[6] 
[DFN[[L[加平]]]]
([[旧字体]]: [DFN[[L[加平󠄃]]]], [TIME[y~926]])
は、
[[日本の中世私年号]]の1つです。

* 元号名

[42] 
[[新字体]]は[L[加平]]、
[[旧字体]]は[L[加平󠄃]]です。

* 紀年法

[1] 
[[元年]]は、[TIME[日本永正14(1517)年][year:1517]]です。

[24] 
発見されている用例はすべて[[元年]]です。利用された期間は不明です。

* 用例

[25] 
[[日本国]][[熊本県]]関連で3件の用例が知られています。


-*-*-

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [4] [DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[熊本県]][[阿蘇市]][[黒川]]]] [[西巌殿寺文書]] [CITE[西巌殿寺衆徒吉書誓判]]]]
-- [50] [[西巌殿寺文書]] 209号
[SRC[[CITE[大日本古文書二十 [[阿蘇文書]]三]]]]
-- [97] >>43 : [L[④]]
-- [99] [[熊本大学付属図書館]]所蔵 [SRC[>>43]]
-- [31] >>2 #page=8 : 白黒写真、低解像度により細部までは読み取れない
-- [14] >>7 翻刻 ([[旧字体]])
-- [49] >>9 翻刻 ([[旧字体]])
-- [48] 
「[V[加平元年[LINES(smaller)[丁][丑]]正月十一日]]」
の部分を訂正し
「[V[永正十[LINES(quarter)[二][二]]年]]」
([[草書]])
[SRC[>>2]]
--- [98] 
「[DATA(.text)[[V[加平元年丁丑正月十一日]]]]」 ([[明朝体]]) [SRC[>>43]]

]ITEMS]

[39] 
[[西巌殿寺]]は、
[[日本国]][[熊本県]][[阿蘇市]][[黒川]]の[[天台宗]]寺院で、
[[阿蘇山修験道]]の拠点とされます。

[34] 
>>4 の訂正より、[[加平]]元年とは永正14年であると考えられています。
[SRC[>>2]]

[35] 
同じ209番中、前の紙は永正13年丙子1月11日、
次の日付は永正15年1月11日で、
このことからも加平元年が永正14年であること、
前後に永正が使われていたことがわかります。

[36] この訂正がいつ行われたのかは興味深いところです。

[REFS[
-[7] [CITE@ja-JP[大日本古文書 家わけ十三ノ三]], [[東京帝国大学文学部史料編纂所]], [TIME[昭和9][1934]], [TIME[2022-12-21T08:14:19.000Z]], [TIME[2022-12-25T07:29:33.323Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1908835/1/176>
-[9] [CITE@ja-JP[熊本県史料 中世篇 第1]], [[熊本県]], [TIME[1961]], [TIME[2022-12-21T08:14:19.000Z]], [TIME[2022-12-25T07:32:20.946Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/2987739/1/359> (要登録)
]REFS]

-*-*-

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [12] 
[DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[熊本県]][[植木町]][[鞍掛]][[字阿弥陀寺]]]] [[自然石塔婆]]]]
-- [100] >>43 : [L[⑤]]
--[3] 
[[日本国]][[熊本県]][[熊本市]]植木町鞍掛781-1~841番地 [SRC[>>2]]
-- [73] >>68 #page=5 : 所在地[[地図]]
-- [29] 文化財指定名:
[RUBY[鞍][くら]][RUBY[掛][かけ]][RUBY[字][あざ]][RUBY[阿弥陀堂][あみだどう]]の[RUBY[板碑][いたび]]
[SRC[>>2]]
-- [82] >>80, >>81 : カラー写真 (中解像度)
-- [33] >>2 #page=9 カラー写真、低解像度で判読不能 >>5 同
-- [44] >>43 : 白黒写真 (解像度中の下) 判読は厳しい
-- [46] >>45 : 白黒写真 (解像度中の下) 判読困難
-- [32] >>513 pp.31-32 (拓本、翻刻)
-- [51] >>23 (拓本、翻刻)
-- [52] >>19 (拓本 [不鮮明], 翻刻)
-- [47] 
[DATA(.label)[陰刻]]
「[DATA(.text)[[V[寔加平元年[SUP(quarter)[丁]][SUB(quarter)[__&&swc428(丑)&&__]]貳月吉日]]]]」
--- [74] 
「[DATA(.text)[[V[寔加平元年丁丑貳月吉日]]]]」 ([[明朝体]], [[丸ゴシック体]]) [SRC[>>43, >>68 #page=7]]
--- [88] 
「[V[心[DATA(.text)[是加平元年丁己弐月吉日]]]]」 ([[明朝体]], [[ゴシック体]]) [SRC[>>8, >>83]]
--- [96] 
「[V[[DATA(.text)[加平元年二月吉日]]]]」 ([[明朝体]]) [SRC[>>45]]

]ITEMS]

[28] 
石塔婆銘は、
[TIME[昭和56(1981)年3月][1981-03]]発行の[CITE[植木町史]]で報告されました。
[[私年号]]とされていましたが、
時期は決めていませんでした。
[SRC[>>8]]
[[私年号]]と断定する箇所と、[[私年号]]か、とする箇所があります。 [SRC[>>8]]
これが初の報告と思われます。

[20] 
[[日本国]][[熊本県]]の日本史研究者の[[前川清一]]は、
[CITE[植木町史]]で知り、
[TIME[1981-08-23]]等に町史調査者の1人[[古財誠也]]と現地調査しました。
銘文は当初「''心是''加平元年丁''巳''弐月吉日」
と読まれていましたが、この調査で誤りが判明しました。
[SRC[>>19]]

[69] 
昭和60年5月8日、[[町指定文化財]]となりました。
[SRC[>>68 #page=2]]

[78] 
平成23年3月28日、[[熊本市指定有形文化財]]となりました。
[SRC[>>77]]

[REFS[
-
[8] 
[CITE@ja-JP[植木町史]], [[植木町]], [TIME[1981.3][1981]], [TIME[2026-08-18T01:13:52.000Z]], [TIME[2026-08-23T07:10:18.048Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9774026/1/481?keyword=%E5%8A%A0%E5%B9%B3> (要登録)
- [79] 
[CITE@ja[鞍掛字阿弥陀堂の板碑(熊本市・市指定有形文化財) | 熊本の文化財めぐり]], 
[[com-san]],
2022-06-20 20:16:25,
※写真は2020年2月撮影,
[TIME[2026-08-23T07:42:36.000Z]] <https://ameblo.jp/com2-2-2/entry-12749334737.html>
-- [80] 
[CITE[o0413062015135842258.jpg (JPEG 画像, 413 × 620 px) — 表示倍率 (97%)]], [TIME[2026-08-23T07:45:21.000Z]] <https://stat.ameba.jp/user_images/20220620/20/com2-2-2/b0/d8/j/o0413062015135842258.jpg?caw=800>
-- [81] 
[CITE[o0620041315135841632.jpg (JPEG 画像, 620 × 413 px)]], [TIME[2026-08-23T07:45:50.000Z]] <https://stat.ameba.jp/user_images/20220620/20/com2-2-2/ad/86/j/o0620041315135841632.jpg?caw=800>

]REFS]

-*-*-

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [59] 
[DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[熊本県]][[熊本市]][[横手]]]] [[安国寺]] 所蔵 [[木造釈迦如来坐像]] [[脇侍]] [[迦葉尊者像]]]]
-- [101] >>43 : [L[⑥]]
-- [60] 
[DATA(.label)[頭部内銘]]
「[DATA(.text)[[V[于寔加平元歳丁丑二月十三日]]]]」 ([[明朝体]])
[SRC[>>43]]
--- [102] 
加平元年
[SRC[>>41]]

]ITEMS]

[58] 
頭部内銘は、加平元年、[[安国寺]]寺官[[正鵬]] (60才) が中心に、
仏師[[元竺]]によって再興された旨を記述しています。 [SRC[>>41]]

[66] 
現所蔵の[[安国寺]]は、
[TIME[元和4(1618)年][1618]]に[[弘真寺]]として創建、
[[寛永]]以後[[安国寺]]となったとされます。
[SRC[>>41]]

[61] 
銘文の[[安国寺]]とは[[肥後国]][[安国寺]]と推測され、
その本来の所在地は[[合志郡]]や[[宇土]]とされています。 [SRC[>>41]]

[62] 
この像が最初に作られたのは、様式から[[南北朝時代]]とされます。
[SRC[>>41]]

* 諸説


[108] 
[[昭和]]から[[平成]]にかけて、[[熊本県]]関係で3例が報告されています。
それらへの言及は少なくないものの、
銘文判読に議論があったことを除けば、
[[私年号]]としての検討はもっぱら[[前川清一]]が最初の2例で行ったものに限られ、
その後放置気味です。

-*-*-

[109] 
3用例いずれも元年丁丑で一致しています。同一の[[元号]]として考えてよさそうです。

[110] 
1例は1月 ([[阿蘇]])、2例は2月 ([[熊本市]]) で、
いずれも[[媒体]]の性質を考えると同時代的に書かれた可能性が高いです。

[111] 
用例が少なすぎるため、時期と共に地域が移動したのかどうかは判断できません。

-*-*-

[112] 
年代については、 
>>4
により永正14年とするのが通説となっています。

[113] 
>>37 のような疑義はありつつも、 >>90 のような材料もあって、
現在の所、この通説が最有力と言って良いでしょう。

-*-*-

[114] 
利用者は、いずれも仏教関連の[[媒体]]であり、銘文の[[人名]]にあるような僧侶らということになるのでしょう。

-*-*-

[115] 
多くの[[改元デマ]]のような、[[年始]]に出現し、
しばらくしたら消えるというパターンに従っていることが注目されます。
>>4 の訂正もその傍証となり得ます。
これまで当[[元号]]の[[改元デマ]]説は検討されたことがないようなので、
今後の課題となることでしょう。



[17] 
>>4 の訂正については >>16
のような解釈もありますが、当初は当然に[[私年号]]を使っていたのに、
後からそれが正式な[[元号]]ではなかったことを知った者が注釈として書き加えたとする方が納得感があります。
それが当年中だったのか、翌永正15年1月11日に気づいて修正したのか、どちらでしょう。

[37] 
可能性としては、もっと後になって読み返した人が、
永正13年と永正15年の間に謎の年があるのに気づいて、
(勝手に推測して?) 永正14年とした、ということもあるでしょうか。
その場合この訂正を根拠に永正14年と断定するのは危険となります。
そう思って眺めると永正17年が2つあって2つ目が永正18年に訂正されていたり、
永正15年だけ干支が併記されていなかったり、
と怪しげな所はあります。

;; [38] [CITE[[[勝山記]]]]の惨状が思い出されますが、考え過ぎならいいのですが...



[18] 
[[前川清一]]は正月であることに注意していますが、これは重要な観点です。
通常の[[公年号]]の場合、
年頭に[[改元]]しても11日に[[九州]]まで[[到達][改元伝達]]するかには疑問があります。
([[前川清一]]のいう私年号使用者というのは、考案者ないしそれに近い人物という想定でしょうか。)


[116] 
[[平成時代]]の[[地域年号]]説は、
[[加平]]や[[子平]]を[[阿蘇神社]]が制定したものとします。
[SEE[ [[地域年号]] ]]
しかし、この説は[[阿蘇神社]]との関わりを何一つ論証しておらず、
単に[[東国]]の事情から類推したに過ぎませんし、
[[東国]]についても十分に史料を提示しているわけではありません。
[SEE[ [[私年号研究史]] ]]
現状では様々な可能性の中の1つ程度に受け取っておくくらいでよさそうです。




* 研究史

[57] 
[[昭和時代]]初期に >>4 は[[史料編纂所]]に収集されていましたが、
[[私年号]]史料として注目されていませんでした。

-*-*-

[11] 
[[前川清一]]は、
石塔婆銘と[[阿蘇文書]]を引いて、
[[熊本県]]の[[私年号]]の1つとして紹介しました。
[[元年]]は[TIME[永正14(1517)年][1517]]としました。
[SRC[>>513 pp.31-32, >>23, >>19]]



[15] 同地域の阿弥陀像の石塔は[TIME[永正11(1514)年][1514]]から[TIME[大永7(1527)年][1527]]に分布し、
[[干支]]より[TIME[永正14(1517)年][1517]]。
[[阿蘇文書]]の添書にある永正14年と一致します。
[SRC[>>23]]

[21] 
[[前川清一]]らは、
当初の[[干支]]から[TIME[明応6(1497)年][1497]],
[TIME[弘治3(1557)年][1557]]を検討していましたが、
それでは他の石塔と時代が合いませんでした。
そこで現地調査により誤りが判明し (>>20) ました。
(永正13年の同型石塔があります。)
[SRC[>>19]]


[16] 
[[前川清一]]は、
>>4 文書には加平元年1月11日とあるので、
吉書誓判した者の中に私年号使用者がいたのだとし、
しかし誓判者の全体には通用しなかったので公年号が添書されたと推測しています。
[SRC[>>23]]

[106] 
[TIME[昭和57(1982)年][1982]]に[[前川清一]]は、
戦乱を背景に「たいらぎを加える」を祈念する意味があるか、
と述べています。
[SRC[>>105]]


[REFS[
- [22] [CITE[[[熊本県下の私年号考]]]]
-- [105] 
[CITE@ja-JP[歴史考古学 (8)]], [[歴史考古学研究会]], [TIME[1982-03]], [TIME[2026-08-18T01:13:52.000Z]], [TIME[2026-08-23T08:13:18.758Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/7951456/1/39?keyword=%E5%8A%A0%E5%B9%B3> (要登録)
- [13] [CITE[[[肥後の金石論集.I]]]]
-- [23] [CSECTION[[[熊本県の私年号小考]]]]
-- [19] [CITE[石碑曼荼羅]] [CSECTION[八、私年号を刻む図像塔]]
-- [104] 
[CITE@ja-JP[肥後の金石論集 : 民俗宗教研究 1]], [[前川清一]], [TIME[1984.11][1984]], [TIME[2026-08-18T01:13:52.000Z]], [TIME[2026-08-23T08:10:31.620Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12205950/1/10?keyword=%E5%8A%A0%E5%B9%B3> (要登録)
- [513] [CITE[[[郷土調査の手引き]]・1 三訂版]]
]REFS]

-*-*-

[83] 
平成13年3月30日、
>>12
の側に案内看板が設置されました。
[[令和時代]]の写真によれば、本文や住所・指定日はそのままに、
[[自治体名]]のみ合併後に修正された痕跡があります。
次のように述べています。
[SRC[>>79]]

- [84] [[私年号]]珍しい
-- [85] [[公年号]]を避ける事情があったのか
- [86] 永正13年板碑の図像と似ており、この時代かと思われる

[30] 
平成23年に合併後の[[熊本市]]の文化財として
>>12
が指定された際の説明資料は、
次のように述べています。
[SRC[>>68]]

- [71] 
近接地の永正13年[[板碑]]と図像が似ており、同時期と思われる
- [72] >>4 の訂正より、[[建元]]は永正14年と考えられる
- [70] 
[[私年号]]銘[[板碑]]は熊本県内で数例のみで、
しかも唯一原在地に完形で残り、貴重なもの
- [CITE[植木町史]]
- [CITE[郷土調査の手引き]]

[REFS[
- [2] 
[CITE[熊本市指定有形文化財の指定について]],
[[廣塚昌子]],
平成23年3月24日提出,
[TIME[2019-08-14 19:55:45 +09:00]] <https://www.city.kumamoto.jp/common/UploadFileDsp.aspx?c_id=5&id=1218&sub_id=1&flid=4937>
-- [67] 消滅確認 [TIME[2026-08-23T07:26:40.300Z]]
-- [68] 
[CITE@ja[Bun_55879_2123.pdf]], [TIME[2026-08-23T07:26:27.000Z]] <https://web.archive.org/web/20190814105559if_/https%3A//www.city.kumamoto.jp/common/UploadFileDsp.aspx?c_id=5&flid=4937&id=1218&sub_id=1>
-[5] [CITE@ja[熊本市の指定文化財等 / [[熊本市]]ホームページ]], [TIME[2021-10-20T12:52:39.000Z]] <https://www.city.kumamoto.jp/hpKiji/pub/detail.aspx?c_id=5&id=5889&class_set_id=3&class_id=623>
[CSECTION[建造物 市指定]]
-- [75] 消滅確認 [TIME[2026-08-23T07:38:22.300Z]]
-- 
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[77] 
[CITE@ja[熊本市の指定文化財等 / 熊本市ホームページ]], [TIME[2026-08-23T07:39:34.000Z]], [TIME[2020-07-19T22:08:34.161Z]] <https://web.archive.org/web/20200719220831/https://www.city.kumamoto.jp/hpKiji/pub/detail.aspx?c_id=5&id=5889&class_set_id=3&class_id=623>
]FIGCAPTION]

> 時        代  永正14年(1517年)   
>[SNIP[]]私年号(加平元年)の記載がある中世石造物板碑は、県内でも数例が確認されるのみで、しかも、唯一本来の場所に完形のもので残っており貴重なものである。

]FIG]
- [76] 
[CITE@ja[熊本市指定有形文化財 鞍掛字阿弥陀堂の板碑 / 熊本市公式サイト]], 
最終更新日:2025年4月30日,
[TIME[2026-08-19T15:17:30.000Z]], [TIME[2026-08-23T07:38:13.400Z]] <https://www.city.kumamoto.jp/kiji00363953/index.html>

]REFS]


-*-*-

[93] 
[TIME[平成6(1994)年][1994]]の書籍は、
>>12
を紹介して、

- [94] [[九州]]では珍しい[[私年号]]
- [95] [TIME[永正14年(1517)][1517]]

... と説明しています。
[SRC[>>45]]


[63] 
[TIME[平成10(1998)年][1998]]の地域史は、
>>59
を紹介して、次のように述べています。
[SRC[>>41]]

- [64] 加平元年 = 永正14年 = [TIME[1517]]
- [65] [[加平]]という[[私年号]]が使われるため[[金石文]]研究者にも注目されている

[89] 
また、その別巻で[TIME[平成8(1996)年][1996]]のものは、

- [90] >>12 と同じ[[人名]] ([[大俊上人]]) ある大永6年[[板碑]]があること
- [91] 加平元年 (永正14年 : 1517)

... を書いています。 [SRC[>>87]]

[107] 
残念ながら、現在 [[Web]] では当時の「注目」を伝える資料は見当たりません。


[REFS[

-
[43] 
[CITE@ja-JP[荒尾の石造物]], [[肥後金石研究会, 荒尾市教育委員会]], [TIME[1994.3][1994]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-06-13T09:10:40.487Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/13240318/1/47?keyword=%E5%8A%A0%E5%B9%B3> (要登録)
- 
[45] 
[CITE@ja-JP[石仏を歩く : 全国の磨崖仏から道祖神まで]], [[日本交通公社出版事業局]], [TIME[1994.3][1994]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-06-13T09:25:01.689Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/13240335/1/52?keyword=%E5%8A%A0%E5%B9%B3> (要登録)
- [87] 
[CITE@ja-JP[新熊本市史 史料編 第1巻 (考古資料)]], [[新熊本市史編纂委員会]], [TIME[1996.3][1996]], [TIME[2026-08-18T01:13:52.000Z]], [TIME[2026-08-23T07:56:47.034Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12688359/1/637?keyword=%E5%8A%A0%E5%B9%B3> (要登録)
- [41] 
[CITE@ja-JP[新熊本市史 通史編 第2巻 (中世)]], [[新熊本市史編纂委員会]], [TIME[1998.3][1998]], [TIME[2025-09-30T02:09:54.000Z]], [TIME[2025-10-16T13:34:05.985Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12673891/1/469?keyword=%E5%8A%A0%E5%B9%B3> (要登録)

]REFS]


-*-*-

[56] 
従来[[私年号]]の一覧等には掲載がありませんでしたが、
[[千々和到]]の系統の表には掲載されています。
[SRC[>>53]]

[27] 
[CITE[[[板碑とその時代]]]]は[[元年]]を[TIME[永正14(1517)年][1517]]としています。
[SRC[>>53]]
その他[[千々和到]]が16世紀の[[九州]]の[[私年号]]として紹介している場合があります。
[SRC[>>92, >>103]]

[55] 
[[日本語]]版[CITE[ウィキペディア]]の表は、
初期から掲載しています。
[SRC[>>10]]
その出典は不明です。

[REFS[

- [92] 
[CITE@ja-JP[戦国大名論集 3]], [[秋沢繁 '''['''ほか''']'''編]], [TIME[1983.9][1983]], [TIME[2026-08-18T01:13:52.000Z]], [TIME[2026-08-23T07:59:33.914Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12227009/1/228?keyword=%E5%8A%A0%E5%B9%B3> (要登録)
- [103] 
[CITE@ja-JP[板碑とその時代 : てぢかな文化財・みぢかな中世]], [[千々和到]], [TIME[1988.3][1988]], [TIME[2026-08-18T01:13:52.000Z]], [TIME[2026-08-23T08:09:45.212Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/13322150/1/131?keyword=%E5%8A%A0%E5%B9%B3> (要登録)
- [53] [[日本私年号一覧表]]
- [54] [[Wikipediaの私年号一覧表]]
--
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[10] [CITE@ja[[[私年号]] - Wikipedia]], [TIME[2022-12-10T11:22:17.000Z]], [TIME[2022-12-22T12:35:00.472Z]] <https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7#%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E3%81%AE%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7>
]FIGCAPTION]

>
,*私年号 	,*異説 	,*元年相当公年号(西暦) 	,*継続年数 	,*典拠・備考 
,加平 	,- 	,永正14年(1517年) 	,1 	,『阿蘇文書』など 
]FIG]


]REFS]

* 関連

[40] 同じ地域、近い時代に[[子平]]がありました。


* メモ

[26] 
[CITE[日本私年号の研究]]になし (当時広く知られていませんでした)。


