[44] 
[DFN[乾徳]]
([[旧字体]]: [DFN[乾德]])
は、
[[日本の私年号]]の1つです。


* 元号名

[43] 
[[新字体]]は[[乾徳]]、
[[旧字体]]は[[乾德]]です。

[42] 
[[読み][元号名の読み方]]は、
「けんとく」
とされます。
[SRC[>>41, >>78]]

* 用例

[108] 
用例は1点のみ知られています。

** 東京都下の用例

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [10] [DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[東京府]][[東京市]][[足立区]][[江北町]][[鹿浜]]]] [[板碑]]]]
-- [60] 土手下 [SRC[>>58]]
-- [47] >>45 : [L[10]]
-- [59] >>58 : [[拓本]] 白黒写真 (解像度中の下)
-- [11] >>3 : [[拓本]] 白黒写真 (解像度中の上)
-- [49] >>48 : [[拓本]] 白黒写真 (解像度中)
-- [12] 
「[DATA(.text)[[V[乾德元年十月三日]]]]」
[SRC[>>3, >>1, >>2, >>58]]
-- [25] 
「[DATA(.text)[[V[乾徳元年十月三日]]]]」
[SRC[>>4, >>9, >>45]]
-- [64] 上部欠
-- [51] [[弥陀三尊]]と推定 [SRC[>>58, >>47]]
- [34] [DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[東京都]][[葛飾区]] (旧[[本田町]]地区) [[立石]]]] [[南蔵院]] [[板碑]]]]
-- [69] >>68 : [[南蔵寺]] [[板碑]] [V[⑫]]
-- [35] >>5 : [V[一四]]
-- [74] >>68 : [[拓本]] 白黒写真 (解像度中) 文字は読みにくく字形細部観察困難
-- [70] 「[DATA(.text)[[V[乾徳元年十月二日]]]]」
[SRC[>>68]]
-- [36] 「[DATA(.text)[[V[乾徳元年九月三日]]]]」
[SRC[>>5]]
-- [65] 上部欠 [SRC[>>5]]
-- [63] [[弥陀三尊]] [SRC[>>5, >>68]]

]ITEMS]

[37] 
>>10 の[[鹿浜]]と >>34 の[[立石]]は、少し離れているものの、
同じ[[荒川]]流域で、数時間の徒歩で行き来できる程度の距離感です。

[39] 
>>192 は >>6 (>>10 掲載) を引きつつ、
[[葛飾区]]の[[板碑]]で[[足立区]]旧在と説明しています。 [SRC[>>192]]

[66] 
銘文は異なって読まれていますが、特徴が同一なので、
同じ[[板碑]]と思われます。


[14] 
>>10 の銘文は、全体的に[[点画]]の比較的はっきりとした[[楷書]]系の[[字形]]です。

[13] 
第1字は[CH[乾]]と読まれています。現在の[[通用字体]]とは違いも多く、
[[異体字]]の[CH[乹]]の方が近いですが、[[偏]]もこれと少し異なります。
[SRC[>>11]]
しかし、[CH[乾]]の[[異体字]]と考えることには問題ないと思われます。

[15] 
第2字は[CH[徳]]ですが、[CH[心]]のあたりは簡略化されて書かれています。
[SRC[>>11]]
横線になった部分を[[旧字体]]の[CH[德]]と捉えることもできるかもしれませんが、
[CH[心]]の点であり[[新字体]]の[CH[徳]]とみなす方がより適切でしょうか。

[16] 
第4字の[CH[年]]は[[草書]]系の非常に簡略された[[字形]]です。
[SRC[>>11]]


[17] 
第5字は[CH[十]]/[CH[九]]と読まれていますが、左半分が[CH[ホ]]のように見え、 
右半分は不明瞭で右下に[CH[又]]状の残画らしきものが見えます。
[SRC[>>11]]

[67] 
拓本を遠目に見ると[CH[極]]のようにも思われますが、右上部分に元々字画がなかったとすると、
そうは読めません。

[109] 
第7字は[CH[三]]と少数説の[CH[二]]があります。拓本では[CH[三]]に見えます [SRC[>>11]]。

[50] 
拓本だと[CH[三]]と[CH[日]]の間にも横線があるようにも見えますが、
[CH[三]]の横線より不明瞭で、周辺と比べても、
割れ目か何かであって字画ではないと思われます。
[SRC[>>11]]

* 諸説

[112] 
現時点で報告されている用例は[[板碑]]1件のみであり、
[[乾徳]]の研究はこの[[板碑]]の研究であります。

[113] 
ところが、この[[板碑]]の銘文は、[[月日]]の解読に異説があります。
[[元号名]]自体の解釈に大きな影響を与えるものではないとはいえ、
あらゆる検討の基礎となるものですから、よくよく追求する必要があります。

[116] 
なお、[[乾徳]]という[[元号名]]は[[漢土]]で少なくても3回使われていますが、
いずれも[[板碑]]の時代より古いものであり、
[[日本]]の[[東国]]で[[板碑]]に使われる可能性は極めて低く、
無関係と考えられます。

[117] 
[[乾徳]]の時期については、
表現の揺れで見かけ上諸説あるものの、
[[室町時代]]の初期すなわち[[南北朝時代]]ということで大方一致しています。
ただし、その根拠は[[板碑]]の様式のみであり、
その意味で曖昧性と不安定性を有します。

[118] 
[CITE[日本私年号の研究]]以後、
[[建德]]の異表記とする説が有力となっています。
ただし、元々この[[異年号]]への言及は少ない中で、
古くからの解説に由来する系統の説明が残存しているため、
通説といえるかどうかには若干の議論の余地があります。

[119] 
[[建德]]は[[南朝の元号]]であることなどから、
[[南朝]]と関連付けられた背景を推測した説明もありますが、
強い根拠があるわけではありません。

[120] 
[[建德]]は[[南朝]]の弱体化が進む[[南北朝時代]]後期の[[元号]]であり、
それが[[武蔵国]]で一般の[[板碑]]に残される可能性があるか
(当該地域や関係した僧侶、石工が[[南朝]]系勢力の統治下にあったか)
は、なおも慎重な考察を要すると思われます。

[121] 
[[南北朝時代]]に近い[[元徳]]などの可能性や、
[[公年号]]と無関係の可能性なども、
改めて一考を要するところでしょう。

* 研究史

[61] 
[TIME[昭和7(1932)年][1932]]の[[入本英太郎]]の論文は、
地域の[[板碑]]の調査報告ですが、
>>10
を紹介しています。
[SRC[>>58]]

[62] 
[[異年號]]で非常に珍しいと述べています。
[SRC[>>58]]

[REFS[

- [58] 
[CITE@ja-JP[武蔵野 19(3)]], [[武蔵野文化協会]], [TIME[1932-09]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-06-02T06:07:05.609Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/7932507/1/18?keyword=%E4%B9%BE%E5%BE%B3> (要登録)

]REFS]

-*-*-

[18] 
[TIME[昭和8(1933)年][1933]]の[[板碑]]の書籍は、
[[板碑]]の[[私年号]]の用例の1つとして
>>10
を紹介しています。
[SRC[>>3]]

[19] 
未知の[[私年号]]であり、[[干支年]]がなく比定年は不明と説明しています。
[SRC[>>3]]

[20] 
[[室町]]初期のものであろうと推測しています。
[SRC[>>3]]
理由は明記されていませんが、様式によるのでしょう。

[21] 
[TIME[昭和9(1934)年][1934]]の地方史は、
[[日本国]][[埼玉県]]の[[板碑]]の[[私年号]]の解説ですが、
近接地の事例として
>>10
を紹介しています。
[SRC[>>1]]

[22] 
[[干支年]]がなく比定年は不明と説明しています。
[SRC[>>1]]

[23] 
様式から[[管領時代]]と推測しています。
[SRC[>>1]]

[24] 
[TIME[昭和11(1936)年][1936]]の書籍は、
[[板碑]]の[[私年号]]の用例の1つとして
>>10
を紹介しています。
[SRC[>>2]]

[26] 
[TIME[昭和42(1967)年][1967]]の書籍は、
[[板碑]]の[[私年号]]の用例の1つとして
>>10
を紹介しています。
[SRC[>>4]]

[27] 
[[室町時代]]初期という、と述べています。
[SRC[>>4]]

[31] 
[TIME[昭和48(1973)年][1973]]の書籍は、
[[板碑]]の[[私年号]]の用例の1つとして
>>10
を紹介しています。
[SRC[>>9]]

[32] 
[[室町時代]]初期としています。
[SRC[>>9]]

[REFS[

- [3] 
[CITE@ja-JP[板碑概説]], [[服部清五郎]], [TIME[1933]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-06-02T04:53:35.571Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1918330/1/389?keyword=%E4%B9%BE%E5%BE%B3> (要登録)
- [1] 
[CITE@ja-JP[埼玉県史 第四巻]], [[埼玉県]], [TIME[昭和9][1934]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-06-02T05:11:38.138Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/3439275/1/312?keyword=%E4%B9%BE%E5%BE%B3> (要登録)
- [2] 
[CITE@ja-JP[仏教考古学講座 第五卷]], [[雄山閣]], [TIME[昭和11][1936]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-06-02T05:15:00.052Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1914064/1/82?keyword=%E4%B9%BE%E5%BE%B3> (要登録)
- [4] 
[CITE@ja-JP[板碑入門]], [[小沢国平]], [TIME[1967]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-05-31T03:08:23.079Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/2980023/1/78?keyword=%E4%B9%BE%E5%BE%B3> (要登録)
- [9] 
[CITE@ja-JP[中世史ハンドブック]], [[永原慶二 '''['''等''']'''編]], [TIME[1973]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-05-31T07:36:14.576Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12156456/1/135?keyword=%E4%B9%BE%E5%BE%B3> (要登録)


]REFS]

-*-*-

[81] 
昭和39年の[[久保常晴]]の[[論文]]は、
[[乾徳]]を掲載し、
>>10
を紹介しています。
[SRC[>>80]]

[82] 
次のように述べています。

- [85] [[板碑]]様式
-- [83] [CITE[板碑概論]]は[[室町時代]]初期
--- [102] [[南北朝時代]]込みの[[室町時代]]だろう
-- [84] 一般にも[[室町時代]]と報じている
-- [86] 降っても[[室町時代]]初期とみられ、[[南北朝]]とみて差し支えない
- [103] [[稲村坦元]]の[CITE[日本史巡見の手引]]は[[室町時代]]
-- [104] [[室町時代]]に[[私年号]]が[[関東]]に多いためか
- [87] [[南朝]]末に同音の[[建徳]]があり、
-- [88] 或いはこれに該当するか
- [89] あえて[[室町時代]]に降す根拠は見当たらない
- [90] 当時の紀年のほとんどは[[北朝]]
-- [91] が、[[南朝]]の例もある
-- [92] 同一地域のほとんど[[北朝]]の中に[[南朝]]の例もあって不自然ではない
-- [93] ただ、周囲[[北朝]]で[[南朝]]側を標榜するのは容易ならぬと推測
--- [94] ここに同音異字を用いたか
--- [95] あるいは7月27日[[改元]]と近接し、遠隔地であり、[[伝播で誤った][改元デマ]]か
--- [96] [[天寿]] ([[天授]]) の例
- [97] [[正久]], [[正真]]と同地域、あるいは誤認としても、それが母胎となって[[乾徳]]が発生したとも受け取れないことはない
- [98] 年代は[[建徳]]頃
- [99] 公家的か否かは「[V[公[YOKO[?]]]]」、仏教的色彩は有り
- [100] 理由根拠は北朝との対立
- [101] [[私年号]]と[[異年号]]の分類では[[異年号]]



[46] 
昭和42年の[CITE[日本私年号の研究]]は、
[[私年号]]ではない[[異年号]]のうちの[[同音異字年号]]の用例の1つとして
>>10
を紹介しています。
[SRC[>>45]]

[52] 
[CITE[日本私年号の研究]]は、

- [53] 様式から[[南北朝時代]]であること、
- [54] [[公年号]]に[[建徳]]があり、同音であること、
- [55] [[建徳]]への[[改元]]が7月27日で矛盾ないこと、

... を指摘し、[[建徳]]と同定しています。
[SRC[>>48]]

[56] 
また、
比較的近い地域の[[至大]]と共に、
[[南朝]]系一揆残党の所産の可能性を指摘しています。
[SEE[ [[至大]] ]]

[NOTE[

[57] 
これは、[[久保常晴]]が[[同音異字年号]]は意識的な[[元号名]]の改作であり、
政権に対する反抗の意図が織り込まれていると考えていた文脈での推測です。
実の所、物証は未検出です。

[110] 
[[至大]]は時代と地域の背景から[[南朝]]との結び付きが想定され、
[[乾徳]]も同音の[[建德]]との関係が見られるとすれば、
両者から[[南朝]]方勢力の存在の気配を感じるのは、そこまで飛躍した推測でもありません。

[111] 
ただ、現在の通説によれば[[至大]]に[[南朝]]との関係は希薄と言わざるを得ません。

]NOTE]

[28] 
[TIME[昭和58(1983)年][1983]]の書籍は、
[[板碑]]の[[同音異字年号]]の用例の1つとして
>>10
を紹介しています。
[SRC[>>251]]

[29] 
当論文は、[[公年号]]を誤ったか、異字に違和感を持たなかったための表記を[[同音異字年号]]とし、
[[私年号]]から除外しています。
[SRC[>>251]]

[30] 
[[乾徳]]は[[建徳]]の異表記たる[[同音異字年号]]だとしています。 [SRC[>>251]]


[193] 
同書第二巻では、[[肥留間博]]が[CITE[日本私年号の研究]]から
「[V[建徳(一三七〇)]]」
の[[同音異字年号]]と紹介しています。 [SRC[>>192 (>>6)]]


[REFS[

- [80] [CITE[[[我が国の私年号に関する研究 (一) ―平安時代より南北朝まで―]]]]
- [6] [CITE[日本私年号の研究]]
-- [45] p.[V[一七〇]]
-- [48] p.[V[一七五]]
-
[250] 
[CITE@ja-JP[板碑の総合研究 1 (総論編)]], [[坂詰秀一]], [TIME[1983.2][1983]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-06-02T05:20:34.543Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12226011/1/155?keyword=%E4%B9%BE%E5%BE%B3> (要登録)
--
[251] 
[CSECTION[[V[私年号板碑]]]],
[[[V[石村喜英]]]]
- [192] 
[CITE@ja-JP[板碑の総合研究 2 (地域編)]], [[坂詰秀一]], [TIME[1983.11][1983]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-05-04T12:36:55.917Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12285158/1/72?keyword=%E4%B9%BE%E5%BE%B3> (要登録)

]REFS]

-*-*-

[71] 
[TIME[昭和55(1980)年][1980]]の報告書は、
>>34
を掲載しています。
[SRC[>>68]]

[72] 
[[室町時代]]の[[異年号]]と説明しています。
[SRC[>>68]]

[73] 
[[私年号]]を持つ異色の[[板碑]]と紹介されています。
[SRC[>>68]]


[33] 
[TIME[昭和60(1985)年][1985]]の史料集は、
>>34
を掲載しています。
[SRC[>>5]]

[38] 
[[私年号]]か、
[TIME[建徳元(1370)年][1370]]か、
と注釈しています。
[SRC[>>250]]



[REFS[

- [68] 
[CITE@ja-JP[葛飾区寺院調査報告 下]], [[東京都葛飾区教育委員会社会教育課]], [TIME[1980.3][1980]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-06-02T06:18:14.645Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12222841/1/21?keyword=%E4%B9%BE%E5%BE%B3> (要登録)
- [5] 
[CITE@ja-JP[葛飾区板碑調査報告]], [[東京都葛飾区教育委員会社会教育課]], [TIME[1985.3][1985]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-06-02T05:31:41.331Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12221234/1/19?keyword=%E4%B9%BE%E5%BE%B3> (要登録)

]REFS]







-*-*-

[40] 
[TIME[昭和41(1966)年][1966]]の一覧表は、
[[乾徳]]を[[室町時代]]の[[私年号]]とし、
継続年数不明としています。
[SRC[>>7]]

[41] 
[TIME[昭和59(1984)年][1984]]の一覧表は、
それを出典に[RUBY[乾][けん]][RUBY[徳][とく]]を[[室町時代]]の[[私年号]]とし、
継続年数不明としています。
[SRC[>>8]]

[78] 
[TIME[昭和33(1958)年][1958]]、
[TIME[昭和34(1959)年][1959]]、
[TIME[昭和60(1985)年][1985]]の辞典は、
「けんとく」 ([[乾德]]) を[[室町時代]]の[[私年号]]で詳細不明としています。
[SRC[>>79, >>77, >>105]]

[76] 
その他、[[私年号]] (の[[板碑]]) の事例で列挙されることがあります。
[SRC[>>75, >>114]]

[106] 
ただ、
[CITE[日本私年号の研究]]が[[私年号]]ではないと分類した影響が大きいのか、
[[私年号]]の一覧表等にはほとんど掲載が見られません。
[SRC[>>107]]

[REFS[

- [105] 
[CITE@ja-JP[日本歴史大辞典 第9巻 (さかーしは)]], [[河出書房新社]], [TIME[1958]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-06-02T07:43:48.518Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/2998379/1/169?keyword=%E4%B9%BE%E5%BE%B3> (要登録)
- [79] 
[CITE@ja-JP[日本歴史大辞典 第19巻 (よーわ,補遺)]], [[河出書房新社]], [TIME[1959]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-06-02T07:11:16.605Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/2999837/1/171?keyword=%E4%B9%BE%E5%BE%B3> (要登録)
- [77] 
[CITE@ja-JP[日本歴史大辞典 第10巻 (補遺・索引)]], [[日本歴史大辞典編集委員会]], [TIME[1985.12][1985]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-06-02T07:03:23.772Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12192280/1/38?keyword=%E4%B9%BE%E5%BE%B3> (要登録)
- [7] 
[CITE@ja-JP[角川日本史辞典]], [[高柳光寿 等編]], [TIME[1966]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-05-18T08:47:13.796Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/2973861/1/499> (要登録)
- [8] 
[CITE@ja-JP[岩手の懸仏]], [[岩手県立博物館]], [TIME[1984.3][1984]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-05-18T08:47:27.638Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12424053/1/40?keyword=%E4%B9%BE%E5%BE%B3> (要登録)
- [75] 
[CITE@ja-JP[東京都古代中世古文書金石文集成 第4巻 (金石文編)]], [[角川文化振興財団, 平野邦雄, 杉山博 監修]], [TIME[1997.5][1997]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-06-02T06:30:53.046Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/13176990/1/102?keyword=%E4%B9%BE%E5%BE%B3> (要登録)
- [114] 
[CITE@ja[222.pdf]], [TIME[2017-08-31T05:45:43.000Z]], [TIME[2026-06-02T09:20:07.707Z]] <https://www.city.koga.fukuoka.jp/uploads/files/somu/222.pdf#page=9>
- [107] [[日本私年号一覧表]]

]REFS]

* 関連

[115] 
[[大正改元]]時に候補の1つとして提案されたとされます。


* メモ
