[62] 
[DFN[[ASIS[〓][⿸厂友]]治]]は、
[[日本の私年号]]の1つです。

* 元号名

[63] 
[[[ASIS[〓][⿸厂友]]治]]の[CH[[ASIS[〓][⿸厂友]]]]は不明な[[文字]]です。

[64] 
>>23 では、ややわかりにくいですが、 [CH[友]]の右上に[CH[丶]]のようなものが見えます ([CH[犮󠄂]])。
[CH[友]]と[[翻刻]]したのは[[咎なし点]]と判断したものでしょうか。

[65] 
>>23 では[CH[犮󠄂]]部分の正確な字形がどうなっているのか、わかりにくいです。

[67] 
比較的単純な部品の組み合わせですが、ありそうで見かけない字形です。

[66] 
>>23 では[CH[治]]部分が薄くてよくわかりません。それが2字目を[[□]]とするものがあるのでしょう。
[CH[治]]の[[草書体]]のように見えるのも確かですが、 >>23 では断定しづらいです。

* 用例

[77] 1点のみ知られています。

[ITEMS[ [[日時事例]]

- [25] [DATA(.label)[[DATA(.addr)[[[日本国]][[奈良県]][[奈良市]][[西ノ京町]]]] [[薬師寺休岡八幡宮]] 木造[[狛犬]]]]
-- [8] 
>>6 に写真がありますが、[[国立国会図書館デジタルコレクション]] (非公開)
の白黒複写では銘文の判読は困難です。
-- [80] >>78 : 白黒写真 (低解像度) 
-- [23] >>22 : 白黒写真 (中解像度) 銘文の字形がおおむね判読できます。
-- [24] 
[DATA(.label)[台座 墨書銘]]
[VRL[
[DATA(.text)[[ASIS[〓][⿸厂友]]治元年十二月七日乙酉日]]
    此日宮うつしをわします
]VRL]
[SRC[>>1]]
--- [26] >>1 : [[明朝体]][[翻刻]] [ASIS[〓][⿸厂友]]は[[作字]]されている
--- [7] 
「[DATA(.text)[□□元年十二月七日[LINES(smaller)[乙][酉]]]]」
[SRC[>>6]]
--- [33] 
「[V[[DATA(.text)[□[ASIS[治][□囲み]]元年十二月七日乙酉日]]]]」
[SRC[>>22, >>86, >>90]]
--- [40]  
「[DATA(.text)[□治元年十二月七日乙酉日]]」
[SRC[>>5, >>93]]



]ITEMS]

[37] 
銘文には「歳神丁□」ともあります。
これを[[干支年]]とみる解釈もいくつかあります。
[[日付]]とは少々離れており、慎重な検討が必要です。

[54] この[[狛犬]]の大きさは、52cmあまり [SRC[>>22]]。

;; [55] [[休ヶ岡八幡宮]]に伝わったといわれる[[狛犬]]は他にもあるので要注意。


* 諸説

[70] 次の各説があります。

- [71] '''[[寛治]]'''説 / [[平成時代]]以後の有力説 (ただし「?」つき)
- [72] '''[[康治]]'''説 / [[昭和時代]]の有力説
- [73] '''[[私年号]]'''説

[74] [[寛治]]説は、[[媒体]]の様式と[[日干支]]の一致を根拠とします。
[[字形]]の違いが著しいことが断定を憚らせる障害となっています。

[75] [[康治]]説は、[[媒体]]の様式と[[字形]]の (比較的) 類似性を根拠とすると思われます。
[[日干支]]が一致しないことが問題で、[[字形]]もそこまで似ていないのがネックです。

[76] [[私年号]]説は、類似の[[公年号]]を見出だせないことが根拠であり、
他に同定可能な用例が見当たらないこと、年次決定のヒントが皆無であることが問題となります。

* 研究史

[35] 
[TIME[昭和27(1952)年][1952]]の[[年表]]は、
>>25
を[TIME[康治元(1141)年][1141]]に掲載していました。
[SRC[>>34]]
[[年表]]という性質上、銘文もなければ根拠も示されていません。

[REFS[

- [34] 
[CITE@ja-JP[日本美術史年表]], [[小林剛, 藤田経世 共編]], [TIME[1952]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-04-29T07:50:04.681Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/2460658/1/59?keyword=%E7%8B%9B%E7%8A%AC> (要登録)

]REFS]

-*-*-

[27] 
[TIME[昭和31(1956)年][1956]]の[[土井実]]の史料集は、
>>25
を紹介し、次のように説明しています。
[SRC[>>1]]

- [28] 丁未年で[CH[治]]がつく[[元年]]は[[宝治]]
-- [29] しかし[CH[宝]]が[CH[[ASIS[〓][⿸厂友]]]]にはならない
- [30] [[天治]]だとすると[[干支年]]が合わない

[31] 
何の説明もなく唐突に丁未年か調べています。なぜか本書掲載の銘文では省略されていますが、
「歳神丁[未]」
とあり、これを[[干支年]]と見ていると思われます。

[68] 
具体的な比定年は明言していませんが、
[ASIS[斎]]衡3年、
[[[ASIS[〓][⿸厂]]友治]]元年、
保寿元年、
嘉元3年の順に並べており、
[[平安時代]]頃の想定とみられます。
なお、[[保寿]]は[[私年号]]であり、[[平安時代]]の終わり頃とする説と考えられます。
[SEE[ [[保寿]] ]]

[69] 
[TIME[昭和38(1963)年][1963]]の[[土井実]]の[[年表]]では、
>>25
は
「[V[康治[YOKO[?]]元]]」
とされています。
[SRC[>>32]]
こちらには説明がなく、理由は不明です。


[REFS[

- [1] 
[CITE@ja-JP[奈良県銘文集成]], [[土井実]], [TIME[1956]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-04-29T06:41:30.317Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/2995180/1/361?keyword=%E6%B2%BB%E5%85%83%E5%B9%B4> (要登録)
-
[32] 
[CITE@ja-JP[奈良県金石文年表]], [[土井実]], [TIME[1963]], [TIME[2026-04-07T01:12:04.000Z]], [TIME[2026-04-25T14:27:01.788Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/3017363/1/258?keyword=%E5%BA%B7%E6%B2%BB> (要登録)


]REFS]



-*-*-

[201] 
昭和32年、
[[昭和時代]]の[[日本国]][[奈良県]]の歴史研究者[RUBYB[[[田村吉永]]][[TIME[1893]]-[TIME[1977]]]]は、
>>25
を紹介しました。
[SRC[>>6]]



[9] 
12月7日乙酉となる年は、

- [10] 建暦元年辛未
- [11] 弘安元年戊寅
- [12] 嘉元2年甲辰
- [13] 応永4年丁丑

です。 [SRC[>>6]]

[14] 
歳神丁[未]が□□元年の干支だとすると、 >>9 に該当年はありません。
[SRC[>>6]]

[15] 
>>14 と[[私年号]]用例の多くは[[元年]]であることから[[田村吉永]]は□□を[[私年号]]と考えました。
[SRC[>>6]]

[16] 
[[田村吉永]]は、[[元号名]]を「私にはどうも読めない」としています。 [SRC[>>6]]

[17] 
[CITE[日本美術史年表]]は康治元年奈良薬師寺休丘八幡宮狛犬としています。 [SRC[>>6]]

[18] 
しかし康治元年は壬戌で、12月7日も乙酉ではありません。 [SRC[>>6]]

[19] 
丁[未]が丁丑の誤りだとすると応永4年が候補となります。
しかし歳神が[[干支年]]を記したものとは簡単に決し難いです。
[[田村吉永]]は今のところなんとも解し難いとしました。
[SRC[>>6]]

[20] 
[[田村吉永]]は□□が[[私年号]]であることには強い自信を持っていたようです。
しかし昭和47年のほぼ同内容の論文では□□は省かれています。
[SEE[ [[大和の私年号]] ]]

[79] 
[TIME[昭和40(1965)年][1965]]の概説書で[[田村吉永]]担当部に
>>25
の紹介があります。 >>9 >>17 >>18 と同様の説明があります。 [SRC[>>78]]
[[私年号]]ではないかという見解が省かれているのは、中立的な解説を意識したものでしょうか。

[51] 
なお、
昭和42年の[CITE[日本私年号の研究]]は[CITE[私年号六題]]を引用しており、
他の[[私年号]]は掲載していますが、□□は掲載していません。
[[私年号的諸資料]]にも掲載していません。
[[久保常晴]]は[[私年号]]ではないと判定したのでしょうか。

[REFS[

- [6] 
[CITE[私年号六題]]
- [78] 
[CITE@ja-JP[薬師寺]], [[近畿日本鉄道創立五十周年記念出版編集所]], [TIME[1965]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-04-29T10:09:31.428Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/2507462/1/31?keyword=%E7%8B%9B%E7%8A%AC> (要登録)


]REFS]

-*-*-

[36] 
昭和40年の[CITE[平安遺文・金石文編]]は、
>>25
を[TIME[康治元(1142)年][1142]]としつつも、
[[干支]]が合わず研究の余地があるとしています。
[SRC[>>22]]

[38] 
昭和42年の[CITE[日本彫刻史基礎資料集成 平安時代 造像銘記篇四]]は、
12月7日乙酉となる諸年号のうち、
[[寛治]]の可能性を認めつつ、
[[文字]]として[CH[寛]]かどうか疑いを残しています。
[SRC[>>22]]

[39] 
[TIME[昭和45(1970)年][1970]]の
[CITE[奈良六大寺大観]]
は、
様式に[[天平時代]]との共通性を指摘しつつも、
[[平安時代]]後期の特色があるとし、
銘文の年代は確定しがたいものの、造像は平安時代後期であると推定しています。
[SRC[>>22]]
(先行研究として >>35 >>201 >>36 >>38 を紹介しています。)

[87] 
[TIME[昭和49(1974)年][1974]]の
[CITE[奈良県文化財図録]]
は、[[元号名]]を読めないとしつつも、
2字目は[CH[治]]と推定しています。
様式から[[平安時代]]後期の作としています。
[SRC[>>86]]

[89] 
[TIME[昭和61(1986)年][1986]]の
[CITE[日本の古寺美術]]
は、
[[町田甲一]]が「元年12月7日乙酉」から[TIME[寛治元(1087)年][1087]]と特定したと紹介しています。
また、様式からも納得でき、[[平安時代]]後期の製作としています。
[SRC[>>88]]

[91] 
[TIME[昭和62(1987)年][1987]]の
[CITE[奈良県の文化財]]
は、
墨書銘を造像時のものと思われるとし、2字目は[CH[治]]と推定しています。
[TIME[寛治元(1087)年][1087]]説が作風にかなうとしています。
[SRC[>>90]]

[93] 
[TIME[平成2(1990)年][1990]]の[CITE[薬師寺]]は、
2字目を[CH[治]]と断定しています。
古い特徴を指摘しつつも、
[TIME[寛治元(1087)年][1087]]説が有力であると述べ、
古い例を手本にしたのではないかと推測しています。
[SRC[>>92]]

;; [94] 様式からの推測が「有力」説の解読に引きづられていることに留意を要します。

[REFS[

- [22] 
[CITE@ja-JP[[[奈良六大寺大観]] 第6巻 (薬師寺)]], [[奈良六大寺大観刊行会]], [TIME[1970]], [TIME[2025-02-25T01:55:51.000Z]], [TIME[2025-03-23T05:51:48.915Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/1699138/1/402> (要登録)
- [86] 
[CITE@ja-JP[[[奈良県文化財図録]] 7 (美術工芸編-彫刻・重要文化財 1)]], [[奈良県教育委員会事務局文化財保存課]], [TIME[1974]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-04-29T10:21:32.032Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/2526622/1/94?keyword=%E5%8D%81%E4%BA%8C%E6%9C%88%E4%B8%83%E6%97%A5%E4%B9%99%E9%85%89> (要登録)
- [88] 
[CITE@ja-JP[[[日本の古寺美術]] 4]], [[保育社]], [TIME[1986.4][1986]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-04-29T10:25:11.487Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12419892/1/111?keyword=%E5%8D%81%E4%BA%8C%E6%9C%88%E4%B8%83%E6%97%A5%E4%B9%99%E9%85%89> (要登録)
- [90] 
[CITE@ja-JP[奈良県の文化財]], [[奈良県教育委員会]], [TIME[1987.3][1987]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-04-29T10:28:30.440Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/13275943/1/195?keyword=%E5%8D%81%E4%BA%8C%E6%9C%88%E4%B8%83%E6%97%A5%E4%B9%99%E9%85%89> (要登録)
- [92] 
[CITE@ja-JP[薬師寺]], [[安田暎胤, 大橋一章]], [TIME[1990.11][1990]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-04-29T10:31:07.525Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/12635359/1/321?keyword=%E5%8D%81%E4%BA%8C%E6%9C%88%E4%B8%83%E6%97%A5%E4%B9%99%E9%85%89> (要登録)

]REFS]

@@
[BOX[

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[3] [CITE[[[奈良県史]] - Google ブックス]], 
[TIME[1984]],
[TIME[2022-12-29T06:33:18.000Z]] <https://books.google.co.jp/books?id=HFpMAQAAIAAJ&q=%22%E5%8F%A3%E6%B2%BB%22>
]FIGCAPTION]

>5 ページ
>... 保延元年東大寺法華堂柱(一一三五) 7 保延四年法隆寺釈迦如来像 13 (一一三八)法隆寺納舍利塔 14 法隆寺輿舁面 80 保延六年大宇陀町大藏寺扁(一一四○ )額 81 永治元年春日大社镜(二四一)昭永治二年山王神社大日石仏 15 (一一四二) 3 康治元年薬師寺 ...
>54 ページ
>狛犬自体は藤原時代の作である。右の銘文には、この日に宮うつしがあったと記している。紀年は一応「康治元年」(一一四二)と考えられ、異年号というよりむしろ異体文字と解した方がよいと思う。 t 正規に通用する元号以外に、別の異なった元号を表記した ...
>116 ページ
>作の時代などを総合して一応「康治元年」(一一四二)とする。此日宮うつしをわします口治元年十二月七日乙酉日(康)仏師法師僧口口口宝]造進八幡宮像一対、高さ阿方は五二・二丼、彩色の州浜座の裏に墨書銘がある。狛犬は平安時代後期の作。 88 薬師寺八幡宮狛犬奈良市西ノ京町〇康治元年(一一四二)この石仏と銘文 ...
]FIG]

[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[2] [CITE[[[奈良県史]]: 金石文 - 奈良県史編集委員会 - Google ブックス]], [TIME[2022-12-29T06:31:53.000Z]] <https://books.google.co.jp/books?id=4pcNAQAAMAAJ&q=%22%E5%8F%A3%E6%B2%BB%22>
]FIGCAPTION]

>116 ページ
>... 年」う考え方もあるが、月日の干支が合わず、寛治という説も銘文中、紀年の口治は異体文字で記されていて、宝治とい此日宮うつしをわします III 治元年十一一月七日乙酉日(康)仏師!::::!法師僧 11:10 口宝前 0 造進八幡宮州浜座の裏に墨書銘がある。铂犬は平安時代後期の作。桧材寄木造、彩色像一対、高さ阿方は五一一.
]FIG]


]BOX]

-*-*-

[41] 
現在の[[文化財]]系のデータベース等では、
[TIME[寛治元年(1087)][1087]]説を取っていることが多いようです。
[SRC[>>5, >>52, >>56, >>57]]

[42] 
[TIME[平成20(2008)年][2008]]の調査は、
[TIME[寛治元年(1087)][1087]]説を紹介し、
造形的にもその頃としてよいと判断しています。
[SRC[>>21]]

[58] 
ただ、本来なら時期不明の当像が、他の像の年代判定の基準に積極的に採用されているらしい [SRC[>>57]]
のは気がかりです。

[REFS[

-
[21] [CITE@ja[001-092_本文_4.indd - a1664843418761.pdf]], [TIME[2024-05-28T23:40:42.000Z]], [TIME[2024-12-10T12:30:13.824Z]] <https://www.seijo.ac.jp/research/institution/publications/jtmo420000015oo6-att/a1664843418761.pdf#page=79>
-
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[52] [CITE@ja[「国宝 薬師寺展」 : 海外出張-喜怒哀楽-]], [[AT_fushigi]], 
2008-05-04 03:00,
[TIME[2026-04-29T08:47:14.000Z]] <https://atxfushigi.exblog.jp/8785177/>
]FIGCAPTION]

>
重文 狛犬 平安時代・寛治元年(1087) 奈良・薬師寺蔵 

]FIG]
-
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[53] 
[CITE@ja[MIHO MUSEUM 「獅子と狛犬ー神獣が来たはるかな道-」展 : 五風十雨]], [[koma-jin]], 
2014-09-12 15:11,
[TIME[2026-04-29T08:49:16.000Z]] <https://komajin.exblog.jp/20189051/>
]FIGCAPTION]

>
州浜座に寬治元年(1087)の墨書がある薬師寺の狛犬一対は、穏やかで優雅ささえ感じさせる。


]FIG]
-
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[56] 
[CITE@ja[忘れへんうちに Avant d’oublier: 獅子から狛犬へ]], 
2018/03/30,
[TIME[2026-04-28T21:29:42.000Z]], [TIME[2026-04-29T09:09:18.506Z]] <https://avantdoublier.blogspot.com/2018/03/blog-post_30.html>
]FIGCAPTION]

>[SNIP[]]『獅子と狛犬展図録』は、[SNIP[]]
>
狛犬 平安時代、寛治元年(1087年)か 木造彩色 像高 阿形52.2吽形52.1㎝ 奈良薬師寺蔵
>同書は、[Q[南都薬師寺鎮守の八幡宮に伝来した獅子一対の古例で、平安後期の優雅な表現になるものとして知られている。[SNIP[]]、11世紀の第4四半期を造像期とすることに矛盾はない]]という。



]FIG]
-
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[5] 
[CITE@ja[808_獅子(薬師寺) :: 東文研アーカイブデータベース]], [TIME[2024-01-24T13:08:33.000Z]] <https://www.tobunken.go.jp/materials/nenki/120796.html>
]FIGCAPTION]

>備考  年紀の部分を「寛治元年(一〇八七)」と読む説がある。本体と台座が同一作かどうか検討を要するが、様式的にもおよそこの頃の作と考えられる。
>参考文献 	『獅子・狛犬』展図録(京都国立博物館、一九九五年)

]FIG]
-
[FIG(quote)[
[FIGCAPTION[
[57] 
[CITE@ja[重要文化財|獅子(文殊菩薩像台座)|奈良国立博物館]], [TIME[2026-04-29T09:12:48.000Z]] <https://www.narahaku.go.jp/collection/758-0.html>
]FIGCAPTION]

>[SNIP[]]寛治元年(一〇八七)頃の作とされる奈良・薬師寺の獅子と狛犬などに通じ、制作年代は十一世紀とみられる。[SNIP[]]
[BOX(right)[
(岩井共二) 
]BOX]
なら仏像館名品図録. 奈良国立博物館, 2022, p.143, no.191. 

>
[SNIP[]]寛治元年(一〇八七)頃の作とされる奈良・薬師寺の獅子・狛犬などに通じ、十一世紀の制作とみられる。[SNIP[]]
[BOX(right)[
(岩井共二) 
]BOX]
奈良博三昧―至高の仏教美術コレクション―. 奈良国立博物館. 2021.7, p.260, no.109. 

>
[SNIP[]]10〜11世紀の作と考えられる奈良・薬師寺像や京都・東寺像に通ずるところがあり、本像の制作期も従来言われてきた平安末期(12世紀)をさかのぼるとみるべきだろう。
[BOX(right)[
(岩田茂樹) 
]BOX]
なら仏像館名品図録. 奈良国立博物館, 2010, p.115, no.151.

>
[SNIP[]]など、寛治元年(1087)制作と考えられている奈良・薬師寺の獅子・狛犬や、10世紀後半とする説のある京都・教王護国寺の獅子に近く、本像の制作期も11世紀にさかのぼる可能性を考えさせる。
[BOX(right)[
(岩田茂樹)
]BOX]

>
[SNIP[]]のは、寛治元年(1087)作の薬師寺の獅子像と共通する要素である。しかし薬師寺像との共通性は時代性と言うよりは、むしろ興福寺華原磬(かげんけい)の獅子のような奈良様を引くということであろう。逞しい肉付けをしながら、胴を引き締めた姿には鎌倉時代的な気分が現れ始め、本像が藤末鎌初の頃に古様な獅子を手本として作られたと考えられる。
>[SNIP[]]
[BOX(right)[ 
(井上一稔) 
]BOX]
奈良国立博物館の名宝─一世紀の軌跡. 奈良国立博物館, 1997, p.300, no.101. 

]FIG]

]REFS]

-*-*-

[82] >>81 は「[V[元治元年 (一〇八七年) 十二月七日乙酉日]]」
と銘文を引用しています。[[元治]]としたのは誤記、誤植でしょうか。

[84] [CH[元]]は、[CH[[ASIS[〓][⿸厂]]]]とよく似ているとは言えないものの、
他の[[文字]]よりは似ているようにも思われます。
「寛治」と書かれた原資料からの単純な誤記ではないかもしれません。

[85] [TIME[平成6(1994)年][1994]]の出版なら[[ワープロ]]原稿の可能性もありますから、
「がん」と読んで[[誤変換]]の可能性も排除できません。

[REFS[

- [81] 
[CITE@ja-JP[温故知新 続続]], [[近東弘七]], [TIME[1994.6][1994]], [TIME[2026-04-28T01:12:07.000Z]], [TIME[2026-04-29T10:14:43.723Z]] <https://dl.ndl.go.jp/pid/13263092/1/93?keyword=%E5%8D%81%E4%BA%8C%E6%9C%88%E4%B8%83%E6%97%A5> (要登録)

]REFS]


* 関連

[SEE[ [[保寿]] ]]



[4] 時系列 :

- [60] [TIME[応徳4(1087)年丁卯4月7日][kyuureki:1087-04-07]]、[[寛治]]に[[改元]] ([[代始改元]])
- [47] [TIME[寛治元(1087)年丁卯12月7日乙酉][kyuureki:1087-12-07]] 
- [61] [TIME[保安5(1124)年甲辰4月3日][kyuureki:1124-04-03]]、[[天治]]に[[改元]] ([[代始改元]])
- [48] [TIME[天治元(1124)年甲辰12月7日庚戌][kyuureki:1124-12-07]]
- [59] [TIME[永治2(1142)年壬戌4月28日][kyuureki:1142-04-08]]、[[康治]]に[[改元]] ([[代始改元]])
- [49] [TIME[康治元(1142)年壬戌12月7日乙丑][kyuureki:1142-12-07]] 
- [43] [TIME[建暦元(1190)年辛未12月7日乙酉][kyuureki:1190-12-07]] [SRC[>>9]]
- [50] [TIME[宝治元(1247)年丁未12月7日丙戌][kyuureki:1247-12-07]] 
- [44] [TIME[弘安元(1278)年戊寅12月7日乙酉][kyuureki:1278-12-07]] [SRC[>>9]]
- [45] [TIME[嘉元2(1304)年甲辰12月7日乙酉][kyuureki:1304-12-07]] [SRC[>>9]]
- [46] [TIME[応永4(1397)年丁丑12月7日乙酉][kyuureki:1397-12-07]] [SRC[>>9]]
- [83] [TIME[元治元(1864)年甲子12月7日][kyuureki:1864-12-07]]

* メモ


[95] 
寛治元年説は字形という最大の問題を除けば、これといって否定するべき要素はないのですけど、
銘文が信頼できないとき参考にしたい本体の様式からの推定が、
どうにも頼りないのが問題ですよね。

