[7] 
[DFN[[CITE[清白士集]]]]は、
[[清]]の[[梁玉縄]]の書籍です。

* 成立

[8] 
[[著者]]は、
[[清]]の[[梁玉縄]] ([[梁玉绳]], [[字]]: [[曜北]], 別[[字]]: [[諫菴]], [[号]]: [[清白士]])。

[9] 
[CITE[清白士集]][CSECTION[序目]]は、著者を「君名玉繩字曜北別字諫菴」と説明し、
「清白士」を[[梁玉縄]]の号としている。

[10] 書誌では弟の[[梁履縄]]を著者とするものもあるが、別人。

[50] 
[[梁玉縄]]の生没年諸説 :

,*      ,* 生年        ,* 没年
,* >>51 , [TIME[1745]] , [TIME[1819]]
,* >>52 , [TIME[1745]] , [TIME[1819]]
,* >>54 , [TIME[1744]] , [TIME[1792]]
,* >>53 , [TIME[1716]]? , [TIME[1792]]?
,* >>56 , ?[TIME[1716]] , ?[TIME[1792]]
,* >>58 , ? [TIME[1716]] , ? [TIME[1792]]

[55] 
自序に[TIME[清嘉慶五年(1800)][1800]]の日付があり (>>19)、
>>38 に[TIME[清嘉慶10(1805)年乙丑][1805]]付けの[[一人称]]の記述があります。
これらが著者[[梁玉縄]]本人によるものと考えるなら、
[TIME[西暦1792年][1792]]説は成立しません。

[64] 
[CITE[庭立記聞]]の序文の後半に、

> 諫庵年六十九,長余二歲。

とあります。[SRC[>>60]]

[65] 
[[諫庵]] = [[梁玉繩]]が六十九歳で、筆者[[諸以敦]]より二歳年長だったと記しています。
これは、
[TIME[清嘉慶17年(1812)][1812]]当時[[梁玉繩]]が生存していたことを示す、
同時代の明確な記録です。

[66] 
さらに、[[諸以敦]]は今後も[[梁玉繩]]が父である学士梁先生から聞いた知見を子や甥に書き取らせ、
自分も校訂を手伝いたいという趣旨を述べています。 [SRC[>>60]]


[57] 
なお、[[梁履繩]]については、 [TIME[1748]] - [TIME[1793]] とされます。
[SRC[>>51]]

[REFS[

- [51] [CITE@en[Eminent Chinese of the Ch'ing Period/Liang Yü-shêng - Wikisource, the free online library]], [TIME[2026-10-11T12:19:14.000Z]], [TIME[2026-10-25T12:19:22.946Z]] <https://en.wikisource.org/wiki/Eminent_Chinese_of_the_Ch%27ing_Period/Liang_Y%C3%BC-sh%C3%AAng>
- [52] 
[CITE[梁玉绳_梁玉绳介绍_历史知识_词典网]], [TIME[2023-11-08T08:19:12.000Z]], [TIME[2026-10-25T12:20:58.069Z]] <https://www.cidianwang.com/lishi/zhishi/6/37756jz.htm>
- [53] 
[CITE[浙江档案数据库 浙江历史名人辞典 梁玉绳]], [[沈俞巍]], [TIME[2020-04-14T14:29:24.000Z]], [TIME[2026-10-25T12:22:13.126Z]] <https://zjdy.zjdafw.gov.cn/art/2012/9/12/art_25_8653.html>
- [54] 
[CITE@zh[梁玉繩 - 维基百科,自由的百科全书]], [TIME[2026-10-11T12:22:45.000Z]], [TIME[2026-10-25T12:22:49.423Z]] <https://zh.wikipedia.org/wiki/%E6%A2%81%E7%8E%89%E7%B9%A9>
- [56] [CITE@zh-TW[清代學人列傳 - 中國哲學書電子化計劃]], [[Donald Sturgeon]], [TIME[2026-10-25T12:24:59.000Z]] <https://ctext.org/wiki.pl?if=gb&chapter=54700>
- [58] 
[CITE@zh-CN[清代学人列传_higrid.net-嗨网]], [TIME[2026-10-25T12:30:49.000Z]], [TIME[2026-10-25T12:31:36.673Z]] <https://higrid.net/show/ancient/117-48.html>

]REFS]






-*-*-

[19] 
[CSECTION[序目]]自記に「庚申秋三月」とあり、
[TIME[清嘉慶五年(1800)][1800]]。

[20] 
[CSECTION[序目]]には、[[孫志祖]]による清嘉慶五年庚申(1800)冬十二月の序も収録される。

-*-*-

[23] 
[CITE[庭立記聞]]の序は、
「附梓清白士集後」と述べる。
これは、[[梁学昌]]が父[[梁玉縄]]の記聞類を編輯して
[CITE[清白士集]]の後に付したことを示している。

[59] 
[CITE[庭立記聞]]の序は、
嘉慶壬申 = 清嘉慶17年(1812)5月15日の[[諸以敦]]によるもの。
[SRC[>>60]]

[61] 
[CITE[庭立記聞]]序文に、

> 己巳重九,小集清白堂,諸郎出草冊示余,且乞為名之。

... とあります。すなわち、己巳(1809)年の[[重陽節]]に清白堂で集まり、
[[梁玉繩]]の息子たちが草稿を[[諸以敦]]に見せ、書名を付けるよう求めました。

[62] 
続いて、

> 展讀終卷,皆記乃翁考古答問之語,及撰造所未刻者,因題曰庭立記。

すなわち、草稿には父[[梁玉繩]]が古典を考証して問答した内容と、
まだ刊刻されていない著作が記録されていたため、
[[諸以敦]]が[CITE[庭立記]]と名づけたとあります。

[63] 
さらに、三年後のことを次のように記しています。

> 閱三歲,仲季先後出宦,惟蛾子秀才侍親家居,請余刊定此編,附梓清白士集後,固雅志也。

すなわち、三年を経て次男・三男が官職に就き、
長男の学昌だけが家にいて親に仕えていたため、学昌が[[諸以敦]]にこの編の校訂・確定を依頼し、
[CITE[清白士集]]の後ろに付して刊刻することになった、とのことです。

[REFS[

- [60] 
[CITE@en[庭立记闻内容及目录-[[识典古籍]]]], [TIME[2026-10-25T12:40:55.000Z]] <https://www.shidianguji.com/ens/book/CADAL02096463/chapter/1lb1d8jg60rai>

]REFS]



* 内容

[12] [CITE[清白士集]][CSECTION[序目]]に掲げるは六種で次の通りの計二十八巻。

- [11] [CITE[人表考]] 9巻 
- [13] [CITE[呂子校補]] 2巻
- [14] [CITE[元号略]] 4巻
- [15] [CITE[志銘広例]] 2巻
- [16] [CITE[瞥記]] 7巻
- [17] [CITE[蛻稿]] 4巻

[18] 
[CSECTION[序目]]所収[[梁玉縄]]自記は「續刊拙集,合六種、為二十八卷」と述べている。

-*-*-

[22] 
国立公文書館本の目録には「二十八巻・庭立記聞四巻」、冊数は二十四冊とある。
[SRC[>>39]]

[21] 
宮内庁書陵部の目録には二十八巻・補遺一巻の嘉慶刊本が見える。
補遺の詳細は不明。

[40] 
[CITE[清白士集]]本[CITE[元號略]]四巻補遺一巻として書誌一覧に収録された事例もある。
[SRC[>>34]]

[36] 
[[蔡雲]]の[CITE[清白士集校補]]四巻がある。
[SRC[>>5]]
光緒二十九年(1903)劉氏刻本がある。

[37] 
[CITE[清史稿]]の著録は[[梁玉縄]]の[CITE[清白士集]]と[[蔡雲]]の[CITE[清白士集校補]]を別々に掲げる。

[80] 
[CITE[清白士集校補]]のうち少なくても[[元号]]の部分は、
[CITE[元号略]]補遺一巻に取り込まれている (>>46)。

[REFS[

- [39] 
[CITE@ja[清白士集 (28巻・補遺1巻) - 書陵部所蔵資料目録・画像公開システム]], [TIME[2026-10-25T10:14:24.000Z]] <https://shoryobu.kunaicho.go.jp/Toshoryo/Detail/1000393810000?index=99131&sort=Title&searchtype=Freeword>
- [34] 
[CITE@ja[SSID-12311589_書目問答_二史.pdf]], [TIME[2022-12-28T10:08:08.000Z]], [TIME[2026-10-25T10:16:00.960Z]] <https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/3/36/SSID-12311589_%E6%9B%B8%E7%9B%AE%E5%95%8F%E7%AD%94_%E4%BA%8C%E5%8F%B2.pdf#page=14>

]REFS]

* 電子版

[1] [CITE@ja[清白士集]], [TIME[2026-10-18T03:12:54.000Z]] <https://www.digital.archives.go.jp/file/1084469>

[2] 
[CITE@en[清白士集 - Chinese Text Project]], [[Donald Sturgeon]], [TIME[2026-10-18T03:16:38.000Z]] <https://ctext.org/wiki.pl?if=en&res=1884447>

[3] [CITE@en[清白士集内容及目录-识典古籍]], [TIME[2026-10-18T03:17:32.000Z]] <https://www.shidianguji.com/ens/book/CADAL01025783/chapter/1l454doc8g750>

[5] [CITE@ja-JP[聚學軒叢書 第1集第20册]], [[清劉世珩輯]], [TIME[光緒29序][1903]], [TIME[2026-09-15T01:13:48.000Z]], [TIME[2026-10-18T03:22:07.410Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/2581809/1/32> (要登録)


[43] 
[CITE@ja[清白士集]], [TIME[2026-10-25T11:38:25.000Z]] <https://www.digital.archives.go.jp/file/1084469>

* 元号

[4] 巻12 - 巻15
[DFN[[CITE[元号略]]]]

[24] 
序からは、梁玉縄が庚戌(乾隆五十五年、1790)夏に編纂を始め、癸丑(乾隆五十八年、1793)に序を記したことが読み取れる。

[25] 序文は、「癸丑良月」に[[梁玉縄]]が「余自庚戌之夏……輯元號略四卷」と記したもの。
清乾隆五十五年(1790)夏に編纂を始め、
清乾隆五十八年(1793)に序を付したことになる。

[26] 
序文が説明する編纂方針は以下の通り。

- [27] 年号を韻に従って配列し、検索・閲覧の便を図る。
- [28] 清朝の歴代年号は巻頭に置く。
- [29] 漢から後代までの年号を「専号」「重号」に分けて三巻に編む。
- [30] 擬定されたが採用されなかった号や、出典・実態が確かでない号は「佚号」として別巻にまとめ、検証に委ねる。
- [31] 正統・南北分統の帝王、偏霸・外蕃などを区別し、必要に応じて国名や記事を注記する。
- [32] 年号を立てた月、史料上の異同、僭偽政権の号などを検討し、典拠がないものをむやみに採録しない。

[33] 前三巻を通常の年号群、第四巻を擬而未用・無考の「佚号」群に充てる。

-*-*-

[42] >>41 末尾に「姪許乃賡校」とあります。

[REFS[

- [41] 
[CITE@zh[清白士集卷十五-清白士集全文原文-識典古籍]], [TIME[2026-10-25T11:35:54.000Z]] <https://www.shidianguji.com/zh/book/CADAL01025783/chapter/1l456pu5vx99l>

]REFS]

-*-*-


[45] 
[CITE[識典古籍]]本巻28の末尾の[CSECTION[補遺]]部分 [SRC[>>38]] は、
[[国立公文書館]]本[CITE[元号略]]末尾の[CSECTION[補遺]]部分 [SRC[>>44]]
とおそらく同一。

[47] 
おそらく両者は同じ版に由来するもの (細部に変更がないかまでは未確認)。しかも本編と別紙なので、
もともと異なる位置に補遺が付けられて流通していたのか、後から異なる位置に付属されたのか不明。

[48] >>38 の 130 は一部消失していて、画像処理の何らかの不具合なのか (それにしては不自然)
原書に何らかの細工が施されているのか (それも不自然) 不明ながら、
>>44 の #39 は完全。

[49] 
消えている部分の最初の行は見出しで、
「壬申春陸萊又續校増」
とある。

[REFS[

- [38] 
[CITE@zh[清白士集卷二十八-清白士集全文原文-[[識典古籍]]]], [TIME[2026-10-25T10:02:14.000Z]] <https://www.shidianguji.com/zh/book/CADAL01025783/chapter/1l456rb9rbol2>
77 -,
93 - 
- [44] 
[CITE@ja[ビューア | 元号略4補1]], [TIME[2026-10-25T11:41:55.000Z]] <https://www.digital.archives.go.jp/img/596004#12>

]REFS]

[67] 
[CSECTION[補遺]]の前半は[[日本の元号]]。
次のようにあります。

> 余輯元號略,摭采日本號名,恨無從訂其缺誤。

> 嘉慶乙丑夏五,仝里王覲宸自日本歸……

> 元號略付梓已久,不能刊改,因依次比敍卷末,補所未及,并著其異仝以備攷。

[68] すなわち、
著者[[梁玉繩]]はすでに[CITE[元號略]]四巻を刊行していました。
しかし、[[日本の年号]]については、欠落や誤りを十分に確認できないことを課題としていました。

[69] 
そこに、同郷の[[王覲宸]]が[[日本]]から帰国し、
[[日本]]で刊行された
[CITE[新刻大成年代廣紀]]
一紙を持ち帰ります。
[[梁玉繩]]はそれを十日余り借りて閲覧し、従来参照していた[[鍾淵映]]所引[CITE[東鑑]]の記述と比較しました。

[70] 
その結果、修正・補充すべき事項があると判断したものの、
すでに刊行済みの四巻を改刻することはできませんでした。
そこで、
嘉慶乙丑 = 嘉慶10(1805)年5月、補遺を巻末に追加したのです。

[71] [[梁玉繩]]が利用した資料は、本文によれば嘉慶5(1800)年までの情報を含んでいました。

[72] 
[CSECTION[補遺]]は日本年号のリストと「凡補專號八十三,重號二十六」という記述の後に、
次の文章が続きます。

> 子友梁諫菴著元號略四卷,搜考極博……閒有疏漏,予爲補之。

そして最後に、

> 諸以敦

と署名されています。

[73] 
したがって、ここでの「予」は[[諸以敦]]を指します。
[[諸以敦]]は、[[梁玉繩]]の[CITE[元號略]]が広く調査された著作であることを認めながら、
なおも漏れがあるため、自分が補ったのだと説明しています。

[74] 
さらに、次のように述べています。

> 年來予有篹述,每就正,諫菴隨時削改,此所校,亦以報也。

[75] 
すなわち、[[諸以敦]]自身も著述を行っており、その都度、[[梁玉繩]]に見てもらい、
修正してもらっていた。今回はその恩に報いるために[[梁玉繩]]の著作を校訂した、
とのことです。[[諸以敦]]と[[梁玉繩]]との継続的な交流関係がうかがえます。
偶然手にした後世の別人の追補ではなく、同一の学派内部での研究の進展を反映する作業といえます。

[76] 
そして増補校訂は更に続きます。

[77] 
「庚午秋陸萊仲又校增」として、西暦1810年庚午秋に[[陸萊仲]]が増補しています。

[78] 
「壬申春陸萊又續校増」として、西暦1812年壬申春に[[陸萊仲]]が増補しています。


[35] [CITE[清白士集校補]]所収補遺 [SRC[>>6]] として別に刊行されたもの。

[46] >>44 の #36 からの部分と同内容。

[REFS[

- [6] 
[CITE@ja-JP[聚學軒叢書 第1集第20册]], [[清劉世珩輯]], [TIME[光緒29序][1903]], [TIME[2026-09-15T01:13:48.000Z]], [TIME[2026-10-18T03:22:30.452Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/2581809/1/47> (要登録)

]REFS]

-*-*-

[81] 
[[元号略]]はその後の[[元号研究]]で参照された他に、古銭研究でも[[銭文]]の[[元号名]]に関係してよく参照されたようです。


* 関連

[SEE[ [[廣記]] ]]

[79] [CITE[紀元編]]

-*-*-

[83] 
[CITE[古事類苑]]が[CITE[元号略]]から一部引いています。
[SRC[>>82]]

[REFS[

-
[82] 
[CITE@ja[歳時部/年號下〈逸年號併入〉 - Kojiruien]], [TIME[2026-10-28T09:27:27.000Z]] <https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/index.php?%E6%AD%B3%E6%99%82%E9%83%A8/%E5%B9%B4%E8%99%9F%E4%B8%8B%E3%80%88%E9%80%B8%E5%B9%B4%E8%99%9F%E4%BD%B5%E5%85%A5%E3%80%89#content_1_241>

]REFS]

* メモ