* 元号名

[64] [CITE@ja-JP[鎌倉市文化財資料 第2集]], [[鎌倉市教育委員会]], [TIME[1963]], [TIME[2024-02-01T05:12:54.000Z]], [TIME[2024-02-21T11:44:13.373Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/2476533/1/95> (要登録)

異体字


** 享高

[132] 
[DFN[享高]]は、かつて[[日本の私年号]]の1つとされたものです。
[[享徳]]の[CH[德]]の[[異体字]]である[CH[悳]]を使った[[享悳]]を誤認し、
誤って[[私年号]]と分類されたものでした。


[131] 
[[読み][元号名の読み方]]は
「きょうこう」
とされます。
[SRC[>>130]]

*** 用例

[140] 
1例のみが知られていました。

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [68] [DATA(.label)[[[東京国立博物館]]所蔵 [CITE[山水図]]]]
-- [100] [DATA(.label)[[[山本達雄]]所蔵[[山水画]]]] [SRC[>>67]]
-- [99] [[東京国立博物館]] : A-12327 [SRC[>>111, >>98, >>107]]
-- [114] >>111 : カラー写真 (解像度中の上) 不自由
-- [102] >>98 : カラー写真 (解像度上の下) 自由
-- [108] >>107 : カラー写真 (解像度上) 不自由
-- [123] >>122 : カラー写真 (低解像度) 不自由
-- [126] >>124 : 白黒写真 (低解像度) 
-- [101] 「[DATA(.text)[[V[享[ASIS[悳][swc762]]四[ASIS[禩][swc761]]乙亥莫春十有六日]]]]」
(部分的にやや崩された[[楷書]])
[SRC[>>102]]
-- [101] 「[DATA(.text)[享徳四祀乙亥暮春十有六日]]」
[SRC[>>98, >>122]]
-- [69] 「[DATA(.text)[享高四禩乙亥]]」
[SRC[>>67]]

]ITEMS]

[103] 
[CITE[日本私年号の研究]]は、[[山本達雄]]所蔵としていました。 [SRC[>>67]]

[104] 
現在、[[東京国立博物館]]所蔵品に「山本達郎氏寄贈」の[CITE[山水図]]があります。
[SRC[>>98]]
「山本達雄旧蔵品」とされます。 [SRC[>>107]]

[2] 
[RUBYB[[[山本達雄]]][[TIME[1856]]-[TIME[1947]]]]の所蔵品は、
[[孫]]で[[養子]]の[RUBYB[[[山本達郎]]][[TIME[1910]]-[TIME[2001]]]]
[WEAK[([[平成]]の[[考案者]]として知られています。)]]
に承継されたと推測されます。

;; [3] ややこしいことに同時代に画家の[RUBYB[[[山本達郎]]][[TIME[1948]]-]]もいる。

[116] 
[[山本達郎]]の所蔵品は、[TIME[平成13(2001)年10月][2001-10]]に[[東京国立博物館]]へ寄贈されました。
[SRC[>>115]]

[117] 
[CITE[日本私年号の研究]]が参照したものは、[[東京国立博物館]]所蔵品と特徴が一致するので、
同一と断定して良いでしょう。

[120] 
[TIME[平成29(2017)年][2017]]に修理が行われています。 [SRC[>>119]]

[121] 
なお、[TIME[1941-07-03]]に文化財指定されています。 [SRC[>>119]]



[70] 
[CITE[日本私年号の研究]]によると、
[[日本]]の[[室町時代]]の[[絵]]と「[V[いわれる]]」ものです。 [SRC[>>67]]

[71] 
画風による判定でしょうか。


[118] 
[[東京国立博物館]]所蔵品の情報も、[[室町時代]]・15世紀と判定しています (>>105)。
純粋に画風によるものか、文字情報も加味してなのかは不明です。


[133] 
[[賛]]の[[紀年]]は、一部の[[字画]]が崩れてはいるものの、比較的明瞭な[[楷書]]で記述されています。

[134] 
第2字は、[CH[德]]の[[異体字]]の1つで、[CH[悳]]の上部が[CH[亠]]である[CH[[ASIS[悳][swc762]]]]であることが明らかです。

[135] 
この[[字]]を見慣れていない人が、近い[[字形]]として[CH[高]]を選んだのでしょうか。

[136] 
第4字は、[CH[祀]]の[[異体字]]である[CH[禩]]の一種である[CH[[ASIS[禩][swc761]]]]です。
[CH[祀]]は[[年の字]]の1つであり、[CH[禩]]系の用例も、多くはありませんが、
複数知られています。 [SEE[ [[年の字]] ]]

[137] 
第7字は[CH[暮]]とも読まれますが、明らかに[CH[莫]]です。
[[暮春]], [[莫春]]のいずれも、3月の[[月名]]です。



[REFS[

-
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[115] 
[CITE@ja[特集陳列 「山本達郎氏寄贈の東南アジア彫刻コレクション」|展覧会情報検索 アートコモンズ|国立新美術館 THE NATIONAL ART CENTER, TOKYO]], [TIME[2026-06-03T15:03:32.000Z]] <https://www.nact.jp/artcommons/user/detail/24203>
]FIGCAPTION]

>当館では平成十三年度(ニ〇〇一年十月)に、東洋史の研究者で文化勲章を受章された山本達郎氏(一九一〇~二〇〇一)の所蔵する日本、中国の美術工芸品のご寄贈を受けました。[SNIP[]]

>東京国立博物館 
]FIG]
- [119] 
[CITE@ja[平成29年度独立行政法人国立文化財機構年報_統計表 - nenpo2017_8-1.pdf]], [TIME[2021-09-01T09:18:18.000Z]], [TIME[2026-06-03T15:09:15.622Z]] <https://www.nich.go.jp/wp-content/uploads/2019/03/nenpo2017_8-1.pdf#page=30>
- [111] 
[CITE[E0102086 山水図 - 東京国立博物館 画像検索]], [TIME[2026-06-03T14:58:57.000Z]] <https://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/E0102086>
- [98] 
[CITE@ja[ColBase]], [TIME[2026-02-26T08:18:08.000Z]], [TIME[2026-06-03T14:31:10.952Z]] <https://colbase.nich.go.jp/collection_items/tnm/A-12327?locale=ja>
- [107] 
[CITE@ja[e国宝 - 山水図]], [TIME[2026-06-03T14:55:11.000Z]] <https://emuseum.nich.go.jp/detail?content_base_id=100351&content_part_id=000>
- [122] 
[CITE@ja[山水図 文化遺産オンライン]], [TIME[2026-06-03T15:10:45.000Z]] <https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/534069>


]REFS]



*** 諸説

[141] 
[[私年号]]として記録したのは[[久保常晴]]が最初と思われますが、
[[久保常晴]]は[[享徳]]と同年に比定し、[[享徳]]の誤字の可能性を疑いつつも、
結論を保留しました。これがそのまま[[私年号]]としての通説になりました。

[143] 
ただし、ときには保留が外れて断定的に語られたり、
「享高4年」と「享高元年」の比定年が混同されたりする混乱も見られます。

[142] 
一方、美術品・文化財としては[[昭和時代]]初期から一貫して[[享徳]]と読まれ、
単なる[[公年号]]として気にも留められていないまま、[[令和時代]]に至っています。

[144] 
字形の判別に十分な解像度の写真で観察すれば、[[元号名]]の第2字が[CH[德]]の[[異体字]]であることが明らかで、
[CH[高]]と[[翻刻]]するには誤認と断定できます。[[享高]]は研究上の仮説的に生み出されたに過ぎない、
同時代的に存在しなかった「まぼろし」の[[私年号]]といえます。


[HISTORY[

[6] 
いくら乱世といっても4年になるまで間違った[[元号名]]が流通するとは考えにくい。

[5] 
「高」と「徳」(の右側) は[[草書体]]なら誤読されることもあるか?

[7] 
敢えて「禩」のような一般的でない[[年の字]]を使っているので、
他の字も特別な書き方の可能性がある?

]HISTORY]

*** 研究史

[125] 
[TIME[昭和15(1940)年][1940]]の書籍は、
>>68
の[[賛]]の紀年を享徳4年と解釈しています。
[SRC[>>124]]

[128] 
[TIME[昭和16(1941)年][1941]]の[[国宝]]指定目録に享徳4年の[[賛]]のある[[山水図]]があり、
>>68
を指すと思われます。
[SRC[>>127, >>129]]

[REFS[

- [124] 
[CITE@ja-JP[東洋美術文庫 第34巻]], [[アトリヱ社]], [TIME[昭15][1940]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-06-03T15:22:52.834Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1263426/1/50?keyword=%E5%B1%B1%E6%9C%AC%E9%81%94%E9%9B%84> (要登録)
- [127] 
[CITE@ja-JP[塔影 17(4)]], [[塔影社]], [TIME[1941-04]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-06-03T15:25:06.942Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1897533/1/59?keyword=%E5%B1%B1%E6%9C%AC%E9%81%94%E9%9B%84> (要登録)
- [129] 
[CITE@ja-JP[日本美術年鑑 昭和17年版]], [[美術研究所]], [TIME[昭和16-18][1943]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-06-03T15:26:43.928Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1142512/1/60?keyword=%E5%B1%B1%E6%9C%AC%E9%81%94%E9%9B%84> (要登録)


]REFS]

-*-*-

[72] 
昭和42年の
[CITE[日本私年号の研究]]
は、
次のように述べています。

- >>68
-- [73] [[絵]]は[[日本]]の[[室町時代]]のものといわれる
- [74] [[享高]]は[[中国]]にない
- [75] 4年乙亥は[[室町時代]]の[[公年号]]にない
- [76] この時期の[[公年号]]、[[私年号]]に[CH[享]]が多い 
-- [77] [[享高]]もそれらの期間に使われたものだろう
-- [78] だとすると乙亥は康正元年
--- [79] 享高元年は享徳元年
- [80] [[享徳]]の[CH[德]]を[CH[高]]と誤った可能性もある
-- [81] 享徳4年7月25日に[[康正]]と[[改元]]
-- [82] [[関東]]への[[改元伝達]]は比較的遅い
--- [83] 約3ヶ月で初めて改元を知る場合も考慮が必要
- [84] 誤記と断定できないので[[私年号]]としておく
- [86] [[享徳]]頃に[[享正]], [[延徳]], [[享高]] [SRC[>>85]]
-- [87] [[足利成氏]]の時代の[[公年号]]を母胎としていることに注意
-- [88] 単なる時代の嗜好と見過ごせない
- [89] 年代 : 康正元? [SRC[>>90]]
[NOTE[

[91] [[元年]]の比定年とは言っていないことに注意を要するが、紛らわしい。

]NOTE]

[4] 
[CITE[日本私年号の研究]]は出典を書いていないので、
[RUBYB[[[久保常晴]]][[TIME[1907]]-[TIME[1978]]]]が現物を見たのか、どのように知ったのか不明。

[138] 
昭和40年の[[久保常晴]]の先行論文には[[享高]]は未掲載です。ということは、
[[久保常晴]]は昭和40年から昭和42年の間に[[享高]]を知った可能性が高い。

[139] 
[CITE[日本私年号の研究]]には[[山本達雄]]所蔵とあります。
ところが[[山本達雄]]は昭和22年に死去しています。
昭和42年の[[久保常晴]]が新しい所蔵者を知らなかったということは、
古い資料に基づいたのか、
伝聞のみで実見したわけではなかったのではないでしょうか。


[147] 
ところで、[CITE[日本私年号の研究]]の分類法によれば、
[[享徳]]と同定可能なら[[一字異音年号]]とするべきはずであり、
なぜ[[私年号]]と誤記の2つに1つとし、[[一字異音年号]]を除外し、
暫定で[[私年号]]という結論に至ったのかは謎です。

;;
[149] 
もっとも、[[一字異音年号]]もうまく解釈できず扱いあぐねていたものたち、
という点では同じです。


[REFS[

- [1] [CITE[日本私年号の研究]] 
-- [67] p.[V[二九二]]
-- [85] pp.[V[三〇四]]-[V[三〇七]]
-- [90] p.[V[五三三]]

]REFS]

-*-*-

[92] 
[TIME[昭和56(1981)年][1981]]の[[年の字]]に関する論文は、
>>68 
の[CH[禩]]を紹介しています。
[[享高]]は[[室町時代]]の[[私年号]]と注釈しています。
[SRC[>>22]]

[REFS[

- [22] 
[CITE@ja-JP[防長の歴史研究 第2集]], [[徳山大学地歴研究会]], [TIME[1981.3][1981]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-06-03T12:45:58.504Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9574834/1/26?keyword=%E4%BA%AB%E9%AB%98> (要登録)

]REFS]

-*-*-

[95] 
[[千々和到]]系統の[[私年号]]の表などが[[享高]]を収録していますが、
[[元年]]を享徳元年とするものと康正元年かとするものがありつつ、
4年が[TIME[西暦1455年][1455]]または[TIME[西暦1455年][1455]]かとするなど、
若干の混乱があります。
[[享徳]]の誤記の可能性の指摘または断定が行われています。
[SRC[>>96]]

[94] 
[[日本語]]版[CITE[ウィキペディア]]の一覧表は、
初期から[[享高]]を掲載しています。
初期は[TIME[康正元(1455)年][1455]]を[[元年]]としていましたが、
[TIME[平成20(2008)年][2008]]の変更で[TIME[享徳元(1452)年][1452]]が[[元年]]に改められると共に、
[[享徳]]の誤記かと注釈されました。
いずれも出典は不明です。
[SRC[>>93]]

[145] 
[TIME[平成30(2018)年][2018]]の [[SNS]] 投稿で、
当時の筆写による[[元号名]]の伝達で誤ったと説明するものがあります。
「説あり」と一応保留しつつも、あたかも[[改元伝達]]中の誤伝達の史実が有力説であるかに誤認させる
(あるいは著者が実際そう信じている?) ような書き方となっています。
しかし、根拠は何ら示されていません。
[SRC[>>130]]

;; [146] 
用例が「四年」であることを知っていれば、このような説が成り立ち得ないことがわかるはずで、
この説はどんな用例があるのかすら調べていない人が適当にでっち上げたものでしょう。

[97] 
その他[[私年号]]の列挙に出現することがあります。


[REFS[

- [96] [[日本私年号一覧表]]
- [93] [[ウィキペディアの私年号一覧表]]
--
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[10] [CITE@ja[[[私年号]] - Wikipedia]], [TIME[2022-12-10T11:22:17.000Z]], [TIME[2022-12-22T12:35:00.472Z]] <https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7>
]FIGCAPTION]

>
,*私年号 	,*異説 	,*元年相当公年号(西暦) 	,*継続年数 	,*典拠・備考 
,享高 ,	- ,	享徳元年(1452年) 	,不明 	,山本達雄蔵山水画。公年号「享徳」の誤記か。 
]FIG]
-- [323] 
[CITE@ja[「[[私年号]]」の版間の差分 - Wikipedia]], [TIME[2024-07-24T01:25:17.000Z]], [TIME[2024-07-26T14:13:23.542Z]] <https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7&diff=prev&oldid=21313544>
--- [324] 
[CSECTION[2008年8月18日 (月) 17:21時点における版]],
58.0.128.185
- [130] 
[CITE@ja[Xユーザーの大森博子 Hiroko Ohmori🔍📚さん: 「【元号】347 享高 きょうこう 享徳元年(1452年)期間不明 山本達雄蔵山水画 公年号「享徳」の誤記とする説あり。今と違い、当時は印刷物による広報も報道もなく、多くは筆写による伝聞のため、途中で誤り伝えられることもあり、それと知らずに誤記することも防げない。」 / X]], [TIME[午後3:07 · 2018年11月3日][2018-11-03T06:07:57.000Z]], [TIME[2026-06-03T11:52:20.000Z]] <https://x.com/11111hiromorinn/status/1058601655720009728>


]REFS]

-*-*-

[105] 
[CITE[山水図]]の文化財系の情報は、比定年や[[賛]]翻刻で「享徳」と読んで、
[TIME[享徳4(1455)年][1455]]と断定しています。
(ただし[[絵画]]としての成立年に関しては慎重です。)

- [113] 享徳4年(1455) [SRC[>>111]]
- [106] 室町時代・享徳4年(1455) [SRC[>>98, >>122]]
- [109] 室町時代・15世紀 [SRC[>>107]]
- [112] 室町時代_15c [SRC[>>111]]
- [110] 賛の年紀、享徳4年(1455)が本図の制作年代の下限となる。 [SRC[>>107]]





* 享徳の延長年号

[41] [TIME[享徳4(1455)年7月25日][kyuureki:1455-07-25]] [[康正]]に[[改元]]。

[9] 
[[足利成氏]] [[正木文書]]で康正2年相当の事例
[SRC[>>289]]

[11] 
[[足利成氏]] [[黄梅院文書]]で応仁2年相当の事例
[SRC[>>289]]

[12] 
[[足利成氏]]支配下の大名で享徳14年、享徳20年まで使用した事例があります。
[SRC[>>289]]

[8] 
[[埼玉県]]の[[鳩山村]]の[[妙光寺]]に永享18年銘、享徳8年銘の[[板碑]]があります。
[SRC[>>289]]


[ITEMS[ [[日時事例]]


- [42] 
[DATA(.label)[[[正木文書]] [CITE[足利成氏加判岩松持国申状写]] (古-107)]],
[DATA(.text)[享徳四年二月日]]
[SRC[>>13]]
- [43] 
[DATA(.label)[[[正木文書]] [CITE[足利成氏加判岩松持国申状写]] (古-136)]],
[DATA(.text)[享徳肆年閏四月八日]]
[SRC[>>13]]
- [44] 
[DATA(.label)[[[正木文書]] [CITE[足利成氏加判岩松持国申状写]] (古-168)]],
[DATA(.text)[享徳四年七月十三日]]
[SRC[>>13]]
- [45] 
[DATA(.label)[[[正木文書]] [CITE[足利成氏加判岩松持国申状写]] (古-169)]],
[DATA(.text)[享徳四年七月十三日]]
[SRC[>>13]]
- [46] 
[DATA(.label)[[[喜連川家御書案留書]] [CITE[足利成氏加判二階堂某申状写]] (古-110)]],
[DATA(.text)[享徳四年七月十三日]]
[SRC[>>13]]
- [47] 
[DATA(.label)[[[安得虎子]] [CITE[足利成氏加判宍戸持国申状写]] (古-183)]],
[DATA(.text)[享徳四年十月日]]
[SRC[>>13]]
- [14] 
[CITE(.label)[日野入柳次氏蔵板碑]],
[DATA(.addr)[[[館林市]]]],
[DATA(.text)[享徳四年十月  日]]
[SRC[>>13]]
-
[53] 
[DATA(.label)[[[案主家文書]] [CITE[孫六田地売券]]]],
享徳四年十二月十三日
[SRC[>>148]]
- [15] 
[DATA(.label)[[[鑁阿寺文書]] [CITE[鎌倉公方足利成氏禁制]]]],
[DATA(.text)[享徳四年十二月廿三日]]
[SRC[>>13]]
- [16] 
[DATA(.label)[[[鷲宮神社文書]] [CITE[足利成氏願文]]]],
[DATA(.text)[享徳四年十二月廿三日]]
[SRC[>>13]]
- [382] 
[DATA(.label)[[[正木文書]] [V[一四九]] [CITE[[V[足利成氏書狀案]]]]]]
-- [385]  
[DATA(.label)[到来書]]
「[DATA(.text)[[V[到来享徳五 正月十七日]]]]」
[SRC[>>367 /151]]
- [325] [DATA(.label)[[[正木文書]] 168号]]
-- [360] [DATA(.label)[到来書]] 「[V[到来  [DATA(.text)[享徳五  正月十七日]]]]」
[SRC[>>367 /155]]
- [18] 
[CITE(.label)[国分寺板碑]],
[DATA(.addr)[[[市川市]]]],
[DATA(.text)[享徳五年正月八日]]
[SRC[>>13]]
- [376] 
[DATA(.label)[[[正木文書]] [V[一四七]] [CITE[[V[足利成氏感狀案]]]]]]
-- [378] 
[DATA(.label)[到来書]]
「[DATA(.text)[[V[到来享徳五 [RUBY[九月][(正カ)]]廿日]]]]」
[SRC[>>367 /151]]
- [380] 
[DATA(.label)[[[正木文書]] [V[一四八]] [CITE[[V[足利成氏書狀案]]]]]]
-- [381]  
[DATA(.label)[到来書]]
「[DATA(.text)[[V[到来享徳五 二月二日]]]]」
[SRC[>>367 /151]]
- [19] 
[DATA(.label)[[[天翁院文書]] [CITE[鎌倉公方足利成氏禁制]]]],
[DATA(.text)[享徳五年三月九日]]
[SRC[>>13]]
-
[54] 
[DATA(.label)[[[案主家文書]] [CITE[津宮村麦畠検注取帳案]]]],
享徳五年四月二十一日
[SRC[>>148]]
-
[55] 
[DATA(.label)[[[案主家文書]] [CITE[大畠村横宇麦畠検注取帳案]]]],
享徳五年五月十二日
[SRC[>>148]]
-
[56] 
[DATA(.label)[[[案主家文書]] [CITE[新部村麦畠検注取帳案]]]],
享徳五年五月十五日
[SRC[>>148]]
- (きやうとく, きうとく)
[SEE[ [[仮名書き年号]] ]]
- [384] 
[DATA(.label)[[[正木文書]] [V[一五〇]] [CITE[[V[足利成氏書狀案]]]]]]
-- [387]   
[DATA(.label)[到来書]]
「[DATA(.text)[[V[到来享[RUBY[徳 正][(五カ)]]月廿八日]]]]」
[SRC[>>367 /151]]
- [20] 
[DATA(.label)[[[天翁院文書]] [CITE[某康定等連署下状]]]],
[DATA(.text)[享徳五年六月三日]]
[SRC[>>13]]
-
[57] 
[DATA(.label)[[[案主家文書]] [CITE[相根村麦畠検注取帳断簡]]]],
享徳五年七月二十八日
[SRC[>>148]]
-
[58] 
[DATA(.label)[[[案主家文書]] [CITE[相根村麦畠検注取帳案]]]],
享徳五年七月二十八日
[SRC[>>148]]
-
[59] 
[DATA(.label)[[[新福寺文書]] [CITE[大禰宜胤房寄進状写]]]],
享徳五年十一月十七日
[SRC[>>148]]
-
[60] 
[DATA(.label)[[[新福寺文書]] [CITE[大禰宜胤房寄進状写]]]],
享徳五年十一月十七日
[SRC[>>148]]
- [21] 
[DATA(.label)[[[真壁文書]] [CITE[足利成氏判物]]]],
[DATA(.text)[享徳六年六月廿一日]]
[SRC[>>13]]
- [24] 
[DATA(.label)[[[黄梅院文書]] [CITE[古河御所成氏證判知行注文]] ([CITE[足利成氏加判黄梅院領知行注文]]) (古-227)]],
[DATA(.text)[享徳六年四月十三日]]
[SRC[>>13]]
- [25] 
[DATA(.label)[[[皆川文書]] [CITE[萬光寺建彭等連署仏事銭請取状]]]],
[DATA(.text)[享徳六年四月廿九日]]
[SRC[>>13]]
- [26] 
[CITE(.label)[大野康弘家所蔵板碑]],
[DATA(.addr)[[[川越市]]]],
[DATA(.text)[享徳六年十月十日]]
[SRC[>>13]]
- [27] 
[DATA(.label)[[[山崎文書]] [CITE[足利成氏感状]]]],
[DATA(.text)[享徳八年十二月十三日]]
[SRC[>>13]]
- [28] 
[CITE(.label)[円福寺梵鐘]],
[DATA(.addr)[[[銚子市]]]],
[DATA(.text)[享徳十一年十二月十五日]]
[SRC[>>13]]
- [29] 
[DATA(.label)[[[税所文書]] [CITE[町野成康奉書]]]],
[DATA(.text)[享徳十四年三月十四日]]
[SRC[>>13]]
- [30] 
[DATA(.label)[[[税所文書]] [CITE[町野成康奉書]]]],
[DATA(.text)[享徳十四年四月五日]]
[SRC[>>13]]
- [31] 
[DATA(.label)[[[別府文書]] [CITE[足利成氏書状]]]],
[DATA(.text)[享徳十六年十一月十五日]]
[SRC[>>13]]
- [32] 
[DATA(.label)[[[鹿島則行文書]] [CITE[某判物]]]],
[DATA(.text)[享徳十七年正月十六日]]
[SRC[>>13]]
- [33] 
[DATA(.label)[[[旧大禰且家文書]] [CITE[足利成氏内書]]]],
[DATA(.text)[享徳十七年正月十六日]]
[SRC[>>13]]
- [34] 
[DATA(.label)[[[塙不二丸氏所蔵文書]] [CITE[足利成氏内書写]]]],
[DATA(.text)[享徳十七年正月十六日]]
[SRC[>>13]]
- [35] 
[DATA(.label)[[[秋田藩採集文書]] [CITE[足利成氏感状写]]]],
[DATA(.text)[享徳十七年十月十五日]]
[SRC[>>13]]
- [48] 
[DATA(.label)[[[高文書]] [CITE[足利成氏加判高師久申状]] (古-263)]],
[DATA(.text)[享徳十八年十一月十二日]]
[SRC[>>13]]
- [36] 
[DATA(.label)[[[高文書]] [CITE[高師久申書]]]],
[DATA(.text)[享徳十八年十一月十八日]]
[SRC[>>13]]
- [37] 
[DATA(.label)[[[茂木文書]] [CITE[古河公方足利成氏袖判安堵状]]]],
[DATA(.text)[享徳二十年七月廿二日]]
[SRC[>>13]]
- [49] 
[DATA(.label)[[[茂木文書]] [CITE[足利成氏加判茂木持知申状]] (古-270)]],
[DATA(.text)[享徳廿年七月廿七日]]
[SRC[>>13]]
- [38] 
[DATA(.label)[[[旧大禰且家文書]] [CITE[千葉孝胤安堵状]]]],
[DATA(.text)[享徳廿年八月廿七日]]
[SRC[>>13]]
- [39] 
[DATA(.label)[[[報国寺文書]] [CITE[報国寺寺領目録]] ([CITE[足利成氏加判報国寺領目録写]]) (古-284)]],
[DATA(.text)[享徳廿六年九月十日]]
[SRC[>>13]]
- [40] 
[DATA(.label)[[[安保文書]] [CITE[安保氏奉申状]] ([CITE[足利成氏加判安保氏奉申状]] (古-288))]],
「[DATA(.text)[[V[享徳廿七年四月七日]]]]」
[SRC[>>13]]










]ITEMS]

[51] 
解釈と研究史は[[関東の延長年号]]参照。

[REFS[


- [286] [CITE[[[日本の石仏]] 4号]],
[TIME[1977-12]]
-- [287] 
[CSECTION[小特集 中世板碑]]
--- [289] 
[CITE[[[[V[中世私年号と板碑[WEAK(smaller)[―私年号伝播者および足利成氏との関係を中心に―]]]]]]]],
[[[V[浅沼徳久]]]],
pp.[L[17]]-[L[23]]
-
[367] 
[CITE@ja-JP[[[群馬県史]] 資料編 5 (中世 1 古文書・記録)]], [[群馬県史編さん委員会]], [TIME[1978.12][1978]], [TIME[2024-01-05T08:01:52.000Z]], [TIME[2024-01-12T12:47:24.069Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9641586/1/152> (要登録)
-
[148] 
[CITE[[[香取文書にみる中世の年号意識]]]]
- [13] 
[CITE[[[足利成氏文書と不改年号]]]]
-- [52] 引用「古」: [CITE[[[古河市史]] 資料・中世編]]

]REFS]

[65] [CITE[[[偽年号考]]]]

[63] [CITE@ja[スライド 1 - 560.pdf]], [TIME[2015-03-31T10:24:38.000Z]], [TIME[2024-02-19T13:49:52.695Z]] <http://koshigayahistory.org/560.pdf#page=7>


享徳5年 私年号といっている (延長年号)


[566] 
[TIME[2025-11-19T10:07:15.000Z]]
<https://tsuru.repo.nii.ac.jp/record/2000111/files/%E9%A6%99%E5%8F%96%E6%96%87%E6%9B%B8%E8%AA%BF%E6%9F%BB%E5%A0%B1%E5%91%8A%E6%9B%B8%E3%80%80%E9%A6%99%E5%8F%96%E6%96%87%E6%9B%B8%E3%81%AE%E6%96%87%E5%8C%96%E8%B2%A1%E3%81%A8%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%AE%E4%BF%9D%E5%AD%98%E3%81%AB%E5%90%91%E3%81%91%E3%81%9F%E5%9F%BA%E7%A4%8E%E7%9A%84%E7%A0%94%E7%A9%B6%20.pdf>
#page=21



* 享徳の干支不一致

[66] 
[CITE@ja-JP[板碑概説]], [[服部清五郎]], [TIME[1933]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-05-03T08:00:08.296Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1918330/1/390?keyword=%E4%BA%AB%E5%BE%B3> (要登録)


[61] [CITE@ja-JP[南帝由来考 : 後南朝秘史]], [[中谷順一]], [TIME[1985.4][1985]], [TIME[2024-02-01T05:12:54.000Z]], [TIME[2024-02-18T07:57:37.127Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12270358/1/50> (要登録)

[62] >>61 [[後南朝]]資料の[[干支]]誤り (怪しむ要素)


[566] 
[TIME[2025-11-19T10:07:15.000Z]]
<https://tsuru.repo.nii.ac.jp/record/2000111/files/%E9%A6%99%E5%8F%96%E6%96%87%E6%9B%B8%E8%AA%BF%E6%9F%BB%E5%A0%B1%E5%91%8A%E6%9B%B8%E3%80%80%E9%A6%99%E5%8F%96%E6%96%87%E6%9B%B8%E3%81%AE%E6%96%87%E5%8C%96%E8%B2%A1%E3%81%A8%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%AE%E4%BF%9D%E5%AD%98%E3%81%AB%E5%90%91%E3%81%91%E3%81%9F%E5%9F%BA%E7%A4%8E%E7%9A%84%E7%A0%94%E7%A9%B6%20.pdf>
#page=19




* 関連


[50] [[享正]]

* メモ