[4] 
[TIME[y~828]]

[3] [CITE@ja[[[契丹國志]] - Wikisource]], [TIME[2023-05-17T13:41:38.000Z]], [TIME[2023-05-20T04:41:33.188Z]] <https://zh.wikisource.org/wiki/%E5%A5%91%E4%B8%B9%E5%9C%8B%E5%BF%97?uselang=ja>

>道宗天福皇帝,乙未改元清寧,乙巳改元咸雍,丙午咸雍二年復改國號大遼,乙亥改元壽昌,至庚辰夀昌六年崩,在位四十六年。

[1] [CITE@zh[[[契丹國志]]/卷九 - 维基文库,自由的图书馆]], [TIME[2023-05-06T04:38:55.000Z]], [TIME[2023-05-20T04:40:00.858Z]] <https://zh.wikisource.org/wiki/%E5%A5%91%E4%B8%B9%E5%9C%8B%E5%BF%97/%E5%8D%B7%E4%B9%9D>

[2] >>1
清寧十年の次が咸雍元年、
咸雍三十年の次が壽昌元年。


[15] 
[CITE[続資治通鑑長編]]巻206は[CITE[契丹国志]]同様 [SRC[>>14]]。

[7] [CITE@zh[[[遼史]]/卷22 - 维基文库,自由的图书馆]], [TIME[2023-05-06T04:46:56.000Z]], [TIME[2023-05-20T04:47:08.948Z]] <https://zh.wikisource.org/wiki/%E9%81%BC%E5%8F%B2/%E5%8D%B722>

10年の次

>咸雍元年春正月辛酉朔,文武百僚加上尊號曰聖文神武全功大略廣智聰仁睿孝天佑皇帝。改元,大赦。[SNIP[]]

[8] [CITE@zh[[[遼史]]/卷23 - 维基文库,自由的图书馆]], [TIME[2023-05-06T04:47:39.000Z]], [TIME[2023-05-20T04:47:40.088Z]] <https://zh.wikisource.org/wiki/%E9%81%BC%E5%8F%B2/%E5%8D%B723>

>十年[SNIP[]]冬[SNIP[]]十二月辛巳,改明年為大康,大赦。
>  大康元年[SNIP[]]



[5] [CITE@ja-JP[欧亜紀元合表]], [[張璜 '''['''撰''']''']], [TIME[1968]], [TIME[2023-05-15T11:26:02.000Z]], [TIME[2023-05-20T04:42:35.939Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/3449302/1/203> (要登録)

[6] >>5
[TIME[西暦1065年乙巳][1065]]が[L[咸雍]], 一作[L[咸甯]]の1、
[TIME[西暦1074年甲寅][1074]]が10。


[11] [CITE@ja-JP[国史研究年表]], [[黒板勝美]], [TIME[昭和11][1936]], [TIME[2023-05-15T11:26:02.000Z]], [TIME[2023-05-20T05:08:04.773Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/986493/1/75>

[12] >>11
一〇年の次の[TIME[西暦1065年][1065]]から[V[咸雍]]、
[TIME[西暦1073年][1073]]の九年の次の[TIME[西暦1074年][1074]]が[V[太寧]]、
[TIME[西暦1075年][1075]]から[V[太康]]。

[13] >>11 は大正7年出版の改訂版で、大正7年の方には[[遼の元号]]は不掲載。



[9] 
[[金]]で[[避諱][避諱元号]]されて[DFN[咸和]], [DFN[咸煕]]。


[10] 
[DFN[咸甯]] ([TIME[y~4101]]) も[[避諱]]か? でも意味は遠いような?
[[咸寧]]は他に[[西晋]]と[[後涼]]にある。

[16] 
[CITE[東都事略]]が[[咸寧]]。 [SRC[>>24, >>14]]

[17] [CITE[遼代紀年考]]は前の[[清寧]]の2字目を誤ったものとみています。
[SRC[>>14]]

[18] [CITE[東都事略]]の[[元号]]の記述が怪しいことが理由にされています。
[[壽昌]]の件を踏まえると現在の知見から再検討はしておいたほうがよさそう。

[REFS[
-
[24] [CITE@zh-TW[[[東都事略]]卷5~卷8 第957頁 (圖書館) - 中國哲學書電子化計劃]], [[Donald Sturgeon]], [TIME[2023-03-11T20:10:53.000Z]], [TIME[2023-05-20T05:47:04.221Z]] <https://ctext.org/library.pl?if=gb&file=104536&page=957>
- [14] [CITE[[[遼代紀年考]]]]
]REFS]




[19] 
[[咸雍]]の次の[DFN[太寧]] ([TIME[y~4102]])
なるものを掲載しているのは、
今わかっているうちでは >>11 (昭和11年) (とその後の改訂版) だけです。

[21] >>20 の論文 (昭和9年) が[[遼の元号]]として説明するものが、
出典が書かれていませんが、 >>11 説と一致しています。

[25] >>20 が >>11 に影響するとは考えにくいので、この説は昭和9年より前から存在していたはずです。

[22] 
[[太寧]]は歴史上いくつかあり、うち[[越南]]の [TIME[y~208]] が[TIME[西暦1072年][1072]]から、
旧説 [TIME[y~3850]] が[TIME[西暦1073年][1073]]からです。
これが混入したのでしょうか。

[23] 太は次の元号[[太康]]や[[太安]]、寧は前の[[元号]][[清寧]]にあります。

[REFS[

- [26] 
[CITE[[[雜攷]] 第六輯下卷]], [[鮎貝房之進]], [TIME[2023-05-19T07:46:50.000Z]], [TIME[2023-05-20T05:32:22.097Z]] <https://geocol.github.io/zakkou/book-6b.html#195>
-- [20] [CSECTION[[[附書年月󠄃日例]]]]


]REFS]
