[1] 
[DFN[享正]]は、
[[日本の異年号]]の1つです。

* 用例

[51] 
[[日本]][[相馬藩]]が安政4年から明治4年にかけて編纂した[[地誌]]
[CITE[[[奥相志]]]]
の[[日本]][[陸奥国]][[行方郡]][[牛越村]] 
[WEAK[([[明治時代]]の[[日本国]][[福島県]]下[[磐城国]][[相馬郡]][[牛越村]], [[昭和の大合併]]後は[[日本国]][[福島県]][[原町市]], [[平成の大合併]]後は[[日本国]][[福島県]][[南相馬市]])]]
条に、

>
[VRLBOX[
釈迦堂[SUP(smaller)[方三間]]  館下山の中央泉竜寺境内跡に在り。[SNIP[]][BR[]]
古記に曰く、右は遠古徳尼御と称する人の開基なり。[BR[]]
釈迦の像の胸中に徳尼菩提の為めに造立す、享正三年[BR[]]
乙未六月晦日と銘あり [SUP(smaller)[享正の年号は伝写の誤りか、考知せ[BR[]]ず。]]徳尼御は奥州岩城の領主海東小太郎平成衡の後[BR[]]
室、源頼義の女、母は多気権守宗基の女なり。前九年[BR[]]
の戦に奥州に生る。後三年の戦に源義家義子と為し亘[BR[]]
権守清衡に頂く。[SNIP[]][BR[]]
[SNIP[]]徳尼御百廿余歳の寿を保ち右大将頼朝と恒に音信[BR[]]
を通ず。是より先、頼朝伊豆に在り。時に徳尼百余歳[BR[]]
自筆の寿量品所望の事伊豆日記に見ゆ。或は記する[BR[]]
に、尼御を以て秀衡の妹と為すは誤りなり。
]VRLBOX]

とあります。
[SRC[>>48]]

[53] 
明治3年に牛越の白王山泉竜寺は新田村 
[WEAK[([[日本]][[陸奥国]][[行方郡]][[北新田村]], [[平成の大合併]]で[[日本国]][[福島県]][[南相馬市]])]]
の新田山新善光寺と合寺し、
[[北新田村]]に所在する新田山泉竜寺となりました。
釈迦堂も移されました。
[SRC[>>52]]

;; [55] 
>>56 に令和2年投稿の釈迦堂の外観写真が、
>>54 に令和4年時点の釈迦堂の外観写真があります。

[64] 
銘文の有る釈迦像は
[CITE[奥相志]]
以後どうなったのか記録が見当たりません。
[TIME[令和2(2020)年][2020]]時点で釈迦堂に釈迦像が現存するようで [SRC[>>56]]、
これがそれと考えていいのでしょうか。

* 諸説

[70] 
この[[享正]]については、これまで比定年等の説が提唱された記録が見当たりません。


[58] 
[[徳尼]]と呼ばれる人物については[[東北地方]]の各地に、
少しずつ違う伝承があるようです。
[SRC[>>57]]
百歳を超えたという点も含め、現在に伝わるこれらの伝承の史実性は低そうに思われます。

[59] 
[CITE[奥相志]]が採集した当地の伝承では[[徳尼]]は[[前九年の役]]
([TIME[永承6(1051)年][1051]] - [TIME[康平5(1062)年][1062]])
の時の生まれとあります。
[[父]]は[[前九年の役]]に参戦した[[源頼義]]とされていますが、
生年は[TIME[永延2(988)年][988]]、一説[TIME[正暦5(994)年][994]]、
没年は[TIME[承保2(1075)年][1075]]、一説[TIME[永保2(1082)年][1082]]です
[SRC[>>60]]。

[61] 
当地の伝承では[[徳尼]]の[[没年齢]]が120歳あまりとされています。
[[数え年]]で [120, 129] 歳とすると、[[没年]]は
[ [TIME[嘉応2(1170)年][1170]], 
[TIME[文治6(1190)年 = 建久元(1190)年][1190]] ]
の範囲ということになります。
[[前九年の役]]と[[源頼朝]]の両方に縁があると設定したために、
かくも無理な寿命となってしまったのでしょう。

[62] 
さて、銘文を信じると乙未年に[[菩提]]のため造像したとのことで、
一応[[没年]]からそれほど離れていないとすると

- [TIME[西暦1055年][1055]]
- [TIME[永久3年(1115)年][1155]]
- [TIME[承安5/安元元(1175)年][1175]]
- [TIME[文暦2/嘉禎元(1235)年][1235]]
- [TIME[西暦1295年][1295]]

などが候補となります。[TIME[西暦1175年][1175]]がちょうど[[没年]]想定範囲に入っています。

[63] 
しかし[CITE[奥相志]]の筆者が注釈した通り、これらに (そしてこれの前後の他の乙未年にも)
「享正」という[[元号]]はありませんし、それと誤りそうな他の[[元号]]もありません。
既知の[[私年号]]の[[享正]]とは[[干支]]があいませんし、時代がまったく異なります。


[65] 
この種の[[説話]]に出てくるいつかわからない謎[[元号]]は他にも[[長本]]など例があります。
時期は一応わかるものの史実性の疑わしい[[東北地方]]の[[説話]]に頻出する[[元号]]は[[大同]]があります。

[71] 
何らかの実在の[[元号]]の転訛の可能性も、説話の要素として仮作された可能性も、
どちらも検討を要することでしょう。

* 研究史


[69] 
[[江戸時代]]末期から[[明治時代]]初期に編纂された
[CITE[[[奥相志]]]]
は、
[[享正]]は不明であり誤伝か、と注釈しています。 [SRC[>>51]]
調査時に[[公年号]]に該当するものがなく、
どう解釈するべきか決めかねたのでしょう。


[66] この「享正」は、[[令和時代]]に至るまで[[私年号研究]]分野では気づかれず見落とされてきました。


[REFS[

- 
[52] 
[CITE@ja-JP[原町市史]], [[原町市史編纂委員会]], [TIME[1968]], [TIME[2024-01-05T08:01:52.000Z]], [TIME[2024-01-21T02:06:35.936Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/3449102/1/815> (要登録)
-
[48] 
[CITE@ja-JP[[[相馬市史]] 4]], [[相馬市]], [TIME[1969]], [TIME[2024-01-05T08:01:52.000Z]], [TIME[2024-01-21T01:41:11.715Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/9536823/1/369> (要登録)

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[56] 
[CITE@ja[泉龍寺のお釈迦様。 釈迦堂には、現在 弘法大師・釈迦如来・閻魔大王が安置されていますが 釈迦堂の本尊、釈迦如来は 詳しい縁起は残っていないものの 源頼義(998-1082)の娘、徳尼の開建と言い伝えられています。 また、当時の泉龍寺は今の場所とは違う「牛越」の地にあり 「白王… | [[Instagram]]]], 
[[泉龍寺]],
[TIME[2020年9月9日][2020-09-09T06:57:37.000Z]],
[TIME[2024-01-21T02:21:46.000Z]] <https://www.instagram.com/p/CE6BNrjHlhi/>
]FIGCAPTION]

>
釈迦堂には、現在
弘法大師・釈迦如来・閻魔大王が安置されていますが
釈迦堂の本尊、釈迦如来は
詳しい縁起は残っていないものの
源頼義(998-1082)の娘、徳尼の開建と言い伝えられています。
また、当時の泉龍寺は今の場所とは違う「牛越」の地にあり
「白王山泉龍寺」という名前でした。

]FIG]

-
[54] 
[CITE[[[泉龍寺]] 見どころ - 南相馬市/[[福島県]] | Omairi(おまいり)]], [TIME[2024-01-21T02:18:18.000Z]] <https://omairi.club/spots/115101/point>
-
[57] 
[CITE@ja[[[徳尼公]] - Wikipedia]], [TIME[2024-01-11T09:20:06.000Z]], [TIME[2024-01-21T02:27:07.274Z]] <https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%B3%E5%B0%BC%E5%85%AC>
-
[60] 
[CITE@ja[[[源頼義]] - Wikipedia]], [TIME[2024-01-20T06:03:34.000Z]], [TIME[2024-01-21T02:39:41.503Z]] <https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%90%E9%A0%BC%E7%BE%A9>



]REFS]

* 関連

[SEE[ [[享正 (日本東国)]] ]]

* メモ