[18] 
[DFN[匡正]]は、
[[日本の異年号]]の1つです。

* 用例

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [2] 
[CITE(.label)[[[佐渡名勝志]] 巻六之上]],
[DATA(.author)[[[含章軒]] ([[須田富守]]), [[隆敬子]] ([[伊東玄基]])]],
[TIME[延享元(1744)年][1744]]
-- [3] 
「[V[一同  二十年壬辰。七月廿八日匡正ト改元、十二月十八日文錄ト改元。]]」
[SRC[>>1]]

]ITEMS]

[4] [TIME[天正20(1592)年壬辰][1592]]の記事です。

[5] [CITE[佐渡名勝志]]は、[[須田富守]]が[[佐渡]]の諸資料を収集し編纂したものとされます。
この部分も[[佐渡国]]内の何らかの資料に由来するのでしょうか。

[6] [TIME[天正20(1592)年壬辰12月18日][kyuureki:1592-12-18]]に[[文禄]]に[[改元]]されたのは史実であり、
12月18日は[[京都]]の[[改元日]]です。この日付は島外の情報に由来するはずです。
編纂時の外部資料によるものか、公式の[[改元伝達]]に[[改元日]]情報も含まれていたのかはわかりません。

[19] 
天正20年7月28日の[[匡正]]への[[改元]]の情報は、著者が >>6 と同程度には信頼できると判断した物ということになります。
同一の資料に依拠したのかどうかは不明です。


[REFS[

- [1] 
[CITE@ja-JP[佐渡名勝志 : 附註]], [[含章軒, 隆敬子, 橘法老 註]], [TIME[昭14][1939]], [TIME[2026-06-17T01:09:14.000Z]], [TIME[2026-06-21T04:42:24.095Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1245489/1/163?keyword=%E5%8C%A1%E6%AD%A3> (要登録)

]REFS]

* 諸説

[10] 
[[匡正]]について着目した研究は見当たりません。

[11] 
[CITE[佐渡名勝志]]
は、他の[[公年号]]と同じように[[匡正]]の[[改元日]]を記載しており、
一般の[[公年号]]の[[改元]]と同じものと誤認したと推測できます。

[12] 
当記事に相当する史実は知られておらず、単純な誤記、錯簡といった編集上の瑕疵では説明できません。
だとすると、

- [13] [[佐渡]]またはその他原資料の所在地で、当時実際に流布され、
一時利用された、[[改元デマ]]ないし[[私年号]]である
- [14] [[年代記類]]等に何らかの理由で混入した誤記で、
[CITE[佐渡名勝志]]
がそれを参考に[[公年号]]の[[改元]]の履歴として記載した

... の2つの可能性が考えられそうです。

[15] 7月28日という具体的な[[改元日]]まで記載されていますが、
[TIME[元亀4(1573)年7月28日][kyuureki:1573-07-28]]が[[天正]]への[[改元日]]であり、
これが元ネタの可能性があります。


[16] 
[[天正]]は同時代の他の[[元号]]と比べても長く続いていました。
[[京都]]でも史実の年末の[[改元]]に向けてそろそろ[[改元]]をという動きがあったのでしょうし、
地方にもその噂が独り歩きしていた可能性があります。

[17] 
[[改元日]]の一覧表などで[[天正]]が7月28日と書かれていたものが、
何らかの理由で[[天正]]とは別の[[匡正]]という[[元号名]]と結合した可能性もあります。

* 研究史

[7] 
[TIME[延享元(1744)年][1744]]、
[[佐渡]]の[[史書]]・[[地誌]]である
[CITE[佐渡名勝志]]
に[[匡正]]の[[改元]]記事が収録されました (>>3)。

[8] 
本書は他の[[公年号]]の[[改元]]と同じように[[匡正]]も記載しているだけで、特に注釈などもありません。

[9] 
[[令和時代]]に至るまで、[[匡正]]の[[元号]]自体が学術研究その他で言及された事例は知られていません。


* メモ