[3] 
[DFN[[CITE[元号考]]]]は、
[[森鴎外]]が[[日本の元号]]について調査した結果をまとめたものです。

* 版

[4] [[大日本帝国]]の[[宮内省]][[図書寮]]の[[図書頭]]に就任した[[森鴎外]] ([[森林太郎]])
は、[[日本]]の[[天皇]]の[[諡号]]や[[元号]]について研究しました。
前者が[CITE[帝諡考]]としてまとめられて[TIME[大正10年][year:1921]]に配布された後、
後者に取り組みました。
[SRC[>>6 p.310]]

[16] 森は[TIME[大正9年][year:1920]]頃既に[[元号]]研究に着手していました。
[TIME[大正9年4月28日][1920-04-28]]、
[[幼馴染]]の[[親友]]だった[[賀古鶴所]]への書簡で、
[[明治]]や[[大正]]が過去に他国の[[元号]]として使われたとされることや、
「正」が「一」と「止」に分解できることから[[支那]]で好ましくないとされることなどを挙げ、
否定的な見解を示していました。
[TIME[大正11年5月26日][1922-05-26]]、
やはり賀古への書簡で、女、酒、煙草、宴会を止め、
もはや仕事を辞めるしかないが、「最大著述」の[CITE[元号考]])
をやめて1年長生きするのと止めずに1年早く死ぬのとを比べ、
文字通り命を賭して研究していたことを示しました。
しかし残念ながら森は[CITE[元号考]]を完成できずに
[TIME[7月9日][1922-07-09]]、没しました。
[SRC[>>6 p.316]]


[5] 森の遺志により[[図書寮]]編修官の[[吉田増蔵]]が森の[CITE[元号考]]原稿を補訂しました。
[SRC[>>6 p.6, p.310]]
吉田は森と同じ頃[[宮内省]]に任ぜられ、森の部下となった漢学者でした。
森は吉田にあとを託しました。
森の死去直前の日記の代筆も吉田によるものでした。
[SRC[>>6 p.318]]
吉田は後に[[昭和改元]]で「昭和」の元号の[[考案者]]となりました。

[7] 補訂版は[CITE[鴎外全集]]第6巻 ([TIME[1926年][year:1926]])
に収録されました。 [SRC[>>6 p.6]]

[13] 全集の編纂者の[[与謝野寛]]は、
[CITE[元号考]]は森と吉田の共撰というべきものながら、
吉田が辞退したと全集に記しました。
吉田は、森の遺志に自ら満足できるだけの完成を遂げられなかったのは遺憾とコメントしていました。
[SRC[>>6 p.311]]

[14] 普及版 ([TIME[昭和12年][year:1937]]) の後記で[[森潤三郎]]は、
旧版の原稿は誤って焼却され、
[[図書寮]]にも自筆原稿は保管されていなかったため、
旧版全集を底本に引用元を捜索し可能な限り校訂を試みたものの、
不満足な結果となったとしていました。 [SRC[>>6 p.311]]

[8] 更に[CITE[鴎外全集]]第13巻 ([TIME[1953年][year:1953]])
にも収録されました。 [SRC[>>6 p.6]]
後記で[[森於菟]]は、[TIME[昭和12年][year:1937]]の後記の通りとしました [SRC[>>6 p.312]]。

[9] [TIME[令和元年5月1日][2019-05-01]]、
[DFN[[CITE[元号通覧]]]]として文庫版が出版されました。
[TIME[1953年][year:1953]]版を底本に、
[[旧字体]]を[[新字体]]に改め、
明らかな間違いは訂正され、
[[元号]]ごとに[[読み][元号の読み方]] ([CITE[国史大辞典]]のもの)
と[[西暦]]の期間が追加されました。
[SRC[>>6]]

[REFS[
- [6] [CITE[元号通覧]], [[森鷗外]], [TIME[令和元年5月1日][2019-05-01]]
-- [CITE@ja-jp[[[元号通覧]] (講談社学術文庫) | 森 鴎外 |本 | 通販 | [[Amazon]]]] ([TIME[2019-05-30 18:55:40 +09:00]]) <https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4065157404/wakaba1-22/>
]REFS]

* 内容

[10] 
[[大化]]から[[大正]]までの[[日本の元号]]について、
[[読み方][元号の読み方]] ([[旧仮名遣い]])、
[[改元日]]、
[[改元]]事由、
考案者、
未採用案、
採用案および未採用案の出典などをまとめたものでした。
[SRC[>>6]]

[12] 
現在も日本の[[公年号]]として知られているものが、
[[南朝]]も[[北朝]]も含めてすべて挙げられていたほか、
[[白雉]]と[[朱鳥]]の間に[RUBY[[[白鳳]]][ハクホウ]]があり、
[[天武天皇]]の元年の[[元号]]とされていました。
出典は[CITE[日本紀]]に白鳳十五年に朱鳥元年に改元したとあるとしていました。
[SRC[>>6]]
[SEE[ [[白鳳]] ]]

[11] 未完成原稿のためか、[[元号]]によっては情報が欠けているものもありました。
[[南朝の元号]]についてはほとんど情報もなく、
一部の[[南朝の元号]]の年次は現在知られているものと異なっていました
(当時まだ現在の学説が確立していなかったため)。
[SRC[>>6]]

[15] 
[CITE[元号通覧]]には[[猪瀬直樹]]の「解説」が収録されています。
この「解説」の一部省略版が [[Webサイト]]で公開されています [SRC[>>2]]。

[17] 
猪瀬は、[CITE[帝諡考]]の上編のような総論も[[森鴎外]]は企図していたと予想しています
[SRC[>>6 p.320]]。

[18] 
猪瀬は、[[森鴎外]]が「中外元号考」と呼んでいたこと、
吉田が[[日本]]のみならず各国の元号を集めた
[CITE[年号索引]]
をまとめていたことから、森も[CITE[元号考]]に各国元号をまとめ、
将来の[[元号の選定]]に資そうとしたのではないかと予想しています。 [SRC[>>6 p.321]]

[REFS[
- [2] [CITE[「昭和」を考案した男と「令和」にまで影響した[[森鷗外]]の執念(猪瀬 直樹) | [[現代ビジネス]] | [[講談社]](1/5)]]
([TIME[2019-05-29 22:33:59 +09:00]])
<https://gendai.ismedia.jp/articles/-/64179>
]REFS]

* メモ

[20] [CITE@ja[[[帝謚考]] - 国立国会図書館デジタルコレクション]] ([[宮内省図書寮]]著, [TIME[大正8][year:1919]]) <http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1185521/1>

[19] [CITE[元号に賭ける]],
[[猪瀬直樹]],
[CITE@ja[日本ペンクラブ電子文藝館]] [TIME[2003/07/17][2003-07-17]]
([TIME[2019-06-24 11:15:13 +09:00]]) <http://bungeikan.jp/domestic/detail/90/>

[1] [CITE@ja[[[猪瀬直樹]]/inosenaokiさんのツイート: "[[森鷗外]]の『[[元号考]]』が講談社学術文庫から『[[元号通覧]]』として刊行されますが [[吉田増蔵]]の労作「[[年号索引]]」を含めた長い解説を僕が書いています。日本という国にとって、日本人にとって元号とは何か、いまこそ立ち止まって考えてみる時期でしょう。 https://t.co/P1XRU53WPA… https://t.co/pGfNfFUw4P"]]
([TIME[2019-05-29 22:30:21 +09:00]])
<https://twitter.com/inosenaoki/status/1111157171406798848>


[FIG(amazon)[
[[森鴎外]]
]FIG]

[21] [CITE[h31_03.pdf]], [TIME[2019-09-02T08:17:05.000Z]], [TIME[2022-02-17T02:54:03.712Z]] <http://miyako-museum.jp/issue/pdf/h30/h31_03.pdf#page=2>