* 元号名

** 元録

[48] 
[[元禄]]を[DFN[元録]]と書く例がたまにあります。

*** 用例


[ITEMS[ [[日時事例]]

- [38] 
[DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本]][[武蔵国]][[北多摩郡]][[大神村]]]] [DATA(.author)[石川成富]]写 [CITE[見聞誌]]]]
-- [37] 
「十八代官文録(ママ)慶長ノ頃ヨリ八王子ニ住居セシガ、寛文七年御縄入ノ後、追々江戸へ引移リ、元録ノ初迄屋敷ヲ置、元録(ママ)之御縄入ノ砌、右屋敷跡モ畑ニ成タリ、」
[SRC[>>36]]

]ITEMS]

[REFS[

- [36] [CITE@ja[昭島市デジタルアーカイブズ-あきしま 水と記憶の物語:昭島市史]], [TIME[2026-08-29T04:15:38.000Z]] <https://adeac.jp/akishima-arch/texthtml/d400030/mp400030-400030/ht070060>

]REFS]




- [18] [CITE@ja[鍋島光茂黒印状 - 佐賀県立図書館データベース]], [[Saga Prefectural Library.]], [TIME[2026-08-29T04:16:13.000Z]] <https://www.sagalibdb.jp/komonjo/detail?id=35988>
-- [19] カラー写真 (高解像度) 自由
-- [20] 「9月28日。鍋嶋十左衛門。鍋嶋■書。鍋嶋九左衛門宛、元録元年2月より同2年正月■領中宗門人改帳1品、宗旨改大目録1通■切支丹宗門改の一紙證文見届け候こと。」
-- [21] 写真 [SRC[>>19]] では[CH[禄]]


[9] [CITE@ja-JP[川内町誌]], [[川内町]], [TIME[1961]], [TIME[2024-01-05T08:01:52.000Z]], [TIME[2024-01-20T09:26:09.079Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/3006139/1/96> (要登録)
左下

元録元年

- [10] [CITE@ja-JP[大田区史 資料編 寺社 1]], [[東京都大田区史編さん委員会]], [TIME[1981.6][1981]], [TIME[2024-03-21T07:14:33.000Z]], [TIME[2024-05-26T14:02:42.027Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9642287/1/372> (要登録)
左下

[[明朝体]][[翻刻]]「[V[元録 (禄) ]]」



*** 諸説

[39] 
[[元禄]]を[[元録]]と表記した事例はまま見られ、
[[江戸時代]]頃の成立と思われる史料も含まれます。

[40] 
[[現代]]には[[誤字]]として処理されがちなようです。

[41] 
前近代的史料では[CH[禄]]が[CH[録]]と表記された事例が散見されるのであり、
[[元録]]もそうした前近代的初期慣習の文脈の中で評価する必要がありそうです。
[SEE[ [[禄と録]] ]]




** 元緑

[7] 
[[元禄]]を[DFN[元緑]]と書く例が稀にあります。

[22] [[OCR誤読]]も多いですが、
誤記、[[誤植]]で実際に[[元緑]]と書いている例もそれなりに見つかります。



*** 用例


- [2] [CITE@ja-JP[高吾北文化史 第1巻]], [[明神健太郎]], [TIME[1958]], [TIME[2023-12-19T01:59:10.000Z]], [TIME[2023-12-24T08:52:55.212Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/2989819/1/131> (要登録)
左
- [6] [CITE@ja-JP[浅草寺仏教文化講座 第8集]], [[浅草寺]], [TIME[1964]], [TIME[2023-12-19T01:59:10.000Z]], [TIME[2023-12-24T09:03:00.595Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/2980447/1/33> (要登録)
左

[3] >>2 >>6 元禄の誤植なのは明らか。

- [4] [CITE@ja-JP[国宝当麻寺本堂修理工事報告書 附図2]], [[奈良県教育委員会事務局文化財保存課]], [TIME[1960]], [TIME[2023-12-19T01:59:10.000Z]], [TIME[2023-12-24T09:01:25.025Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1382383/1/155> (要登録)

[5] >>4 写真にうつっているのは元禄。キャプションが誤植。



- [12] [CITE@ja-JP[練馬区勢概要 昭和25年版]], [[東京都練馬区]], [TIME[1949-1963][1949-19]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-05-22T09:36:48.949Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/3033945/1/20?keyword=%E5%85%83%E7%B7%91> (要登録)

[13] >>12 手書き [L[元緑]]


**** 筑波山境界事件

[35] [[元録]] + [[干支年不一致]]が[[昭和時代]]の[[裁判]]で取り上げられた事例があります。

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [28] [DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本]][[常陸国]][[真壁郡]][[羽鳥村]]]] [CITE[羽鳥村絵図]]]]
-- [29] >>26 : 甲第二号証
-- [30] 
「元緑七甲午歳六月 日」 [SRC[>>26]]

]ITEMS]

[27] 
昭和57年の[[日本国]][[茨城県]][[筑波山]]の[[市町村界]]に関する[[判決]]は、
証拠として提出された絵図
>>28
について、

- [31] 「「元禄」の誤記と解される」

... と根拠を示さず断定し、[[鑑定人]]の[[鑑定]]から

- [32] 「元禄七年(一六九四年)の干支は甲戊である」
- [34] [[干支]]を間違えて記載することは考えられない
- [33] [[幕末]]から[[明治]]初期の[[和紙]]である

... などの理由により信用できないと認定しています。 [SRC[>>26]]

[REFS[

-
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[1] 
[CITE[9274B4D7538B111F49256D41000A766 - 017096_hanrei.pdf]], [TIME[2014-07-17T16:20:02.000Z]], [TIME[2023-12-24T08:37:53.567Z]] <https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/096/017096_hanrei.pdf#page=7>
]FIGCAPTION]

>
[LEFT[
2 甲第二号証の羽鳥村絵図には、その左下方に、他の部分とは異つた筆跡で、[BR[]]
「元緑七甲午歳六月 日」と記載されており、「元●」とあるのは「元禄」の誤記[BR[]]
と解されるところ、成立に争いのない乙第五八号証の一ないし四、当審鑑定人V、[BR[]]
同Eの各鑑定の結果を総合すると、元禄七年(一六九四年)の干支は甲戊であるこ[BR[]]
と、江戸時代には数年で改元されることも珍しくなく、年号に頼るよりも六一年目[BR[]]
ごとに同じものが巡つてくる干支の方が年数を計算するうえで便利であり、広く干[BR[]]
支が用いられていて、年号の記載には干支のそえられることが多かつたこと、干支[BR[]]
を間違えて記載するようなことは、ことに真壁郡山田村及び羽鳥村の名主各二名の[BR[]]
氏名とこれに並べて「惣百姓」との記載のある甲第二号証の絵図のような場合、考[BR[]]
えられないところであること、右絵図が画かれている紙も、幕末から明治初期にか[BR[]]
けて、現在の埼玉県小川で製造されたコウゾを原料として漉いた和紙であること、[BR[]]
これらの点からみて、右絵図は、元禄七年に作成されたものではなく、幕末以降に[BR[]]
作成されたものであることが認められる。もつとも、日付の記載が虚偽であつて[BR[]]
も、右日付の記載は他の部分と筆跡を異にし、後日加筆されたものとも考えられる[BR[]]
ので、日付の部分を除き、幕末以降作成の絵図としての信用性についてさらに検討[BR[]]
するに、前認定のとおり、羽鳥村、田村、小幡村の三村の接するところに「三村境[BR[]]
塚」と刻した古い石があるが、同絵図では、右三村の接するところに、本来は筑[BR[]]
波、真壁、新治の三郡の境を意味するはずの「三方境塚」との記載があり、右三郡[BR[]]
の接する地点は明確にされていないこと、右絵図では羽鳥村の中に画かれている魔[BR[]]
王石、鏡石(護摩壇岩屋)が前認定のとおり筑波山神社の代表的な禅定場であるこ[BR[]]
と、当審鑑定人Eの鑑定結果によると、右絵図には、「御林」という笠間藩の藩有[BR[]]
林を意味する記載があると同時に、最上方の森林地帯のところに「深山」という記[BR[]]
載があり、右両記載を対比すると、「深山」は筑波山神社(護持院)の山林を意味[BR[]]
するものと認められ、この点についての反証はないことなどの諸事情並びに前記二[BR[]]
の認定に供した各証拠に照らすと、同絵図のうち真壁郡羽鳥村と筑波郡との境界に[BR[]]
関係する記載については、正確なものとして信を措くことができず、これをもつて[BR[]]
前記の認定を左右しうる証拠とすることはできない。
]LEFT]

]FIG]
-- [24] 消滅確認 [TIME[2026-08-29T06:16:46.00Z]]
-- [25] [CITE@ja[裁判例結果詳細 | 東京高等裁判所]], [TIME[2026-05-22T11:14:42.000Z]], [TIME[2026-08-29T06:16:22.480Z]] <https://www.courts.go.jp/hanrei/17096/detail5/index.html>
-- [26] [CITE@ja[9274B4D7538B111F49256D41000A766 - hanrei-pdf-17096.pdf]], [TIME[2025-09-23T14:17:09.000Z]], [TIME[2026-08-29T06:16:50.607Z]] <https://www.courts.go.jp/assets/hanrei/hanrei-pdf-17096.pdf#page=7>

]REFS]


*** 研究史

[23] 
[[令和時代]]に至るまで、[[私年号研究]]の文脈で紹介した事例は知られていません。

** 元縁

[49] [CITE@ja[品川神社 Shinagawa Jinja Shrine 天空仙人の神社仏閣めぐり]], [TIME[2022-05-18T03:20:19.000Z]], [TIME[2026-08-29T13:33:42.991Z]] <https://tencoo21.web.fc2.com/jinja/xsinagawa.htm>

>[SNIP[]]元縁七年將軍綱吉社殿等再建、[SNIP[]]

** 元六

[43] 
[[元禄]]を[DFN[元六]]と表記した事例が少数あります。

*** 用例

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [15] 
[DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本]][[石見国]][[那賀郡]][[久保川村]]]] [[大歳神社]] [[棟札]]]]
-- [16] 
「[DATA(.text)[[V[元六二年巳十一月吉日]]]]」
[SRC[>>14]]

]ITEMS]

[17] 
[TIME[明治20(1887)年][1887]]の[[藤井宗雄]]の
[CITE[石見国神社記]]
は、
>>15
を紹介して、[[元六]]は[[元禄]]の誤りとしています。
[SRC[>>14]]

[REFS[

- [14] 
[CITE@ja[縦書.ren - kodai24_12.pdf]], [TIME[2024-01-05T02:44:33.000Z]], [TIME[2026-08-22T14:48:13.814Z]] <https://www.pref.shimane.lg.jp/bunkazai/kodai/library/publications/kiyou/index.data/kodai24_12.pdf#page=19>

]REFS]

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[42] 
[CITE[大鳥神社]], [[のりちゃん]], [TIME[2026-08-29T10:09:03.000Z]], [TIME[2005-03-16T07:49:12.252Z]] <https://web.archive.org/web/20050316074843/http://www.norichan.jp/jinja/hitokoto2/otorimie.htm>
]FIGCAPTION]

>境内案内を転載します。
>      「[SNIP[]]
>       元六二年(1689)第五代将軍徳川綱吉の生母桂昌院より永世山年貢五石八
>       斗を当社の修繕料として寄付された。[SNIP[]]

]FIG]

[44] 
この他にも存在する可能性がありますが、検索ではノイズが多く調査が困難です。

*** 諸説

[46] 
[CH[六]]は[CH[禄]]の誤りと説明されることがあります。

[47] 
ただ、[CH[禄]]を[CH[六]]と表記した事例は他にも多く、前近代的な表記慣習の文脈で解釈を検討するべきものと思われます。
[SEE[ [[仮名六]] ]]

*** 研究史

[45] 
[[令和時代]]に至るまで、[[私年号研究]]の文脈で紹介された事例は知られていません。

* 遡及年号

[11] [CITE@ja-JP[古典尺八及び三曲に関する小論集 : 塚本虚堂集]], [[塚本虚堂]], [TIME[1994.2][1994]], [TIME[2025-10-29T01:48:45.000Z]], [TIME[2025-10-31T08:05:47.998Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/13312715/1/160?keyword=%E6%94%B9%E5%85%83> (要登録)

* メモ

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[8] [CITE@ja[社説 被災者になって分かったこと/阪神・淡路大震災 |震災1年目|阪神・淡路大震災|連載・特集|神戸新聞NEXT]]
([TIME[2024-01-18T03:47:05.000Z]])
<https://www.kobe-np.co.jp/rentoku/sinsai/01/rensai/199501/0005491602.shtml>
]FIGCAPTION]

>  これまで被災者の気持ちが本当に分かっていなかった自分に気づく。“災害元禄”などといわれた神戸に住む者の、一種の不遜(ふそん)さ、甘さを思い知る。

]FIG]
