[21] 
[DFN[品暦]]
([[旧字体]]: [DFN[品曆]], 
[TIME[y~1178]])
は、[[日本の中世私年号]]の1つです。

* 用例

[22] 
用例は現時点で1つだけ知られています。

-*-*-

- [24] [[阿蘇文書]]: 阿蘓家文書186 [CITE[阿蘓社十二町宮佃年中下行米注進状写]]
「[V[品曆元年八月十六日]]」 
([[草書]])
-- [25] 写 「[V[__&&swc83(正)&&__平__&&swc310(卄)&&__五年庚戌五月__&&swc310(卄)&&__[LINES(smaller)[二][二]]日]]」
([[草書]])
--- [32] 
[TIME[日本南朝正平25(北朝応安3年, 西暦1370)年[LINES(smaller)[庚][戌]]5月24日][kyuureki:1370-05-24]]
-- [9] >>23 に[[阿蘇文書]]より該当紀年部分の白黒写真あり。
-- [26] >>5 翻刻 旧字体 >>2 翻刻 旧字体

[28] 
[[史料編纂所]]の[[翻刻]]では、
昭和7年のものは[[元号名]]に[[ママ注]]があり [SRC[>>5]]、
昭和36年のものは時期不明とありました [SRC[>>2]]。

[REFS[
- [5] [CITE@ja-JP[[[大日本古文書]] 家わけ十三ノ一]], [[東京帝国大学文学部史料編纂所]], [TIME[昭和7][1932]], [TIME[2022-12-28T09:26:51.000Z]], [TIME[2022-12-28T12:48:53.387Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1908802/1/203>
- [2] [CITE@ja-JP[[[大日本史料]] 第6編之33]], [[東京大学史料編纂所]], [TIME[昭和36][1961]], [TIME[2022-12-28T09:26:51.000Z]], [TIME[2022-12-28T12:44:24.768Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/3450580/1/110>
]REFS]

* 研究史

[29] 
[[昭和時代]]の初期から[[阿蘇文書]]に存在が知られていましたが、
それがいつを表すのかは不明でした。
[SRC[>>5, >>2]]

-*-*-

[6] 
[[昭和時代]]後期、
日本史研究者[[前川清一]]は、
[[阿蘇文書]]から[[熊本県]]の[[私年号]]の1つとして[[品暦]]を示しました。
[SRC[>>23, >>513 p.31]]

[14] 時期について、

- [12] 
書写日から正平24年8月17日以前の使用例だとしました。
[SRC[>>23]]
-- [13] ここでの17日以前とは16日かそれ以前のこと?
-
[11] 
[[建元]]の時期は正平25年5月23日以前だとしました。
[SRC[>>513 p.31]]
-- [7] 23日としたのは、書写の当日24日を含まず23日かそれ以前という意味なのでしょう。

[16] [[嘉暦]]を誤写した可能性があるとしました。
[SRC[>>513 p.31]]

[17] 「品」が経典で「章」や「編」を意味するので仏教的色彩があるとしました。
そして、

-
[15] [[平安時代]]末期以降に阿蘇家で宗教上記念するべき事柄があって利用した
-
[18] [[南北朝時代]]に両朝に対して阿蘇家の態度を保留するために使用した
-- ただし正平の頃まで南朝方なので説得力を欠く

と2説示しましたが、確定できないとしました。
[SRC[>>23]]

[19] 
初出・刊行年が互い違いになっていて、
誤写説と阿蘇家建元説のどちらが新しい説なのかよくわかりません。


[20] 
なお[[前川清一]]は[RUBYB[[[阿蘇品保夫]]][[TIME[1935]]-]]から[[品暦]]を知ったとのことです。
[SRC[>>23]]
[[阿蘇品保夫]]は[[熊本県]]の高校や博物館で勤務し、
[[熊本]]地方の歴史に関する著作があります。
自身で[[品暦]]に関して何か書いたものは見当たりません。


[REFS[
- [8] [CITE[[[肥後の金石論集.I]]]]
-- [23] [CSECTION[[[熊本県の私年号小考]]]]
- [513] [CITE[[[郷土調査の手引き]]・1 三訂版]]
]REFS]

-*-*-

[30] 
[[昭和時代]]後期、
[[日本史]]研究者の[[西尾嘉美]]は、
[[品曆]]元年は[[くずし字]]字形より[TIME[嘉暦元(1326)年][1326]]の可能性が高いとしつつも、
祭祀組織の発展度から12世紀の可能性もあるとして、
[[公年号]]の[[永暦]], [[元暦]], [[建暦]]を候補に挙げました。
[SRC[>>27]]

[33] 
[[嘉暦]]は[[鎌倉時代]]末期、[[後醍醐天皇]]の[[元号]]の1つです。


[REFS[
- [1] [CITE@ja-JP[[[御影史学論集]] (11)]], [[御影史学研究会]], [TIME[1986-10]], [TIME[2022-12-28T09:26:51.000Z]], [TIME[2022-12-28T12:41:11.252Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/7930542/1/26> (要登録)
-- [27] [CITE[[V[[B[阿蘇神社の御田植祭と阿蘇大宮司家]][BR[]]―十四・五世紀を中心に―]]]],
[[西尾嘉美]]
]REFS]

-*-*-

[31] 
[[千々和到]]の[CITE[[[板碑とその時代]]]]は、[[南北朝時代]]頃としました。
[SEE[ [[日本私年号一覧表]] ]]
[[前川清一]]の説に従ったものと思われます。

[35] なお[[前川清一]]・[[千々和到]]と[[西尾嘉美]]とは互いに[[引用]]していないので、
相手方の説を知らなかったと思われます。


[10] [CITE@ja[[[私年号]] - Wikipedia]], [TIME[2022-12-10T11:22:17.000Z]], [TIME[2022-12-22T12:35:00.472Z]] <https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7>

>
,*私年号 	,*異説 	,*元年相当公年号(西暦) 	,*継続年数 	,*典拠・備考 
,品暦 	,- 	,延元-興国年間(1336年-1346年) 	,不明 	,『阿蘇文書』 

[34] この期間が何に基づくものか不明。

- [321] 
[CITE@ja[「[[私年号]]」の版間の差分 - Wikipedia]], [TIME[2024-07-24T01:25:17.000Z]], [TIME[2024-07-26T14:01:03.449Z]] <https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7&diff=prev&oldid=21472516>
-- [322] 
[CSECTION[2008年8月27日 (水) 17:42時点における版]],
[[可怜]]



-*-*-

[40] 
>>23 の写真を見ると、
[[嘉暦]]の「嘉」が「品」に変化する可能性は確かに感じられるものの、
本用例それ自体は「嘉」だとするのは難しいと思われます。
[[永暦]], [[元暦]], [[建暦]]から変化する可能性は低そうに感じられます。


[36] 
現在まで時期を絞る確定的な情報がないので、

- [37] 12世紀から[TIME[西暦1369年8月16日][kyuureki:1369-08-16]]までの間
- [38] [[公年号]]説 ([[嘉暦]]が有力) と[[私年号]]説がある

としておくのが正確でしょう。

;; [39] [[阿蘇神社]]関係の研究も[[平成時代]]のうちに進展しているでしょうから、
専門の研究者が見直せばもっと絞り込めるかもしれませんが...

* メモ

[3] [CITE@ja-JP[国史大図鑑 第3巻]], [[国史大図鑑編輯所]], [TIME[昭和7至9][1934]], [TIME[2022-12-28T09:26:51.000Z]], [TIME[2022-12-28T12:47:00.523Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1120286/1/71> (要登録)

草書 [[OCR]] は品暦と誤読しているが正しくは嘉暦

[4] [CITE@ja-JP[日本の古文書 上]], [[相田二郎]], [TIME[1949]], [TIME[2022-12-28T09:26:51.000Z]], [TIME[2022-12-28T12:48:08.883Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/3007198/1/467> (要登録)

同 翻刻あり
