 後 에는 正確한 年代를 알 수가 없는 경우를 많이 經驗해 온 것을 勘案하여, 군 티 같은 생각도 되 오나 이 稿에서는 現時代를 여럿 年號를 表示 하고 저 합니다.
>
檀君 紀元4345年(創建,BC2333年), 高句麗 紀元2049年(創建BC37年), 高麗 紀元1095年(創建西紀917年), 朝鮮 紀元621年(創建西紀1392 年~1910年, 519年間),
>
{倭政:日帝强占期36年;西紀1910年~“日帝年號 明治43年~[WEAK[(明治45年,大 正1年重複임)~(大正15年,昭和1年重複임)]].~昭和20年”-西紀1945年8月15日, 大韓民國 解放, 光復}.
>
大韓民國 建國65年(建國日:戊子西紀1948年8月15日).
>
壬辰 西紀2012年9月 日
>
遂安李氏大同譜編纂委員會 委員長
>
大宗會 顧問 (第6,7代 會長)
>
(39世 成川派) 號 素巖 根太 謹撰

[63] 
>>62 [[干支年]]しか書かれていない文獻が多くて苦労したので諸紀年で書いておく、と言っています。

[64] [[檀君紀元]] [TIME[y~913]],
[[高句麗]]初代王即位から ([TIME[y~3941]] 相当),
[[高麗紀元]] ([[天授]]と同じ数え方),
[[李氏朝鮮]]初代王即位から ([TIME[y~4062]] 相当),
[[大韓民国]]の[[建国紀元]] (西暦1948年が元年)。



[18] 
[CITE@ko[고려기원 1106년 숭의전 춘계대제 봉행 - 경인매일 - 세력에 타협하지 않는 신문]], 
[[이흥 기자]],
2023.04.03 14:47,
[TIME[2023-06-11T08:04:13.000Z]] <https://www.kmaeil.com/news/articleView.html?idxno=392857>


[19] こちらの[[고려기원]] ([[高麗紀元]]) は[[天授]]と同じ数え方。
ただしイベント名なので、[[年の表示]]といえるか微妙なライン。

[22] 
1106年は複数の[[大韓民国]]ニュースサイトに記事がありますが、
それ以前はまったく見つからないのが不思議です。
ここ数年は[[コロナ禍]]だとしても、
1100年がないのは不思議。最近創案された行事なのでしょうか。

-*-*-


[20] [CITE[어쩌다 한왕? 12권 - 유호 - [[Google ブックス]]]], 
[TIME[2022-04-11]],
[TIME[2023-06-11T08:06:50.000Z]] <https://books.google.co.jp/books?id=NUixEAAAQBAJ&pg=PT186&lpg=PT186>

>그렇게 바쁘게 여름을 보내고 서기 1120년이자, 고려 기원 건원 202년, 김건우가 고려에 떨어진 지 만 11년을 꽉 채운 가을을 맞이했다. 모처럼 일찍 퇴근한 저녁시간 ...

[21] 
高麗紀元建国202年が[TIME[西暦1120年][1120]]。 [[天授紀元后]]と同じ数え方。

-*-*-


[ITEMS[ [[日時事例]]

- [53] 
[CITE(.label)[盤谷齋上樑文]]
「[DATA(.text)[高麗紀元一千四十九年丁亥暮春月上澣穀雨節 苞山 郭守斌 謹撰]]」
[SRC[>>52]]
--
[54] 
[[朝鮮語]]:
「[DATA(.text)[고려 기원 1049년 정해 3월 상순 곡우절(穀雨節)에 포산(苞山) 곽수빈(郭守斌)은 삼가 짓는다.]]」
[SRC[>>52]]
-- [55] 暮春月: 3月

]ITEMS]

[81] 
同じ[DFN[高麗紀元]]でも別の数え方 ([TIME[y~4156]])。

[56] 
[TIME[西曆1947年丁亥][1947]]とすると[[元年]]は[TIME[西曆899年己未][899]]。
[TIME[西暦899年][899]]は[[弓裔]]の挙兵の年に当たります。



[REFS[

-
[52] [CITE@ko[반곡재 상량문'''['''盤谷齋上樑文''']''' : 네이버 블로그]], [TIME[2023-06-11T08:50:33.000Z]] <https://m.blog.naver.com/ldh5303/221211385561>
]REFS]


-*-*-

[ITEMS[ [[日時事例]]

-
[1877] 
[CITE(.label)[亞祖高麗郎中公移壇碑銘幷序]]
「[DATA(.text)[權紀一千八十年己丑仲秋 三十四世孫 奇甲 謹識]]」
[SRC[>>1868]]
--
[1878] [TIME[西暦2009年][2009]] [SRC[>>1868]]
-- [80] 
[[仲秋]]: 8月

]ITEMS]


[65] 
逆算すると[TIME[西曆930年庚寅][930]]が[[元年]]。

[66] 
[DFN[權紀]]
([TIME[y~4157]])
がどういう[[紀年法]]なのかよくわかりませんが、
[[天授]] ([TIME[y~281]]) とちょうど12年差なので、
[[高麗]]と何らかの関係があるのでしょう。

[69] 
[[Google検索]]で発見できる[[權紀]]のほとんどは[[檀紀]]の[[OCR誤認識]]です。

- [67] [CITE[한국과학기술의맥(22)-세계 제 2위 과시한 역법.pdf]], [TIME[2023-06-11T09:41:22.000Z]] <https://koreascience.kr/article/JAKO198860537795052.pdf>
- [68] [TIME[2023-06-11T09:41:39.800Z]]
<http://m.luris.go.kr/web/FileDownload.do;jsessionid=T1qGyQkHJZKWo42NFObdeLGkpoauLeMD1C1gcSE8U7WxrchmJMMqonnSUNPD3jPi.NEW_WAS_servlet_engine1?isGosi=Y&file=%2F2019%2F12%2F31%2F100000%2F100155%2F%B3%BB%B9%AB%BA%CE%B0%ED%BD%C3%C1%A61953-154%C8%A3.pdf>
- [70] [CITE[1955-19.pdf]], [TIME[2011-07-04T07:49:47.000Z]], [TIME[2023-06-11T09:42:21.191Z]] <http://event.seoul.go.kr/snews/data/CN_MST/1955-19.pdf>
- [71] 
[TIME[2023-06-11T09:43:38.400Z]]
<https://www.gn.go.kr/www/downloadStatsAnlrpt.do?cmmnAtchmnflNo=13086&statsAnlrptNo=1105>
- [72] 
[TIME[2023-06-11T09:43:53.500Z]]
<https://theme.archives.go.kr/next/common/ebookPdf.do?archiveEventId=0027977436>
- [73] 
[CITE[643-1422_1.pdf]], [TIME[2002-06-26T07:34:42.000Z]], [TIME[2023-06-11T09:44:21.538Z]] <https://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~koreandb/pdf/643-1422_1.pdf>

[75] こうして列挙すると多いように思われますが、[[檀紀]]の全数は莫大でしょうから、
それに比べるとわずかとも言えます。 (がウェブ上の[[檀紀]]の総数も、
[[Google検索]]で発見できる[[權紀]]の個数も実のところよくわからないです。)

[76] しかし誤記、誤植、誤入力と思われるものはありません。

[77] 
ということで件の權紀1080年は檀紀の誤記とは考えにくいですし、年数が離れすぎていますから、
[[檀君紀元]]とは無関係の可能性が高いです。

* 江都紀年

[31] 
[DFN[江都紀年]]
([DFN[移御江都]],
[DFN[本朝高廟入江都]],
[TIME[y~4126]])
は、
[[高麗]]の[[江華]]遷都に因んだ[[紀年法]]です。
[SRC[>>7863 #page=37]]

[32] 
[TIME[西暦1232年壬辰][1232]]、[[蒙古]]は[[高麗]]に進攻しました。
これをうけて[[高麗]]は[[遷都]]しました。
[[江都紀年]]はこれを[[元年]]とするものです。
[SRC[>>7863 #page=37]]

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [29] 
[CITE(.label)[三国遺事]]
-- [27] 
「[DATA(.text)[[SNIP[]]識之以記移御江都。四年乙未歲也。[SNIP[]]]]」
[SRC[>>26]]
--- [30] [TIME[高麗高宗23(1235)年乙未][1235]] [SRC[>>7863 #page=37]]
-- [28] 
「[DATA(.text)[[SNIP[]]在辛酉至戊辰七八年間也。本朝高庙入江都壬辰年。[SNIP[]]]]」
[SRC[>>26]]
--- [30] [TIME[高麗高宗20(1232)年壬辰][1232]] [SRC[>>7863 #page=37]]

]ITEMS]

[33] 
他にも当時の文集、刊経、願文などに見られます。
[SRC[>>7863 #page=37]]

[REFS[

- [26] [CITE@zh[[[三國遺事]]/卷第三 - 维基文库,自由的图书馆]], [TIME[2023-05-20T04:48:03.000Z]], [TIME[2023-06-03T04:48:13.169Z]] <https://zh.wikisource.org/wiki/%E4%B8%89%E5%9C%8B%E9%81%BA%E4%BA%8B/%E5%8D%B7%E7%AC%AC%E4%B8%89>

]REFS]

[79] 
関連: [[禅源]]

* 関連

[21] 
この時代は[[高麗]]の[[宗主国]]が戦乱荒廃の空白期で、
[[元号]]が停止され主に[[干支年]]が使われた他に、
このような事例も出てきました。
[SEE[ [[朝鮮半島の紀年法]] ]]


* メモ